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今村 幸次郎 戦争法の廃止を求める行動へご参加を
長沼  拓 *宮城・蔵王総会特集*
宮城・蔵王総会第一分散会の感想
佐藤 博文 「自衛官の人権弁護団」を全国各地で立ち上げよう!
松井 繁明 軍事から経済へ―安倍政権の政策大転換
玉木 昌美 全国でピースナインコンサートを
弓仲 忠昭 刑訴法等一括「改悪」法案の廃案を勝ち取るために日弁連執行部の姿勢の転換を強く求めよう!(一)
中瀬 奈都子 二〇ミリシーベルトでの線引き・切り捨てを許さない〜福島での取組み〜
若山 桃子 八月集会報告
広田 次男 「もう許して・・・」この違和感は・・・。
永尾 廣久 ネット社会に自由法曹団は生きているのか?
中野 直樹 戦後七〇年の秋 山燃ゆる蔵王を歩く(その二)
金  竜介 ヘイトスピーチはどこまで規制できるか
一二月五日 在日コリアン弁護士協会シンポジウムにご参加ください
増田 悠作 主権者教育・教育への政治の介入に関する学習会のご案内



戦争法の廃止を求める行動へご参加を

幹 事 長  今 村 幸 次 郎

 団員のみなさま、宮城・蔵王総会へのご参加・ご協力ありがとうございました。総会では、「日本史上はじめての市民革命」ともいわれる今の状況にふさわしい充実した熱い議論を行うことができました。
 さて、総会でも確認された「戦争法廃止を求める運動」につきましては、すでに全国で様々な取り組みが旺盛に展開されています。安倍政権は、「どうせ国民は時間がたてば忘れる」「違うテーマを与えれば気がそれる」とタカをくくっているかもしれませんが、私たちは、「忘れてもいないし、あきらめてもいない」ということを見せつけることが重要です。
 そこで、「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会」の当面の行動・取り組みをご紹介しますので、ご参加ください。
 とりわけ、直近ですが、下記の一一・一九国会正門前集会へのご参加を呼びかけますので、よろしくお願いします。
○「私たちはあきらめない!戦争法廃止!
    安倍内閣退陣!国会正門前集会(一一月一九日)」
 日 時:一一月一九日(木)一八時三〇分〜
 場 所:国会議事堂正門前
     団の集合場所(旗の位置)等は、別途、ファックスニュース等でお知らせします。
※ 今後、毎月一九日に行動があります。一〇月一九日にも国会正門前集会が開かれていますが、九五〇〇名を超える市民が参加し、戦争法廃止の声を上げました。
 また、総がかり行動実行委員会では、「二〇〇〇万人・戦争法の廃止を求める統一署名」に取り組んでいます。二〇一六年四月二五日までに二〇〇〇万人以上の署名を実現させ、五月三日の憲法集会で発表することが目標です。
 署名用紙等は、総がかり行動実行委員会のHPにアップされています(先日、改憲阻止MLにお送りしました。団のHPにも掲載する予定です。)。
 各事務所、団員の皆様には、依頼者への普及、年末・年始の事務所ニュースへの同封等を含め、是非とも、積極的に署名集めに取り組まれるようお願いします。集めた署名用紙につきましては、各地の共同センターに集約するか、直接、総がかり行動実行委員会
(〒一〇一―〇〇六三 東京都千代田区神田淡路町一―一五 塚崎ビル三階 戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会)宛てにお送りください。


*宮城・蔵王総会特集*

宮城・蔵王総会第一分散会の感想

宮城県支部  長 沼   拓

 宮城・蔵王総会第一分散会に参加して感じたこと(主に戦争法について)
一 戦争法制阻止の取り組みについて
 今回の総会で、発言が多かったのは、何といっても安全保障関連法案(戦争法案)阻止の反対運動についてだと思います。
 まず、各地から、続々と集会・デモの報告がなされ、国会前はもちろんのこと、各地方でもこれまでとは違った幅広い運動が展開されたと報告がありました。宮城の運動については、第一分散会では報告がなされなかったので、この場を借りて報告しますと、九月六日に、仙台弁護士会主催で、雨の中、三五〇〇人以上もの市民が参加するという安全保障関連法案阻止の大集会・パレードが行われました。
 集会では、仙台弁護士会会長のあいさつからはじまり、SEALDs東北、自衛隊員のご家族、県内市町村長、住職などからの発言・メッセージがあり、また、山崎拓自民党元副総裁から「集団的自衛権行使容認は、専守防衛政策を一八〇度転換するものである。」とのボイスメッセージが紹介されました。
 パレードは、私が参加した中では圧倒的に大勢の人が参加したものとなりました。終点でパレードの参加者を迎えていても、延々と参加者が帰還し、いつになったら末尾になるのだろうと思ったほどです。パレードの途中で右翼の方が絡んできたときに、ベテラン団員の先生が迅速に対応し、妨害を阻止するといった場面もありました。
 また、宮城では、この大集会以外にも、日夜、街宣・デモ活動が行われました。これらの運動は、報告がなされた各地の運動に匹敵する大きな運動であったと思います。
二 戦争法成立後の動向について
 戦争法成立後の今後の運動の動向については、次期参議院選挙が注目されるところです。
 選挙については、地方議会選挙において、既に動きが出ています。宮城では、一〇月に行われた県議会議員選挙において、与党が議席を減らし、共産党が議席を倍増させるという結果になりました。このような動きは、県民の戦争法に対する不安の表れが大きく影響しているところだと思います。
 また団宮城県支部では選挙前に宮城県議会議員候補者に対する安全保障関連法案についてのアンケートを実施しましたが、与党議員候補者の回答は少なく、この点が争点化されるのを避けていました。
 次期参議院選挙まで、地方選挙において、戦争法の是非を積極的に争点化することが、運動の成果を国政に伝えるために重要なことだと思います。


「自衛官の人権弁護団」を全国各地で立ち上げよう!

