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<<目次へ 団通信1467号(10月11日)


田中  隆 *秘密保護法特集*
二つの秘密法制・・三〇年のときを経て
吉田 健一 戦争への道を進める秘密保護法づくり―覚書
中谷 雄二 「特定秘密保護法案」=情報統制法案のパブコメの結果をどう見るか
森  孝博 「特定秘密」と原発について
佐藤 真理 奈良県橿原市立中学校 生徒いじめ自殺事件の報告
加藤 芳文 福島原発事故をめぐる一年を振り返る 一一・五したまち憲法集会の紹介をかねて
松井 繁明 書評 重要でユニークな問題提起 坂本修『アベノ改憲の真実―平和と人権、暮らしを襲う濁流』
飯田 美弥子 みややっこのネタ帳(番外編・アベノミクス批判)
煖エ  勲 柴田睦夫さんを偲んで



*秘密保護法特集*

二つの秘密法制・・三〇年のときを経て

東京支部  田 中   隆

一 「秘密」の管理・管制法制……特定秘密保護法案

 九月二七日、「特定秘密の保護に関する法律案」(特定秘密保護法案)の「政府原案の詳細」が公表された。

 別表の「秘密」が無限定なことや、特定秘密の指定(三条)が事実上行政庁の「フリーハンド」となること、適正評価制度(一二条〜)が公務員等への威圧と差別を生み出すことなどは、有識者会議報告書以来のもので、特に目新しいものではない。他方、九月三日発表の「法律案の概要」で登場した「秘密」の管理・提供等のシステムは、さらに精緻に組み上げられ、管理・管制法制としての性格がいっそう鮮明になっている。

 この「秘密」の管理・管制システムは、多くの論点・問題を投げかけるだろう。

 第一に、地方自治体との関係。警察が「秘密」を保有し、授受する主体とされているのに対し(七条等)、それ以外の自治体の機関は保有主体ともされないが、提供を受け得る機関ともされていない。その結果、警察を除く自治体の機関は、軍事や治安にかかわる「秘密」からは完全に遮断されることになる。だが、武力攻撃事態法や国民保護法では、自治体を戦争体制に組み込んで一翼を担わせることになっており、現に「ゲリラの上陸」や「繁華街テロ」等を想定した国民保護訓練が繰り返されている。一方での「情報からの遮断」と、他方での「戦争への組み込み」をどのように整合させるのだろうか。

 第二に、国民動員との関係。自衛隊法一〇三条以下では有事(武力攻撃事態等)での国民動員を規定し、医療・土木建築・輸送の分野では業務従事命令まで認めている。国民や事業者がいやおうなしに「秘密」に引き寄せられる場面である。引き寄せられる事業者をすべて「適合事業者」(一一条)とするのなら、「適性評価の網」は無限に拡大していくことになる。

 第三に、国会との関係。武力攻撃事態や緊急対処事態の対処基本方針は国会承認が要求されており、周辺事態における対処措置の実施も同様である。他方、国会審議のための「秘密」の提供は秘密会に限定されているから(一〇条(1)一イ)、「秘密」にかかわる審議は公開では行えず、メディアが報道することもできない。国会の権能への不当な抑制のみならず、「国民の知らないところで戦争へ」の再現をも、意味しているだろう。

 第四に、罰則との関係。不正取得罪の構成要件は「保有者の管理を害する行為」で、欺罔や暴行は例示にすぎない(二二条)。しかして、管理・管制システムが構築されて「提供ルート」が精緻に法制化されたもとで、その「提供ルート」によらない流出がすべて「管理を害する流出」とされる危険は甚大だろう。

 第五に、訴訟との関係。「指定秘」が採用されているから、「秘密」の立証は「指定されていること」で足りることになりかねない。刑事訴訟法三一六条の二七、民事訴訟法二二三条六項などの「提示」を並べた訴訟等への提供条項(一〇条(1)一ロ、二〜四)は、公開法廷での「秘密」の顕出を頑なに拒もうとするものだろう。

 以上、気づいたところだけ箇条書き的に列挙した。これらだけからも、多方面から検討すべき深刻な問題をはらんでいることは明らかだろう。

二 「スパイ」を口実にした弾圧法制……国家秘密法案

 「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(国家秘密法案)が発表されたのは八〇年代初頭、国会に提出されたのは八五年六月のことだった。複雑な管理・管制システムを組み込んだ今回の法案に比べれば、まことに単純であけすけな法案であった。

 目的、定義、保護措置の三条を除く法文はすべて刑罰規定。加重外国通報危険罪から過失漏えい罪までの犯罪類型が並び、冒頭の加重外国通報危険罪の法定刑は「死刑又は無期懲役」だった。「実質秘」を採用して管理と処罰を切り離し、予備・陰謀・教唆・扇動や自首減免を散りばめて権力的介入をはかる文字通りの弾圧法制である。

 この問題で出版された「国家機密法のすべて」(青木書店刊)で、「コメンタール」を担当したのが筆者だった。解析と執筆を続けていたあのとき、ふと目をやった窓の外に銃剣を持った兵士が立っている幻影を見たことを、いまも忘れない。法案がかきたてた悪夢ということだろう。

 この悪夢のような国家秘密法にはすべての野党が反対し、メディアや法曹界の反対もあってわずかのうちに廃案となり、その後続けられた同種の企ても阻止された。あれこれの海外派兵法制や有事法制が強行されたにもかかわらず、秘密法制の制定を許していないことは高く評価していいだろう。

三 「日本有事」から「米国有事」へ

 「スパイ防止」をうたい文句にした国家秘密法案から、管理・管制法制の色彩が濃厚な特定秘密保護法案に至るまで、三〇年の歳月が流れている。

 いずれの法案にも共通するのは、「秘密」や処罰に限定がなく、国民やメディア、国会や自治体などが情報から疎外されること、その情報の遮断が政府の「専権領域」を拡大し、軍事緊張や専制支配を拡大・強化すること・・管理・管制がそれらしく押し出されているだけに、今回の法案でもこれらのことを明らかにし、批判を尽くすことの重要性は、いくら強調しても強調しすぎることはない。

 同時に、二つの法案の間に横たわる位相の違いもまた、直視しておくべきだろう。

 国家秘密法案が登場した背景は、一九七八年の旧「ガイドライン」だった。

 「ソ連の脅威」を言い立てて「日本有事を想定した日米共同作戦」が語られはしたものの、まだまだ軍事同盟の萌芽的段階だった。有事法制や秘密法制が国民の批判・反対で立ち消えになり、中曽根首相(当時)が叫んだ「戦後政治の総決算」が頓挫せざるを得なかったのは、そうした段階の反映だった。

 あれから三〇年、唯一の超大国が「ならずもの国家」や「テロリスト」と対峙する新たな局面を迎え、この国の資本が社会的弱者や被災者を切り捨てて世界展開を続けようとする段階になった。その新たな状況に対応するため、米日両軍の統合軍化や「米国有事」に対処する海外での共同作戦が、現実的な課題として語られるようになった。

