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篠原 義仁
宮川 泰彦
自由法曹団 本部・東京支部の新事務所のお知らせ
枝川 充志 武器輸出三原則に思うこと
大久保 賢一 核兵器の使用は「個別的・集団的自衛権に基づく極限の状況に限定する」ことの含意
広田 次男 「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を読んで
杉本  朗 第二回原発と人権全国研究交流集会のお知らせ
郷路 征記 海川道郎君の早すぎる死を悼む



自由法曹団 本部・東京支部の新事務所のお知らせ

団     長  篠 原 義 仁
東京支部支部長  宮 川 泰 彦

 一二・六の秘密保護法の強行採決後、一二月一七日、安倍内閣は国家安全保障戦略を策定し、防衛計画の大綱、中期防衛力整備計画とともに閣議決定しました。従前の「専守防衛」の理念を捨てさって、「積極的平和主義」の名のもとに、武器輸出三原則の緩和、集団的自衛権の行使を解釈改憲で突破して、アメリカといっしょに「戦争する国」づくりに拍車をかけようとしています。
 この安倍内閣の策動を阻止し、その第一歩として秘密保護法を廃止する取り組みは喫緊の課題となっています。
 憲法と平和を守り、憲法秩序を発展させるため、ますます全国各地の団員の活躍が大切になっています。その本拠地である団の事務所(本部・東京支部)が、新しくなります。団に集う皆さんが気持ちよく利用でき、使いやすい事務所になるよう心がけました。各種対策本部や委員会等でどんどんご利用ください。
 新事務所の確保に際しては、全国の多くの団員から事務所建設募金を頂きましたことにあらためて御礼申し上げます。
 新事務所の住所、電話番号、FAX、交通案内などは次のとおりとなります。

新住所所在地
〒一一二ー〇〇一四 東京都文京区関口一ー八ー六メゾン文京関口II二〇二号
新電話番号  〇三ー五二二七ー八二五五
新FAX番号 〇三ー五二二七ー八二五七
交通アクセス 東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅徒歩約二分
東京メトロ東西線「神楽坂」駅徒歩一〇分
※電話番号・FAX番号も変更となりますのでご注意ください
※新事務所の開設は二〇一四年四月七日(月)からです

主要駅から新事務所へのアクセス
【東京駅から】

 経路(所要:電車22分+徒歩2分=24分 一回乗換 運賃片道290円)
東京駅→有楽町(一駅・JR山手線)(乗換)→ 江戸川橋(六駅・東京メトロ有楽町線)
・出口2番から約徒歩2分(有楽町線では進行方向前から三両目が便利)
【新宿駅から】
 (1)経路一(所要:電車18分+徒歩2分=20分 一回乗換 運賃片道260円)
新宿駅→市ヶ谷(三駅・都営新宿線)(乗換)→ 江戸川橋(二駅・東京メトロ有楽町線)
・出口2番から約徒歩2分(有楽町線では進行方向前から三両目が便利)
 (2)経路二(所要:電車18分+徒歩2分=20分 一回乗換 運賃片道310円)
新宿駅→池袋(一駅・JR湘南新宿ライン快速)(乗換)→ 江戸川橋(三駅・東京メトロ有楽町線)
・出口2番から約徒歩2分(有楽町線では進行方向後ろから三両目が便利)
 ※立川駅から(所要:電車53分+徒歩2分=55分 二回乗換 運賃片道700円)
立川駅→(1)中野(JR中央線中央特快)(乗換)→市ヶ谷(JR総武線)→ 江戸川橋(徒歩2分)
(2)中野(地下鉄東西線)(乗換)→ 飯田橋(乗換)      → 江戸川橋(有楽町線)
(3)新宿(JR埼京線)(乗換)→池袋(乗換)→江戸川橋(有楽町線)いずれも時間的には同じ程度
【羽田空港から】
 経路一(所要:電車48分+徒歩2分=50分 二回乗換 運賃片道760円)
羽田空港→(二駅・東京モノレール空港快速)(乗換)→ 浜松町(二駅・JR山手線内回り)(乗換)→有楽町(六駅・東京メトロ有楽町線)→江戸川橋・出口2番から約徒歩2分(有楽町線では進行方向前から三両目が便利)


