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小口 克巳 盗聴法の適用拡大は民主運動が標的
佐藤 真理 「卑怯な手段に負けるわけにはいかない」
七・二奈良県民集会の報告
広田 次男 福島県内の全原発の廃炉を求める会
馬奈木厳太郎 福島県知事・県議会議長・県議会各会派への申入れ
〜「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の取り組み
後藤 富士子 日本の裁判官はなぜ法律を遵守できないのか?
―法運用の方法論的欠陥
玉木 昌美 出張授業体験記



盗聴法の適用拡大は民主運動が標的

東京支部  小 口 克 巳

可視化と抱き合わせの大改悪
 法制審議会、刑事司法制度特別部会で捜査の可視化と抱き合わせに盗聴法(通信傍受法の呼び名は本質を表していない)について、適用範囲の大幅拡大が計画されている。これに対する反対運動はまだまだ弱い状態である。日弁連は全員加入の団体であり、警備公安警察のねらいに敏感になりきれない弱さもある。緒方宅電話盗聴事件などに関わった経験を報告し、全国の団員が盗聴法改悪の本質的ねらいを見据えて全国での反対運動をになっていくことを訴える。
警備公安警察の手口
 一九八六年、現職の警察官が組織的、計画的に日本共産党国際部長緒方靖夫さん(現同等副委員長)宅の電話を盗聴していたことが判り、告訴・告発、検察審査会の審査、民事訴訟、住民訴訟と手段を尽くして、責任追及した。この経過の中で次々と真実が明らかになり、裁判所が一九九七年、警察の組織的・計画的犯行を認定するところまで持ち込むことができた。
 当時は、現行の盗聴法も制定前で、現職警察官の組織的関与は権力による憲法違反の違法行為そのものだった。裁判の過程で、警察庁が、盗聴器を通信機器業者に二〇〇台、三〇〇台と大量に発注して作製、全国の共産党事務所の盗聴に使用していたことも判明した。盗聴事件の裁判闘争を通じて元技術者のところにまで支援運動が到達したのである。
警察・検察に自浄作用なし
 ところが、警察は、手続きのあらゆる局面で、抵抗し、真実を偽り、隠し、国会においても盗聴の事実を臆面もなく否定し続けた。警察は、地裁・高裁で明確に認定された警察による組織的盗聴行為について一切認めなかった。国会での追及も合わせてなされたが、警察幹部は国会答弁で「過去にも現在も警察は盗聴をしたことはない。」と強弁するという姿勢をとった。捜査段階では、東京地方裁判所八王子支部の裁判官による証拠保全の決定にもとづき、担当の長久保裁判官が現場に赴いて証拠保全の執行に着手したところ、警察は盗聴の現場で証拠保全の立会人となるべきアパートの管理人を警察車両に閉じ込め、裁判官との接触を遮断したあげく、いずれかに連れ去ってしまった。裁判所の司法権行使を実力で妨害したものに他ならない。また、盗聴の事実について、NTTからの告訴も受理拒否をした。裁判では、裁判官に強く促されても不知、否認のほかには、具体的な反論は一切しないと居直った。裁判所が事件の存在を否認するだけでなく、反論・主張するように繰り返し求めたにも拘わらず、具体的な反論は何一つしなかった。警察は、現職警察官の尋問決定に対して、出頭拒否を選択した。いうまでもなく、警察組織において、警察官個人の判断での出頭拒否はあり得ない。組織的出頭拒否の判断というべきである。
