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玉木 昌美 *憲法特集*
憲法改悪阻止に向けて 滋賀における取り組み
四位 直毅 アベノミクス批判をつよめよう!
―改憲阻止めざして―
井上 正信 その日(中国との武力紛争)に備えよ
―自民党新防衛計画大綱への提言を読むその二
津田 美香 *新潟五月集会特集*
「TPP分科会に参加して」
金田 健太郎 半日ツアー感想
永尾 廣久 憲法・平和の取り組みと団通信
大久保 賢一 「原爆投下は国際法に違反する」との判決を想起しよう
中島  晃 突然の訃報に接して
―近藤さんの熱い想いをいかに受けつぐか
芝田 佳宜 『市民に選挙をとりもどせ!』
〜参院選前に是非ご一読を!〜



*憲法特集*

憲法改悪阻止に向けて 滋賀における取り組み

滋賀支部  玉 木 昌 美

 自由法曹団滋賀支部では、二月例会で自民党の憲法改正草案について学習し、滋賀県における憲法運動をどう展開するのかについて議論しました。

 それを踏まえ、まず、県内各地の民主団体や九条の会に向けて憲法学習会を呼びかけました。各団体に手紙を送付するとともに「滋賀民報四月七日号」に「改憲阻止に向けた学習会開催を憲法学習会の講師派遣します」を掲載してもらいました。その呼びかけには大きな反響があり、県内各地からの要請がありました。一月から四月までの間に月一、二回であった団支部が講師を派遣する学習会の数は、五月は九回、六月は一一回と飛躍的に増大しました。とりわけ、活動を休止していた地域の九条の会の中には、団支部の呼びかけをきっかけに活動を再開したところもありました。団支部では、なるべく多くの団員が講師を引き受けるように手配しました。結果、一二名の団員が講師を担当し、たとえば、六四期の三名はいずれも講師をしました。

 次に、滋賀県では、団支部等の呼びかけで「憲法を守る滋賀共同センター」を再建することにしました。その重要性は、団長が四月常幹で強調されていたところです。滋賀の場合も活動を休止していましたが、五月一〇日に団、県労連、自治労連、救援会、革新懇、母親連絡会等各団体の代表者等を集めて意見交換を行いました。そこで、同センターを再開させることを確認し、六月一一日、「改憲策動を阻止する集い」を開催しました。当日は約五〇名の参加があり、私の基調報告のあと、各団体の方から、取り組み状況や問題意識についての意見が多数出されました。印象に残ったのは、全教や大学の教員からの、教育現場で子どもたちに憲法がほとんど教えられていない、憲法学習の取り組みをしようとすると校長から「政治的である。」とストップがかかる、学生が保守化しており、憲法を知らないだけでなく、小林よしのりらの漫画や本による自虐史観批判の影響が相当あるという指摘でした。戦争体験により、憲法の平和主義を強調する発言等もあり、また、改憲について国民的議論がないという指摘もありました。集いでは、今後、九日の駅頭宣伝、署名活動の推進、「草の根で憲法をしゃべりましょう。」の開催の呼びかけ、幅広い層への働きかけ(コンサートホール前宣伝行動)等を展開していくことが確認され、役員体制(私が代表に、石川団員、稲田団員が事務局に)を確立しました。

 さらに、活動を休止していた滋賀・弁護士九条の会(代表元永団員ら三名)も四月一九日から再開しました。九六条問題、自民党の憲法改正草案について学習するとともに会の運動について議論しました。そして、九六条問題について県民アピールを出すことを決め、五月三一日、六月一四日と議論を重ねました。滋賀・弁護士九条の会は二〇〇五年四月二八日に二七名で結成し、当時の会員の過半数でしたが、現在の滋賀の会員は若手の急増で一三五名になっており、彼らに対する賛同の働きかけが重要になります。日弁連の憲法委員会でも指摘されていますが、若手弁護士の間では憲法を議論する雰囲気はない点が問題となります。この会の議論の中で、若手から、改憲問題を話題にすると浮く、「政治的なことに触れたくない、触れないのが礼儀である。」という雰囲気があり、飲み会でもおよそ話題にはならないという状況にあることが報告されました。滋賀の場合、多くの若手が弁護士会主催の憲法集会を担って成功させています(石川団員の報告)が、それでもそうした状況にあるようです。この現状を踏まえて、アピールの内容を確定し、若手にも旺盛に九条の会とアピールに賛同を求める運動を行いました。七月三日、六二名の賛同で「憲法九六条の根幹は改正できない」というアピールを発表し、関係機関に送付しました。さらに、活動を強化していきたいと思います。

