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森  孝博 *改憲・戦争法制阻止特集*
戦争法制と秘密保護法
尾普@彰俊 宇宙基本計画と宇宙の軍事利用
中谷 雄二 市民運動から見た戦争法制と秘密保護法の危険性
石坂 俊雄 集団的自衛権と戦費
玉木 昌美 「安倍政権の危険性を裁く」森英樹講演報告
後藤 富士子 家事審判に見る裁判官の「傲慢症候群」
玉木 昌美 さようなら吉原稔先生
山口 真美 五・一一安保一括法案(戦争法制)を阻止する
院内集会・議員要請への参加を呼びかけます!!



*改憲・戦争法制阻止特集*
※団員の皆さんから寄せられた論稿を順次掲載します。

戦争法制と秘密保護法

東京支部  森   孝 博

一 秘密保護法は安倍政権が狙う戦争法制の中核の一つである
 昨年一二月に本格施行された秘密保護法は、アメリカとの情報共有による軍事同盟の強化を図るものであるとともに、安倍政権が二〇一五年通常国会で成立をもくろむ戦争法制を、国民に秘密裏に、場合によっては鎮圧して、いつでも、どこでも発動させるための「武器」である。二〇一五年三月二〇日に自民党と公明党が戦争法制について発表した共同文書「安全保障法整備の具体的な方向性について」(以下、「共同文書」という。)には、いわゆる「歯止め」として「国民の理解が得られるよう、国会の関与等の民主的統制が適切に確保されること」等が盛り込まれたが、情報を統制して民意や国会承認等が「切れ目ない」戦争法制発動の「歯止め」とならないようにするのが秘密保護法である。一方で秘密保護法の成立・施行を強行し、他方であたかも戦争法制に「歯止め」をかけたかのように称するのは、まったくの欺瞞といわざるをえない。
二 秘密保護法が戦争法制発動に果たす具体的役割
(1)武力攻撃事態法を頂点とする有事法制体系は、政府による武力攻撃事態(武力攻撃予測事態)の認定と国会承認によって起動し、国をあげて戦争するため、自衛隊法等の個別法がいっせいに発動するシステムとなっているところ、安倍政権は、この有事法制の新たな「スイッチ」として、「『新三要件』によって新たに『武力の行使』が可能となる新事態」(以下では、仮に「存立事態」と称する。)を組み込もうとしている。
 この「存立事態」の有無は、日本の国土等への攻撃という事実の有無によって判断される「武力攻撃事態」と異なり、「他国への攻撃によって、この国の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある」か否か、つまり、他国への武力攻撃の事実だけでなく、軍事、外交、政治・経済等に関する情報を踏まえた上での評価判断となる。有事法制の発動が今まで以上に時の政府の判断に委ねられること自体が問題であるが、ここに広範な情報の秘匿を可能とする秘密保護法があることによって、政府は「特定秘密」を理由に判断の基礎を示す必要もなくなる。それは国民による確認・検証が極めて困難であることを意味するが、秘密保護法は、国会への情報提供も厳しく制約しているため(同法一〇条)、国会による検証であっても同様である。その結果、もう一つの要件である国会承認は形骸化し、「存立事態」の有無はまさに時の政府の判断次第ということになりかねない。
 この構造的問題は、自衛隊の海外派兵を拡大・強化させる「重要影響事態法」(仮称)の発動要件たる「我が国の平和と安全に重要な影響を与える事態」(以下では、仮に「重要影響事態」という。)の有無を政府が判断するにあたっても同様に当てはまる。また、海外派兵恒久法やPKO法を根拠に自衛隊を海外派兵させるにあたっても、国会承認が要件とされるようであるが、これも秘密保護法によって同様に形骸化される危険がある。
(2)このことは、安倍政権が狙う戦争法制の基本コンセプトが、平時から有事まで事態の進展に応じて「切れ目なく」軍事的対応を可能とする点にあることと密接な関係にあると考える。つまり、自衛隊を早期投入し、刻々と変化する事態に応じて武力行使、戦争に「切れ目なく」拡大させていくにあたって、「国民の理解を得ること」や「国会の関与」といった時間を要する手続は、シームレスな対応の阻害要因である。そのため、情報と国民を遮断(時に鎮圧)し、軍事的合理性との矛盾をはらむ「民主的統制」を「建前」として、実質は、自衛隊の出動・海外派兵、武力行使、戦争遂行といった随時の判断を政府の自由裁量に委ねさせる「カラクリ」が必要となる。それを可能とするのは、まさに秘密保護法である。
三 戦争法制の行く末
 安倍政権は、「国民を守るため」、「国際社会の平和と安全のため」等を理由にあげて、秘密保護法に続き、二〇一五年通常国会で一連の戦争法制を成立させるようとしている。
 しかし、情報と国民を遮断し、「国の存立が脅かされる」などという抽象的な言い分で、容易に武力行使や戦争への途を開く「この道」は、軍機保護法や国防保安法による情報統制によって侵略戦争に突き進んだ戦前の日本、「テロの脅威」を掲げてアフガニスタンやイラクを侵略したアメリカといった歴史的経験に照らし、むしろ国民や国際社会の平和と安全を損なうことにしかならない。
 近時の例でいえば、二〇〇三年五月に米国が「テロとの戦い」を掲げて始めたイラク戦争である。アメリカが開戦の理由としていた「フセイン政権が大量破壊兵器を保有している」、「フセインとアルカイダが協力関係にある」といった情報は、全くのでたらめであった(二〇〇五年一二月にはブッシュ大統領自身も嘘であったと認めざるをなくなった)。この戦争は、膨大な犠牲者を生み出し(正確な数はわからないが、イギリスに本拠を置くNGO『イラク・ボディカウント』によると、二〇一三年末までに少なくとも市民約一八万人が犠牲になったといわれている。)、イラクの混乱は今も収束せず、むしろイスラム国の台頭など情況は悪化の一途を辿っている。アメリカ自身も、多くの人命を犠牲にし(二〇一三年末までに有志連合軍で約五二〇〇人の犠牲)、アフガン・イラク戦争による膨大な戦費負担による財政赤字も深刻化している。「テロの脅威」を声高に叫び、反戦の声を無視して突き進んだイラク戦争が誤りであったことは明らかである。
 しかし、アメリカも、この戦争を真っ先に支持した日本政府も、いまだその誤りを認めようとしない。それは、二〇一四年五月二八日の衆院予算委員会での安倍首相の答弁(「大量破壊兵器が無いことを証明できるチャンスがあるにも関わらず、それを証明しなかったのはイラクであったということは申し上げておきたい」)に如実に示されている。それどころか、安倍政権は、秘密保護法に続く戦争法制の制定によって、平和憲法を破壊し、日本がより主体的に「対テロ戦争」のような愚行を繰り返すことを可能にしようとしているのであり、無反省の極みといわざるをえない。
四 秘密保護法廃止は戦争法制の阻止と一体である
 秘密保護法は安倍政権の目指す戦争法制の要諦であり、この法律と二〇一五年通常国会での成立が狙われている戦争法制が結合することによる危険は、歴史的経験が示すところである。また、秘密保護法の危険性が最も先鋭化するのは、軍事優先のために、主権者たる国民と情報を遮断し、時には鎮圧する時であり、こうした事態を許さないためにも、秘密保護法廃止と戦争法制阻止をいっそう結実させていく必要があると考える。


