過去のページ―自由法曹団通信:1511号      

<<目次へ 団通信1511号(1月1日)


荒井 新二 新春の思い
守川 幸男 得票率と議席占有率の乖離について ―小選挙区制の害悪について
松島 暁 私たちは、「立憲主義者」なのか「平和主義者」なのか 松元雅和『平和主義とは何か―政治哲学で考える戦争と平和』
高木 吉朗 八回目の韓国・民弁との平和交流会
南木 ゆう 憲法と人権を考える市民のつどい「山田洋次監督と平和を考える」 〜憲法と平和を守る埼玉弁護士会の取り組み〜



新春の思い

団 長  荒 井 新 二

 年末総選挙の結果、平和・人権・悪政反対などの私たちの運動分野で政治的反動が強まりますが、これに対する反対勢力の伸張もあって、彼我の対決がこれから一層鋭くなることでしょう。また選挙戦を通じて選挙制、区割り、投票価値、選挙運動そして「政治とカネ」の問題をあらためて掘り下げアピールしていく重要性を痛感します。
 明けましておめでとうございます。皆様、このお正月をどのように過ごされているでしょうか。それぞれ交々に新しい決意と祈念がなされたことでしょう。この新年が希望に満ちた年になるように奮闘しましょう。
沖縄のアイデンティティ
 厳しい情勢の到来は確かですが、昨年おおいに勇気づけられたことに沖縄のたたかいがありました。一月の名護市長選を皮切りに、夏の同市議選で新基地建設反対勢力が勝利し、秋の県知事選は翁長氏が大差で当選しました。そして年末の衆院選。沖縄小選挙区から自民党の議席を一掃して、保守革新の別を乗り越えた「オール沖縄」の連帯の力が圧勝しました。沖縄のたたかいから私たちは沢山、学ぶことができます。そのことは、今後明らかになっていくでしょう。
 翁長知事の「いまやイデオロギーの問題ではない、沖縄のアイデンティティが問われているのだ」という言葉は、私たちの心をいたく揺さぶりました。
 沖縄のアイデンティティは、ながねんの苦闘のあとに開花し、もう基地問題で後に退かないという熱い思いとなり、「オール沖縄」の声として、県民の間に揺るぎなく立ち昇っていたのでしょう。歴史と風土と文化から培われ、現政権との対抗関係や地理的条件の現実から産み出された、沖縄のひとたちの政治的な自己認識です。
 この言葉が衝撃を与えるのはそれが反転して、では私たち自身のアイデンティティは一体どこにあるのか、という問いが私たちの前に差し出されてくるからではないでしょうか。
戦後七〇年という歴史
 今年は一九四五年の敗戦から七〇年目の節目です。明治四年(一八七一年)に徴兵制(同六年施行)とともに日本軍隊の創設がありました。日本の軍隊はその直後から東アジア等に対する侵略と戦争とを短期間に幾度も繰り返し、ついに先の第二次大戦に突入し、そして壊滅しました。七〇年の間富国強兵をかかげ、「帝国」としてひたすら軍事的覇権をめざした末の惨めな敗戦でした。その後にポツダム宣言受諾から東京裁判、それと日本国憲法制定を出発点にして、途中で自衛隊の発足を見たものの、この間戦争をせず(反戦)、戦争に巻き込まれず(非戦)、今年で七〇年目を迎えました。愚劣な戦争に突き進み、筆舌に尽くしがたい犠牲を内外にもたらした反省から、私たちは戦争の惨禍が再び起こることのない政治・社会の仕組みを、現憲法を心柱にしながら築き上げてきました。
 過去は明瞭だが現在は混沌である、と言われます。しかし戦後も七〇年が経ちます。この七〇年という歳月は、戦前と優に匹敵できる厚みと時間をもった時代であると言えましょう。戦いが終わった後二度と戦争をしないと誓った国や国際機関・条約に至った例は、世界歴史のうえで数多くありました。しかし不戦・非戦の「悲願」の実現がいかに困難なことであったかは、その後の歴史がやはり明らかにしています。私たちの戦後が、ともかくも七〇年のながきに亘り反戦と非戦を貫き続けてきたということは、歴史的に希有なことではないでしょうか。
平和と戦後民主主義
 この平和と戦後民主主義という思想と経験が、戦後七〇年間を迎える今、私たちのアイデンティティを形づくってきたと言えないでしょうか。先人や同輩・後輩たちの尊い努力によって支えられ幾多の試練に耐えて、それは成り立ってきたものです。七〇年間が単純かつ平坦であったのでは勿論ありません。先進国でありながら安保条約の軛のもとで米国軍の長期駐留を許し、沖縄を基地に縛り付けて軍事緊張の最前線にし、その犠牲を今なお払拭できないままです。しかし沖縄と私たちのアイデンティティは、分離独立したものでなく、相互に浸透し深部で繋がるものだと思います。
 アイデンティティと言えば、本来血となり肉となっている筈です。想っただけで身体の方も同時に動き出すというような、あの沖縄のカチャーシーのごとく、身体と一体化してはじめて本物のアイデンティティと言えるかもしれません。
 平和・戦後民主主義の歴史および思想は、果たしてそこまで私たちの身体に血肉化していると言えるでしょうか。
「戦後レジームの否定」を許さない
 七〇年の戦後の歴史が、今日現政権の言う「戦後レジームからの脱却」というスローガンによって覆されようとしています。安倍氏は「日本を取り戻そう」と叫んで「戦後」を否定しようとしています。秘密保護法の施行、盗聴法と司法取引の自由化、集団的自衛権を容認する閣議決定、労働法制の改悪、それに沖縄新基地強行の動きや憲法九条の空洞化と改悪の試みなどを許さないことは、まさに私たちのなかのアイデンティティをかけた闘争になると思います。
 新年にあたって、このような思いに浸されています。二月には奈良市で全団的な討論集会が持たれます。若い人たちの意見も率直に聞いてみたいものです。
 今年は平和と民主主義のうえで重大な岐路にあります。歴史的な使命感をもっておおいに奮闘しようではありませんか。