 弁護士会では、五月の常議員会で日弁連の集団的自衛権の決議に単位会としていかなる立場をとるか、という点が議論になりました。一部の常議員から「政治的問題について決議すべきではない。反対である。」という意見や「会内できちんと議論されていない。」という指摘がなされました。後者については、五月二三日、全会員を対象にした拡大司法問題委員会(憲法委員会)を開催し、九六条問題、集団的自衛権問題等について学習し、議論をしました。そして、五月三〇日の総会では、その報告がなされ、議論がなされました。ここでも、「会員のほとんどが内容を理解し、賛同しているわけでもないのに決議をあげるのはいかがなものか」という意見がありました。弁護士会が集団的自衛権の問題で声明や決議を出すことに反対する人は、「同盟国アメリカを助ける仕組みがないと、日本はいざというときに助けてもらえない」という自民党の主張に賛同しているふしが見うけられます。アメリカ軍は日本を助けないし、独自の世界戦略で動いていて侵略戦争をしてきたこと、尖閣列島の問題を見ても、アメリカは今も二島を占有しながら日本の固有の領土という主張を認めておらず、「中立」であり、人も住まない、どうでもよい小さな島に軍隊を出すはずもない(議会は賛成しない)ことを知らせる必要があります。いずれにしても孫崎享氏や豊下楢彦教授が言うように、「中国の脅威」が強調されて、「日米同盟」が不可欠であるという安倍の主張は漫画的であるといえます。

 私は今年に入って八回ほど講師に行きましたが、そこでは捕虜の首を切り落とすように命じられた土屋公献先生の戦争体験の話(著書『弁護士魂』)をし、「九条二項を削除して国の交戦権を認めることは国家が人殺しを命じる国になることだ。」と説明しています。戦争体験を次世代に継承することも重要です。古賀、野中ら自民党の長老も憲法の平和主義についてはそれなりの良識を示していますが、戦争体験が背景にあると思います。参加者には、五味川純平の『人間の条件』を読むように勧めています。講演後の質問で困ったのは、「民意をおよそ反映しない小選挙区制は憲法違反ではないのか、弁護士は、投票価値の問題のように訴訟で闘わないのか。」という指摘でした。国民主権の趣旨はおよそ貫かれておらず、立法裁量を逸脱しているのではないか、検討する必要があると思います。

 以上が滋賀県の憲法運動の現状ですが、団支部が「言い出しっぺ」になって投じたことが拡がりを見せており、さらに飛躍したいと思っています。


アベノミクス批判をつよめよう!

―改憲阻止めざして―

東京支部  四 位 直 毅

 六月末の憲法学習会で講師を務めた際、改憲阻止との関連でアベノミクスについて述べた。学習会や宣伝の一例としてご紹介する(その後の新聞報道の一部を加筆した。)。

〈アベノミクスの支持と急落〉

 都議選の翌朝(六月二四日)、読売は「都議選自公完勝」「アベノミクスへの期待票」と題する社説を掲げた。

 朝日は同日、「アベノミクス 七三%が「評価」」と報じた。

 ところが、わずか七日後、朝日(七月一日)は「アベノミクス支持にかげり」と報じた。

 同紙の五月度定例調査で、安倍経済政策を「評価する」対「評価しない」は六三%対一九%だったのが、六月二九日〜三〇日では五〇%対三一%に接近した、という。

 政府・日銀・マスメデイアの三者総がかりで持ちあげ続けた「経済政策」が、これほど短時日で急落したのはなぜか。

 国民の所得はふえず諸物価等値上げだけが次々に押し付けられ、「景気回復」は「期待感」という名のかけ声のみ、というアベノミクスの本質と実態が、多くの国民の眼に映りはじめたからではないか。

〈参院選の動向は今〉

 だが、朝日の連続世論調査では、参院比例区の投票先は自民四四%で、民・維・みんな各七%(共五%、公四%)を大きく引き離している。

 このまま推移すると、自民とその同調者が参院で過半数議席を占めて、両院を制することになりかねない。

 安倍政権の危険性をどれほど早く、とれほど広く人びとに知らせきれるか、が急務、であろう。

〈アベノミクスの狙いと行きつく先〉

 自民がその同調者とあわせて参院で過半数を占めれば、自民らは多かれ少なかれ自民改憲案実現へと歩を進めようとするだろう。

 それだけではない。

 アベノミクスは、日本の中央銀行である日銀の独立性を奪い、日銀信用で国債を事実上無制限に買い入れ続け、今でさえ一〇〇〇兆円をこえる政府債務をさらに累積させ、国民を将来世代にわたり深刻な「一億総債務者」へと転落させ、やがては海外でのアメリカの戦争に協力して費やす戦費を賄う財布代わりにする、という「いつか来た道」へと踏み込むことにもなりかねない(ギリシャと同じ道をたどるのでは、との見方もある)。

 安倍首相は、自己の企図実現のためには、この国と国民の破滅をも顧みないもの、というほかはない。

〈課題は一つ〉

 では、私たちの課題はなにか。

 アベノミクスで「景気回復」の「期待感」をかきたて、参院選で過半数議席を(同調者と共に)占め、その力でこの国と国民の未来を戦争色にぬりかえようとする危険性を、一人ひとりが、自分の言葉で、各地で声を大にして、少しでも早く、一人でも多くの人びとに、語りかけ、訴えぬくことを措いてほかにない。

 アベノミクスの本質と実態、それゆえの可能性などと国民の共同を広げる点での団の歴史的実績とを照らしあわせると、このとりくみは相応の手ごたえがあるのでは、と私には思えるが、いかがであろうか。