宇宙基本計画と宇宙の軍事利用

京都支部  尾 普@彰 俊

第一 始めに
 二〇一四年七月一日、安倍内閣は集団的自衛権行使の行使を容認する閣議決定を行った。その後、二〇一四年一〇月八日にガイドラインの中間報告が発表され二〇一五年一月九日には、宇宙基本計画が発表された。これら三つは一体のものであり二〇一五年五月に国会への提出が予定されている戦争立法の先取りであると言える。本講では、ガイドラインの中間報告及び宇宙計画について批判を行う。
第二 ガイドラインの中間報告
一 ガイドラインの中間報告の発表及び内容

 二〇一四年一〇月八日、ガイドラインの中間報告が発表された。
 その内容は、二〇一四年七月一日集団的自衛権の行使容認の閣議決定を「適切に反映」し、自衛隊による米艦船の防護などを新たに追加するとともに現行ガイドラインで主に朝鮮半島有事を想定した概念である「周辺事態」を削除し、「平時から「緊急事態」までのいかなる状況においても切れ目なく対応するというものである。
二 ガイドラインの中間報告の本質
 まず、安保条約第五条は、日本国の施政の下にある領域における、日本または米国いずれか一方に対する武力攻撃が行われた場合に、共同で対処を行うと定められている。一九九七年の新ガイドラインでは、この共同対処の範囲を広げ、「周辺事態」(日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合)という概念を作り出した。今回の中間報告はさらに、「周辺事態」という概念をとりはらい「有事および平時において切れ目なく対応し」日米安保条約の範囲を「日本周辺地域」からから「宇宙」まで広げるものであり、安保条約の実質的な大改悪であり、日本を米国と共にどこでも戦争することができる国へと変えてしまうことになる。
 次に、国家権力を縛り、国民の自由や権利を守るという立憲主義の理念のもと日本国憲法が制定されたということは周知のとおりである。そして、日本国憲法は条約の締結には国会の承認を必要としている(日本国憲法七三条三号)。したがって、日米安保条約の範囲を拡大するのであれば、条約の改定手続きとして国会の承認が必要である。しかし、安倍内閣は国会の承認なしに、新たにガイドラインを改定しようとしている。国会の承認なしに、ガイドラインを改定することは、憲法が定めた縛りを潜脱する立憲主義違反であり絶対に許されない。このように、ガイドラインの中間報告の本質は日米同盟のこれまでにない拡大である。
第二 宇宙計画の発表
一 宇宙基本法の大改悪
(1)自衛隊が宇宙システムを直接活用

