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  (団長声明)
秘密保護法案強行採決に抗議し、たたかいのさらなる前進を
田井  勝 安倍政権の労働法制改悪に反対する全国会議を開催しました
高木 一昌 「したまち憲法の集い」大成功
柿沼 真利 政権与党の幹事長殿から「テロリスト」扱い(?)された私(笑・・・ごとではないか)
後藤 富士子 官僚裁判官に見る「イェルサレムのアイヒマン」
中島  晃 *岩手・安比高原総会特集*
古稀表彰と一泊旅行に参加して



(団長声明)

秘密保護法案強行採決に抗議し、たたかいのさらなる前進を

 一二月六日、政府・与党は、参議院で、特定秘密の保護に関する法律(秘密保護法)「修正案」の採決を強行した。国民の圧倒的多数が反対する日本国憲法を蹂躙する法案の採決が、かたちだけの審議により、送付からわずか九日で強行されたのである。
  全国二〇〇〇名の弁護士で構成する自由法曹団は、強行採決の暴挙を行った政府・与党に、満腔の憤りをもって抗議する。

一 生み出されようとしているもの

 秘密保護法では、
(1) 「行政機関の長」が、防衛、外交、スパイ、テロにかかわる広 範な情報を特定秘密に指定して、「なにが秘密か」も秘密にし、
(2) 特定秘密をメディアや市民、国会・裁判所などから秘匿する一 方で、取り扱う公務員・労働者や家族を「適性評価」による監視 と分断のもとにおき、
(3) 漏えいや「管理を害する方法での取得」、共謀・教唆・扇動を 重罰に処する。
 「長」の一存で指定や提供ができる秘密保護法は、一部の高級官僚による情報の独占と恣意的な操作に道を開く。その結果、報道の自由や知る権利、国会の審議権や裁判所の司法権すら排除された、「情報寡占体制」が生み出されることになる。
 国家安全保障会議(NSC)設置法と同時に生まれた秘密保護法は、次に予定されている「集団的自衛事態法案」や「国家安全保障基本法案」と結びついている。これらが完成するとき、この国は「集団的自衛権」を口実に「米国有事」に参戦する国に変容する。
 石破茂自民党幹事長の「デモはテロ」発言は、秘密保護法の反民主主義的な性格をはしなくもあらわにした。生み出される社会は、政府に反対する声が「テロ」として排斥され、公安警察と密告・監視が横行する社会に違いない。
 こんな国と体制・社会は断じて許されてはならず、「導火線」になる秘密保護法はただちに廃止されなければならない。

二 四〇日間のたたかい

 秘密保護法案が提出された一〇月二五日から四〇日余になる。
 この四〇日間、法案は各方面からの厳しい批判にさらされ続け、本質や問題点は徹底的に暴露された。自由法曹団もまた、法律家の立場から検討・解明を加え、意見書「徹底解明 秘密保護法案」(一一月五日付)、「秘密保護法/日本版NSC 山積する問題」(一一月一九日付)、「参議院での秘密保護法案廃案を求める」(一二月三日付)を発表した。批判的な検討に、いかばかりかは寄与できたと考えている。
 「なぜ必要」「なぜ急ぐ」「なにが指定できる」「どうチェックする」「どう管理する」「調査はどこまで広がる」「なにが処罰される」「国会はどうなる」「裁判はどうなる」「報道の自由はどうなる」・・これらの「問い」に、なにひとつまともな説明はなかった。
 答弁は迷走をかさね、迷走の末に「修正案」が生み出された。
(1) 指定の期間を六〇年に延長して、「永久秘密」まで認め、
(2) 権限と責任が明確でない内閣総理大臣の関与で、「秘密の闇」 をさらに深め、
(3) 解決すべきはずの課題を、附則によって先送りし、
(4) できの悪い法案を小手先でこねくりまわし、いっそう奇々怪々 なものにしたもので、およそ修正などと言えるものではない。
 「修正」秘密保護法は法の体裁をなさない「欠陥法」で、情報公開が趨勢になっている国際社会で認知され得るものではない。
 そこまで追い込んだもの、それは、澎湃として巻き起こり、日を追うごとに燃え広がった国民の声であった。本質と内容が明らかになるにつれて反対の声が拡大し、海外にまで広がった。秘密保護法反対のたたかいは、平和を守る運動、民主主義や人権を擁護する運動、情報公開の運動、原発やTPPに反対する運動などと、深く結びついた。
 自由法曹団は、多くの法案に反対する運動を経験してきたが、これほど圧倒的な広がりを示したたたかいにかかわったことは、多くはない。
 秘密保護法は強行された。だが、強行した政府・与党は包囲され、国民からも国際世論からも孤立している。

