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杉本 周平 冤罪東住吉事件の再審開始が決定
〜 たたかいの舞台は再審公判へ 〜
弓仲 忠昭 刑訴法等一括「改悪」法案の廃案を勝ち取るために
日弁連執行部の姿勢の転換を強く求めよう!(二)
西田  穣 *宮城・蔵王総会特集*
本部事務局長就任のごあいさつ
岩佐 賢次 事務局次長就任のごあいさつ
久保田 明人 本部次長就任のご挨拶
種田 和敏 本部事務局次長就任のご挨拶
玉木 昌美 宮城蔵王団総会に参加して
秋山 健司 二年ぶりの団総会を振り返って
佐野 雅則 逃げた東京高裁
板井  優 被害をくり返す者は被害を小さく見せる
〜フクシマでミナマタをくり返させるな〜
藤岡 拓郎 福島第一原発の津波想定をめぐる地震学者の対決
〜原発被害救済千葉県弁護団からの報告
後藤 富士子 「立法事実」を創造せよ!
――「夫婦別姓」訴訟の欺瞞
村松 いづみ 高山利夫団員を偲ぶ
笹山 尚人 東京法律事務所、戦争法案阻止のとりくみ総括
種田 和敏 一一・二九「辺野古に基地は造らせない大集会」(日比谷野音)を成功させよう



冤罪東住吉事件の再審開始が決定
〜 たたかいの舞台は再審公判へ 〜

滋賀支部  杉 本 周 平

 本年一〇月二三日、大阪高裁は、いわゆる冤罪東住吉事件について、検察側の即時抗告を棄却(再審開始決定を維持)し、併せて、再審請求人である朴龍晧さんと青木惠子さんに対する刑の執行を停止する決定をした。これにより、同月二六日午後、朴さんと青木さんは二〇年ぶりに釈放された。
【冤罪東住吉事件とは】
 一九九五年七月、大阪市東住吉区の木造住宅で火災が発生し、住宅内でシャワーを浴びていた女の子(当時一一歳)が逃げ遅れて死亡した。大阪府警は、「女の子の母親(青木さん)と、その内縁の夫(朴さん)が、生命保険金を詐取するために放火して、女の子を殺害した」と決めつけた。そして、二人を犯人とする直接証拠が何もない中、警察は、切り違え尋問、暴行・脅迫、不当な利益誘導、約束、偽計など、任意性を疑わしめる取調べを続け、結果的に二人は「自白」をしてしまう。同年九月、二人は逮捕され、現住建造物放火・殺人・詐欺未遂罪で起訴されることになる。
【訴訟の経過】
 一九九九年(朴さんは三月、青木さんは五月)、大阪地裁は、二人に対して、それぞれ無期懲役判決を言い渡し、控訴・上告の後、二〇〇六年に右判決は確定した。
 二〇〇九年(朴さんは七月、青木さんは八月)、二人は大阪地裁に再審請求し、同庁は二〇一二年三月に再審開始を決定した。検察側が即時抗告し、大阪高裁での即時抗告審が三年七か月もの長きにわたって続いたが、今回の即時抗告棄却決定に至った。なお、検察官は特別抗告を断念したため、そのまま再審開始が確定した。
 本件の問題点は複雑多岐にわたるが、今回の即時抗告審で議論された主たる争点は、(1)自白どおりの方法による放火の可能性、(2)自然発火の可能性であるといってよい。
【自白どおりの方法による放火の可能性】
 実行犯とされた朴さんの「自白」は、要するに、自宅一階浴室に隣接する土間兼車庫の床面にガソリン約七・三リットルを撒き、ターボライターで火をつけたというものである。
 弁護団は、再審請求審段階において、本件火災当時における車庫の状況を可能な限り忠実に再現し、朴さんの「自白」に基づく方法による放火を試みた燃焼再現実験を行った(小山町新実験)。そうすると、ガソリンを撒いている最中にガソリン蒸気が風呂釜の種火に引火するとともに、引火後ただちに炎が上がって爆発的に燃焼するため、「自白」どおりの方法による放火が一〇〇%不可能であることが既に明らかとなっている。
 対する検察側は、即時抗告審段階である二〇一三年五月、床面の傾斜や凹凸、通気口の数を変えることにより小山町新実験と異なる結果になるかどうか確認するとして、条件を少しずつ変えながら三回の燃焼実験を実施した。しかし、いずれも小山町新実験と同様の結果となり、むしろ弁護団の主張を補強することになった。これにより、朴さんの「自白」の信用性は否定されたといってよい。
【自然発火の可能性】
 また、即時抗告審段階において、弁護団は、満タンに給油された自動車からガソリンが漏れ出し、これが風呂釜の種火に引火した具体的可能性について主張立証した。すなわち、火災車両と同車種のユーザーから寄せられた情報をもとに、同車種(トラックタイプ)の給油口から相当量(一五分で最大約三五〇ml)のガソリンが漏れることを再現実験で明らかにした。また、自動車工学の専門家にも鑑定を依頼し、(地下タンクで保管されていたため)給油時は一五℃程度にまで冷えていたガソリンがタンク内で温められ、生じたガソリン蒸気でタンクの内圧が上昇し、給油口から相当量のガソリンが漏れるメカニズムを解明した。
 これに対し、検察側は、仮に少量のガソリンが漏出しても大規模火災になることはない旨主張したが、今回の決定は、給油口からのガソリン漏出について想定される漏出量は検察側の想定とは大きく異なるとし、検察側鑑定意見の正確性や合理性にも疑問があるとして一蹴している。
【即時抗告審における地道な活動】
 例えば、弁護団では、全国の農協系ガソリンスタンドに対してガソリン漏れに関するアンケート調査を実施し、火災車両と同車種からガソリンが漏れる旨の回答があれば、弁護団で手分けをして、各地へ事情聴取に出向くなどした。私も、静岡県、福島県、岩手県のガソリンスタンドを訪れ、担当者の陳述書を作成させていただいた。
 また、ガソリン漏れ再現実験に際して、弁護団では、ガソリン漏れ報告のあった同車種を全国各地から取り寄せたほか、数多くのビデオカメラを準備して様々な角度から撮影を行い、証拠用として編集した。私自身、ガソリン漏れ再現実験の際、ガソリンを給油時の温度まで冷やすべく、ガソリンが詰まった携行缶を氷水に浸けてひたすら回転させたことが今も記憶に新しい。一連の弁護団活動においては、一人ひとりの力は小さくとも、様々な特技や個性を持った弁護士・専門家・支援者が集まれば、こんなこともできるのかと、感心することばかりであった。そして、再審開始という貴重な瞬間に、私も弁護人の一人として立ち会えたことを、大変光栄に思う。
【大阪高裁決定に対する評価】
 今回の大阪高裁決定は、弁護団の主張を全面的に採用しただけでなく、二人の「自白」が採取された過程の問題点にも言及したものであって、弁護団としても高く評価している。DNA鑑定以外の科学鑑定により再審開始に至った今回の決定が、重い再審の扉を開かんとする全国の再審弁護団にとって一助となれば幸いである。
 今後、たたかいの舞台は再審公判へ移ることになるが、検察側は有罪主張を維持することが予想される。これまでの団員各位からの惜しみないご支援、ご協力に厚くお礼を申し上げるとともに、引き続きのご支援、ご協力を賜りますよう、併せてお願い申し上げる次第である。


刑訴法等一括「改悪」法案の廃案を勝ち取るために
日弁連執行部の姿勢の転換を強く求めよう!(二)

東京支部  弓 仲 忠 昭

一 はじめに
二 日弁連会長声明―悪法成立を強く希望―の冤罪被害者らへの裏切り
三 法案推進への日弁連執行部の異常な対応

(以上、前号)

