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田中  隆
(改憲阻止対策本部)
*改憲・戦争法制阻止特集*
戦争法制の攻防いよいよ最終局面 ―最後まで阻止のためにたたかい抜こう
結城  祐 ノーモア・ベース・フェス ―沖縄の声を日本中の声に―
ご報告、御礼と次回企画について
齊藤 園生 八・二六日弁連主催の大集会に参加しました。
佐藤  宙 八・三〇国会包囲一〇万人集会に参加して
山崎 博幸 一五〇〇人パレード余談
田井  勝 労働者派遣法「改正」案の廃案を求める院内集会の報告と今後の取り組みについて
宇賀神  直 本の紹介・推薦
中野 直樹 戦後七〇年の夏は越後三山へ(二)
石川 元也 松川資料・ユネスコ世界記憶遺産登録推進運動への協力を



*改憲・戦争法制阻止特集*

戦争法制の攻防いよいよ最終局面 ―最後まで阻止のためにたたかい抜こう

東京支部  田 中   隆(改憲阻止対策本部)

一 再び狂った「タイムテーブル」
 本稿を脱稿する九月八日、参議院安保法制特別委員会(参院安保特)で、戦争法制をめぐる参考人質疑が行われます。参院安保特での審議が始まった七月二八日から四〇日、「戦後七〇年の夏」を通じて行われてきた参院審議は、最終局面に向かおうとしています。
 政府・与党の当初のもくろみは、六月中に衆院、会期延長後の七月中に参院を突破して、「非戦と鎮魂の夏」となるであろう八月以前に成立させようとするものでした。そのもくろみは早期のうちに破綻し、政府・与党は苦しまぎれの長期延長と強行採決に追い込まれました。もくろみを破綻させたのが、民主主義を無視した政府・与党の驕慢な姿勢((1))、憲法研究者をはじめとする広範な違憲論、反対世論((2))、地方・地域から澎湃と巻き起こった反対運動の地鳴り((3))であったことは、すでにスケッチしておいたところです(「団通信」七月一日号、七月二一日号の拙稿を参照)。
 根強い違憲論と広範な反対に直面した政府・与党は、戦争法制の成立を最優先にした突破策に出ました。参院審議での与党質問時間を拡大し、中国を名指しにした「安全保障環境の変化」を押し出すとともに、「地元の疑問に応える」型の質疑を繰り返しました。また、「辺野古工事の一か月凍結」、「国立競技場問題の見直し」、「首相談話への『侵略』等の挿入」「首相訪中の見送り」など、波乱要素・政権批判要素を最大限除去しようとしました。
 「なりふりかまわぬ突破策」で「遅くも九月初頭に強行」というのが、「次なるタイムテーブル」でした。その「タイムテーブル」もまたすでに破綻していることは、長期延長国会の「最後の一〇日間の攻防」にもつれこもうとしていることからも明らかです。
二 危険性と矛盾をあらわにした参院審議
 「タイムテーブル」をまたも破綻させた要因のひとつは、法案審議そのものでした。衆院審議や各方面での検討・批判を受けた参院審議は、戦争法制の危険性や矛盾をいっそう明らかにしました。
 第一に、無限定性がいっそう明らかになったこと。
 核などの大量破壊兵器の輸送・補給も否定されていないこと、存立危機事態等の際の兵站支援では自衛隊員の「安全確保」がはかられていないこと、イージス艦による防護を含む米軍等の武器防護のための武器の使用が「新三要件」を潛脱するものとなることなど、法案の構造的な問題点が次々に暴露されました。「予定していない」だの「運用で解決」では説明になりません。
 第二に、「立法事実」が崩壊しつつあること。
 安倍首相が強調する「日本人母子の乗った米艦への攻撃」の「日本人母子」は要件でないことが明らかになり、「ホルムズ海峡の機雷敷設」はイランの国際社会への復帰で起こりえないことがはっきりしました。「中国は脅威でない」「戦略的互恵関係で」との答弁は、「安全保障環境の変化」論の自己破綻を意味します。
 第三に、先取り検討や米日軍事一体化が明らかになったこと。
 共産党議員が次々に持ち出した「統幕資料」「海幕資料」等でガイドラインと戦争法制成立を前提とした検討が米日の「制服組」のなかで進められていることが暴露され、砂漠の作戦を前提にしたカリフォルニアでの米日共同訓練や墜落したブラック・ホークヘリへの特殊部隊要員の搭乗など米日軍事一体化の進行が明らかになりました。「自衛隊の暴走」に、政府はまともな説明ができていません。
 これらすべては、「米国を守るための戦争法制」という本質を物語るものであり、反対が拡大するのはあまりにも当然です。
 あえてつけ加えるなら、にもかかわらず政府は、「なにもかわらない」と言わんばかりの答弁を繰り返しました。答弁を聞いて激怒しているのは米国国防総省や米軍司令部。これが憲法と国民に追いつめられた戦争法制の「いびつな立法趣旨」でもあります。
三 法案と政権を追いつめたもの
 ここまで追いつめたものが、反対運動の地鳴りであることには多言を要しません。
 八月三〇日午後、国会正門前は法案に反対する市民に埋めつくされました。憲法共同センター・「解釈で憲法を壊すな」実行委・一〇〇〇人委員会が母体となった「総がかり行動」実行委が呼びかけた国会包囲行動です。東京での参加者は一二万人、国会正門前を埋めたのは「六〇年安保以来」とされています。
 警備のために正門前にいた筆者は、歩道から「氾濫」して国会前に押しかける市民の波をまのあたりにしました。包囲行動開始時刻以前のことです。「総がかり」の行動に続いて「シールズ」に移り、正門前は「〇〇大学有志の会」などの旗で埋まりました。学生が「最前線」でたたかう姿を、久方ぶりに見た思いでした。
 この日、全国で行われた集会・行動は数百か所、参加者は数十万人とされています。呼びかけは「総がかり」ですが、シールズ、ママの会、日弁連、学者の会など、戦争法制に反対する運動・勢力が総結集した行動で、同日行われた地方での連帯集会の多くは弁護士会が主催しました。法曹・学者・市民を結んだ日弁連集会(八・二六)、シールズ・学者の新宿行動(九・六)、万におよぶ参加の地方集会(九・六 埼玉・愛知)など、広がりはめざましいものがあります。「三色旗」を掲げた創価学会関係者が数多く参加するようになり、地方では自民党議員を含む反対の動きも顕在化しました。