二〇一三・七・二記


その日(中国との武力紛争)に備えよ

―自民党新防衛計画大綱への提言を読むその二

広島支部  井 上 正 信

 提言を憲法問題の視点からまず気づいたことは、専守防衛政策という言葉が消えていることです。二〇〇九年六月提言では、「専守防衛、非核三原則、軍事大国にならないこと・・・といった防衛政策の基本は維持しつつ」と述べて、敵ミサイル基地攻撃能力の保有を提言しています。敵基地(策源地)攻撃能力の保有は、政府解釈では憲法の法理上保有は可能だが、専守防衛政策からこのような能力は持たない、というものでした。そのため、かつてはF四ファントム戦闘機導入の際、空中給油装置をわざわざ撤去しました。長距離戦力投射能力は専守防衛政策に反するという理由です。現在では空中給油装置はついており、空中給油機まで保有し、海上自衛隊も長距離、長期間の外洋作戦が可能な大型補給艦や全通甲板の大型自衛艦(ヘリ空母)を保有しており、専守防衛政策は看板倒れになってきています。敵策源地攻撃能力を保有すれば、専守防衛政策は完全に失われるでしょう。

 今回の提言では、敵策源地攻撃能力保有が二ヶ所も登場しています。その反面で専守防衛政策という言葉すら出ていないのですから、わが国の防衛政策では専守防衛政策はもはや無用の長物ということなのでしょう。

 専守防衛政策とは、憲法九条についての政府解釈から直接出てきたものです。自衛権行使の三要件と同じ内容です。しかも、毎年の防衛白書で「わが国は、憲法のもと、専守防衛政策をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し」と述べているように、自衛隊が憲法に違反しないということの大前提になる政策でした。専守防衛政策をなくしてしまえば、これまでの政府解釈から自衛隊がなおも合憲であるとはいえなくなるはずです。専守防衛政策の放棄は解釈改憲そのものです。専守防衛政策については、NPJ通信の私のコーナー「憲法九条と日本の安全を考える」の「ここまできた集団的自衛権憲法解釈見直しT」(二〇一二年一〇月一六日)で詳しく論じていますのでご覧ください。

 提言は、北朝鮮を地域における最大の不安定要因、中国をわが国を含む周辺諸国にとって大きな懸念要因と定義して、わが国を取り巻く安全保障環境が不安定であると述べ、それに対処すべき安全保障政策の基盤となる重要課題として、「国防軍」設置をはじめとした憲法改正、国家安全保障基本法制定、日本版NSC設置、集団的自衛権行使、日米ガイドライン見直しを挙げます。憲法改正を「わが国の国防の基本理念を明確にするため」と位置付けています。憲法改正の狙いが九条や前文の恒久平和主義にあることを率直に述べています。憲法の明文改正以外の以上の諸課題は、すでに具体的に進められているものばかりです。九条の解釈改憲、立法改憲です。

 国家安全保障基本法案は、昨年六月に自民党が法案概要を発表しています。石破茂現自民党幹事長が中心となって作った法案で、概要といってもほとんど完成した法案です。参議院選挙後に自民党から法案が議員提案されるでしょう。この法案概要では、集団的自衛権が丸ごと行使できる内容となっており、これが制定されれば憲法九条二項の意味のほとんどがなくなってしまうほどの立法改憲です。この法案については、NPJ通信の私のコーナー「憲法九条と日本の安全を考える」の「ここまできた集団的自衛権憲法解釈見直しU」(二〇一二年一〇月二三日)で詳しく論じていますのでご覧ください。

 日本版NSC設置法案は、安全保障会議設置法改正法案、内閣法改正法案として六月七日衆議院へ提出されました。参議院選挙後の臨時国会で審議される見込みです。日本版NSC設置法案の核心部分は、日本の安全保障防衛政策の策定で官邸が主導的役割を果たすことにあります。その一つが安全保障防衛政策を策定するための四大臣会議です。四大臣とは内閣総理大臣、官房長官、外務大臣、防衛大臣です。もう一つは国家安全保障局(一〇〇人規模の官僚組織といわれています)の新設です。安全保障防衛政策はここで作られます。国家安全保障局へは自衛隊制服組が入るでしょう。二〇〇七年第一次安倍内閣が同様の法案を提出した当時の新聞報道では、各自衛隊は一佐クラスを入れようと考えていたようです。一佐クラスとは陸自では連隊長クラス、海自では小規模艦隊の司令官クラスです。憲法政治の下ではじめて制服自衛官が日本の安全保障防衛政策を仕切る仕組みができるのです。この意味はきわめて重大です。自民党憲法改正草案第二章は、現行憲法が「戦争放棄」との標題であるのを「安全保障」としています。国防軍を安全保障政策の手段として有効活用しようというものです。日本の安全保障政策が軍事力を背景にしたものに変質します。すなわち言い換えれば戦争政策に変質するということです。日本版NSCは自民党憲法改正草案の先取りとなるでしょう。

 国家安全保障局に各省庁が分散集積している秘密情報を集中させる仕組みを作ります。そのことから、当然に秘密保全法制が必要になります。日本版NSCについては、NPJ通信の私のコーナー「憲法九条と日本の安全を考える」の「日本版NSCと秘密保全法制」(二〇一一年一二月一日)で詳しく論じていますのでご覧ください。