北海道支部  佐 藤 博 文

一 「自衛官の人権」の視点
 安保法案も国会審議でも、自衛隊員の地位や処遇についてほとんど議論されていない。日本と同じく第二次大戦後再軍備したドイツ(当時の西ドイツ)では、「軍人は、兵士である前に市民である」「一人の兵士の人権を守ることは、軍隊を誤らせないことである」
という理念が確立され、連邦議会の補助機関として「軍事オンブズマン」が設置され、兵士や家族で労働組合(二六万人)が結成され、彼らの権利・利益を守っている。
 本来、軍隊と人権・民主主義は矛盾対立するが、それを最少に抑える「知恵」である。しかし、日本にはかような発想も制度もなく、自衛隊は、憲法・市民法が通用しない「治外法権」・「秘密結社」と化している。
 このような中で、自衛隊員と家族に対する人権侵害は深刻である。
二 自衛官・家族・恋人のための緊急相談
 自衛官の人権弁護団・北海道は、安保法案の参議院審議の最終盤である九月一二日から一三日にかけて、集団的自衛権行使と安保法案、先取り実態(人権侵害)について、緊急相談を行なった。電話二二、ファックス六、メール七の合計三五件の相談が寄せられた。
 この中で、防衛省が自衛隊員や家族に安保法案を全く説明しておらず、「一切発言するな」「弁護士に相談に行くな」等とさえ言われていたことが明らかになった。自衛隊員や家族は相談する窓口すらないというのが実態だった。
[自衛官の妻]
(1)夫に「もしも安保法案が通ったら自衛隊を辞める覚悟でいてほしい」と言っています。夫も転職を悩んでいます。今辞めないと、辞めにくい状況になり、否応なしに戦地に送られることになるかもしれないと感じています。辞めたいと言い出した自衛官がいじめにあったり処罰されたりするのではないかという不安もあります。
 私の周りには同じように子育て世代の自衛官の家族がたくさんいます。秘密保護や政治活動の禁止など、規制されているので、みんな口を大にしてそのようなことは言えないようです。でも本音で話せる仲間内では、私と同意見の家族ばかりです。誰も夫を戦地になんて行かせたいと思っていません。そういった友人たちの声もこちらで代弁したいと思っていました。
 夫は、最近、職場から、このような弁護団の相談窓口へのコンタクトを禁じられたそうです。
(2)夫の海外派兵が決まっている。夫は今、派兵に向けた訓練をしているとのこと。夫は身の危険のある任務も含まれると説明を受けている。夫は、命令だから断れないというが、子どもも小さいので心配。
 自衛隊からは、海外派兵任務の具体的内容や、危険性や身の危険があったときに部隊がどの様な対応をしてくれるのかなどの説明が一切ない。
[元自衛隊員]
 入隊時に、仕事上での自己犠牲を覚悟している。しかし、外国へ行くのはダメだ。行ったら侵略になる。
 イラクから戻ってきた隊員には、精神疾患で自殺した人が多い。これも戦死だ。射撃は精神的に弱い人にとっては怖い。ホテルで自殺した知人がいる。いつ後ろに向かって発射してくるかわからない。
 安保法制はアメリカと対等ではない。無理を通そうとしている。
 隊員は、法案について話ができない。行けないという隊員は退職できるのか。簡単に前例は作らないのではないか。退職できない、行きたくないとして自殺する隊員が出てくると心配する。自衛隊は隠すだろうけど。
[自衛官の母親]
(1)
この呼びかけを目にした時、昨年夏から誰にも言えず抱えていた心の重荷が、音を立て崩れる思いで、本当に気持ちが軽くなりました。
 毎日毎日法案が成立した時の事を考え、職があれば転職してほしい思いでいっぱいです。
 もし大量に自衛隊員が辞めた時、徴兵制になってしまうとまた悲劇です。現実に生活を抱えている多くの隊員の方々は辞められないのだと思います。
(2)四月に息子が自衛隊に入隊。隊内では、安保法案のことを詳しく教えてもらっていない。マスコミの情報が本人のところに入ってこない。他の子供さんが自衛隊に入った親御さんたちも不安に思っている。息子やこれまで自衛隊に入った人は、戦争に行くことを前提に入隊したわけじゃない。安保法案やこれからどうなるかについてちゃんとした情報がないのが不安。
三 全国各地に自衛官の人権弁護団を
 いまの日本で、ドイツの軍事オンブズマンや労働組合のような役割を果たし得るのは、弁護士・弁護士会しかない。その弁護士に対してすら、自衛隊は懲戒処分手続で代理人に就くことを認めないなど、人権無視の状況にある。国防軍化・遠征軍化が急ピッチで進み、事故や事件が多発している中、自衛隊員や家族の駆け込み寺をつくることは必須だと思う。
 そこで、私は、全国に自衛官の人権弁護団を立ち上げることを提案する。
(1)弁護団を立ち上げ、その存在を地元の部隊や地域、マスコミに知らしめる。
(2)自衛隊員や家族らに対する相談活動を行ない、事件受任も積極的に行なう。
(3)自衛官・家族らに対し、安保法や「兵士の権利」に関する情報を提供する。
(4)全国と連携してノウハウや情報を共有・蓄積していく。


軍事から経済へ―安倍政権の政策大転換

東京支部  松 井 繁 明

 無法きわまる戦争法の強行採決をおこなった安倍政権はいま、政策を大転換しようとしている。
 戦争法強行採決後の安倍氏の足取りをたどってみよう。
 自民党総裁選では、自民党衆参議員に強烈な圧力を加えて対抗馬の立候補を阻止し、“不戦勝”をかちとった。内閣改造では、主要閣僚を温存しつつ、公明党の閣僚をのぞく全員が極右団体のメンバーというおそるべき「お友だち内閣」をつくりあげた。このさい安倍首相は、戦争法には一言も触れず、アベノミクスの「第二ステージ」と称して「第三本の矢」なるものを提唱した。軍事から経済への転換だ。
 六〇年安保のとき、新安保条約の成立と引換えに岸内閣が退陣し、池田内閣の「所得倍増計画」に転換した。その再現をめざそうとするのが「新三本の矢」にほかならない。
 団内の論議のなかにも、六〇年安保では岸を退陣に追込んだのに、今回はなぜ安倍退陣を実現できなかったのか、という問題提起がある。
 わりと単純な図式ではないか、と私は考えている。六〇年安保でも岸内閣にかわって社会党政権が実現したわけではない。自民党内で権力の移動にすぎなかった。今回は安倍にかわる人材が存在せず、戦争屋のイメージのつよい安倍政権を継続しながら「戦争から経済へ」の政策転換を図らざるをえなかった。安倍政権の“強さ”ではあっても、自民党の“弱さ”を顕している。
 さて「新三本の矢」とは安倍首相の説明によると、(1)GDPを六〇〇兆円にすること、(2)希望出生率を一・八人にすること、(3)介護離職をなくすことだという。それぞれ悪くない目標ではあるが、それにたいする時期や方法、プロセスがまったくない、という無責任きわまる代物だ。示されたこれらは「的であって矢ではない」という評も出ている。
 「新三本の矢」が実現不可能なことはほぼ確実だ。
 GDP六〇〇兆円になるためには毎年GDP三%増(名目)を実現しなければならない。しかし一九九〇年以来の二五年間にわたってGDP三%を実現した年は一年もないのだ。財界からも「無理だ」という声があがっている。安倍首相が声をかければGDPが突如上昇するなどという“奇跡”がうまれるわけもない。
 希望出生率一・八人。現在はの合計特殊出生率は一・四二人である。安倍政権のもとで低賃金・不安定雇用の非正規労働者を増大させ(そのための労働者派遣法の改悪をしたばかりだ!)、保育所を減らしているもとで女性には、出産はおろか結婚も難しい。こんな状況のなかで、どうして希望出生率が増えるというのだろうか。
 介護離職をなくすというが、介護をめぐる状況は最悪である。介護報酬が減らされ、介護業者の倒産が増えている。介護士自身の“離職”がすすんでいる。公的介護制度が崩壊の危機にある。安倍政権みずから、「自助・共助」のスローガンを振りまいてきた。家族の介護のために離職しなければならない人びとは増大しこそすれ、減少することはない。まして「なくす」展望などまったくないのだ。
 ―「新三本の矢」が失敗しても国民の負担が増えるわけではない(「一億総活躍」のために無駄な予算が使われることを除けば、の話だが)。「夢のような話」が「夢の話」になる。「戦争から経済へ」の転換に失敗し、安倍政権が窮地に陥るだけのことだ。
 問題は、日本の経済と国民の生活を脅かす状況が差し迫っていることだ。
 安倍首相は「不況脱出は目前」などと述べているが、はたしてそうか。一四年四〜七月の四半期ではGDP三・二%減(年間換算)であった。七〜九月の四半期については一一月一六日に速報値が発表される。これについては、わずかながら増大するという意見もあるが、減少するという意見が有力だ。二つの四半期にわたってGDPが減少すればリセッション=不況とするのが経済学の常識。「不況脱出は目前」どころか、「不況が確定」してしまうのだ。
 これに加えて、わずか一年半後の消費税一〇%への引上げは、経済と生活を直撃する。いま政界の論議は軽減税率の範囲や手法に移っているが、一〇%引上げ自体の可否が問われなければならない。軽減税率といっても八%の税率は維持されるのだから消費購買力の低下を抑制するものではない。軽減税率適用による減収分を増税で補おうという議論もあるのだから、なにをか言わんや、だ。
 大筋合意したというTPPは、これからもあれこれの手続きや経過があって、いつ発効するのか、そもそも発効しないで終わるのかも未確定だ。しかしもし発効すれば、農業を中心とする産業や医療、食の安全などに重大な影響をおよぼす。大局的には全世界的に食糧危機が懸念されるなかで、金にあかせて食糧を買占めることなど許されなくなる。TPPはこの国の産業構造を変えてしまい、国民の安全を危うくするものだ。「消費者にとっては有利」などというデマ宣伝にだまされてはならない。
 ―安倍政権の「戦争から経済へ」の政策転換は失敗に終わったが、経済と生活への脅威は差迫っているのだ。
 戦争法廃止のたたかいは力強く続いている。共産党が提唱した「国民連合政府」は国民のあいだに大きな反響をよびおこしている。世論調査では「国民連合政府」への支持が三七%、不支持四四%となっている。しかしこの不支持には自民・公明への固い支持層三五%がふくまれている。この層をのぞく国民のあいだでは、かなり高い支持が集まっているといえよう。野党間協議のなかで構想が具体化すれば、支持はさらに高まるだろう。
 自民党幹部のなかには秋の連休を終えれば国民が戦争法のことを忘れてくれるという期待があったという。しかしこの期待は潰れた。今では「モチを食いおわったら(正月を過ぎたら)」に変わったそうだ。しかしこの期待もかなえられることはないだろう。
 新安保条約の成立によってたちまち運動が終了し、国民の関心が「所得倍増」に集中した六〇年安保のときとは、明らかに異なる状況が生まれている。来年の二月以降、自衛隊の任務が変更される南スーダンのPKOとの対抗、そして七月の参院選への闘いが当面の焦点となる。われわれの闘いを質量ともに充実・発展されようではないか。