 強大な権限と実力を持つ警察組織には、自浄作用は機能していないことが明らかになった。それにとどまらず、司法手続きでの「違法な抵抗」をした事実は、裁判所も見下し、司法に服する姿勢がないことを示している。検察庁も、現職警察官関与まで捜査を進めながらそれ以上の上層部には捜査を進めなかった。
 違法行為が明らかになったときの対応こそ、警察組織の本質と危険性をより明確に示している。警察は、自らの犯罪が明らかになっても全く反省せず、自浄作用は到底期待できない。
盗聴法の適用拡大は危険性を増幅させる
 盗聴の対象犯罪限定も濫用の歯止めとならない。盗聴対象が組織犯罪だけに限定されず、将来の犯罪も対象としていることも重大問題。対象犯罪を増やし、通信事業者職員の立ち会いが無い盗聴方法を認めるなど、さらにその危険性を増幅させる。傍受の結果は、犯罪に関係がないとされた通話については傍受された人には通知されない。権利回復の機会もない。
 結局、法の運用が、担当した警察官に全面的に依存していることこそが問題である。作成した録音等の記録が適正に処理される保障手段もない。警察部内で間違った取り扱いがなされたときの事実解明、是正の保障手段もない。つまりは、国民から見えないところで、警察に強大で無制限とも言うべき国民の権利侵害の手段が与えられる。警察に盗聴法の適用拡大を許すことは無法者に十手を託すのと同じである。警察に危険きわまりない盗聴の権限を与えた法律を改悪し、適用範囲をさらに拡大するなどは絶対に許してはならない。
警備公安警察による人権侵害、民主運動抑圧
 そもそも通信の秘密保障(憲法二一条二項)には何らの限定がなく、盗聴は憲法違反である。現行盗聴法制定に際しては、憲法違反の盗聴法を認めないという大きな運動が盛り上がった。日弁連もその先頭に立った。例外的にも盗聴を認めてはならない。警備公安警察は過去幾たびも、憲法違反を承知の上で民主運動抑圧のために、手段を選ばなかった。民主運動抑圧を重要な使命としているのである。最近でもイラク派兵反対運動が盛り上がった二〇〇四年の時期に、堀越事件、世田谷事件、立川自衛隊宿舎へのビラまき弾圧、葛飾でのビラ入れ弾圧など次々に政治弾圧が行われた。堀越事件では、判明しているだけで二九日間の堀越さんに対する尾行、隠し撮りがあり、共産党千代田地区委員会で人の出入りを監視するなどして弾圧範囲も拡大しようと情報収集に躍起になっていた事も分かった。あらゆる法律を使って、ときには法も無視して民主運動抑圧をしてきたのが警備公安警察だった。そして、盗聴事件発覚によっても上層部の処分、そして実行犯も、一切の刑事処分から免れた。
 自浄作用がない警察に、通信傍受の権限と設備を持たせることの危険性は到底見過ごすことができない。それにとどまらず、盗聴法の適用拡大やNTT職員の立ち会いを免除するなどの運用の簡易化で、警察にほとんどフリーハンドと言うべき危険な手段を与えることになる。国民からのチェックも不可能にする。
 今回の盗聴法の適用範囲拡大と運用の簡素化は、通信の秘密という国民の人権、中核的に重要な人権を売り渡す「猛毒」であり、民主運動抑圧をもたらすものである。
 先日、五月二二日には、盗聴事件弁護団一八名で日弁連会長に対し、「盗聴法の適用拡大に日弁連は反対すべきである」との意見書も提出した。
 盗聴法は、既に致命的な欠陥を持っている。もともと盗聴法は憲法違反の法律として廃止すべきであり、適用範囲の拡大、簡素化がもたらすさらなる害毒を広く共有して運動を進めることを訴える。