三 明日へ

 なにが隠されようとし、なにが排除されようとしているのか。
 政府・与党は、どんな国と社会をつくろうとしているのか。それが、私たちのくらしとどれだけ深くかかわっているか。
 たたかいのなかで学び取ったものは、きわめて大きい。そのたたかいを、さらに前進させなければならない。
 秘密保護法の発動を許さず廃止を要求し、報道の自由や知る権利を拡大し、自衛隊や警察などへの監視と批判を強めなければならない。
 民意とかけはなれた暴挙を行った政府・与党を許さず、国民の声が反映される議会と政治を実現しなければならない。
 「国家安全保障基本法案」などの解釈改憲の策動や「九条改憲」などの明文改憲の策動を阻止し、民主主義と人権を守るたたかいを強めなければならない。
 戦争の道を許さず、民主主義と人権を守る力は国民のなかにあることを、秘密保護法反対のたたかいは実証した。
 自由法曹団は、ともにたたかった諸団体・諸階層の皆さんに、さらなるたたかいを呼びかけるとともに、自由法曹団みずからも全力でたたかう決意を表明する。
   二〇一三年一二月六日

自 由 法 曹 団      
団 長  篠 原 義 仁


安倍政権の労働法制改悪に反対する全国会議を開催しました

事務局次長  田 井   勝

 二〇一三年一一月二二日(金)、自由法曹団本部では「安倍政権の労働法制改悪に反対する全国会議」を行い、政府内部で現在審議されている限定正社員問題、労働者派遣法の改悪、労働時間規制の改悪、国家戦略特区などの状況を検討し、問題点を討論しました。
 本会議は団員以外にも、全労連の井上事務局次長をはじめ、JMIU、東京地評などの労働組合の方々等々、各界から多くの方々に参加いただきました。小池晃参議院議員にもお越しいただき、共産党が提出しているブラック企業法案についても討議しました。
 また、裁判や各方面で闘っている方々にも参加していただき、各事例報告もしていただきました。首都圏非常勤講師組合の松村比奈子委員長からは、早稲田大学で非常勤講師が五年で雇い止めされている状況などが報告されました。また、JAL原告団の清田均さんと杉山陽子さんからは、JAL整理解雇の裁判に関する訴えもありました。
 安倍政権では現在、労働者の権利を制限しようとする法改悪の動きが加速しています。政府内部には、企業の役員等で構成された規制改革会議、産業競争力会議が設置されていますが、これらの会議内で労働問題の諸事項(限定正社員、派遣問題等々)に関する考えが取り纏められ、その上で、会議の構成員が、労政審や有識者懇談会の審理に参加して発言をすることで、改悪の動きを進めようとしております。また政府内部には、「いずれは労政審での審議すら行わせず、総理や閣議決定主導で諸問題の審理を進めよう」とする流れもあるとのことです。
 今回の全国会議では、小池議員や労働組合の方々から、「安倍政権の雇用改革はかつてない乱暴なやり方である。このような情勢に歯止めをかけるには、労働者側が一体となって改悪をストップさせなければならない」との発言がありました。また、鷲見団員等の各団員から、「組合や運動体が一体となってこの動きに歯止めをかけなければならない。労働者は従属的な立場に置かれている。にもかかわらず、政府や財界の主導により、労働者の立場が更に弱くなるような法改正は許されるものではない。労働者を保護するという、労働法の根本原則を見直す必要があるし、世論に訴える必要がある」との発言がありました。
 本年内には、労政審から派遣法の改正答申が出され、来年の通常国会では改正法案が提出される予定です。この改正法案では、派遣労働を恒常的な労働とするため、常用代替防止原則を完全撤廃することが予想されます。
 労働者の生活と権利を守るため、全国各地の団員がこの情勢に関する知識や問題点を共有し合い、改悪に歯止めをかけるよう闘っていければと思います。