二〇一五・一一・五記


全国でピースナインコンサートを

滋賀支部  玉 木 昌 美

 二〇一五年一〇月四日、滋賀県栗東市でピースナインコンサート『平和の暦』を開催した。憲法を守る滋賀共同センター傘下の労働組合や民主団体で結成した実行委員会の主催である。昨年はみややっこ(飯田美弥子団員)の憲法落語とフォーク歌手の笠木透さんと雑花塾のコンサートを開催し、好評であったが、今年は二回目であった。滋賀のコンサートのあと、笠木透さんが亡くなられ、今年は追悼コンサートとなった。このコンサートの趣旨は、文化を通じて憲法や平和のことをひとりでも多くの方に広げるというものである。
 「平和の暦」は笠木透さんの遺言ともいうべき歌である。この歌の歌詞には「戦争を放棄して六八年 理想を掲げて六八年 私たちの平和の暦 みんなの力でここまできた」とある。私は、憲法制定後、自民党政権もアメリカも憲法九条を変えようとしてきたが、日本の国民が変えさせないできた、安倍首相が明文改憲できないのも国民の力の反映であることを歌い上げていると思う。
 コンサートは、えん罪日野町事件で支援コンサートを県内各地で開催してもらったこともある野田淳子さんの歌から始まった。横浜米軍機墜落事故で亡くなった子どもを歌った「千羽鶴」には涙する人も多く、エスペラント語と日本語で歌った「死んだ男の残したものは」も深い印象を与えた。さらに、『安倍政権を笑い倒す』の松元ヒロさんのコントはお腹がよじれるほどすばらしいものだった。憲法と法律の違い等も身振り手振りで説明するとわかりやすい。笑いは民衆の武器であるといえる。また、ダウン症の子の話にはみんなが涙する場面もあった。さらに、笠木透さんと一緒に活動してきた雑花塾の三人の歌とトークもよかった。私が一番気に入っている歌は「私たちはどんなことがあっても戦力は持たない。私たちは何と言われようと戦争はしない。」という「軟弱者」である。
 コンサートの最後には出演者全員と会場全体で「平和の暦」(冒頭に練習ずみ)を大きな声で歌いあげ、憲法の平和主義を貫く決意を固め合う場となった。
 このコンサートには二八〇名もの人が参加して成功した。沢山の感想が寄せられたが、「野田淳子さんの人間性、感性(人間、自然、生きるものへの愛情)のすばらしさを感じました。」「松元ヒロさん最高。憲法前文すばらしい!」「こんなに楽しい、風刺のよくきいたコントはきいたことがない。心から笑い、心から涙した。」「松元ヒロさんのおかげでもう一度憲法を深く学んでみたいと思いました。」「企画のひとつひとつが、明るくあたたかな気持ちになりながら、現在の情勢について考えさせられるものでした。」「これからもぜひ続けて下さい。今こそピースナインコンサートが大切です。」「歌詞のひとつひとつを味わいながら、思い切り歌ったとてもいいコンサートでした!」「合唱でいっしょに参加できる企画が良かった。」「笠木透の人となりと人生を良く理解できた。」「時は流れても生きている歌ばかり。本当にすごい。たくさんの人に聞いてほしい。なくなられて残念ですが、歌とともに、笠木さんは生き続けています。」「多くの団体、人々に支えられていることがわかりました。笑いの文化は平和の力。」等と絶賛する声ばかりであった。
 私は、妻や弁護士仲間は勿論のこと、元依頼者や学生時代の友人、そしてマラソン仲間らにも来てもらったが、いずれの方からもよかったと感謝された。冒頭、私は実行委員会を代表して挨拶をした。昨年、今年と連続して参加してくれた西晃団員(大阪)は「実行委員長としての冒頭のご挨拶、チカラと熱意のこもった大変素晴らしい内容でした。」と今年は珍しく褒めてくれた。
 歌と笑いの文化の力で運動の枠をさらに大きく広げ、ウソとペテンの安倍政権を笑い倒していきたい。


刑訴法等一括「改悪」法案の廃案を勝ち取るために日弁連執行部の姿勢の転換を強く求めよう!(一)

