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久保田 明人 *新潟五月集会特集*
五月集会・憲法分科会に参加して
清洲 真理 貧困分科会に参加して
三浦 愛里奈 事務局交流会「新人交流会」に参加して
宮本 奈生 事務局交流会(IT分科会)に参加して
加藤  修 「五月集会 半日旅行に参加して」
馬奈木 厳太郎 「生業を返せ、地域を返せ!」ふるさと喪失訴訟の提訴について
渡邊  純 原発事故による自死案件で初の和解 加害責任を認めない東京電力を追い詰めるために
國光 甘雨 「明日の自由を守る若手弁護士の会」関西集会
諸富  健 【五一期〜六五期のみなさんへ】
「明日の自由を守る若手弁護士の会」へ入会を!
豊田  誠 近藤忠孝団員を悼む(弔辞)
篠原 義仁 「近藤さん」の思い出
坂本  修 『自民党改憲案を読み解く』の御一読を
田中  隆
山口 真美
「市民に選挙をとりもどせ!」のご活用を!



*新潟五月集会特集*

五月集会・憲法分科会に参加して

東京支部  久 保 田 明 人

 五月集会では、一九日(日)・二〇日(月)両日とも憲法分科会に参加した。一日目は主に憲法改正の動向、二日目は選挙動向と大阪・橋下府知事問題だったが、ここでは一日目の憲法改正に関する分科会に参加した感想を述べたい。

 現在、自民党が憲法改正草案を公表し、草案に基づく改正への動きを進めており、憲法分科会でも自民党改正草案に対する発言が多くなされた。自民党主導の憲法改正の動きを阻止していくためには、正しい現状認識と阻止の道筋、阻止運動を支える理論武装が必要だが、その意味で、憲法分科会における憲法九六条の憲法改正要件に関する松島暁団員と田中隆団員の発言が強く印象に残った。

 松島団員は、自民党は憲法九六条の改正要件を緩和する改正をした後に憲法九条などを改正しようとしているが、改正要件を緩和することに対しては改憲論者からも反対があり、憲法九六条を改正させない力は十分にある、憲法九六条の改正を阻止し、自民党の改正動向の出鼻を挫かせることによって、その後の憲法改正を封じていくべきだと、確かな現状認識と改正反対の方向性を示す発言をされた。

 また、田中団員は、憲法九六条の改正要件を緩和してはいけない理由の一つを示された。改正要件を緩和しようとする勢力は、その論拠の一つとして、憲法の内容は国民に判断させるべきで、それが国民主権に資するとする。確かに、国民主権は憲法の基本原理の一つであるが、憲法は同時に、平和主義と基本的人権の尊重も基本原理としている。国民主権と平和主義・基本的人権の尊重は、互いに必ずしも調和する原理ではなく、ときには衝突し得る。憲法は、衝突することを前提として、基本的人権と平和主義を守るために憲法改正要件を厳格にしている、すなわち、憲法九六条は基本的人権と平和主義を権力・多数派の国民から守る役割を担っている、とご発言された。憲法九六条の存在意義を憲法の基本原理から整理され、憲法改正要件緩和勢力の論拠に抗う光を見た思いがした。

 お二方を含めて憲法改正動向に関する発言の後、全国各地の団員が取り組んでいる憲法学習会などの取り組みが数多く報告された。各支部が支部の活動として憲法学習会に力を入れ、その実施した数に驚きを感じるとともに、自由法曹団の頼もしさを感じたが、報告の中で、これまでにおよそ憲法に関心がなかったであろう方々(学校の父母会など)から学習会依頼をされることがあるという報告に希望をみることができた。

 自民党による憲法改正を食い止めるには、結局、国民が「No!」と言わなければならない。食い止めるだけの数の国民に「No!」と言ってもらう必要があり、それは、これまで声をあげていない国民、関心のない国民にも「No!」と言ってもらう必要がある。先のような報告は、全国各地の団員が取り組んでいる憲法学習会その他憲法周知活動がこれまで憲法に無縁だった国民にも声が届いて広がりを見せ始めていることを示しており、希望を感じることができた分科会であった。


貧困分科会に参加して

京都支部  清 洲 真 理

 新第六五期の清洲真理と申します。私は、大学で社会福祉学を専攻し、ホームレスの自立支援について卒論を書くなど、貧困問題に関心があります。

 講師は、社会福祉士で、特定非営利活動法人ほっとプラスの代表理事の藤田孝典氏でした。

 まず、今の生活保護行政の問題について、稼働年齢層の排除・追い出すための制度になっていることが指摘されました。そして、今までの社会福祉は、高齢者、障がい者、児童、母子家庭といった社会的弱者を支援してきましたが、これからは、対象を限定せず、誰もが生きやすいソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)の社会をつくっていくことが必要だと言われました。

 これまで、社会保障審議会では、生活困窮者自立支援法案と生活保護法改正案を抱き合わせにして制度を変える議論が進められてきました。しかし、前者は、対象者に対し、「中間的就労」という就労形態を認めることで、労基法潜脱のおそれがあり、後者は、生活保護受給申請時に書面申請の原則化・必要書類の添付義務を課し、さらに扶養義務の強化を行って、事実上、生活保護を受けることを断念させ、水際作戦を認めかねないといった問題点があります(書面申請・必要書類の添付については、批判を受けて、例外規定を設けるという修正案が作られましたが、例外となる「特別の事情」の解釈によっては、申請権を侵害するおそれが十分あります。五月三一日、修正案及び生活困窮者自立支援法案は衆院厚生労働委員会で可決され、今国会中の成立が予定されています)。  

 社会保障審議会の議論では、社会的包摂という言葉が除かれ、稼働年齢層が生活保護に流れることを阻止しようとしています。生活困窮者自立支援法案は、民間が進めてきたことを法制化するという点では評価できますが、厚労省は、「生活保護法改正案を通さないと、生活困窮者自立支援法ができない」と主張し、抱き合わせによる制度変更を推し進めています。

 中間的就労をしなくても、その人それぞれに合った仕事をすれば、社会の中で生活することができます。藤田氏が支援した人には、シルバー人材センターで働いて、生活のために必要な半分について生計を立て、残りは生活保護で賄うといった人もおられました。