四 日弁連「三%から一〇〇%へ〜全面可視化へのはじめの一歩〜」
市民集会の欺瞞

 戦争法案の廃案を求める数万もの怒りと抗議のうずで、国会前の終盤の闘いが大きく盛り上がっていた九月一五日、まさにその夜、弁護士会館の二階講堂クレオでは、日弁連主催、東京三会共催で、取調べの可視化を求める市民集会「三%から一〇〇%へ〜全面可視化へのはじめの一歩〜」なる盛り上がらない集会が開かれた。元来、この日までには、法案は成立しているはずとの見通しのもとで企画されたこの市民集会であったが、粘り強い反対運動の広がりで批判の声が高まる中、参議院での審議が進まず、成立が見通せない状況下での開催となった。当日の集会前には、「盗聴・密告・冤罪NO!実行委員会」による法案反対の宣伝行動が弁護士会館前で行われ、行動参加者からは、順次、拡声器で日弁連批判の声が上げられた。
 主催者挨拶に立った村越日弁連会長は、もともとの想定では法案は成立していたはずと残念がったうえ、できるだけ早く成立させていただき、実践の上、三年後の見直しで録画一〇〇%に繋げる「はじめの大きな一歩」にしたい等と述べた。しかし、村越会長は、盗聴拡大や司法取引等の害悪については、一切述べることはなかった。この集会で見るべきものといえば、爪ケア冤罪事件・志布志冤罪事件の各被害者の生の声と美濃加茂市長事件の郷原信郎弁護人の報告くらいであった。被害者の伝える取調の経験に基づく報告は、捜査機関の横暴と人権無視を明らかにしたし、郷原弁護人の報告と配布のレジメは、市長逮捕の証拠となった贈賄側自白には、供述者に虚偽供述の動機(未立件の悪質融資詐欺事件の見逃し)があり、闇司法取引の疑いがあることを明らかにした。
 しかし、上記冤罪被害者二名と郷原弁護士に加え、周防正行映画監督も参加したパネルディスカッションは、コーディネーター(弁護士)の進行のせいもあってか、取調の「可視化」以外の論点には、一切触れることのないまま終了した。予め、主催者として、盗聴拡大や司法取引などの法案の持つ害悪には一切触れないとの確固たる方針があったとしか思えないような進行であった。
 郷原弁護士の報告には、闇司法取引による虚偽供述のために冤罪が発生したことが述べられていたし、志布志事件でも「共犯者」の供述問題があったはずである。コーディネーターの進行の仕方によっては、パネルディスカッションで、少なくとも、密告型・他人引っ張り込み型の司法取引の危険性についての議論を深めることはできたはずであった。しかし、現実はまるで司法取引の害悪について触れるのはタブーとでもいうような集会の進行ぶりであった。
 閉会挨拶に立った内山日弁連副会長は、衆議院法務委員会で参考人として盗聴拡大と司法取引のどちらも必要性は低いと述べていた。しかし、今回の挨拶では、三%から一〇〇%への弁護士の実践の必要性を訴えたのみで、盗聴拡大や司法取引等の害悪には触れることはなかった。この集会で、日弁連執行部は、本法案の盗聴拡大・司法取引等の毒まんじゅうの害悪には一切触れないまま、参加者である市民に対し、本刑事訴訟法等一括「改悪」法案の成立で、三年後には一〇〇%の可視化が展望でき、冤罪をなくす新たな刑事司法が実現するかのような幻想を振りまいた。のみならず、市民から、本法案に含まれる大きな害悪(盗聴拡大・司法取引等)を隠蔽したうえ、法案推進の立場をあらためて宣言した。日弁連執行部の欺瞞たるや極まれりである。
五 日弁連執行部の法案推進の立場を大転換させるために
 上述(前号二項)の三度にわたる「悪法」推進の日弁連会長声明、日弁連執行部らによるロビー活動、三%から一〇〇%集会等に見られる法案推進姿勢は、いずれも反対運動を展開する冤罪被害者や冤罪撲滅を願う市民に対する裏切りそのものである。他方、既に二二に及ぶ単位弁護士会から、法案反対もしくは慎重審議を求める会長声明が出されるなど、日弁連内での批判の声も高まっている。
 すなわち、二〇一五年三月一三日には、埼玉、千葉、栃木、静岡、兵庫、滋賀、岐阜、金沢、岡山、鳥取、熊本、沖縄、仙台、福島、山形、岩手、青森、愛媛の一八弁護士会の現職会長が、「通信傍受法の対象犯罪拡大」と「常時立会制度の撤廃」(以下、「盗聴拡大等」という。)に反対し、慎重審議を求める共同声明を出した。さらに、同年四月から八月にかけて、新たに、福岡、三重、京都、横浜の四弁護士会の各会長が、盗聴拡大等・司法取引につき、懸念や問題点を指摘して、慎重審議を求めた。なお、福岡の会長声明は盗聴法改正案には廃案を求め、京都の会長声明は両者を法案から削除することを求め、横浜の会長声明は両者に強く反対を表明した。また、先の共同声明を出した一八弁護士会中の千葉弁護士会は、五月に新会長名で、両者に反対し、法案の抜本的見直しを求めた会長声明を出したうえ、衆議院での法案可決後の八月にも、同じく、抜本的見直しを求める会長声明を出した。また、一八弁護士会中の埼玉弁護士会及び仙台弁護士会でも、衆議院での法案可決後の八月に新会長名で、両者に反対し、法案の廃案を求める会長声明を出している。なお、五月二八日には、埼玉弁護士会が、本法案に断固反対する旨の総会決議を上げている。しかし、東京三会や大阪弁護士会など、巨大弁護士会が会として推進する立場を変えておらず、弁護士会内部での更なる反対世論の盛り上げが急務である。
 衆議院法務委員会での徹底した審議と市民・学者・弁護士らによる反対運動により、法制審ではロクに論じられもしなかった問題点も明らかになった。日弁連執行部やそれに連なる方々も、継続審議になった今こそ、憲法と人権擁護の本来の使命に立ち返り、本法案推進の誤った姿勢を見直すべきである。
 戦争法反対での日弁連の姿勢を評価しつつも、上述の不正義な会長声明(三度)と日弁連執行部の法案推進の動きについては、いまや、自由法曹団として、日弁連の姿勢を正すべく、日弁連会長声明を糾弾し、三つの日弁連会長声明の撤回を強く求める運動を展開すべきである。現会長を会長選挙で推した方々こそ、日弁連会長にしっかりもの言うべきであるが、のみならず、日弁連会員でもある我々ひとりひとりの市民に対する責任は限りなく重い。
 各団支部も各単位会の実情に合わせて、反対の声を積極的に上げると共に、日弁連会員である私たちが反対の各団体(法律家諸団体を含む)と協力して、その声を大きくしなければならないであろう。
 さあ、日弁連会長声明の撤回を求め、日弁連執行部の推進姿勢を転換させる運動を始めよう。単位会の反対の声を強め二〇一四年六月二〇日の日弁連理事会における執行部一任決議を改めさせよう。
 司法「改革」の評価を巡り、意見の相違があったとしても、刑事訴訟法等「改悪」法案の評価(盗聴拡大反対、司法取引導入反対等)については、団員間での意見の相違はほとんど皆無のはずである。
 団をあげて、日弁連会長及び執行部並びに単位会会長及び執行部に、まっとうな意見を伝えようではないか。
 さらにこれから始まる日弁連会長選挙や各会の会長・役員選挙の公聴会、日弁連総会や各会の総会等に私達団員も積極的に参加し、盗聴法拡大・司法取引等を含む刑訴法等改悪案反対の声を広げよう。
 なお、団の東京支部では東京三会に対し、法案推進の立場を転換するよう求める申し入れを行った(一一月一七、一八日)。私も一支部員として、その申し入れに参加した。やれるところから足を踏み出そう。


