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松島  暁 「盗聴法(通信傍受法)」の拡大・「司法取引」は許されない
坂井 興一 「法制審対応で混迷した弁護士会」
これでは周防監督に申し訳ないではないか。
平  和元 市民の力で安倍「国家安全保障戦略」(の一部)を阻止
柳  重雄 埼玉弁護士会と市民運動との協力、協働
岡村 晴美 名古屋経済大学短期大学部給与等請求事件報告
―長期間に及ぶ自宅待機命令から復職するにあたっての安全配慮義務―
馬奈木厳太郎 検証の実施を目指して〜「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の取り組み
久保木 亮介 私的感想〜「三・一一岩手 自治体職員の証言と記録」
戸村 祥子 *五月集会特集・その四*
五月集会(貧困分科会)に参加して
木下 康代 五月集会・団総会の裏側〜保育料問題〜



「盗聴法(通信傍受法)」の拡大・「司法取引」は許されない

東京支部  松 島   暁

 一九九八(平成一〇)年四月一八日、三宅坂の社会文化会館の控室で、寺西和史裁判官を囲んで話し合いと説得を続けていました。
 この日は盗聴法に反対する市民集会が企画され、その中の「盗聴法と令状主義」というシンポジウムに寺西さんがパネラーとして予定されていました(司会を海渡雄一弁護士、パネラーとして村井敏邦一橋大教授、自由法曹団から私。シンポの様子は現代人文社発行『盗聴法がやってきた』に収録されています)。
 寺西さんは裁判所の実際の令状実務の経験を踏まえ、パネラーとしての参加することに強い意欲を持っていました。しかし、寺西さんの参加を知った所属する仙台地裁の所長からは、事前に「処分」の警告が出されていたため、私たちは彼の将来を考え、思いとどまるよう集会開始時間を過ぎるまで説得を続けていたのです。
 結局寺西さんは、パネリストとして壇上から発言することは控え、会場から一参加者として、パネリストを辞退せざるをえなかった経緯も含めた発言をされました。この発言が裁判所法の禁ずる裁判官の「積極的政治活動」にあたるとして分限処分の対象とされました。処分自体は最高裁決定(平一〇(分ク)第一号最大決)により確定しましたが、同決定には五名の裁判官の反対意見が付されています。
 盗聴法は、現職の裁判官ですら反対意見を表明せざるをえないほどの「稀代の悪法」だったのです。
 「通信傍受法」という用語について、当初はマスコミを含めて「盗聴法」と呼んでいました。ところが政府の圧力に屈したのか、ある時点からマスコミの呼称が「盗聴」法から「通信傍受」法に変わりました。名称そのものが胡散臭さを醸し出す「盗聴法」という呼び方を嫌ったのでしょう。しかし「盗聴」という言葉そのものが、この法律のいかがわしさを的確に表していると考えるので、「盗聴法」という呼び名で統一的に使います。
 盗聴行為は、盗聴対象の特定・限定が不可能であること、犯罪行為に連なる会話とそれ以外を区別することができず、まとめて盗聴せざるをえないこと、過去の犯罪行為の捜査ではなく将来の犯罪に向けた盗聴であること、令状の事前提示がなされない等々、憲法の要求する令状主義を完全に逸脱し、対象者のプライバシー・通信の秘密を侵害する違憲の法制でした。この事実は、修正のうえ成立した現行盗聴法においても何ら変わってはいません。
 これらの問題点については団のホームページ(http://www.jlaf.jp/menu/keisatu.html)に多くの論稿が載っていますので、ご参照ください。
 違憲の法律そのものの阻止はできませんでしたが、適用対象を薬物・銃器・密航・組織的殺人に限定したうえで、立会人の常駐を義務付けるなど、手続きに多くの縛りをかけられ、警察にとってきわめて使い勝手の悪い法律と化してしまいました。その結果、この違憲の捜査は、年間実績(国会へ報告が義務付けられています)で数十件程度に抑えられてきたのでした。
 この盗聴法を、通信傍受の「合理化・効率化」と称して、対象犯罪を一気に拡大、立ち会いにもなくして警察署内で盗聴できるようにしてしまおうというものです。捜査の必要性を理由に、盗聴を警察の有力な捜査手段にしてしまおうというものです。
 加えて「司法取引」の制度化が盛り込まれています。
 司法取引の問題点が、他人を引き込む危険にある点で異論はないでしょう。しかも取引(合意)には弁護人の同意が条件とされており、犯罪者(とその弁護人)が警察・検察と一緒になって他の共犯者を引き込むことを意味します。また、犯罪行為を「取引」の対象とすることがそもそも許されるのかという原理的問題があります。さらに「司法取引」の制度化は、刑事弁護の現場を激変させるでしょう。警察・検察との「司法取引」に応ずるか否か、しかも全面証拠開示のない状態で利害得失の判断が求められることになります。
 政権離脱はないと早々と見切られ、解釈改憲の共犯者とされてしまった「公明党」、可視化という成果のためには法制審からの委員引き上げを含む抵抗はないと早々と見切られてしまった「日弁連」、両者にいかほどの違いがあろうか。
 事態の本質は何か。盗聴法の拡大を獲りたい「警察」、司法取引を導入したい「検察」、可視化という成果を上げたい「日弁連」、三者の談合の企みに他ならない。このような企みを、団や団員は許してはならないのです。