 藤田氏は、自身が生活支援を続けてきた経験から、「現場を見ないまま政策を作らないでほしい」と言われました。そして、小野市の生活保護通報条例にみられるような、受給者を監視する流れについて、「依存症には、丁寧なケアが不足しているために、そのような状況を招いているという実態があり、監視は逆効果だ」と指摘されました。自分のことを認めてもらえていると思うからこそ、人はがんばることができ、自由を制限することは、自尊心を傷つけ、自立を遠のかせるからです。自身の専門にとどまらないネットワークを作って、ケアをする体制を組むことが重要だと強調されました。

 藤田氏は、ケースワークやソーシャルワークを丁寧に行いながら、生活支援をされています。生活困窮に至る原因には様々な背景があり、本人を責めるのではなく、原因を探ることが必要だと感じました。

 講演の後、活発な質疑応答がありました。私は、「支援に対するマンパワーの限界について感じることがあれば教えていただきたい」と質問をしました。これに対して、福祉事務所では、事務作業(支給決定)とケースワーク支援が同じ職員によって行われているが、職員の負担が大きく、権力の肥大化にもつながるため、分離すべきだと話されました。社会福祉士やケースワーカーといった専門職を配置し、重点的に養成することで、より適切なアセスメントと丁寧な支援が可能になるとのことでした。

 その後、各地の団員による報告があり、生存権裁判、生活保護に関する法律相談の実施、拘置所の面会室に生活保護制度について説明する用紙の設置、税金滞納を理由とする児童手当差押違法判決など、各地の現状や取り組みが紹介されました。

 藤田氏がおっしゃったように、人は「社会で生きていく(隔絶されない)」ということが何より大切です。今の生活保護を取り巻く流れは、受給者を責める・監視するといったもので、まるで攻撃対象として扱っているように感じます。しかし、人生は順調なときもあれば、そうでないときもあります。怠け者・社会の脱落者とレッテルを貼るのではなく、みんながお互いに助け合って、社会に参加できる。そのような社会を築くために、垣根を越えて活動していきたいと決意を新たにしました。


事務局交流会「新人交流会」に参加して

三重合同法律事務所  三 浦 愛 里 奈

 私は、昨年九月に入所し、今回初めて新潟で開かれた自由法曹団の集会に参加させていただきました。新人交流会には、先輩方と離れ一人で参加しなければならなかったので、何をしたら良いのか、きちんと話せるだろうか、と緊張していました。しかし、約十名の方がいらっしゃいましたが、お一人で参加されている方が多く、少し安心しました。そして、新人交流会は東京東部法律事務所の深澤さんより事前アンケートがあり、そのテーマにそって進められました。

 まず、自己紹介から始まり、入所一ヶ月弱の方から数年目の方がいらっしゃいました。そして、出身地・趣味・特技・出身地の名産物の話をしているころには、緊張もほぐれ場も和み、話しやすい雰囲気になっていました。

 次に、業務内容や残業の有無などについて話し合いました。普段の業務については、各事務所によって、さまざまなやり方があることを知りました。私の勤務している事務所は、基本的には一対一の担当制なのですが、グループ制でされている事務所も多いということが分かりました。そして、グループ制のメリットは、休暇を取りやすいこと。デメリットは、特定の人に指示されないので、事件を通して理解できないことだそうです。他にも、受付や外回り担当の方がいる事務所やいない事務所など、さまざまな違いがありました。その中でも、「電話を二本対応できるは当たり前で、三本対応できるようになりなさい」と言われている事務所があるというのを聞き、驚きました。私は、電話対応があまり得意ではありませんが、そのような事務所もあるということを知り、せめて電話一本ぐらいは、きちんと対応出来るようにならなくてはいけないと、改めて思いました。

 また、残業については、全くない事務所と担当の弁護士によって有る人と無い人がいる事務所に分かれました。三十分を超える場合は、報告書を必ず書かなければならないようになると、書くのが面倒ということもあるのか、減ってきている。という事務所もありました。

 最後に、残業問題も含め、弁護士のスタイルは変えられないので、事務局として、今後どうしていくかが課題となり、新人交流会は終わりました。

 この新人交流会に参加して、他の事務所の事務局の方とお話しでき、悩んでいることが自分だけではないと分かり励みになりました。仕事に対しても、少しでも早く先輩方のように仕事をこなせるようになりたい、という思いがより一層強くなりました。

 各地域の事務局の方々と経験交流できる貴重な機会に参加させていただき、より多くの刺激を受けることができました。本当に良かったです。今後も積極的に参加し、全国の方々との交流を大切にしていきたいと思います。


事務局交流会(IT分科会)に参加して

大阪法律事務所  宮 本 奈 生

 グループウェアの導入・ネットの活用・設備関係について・電話メモ・日程管理の電子化についてなどITにかかる経験を交流しました。事務所によって様々な現状が話されましたが、実際に運用した便利さや、または課題点などを全国各地の経験を交流することができ、非常に充実した分科会の内容でした。便利な点、課題とする点はやはり各地共通するものがあり、事務所の経営難が言われる今、初期費用や管理費なども、導入にあたっては壁となっていることも現状として出されました。しかし、業務のスリム化により、効率が上がることは確かなことで、どのようにうまくITを利用していくかが重要だと思いました。

 ML・Fb・ネットでのトラブルの報告もされました。便利になって効率も良くなりますがその後の問題点として、どのようにモラルを育てるのかを考えることが必要だというのは、この業界だけでなく今後社会の変化の中で言われることだと思いました。それに対応していかなければ活用をさらに広めることはできないと思いました。ITの危険性を知った上での活用を使用する側が共有のものとしておくことは大事なことだと認識できました。他にも、知らないグループウェアの存在を知れたり、電話機に録音ボタンがついているシステムや電話メモの電子化も驚きました。私の事務所では電話メモやスケジュール管理は紙で行っているため、サイボウズ利用を行っている事務所の意見は新鮮でした。事務局がより仕事のしやすい環境ができれば、事務所運営にも繋がると思います。

 この分科会を通して、ITの利用については良く議論して、多面的に活用を考えることが活用を進める時に大事な事だと思いました。私自身も今、携帯電話やメール、ネットが無ければ成り立たなくなってしまったという実感があります。それ以上に社会は進歩していると思いますが、パソコンソフトの技術もどんどん上がっており、私たちもそれに対応できる技術を求められることになれば、身につけていかなければならないことになると改めて考えさせられました。今後もこうした交流で情報共有ができれば活用を進めていく様々な変化に対応できると思いました。ありがとうございました。