「したまち憲法の集い」大成功

東京支部  高 木 一 昌

 二〇一三年一一月五日、ティアラこうとうにて、「したまち憲法の集い 〜平和のために、いのちのために、こどもたちのために 今考える憲法〜」を開催しました。講師として、福島原発訴訟原告団長の中島孝さん、法律資格受験指導校の伊藤塾塾長・弁護士の伊藤真さん、女優の渡辺えりさんをお招きしての講演会という形式をとりましたところ、当日は地域の方を中心に、約一二〇〇名もの皆様が集まり、最後まで熱心に講師の話に聞き入りました。第二次安倍内閣が憲法を蔑ろにする姿勢を見せるなか、手前味噌ではありますが、約七〇年前に東京大空襲の惨禍を経験した下町の地域において、地域の皆様とともにあらためて、憲法について、平和について、思慮を深めることができたことは本当にすばらしかったと思います。集会は大成功でした。憲法を守り抜くためのたたかいに日々、奮闘努力している団員の皆様に少しでも力を分けることができればと思い、ここに報告させて頂きます。
 集会では、まず、福島原発訴訟原告団長の中島孝さんから「原発事故・福島からの報告」をしていただきました。中島さんは、原発事故により憲法が保障する生存権が危機に晒されている状況を、当事者でなければ語ることのできない迫真の言葉で聴衆に語りかけてくれました。「津波が到達した海岸線から少し内陸の方に入ると、まるで、家の中から前掛けをしておばあさんがでてきそうな、或いは子ども達がボールを蹴りながら走り出してきそうな、暮らしの匂いがそのまま残った家並みがドコにも残っています。しかし、そこには人は住んでいないのです。誰も居ないのです。」という言葉が強く耳に残りました。
 次に講師の伊藤真さんから、「自民党改憲草案を斬る」のタイトルで憲法の神髄と改憲草案の危険性、今私たちがしなければならないことを熱く語っていただきました。伊藤さんは、全国各地で憲法の講演活動を行っているのでご存じの団員も多いと思いますが、本当にお話が上手で、憲法の話をとても分かりやすく、それでいて話の内容は非常にレベルの高いものを、丁寧に語ってくださいました。「民主主義がアクセルで立憲主義がブレーキ」、「多数決で何でもできるようになってしまうということは、ブレーキのない車に乗っているようなもの」という例えなどは、本当にうまいな、と思いました。ナチスの歴史まで遡って現行憲法の平和主義が目指す理念を説き起こしてくださり、非常に内容の濃い講演となりました。私は、伊藤さんの話を聞き終えて、心地よい知的興奮を得たのですが、同じように感じた聴衆の方も多かったと思います。
 最後に、渡辺えりさんからは、ご自身の体験も交えて反戦に対する強い思いのお話を笑いを交えながらしていただきました。ステージには椅子も用意していたのですが、渡辺さんは、ステージを動き回りながら聴衆に語りかけ、文字通り、一気に聴衆の心を掴んでしまいました。さすがプロの女優さんは違いますね。渡辺さんは戦争反対の為の講演活動にも継続的に取り組んでおられる方で、お父様の戦争体験なども交えながら、「戦争のもつ悲惨さ」、「平和の大切さ」について聴衆が具体的にイメージを持てるような話術で講演をしてくださいました。渡辺さんの講演時間は、本当にあっという間にすぎてしまい、渡辺さん自身も講演中「この話もしたいけど、時間がないから今度にするわ」と何度かおっしゃっておりました。「今度」がいつになるかは未定ですが、是非、また渡辺さんのお話を聞かせて頂きたいと思いました。
 集会に参加した皆様からは、「福島の現状が胸に突き刺さった」「感動をありがとうございました。」「改めて自分で出来る限り発信していきたいと思いました。」「平和憲法を守ることが、今を生きる私達の責任だということがよく分かりました。」「こういう集会をこれからも続けてほしい。」等々たくさんの力強い感想が寄せられました。
 今回の集会を通じて、多くの市民が、改憲への危機を感じ、平和憲法を守らなければいけないと強く思っていることを改めて実感し、これからも地域のみなさまと共に平和憲法を守り抜くたたかいを続けていこうと強く決意しました。


政権与党の幹事長殿から「テロリスト」扱い(?)された私(笑・・・ごとではないか)