武器輸出三原則に思うこと

東京支部  枝 川 充 志

 国家レベルの戦争を含め、さまざまな紛争において武器のもつ役割は欠かせない。しかもいまや無人機の時代である。しかしその意味を考えるとつくづく武器がなければと思う。
 アフリカの貧しいといわれる国、たとえば世銀やIMF、ドナーからの援助予算が国家予算の半分を占めるような国でも国防軍を保有し兵士は武器をもつ。兵士は給料の遅配が起きると、腹が減っては戦はできぬとばかりに時の政権を腐敗政権とみなし、武器を使い軍事クーデターを起こす。
 欧米諸国は民主主義に逆行する行為として制裁を加え援助を停止する。この結果、それまでの援助はすべて無になる。憂き目を被るのは人々である。たとえばルワンダ内戦が起こった時も援助によって供与された物資やインフラが破壊された。内戦後、国家再建・平和構築と称して再び援助合戦≠ェ始まる。マッチポンプである。
 軍は人々を守っているのか、破壊し貶める存在なのか―――。理想は、はじめから武器・兵器をなくす方向に向かうことではないか。
 国情は違うものの、事はそうでない方向に向かいつつある。武器輸出の解禁という問題である。この動きは民主党政権時もそうだったように常在しているが、いまや加速している。自民党の「新『防衛計画の大綱』策定に係る提言」や「国家安全基本法」案、さらには「国家安全保障戦略」においても武器輸出の解禁が掲げられている。いわば既定路線である。
 もともと日本における武器輸出のあり方は、外国為替及び外国貿易法(外為法)とこれに基づく政令によって規律されてきた。これを佐藤首相が一九六七年、(1)共産圏、(2)国連決議により武器輸出が禁止されている国、(3)国際紛争中の当事国またはその恐れのある国向けへの武器輸出を認めないと表明し、これが三原則と言われるようになった。
 その後、一九七六年に三木首相が、①三原則対象地域について武器輸出を認めず、②三原則対象地域以外の地域については武器の輸出を慎むものと表明し、武器輸出規制への厳しい姿勢が示されてきた。
 しかし三原則は政令運用上の指針に留まっている。そのためもろい。結果、原則に対する例外の拡大、米国への武器技術の供与や共同開発、さらにはF35部品の輸出など、原則と例外が逆転しつつあった。
 このような中、報道(二〇一四年二月二三日朝日新聞朝刊)によれば、閣議決定により武器輸出三原則が転換されあらたな武器輸出管理原則が策定されるという。なかでも集団的自衛権行使を下支えするかのように、前記(3)は削除される方向だという(その後、復活するとの報道もある。)。積極的平和主義≠フ名の下、積極的に平和を破壊する準備が着々と進められているのである。
 平成二五年五月二日付朝日新聞の世論調査によれば、「日本は武器の輸出を原則として禁止してきましたが、最近は認めるケースが増えています。武器輸出の拡大に賛成ですか、反対ですか。」との問に対し「賛成 一四% 反対 七一%」との回答がなされた。
 さらに「憲法第九条があったから非核三原則や武器輸出の原則禁止の政策がつくられ、戦後の日本で軍事分野が強くなることへの歯止めになった、という意見があります。その通りだと思いますか。」との問には「そのとおりだ 六九% そうは思わない 二五%」との回答がなされた。
 武器輸出三原則は、九条をもつ国の人々の意識の中でいまや規範的な役割を担っている。目指すべきは同原則の規範化であろう。にもかかわらず、武器輸出解禁なのである。
 「軍隊のロボット化、戦争遂行のIT化」の中、軍事関連産業に限らず、IT産業やハイテク等の分野をふくめたサイバー軍産複合体の生成が現実性を増しているとされる(谷口長世「サイバー時代の戦争」(岩波新書)一七九頁)。この動きに追いつき新たな商機を逃すまいとの思惑、これが積極的平和主義≠ニいう名の国策と連動する。武器輸出解禁はその一旦である。
 「国防軍」ができたら・・、「集団的自衛権行使」が容認されたら・・、国民から召し上げた税金は武器に流れることになるのだろう。「コンクリートから人へ」ならぬ「人から武器へ」政策。国の借金が一〇〇〇兆円を超える中、「国防費」をこれ以上どうやって増やすのか。
 すでに高齢者に対する姥捨政策や困窮者に対する切捨政策が断行されている。二〇五〇年までに人口が一億人を切り、六五歳以上の高齢者が約四割を占めるといわれる中(平成二四年高齢社会白書)、誰が社会保障費をまかなうのか。いったい誰のための安全保障≠ネのか。
 武器が他国で火を噴く前に、自国民が圧殺されることがないよう、武器輸出という問題にも目を向けなければならないと思う。