 参議院段階に入ってから、これほど大きな高揚を見せたたたかいを、筆者は寡聞にして知りません。
 九月一日、自由法曹団は、参議院議員への要請行動を行いました。
 野党議員事務所の意気軒昂に比して、与党議員事務所は「受け取り拒否」で閉じこもり、あるいは「国民の声を」に動揺を示す対照的な対応でした。これが、院内外のたたかいが生み出した「永田町の変化」です。
四 最後の攻防と強行採決の策動
 衆院では、六月二二日、七月三日、六日(沖縄・埼玉)と参考人質疑を三回行い、中央公聴会を一三日に開催(一〇日に委員長職権で決定)して、一五日に安保特採決、一六日に本会議採決を強行して参院に送付しました。審議時間は一一六時間とされています。
 参院では、参考人質疑は決まっているものの、審議時間は約七五時間(九月四日まで)で、本稿脱稿時点(九・八午前)には中央公聴会の期日は入っていません。「平日三日をおいて公示」が慣行化しているとのことで、九日に公示して一五日に実施の可能性が大きいと思われます。
 この日、午前に中央公聴会、午後に「締めくくり総括質疑」を行って採決になだれ込むとして、委員会採決は早くて一六日。運動のなかで「一六日あるいは一八日に強行採決を考えるのでは」と言われているのは、こうした「タイムテーブル」を前提にしています。
 これでは、問題がなにひとつ解決していないにもかかわらず、中央公聴会を文字どおり「アリバイ」にして、しゃにむに採決を強行すると言っていることにしかなりません。
 かといって、一八日を徒過すればシルバーウィークの五連休に突入し、休み明けの二四日、二五日に賭けたのでは、主要な野党がこぞって提出する内閣不信任案などの「手続戦」で、「時間切れ廃案」にもなりかねない。国会法に「土日は開会できない」との規定はありませんが、この法案でそんなことをやれば、ますます国民の憤激を高めることになるでしょう。
五 「六〇日ルールによる再可決」は憲法蹂躪
 七月一六日から六〇日後の九月一三日を経過すると、「みなし否決」による衆院再可決が可能になります。
 「再可決」に持ち込むには、衆院本会議で以下の手順を踏むことになるはずです(一三年六月二四日の公職選挙法改正案=衆院定数ゼロ増四減案はこの手順で再可決)。
(1)「憲法五九条四項により、参議院がこれを否決したものとみなすべしとの動議」を採択して参議院から議案を返付させる。
(2)「本院議決案を議題とし、直ちに再議決すべし」との動議を採択する。
(3)三分の二以上の賛成で再可決する。
 七月二一日号の拙稿で指摘したとおり、「みなし否決による再可決」は「二院制の例外のさらに例外」で適用は厳に戒められるべきです。仮にも衆院可決後に問題が噴出し、国民の反対が広がっている違憲の法制の強行に利用されるべきものではありません。「六〇日ルールによる再可決」は、それ自体が、国民主権と議会制民主主義を蹂躙する憲法違反です。
 これが「一五〇日延長」にもかかわらず会期末ギリギリに追いつめられた戦争法制の「断末魔」の姿、国会審議の面から見ても、廃案以外の道はありません。
六 最後のたたかいで戦争法制にとどめを
 秘密保護法阻止闘争になだれ込んだ岩手・安比高原総会から、ほどなく二年になります。この二年ほど、広範な市民が、戦争と平和をめぐって模索し続け、たたかい続けた二年はなかったでしょう。そのたたかいが、あのときには想像すらできなかったほどに、広くかつ深いものになっていることは、異論のないところでしょう。このたたかいは、戦争を阻止するたたかい、安倍内閣を退陣に追い込むたたかい、明文改憲を阻止するたたかいに確実につながります。
 その力を確信し、すべての力を戦争法制阻止に傾注しましょう。
 九月中旬、国会に向けて、「総がかり」実行委員会が呼びかけた行動が予定されています(行動は連日。大規模なものだけ抽出)。
 九月 九日 日比谷野音集会・国会デモ(一八・三〇)
 九月一〇日 国会前集会(一八・三〇)
 九月一四日 国会包囲行動(一八・三〇)
 九月一六日または一八日 国会包囲行動(一八・三〇)
 それぞれの地方・地域で反対の行動を展開するとともに、直接国会と国会議員に反対の声を届ける活動を重視してください。
・地方・地域の集会・パレード・街頭宣伝等で反対の声をあげ続けること
・参議院議員および要所の衆議院議員に、Faxやメールによる要請を集中すること
・国会に向けた活動に参加し、地方・地域から代表を送り出すこと
がとりわけ重要です。
 団員の皆さんのこれまでの奮闘に心から敬意を表するともに、戦争法制阻止に向けた最後の奮闘を呼びかけるものです。

(二〇一五年 九月 八日朝脱稿)

●止めよう!辺野古埋立て 九・一二国会包囲
日時:九月一二日(土)午後二時開始
場所:国会周辺
主催:止めよう!辺野古埋立て九・一二実行委員会
協力:戦争させない・九条を壊すな! 総がかり行動実行委員会
●戦争法案の廃案と自衛官の人権擁護を求める集会
日時:九月一四日(月)午後四時三〇分〜五時三〇分
場所:参議院議員会館B一〇七
共催:日本労働弁護団・改憲問題対策法律家六団体連絡会
(社会文化法律センター、自由法曹団、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本国際法律家協会、日本反核法律家協会、日本民主法律家協会)
協力:自衛官の人権弁護団、北海道・自衛隊イラク派兵差止訴訟全国弁護団連絡会議ほか
●強行採決絶対反対・戦争法制廃案・安倍政権退陣九・一四国会包囲大行動
日時:九月一四日(月)一八時三〇分〜
場所:国会周辺
 ※ 団は国会図書館前に集合