「法制審対応で混迷した弁護士会」
これでは周防監督に申し訳ないではないか。

東京支部  坂 井 興 一

(二三会もが反対)した日弁連六月理事会は、協調行動が癖になり視野狭窄に陥った執行部が、結局は試案容認の方向で押し切ってしまった。決まったこと自体は、たとえ毒まんじゅうがあっても、会推薦委員が一括採決ゴックリ呑みするのを了解することではあったが、その意味は重い。六月末の審議を報じる各マスコミの反応は、もっぱら「可視化の更なる前進、有罪取引等に問題はあるが、新時代の刑事司法へ」と云った雰囲気だが、そんなバカな!との思いを禁じ得ない。これで日弁連は、少しの可視化で了解、通信傍受導入に抵抗せず、肝心の冤罪撲滅のための証拠(全面)開示では、せめて近い時点での実現を求める私たちの邪魔はしないで!と切望した関係者の当然過ぎる要望も聞き流しにしたのである。証拠の捏造・隠蔽に絡む警察・検察の非違について、過般の「特定秘密保護法」が、隠して責任逃れする程度のものなら、これはインチキを隠蔽して死刑台にまで送り込む旧態依然たる罪作り司法を漫然温存するもの。それで「新時代の刑事司法」とはよくも言えると呆れてしまう。ホントは声を大にして言い募りたい気分なのだが、何分にも公明党の態度豹変で自衛権問題が急を告げ、これから先、弁護士政治連盟を通じてありそうな圧力に屈せぬよう、励ましが必要なご時勢である。それ故、執行部の改心を願い、極力怒りを抑えて指摘したい。(どこで食い違ったのか)、村木事件が契機の刑事司法改革の取り組みは、密室取り調べの弊害に着眼して可視化を天王山とする対策本部設置で意気込みを示した当初から、私はその前のめりを危惧していた。訴追直前の締め括り調書作成風景ビデオ程度で誤魔化しに掛かることが予測されたからである。最終検面調書の無内容手抜き振りと裁判官によるその偏愛は刑事記録のなぜ?の一つであるが、それは彼らの大好きな認諾自白の甲一号証。悪乗りダメ押しのそれを超えて、日常業務生活をも裸にし兼ねない不都合部分の可視化は、一筋縄のものではない。やる気のない官が機器を備え、意識と流儀を変え、記録保全・再生・閲覧提供のための便宜供与等のシステムを整えるのは言うほど簡単ではない。要請に行った我々にその面倒さを指摘する執行部は、よくぞ聞いて呉れましたとばかりの饒舌さであった。六月一四日に冤罪関係者が大同開催した日比谷集会での(周防監督の奮闘)物語は、冤罪防止には全面開示が決定的と指摘する成城大指宿教授が聞き役となって、「それでもボクは会議で闘う。」と題する大田出版「思想と活動」一九(一四年二月)・二〇(一四年五月)の二回掲載の秀逸レポートとともに紹介された。懲りない官側の面々、井上正仁教授らの冷淡さや、監督のあとをフォローしていい筈の弁護士委員のシカト振りの臨場感溢れる描写に、ハシゴを外された怒りと口惜しさが滲み出ていた。その対談や、捏造・隠匿に絡む開示問題の重要性を指摘される袴田事件弁護団田中薫先生の苦心談をお聞きしたら、カスリもしない「リスト開示」程度での「妥結反対は何も得られない本末転倒論」と言い放つ執行部は、二事件に何も学ばなかったと言うしかない。その教訓を踏まえ、旧態依然たる証拠捏造・隠しの古い刑事司法とはいい加減おさらば。そんな裁判で死刑台に送るな、袴田判決を受けた緊急提言でもいいから全面開示法制化努力を明記させよ!と私は言い続けていた。それが少しは功を奏し、最終盤になってリスト開示程度ではお茶も濁らないと思い返して呉れたのか、いい意味で執行部の態度変更が見られたが、既に手遅れ。せめて継続追求の覚悟が部内文書に書き残されるのかどうかさえ怪しいのが、当今の現実である。ところで(全面開示義務付け)でどうなるのか。そもそも内部告発者に酷薄・組織防衛優先の日本で、証拠提出を当事者主義で済ましたことに問題があった。被告側有利のものとは云え、お役人さんが作り、税金で集めた公共財である証拠の隠匿・捏造は、論議以前の不正・非違行為なのだから、その独占・隠匿を許さず、弁護側請求により適宜の時期に開示する。疑惑があれば棚ごと開示させる。故意に隠したり廃棄したりすれば、村木事件でのように厳しく断罪され、毀損した証拠関係が犯罪の成否を左右する疑いがあれば、それだけで公訴は棄却とする。端的に言えば、内部告発がなければ明るみに出ない官の組織犯罪と非違を開示させるシステム作りである。この関連での反論は、追及されるのが嫌だからメモ程度で止めたり、ストックせずに廃棄するのを助長するとか、弁護側の証拠あさりを許す結果、アリバイ証拠・主張を作られると云ったもの。が、こんな話しは取り上げるに値しない。何故なら、お役人さんや大企業は良くも悪くも組織主義で、上司決裁がないと廃棄する根性さえなく、肝心のものをため込んで、却って隠し金庫や宝箱にして呉れるからである。また、摘み食いにしても、開示についての勧告や命令の時期を設定し、請求したものの報告を義務づけ、乱用を防止することは容易である。(実現の見込み)については、全面開示自体は隠匿物を出させるだけなのでテマヒマは要らない。大変なのは、名分が全くない訴追側の不正不当の筈の抵抗を止めさせることだけ。有り難いことに、作業として容易でありながら、古くは松川事件諏訪メモ、そして二事件や畑違いの自衛隊いじめ事件でのように、顕出は決定的意義を持っている。またまた棄却された名張についても、関係者の通説となっている無罪・無実に繋がる「初動捜査の手抜かり・過ち」が証明できるものと信じている。冤罪防止にかくも強力な解決策となるが故に、検察は話をそらし全面開示に応じないし、屁理屈を付けて再審にも適用させないのであるが、何しろスタートと中締めの二事件の効果で、それが出来る大きなチャンスが到来していたのである。それ故この取り組みで、お役人の不正隠しが横行しそうな特定秘密保護法下の情勢を変えることも期待される。刑事権力に対する不信として、道交法違反や痴漢等軽犯で日常的に冤罪・罪作りに巻き込まれる多くの市民が存在する。成績主義に走る警察のインチキ処理は間断なく明るみに出、検察でさえカラ出張での資金プールをやっていて、それはまさに虚偽文書作成・詐欺・公金横領の筈のことが、獲得予算防衛の許された行為となっている現実がある。官側が抗弁できない非違や証拠隠しの弊害、その腐った土壌を変えるための、心一つでのスッキリ変身を望んでも文句の付けられようがない「全面証拠開示」システム。その実現に日弁連要路関係諸氏の再奮起を願うばかりである。