核兵器の使用は「個別的・集団的自衛権に基づく極限の状況に限定する」ことの含意

埼玉支部  大 久 保 賢 一

問題の所在
 一月二〇日、岸田文雄外務大臣は、長崎大学で「…核兵器は将来二度と使用されるようなことがあってはならないと考えますが、核兵器を保有する国は、個別的・集団的自衛権に基づく極限状況下に限定する、と宣言することにより核兵器の役割を低減することから始め、最終的には『核兵器のない世界』につなげていくべきと考えます。」と講演した。
 核兵器使用を極限状況下に限定することは、核兵器の役割を低減し、「核兵器のない世界」につながるという論理である。この論理で「核兵器のない世界」は近づくのだろうか。それが問題である。
岸田講演の特徴
 岸田氏は、核兵器問題を考えるうえで二つの認識が必要だという。一つは、核兵器使用の非人道性についての認識であり、二つには、厳しい安全保障環境の中で、国民の生命財産を守るためにどうするべきかという冷静な認識である。
 核兵器使用は非人道的である。だから「核兵器は将来二度と使用されるようなことがあってはならない」とされている。他方で、国民の生命財産を守るためには、核兵器に依存することは排除していないのである。
 この二つの認識を前提として持ち出されたのが、核兵器使用は「極限状況下に限定しよう」、「核兵器の役割を低減しよう」という提案である。そうすることにより、一歩一歩「核兵器のない世界」に近づこうというのである。この提案は、核兵器の使用はフリーハンドであるとの主張と比べれば、核兵器使用の限定でありその役割の低減ということになる。岸田氏は、そのことの理解を求めたいのである。
岸田講演の矛盾
 岸田氏は、「将来二度と使用されるようなことがあってはならない」としながら、その使用を認めてしまうのである。これは矛盾である。二度と使用してならないというのであれば、「使用できない」とすることによって論理的整合性は確保できるし、人道性からの要請にも合致することになる。それをしない、あるいはできないのは核兵器の有用性を認めるからである。
 岸田氏は、「国家安全保障戦略」(二〇一三・一二・一七閣議決定)が、「世界で唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けて積極的に取り組む。」としていることに論及している。しかしながら、それは「日米同盟の下での拡大抑止への信頼性維持と整合性を取りつつ」との条件付きなのである。この「戦略」は「米国の核の傘」に依存し続けるという宣言なのである。
 そして、米国は「核兵器運用戦略」(二〇一三・六・一九公表)において、「米国は引き続き、米国あるいは同盟国への攻撃によって何かを得ようとしても、それをはるかに上回る逆の結果になるということを、全ての勢力に対して認識させるような信頼性のある核抑止力の維持」を確認している。核兵器に平和と秩序の保全を委ねているのである。
岸田大臣は何か新しいことを言ったのか
 岸田氏は、個別的・集団的自衛権の極限状況下での核兵器使用を容認している。これまで、政府は集団的自衛権の行使は憲法上認められないとしてきたので、集団的自衛権絡みで核兵器使用が語られることはなかった。ここに着目すれば、岸田講演は突出した物言いとなっている。
 けれども、この発言は、特段新しいことを言っているわけではない。元々、外務省は核兵器の使用が国際法違反とはしていないし、核兵器は核攻撃への反撃のみに使用されるべきだとの姿勢を取っているものでもない。非核兵器による攻撃であっても核兵器の使用が許されないわけではないという立場である。核兵器使用の非人道性よりも核兵器の抑止力を優先しているのである。
米国の核戦略
 ところで、米国の核戦略を指導する原則は、(1)核兵器の役割は、米国や同盟国への核攻撃の阻止。(2)米国と同盟国の死活的利益を防衛するという非常事態においてのみ核兵器の使用を検討する。(3)信頼性のある核抑止力を維持する。(4)可能な最小限の核兵器によって、米国と同盟国の現在および将来の安全保障に資する抑止を達成すること、などとされている(「核運用戦略」に関する国防総省報告・二〇一三・六・一九)。このように、米国は、核兵器の使用は「死活的利益の防衛という非常事態」に検討するとか、「可能な最小限の核兵器」で抑止するなどとしているのである。また、核不拡散条約(NPT)に加盟し、不拡散義務を順守している国に対しての核使用はしないという態度表明もしているところである。
岸田講演は何も新しいことはいっていない
 このような米国の核戦略と対比して、岸田氏は何か新しいことを付加しているだろうか。米国は、核兵器の使用を「死活的利益の防衛という非常事態において検討する」としている。岸田氏は、核兵器の使用を「個別的・集団的自衛権に基づく極限状況下に限定する」というのである。私には、ここに違いを見出すことはできない。岸田氏は、核兵器の役割を減少させる努力しているかのように振る舞っているが、既に、米国はその程度のことは政策としているのである。もちろん、米国が現実に核兵器の役割を限定するかどうかは、疑問の余地はある。けれども、公式の見解はこのようなことになっているのである。結局、岸田氏は何も新しい提案をしているわけではないのである。その無意味な提案が「核兵器のない世界」の実現に何らかの貢献をするということはあり得ないであろう。
今、求められていること
 二月一三日・一四日、メキシコのナヤリットで、第二回「核兵器の人道上の影響に関する国際会議」が開催され、一四六か国の政府代表、国際連合、赤十字・新月社、NGOが参加した。この会議の議長総括は次のように言う。
・核兵器の存在そのものが不条理であり、究極的には人間の尊厳に反する。
・過去において、様々な兵器が法的に禁止されたのちに廃絶されたことを考慮に入れなければならない。
・核兵器の人道上の影響に関する包括的な討論は、法的拘束力のある文書によって新しい国際的な基準と規範を創りだす。
・核兵器の人道上の影響は核軍備撤廃努力の中心的な要素となる。
・今こそ行動すべき時である。もはや引き返すことのできない到達点である。
 国際社会において、核兵器を違法化し、その廃絶に向けた法的枠組みを創りだそうとする潮流は、ますます大きくなっている。これに抵抗しているのが米国などの核兵器国である。
 日本政府は、核兵器国がその気にならなければ核兵器の廃絶は無理である、核兵器国をその気にさせなければならない、そのための努力こそが求められている、一歩一歩の前進こそが現実的なのだ、としている。
 そして、核兵器使用の非人道性を強調して核兵器廃絶を求める潮流の先頭に立つ意思は持ち合わせていない。結局は、米国の枠の中なのである。
 唯一の核兵器被害国の政府の取るべき態度としてそれでいいのだろうか。私には、どうしても、そうは思えないのである。