ノーモア・ベース・フェス ―沖縄の声を日本中の声に― ご報告、御礼と次回企画について

東京支部  結 城   祐

 二〇一五年七月一一日、一五時より新宿柏木公園から始まったデモと街頭宣伝には約二〇〇人の方に参加していただきました。多くの団員の皆様にも当日参加していただき、盛り上げて下さっただけではなくカンパ等の経済的支援をいただき厚く御礼申し上げます。
 当日のデモのコースは一日三〇〇〜三五〇万人が利用する日本最大のターミナル駅である新宿駅近辺を一周するものでした。サウンドカーを筆頭に、音楽と共に「NO MORE BASE!」の熱い気持ちを皆で叫びながら行進すると、街行く人々の視線が注がれ関心をもっていただいている様子をありありと感じることができました。また、歩きながらビラを配布すると、「頑張ってよ。」「沖縄に基地を建設しちゃダメだ。」といった言葉をかけていただくこともありました。
 このように多くの東京都民、新宿を訪れた日本中の市民に「辺野古新基地建設反対!」の声を聴いていただけたと感じると共に、沖縄との連帯の気持ちがさらに強まったのではないかと思います。
 現在政府は、高まる辺野古新基地建設反対の声を無視することが出来ず、沖縄県と辺野古新基地建設についての集中協議をしています。辺野古新基地建設を阻止に向けた最も重要な時期にあります。
 そこで、私たち若手弁護士はさらに強く沖縄の声を日本中の声にするため次回企画の開催を決定いたしました。
(1)「ノーモア・ベース・フェス―沖縄基地×戦争法案―」講演
【日時】二〇一五年九月二〇日午後二時半から午後六時
【場所】全理連ビル(JR代々木駅北口より徒歩一分)
【講師】渡辺治さん(一橋大学名誉教授)
    森住卓さん(カメラマン)
【内容】辺野古新基地建設に関する沖縄の現況、安倍政権が辺野古新基地建設と同様に強行しようとしている戦争法案と沖縄の関係等について学び、運動につなげることを目的とする。
(2)キャンドルアピール
【日時】二〇一五年九月二〇日午後六時四五分頃開始
【場所】新宿駅南口
【内容】キャンドルや光物を手に街頭宣伝をする予定です。
 なお、この講演会を開催するにあたって、講師の方々は格安な講師料でお引き受け下さりましたが、会場費等の費用を準備するのに苦労しています。先生方におかれましては、是非とも本企画に賛同していただくとともに、カンパをお願い申し上げます(下記振込口座からお振込みいただけると幸いです。)
 突然の申出で大変恐縮ではございますが、当日のご参加と合わせて、何卒よろしくお願いします。
 また、企画等のご連絡のため、ノーモア・ベース・フェスメーリスを作成致しました。以前よりご賛同いただいた皆様に関して順次ご登録させていただいております。これからメーリスにご登録いただける方はメーリス管理者の大久保(旬報)ohkubo@junpo.orgまでお名前を明記の上ご連絡ください。
 皆様、今後とも「NO MORE BASE FES―沖縄の声を日本中の声に―」の取り組みにご賛同をお願いいたします。
振込口座(ゆうちょ銀行)
 ゆうちょ銀行からの場合
【口座記号番号】 〇〇一九〇-三-六〇二四三九
【口 座 名 称】 ノーモアベースフェス
ゆうちょ銀行以外からの場合
【 銀 行 名 】ゆうちょ銀行
【 店名 (店番)】〇一九(ゼロイチキュウ)
【 預 金 種 目 】当座
【 口 座 番 号 】〇六〇二四三九


八・二六日弁連主催の大集会に参加しました。

東京支部  齊 藤 園 生

その一 一人事務所の弁護士は悩んでいるのです
 戦争法案をめぐって、反対運動が大きく盛り上がる中、私は少々悩んでいたのです。一人事務所だと、事務所ニュースを出すには時間も金もない、宣伝活動といっても一人じゃどうにもならない。何かしたい、いや、しなくちゃいけない、しかし何が出来るんだろう・・・。一人事務所の団員は結構焦っているのではないかと思います。 そこで私が決心したことが一つ。集会には一人でも行ける、だから極力行く、できたら他の人と一緒に行く。これならできる!
 そう決めて、最初の集会は八月二六日、日弁連主催の「安保法案廃案へ!立憲主義を守り抜く大集会&パレード〜法曹・学者・学生・市民総結集!」。先輩・友人らと参加しました。
その二 実に感動的な集会でした
 当日は、あいにく小雨、しかも肌寒い。「この時期に集会ポシャッたら、シャレにならんなぁ。だいたい弁護士と学者と学生で日比谷野音が埋まるのかな」などと言う心配は、全くの杞憂でした。文字通り北は北海道から南は沖縄まで、全国の弁護士が各単位弁護士会名や「安保法制反対」などの文句を書いた旗をもって集結。実に壮観です。加えて、学者の会や学生、市民など、続々参加。本当に法曹・学者・学生・市民の総結集です。
 集会では、学者、弁護士、元高裁長官、元内閣法制局長官などの法律家だけでなく、学生、子どもを持ったママなど多様な一一人がスピーチ。それぞれが、自分の言葉で率直に思いを語った、実に感動的なスピーチでした。
 特に、「学者がこんなに団結して行動することは珍しい、それだけ私たちが、学問の危機、大学の危機、知性の危機を感じているからだ」と訴えた上野千鶴子さん、「限定的な集団的自衛権の行使容認であって、従来の政府見解の延長なのだという安倍内閣。何という開き直りか」と声を荒げた元内閣法制局長官の宮風逧繧ウん、「創価大学で『安保法制反対』の声を上げるのは本当に大変だった、でもここに来て本当に好かった」としみじみ述べた創価大学教員の佐野潤一郎さん、そして、「毎週金曜日の集会を続け、正直疲れている。でもこれは自分たちの問題なんだ、と訴えて最後までコールします」と宣言したシールズの奥田愛基さん。ちょっと痛々しいスピーチにおばさんは、本当に抱きしめてあげたい気持ちになりました。
 集会後のパレードは、会場外の参加者とも一緒になり延々国会前まで続いたのです。
その三 安保法案と安倍内閣をつぶしてやりたい
 聞くところによると、安倍内閣は参院での採決にこだわっているようです。山場はあとせいぜい一〇日あまりのところ。この憲法違反の安保法制をつぶし、憎き安倍内閣をつぶしてやりたい。そうなるまで、集会くらい行きますとも。ビラくらい配りますとも。今やらないときっと後悔しますから。