東京支部  柿 沼 真 利

 皆さん、ご存じの通り、一一月二六日(火)、秘密保護法案が、衆議院にて与党及び一部野党などによって強行的に採決されてしまいました(その前日、福島県福島市で行われた、同法案の公聴会では、多くの反対意見が述べられたというのに・・・)。そして、同法案の審議は、参議院に移っています。
 そんな中、一一月二九日(金)のお昼には、秘密保護法案を廃案にさせようと、緊急の国会行動が行われ、参院議員会館前の歩道に三〇〇人を超える方々が参加し、「秘密保護法案、廃案!!」の声を挙げました。
 同行動では、田村智子参院議員が国会情勢を報告し、吉良よし子参院議員があいさつしました。その他、全労連、新日本婦人の会などの方々からもアピール・報告がありました。
 また、私も、自由法曹団所属の弁護士として、同法案の反憲法的・反人権的性格(行政権力に対し広範な情報につき秘密指定させる権限を与え、主権者である国民の代表機関=国会や、法の支配の下で行政権力の法的コントロールを行う司法権=裁判所のコントロールを及ぼせなくなる危険性、国民の情報へのアクセスを阻害し、情報取得の活動を萎縮させる危険性など)などについてお話しさせていただきました。
 特に、三・一一東京電力福島第一原発事故の際、政府が、放射性物質拡散に関する適切な情報を国民に与えなかったことによって、多くの避難者の方々が放射線に被曝をしてしまった可能性のあること、「原発情報がテロ関連情報に当たる」として、これに関する情報が「秘密」指定されてしまい、今後、政府などが行おうとしている再稼働後の安全性管理などについての情報も、国民の目から隠されてしまう危険があることなどもお話しさせていただきました。
 そんな中、こんな報道を目にしました。それは、政権与党の幹事長の立場にある、「あの方」が、一一月二九日付の自身のブログの中で、こんなことを述べた、というものです。
 「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いています。いかなる勢力なのか知る由もありませんが、左右どのような主張であっても、ただひたすら己の主張を絶叫し、多くの人々の静穏を妨げるような行為は決して世論の共感を呼ぶことはないでしょう。
 主義主張を実現したければ、民主主義に従って理解者を一人でも増やし、支持の輪を広げるべきなのであって、単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます。」
 ・・・「今も議員会館の外では『特定機密保護法絶対阻止!』を叫ぶ大音量が鳴り響いています。」、「絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらない」・・・だって。
 うわー、これって、私、政権与党の幹事長殿から、「『テロリスト』とその本質においてあまり変わらない人物」扱いされた、ってことでしょうか(笑、・・・否、「笑いごと」では済まないか?)。
 一応、その後の報道では、同幹事長殿、「テロ」云々の部分を撤回する意向を示しているようですが、ホント、同幹事長殿、ひいては、同法案の「本音」の部分を垣間見たようで・・・。

