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井上 正信 改憲の先取り=国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案と秘密保全法
渡辺 登代美 原発の光景
大久保 佐和子 労働契約法の悪用が始まっています
緒方  蘭 給費制廃止違憲訴訟の提訴のご報告
飯田 美弥子 みややっこのネタ帳その四(靖国神社の歪み)



改憲の先取り=国家安全保障会議(日本版NSC)設置法案と秘密保全法

広島支部  井 上 正 信

一 日本版NSC創設への途(安倍首相の執念)

 一〇月招集予定の臨時国会では、すでに法案提出されている日本版NSC設置法案とともに、法案提出予定の秘密保全法案の審議が始まる。憲法改正に反対する私たちにとって重大な事態である。

 日本版NSCは、国家的危機に際して内閣総理大臣を頂点として、トップダウンで危機管理に当たる国家体制を作ろうとする広範囲な計画の一部である。

 この計画は第一次安倍内閣当時から二つの側面で推進されてきた。内閣の情報機能強化、と国家安全保障に関する内閣の機能強化である。後者が日本版NSC創設を求めた。いずれも秘密保護の法制を作ることを求めている。内閣が国家安全保障政策を立案遂行し、国家的な危機に際して危機管理をトップダウンで行うための国家システムの構築を、いずれも内閣総理大臣と内閣官房の権限強化により実現しようとして、その不可欠な一部として秘密保全法制が検討されていた。

二 二〇〇七年第一次安倍内閣による法案提出

 第一次安倍内閣は、当時ブッシュ政権のホワイトハウスと国家安全保障問題で情報交換をしたり政策調整をするため、米国の国家安全保障会議(NSC)をモデルにした日本版NSCの創設を追求した。日本版NSCと秘密保全法制定は安倍総理の強い意向が働いた。二〇〇七年二月二八日朝日新聞の記事によると、官邸機能強化会議のメンバーは報告書へ早期の秘密保護法整備が盛り込まれたことにほとんどの委員が反対したが、議長代理の小池百合子首相補佐官が「首相の意向です」と押し切った。

 第一次安倍内閣は二〇〇七年四月六日に安全保障会議設置法等の改正法案として、日本版NSC設置法案を国会提出した。この法案は、二〇一三年六月七日に提出された法案と基本的な構成は同じである二〇〇七年法案は国会審議がなされないまま第一次安倍内閣が総辞職したため、福田内閣で(安倍晋三にとっては)無念の廃案になる。

 当時二〇〇七年三月二日中国新聞は、NSC事務局へ陸海空各自衛隊が一佐クラスの幹部を送り込む構えと報じている。このことは、二〇一三年法案で構想されている国家安全保障局でも同じことになるであろう。安全保障政策が戦争政策になるのである。内閣官房という政権中枢にまで制服組が入り込んで、国家安全保障政策を策定することになる。

三 二〇一三年六月七日提出法案の内容

 日本版NSC法案は、安全保障会議設置法を改正する国家安全保障会議設置法案と内閣法改正法案とで構成される。国家安全保障会議設置法案は、従前の安全保障会議の九大臣会合を存続させ、それまでの九大臣会合の審議事項の中から、新たに付け加えられた審議事項である「国家安全保障に関する外交政策及び防衛政策の基本方針並びにこれらの政策に関する重要事項」(法案第二条九号)を四大臣会合の審議事項とする。国家安全保障会議の位置づけは、総理大臣に対する諮問ということでは安全保障会議と変わらない。

 第六条では、内閣官房長官と関係行政機関の長に対して、国家安全保障会議に対する資料、情報の提供義務を課している。ここが秘密保全法制と重なる点である。

 第八条では、国家安全保障会議に国家安全保障担当総理大臣補佐官が出席できること、議長は必要に応じて統合幕僚長その他関係者を出席させることができる。

 国家安全保障会議を運営する国家安全保障局は法案では第一二条で「会議の事務は国家安全保障局において処理する。」と定めるだけで、その任務権限組織は内閣法改正法案が規定している。