 秘密保全法制

 秘密保全法制はすでに法案が完成しており、いつでも国会へ提出できる状態と考えられています。菅官房長官は六月七日記者会見で、日本版NSC設置法案と併せて、秘密保全法を秋の臨時国会で成立させたいと述べました。秘密保全法制の詳しい分析と批判は、昨年五月に私が書いた「徹底解剖秘密保全法 生まれも育ちも中身も秘密に包まれて」(かもがわ出版)がありますので、ぜひお読みください。

 提言は二箇所で秘密保全法制定を提言しています。一つは国家安全保障会議設置に伴い、内閣の情報機能を強化するため各省庁の秘密情報を国家安全保障局へ集中させ、内閣が一元管理をするために必要とするものです。もう一つは、平素から緊急事態に至るまで、日米間で隙間のない協力を行うためです。これは集団的自衛権行使にもかかわります。そのため日米間で緊密な情報共有・協力が必要です。米軍の情報=自衛隊の情報となりますので、日本側の秘密保全が不十分だと情報共有、協力ができないというのです。日弁連は秘密保全法制が憲法の国民主権と民主主義原理に反し、基本的人権を侵害するものとして強く反対しています。

 ガイドライン見直し

 日米ガイドラインとは、日米防衛協力の指針のことで、武力紛争において日米間で共同作戦を行う上でのグランドデザインです。現在のガイドラインは九七年に合意され、周辺事態での日米間の共同作戦計画策定を合意したものです。九七年版ガイドラインを全面的に改定する作業が民主党政権下で合意され、現在取り組が始まりました。提言はガイドライン見直しの項目の中で、「集団的自衛権」に関する検討を加速させると書いています。アジア太平洋地域での日米間の役割・任務・能力の分担を包括的に再検討して、集団的自衛権行使の態勢を作るためです。このようにガイドライン見直しは必然的に集団的自衛権行使を禁止している九条解釈変更を迫るものです。

 憲法問題の視点から提言を読めば、この提言が新しい防衛計画大綱へ取り入れられれば、わが国の安全保障防衛政策を遂行するためには、憲法の明文改正、立法改憲、解釈改憲が不可欠となってくることが理解できると思います。その意味で自民党の提言は「憲法違反のすすめ」なのです。

 この原稿はNPJ通信「憲法九条と日本の安全を考える」へ六月九日アップされたものです(http://www.news-pj.net/npj/9jo-anzen/20130609.html)。NPJ通信は憲法問題についての情報が満載です。是非ご覧下さい。


*新潟五月集会特集*

「TPP分科会に参加して」

代々木総合法律事務所  津 田 美 香

 TPPの問題は、なんとかくわかっているつもりでいましたが、農民運動全国連合会の常任委員である斎藤敏之さんのお話はとてもわかりやすく、いかに恐ろしい問題なのかをより現実の問題として再認識できました。

 TPP参加でとりわけ被害が大きいのが農業や食の安全です。

 テレビで取り上げられる映像では、若い農業者が「自分が開発した野菜などを海外に輸出できることは、自分の技術が認められるチャンスである」かのような発言をしていましたが、実際にはとんでもないことです。

 アメリカで使用されている食品添加物の数は三〇〇〇品目ですが、日本は八三二品目しかありません。しかし、八三二品目では少なすぎるとアメリカは主張しているそうです。これをみるだけでも食の安全が脅かされていることが判りますが、現在までも以下のような問題がありました。

 ジャガイモに芽が出ないようにするための農薬の基準値は、その昔〇・〇五PPMだったものが、ポテトフライとしてジャガイモを大量に消費するマクドナルドが日本に上陸してからは、五PPMまで基準値を底上げされてしまったそうです。これでは、有害性が立証できなければ(危険が予測できても)食べろというようなものです。

 今回の分科会に参加して気づかされましたが、食品には昔「製造年月日」が記載されていたのに、現在は「賞味期限」が記載されていますが、これはアメリカなどからの輸入食品は、輸入してから店頭に並ぶまでにかなりの日数がかかってしまうため、「製造されてから期間が経ってしまっている」と思われないよう「賞味期限」とすれば、食べることができる期限だという安心感で購入させるためなのです。言葉を少し変えてしまうだけで、購入する側に疑問を持たせないためなのです。

 このように、「知らない」ことがどんなに恐ろしいことか、改めて知ることができる機会でした。

 また、日本の農業は「そのもの」を作ることだけではないということ。例えば、「米」を作るのであれば、「米」そのものだけでなく、米を作ることによって出る「籾殻」などもすべて循環利用して成り立っていること等を、恥ずかしながら初めて知ることができましたし、現在の生産者米価は六〇キロあたり一万二〇〇〇円〜一万四〇〇〇円くらいで、家族労働報酬は時間当たり一昨年は一七四円だったそうです。時給一七四円の過酷な労働。高校生のアルバイトでも時給八〇〇円以上の時代にも関わらず、時給一七四円は、人が生活できるような賃金ではないことも思い知らされた分科会でした。