「卑怯な手段に負けるわけにはいかない」
七・二奈良県民集会の報告

奈良支部  佐 藤 真 理

 七月二日午後六時半から近鉄奈良駅前広場で「戦争する国づくり反対! 安倍内閣打倒! 七・二奈良県民集会」を開催しました。本集会とデモ行進は、翌三日のしんぶん赤旗一面で報じられたように、五〇〇人を超える参加で大成功しました。奈良は、東京に比べて何でも一パーセント。東京なら五万人規模の集会に匹敵します。
 全国各地で、安倍内閣の暴走を許すな、憲法守れの大運動が広がりつつあります。秋の臨時国会以降の、閣議決定を具体化する十数本といわれる個別法・軍事立法の阻止運動が本当の正念場となります。決意表明に代えて、上記集会における主催者「憲法九条守れ!奈良県共同センター」代表としての私の挨拶を以下に紹介します。
 昨日(七月一日)、安倍内閣は、集団的自衛権の行使を容認することを柱とする解釈変更の閣議決定を強行しました。これだけ多くの国民の反対の声を全く無視しての解釈改憲の強行であります。
 国会では、沢山の法律を作ったり、改正したりしていますが、衆議院と参議院できちんと審議し、両院で可決して初めて法律の改正がなされます。ところが、法律より上位の憲法については、国会の審議すらしない、まして議決もしないで一内閣の閣議決定だけで、事実上の改憲を強行しようというのです。
 立憲主義に反し、法の支配を否定する前代未聞の暴挙であります。三権分立に反し、国民主権に反します。憲法破壊のクーデターともいうべき違憲無効の閣議決定は断じて認めるわけにはいきません。満腔の怒りをもって抗議するものであります。
 憲法九条の解釈変更は、憲法九八条―憲法が最高法規であり、憲法の条項に反する法律その他は無効と定めた憲法九八条に、違反するものであり、無効であります。効力はありません。そのことをまず確認したいと思います。
 閣議決定では、憲法九条の下で認められる「自衛の措置」ということで、従来は個別的自衛権の行使は憲法九条に違反しない、つまり急迫不正の侵害、日本に対する外国からの武力攻撃があった場合にのみ、自衛権の発動が許されるとしていたわけでありますが、今回の閣議決定は、日本に対する武力攻撃がない場合であっても、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が起きる。これによって「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」には、武力行使をしてもよろしいという中身であります。
 「外国からの武力攻撃」というのは、明確な概念であります。しかしながら、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」というのは、きわめて抽象的で、あいまいな概念であります。誰が決めるのかというと、政府が「すべての情報」を総合して判断するというのですから、歯止めでもなんでもない。どんどん拡大していくことになるではありませんか。しかも、政府は、判断材料とした「すべての情報」は特定秘密に指定して国民に秘密にしてしまう。国会にも秘密にしてしまう。国民が、知らされないうちに、日本は集団的自衛権を行使していくことが可能となるわけであります。
 そうなれば、あの戦前の、軍機保護法、国防保安法のもとで、国民が、「目、耳、口」をふさがれて、中国やアジアへの侵略戦争を、「自存自衛」の戦争、アジア解放の正義の戦争などと欺かれて、無謀な侵略戦争に駆り出され、三一〇万人の日本国民、二〇〇〇万人のアジア諸国民が犠牲になるという痛苦の歴史をまた繰り返すことになりかねません。そういう反省の上で、今の憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と謳いました。あの戦争は、天皇を中心とする時の政府がやったことだ。今度こそ、主権在民・「国民が主人公」の政治を打ち立てることによって、二度と戦争はしない、との不戦の決意の下に、日本は、戦後、平和国家、民主国家として再出発したのです。