東京支部  弓 仲 忠 昭

一 はじめに
 戦争法案廃案を求める戦いでの日弁連の積極的役割は評価しつつ、今後の戦争法廃止運動での協力は不可欠であることはもちろんと考える。
 しかし、このことと、刑事訴訟法等「改悪」法案の成立推進にむけてのこの間の日弁連執行部の姿勢を強く批判すべきこととは決して矛盾するものではない。
この改悪案が、抜け穴だらけの「取調べ一部録画」の導入と引き替えに、憲法違反の盗聴拡大と他人を引っ張り込む密告奨励の司法取引等の毒まんじゅうを種々仕込んだもので、極めて危険な法案であることについては、反対運動の過程で、三度出された団の意見書に明らかである。
 今国会での成立阻止の闘いの経過と今後の廃案に向けての展望と運動に関しては、小池振一郎団員と加藤健次団員の論考(団通信一五四〇号)があり、その展望と今後の運動の方向性については、全く同感であり強く支持する。
 以下、この間の日弁連執行部の垂れ流した害悪につき論じ、団としても、この問題に対する日弁連の姿勢を正す運動を大きく巻き起こすことを提案したい。
二 日弁連会長声明―悪法成立を強く希望―の冤罪被害者らへの裏切り
 村越進日弁連会長は、二〇一四年七月九日、元来は冤罪防止策を議論するはずだったにもかかわらず、本来の目的とは無縁の盗聴拡大や司法取引の導入等の害悪を含んでいた法制審議会『新時代の刑事司法制度特別部会刑事司法特別部会』の答申案が出されるや、「(同)答申案の取りまとめについての会長声明」を公表し、「答申案が法制審議会において審議され、法務大臣に答申された後、改正法案が速やかに国会に上程され、成立することを強く希望」した。なお、「通信傍受が通信の秘密を侵害し、…個人のプライバシーを侵害する捜査手法」であり、「人権侵害や制度の濫用について危惧の念を禁じ得ない」としつつも、盗聴拡大を結果的に容認し、「その運用を厳しく注視し、必要に応じ、第三者機関設置などの制度提案を検討していく。」とするだけである。運用を注視すれば、盗聴拡大による人権侵害や濫用を防げるとの幻想を振りまくのみである。
 更に、村越会長は、二〇一五年三月一八日、「取調べの可視化の義務付け等を含む『刑事訴訟法等の一部を改正する法律案』に対する会長声明」を公表し、「改革が一歩前進したことを評価し、改正法案が速やかに成立することを強く希望」した。盗聴拡大に関しては、前声明とほぼ同様の言及に止まる。司法取引について、「引き込みの危険…が指摘されている」と人ごとの様に触れた上、「関係者供述の信用性判断に当たっては格別の配慮がなされるべき」と言及し、この制度が「誤判の原因となることがないように慎重に対応する。」という。捜査機関に対し、「無関係な他人の罪を明らかにすることで、自分の罪を軽くしてもらいたい密告者」利用のフリーハンドを与えたに等しく、誤判の温床となり得る司法取引の導入自体に賛成しながら、日弁連として、誤判原因とならぬようどのように「対応」できるというのか。欺瞞以外の何ものでもなかろう。
 村越会長は、五月二二日にも、衆議院での審議入りを受けて、「取調べの可視化の義務付け等を含む『刑事訴訟法等の一部を改正する法律案』の早期成立を求める会長声明」を公表した。曰く、「当連合会は通信傍受法の安易な拡大に反対してきたところであるが、補充性・組織性の要件が厳格に解釈運用されているかどうかを厳しく注視し、人権侵害や制度の濫用がないように対処していく。」「司法取引についても引き込みの危険等に留意しつつ、新たな制度が誤判原因とならないように慎重に対応する。」と。更に、「多くの制度がひとつの法案に盛り込まれていることへの批判」を意識してか弁解にもならない弁解を述べ、「複数の制度が一体となって新たな刑事司法制度として作り上げられているものである。」と本法制全体を是認した。そして、「本法律案が、…国会の総意で早期に成立することを強く希望する。」と。
 「補充性・組織性の要件が厳格に解釈運用されているかどうかを厳しく注視」すれば、盗聴法拡大による「人権侵害や制度の濫用がないように対処」できるかのように言うが、一体、どのように「注視」したら、どのように「対処」できるというのか。そもそも「安易な拡大」そのものであるこの法律案による盗聴拡大を容認すべき必要性がどこにあるのかを厳しく問わずして、悪法成立後の「対処」などできようはずがなかろう。
 「引き込みの危険等」にどのように「留意」すれば、どのようにして「誤判原因とならないように」「対応」できるというのか。「他人の罪を明らかにする供述」が真実である担保は皆無に等しい。自らの罪を軽くするために他人を陥れる虚偽供述は、虚偽供述罪の導入では防ぎ得ない。一旦司法取引の対象となった「虚偽供述」については、虚偽供述罪の導入により、かえって公判段階になって虚偽供述を翻して真実を述べることを妨げる。「引き込みの危険等」を認識しながら、広い例外つきの全く不十分な「可視化」と引き換えに法案成立を推進するのは、誤魔化しそのものである。
さらに、戦争法案でも見られた多数の制度を一括法案として提出し、審議促進を図ろうとする法務官僚の策略にも何ら批判的視点を持つことなく肯定的評価をして、法案成立推進を高らかに宣言したこの会長声明は最悪のものである。
この一連の会長声明は、桜井昌司さんはじめ冤罪被害者や法案廃案に向けて奮闘する市民への裏切り以外の何ものでもないであろう。
三 法案推進への日弁連執行部の異常な対応
 法案提出後、共産、生活、社会、無所属(糸数)と超党派国会議員と市民との院内勉強会が繰り返し開かれ、盗聴拡大や司法取引の危険性が民主、維新も含む勉強会参加者の共通の認識となっていた。
 八月四日の超党派勉強会III(昼)の段階では、盗聴については拡大範囲を限定し、第三者の立会を残し、司法取引は削除するなどの抜本的な修正案が民主党から出されて、民主・維新と与党との修正協議が難航していると伝えられた。修正協議が難航しそのまま決裂すれば、与党単独での強行採決となるほかはなく、戦争法案の審議とのからみもあり、運動を強めて、参議院段階での廃案すら展望できるところにきていた。
 ところが、その後の報道によれば、八月四日夜には、民主・維新がくずれ、自ら提出していた修正案の肝心部分は全て骨抜きとなる、可決された修正案(実質的には政府案と変わらないもの)で合意するに至る。
 民主、維新の現場の担当法務委員のそれまでの奮闘とは裏腹な対応には、両党上層部や、民主党江田五月参議院議員(元法務大臣)らの有力議員からの強い圧力があったと思われるが、その背後には、法案提出以来、共産党を除く、与野党各会派への日弁連執行部からの法案成立へ向けた強力なロビー活動の存在が指摘されている。すなわち、私達が、法案成立阻止を目指し、様々な市民と連帯を広げ闘っているまさにその最中に、日弁連執行部が与野党議員を訪問するなどのロビー活動を展開して早期成立を働きかけていたのであり、放置すれば、これからも成立に向けたロビー活動は旺盛に展開されるであろう。日弁連会員として、かかるロビー活動の実体解明に向けた努力も必要であろう。
 なお、ネット上に公開されている江田議員の日誌(「江田五月 活動日誌」)によれば、六月から七月にかけて、日弁連村越会長や内山新吾副会長ら執行部が、入れ替わり立ち替わり、少なくとも四回にわたり、江田議員を訪問し、刑事訴訟法等「改正」案につき、「意見交換」したと記述されている。他の議員や他党への訪問も多数行われ、旺盛に法案成立へのロビー活動が展開されていたことが推測できよう。
 三度の日弁連会長声明、ロビー活動等の日弁連執行部の法案推進姿勢について、冤罪被害者や反対運動に取り組む市民(盗聴・密告・冤罪NO!実行委員会など)からは、怒りの声が大きく巻き起こった。冤罪被害者の中には、本抱き合わせ法案に含まれる被疑者国選の拡大に伴う多額の予算措置を指摘し、金(国選拡大弁護費用の予算化)欲しさに転んだのかとの批判の声が上がったほどである。
(以下、次号)
四 日弁連「三%から一〇〇%へ〜全面可視化へのはじめの一歩〜」市民集会 の欺瞞
五 日弁連執行部の法案推進の立場を大転換させるために