 二〇一五年一月九日、宇宙基本計画が発表された。同計画には、新しく「自衛隊の宇宙システムの直接活用」が明記された。
 そもそも、宇宙基本計画は宇宙基本法二四条に基づいて定められている。
 しかし宇宙基本法には日米同盟という記載は全くない。むしろ宇宙基本法は「日本国憲法の平和主義の理念を踏まえ」「もって国民生活の向上及び経済社会の発展に寄与するとともに、世界の平和及び人類の福祉の向上に貢献することを目的とする」と定めており(同法一条)、宇宙の平和利用を目的としている。それにも関わらず、宇宙基本計画は、宇宙基本法一条が掲げる理念・目的からは全く異なり、宇宙の軍事利用を定めた内容となっているのである。
(2)米軍との宇宙規模での共同
 さらに同計画は「米軍との宇宙規模での共同」についても新しく明記した。
 同計画は、具体的には、まず、日本の準天頂衛星と米国のGPSの連携を一層強化するとしている。つまり、日本の準天頂衛星と米国のGPSを連携することで、地球上のどこに誰がいるかをより正確に把握し、その把握した情報を軍事利用しようとしているのである。
 また、同計画は、我が国のSSA能力を強化し、SSAに関する情報の共有を進めるとしている。SSAとは、人工衛星の衝突をさけるために、レーダーや光学望遠鏡などで宇宙の状況を探知・識別するシステムの事である。本来、人工衛星の衝突を避けること自体は宇宙の平和利用のためには重要であり、SSA能力を強化すること自体は今後必要なことである。しかし、同計画は、日米同盟の強化のためにSSA能力を強化し、得られた情報は日米同盟のために米国と共有するというのである。そしてここで、共有された情報は、「防衛秘密」として特定秘密保護法により秘密指定されることになる。
 さらに、同計画は、MDA全般における協力強化のための宇宙協力についても検討を進めるとしている。MDAとは、ミサイル防衛構想のことであり、敵国から発射されたミサイルを撃ち落とすという防衛方法である。仮に、米国に向けられて発射されたミサイルに関する情報を日本の衛星がとらえ米国に情報提供することは、集団的自衛権行使の実践に等しいと言え絶対に許されるものではない。
 このように、宇宙基本計画は日米同盟協力―具体的には衛生情報の連携強化及びMDAの強化が盛り込まれており、宇宙基本法の実質的な改悪であり、先に述べた日米同盟を拡大・強化するガイドライン中間報告が実践されているのである。
(3)宇宙基本計画と立憲主義違反
 既に、述べてきたとおり、宇宙基本計画は宇宙基本法一条に定められた理念とは異なり宇宙の軍事利用を定めている。このように宇宙基本法の理念を根本から変えるのであれば、国会の承認を受けなければならないはずである(日本国憲法五九条一項)。それにも関わらず、安倍内閣は「計画」を定めるという方法で国会の承認なしに実質的には宇宙基本法を大改悪し、宇宙の軍事利用を定めてしまったのである。このような「計画」で定めることで法律を実質的に大改悪してしまうようなやり方は、立憲主義違反であり絶対に許されない。
第三 最後に
 そもそも、平成二〇年に宇宙基本法が制定され、同年宇宙計画が策定された。同計画は五年ごとに改定されるとされており、平成二五年に一度目の改定がなされた。本来であれば、二度目の改定は五年後の平成三〇年に行われる予定であった。しかし、二年後の平成二七年一月九日に改定したのである。この改定は、平成二六年七月一日の集団的自衛権行使容認の閣議決定及び同年一〇月八日のガイドラインの中間報告における「宇宙及びサイバー空間での日米同盟の強化」に関する記載を受けて行われたことは明らかであり、これらは一体のものであるとともに、日米同盟の拡大・強化という点で、安倍内閣が狙う戦争立法を先取りした内容となっている。今後も、安倍内閣は、様々な角度から戦争する国作りを進めることが予想される。この安倍内閣の戦争する国作りを絶対に許さないために、これからも運動を継続していきたい。