 その法的表現が、有事法制体系をも「下位法」として組み込んだ国家安全保障基本法体系であり、統合軍体制のもとでの情報管理・管制法制が、特定秘密保護法制ということになるだろう。こう考えれば、今回の法案が、侵攻作戦を想定しながらも「旧時代」の残影を引きずっていた有事法制体系との相克・抵触をはらむのは、さして驚くにはあたらない。

 問われているのは、「『失われた三〇年』の総括すら果たさずに、そこまで外征の国になっていくか」という、根本的な命題と言わねばならないのである。

(二〇一三年一〇月二日脱稿)


戦争への道を進める秘密保護法づくり―覚書

東京支部  吉 田 健 一

一 侵略戦争と表裏一体の秘密保護法制

 秘密保護法制は、日本の侵略戦争と一体のものとしてつくられていった。日清戦争後の一九九九年には軍機保護法が制定され、それが日露戦争を経て、一九三七年日中戦争が激化するもとで拡充された。太平洋戦争開戦前夜の一九四一年には、軍事上の秘密のみならず外交、財政、経済、政治など広範な秘密を保護する国防保安法の制定にいたる。違反者は死刑を含む重罰で処罰され、治安維持法などとあいまって、多くの国民が弾圧された。ものの言えない社会がつくられ、侵略戦争が遂行されていったのである。

二 日米安保体制と国家機密法案の提出

 戦後、日本国憲法のもとで軍機保護法や国防保安法は廃止されたが、在日米軍の秘密を保護するための刑事特別法が制定され、また、日米相互防衛援助協定等に伴いアメリカ政府から日本に供与された装備品及び装備品に関する情報を保護するMDA秘密保護法が制定された。秘密漏えいなどには一〇年以下の懲役刑をもって処罰する秘密保護法制である。

 ともに戦争する体制づくりがアメリカから求められるようになると、一九七八年の日米防衛協力の指針(旧ガイドライン)で情報保全が確約された。すなわち、自衛隊及び米軍は、効果的な作戦を共同して遂行するために、情報の要求、収集、処理及び配布などを行い、これらの情報については、それぞれが責任を持って保全すること、すなわち、他に漏えいなどされないように責任を持つことが確約されたのである。秘密が漏らされるようなことでは、戦争を進めるうえで重要な情報を共有できないというわけである。そして、一九八五年、国家機密法案が国会に提出された。軍事・外交に関する秘密を広く守るために、法違反の犯罪者に死刑を含む重罰で対処するというものであった。法案は、国民の知る権利を著しく侵害するものであり、マスコミはもとより多くの国民が反対の声をあげ、結局は、廃案となった。

三 自衛隊の海外派兵と防衛秘密法制

 湾岸戦争を契機にして、自衛隊の海外派兵の動きが進められるなかで、一九九七年の日米「新ガイドライン」では、効果的な作戦を共同して実施するため、情報活動について協力することとし、共有した情報の保全に関し各々責任を負うことが明記された。

 二〇〇一年、アフガニスタンに対する戦争が始まると、日本は、アメリカから求められ、テロ特措法を成立させて、これに参戦していく。その際、政府は、防衛秘密を特別に保護する自衛隊法「改正」をも国会で成立させた。私は、参議院公聴会で、公述人としてテロ特措法と自衛隊法「改正」に反対し、後者について軍事・国防のための秘密保護制度であり平和憲法と矛盾する制度であること等を指摘したが、その問題点はマスコミなどでも余り取り上げられないまま、わずか一ヶ月足らずで法案は成立してしまった。

四 日米両軍の一体化と秘密保全法の提起

 その後、地球規模での米軍再編が進められて米軍と自衛隊との一体化が強化されるなかで、二〇〇五年、日米安保協議委員会(2+2)でも、二国間の安全保障・防衛協力の態勢を強化するための不可欠な措置として、情報共有及び情報協力の向上とともに、共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置をとることが確認されてきた。

 そして、日米両政府は、二〇〇七年八月、「秘密軍事情報の保護のための秘密保持の措置に関する協定」(GSOMIA)を締結した。この協定では、両国間で相互に提供される秘密軍事情報を取り扱う条件として、その担当者が秘密軍事情報取扱資格を有すること、当該情報にアクセスすることを許可されている資格者の登録簿を各部署で保持することが求められている。

 国内でも、二〇一〇年八月、新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会(新安保防衛懇)が秘密保護法制づくりを提起し、同年一二月の「防衛計画の大綱」も、政府横断的な情報保全体制を強化することを統合的かつ戦略的な取組として位置づけた。そして、二〇一一年八月、有識者会議の報告が秘密保全法づくりを提起したのである。

五 集団的自衛権行使容認の動きと秘密保護法

 自民党が二〇一二年四月に発表した改憲草案では、九条改憲により国防軍を保持することとあわせて、国防軍の「機密の保持に関する事項は法律で定める」と秘密保護法の制定を提起した。また、同年七月自民党が発表した国家安全保障法案(概要)は、集団的自衛権の行使や海外で武力行使、武器輸出などもできるようにすることとあわせて、「我が国の平和と安全を確保する上で必要な秘密が適切に保護されるよう、法律上・制度上必要な措置を講ずる」として、秘密保護法を制定することを求めている。

 新ガイドラインの見直しを確認した先日(一〇月三日)の日米安保協議委員会(2+2)においても、アメリカは、集団的自衛権の行使とともに、情報保全の法制化(秘密保護法づくり)の取り組みを歓迎する態度を明らかにしている。

 このように秘密保護法案の国会提出は、集団的自衛権の行使容認と一体の動きであり、九条改憲、戦争する国づくりを先取的に進めようとするものであることは明白である。この動きを許さない声を早急に広める必要がある。


「特定秘密保護法案」=情報統制法案のパブコメの結果をどう見るか

愛知支部  中 谷 雄 二

「特定秘密保護法案」=情報統制法案のパブリックコメントの結果が発表された。

 一五日間で約九万件が寄せられ、反対が八割を近くを占めたという。パブリックコメントは原則として三〇日間とされている(http://www.e-gov.go.jp/help/about_pb.html)のに、一五日間と異例の短期間だったこと、すでに法案も逐条解説も出来ているのに、意見を求めるために公表されたのは、A4でわずか四枚の概要と参考資料一枚のみ。国民に広く知らせて論議を巻き起こすことなく、「静かに」、意見を聞いたという形を取りたかったのだろう。