(追記)「法と民主主義」一〇月号(五〇二号)に、
   ・「理念喪失、再び―日弁連へもの申す」
     (村井敏邦一橋大名誉教授)
   ・「危うい日弁連」(岩村智文団員)
   ・「通常国会での成立を阻止した刑事訴訟法等改正案」
     (米倉洋子日本民主法律家協会事務局長)
の三論文が掲載された。是非、御一読を。


二〇ミリシーベルトでの線引き・切り捨てを許さない〜福島での取組み〜

神奈川支部  中 瀬 奈 都 子

一 二〇ミリシーベルトでの線引き・切り捨て政策
 「一人でも多く、一日も早く戻れるようにしていきたい」、『福島の復興なくして、東北の復興はない。東北の復興なくして日本の再生はない。』という安倍内閣の基本方針の下に、住民の皆様の気持ちに寄り添い、復興を進めていく」―本年一〇月一九日、約五ヶ月ぶりに福島県を訪問した安倍首相は、大熊町や楢葉町を視察した後、このように述べた。この言葉に表されるとおり、政府は、「帰還政策」をおし進めようとしている。しかし、その政策は決して「住民の気持ちに寄り添う」ものではない。政府は、今年六月に発表された閣議決定において福島復興指針を改訂し、二〇一七年三月までに居住制限及び避難指示解除準備区域の避難指示を全て解除するとともに慰謝料の支払いを一律に打ち切る等の方針を発表し、これに呼応するかのように、福島県も住宅無償提供を二〇一七年三月で廃止すると発表した(二〇一五年総会議案書四二頁にまとめられているのでご参照頂きたい。)。そして、福島地裁に係属している「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟においても、国と東電は、二〇ミリシーベルト以下は受忍限度内であり、何らの権利侵害にもあたらないとの主張を行っている。つまり、国(政府)及び東電は、被害者に対し、二〇ミリシーベルト以下の線量は我慢しなさいという考えを押しつけ、切り捨てようとしているのである(我々はこれを「二〇ミリシーベルト受忍論」と呼んでいる。)。
二 一〇・一六対福島県交渉
 このような情勢を受けて、本年一〇月一六日、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団・弁護団は、福島県に対する要請行動を行った。当日は、福島県内各地から百名以上の原告が集まったほか、「原発なくそう!九州玄海訴訟」の長谷川原告団長や「原発なくそう!九州川内訴訟」の原告、両訴訟の弁護団共同代表でいらっしゃる板井優団員をはじめとする弁護団の先生方もはるばる九州から駆けつけて下さった。
 福島県への要請内容は、(1)「二〇ミリシーベルト受忍論」を受け容れられないとの立場を明確にすること、(2)被害自治体の代表として、全国の原発の廃止を求めること、(3)国と東電が福島第一原発事故について法的責任を有するとの立場を明確にすること、(4)国に対し、「二〇一七年三月までに避難指示解除」との方針の撤回を求め、医療を含む社会的インフラの整備などがなされないままでの解除を行わないよう求めること、(5)国と東電に対し、営業損害の賠償について将来分含む二年分一括払いの方針を撤回し、損害が続く限り賠償するよう求めること、(6)住宅無償提供を二〇一七年三月までとする方針を撤回すること、の五点である。
 これに対し、福島県は、賠償問題については被害が救済されるまで適切に賠償がなされるよう求めていくと回答したものの、廃炉、避難指示の解除及びその基準の設定は、国の所管事項であって県の責任において行うものではないからコメントできない、住宅支援については無償提供以外の方法によって支援を行っていくと、極めて消極的な姿勢を示した。当事者意識に欠ける対応に、当然ながら会場からは厳しい発言が相次いだが、中でも長谷川九州玄海訴訟原告団長は、「我々が二〇ミリシーベルトにこだわっているのは、平時一ミリシーベルトにこだわっているから。国の線引きに科学的根拠がないことが明らかだからである。実際は自治体が協力しなければ国の政策は実現しないのだから、県は県民の要望について国と折衝すべき。また、こんな事故は二度と起こってはならないと、福島の経験を全国に発信すべき。」と正鵠を射た指摘をした。
三 市町村への要請活動などの取組み
 一方で、現在取り組んでいる市町村に対する要請活動では好感触を得ている(要請内容は県に対するものと同様である。)。特に、浪江町や桑折町は、要請内容に賛同の意を表明し、今後の協力体制を約束して下さった。また、一一月一五日に迫った福島県議選の全候補者に公開質問状を送付し、国による切り捨て政策についての考えを問うているところでもある。
 今後も、原告団・弁護団は、全体救済と原発のない社会を実現すべく、訴訟内の取り組みに留まらず、福島県への継続的な要請活動、市町村への地道な要請活動などを行うことで、まずは福島県全体で福島切り捨てを許さないという思いを共有し、協働関係を築くよう尽力していく予定である。


八月集会報告

滋賀支部  若 山 桃 子

 滋賀支部では、毎年八月に、支部の団員や、事務局が集まり、一年間の活動の報告をするとともに、テーマを決めて講師の先生をお招きしてご講演いただいています。
 今年は、八月二七日に行いました。前半は、滋賀支部の団員の報告で、一時間半ほどで九件の報告が行われました。内容としては、生活保護訴訟、年金訴訟、カネボウ白斑被害事件、トチノキ巨木事件、原発訴訟、NPT会議報告、栗東市住民訴訟、日電ガラス事件、栗東不当逮捕国賠事件などについてでした。
 生活保護訴訟についての報告では、主に消費者物価指数について、問題の指摘や解説が行われました。消費者物価指数の算定にあたっては、基準とする物品の選び方や、基準時の選び方などにより、かなり幅があり、恣意的な算定がなされる余地が随分大きいということを知り、興味深く思いました。
 トチノキ巨木事件では、滋賀県高島市朽木にある西日本最大級の希少なトチノキ巨木群(樹齢一五〇〜四〇〇年、幹回り二〜八メートル、樹高一五〜三〇メートル!)の一部につき、伐採が進められているのが平成二二年に明らかになり、保護団体の支援を受けて平成二三年から、山林所有者が業者を相手取って調停、伐採禁止の仮処分申し立て、所有権確認訴訟をし、最終的には基金を設置して寄付を募り、買い取る内容で和解をしたというものでした。
 栗東町住民訴訟は、旧栗東町が、たばこ税収入を得るために、条例を制定して平成一二年にたばこ事業者に貸付けた五億円のうち四億五千万円の返済がなされていない件につき、確実な担保や保証人も取らず、また、要件である税収の見込み額も不確かなままにずさんな貸し付けをしたことについて、栗東市を相手取り、元市長らに対して損害賠償請求をするよう求めている訴訟です。条例自体についても、その運用についても、信じられないほど杜撰な内容と思い、衝撃を受けました。
 内藤功先生のご講演では、これまでの携わって来られた砂川裁判、恵庭裁判、長沼訴訟、百里訴訟のお話を伺いました。どれも、学生のときに、憲法判例一〇〇選などで読んだ訴訟であり、その代理人であった内藤先生から直接お話しを伺う機会が得られるとは、これまで思ってもみなかったことであり、大変うれしく、興味深く感じました。そして、学生のときには無味乾燥に思いながら読んでいた判例ですが、内藤先生から、詳しい背景や、関係された方々の思いをお聞きして、急に生き生きとイメージがわきました。
 砂川裁判で、一審の無罪が、最高裁で破棄さ差戻しになったということは記憶にありましたが、一審で、米軍駐留を許す日本政府の行為は憲法九条違反とした判決自体が、当時の安保闘争や、砂川基地返還運動の励みになったとのことで、たとえ、最高裁でひっくり返ってしまたとしても、当時の世論等には大きな影響があったのだとわかり、その意義を少し理解できたように思いました。
 また、最高裁の判決は、(1)米軍は日本の戦力ではない。(2)安保条約のような高度の政治問題には、裁判所の違憲審査権は及ばない。というものでしたが、警察予備隊から自衛隊になって、まだ数年、という時代背景と合わせて、集団的自衛権の行使など、全く裁判の争点でなく、そもそも当時の社会状況で、そのような議論は出ていたはずもないということがよくわかりました。今回の安保法案の審議のなかで、集団的自衛権の行使容認の論拠の一つとして引き合いに出されていたことが、いかに突拍子もない話であるか、改めて実感しました。