市民運動から見た戦争法制と秘密保護法の危険性

愛知支部  中 谷 雄 二

一 戦争法制における秘密保護法
 私が共同代表を務める「秘密保全法に反対する愛知の会」は、民主党政権下で秘密保護法制の検討がされていた二〇一二年四月に結成して以来、秘密保護法制定前から今日まで数え切れないほどの学習会を開催し、大規模な集会、デモを繰り返し、全国的に運動を広げる役割を果たしてきた。会結成以来、秘密保護法制に反対してきたのは、この法律が、戦争をする国づくりの一環であるとの認識からである。そこで、市民運動に携わる立場から、戦争法制と秘密保護法の役割について述べてみたい。
 現在、安倍内閣が進めている戦争法制制定への動きは、私たちが指摘してきた秘密保護法の危険性を一層浮き彫りにした。戦争法制における秘密保護法の役割は、一言で言って、情報統制と治安の維持にある。
 安倍首相は、国会で集団的自衛権行使の前提となる情報が特定秘密とされることを認めた。秘密保護法に先だって設立された国家安全保障会議は、武力攻撃事態、武力攻撃予測事態、周辺事態、これらに至らない緊急事態への対処に関する事項などを審議することを任務としている。この国家安全保障会議に入る情報は全て内閣情報室のトップである内閣情報官を通じて伝えられる。この内閣情報官に秘密保護法に関する企画・立案・調整の権限まで与える内閣法の改正が秘密保護法の附則に盛り込まれた。戦争するかどうかという国民にとってもっとも重要な情報の伝達も、その情報を外に漏らさない体制も内閣情報官が担うというのだから、情報独占・情報操作が危惧される。法案審議の過程で内閣法制局の担当者は、この附則について、「何をやるのか」「そういうものを情報官がやっていいのか」という異例の書き込みを行った(二〇一四年一二月二八日しんぶん赤旗)。政府の内部にいる法律専門家ですら危惧を覚える事態が進行している。これは、国の情報統制法という秘密保護法の性格を明らかにするものである。
二 戦争法制にとっての治安法の必要性
 戦前の軍機保護法、国防保安法等の秘密保護法制は、治安法として機能した。同じように、秘密保護法も治安法として機能することが予定・準備されてきた。秘密保護法が秘密を扱う公務員、民間企業の従業員に対する適性評価を通じて、そのプライバシーを侵害するということは以前から指摘されてきた。それにとどまらず秘密保護法は、政府の動きに反対する市民や市民運動を監視・弾圧する役割を果たす危険性が高い。秘密を侵害する恐れ=犯罪の恐れを理由に政府方針に反対する市民を対象として監視するための根拠として秘密保護法が使われることは、自衛隊の情報保全隊事件における国の主張から明らかである。同事件で、国はイラク派兵に反対する市民の集会・デモを監視した理由として、反対運動をする市民は、自衛隊員に秘密を漏らせと働きかける危険性があるからだと主張した。また、法廷で尋問を受けた元情報保全隊長は、日本中どこでも、労働組合の春闘の街宣でも、イラクの戦場の写真展でも、ジャーナリストでも監視の対象となりえると証言した。現実に市民の監視が行われている。自衛隊だけではない。公安警察は、治安を乱すおそれがあるという理由で、市民運動の活動家や自由法曹団の事務所を日常的に監視し、企業との間で情報交換を行っている。このような動きの表れが、大垣警察署市民監視事件である。環境保護を訴える市民を秩序を乱す危険分子とみなし、警察が情報収集し、企業に事業の支障になるおそれがあるとして情報を提供し、複数回にわたり、情報交換を行っていたのである。監視されていた市民送った公開質問状に対し、警察は「通常の警察活動」であると回答した。企業に対する証拠保全により明らかになった議事録によれば、警察から連絡をとり、警察と企業の双方が積極的に反対運動の動向に関する情報の交換を行っていた。議事録では、住民が事業の中止を求める嘆願書の提出を過激な行動と呼び、そのような行動を取らせないために情報交換をしているという意図が語られている。議事録には、憲法集会の資料も綴られており、多数の市民が集まる企画を行う者を治安乱すものと考えていることがわかる。秘密保護法の施行により、すでに行われている監視活動の根拠が、これまでの「公共の安全及び秩序の維持」(警察法二条一項)から「犯罪の予防」という口実に移ることになる。戦争法制は、戦争する国づくりにとっては、国家安全保障会議設置法、秘密保護法に続く自衛隊の海外での戦争行為を法的に根拠づける法整備の一環である。この戦争法制に、治安法としての、盗聴法、共謀罪が加わり、戦争に反対する国内世論や運動を抑え込む体制が完成する。かって田母神俊雄が「世論やマスコミと戦う第二の戦場があるのだ。民主主義国家においては世論の支持がなければ戦争を継続することは出来ない。」と言ったように自衛隊の活動や戦争に反対する市民は、戦争を遂行するためには敵とみなされている。主権者である市民を政府の方針に反するだけで敵と決めつけ、犯罪者予備軍扱いして監視の対象とする。そのためにこれらの治安法が準備されている。
三 すでに始まっている警察監視国家
 警察による市民監視、民主団体・労働組合に対する監視・弾圧は、安倍内閣が進めようとしている戦争への国づくりのための国内治安確立の一環である。警察と自衛隊の間には、防衛事務次官と警察庁長官との間で締結された「治安出動の際における治安の維持に関する細部協定」には、平素から情報を交換するとともに、訓練その他の事項について密接に連携するとの規定がある。平時から有事にいたるまで治安面でも切れ目のない対応を準備している。九・一一以降、テロ対策の名の下、この傾向は強まり、政府機関による市民の監視、情報収集権限が強化され、情報の共有のため、警察・検察・諜報・軍の統合が促進され、それは国内だけでなく、国家間の連合体を構成している(拙稿日本の科学者四九巻一号三頁参照)。
 市民が要求を実現しようとすれば、思いを同じくする他の市民と一緒に市民運動を展開する以外に道はない。それは、憲法上も保障された権利である。ところが、戦争法制の下では市民運動に関わる市民は秩序を乱すものとして、これまで以上に公然と敵視され監視されることとなる。今日、政治権力のあからさまな恫喝とこれに同調する世論により、ジャーナリズムは萎縮し、司法は既成事実を追認して、人権のために権力をチェックする役割を忘れている。主権者国民が、声を上げなければこの事態は進んでいく。そのような危機感を抱いた市民による市民運動を危険視し、反対運動を起こさせないようにしようと警備公安警察、自衛隊情報保全隊は活動している。現在、進められている自衛隊の軍事行動を認める戦争法制ができあがったとき、軍事的合理性は、国民の人権と衝突することとなるだろう。その時、この国の司法は、軍事的公共性を人権より優先しかねない。これに対抗するのは、憲法に依拠した表現の自由・集会・結社の自由の行使、地方自治であり、憲法訴訟である。戦争法制阻止、秘密保護法廃止のための市民運動が今こそ求められている時はない。