得票率と議席占有率の乖離について
―小選挙区制の害悪について

千葉支部  守 川 幸 男

 私は二年前の衆議院議員選挙(二〇一二年一二月一六日投票)に関して、自民党についてだけ一覧表を作ってみた(団通信二〇一三年一月一日号)。この選挙で自民党は小選挙区で四三・〇%の得票率で七九・〇%の議席占有率を得た。
 今回の衆議院議員選挙(一二月一四日投票)では、自民党だけでなく、小選挙区でも沖縄二、三、四区を除いて全選挙区に立候補した日本共産党も含めた試算表を作ってみた。
 なお、絶対得票率(有権者全体比)は煩雑なので今回はやめた。
 他方、四七五のすべての議席に比例区選挙で獲得した投票率を乗じた(想定)獲得議席数も試算した。後者がその党の本来の実力である。
 自民党は小選挙区で四八・一%の得票率なのに議席占有率は七五・二五%と両者が乖離していること、また、比例票配分したらわずか一五七議席しか獲得できないのに、二九〇議席を占め、その差は一三三議席にものぼることがわかる。議席のかすめ取りである。
 他方、共産党は、小選挙区で一三・三〇%の得票率なのにわずか一議席しか獲得できなかったこと(ほとんど死票である)、また、比例票配分したら五四議席を獲得できたはずなのに半分以下の二一議席しか獲得できなかったことがわかる。
 このように、小選挙区制の害悪が大きく、自民党が圧勝したことにはならないことがわかる。