 そのことが今、根底から覆されようとしているわけであります。
 集団的自衛権について、安倍さんは「限定的だ」と強調しています。公明党の山口さんは、個別的自衛権に匹敵するような集団的自衛権に限定するなどと言っていますが、集団的自衛権はおよそ「限定的」ではあり得ません。必要最小限の行使というが、一旦、武力行使に踏み切れば、相手からすれば先に攻撃を受けたことになる。当然、反撃してきます。そうなると際限のない泥沼の戦争に突入することになります。安倍首相は、こういう事態が起こりうる、こんな危険があるなどと、通常、起こりえないようなケースをいくつもあげて、集団的自衛権の行使が必要だと強調していますが、集団的自衛権を行使した「後」のことは決して語りません。集団的自衛権の行使に踏み切ると、相手国から反撃される。その的は、米軍基地、自衛隊基地だけでありません。五四基もある原発が狙われたら一体どうなるのか。想像すべきであります。国民全体がテロの対象とされる危険も考えなければなりません。
 閣議決定は、従来の政府見解の基本的論理の枠内での論理的帰結であるなどと言っていますが、厚顔無恥の詭弁というほかありません。「立憲デモクラシーの会」という憲法学者や内閣法制局長官の経験者の方々が解釈改憲を許すなということでずっと活動していますが、その声明を見ますと、今回の政府の九条解釈の変更について、「正直な嘘つき」「慈悲深い圧政」のような語義矛盾であり、一言で言うと「憲法泥棒」だと厳しく批判しています。
 一昨日は数万人の人達が首相官邸前に詰めかけて、集団的自衛権の行使反対、戦争する国作りを許すなと声をあげましたが、安倍さんは無視して、閣議決定を強行しました。それで「がっかり」する人が出て来るのではないかと心配していましたが、私は、今日、これほど沢山の皆さんが集まってこられたのを見て、大変、意を強くしました。大和高田からはバスをチャーターして数十人が参加されています。
 実は解釈改憲の閣議決定をやったからといって、そもそも憲法九八条違反で無効でありますし、これだけではどうにもなりません。自衛隊を現実に動かしていくためには、根拠となる個別法の整備が必要です。
 関連法案が十数本出てくる、今年の秋、そして来年の通常国会、これこそが本当の闘いの正念場です。安倍内閣の暴走、こんな歴史逆行の憲法破壊の企ては、なんとしても阻止しなければなりません。
 実は、安倍さんは、自信たっぷりに見えますが、本当は自信がないんです。自信があるのならば、衆議院と参議院で三分の二以上の賛成で改憲案を議決し、堂々と国民投票に打って出ればよいのです。それが本来の筋道です。ところが、安倍さんは、国民投票で勝つ自信がないのです。そこで、こんな脱法行為、違憲行為、裏口入学のようなやり方をしているのです。こんな卑怯な男に負けるわけにはいきません。
 しかし、このまま放置をすると、彼は今後も二年間、内閣総理大臣を続けることになります。参議院選挙は再来年の七月です。衆議院の任期はまだ二年半近く残っています。おそらく二年後に衆参同時選挙をねらって来るでしょうが、二年間も待てません。
 安倍内閣の即時退陣を求め、安倍内閣打倒の声を上げていこうではありませんか。
閣議決定は、本格的闘いのいわば「号砲」、狼煙(のろし)に過ぎません。
 今日から、安倍内閣打倒のために、解釈改憲を許さず、憲法九条を守り活かすために、頑張りましょう。

