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今村 幸次郎 広島・安芸でお会いしましょう
〜 二〇一五年五月集会へのお誘い
石口 俊一 広島での五月集会へのお誘い
池上 忍 一泊旅行・半日旅行のご案内
田中  隆 *改憲・戦争法制阻止特集*
戦争法制と対抗するために意見書論稿をお寄せください
吉田 健一 共同を広げて五月三日憲法集会の成功を!
憲法会議五〇年のたたかいを生かして
水口 瑛葉 東京合同法律事務所講演会
『沖縄・辺野古のいまと「オール沖縄」の未来 〜
『この道しかない』は本当か? 安倍政権を問う』を開催いたしました
植木 則和 武蔵村山市における育鵬社教科書採択阻止への取り組み
市川 守弘 やんばる訴訟・実質勝利 〜大衆的裁判闘争の成果
柿沼 真利 足立区立竹の塚図書館副館長不当雇止め事件訴訟第一審勝訴の報告
指定管理者制度の下における労働事件
林  裕介 横浜における給費制復活に向けた活動について
後藤 富士子 なぜ、法律違反の裁判が横行するのか?
―「判例依存症」という病
菊池  紘 *追 悼*
山本政道君、さようなら
荒井 新二 無名戦士合葬追悼会に参列して



広島・安芸でお会いしましょう
〜 二〇一五年五月集会へのお誘い

幹事長 今村 幸次郎

一 今年の五月集会は、五月一六日(土)〜五月一八日(月)(一六日はプレ企画)、広島・安芸で開催します。戦後七〇年、そして、安倍政権が戦争法制整備を強行しようとしている今年、被爆地・広島で五月集会を行うことには意義深いものがあります。多くの団員、事務局の皆さんのご参加を呼びかけます。
二 自民・公明の両党は、三月二〇日、七・一閣議決定を具体化する戦争法制整備の方向性についてとりまとめた共同文書に合意しました。安倍政権は、四月下旬に日米防衛協力ガイドラインの改定合意を行ったうえで、五月中旬に法案を国会に提出し、今通常国会での成立をめざす方針と報じられています。戦争法制は、憲法九条を完全に無視して、地球上のどこであっても、自衛隊を、アメリカやその同盟国が行う戦争に参加させ、武器使用や武力行使を行わせようとするものです。自衛隊が世界中で米軍等と一体となって活動するようになれば、自衛隊員が人を殺し、自衛隊員から戦死者が出ることは避けられません。日本も敵国等からの反撃やテロ行為の標的になることが必至です。国民は誰もそんなことを望んでいません。憲法九条に反する七・一閣議決定、それを具体化するガイドライン再改定及び戦争法制整備は、絶対に許すことができません。
 安倍政権の暴走は、それだけではありません。正社員ゼロ・生涯派遣の派遣法改悪、残業代ゼロ法案、歴史を偽造する「つくる会」教科書採択、えん罪と監視社会を生み出す刑訴法等改悪(盗聴拡大・司法取引導入)、原発再稼働、社会保障切り捨て等々、民意と憲法を無視する暴走は、枚挙にいとまがありません。
三 今年の五月集会は、こうした課題について、団と団員の取り組みを持ち寄り、交流し、安倍政権の暴走をストップさせる知恵と勇気と大きな流れを作り上げる、そんな集会にしたいと思います。
 集会一日目(一七日)の記念講演は、高橋哲哉氏(東京大学大学院教授)にお願いしました。極右化する政治の問題点、戦後七〇年にあたり日本に何が求められているか等について講演していただきます。
 分科会は、八つ企画しました。(1)憲法、(2)治安警察司法、(3)労働、(4)教科書、(5)ヘイトスピーチ、(6)原発、(7)貧困・社会保障、(8)リニア新幹線問題です。団と団員の取り組みにつき、大いに経験交流し、今後の活動に生かしていだければと思います。特別企画(給費制企画、女性部企画)もありますので、関心のある方はご参加ください。
 プレ企画(一六日)は、(1)新人学習会、(2)将来問題、(3)事務局交流会を予定しています。詳しくは次号に掲載しますので、新人の方、事務局の方、団の将来問題に関心のある方は、積極的にご参加下さるようお願いします。
 半日旅行、一泊旅行も予定しています。詳しくは後掲の案内をご覧ください。
四 盛りだくさんの企画を用意しました。五月一六日〜一八日には、広島・安芸で是非お会いしましょう。


広島での五月集会へのお誘い

広島支部 支部長 石 口 俊 一

 二〇一五年の五月集会が、五月一六(土)から一八(月)まで、広島県の宮島口で開催されます。およそ二〇年振りの五月集会ですので、その当時には弁護士でなかった団員を中心にしてお迎えします。
 今年は戦後七〇年、被爆七〇年という節目の年に、ヒロシマの地で全国から全国の団員が集い、また、今国会で目論まれている安保法制(戦争法制)化=実質的な憲法九条改悪という緊迫した状況の中、全国各地の智恵と経験を交流し合って、戦争をする国に向かおうとする動きをストップさせる活動を広げていく集会になると思います。
 その熱い議論を交わす会場は、瀬戸内海に面した宮島の対岸にあり、遠目には世界文化遺産の一つである厳島神社の大きな鳥居を眺めることができます。早めに広島入りされ。その日の前夜か当日の早朝に宮島へ渡って散策された後、静かなエネルギーを貯めて会議に集中することもできますし、全日程が終わった後に向かうにも便利なところです。
 そして、広島市内には、アウシュビッツと並ぶ負の世界文化遺産である原爆ドームがあります。これまで修学旅行や八・六前後に来られた方もあるかもしれませんが、被爆七〇年の今年、改めて何がこの地で起きたのかを「学び、記憶し、伝える」ということを考える機会にして頂ければ幸いです。今は保存のための作業中ですが、集会の時には囲いも取れて全貌が見られますのでご安心下さい。
 広島では、各団員が、日弁連や弁護士会の委員会活動の中軸となり、様々な分野での権利を守る訴訟や労働、市民運動に関わっていることから、団支部としての活動が停滞していました。今年、五月集会を受け入れることを契機にして、各団員の様々な特徴のある活動を紹介し合い、団支部としての結束を図るとともに、団ならではの活動への取り組みを進めようとしています。
 皆さんを迎える責任をひしひしと感じながらも、今後の支部活動の飛躍させる機会にさせて頂こうと思っています。皆さんとお互いに元気づけ合える集会を目指して頑張りますので、沢山の団員、事務局、ご家族の皆さんのご参加をお願いします。