 余談ですが、マクドナルドの商品を、一ヶ月間食べ続けたらどのくらい体に悪いかというドキュメンタリー映画「スーパーサイズミー」をぜひご覧頂きたいと思います。

 マクドナルドのスポークスマンが「我々の食品は非常に栄養価も高くヘルシーだ」と発言したことに対し、監督であるモーガン・スパーロック自らが実験台となったドキュメンタリー映画です。複数の医師でさえ、実験前の段階で「一ヶ月間食べ続けても健康に影響はない」と言っていたにも関わらず…という食品の恐ろしさを知ることができる映画です。


半日ツアー感想

東京法律事務所  金 田 健 太 郎

 昨年の宮崎五月集会の後に事務所の井上弁護士から綾町の半日ツアーが有意義だったと聞き、個人的な旅行もいいけれど学習的な要素のあるツアーもいいなと思い、初めて参加しました。

 昼食は山菜のフルコースと鯉のあらいでした。山菜は、わらびやぜんまいなど、どれもほどよいえぐみがあり美味しかったです。ここでは、錦鯉の見学も予定されていましたが、時間の都合でなくなってしまったのが残念でした。

 次に中越地震で消滅した山古志村の谷間の集落へ見学に行きました。集落へ向かうバスの車窓から見ることができた棚田は非常に美しかったです。もしかして棚田や山間の村といった光景を見たのは生まれて初めての経験だったかもしれません。消滅した集落は高低一〇〇メートルある谷の一番底にありました。地震の時に山が崩れて、その土砂が川の流れを堰き止めてしまい、そのまま集落は水没してしまったそうです。そこには、土に埋もれてしまった二階建ての家屋がそのまま残っていました。東日本大震災の被災地である石巻と女川に訪れた経験がありますが、その土地がどこにあって、どういう地形なのかで被害の受け方が異なるものだと、あらためて実感しました。見学後にバスの中で現地の方のお話を伺いました。そこで、コミュニティや住宅の再建について聞くことができました。

 最後にアルパカ牧場へ見学に行きました。アルパカは被災者を励ますためにアメリカから贈られたそうで、とても癒やされました。美味しいものを食べ、自然に触れられ、学習もでき本当に有意義なツアーでした。これからも都合がつけば参加していきたいです。


憲法・平和の取り組みと団通信

福岡支部  永 尾 廣 久

五月集会と団通信の近況

 五月集会(湯沢温泉)に今年も参加した。そのときに配布された団通信についての総括文書(広報委員会作成)について私がコメントするのは、今回で三回目となる。

 本年に入って団通信への投稿数が大幅に減少しているという。これは由々しき事態である。しかも、なんと「憲法」ジャンルの投稿が増えていないという。増えていないどころか、分類表をみると「憲法」は大激減している。〇六年に四〇通だったのが、一二年にはわずか三通のみ。これはまずい。しかも、「平和」についても〇二年に七七通であったのが一二年は一二通しかない。

 憲法・平和こそ団の真髄を発揮すべき分野であるはずなのに、こんな状況では困る。これだけ憲法改正問題が連日話題となっていて、「国防軍」「集団的自衛権の行使」が焦点になっているのに、それに関して団通信に記事がのっていないなど、許されることではない。そこで、今回も投稿することにした。

 若手団員のなかには、もっぱらネット通信を愛用し、ペーパーの団通信を読んでいない人も多いのかもしれないが、ペーパーの活用のほうもぜひお願いしたい。

 ちなみに、岡山、栃木、徳島、三重の四県にはまだ弁護士会に憲法委員会が設置されていない。いま私は日弁連憲法委員会の委員長の職にあることもあって、この県の団員には奮起をとりわけ求めたい。

団通信は活性化のバロメーター

 支部ごとの投稿数をみてみよう。(1)東京一七四五(一六〇八)、(2)大阪三四二(三一九)、(3)神奈川二五五(二三三)、(4)埼玉一四七(一二五)、(5)福岡一一四(一〇二)、(6)京都一〇七(一〇二)、となっている(カッコ内は昨年の数字)。

 前年と順位は変わらず、全体として増えている。大阪は相対的に少ない気がするのは昨年と同じ。これに続くのが千葉(九八)、滋賀(九四)。広島(七九)、愛知(六六)、北海道(五六)である。

 愛知は昨年より二通、北海道は四通しか増えていない。どうしてこんなに少ないのだろうか。

 修習期別にみてみる。(1)三〇〜四〇期五一〇(四七七)、(2)四〇〜四四期四〇三(三八四)、(3)五〇〜五四期三八三(三五九)、(4)三五〜三九期三六七(三四五)、(5)二〇〜二四期三五九(三三八)、(6)二五〜二九期三三八(三〇八)

 順位は前年と変わらず、いずれも少し増えている。

 単期でみると、今回も一位は私の二六期が一六八通で一位。以下(2)三一期(一五四)、(3)四〇、五三期(一四〇)、(5)三〇期(一三八)、(6)三八期(一三五)、(7)四四期(一二九)、(8)三二期(一一五)、(9)二七期(一〇七)、(10)四八期(一〇三)、(11)二〇期(一〇一)となっている。