「五月集会 半日旅行に参加して」

熊本支部  加 藤   修

 久しぶりに参加した五月集会。

 渡辺治教授の改憲勢力との闘い、熱い語りでした。一日目の分科会は、私が熊本の生存権訴訟を闘っている関係で「貧困問題」へ参加。二日目の分科会は、熊本県の教育長が一方的に育鵬社の公民を県立中学の補助教材として採用したことに対する住民訴訟の原告代理人を私がつとめているので「教育問題」の分科会に参加しました。 懇親会では、仁比そうへいさんの参院選での当選を願って皆で壇上に上がって訴えました。

 終了後、半日旅行に参加しました。山古志村に行ってみたかったのと、アルパカに会ってみたかったからです。

 お天気に恵まれ五月晴れ。越後湯沢から長岡に向かう貸切バスの車窓からは雪をかぶった山々が見えました。棚田には豊かな緑が映って美しかったです。

 昼食は山古志の山菜づくしでどれも大変おいしく、皆で舌鼓を打ちました。

 山古志村では山の中で消滅してしまった部落も見ました。平成一六年一〇月の新潟県中越地震から九年余、ずいぶんと復興しているように見えましたが、土に埋まったままの家もありました。復興に力を尽くされている方は「新しく綺麗な道路ができて、昔よりも良くなったくらいだ」と冗談のようにおっしゃっていましたが、ここまでの道のりには大変な悲しみとご苦労があったことでしょう。

 楽しみにしていたアルパカにも会うことができました。約一〇頭のアルパカは山古志村の被災者を励ますためにアメリカのコロラド州から贈られたそうです。白、キャラメル色、茶色、黒のアルパカはつぶらな瞳で人懐っこく寄ってきて、とてもかわいらしかったです。

 山古志の伝統文化「牛の角突き」の見学にも訪れました。山古志での闘牛の文化は古く、国の重要民俗文化財にも指定されているとのこと。足腰が強く粗食や寒さに耐える牛は棚田での運搬や田畑の耕作に欠かせない人々の大切なパートナーだったそうです。闘牛はビデオでの説明でしたが、牛の巨大さには圧倒されました。体重一トン超、黒々とした毛で、頭には短く尖った角が生えています。その角を二頭が突きつけあって闘うのですが、牛を守るためと奉納の意味を込めて、徹底的に最後まで闘わせず、早い段階で勝敗をつけて終わらせるとのことでした

 また、山古志村は錦鯉の養殖で有名とのことで、たくさんの池がありました。

 水と緑と動物たち、豊かな自然の中でリフレッシュでき、同期のみんなとも会えて、頑張ろう!と力をもらえた五月集会になりました。


「生業を返せ、地域を返せ!」ふるさと喪失訴訟の提訴について

東京支部  馬奈木厳太郎

一 五・三〇提訴

 「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団・弁護団は、二〇一三年五月三〇日、国と東京電力を被告とし、“ふるさと喪失”慰謝料と居住用不動産の賠償を求めて、福島地方裁判所に提訴いたしました。

 第一次提訴の原告は、二六名(事故時は一二世帯。現在は一八世帯)。原発事故時に、南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町の各市町に居住していた方々で、現在は福島県内、千葉県、神奈川県、東京都に避難している方々です。

 提訴当日の五月三〇日には、いまにも雨が降り出しそうな曇天のなか、あぶくま法律事務所前に約一二〇名の原告団・弁護団・支援者が集合し、「生業を返せ、地域を返せ!」ふるさと喪失訴訟の横断幕を先頭に、福島地方裁判所に向けて行進しました。

 午後からは、記者会見と報告集会を行いました。報告集会では、“ふるさと喪失”訴訟原告代表の紺野重秋(原告団副団長)さんが、「いろいろな方の支援をいただきながら、いろいろな想いを抱えながら、今日の提訴に至った。勝利に向かって最後まで頑張っていきたい」と、静かな口調でしたが、決意を熱く語りました。また、弁護団や支援の方々が次々と発言し、訴訟の意義や想いを訴えました。

 報告集会は、一時間半にわたって続きましたが、提訴を受けて、原告団と弁護団が改めて決意を固めあう場となりました。

二 原告団について

 第一次提訴の原告の方々は、建設業や内装業、美容室、飲食店、自動車修理、畜産などを生業にしていた方々で属性も様々です。また、区域再編を受け、帰還困難区域が四世帯、居住制限区域が九世帯、避難指示解除準備区域が五世帯という内訳になっています。

 原告の方々は、事故以前は豊かな自然環境の下で、それぞれの生業を営み、家族や知人友人との人間関係のなかで、平穏な生活を送ってきました。しかし、事故による放射線被ばくを避けるため、着の身着のままでの避難を余儀なくされ、先の見通しのつかない避難生活が長期化するなか、いわば“生殺し”の状態に置かれています。居住地が高濃度に汚染されていることなどから、元の居住地に帰還できる見込みは、今後も相当長期にわたって立たない状況です。

 こうした特徴を有する原告ですが、今回提訴した方々は、三月一一日に八〇〇名で提訴した「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(原状回復訴訟)の原告団の一員でもあります。原状回復訴訟が、あくまでも基本でありベースとなる訴訟ですので、“ふるさと喪失”訴訟の原告の方々も、全員が原状回復訴訟の原告団に加入しています。一つの原告団として、原状回復訴訟も“ふるさと喪失”訴訟も兄弟訴訟として同じく全力で取り組むという方針です。

三 訴訟の意義・目的

 「ふるさと」とは、単に生まれ育った場所や生活していた場所をいうものではありません。地域の自然環境、生業、家族との人間関係など、その人がその人らしく生きることのできるためのかけがえのない生活基盤の全体を、私たちは「ふるさと」と呼んでいます。しかし、原告の方々の居住地は放射性物質により高濃度に汚染され、その人らしく生きるための基盤は根底から失われました。これらの被害を一言で表現すれば、それは「『ふるさと』の喪失」というしかありません。これに対する救済は、本来的には、放射性物質を取り除き、生活インフラや生業の場を復活させるなど、原告の方々が「ふるさと」において安心して元の生活を取り戻すことができるよう原状回復することしかありません。しかし、現在その見通しはありませんし、可能であるとしても、それまでには長期間を要します。そうである以上、せめて新たな居住地において、新たな生活基盤を築くに足りる賠償を求めることは、被害者の当然の権利であるはずです。