一泊旅行・半日旅行のご案内

広島支部 池 上  忍

 今年の一泊旅行は、米軍岩国基地、錦帯橋、宮島、平和記念資料館、呉の自衛隊基地、竹原の町並保存地区に決まりました。
 広島は、世界最初の被爆地で、今も多くの被爆者が後障害の苦しみを受けています。他方、大本営、呉の軍港など、戦争遂行の枢要を担い、現在も呉の自衛隊基地、岩国米軍基地などが近接している地でもあります。人気の名勝地だけでなく、戦中戦後の足跡巡りを企画に織り交ぜ、戦後七〇年という節目にふさわしいものにしたつもりです。
 以下、日程を紹介します。
 五月一八日、午後〇時四五分に、会場を貸し切りバスで出発、午後一時三〇分ころから到着地の山口県岩国市の錦帯橋エリアで、散策と名物の岩国寿司の昼食を予定しています。錦帯橋は、優美な五連のアーチが有名な日本三名橋の一つです。
 午後三時ころからは、米軍岩国基地を視察していただきます。岩国基地の付近に基地を一望できる愛宕山という小高い山がありますが、愛宕山を削り、大量の土を利用して基地の沖合を埋立て、そこに滑走路を移設するという山と海の自然破壊をもたらす計画に多くの人が反対する中、防衛局は、沖合に滑走路を移設させることで米軍機の爆音が軽減すると説明し、反対を抑え、沖合移設に着工しました。しかし、その後、すさまじい爆音を振りまく複数の艦載機が、新滑走路完成を機に他の基地から移転させようとしていること、さらには、愛宕山の造成地には米軍の住宅地が建設される予定であることが発覚しました。滑走路の沖合への移設や愛宕山の造成の目的は、説明とは全く違っていたわけです。米軍岩国基地では、この曰く付きの愛宕山から基地を一望しながら地元の方の解説を受ける企画です。
 その後、Uターンして宮島口からフェリーで宮島に渡り、午後四時四五分ころから大鳥居、厳島神社等を散策します。弥山を背後にした建築美と自然美の調和が特長的なのが宮島です。その日は、宮島内の老舗の旅館で一泊し、宮島を満喫していただきます。
 翌日(五月一九日)は、午前九時二〇分、宮島を高速艇で出発し、穏やかな瀬戸内海と多島美を見ながら、広島市の平和記念公園まで海上移動します(所要時間約四五分)。
 午前一〇時ころから、午前一一時三〇分ころまで、平和記念資料館、原爆ドームの見学、碑巡り等をしていただきます。
 午前一一時三〇分ころに、平和記念公園を貸し切りバスで出発し、途中、午後〇時ころ市内の老舗料亭で昼食をとった後、呉市に向かい、午後一時三〇分ころから呉港の湾内に広範囲に停泊している海上自衛隊の護衛艦、潜水艦の停泊状況等を視察していただきます。
その後、みなさんご存じの「マッサン」の舞台地となった竹原市に立ち寄ります。
 竹原市は、安芸の小京都とも呼ばれ、町並保存地区として有名で、通りには江戸時代から明治、大正、昭和、それぞれの時代に建てられた商家、住宅が立ち並んでおり、各時代の建築とその移り変わりの様に触れることができます。
 午後四時三〇分ころ、広島空港行きの方と広島駅行きの方とに分かれて、貸し切りバスで各解散地までに向かっていただきます(広島空港着午後五時一五分、広島駅着午後六時)。
 多数の皆様のご参加をお待ちしています。

〜 半日旅行 〜

 半日旅行も、名勝地と基地を組み合わせました。
 以下、日程を紹介します。
 五月一八日、午後〇時四五分に会場を出発し、貸し切りバスとフェリーを利用し午後一時一五分ころ宮島に到着します。その後、昼食(あなご飯)をとり、宮島を散策していただきます。その後、午後三時ころ宮島を出発し、フェリーと貸し切りバスで、岩国に向かいます。
 午後四時、岩国の錦帯橋を散策していただき、午後四時四五分からは、米軍岩国基地を一望できる愛宕山から地元の方の解説を受けながら、基地を視察してもらいます。
 その後、貸し切りバスで解散地である岩国空港、新岩国駅に向かいます。(岩国空港着午後六時、新岩国駅着午後六時三〇分)。
 企画のコンセプトやそれぞれの見所は、一泊旅行に記載した該当箇所をご参照ください。
 多数の皆様のご参加をお待ちしています。


*改憲・戦争法制阻止特集*

戦争法制と対抗するために意見書論稿をお寄せください

東京支部  田 中   隆

【三・二〇共同文書】
 三月二〇日、自民・公明両党によって共同文書「安全保障法制整備の具体的な方向性について」が確認され、閣議決定「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」の法制化作業が、大きなヤマを超えました。水面下で続けられてきた「日米防衛協力の指針」(ガイドライン)改定協議も収束したことになり、高村自民党副総裁の訪米(三月二六日)、安倍首相の訪米(四月二六日)が、相次いで発表されています。
・「存立危険事態」は浮上しなかったものの、「経済的な損失」が「存立事態」のひとつに位置づけられることになり、もともと抽象的な「存立事態」の要件は、いっそう曖昧なものになる。
・周辺事態法が「重要影響事態法」に生まれ変わり、海外派兵恒久化法(一般法)が創出され、PKO法に「国連が統括しない安全確保活動等の国際的な平和協力活動」が組み込まれる結果、どうにでも使える「三つの海外派兵法制」が並存することになる。
・治安出動と海上警備行動の迅速化、米軍等部隊防護のための武器使用、邦人救出のための自衛隊の投入は、警察力や外交努力で解決すべき問題を「切れ目なく」戦争の領域に引き込むことになる。
 これらが、三月一〇日に緊急意見書を発表する前後になって、明らかになってきた問題の状況です。
【戦争法制との理論的対抗】
 こうした戦争法制と理論的に対抗し、戦争法制が生み出すものを解明・暴露するには、一九九〇年に「国連平和協力法」を阻止して以来、二五年にわたって自衛隊海外派兵や有事法制とわたりあってきた自由法曹団の総力を結集することが不可欠です。
 三月一八日の改憲阻止対策本部では、戦争法制策動の状況、本質・内容ともたらすものなどについて論議と確認をおこなったうえ、理論批判・現状暴露・逐条検討などを行って意見書等にまとめあげていくための「理論戦チーム」を発足させました(筆者が責任者)。
(1) 三月一〇日の緊急意見書を、三月二〇日の「共同文書」を踏まえて補充し、改定版を組むこと
(2) それぞれの視座、論点、分野などから戦争法制を告発・批判する論稿を募り、「論考集成型」意見書として発表を続けること
(3) 「要綱」の発表(四月中旬)、法文の発表(連休明け)を受けて逐条批判を行なって、逐条批判意見書を組むこと
などが当面の「理論戦課題」です。
 また発表する意見書は、関係議員やメディア、学者・研究者、運動団体などに提供し、論戦や運動に「理論的武器」を提供することをめざします。
 詳細は、改憲阻止MLに掲載した「戦争法制との対抗 ― 理論戦の展開と課題」をご参照ください。
【意見書の論稿をお寄せください】
 三月二〇日、緊急意見書の改訂版とともに発表を予定する論稿について、テーマを示して執筆(入力)依頼を行ないました。依頼のテーマには、戦争法制全般をめぐる問題や集団的自衛権にかかわる問題、さらには軍事基地をかかえた地方・地域からの告発が含まれています。しかし、依頼はあくまで対策本部が把握できているものに限られており、これが「自由法曹団の総力」とは考えられません。
 ついては、全国各地で活動し、さまざまな分野・視座・観点から戦争と平和の問題にたずさわってこられた全団員の皆さんに、戦争法制を告発する論稿をお寄せいただきたく、お願いするものです。
 憲法から、戦争体験から、かつてかかわった事件から、いまたずさわっている事件から、地方や地域の問題や運動から・・さまざまな角度や視座から、論稿を寄せていただければ幸いです。
 お寄せいただく論稿の字数は三〇〇〇字以内、総論を中心とした第一次の締め切りは四月一五日とさせていただきます。意見書の趣旨に合致した原稿は、末尾に執筆者名を掲記して意見書に掲載させていただくこと、自由法曹団内に紹介するために団通信に掲載させていただくことがあることを、あらかじめご了解ください。
 なお、起稿いただいた論稿は、「意見書論稿」と明記して後記の送信先アドレスに送信してください。
 送信先アドレス watajima@jlaf.jp
 戦争法制を阻止するためご協力をお願いいたします。