 ではどのような運用になるのであろうか。実は二〇一三年五月一〇日には(法案提出前!)に早々と内閣官房内に国家安全保障会議設立準備室を立ち上げた。国家安全保障会議の運営のイメージについては、準備室が作成した説明資料がわかりやすい。国家安全保障局長は、内閣危機管理監と同格で内閣情報官よりも格上の職責である。国家安全保障局長は平素から内閣危機管理監と緊密に連携する。ただし、危機に際しての事態対処オペレーションは、法令(災害対策基本法等)に基づく対策本部や内閣危機管理監が担当するとしている。しかし、国家安全保障会議は緊急事態に際しての国家安全保障に関する外交・防衛政策の観点から必要な提言を実施するとしているので、事態対処のオペレーションに深く関与するであろう。国家安全保障担当総理大臣補佐官は、四大臣会合には常に出席してその影響力を行使することになるであろう。米国NSCでは、国家安全保障大統領補佐官がNSCスタッフの長を兼ねており、NSCの会合をリードする役割を持っているとされているが、日本版NSCでは、事務局長と補佐官が併存する体制になり、どちらが主導権を握るのか問題になるかも知れない。おそらく国会議員が就任すると思われる総理大臣補佐官の能力次第であろう。

四 国家安全保障基本法案とセットの日本版NSC、秘密保全法

 二〇一二年七月六日自民党国家安全保障基本法案(概要)には、第六条で政府が「安全保障基本計画」を定めるとして、そのために安全保障会議設置法を改正することを規定している。国家安全保障会議の創設を前提にした規定である。法案概要の中心は、集団的自衛権を丸ごと行使することであるが、それだけにとどまらず、国家安全保障政策遂行のため、それを国家の優先事項として、国家のありよう、国民と国家の関係にまで踏み込んで変えようとしている。集団的自衛権を行使することはそれだけ広範な国家改造が必要になることを意味している。この場合、米国との安全保障、軍事政策との整合性を図らなければならないが、国家安全保障会議は米国NSCと安全保障政策上の緊密な連携を図ることが狙いであった。

 法案(概要)は第三条三項において、「我が国の平和と安全を確保する上で必要な情報が適切に保護されるよう、法律上・制度上必要な措置を講ずる。」と秘密保全法の制定を予定している。

 このように我が国が集団的自衛権を行使する上で、日本版NSC創設と秘密保全法制は密接につながっているのだ。

五 自民党改憲草案の先取り

 日本版NSCは、外務省が主管してきた我が国の安全保障政策を官邸が主導し、その実態は自衛隊制服組が強い影響力を行使するという、いわば戦争政策に変化させる仕組みになるであろう。憲法第九条が求める非軍事安全保障政策とは正反対である。自民党改憲草案第二章が、現行第二章の「戦争放棄」から「安全保障」と表題を変え、その内容は自衛軍の創設となっていることの先取りである。日本版NSCはその意味で自民党改憲草案が制定されれば、第二章を実行するための国家組織として機能するであろう。

 自民党改憲草案第九章は「緊急事態」である。緊急事態制度を有効に運用するために、情報コントロールが不可欠な仕組みとなる。その基礎を作る国内法制が秘密保全法である。秘密保全法は自民党改憲草案を先取りする国内法制になるであろう。

 国家安全保障基本法が制定されれば、日本版NSCは国家安全保障政策を立案推進する国家の中枢機能を担うものとして位置づけられている。国家安全保障基本法案自体が、現行憲法下で集団的自衛権を丸ごと行使し、政府の各省庁の行政に国家安全保障政策を優先課題とし(第三条二項)、国民には国家安全保障政策に協力努力義務を課し(第四条 自民党改憲草案第一二条、一三条の先取り)、自衛隊海外派遣恒久法を制定して、国連機関の授権や決議がなくても国益判断で海外へ自衛隊を出動させ、武力行使にわたる活動をさせる(第一一条)、武器輸出三原則を撤廃する(第一二条)ことなどとを規定しているように、それ自体立法による憲法の恒久平和主義の否定であり、自民党改憲草案の丸ごと先取り(自衛軍か自衛隊という言葉の違いがあるくらい)となっている。この中で国家安全保障会議設置法と秘密保全法がしっかり位置づけられていることに注意をしなければならないであろう。