市民の力で安倍「国家安全保障戦略」(の一部)を阻止

東京支部  平   和 元

 各地で自衛隊或いは米軍に対する「活動への理解を深める」イベントが企てられている。沖縄米軍基地では子どもに完全武装をさせる企画、佐世保ではアーケードを陸自と海自が共同で戦闘服で行進する。これも安倍首相の定めた「国家安全保障戦略」の一端である。
 昨年一二月四日、日本版NSC(国家安全保障会議)が発足し、最初に決められたのが「国家安全保障戦略」(同年一二月一七日・同日閣議決定)である。内容は「積極的平和主義」を明らかにし、国益について検証し、国家安全保障の目標を示し、国際社会の平和と安定及び繁栄の確保に積極的に関与していくという。その策定の趣旨として「政府は、本戦略に基づき、国家安全保障会議(NSC)の司令塔機能の下、政治の強力なリーダーシップにより、政府全体として、国家安全保障政策を一層戦略的かつ体系的なものとして実施していく」と述べ、概ね一〇年をめどに積極的平和主義に基づく国の体制作りを行うというものである。
 「戦略」に基づくこの国の体制作りのために、日本版NSCについては「戦略」の実現のための司令塔として設置し、秘密保護法により、「戦略」を支える情報統制体制を確立するとしている。日米同盟についてはより強化し、安保体制の実行性を一層高め、日米防衛協力のための指針の見直し、弾道ミサイル防衛など日米同盟の抑止力、対処力の向上、装備・技術面での協力を進め、積極的平和主義の実現のための不可欠な施策と強調している。
 その他、防衛生産・技術基盤の維持・強化、情報発信の強化と並び社会的基盤を強化すると述べ、その中で我が国と郷土を愛する心を養う、領土・主権に関する問題等の安全保障分野に関する啓発や自衛隊、在日米軍等の活動への理解を広げる取り組みを強め、知的基盤の強化としては高等教育機関における安全保障教育の拡充・高度化・実践的な研究を行うとする。
 これらの教育を含む各施策から見えてくる「積極的平和主義」の目的とする国益とは、国を繁栄させ、軍事力を高め、世界にアピールする力を強めるということであり、「富国強兵」策ということである。そのためには子どもをターゲットにして「戦略」に組み込む教育が必要ということであろう。
 さて前置きが長くなったが、本題は市民の力で安倍流「国家戦略」の一端を阻止したことである。
 本年六月二九日に我が事務所のある立川市で「わんぱく相撲東京都大会」立川場所が行われることとなった。主催は「わんぱく相撲東京都大会運営委員会」、立川青年会議所が主管として行い、立川市、立川市教育委員会が後援するというものであった。ところが、その企画に陸上自衛隊立川基地がブースを出し、隊員が迷彩服で参加し、すもう大会に参加した子どもや会場に集まった子どもたちにブースで迷彩服の試着をさせるという企画があることが分かり、このまま黙っていては安倍首相の「国家安全保障戦略」にある「自衛隊、在日米軍等の活動への理解を広げる」という戦略を容認してしまうことになる、そもそも戦闘服である迷彩服を子どもに着せ、そのような環境に慣れさせること自体「子どもの権利条約」の三八条「一五歳未満の者が敵対行為に直接参加しないことを確保するためのすべての実行可能な措置をとる」という条項の趣旨に違反する、集団的自衛権が問題となっている今、そのようなことを立川市、教育委員会などが後援し、公益財団法人たる青年会議所が主管するとはもっての他であり、黙っていては安倍流国家戦略を容認してしまうことになる、抗議しようということになった。
 そして立川市内の主だった八団体と三多摩法律事務所が集まり、申入文書についても慎重に検討し、六月二三日に迷彩服試着企画を止めるよう陸上自衛隊立川基地と立川市及び教育委員会、青年会議所に文書を持参し申入れをした。市の教育委員会としては後援をしたものの内容については知らなかったようである。
 するとその日の午後、青年会議所から電話があり、「申仕入れの趣旨は理解した、迷彩服試着の企画は取りやめます」ということになった。
 小さなことでも見逃さないための活動が必要であることを実感した経験である。