 ところが、意見を寄せた市民の八割がこの法案の持つ危険性に懸念を示した。これは政府にとって予想外の事態だったと思われる。九月二六日、法案成立を推進するPT座長の町村信孝元外相は「組織的にコメントする人々がいたと推測しないと理解できない」と記者団に述べたという。彼らには、これまで極力情報を隠して進めてきた「特定秘密保護法案」=情報統制法案にこれだけの短期間でこれほどの反対の意見が集まることが想定外だったのだろう。しかし、町村氏が言うような、「組織的にコメントする人々」とは誰を指しているのだろうか。九万件もの意見を提出できるような組織などどこにあるのだろうか。実際には、安倍内閣が進める軍事国家化を懸念し、国が秘密の名の下で、懲役一〇年の重罰の脅しによって、国民の知る権利を侵害し、秘密の内に国の重要事項を決定していこうということや民主主義に反する、政府の秘密主義に対する危機感と法案に盛り込まれた適性評価制度などのプライバシー侵害に表れる監視国家化への強い懸念が示されたものである。私も共同代表をつとめる「秘密保全法に反対する愛知の会」のブログ(http://nohimityu.exblog.jp/)には、このパブリックコメントの募集期間中、通常は一日二〇〇件程度のアクセス数が、八〇〇〇件、二万件、最後には遂に四万件へと増え、一五日間の合計は一三万件余のアクセスに上った。山本太郎さんや藤原紀香さんが反対を表明したことの影響もあり、多くの市民が法案に対する声を上げた。反対意見の集中は、組織的にコメントする人々などではなく、政治に関心を持つ個々の国民の反応によるものである。その手段は組織による締め付けや指導ではなく、インターネットなどを利用した言論によって、共感を集めたものである。彼らが想定外だったのは、市民の言論の力だろう。民主主義は言論である。政府は、彼らが軽蔑する民主主義に敗退したのだ。それにあせった政府は、「報道の自由」への配慮や基本的人権を侵害することのないようにしなければならないとの規定を盛り込むことを早速に表明した。「知る権利」についても規定することを検討しているとも報じられている。しかし、社会通念上是認できない方法による取材を処罰の対象とするなど、そこで配慮される報道の自由は、政府の公式発表に限られるものである。政府の秘匿したい情報を暴くことは、認められない。そして、一旦、検挙されれば、報道や取材への萎縮効果は甚大なものがある。抽象的に法文にこれらを配慮すると書き込むだけでは何も問題は解決しない。これら「報道の自由」への配慮や「知る権利」の尊重などの規定は、反対意見を抑えるためのものであろう。おそらく今後、盛り上がる反対運動に対して、冷や水を浴びせるために用意していたものなのだろう。ところが、この時点で切り札を切らざるをえなかったのは、予想外の反対意見に対する政府の焦り以外のなにものでもない。そして、これらの配慮が報じられた後も新聞等では反対意見が続いている。反対運動を盛り上げ、政府が軽蔑し軽視している輿論によって、この悪法の成立を阻止する可能性が見えてきた。各地でも反対運動への取り組みがようやく始まりだした。一機に運動を強め、反対の輿論を広げることによって法案の提出を断念させようではありませんか。


「特定秘密」と原発について

東京支部  森   孝 博

 二〇一三年九月一八日、礒崎陽輔首相補佐官が、BSフジ番組で「原発(の情報)が特定秘密となることは絶対にない」と発言したと報道された。政府が実施した法案概要に対する意見募集(パブコメ)終了の翌日に上記発言がなされたことからすると、原発に関する情報隠蔽に対して相当数の批判・懸念が寄せられたことへの「火消し」と思われるが、行政が何を「秘密」にしているのかすら国民に知らせないのが「特定秘密の保護に関する法律」(以下、「秘密保全法」)であり、全く根拠のない話である。

 この点、礒崎氏は、同年一〇月一日、自身のHPで「秘密保護法案の疑問に答える」と題して、「何でもかんでも原発問題に結び付けて批判しようとする勢力があるようです。特定秘密に指定できるのは、法案別表第四号の規定により、『テロ防止のための措置、計画又は研究』に関する情報です。これは、テロ行為に関する捜査情報を意味します。法律を読む素養が少しでもある人ならば、原発の情報がこれに該当しないのは、瞬時に理解いただけるはずです。」と述べている。

 正確には「テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(テロリズムの防止)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究」(政府原案別表・四イ)に関する情報であるが、法律を読む素養があってもなくても、これが一義的に「テロ行為に関する捜査情報」だけを意味するとは到底解釈できない。むしろ「テロリズム」の定義の曖昧さとあいまって、捜査情報に限られない広範な情報が「テロ防止のための措置に関連する」という名目で「秘密」とされる危険があると考えるのが当然である。そして、原発はその格好の対象と言わざるを得ない。

 その証左に、例えば、政府の原子力委員会が二〇一二年三月九日にまとめた「我が国のセキュリティ対策の強化について」と題する報告書の中で「現在、秘密保全のための法制は検討中とされているが、核セキュリティ分野においては、テロ行為の対象となり得る核物質や原子力施設が現に存在し、核物質や原子力施設へのアクセスが許可された者の妨害破壊行為によるリスクが具体的に想定され得ることから、秘密保全のための法制の進捗状況に拘わらず、本分野独自の観点から、信頼性確認制度を導入するべき」(同八頁)と述べられている。

 これは秘密保全法が導入しようとしている「適性評価制度」の原子力分野における先取りを狙ったものであるが、そもそも、この制度は「秘密」が存在することを前提に、それを取り扱わせようとする者や提供を受けようとする者を対象として実施するものである。つまり、「テロ行為の対象となり得る・・・原子力施設」に関する情報は、当然に「秘密」の対象とされることが予定されているのである。

 政府が二〇〇七年八月の閣議決定(「カウンターインテリジェンス機能の強化に関する基本方針」)を理由に、法的根拠もなく「特別管理秘密」として行政の保有する情報を隠蔽していることが暴露されたが、原発に深く関わる経済産業省は最多(但し、防衛省は除く)の二一項目を秘匿しており、既にこの中に原発に関する情報が含まれているであろうことは想像に難くない(なお、経産省は秘密としている項目の内容すら明らかにしようとしない。)。秘密保全法が制定されれば、いっそう「秘密」とされることは明白である。

 二〇一三年九月一八日、礒崎陽輔首相補佐官が、BSフジ番組で「原発(の情報)が特定秘密となることは絶対にない」と発言したと報道された。政府が実施した法案概要に対する意見募集(パブコメ)終了の翌日に上記発言がなされたことからすると、原発に関する情報隠蔽に対して相当数の批判・懸念が寄せられたことへの「火消し」と思われるが、行政が何を「秘密」にしているのかすら国民に知らせないのが「特定秘密の保護に関する法律」(以下、「秘密保全法」)であり、全く根拠のない話である。

 この点、礒崎氏は、同年一〇月一日、自身のHPで「秘密保護法案の疑問に答える」と題して、「何でもかんでも原発問題に結び付けて批判しようとする勢力があるようです。特定秘密に指定できるのは、法案別表第四号の規定により、『テロ防止のための措置、計画又は研究』に関する情報です。これは、テロ行為に関する捜査情報を意味します。法律を読む素養が少しでもある人ならば、原発の情報がこれに該当しないのは、瞬時に理解いただけるはずです。」と述べている。