原発の光景

神奈川支部  渡 辺 登 代 美

○双葉郡楢葉町

 避難指示解除準備区域。宿泊は制限されているが、昼間は自由に行くことができる。但し、店もなく、人もいない。

 地震で屋根瓦が落ちたままの母屋は、雨水が入り放題。玄関を開けると、畳を突き破って丈高い草が生え、立派なキノコが成長していた。

 すぐ隣に新築した長男家族の家は、避難時の生活を残したまま無傷である。しかし、幼い子のいる長男一家は、もうこの家に戻ってこない。

○骨

 数日だろうと、とにかく避難した。牛舎につながれ、取り残された牛。今は、大量の骨。骨は臭わない。肉と皮が腐っていたときの臭いは、想像を絶する。

 生き残った牛たちは、放射能に汚染された餌を食べた場合の影響を調査するために、わざわざ、さまざまな程度に汚染された餌を与えられて、生かされている。

○帰還困難区域

 国道六号線が開通。沿道の民家の前は金属製の矢来で塞がれ、側道にも防御柵が。

 許可を得て防御柵内に入る。帰途。脇道までよく知った地元の道であるのに、人のいる防御柵をみつけなければ六号線に戻れない。どこが塞がれており、どこに人がいるのか、帰宅する住民には何も知らされていない。

○除染

 除去された土壌など、放射性汚染物質は一立米くらいの黒いごみ袋様のものに入れられている。それらは、数百個単位で、元は水田だった、今はセイタカアワダチソウの群生地のそこここに野積みされている。

○海

 よく釣りをした堤防は地震で数メートル沈下し、コンクリートが割れて海に没している。もう釣りはできない。津波の際、放置されたままの車。山積みされた船の残骸。祭りももうない。

○街

 二年半前から、時間が止まっている。地震で壊れた家並。倒れたままのブロック塀。親しかった人たちの家。今は、誰もいない。

○帰宅

 自分の家に帰るだけなのに、許可申請をし、防護服を着て、検問で身分証明書を提示する。

 元は自家菜園だった草地からたくさんの雉が飛び立つ。庭に散らばる小さな骨々は、これらの鳥が小獣に捕食されたものだろう。

○放射能

 さまざまな種類の測定器をもち込み、帰宅する度に線量を測る。ほとんど下がっていない。

○双葉町

 帽子、マスク、手袋。三五度を超える猛暑の中、全身白づくめの防護服を着て、汗びっしょりになって除草剤を撒き、墓前に手を合わせる。

○生業を返せ、地域を返せ!

 原発で利益を得ただろうという人たちもいる。しかし、全財産を、全人生を失っても良いほどのものではあり得ない。怒り。こんなことは、二度とあってはならない。


労働契約法の悪用が始まっています

東京支部  大久保 佐和子

一 はじめに

 昨年の労働契約法改正により、有期雇用契約が通算で五年をこえて更新された場合、労働者が申し込むことで無期労働契約に転換する仕組みができたことは周知のとおりです。

 この法律改正案が国会で審議されているその真只中に、有期雇用契約を通算四年以上は更新しない等の方針を打ち出した会社があります。新聞にも取り上げられたのでご存知の方もいるかもしれませんが、コーヒーショップを全国に展開する(株)シャノアール。同会社が経営するカフェ・ベローチェを利用したことがある方も少なくないのではないでしょうか。

 本年七月二三日、シャノアールの上記方針に基づいて雇止めをされた女性が、雇止め無効による地位確認等を求めて東京地裁に提訴しましたのでその報告をさせていただきます。

二 団体交渉等

 原告のWさんは、大学在学中に千葉のカフェ・ベローチェでアルバイトを始めました。雇用期間三ヶ月の契約で一四回の契約更新をして約三年四ヶ月働き、いったん退職します。それから約一年三ヵ月後の二〇〇八年七月、再び同所で働き始めました。

 二度目の雇用契約後、契約更新回数が一五回に及んでいた二〇一二年三月、Wさんは店長から、本社から次のような内容の通達が届いていると告げられます。「契約期間三ヶ月の契約更新は一五回を上限とする。既に勤務四年を超えているアルバイトについては、二〇一三年三月一五日をもって更新できなくなる。」これによりWさんは二〇一三年三月一五日をもって契約更新はしない旨告げられました。

 Wさんは大学院生でしたが親から経済的援助は受けておらず、アルバイト収入は彼女の学費と生活費に充てられていました。Wさんは悩んだ末に首都圏青年ユニオンに相談して加入、更新回数上限導入の撤回や雇止め撤回を求めて昨年五月から団体交渉を開始しました。