埼玉弁護士会と市民運動との協力、協働

埼玉支部  柳   重 雄

 集団的自衛権行使容認の閣議決定をされても、これに許さない闘いは大きく前進をしてきたし、これからもたゆまず大きく前進をしてゆく。
 埼玉では、集団的自由権行使容認反対をめざしての埼玉弁護士会の取り組みが大きく発展をしている。四月九日には埼玉会館会館で「いま何故集団的自衛権か」集会の開催、主催者側発表で約六〇〇名、会場は満杯になり、立ち見席があふれ、三〇〇余しか用意していなかった配布資料が全く足りなくなったという状態を招いた。六月九日昼のパレードには五五〇名、県庁前から浦和駅前までパレードの列が繋がり、昼のパレードとしては史上最大の人数の参加を得て大成功を収めた。また、弁護士会が主催ということで新たなつながり、広がりも見受けられた。
 そして、今、七月三一日、一三〇〇名というかつてない大きな会場での「憲法と人権を考える市民の集いー集団的自衛権を認めるのか」に向けて、またその始まる前のパレードに向けて、これも史上最高の参加者を得て成功させようと頑張っているところである。
 弁護士会が、集団的自衛権反対、戦争する国づくり反対で、このような形で運動をリードすることはとてもすばらしいし、その成功は、こうした運動を新たな段階に押し上げてくれるように思う。しかし、こうした運動の成功の裏には、弁護士会と市民運動との協力、協働の関係の積み上げがある。
 私は、団支部長であると同時に秘密保護法撤廃を求める埼玉の会の会長でもある。集団的自衛権反対の運動をになう埼労連、平和委員会、憲法会議、土建、新婦人等などと一緒に秘密保護法制定反対のときから継続して取り組んできたところであるが、本年三月、これらの市民団体と弁護士会憲法問題対策本部との間で懇談会を行った。その席には、次期会長も出席し、「弁護士会は集団的自衛権反対のために全力をあげる」旨の挨拶を受けて、意見交換を行った。私は、秘密保護法撤廃埼玉の会の代表という関係で、市民団体側の代表という形で出席した。そこでは、秘密保護法反対運動の際に、弁護士会としても市民団体の協力でパレードなど成功したし、また市民団体の側から見ても、弁護士会が奮闘することで、運動が新たな地平に前進したことが実感できた等積極的な意見交換が出来た。弁護士会と市民団体との協力協働体制ができあがり、そのことが、四月九日の集会やその後の取り組みの成功にもつながったように思う。
 本年五月、今度は、弁護士会の側から私を通じて市民団体を招いて懇談をしたい旨の要請を受けて、二度目の懇談会を行った。市民団体の側は、弁護士会側からの招きで懇談が出来たことにそれなりに感激し、弁護士会が頑張る限り、可能な強力を惜しまないこと、パレードや集会の成功に向けて全力で協力する等の話し合いとなった。
 勿論市民団体の側でも街頭シール投票活動、意見広告、学習会運動等等様々な運動取り組んでいるが、こうした弁護士会との協力、協働の関係を築いて運動を前進させて来たことも大きな特徴でもあり、運動の幅、質を大幅に高めてきたように思われる。そして、今、七月三一日のパレードと集会の成功に向けて、弁護士会とともに市民団体も、その協力、協働関係のもとで、頑張っているところである。
 そしてまた、弁護士会の運動も、市民運動や様々な団体等との協力、協働の関係を築きつつ運動を進めることで、より更に幅の広い、強力な運動を展開することが可能となっているように思われる。