(二〇一四・二・二八記)


「絶望の裁判所」(講談社現代新書)を読んで

福島支部  広 田 次 男

〈帯紙〉
 三三年間、裁判官を務めた瀬木比呂志氏(以下「S氏」と表記する)の著書である。
 帯紙の表側には、「最高裁中枢の暗部を知る元エリート裁判官の衝撃の告発」、「裁判所の門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」「司法制度の改革謀略に法曹界騒然」とある。
 帯紙の裏側には「最高裁判事と調査官の合同昼食の席上、ある最高裁判事が、突然大声を上げた『実は、俺の家の押し入れにはブルーパージ(大規模な左派裁判官排除、思想統制工作。最高裁の歴史における恥部の一つ)関係の資料が山とあるんだ。一つの押入いっぱいさ。どうやって処分しようかなあ?』すると『俺も』『俺もだ』と外の二人の最高裁判事からも声が上がり、昼食会の会場は静まりかえった。こうした半ば公の席上で、六人の裁判官出身判事のうち三人もが、恥ずかしげもなく、むしろ自慢気に前記のような発言を行ったことに、他のメンバーはショックを受けていた。」とある。
 S氏と同じ時代を過してきた弁護士としては、衝撃的な内容の帯紙である。
〈S氏〉
 私とS氏は、三一期水戸修習である。
 当時の水戸修習生は八人で、全員独身男性であり、最年長者から最若年のS氏まで九才の年齢差であった。
 八人のうち四人までが青法協会員であり、残る四人も反青法協ではなく、一言で言えば、全員が「気の合う仲間達」であった。
 現在行われている七月集会に相当する全国集会には、八人中六人が参加した。様々な事を一緒に沢山やった。
ダンプ労働者がストライキに入り、会社前にテントを張って泊り込みを始めた日に、S氏も含むほぼ全員でテントを訪れ労働者と交歓した事なども憶えている。私の人生のなかでも、最も楽しい思い出に満ちた時期である。
 実務修習が終り水戸を去る際に、S氏は私に対して「東京に行ったら失礼する」という趣旨の事を言い、水戸で着用していたコートを私にくれた。ベージュ色の格子柄で、大変に格好良いコートであった。
 当時の私はそこそこの活動家であったし、S氏は当然に裁判官志望であった。研修所が、青法協を快く思っていない事は、全修習生共通の認識であった。
 東京の後期修習で「私と親しげに振舞う事は、任官のためには不利になる。従って素っ気なく振舞うが不悪ず」という趣旨に私は解釈して、戴いたコートを大事に扱った。
 修習終了時に水戸の八人は「八光会」と称して、数年に一度は酒を酌み交わす事を約束して、各々、実務の世界に出発した。
 弁護士になって、一〇年もするとS氏の悪評が耳に入ってきた。「反動裁判官」「東京地裁を悪くしているのはS氏だ」等々。
 その頃、S氏は関根牧彦なる筆名で「内的転向論」等の評論書を出版しており、私はできるだけ同氏の著作は読んでいたので「そんな事はないだろう」と反論する事もあった。
 しかし、「S氏反動」の意見を持つ人が私の周囲には圧倒的であり、時には事件の概要を話し、そのなかでのS氏の「反動振り」を詳しく説明する人物も居た。
 何回目かの八光会の集りで、相当に飲酒した私はS氏に向って伝聞した「反動振り」を話題にした。私は、現在でも飲酒した上での言動には、ほぼ責任が取れないという悪癖がある。当時は大量の酒が飲めたし「話し振り」も相当に乱暴なものであったに相違ないし、S氏は下戸だから素面で私の話を聞いた事になる。