 Wさんら店舗スタッフが上記通達の内容を伝えられたとき、店長は「そういう法律ができるみたいです」と述べていました。しかし、団体交渉が始まると、会社側が主張する更新回数上限制度導入の理由は二転三転していきます。はじめは、労働基準監督官から有期雇用契約書で最大更新期間を設けるよう指導を受けたことを理由に挙げ(これ自体ありえないことだと思います)、二度目の団体交渉では、契約更新時の上限が存する契約社員からアルバイトに更新上限がないのはおかしいと苦情を受けたことを理由として述べました。更にその後の折衝では、“従業員は入れ替わって若返ったほうがいい”“うちの会社ではこれを「鮮度」と読んでおり、従業員が入れ替わらないと鮮度が落ちると考えている”という趣旨の発言までありました。

 結局、更新回数上限導入の撤回はされず、会社側は当初の予定より一回だけ多くWさんの契約を更新し、二〇一三年六月一五日をもって雇止めを強行しました。

三 雇止めの無効

 Wさんは二度目の雇用契約だけでも一九回という多数回の更新をし、業務内容も、その店舗で時間帯責任者などとして勤務し、正社員とほとんど変わらない重要な役割を担っていました。更新契約手続きも非常に形骸化していたことなどの諸事情も含め、改正労働契約法一八条の適用を受けるケースと考えています。そして既述のとおり、この雇止めには何ら合理的理由はありませんので、無効です。

 シャノアールが有期雇用の更新回数上限を設けた時期が、まさに有期雇用契約の無期契約への転換制度の法案が成立しよう時期であること、更新回数上限制度導入の理由として店長が「そういう法律ができるみたいです」と述べていたこと、シャノアール自身が雇止めの理由を何ら合理的に述べていないことからすれば、真の理由が、労働契約法改正により無期雇用契約が増えることを回避しようとするものであったことは明白でしょう。同法改正議論の中で懸念されていたことが現実となってしまった事案です。

 加えて、団体交渉や折衝における、会社側の労働者の人格を無視した発言も看過できません。Wさんは、提訴後の記者会見の席で、「大好きなお店だから働き続けてきました。なのにやめさせる理由として『鮮度』という言葉を使って、魚や野菜のようにモノ扱いされ、人としての価値まで奪われました…」と述べました。

 本訴訟では、Wさんの地位確認、未払賃金のほか慰謝料請求を掲げ、シャノアールの責任を追及していきます。

(代理人弁護士は 笹山尚人団員、三浦佑哉団員、大久保の三名です。)


給費制廃止違憲訴訟の提訴のご報告

東京支部  緒 方   蘭

一 給費制廃止違憲訴訟の概要

 私たち新六五期は、給費制廃止違憲訴訟を、八月二日、全国四地裁(東京、名古屋、広島、福岡)で一斉に提訴しました。

 これまで訴訟団は政治的解決の糸口を探して、何度か提訴日を延期してきました。四月から五月にかけて行われた法曹養成制度に関するパブリックコメントの際にも、多くの意見を集めるべく奔走しました。結果として、パブリックコメントは計三一一九通集まり、そのうち給費制に関する意見は二四一二通で全体の約七七%を占めました。さらに給費制に関する意見のうち、貸与制に賛成するものは八通しかありませんでした。

 にもかかわらず、訴訟内閣内に設けられた法曹養成関係閣僚会議は七月一六日、「法曹養成制度改革の推進について」を発表し、貸与制を維持することにしました。この決定はパブリックコメントによって集められた国民の大多数の声を無視するものであり、私たちは大変な絶望と怒りを感じました。その後、法曹養成制度の検討機関が新たに設置されることになりましたが、同機関において給費制が議論されるかは不確実です。私たちは政治的解決が困難となったと判断し、やむなく給費制廃止違憲訴訟を提起することにしました。

二 原告団・弁護団の概要

 原告数は二一一名(東京一一八名、名古屋四五名、広島一六名、福岡三二名)、代理人数は四六三名です。原告は地裁ごとで、代理人は全国四地裁共通となっています。

 原告の人数が少ないと思われる方も多くいらっしゃるかと思いますが、現在の新人弁護士は、就職難ということもあり大変厳しい境遇に置かれています。事務所やボス弁の方針に反することをおそれて原告になれなかったり、原告となった後に反対されて泣く泣く原告を辞めた同期が多くいます。