 正確には「テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(テロリズムの防止)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究」(政府原案別表・四イ)に関する情報であるが、法律を読む素養があってもなくても、これが一義的に「テロ行為に関する捜査情報」だけを意味するとは到底解釈できない。むしろ「テロリズム」の定義の曖昧さとあいまって、捜査情報に限られない広範な情報が「テロ防止のための措置に関連する」という名目で「秘密」とされる危険があると考えるのが当然である。そして、原発はその格好の対象と言わざるを得ない。

 その証左に、例えば、政府の原子力委員会が二〇一二年三月九日にまとめた「我が国のセキュリティ対策の強化について」と題する報告書の中で「現在、秘密保全のための法制は検討中とされているが、核セキュリティ分野においては、テロ行為の対象となり得る核物質や原子力施設が現に存在し、核物質や原子力施設へのアクセスが許可された者の妨害破壊行為によるリスクが具体的に想定され得ることから、秘密保全のための法制の進捗状況に拘わらず、本分野独自の観点から、信頼性確認制度を導入するべき」(同八頁)と述べられている。

 これは秘密保全法が導入しようとしている「適性評価制度」の原子力分野における先取りを狙ったものであるが、そもそも、この制度は「秘密」が存在することを前提に、それを取り扱わせようとする者や提供を受けようとする者を対象として実施するものである。つまり、「テロ行為の対象となり得る・・・原子力施設」に関する情報は、当然に「秘密」の対象とされることが予定されているのである。

 政府が二〇〇七年八月の閣議決定(「カウンターインテリジェンス機能の強化に関する基本方針」)を理由に、法的根拠もなく「特別管理秘密」として行政の保有する情報を隠蔽していることが暴露されたが、原発に深く関わる経済産業省は最多(但し、防衛省は除く)の二一項目を秘匿しており、既にこの中に原発に関する情報が含まれているであろうことは想像に難くない(なお、経産省は秘密としている項目の内容すら明らかにしようとしない。)。秘密保全法が制定されれば、いっそう「秘密」とされることは明白である。

 以上のとおり、原発と政府が狙う秘密保全法とは切っても切れない関係にある。この点までも誤魔化して法制定に突き進もうとする姿勢は、世論の批判を避けるため、いかに秘密保全法が私たちにとって危険・有害なものなのかを隠し通したいという本音が如実に表れていると思える。以上のとおり、原発と政府が狙う秘密保全法とは切っても切れない関係にある。この点までも誤魔化して法制定に突き進もうとする姿勢は、世論の批判を避けるため、いかに秘密保全法が私たちにとって危険・有害なものなのかを隠し通したいという本音が如実に表れていると思える。


奈良県橿原市立中学校 生徒いじめ自殺事件の報告

奈良支部  佐 藤 真 理

一 経過の概要

 本年三月二八日、橿原市立中学校一年女子生徒が、マンション七階から飛び降り自殺するという事件が発生した。

 被害生徒は、家族には、学校での「いじめ」について全く話していなかったが、次第にいじめの事実が親の耳に入り、四月二五日、遺族は、学校に対し、いじめに関する調査及び無記名アンケートの実施を依頼したが、学校の対応は遅く、生徒に対する無記名アンケートが実施されたのは、事件発生から五〇日後の五月一七日であった。氏名等をマスキングの上、パソコン入力したアンケートの写しが遺族側に開示されたのは、アンケート実施から六六日後の七月二二日であった。

 五月二四日以降、遺族は、第三者調査委員会の設置を再三要請し、大津市が同市中二いじめ自殺事件に関して市長部局下に設置したものと同様に、市長部局下に第三者調査委員会を設置し、調査委員の半数は遺族推薦者から選任するよう求めた。

 六月六日、記者会見において、橿原市教委の教育長は「アンケートにはいじめを疑わせる回答があった。」と述べながら、「自殺については、いじめが原因である可能性は低い」と言い放った。学校及び市教委は、自殺の背景に家庭問題があるとのうわさに飛びつき、いじめ隠しに走ったのである。

 六月二四日、遺族ら代理人(三人、七月二四日以降は五人)が、第三者調査委員会の設置とアンケート結果の開示を要求する申し入れ書を送付した。

 七月三日、橿原市長、市教委は、市教委の判断で既に「調査委員会」を設置し、第一回会合を七月一〇日に行うと回答してきた。

 遺族側の抗議を無視して、同月一〇日に「調査委員会」の第一回会合の開催が強行されたが、驚いたことに四人の調査委員の中に、六月末まで橿原市の顧問弁護士を五年間務めていたK弁護士が含まれていた。

 遺族側と市、市教委、校長とは、厳しい交渉(書面中心)を重ね、七月二四日 遺族ら代理人は、K弁護士宛に(懲戒請求辞さずの決意の下)内容証明郵便を送付して調査委員の辞任を要求したところ、七月二九日、K弁護士は、調査委員を辞任し、「遺族の抗議によるものと受け止めて頂いて結構です。」と表明した。

 顧問弁護士の委員選任は、「遺族の理解を得ることが困難」とする県教委の意向も無視して市長が独断したようで、文部科学大臣からも厳しく批判された。

 市、市教委は、K弁護士に代わる弁護士委員の補充のために、日弁連に調査委員推薦の依頼書を送付したが、遺族側は、調査については「できる限り遺族と合意しておくことが重要」との文部科学省初等中等局長の二〇一一年六月一日通知に反して、遺族の意向を全く無視して設置した調査委員会自体の解散を主張した。その上で、県教委の仲介のもとに、公正・中立な第三者調査委員会の設置に向けて、遺族ら(代理人弁護士を含む)、橿原市長部局および市教委の三者協議会の開催を提唱した。 

 八月一六日、遺族ら代理人が、「アンケートの集計結果」(※)および被害生徒母親の「手記」をマスコミに公表したことが転機になったと思われるが、県教委の仲介の下、市教委(教育長ら)、市長部局(総務部長ら)と遺族側の三者協議会が、八月二六日に初めて開催された。市教育長から、この間の調査委員会の設置と運営について、遺族側に陳謝がなされ、「自殺については、いじめが原因である可能性は低い」との六月六日の発言は、「不適切であった」として「撤回する」との表明がなされた。

 ※ 二、三年生四四二人を対象とするアンケートで、被害生徒の異変につき、自身が見たか、被害生徒から聞いたと答えた(直接の見聞)回答が五八人からあり、内四〇人は学校内のできごとについて答え(クラス内で三人から仲間はずれにされていた、クラブの先輩に暴力をふるわれていたとの回答が多数あり)、一四人はLINEのタイムラインについて言及し、家庭環境に言及したのは四人であった。