 また、現在の賠償枠組みでは、政府による区域再編に応じて、賠償の有無や期間、水準などが決められていますが、加害者による一方的な線引きは、被害の実態を全く反映していません。

 この訴訟を通じて、私たちは、賠償の対象となる面的な広がりを拡大させること(横出し)、賠償の水準を引き上げること(上乗せ)など、被害の実態に即した賠償を求めるという実践的な目的を掲げています。もちろん、原告だけが救済されればよいということではなく、全体救済を目指した取り組みとして位置づけられています。

四 今後について

 原告団と弁護団は、「訴訟は二つ、たたかいは一つ!」を合言葉に、国の責任を認めさせ、“被害救済”・“原状回復”・“脱原発”を目指して、今後も全力を尽くしていく決意です。

 きたる七月一六日には、原状回復訴訟の第一回期日も予定されています。団員のみなさまの引き続くご支援を心からお願い申し上げます。


原発事故による自死案件で初の和解 加害責任を認めない東京電力を追い詰めるために

福島支部  渡 邊   純

 今般、原子力損害賠償紛争解決センター(以下「原紛センター」)の和解仲介手続において、福島原発事故後に自死された須賀川市の農家Tさんの遺族と東京電力との間で、原発事故と自死との間の相当因果関係を認めることを前提とする和解が成立する運びとなった。本件は、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発事故被害弁護団が担当してきた。

Tさんの自死に至る経緯

 Tさんは、須賀川市の農家に生まれ、高校卒業後、農業を継いだ。明るい性格と先を見通す能力から、地域の農家のリーダー的存在であった。おいしさはもちろん、安全で高品質の野菜を作るための研究や有機農法による土作りにも熱心に取り組み、キュウリやキャベツは、地元でも高い評価を受けていた。

 また、社会問題にも関心が高く、チェルノブイリ原発事故の二年後に行われた原水爆禁止世界大会に須賀川市の代表として参加した後は、原発にも強い関心を寄せ、家族や仲間に対して原発と被ばくの恐ろしさを訴えていた。Tさんは、原発事故当時64歳であったが、心身ともに健康であり、自殺に至る個人的社会的素因は特になかった。

 大震災で、Tさんの自宅は、母屋の屋根瓦が落下し作業小屋が損壊するなどの被害はあったものの、Tさんは付近住民の安否確認や、自宅の片付け・応急補修を行っていた。しかし、Tさんは、県内産の農作物の放射性物質汚染と出荷停止が報道されるようになると、家族や友人に「福島の野菜はもうおしまいだ」「福島の農業で生活はできない」などと漏らすようになり、口数も少なくなり、空嘔吐を繰り返すようになった。そして、キャベツの出荷停止・摂取制限指示のFAXを受け取った翌日(三月二四日)の早朝、Tさんは自宅裏で首を吊り、自死した。

弁護団の活動

 Tさんの遺族は、自死直後からマスコミの取材を受けるなど、Tさんの無念と農家の怒りを訴えていた。弁護団は、この事件は、Tさんの遺族にとっての「弔い合戦」であると同時に、福島の農家の被害の代表であるという見地から、全力をあげて取り組んできた。

 「自死を防げなかった」と周囲の目を気にする遺族の心情にも配慮し、私のほか数名の「遺族対応チーム」を組織し、「福島の農家代表として頑張る」と決意した遺族に寄り添ってきた。原発事故と自死との因果関係については、遺族や友人の詳細な陳述書のほか、精神科医二名の協力を得て、「原発事故以外に自死の原因はない」とする意見書を提出するなど、訴訟とほぼ同様の主張立証を行った。

 その結果、三名の和解仲介委員の全員一致で、原発事故と自死との相当因果関係が認められることを前提とする和解案が提示されるに至った。

和解の意義と課題

 知る限りにおいて、原発事故以降の自死案件について、原発事故と自死との相当因果関係、すなわち東京電力の法的責任が公的手続で認められたのは、初めてである。その意味で、この和解成立は、他の自死遺族に大きな励ましを与えるものと考えている。同時に重要なのは、須賀川市が、中間指針にいう「自主避難等対象地域」であるということである。同地域の住民の精神的苦痛は、大人一人八万円とされているが、本件和解は、現実の被害はそのような軽い評価ができるようなものでないことを示した。

 同時に、課題もある。和解案提示後、弁護団と遺族は、東電に対し、何らかの形で誠意を示すことを求めてきたが、東京電力は、代理人名で「和解案を受諾すること、及び、これに基づく賠償を速やかに行うことにより、被申立人としての気持ちをお伝えしたい…被申立人として、本件事故により、大変なご迷惑とご心配をおかけしておりますことを、改めて心よりお詫び申し上げる…」などとする文書を送付し、焼香等を拒否し続けている。これは、「金は払うが、加害責任を認めて謝罪をすることは拒否する」という態度であり、逆に言えば、「自分には加害責任はないが、原賠法で無過失責任が定められているから金は払う」ということに他ならない。わが国の原子力法制が「無責任の体系」であることの何よりの証である。

 和解成立見込後に行った記者会見(本年六月五日)では、Tさんの農業後継者である次男が実名で、加害責任を認めない東京電力への怒りを語った。次男は、翌日の公害被害者総行動にも参加し、東電・国との交渉において「『たいへんご心配とご迷惑をおかけしました』ってなんだ? 責任を認めたのに、なぜ、会社として謝罪しないんだ!母ちゃんと二人で、ロープにぶら下がった親父を下ろしたんだ。農作業中でも、このことが一日たりとも頭から離れない」と、東京電力を鋭く追及した。

 Tさんの遺族は、本年三月一一日に提訴した集団訴訟の原告にもなっている。東京電力に加害責任を認めさせ、心からの謝罪をかちとるまで、また、原状回復と原発推進政策の抜本的転換をかちとるまで、遺族とともに闘っていく決意である。