三 訴状

 現在、訴状及び訴状の概要をホームページで公開していますので、詳しくはそちらをご覧下さい(「給費制廃止違憲訴訟」で検索。ホームページのトップ画面にリンクが貼られています)。

 訴状では、(1)給費制が国民の権利擁護のための統一修習及び修習専念義務と不可分一体な国の憲法上の義務であること、(2)給費制が修習専念義務の下での経済的生活保障であること、(3)法曹になることを選択した司法修習生が生活を維持しながら司法修習に取り組む権利があることから、司法修習生の給費を受ける権利が導かれるとしています。そして、給費制廃止が違憲であることに基づく実質的当事者訴訟、及び国家賠償請求によって原告らは給費相当額等を求めています(ただし、一部請求で各一万円を請求になります)。

 代理人の皆様に直前まで訴状を公開せずにおり、大変申し訳ありませんでした。弁護団内で、訴状が確定しない段階で訴状を代理人全員にすることについて様々な意見があり公開が遅くなりました。

四 サポーターズクラブの設置

 私たちの訴訟では、司法の役割から給費制の意義を説き起こし、法曹の公益的役割を重視しています。しかし、私たちの説明の仕方にも問題があるのかもしれませんが、マスコミをはじめ多くの国民は「修習生がお金に困って訴訟を起こした」と捉えがちです。世間の理解を得るためにも、訴訟による解決だけでなく、運動による解決も視野に入れて世論喚起に努める次第です。

 その取り組みの一つとして、訴訟のサポーターズクラブの設置があります。私たちは、給費制の最終的な受益者は、司法を利用する国民であると考えていますが、国民は原告にはなれず、訴訟に直接関わることはできません。そこで、私たちは国民も訴訟に関わることができるようにサポーターズクラブを作ることにしました。クラブの名前は「法律家のひよこ応援くらぶ」です。

 幅広い賛同を得るために、入会金は不要とし(財政が厳しいのでできれば入会金をいただきたいところだが、ぐっと我慢しました。)、会員資格も設けないことにしました。現在、わずかですが会員が増加しつつあります。

 この他にも、訴訟団としての議員要請や、他団体との協力を視野に入れています。

五 団員の皆様へのお願い

 最後に、私たちは今後も代理人と原告を募集し、広く法曹界に給費制復活の声を広めていきたいと考えております。

 よろしければ、代理人への就任をお願い申し上げます。代理人への就任を希望される方は、本稿末尾のメールアドレスかFAX番号まで、代理人就任を希望する旨、氏名、事務所名、氏名公表の可否、実働メンバーになることの可否をご記載の上、ご連絡ください。

 また、大変心苦しいお願いではありますが、より大きな運動を作るために、カンパのご協力をお願い申し上げます。いただいたカンパは主に交通費と訴訟費用、広報費に使用させていただきます。

 私たちは未だ未熟な点が多く、皆様にはご迷惑をおかけする場面もあるかと思いますが、今後ともご理解とご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

〈振込先〉ゆうちょ銀行 〇〇一五〇―七―四四一五七二 
       ゆうちょ銀行以外からの振込店名:〇一九
                    口座番号:〇四四一五七二

〈名義〉「給費訴訟を応援する会」
〈連絡先〉給費制訴訟事務局メール kyuhisosyo65jimu@gmail.com
     城北法律事務所  弁護士 種田和敏
     電 話:〇三―三九八八―四八六六
     FAX:〇三―三九八六―九〇一八
〈ホームページ〉http://kyuhi-sosyou.com/
〈twitter、facebook〉「給費制廃止違憲訴訟」で検索してください。


みややっこのネタ帳その四(靖国神社の歪み)

東京支部  飯 田 美 弥 子

一 歴史観

 靖国神社の遊就館に行ったことはありますか?