 三〇期台、四〇期台が健闘しているなかで、二〇期が一〇〇通超なのが目立つ。

 五五〜五九期が二六六通、六〇期以降が二五五通というのは、これからに期待したいところだ。六四期が三三通というのは「最多投稿」であり、頼もしい。

経営再建と団通信

 自由法曹団員のいる法律事務所は、おしなべて東京でも地方でも経営危機に直面している。もちろん、これは団員のいる事務所に限ったことではなく、全国的な現象である。しかし、その反面、若手弁護士が何人か寄り集まって成り立っている事務所もあり、そこそこがんばっている。要は、法的サービスをどれだけ発掘し、受任事件として結びつけられるかだと思う。

 私の事務所も去年、史上初めて大赤字を出した。一般的な事件の減少、過払いバブルがはじけたことに加えて、「特殊事情」があったことによる。やはり、みんなが能力に応じて売上高を確保することによってこそ、事務所は維持できる。

 湯沢集会の前日の経営問題を考える交流会に参加したとき、HPやツイッターなどにどれほど集客効果が期待できるかという疑問の声が相次いだ。私はたまらず発言した。いまや、どれほどの効果があるのかという議論をするような段階ではないのではないか。市民にとって弁護士と法律事務所を知る有力な手がかりになっている以上、そのコースも開いておかなければならないということだけのことだと考えるべきだ。

 前に愛知県の長谷川一裕団員の取り組みを団通信で紹介した。大いに参考とすべき意欲的展開だった。また、東京の原和良団員の書いた本は、日常業務を遂行するうえで、役に立つ。

 いま、私の事務所も「経営危機」を乗りこえるための手を、各地の経験に学びつつ、一つひとつ具体化している。


「原爆投下は国際法に違反する」との判決を想起しよう

埼玉支部  大 久 保 賢 一

「原爆裁判」・「下田事件」とは何か

 一九五五年四月、広島と長崎の原爆被害者が、国を被告とする裁判を提起した。請求の趣旨は、原爆投下による精神的損害に対する慰謝料(数十万円)を支払え、である。請求の原因は、「米軍の原爆投下は、国際法に違反する不法行為である。したがって、原爆被害者は米国に対して損害賠償請求権がある。その賠償請求権をサンフランシスコ講和条約によって放棄してしまった日本政府は、原爆被害者に補償・賠償すべきである。」というものである。

 一九六三年(昭和三八年)一二月七日、東京地方裁判所は、原告の請求を棄却したが、米軍の広島・長崎への原爆投下は、国際法に違反すると判決した。国際法(戦時国際法・国際人道法)は、原則として、非戦闘員や非軍事施設への攻撃を禁止している(軍事目標主義)。また、不必要な苦痛を与える兵器の使用を禁止している。原爆投下は、そのいずれにも違反すると判断したのである。これが、「原爆裁判」である。別名、原告のひとり下田隆三氏にちなんで「下田事件」といわれている。

 五〇年前、裁判所は、原爆投下を国際法違反だとしているのである。

「原爆裁判」の論点

 この裁判は、多くの法律上の難問を抱えていた。(i)米軍の原爆投下は国際法に違反するかどうか、(ii)違法だとされた場合、被害者個人が米国に対して損害賠償を請求することができるか、(iii)それを米国裁判所が受け容れるかどうか、(iv)請求権があるとしても、サンフランシスコ講和条約によって放棄されているのではないか、()日本政府がその賠償請求権を放棄することは違法なのか、(vi)放棄が違法ではないとしても、放棄するのであれば国は損失補償をすべきではないのか、などなどの論点である。

 これらの論点を突破して原告の請求を実現することは容易なことではない。協力を求められた米国の弁護士たちは、このような裁判は「日米関係にとって好ましくない」、「弁護士費用として二五〇〇〇ドル(当時、一ドルは三六〇円)を用意したら考える」などとして協力を拒否した。日本の多くの弁護士たちも、「蟷螂の斧だ」、「山吹の花と同じで、実を結ぶことはない」などとして尻込みをした。結局、この裁判を実質的に遂行するのは、たった二人の弁護士であった。岡本尚一と松井康浩である。岡本亡き後は、松井だけであった。お二人ともすでに鬼籍におられる。

裁判所の判断と松井弁護士の感慨

 東京地裁は、原爆投下は国際法に違反するとしたが、原告の請求は棄却した。国際法の法主体は政府だけである。米国は軍の行動に対しての賠償請求権を認めていない。日本の裁判所は米国政府を裁くことはできない。結局、原爆被害者は請求権をもたない。従って、原告は、サンフランシスコ条約で何も失っていないので、賠償も補償も請求できないという論理である。ただし、裁判所は、「被爆者が十分な救済策をとられなければならないことはいうまでもないが、それは裁判所の職責ではない。政治の貧困を嘆かざるを得ない。」と付け加えたのである。

 この判決に対して、原告下田隆一は、「国が少しでも親心を出してくれるのではないかと淡い希望を抱き八年間も頑張り続けてきた。とても残念だ。」との感想を述べている。松井康浩弁護士は、「この言葉は、私の肺腑をえぐる。」、「判決が被爆者の権利を否定したことは、多くの学者がやむを得ないところとし、裁判所も被爆者に深甚の同情を示し、政治の貧困をぶちまけてはいてもなお遺憾と言わざるを得ない。」、「政治の貧困を嘆かれても現実の救済にならない。」と振り返っている。原告のために孤軍奮闘した松井弁護士は、判決を評価する見解があるとしても、「なお遺憾である」としたのである。