私たちは、「立憲主義者」なのか「平和主義者」なのか 
松元雅和『平和主義とは何か―政治哲学で考える戦争と平和』

東京支部  松 島   暁

 立憲主義者なのか、それとも平和主義者なのか、と問われれば、多くの団員は両方だと答えるだろうし、立憲主義と平和主義を対立させることがそもそも間違いだと反論されるかもしれない。しかし、立憲主義と平和主義との共存関係は、平和憲法を有する日本という特殊な環境のもとでのみ可能だったのである。
 日本国憲法は、単に平和を希求するだけでなく、平和を実現する手段たる「戦争」や武力の「行使」「威嚇」を放棄し、国家(統治)機構としての「戦力」を備えず、「諸国民の公正と信義に信頼して」平和を実現するとした。目的の平和のみならず手段の平和を憲法規範化し、体制の原理としたものである。
 平和を目指すであるとか、平和を実現するという意味での平和主義ならば特殊でも何でもなく、ほとんどの人々は平和主義者であろう。また、この意味であれば、国際協調主義に基づく積極的平和主義(「アメリカと協調しての武力による平和」という意味であろう)を唱える安倍首相も平和主義者だということになってしまう。
 松元雅和『平和主義とは何か―政治哲学で考える戦争と平和』(中公新書)は、平和主義の核心、平和主義と非平和主義を分かつ分水嶺は、目的を実現する手段が平和的であることだと主張する。平和的手段をもって平和という目的を達成しようとしているがゆえに、日本国憲法は平和憲法なのである。(以下「平和主義」とは後者の意味で用いる。)
 歴史的には、「非戦や兵役拒否を含む平和主義の立場は、西洋において、単なる反権力的少数者集団としてではなく、しばしば反社会集団として扱われ、法の保護を奪われてきた。戦後日本はこの少数者の思想を憲法化し、体制の原理とした」(坂本義和)のであり、「侵略と敗戦」というこの国の歴史的経験があったればこそ、この少数者の思想を採用したのであって、この歴史性を無視しての憲法解釈は成り立たない。「日本国憲法は、平和という価値を明示的に憲法原理とし、それが日本国民の歴史的経験に立脚しているという点において、日本固有の特色を持つ。だから・・・・・・純粋にリベラルな原理に立脚した憲法ではない。北米のリベラリズムを単純に適用して平和主義を軽視する憲法解釈論は間違っているのである」(小林正弥)。
 多数派(グローバルスタンダード)は、次のように平和主義を批判する。「ガンジーとキングの信条と人生において、弱々しく、消極的で、ナイーブなものは何もないことを私は知っている。しかし、国民を守り保護することを誓った国家のトップとして、彼らの例だけに導かれるわけにはいかない。私は現実の世界に対峙し、米国民に向けられた脅威の前で手をこまねくわけにはいかない。誤解のないようにいえば、世界に悪は存在する。非暴力運動はヒトラーの軍隊を止められなかった。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を放棄させられない。時に武力が必要であるということは、皮肉ではない」(オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説・二〇〇九年一二月一〇日・オスロ)。オバマは立憲主義者ではあっても、平和主義者ではない。
 改憲とは、憲法に組み込まれ体制化された平和主義の原理を憲法規範から追放し、立憲主義と平和主義との分離を求めるものであり、世界の少数派である平和主義者=立憲主義者であることを止め、グローバルスタンダードである目的の平和という世界の多数派への仲間入りを目指すものに他ならない。従って、今、私たちに求められていることは、これからも平和主義者兼立憲主義者であり続けるのかにある。
 松元氏の『平和主義とは何か』は、平和主義がよって立つ根拠と批判的見解―「正戦論」「現実主義」「人道的介入主義」等の非平和主義―を概観したうえで、両者の間の対話を通じて、平和主義の思想を鍛え直そうとする政治哲学からの試みである。
 同書には、そのものずばりの回答が記されているわけではない。しかし、学習会などで出される様々な質問・疑問、例えば、中国や北朝鮮が武力で攻めてきた時には非暴力で防げるか、子どもや女性が殺されているのに何もしなくていいのか等々、そのほとんどについて網羅されているように思う。少なくとも考えるヒントが沢山用意されている。思考する材料として一読をお勧めする。