名古屋経済大学短期大学部給与等請求事件報告
―長期間に及ぶ自宅待機命令から復職するにあたっての安全配慮義務―

愛知支部  岡 村 晴 美

一 事案の概要
 学校法人市邨学園が設置する名古屋経済大学短期大学部で准教授として勤務していたTさんは、平成一六年三月、解雇処分を受けた(当時は助教授)。Tさんは名古屋地方裁判所に地位保全等仮処分命令を申し立て、平成一六年六月、認容された。その後、Tさんは職場復帰を要望したものの、平成一六年七月、学園はTさんに自宅待機を命じた。平成一七年八月、名古屋地方裁判所は解雇は不当であるとしてTさんの地位確認を認容する判決を下し、学園が控訴したものの、平成一八年三月、控訴棄却により同判決は確定した。判決確定後も学園は自宅待機命令を解かず、Tさんの職場復帰はかなわなかった。
 TさんにはMさんという一人娘がいた。Mさんは、平成一四年四月から平成一五年三月まで、同学園が設置する市邨中学校一年生に在籍中、いじめに遭い、転校を余儀なくされた。Mさんは、そのいじめが原因で、解離性同一性障害を発症し、いじめ後遺症に苦しみ、何度も自殺未遂を繰り返した末、平成一八年八月に自宅マンションから飛び降り自殺した。いじめ事件に関しては、学園側にいじめを放置した責任を認める判決が確定している(判例時報二一三二号六二頁、同二一八五号七〇頁)。
 愛する一人娘をいじめによる自殺で失ったTさんは、そのショックから重度悲嘆の精神症状を発症した。学園は、Tさんがいじめ事件について学園を提訴する準備をしていることを知るや、Tさんが精神症状を発症していることを知りながら、平成二一年二月、突如として自宅待機命令を解き、出校を命じ、さらには資格支援講座担当とし屈辱的な配置転換命令を出した。Tさんが、復職にあたって体調への配慮を求める手紙、主治医の診断書等を学園に送付しても、学園側は一切の文書の受け取りを拒否し、平成二二年度以降は賞与を減額し、不出勤が三年間続いたとして平成二四年四月以降分の給与及び賞与の支払いを停止した。
 減額された賞与の未払い分、停止された給与及び賞与の未払い分を求めて仮払い仮処分と本案を提起した。
二 争点
 本件の争点は、原告が、被告に対して労務を提供しないのは被告の責めに帰すべき事由による履行不能かという点であった。これに対し、平成二六年四月二三日、名古屋地方裁判所(田邊浩典裁判長)は、「長期間にわたる原告に対する自宅待機命令を解いて復職を命ずるに当たっては、その時点における原告の状況を踏まえて復職後の担当業務を検討することが不可欠である」として、遅くとも平成二〇年六月には原告が娘を失った悲嘆症状で苦しみ、医師の診断を受けていたことを認識していた被告が、平成二一年二月に出校命令を出すに当たって、原告の体調について原告に問い合わせたり、主治医の意見書を入手したりするなどの手続を踏むべきところ、その手続を踏まずに自宅待機命令を解除したのは、真に原告を復職させ、労務の提供を受ける意図の下にされたものであったかは疑わしいと断じた。さらに、被告が原告に命じた配置転換は、学外の予備校経営者が行う各種資格試験対策の講座であって、担当している被告の大学教員は一人もおらず、原告の専門分野と関連する講座も見当たらないとして、具体的業務を想定しえない実質に欠ける配置転換命令であるとした。以上の認定からは、「被告は、前記自宅待機命令以降、原告からの労務の提供を受けることを拒否し続ける一方で、自宅待機を名目的に解除するために実質に欠ける資格支援講座担当命令を原告の体調に対する配慮をも欠いたまま発しているものと認められるから、本件各命令は、業務上の必要性に乏しく、かつ、使用者の安産配慮義務を尽くそうとすることなく発せられたものとして違法との評価を免れず、実質的には原告の労務提供の受領を拒絶する状態が継続しているものと解するのが相当である」として、被告の責めに帰すべき事由による履行不能であると認定した(名古屋地方裁判所平成二六年四月二三日言渡し、平成二六年五月七日の経過により確定)。
三 評価
 Tさんは、Mさんが学園が設置する中学校でいじめに遭ったことから、平成一四年秋頃より、学園にいじめ問題の解決を求め、理事長にも直訴して改善を訴えていた。解雇処分前のTさんの授業内容は、学生の評価も高く、学園の広報パンフレットにも取り上げられるほどだった。平成一六年三月の解雇処分以降のTさんへの一連の仕打ちは、学園、理事長に楯突く者は許さないという報復処分ではないかと思わざるをえない。教育の現場である学校の正常化を求める声を圧殺するような仕打ちは、大学教員の自由な研究、教育を萎縮させ、学生が教育を受ける権利を害することになり、あってはならない。判決で、各命令が、業務上の必要性に乏しい命令であって違法であると認定されたことは正当であった。
 加えて、本件は、長期休職の事案ではないが、長期間にわたり自宅待機が継続されていた場合に復職を命ずるに当たっては、使用者には、その時点における労働者の状況を踏まえて復職後の担当業務を検討すべき安全配慮義務があるとしたこと、安全配慮義務の具体的な内容として、復職を命ずる前に、原告の体調について原告に問い合わせたり、原告から主治医の意見書を入手したりする手続を踏むべきとしたことは、今後の事件活動にあたって某かの参考になるのではないかと思い、本報告をした次第である。
 なお、本件は、愛知支部小島高志、同岡村晴美が担当した。