二〇一三・一二・〇一


官僚裁判官に見る「イェルサレムのアイヒマン」

東京支部  後 藤 富 士 子

■ウソみたいなホントの話

 関西の家裁支部の事件。実家に戻った妻が夫に対し、長男(五歳)の引渡しを求める本案審判と仮処分の申立てをした。長男は、母親から物を投げつけられたり、胸を足で踏みつけられたり、洗面器で顔面を殴られたりされたため、母親に引渡されることを拒んでいた。ところが、家裁調査官は、これらの虐待行為を認定したうえで、「体罰が不適切であることは明らかであるが、母親による監護によって長男の発育や母子の愛着関係に特段の支障を及ぼしているとの事実は認められない」「同居中は専業主婦であった妻が主たる養育者であり、監護の継続性が重要である」「別居後は会社員として就労している夫が両親と共に長男を大事に監護しているが、祖父母の監護は実家に暮らす妻の監護に優先させるべき特段の事情は認められない」として、引渡しを認容すべきとの意見を呈示した。家事審判は、「専門家」とされる調査官の報告書を「審判」に書き直すだけなので、長男を妻に「仮に引き渡せ」との仮処分および妻を監護者に指定したうえで引渡せとの本案審判がされた。
 仮処分に基づき、執行官の強制執行が行われた。執行官は、長男一人と相対して、「母親の下に行く意思があるか」を確認したところ、長男は拒否した。執行官は、長男と接しているから強制力を行使して執行することも可能であったが、そうすると長男に身体的ダメージを与えるおそれがあるので「執行不能」とした。
 すると、妻は、地裁支部に人身保護請求の申立てをした。つまり、夫は長男(六歳になっていた)を違法に拘束しているというのである。裁判所は、仮処分や本案審判を鵜呑みにして、トコロテン式に「人身保護命令」を発した。これは、夫(拘束者)が審問期日に長男(被拘束者)を連れてこなければ、連れてくるまで勾留するという命令である。長男が引渡しを拒んでいるのに、父親が裁判所に長男を差し出すことなどできるわけがない。そして、夫は、拘置所に勾留された。さすがに裁判所もいつまでも勾留しておくわけにはいかず、一〇日後、認容判決(長男を釈放し、請求者に引渡す)をして夫を釈放した。人身保護命令は空振りに終わった。父は強し。
 一方、引渡しの確定審判につき「引渡すまで一日三万円」の間接強制決定がされ、夫が勾留中に賃金に対し七三八万円(二四六日分)の強制執行(債権差押)がされた。一年分の金額は夫の年収の約二倍であり、「引渡すまで」であるから、日々三万円の支払義務が発生し続ける。
 なお、妻は最初に申立てた離婚調停を取下げており、人身保護請求事件において被拘束者国選代理人の調査でも、妻の離婚意思は確認できなかった。すなわち、離婚の法的手続も係属していないのに、父母間で子の身柄の移転を裁判所が命じているのである。しかも、許せないのは、調査官が、「当事者双方が、子にとって父母いずれもが大切な存在であることを十分に認識し、子のために父母としての新たな協力関係の構築に向けて努力すること、監護者が確定した段階においては、すみやかに非監護親との面会交流を実現することが、子の健全な情緒発達に寄与するものと考える」などと特記していること。その偽善・欺瞞には吐き気がする。長男の意思を尊重して、夫を監護者に指定し、妻との面会交流を実現する方が、自然で無理がない。わざわざ引渡させて、夫を非監護親にしたうえで協力関係の構築に努力せよ、とは「気は確かか?」と言いたくなる。

■裁判の「陳腐さ」

 裁判官は、「良心に従い独立して職権を行使し、憲法と法律のみに拘束される」と憲法七六条三項に定められているが、引渡しを命じた裁判官は、調査官のいいなりで、自分で判断していない。「婚姻中は父母の共同親権」とする民法八一八条三項はどこへ行ったのか? 仮処分執行が不能になると予想しなかったのは、子どもを独立の人格主体と認めないからである。そして、同じ裁判官が、「一日三万円」の間接強制命令を出したうえ、七三八万円の差押命令も出している。
 人身保護請求事件の裁判官らも、仮処分の執行において執行官は長男に意思能力があることを前提にして確認しているのに、「自己の境遇を認識し、かつ将来を予測して適切な判断をする能力」を「意思能力」とする昭和四六年の最高裁判決に従い、また、意思能力のない幼児を監護することは、当然幼児に対する身体の自由を制限する行為が伴うから、その監護方法の当、不当または愛情に基づくか否かにかかわらず、人身保護法にいう「拘束」に当るものと解すべきであるとする昭和四三年の最高裁判決に従うのである。
 一九六〇年、ナチス親衛隊で何百万のユダヤ人を強制収容所に移送した責任者アドルフ・アイヒマンが、逃亡先のアルゼンチンでイスラエルの諜報機関モサドに逮捕され、エルサレムに拉致された。その裁判を傍聴したハンナ・アーレントは、アイヒマンは「凶悪な怪物」ではなく、平凡な人間なのだと認識する。アイヒマンは、「自発的に行ったことは何もない。善悪を問わず、自分の意思は介在しない。命令に従っただけなのだ」と繰り返し主張した。ハンナによれば、「世界最大の悪は、平凡な人間が行う悪であり、そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのだ」とし、この現象を『悪の凡庸さ』と名付けた。また、裁判の中で明らかにされた、ユダヤ人指導者がアイヒマンの仕事に関与していたことにも触れ、「彼らは非力であったにしても、抵抗と協力の中間に位置する『何か』はあったはずで、別の振る舞いができた指導者もいたのではないか」と問い、「ユダヤ人指導者の役割から見えてくるのは、モラルの完全な崩壊であり、ナチスは、迫害者のモラルだけでなく、被迫害者のモラルも崩壊させた」と論じる。人間であることを拒否したアイヒマンは、「思考する能力」を放棄した結果、モラルまで判断不能となったのだ。そして、「思考」とは、自分自身との静かな対話であり、「考えることによって人間は強くなる。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に至らぬように」というのが、ハンナの結論になっている。
 平成二五年の裁判に、昭和四三年や昭和四六年の最高裁判例を持ち出すなど、現在そして未来に生きる親子には、信じられないことである。しかも、「勾留」だの「一日三万円」だの、その裁判をしている当の裁判官が異常と思わないのが恐ろしい。誤った裁判であっても、確定した以上どこまでも従わせようと暴走する。そこにあるのは「判例に従っただけだ」という『悪の陳腐さ』である。
 結局、憲法七六条三項が想定している裁判官は、「自分の主体性をかけて裁判する」という「思考する人間」でなければならず、官僚であることと両立しないのであろう。
【注記】
 ハンナ・アーレントは、ナチスの強制収容所から脱出し、一九四一年アメリカに亡命したドイツ系ユダヤ人の哲学者。一九五一年には、『全体主義の起源』を公刊し、アメリカ合衆国の国籍を取得(それまで一八年間無国籍)。
 一九六一年、アイヒマン裁判を傍聴するためイスラエルに渡航。一九六三年、裁判のレポートをザ・ニューヨーカー誌に連載し、全米で激しい論争を巻き起こす。同年『イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告』として単行本化。
 一九七五年一二月四日、ニューヨークで死去(享年六九歳)。