八・三〇国会包囲一〇万人集会に参加して

東京支部  佐 藤   宙

 去る八月三〇日、戦争法案反対の国会包囲一〇万人集会に参加した。
 一四時開始予定ということであったが、一〇万人も集まるのだから早めにいっておかないと、との思いで出発したところ、一二時過ぎには永田町駅に着いてしまった。いくらなんでも早すぎたかと思って階段をのぼって地上に出ると、既にたくさんの人が集まっており、遠くからは「戦争法案反対!」、「アベはやめろ!」のデモコールが聞こえてきた。国会図書館の方に歩いて行くと、白地の自由法曹団の旗が目に入った。私は旗の近くに場所をとり、開始時刻である一四時を待つこととした。どんどんと増えていくひと、ひと、ひと。いつの間にか参加者の人数は身動きがとれないほどに増えていた。
 同じ事務所の所員と落ち合い、すごい人数だね、一〇万人越えるといいね、などと話しているうち、ついに一四時の開会の時間を迎えた。国会の周りの電柱にくくりつけられ沢山の拡声器から、司会の声が一斉に流れ、開会が告げられた。
 集会は、会場を包み込むコールに始まった。「戦争法案絶対反対!」、「アベはやめろ!」国会周辺のものすごい人数の声が一体となり、とたんに巨大なうねりとなった。続いて、リレートークが行われた。誰一人として同じ内容でない、発言者各々の思いが言葉となって会場に響き渡った。なかでも、大阪から駆けつけたSEALDsの学生の方のスピーチは拡張高く、堂々とした話し方と相まって、とりわけ強く胸に迫ってくるものであった。「二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、もはやこの国の総理大臣ではありません」、「民主主義が生きている限り、私たちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利がある。」もはやこれ以上の言葉はいらないだろう。このスピーチの間は、会場は静まりかえっていた。
 選挙で選ばれ、国会で多数をとったから、次の選挙まで何でもやってもいいわけがない。国民の声に常に耳を傾け、政治に反映させていく、これが民主主義である。私たちは、戦争法案を作ることを一度も権力にゆだねた記憶はない。反対の声が上がるのは当然である。一二万人もの、この当たり前の声に耳を貸さず、国会での多数を占めていることをいいことに憲法違反の法律を作るならば、これを独裁と呼ばずしてなんと呼ぶのであろうか。
 戦争法案反対のデモに対し、一部極めて攻撃的な意見がある。しかし、現に平和を維持してきた憲法を守り、これを破壊しようとする政治に対し反対の声を上げることのいったい何が問題なのか。対案を出さずに反対ばかりを繰り返すことがけしからんという意見も少なからず耳にする。しかし、現状、立憲主義に反して戦争法案を作らなければならない必要性はない。そうである以上、対案を出す必要はない。強いていえば、戦争法案に反対し、平和憲法を守ることが我々の「対案」であり選択なのである。
 戦争法案に反対する国民の一人として、このデモに参加できたことを光栄に思う。


一五〇〇人パレード余談

岡山支部  山 崎 博 幸

一 七・二五岡山弁護士会の集会・パレード
(1)講演会・パレードの様子については既に岡山支部の則武透団員から報告がなされているので、以下余談となる。
 当初、岡山県総合福祉会館での講演会には参加者五〇〇名程度と予想し、その参加者がパレードするという計画であった。ところが、パレードだけでも参加したいという声が次々と寄せられ、近くの公園を第二会場とし、出発前にリレートークを行うこととした。こうして会館から出発したパレードと公園の第二陣とが合流して総勢一五〇〇名の盛大なパレードとなった。
(2)全国水準からみれば突出した人数ではないが、所轄の警察署は、こんな大規模なデモは初めてだということで(そうです。岡山はだいたい静かな町です)、何度もこちらの担当者が呼び出されて打合せに出向いた。宣伝カー四台を労働組合等から運転手付で借り受け、アナウンスは弁護士四名がそれぞれ担当した。
二 あいさつ回りの反応
(1)自民党を除く政党、労働組合、運動団体など二〇数か所、岡山弁護士会の会長(吉岡康祐)を先頭に参加要請のあいさつ回りをした。行く先々で「弁護士会が主催してくれるなら参加しやすい」「自主的に統一行動をとるのは難しい」「弁護士会のようなところから呼びかけをしてもらえるとありがたい」などと一様に歓迎された。
(2)第二会場でのリレートークには、民主党二名、維新の党、共産党、計四名の国会議員が力強いあいさつをし、その他県議、市議等、延べ一五名の発言があった。パレード終了後、ある議員が「私はこれまで共産党とは絶対に統一行動をしないと固く心に決めていたが、今日は弁護士会主催だから来た。今後も頑張ってほしい」といった趣旨の言葉を述べて帰ったことが強く印象に残っている。
三 展望をひらく活動
(1)政党や労働組合が統一行動を組むことはそう簡単ではないが、弁護士会主催ならばということで障害をなくすることが可能となり、全国各地で統一行動が広がっている。弁護士の力がそれほどあるとは思わないが、こうしたかたちで法案反対勢力や市民の期待に応えることができるのであれば、いまこそ全力でその労をとるべきだ、ということを改めて学んだ。
(2)今回の集会とパレードは憲法委員会(二二名、委員長は清水善朗団員)が中心となって企画実施したが、憲法委員会は昨年から「シリーズ憲法講演会」と称して四回の講演会を市民向けに開催した。毎回二〇〇〜三〇〇名の参加者があり、いまでは市民の間に定着したシリーズとなっている。他方、岡山には、弁護士九条の会・岡山(事務局一七名)があり、第二次安倍政権発足後、四回の集会を開催し、これも毎回三〇〇〜四〇〇人規模の参加者となっている。委員会と九条の会の事務局メンバーが重なっている部分もあるが、これらの集会を通して市民との間に一定の信頼関係と太いパイプが出来ていることも今回の成功につながった。
(3)若手会員の活躍はめざましい。私は憲法委員会の一委員として、あいさつ回りをしたくらいで特に何をしたというわけでもない。若手会員の活力がなければ、とうてい一五〇〇名の集会・パレードを実現することは不可能であった。フェイスブックで参加を呼びかけた会員も何人かいるが、このようなことは私(二六期、団通信の常連の永尾廣久君と同期)には不可能なことだ。またパレードを上空から撮影したいということでドローンを飛ばした会員もいる。周りからは、パレードに落ちたら大変ではないかと言っていたが、無事きれいに写っていた。こうしたユニークで元気のよい若手会員が育っていることは実に頼もしいことだ。
(4)憲法委員会はその後も、週一回岡山駅前と隔週倉敷駅前で法案反対の街頭活動を続けている。さしあたって大きな行動は組めないが、こうした地道な活動が今後の展望を必ずひらいていくものと確信している。