集団的自衛権と戦費

三重支部  石 坂 俊 雄

 我が国は、一〇〇〇兆円を超える債務があり、対GDP比二五〇%になっている。このような多額な借金を負っている先進国はない。我が国の財政状況は、第二次大戦直後と同じ状態であり(一九四四年度末で、国民所得比二六七%)、戦争をしていないのに財政的には、戦争をした状態にある。
 このような国が、どこから集団的自衛権のための戦費を捻出するのであろうか。
 通常の防衛予算からの支出で可能であろうか。
 昭和一六年に発行された「隣組読本 戦費と国債」によれば、次のように記載されている。
(1)「戦争になると何故ゆえ国債が増えるのか」との問いに
 「戦争になると急に多数の兵器や弾丸や食料が必要になることはいふまでもありません。従って国家が多額のお金を必要とします。此のお金を税金ばかりでは到底賄いきれませんから国家が国債を発行して、つまり国民からお金を借りて調達するわけです。特に近代戦は昔と異なり新兵器その他に沢山のお金が必要ですから戦費も昔と違い膨大な額になります。我が国でも日清戦争は二億五〇〇〇万円、日露戦争は一九億円余の戦費でしたが、今度の支那事変では前に述べたとおり二二三億円余の多額に達します。」と記載してある。
(2)「国債がこんなに激増して財政が破綻する心配はないか」との問いに
 「国債が沢山殖えても全部を国民が消化する限り、すこしも心配はないのです。国債は国家の借金、つまり国民全体の借金ですが、同時に国民が其の貸手でありますから、国が利子を支払つてもその金が国の外に出て行く訳でなく国内に広く国民の懐に入っていくのです。」と記載してある。
 この説明は、現在の政府の説明と近似している。
 結局、太平洋戦争の戦費総額は約一九〇〇億円にもなり、政府は、多額の負債を解消するために、戦後、ハイパーインフレをおこし、預金封鎖と新円切換えを断行し、その後、大増税を行い国民に多くの負担をかけることにより、切り抜けた。
 現在、国債は、すでに日銀が引き受けることで大量に発行されている。今後、集団的自衛権を行使して、自衛隊が海外に出て行った場合、その戦費を現状の防衛予算(平成二七年度約五兆円)の範囲内で賄うことはかなり困難である。
 政府は、社会保障と税金その他の行政分野における給付と負担の適切な関係を維持するためとして、マイナンバー制度(共通番号制度)を導入し、全ての国民に一二桁の番号を符った。しかし、この番号制は、徴税の効率化だけではなく、社会保障個人会計(保険料等の負担少ない者には、給付の制限をする)の導入に利用される可能性がぬぐえない。
 社会保障を削減し、その分を軍事予算の振り向けるという図式が想定される。
 いずれにせよ、戦費調達のため、消費税のさらなる増税のみならず、預金、株式、保険等の資産への課税がされれば、それは、富裕層だけではなく、貧富の差なく課税される可能性が高く、集団的自衛権の行使は、将来的に国民の生活に大きな影響を与えることとなる。