*宮城・蔵王総会特集*

本部事務局長就任のごあいさつ

新事務局長  西 田   穣

 東京支部・東京東部法律事務所・修習期五七期の西田穣と申します。このたび、本部事務局長に就任しましたので、ご挨拶申し上げます。
 私が弁護士登録をした二〇〇四年は、二〇〇一年に成立した小泉政権による新自由主義の邁進、海外派兵実現等の強硬路線のもと、政権・政策への反対言論への弾圧事件が頻発した時期でした。二〇〇三年三月にイラク戦争が始まり、同年一二月にイラク派兵が行われると、二〇〇四年二月に立川自衛隊官舎ビラ配布弾圧事件が起き、同年三月には板橋高校事件、国公法弾圧堀越事件、翌二〇〇五年九月には世田谷国公法弾圧事件が起きました。そして、私も、所属する事務所の地元葛飾区で起きた葛飾ビラ配布弾圧事件に関わることになります。この事件を通じて得た経験が私の弁護士人生を左右することになりました。
 葛飾事件が起きたのは二〇〇四年一二月二三日、私の弁護士登録からちょうど一週間経過した日でした。自己都合というか、最高裁都合というか、故あって同期よりも登録が三ヶ月遅れた私は、同期から受けた二〇万円強の寄付金をすべて競馬で使い果たし、身も心も財布もすべてきれいにして弁護士登録をしたつもりでした。しかし禊ぎが足りなかったか、公正証書遺言作成の受任第一号事件に次いで、受任第二号事件が葛飾ビラ配布弾圧事件という波乱に満ちた弁護士人生のスタートとなりました。私の弁護士として最初の接見は、亀有警察署に集まった五〇人近い支援者の暖かい応援と、一〇人強の警備担当警察官の冷たい視線を背中に受けながら警察署に入るというもので、かつ四人もの警察官に囲まれながら接見申込用紙を記入するというものでした。「如何様に考えても犯罪ではない、常識で考えればわかる」という私の「常識」が覆され、それまで有していた裁判官と検察官に対する信頼と尊敬の念を失ったのもこの事件でした。
 葛飾ビラ配布弾圧事件を通じて得た経験、人脈、そして怒りが、私を刑事司法制度への道に導いたのだと思います。もともと私は、受験生時代・修習生時代を通じて、「刑事事件をやりたい」という若々しい願望は全く持ち合わせていませんでした。前職で司法書士をやっていたこともあり、不動産事件・遺産分割事件をやっていきたいと考えていたのですが、気づけば自由法曹団なる団体の治安警察委員会というところに呼ばれて報告を求められ、その場で次回以降も委員会に出席するよう求められ、少し経ったら次長をやってくれと求められ本部次長になり、次長になったら弾圧事件のほかに裁判員制度や法曹人口問題の担当となり、司法改革時代に弁護士でなかったにもかかわらず、裁判員制度や法曹人口問題で団員間の意見の狭間?に放りこまれ、取調べの可視化では団を代表して日弁連に行ったつもりで可視化本部の次長になり可視化実現を目指して尽力していたところ、気づけば路線が・・・。そして、弁護士一一年目、不動産と遺産分割を生業とする弁護士として充実期を迎えるはずが、何故か団本部事務局長に就任することになりました。
 これまで経験した弁護団・役職等ですが、上記葛飾ビラ配布弾圧事件弁護団、同期で組んだ西武鉄道株主訴訟弁護団、そして薬害イレッサ事件・東京弁護団にも関わらせていただいたことがあります。現在、福島原発・生業訴訟弁護団、首都圏青年ユニオン弁護団、東京借地借家人組合連合会弁護団、ブラック地主家主対策弁護団に加入しているほか、日弁連可視化本部では事務局次長を務めています。弁護士会は東京弁護士会で、期成会という派閥で事務局次長や昨年度は登録一〇年目までの弁護士で構成する期成会若手の会の代表を務めておりました。団関係では、本部次長を二〇〇九年〜二〇一一年に経験し、治安警察委員会、司法問題委員会、将来問題委員会を担当させていただきました。次長退任後、治安警察委員会の事務局長も臨時で務めておりました。
 趣味は、スポーツ全般、観賞ではなく、専ら自分でするのが好きです。髪の毛の量を除き、永遠の二七歳を自称しております(なお、髪を見れば分かることですが、念のため詐称との批判を避けるため実年齢は四一歳であることを付言しておきます)。自らを高めたいという方、総会や五月集会が開催される日曜日の午前中の空き時間に、団トレーニング部を創設したいと考えておりますので、是非、プレ企画から参加の上、入部お待ちしております。
 経験が少なく、至らない点が多々あると思います。上記の経歴のとおり、立場の違う意見に挟まれても、八方美人(風見鶏?)的に乗り越えるのが特技だと思っていましたが、単に泥沼に落ちていることに気づいていないだけとの説もあります。何卒、見捨てることなく、叱咤、ご鞭撻、そして救済のほどよろしくお願い申し上げます。


事務局次長就任のごあいさつ

新事務局次長  岩 佐 賢 次

 大阪支部の岩佐賢次です。弁護士五年目の現行六三期です。このたび大阪から辰巳創史団員の後任として事務局次長に就任いたしました。担当する委員会は、原発問題と国際問題です。
一 事務局次長就任の経緯
 今年の春頃に井上洋子団員から次長就任の打診がありました。打診といっても大阪支部の幹事会開始前の立ち話でしたので、自分には一〇年早いわ、いろんな先輩団員にも声を掛けているのだろう、まさか自分がこんな大役を担うことなどないだろう、という気持ちで世間話程度と軽く受け流し、そのうち記憶から遠ざかりました。しかし、そうこうしているうちに、執行部三役の皆様から正式な要請文?のFAXが、私の知らない間に我が事務所に届いていたようです。あの打診が正式な要請に向けてのジャブだったのかと振り返って気づきました。日頃、ニュースや報道番組を見たりや新聞、話題の新書のたぐいを読んだりし、いろんな情勢に敏感な方だと自負しておりましたが、こちらの情勢には全く鈍感だったという次第です。もっとも、このような打診、要請を受けること自体が大変光栄なことであり、戦後七〇年にして憲法が最大の危機に瀕する時代に直面して、自分なりに学習しつつ、これに抗する運動を全国で進めるにあたり、団員として少しでも役に立てればと思い、微力ながらも就任させていただくことにしました。しっかり勉強させていただく所存です。
二 自己紹介
 さて、自己紹介の定石として、自分の趣味を語るというのがあります。蔵王総会の帰り際、西田穣事務局長に「岩佐さんの趣味って、なあに?」と尋ねられ、返答に窮しました。そうです、私にはこれという趣味がないのです。登山、スキー、ロッククライミング、ツーリング、サイクリング、マラソン、音楽等々、多忙の中にあっても休日をアクティブに過ごし、こだわりの趣味を語る団員に強い憧れがあり、劣等感さえ感じるほどです。とある先輩団員からゴルフやウインドサーフィンのお誘いを受けたことはありますが、何か自分のキャラではないという自覚もあって実現せずに今に至ります。キャラといえば、外観法理によるとラグビー選手ということになるみたいですが、痛いのはきらいですので、専ら観戦する方でお願いしたいと思う今日この頃です。
 趣味とまでは言えず、単なる息抜きに過ぎませんが、よく仕事帰りには酒場を放浪していました。出没エリアは大阪?波・日本橋(ミナミ)で、対象は居酒屋、立ち飲み屋などいわゆる大衆酒場です。もちろん大勢で楽しく飲む酒も大好きなのですが、昭和にタイムスリップしたような空間で、店主おすすめの酒をちびちび飲みながら沈思黙考する時間もまた至福のひとときでした。表現が過去形なのは、妻が産休に入り、最近子供が産まれましたので、アルコール臭を漂わせて帰宅することが憚られるようになったためです。次長就任を機に、団本部や各支部での会議等で出張の際には、酒場放浪を再開できるのではないかと密かに楽しみにしています。是非いい店がありましたらご紹介ください。みなさまこれからどうぞよろしくお願いいたします。


本部次長就任のご挨拶

新事務局次長  久 保 田 明 人

 二〇一五年一〇月より本部事務局次長に就任致しました。期は六二期で、弁護士六年目になります。改憲阻止対策本部、盗聴法・司法取引阻止対策本部/治安警察委員会、女性部を担当させていただきます。
 一昨年から東京支部の事務局次長をしていましたので、本部事務局次長のお話が来た時には正直面喰いましたが(支部次長をやると本部次長のお声はかからないとなぜか信じていました。)、全国の団員のみなさまとともに歩めるせっかくの機会と思い、就かせていただくこととしました。社会正義実現の最前線で活動してきた自由法曹団の本部事務局として戦いの一翼を担えることは、とても光栄に思います。
 現在は、東京合同法律事務所に所属し、東京在住です。が、生まれ育ちは北海道、大学・ロースクールは京都、司法試験受験前に大阪に少し、修習は和歌山と、弁護士になるまで東京には全く縁はありませんでした。人の多さにいまだになじめませんし、これからもなじめない気がします。それでもまだ東京で仕事できているのは、事務所所員の支えがあるからと思っています。事務所所員に対し、特に、当事務所の荒井新二が団長を務めている下で任に当たることで、少しでも恩を返せればと思ったのも、就任理由の一つです。
 来年以降、特に、担当する憲法分野や刑事分野は戦いが続き、自由法曹団も一層活発に活動していかなければなりません。
 私の自由法曹団での活動は、東京支部の事務局次長程度ですが、支部次長を通し、自由法曹団の対外的な活動を知るにつれて、社会における自由法曹団の役割・影響力の大きさをひしひしと感じました。その本部事務局次長を担うという責任の重さに自分の能力がついていけるのか、また、蔵王総会で「次期次長は二名減って五名!」という衝撃の事実を知り、多少不安はありますが、団員みなさまの力になれるよう励みたいと思います。
 旅行をして人と会い、いろんな世界を見ることが生きがいで、学生時代から主にインドへ行き続けています。この年末年始は、念願のエベレストを見に、ネパールへ行こうと思っていましたが、来年の通常国会での戦いに向けて体力を温存すべく、次長退任後に行くこととしました。次長就任中は、生きがいも自粛する覚悟で、自由法曹団の名に恥じないように活動していきますので、二年間よろしくお願い致します。