労働者派遣法「改正」案の廃案を求める院内集会の報告と今後の取り組みについて

事務局次長  田 井   勝

 二〇一五年九月四日(金)、自由法曹団は、「労働契約申込みみなし制度の廃止絶対反対!!『生涯派遣・正社員ゼロ』、『派遣切り自由化』法案に反対する院内集会」を開催しました。通常国会中になんと三度目の院内集会、平日の午後にもかかわらず、団員弁護士、労働組合、派遣労働者等々、約七〇名が参加しました。
 当日は日本共産党の小池晃参議院議員、辰巳孝太郎参議院議員、社民党の福島瑞穂議員にお越し頂き、同日時点における国会情勢の報告がありました。その他にも民主党の議員からメッセージが届けられたり、各党の秘書のかたもお見えになりました。また、新聞社の記者の方も大勢みえられました。
 集会では、鷲見対策本部長より、八月末に自由法曹団が作成した意見書の報告がありました。意見書は、仮に「改正」案が成立されたとしても、現在の労働者派遣契約に基づく労働者派遣においては、派遣法四〇条の六(みなし制度)の適用がある、との内容です。これは、「改正」案の附則第九条において、現行の労働者派遣契約に基づく労働者派遣については「なお従前の例による」との記載があるため、既に成立している派遣法四〇条の六についても適用されるのではないか、との指摘です。
 この意見書に基づき、国会では小池議員や福島議員始め、民主党の石橋議員らなどが塩崎大臣に迫り、委員会審議ストップ、内閣法制局まで出させて意見を述べさせることに成功しています。
 かなりマニアックな内容ですが、「改正」案が欠陥法案であることを明らかにするものであって、「改正」案を廃案に追い込むための、一つの大きな指摘となりました。
 本文が発表される頃には、この「改正」案の成否がどうなっているか分かりません。一部情報によれば九月八日は参議院厚労委が開かれるも、その日は二時間で審議を打ち切り、強行採決がなされ、九日に本会議で成立、その後、施行日を変更した点について衆院本会議で一〇日に採決という話が出ています。
 ただ、今回の「改正」案について、衆院でも参院でも政府側の答弁はボロボロです。先の附則第九条の問題以外にも、専門業務の派遣労働者の三年後の契約打ち切り問題、雇用安定措置の実効性が全くない問題、業務単位での期間制限をなくすため、派遣先が労働者を直雇用する機会がなくなってしまう問題等々、多くの野党側の指摘に対し、政府側は何も答えられていません。また、政府は九月三〇日の施行をめざしていますが、法案が成立した後、施行日までに約四〇もの政省令を造り、労政審で審議しなければなりません。周知期間も数日しかとらない中で、このような悪法を施行させることは極めて不当です。
 九月三日の参議院厚労委員会においては、安倍首相出席の元、派遣法「改正」案の質疑が行われたものの、首相からは、今回の「改正」案が派遣労働者のキャリアアップをはかるものであって正社員化に繋がるものだ、とか、過半数労働組合が反対の意見を述べれば雇用慣行に基づき派遣継続はあり得ず常用代替の懸念はあたらない、とか雇用現場の状況を全く理解していない答弁を繰り返すのみです。
 日経新聞の調査では、派遣労働者の約七割がこの「改正」案について反対となっています(日経九月一日)。他にも、自由法曹団の電話相談(七・二派遣労働一一〇番)や、非正規全国会議でのアンケート、労働弁護団の発表等々で、派遣労働者が、この「改正」案に反対との声を強く訴えています。
 安倍首相も塩崎大臣も、いまこそ派遣労働者と実際に会って、彼らの反対の超えや、悩みと不安を聞き入れるべきです。本当にこの法案を通してしまえば、日本の労働者の権利が窮地に追いやられます。
 全国の団員が、それぞれの地域の選出議員の下に要請したり、あるいはFAXで要請したり、街頭宣伝をしたり等々。私たちがやれることは無数にあります。
 仮に万が一、採決された場合、公布から施行まで超短期間で仕上げることになります。厚労省での労政審での十分な審議時間もとれず、国民への周知など全く出来るはずもありません。
 弁護士会や日弁連、労働弁護団等々の活動なども含め、あらゆる場所で奮闘し、絶対にこの派遣法「改正」案を廃案に追い込まなければなりません。全団員で頑張っていきましょう。