八回目の韓国・民弁との平和交流会

沖縄支部  高 木 吉 朗

 自由法曹団沖縄支部と、韓国・民弁の米軍問題研究委員会は、毎年相互に訪問して交流を重ねてきたが、今回は、さる一〇月一八日から二〇日までの三日間、第八回目となる交流会が江華島で行われた。
毎回、双方が相当な時間をかけて準備をするので、準備を担当するメンバーには相当のご負担になったことであろう。まずはこの場を借りて、準備に奔走された支部団員各位の労を改めてねぎらいたい。
本来ならばこの原稿も、準備を担当された団員に書いていただくのが本筋であろうが、せめて原稿の執筆だけでもお手伝いしようと考えて投稿した次第である。
以下、日程に沿って報告したい。
 初日は半日を費やしての報告と共同討議であった。当支部からは、(1)集団的自衛権、(2)駐留軍用地提供に関する諸問題、(3)辺野古新基地建設の動きについて、(4)沖縄の基地訴訟の四つのテーマについて報告し、民弁からは、(1)韓国憲法における平和的生存権、(2)韓米地位協定(SOFA)における米軍供与地問題、(3)内乱陰謀罪事件、(4)政党解散審判請求事件、(5)基地村女性国賠訴訟事件の五つのテーマについて報告があり、それを踏まえて討議が行われた。
民弁からの報告テーマのうち、上記(3)(4)(5)については少し説明が必要であろう。
(3)の内乱陰謀罪事件とは、被告人らが北朝鮮に追従する地下革命組織の一員として大韓民国の体制を転覆しようとしたり、それを煽動したなどとして、二〇一三年、三三年ぶりに内乱罪で起訴された事件である。一審は有罪だったが、二審は「地下革命組織の存在」等の立証が不十分であるとして一部無罪となった。現在大法院(最高裁)に係属中とのことである。
(4)の政党解散審判請求事件とは、韓国の憲法裁判所史上初の政党解散請求事件である。政府は、統合進歩党の解散を憲法裁判所に請求するにあたり、そのあらゆる活動を解散請求の理由として主張しているが、憲法裁判所の結論がいつ頃出るのかの見通しはまだ不明である。この解散請求は棄却されるほかないというのが韓国内の憲法学者の一致した見解とのこと(しかしその後、憲法裁判所が解散を命じる審判を出したとのことであり、韓国内では民主主義の破壊であるとの強い批判が起こっている。)
(5)の基地村女性国賠訴訟事件とは、かつて韓国政府が、直接にではないが「韓米親善協議会」等の団体を通じて米軍基地周辺の売買春を管理していたことに対する国家賠償請求訴訟である。現在裁判所で審理中であるが、これと平行して立法を求める運動も起こっているとのことであった。
 二日目は、民弁の先生方とそのご家族も交えて、江華島一帯を観光した。
江華島は、ソウルの西北西に位置し、高麗王朝期にはモンゴルの侵攻を受けたときの砦、朝鮮王朝末期には日本が武力で開国を迫った「江華島事件」の舞台、そして現在は北朝鮮との国境の島である。
万里の長城のミニチュア版のような城壁跡が残っていて、往時の様子がなんとなく想像できた。
まる一日かけて江華島をめぐった後の懇親会では、この日のために韓国語の歌を覚えて臨んだ団員もいて、大いに盛り上がったことは言うまでもない。
 今回でこの交流会は八回目になることもあり、米軍基地に関する諸問題については、双方の共通認識が相当程度深まってきたといえる。辺野古への新基地建設を阻止する闘いと、これに大きな影響を与えるであろう沖縄県知事選挙についても、民弁側も深い関心を示していた。
今後もこの交流会は続いていくであろうが、これまでの成果を踏まえて、共通の土台に立った平和のためのさらなる議論の進展が期待される。
この点について、私からは、集団的自衛権について報告したのだが、韓国では集団的自衛権は当然のことと理解されていることもあって、議論を深めることは率直に言ってかなり難しかった。すなわち、韓国においては、個別的か集団的かを問わず、自衛権は国家固有の権利であり、同盟関係にある国と共に海外で武力行使をすること自体については、政治的立場のいかんを問わずほとんど異論はない。そのため、宗教的信条を理由にした良心的兵役拒否の問題はありうるが、一般的に海外における軍事的行為それ自体を抑制することは困難とのことであった。
この点の議論を今後深めていくことができるか否かが、日本国憲法の平和主義の理念を東アジアにひろげていく上での試金石となるのではないだろうか。