二〇一三年一二月四日


*岩手・安比高原総会特集*

古稀表彰と一泊旅行に参加して

京都支部  中 島   晃

 今年一〇月二〇日、岩手県安比高原で開かれた自由法曹団全国総会で、古稀団員として表彰をうけた。
 これまで、団の活動に特段の貢献をしてこなかったことからいうと、表彰をうけるのはどうかという思いもあったが、七〇歳になると団員は誰でも表彰をうける決まりになっているというので、有難く表彰をうけることにした。そのうえ、記念品まで贈ってもらって、本当に有り難いことだと感謝している。
 今年の総会で古稀の表彰をうける団員の数は四〇人近くにのぼり、そのうち同期(二一期)は七人であったが、総会に参加したのは三人で、当日夜の懇親会まで残ったのは私一人であった。当然参加すると思われた何人かの同期の団員の顔が見えなかったのは、少しばかり残念なことだった。
 七〇歳になったといっても自分ではまだまだ若いつもりでいるが、総会当日に配布された古稀団員の挨拶を読むと結構病気をしている人が多いのに驚いている。そうしたなかで、曲がりなりにも健康で七〇歳を迎えることができたのは有り難いことだと思っている。
 総会終了後は、団が企画した一泊旅行に参加した。宿泊したのは、釜石市の宝来舘で、女将さんから震災当日のビデオをもとに、津波が旅館の二階までおし寄せ、宿泊客や従業員を裏山に避難させるために誘導している最中に、女将さん自身が津波にのまれ、あわやというところで九死に一生を得たことや、津波で甚大な被害を受けた宝来舘の再建のために涙ぐましい努力をしてきたことなどを聞きながら、津波や震災に負けずに生き抜いてきた女将さんのパワーに大いに感動もし、勇気づけられる思いがした。
 翌日(一〇月二二日)は、岩手支部の佐々木団員の案内で大槌町に行き、ひょっこりひょうたん島のモデルになった大槌湾に浮かぶ蓬莱島(ほうらいしま)を見学した。大槌町は、井上ひさしの小説「吉里吉里人」(きりきりじん)の舞台となった吉里吉里村と同一の地名があることで知られている。この小説のことは、井上ひさしと仙台一高で同級生であった憲法学者の樋口陽一東大名誉教授が、その後移られた大学の退官記念講演の中で取り上げており、国家とは何かを考えるうえで、重要な素材を提供するものと評価している。
 私は翌日の仕事の関係で、二二日昼前には大槌町を離れて釜石に向かい、JRで釜石から新花巻まで出て、新幹線を乗りついで京都に帰ってきた。釜石からは各駅停車に乗って、二時間近くかけて遠野の里を通り抜けたが、あらためて、三陸海岸と関西とがいかに遠いかを実感させられた。
 ともあれ、かけ足ではあるが、あの大震災の被災地をまわるなかで、弁護士として震災復興のために何ができるのか、いろいろと考える機会をつくってもらえたことにも感謝しているところである。