 以後、S氏は八光会には出て来なくなってしまった。
〈印象〉
 本稿の目的はできるだけ多くの団員に、この本を読んで貰いたいという事にあり、私の本書を読んだ印象を語っているのみであるから、本書の内容を正確に伝えているものではない事をお断りしておく。
 以下に私の印象を羅列する。
 第一の印象はS氏の本意では無いと思うが、強烈な暴露性である。
 冒頭に紹介した帯紙の「ブルーパージ」とは「レッドパージ」になぞらえた、青法協狩りの「青」をとった言葉である。修習時代にほんの少々のブルーパージは体験しているから、ある程度の推測はできるが、衝撃的なのは「半ば公の席で自慢気に」「押入いっぱい」の資料を話す、最高裁判事の品性と人格である。
 S氏は更に「その行為(ブルーパージ)が彼らが最高裁判事に取り立てられた重要な実績であったに違いない」と指摘する。ブルーパージの手柄話が自慢気に語られる最高裁の雰囲気が窮える。
 刑事系裁判官と民事系裁判官の間に根深い対立があり、刑事系裁判官の巻き返しの策動が裁判員裁判の導入であったとS氏は指摘する。
 S氏が二〇一三年六月に上梓した「民事訴訟の本質と諸相」(本書より、専門性の高い本ではあるが、内容はより稠密であり、論理もより堅牢である)にも同様な紹介がなされていた。
 従って、同書を読んでいた私は驚きはしなかったが、外部からは「一枚岩」としか見えない裁判所内の深刻な対立の存在と、その存在理由が余りにもバカバカしい事に改めて愕然とした。
 その他、裁判所内の情実人事、裁判内容への干渉、裁判官の非行など、いわば世間の耳目を集める事柄だけではなく裁判官の思考態様などが語られており興趣に尽きない。
 第二の印象はS氏の洞察力と分析の鋭さである。
 S氏は、現在の裁判所体制の病理を様々に紹介し解析した後に、その大きな原因がキャリアシステムおよび最高裁事務総局の支配体制にあるとしている。「小さな、根拠の分からない差を細く付けながら構成員を相互に競わせるラットレースの魔力に対抗できるタイプの人間は、残念ながら日本型キャリアシステムの構成員にはまれなのである」としたうえで、「日本の裁判所は精神的被拘束者、制度の奴隷、囚人たちを収容する日本列島に点々と散らばったソフトな収容所群島にすぎないのではないだろうか?その構成員が精神的奴隷に近い境遇にありながら、どうして、人々の権利や自由を守ることができようか?自らの基本的人権をほとんど剥奪されている者が、どうして国民、市民の基本的人権を守ることができようか」と問題提起する。
 第三の印象は、力強い展開力である。
 前記のような問題提起を踏まえたうえで、「本書は、ある意味で、司法という狭い世界を超えた日本社会全体の問題の批判的分析をも意図した書物」としたうえで、日本の裁判官組織は専門家エリートの閉ざされた官僚集団であるために、そのような問題が集約、凝縮されて現われているにすぎない。その意味で本書の提起した問題には一定の普遍性があるとして、日本社会全体が抱える問題の指摘にもなっていると展開する。
〈むすび〉
 本書は単なる裁判所の内幕の暴露本の類では決してなく、裁判官体制の病理を解析したうえで、裁判所の最も身近に存在する民間人である弁護士に対する鋭い問題提起になっている。
 特に、S氏に対して「反動」との言葉を最も数多く投げつけてきたであろう、私を含む団の弁護士としては、自分の問題として我が身に引きつけて考える問題であろう。
 一読をお勧めする。