本部事務局次長就任のご挨拶

新事務局次長  種 田 和 敏

 東京支部、新六四期、城北法律事務所の種田和敏です。この度、本部事務局次長の任を受け、主に、沖縄、労働法制、選挙制度を担当することになりました。以下では稚拙ですが、自己紹介も兼ねて、ご挨拶させていただきます。
 あれは、今年の五月だったと思います。事務所で起案をしていると、「旬報の今村幸次郎先生から電話が入っている。」と言われました。私は、そのときにピンときました。もうそのときが来たか・・・と。電話をとると、予想したとおり、今村先生は、「本部事務局次長になってくれないか。」と言われました。私は、二つ返事で引き受けることにしました。
 それは、なぜか。さかのぼると、私が修習生だった頃です。城北法律事務所の最終面接で、工藤裕之先生から「自由法曹団の事務局次長になってくれないかという話が来たら、どうするか。」と聞かれました。その当時は、自由法曹団が何たるかを正確に把握してはいませんでしたが、入所面接ですので、もちろん「話を受けます。」と答えました。いま考えると、NOと言えない入所面接で言質をとるとは、なんとしたたかなことでしょうか。それも、工藤先生は、事務所内では私の隣の席です。工藤先生は、大変やさしい方なので、いつも自分の仕事をしながら、私の電話をなんとなく聞いてくださっています。そういう意味では、今村先生から次長就任を要請する電話が入ったときには、入所面接で言質をとった面接官がまさに隣で聞いている状況です。それは、NOと言えない状況です。
 だから、私は、次長になることを断れませんでした。もちろん、安倍政権が暴走し、戦争法案がごり押しされそうな情勢の中で、少しでもお役に立てればという一心で、引き受けたこともたしかです。ただ、この情勢で、次長が五人(留任二人、新任三人)しかいないことには、蔵王総会の壇上に上ったときにはじめて知って、正直驚きました。しかも、私が次長の中で、一番期が下です。大変な二年間になることを肌感覚で感じました。でも、これも何かのご縁ですので、受けた任務を全うし、退任された先輩次長さんたちのように、二年後の総会で、退任のあいさつをしたいと思いました。
 前置きが長くなりましたが、私は、弁護士になってから、東京二三区ないで四二年ぶりに実施された陸上自衛隊レンジャー市街地武装行軍訓練の反対運動に携わって以降、自衛隊をウォッチする市民の会という団体を立ち上げ、事務局長として自衛隊の活動を監視する活動をしています。また、最後の給費世代の一人として、給費制復活の運動に関わっており、最近は全国七地裁で係属中の給費制廃止違憲訴訟の全国弁護団事務局長をしています。最近は、東京借地借家人組合の常任弁護団、ブラック地主・家主対策弁護団の一員として、いわゆる地上げ問題などにも取り組んでいます。
 趣味は特にありませんが、お酒を飲むことは好きです。まだまだ、若輩者でご指導をいただくことも多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します。


宮城蔵王団総会に参加して

滋賀支部  玉 木 昌 美

 今回の団総会については、行くときからいろいろあった。まず、京都からの新幹線で、岩佐団員が大きな荷物をいくつも持ちながら「アベ政治を許さない」というポスターを段ボール紙に張り付けて首にかけていたのを見て驚いた。絶えずアピールしようという姿勢に敬服する。岩佐団員は、私が学生のとき、地労委の労働事件を闘う姿を見て、こういう労働弁護士を目指そうと思った尊敬する方であるが、すごい。私の場合、せいぜい市民マラソンの大会で「変えるな!世界の宝・憲法九条」のステッカーを背に着けて走るくらいである。
 次に、新幹線で偶然にも隣の席となり、ご一緒したのは、何と「世界の山下」と言われる山下潔団員であった。先生から水俣病の現地確認の際、ツルハシをふるって一メートルも掘り下げ、水銀が出てくるのを確認した武勇伝(馬奈木昭雄団員の本にも登場する)等あれこれ教えていただいた。「器物損壊で告訴される危険をものともせず、団員は突き進むのだ。」という話等に感動した。私も出張授業や滋賀での闘いの話をしたところ、先生から「団通信で報告しなさい。」と指摘された。そして『国際人権法』という著書までいただいた。
 団総会は、かつては大先輩の古稀団員のお話を拝聴する場との位置づけがあったと思うが、最近は対象者が激増し、代表者の話に限定されてきた。今年は、三名の方のお話に加え、他の方も懇親会で発言されてよかった。また、出席された方へのそれぞれの活躍を表記した表彰状が用意されたのもよかった。これまで、私は、総会の全体会で発言できない古稀の団員にはせめて分散会で発言してもらうようにと提案してきたが、今年は工夫されていてよかったと思う。前団長の現団長に対する表彰状の授与の際の挨拶は大変面白く思った。古稀表彰の発言では、岡田尚団員の発言、とりわけ坂本堤弁護士事件等のことについてのものが印象に残った。著書『証拠は天から地から』を購入して読んだが、困難を乗り越える姿勢等に本当に感動した。私は岡田団員のことを近づきがたい超人的な労働弁護士のように思っていたが、最後の頁に弱点についても触れてあり、ほっとした感もある。この本は沢山の団員、特に若い方に読んでいただきたいと思う。滋賀支部では、毎年八月集会(本部の五月集会に相当する)を団員弁護士と事務局で平日午後に開催し、団の大先輩等にこれまでの生き様を語っていただくことにしている。今年は内藤功団員に憲法訴訟を踏まえた戦争法の問題について素晴らしいご講演をいただいたが、来年は可能であれば(支部の合意ができれば)、岡田団員に是非お願いしたいと思っている。また、わが三五期の広島支部の廣島団員も古稀表彰を受けたが、憲法ミュージカルのシナリオを毎年書いていることはすごい。CDで今年のミュージカルを見たが、是非ご覧いただきたい(シナリオは総会資料として配布されている)。修習生のとき、廣島団員のクラスはクラ連や青法協の活動等の面でやや困難があったと記憶しているが、あの福井原発訴訟の樋口裁判長を生んでいることからすれば、当時廣島団員らが頑張っていたからかもしれない。
 分散会では、若い団員の積極的な発言が印象に残った。特に、講演の仕方等について鋭い提起をされている白神団員の発言(いつも彼女から指導を受けている感じがする)やあすわかの会で活躍されている早田団員の発言が印象に残った。私も発言したが、白神団員から「発言の際の声がいい。」と褒められたことがうれしかった。これはカラオケにはまって演歌も歌っている成果である。もっとも、発言内容については残念ながら何らのコメントもなかった。
 全体会では退任する役員、就任する役員の挨拶もそれぞれ味があった。前事務局長の山口団員が美人であることを武器に事務局をとりまとめた話や新事務局長のだれも真剣に相談にはのってくれなかったという苦労話が特に面白かった。
 二泊三日で行ったために、今回は何と「ミスター自由法曹団」ともいうべき田中隆団員と笹田参三団員と同室であった。田中団員からは、国会を取り巻く戦争法反対の運動の裏話を、笹田団員からは活発に活動されている岐阜支部や西濃事務所のお話をうかがうことができた。部屋割りは、ほとんど同期で構成することが多いが、交流という意味では、異なる期を同室にすることもよいかもしれない。
二日目も三日目も早朝、短パンとTシャツの恰好でジョギングをしたが、三日目は約四〇分間坂を上りつづけ、滝見台まで行った。そこでは、紅葉が映える中の不動滝と三階の滝を見ることができ、ラッキーであった。唯一の観光となった。数名のアマチュアカメラマンが大きなカメラを持ち込み、滝の写真を撮っていたが、下から上ってきたことを話すと驚いていた。帰りはジェットコースターのように只管下り、よくこんな坂道を上ったものだと我ながら感心した。
 団総会や五月集会には、可能なかぎり出席しているが、今回も感動があり、大いに刺激を受けて、リフレッシュし、英気を養うことができた。


二年ぶりの団総会を振り返って

京都支部  秋 山 健 司

一 はじめに
 昨年は、京都弁護士会副会長職を拝命していたこともありまして、団員となって一二年目、初めて五月集会と総会を欠席致しました。それまでは、団京都支部の事務局幹事を継続して務めていたこともあり、半ば任務として五月集会と総会には参加していたので、これらに参加しない気分は何とも不思議なものでした。しかし、その分、弁護士会の分野でできることを最大限取り組ませて頂いておりました。弁護士会の中では、組織活動等の面も携わらせて頂きながらも、主に憲法、刑事司法分野での運動課題を担当させて頂き、曲がりなりにも団員生活で培った感覚を活かして、会長や他の副会長、そして弁護士会職員の皆さんらに支えられながら思う存分活動させて頂くことができました。
二 副会長職を終えて〜今
 副会長職を終えた後も、「後三年の役」というものがありまして、数えれば三つの委員会の委員長・座長を務め、約一〇個もの委員会に所属しているという状況です。いわゆる多重会務者状態にあり、そのため、団京都支部の活動には例会くらいしか参加できないという状態に陥っていました。自分の中では、日々の業務をこなしながら、多重会務に遺漏なく向き合うことは、なかなか能力の限界を超
える気持ちにさせられることが多く、同時に、様々な事柄に対する思考が表層的になっていることにやや焦燥感を覚える、そんな今日この頃でした。
三 団総会に参加して
 自分がそのような状況にある中で、政治情勢の方面では、安倍政権が立憲主義を破壊する安保法制を強行成立させ、原発を再稼働させ、毒の強い改正刑事司法制度や共謀罪法制を強行しようとするという大変な状況を迎えた秋となりました。
 団総会は、そのような状況の中で開かれました。私は第四分散会に参加し、憲法を守る、刑事司法制度改悪をストップさせる、という課題を主に意識しながら皆さんの議論をお聞きし、発言をさせて頂きました。参加させて頂いて、「やはり団という場所は、各分野とも、その分野の先端で活動される方々のご発言が聞けて、考えが本当にブラッシュアップされる。」と思いました。憲法を守り、安保法制と闘うという論点では、第一次安倍政権のもとで周辺事態法を発動させなかったという実績があり、その教訓を活かすことにより安保法制の発動をストップさせうる展望があるというお話、違憲訴訟の準備状況の具体的な中身とそれを進める意義についてのお話、今後の弁護士会が主体となる闘争活動のポイントに関するお話、安保法制が平和のために必要と考えている市民へのアプローチの仕方を考えさせるお話などが印象に残りました。刑事司法制度改悪の論点については、このまま臨時国会が開かれないまま(※それが違憲であることは別論として)、通常国会開催となった場合、刑事司法制度の参議院審議は四月以後となり、七月には選挙がある関係で、この問題の重大性を世論に喚起できれば、審議未了となって廃案になる見込みがあるというお話に展望を感じさせられました。
四 結び
 団総会が終わって地元京都に戻れば、弁護士会が再び安保法制の廃止を目指す市民集会の企画を進めてており、東住吉えん罪事件では画期的な再審開始高裁決定が出される等、新しい状況が生まれています。団総会で知り、考えたことを、少しでも血肉にして、団の内外でできる活動に勤しみたいと思います。そして、来る夏の参議院選挙で、大河原予定候補の当選を勝ち取り、「京都から憲法を守る」を実現していきたいと思います。