(二〇一五年 三月二四日脱稿)


共同を広げて五月三日憲法集会の成功を!
憲法会議五〇年のたたかいを生かして

東京支部  吉 田 健 一
(憲法会議代表幹事)

[憲法会議の五〇年]
 去る三月七日、憲法改悪阻止各会連絡会議(憲法会議)は結成五〇年となる記念の総会を開催し、一六〇名の参加者を集めて渡辺治一橋大名誉教授の講演をメインにした憲法講座を行った。そして、集団的自衛権の行使や海外での武力行使を進める閣議決定、それを具体化する戦争立法づくりを許さない国民的たたかいを急速に広げていくことを確認した。
 憲法会議は、一九六五年三月六日、内閣憲法調査会の報告書提出をテコとした改憲の動きが強まる中、憲法学者や大西良慶(清水寺貫主)、羽仁説子(評論家)など日本社会の知性と正義を代表する各界三三氏の呼びかけに応え結成された。自由法曹団も当初から加盟団体であるが、労働団体、民主団体、学者・研究者・宗教者、法律家など個人も広く結集して五〇年、改憲の動きに反対するとともに、有事立法、小選挙区制、秘密保護法、海外派兵など様々な改憲攻撃とたたかってきた。また、それぞれが取り組む様々な課題に対して、憲法を生かしてたたかうことを実践する「憲法運動」を推進してきた。その軌跡と教訓は、五〇年を記念して出版された「いまこそ、改憲はばむ国民的共同を─日本国憲法のあゆみと憲法会議の五〇年」(本の泉社刊・一四〇〇円税別)にまとめられている。是非一読されたい(注文は憲法会議電話〇三―三二六八―九七〇三)。
[共同の取り組みと発展]
 これらのたたかいのなかで、憲法会議が重視してきたのは、共同の取り組みを呼びかけ、たたかいを広げることである。とりわけ、二〇〇〇年代にはいり、国会の憲法調査会での審理が開始され、アフガニスタンやイラクへの自衛隊海外派兵などが進められ、戦争する国づくりが進められるなかで、憲法会議は、改憲を許さない運動を呼びかけるとともに、改憲に反対する勢力の共同により、毎年五月三日に五〇〇〇人を超える憲法集会を成功させてきた。ここでは、毎回、共産党と社民党の各党首が壇上でスピーチを行い、改憲反対を訴えた。
 いま、安倍政権が強行しようとしている改憲の動きを許さないためには、国民的な大きなたたかいを早急に広げることが必要となっている。
 この間、秘密保護法や閣議決定に反対する運動でも共同が広がり、他方で、昨年五月には運動のセンターを再編し、憲法会議も事務局会議となって「憲法を守り・いかす共同センター」(憲法共同センター)が発足した。
 さらに、憲法共同センター、「解釈で憲法九条を壊すな!実行委員会」、「戦争をさせない一〇〇〇人委員会」の三団体が「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会」を結成し、共同の取り組みを進めている。市民団体、上部組織を異にする労働組合などによる新しい共同であり、憲法についての国民的な大運動を構築する第一歩となる画期的なものである。
[五月三日の憲法集会に結集を]
 新たな共同の広がりを受け、今年の五月三日の憲法集会は、新たな実行委員会を結成して取り組むこととなった。「平和といのちと人権を!五・三憲法集会─戦争・原発・貧困・差別を許さない」である。「臨港パーク」(横浜市みなとみらい地区)を会場に、数万人規模の大集会の準備が進められている。予定されていた神奈川での憲法集会を午前中に組み直してもらうなど神奈川憲法会議など関係者にもご苦労いただき実現する運びとなった。
 この集会は、平和と命の尊厳を基本に、憲法を守り生かすことを求めるものであり、当日は大江健三郎氏や樋口陽一氏などのスピーチや各分野からのリレートーク、政党からの発言も予定されている。なかでも、連休明けに国会に法案提出されるという戦争立法を許さないために、国民の声を大きく結集する集会である。
 全国各地の憲法集会を大きく成功させることとともに、横浜で開かれる今年の憲法集会にも、こぞってご参加されるようお願いしたい。