「明日の自由を守る若手弁護士の会」関西集会

京都支部  國 光 甘 雨

 昨年四月に自民党が改憲草案を発表、年末には改憲を掲げる安倍内閣が誕生し、来る参院選では九六条改悪が争点になろうとしています。

 このような情勢に危機感を抱いた若手弁護士たちが立ち上がり、今年一月、「明日の自由を守る若手弁護士の会」が結成されました。「若手」と銘打ってはいますが、五一期以降、つまり登録一五年以内の弁護士が対象で、改憲反対を旗印に幅広い会員が集まっており、もちろん団員の先生方も大勢加入されています。

 関西での活動の第一歩として、会の存在と改憲の危険性を広く知らしめようということで、去る五月二六日、LET'S TALK ABOUT 憲法!〜自民党改憲草案をクラブで語ろう〜と題したイベントが、京都市内のクラブで開催されました。念のために解説しておきますが、「クラブ」と言っても、女の人が接待してくれるお店ではなく、音楽を楽しんだり、フロアで踊る場を提供するお店のことです。

 クラブを会場に憲法のイベントを行うというのは(おそらく)本邦初ですが、単に物珍しさを狙ったというわけではありません。憲法学習会というと、公共施設の一室を借りて講義形式で行なわれることが多く、どうしても堅苦しくて参加しづらいイメージを持たれてしまっています。そのようなイメージを払拭し、特に若い人が気軽に参加できるようにという、立派な意図が込められているのです。事前に新聞等で告知されていたこともあり、参加者は約四〇名と、予想以上の盛況で、一般市民の方も多数参加されました。

 開会の挨拶の後、まずは会が製作した紙芝居を上演しました。架空の王国を舞台に、欽定憲法と民定憲法の違い、人権が法律によって制約されることの恐ろしさ等、立憲主義の基本をストーリー仕立てで学べるという優れもので、参加者にも好評でした。

 その後、講師としてお招きした福山和人弁護士が、「憲法改正で幸せになれるか」というタイトルで講演されました。憲法とは何か、立憲主義とは、という話から、日本国憲法の成立、自民党改憲案の狙い、改憲を阻止するための運動論等、多岐にわたる内容がわかりやすい言葉で説かれており、聞いている私達弁護士にとっても大変参考になりました。

 最後はフリートークのコーナーで、憲法に対する思いや、改憲のための運動論等、市民や弁護士等、参加者それぞれの立場から意見が出され、その場で質疑応答が始まりと、活発な議論が交わされました。一般参加の方の、「今回は改憲に対する危機感を身体で感じる」という言葉が印象的でした。

 また、大阪の弘川欣絵弁護士が、ミャンマー人に憲法について講義した際の貴重な体験談を語ってくださいました。軍事政権下の人々にとっては立憲主義という概念自体が新鮮で、目を輝かせながら耳を傾けていたそうです。憲法の持つ力に感銘を受けると同時に、我々に続く世代を、立憲主義を知らない子どもたちにしてはならない、との思いを新たにしました。

 クラブで憲法を語るという意外性からか、マスコミの取材も来ており、これがきっかけで憲法について考える機運が高まることを期待したいと思います。

 もちろん会としても、憲法に関心のない層に興味を持ってもらえるようなイベントを、今後も企画していこうと考えております。皆様もご支援よろしくお願いいたします。


【五一期〜六五期のみなさんへ】

「明日の自由を守る若手弁護士の会」へ入会を!

京都支部  諸 富   健

「明日の自由を守る若手弁護士の会」はご存じ?

 「明日の自由を守る若手弁護士の会」(略称:あすわか)の存在については、もう覚えていただけましたでしょうか?先般の五月集会では、ロビーにブースを設けてパンフレットの販売や紙芝居のデータ配信申込みの受付をし、また一日目の憲法分科会では、当会の活動内容について発言させていただきました。

これまでの取組み

 当会は、HPやフェイスブック、ツイッターはもちろんのこと、「愛知憲法通信」(愛知憲法会議発行)や「法と民主主義」に記事を連載したり、「世界」六月号や法学館憲法研究所のHPに寄稿したりして、情報を発信しています。また、「週刊金曜日」や「しんぶん赤旗」に当会の取組みが取り上げられたり、クラブやライブハウスでの憲法イベント、学習会での紙芝居披露などが新聞やテレビで報道されたりして、当会に対する認知度が高まってきました。

 その成果もあって、当会のパンフレットは既に一〇万部頒布。さらに、五万部増刷しました。紙芝居の申込みも連日ひっきりなしに続いています(なお、紙芝居については、動画も配信しました。当会HPでご覧頂けます)。

 当会の会員は、パンフレットや紙芝居を活用しながら、各地で学習会活動に取り組んでいます。また、憲法研究者や宗教者とのつながりをもって共同の取組みができないか、模索しているところです。

会員大募集!

 九六条改正問題をはじめとして、かつてないほど改憲論議が高まっていることはご周知のとおりです。マスコミでも改憲問題を取り上げる機会が徐々に増えており、市民の側も改めて憲法とは何なのかを学びたいという意欲を強めてきています。

 当会の会員は、今が憲法について広範な人達に考えてもらう絶好の機会と捉え、MLで情報交換しながら、様々な取組みを展開しています。ただ、現在の会員数は約二五〇名、まだまだマンパワーが不足しています。

 五一期〜六五期で、まだ当会に入っておられない団員のみなさん、今こそ憲法問題について何かをしなければならないという思いは共有していただけると思います。「あすわか」に入会して、私たちと一緒にその思いを現実化していただけませんか。

 会費は無料、MLに登録していただけるだけで結構です。ご入会いただける方は、お近くの当会会員にその旨お伝えいただくか、もしくは、peaceloving.lawyer@gmail.com宛にメールをお送り下さい。ご検討のほど、よろしくお願いします。


近藤忠孝団員を悼む(弔辞)

東京支部  豊 田   誠

 忠孝さん、中島晃弁護士から、あなたの突然の訃報を知らされたとき、私は、公害環境の分野での巨星が流れ墜ちていく思いをしました。驚きと悲しみは、到底言葉では言いつくせません。これは私ばかりではないでしょう。