(二〇一四・七・一二)


福島県内の全原発の廃炉を求める会

福島支部  広 田 次 男

一 はじめに
 改めて言うまでもないが、福島県には第一・第二の二ヶ所の原子力発電所があった。事故を起こした第一原発一ないし四号機については廃炉が決定したが、第一原発の五・六号機、第二原発の一ないし四号機については、東電は「その予定は未定」とし、今日に到るも第二原発の四機については、依然として「未定」のままである。
 全国で廃炉を求める提訴が相次ぐなかで、約一年の議論を経て「裁判によるのではなく、市民運動の力で廃炉を実現するのが、被害地フクシマの責任ではないだろうか」との結論になった。
 昨年一二月一五日、福島県内の宗教家・作家・元県知事・元福大学長らが呼びかけ人となり四五〇名の参加を得て結成総会を行った。
 六月二四日学習集会には七〇〇人を越える人が集まった。
 メイン講師として「原発ゼロの会代表」の河野太郎さんをお招きした。河野さんは、
(1)我国の核燃料サイクルの形成過程
(2)その現状として、維持不可能な矛盾の存在
(3)今後の代替エネルギーの現実的可能性
 といった骨子で話しを進められた。
 予定の一時間を一〇分程超過する熱の入った講演であった。内容は論理的で、合理性があり、全体として整合性があった。
 講演のなかで「こういう風に話をすると『お前は共産党か』と言われるんですが」という言葉が二回登場した。会の終了後の参加者の感想として「自民党にもあの様な人が居るんだ」というのが圧倒的であり「まるで共産党の話かと思った」というものまであった。
三 落花は枝に戻り難し
 次に講演した福島の代表文化人・芥川賞作家兼福聚寺住職の玄侑宗久さんの演題である。
 内容は、演題に漂う風流を湛えながら、極めて言いにくい事をズバリと断言する玄侑さんの持ち味を十分に発揮したものであった。
 曰く、
 「中間貯蔵施設は双葉町・大熊町に作る以外ない。問題は三〇年後の県外移出などと無責任な事を言っている事だ。」
 「雑誌『美味しんぼ』にある原発事故後に鼻血の出た事のある人、手を挙げてみて下さい。」
 と会場に呼びかけてみたりした。
四 「三・一一」の持ち方
 福島県は毎年三・一一追悼集会を主催し、その席で知事は全県廃炉の方針を表明してきた。
 しかし、その出席者は予め葉書で出席を応募して、選出された千数百名でしかなく、知事の廃炉方針は私達の目には国に対する「お願い」としか映らないものだった。この点につていての廃炉の会では、以下のような議論がなされてきた。 
 「八月六日はヒロシマの日、八月九日はナガサキの日、三月一一日はフクシマの日にすべきだ。」
 「八月六日、八月九日には全国・全世界から人々が集い、過ちは繰り返さないとして核廃絶を誓っている。三月一一日にも全県・全国・全世界から人々が集い、過ちは繰り返さないとして原発廃炉を宣言すべきではないか。」
 「三・一一は式典ではなく集会に。県内廃炉はお願いではなく、全県民の要求として突きだそう。」
 河野さん・玄侑さんの講演のあとで、上記のような議論が紹介され、当面の方針として来年の三・一一の持ち方について、県に対しての働きかけが提案された。
五 まとめ
 この運動は、正に、右も左も問わず、県内廃炉の一点で推進している「一点共斗」の典型である。
 従って、教科書はないし、経験した事もないような問題につき当たる事もあるが、様々な考えの人が一点で繁りながら運動を作っていく事は、かなり面白い事なのだと実感できる成果を上げつつある。