東京合同法律事務所講演会

『沖縄・辺野古のいまと「オール沖縄」の未来 〜
『この道しかない』は本当か? 安倍政権を問う』を開催いたしました

東京支部  水 口 瑛 葉

 昨年、沖縄では、県知事選挙、衆議院議員選挙を経て、辺野古への新基地建設反対という沖縄県民の意思が明確に示されました。しかし、政府は、新基地建設のための海底ボーリング調査を再開するなど、県民の声を無視して新基地建設を強行しようとしています。
 このような状況を受け、当事務所は、昨年六月に開催した憲法集会に続く企画として、沖縄の基地問題をテーマとすることとし、三月一八日、『沖縄・辺野古のいまと「オール沖縄」の未来 〜 『この道しかない』は本当か? 安倍政権を問う』と題した講演会を開催いたしました。
 本講演会には、昨年の衆議院議員選挙で、“オール沖縄”の候補者として当選した日本共産党衆議院議員の赤嶺政賢さんと、沖縄現地を何度も取材している平和新聞編集長・フリージャーナリストの布施祐仁さんをお迎えしました。
 当日は、緒方蘭団員の司会のもと、当事務所運営委員長である鈴木眞団員からの、政府は改憲に向けて進み始めているが、本当にこの道しかないのかを問い直すきっかけとして本講演を位置づけてほしいとの開会挨拶により始まりました。
 冒頭、久保田明人団員が、日米安保条約・日米地位協定などにも言及しながら、沖縄の基地問題の歴史や、“オール沖縄”に至るまでのたたかいの過程について基調報告を行いました。
 次に、布施さんから、いま辺野古では何が起きているのかについて、写真も交えつつ、新基地建設に対する抗議行動の様子を中心とした講演がありました。
 船上にいる反対派の市民に対して馬乗りになっている海上保安庁の職員の様子や、カヌーに乗って抗議する人々に対して海上保安庁の船が体当たりをしている様子、こうした強行的な対応にも負けず、同じ沖縄に生まれた警察官に対して涙ながらに語りかける女性や、辺野古漁港前での市民の座り込みの様子を写した写真などが紹介されました。
 その後、赤嶺さんから、“オール沖縄”の候補者としての立場から、どのようにして沖縄が一つになることができたのかについて講演がなされました。
 沖縄は基地に依存していると言われていたが、現在では基地への依存率は低下しており、基地か経済かの二択ではなくなっているという指摘や、赤嶺さんに投票することについて躊躇する保守派の市民も、周囲から共産党も入っているから“オール沖縄”なのだと言われ納得したという方もいたなど、沖縄の人々の基地建設に反対する意思の強さの現れといえるエピソードもありました。
 そして、お二人の講演を受けて、会場からの質問にお答え頂きながら馬奈木厳太郎団員と私も加わり、ミニトークがもたれました。
沖縄の長い反基地運動の積み重ねの歴史や沖縄の文化が、安保条約に対する姿勢・立場の違いを超えて、辺野古への新基地建設に反対するという一致点でまとまる“オール沖縄”のたたかいを支えていることを知ることができました。
 東京の若者が、沖縄の基地問題は日本の民主主義の問題であるとして、抗議行動に参加し、運動の様子を撮影した映像や写真を東京に持ち帰り、沖縄の現状を伝える活動をしているといったお話もありました。
 馬奈木団員からも、現在の情勢を考えたときに、私たちは戦後八〇年を迎えられるのか、東京にいてもできることはある、いまこそこの問題と向き合い、行動するときではないかといった趣旨の訴えがなされました。
 最後に、前川雄司団員から、いま、日本は、どのような方向へ向かうのか、大きな岐路に立っている、日本の平和・人権・民主主義を守り、日本を戦争のできる国にしないため、粘り強くたたかっていこうとの行動提起がなされ、一八〇人近くの来場者が集まった本講演会は、大変盛況のうちに閉会となりました。
 講演のなかで、布施さんは、学生から「平和運動をする意味はあるのか?」と問われることがあるが、そのときはいつも辺野古の反対運動のことを話すと仰っていました。日米政府が辺野古への移設条件付で普天間基地の返還を合意してから既に一〇年以上が経過しているが、現在も辺野古に移設できていないのは、沖縄県民の反対運動があったからであり、沖縄の運動の力であると。
 私たちも、“オール沖縄”のように立場の違いを認め合いながら、真に重要な点については一致点を見いだし、“オール日本”を目指して粘り強い運動を続け、私たちのもつ運動の力を発揮していかねばなりません。沖縄の基地問題は日本の民主主義の問題であり、まさに自分たちの問題なのだという認識を多くの人と共有することが必要とされています。
 当事務所は、本講演会に引き続き、さらなる集会の開催を予定しています。全国の団員のみなさまとともに、戦後七〇周年の節目の年にあたって、これまでの日本の歴史を振り返り、平和について考え、行動していきたいと思います。


武蔵村山市における育鵬社教科書採択阻止への取り組み

東京支部  植 木 則 和

 ご承知のとおり、今年の八月には中学校教科書採択が予定されています。
 平成二三年に行われた中学校教科書採択において、武蔵村山市では公民・歴史の教科書について育鵬社の教科書が採択されました。同年の教科書採択を控え、武蔵村山市には都教委から教育長が送り込まれ、作る会の教科書採択の動きがあるという事前情報があったため、短期間ではありましたが駅宣・ビラ配布等の反対運動を行いました。しかしながら、採択手続では、休憩時間中に事前に用意されていたと思われる一覧表記載とおりの採択を行うという暴挙が行われ、育鵬社の教科書が採択されてしまいました。
 採択後、武蔵村山で三〇年以上前から都教組・新婦人等のメンバーが中心になって活動している「武蔵村山子どもの教育と文化を育てる会」を中心に、採択手続の問題を追及し、次回は育鵬社教科書を採択させないための取り組みを行ってきました。以下で、簡単に内容をご紹介させていただきます。
(1)ビラの全戸配布
 四年前の採択直後には、育鵬社教科書の問題点をまとめたビラを市内三五〇〇戸に配布し、教科書ネットの俵さんをお招きして学習会を開催しました。その後も、昨年の一二月、今年の二月にはそれぞれ二万五〇〇〇枚のビラを市内に配布しました。ビラを見た市民から、市長宛に育鵬社教科書に関する不安を述べた手紙が直接届けられるなど、一定の成果がありました。
(2)教育市民集会
 「育てる会」では、活動当初から毎年一回教育市民集会を開催してきましたが、育鵬社教科書採択後は、毎年教科書問題を採り上げてきました。広報活動にも力を入れ、今年の二月に行われた教育市民集会には二五〇人が集まり、市民会館のホールが満員になるほどの盛況でした。
(3)例会・学習会
 上記の教育市民集会とは別に、隔月で例会・学習会を開催し、育鵬社教科書の問題点に止まらず、安倍政権の「戦争ができる国づくり」と「教育再生」との関係など、教科書問題の背景にある問題点を含めて学習を行ってきました。毎回、三〇名前後の方にご参加いただき、市民のみなさんに教科書問題を考えていただくきっかけになったと思います。
(4)採択要綱の改定
 上述のとおり、四年前の採択の際には、武蔵村山市の教科書採択要綱の手続規定が杜撰であったため、極めて恣意的な採択がなされてしまいました。そこで、まず多摩地域の各自治体の教科書採択要綱を取り寄せ、「目的規定」「教員・市民の意見の反映過程」「調査委員の構成」等の観点から一覧表にまとめ、比較検討しました。その結果を踏まえ、昨年行われた小学校の教科書採択のための要綱について、採択手続の適正・中立・透明性を目的規定に掲げること、教員や市民の意見聴取の手続を具体的に規定すること(見本本の展示期間の延長を含む)、調査委員の拡充等の改正を武蔵村山の市議会で要求し、見事に大幅な改正を実現しました。
 その結果、昨年の小学校教科書採択手続においては、各教科書について実質的な意見交換がなされ、議論のうえで各教科ごとに公開の場で採択がなされました。もちろん、採択要綱にはまだ改善の余地はありますが、恣意的な採択を防ぐという意味で、四年前の中学校教科書採択から大きな改善がみられました。
(5)市教委への要請
 今年の中学校教科書採択を控え、今年の三月には、市教委に対して、より公正で透明性の高い手続の中で採択が行われるよう、文書での要請を行いました。この中では、全国で唯一、武蔵村山市の教育長が教育再生首長会議に出席した点を問題視し、中立性を担保する観点から、教育長は採択手続に関与するべきではないとの意見も盛り込んでいます(現教育長は今年の三月で任期切れですが、再任の可能性が高いといわれているため)。
(6)入学式でのビラ配布
 これからまさに育鵬社の教科書を使う中学校の生徒やその保護者の方々に、育鵬社教科書の問題点を知っていただくために、四月には武蔵村山市内の全中学校の入学式において、ビラ配布を予定しています。配布するビラには、まずは問題意識を持っていただくことが重要であるため、育鵬社の教科書は全国でわずか四%しか使われていないこと、育鵬社教科書の記載内容の具体的な問題点等を記載しています。
 このように、武蔵村山市においては、前回の採択から様々な運動を行ってきましたが、今年の中学校教科書採択で育鵬社教科書の採択を阻止できるか、まだ不透明な状況です。一度採択されてしまうと、実績や指導の連続性などを理由に、再び育鵬社の教科書が採択されてしまう可能性も高まります。
 武蔵村山で行われた強引な育鵬社教科書採択が、今回はみなさんの自治体で行われるかもしれません。ぜひとも、教育委員会の動向を注視し、育鵬社教科書が採択されることのないようご尽力いただければと思います。