 一昨日は、東京の日比谷公会堂で、第三八回全国公害被害者総行動の公害被書者総決起集会が開かれていました。あなたのこの訃報は、この集会に参加していた一二〇〇名の被害者、弁護団、支援の人々に、衝撃的に伝わりました。被害者たちは、深い悲しみのなかで厳粛に黙祷を棒げさせていただきました。あなたが、その人権を守り、共に闘ってこられた全国各地の幾万もの被書者たちの誰もが、いま深い悲しみに包まれているのです。

 忠孝さん、あなたと私の最初の出会いは、一九六八年一月の雪の降る富山のイタイイタイ病の現地、婦中町でした。弁護団を結成し、訴訟提起してまもなくの頃、あなたは、東京から、家族ぐるみで富山に移住されました。あなたや、あなたの御家族のご苦労は、いかばかりだったでしょうか。

 被害の現実の中に身を置き、被害者たちとその苦悩を共有し、これをもたらしている、その加害の構造に怒りを燃やし続けてきたその姿勢--これは、人間の魂の崇高なあらわれでなくて何でありましょう。こうしたあなたの姿勢は、公害に取組む弁護士集団はもとより、全国各地の患者、被害者たちを、どれだけ励ましつづけてきたことでしょう。

 あなたは、弁護団の訴訟と運動のあり方を主導し、ついには、イタイイタイ病裁判を四大公害訴訟の勝利の第一歩に道を開く、画期的な役割を果されました。現代の大型公害裁判の勝利の鐘を鳴らす、歴史的な快挙となったのです。

 忠孝さん、あなたは、足尾鉱毒事件以降の「被害者敗北の歴史を勝利への歴史に書きかえさせた」という、名キャッチフレーズを口にして、被害者を鼓舞しつづけてこられました。あなたはまた、「都へ攻めのぼる闘い」という表現で、運動の焦点を明確にしてきました。

 あなたは、実に多くの業績を残し、課題も提起してこられました。

 あなたが取組んだ「東京北区ゴミ焼却場闘争」は、いわば、公害反対の裁判闘争での先駆的役割を果したものでした。

 そして、六九年七月の富山での青年法律家協会主催の第一回全国公害研究集会は、四大公害訴訟をはじめ、その後の大型公害・薬害裁判の勝利の原型を形成する社会的意義をもつものとなったのです。この研究集会で、忠孝さん、あなたは、「討論の柱」を問題提起されました。そして重要なことは、法理論、裁判理論に限ることなく、法律家の役割論、運動論、立法行政論にまで及んで、問題を提起されたということなのです。いま、当時の資料を読みなおしてみても、あなたの先進性、先駆性には、眼を見張るものがあったと言ってよいのです。

 七二年一月に結成された全国公害弁連は、こうした討論のすえに生まれた当然の実践上の帰結だったのです。

 政府、財界からの厳しい巻きかえしに抗しながら、一つひとつ、闘いを勝利に導いてきた全国公害弁連は、今後も、患者、被害者が闘い続けるかぎり、あなたの精神を承継して闘いつづけていくことになるでしょう。

 忠孝さん、あなたと最後にお会いしたのは、福島原発被害弁護団の弁護団会議ででしたね。その時、あなたは、こう言いました。

 「京都の事務所を閉めて、福島(いわき)に通いつづける」と。

 私は、本当に鷲きました。忠孝さんの心は、公害被害者の現実にどっかりと根を下ろしているのだと。

 あなたはいま、その「初志」を貫けなくなってしまいましたが、あなたの魂は、限りなく、とくに若手弁護士たちにしっかりと引継がれていくであろうと確信しています。公害、環境をめぐる人権課題は、私たちがしっかりと受けとめて、あなたの遺志を引継いでいくことをお誓いいたします。

 最後にあなたは、参議院議員として、消費税反対などの論陣をはり、大変なご活躍もされてこられました。多年にわたり本当にご苦労さまでした。

 心安らかにお休み下さい。合筆

(二〇一三・六・七葬儀での弔辞)


「近藤さん」の思い出

神奈川支部  篠 原 義 仁

 六月六日、第三八回全国公害被害者総行動の霞ヶ関昼デモに参加する前に、事務所に顔を出したところ、根本孔衛さん(奥さんが近藤忠孝さんの妹さん)から近藤さんの死去を知らされました。

 二月二六日の大気全国連と環境省との間の、新しい被害者救済制度作りのための「勉強会」の際にお会いしたのが最後になってしましました。

 近藤さんに後年、お話ししたところ、記憶がないと言われましたが、私は、大学三年の冬(六七年二月)に同僚と氷川下セツルの法律相談に関連して、先輩セツラー宮里邦雄さんに教えを乞うため黒田法律事務所(現東京法律事務所)を訪ねました。

 ところが、宮里さんは急用ができ不在で困っていると、事務局から聞いたということで近藤さんが応待をしてくれました。

 近藤さんは、私たちが話を始めると、「何だ、法律相談の下請か」とざっくばらんな言い方で、そして、「刺激的」に応答してくれました。相談自体は、人柄がにじみ出た真面目で率直な対応をして頂いたのですが、帰り際、私たち二人は、あの切り出しの言葉にかなりショックを受け、もう、解決能力のない下請稼業はやめて本職をめざそうと、真剣に司法試験を受けることを決意しあいました。

 ほどほどに(つまり、手を抜いて)勉強して、ほどほどのところに就職する、それが一番楽な暮しと安直に思っていた私の眼をさまさせてくれたのは、斉藤ウラさん(その時の相談者)の存在と近藤さんのひと言でした。

 次に近藤さんに会ったのは、司法修習生のときで、イタイタイ病弁護団と安中公害弁護団(当時は調査団。私も参加)のたび重なる交流と六九年七月の富山開催の青法協第一回公害研究集会でした。新潟の坂東克彦さんと近藤さんという個性の全く異なる、それでいて修習生に強烈な印象を与える存在は、感動的でした。

 その交流、討議で現地主義・現場主義の追及を徹底的に教え込まれた安中公害弁護団は、被害者全戸の個別訪問、被害実態のアンケート調査とそれを地域に返す作業、被害者宅への泊まり込み活動をつみ重ね、支援団体の人と一緒に被害者組織を立ち上げ、被害者の要求をまとめあげてゆきました。