憲法と人権を考える市民のつどい
「山田洋次監督と平和を考える」 
〜憲法と平和を守る埼玉弁護士会の取り組み〜

埼玉支部  南 木 ゆ う

 一二月四日、埼玉弁護士会主催で、「山田洋次監督と平和を考える」と題した市民集会が開かれました。昨年の一二月に開催した「なぜ、今『国防軍』なのか」、今年四月九日開催の「なぜ、今『集団的自衛権』なのか」、今年七月三一日開催の「集団的自衛権を認めるのか」に続くものです。
 前回、前々回の集会では、会場から人があふれ、中に入ることすらできない方が多数出たため、今回は会場を大宮に移し、ソニックシティー大ホールという大きな会場で行いました。図らずも衆議院の解散総選挙が決まり、また当日は、あいにくの雨に見舞われ集客が心配でしたが、一二〇〇名を超す市民が集まりました。
 市民のつどいは毎回、二部構成で行っていますが、今回は第一部に山田洋次監督、第二部に中央大学教授の植野妙実子さんにご講演頂きました。
 山田監督の講演は、映画『母べえ』の上映から始まりました。この映画は黒澤明監督のスクリプターを務めた、野上照代さんの実話に基づいた作品です。慎ましくも幸せな生活を送っていた一家に、戦争の影が静かに押し寄せ、間もなく太平洋戦争が始まろうとする絶望的な時代を懸命に生きた人々の、愛に溢れたた笑い声や悲しい涙を写しとった映画です。「父親が治安維持法により、思想罪で特高警察に不当に逮捕、連行されてしまうシーン」、「投獄されてしまった父親に、残された家族が手紙を書くシーン」、「父親がいなくなった家庭の面倒を見てくれた青年にも赤紙が届き、別れを告げるシーン」が流れ、会場がぐっと静まりかえり、映画に引き込まれました。山田監督は、戦時体制下の検閲により映画の重要なシーンが英米的だとカットされた例等を挙げ、「戦争、戦時体制になれば、表現の自由、思想の自由が奪われる。それが戦争の怖さ。」と語りました。
 また、監督は、「戦争時代銃後の少年少女であった体験を持っている僕たち世代は、僕たちの体験した戦争、銃後の戦争の体験を語り残さなければいけない。」とご自身が少年時代に過ごした満州での貴重な経験をお話し下さいました。そこでは、子供も大人も日本人皆が、当たり前のように中国人を差別し、中国人に対して威張り、見下していた現実があった。『自虐史観』とか言われるが、正しい歴史観を持つのがどうして自虐なのか、本当に伏して謝らないといけないと思った等と語りました。
 また、監督にとっての『平和』を寅さんとタコ社長の関係になぞらえ、「二人はしょっちゅう喧嘩するけど、言っちゃいけないことをわきまえている、修復できることをわきまえて喧嘩をする。だから『出て行け』というと『それを言っちゃあおしまいよ』となる。国と国との関係もそう。いろいろトラブルがあって喧嘩するけど、懸命に話し合うことで努力できる。特に日本のように国際紛争を武力で解決しないというのを持っている国は、仲裁役をかうことができる国ではないか、そういうことで、世界中で尊敬を受ける国になり得るのではないかと思います。」と締めくくりました。
 植野先生の講演では、「憲法改正と集団的自衛権」をテーマに、様々な切り口から現在の政治の問題点を批判しました。議会制民主主義の話では、「衆議院の解散が突然行われ、総理の専権事項だ、とテレビで流された。総理の好きなときに憲法改正をして良いのだと思っている人もいるかもしれない。日本の議会制民主主義の弱点は、政治の暴走に歯止めをかけられないこと。日本ほど『政治主導でやりたい』というのが出来ている国はない。裁判も遠慮している。権力の規制ができない。」と問題点を指摘しました。また、「選挙で国民が審判を下すなら、我々はしっかり問題を見据えて、過去にやってきたことをしっかり踏まえて投票を。集団的自衛権の行使『これでいいんですか?』。政治に関わることができるのは選挙ぐらいしかない。この機会をしっかり活かし、皆の願いが政治に届くことを願っています。」と熱く語って下さいました。
 人々の心には、人それぞれの平和への想いがあります。今回の集会では、参加者皆さんが自身にとっての平和とは何か、その平和を守っていくために自分は何ができるだろうか、と考える良い機会になったのではないでしょうか。私も、憲法九条の解釈改憲、秘密保護法の施行、…と、容易に戦争ができる国に向かっていってしまっている恐ろしさを改めて実感し、今後も埼玉弁護士会による市民のつどいやパレード、市民学習会での講師活動等に携わり、市民の声を大きくして政治に届けなくてはいけない、と決意を新たにしました。