やんばる訴訟・実質勝利
〜大衆的裁判闘争の成果

北海道支部  市 川 守 弘

 三月一八日、那覇地裁で八年間続いたやんばる訴訟の判決がでた。訴えの却下だが、実際は沖縄県民の勝利であった。この事件は、沖縄県が沖縄本島北部のやんばる(山原)と呼ばれる地域に広がる森林の伐採、施業、林道建設を進める事業に対する公金支出の差止めを求める住民訴訟事件である。
 判決は、門前払いの却下であったが、これは差止請求の要件である公金支出の客観的確実性がない、という理由であった。問題は、この公金支出の確実性がないと判断した根拠である。一つは、五年ほど前から県によるすべての森林施業及び林道建設が休止していたこと、二つには生物多様性条約、世界遺産条約から「現時点で森林施業、林道建設を再開することは、裁量権の範囲を逸脱し違法と評価される」と判断した点が重要である。
 やんばる地域は、この非常に狭い範囲にのみ生息するノグチゲラやヤンバルクイナをはじめとする固有種の宝庫である。私たちは生物多様性条約及び世界遺産条約から県はその自然を保護すべき義務がある、と主張していた。森林施業事業という行政裁量権について、裁量権の範囲の逸脱ないし濫用とする枠組みを立てたのは全国で初めてのことであり、大いに評価できる内容となっている。判決では明確には述べられていないが、この行政裁量が違法となる枠組みは条約上の義務によって覊束される結果とみるべきであろう。
 ところで、前記のように県による森林伐採や林道建設を市民の力で五年ほど前に休止に追い込んでいた。提訴当時は、伐採が進み、林道建設も進んでおり、訴訟が終わるころは、二〇以上の林道は建設されてしまうと誰もが思っていた。それを休止に追い込んだのは訴訟と連携した広範な市民運動である。
 まず、少しでも伐採などがあれば徹底的に、文化財保護法違反、種の保存法違反で刑事告訴した。実際にヤンバルクイナの雛がいる場所で伐採がされるのであるから、文化財保護法違反は明らかで、行政側へのプレッシャーは大きかったと思われる。
 また、訴訟で明らかになった費用対効果の算出が全くの根拠のないものであった事実を、県議会で追及した。共産党、社民党などの野党は与党と拮抗していたこともあり、野党議員に再三にわたりレクチャーし、県議会での追及は結果としてすべての森林事業を休止に追い込んだ。
 さらに、野党議員との連携は、市民が議員たちをやんばるに案内し、野生生物の宝庫であり、沖縄の宝であることを知ってもらい、県に対し、野生生物調査を行わせるという成果も上げた。この調査結果は県民世論を高め、県をして森林施業を事実上断念するまでに追い込んだ。
 以上のように、やんばる訴訟は、法廷内にとどまらず、法廷で明らかになった事実を法廷外の闘争の糧として広範な市民運動につなげ、その結果、すべての県事業を休止させたのである。前記の判決はこの休止している事実を無視できなかったのである。
 やんばる訴訟の教訓は、法的には森林施業における裁量権の覊束性を明らかにしたことと、大衆的裁判闘争の伝統を自然保護運動に受け継ぐことができたことの二点に集約できるものである。
 最後に、ともに闘い、志半ばで急逝した共産党の前田県議にこの紙面をもってご報告としたい。故前田県議なくしてこの勝利はなかったからである。