「安倍政権の危険性を裁く」森英樹講演報告

滋賀支部  玉 木 昌 美

 憲法を守る滋賀共同センター(労働組合や民主団体で構成、私が代表)では、五月以降、集団的自衛権行使容認の法制化の動きが本格化することが予想される中、今後の闘いに向けて力を蓄えるために、三月二〇日、名古屋大学名誉教授の森英樹先生をお招きし「安倍政権の危険性を裁く」と題してご講演いただきました。
 森先生は、「戦後七〇年」を考えるとして、被害日重視の日本と加害日重視のドイツを対比させました。独ガウク大統領の加害日ごとに「私たちはドイツ人の犠牲者を追悼するとき、ドイツが行った戦争による膨大な犠牲者を決して忘れてはならない。」と謝罪を繰り返しているのに対し、侵略戦争を正当化する靖国史観の安倍、その落差は激しいものがあります。また、明仁天皇の「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」という発言と「占領憲法・押しつけ憲法」に敵意を燃やす安倍との対比も浮き彫りにされました。「『過去に目を閉ざす者』が安倍!」という指摘もまさにそのとおりであるといえます。
 森先生は、改憲プランをつぶさに分析され、一回目は九条改憲ではなく、他党と国民の理解が得られる環境権の追加などで実施し、国民に憲法改正を味わってもらい、二回目以降は本筋の九条改憲を狙っている、その場合、「環境権」を加えるだけの外堀から埋める「改正」にどう対応するのかが問われることを指摘されました。外堀を埋める方策としての九六条先行改憲案は国民世論の反対で阻止しましたが、「環境権」の場合どうなるのか。具体的な戦術が問題になります。
 森先生は、集団的自衛権とは自衛権とは無縁のものであることを「やくざの出入り」=仁義で説明されました。「巨大な米国組と杯を交わしたのが小さな日本組で、同盟のちぎりを結んだ。そこで、その米国組が喧嘩を始めたら、本来は無関係な日本組も、喧嘩の場に駆けつけて、米国組の喧嘩相手に対し、『お前さんにゃ何の恨みもございやせんが、杯を交わした渡世の仁義で、お命頂戴いたしやす』というのです。」と実にうまいたとえ話を展開されました。もっとも、最近の若い人に「やくざの仁義」が理解できるかが問題かもしれませんが。
 次に、外堀作戦としての「七・一閣議決定」について緻密な分析をされました。閣議決定そのものは、言葉のうえではそれなりの制約を課した形になっており、元内閣法制局長官の阪田雅裕氏らは、「公明党がよくがんばった。制約をつけた閣議決定を守らせることが重要だ。」という議論を展開しました。阪田氏は滋賀弁護士会主催の講演会で、閣議決定を素直に読めば、「ホルムズ海峡における機雷除去」はありえない、と述べました。しかし、安倍首相は、そんな制約はないものと無視して、いけいけどんどんと「戦争立法」を進めようとしています。阪田氏と同じ意見を表明した論者はそれなりにいましたが、森先生は、彼らは現状をどう説明するのかと問題にされました。
 森先生は、批判の基軸をどこに置くか、として、憲法の初心にたって、自衛権・自衛力を根底から否認することの大切さ、軍事力による威嚇・殺戮の応酬から距離をとることの重要性を強調されました。「あたらしい憲法のはなし」にある「正しいことほど強いものはない」に立ち返ることが基本になるとの指摘はあらためて新鮮に感じました。当日は、資料として、『秘密、監視、密告の社会はごめん!』のパンフとともに『あたらしい憲法のはなし』を配布しましたが、くしくも役に立ちました。
 最後の質疑応答では、会場から、九六条改憲に対して「裏口入学」(小林節教授)のように、大衆の心をとらえるわかりやすいスローガンが必要だという指摘がありました。
 学習会当日は団支部例会に参加している修習生たちも含め、六四名の参加がありました。「ヤクザのたとえもあり、おもしろかった。」「安倍政権がこれからやろうとしている改憲スケジュールをどうつきくずしていくか、もっと国民的な世論を高めるためには作戦が必要なんだろなーと気づいた。より学ぶ機会となった。」「憲法を守るキーワードを今日学んだような気がします。」「難しく感じていた憲法問題ですが、初心に立って考えることが正義なんだと痛感しました。」「『憲法守れ。九条守れ。』の訴えを、より具体的に確信をもって語ることができます。ありがとうございました。」等積極的な感想が多数寄せられました。
 最近、遅ればせながら、神原元団員の『ヘイトスピーチに抗する人びと』を読みましたが、へイト・スピーチに対する「しばき隊」のことが印象に残りました。安倍首相のウソを重ねる憲法違反の主張がそのままマスコミに垂れ流され、国民がそれに慣れてしまい、いちいち反発するのも面倒になっていくことが恐ろしいといえます。ヒトラーになろうとしているような安倍首相に対しては、異議を唱え、「しばき」続けなければいけないと思います。
 尚、森先生の最近の著書は『改憲に向かう安倍政権の暴走と矛盾』ほっとブックス新栄発行です。