 この現地主義、現場主義は、東京の北区生まれの近藤さんが被害地から請われて、家族ぐるみで富山に移住した経験に裏打ちされていて、聞く者にとって圧倒的重さでした。

 近藤さんとの関係で忘れられないのは、安中公害裁判の判決日行動のことです。私たちは、判決日当日、被告東邦亜鉛のある東京に上京し、謝罪要求、被害の全面解決要求、抜本的公害対策の要求、土壌復元を基本とする原状回復要求を掲げて社長との間の直接交渉を展開しました。

 裁判提訴前に東邦亜鉛の工場の大拡張を通産省への審査請求と会社への粘り強い大衆的な直接交渉で阻止した経験をもつ、私たちは、故意責任は認めたものの、賠償額は低水準の勝訴判決だったのですが、判決をテコに早期全面解決交渉を行い、交渉開始後、休憩をはさみ数時間のなかで謝罪要求、公害対策の面で一定程度の成果をかちとりました。しかし、そののち全面賠償要求の交渉は膠着状態に陥りました。それでも、私たちは、休憩もおかず、会社交渉を継続していたところ、会社はかねてから中央警察署と連絡をとっていたようで、交渉の長時間化のなかで、社長の退席、突然の警察官の導入で大混乱となってしまいました。

 この交渉と警察介入の顛末はさておくとして、私は二日後、近藤さん(当時参議院議員)から、混乱の責任は交渉の責任者として司会席に座り、仕切っていたものにある、として厳しい批判と指導をうけるところとなりました。

 言葉自体はやさしいのですが、内容的には、押したり引いたりできない交渉能力のなさは、いかがなものか、という叱責と、イ病弁護団と比較して、弁護団全員の任務分担ができていない、弁護団全体の力を引き出していない、それは弁護団の中心にいる者、司会の責任だ、と指摘され、当時、私としてはひどく落ち込んだ記憶を持っています。

 そののち労働事件、川崎公害、環境省等の省庁交渉でも、私の頭のなかには、絶えず近藤さんのこの「批判」が「原点」としてあり、多少なりとも「交渉能力」の向上をめざして取り組んできました。

 温かい言葉のなかの鋭い責任追及の言葉は、私にとっての貴重な「助言」となっています。

 近藤さんの言葉に「みやこに攻めのぼるたたかい」という表現があります。私は、この言葉を、まず、足元(地域)をしっかり固めてから、さあ、みやこへと理解しました。

 川崎公害の闘いでは、患者団組織の結成、支援組織の確立を基礎に川崎市長を現地の小学校の体育館に引っぱりだしての大衆集会の成功、東京電力、日本鋼管へ向けての現地デモ、抗議行動。東電川崎火力との数次にわたる長時間の直接交渉(これは安中方式の川崎版)等々、現地での闘いを積極的に組織し、地方自治体に対しては署名運動、対市交渉の展開の下で全国に先がけて、被害者の医療費救済条例を制定させ(そののち、国が特別措置法制定)、これも全国初の被害者の生活補償助成金支給条例を作らせ、七二年七月の四日市判決をうけての四日市判決水準並みの過去分保障条例(四日市につづいて二番目)を制定させ、公害防止の面では、東京都の美濃部都政の次に大気汚染物質の総量規制方式を採用した公害防止条例を制定させ、事前予防の点でも、全国初のアセスメント条例を制定させました。

 川崎をはじめ全国各地の大気汚染の闘いは、こうした地方での闘い、地方自治体行政の前進をかちとって、それを基礎として「みやこに攻めのぼり」、四日市判決を基礎とする公害健康被害補償法、大気汚染防止法に係る総量規制等の諸規制、さらにはアセスメントの法制化へとつなげてゆきました。

 イタイイタイ病の闘い、イタイイタイ病弁護団の教訓。その中心に近藤さんがいたわけで、その教えは、七二年設立の公害弁連に集結する全国各地の弁護団に脈々と受け継がれています。

 私も二代目事務局長、副幹事長、幹事長、そして今は代表委員をつとめていますが、「現在進行形」で近藤さんの教えを乞う間柄でした。

 近藤さん、近藤忠孝先生、安らかにお眠り下さい。


『自民党改憲案を読み解く』の御一読を

東京支部  坂 本   修

 四月一日より、憲法問題についての学習会活動の「現場」に復帰し、まだ数回ですが語り歩いています。その中で、長谷川一裕団員が執筆された『自民党改憲案を読み解く』(かもがわ出版)を秋田革新懇総会で話すために赴く新幹線の車中(約四時間)で読みました。改憲阻止、憲法を生かすための活動に私たち団員としてとり組む活動は、守川幸男団員が『団通信』(五月一日号)で書いているように、多種多様であり、「ありとあらゆる行動」が必要です。この間の『団通信』や『五月集会特別報告集』をみても、「明日の自由を守る若手弁護士の会」の新鮮な活動をはじめ、目を見張る様々の活動が始まっていることに、「古手」の私は大いに励まされています。それぞれの得手を生かし、一人でも多くの人々と語り合うことがますます大事になってきていますが、私は、各地の集会で、「一人の話し手」として一時間〜一時間半(他に質疑討論三〇分位)話すこと位しか出来ません。秋田革新懇にもそうした活動として出かけたのです。その車中で、奮発してのグリーン席をミニ図書室として速読したこの本には本当に感動しました。「一人の話し手」として活動する上で、いま一番役に立つ本だと確信して御紹介のために筆をとります。

 素晴らしい内容をくわしく書いている紙数はありません。それに、中途半端な要約は、かえってマイナスだと思います。ここでは、私が御一読をすすめるポイントを三つに絞って述べます。

 第一点は、本書は自民党改憲案の正体を豊富な“証拠”を適確に活用するとともに、けっして飛び跳ねていない着実な道理で、解明しつくしているということです。そうなっているのは、著者の豊かな知識となみなみならぬ努力があるのはもちろんですが、それだけでないと私は考えます。著者は「本書は、いわゆる護憲の立場に立った方だけを想定して書かれたものではありません。むしろ憲法改正の是非について立場を決めかねている方にこの本を呼んでいただきたいという思いで書かれています」としています。こうした視点、立ち位置が見事に貫かれていることが自民党改憲案の正体を多くの人々に充分な説得力をもって、語り切ることを可能にしたのだと思うわけです。

 そうした本であるからこそ、「護憲の立場に立った方(もちろん団員)」にとって是非読んで欲しい。とりわけ「話し手」としての団員が「護憲の立場」には立っていない人々に、護憲を説得力を持って話していく上で学ぶことの多い貴重な本だとつよく思うからです。