足立区立竹の塚図書館副館長不当雇止め事件訴訟第一審勝訴の報告
指定管理者制度の下における労働事件

東京支部  柿 沼 真 利

 今回は、当職が係わった、「足立区竹の塚図書館不当雇止め事件」の訴訟で、二〇一五年東京地裁(民事第一一部)において、勝訴判決が言い渡されましたので、報告いたします。
 事件の概要は、以下のとおりです。
 原告Aさん(仮称)は、二〇一〇年四月以降、被告B社(民間企業)が、足立区教育委員会より管理運営業務を受託している足立区立竹の塚図書館にて勤務していました(契約期間「一年間」の有期雇用。同年九月以降は「副館長」として勤務。)が、二〇一二年四月以降、B社から、労働契約の更新を拒絶され(既更新回数は、一回のみ。二回目の期間満了時の雇止め)、不当に雇止めされてしまいました。
 竹の塚図書館は、足立区教委によって、二〇一〇年四月一日から五年間、地方自治法第二四四条の二以下で規定されている「指定管理者」となったB社に管理運営が委託されています(なお、この「指定管理者」に対する公立図書館の管理運営業務委託については、近年、九州の某市にて、公立図書館の管理運営が、大手レンタルビデオチェーン企業に委託されたことで話題になりました。)。
 この「指定管理者」制度においては、地方公共団体の公的施設(本件では、図書館)の管理運営が、民間企業に委託されますが、この場合、受託企業が、その「利ざや」を増やすために過度のコストカットを行い、職員の労働条件の切下げ、労働環境の悪化、ひいては公的サービスの低下などにつながる危険性が構造的に存在することが指摘されていました(特に、本件のような公立図書館営では、営業努力によって売上げを向上し、「利ざや」を増やすということが性質上困難であり、よりその危険が大きいとも考えられます。)。
 本件において、Aさんは、図書館法上の「司書」の資格を有し、従前、他の公立図書館で勤務していましたが、二〇一〇年四月以降、B社に採用され、本件図書館に勤務し(一日八時間、月一八日勤務)、同年九月以降は、その働きを評価され、副館長の職に就きました。そして、翌年四月以降、労働契約を更新し、誠実に勤務していました。
 しかし、B社から、二〇一二年四月以降の更新を拒絶され、「雇止め」されてしまいました。B社は、形式上雇止めの理由として、「業務を遂行する能力、勤務態度が十分でないと認められる」などとしています。
 ですが、本件では、以下のような背景事情が存在します。B社は、二〇一一年八月頃、図書館内の約二万冊の書籍に、防犯用シールを貼り付ける作業を職員に行わせる際、通常の業務としてではなく、「内職」として、最低賃金を大幅に下回る金額の「報酬」でこれを行わせようとしました。これは、最低賃金法上問題のある行為であり、Aさんは、B社に対し、これを抗議し、これを止めるよう求めました。そして、その後、Aさんは、B社から、二〇一二年四月以降の更新を行わないことを告げられました(なお、B社から、雇止めされたのは、副館長であるAさんだけでした。)。
 このB社が「防犯用シール貼り作業を内職として行わせた」点について、Aさんは、足立区の公益通報制度に基づいて、公益通報を行い、その後の足立区公益監察員による「調査報告書」の中で、最低賃金法に違反する問題であることが、厳しく指摘されました。また、その調査報告書の中で、Aさんに、B社が雇止めの理由として主張するような事情は存在しないことも明らかにされました。B社によるAさんの雇い止めは、AさんがB社の最低賃金法違反の行為に抗議し、改善要求したことに対する「報復」、「見せしめ」として行われたと考えられます。
 二〇一三年八月の訴訟提起後、一年半以上に及ぶ審理を経て、今回、二〇一五年三月一二日、判決言い渡しとなりました。
 判決の内容は、B社による雇止めを、違法・無効とし、Aさんの労働契約上の地位の確認を認め、二〇一二年四月の雇止め以降、現在までの未払い賃金を全て支払うことをB社に対して命じるほぼ原告完全勝訴の内容でした。
 また、判決は、「既更新回数一回のみ」であるにもかかわらず、Aさんの労働契約更新への期待を、合理的なものと結論づけていますが、その中では、
(1)図書館法上、公立図書館には、「司書」などの専門的職員を数名置くことが求められ、本件図書館でも同様であること(Aさんは、司書の資格を持っている。)、
(2)B社が、本件図書館の指定管理者として選定されるため、足立区に提出した「事業運営計画書」の中でも、「従業員が意欲を持って、継続して安心して働き続けられる職場環境の整備に全力で取り組」む旨を約束し、「従業員を継続的して雇用するとの方針をとっていた」こと、
(3)実際の更新に関し、Aさん以外には、更新を希望していた人は全員更新していた実態があること、
 などを認定し、これを認めました。
 とはいえ、B社側は、即日、控訴してきやがりました、ので、これから「第二ラウンド」になります。
 控訴審でもがんばっていきます。


横浜における給費制復活に向けた活動について

神奈川支部  林   裕 介

 一月二一日に、横浜弁護士会館において、「司法修習生の給費制復活を求めて―法曹(裁判官、検察官、弁護士)志願者の激減と私たちの身の回りに起こる問題を考える市民シンポジウム―」と題し、横浜弁護士会主催、日弁連共催によるシンポジウムが開催された。
 第一部として、佐々木さやか参議院議員(横浜弁護士会会員)を講師としてお招きし、司法ソーシャルワークについてご講演いただいた。
 第二部としては、福島原発かながわ訴訟原告団団長である村田弘さんをお招きし、「巨大事故との戦いに臨んで」というテーマの下、お話をいただいた。私が村田さんに質問をし、それに対して村田さんにお話をいただくという対話形式の進め方であったが、まず、原発事故の当時の状況や避難されている方々の現在の状況などを克明にお話いただいた。そして次に、原発事故による被害の完全な賠償を求めて提訴している、福島原発かながわ訴訟の状況をお話いただいた。そして最後に、同訴訟における弁護団に所属する、若手弁護士について、村田さんの目から見てどう映っているのかについて、率直に思いを語っていただいた。村田さんからは、若手弁護士が弁護団内において本当に頑張ってくれているというお言葉をいただき、同弁護団に所属する私としても非常に嬉しく感じた。また村田さんからは、特に、若手弁護士が、借金を理由として、福島原発かながわ弁護団をはじめとする、社会的に意義のある弁護団等の活動ができなくなる可能性があることは、非常に悲しいというお言葉もいただいた。
 第三部としては、パネリストとして、水地啓子日弁連副会長、釜井英法日弁連司法修習費用給費制存続緊急対策本部事務局長、第二部に引き続き村田さん、大学四年生でビギナーズ・ネット学生代表の竹崎祐喜さん、そして私を入れた五名により、「法曹志願者激減問題と司法修習生に対する経済的支援」につき、パネルディスカッションを行った。水地副会長や釜井先生からは、経済的理由により、学部生が法科大学院進学を諦めたという例や、同じく経済的理由により、司法試験合格者が法曹になることを諦めて企業に就職した例の紹介や、六三期と六七期を比較して六七期の一カ月あたりの食費が一万円以上減少しているといった数多くの実態をご紹介いただいた。
 また、竹崎さんからは、現在の学部生が持っている意識の実態を語っていただいた。竹崎さんは、四月から法科大学院に進学されるとのことだったが、司法試験よりも金銭面の心配の方が大きいとのことであった。さらに、竹崎さんの周りの学生の中には、「お金のない人が司法試験を諦めてくれたら、志願者が少なくなって自分たちにとってはラッキーだ」と言っている学生もいるという現状も語ってくださった。私は、これを聞き大変驚くとともに、法曹となることに金銭的な負担の大きい現制度化では、自分さえよければいいという法曹が増えてしまう危険性があることを知ることができた。
 当日の参加者は、約六〇名と、決して多くはなかったが、非常に有益なシンポジウムとなった。貸与制の問題は、市民にどう共感を広げていくかが大変難しい問題であるが、弁護士が経済的理由により社会的に意義のある活動ができなくなるということは、その弁護士自身にとって不幸であるだけでなく、社会貢献をしたいという若手弁護士の気概が社会に活かされなくなるという意味で、社会にとっても大きな損失なのだということを、今後も訴えていきたいと思う。