「もう許して・・・」この違和感は・・・。

福島支部  広 田 次 男

 古希を迎えた。しかし「三・一一」以来の原発関連訴訟の忙しさは果てる事がない。古希表彰をうけるはずだった団総会にも欠席せざるを得なかった。永年、この表彰を目標にしてきただけに、誠に残念であった。
 ところで、久しぶりに労働事件に完全勝利した。いわき理容美容学校の労働条件切り下げの無効を求めた一次訴訟の完全勝利後に、勤務を続けていた四人のうち組合の中心であった二人が解雇されたので、その無効を訴え二次訴訟となった。
 一審(福島地裁いわき支部)では完全勝利判決を得、二審(仙台高裁)での勝利和解により足かけ八年に亘った事件は、労働者側の完全勝利に終わった。
 二次訴訟のポイントは、社会福祉法人から学校法人への組織変更に伴い、全従業員を一旦解雇して新たに設立した学校法人に新規採用する際に、二人だけを雇用しなかった事の正当性の有無であった。法人格否認の法理を中心とする法理論の展開と、それを裏付ける証人尋問を必要とするかなり難易度の高い事件であった。私と越前谷元紀団員の二人で担当し、書面作成は殆ど越前谷団員にお願いした。
 一〇月二三日いわき市労連の主催により「完全勝利を祝う会」が催され、担当した私と越前谷団員の二人が招待された。この夜、私は三つの大きな違和感を覚え、その原因がどこにあるかを今も考え続けている。
 第一の違和感は越前谷団員との学校理事長の反対尋問についての会話であった。
 私は、学校理事長は労働者を賃金の引き下げ、不当解雇などにより七年にも亘り苦しめ続けている許せない奴だと思い、その反対尋問に際しては越前谷団員の先行尋問で露呈した証言の矛盾を押し拡げ、深める尋問を延々と続け、シドロ・モドロへと何回も追い込んだ。尋問終了後に傍聴席からは拍手が湧き、私は尋問の成功を確信していた。
 ところがこの夜の会話で越前谷団員は、私の尋問の途中で「(学校理事長を)もう許してやったらいいでしょう」と思って、何回か私の袖を引いたと言うのだ。
 言われてみれば右隣の越前谷団員が、私の右手に触れた事があったかもしれないのだが、尋問に熱中していた私には、その意味を考える事もなく尋問を続行していた。
 しかし、七年にも亘り労働者と敵対してきた理事長を「もう許してやったら」とは私には想像もつかない感情であった。私はさほどに残虐な尋問を展開していた自覚は決してないのだが・・・。
 第二の違和感は若い組合員の一言であった。
 私は弁護団を代表しての挨拶で九月の戦争法案反対のデモに触れ
「九月一八日には妻の手を握って国会前のデモに参加した。」
「昔は逮捕されないようにスクラムをしっかり組んでのデモであった。」
「学生時代には先輩から『明日のデモは荒れるかも知れないから、パンツを新しいものに替えて行け』と言われた事があった。」
「私は運悪く機動隊の袋だたきにあって、その時の傷跡が未だに、こことここに残っている。」
「妻の手を握ってデモに参加できるようになったのは、この国の民主主義の発展を意味しているし、労働裁判の勝利と労働運動の発展が、戦争体制を阻止する確かな保証の一つだ。」
等と少しビールも入っていたので、昔話も交えて景気の良い話をした。
 挨拶を終えて、暫くして若い組合員がビールを酌に来ながら眉をひそめて「お巡りさんが人を殴るんですか」と囁くようにして話かけて来た。その話し振りから「お巡りさんは悪い事はしませんよ」「余程悪い事をしたから殴られたりしたんでしょう」といった意味合いを私は感じ取った。なんだか私は、自分が非行少年であったような気分になった。
 第三の違和感は夜の九時になったら、会の司会者が「定刻になりましたので終わります」といって散会してしまったのだ。二次会の場所を告げる事もなく。
 私は未だにビールしか呑んでおらず、これから酒を呑もうかという気分でいたのだが。労働裁判の終わりは、勝つにせよ負けるにせよ「午前様」になるまで呑んで泥酔していたのが常であったような記憶があるのだが・・・。
 さて、この違和感の原因については様々な思いがあるが、最大の原因は私が古希になった事だろうと思う。肉体年齢は食生活、サプリメント、スポーツジム等の普及・改善により、七〇才は確実に「希」ではなくなった。
 しかし、社会的経験の相異という点では、やはり七〇才は「古希」なのであろう。

二〇一五年一〇月二六日記


ネット社会に自由法曹団は生きているのか?

福岡支部  永 尾 廣 久

アクセスが半減!
 二〇一五年総会議案書の最後の頁の数字を見て、私は目を疑いました。この社会で自由法曹団の活動はそれなりに評価され、注目されていると日頃思っていた私にとって大いなるショックでした。自由法曹団のホームページへのアクセス件数が過去一〇年間にほぼ半減しているのです。〇六年に五万七千件だったのが年々減っていき、一五年には三万二千件です。この五年ほどは、ほぼ同じ件数で推移しています。これは単純化すると、一日に一〇〇件、一ヶ月に三千件にもなりません。どう考えても少なすぎます。
魅力あるホームページに
 そこで、団のホームページを改めて眺めてみました。すると、トップページは製作に苦労している担当者には申し訳ありませんが、いささか魅力に欠けると言わざるをえません。親しみがもてないのです。
 そもそも自由法曹団のホームページに市民がアクセスしようとする動機は何かと考えてみました。意見書や決議・声明を知りたいのでしょうか。それとも、自分に身近なところにいるだろう自由法曹団員に相談したいと思ってアクセスするのでしょうか。私は、後者についての配慮が少し足りないのではないかと思いました。
 大胆な刷新、イメージチェンジが必要のように思いますが、いかがでしょうか。日弁連のホームページには一日数万件のアクセスがあるようです。まあ、比較にはなりませんが…。
 今のホームページだと、リピーターがあまりないのではないでしょうか。
 団長や幹事長の軽いエッセーをのせてもいいでしょうし、もっと親しみやすさを工夫してもいいように思いますが…。
 ちなみに、私は本名と筆名の二つで、ほとんど毎日、ネット上で発信しています。いずれも、それなりの反応があってうれしいものです。
ネットに強い若手団員を登用して
 私はこれだけネット社会になっているのに、一日一〇〇件しかアクセスがない、増えないという現状は早急に改善すべきだと思います。働く人、そしてあらゆる階層の市民にとって身近で頼もしい味方であるというアピールを打ち出すべきではないでしょうか。そのためには、ネットに強い、ネット大好き団員を担当者(専任の事務次長)として大胆にリニューアルすべきだと思うのです。