 市教委と遺族代理人の数度の予備折衝を経て、九月一七日の第二回三者協議会において、合意書の締結に至った。

二 合意書の内容

 遺族側は、本件中学校生徒に係る重大事態に関する調査委員会設置条例の改正要求(市教委の付属機関から市長部局の付属機関に改めること、調査委員は四名から六名に増やすこと等六項目)を撤回して、妥協した。市側の抵抗が強く、妥協しないと、調査委員会の設置がさらに大幅に遅れることを避けたいとの判断からである。

 合意書においては、(1)四名の調査委員の内二名は弁護士とし、既に市教委の推薦依頼に基づいて日弁連から推薦を受けた一名のほかに、市教委と遺族が共同で日弁連に推薦依頼状を送付して、推薦を受けること。(2)あとの二名の調査委員は、大学教授等の有識者で、いじめや学校問題等に関する専門家から選任することとし、市教委と遺族側が共同で「団体」(関西教育学会、日本生徒指導学会など五団体)に推薦依頼すること。(3)具体的な推薦依頼先は、県教委が、適切な専門家を早期に推薦してくれる団体を調査し、市教委および遺族らの同意を得て決定すること。(4)生徒及び保護者、教職員、遺族その他からの事情聴取等の調査活動の補助業務を担当する調査員については、遺族らが八名程度は必要としていることに留意して、調査員の人数、人選、具体的な調査補助業務の内容等は、調査委員会の裁量に委ね、調査委員会で協議して決定すること。(5)生徒等に対する事情聴取は、原則として、弁護士の調査委員・調査員と、弁護士でない調査委員・調査員が、ペアを組んで担当すること。(6)調査委員会の事務局(庶務)は、市総務部の職員が担当し、市教委職員は担当しないこと。(7)調査委員会の所掌事務は、条例に明記しているa重大事態の事実関係の把握に関すること、b重大事態の原因の調査及び分析に関すること、の二つに加え、aによって明らかになった事実に対して、本件中学校がどう対応したのか又は対応しなかったのかを明らかにし、本件中学校及び市教委の自殺後の対応が適切であったかを考察すること(c)、及びこれらによって明らかになった事実及び考察から、いじめ、自殺、自殺前後の本件中学校及び市教委の対応について、子どもが健やかに生きるための環境整備の視点も踏まえた再発防止に関する提言を行うこと(d)も含まれることを確認すること。(8)調査委員会に対し、所掌事務についての結論及びその結論を導く根拠となった資料並びにこれらの資料により結論を導くに至った判断過程を、報告書にできる限り詳細かつ明確に記載することを要請すること等が確認・合意された。

 これに伴い、K弁護士を除く三人の調査委員の先生方は、同日付けで解任された。

三 成果と今後の課題

 本事件の発生から三月後の六月二八日に議員提案で「いじめ防止対策推進法」が成立し、九月二八日に施行された。

 自由法曹団は、本法は、いじめ問題を「いじめた子」と「いじめられた子」の二項対立の図式に単純化し、「いじめた子」に対する処罰と懲戒、あるいは規範意識と道徳の徹底をもって、いじめをなくすという視点で貫かれており、子どもの権利を尊重し、いじめが起こった原因にさかのぼって対応を検討するという視点が欠落しているなどとして、衆参でわずか四時間の審議で可決成立させるという拙速な成立に抗議する六月二五日付団長声明を発表している。

 衆参の付帯決議にもあるように、本法に基づいて設置されるいじめ防止等の対策を担う付属機関に「専門的な知識及び経験を有する第三者等の参加を図り、公平性・中立性が確保されるよう努めること」が重要であり、また「本法の運用にあたっては、いじめの被害者に寄り添った対策が講ぜられるよう留意する」こと、「重大事態への対処に当たっては、保護者からの申し立てに適切かつ真摯に対応すること」が必要不可欠である。

 本法は、九月二八日に施行されたが、本法一一条が規定している「いじめ防止基本方針」の策定が施行日に間に合わないという異例の事態となっている。新聞報道によると、九月二六日開催の第五回いじめ防止基本方針策定協議会でも、自治体、学校、教員の役割について国がどこまで踏み込むのか、いじめの調査メンバーをどうするのかなどで、議論が紛糾し、意見集約が一〇月以降にずれ込むことになったという。

 「付属機関」設置に関する八月二八日付けの団の文科大臣宛の申し入れ書が指摘しているように、付属機関が第三者性、公平・中立性をもったものとして設置されることが必要不可欠であり、委員の選任手続きの透明性・可視化が図られなければならない。被害者側の納得という視点から被害者側からの推薦候補者を委員に入れることも考慮されるべきである。

 本法および基本方針等に規定や基準が定められていない中で、市および市教委が独走した調査委員会を解散させ、新たに、第三者性、中立・公正性が確保された調査委員会を設置させることができたのは、大きな成果である。(大津中二事件を担当されている石田達也団員に種々の援助を受けたことに謝意を表しておきたい。)

 調査委員会の発足が、大幅に遅れたため、生徒に対する面接調査などに困難が予測される(三年生は来春に高校受験を控えている)が、私たち弁護団は、調査委員会を信頼して、遺族の情報のすべてを適切に提供して、本件の真相を解明し、「学校におけるいじめを根絶したい。」「被害生徒のような悲劇は二度とおこしてほしくない。」との遺族の願いを、学校関係者や広く市民・国民と「共有」できることを目指して、引き続き奮闘する決意である。

(二〇一三年九月二九日)


福島原発事故をめぐる一年を振り返る 一一・五したまち憲法集会の紹介をかねて

東京支部  加 藤 芳 文

(はじめに)

 我々には、憲法改悪反対闘争が喫緊の課題としてあるが、それと反原発の闘いの連帯はできないものだろうか。(憲法と三・一一、原発については日本評論社「三・一一と憲法」かもがわ出版「三・一一を生きのびる」等参照)

 私の所属する事務所では一一月五日「二〇一三したまち憲法の集い」を企画、一〇〇〇人目標で成功に向け取組んでいる。(講師は伊藤真弁護士・テレビでおなじみの渡辺えり)そこに約二〇〇〇名の原告を抱える大型訴訟となった福島原状回 復請求訴訟原告団長中島孝さんにも参加を要請、最新の福島レポートをお願いした。はたしてどうなるかわからないが、両課題の連帯を探る一つの試みとなればと考えている。

 ぜひ皆さんの地域でも憲法集会を企画される場合、原発被害者を呼んで人権侵害のナマの実態を知っていただきたい。(逆に原発被害者の方には憲法問題を学んでほしい。)

 次に、昨年の小論に続き原発をめぐる一年の情勢の推移を駆け足で追ってみたい。

(1)遅れる被害者の救済と窮状

 福島を追われた日本人初の宇宙飛行士秋山豊寛は友人が「七代先まで祟ってやる」と壁に書いて毎朝読んでいるという。賠償、除染すべてが遅れ、オリンピック招致騒ぎの陰で福島県民は見捨てられたのかと住民の焦燥は募るばかりである。