逃げた東京高裁

静岡県支部  佐 野 雅 則

 本件は、以前にも団通信に投稿した事件(一五二四号「責任無能力者が引き起こした事故の被害者はいかにして救済されるべきか(とある知的障害者施設の事例)」)の続報である。事件の詳細は一五二四号をご参照頂きたい。
 静岡地裁判決では、一審被告協会の責任を認めて遺族側の勝訴判決が出されたが、一審被告協会が控訴をしたため、本年一〇月二九日に東京高裁第七民事部(菊地洋一裁判長)が判決を言い渡した。
 一審二審を通じて、これまでの争点は、一審被告協会の責任(民法七一四条二項の代理監督義務者に該当するか、民法七一四条一項但し書きの免責(予見可能性の有無)の可否)の有無だった。
 法廷で裁判長は、「一審被告協会の控訴に基づき、一審判決の主文を取り消す」と言った。まさか負けるとは思わなかったが、最大の争点であった「予見可能性を否定された」と思った。そのまま書記官室に行き、判決書を受け取って、判決内容を読んでみると、まったく予想外のことが書いてあり、一瞬理解ができなかった。
 入所者が責任無能力であることは高裁も認めた。争点は、一審同様に民法七一四条二項が成立するか否かである。一審被告協会の控訴理由書による、(1)代理監督義務者に該当しない、(2)本条項の適用場面を限定的に解釈すべき、(3)予見可能性がない、という一連の主張をことごとく高裁は排斥している。つまり、この争点について、静岡地裁判決の内容は一切変更されていないのである。結局、高裁でも民法七一四条二項の適用は否定されなかった。「あれ?」と思った。だったらなぜ負ける?
 判断が損害論に入り、慰謝料等こちらの主張していた損害項目及び金額はすべて認められた。「なぜだ?なぜ負ける?」疑問が消えない。
 最後の最後で、過失相殺の判断に入った時に、静岡地裁判決は、「被害者三割、入所者七割」という認定だったが、高裁はこれを「被害者七割、入所者三割」に変更した。
 これにより何が起きたか。損害項目を積算し、七割を減じて、既払い金を差し引くと、綺麗に損害額が〇円になるのである。よって、「一審原告らの一審被告協会に対する損害賠償請求権は(既払い金の)支払により消滅した」。そんな都合のいい話があるか。まさに不意打ちを食らった。
 変更された理由も、「道路横断歩行者と自動車との基本的過失割合が自動車八〇、歩行者二〇」であること、「夜間の路上横臥者と自動車との基本的過失割合が自動車五〇、歩行者五〇」であることが加筆されただけである。認容額を減額するだけでなく、全面棄却するほどの影響を与える変更なのに、到底納得出来る理由付けではない。こんなに綺麗にはまる方が不自然だ。棄却する結論を決めて、それに合わせて過失割合を決めたに違いない。七割にすると綺麗に損害が消滅する。これで難しい責任論に踏み込まず、高裁が独自に判断しなくても請求を棄却できる。
 高裁は、被害者遺族が求めていた一審被告協会の責任を否定しないが(ただしそのメッセージはわかりにくい)、逆に、一審被告協会に賠償判決は命じない(これが主文だからインパクトは強い)、高裁は独自に責任論の判断をしない、というまさに玉虫色の判断である。例の最高裁判決(サッカーボール事件)も高裁へプレッシャーを与えたのか、この問題を高裁は逃げたと言わざるを得ない。
 高裁は、「一審被告協会に代理監督責任としての責任があると判断するが、・・・」と一言だけ書いた。私が強調したいのは、静岡地裁判決の与えた社会的影響は否定されていないということ。その意味で、ノーマライゼーション社会において、「責任を負うことができない者の行為によって、偶然重大な事故に巻き込まれてしまった場合の被害者側がいかにして救済されるべきか」という問題に対し、ひとつの答えを導いたという社会的意義は獲得したと自負しているが、当事者は救われない。複雑な心境である。
 本件は上告した。


被害をくり返す者は被害を小さく見せる
〜フクシマでミナマタをくり返させるな〜

熊本支部  板 井   優

一 原発再稼働と「二〇ミリSV受忍論」
 二〇一五年四月二二日、鹿児島地方裁判所は、川内原発再稼働の差し止めを求める仮処分決定を却下する決定を明らかにした。この決定に対しては、福岡高裁宮崎支部に対する即時抗告が申し立てられ、審理は宮崎支部に移った。
 二〇一五年六月に入り政府は、同年一二月にフランス・パリで開かれる気候変動条約締約国会議に向けて、原発のベースロードをゼロから二〇〜二二%とする方向を明らかにした。
 これによると、東電の福島第二原発も再稼働させ、築四〇年以上の原発も築六〇年まで再稼働するという方針とならざるをえない。こうして、三・一一から五年を迎える前に原発再稼働政策が展開されることとなった。
 こうした一連の背景に、二〇一五年六月一二日、政府は、復興指針の改定を閣議決定し、福島県は、同月一五日住宅無償支援の打ち切りを発表し、東電は同月一七日、精神的苦痛と営業損害の賠償についてのプレス・リリースを発表したとの事実がある。そして、この背景には「二〇ミリSV受忍論」があるとの指摘がなされている(ブックレット『福島を切り捨てるのですか“二〇ミリSV受忍論”批判』「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団・弁護団 かもがわ出版)。
 こうした政府の政策を許せば、年間二〇ミリSVに緩和された基準による原発被害がこの国の各地で、さらには世界各地でくり返されることになる。
二 被害をくり返す者は被害を小さく見せる!
 水俣病において、チッソは、昭和三〇年代、第二期石油化政策(石油による有機合成化学原料の生産)の下で、新法での石油法によるエチレンの増産に合わせるべく、旧法によるアセトアルデヒドの大増産を行っていた。そのため、アセトアルデヒドの生産設備を次々と限界以上に大増産をしてスクラップ化して、新法(石油法)による生産設備をビルド(立ち上げ)していたのである。しかしながら、旧法によるアセトアルデヒドの生産は、触媒としての水銀がメチル化して水俣病を引き起こすことが指摘されていた。そのために、水俣病患者はわずか一〇〇人足らずという事にしていた。しかし、いわゆる水俣病特措法の対象者は今日五万五千人を超えることが明らかにされている。 
 被害をくり返す者は被害を小さく見せるのである。
 そして、今、時間を超えて同じ事が福島で行われようとしている。
三 損害賠償裁判と差し止め裁判が大きく手をつなぐ意義
 今、福島で原発被害を小さく見せる一方で、二〇一五年八月一一日の鹿児島・川内原発の稼働を皮切りに続々と原発再稼働が行われようとしている。
 人命よりも経済的発展を追求するこうした政策を止めさせるには、福島での原発事故の被害を等身大に明らかにし、全国各地でこれを繰り返さない闘いを推し進めることが必要である。まさに、安倍政権が、福島での原発被害を小さく見せて原発再稼働を行おうとすることと真正面から対決するには、福島での損害賠償を求める闘いと、全国各地での原発の差し止めを求める闘いが固く団結することが必要にして不可欠である。
 如何に行政が福島での原発事故を小さく見せようとしても、福島での司法による損害賠償の闘いが原発被害を等身大で明らかにしていく闘いを全国的に広げていくのであれば、原発による発電政策を転換させることは十分に可能である。
 原発差し止めを求める原告全国連は二〇一三年九月に立ち上げられたが、さらに原発による損害賠償を求める原告全国連が来春にも旗揚げをしようとしており、被害をくり返す者は被害を小さく見せることに対する闘いが真正面から行われようとしている。
四 解決に向けての課題
 二〇一一年三月一一日の東電福島第一原発事故を経て、原発事故被害は法律上公害と扱われることとなった。「公害は被害に始まり、被害に終わる」のであり、被害の全貌を等身大に明らかにすることが解決への第一歩である。
 その意味で、福島における原発公害の全貌を行政や電力業界が小さく見せるため策動を如何に展開しようとも、司法の場で等身大に明らかにしていく闘いを展開し、これを国民的な成果として勝ち取っていくことが大きく求められている。
 それは、まさに福島やスリーマイル・チェルノブイリの原発公害被害を風化させないことである。
 そして、安倍政権や電力業界が立地県や立地自治体だけの同意で再稼働を目指すことに対し、福島の飯舘村などで明らかになったように、立地自治体を取り囲む圧倒的多数の被害自治体も原発事故被害を受ける以上、原発再稼働につき同意権があるのは当然であるとする社会をつくることが勝利の基礎である。
 そうした基礎の上に、わが国の国民はもちろん、政治家や財界の多くのリーダーが原発ゼロに向けて一歩ずつ歩む姿を国民の前に明らかにして原発による発電政策の転換を図り、裁判所が安心して判決を下せるようにしていくことが、原発から自由になるための課題である。