戦後七〇年の秋 山燃ゆる蔵王を歩く(その二)

神奈川支部  中 野 直 樹

一九四五年三月一〇日
 真新しい石碑の一面には「Bー29 機体番号#42-653-0 二番機墜落地十二名没」の事実、もう一面には「米兵士 鎮魂の碑 一九四五年三月一〇日」の追悼が刻まれていた。三月一〇日は、午前〇時過ぎ、三〇〇機を超えるB29が東京下町を焼き尽くす東京大空襲が実行され、一〇万人以上が犠牲となった日だ。この時に、B29がこの蔵王の山に墜落したというのか。なぜこの地に。首を傾げるばかりであった。山から下りた後、インターネットで「不忘山」と検索するとこの石碑の由来がわかった。
 東京大空襲の時間帯に蔵王山塊は吹雪であった。午前〇時過ぎから未明にかけて、不忘山周辺にB29三機が次々と墜落し、搭乗としていた米兵三四名全員が死亡した。山の中腹が炎で真っ赤に染まったという。この三機のうち二機はグアム発、一機はサイパン出発で、所属部隊が違っていた。攻撃目標はいずれも東京であった。東京大空襲は一六〇〇〜二千メートルという超低空飛行での初めての爆撃だったという。「なぜ不忘山」にという疑問は未解明のままだ。地元の人々は、終戦から一六年後に山頂近くに「不忘の碑」を建て、毎年慰霊の登山を続けてきていたそうだ。しかし、住民の高齢化により登山が困難となったことから、二〇一五年、麓に不忘平和記念公園をつくり、三四名の米兵を追悼するモニュメントを設置した。私たちが目にした小さな石碑はこれに合わせて山頂に造られたものだ。もともとの「不忘の碑」は、山頂からみやぎ蔵王白石スキー場側に少し下ったところに設置されており、私たちのコースの反対方向であったことから目にする機会を逃した。
寄り道から迷い道に
 南蔵王歩きの後半は、往路の単純な後戻りとなった。蔵王山塊の上は青みが深まった秋の空が広がり、中央の刈田岳、熊野岳から雁戸山(一四八四メートル)への北蔵王縦走コースがくっきりと見えた。歩いてみたいと感じ、これが次第に、明日行ってこようとの意思に発展した。屏風岳を過ぎて午後二時、えぼしスキー場の斜面となっている後烏帽子岳(一六八一メートル)への分岐に着いた。地図を開くと、下り三〇分でろうづめ平、そこから登り三〇分で山頂に着き、ろうづめ平から縦走コースに戻らないで澄川を横切って駐車場に戻る道があることがわかった。計画変更し、後烏帽子岳に寄ることにした。
 日差しが傾き始め、後烏帽子岳側からみる屏風岳の火口壁は完全な逆光となり、写真とならなかった。山頂から展望される南蔵王の復習と北蔵王の予習をして、一五時三〇分、ろうづめ平に戻った。ここから股窪まで下り三〇分、そこから二つの選択があった。三〇分で蔵王観光道路に出て、車道を一時間以上上るコースと澄川の源流部を横切って刈田岳の駐車場付近に突き上げるルートである。後者は二時間一〇分のルートタイムで「破線」表示の山道の状況に不安があり、この時刻ではお勧めでないと考え、前者のコースを選ぶことにして出発した。
 地図では股窪で十字路となり、そのまま直進することになる。ところが現地ではT字路となり、右がえぼしスキー場方面、左が刈田岳方面との表示あり、ここで地図確認をせず、迷わず左を選択して進んだ。しっかりした登山道だが、やたら水枯れた小沢を踏み越えることが繰り返され、斜面を大きく横切っていることが明らかになり、三〇分近く歩いた時点で、不安となった浅野さんがGPSの位置情報で確認すると、回避したはずの「破線」道に入りこんでいることがわかった。引き返しには手遅れの時刻であり、幸い草刈りをしてある道なのでこのまま突き進むこととなった。最後は日暮れと競争しながら駐車場に一七時二〇分に戻った。
雲海に浮かぶ
 翌朝七時三〇分、再び刈田岳駐車場に車を止めた。手前の低山が朝陽に照らされて燃え始め、その先に雲海が広がって遠山を船のように浮かび上がらせている。あの山塊はどこだとの論争を経て、東から吾妻連峰、飯豊連峰、朝日連峰で確定した。三〇メートルほど上って、蔵王古道・刈田岳山頂(一七八七メートル)の標識の写真をとった。そのバックとなった御釜の左手に馬の背と呼ばれる大きな尾根があり、そこを四〇分ほど進んだ先に最高峰熊野岳(一八四〇メートル)がでんとかまえている。今日は、熊野岳を経て、北蔵王縦走コースに入り、雁戸岳までの片道コースタイム四時間のピストンをしようとのにわか計画で歩き出した。
 ところが歩き出した途端に足を止めなければならない事態となった。火山性活動警戒のため馬の背は通行止めの措置がとられていたのである。ここが通れないと目の前にある熊野岳に行けないし、北蔵王コースにも入れない。浅野さんは八九番目の百名山踏破の正式記録のためには熊野岳の山頂標識を手で触ることにこだわりがあった。地図を開いて対策談義をした結果、いったん車で山形蔵王温泉スキー場に下り、そちら側から登り直そうということになった。えらい迂回であるが仕方がない。
樹氷原の地を歩く
 蔵王温泉スキー場は大学時代から幾度もスキーでお世話になってきたが、雪のないときは初めてだ。パラダイスゲレンデまで車で上がり、ここからゲレンデ斜面の登山道を登った。途中のザンゲ坂は樹氷原コースであり、晴れた冬のモンスターの情景が目に浮かんだ。また、ここで猛吹雪に襲われホワイトアウトとゴーグルの氷結で立ち往生をしてしまったときの恐怖も思い出された。冬場は頭しか見えない地蔵尊も台座から拝見することができた。ロープウェイ山頂駅レストランで生ビールを飲みいい気分で四〇分ほど歩くと目的の熊野岳だった。どこがピークかわからない台地であったが、蔵王最高峰熊野岳と書かれた木杭で記録写真をとった。時間から北蔵王縦走はあきらめ、御釜をじっくり見ることにした。
一瞬
 馬の背を見下ろすと、なんと刈田岳駐車場から大勢の観光客が通行止め帯を自由に行き来しているではないか。御嶽山の突然の水蒸気爆発事故、全国で活性化している火山噴火を踏まえ、私たちは、安全神話に抗して、律儀に、張ってある通行止めロープを守ったが、一大観光スポットの現実を目の当たりにした。
 御釜は直径三〇〇メートル、水深三〇メートルと書かれていた。雲間から差し込む陽光の移ろいでエメラルドグリーンの色が微妙に変化していく。その一瞬をとらえようとシャッターを切り続けた。こだわりの浅野さんは、朝回避した馬の背を通し歩きをしようとわざわざ刈田岳まで歩んでいった。私は、美しくも荒涼とした火山灰に覆われた岩礫帯を眺めながら、もしここで突然異変が起きたとき、自分はどのように行動するだろかなどと考えていた。
 蔵王温泉で汗を流し、エコーラインの帰路、夕陽が目の前の山一面を照らし、紅葉が一斉に浮き上がり、輝き、燃えだした。私たちも、他の車の人も外に出て、見入った。子どももきれいだねと声を上げていた。長く記憶に残るであろう一瞬であった。