検証の実施を目指して〜「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の取り組み

東京支部  馬奈木厳太郎

一 もう我が家じゃない
 六月二三日付の朝日新聞は、「荒廃『もう我が家じゃない』」という見出しとともに、同行記者の取材記事を掲載しました。
 六月二〇日から二一日にかけて、弁護団は、原告団などの協力を得て、現地調査を実施しました。これは、検証申出の下準備として位置づけられたもので、検証の対象となる自宅や農地などの調査を目的としたものです。原告六名、弁護団一〇名に加え、修習生一〇名も全国各地から駆けつけ参加しました。
 初日は、浜通りのいわき市から広野町、楢葉町を経て、富岡町、双葉町、浪江町の原告宅や農地、周辺地域を調査しました。
 富岡町に入ると、車内でも線量が一気にあがります。黒い除染袋がずらっと並んだ光景も至るところで目に入ります。初めて参加した修習生は、口数が少なくなり、持参した線量に目の行く回数が増えます。福島第二原発に到着すると、防護服を重ね着て、必要な手袋やマスクを受け取り、積算線量を計測する計器を首からぶらさげます。これで準備は整ったことになります。
 富岡町夜ノ森は、桜の名所として知られたところですが、現在は、帰還困難区域と居住制限区域とが混在し、そうした線引きが住民感情を複雑なものにしています。訪問した原告宅は、一時帰宅が一年ぶりということもあって、庭の草木が伸び放題の状態になっていました。生い茂った草木を掻き分け玄関を開けると、室内は地震のときに散乱したままの状態で、そこに侵入したハクビシンやタヌキ、ネズミなどがところかまわず糞を撒き散らしていました。部屋に入った瞬間、マスクをしていても獣臭が鼻を衝きます。一年ぶりに自宅に帰った原告は、「こんなの、もう我が家じゃない」と呟きました。
 音楽教室を主宰していた原告にとって、パートナーでもあったグランドピアノは、調律されないまま。生徒たちにあげていた飴の入った容器には、ネズミに齧られた無数の跡。原告は、最後までピアノに近づこうとはしませんでした。弁護団も修習生も言葉を発する者はいません。居間の壁には、届いた封筒やハガキを入れておくレターボックスが掛けられてあり、二〇一一年三月八日の消印のあるハガキが入ったままでした。
二 まるで舵のない漂流船
 福島第一原発から四・八キロの原告宅は、下がったとはいえいまも空間放射線量は毎時六〜七マイクロシーベルト。双葉駅から程近い自宅へと続く駅前の商店街には、地震によって倒壊した建物が散見されます。その時からまるで時間が止まったように、ひと気がなく、信号も点滅していません。動くのは私たちだけ、そんな印象をもってしまいます。
 自宅の庭には除草剤を定期的に撒き、近所にあるお墓の手入れも怠らないようにしてきた原告。しかし、高線量のため手入れをしようにも限界があります。自宅は湿気のため床が腐食し、私たちが一度に入ることは危険でした。事故後に初めて一時帰宅したときには、タンスの引き出しのなかに子ネズミが五、六匹かたまりになっていたそうです。現役を退き、これから自分たちのための時間を過ごそうと楽しみにしていた矢先の事故。「先の見通しが立たず、まるで舵のない漂流船のような原発難民」。原告は、そう口にしました。
三 根も葉もある実害
 二日目は、福島市やその周辺の調査となりました。避難指示の出ていないところにも被害は無数にあります。私たちは、仮設住宅や農地、保育園、仮置き場などを調査しました。作物のみならず土壌そのものへの放射性物質の影響も深刻です。「よく風評被害とか言われるけど、そんなことは全然ない。根からも葉からも放射性物質は出ている。根も葉もある実害だよ」。農家の原告はそう訴えます。
園児たちができるだけ被ばくしないようにするための工夫、住宅街のすぐそばに黒い除染袋が広がる異様さ……。一見すると日常生活が送られているようでもある中通りですが、低線量被ばくが続くなか、それぞれの家庭や職場、さまざまなところで、必死の工夫や努力が続けられています。どれも事故前には全く必要のないものでした。
四 いよいよ被害の立証へ
 生業訴訟は、きたる七月一五日には第七回目の期日を迎えます。これまで責任論をめぐるやりとりが中心だったこともあって、「生業訴訟といえば責任論」といった声を聞くこともありますが、弁護団では被害論を重視しています。今年後半から、いよいよ被害の立証へと審理も進んでいきます。秋には裁判所を現地に案内して被害実態をしっかり見てもらおう――弁護団は、検証に向けて全力で準備を続けています。