福島県知事・県議会議長・県議会各会派への申入れ
〜「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の取り組み

東京支部  馬奈木厳太郎

一 初めての県に対する要請
 六月三〇日、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団・弁護団は、福島県知事、県議会議長、県議会各会派に対し、裁判への支援とともに、東京電力の不誠実な主張の撤回などを求める要請を行いました。原告団による県関係者への要請は今回が初めてで、福島県内各地から五〇名が参加しました。
 要請したのは、(1)年間二〇ミリシーベルト以下の被ばくは何らの権利侵害にあたらない、技術的に原状回復が可能だとしても費用がかかりすぎるので一企業の手には負えない――とした東京電力の不誠実な主張について撤回を求めること、(2)裁判所の決定に従い、事故前に試算していた津波被害に関する一切のデータを開示するよう東京電力に求めること、(3)環境省が提案した達成すべき空間放射線量の目標値の引き上げに反対すること、(4)国にも法的責任があることを前提に、被害救済に積極的・主体的に関与するよう国に求めること、の四項目です。
二 県民を代表する訴訟として
 県知事に対する要請の際、中島孝・原告団長は、「生業訴訟は原告だけの裁判でなく福島県民を始め、被害者を代表した訴訟」と強調し、「県も腕を組んで一緒に努力してほしい」と訴えました。
 対応した県生活環境部は、個別の訴訟についての言及は控えたいとしながらも、「事故の原因者である東京電力が県民の声を受け止めきちんと対応するべき」と述べ、国の責任についても、「原発を推進してきた国の責任は重い。原状回復などを進める責任がある」と明言しました。また「除染の長期目標について年間一ミリシーベルトを堅持すべきとの考えは変わっておらず、国にも要望しているし、県としてしっかり取り組む」とし、被害者に対する賠償についても、「迅速に行うよう機会があるたびに求めている」としました。
 弁護団からの「事故後に県として東京電力に対し試算データの開示を求めたことはあるのか」との質問には担当が異なるので求めたことがあるか否かの事実を把握していないとしながらも求めたことがないのであれば速やかに求めるよう検討したいと回答しました。
 各会派に対する要請ではそれぞれ、「重く受け止め、党の幹部に報告する」(自民党)、「東電を公式の場でただしたい」(民主・県民連合)、「気持ちはみなさんと同じ。裁判を支援する」(共産党)、「東電には企業責任がある。国のエネルギー政策にも大きな問題がある」(ふくしま未来ネット)などと対応しました。
三 今後も継続して
 要請後には記者会見も行いました。中島孝・原告団長は、「生業訴訟の姿を伝えることできた。今後も継続して要請活動を行いたい」と述べ、服部浩幸・原告団事務局長は、「多くの被害者を代表する取り組み。生きるための一歩を踏み出すための支援をお願いしたい」と訴えました。
 要請行動については、昼のニュースでさっそく流されたのを始め、翌日の各紙が揃って、「『東電に撤回求めよ』知事らに要請」(毎日新聞)、「『東電に働き掛けを』原発訴訟原告団が県に」(福島民友)などの見出しとともに申入れ内容などを報じました。
 今回の県関係者に対する要請は、原告団として初めてのものでしたが、原告団の存在や主張を県関係者にアピールするとともに、東京電力の不誠実な主張などを伝えられたという意味では、一定の成果があったと考えています。また、原告団の主張は多くの会派の考えとも一致するものであり、県においても大きな方向としては共通するものであることも確認できました。原告団は、今後も県や議会と協力できるものについて連携をとっていく方針でいます。