 怪しげな「警戒区域の再編」が終了したが(帰宅困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域)、今なお一五万七〇〇〇人がふるさとを追われ、県内外で狭い仮設・借上げ住宅その他不自由な生活を強いられ、長引く避難生活で展望をなくし体調を崩す人、無念の孤独死を遂げる人が増えている。(福島原発関連死者は約九一〇名。にもかかわらず原発事故では一人の死者も出ていないと言い放った政調会長がいる。)

 避難区域の被害者はわずかな賠償金で飼い殺し状態。政府はそれをも早期の打ち切りを画策。「自主」避難者は最低限の賠償すら受けられず、生活苦に福島にもどると避難しなかった人と複雑な雰囲気になるという。ここにも被害住民の分断がある。

 東電は古典的な差額賠償説に固執し不動産の再調達価格による賠償を認めず、ふるさとをあきらめた被害者は地価の高い新天地に家を建てることが困難。ADRによる解決も未済件数が山をなす。

 除染は遅々として進まず、効果に疑問が呈され、大手ゼネコンのもうけ口ではないかともささやかれている。

 六月表面化した汚染水海洋流出により、相馬双葉漁協やいわき市漁協は試験操業停止に追い込まれ風評被害の広がりが危惧される。(韓国は日本の水産物輸入禁止措置)

(2)政府、東電の無策と汚染水漏れによる新たな危機の発生等

 昨年一二月衆院選今年七月参院選により民主党から自公政権に里帰り、一定の揺らぎを見せた原発政策は元に戻り、原発堅持、再稼働と死の商人宜しく原発輸出の動きが活発化している。

 しかし、衆・参選挙とも民主党の体たらくに愛想を尽かした国民が自民党に投票をしたにすぎず、世論が原発賛成に変じたわけではない。現に参院選では東京で反原発議員が複数当選している。

 東電は、事故直後から汚染水の海洋垂れ流しを画策するも、内外世論の前にしぶしぶ付け焼き刃的なタンクを作り集めていたが、タンクからの漏水(レベル三)と地下からの海洋汚染が発覚、国際的非難を浴びるに至った。まさに非常事態である。

 ところが景気対策としてのオリンピック招致を優先する安倍首相は事実を偽り「アンダーコントロール」演説で内外のひんしゅくを買った。(真実はアンコントロール)

 東電には国税三兆七八〇〇億円が注入され、事実上国有化されたに等しいが、東電救済のフレームにそもそも問題があり、一日も早い破綻処理が求められる。

 原発では、震度六クラスの余震に見舞われた場合、プラント(とくに四号機使用済み燃料プール)が耐えられるのか、ずさんな被曝・健康管理の下で作業に従事する日本版リクビダートルの方たちの健康被害が危惧されている。

(3)原子力規制委員会の発足と新規制基準

 昨年九月経産省・資源エネ庁のもと業者と癒着した原子力安全・保安院は原子力安全委員会とともに解体され、原子力規制委員会が発足、委員長に田中俊一氏が就任した。しかし田中氏は原子力ムラの出身、人員も旧保安院からの横すべりが多くノーリターン原則も不徹底、専門的知識を有する職員は依然少ない。委員長代理の島崎邦彦氏は良心派だが、政府自民党と財界圧力の前に困難に直面している。現に七月に施行された新たな規制基準のもと再稼働審査が始まったが、事業者に強気の姿勢が目立ち(権力交代に安心し規制委の弱腰を見透かしている。)規制委の及び腰が目につく。(再稼働審査より福島汚染水対策が先との声あり。)

 したがって国民の厳しい監視が必要である。

(4)全国で拡大した集団提訴の動き

 全国で原発差止め訴訟が次々と提起され、追うように福島地裁(原告第一次八〇〇名・第二次一一五九名)、いわき支部(同八二二名)等全国一三地裁で国・東電を被告に国家賠償法・民法・原賠法等を根拠に損害賠償あるいは、原状回復を求める訴訟が提起された。オリンピック優先・福島後回しの国に対する被害者の怒りが渦巻く中提訴の動きは今後も燎原の火のごとく拡大していくだろう。重要なのは東電だけでなく国も被告として闘いが進められていることだが、原発が国策民営として建設された以上当然だろう。

 今後とも広範な大衆的裁判闘争として発展させるべく各弁護団一層の奮闘が求められるが、(同時に弁護団相互の緊密な連携も重要)一年間被害者と向き合い現地に通い続けた各弁護団とりわけ、若い団員諸氏の奮闘に心から敬意を表したい。

(5)刑事告訴に対する不起訴処分

 九月九日東京地検は、東京電力及び政府関係者に対する業務上過失致死傷等告訴事件につき、嫌疑不十分ないし嫌疑なしとして不起訴処分をなした。予想された結論とはいえ、処分理由で極めてずさんな事実認定をしており容認できない。

 すなわち、地震・津波の予見可能性につき、三陸沖から房総沖にかけての海溝寄りのどこでも巨大津波地震がありうると警告を発した地震調査研究推進本部の長期評価をマイナス評価する一方、事業者の息のかかった土木学会の津波評価技術を持ち上げ、今回の地震・津波は予見可能性なしと断定、産総研による貞観地震・津波の研究など新たな知見が無視されており話にならない。

(6)子供・被災者支援法ネグレクト問題

 昨年六月避難指示基準以下の地域住民の避難生活や、健康管理を支援する目的で成立したが(定期的な健康診断、子供・妊婦の医療費減免を国に義務づける議員立法)、基本方針(支援対象地域や生活支援策を定める)が一年以上経過するも策定されず、本年八月二二日不作為の違法を主張して原告一九名が東京地裁に提訴した。慌てた復興庁は八月三〇日三三市町村を支援対象地域とする基本方針素案を公表したが、公聴会未開催、パブコメ期間が短かい、年間一ミリシーベルトの基準にしていない等から担当審議官の暴言と相まち強い怒りを買っている。

(7)今後の闘いの展望

 我々の目標は、国・東電の法的責任を認めさせ、汚染された環境を可能な限り原状に回復・被害者の生活を元に戻し完全な損害賠償をさせる、すべての原発を廃炉にし国のエネルギー政策を根本的に転換させる等だが、官邸包囲等の抗議行動や集会は衰えを見せず続いており、運動は着実に定着しつつある。

 より多くの被害者を原告団に結集し、各地に裁判支援組織をつくり、法廷外でも原発事故に怒り心を痛める多くの人が参加できる柔軟な運動を展開すること、運動全体の糾合が重要だろう。