なぜ、法律違反の裁判が横行するのか?
―「判例依存症」という病

東京支部  後 藤 富 士 子

 昭和四〇年頃、父が都内の借地八〇坪に建物を建て、妻と三人の子と暮らしていたが、平成三年頃には子どもたちは独立し、夫婦だけの生活になった。平成一三年、長男が底地を買い取り、税務署には所定の「借地権者の地位に変更がない旨の申出書」を父子連署して提出した。長男が底地を取得して父に無償で貸付ける場合、父の借地権が消滅するとすれば、長男は借地権につき無償取得することになり、「みなし贈与税」がかかる。それを避けるために、税務署に提出するのである。さらに、平成一五年に相続時精算課税制度が導入されたのを機に、父は建物を長男に贈与した。その後父が死亡し、相続紛争になったのは、父の借地権が遺産か否かである。
 この論点につき、第一審判決は、民法八七条二項(従物は、主物の処分に従う)を参照し、建物の贈与に伴い借地権も長男に贈与されたというべきである、と判示した。法律論として全く粗雑である。
 これに対し、控訴審判決は、「建物の敷地の利用権は、敷地上に建物を所有するための権原であり、建物の効力を全うするための権利であるから、借地上の建物の所有権が譲渡された場合には、特別の事情のない限り、それと同時にその敷地の借地権も譲渡されたものと推定するのが相当である」とする昭和四七年の最高裁判決を引用して、「特別の事情」について精緻に検討し、それがないとして、建物の贈与に伴って借地権も贈与された、と判示した。
 控訴審判決で「付き合いきれない」とうんざりするのは、長男自身が相続時精算課税制度を利用したので建物贈与時には建物のみの贈与を受け、借地権は贈与されていないと言っているのに、最高裁判例に従って、偏執狂的に精緻な論述をしていることである。これは、「具体的事件に法律を適用して解決する」という裁判本来の作業を放棄して、作文コンクールの傑作を目指して「作品」に熱中しているように見える。あるいは、司法試験の模範答案を起案しているのかもしれない。いずれにせよ、弁論主義に違反するだけでなく、相続時精算課税制度にも違反している。
 このように馬鹿げた法律違反の裁判が生まれるのは何故だろうか?それは、上告制度に関係していると思われる。すなわち、上告受理の要件として判例違反が重要なので(民訴法三一八条)、いきおい下級審裁判官は「判例依存症」ないし「実定法解釈発達障害」のようになっていて、自覚のないまま法律違反の裁判をしてしまうのであろう。一方、「法令違反」は上告理由にならないので(民訴法三一二条)、法律違反の裁判であっても最高裁で是正されることはない。そうすると、法律違反の確定裁判が権力的通用力を持ち、悪循環から抜け出せなくなる。さて、こんな裁判官でも「裁判官の独立」を擁護すべきなのだろうか? むしろ、弾劾裁判で罷免するのが国民主権に適うのではないのだろうか。

二〇一五・三・二一


*追 悼*

山本政道君、さようなら

東京支部  菊 池   紘

(1)「暴行で負傷した山本政道君」
 キャプションに「大安の暴力社員らの暴行で負傷した支援する会事務局長山本政道君」。そこに背広をひどく破られ鼻血を流している君の写真がある。(パンフ『大安争議勝利報告書』)。大安書店の争議で、仙台以来久しぶりにであった君は二六歳、僕は二五歳だった。
 僕は弁護士になってすぐに神保町の中国書・大安書店の争議の弁護にあたった。「文化大革命」が燃えさかるさなか、社長以下が中国盲従の会社になり、多くの社員が殴る蹴るの暴力で追い出され解雇された争議だ。僕らが小島成一法律事務所(現・東京法律)に呼ばれて対策会議をもったら、そこに君がいた。支援の責任者としてやはり中国書を販売する極東書店に勤めていた君が選ばれたのだった。大学卒業以来久しぶりの再会だった。
 大安書店からたたき出された労働者が出勤を求めて出社するたびに、暴力で追いかえされた。裁判官が入廷する前には、傍聴席から赤い毛沢東語録をかざして「政権は鉄砲から生まれる!」「造反有理!」の唱和がくりかえされ、日本の「紅衛兵」が代理人席にきて僕ら弁護士を取り囲み、「日共宮本修正主義糾弾!」などとわめいた。
 数々の裁判が争われたが、法廷で僕らが努力するとき、支援の傍聴を組織する責任者は君だった。裁判所での集団暴行という異常な事件について『大安争議勝利報告書』はつぎのように伝えている。
 「裁判のある日は必ず、仲間が職場で暴力社員から殴られた。東大闘争で『安田講堂に機動隊が入った』というニュースが伝わると『民青のせいだ』とまた私たちが殴られた。正気の沙汰ではなかった。そして六九年一月二七日、彼らは弁護士暴行事件という前代未聞の不祥事をひきおこしたのである。争議団側が八〇名を超える傍聴者とともに弁護団を先頭に整然と廷内に入ろうとしたところ、待ちかまえていた会社は暴力社員十数人が、突然先頭の弁護団に襲いかかり、急所をけり上げる、ネクタイをつかんでひき倒すなどの暴行を働いたのである。このため、山根晃、千葉憲雄、大森鋼三郎の三弁護士が負傷した(首の骨を負傷された千葉弁護士は今なお治療中である)。『あっ』という間の、予想もしない事件であった。・・・・・まず大安争議弁護団が先頭になり、自由法曹団が中心になって、全国三〇〇名あまりの弁護士を結集し、告訴を含む抗議のたたかいがまきおこった。裁判所に対しては『犯人を告発せよ』という要請行動が行われた。大安の争議と事件の真相は、飛躍的に広がっていった。」
 このとき裁判所の廊下で隊列の後ろから「弁護士の先生は前に出てください」と指示したのは君だった。それで僕らは隊列の前にでたのだが、まさか彼らに蹴とばされ、殴られるとは思いもしなかった。なんで君が僕らに「前にでてください」といったのか、聞こうとおもっているうちに聞きそびれてしまい、いまに至っている。
(2)仙台のキャンパスで
 さらに遡ること八年前、安保闘争の翌年に東北大学法学部に入ってみると、わずか一五〇名ほどのなかに、菅野昭夫と田川章次がいて、下の学年には川中宏、中島晃、岩村智文がいた。やはり一五〇名ほどの経済学部には同じ学年に上田高校からきた君と郷路征記がいた。僕らは法学部自治会を再建し、君らは経済学部自治会を建てた。そして君は上京して平民学連で活動し、再建全学連の副委員長になった。仙台から僕は、ロストウ来日阻止羽田行動などはるか中央の君の活躍をまぶしいものに見ていた。そして僕は大学五年目に司法試験に合格し、京都で修習し弁護士になって大安争議で君に再会したのだった。
 君はその後いろいろ苦労を重ね、司法試験を受け弁護士になり、板橋区加賀に住んだが事務所は大宮に選んだ。八四年雲仙の総会で君は自由法曹団の事務局次長になり、頻繁に顔を合わせるようになった。君のおだやかで誠実な対応は団事務所でもめだっていた。
 その頃に君は率先して国鉄闘争に加わり「国民の足を守る大宮地区連絡会」の事務局長に座ったが、同じ時に僕は佐々木芳男と「国民の国鉄をめざす東京北部連絡会」を発足させ、その後の活動に力を尽くした。国労の弁護団会議で君と顔を会わせることもあった。
 池袋の隣の板橋にいるのだからいつでも会えると安易に考えているうちに、今回突然に別れる結果になってしまった。
(3)雨のお別れの会
 氷雨の降りしきる厳しく寒い夜をついて、お別れの会にはほんとうに多くの人が集まった。開会を前に椅子席が満席となり階段に多くの人が並んだ上に、外へ向かって臨時のテントが出され、幅広く長い列が続いたことも君がどれだけ慕われていたかを示した。会では菅野昭夫の弔電が読まれ、自由法曹団長荒井新二はじめ多くの人が弔辞を読んだが、郷路征記もそのひとりとして大学時代の君のことについて心のこもった言葉を述べた。
 冒頭の弁護士会関係の弔辞から人々が異口同音に述べたのは、昨年から君が集団的自衛権行使の閣議決定に反対し撤回を求める運動に全力を投入していたことだ。人々は、昨年七月のオールさいたま市民野外集会、そしてこの二月のさいたま県民集会の成功に君が中心的に力を尽くしたことを述べた。また、この五月三一日の一万人県民集会のために心血を注いでいたことを強調した。そこでは、弁護士会の実力者に声をかけてともに運動をつくることを呼びかける君の姿が髣髴とされた。
 思いおこすと、君が全学連の副委員長だった時期には憲法九条改悪が政治日程にのぼろうとしていた。内閣の憲法調査会が最終報告書をまとめ、そこでは一八人意見書と高柳意見書が発表された。僕らは大学で憲法問題研究会を続け、名古屋から長谷川正安教授を呼んで講演会をもったりした。またこの時期は日韓条約の強行採決をめぐり、政治は激しく揺れ動いた。僕らはシンポジウム「議会制民主主義の危機」を企画したが、樋口陽一講師も参加し的確な助言をしてくれた。
 この時の改憲のくわだては、その選挙で三分の二の議席を確保できなかったことで頓挫した。
(4)冷たい雨に濡れて
 戦後七〇年、日韓条約五〇年の今年、私たちひとりひとりは、この国の立ち位置をどう示すのかを求められている。そこでは憲法九条のもつ意味をどう理解し、世界にむかってなにを発言していくのかが、問われている。
 駅へ向かう帰りの道すがら、この一年を集団的自衛権の閣議決定に反対しその撤回を求めて行動した君のことを考えた。そして冷たい雨に濡れながら、菅野、田川、郷路、岩村らと、そして君と同じ大学でともにたたかったことが、僕の深いところでがんばれる力になっていたことを、あらためて考えた。そして、最後の一年に君が身を投げ出して奮闘した集団的自衛権と憲法九条の課題で僕らに何ができるだろうか・・・それを考えた。