私的感想〜「三・一一岩手 自治体職員の証言と記録」

東京支部  馬奈木厳太郎

 表題の著作については一四八四号ですでに城塚団員から推薦があり、読んでおられる方も多いだろう。大震災に現場で直面した自治体職員が、肉声で震災時の状況や自らの行動や思いを証言した記録は、実は皆無だという(本書七頁)。それだけでも本書の存在は貴重である。震災の被害に立ち向かった職員たちの持ち場や直面した課題は様々であり、読み手ごとに様々な教訓を導き出すことができるだろう。
 以下はごく個人的な感想であるが、他の団員の方々が本書を手にするきっかけになればと願う。
陸前高田市と大槌町
 私的な話だが、昨年子供が誕生し今年四月から保育園通いである。首都圏にもやがて確実に大震災が訪れる。それが日中のことであった場合、子供は無事守られるだろうかということは、俄然重大な関心事である。そんな折に同書を手にとったせいか、証言中真っ先に目を通し、かつ最も強く印象に残ったのは、陸前高田市の今泉保育所長の佐々木利恵子さんと、大槌町の大槌保育園園長の八木澤弓美子さんの証言である。
 東日本大震災により岩手県沿岸の市町村は甚大な被害を受けたが、とりわけ陸前高田市は死者・行方不明者の合計が一七七一名、大槌町は同合計一二三五名と、最も多くの犠牲を出した地域であることが、同書が冒頭で示す被害状況集計表からも分かる。
 三・一一当時、私は団本部の次長を務めており、東日本大震災対策本部の一員として、他の団員とともに同市・同町を訪れている。自らも危うく命をとりとめ、あるいは同僚や家族を失った中で、被災者のために奮闘する自治体労働者の姿に感銘を受けた。お二人の証言に特に注意が向いたのは、その影響もあっただろう。
二人の証言
 佐々木さんは外出中に地震が発生、地域の避難場所に指定されていた気仙小学校で園児たちと合流したが、津波が気仙川を遡って来、「逃げろ!」と走りこんできた人が見えたため、小学校より唯一高い場所である西側の山を、三歳未満児は職員が背負い、幼児は職員が手をつないで、滑りやすい急斜面を草をつかみ地域の住民にも助けられながら、やっとの思いで小高い所まで登った。その二〜三分後、垂直な津波の壁が保育所を飲み込み、三階建て小学校の壁にぶつかり、周辺の家や車を飲み込み、逃げ遅れた人が流されてゆくのを見たという。
 八木澤さんは町が指定した避難場所は風雨をしのぐ建物がないので、独自に地域の方々から聞いて津波避難場所に決めていた高台のバイパスのローソンに園児たちと避難した。しかし、遠くの水門付近で砂煙があがり、電柱が次々と倒れだし、「津波だ!」との叫び声があがった。ローソンよりさらに高い国道トンネル方面を目指し、園児たちを背負い、避難者に乗せ、手をつないで逃げたが、津波が迫ってきたため、最後は斜度三〇度ほどの山の斜面を、近くのショッピングセンターの店員さんたちの助けも借りて子供たちと四つん這いで這い登り、難を逃れたという。
震災の経験を踏まえた国の配置基準の見直しを
 お二人が共通して述べているのは、国の保育士配置基準(〇歳児三人に一人の保育士、一・二歳児六人に一人の保育士)では、残っていた子を全員助けることは到底不可能であったということである。陸前高田の今泉保育園は震災当日園児五六名だったが地震直後に迎えに来てくれた保護者もあり残っていた園児は一九名だったので、一七名の職員とともに何とか避難できた。大槌保育園は、ローソンに迎えにきた保護者に子供を渡し、四〇名ほどに園児の人数が減っていた。もとの人数であったらどうであったか(なお、保護者に渡した九名の子供がその後保護者とともに犠牲になっている。八木澤さんが園児の遺体と対面する件は、本書で最も痛ましい場面の一つである)。
 本書の巻末は、震災被害を踏まえた自治労連の提言となっている(第II部第四章)。「とりわけ福祉、医療、保育など、災害時において、お年寄り、障がい者、病人、子供など『災害弱者』への対応が必要な職員については配置基準を改善しなければなりません」として、保育士配置基準について「歩行ができない〇歳児など乳幼児の配置基準については、二人につき保育士配置一人とするなどの改善が必要です」と提案している。
 緊急時に三人の乳児を抱き上げて逃げることが困難であることは、誰でも理解可能なことである。ぜひ実現させたい提案の一つだ。
人災としての津波被害
 お二人が直接述べてはいないが、その証言から汲み取るべき内容として、自治体から事前に指定されていた津波の避難場所にとどまっていたら職員も園児も命を落としていたであろう、という問題がある。これは地震・津波への予測と対策の不備の問題である。
 日本では、地震と津波に関する知見の進展を踏まえ、九〇年代後半から二〇〇〇年初頭にかけて、過去数百年の記録上は巨大地震・津波が確認されていない領域でも、プレート構造が同様である以上、将来巨大地震・津波が生じうるという見解が公的に示されていた(九八年の建設省等四省庁の「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」、〇二年の文科省・地震調査対策推進本部「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」)。
 たとえば、日本海溝沿いの北部では一八九六年明治三陸沖の津波地震が、南部では一八六七年に延宝津波地震が確認されているが、中部の宮城・福島沖では確認されておらず、『空白域』として今後の発生に警鐘が鳴らされていた。
 しかし、〇二年に東京電力ら電力会社の津波評価に対する考え方をオーソライズするため、民間の土木学会津波評価部会が「津波評価技術」を発表し、日本海溝沿いでは過去の津波地震のみを考慮すればよいとして、宮城沖・福島沖の日本海溝沿いでの津波地震を想定から外した。〇五年には国の中央防災会議もこれに倣い、防災対策の前提となる想定地震を明治三陸沖など過去の地震・津波に限定してしまった。
 宮城沖・福島沖日本海溝沿いでの津波地震を想定していれば、岩手県の南側の大槌町、さらに宮城県との県境に位置する陸前高田市における想定津波高さはより高く設定され、自治体指定の避難場所もより高所になっていたはずである。
 津波想定が過去の記録に限定されて甘くなる傾向は宮城県になるとさらに強い。全校児童一〇八名中七四名が犠牲となった石巻市の大川小学校の被害は、その典型例である。
 震災被害のうち、人災の面にもっと光が当てられるべきと考える。