ヘイトスピーチはどこまで規制できるか
 一二月五日 在日コリアン弁護士協会シンポジウムにご参加ください

東京支部  金   竜 介

一 人種差別撤廃法案の採決見送りへの抗議し、次期国会での成立に向けた闘いを始めよう
 民主党、社民党および無所属の議員が五月二二日に参議院に提出し、参議院法務委員会で審議されていた「人種等を理由とする差別の撤廃のための施策の推進に関する法律案」(人種差別撤廃施策推進法案)は、今国会では採決されず、継続審議となりました。与党の消極姿勢にも関わらず、廃案とはさせずに継続審議となったことは、粘り強い運動によるものと評価できますが、しかし、同法が成立に至らなかったことには多くの抗議の声が上がっています。
 一九九五年に人種差別撤廃条約に加盟したものの、その後二〇年間、人種差別撤廃のための抜本的な施策を日本政府や国会が講じることはありませんでした。本法律案は、人種差別撤廃条約で定められた義務を法律としてもあらためて規定したうえで、国の基本原則・方針を定め、国が人種差別の防止に取り組むことを宣明する基本法・理念法の位置付けを有するものにとどまります。この程度の法律ですら成立させられないのであれば、日本社会の見識を問われることにもなりかねません。
 人種差別に苦しめられてきたマイノリティは、日本における人種差別撤廃法制の最初の一歩となるものとして同法案の早期の成立を求めてきました。しかし、その思いは裏切り続けられています。
 近年、在日コリアンなどのマイノリティに対する公然とした人種差別行為が蔓延し、公道上でヘイト・デモや街宣行動が毎週のように行われ、インターネット上でのヘイトスピーチも野放しとなっています。本法案は、人種差別の禁止を、条約に重ねてあらためて宣言するとともに、人種等差別防止政策審議会等の担当機関を設置し、国が人種差別の防止のための施策に着手することを明らかにしている点において意義があるものです。人種差別撤廃委員会等の国連機関からもヘイトスピーチをはじめとする人種差別に対する抜本的対策が必要であることは、再三、指摘されており、人種差別撤廃に関する基本法の策定は急務です。
 人種差別の撤廃を希求する自由法曹団員に必要なのは、具体的な取り組みを続けることです。次期国会での成立に向けた闘いを多くの団員が行なうことを改めて呼びかけます。
二 東京弁護士会の意見書
 九月八日、東京弁護士会は「地方公共団体に対して人種差別を目的とする公共施設の利用許可申請に対する適切な措置を講ずることを求める意見書」を発表し、東京の各自治体宛にQ&A方式のわかりやすい冊子(「公共団体とヘイトスピーチ〜私たちの公共施設が人種差別行為に利用されないために」)を配布しました。国際条約上、地方自治体は人種差別目的の公共施設利用を拒否することができることを明確にした画期的なものです。特定の人種や民族の排斥・憎悪を煽る団体によって苦しめられている人たちに正面から弁護士会が向き合う姿勢を明確に示したことが重要であり、全国各地で同様の取り組みを進めることが求められています(上記の意見書は東京弁護士会のホームページで公開されています)。
三 在日コリアン弁護士協会シンポジウムに来てください!
 私たち在日コリアン弁護士協会は、問題の根本にある日本におけるレイシズム(人種差別)の歴史を踏まえ、歴史学者の板垣竜太さん、憲法学者の木村草太さんをお招きしてシンポジウムを開催します。「慰安婦」問題等に取り組む板垣竜太さん、いま注目の憲法学者木村草太さんがヘイトスピーチについて何を語るのか、面白いシンポになりますのでぜひご参加ください。
 二〇一五年 在日コリアン弁護士協会シンポジウム
 人種差別撲滅のために〜ヘイトスピーチはどこまで規制できるか
○一二月五日(土)午後一時〇〇分開会(五時半終了予定)
連合会館(地下鉄「新御茶ノ水」「小川町」「淡路町」駅)
■ 基調講演「日本のレイシズムとヘイトスピーチ」
   板垣竜太氏
   (同志社大学教授、朝鮮近現代社会史・植民地主義研究)
■ 報告1「ヘイトスピーチによる被害の実態」
   金星姫弁護士・安原邦博弁護士
■ 報告2「アメリカにおけるヘイトスピーチ規制」
金昌浩弁護士
■ パネルディスカッション
   板垣竜太
   木村草太氏(首都大学東京准教授、憲法学)
   金竜介弁護士
   金哲敏弁護士
主 催:在日コリアン弁護士協会


主権者教育・教育への政治の介入に関する学習会のご案内

事務局次長  増 田 悠 作

 本年六月一七日、選挙における投票権の年齢を一八歳以上に引き下げる公職選挙法改正法案が成立しました。この改正により、来年夏の参議院議員通常選挙から、高校生を含む一八歳以上の国民が有権者として投票権を持つことになります。
 これを受けて、自民党政務調査会は、本年七月八日、「選挙権年齢の引き下げに伴う学校教育の混乱を防ぐための提言」を発表し、政治参加等に関する教育の充実の必要性は認めつつも、「政治的中立性の徹底的な確立」を掲げ、教育公務員の「政治的行為」の制限違反について罰則を創設することや、教職員組合の収支報告を義務付けること等を提唱しました。本年九月二九日に発表された文科省と総務省が作成した教員用の指導書においても、「政治的中立性」の確保が強調されています。
 学習権等の子どもの権利を充足するためには、子どもとの人格的接触を通じて、子どもの抱える様々な課題に日々直接向き合っている教員に、一定の教育の自由が保障されなければなりません。
 自民党政務調査会の提言では「政治的中立性」が強調され、教育公務員の「政治活動」への罰則の創設が唱えられていますが、「政治的中立性」や「政治的行為」の概念は極めて曖昧です。仮に、「政治的中立性」が時の政権の見解を基準に判断されることになれば、国家による教育内容の統制や教育の自由への介入に利用される危険があります。これまで、安倍政権下において、教育委員会の自主性・独立性を弱める教育委員会改悪や、政府見解の教科書への記載を求める教科書検定基準の改定が行われてきたことからすれば、このような、「政治的中立性」を口実にした教育内容統制や教育の自由への介入の危険は大きいと言わざるを得ません。
 このような曖昧な概念で現場の教育実践を制限することは、教員の創意工夫を委縮させることにつながります。とりわけ、「政治的行為」に罰則が科されることになれば、教員は、曖昧な基準によって、自己の行った授業を理由に罰則を科される恐れが生じ、その委縮効果は甚大なものとなってしまいます。
 社会教育の分野においては、公民館が、俳句サークルが選んだ俳句を、「公平中立」に反するとして、公民館便りに載せなかったという事件が起こり、訴訟で争われています。
 他にも、姫路市の集会の事例など、個人や団体の表現ないし政治活動に行政が介入する際の理由として、「政治的中立」、「公平中立」などの言葉が使用される現象が頻繁に起こっています。
 このような情勢から、団本部教育問題委員会では、法政大学の佐貫浩教授を講師として、「主権者教育・教育への政治の介入に関する学習会」を企画しました。
 同日午後六時からは、同じく団本部にて教育問題委員会を行います。
 是非、ご参加ください!
〈主権者教育・教育への政治の介入に関する学習会〉
日 時:二〇一五年一一月一八日(水)午後七時〜
場 所:団本部
講 師:佐貫浩(法政大学教授)