無名戦士合葬追悼会に参列して

団 長  荒 井 新 二

 花曇りの三月一八日、無名戦士合葬追悼会が日比谷公会堂で行われた。六八回目の今年は、一一〇四名の方が合葬された。自由法曹団では、後掲の追悼文にある六名の方合葬された。解放運動無名戦士の墓は、戦前の一九三五年「女工哀史」の著者細井和喜蔵が二五歳で夭逝した後、残された印税にもとづき東京・青山墓地に建立された。特高警察の拷問や獄中で非業の死を遂げられた方がここにまつられた。戦後公然たる葬礼が可能となって、一九四八年から国民救援会の主催で毎年合葬追悼会が行われてきた。パリコンミューンで解放に立ちあがった労働者との連帯を念じ、例年三月一八日*に開催される。青山墓地の無名戦士墓にこれまでに葬られた方、戦前を含めて総勢四二九〇二名とのことである。
 団を代表して合葬に参加したが、おおぜいの年配の遺族が目立つなか、幸いにも角銅さんの娘さんに挨拶することができた。合葬された方々のなかには、団員弁護士のほかに事務局で活躍された澤 幸男さん(北九州第一)、本多良男さん(東京南部)のお名前があった。
 伴侶を喪った遺族代表の「受け入れがたく悔しく辛い日々」というご挨拶は、真情溢れるもので参列者の胸をうつものであった。冠名の「無名戦士」にふさわしく、厳粛な雰囲気のなかで合葬追悼会は終始静かに執り行われた。
 国民救援会会長である鈴木亜英団員および会葬者に優しく声をかけていた佐藤誠一団員(東京)ならびに実行委員会のスタッフに皆様にあらためてお礼を申し上げたい。
 以下に団を代表しての追悼文を掲げる。
   追  悼
 第六八回合追悼会にあたり、自由法曹団を代表して、追悼の言葉をおくります。
 今年の追悼会には一一〇四名の方々が合葬されます。自由法曹団からも、東中光雄さん、横山茂樹さん、秋山昭三さん、角銅立身さん、金城  睦さん、小島 肇さんの六名が合葬されます。
 これらの団員弁護士の生涯は、人々とともにあり、人々の自由と人権を擁護することに献げられました。民主的なさまざまな運動に参加し、これを支援し、人々と一緒になって歴史の歯車を大きく進めてきました。
 同時に私たちは本日合葬されるすべての方々のご霊前に、ご遺志を受け継いで平和で平等な、よりよき社会を築き上げることを目指して力を尽くすことを誓うものです。合葬された方々の生前の社会進歩のためのご活動は、一九二一年創立以来の自由法曹団のながい歴史とともにあります。
 あなた方の大きな志と情熱を受け継ぎ、次の世代に確実に引き継いでいくことは大切な事業です。あなた方のご遺志をしっかりと受け継いで私たちは奮闘することを誓います。
 昨年末の総選挙の結果、今や保守と革新の鋭く対立する時代に移りつつあります。現在の政権党は、「戦後レジームからの脱却」「憲法の改悪」を旗印に、集団的自衛権を容認して武力行使をする自衛隊を海外に本格的に派遣しようとしています。沖縄で新基地の建設を強行して、軍事的大国化への道をひた走ろうとしています。国内にあっても正規労働を非正規労働に転換し、社会格差と貧困をやみくもに広げようとしています。さらに警察の盗聴をひろく野放しにし、証言を買収する新しい捜査手法をはびこらせようとしています。 あなた方が擁護発展させてきた憲法の改悪を許さず、暗黒社会に向かう流れを裁ち切り、平和で自由、平等な社会をつくりあげるため、私たちは最大の力を尽くすことをあらためてお誓いします。
 私たちはあなた方が社会進歩のために尽くされ、平和と民主主義を培われれてきたご努力に心から敬意と尊敬の念をもっています。厳粛な気持でこのことをお伝えします。また悲しみを乗り越えようとされているご遺族に一層の思いを寄せていきます。ながいあいだご苦労様でした。安らかにお眠りください。
 二〇一五年三月一八日

自由法曹団団長 荒 井 新 二

*この日のことは大佛次郎著「パリ燃ゆ」(朝日新聞社)第三部の最終章「三月十八日」に詳しい。