*五月集会特集・その四*
五月集会(貧困分科会)に参加して

和歌山支部  戸 村 祥 子

 過日、地元和歌山において五月集会が開催されました。十五日に安保法制懇の報告書が提出されたこともあり、憲法分科会は非常に白熱していたと聞き及んでいますが、そんな中、私は貧困分科会に参加させていただきました。
 分科会では、生活保護申請窓口における水際作戦の現状、本年七月一日より施行される「改正」生活保護法の問題点などについて説明がなされ、その後、各地における取組みが報告されました。
 平成二四年四月の生活保護バッシングを契機として始まり、昨年一二月六日に成立した「改正」生活保護法は、パブリックコメントを経て若干修正されたとはいえ、申請手続の厳格化や扶養義務の強化をはじめとする、「水際作戦」を助長する内容が数多く盛り込まれています。また政府は、生活保護基準それ自体についても、過去に例を見ない大幅な引き下げを行い始めています。
 生活保護の申請をしようとする方は、誰からも援助を受けられず、真に生活に困窮し、すがる思いで窓口に行かれる方がほとんどです。もちろん、生活保護費は国庫から出るわけですから、生活実態や資産状況等を調査する必要はありますし、場合によっては改めるべき点が出てくることもあるでしょう。しかしながら、現に困窮しており生活保護受給の意思も明らかである方を入り口部分ではねつけることは、申請権、ひいては生存権の侵害であり、決して許されるものではありません。
 生活保護基準の引き下げについても、厚労省は、物価下落分や低所得者世帯との比較を主たる理由としています。しかし、物価下落の主な原因は、生活保護受給世帯とは縁遠い高額家電製品にあり、政府の理由付けは的外れであると言わざるを得ません。そもそも、当該基準が、本当に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するに足りるものであるかどうかという根本的な問題が置き去りにされてしまっています。
 このような生活保護受給者が直面している危機を打開するためには、一人でも多くの人が声を上げ、その不当性を政府に訴えかけて行かなければなりません。和歌山でも、生活保護基準引下違憲訴訟を提起するべく準備を進めているところですが、今回の貧困分科会における皆さんの活動報告は、大きな励ましとなりました。これからも、全国の弁護士や支援者との連携を強め、大きな運動にしていければと考えています。


五月集会・団総会の裏側〜保育料問題〜

滋賀支部  木 下 康 代

 二〇一四年の五月集会に、二歳と五歳の子どもを連れて参加しました。保育料は三〇〇〇円でした。素直にありがたいと思いました。滋賀からは、私のほかに子連れで参加した弁護士が二名、事務局が一名おり、滋賀だけで子ども八名の大所帯でした。滋賀以外にも子連れで参加されている方が何名かおられ、子連れ参加がしやすくなったと実感しました。
 二〇一二年一〇月、焼津での団総会に、私は子連れで参加すべきかどうか大変迷っていました。夫は弁護士ではなく、普通の会社員。夫は、早朝に家を出て遅くに帰ってくるため、基本的に保育園の送迎は出来ません。
 登録後すぐに参加して以降は、出産・育児に追われて団総会に参加する機会がありませんでした。焼津であれば、滋賀から交通の便が良く、子どもを連れて参加するチャンスだと思いました。保育があることを確認し、同じ事務所の男性弁護士に応援をお願いし、申し込もうとして目にとまった保育料・・・。金額の明記はなく、申し込んだ後に連絡をするという内容でした。過去に一度、母親大会の際に子どもを預けたことがありましたが、その保育料は三〇〇円。人権大会や勉強会等の保育料も、無料かお菓子代程度だった記憶でした。『明記がなくても、高額ではないはず』と思いながら申し込みましたが、その後まさかの保育料一五〇〇〇円という通知。
 しかし今更後に引けず、子連れで参加。総会は数百名の参加で大盛況でしたが、子どもはたった三人しかいませんでした。つまりうちの子以外には一人だったのです。総会でのアンケートに、「保育があることは有難いけれど保育料が高すぎる」旨を書き帰宅。その後、団本部で協議をしてくださり、次の五月集会から保育料が三〇〇〇円に下がりました。正直、団本部は男女共同参画の意識が低いと思っておりましたので(すみません)、一団員の意見で協議がなされ保育料の改善がされるとは思っていませんでした。
 子連れで参加すると、交通費や食費なども相応にかかります。保育料が下がると参加に踏み切るハードルが低くなるのは確か。冒頭の通り、今年の五月集会では子連れでの参加がたくさんおられました。久しぶりに参加した五月集会は、憲法に関する積極的な議論がなされており、自分にも何かできることがあるのか考えるいい機会となりました。各地の活動や各団員の考えを直接聞くのと、団通信や団報などで内容を知るのとはインパクトが違います。子育てを理由に五月集会や総会への出席を諦める団員がいるのは残念なことだと思います。
 今後、後に続く子育て世代の団員のために、この制度が続くことを願って止みません。