福島第一原発の津波想定をめぐる地震学者の対決
〜原発被害救済千葉県弁護団からの報告

千葉支部  藤 岡 拓 郎

 皆さんは、福島第一原発事故の原因となる地震津波の予見可能性をめぐって、日本を代表をする地震学者同士の対決が千葉の法廷で行われていたことをご存じでしょうか。
 福島第一原発事故から二年後の三月一一日、千葉県に避難された四七名の方を原告として、国と東電に対しふるさと喪失慰謝料等を求めて提訴しました。国に対しては、津波の防護に関する規制権限不行使の違法性を問題とし、敷地を越えて浸水を及ぼす津波の予見可能性が大きな争点となっています。
 三陸沖から房総沖にかけての日本海溝では、記録のある過去四〇〇年の間、三陸沖に一八九六年明治三陸地震、房総沖に一六七七延宝房総地震と大きな津波を伴う地震(津波地震)が起きていますが、福島沖にはこの期間中の記録は残されていません。誤解をおそれずにいえば、予見可能性の最大の対立点は、この過去に記録がない福島沖の日本海溝沿いに、三陸沖等と同様に大きな津波をもたらす地震を想定すべきだったかどうかです。
 弁護団は、文科省下の地震調査研究推進本部による「長期評価」(〇二年)に基づき、日本海溝のプレート構造等から、どこでも明治三陸地震と同様の津波地震が起こりうるとして、福島沖にも想定すべきだったとするのに対し、国は、民間団体である土木学会の「津波評価技術」(〇二年)に基づき、福島沖には過去にそのような津波地震が記録されておらず、福島沖に想定する必要はなかったと主張しています。
 この重要争点の立証のために、弁護団は、地震学者で〇二年当時推本の長期評価部会長として「長期評価」の取りまとめを担った東大名誉教授の島楓M彦氏に証人を依頼しました。これに対し、国は、同じ地震学者で島崎氏とも共同論文があり、〇二年「長期評価」策定時の委員でかつ現在の長期評価部会長、さらには〇二年「津波評価技術」の策定にも関わった東大地震研究所教授の佐竹健治氏を証人として申請してきました。期せずして新旧の長期評価部会長同士の対決が千葉で行われることになったのです。
 島崎氏は、七、八月と行われた尋問で、「長期評価」が当時の委員による最大公約数の結論であり異論なくまとまったこと、「津波評価技術」は、わずか四〇〇年間しか記録のない既往地震のみで将来もないと決めつけており福島沖を想定から除外する理由がないこと、「長期評価」の考えによれば〇二年には敷地高を超える津波の試算が可能で有効な対策が立てられたことなどを証言しました。
 これに対し、佐竹氏は、一〇月に行われた国側の主尋問で島崎証言を真っ向から批判、当時の「長期評価」の策定過程で様々な異論があったことや、三・一一前は過去に起きていない地震は将来も起こらないとするのが当時の地震学者の考えだったこと、「津波評価技術」が当時の最新知見に基づいた原発設計のために津波高さを精緻に出す唯一の基準であることなどを証言しました。
 そして、一一月一三日に原告側による佐竹証人への反対尋問をむかえました。
 この反対尋問には、生業を返せ、地域をかえせ!福島原発訴訟弁護団の南雲芳夫団員、久保木亮介団員が尋問担当として参加し、生業・千葉合同チームで臨みました。生業弁護団は団通信でも馬奈木厳太郎団員が報告されているとおり、同種訴訟の先頭を走る弁護団であり、千葉弁護団は責任論については時におんぶにだっこになりながら共同で検討してきました。
 尋問冒頭では、「津波評価技術」の想定地震の設定が過去の地震のみに基づき、その過去もいつまでを指すのか明瞭でなく合理性を欠いていたことが明らかにされ、最後には、佐竹氏自身が、「津波評価技術」が特定地点の津波水位を精緻に計算する手法として優れているものの、結局どこにどのような地震津波を想定するかの議論は既往地震に基づくのみでまともにやっておらず、この点では「長期評価」の方が優れていることを認めたのです。
 その他にも、佐竹氏は、島崎氏と同様に「長期評価」の考え方に基づけば、〇二年には福島沖で敷地高を超える津波の試算が可能だったことも認めました。
 細かい対立を措いて、日本を代表する地震学者である両証人が一致して弁護団の主張を支持したのです。これらの証言は、訴訟を超えて原発事故の原因に改めて一石を投じるものとも考えられます。千葉訴訟は、専門家証人を終えて、いよいよ来年の結審に向けて最後の立証活動に入ります。ぜひ今後の千葉訴訟に動きにもご注目ください。


「立法事実」を創造せよ!
――「夫婦別姓」訴訟の欺瞞

東京支部  後 藤 富 士 子

 一一月四日、「夫婦別姓」訴訟で最高裁大法廷の弁論が開かれた。朝日新聞(五日朝刊)によれば、弁論後の記者会見で原告団長が「名前は、私にとってはどうしても譲れない。命そのものなんです。」と訴えた。旧姓を名乗るため、当初は事実婚。子どもが生まれるたびに結婚と離婚を繰り返し、夫の籍に入れた。最終的には法律婚にしたが、「愛し合う二人に別姓での結婚を認めてほしい。」という。
 しかし、そこには「法律婚でなければ結婚に非ず」という、事実婚差別意識が透けて見える。子どもを父親の戸籍に入れるためだけに結婚・離婚をする理由はない。事実婚でも、非嫡出子ではあるが、子を父の戸籍に入れることはできる。結局、「自分の子を非嫡出子にしたくない」というだけではないのか? しかも、父の単独親権を容認するのだから、看過できない。
 ちなみに、フランスとドイツでは、第一子の非嫡出子割合は過半数である。おそらく、「子どもを非嫡出子にしないために法律婚する」などという観念はないのであろう。すなわち、個人の幸福追求は、法律婚制度自体を突き破るのである。
 朝日新聞(二日朝刊)によれば、「結婚すると夫婦が同姓を名乗るよう法律で義務づけている国があるかどうか」という糸数慶子参院議員の質問主意書に対し、政府は、「現在把握している限りでは、我が国のほかには承知していない」と答弁書で明らかにしたという。
 記事で外国の制度として紹介されているのを見ると、中国・韓国は完全別姓、タイ・ドイツは、夫または妻の同姓と各自の別姓を選択できる。ドイツは、それに加え結合姓も可能とされ、ロシアは、結合姓も含む四種類の中から選択する。興味深いのは、イタリアとフランスである。イタリアは、夫は自分の姓、妻は結合姓。フランスは、各自の姓(つまり完全別姓)であるが、妻は夫の姓を名乗ることも可能とされている。
 ところで、大法廷で弁論した弁護団事務局長打越さく良弁護士によれば、「結婚により九六・一%の女性が夫の氏になり、事実婚では経済的負担があるなど女性のつらい現状を涙をこらえて訴えた」という(五日しんぶん赤旗)。でも、九六・一%の妻は、経済的負担を回避するために夫の氏を選んだわけではないはずだ。選択的夫婦別姓制度の導入に賛成する女性たちも、多数派は、自分が結婚する際には夫の氏を称すると答えている。
 「事実婚」の不利益として挙げられるのは、夫婦で共同親権を持てない、法定相続人になれない、配偶者控除など税金優遇を受けられない、生命保険の受取人や住宅ローンの連帯保証人に当然にはなれない・・などである。しかし、これらは法律婚優遇策であり、「逆差別」というべき代物である。「差別をなくせ」というなら、このような法律婚優遇策をこそなくすべきである。ちなみに、相続についても、遺言や死因贈与契約など自由意思で任意にとれる方策もあり、実際には税金問題に還元されるのかもしれない。
 一方、「夫婦別姓」は「家族の多様性」という文脈で語られることもある。しかし、今や「同性婚」こそ「多様な家族の在り方」として市民社会に認知されようとしている。性転換手術などせずに、あるがままの同性同士が「家族」として暮らしている。「同性婚」に「法律婚」の道が拓かれるのは頗る困難であるが、そんな法制度と関係なく、自己の生き方として事実上の「同性婚」を実行している。
 同性カップルも、「事実婚」の不利益を共有しているが、こちらは「別姓」で解決できるものではないから、目前の「不都合」「不具合」「生きにくさ」を具体的に克服していくことに注力する。それこそが、社会のシステムを変えていくことにつながる。現に、生命保険受取人や携帯電話の「家族割」など、企業の対応が拡がっている。すなわち、法制度は「立法事実」次第なのである。
 ところが、「夫婦別姓」訴訟の当事者は、自ら戸籍制度の中に入る選択をしており、現行の「同氏同戸籍」を突き破る「立法事実」を作り出していない。したがって、法律婚として別姓制度をとりいれることは、事実婚差別を強化するだけではないだろうか。