本の紹介・推薦

大阪支部  宇 賀 神   直

本の題名は「裁判に尊厳を懸ける 勇気ある人びとの軌跡」
著者は 大川真郎さん
発行者は 日本評論社
定価   一七〇〇円
 人が困難な裁判に臨むとき、試されるのは信念、勇気、忍耐、すなわち人間性である。事件の当事者はいかにして裁判を乗り越えるのか。その思いから大川真郎弁護士は自分が担当した事件から当事者らの知られざる素顔を描き出す思いで七つの裁判の当事者の闘いを書いています。私の読後感ではその思いは達成されています。
 その七つの裁判は、第一話 権力犯罪とたたかった二人の青年―和歌山大学生「公務執行妨害」事件。第二話 守り抜いた憲法の理念―杉山弁護士接見妨害。第三話 暴力から議会制民主主義を守った市議―斎藤八尾市議会議員除名事件。第四話 私たちに青空を―四日市公害訴訟。第五話 それでも私は働き続けたい―日本シェ―リング労働裁判。第六話 『嘘構の嵐』に立ち向かった医師―近畿大学「医療過誤」裁判。第七話 美しい島を後世に―豊島産業廃棄物不法投棄事件。
 この七つの裁判のどれもが裁判本人の苦労と奮闘の足跡が事実に裏付けられて書かれており、読むことの価値がありますが、私が特に奨めたいのは第二話の杉山彬弁護士(一五期弁護士三年)の裁判です。一九六五年当時、弁護士が逮捕された人に接見する時は警察官、検察官の「接見指定書」を持参し、それを警察署の担当者に見せなければならなかった。その指定書なるものは今直ぐに接見しようとしても指定書はその翌日の午後二時に接見となっており弁護人の弁護活動を妨害するものであった。そこで弁護士は準抗告をして接見をしたのです。
 処で杉山弁護士が接見をしようとした本人は四月二五日(日曜日)に逮捕された三名で布施、河内、寝屋川の三つの警察署に分散留置されていた。捜査本部は枚岡署でした。この逮捕事件は住民運動に対する弾圧であり、早く釈放せよとの弾圧反対闘争と弁護活動を妨害する意図で三つの警察に分散留置をしたのです。杉山弁護士は捜査本部がある枚岡署に接見することの電話をしたら、担当警察官は指定書を取りにくるように言う。杉山弁護士は面会を急ぐ必要から指定書を取りに行く時間がないと電話を切り、布施署に行き面会を求めた。その布施署の係官は指定書がないとして接見を拒否した。杉山弁護士は指定書の不当性を指摘し強く接見を求め、更に弁護人選任届を取るだけと言うも接見を拒否した上、係官は杉山弁護士の肩胸を十数回突くなどや杉山弁護士を二階の踊り場から一階まで引きずり降ろすなどの乱暴行為をした。その頃、他の弁護士が駆けつけ裁判所の令状部に電話をして裁判官に事情を説明した。その裁判官は警察の係官に接見させるよう電話し、それを警察官も認めその日の午後八時二五分から一〇分間の接見をした。
 この問題は弁護人の接見交通権の侵害と言う重大の問題を提起し、大阪弁護士会は臨時総会を開きてこの問題を取り上げて討議し、大阪府警察本部長に要望書を出したが、何らの回答もしなかった。なお、日弁連も取りあげて議論を深め、弁護人の接見交通権の重要性とそれが「面会切符制」によって侵害されていることを明らかにした。杉山弁護士は大阪府を被告に国家賠償の裁判を起こし大阪地裁は慰謝料一五万円、高裁は一〇万円、最高裁は原判決破棄、大阪高裁は一五万円の勝訴判決。大阪府は上告せず確定。最高裁判決は破棄したが理由の中で弁護人の秘密接見交渉権の重要制を説いています。こうした運動と闘いにより、「面会切符制」は廃止されたのです。これらの問題について大川さんは詳しく、しかも分かり易く解き施しています。団員の皆さん、是非とも買い求めて読んで下さい。刑事弁護活動の在り方や弁護士会と会員の活動のありようを学ぶことが出来ます。
 感想 大川真郎さんは民法協、自由法曹団の弁護士として労働事件などで活躍し、その後、国際法律家協会の活動に、そして弁護士会の活動に足を入れて力を出し、日弁連の事務総長、日本司法支援センタ―の常務理事に就きそれをやり遂げて現在に至っています。私は「裁判に尊厳を懸ける」を読んで以前の大川弁護士を思い出しました。
 この本は大川、村松、坂本法律事務所で手にすることが出来ます。 一七〇〇円を一五〇〇円で。
電話〇六―六三六一―〇三〇九


戦後七〇年の夏は越後三山へ(二)