 第二点は、私たち団員が「話し手」としての活動をする上で、実に「便利な本」だと言うことです。この本は、改憲策動をめぐる“せめぎ合い”の情勢や彼我の力関係、求められている運動論などについてはくわしくは書いていません。八四頁のほとんどすべてを使って「自民党改憲案を読み解く」ことに焦点を絞っていますが、そのことが本書の価値を高めています。あまりの兇暴さ、反動性故に、今や改憲勢力の弱点となってきている改憲案の正体を解明しつくし、国民の合意を拡げることは、勝利の第一の鍵です。改憲草案のおぞましい正体を党派、信条、世代の違いを超えた、多くの人々に語りつくし、話合い、その心を動かすということは私たち団員の基本的な活動です。だが、そのために団員は、改憲案の条文の「文理解釈」(あるいは「文言批判」)にとどまらず、誰もが認める事実と道理にもとづき、正体を語ることが求められます。しかし、事実(“証拠”)を克明に探し出し、あれこれの言葉を弄してのいつわりを打ち破る道理を分かりやすく、心にとどく「語り口」で語るのは、簡単ではありません。私も大いに努力しているのですが、本書は、いままで私が調べて、語ってきていた内容を質量ともに大きく超えているのです。

 “せめぎ合い”での勝利の道を切り開くには、学べるものはすべて学んで自分の力にすることが大事だと私は考えます。本書は改憲草案の全体像を知る上でも、個々の論点を正しく知る上でも、本当に役に立つ「便利」な本です。「便利な本」といい、「虎の巻」あつかいするのは、著者に対していささか失礼になるでしょうが、でも、自分のレヂメをつくるにも、学習会でどんな質問が出ても、まずは大丈夫だという安心感を持って集会に臨むにも、なにしろ役に立つのです(実は、秋田での学習会の机上に、私は本書を載せていました)。

 第三点は、著者の文章のすべてにこめられている憲法と民主主義、自由と人権を護る熱い思いにより、読み手の私たちが励まされるということです。著者は、改憲勢力の策動を批判するにあたって、いたずらに激しい言葉は避けています。しかし、その「あとがき」で「(自民党改憲案は)一種の『反革命』を宣言した政治文書」だとし、「同時に、改憲案を読み解くことにより、現在の日本国憲法の素晴らしさが分かる」と強調し、そして最後に広島の原爆慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」を引用して本書を結んでいます。

 「立場をこえる人を説得してやまない力は、心奥からの熱い心なしには生まれない」「私たちは心をこめて語らなければならない」と私もかねがね思って活動して来ました。八年前、小著『憲法 その真実ー“光”をどこに見るか』(学習の友社)の〈パートII〉自民党「新憲法草案の徹底解明」の扉書きに、峠三吉氏の『原爆詩集』(序)、沖縄県平和記念資料館の「展示のむすびのことば」を引用したのもそうした思いからでした。今、本書のむすびを読んで、私は筆者の“熱い心”に、共感し、“心”を大切にして、これからも語り歩こうと決意を新たにしているのです。

 ただし、私がどう努力しても、「自民党改憲案を読み解く」ということでいえば、本書を上廻るものにはならないと思っています。改憲反対の運動は日一日と手を抜かずに進めなければならないのは明らかです。参議院選挙を前に、あるいはその最中に一人でも多くの団員に、一日も早くこの本の御一読をと願って筆をおくことにします。


「市民に選挙をとりもどせ!」のご活用を!

東京支部  田 中   隆

東京支部  山 口 真 美

 憲法学者の小澤隆一さん(東京慈恵医科大学教授)と、田中・山口の三人で、大月書店から「市民に選挙をとりもどせ!」を出版します(六月二〇日付)。

 参議院議員選挙を控えての緊急出版で、小選挙区制などは選挙制度改革対策本部の検討、公選法は都知事選・宇都宮選挙の活動や公職選挙法プロジェクトの検討を踏まえています。

 主な「章立て」は以下のとおりです。

第一章 戦後日本における政治と選挙のあゆみ(小澤)

 戦後日本政治の展開を跡づけ、政治改革が生み出した小選挙区制がなにをもたらしているかを明らかにする。

第二章 憲法から遠くはなれた選挙制度(山口・小澤)

 政治と民意の乖離を生む小選挙区制などの問題点を明らかにし、衆参両院での選挙制度改革の展望を示す。

第三章 「べからず選挙法」(田中・小澤)

 公職選挙法の構造、沿革と選挙運動規制をめぐる攻防、供託金問題などを取り上げ、選挙の自由への道筋を探る。

第四章 これだけできる選挙運動・政治活動(田中)

 「ネット選挙」解禁や堀越事件最高裁判決などを踏まえ、現行法のもとでもできる選挙運動・政治活動を提起する。

 この春、大月書店から「都知事選挙を素材に公選法と選挙をめぐる出版」の話が持ち込まれたのが発端でした。「一票の格差」違憲判決が続き、自民党優遇枠案が浮上し、「ネット選挙」が解禁されようとする状況にあり、小選挙区制を導入した政治改革から二○年の節目を迎えようとする時期でもありました。

 こうした動きを背景に、選挙制度や政治改革を含む選挙をめぐる問題をすべてリンクさせ、あるべき選挙と政治を考えようとしたのが出版のコンセプトです。ご活用いただければ幸いです。

 なお、この出版には、ポスティング弾圧の宇治橋眞一さん、荒川庸生さん、官邸前行動見守り弁護団の神原元さん、都知事候補だった宇都宮健児さんから、コラムの寄稿をいただいています。

【自由法曹団特別販売】

 定価は一八九〇円(消費税含む)ですが、自由法曹団関係などは二〇%引きの一五一二円で普及します。いずれかの方法で購入を。

◎ 大月書店宛FAXで注文

 チラシを大月書店にFAXして注文すると、注文者がだれであっても、自動的に割引価格になります。五冊以上まとまると送料は出版社が負担します。

 チラシは、改憲・比例・治安のML(六月一七日送信)からダウンロードするか、団本部に連絡してFAX送信を受けてください。

◎ 団本部で現品を購入

 一定数団本部で預かっており、本部で現品を販売します。