「原爆裁判」の成果

 けれども、岡本弁護士や松井弁護士のたたかいは実を結んでいるのである。

 まず、国内法制である。一九五七年に「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」が、一九六八年には「原子爆弾被爆者に対する特別措置法」が制定されている。これらの法律は、一九九四年に「原子爆弾被爆者の援護に関する法律」(被爆者援護法)となり、原爆被害者への医療や福祉の根拠となっている。原爆被害は特殊な被害と位置付けられ、原爆症認定訴訟の根拠法として機能しているのである。この「原爆裁判」が、原爆被爆者行政に寄与していることは間違いない。

 また、この「シモダ・ケース」は国際法の分野でも着目され、「核兵器の使用、使用の威嚇は国際法に違反するか」についての勧告的意見を求められた国際司法裁判所においても、参照すべき先例として位置付けられている。一九九六年、国際司法裁判所は、「核兵器の使用、使用の威嚇は、一般的に、国際法に違反する。ただし、国家存亡の極限状況においては、違法・合法をいえない。」としているが、その判断枠組みは、「武力紛争に適用される国際人道法の原則及び規則」であって、これは東京地裁の判断枠組みと共通しているのである。ここに、「原爆裁判」の影響をみることができよう。

核兵器の非人道性への注目

 最近、核兵器使用の非人道性に着目して、核兵器廃絶を実現しようという潮流が形成されている。国家安全保障のためであっても、非人道的結末をもたらす核兵器の使用は許されないとする言説である。日本政府は頑なにこの発想を拒否しているが、核兵器依存政策を転換する上で有効な立論であろう。

 核兵器使用が、非人道的であるというにとどまらず、国際法に違反するとした東京地裁判決から五〇年が経過している。しかしながら、国際社会では、未だ核兵器廃絶の具体的スケジュールは形成されていない。この判決の現代的意義を再確認する意味は大きいといえよう。

 日本反核法律家協会は、この一二月、「原爆裁判」五〇年を記念するイベントを予定している。ご理解とご協力を心から期待したい。

二〇一三年七月一日記


突然の訃報に接して

―近藤さんの熱い想いをいかに受けつぐか

京都支部  中 島   晃

突然の訃報であった。今年六月五日(水)、公害裁判闘争で、巨大な足跡を残した近藤忠孝弁護士が亡くなられた。享年八一歳であった。

以下、近藤さんと呼ぶことをお許しいただきたい。

この日、ご子息の近藤公人(きみひと)弁護士から、私が近藤さんの死去の知らせを受けたのは、午後三時半過ぎのことであった。

近藤さんは、二月ほど前から体調を崩して、入院をされていた。しかし、今年六月に入って、病勢があらたまり、担当医師から、今のうちにご親戚やお知り合いの方々との最後のお別れの機会をもつようにすすめられ、当日午前九時半頃、公人弁護士から私の事務所にも電話が入った。

たまたま、この日午前中、私はロースクールの授業で大学に出ていたために、電話には出られず、昼から事務所に戻って公人弁護士に連絡をとったが、携帯にかけても電話はつながらなかった。この時点では、近藤さんの容態が急変し、すでに危篤におちいっていて、公人弁護士は電話に出られる状況にはなかった。そして、先ほど述べたように、公人弁護士から私のもとに、近藤さんがこの日午後二時二五分に永眠されたとの訃報が届いた。

近藤さんの経歴を簡単に紹介すると、近藤さんは一九三二年(昭和七年)四月二日、東京都北区で化学工場の労働者の子供として生れ、少年時代からスポーツに熱中し、東京都立大学時代は野球部と柔道部のキャプテンをつとめた。

東京都立大学を卒業後、弁護士をめざして司法試験に挑戦し、一九五九年、司法試験に合格して、翌六〇年四月司法修習生となった(第一四期)。一九六二年四月弁護士となり、現在の東京法律事務所(当時、黒田法律事務所)に入所した。

近藤さんは弁護士としての駆け出しの頃に、公害裁判の先駆となった北区ゴミ焼却場事件を担当した。近藤さんは常々、私たちに、当時まだ公害問題が社会的に認知されておらず、文献や資料も殆どなくて苦労したことや、東京地裁でこの事件を担当したのが教科書裁判で有名な杉本良吉裁判官であり、杉本裁判官から和解を勧められて、東京都との間で公害防止協定を締結して解決に至った経験を語っていた。

その後、よく知られているように、近藤さんは、一九六六年に青年法律家協会第四代代表となり、一九六八年にはイタイイタイ病弁護団の結成に参加して副団長となって、イタイイタイ病裁判を全面勝訴に導くうえで、中心的役割をはたした。

近藤さんは、イタイイタイ病裁判で「勝利するためには被害者のいる現地、富山で弁護士として活動することがどうしても必要」として、一家をあげて東京から富山へ移住した。NHKの歴史情報番組「そのとき歴史が動いた。苦しむ患者を救いたい〜イタイイタイ病裁判・弁護士たちの闘い〜」(二〇〇七年三月七日放映)に出演して、当時の状況を証言している。