神奈川支部  中 野 直 樹

山の刺激
 小倉山までの登りは、展望もなく、足下の花もなく、刺激の乏しい道のりであった。昼食休憩からの山道は、太陽が真上から容赦なく焼き付ける、いっそう厳しい環境となったが、会津駒の展望、百草の池のハクサンコザクラ(白山小桜)、トキソウ(朱鷺草)などの出現、銀山平、雪渓から水流がほとばしる音がこだまする北ノ又川の支流、とカメラを取り出すことが多くなった。前駒を過ぎて傾斜のきつい岩場を踏み越えていると上からあと少しだぞと声がかかった。駒ノ小屋の管理人だった。すかさず、ビール数本ずつ飲みますよと返答したところ、管理人は冷やしておかなければと言って、小屋に向かった。
 一四時五〇分、小屋に到着。荷を下ろすのももどかしく、かけ流しの水槽につかったビール缶を手にして、ご苦労様の乾杯をした。小屋前の広場に先着していたテント泊まりの親子、男性一人に挨拶をした。豊かな水は山頂直下にある雪渓から引いているもので雪渓がなくなると涸れるそうだ。切れ目なく二本目のビールを飲みながら、汗でびしょびしょになった衣類をすべて着替え、身体を水拭きしてさっぱりした。日が傾き始めた頃、カメラを持って駒ヶ岳の頂上を目指した。途中、ハクサンコザクラの大群落があり、雪渓を背に一〇片に見えるうす桃紫色の花冠が山肌を吹き渡る風に揺れていた。二〇〇三メートルの山頂には、八海山大神の小さな像が八海山に向けて据えられている。真新しい熊野修験の奉納木札が置いてあった。激しく動くガスの隙間にギザギザの岩峰が連続する八海山が見えた。古くからの信仰登山・修験道の山として有名である。浅野さんの八七番目の百名山の写真を撮って小屋に戻り、夕食となった。私は、特製米沢牛のカレーを自慢しながら食べた。
 南の尾瀬・燧ヶ岳、平ヶ岳、会津駒ヶ岳と三つの百名山の頭上に黒雲が渦巻き、稲妻が走った。激しい雷雨に見舞われているようだ。やがて雲の切れ間が生まれ、実に長い稜線が続く平ヶ岳に虹がかかった。まるで汚れを洗い流したような紺碧の青空が広がり、真っ白い雲がものすごい勢いで膨脹し天に昇っていく。そこに傾き始めた夕陽が照らし、雲は次第にあかね色に染まり、ついに燃え始めた。
楽勝と思いきや
 翌朝は七時四〇分に小屋を出た。ずいぶん遅い出発である。この日の予定は中ノ岳までの稜線歩きで、コースターム六時間の楽々行程のはずである。出がけに浅野さんが二本、私が一本のビールを仕込んだ。藤田さんは水で重くなった荷をこれ以上加重させない、がまんの選択をした。
 快晴の駒ヶ岳に登り直し、すっかりおなじみとなった三つの百名山に挨拶し、八海山の厳しい岩峰に見入った。深田久弥氏「百名山」では、枝折峠から入山して、駒ヶ岳を経て、中ノ岳の手前でテント泊、そして八海山への縦走をしたと書いてある。この「縦走は、予想以上の厄介な道であった。痩せた岩尾根を急激に下ったり上ったりする。いったん八百米をグンと下って、それから八海山への登りも楽でなかった。」と記している。本当は私たちもこのコースをたどりたかったが、コースタイムで一〇時間以上の険路を計画書の中に組み込めなかった。
 中ノ岳への縦走路は、あまり人が歩いていないようだ。シャクナゲとハイマツが繁茂して道をふさぎ、常に右腕が藪に擦られながらの歩行となった。あちらこちらで木の根がバリケードをつくり、その乗り越えも面倒であった。何よりも、日陰がなく、益々元気ぶりを発揮する太陽が容赦なく照射し、足取りを重くした。深田氏は、「それから幾つかの起伏を上下して」程度にしか記していないが、この暑さのもとでワンピッチ三〇分を待つこともできずに立ち止まって団扇をあおぐことしばしであった。檜廊下を過ぎ四合目前の途中で、ほんの少し吹き上げてくる風を感じた、ネコの額ほどの木陰で昼食となった。私は、空腹感が暑さばてに勝ち、湯をわかし餅入りラーメンを食べた。浅野さんは暑さに食欲を失い、食事抜きの出発となった。
 一三時一〇分、それでも計画より若干早く、中ノ岳避難小屋に着いた。無人小屋で、水場がない。屋根から雨水をポリタンクに集水してあるが、虫も入っていて飲料としては敬遠したい。小屋内に保管されていたやかんとスコップをもって北ノ又川側の斜面に残っている雪渓に向かった。雪渓の表面は泥で汚れているが、少し掘ると、汚れの目立たない粗目雪がでてきた。これを飲みコップで掻いて、やかんや水袋に詰めた。雪渓の融けた斜面は瑞々しいハクサンコザクラのお花畑だった。これをみる目的だけで来る価値があるといってよいほど見事な花の園だった。
 雪を手にして小屋に戻ると、小屋の軒下に横長の板があり、そこに、小枝を並べて「ヨーキ 127/200」と表記してあるのに気づいた。アドベンチャーレーサー、NHKグレートトラバース日本百名山一筆書き、そして現在グレートトラバース2日本二百名山一筆書きに挑戦中の田中陽希氏がここを通過したときの記念かと考えた。遠目に中ノ岳山頂に人の姿が見えた。二〇分ほど留まって礼をしたり、両手を挙げたりしており、修験道の行者の儀式のようだ。やがて姿が消えた。今日出会った登山者もなく、今夜は我々だけだろうと小屋の一階に荷物をひろげ、やかん雪渓にビールを冷やした。二本確保している浅野さんは、藤田さんにお裾分けをするのかと思っていたが、なかなかこの世界は厳しく、そんな施しはなかった。中ノ岳山頂に行ってこようかという時刻、入口扉をあけてぬっと顔を出した人をみて、困惑と驚きが走った。(続く)