家事審判に見る裁判官の「傲慢症候群」

東京支部  後 藤 富 士 子

一 民法七六六条類推適用の限界
 民法は、婚姻中は父母の共同親権とし、離婚後は単独親権(監護)とするが、婚姻が破綻している場合や、破綻していないまでも別居しているような場合について、何らの規定も置いていない。そのために、当然のことながら、家事審判の手続法には司法が介入する根拠規定がない。しかるに、父母間での子の監護をめぐる紛争は、その状態自体が「子の福祉」を損なうと考えられることから、離婚後の子の監護に関する事項について定めた民法七六六条を類推適用し、家事審判法九条一項乙類四号により「家庭裁判所は相当な処分を命じることができる」とする平成一二年最高裁決定により、その後の実務が運用されてきた。「監護者指定」や「面会交流」も、ここでいう「相当な処分」である。
 問題は、「子の引渡し」である。父母の離婚後であれば、「監護親」と「非監護親」との間の問題であるから、「監護者指定」の審判を要しない。そして、前記のように、婚姻中の父母間の「子の引渡し」も離婚後の単独監護を類推するなら、端的に「子の引渡し」についてのみ判断すればよいはずであり、「監護者指定」を宣言する必要はないことになる。しかるに、離婚前の父母間における「子の引渡し」について、「監護者指定」を媒介しないでされたものはないようである。それは、やはり「離婚後の単独親権」と「離婚前の共同親権」との実定法上の差異を無視できないからであろう。
 しかるに、裁判官は、この実定法上の差異を無視して、「子の引渡し」を導き出すための法的根拠として「監護者指定」の審判をする。すなわち、「単独監護者指定」により、共同親権者から親権を剥奪するのである。しかも、それが「子の福祉」を口実にされるのだから、言語道断である。ちなみに、「子の福祉」の観点から、親権・監護権に何らかの制限を加える必要があるのであれば、親権喪失や親権停止によるべきである(民法八三四条、八三四条の二)。
 また、「面会交流」の審判でも、同様である。裁判官が立論の最初にもってくるのは、「非監護親と子の面会交流は、子の福祉に反すると認められる特段の事情のない限り、子の福祉の観点からこれを実施することが望ましい。」という「命題」である。離婚前の共同親権者を「非監護親」と決めつける法的根拠はない。法的根拠を別にしても、この「命題」から明らかなのは、子を監護教育する親の権利(親権)は、裁判官が「子の福祉」を口実にして、いかようにでも制限できるという宣言である。「四か月に一回程度、妻が子らの写真を夫に交付する」という破廉恥な審判もある。四か月に一回程度子どもの写真を見せられて、何が「親子の交流」か。子どもは、父と接触を断たれて、どんな福祉を享受するというのか。このような審判は、子を連れ去られた父親の親権・監護権を剥奪しながら、裁判官が父親に「お恵み」を施しているにすぎない。
二 「傲慢症候群」という人格障害
 三月一六日の朝日新聞に「傲慢学会」という研究会の記事が掲載されていた。トップが助言に耳を傾けず冷静な判断ができなくなって経営につまずく。これを「傲慢症候群」と名づけ、提唱しているのは神経科医で英政治家のデービット・オーエン元外相・厚生相(七六歳)。病気ではないが、「権力の座に長くいると性格が変わる人格障害の一種といえる」という。長く権力の座にあると、自信過剰になり、周囲が見えなくなる。ニューヨークで、乗務員のサービスに激怒して飛行機をひきかえさせた「ナッツ騒動」も「傲慢」の代表例という。トップが上司への甘言も巧みな、いわゆる「ひらめ社員・役員」に囲まれているうちに、組織の成長や存続を脅かすリスクにさえ鈍感になりかねない。その対策として、オーエン氏は、「暴走しはじめた本人に目を覚まさせる側近をつける。精神カウンセリングをうける努力をしてもらい、手がつけられない場合は辞めてもらうべきだ」と話す。
三 「裁判官の独立」と弾劾裁判
 日本国憲法では、裁判官の独立を保障する観点からその身分は手厚く保障されており、罷免されるのは次の三つに限定されている。
(1)心身の故障のために職務を行うことができないと決定されたとき(裁判官分限裁判)
(2)公の弾劾によるとき(憲法六四条弾劾裁判所)
(3)国民審査において、投票者の多数が罷免を可とするとき(最高裁判所裁判官のみ)
 このうち「公の弾劾」を行う機関として国会に設置されているのが、裁判官弾劾裁判所である。制度趣旨の一つは、国民の公務員選定罷免権を保障するためにその代表である国会議員に任せるべきこと。
 罷免事由は、(1)職務上の義務に著しく違反し、または、職務を甚だしく怠ったとき、(2)その他職務の内外を問わず、裁判官としての威信を著しく失うべき非行があったとき、の二つに限定されている。罷免事由に至らない非行は、懲戒処分の対象となり得る。懲戒処分は、裁判官分限法に基づき、最高裁判所の大法廷または高等裁判所において裁判により行われる。
 裁判官に罷免事由があると思料するときは、誰でも訴追委員会に対し、罷免の訴追請求ができる。統計によれば、二〇一三年までの六六年間に一万七六五九件の訴追請求があり、弾劾裁判が行われた事例は九件のみ。請求件数のうち四九・三%は冤罪を含めた判決の不当性を理由としているが、これを理由に弾劾裁判が行われた事例は一つもない。訴追委員会の公式ホームページでは、「判決の内容など、裁判官の判断自体についての当否を他の国家機関が調査・判断することは、司法権独立の原則に抵触する恐れがあるので、原則として許されません。したがって、誤判は、通常、罷免の事由になりません。」と記載している。
 それでは、裁判官が国会の定めた法律に違反する裁判をしたときは、どうか?この場合に罷免できないなら、それこそ三権分立に反する。一方、「裁判官の独立」のため、「傲慢症候群」に対応する制度として、弾劾裁判による罷免しかないように思われる。
二〇一五・三・二四