第二回原発と人権全国研究交流集会のお知らせ

神奈川支部  杉 本   朗

 二〇一四年四月五日(土)・六日(日)、福島大学において、「第二回『原発と人権』全国研究・交流集会in福島」が開かれます。
 第一回の全国研究交流集会が、同じ福島大学で開催されたのは、二〇一二年四月でした。それからさらに二年近くが経ちました。各地での運動・訴訟は進展し、一定の蓄積が出来てまいりました。他方で、被害の回復、賠償は遅々として進まず、事故原因の究明も不十分なままに、東京電力も政府も責任逃れに終始しています。それどころか、安倍首相の「アンダー・コントロール」発言に見られるように、無責任に事態の矮小化を図る言説がはびこり、停止した原発の再稼働、原発建設の再開、原発輸出政策が積極的に推し進められています。また、残念なことですが、事故の風化が進もうとしており、避難者の帰還、被害者の賠償が様々な困難に直面しているのも事実です。こうした状況のもと、これまでの闘いの蓄積・到達点を確認・共有するとともに、現時点における状況の認識を共通のものとし、今後どの方向へ闘いを進めていくのかについて、意見交流、議論を行うことは意義深いものであると考え、私たちは第二回を行うこととしました。
 ぜひ団員のみなさんにも参加をお願いするとともに、カンパへのご協力をお願いいたします。自由法曹団にはすでに立ち上がり拠出金をいただいており、さらなる要請は申し訳ないのですが、集会の運営費がチケット売り上げとカンパによってまかなわれるため、あらためてお願いを申し上げる次第です。

【チケットをお求めになりたい方】
 チケット代は一〇〇〇円です(一日のみ参加、両日参加、どちらも)。
 チケットご希望の方は、実行委員会事務局にFAXで、希望枚数と送付先をお知らせ下さい。
  事務局FAX:〇三―五八一二―四六七九
あわせて郵便振替で、通信欄に「チケット希望 〇枚」と書いて、ご送金下さい。
  口座記号番号:〇〇一六〇―四―六一六八九五
  加入者名:「原発と人権」全国研究・交流集会実行委員会
 事務局からチケットを郵送させていただきます。
【カンパの方法】
 上の郵便振替口座に、通信欄に「カンパ」と書いて、ご送金下さい。
【宿泊希望の方】
 富士国際旅行社があっせんしております。別途宿泊申込書でお申し込み下さい。
【集会チラシ、宿泊申込書等】
 原発と人権ネットのホームページに掲載予定です。http://genpatsu-jinken.net/
 暫定的に、フェイスブックのページを開設し、そこからもチラシ、申込書がダウンロード出来るようになっています。https://www.facebook.com/npphr