松川資料・ユネスコ世界記憶遺産登録推進運動への協力を

大阪支部  石 川 元 也

 いま、松川事件の裁判・運動の資料(福島大学松川資料室保管) の世界的司法文化的価値を広め、その活用を図ろうと、ユネスコの世界記憶遺産への登録推進運動が動き始めています。松川裁判運動関係者も高齢化し、松川資料の保全・活用への危機感から、あらためて、松川資料の価値を再評価し、大きな目標を掲げるに至ったものです。
一 松川資料の世界的な意義
1)何よりも先ず、松川裁判そのものの意義の再確認から始めます。
松川事件は、一九四九年八月一七日未明、福島市松川町で列車が転覆し、三名の乗務員が殉職した鉄道破壊事件であり、当時、人員整理に反対してたたかっていた国鉄労働組合福島支部と東芝松川工場労組の二〇人が逮捕・起訴された事件です。福島地裁の全員有罪判決という困難な状況の中、獄中からの無実の訴えから、仙台弁護士会をあげての弁護団への参加、広津和郎さんらの支援にもかかわらず、仙台高裁で三名の無罪を除いて、死刑四名を含む有罪判決がなされました。マスコミや刑事法学者などがこの判決を支持し、裁判批判を許さない風潮が強くなります。
 まさに「絶望的な状況」(大塚主任弁護人・一期)からの最高裁闘争であったのです。松本善明さんら若手六期の弁護士を含む長期合宿の成果としての厖大な上告趣意書、広津さんの「松川裁判批判」のひろがり、公正裁判要求の大国民運動の発展の中で、最高裁大法廷は、一〇日間の口頭弁論を開きます。空前絶後のことです。連絡謀議の不存在を証明する、検察官が隠してきた『諏訪メモ』の存在が明らかになり大法廷に顕出されます。被告たちの無実はより明らかになりますが、大法廷の判決は、七対五というきわどい評決で、原判決破棄差戻しとなります。その前に、石坂書簡問題で回避に追い込んだ石坂裁判官、弁論期日中に病気で合議から離脱した斉藤裁判官、二人とも有罪派であることが明確でした。この二人が合議に加わっていたらと、慄然たる思いがします。
 仙台高裁の差戻し審から私(九期)も主任弁護人の一人となり、全審理にかかわりました。一六〇〇通もの捜査書類も開示され、門田裁判長の判決は、証拠不十分ではなく、完全無実・無罪でした。検察の再上告も、一九六三年九月、棄却・無罪確定しました。その後、国家賠償事件は、鶴見祐策、石田亨(一四期)さんらに引き継がれ、警察、検察の不正・違法がより明確に断罪されました。
 このように、松川裁判は、司法本来の正義と道理を実現させた、ヒューマニズムに根ざす大衆的裁判闘争の原点であり、輝かしい金字塔であります。
 広津さんの『何よりも先ず、正しい道理の通る国にしよう、この我らの国を』(救援色紙)という言葉を実現させたものです。
 そして、我が自由法曹団では、事実と道理を基本として、国民的理解と同調の下に裁判所を包囲・説得するという大衆的裁判闘争の法則が確立し、それは団だけではなく、多くの弾圧事件、再審事件、労働事件、公害事件、消費者事件、行政事件などすべての分野で共通の認識となっています。
 刑事裁判のうえでも、松川事件から、(1)『諏訪メモ』は、証拠開示の重要性・必要性を、極めてわかりやすい形で示し、(2)事実認定の重要性が刑事法学界で厳しく論議されるようになり、さらに、(3)自白の任意性、信用性問題が真剣に論じられるようになります。渡辺保夫、下村幸雄、守屋克彦、木谷明という現職裁判官たちの事実認定論、自白の任意性・信用性の判断基準論の研究成果へと深化し、最高裁判決にも影響をあたえてきています。
2) 松川資料の内容と活用
 福島大学松川資料室は、一九八八年開設され、「資料の収集・整備・保存・活用=公開」を理念に、現在一〇万点を超える資料が、本年新築された福島大学図書館の一室に収蔵、展示されています。その概要は、次の通り。
(1)刑事裁判、国家賠償請求事件の全記録及び関連資料
   『諏訪メモ』(東北大学から移管予定)
   「最高裁調査官報告書」門外不出のはずのもの
   線路破壊工作関係証拠物
(2)門田資料(差戻審裁判長)。担当裁判官からの資料寄贈は希有の例である。
   裁判記録、手控え記録
   要請書等
 なお、日弁連「自由と正義」平成五年一月号に、門田実『松川資料室訪問記』があり、文中に、「差戻し審の公判中に、投書が殺到して、その数は六四万九〇七三通に達した。」とある。きちんと保管されていた証左である。
(3)松川事件に関係する単行本、雑誌、新聞記事等
   広津全集なども
(4)裁判に寄せられた要請書、はがきなど多数。
   志賀直哉ほか多くの文士たちの直筆ものなども
(5)元被告たちの訴え
(6)松川事件関係の映画、DVDなど
(7)その他

 さらに、一昨年来寄贈された大塚一男弁護士の資料約二〇〇箱が整理中です。
 これら多数の資料の活用のためにも、資料のデータベース化や、紙での目録集の刊行も期待されています。また、博物館的機能の充実にも努め、映像等による理解の促進も計画されています。
二 世界記憶遺産登録運動について
1)世界記憶遺産とは

 世界歴史に重大な影響をもつ事件・時代・人物・主題・形態・社会的価値を持った記録物を対象とする、という。
 記憶遺産は、ユネスコの事業として、一九九七年から登録が始まり、現在、世界で三〇一件にのぼる。我が国では、福岡県田川市など(角銅立身団員も関与)が申請した「山本作兵衛炭鉱記録画・記録文書」、政府が申請した「慶長遣欧施設関係資料」と「御堂関白記」の三件である。ちなみに、二〇一五年の国内公募には、一六件あり、政府は、二件をユネスコに申請、審査されるという。
2)松川資料は、こうした世界記憶遺産に匹敵するものと考えられています。国立大学の資料室であることに鑑み、大學関係者とともに、ひろく法曹、学者、文化人そして福島・仙台ゆかりの人々による「松川資料・世界記憶遺産登録推進委員会」(仮称)を結成し、そのよびかけにより、広範な賛同者を得て、福島県、福島市を含む申請運動にしていきたいとすすめられています。
 この運動は、NPO法人福島県松川運動記念会(理事長、安田純治団員)からの提起を受け、松本、石川、鶴見ら松川事件弁護人、そして荒井団長、鈴木国民救援会会長や関係する人々と相談しながらすすめられているところです。 
 とくに、自由法曹団の皆さんには、松川裁判の中心となってたたかった岡林、大塚、上田、石島、竹沢、佐藤 (すべて故人) さんらをはじめ、多くの先輩たちの奮闘に想いをよせ、その成果と意義を継承・発展させていきたいものです。
 この運動のために、また、福島大学資料室のいっそうの整備充実のための支援にも、かなりの資金あつめも必要になりましょう。(一〇〇〇万円以上を目標に掲げているところです。)
 「松川事件」の名前もはじめて耳にするという若い団員を含め、すべての団員に、推進委員会からのよびかけに応じて、積極的な賛同と応分以上の募金に協力のほどを切にお願いする次第です。
 それとともに、事務所旅行などの行き先の一つに、福島大学松川資料室を入れて、この資料の全体像に直接ふれる機会をつくっていただきたいのです。