さようなら吉原稔先生

滋賀支部  玉 木 昌 美

 私は、以前に「『滋賀にこの人あり。滋賀にこの弁護士あり。』といえば、吉原稔団員のことである。」と書いた。五月集会や総会のたびにみんなを沸かせる報告をされてきた吉原先生は、三年二か月余りの闘病の末、二〇一五年三月三〇日に逝去された。古稀表彰のときにも「これからバリバリ仕事をするぞ。」と宣言され、「吉原さんは本当に古稀か。」と指摘されるくらいであったのに、先生はもういない。あの元気そのものの吉原先生の訃報をご報告しなければならないのは痛恨の極みである。
 吉原先生は、二年間京都第一法律事務所に在籍されたのち、一九六九年、郷里の滋賀県で大津市に事務所をもうけた。私が所属する滋賀第一法律事務所の前身である。私は、一九八三年に滋賀第一法律事務所に入所したが、吉原先生が二〇〇五年に吉原稔事務所を開設するまで二二年間一緒に仕事をさせていただいた。私は、吉原先生とは相性もよく、一番可愛がっていただいたと自負している。
 吉原先生が滋賀にきて、ひとりであらゆる事件をこなして飛び回り、運動を組織していたことは有名な話である。多いときは二五〇件の事件を抱えていたという。その活躍は『自由法曹団物語戦後編』にあるとおりである。
 私が吉原先生のことを最初に知ったのは、京大在学当時、県議補選(定数二)で当選されたことを新聞で読んだときであった。「滋賀県のような保守的なところでよく勝てたものだ」と感心したが、まさか将来その先生の事務所に入ることになろうとは想像もしなかった。
 吉原先生は、滋賀県議会議員として、琵琶湖総合開発、湖沼環境問題、上田金脈問題を取り上げ、びわこ空港、ダム等無駄な公共事業をやめさせるために奔走して「びわこ議員」と呼ばれていた。私は県職員の依頼者から「県会の論戦は吉原議員を中心に回っている。議会担当は、吉原議員の質問、追及の対応に追われている。」と聞いたことがある。また、吉原先生は、県会議員になっても弁護士の仕事もしっかりと続け、「二足の草鞋」を履き続けた。
 吉原先生が中心になって取り組まれた事件は次々とマスコミが注目することになった。滋賀献穀祭違憲訴訟、豊郷小学校校舎解体問題、永源寺第二ダムの取消訴訟、新幹線栗東新駅の起債差し止め、行政委員の月額報酬条例問題、原発差し止め訴訟、数え上げたらきりがない。吉原先生がすばらしいのは、他の弁護士では思いつかないような事柄を次々に取り上げて訴訟にし、それを画期的な勝利につなげてきたことである。議会でいくら追及してもやめない無駄な公共事業を自ら運動の主人公になり、訴訟の原告になり、判決を勝ち取ってやめさせていった。その姿勢は「オレが新判例を作る。」という意気込みに貫かれていた。珍訴、奇訴の類と思われていた事件もみるみるうちに形になっていく。全国的にみても本当に傑出した弁護士であったといえる。
 吉原先生は、古稀表彰のとき、「自由法曹団員であったこと、共産党であったことが、今日の私の元気のもとです。今日まで私のとった判例と評釈は判例時報等の判例雑誌に約一〇〇件、約五〇冊載っております。これは私の宝です。」と書いた。印象深い言葉である。
 吉原先生は大変な読書家であり、私は沢山の本を交換してきた。私が入院したときには大きな紙袋いっぱいの本を差し入れていただいた。また、映画もしっかりとご覧になっていた。ラッセルクロウの「グラディエーター」などを高く評価され、その映画音楽のテープをいただいたこともある。最近は山登りに夢中で「汗をかいて山を上り、頂上で汗を拭いてから着替えて缶ビールを飲み、昼寝をするのが最高だ。」と言われていた。五〇歳になって免許を取得されて運転をされるようになったが、「ボロ車から始めた方がいい。」というアドバイスを無視し、新車を購入してすぐに傷をつけることになった。また、夫婦仲良く、奥様と一緒においしいものを食べに行く、小旅行にも行くなど奥様孝行も徹底されていた。吉原先生自身、「永年このあくの強い旦那と連れ添ってきた女房に逃げられないように」努力してきたと語っている。さらに、娘さんには仕事の時とは違う優しい声色で「とうちゃんだ。」と電話をされていたことも印象に残っている。お孫さん達の写真を常に持ち歩き、大変に可愛がられていた。このように、先生の思い出は尽きない。いずれにしても、いくら超多忙であっても、時間を作って趣味と家族を大切にされ、充実した人生を歩んでこられた。私は、「意義のある仕事や活動をしつつ人生を楽しむ」というスタンスの重要性を吉原先生から学んだように思う。
 私は、滋賀支部の活動報告をしばしば団通信に送ってきたが、「玉木君はそうたいした活動でもないものを上手に報告するなあ。」と失礼な発言もあった。しかし、いつも団滋賀支部の活動とその発展には暖かいまなざしで心を砕いていただいていた。「自由法曹団員であったこと」が吉原先生の元気の源のひとつであったことの意味は大きい。滋賀の地に団の旗を立てる意気込みで郷里に戻られ、獅子奮迅の活躍をした吉原先生ならではの言葉である。
 吉原先生の真似は誰もできないけれども、吉原先生が築かれてきたものをしっかりと受け継いで、団の旗を大きく掲げて前に進んでいきたいと思う。吉原先生のご冥福を心からお祈りしたい。


五・一一安保一括法案(戦争法制)を阻止する
院内集会・議員要請への参加を呼びかけます!!

事務局長  山 口 真 美

 昨年七月一日の閣議決定を具体化する安保一括法案(戦争法制)の法制化作業は、三月二〇日の与党共同文書「安全保障法制整備の具体的な方向性について」によって概要がほぼ明らかになりました。
 安倍政権が国会への提出を目論む安保一括法案(戦争法制)は、(1)アメリカが起こす戦争に日本がもれなく参加し、(2)いつでもどこにでも自衛隊を海外派兵でき、(3)日本周辺の警察活動領域に自衛隊を投入しなし崩し的に武力衝突を引き起こす危険性を増大させるものであり、まさに日本を戦争する国にするものです。安保一括法案(戦争法制)は、戦後七〇年にわたって日本が守り築いてきた平和憲法、そして平和国家として日本を根本から破壊するものです。
 今後、政府与党は四月中旬に要綱を発表し、政府・与党協議を再開し、五月中旬には法案を国会に提出しようとしています。
 現在、改憲阻止対策本部では、安保一括法案(戦争法制)の成立を阻止するため、同法案を様々な角度から検討・批判した第二意見書「戦争法制を批判する」(仮称)の発表を準備しています。そして、完成した意見書を国会に持ち込み、院内集会と議員要請を行う予定です。
 五・一一安保一括法案(戦争法制)を阻止する院内集会・議員要請への団員の皆さんの参加を呼びかけます!

戦争法制に反対する院内集会・議員要請

日 時 五月一一日(月)午前一一時
場 所 衆議院第一議員会館第六会議室
主 催 自由法曹団

 戦争法制に反対する国民の声を国会に届けましょう!!
 ふるってご参加ください!!