近藤さんは、最も困難なところに、最もやりがいがあり、最も価値の高い仕事ができるという名言を吐かれ、自らそれを実践してこられた。

一九七二年に全国公害弁護団連絡会議を結成して、初代幹事長に就任し、一九七四年には、参議院議員選挙に全国区から出馬して初当選し、一九九二年の引退まで、三期一五年にわたり参議院議員をつとめた。議員引退後、弁護士活動を再開し、コンビニフランチャイズ問題という新しい課題に取り組み、この分野でも、すぐれた成果を次々と獲得し、その活動ぶりはまさに目を見張らされるものがあった。

ところが、近藤さんは、数年前から病魔に犯され、入退院を繰り返してきた。しかし、その都度、強靱な体力と精神力で病気を克服され、活動の第一線に戻ってこられた。特に三・一一以降は、原発事故による被害こそ、最大の公害問題であるとして、被害現地に何度も足を運び、原発被害の救済に向けて、現地弁護団の活動に実質的に参加してこられた。自らの生命の炎が燃え尽きるまで、最後までこうした活動を続けられた近藤さんの不屈の取り組みには、本当に頭が下がる思いがする。

また近藤さんは、二〇一二年一一月、京都地裁に提訴された大飯原発の差止め訴訟の原告弁護団の活動にも積極的に参加してこられた。残された私たちにとって、いま近藤さんの原発問題にかける熱い想いを、いかに受けついでいくかが問われている。

京都地裁の大飯原発訴訟の第一回弁論期日が七月二日に開かれる。脱原発の実現に向けて真剣に取り組むことこそ、近藤さんの遺志を受けつぐ道であると考え、そのために全力を尽くすことを誓って、近藤さんを送る言葉にしたい。近藤さん、どうぞ安らかにおやすみ下さい。


『市民に選挙をとりもどせ!』

〜参院選前に是非ご一読を!〜

東京支部  芝 田 佳 宜

 二〇一三年参議院選挙は、七月四日が公示日され、七月二一日が投開票日となりました。この参院選はインターネットを利用した選挙運動が展開される最初の国政選挙となります。

 先に発刊された『市民に政治をとりもどせ!』(小沢隆一東京慈恵会医科大学教授、田中隆団員、山口真美団員の共同編著)は、『「政治的有効性感覚」(一般国民の意見や希望が国の政治に反映しているという感覚)が一九七〇〜八〇年代と較べて、一九九〇年代後半から衰退しているという傾向がみてとれるが、これは何によってもたらされるのか。』という問題意識に端を発し、次の構成で論が進められていきます。

『第一章 戦後日本における政治と選挙のあゆみ』

『第二章 憲法から遠く離れた選挙制度』

『第三章 「べからず選挙法」』

『第四章 これだけでできる選挙運動・政治活動』

 国民が「政治的有効性感覚」を喪失しているという根拠としていくつかの理由(政治の流動化・液状化、選挙制度、公職選挙法、高すぎる供託金など)が挙げられていますが、その最たるものはやはり選挙制度問題(第二章)といえるでしょう。

 特に衆議院選挙制度における小選挙区制(総定数四八〇人のうち三〇〇人を全国を三〇〇の選挙区に区割りし、各選挙区で議員を一人のみ選出する)では、膨大な死票が生じ、得票率と議席占有率が大きく乖離する結果となります(二〇一二年総選挙において自民党は四割代の得票率で八割の議席を獲得)。この小選挙区制こそが、膨大な死票を生じさせ、多様な民意を切り捨てる結果、民意と政治を乖離させ、有権者の投票意欲を減退させています。その他にも、一票の格差の拡大、政治家の劣化(「小泉チルドレン」、「小沢ガールズ」が一例)、女性議員比率が一九〇ヶ国中一二二位という最低レベルとなっている等の弊害を生じさせているといえます。

 「市民が政治を取り戻す」ためには、この小選挙区制を廃止し、比例代表制等のより民意を反映する選挙制度に改革させることが必要不可欠といえます。今通常国会で、衆院小選挙区の「〇増五減」区割り法案が衆院で強行再可決し成立することとなりましたが、これは問題の多い小選挙区制の維持を前提とした弥縫策に過ぎません。また、いくつかの政党からはより民意を乖離させる「筋違い」の比例定数削減が提案される状況となっています。今後も団は、小選挙区制度を廃止し、民意を反映する選挙制度への抜本改革を求め、引き続き奮闘することが求められいるといえますが、本書はその理論面において十分な知識を授けてくれる良書となっています。

 本書では選挙制度論の他にも、「べからず選挙法」である現行公職選挙法の下でも具体的にどのような選挙運動、政治活動ができるのか、また、この参院選より解禁されたネット選挙では、具体的に何ができて何が許されないのか、わかりやすくまとめられています。

 「選挙」についてまとめて語られることのなかったいくつかの視点から光を当て、理論的にも掘り下げられ、かつ現在進行中の参院選においても役に立つ本書を是非この機会にご一読されることを強くお勧めいたします。

 定価は一八〇〇円+税ですが、なんと!自由法曹団特別販売では二割引でご購入できます(しかも五冊以上の申込は送料無料!)。注文用チラシをお持ちでない方は団本部までお問い合わせ下さい。