【全体会】
二〇一四年四月五日一三時から一八時一〇分、福島大学L棟四号室
・基調講演 柳田邦男さん「終わらない原発事故 〜被害者の視点から〜」
・特別講演 ミシェル・プリウールさん(リモージュ大学名誉教授)「欧州から見た福島原発事故と人権」
・報告 真木實彦「福島県の県内全原子炉廃炉を求める運動」
・原発事故被害者、市民の訴え
・現地首長の訴え
・総括報告 丹波史紀
【分科会】
二〇一四年四月六日九時三〇分から一五時 福島大学M棟L棟各教室
・被害者訴訟原告団・みんなで交流〜私たちが求めるもの、私たちが目指すもの〜
 あれから三年。全国で五〇〇〇人以上の被害者が、一三か所の裁判所で、原状回復と完全賠償を求めて立ちあがっている。これまで、国や東電による線引き、滞在者と避難者の距離感もあり、被害者同士が連携を図ることは難しい状況にあった。しかし、国と東電の責任を認めさせ、被害者の要求や想いを実現させるためには、各地に避難した被害者と、地元に留まっている被害者、そして支援する人々とが団結していかなければならない。
 みんなで今後の取り組みについて交流する第一歩にしよう――それが、この分科会である。
・原発事故被害の賠償:損害と責任
 日本環境会議のもとに開催されている「福島原発事故賠償問題研究会」の中間報告を行う。午前は、損害論と責任論を横断する全体会を開催し、午後は、それぞれについて分散会を行なう。
報告予定者:下山憲治(名古屋大)、久保木亮介(生業弁護団)、米倉勉(浜通り弁護団)、吉村良一(立命館大)、除本理史(大阪市立大)ほか。
・脱原発を実現するために
 原発再稼働と新たな原発推進政策をめぐる情勢と脱原発の全国的な闘いの到達点と課題を明らかにする。
 第一部:ジャーナリストの斉藤貴男さんの基調講演「『三・一一フクシマ』の教訓と脱原発の現状と課題」(仮題)と、脱原発全国運動の最前線で闘う人々による闘いの現状を踏まえた脱原発の展望について討論。
 第二部:河合弘之弁護士が北海道から鹿児島までの脱原発裁判闘争の現状を俯瞰して到達点と課題そして勝利の展望について問題提起。あわせて全国各地で裁判を闘う原告・支援の方々が参加し、地元福島県下で廃炉を求める市民運動の方々と各地の活動の経験交流と討論を行う。
・原発事故報道三年、伝えたこと伝えられなかったこと
 原発事故以後、メディアが報道すべき課題は数多い。現地から全体像を見詰め続けている記者、現地との協力の中で、真実を追及し続ける記者、チェルノブイリ事故などの経験を基に、現場のルポを続けた テレビ記者の報告を中心に、三年間の報道と、これからの報道の課題を討論する。
 報告者:東京新聞編集委員・福島駐在、特別支局長 井上能行記者
       毎日新聞社会部(「福島県民健康調査」の報道)日野行介記者 
       前日本テレビ「ドキュメント一四」取材班 倉澤治雄記者
 コーディネーター:JCJ代表委員・元朝日新聞科学部長 柴田 鉄治
・人類は核と共存できない
   〜脱原発と核兵器廃絶・国際ネットワーク〜

 なぜ、フィリピンやドイツは、原発の稼働を阻止し、脱原発に舵を切ることができたのか。いまの日本は世界からどのように見え、世界はどのような状況なのか。原発と核兵器の国際的な法的枠組や、海外の経験・視点から、脱原発、核兵器廃絶の可能性を探る。
 午前・基調講演:山田寿則(国際法学者)スティーブン・リーパー(アメリカ・広島平和文化センター元理事長)
 午後・パネルディスカッショ:ルイシト・ブッチ・ポンゴス(フィリピン・アジア・太平洋移民ミッション日本代表)千葉恒久(弁護士・ドイツ研究)伊藤和子(弁護士・国際人権NGO ヒューマンライツ・ナウ事務局長)スティーブン・リーパー
 分科会終了後、一時間程度の予定で、まとめの全体会が行われる。