二〇一五・一一・七


高山利夫団員を偲ぶ

京都支部  村 松 い づ み

一 突然だった高山さんの死
 あまりにも突然の訃報だった。そのため、まだ、どこか道で偶然出会い、あの、少し、はにかんだような笑顔で、「やあ、村松先生、元気?」と言って声をかけてくれるような気がしてならない。
 今年八月七日、夏期休暇中の私は青森県の岩木山の九合目付近を下山中だった。その時、携帯電話の着信音が鳴った。現在、在籍している事務所から「京都法律事務所の事務長から至急電話がほしいという伝言がありました」というメール。二〇一一年一二月末で京都法律事務所を退所した私に、事務長からの急ぎの電話って何?・・・何か嫌な予感を覚えながら、すぐに電話をかけた。あいにく事務長は不在だったが、古参の事務局員から高山さんの訃報が伝えられた。昨夜、電車で帰宅途中、気分が悪くなって途中下車し、その後、病院に搬送されるも急死されたということだけがわかり、それ以外の詳細は不明。その後の下山中は、「なんで」「なんで」という言葉だけが頭の中をグルグルと回っていた。
二 最も団員らしい人間
 高山さんは、一九五六年栃木県で生まれた。京都大学で学生生活を送り、一九八七年四月に同じ三九期の籠橋隆明団員(現在、愛知支部)と共に京都法律事務所に入所し、自由法曹団員となった。
 二人とも私の大学時代の後輩で、私にとっても嬉しい入所だった。「ミスター青法協」になると言って新しい人権課題に取り組む籠橋さんとは対照的に、高山さんは、働く人たちの権利と民主主義を守る弁護士になりたいと、自由法曹団を活動の起点として、悪法反対や労働者の権利を守る数多くの闘い等に精力的に取り組んだ。団京都支部事務局長や団本部事務局次長の任にもあたり、京都支部が発行した「人権の旗をかかげてIII」では、「最も団員らしい人間」としての評価を受けている。
 高山さんは、入所時の事務所ニュースの中で、自己紹介として次のように書いた。
 「働く者の権利を守るためには命まで賭けなければならなかった戦前に『生きべくんば民衆のために』と頑張り抜いた自由法曹団の先輩弁護士達と、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』の人間像、これが究極の弁護士像だと私は思っています。
働く人達の権利と民主主義を、働く人達と一緒に守る弁護士でありたいと思います。今、問題になっている労基法改悪問題や個々の労働事件に積極的に飛び込み、その中で積極的に行動する力を身につけたいと思います。
更に、刑事事件についても執念をもってやろうと思っています。刑事事件は、どんな事件であっても常に人権にかかわるものだと思うからです。今の刑事裁判には憲法と刑事訴訟法の精神からみておかしな点が沢山あるように思います。・・・」
彼の弁護士人生は、間違いなく、二九年前に自己紹介文で書いた初心をそのまま貫いたものだった。
三 高山弁護士を偲ぶつどい
 一〇月二四日、京都法律事務所の主催で「高山弁護士を偲ぶつどい」が開かれ、約一五〇人を超える人たちが集った。高山さんの葬儀は、内輪だけで行われたため、私自身の中での気持ちの整理がなかなかつかずにいたが、今は、この集いに出席したことによって、親しい人たちと悲しみを共有してたまっていた涙を流し、少し気持ちに区切りがついたような気がしている。
高山さんが入所して以降、私が退所するまでの約二四年間、共に同じ事務所で過ごしたが、思い出すのは、事務所がたびたび「困難」に直面した時、何度も議論して乗り越えてきたことばかりで、そのほかの楽しい思い出や個人的なエピソードがなかなか頭に浮かんで来ない。弁護団として多くの事件に一緒に関わってきたにもかかわらず、このつどいに出席して初めて知った高山さんの人柄を示すエピソードがいくつもあった。
 中でも「長生園不明金えん罪事件」の当事者である西岡廣子さんが語ったエピソードは、高山さんの人柄を端的に物語るもので、胸を打った。
 「長生園不明金えん罪事件」は、京都府南丹市の社会福祉法人長生園で六年間の五八八件分の利用料金約三〇〇〇万円が不明となり、一九九三年、長生園は担当職員だった西岡さんが着服横領したとして解雇し、園部警察に告訴、そして逮捕されたという事件である。しかし起訴は一件分九万八八八〇円の横領となり、裁判の結果、残念ながら西岡さんの無罪の主張は認められず有罪判決が確定した。第一回公判が始まった当時、西岡さんは別の弁護士に依頼していたが、不信を感じていた。高山さんが家族からの要請を受け接見に赴いたが、取り調べ刑事は西岡さんに「この弁護士は共産党の弁護士や。信用できないぞ。追い返そうか?」と申し向けたという。高山さんと会った西岡さんの第一声は「共産党の弁護士さんですか?」。その時、高山さんは「そうだよ!」「ご主人に依頼されて来ました。手紙を預かっています。読んでください」「返事は今日でなくてもいいよ。また明日来るから。」と答えた。手紙を読んだ西岡さんは、「私にはもう時間がありません。先生、私の無実を信じてくださいますか?」、「もちろん、信じて一緒に闘うよ!」と高山さんは答えた。その日から長い長い闘いが始まった。刑事・民事含めて八年間(私は、民事事件から関与)、西岡さんが横領したという直接証拠が全く存在しない中で、膨大な書証や尋問、そしてそれらの矛盾点などの分析を行い、長生園における日頃からの杜撰な会計処理や他に犯人が存在する可能性等を暴いていった。西岡さんが無実であるという高山さんの確信は、微塵も揺らぐことはなかった。
 西岡さんが高山さんにいつも絶大な信頼をおいていた背景には、二人の間に前述の素晴らしい出会いがあったからだったとあらためて得心した。
四 素顔の高山さん
 中学一年から高校三年まで野球一筋。中学時代、野球部の公式戦の一回戦で江川卓投手と対決したことが最大の誇りとそこら中で語り、誰もが知っているエピソードだ。弁護士会でも野球部に所属。
 ヘビースモーカーで、タバコのヤニで壁が黄色くなった事務所の喫煙弁護士部屋で、おいしそうにタバコをふかしながら執務していた。
最後までパソコンを打たず手書きの原稿。慣れない事務局員は字が読めず、事務局泣かせ。しかし不思議と数年間、高山さんを担当すると読めるようになっていた。
 仕事にや人間関係に疲れてこぼす私の愚痴もよく聞いてくれた。「華々しくなくても、ボチボチ息長く、最後までやればいいんですよ。」と励ましてくれた。
 高山さん、本当に有り難う。

二〇一五年一一月九日記


東京法律事務所、戦争法案阻止のとりくみ総括

東京支部  笹 山 尚 人

一 事務所の取り組み
(1)宣伝(東京法律事務所&民放労連との共同宣伝)

 五月一二日、一九日
 六月二九日
 七月一四日、二一日、二九日
 八月六日
 九月九日、一四日、一五日、一六日、一七日、一八日
合計一三回
 リーフ第一弾三四、二〇〇部(たより臨時号に同封一八、〇〇〇部+事務所への注文九、〇〇〇部)
 リーフ第二弾三、〇〇〇部
 法案が成立した最終週は雨天決行、カエルの着ぐるみとドラムも出動して賑やかに行った。
(2)アピールウォーク(東京法律&四谷地域)
 八月二五日
 四谷三丁目←→信濃町(参加者約二〇名)
 カエルの着ぐるみとドラム二台も出動した。創価学会本部前でもアピール行動をした。
(3)たより臨時号の発行
 五月末に「戦争法案にストップを」と題した「たより臨時号」を緊急発行し、約一万八〇〇〇部を依頼者に発送。団リーフ第一弾とリーフ注文書を同封したところ、約九、〇〇〇部の注文が入った。九条の会の戦争法案廃案署名も同封し、二〇二一筆を集めた。
(4)その他
 国会前には、毎日のように出かけた。主要な集会にはすべて人を出した。
 所員の中で講師活動をしたり、SNSを通じて発信する例も多数あった。ただし、講師活動についてはきちんと集約しなかったので、どれだけ貢献出来たかが不明。
二 新宿地域の取り組み
(1)新宿駅西口大宣伝