日本の裁判官はなぜ法律を遵守できないのか?
―法運用の方法論的欠陥

東京支部  後 藤 富 士 子

一 立法クーデター・・・民法七六六条二項類推適用
 現在の判例では、「未成年者である子の監護に関する協議が別居中の夫婦の間で調わない場合において、民法七六六条二項を類推適用して、子の監護をすべき者等の監護について必要な事項は、家庭裁判所が定めるものと解するのが相当である。」とされ、離婚後の単独親権制が前倒し適用されて「単独監護者指定」が行われる。
 しかしながら民法七六六条は、「離婚後の子の監護に関する事項の定め等」を規定したものであり、類推適用すべき前提の法律関係が異なる。しかも民法は協議離婚を原則にしているから、第一項が「父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。」、第二項が「前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。」である。ちなみに、民法八一九条一項は、協議離婚の場合に協議により単独親権者を指定しなければならないとしているから、親権者について合意ができないと協議離婚はできず、調停を前置して離婚訴訟に持ち越され、同条二項により離婚判決において単独親権者が指定される。
 一方、民法八一八条三項は「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。」と定め同八二〇条は「親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。」という。
 そうすると、離婚前の夫婦が別居したからといって、どうして家庭裁判所が単独監護者を指定できるのか。単独監護者指定は、他方の親の「子の監護及び教育をする権利」を剥奪する。しかも、それが「子の利益のため」だというのであるから、呆れ果てる。夫婦が別居した場合、「共同監護」の「別居バージョン」を考えれば足りるのに、単独監護にしてしまうなんて、思考停止というほかない。これは、明らかに「立法クーデター」である。
二 条文の解体的適用・・・民法七六〇条
 民法七六〇条は「夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する。」と、法定夫婦財産制として婚姻共同生活に要する費用の分担について定めている。しかるに、現実に婚姻費用分担が紛争になるのは、別居状態になった夫婦間で離婚の前哨戦としてである。そして、実務では、夫婦の収入だけを基準にした標準的算定方式(判例タイムズ算定表)で裁判が行われている。すなわち、「資産」「その他一切の事情」を無視して「収入」だけで婚姻費用分担額を決めるというのであり、条文を解体して適用するのである。
 ところで、妻が子どもを連れ去り、離婚請求すると同時に婚姻費用分担請求してくる事件が横行し、標準的算定方式で迅速に審判される。しかも、住宅ローンの返済は「財産分与の問題であるから婚姻費用分担金の算定にあたっては考慮しない」扱いになる。婚姻期間が短いとオーバーローンであるから、妻は離婚に際し財産分与請求をしないほどで、標準的算定方式では、夫は住宅ローンの返済ができなくなる。ローンがなくても、標準的算定方式の婚費を払うと、夫は「ワーキングプア」さながらの生活に陥る。あれやこれやで婚費の支払ができないでいると、確定審判に基づき、未払婚費を債務名義にして賃金を差し押さえる。婚費や養育費は、差押可能範囲が二分の一であるから、たちまち生活に困窮するし、住宅ローンの期限の利益喪失と競売の追い打ち。民間企業のサラリーマンでは実際に解雇された例もある。稼ぎ手である夫が失業したり、生活困窮者になってしまえば、元も子もないではないか。
 どうしてこのような理不尽な事態が現出するのかを考えると、裁判官の法解釈適用に根本的問題があることが分かる。すなわち婚姻共同生活を維持するための費用の分担について、婚姻共同生活を一方的に破棄した妻の請求を認めることが根本的に間違っている。別居の経緯が、夫が妻を追い出す離婚請求であり、これに対し妻が婚姻継続を求めて婚費の請求をする場合と一八〇度異なるのである。
 ちなみに、民法七五二条は、「夫婦は同居し、互に協力し扶助しなければならない。」と規定しているところ、同居・協力・扶助という三つの義務は、婚姻が夫婦の精神的・肉体的・経済的結合であることから、婚姻の本質的義務として規定されたものである。しかも、この三つの義務は平板なものではなく、憲法二四条一項が「夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と規定したことを承けたもので、協力義務こそ、夫婦関係の円満な維持のために必要不可欠なものであり、その他の夫婦間の権利義務関係(扶養義務、婚姻費用分担義務、家事債務の連帯責任、夫婦財産の帰属)全体にわたる基礎となっている。なお、戦前の民法でも、夫婦の同居義務と夫婦間の扶養義務が規定されていたが、同居義務については、妻の夫に対する追従義務と夫の受入義務であり、夫婦間の扶養義務は、直系血族に対する扶養義務に劣後するものとして規定されていた。
 このように、法制度の根本趣旨を理解しないで条文さえ解体して適用するというのは、裁判として異常なのではなかろうか。
三 「事実を法律に当て嵌める」・・・法実証主義
 日本の裁判では裁判の大前提が法規、小前提が事実判断とされている。つまり、具体的ケースで法が実証されるとする考え方であり、「事実を法律に当て嵌める」という作業が行われる。「法律」の眼鏡をかけて「事実」を見るから、法律に当てはまる「事実の断片」がピックアップされ、「生の事実」は雲散霧消する。
 これに対し英米など判例法の国では、まず「生の事実」の認定作業をする中で適用すべき法が発見される。すなわち「事実に法律を当て嵌める」のである。この作業なら法律適用が頓珍漢になりにくい。
 結局、日本の裁判が「陳腐」なのは、「事実を法律に当て嵌める」という法運用の方法論的欠陥に起因していると思われる。したがって、キャリア裁判官であれ、未熟な判事補であれ、「事実に法律を当て嵌める」という真っ当な作業を訓練すれば、まともな裁判ができるはずである。

(二〇一四・七・八)