 ぜひ福島へみなさんの参加・協力をお願いします。
実行委員会連絡先
 一一〇―〇〇一五 東京都台東区東上野三―二八―四 上野スカイハイツ五〇四号 
               福島原発被害弁護団気付
               第二回「原発と人権」全国研究・交流集会
 電 話 〇三―三八三六―〇八四五
 FAX 〇三―五八一二―四六七一


海川道郎君の早すぎる死を悼む

北海道支部  郷 路 征 記

 二三期の中で一番若い海川道郎君が本年一月二九日未明亡くなった。本人の遺志で家族葬を執りおこなったとのこと、二月一二日に配送された奥様からのお手紙で、初めて知った。
 去年一二月一二日、団北海道支部長らと闘病見舞いの趣旨で会った時、「夏には尾瀬まで車で行ってきた」等、とても元気な様子だったので、急な知らせに本当に驚いた。二月二一日午後、団北海道支部長らと海川宅を弔問してきたので、それらの様子も報告しつつ、彼のことを偲びたいと思う。
 病歴は、一〇年前に膀胱がんを発症した。膀胱を摘出したが、残念ながら、がんはそこにとどまっていなかった。抗ガン剤治療を受けたところ、彼の場合には著効を顕し、医師から「全治」の可能性を示唆されるほどであった。
 しかし、がんとは、本当に強靱なもので、数年後に再発、それも押さえ込むことに成功してきたが、最近では肝臓と肺への転移があった。増大する肝臓の転移には肝動注化学療法で対応、肺の転移は、免疫療法のせいか、静かにしているというのが去年一二月一二日の説明だった。
 一月になってからも、二回は、乗馬に出かけていたとのことである。だから、とても急激な進展だったということである。三回目に馬に乗りに行こうとして玄関まで行った時の様子が、とても難儀そうだったので、奥様が「今日は、行かなくてもいいんじゃない?」と声をかけたら、「そうだよな。無理することないよなぁ」と言って、行かなかったのが愛馬との別れになった。
 入院する段階では新しい薬に挑戦して退院するとのつもりでいたそうだが、その思いを裏切る急激な進行だった。意識レベルを落とす薬を点滴されるのを知って、奥様にも、娘さんにも世話になったと感謝の言葉を述べたとのこと、医師にも、呼吸の苦しい中ベッドに正座して感謝の挨拶をされたとのことであった。
 とてもめずらしい症例である可能性があり、病院からの要請で、解剖に付したとのこと。その結果が三月末頃とのことで、それを見ないと正確な死因が特定できないという。一つは、肺機能の低下があったそうである。これがめずらしい症例の可能性を含むもののようである。正確ではないが、肺胞の、酸素と炭酸ガスを交換する機能が、がん細胞によって阻害されたもののようである。もう一つは、肝機能の低下である。
 一〇年にわたる闘病生活だったが、去年三月弁護士登録を抹消するまで、入院時等は除き平常どおり弁護士業務をおこなっていた。片道二時間半かかる札幌の病院へも、自分で車を運転して通院していた。
 大阪から静内に移り住んで一七年だった。自然のなかで、好きな馬と生活しながら、弁護士過疎地域の人達のために仕事をしたいというのが動機だった。
 我々が訪問させていただいたとき、丁度、「ひだかひまわり基金法律事務所」の二名の弁護士が弔問に訪れていた。この二名の弁護士からは、事件処理を一緒にしたり、事件処理の相談を頻繁に受けるという師弟のような良好な関係だったとのことだった。二人とも彼の本(「先生、馬で裁判所に行くのですか」)を読んでいて、それが弁護士過疎地での弁護士を志す切っ掛けの一つとなったそうである。この地域には、現在ではもうひとつ公設事務所が開設されている。彼が一七年前この地に移住する際相談されて、私は反対したのだが、彼の決断と努力が引き継がれ、花開いているのである。
 大都会大阪での活動と自然豊かな静内での活動という全く違った弁護士活動と私生活を送ることができたのだから、とても、充足した人生ということができると思う。
 自分の人生には満足していると常々述べておられたそうである。具体的危険を感じているわけではないが、客観的にみれば、私に残された時間もそう多くはないだろう。今後も、「満足している」と言えるように私も生きていきたいものだと思う。