 日本の歴史が順に展開されているかのような体裁の展示なのですが、イザナギノミコト・イザナミノミコトの国生みのころから平安時代ぐらいまでが一括り、その後、天皇家御受難の武家社会の間は短くて、大政奉還以後の明治時代からが、すごく長く詳しいのです。特に、第二次大戦ごろが長大。

 時間の縮尺がおかしくないか?というのが、まず疑問。

 それから、英霊さんの顔写真も夥しい数、展示されているのですが、坂本竜馬が入っているのには、驚きました。

 確かに、倒幕派≒尊皇派でしたから、天皇様の覚えが目出たいといえばそうかもしれませんけど、竜馬は、アメリカでは札入れ(選挙)で将軍を選んでいると聞いて、小躍りした人ですからねえ。幕藩体制維持か否かと言われれば、倒幕派に加担したでしょうが、だからと言って、明治政府のやり方を是認したとは思えません。ただ、明治になる前に死んでしまいましたし、国民的人気がありますからね。竜馬さん、喜んでいるかしら?と思いました。

 ちなみに、西郷隆盛は、西南戦争で明治政府に弓を引いたので、合祀はされていないらしいですよ。「八重の桜」の会津藩も、謀反人扱いでしょうね。

 それで、英霊の写真の話。

 ずうっと見て行っても、男性ばかりなんですよね。戦死した兵隊さん。

 女性の写真がないのは、異様なことです。

 全くないわけではありません。最後近くに九人分はあるようです。

 太平洋戦争末期、既に玉音放送があった後も、樺太では、ソ連軍と戦闘を繰り広げていたらしいんですね。八月二〇日、ソ連軍が真岡に上陸した際、真岡郵便局の電話交換手達が、自決を図って、九人が死亡した、という事件の犠牲者の写真が飾られているのです。逃げろというのを断って、最後まで本土に戦況を伝えた、女性ながらアッパレだ、という軍国美談なわけですよ。

 いや、全く、私には理解ができない。犬死としか思えない。戦争は終わっているのに、自決するって。上官はどうして命令で退去させなかったか。どうしてそれが称賛されるのか。

 空襲やら原爆やらで、たくさんの人が死に、その後も、傷や後遺症で苦しみ続けているというのに、そんな有象無象は靖国の神様(誰?)の目には入らないということでしょう。

 そうした、天皇様の覚えがめでたいか否か、という、妙な視点で歴史を見るから、慰安婦発言なんかも出てくるのだろうと思います。

公式参拝をする国会議員の気が知れません。

二 「靖国の母」

 遊就館に行ってみて、胸が詰まったのは、たくさんの花嫁人形を見たときですね。

 二十歳になるやならずで戦死した若者の母親が、せめて、あの世で一人でないように、好きな女性と添えるように、と奉納したと思うんですよね。

 ああ、あなたはお国のために立派に戦死したのよ。今の日本があるのは、あなたが命を賭けて闘ってくれたお陰なのよ。あなたは英霊になって祀ってもらっていますよ。

 あの世で寂しくないといいけれど。

 仕方なかったのよね、あの時代は。みんなそうだったのだから…。

 …私にも、一人息子がいますから、その気持ちを理解できないではないです。言論の自由がない中で、正確な戦争の情報も入ってこない中で、万歳万歳と子どもを送り出した母親にとって、あの戦争は間違いだった、あなたの息子は死ななくてもよかった、もしくは、あなたの息子の死は意味がなかった、などと言われるのは、耐え難いことだろうとは思います。

 でも、私は、できることなら、靖国の母達にも、「母親に二度とこんな思いをさせるな」と声を挙げてもらいたい。

 「英霊の母なんかになりたくはなかった。それよりも、私は、息子とその嫁や孫達に囲まれて、平凡な婆ちゃんになりたかった。」と言ってもらいたい。

 今は、少なくとも、言論の自由も、一応、報道の自由も、ある。十分とは思わないけれど、情報公開の制度も整備されている。

 私は、花嫁人形を奉納する母親に、共感はできないです。今、私なら、息子を戦争に取られないように、絶対に最後まで抵抗します。

そうそう、アメリカでも、「孫よりも私を戦争に連れて行って」という反戦運動をしているグランドマザーらがいると、ニュースで見たことがあります。もし、帰りの燃料を載せないゼロ戦を飛ばすなら、私も、息子でなく、私に操縦をさせて欲しい。そのぐらいの能力はあると思うし、帰って来なくたって、人生の賞味期限は、私の方が息子より間近に迫っているのだから、その方が、安倍さんの大好きな「お国」の損失も小さいと思うんですよね。

 ただし、特攻おばさんの私の写真を遊就館に飾ったりしたら、化けて出てやろうと思います。たとえイケメン人形を奉納されても祟ります!

 こうして、皆さんに自民党改憲案を批判する話をしているのも、靖国の母にはならないぞ!という私の気持ちの表れです。