書評 重要でユニークな問題提起 坂本修『アベノ改憲の真実―平和と人権、暮らしを襲う濁流』

東京支部  松 井 繁 明

 坂本修団員が本書を出版しました(本の泉社刊、八〇〇円+税)。わずか一〇〇ページ強のブックレットですが、中味は濃く、重要でユニークな問題提起がされています。

 第一に、憲法改悪勢力のねらいは何か、の解明です。

 改憲勢力の戦略・戦術もそれぞれの状況に応じて変化し(参院選後のそれについての本書の解明は必読)、明文改憲、解釈改憲、立法改憲とその手法も多彩です。それにもかかわらず改憲勢力のねらいは、この国を「(1)恒久平和主義の国から『戦争をする国』、(2)人間らしく働き生きることが憲法で保障されている国から『弱肉強食の国』、(3)基本的人権が保障された国から『自由と人権のない強権支配の国』」にすることがくりかえし強調され、確認され、本書のいわば通底音となっています。

 これによって読者は、改憲を阻止するたたかいの意義とたいせつさを、理念や思想だけではなく、生活の経験や実感からも捉えることができるのです。私もふくめて弁護士は、とかく理念や条文からの説明に陥りがちですが、本書の姿勢に学ばされます。

 第二に、近代憲法における立憲主義について、ことのほか詳細な解明をしています。

 「国家は国民の自由と人権を侵害してはならない(が)、つねに誤りを侵す危険を持っている」ので「国家の手を縛っておく必要がある」。これが近代憲法の立憲主義である。青井美保教授のつぎの記述が引用されている。「立憲主義とは要するに〈自由を守るための知恵〉です。憲法や立憲主義が目的なのではない。自由や人権が保障されることが、憲法や立憲主義の目的なのだ」。これは納得できる議論です。

 立憲主義について「王様の手を縛る」という表現がひろがっています。比喩的な表現としての判りやすさがあるのでしょう。しかし、民主的原理による正統性が認められない「王(女王)の手を縛る」のとは異なり、それなりに民主的に選出された大統領、首相、議員らの手を国民がなぜ「縛ら」なければならないのか―ここに近代憲法の立憲主義がもつ矛盾も苦悩も解決もこめられています。「王(女王)の手を縛る」という表現では、あまりにも単純すぎて、近代憲法が必然的にもつ構造の深さや矛盾、解決への道筋がまったく見過ごされてしまうのではないでしょうか。

 本書の解明は、直接には言及していないものの、「王様の手を縛る」という表現にたいするひそかな批判的意見の表明とみるのは、深読みにすぎるでしょうか。いずれにしても、これは、自由法曹団のなかでも議論する必要のあるテーマだと私は思います。

 第三に、だれでもが訊きたいこと、この改憲阻止闘争でわれわれは勝てるのだろうか、です。

 まず、改憲勢力が国民との間に深い矛盾をつくり出していることが指摘されます。「『改憲草案』のあまりのひどさは、いまや、改憲策動の弱点となり始めている」のです。しかし「リアルにみれば、私たちの陣立て、私たちの力はまだ足りない」のが現状です。―どうしたらよいのでしょうか。

 いま、憲法を知らない人、関心のない人に向けて、紙芝居や居室でのおしゃべり会など、多彩な方法による学習・宣伝活動がひろがっています。かつてない実践で、高く評価すべきものです。しかし客観的にみて現在の改憲阻止運動の弱点は、民主勢力、とくに労働者、労働組合のなかでの拡がりが不足していることではないでしょうか。

 本書は限られたなかでかなりの紙数を割いて、勤労の権利と労働条件法定主義をさだめる憲法二七条は「改憲草案」でも変更がないのに、労働者の権利が立法改憲によって侵害されている実態を明らかにしています。これとのたたかいを「憲法改悪の取り組みと結んで、労働組合と、労働者が、憲法闘争の主人公となって前進するに違いないと、大きな期待をしているのです」と表明しているのは、その意味で重要な指摘だと思います。

 過去の悪法阻止闘争の経験からも、労働組合を中心とする民主勢力のたたかいが高揚するにつれて、いわば滲み出し効果によって、一般市民のなかにもたたかいがひろがることが確認されています。

 さいごに、「あなたに長い手紙を書くような気持ちで、私は、小著の筆をとりました」から始まり「憲法の生きる日本をめざしてともに進む者の一人として、可能な勝利を現実のものとするために、できることをできる限りやりつくす思いを述べて筆をおくことにします」で結ばれる本書には、坂本さんの熱い想いと、全国大小の学習会を駈けめぐってきた経験がこめられていて、深く感動します。

 ぜひ、ご購読をお願いします。


みややっこのネタ帳(番外編・アベノミクス批判)

東京支部  飯 田 美 弥 子

大家:おや、一八(いっぱち)、お前さんの方から訪ねてくるなんて珍しいね。何かあったのかい?

一八:いえね、今度、給料が上がるんで、狭くて汚いこの長屋から引っ越そうかと思いまして。

大家:狭くて汚いは余計だよ。しかし、給料が上がるってのはめでたいね。昇進でもしたのかい?

一八:そうじゃねえんだが、今後十年間で一人当たりの所得が百五十万円上がるっていう話だから…。

大家:え?誰がそんなことを言ったって?

一八:内閣総理大臣様でさ。

大家:安倍さんのことかい?そりゃお前さん、誤解だ。

一八:またまた、人の幸せを妬むたぁ、大家さんも案外了見が狭いねえ。

大家:何を言っているんだよ。安倍さんは、お前さんの所得を百五十万円増やすたあ、一言も言ってないんだよ。え。よくお聞き。安倍さんが、言っているのは、国民総所得を一人当たり百五十万円増やすってことさ。

一八:それは、あっしの給料が増えるってことじゃねえんですかい?

大家:(ため息)まあ、安倍さんが紛らわしい言い方をするから、お前さんが誤解するのも無理はないがな。国民総所得ってのは、国民総生産に、日本企業が海外でジャブジャブもうけた利益を足したものなのさ。それを人口で割った数字が、今より百五十万円上昇するようにするって、言っているわけだ。

一八:…ってことは、どういうことなんで?

大家:企業のもうけを今より大きくするってことだよ。

一八:そのもうけは、どこに行くんです?

大家:そんなことは安倍さんの知ったことじゃない。それぞれの企業の良心に任せてるってことだろうさ。

一八:だって、自民党の議員て言ったら…

大家:そうさあ。栄えあるブラック企業大賞を受賞したあの方なんかだよ。そもそも良心があるかどうかが怪しいな。

一八:てことは、つまり…

大家:お前さんの給料は上がらないってことさ!
    狭くて汚い長屋を出て行くか!どうだ!

一八:このまま置いてください、大家さん。この通り、謝ります。勘弁して。
    いやはや、危なく、ホームレスか脱法ハウス住まいになるところだったぜ。安倍の野郎、紛らわしい言い回ししやがって。許せねえ。絶対、企業からもうけを吐き出させてやる。
    大家さん、企業から、もうけを吐き出させるにはどうしたらいいんでしょう?

大家:お、急にしおらしくなったな。それならまず、青年ユニオンに入ることさ!吉良よし子さんって、別嬪議員も支援してるぞ!