出張授業体験記

滋賀支部  玉 木 昌 美

 滋賀弁護士会では近年法教育委員会の活動が活発であり、中学校や高校の出張授業をはじめとした活動について杉本団員、石川団員、木下団員らが奮闘している。そうした中で同委員会から「古株も担当せよ。」と要請がかかり、三五期の私にまで担当が回ってきた。
 六月二三日、甲賀市のある中学校の出張授業に初めて出かけてきた。テーマは「弁護士の仕事」であり、対象は中学二年生の全体一〇二名だった。
 資料としては「弁護士という仕事」とした基本レジュメに弁護士の一日の例二日分、おすすめの本一〇冊(『あたらしい憲法の話』、『中高生のための憲法教室』『はだしのゲン わたしの遺書』等)、家族新聞に掲載した「弁護士ってなあに」、滋賀民主研究所の『手をつなぐ』に投稿した巻頭言「貧しい子にも希望を!教育を!」「運動音痴からの飛躍」を配布してもらった。弁護士の一日には、憲法を守る滋賀共同センターで街頭宣伝をしたことや集会で講演したことも登場し、かつ、昼休みに琵琶湖岸を走りパンで昼食をすませること、午後一〇時すぎまで事務所で仕事をすることにも触れてある。
 当日学校に行き、会場に向かうと、出会う生徒たちが自然に挨拶をしてくれる。校長先生によれば「うちの子は家裁にお世話になる子はいない。」とのことであったが、実に礼儀正しい。
 いよいよ自己紹介からスタート。木下団員のアドバイスに従い、ケースに入れた弁護士バッジを回覧しながら、その由来を語り、「弁護士とは困った人を助けるアンパンマンみたいな仕事だ。」等と説明していく。弁護士になるためにはそれなりの努力が必要であることにも触れる。また、弁護士は人生ゲームではお金持ちに分類されているが、そういう人も一部いるものの大半は大したことはない、でも個性や能力をいかすことができ、やりがいがあると説明した。刑事事件では「悪いことをした人の味方か?」と提起してえん罪事件のことに触れた。労働事件でも何でも困ったときには弁護士に相談することをまず覚えておくことも強調した(これも木下団員のアドバイスに忠実)。弁護士の生きがいを感じるときについても説明した。また、憲法を守るための活動を弁護士会でも市民団体でもしていることを話し、さらに、憲法そのものについても『あたらしい憲法の話』の一節を朗読しながら、戦争の放棄や個人の尊厳の重要性を説明した。
 この出張授業は司法修習生に対する講義の直後であったが、修習生と異なり中学生にわかるように説明することは容易ではない。一人やや眠そうにしている子が目についたが、ほとんどの生徒は聴いていることがわかった。弁護士会から事前に一番の課題は「生徒を眠らせないで最後まで聞いてもらうこと。」と聞いていたが、まあ合格点かなあ、という感じであった。
 子供たちの感想文によれば、それなりにしっかり受け止め各自の問題意識で印象に残ったことをまとめていることがわかり、感動した。
 以下その一部を紹介する。
・弁護士の話なんて普段聞けないので、すごく楽しかったし、勉強になりました。・・・やっぱりなりたいものになるには努力が必要なんだなと思いました。
・弁護士のバッジを手に取らせてもらい、とてもうれしかったです。弁護士の人が普段どのような生活をしているかということをプリントでみました。寝る時間が午前一時だったのには驚きました。また、お給料が少ない人と多い人がいることにも驚きました。
・間違った犯人を捕まえてしまうこともあることを知りました。そうならないようにする弁護士さんの仕事は、とても責任が重いなあと思いました。
・僕は「汗をかけ 恥をかけ 手紙をかけ」という言葉が心に残りました。努力し、失敗して、手紙を書いて、いろんな人とかかわろうと思いました。
・話を聴くまでは、悪い人の味方をするような仕事だと思っていました。でもそれが間違いだということがわかりました。人の権利を守る大切な仕事なんだなと思いました。
・弁護士は裁判所だけで仕事をしているものだと思っていたので、被告人の人が立ち直れるようなサポートをしているとは思っていませんでした。
・「信頼」されることが大事という話が印象に残りました。信頼されると依頼がいっぱい来るのですね。どの仕事も同じようなことが言えるのではないかと思いました。
・がんばるばかりでなく、時には少し自分の好きなことをしてエネルギーをチャージすることが大切なんだと思いました。
・僕は初めて弁護士さんと出会いました。それまではドラマでリーガルハイというのを見て、悪い人を助けてたくさんのお金をもらって稼ぐという話だったので、全然イメージが違い、ビックリしました。
 この出張授業はそれなりに楽しかったし、またやろう、今度はもっとうまく、という意欲も湧いてきた。尚、当日、団滋賀支部作成の「九条まもり」のビラを配布したいと申し出たが、それを断られたのは残念であった。
 現在、憲法を守る滋賀共同センター等憲法擁護運動の活動をしている人の間で、若い人たちにどう働きかけるのかが、保守層に対する働きかけと同様に一番重要な課題となっている。中学生や高校生には、もっと出張授業を活発にし、そのテーマを「憲法」にしていく、あるいは「弁護士の仕事」の中でも憲法運動も仕事のひとつとして触れていくことが大切ではないかと思う。