一八:え、美人?わかりやしたあ〜っ!行くぞ、待ってろ、よしこちゃん!

大家:って、ああ、行っちまいやがった。おーい、給料が上がったら、溜まっている家賃を払えよ〜っ。


柴田睦夫さんを偲んで

千葉支部  焉@橋   勲

 柴田睦夫団員(六期)は、去る四月二六日亡くなりました。

 享年八四歳でした。ご葬儀は、先生のご遺志により家族葬でとり行われました。そして、去る九月二三日、日本共産党千葉県委員会が中心の実行委員会により、「しのぶ会」が行われました。

 私は、ご葬儀と「しのぶ会」で、不肖の弟子としてお別れの言葉をささげる機会を得ました。それを思い出しながら、少し遅くなりましたが、ご報告したいと思います。

柴田さんの歩み

 私は、「しのぶ会」でのお別れの言葉で、団員としての柴田さんのことを次のようにのべました。

 「私が柴田さんから学んだことは限りなく多い。そのなかで大切なひとつが、『人生、自由法曹団の道を貫く』ということでありました。

 柴田さんがはじめて取り組んだ事件。それはあの松川事件でした。弁護士登録を終え、東京合同法律事務所に入所するとすぐに、松川事件弁護団に参加されました。

 松川裁判は、その前年一九五三年一二月、仙台高裁で死刑四名、無期懲役二名、無罪三名その他有期懲役という不当判決がなされ、即刻上告、最高裁でのたたかいがはじまっていました。

 柴田さんは、いきなりあの『太田自白』の太田被告の主任弁護人に選任され、以来、全員無罪判決の確定まで、弁護活動に心血を注ぐことになったのでした。

 先生は、若い頃の私に、よくその頃のことを語ってくれましたね。上告趣意書を完成させるための、静岡県伊東で行われた二〇日間という長期の弁護団合宿での数々のエピソード。同期の松本善明さんが同じ部屋だったこと。弁護団全員の汗と涙の一万五〇〇〇ページにおよぶ上告趣意書が完成した時の喜びなどなど。

 そして、歴史に残る大衆的裁判闘争の結果として、全員無罪の輝かしい金字塔を築くことができたのでした。

 柴田さんはのちに、次のように語っています。『私には松川事件弁護団の一人であった事が、私の一生を貫いています』

 松川裁判闘争から生まれた大衆的裁判闘争の理論と運動は、今でも自由法曹団の伝統として脈々として流れています。

 柴田さんは、松川事件の上告趣意書提出の翌年一九五六年、請われて千葉市に法律事務所を設けました。

 房総の地にはじめて自由法曹団の旗がひるがえったのでした。

 千葉県内の働く者の人権闘争、農・漁民のたたかいなどなど自由法曹団員として関わりながら、松川弁護団の活動も最後まで続けられたのです。

 松川裁判の経験を生かした弁護活動のなかで、刑事事件で一〇件をこえる無罪判決をかちとったのも柴田さんでした。

 こうした弁護士としての多くの実績、そして柴田さんの誠実な人柄が、一九七二年一二月の千葉県初の日本共産党代議士誕生につながったのだと思います」

 こうして政治家の道に踏み出された柴田さんは、日本共産党衆議院議員を一九九〇年まで五期つとめられました。

 「しのぶ会」であらためて紹介された童話作家斉藤隆介さんが、かつて「人間柴田」を「含羞の巨人」と語った次の言葉が参加者の胸を打ちました。

 “柴田さんの演説を聞いていると、時にもどかしいことがある。そこで手を振り上げて絶叫したら、などと思ったりする。しかし、柴田さんは直立して、手を前に組んで、うすく頬を紅潮させて淡々としゃべり続ける。そういうとき私はいつも思う。「これでいいのだ」「いや、これがいいのだ」この誠実さ、このはにかみ、それが大げさな身振りよりも真実を人に伝える、人を打ってくる”

私と柴田さん

 私は、家族葬でのお別れのなかで、次のようにのべました。

 「私はいま、『人との出会いが人生を変える』ということをしみじみとかみしめています。私にとって、柴田先生との出会いがそうでした。

 私が一九期司法修習生として、千葉に赴任し、弁護修習をはじめた時、指導担当が柴田先生でしたね。

 私のその時の驚きと喜びを忘れることができません。柴田先生は、あの松川事件の太田被告の主任弁護人だったからです。

 松川事件の裁判での弁護人の活躍と奮闘は、山形で高校時代を過ごしていた私にとって、驚きでした。弁護士を志したのも、松川事件の弁護団にあこがれたからだったのです。

 司法修習も一年を過ぎ、そろそろ、どこで弁護士をやるか考えはじめた頃、柴田先生は、「どうだ、一緒に千葉で弁護士をやらないか」と声をかけてくださいました。うれしい一言でありました。

 私の人生の方向が決まった瞬間でありました。こうして私は翌年の一九六七年四月、柴田睦夫法律事務所で弁護士のスタートを切ることが出来たのでした。

 修習の終わりが近づいた頃、私は、先生ご夫妻に私たちの仲人までお引き受けいただきました。

 結婚式の仲人のごあいさつの中で、先生は「これから築く家庭は、社会に開かれたものにしてほしい」と述べられました。このことを私は決して忘れません。

 今、先生とお別れするにあたり、先生と出会うことが出来たことは、私にとって公私ともに本当に幸せだったとあらためて感謝の言葉を捧げたいと思います」

 そして、私は「しのぶ会」でのお別れを次のように結びました。

 「私が弁護士として最初に取り組んだのは、成田空港の農民の土地を守るたたかいでありました。

 柴田さんと私は、あの頃よく、農家や団結小屋、成田の旅館などに泊まりこみました。

 そんな時、私は松川のたたかいや弁護士としての生き甲斐などをよく聞いたものでした。

 あれから四六年余が経ちました。

 この間、私たちが取り組んできた多くの裁判闘争。自由法曹団の先達がきずいた「大衆的裁判闘争」の作風を生かしきれているのか、この頃よく考えます。

 思えば、私は、いつも柴田さんの背中を追って歩んできたように思います。

 弁護士としての道はもとより、『含羞の巨人』と言われた人間柴田の背中はとても大きく、私には追いつけないものでありました。

 今私は切に思います。もっと話したかった。もっと学びたかった。

 柴田さん。先生が愛してやまなかった自由法曹団の旗は、自由と人権・平和と民主主義のためにたたかう多くの人々と力をあわせて、しっかりと守りぬいてまいります。

 とりわけ今日、日本国憲法がかつてない危機に直面しているとき、柴田さんはきっとこのことを心配し、私たちの取り組みを見つめておられると思うからです。

 柴田先生。長い間ありがとうございました。どうか安らかにおねむりください。さようなら」

 以上、団員の皆さまに謹んでご報告申し上げます。