五月一五日→一二〇名参加(うち所員一五名参加)
       署名二六〇筆 チラシ二〇〇〇枚配布
八月一九日→一〇〇名参加(うち所員九名参加) 
       署名一八五筆
(2)六・一八アピールウォーク
 六月一八日

 第一コース四一名、第二コース三〇名、第三コース三七名(四谷→四谷四丁目)
 三コース合計一〇八名参加
 事務所は第三コースの責任者として二二名の所員が参加した。ドラム隊の助っ人(二名)があり、新宿通りで賑やかにコールをした。
(3)七・二六「戦争法案反対!」新宿区民大集会
 七月二六日 三〇〇名参加 柏木公園
 集会では七名によるリレートーク、その後柏木公園?新宿西口をアピールウォーク。
 事務所は、事前準備としてプラカード作成と、ツイッターとフェイスブックでの宣伝を担当した。当日は、一五名の所員が参加。集会ではリレートークでトークを、アピールウォークではドラム隊やコーラーを担当した。
 面識ない人の参加(しかもドラム持参)があったので、SNSによる効果を確認できた。
(4)参議院議員要請
 八月二六日
 一一名(うち所員七名参加)を四グループに分けて、東京選出議員、特別委員会所属の議員など二六議員に要請。
○第一グループ(グループリーダー今泉弁護士)
 みんな話は聞いてくれた。
 維新(片山虎之助議員)の秘書から「廃案が基本、合憲の法案を出したいが、民主と共産から止められている。あなたたちから共産党に出せるよう伝えてくれ」と言われる。
 山本太郎議員はバッシングが多い模様。応援していることを伝えた。
 地域労組(新宿区労連)の方が公明党に「可決したら後戻りはできないんですよ」と最後に念押し。
○第二グループ(グループリーダー中川弁護士)
 山口那津男議員の秘書はハイハイという感じだったが、あとは、みんな感じよく話を聞いてくれる。
 荒井広幸議員の秘書(改革)「福島出身で原発の問題もあり、他国任せではだめ。戦争だめ、九条守れ、気持ちは同じ。ただ、対案を出さなければ、今の法案がとおってしまう。廃案と言うだけではだめ。」
○第三グループ(グループリーダー山添弁護士)
 山口和之議員の秘書(元気)「シールズのことは知っている」
 元気&次世代「修正案のとおりです」
○第四グループ(グループリーダー笹山弁護士)
 自民党や次世代の党に来期の選挙を言及したが、特に反応が無かった。
 丸川珠代議員の秘書に至っては「政治に興味がないんで」という感じだった。
(5)ノーモアベースフェスの取り組み
 若手弁護士による取り組みであるが、新宿区内で開催したので報告をする。
 沖縄県知事選や昨年の衆議院選挙で、「辺野古新基地建設反対」という沖縄の民意が明確に示されたにもかかわらず、政府は辺野古新基地建設を強行しようとしている。政府があるここ東京で、何もしなくてもいいのかと思い立ち上げた。「沖縄の声を日本中の声にしたい。沖縄に連帯したい。」という気持ちから、「NO MORE BASE FES.」という辺野古新基地建設に反対する連続企画を行うこととなった。
(1)企画第一弾、「NO MORE BASE FES.―沖縄の声を日本中の声に―」デモ、新宿柏木公園
 七月一一日に新宿柏木公園にて開催。参加者数は約二〇〇名、サウンドカーを出し、ドム隊もいて、賑々しくとても楽しいデモとなった。
(2)企画第二弾、「NO MORE BASE FES.―沖縄基地×戦争法案―」シンポジウム
 戦争法が強行採決された翌日である九月二〇日に開催。こちらも約二〇〇名が参加。講師はフォトジャーナリストの森住卓さんと、一橋大学名誉教授の渡辺治先生。森住さんからは沖縄の自然や生活・基地反対運動の現状、国会前抗議行動について、森住さん撮影の写真を見ながらお話しいただいた。渡辺先生からは、戦争法と沖縄基地問題が共に安保問題・民意無視の政治を原因としていること、戦争法反対運動の中で今までにない共同の形がうまれていることをお話しいただいた。
 シンポジウム終了後は新宿駅前でキャンドルアピールを行い、ピースコールをしたり、飛び入り参加の方がたくさんいたりと、とても楽しく街宣ができた。
三 総括
(1)
上記の活動内容にあるとおり、そして、並行して育鵬社教科書採択阻止運動にも取り組んでいたことを考えれば、かつてないほど、事務所としては多数の取り組みをした。かなり、「やり切った」感はある。
(2)今回、「初めてデモに参加した」「初めて国会前に行った」というような人が多数生まれ、かつての六〇年安保の勢いを取り戻す運動が始まったことは画期的である。事務所の上記取り組みが、このような戦争法に反対する広範な世論形成の一翼は担えたのではないかと自負はしている。
(3)他方、例えば依頼者との日常のやり取りや、打ち合わせの中で、雑談などを通じて戦争法について意見交換をするような声はそれほど多く聞かれなかった。所員の中でそういったことがあったかということで、報告・共有されている例は少ない。
 こちらからの情報発信は非常にたくさん行ったが、受領した受け手の側がどうだったのか。この点については、正直に言って不明な部分が多い。
 その中でも集約された対話の内容としては、
(1)戦争法に反対(どちらかというと反対という意見も込み)
・これまで選挙に行っていない人も、「私のまわりでもみんな変だと言っている」。
・明確に賛否を示さなくても、「やり方がひどいね」と言う人。
・これまで政治的な発言をしない友人がフェイスブックで、「違和感を覚える」と発信。
・演劇をやっている友人が、「原発モノをやろうとしたときに干された、そういう社会になっていくのが恐ろしい」という趣旨のコメントをくれた。
・依頼者との打合せの際に署名を勧めたら一〇〇%やってくれ、用紙を持ち帰ってくれる人もいた。
・依頼者からよく聞いた声として、「憲法学者が揃って違憲と言っているものを押し通そうとするのはおかしい」ということだった。議論の細部に入ってしまうと「よくわからない」となりやすいが、今回は、専門家がそろって違憲だと断定したため、国民は判断しやすかったのではないか。
・六〇歳以上の方々の反応は強かった。この間訪問した七〇代の依頼者も、「親戚中で安倍はひどい、変えなきゃと話しています。共産党は勢いがあるし、参院選期待できますね。親戚の中でも今度は共産党だよねと話してます。」と言っていた。
・親戚がフェイスブックで継続的に戦争法反対のメッセージを発信していた。
・高校の同級生で大企業の管理職をしている友人から、「戦争法のことを知りたいから今度会いたい」という久々の連絡もあった。
(2)戦争法に賛成、あるいは関心ない
・依頼者との打合せで、「別にいいんじゃないですか、やはり中国に攻められたとき困るし」とか、「よくわからないです」という人も少ないがいた。そういう依頼者に、ある弁護士が追求していたが、「勘弁してくれよ」という感じで最後はだんまりでお茶を濁された。
・家族との対話では、「反対する気持ちもわかる。来年は自民党は議席を減らすんじゃない?」と言っており、当事者意識が相変わらず無いと思った。
・「どうせ法案は通るだろ。あんなの(国会前行動など)やって意味あるの?」という声も。
(4)今回の国民の広範な運動も、国民全体でみれば、まだまだ数パーセントの動きでしかない。多くの世論の反対の声があるとはいえ、それを行動に移せている国民はまだまだ少ない。
 成立直前の朝日新聞の世論調査では、六八%の国民が反対だったという。この数の国民が何らかの動きをつくれていれば、そしてこれだけの国民に反対されているのに強行すればこのあとの政権運営が維持できないと考えれば、安倍政権も強行しなかっただろう。
 ということは、「どうせ反対しているが、強行したあと、政権運営が出来なくなるような混乱は起きない」と読まれていたわけで、しかもその読みは正しい。
 個人的な体験であるが、ある弁護士が、高校時代の同級生や地域のパパ友と話をしている中でえられた感触では、まだまだ「そうはいっても中国が…」「北朝鮮が…」という見解、「いいとは思わないが、日本の安全保障はアメリカと共にあることで成り立っており、国内が安全であるためにある程度の汚れ仕事を担う必要がある」というような感覚は強く存在する。しかもそれを「不当だ」と簡単には一刀両断はできない。こうした声を基礎に国民の中に、一定の「やむを得ない」感がある。だから戦争法が成立しても、政権を覆すような動きは国民的な奔流になっていない。
(5)自由法曹団や法律家団体、事務所の取り組みも、発信型になるところはやむを得ない部分はある。
 しかし、上記のような根強い自衛隊強化論との間で「対話」をするような運動の形が必要ではないかと思われる。そして、上記のような根強い自衛隊強化論と議論しても、「それでも憲法九条を守ろう」といえるだけの論戦力とそのための学習が必要と思われる。
(6)戦争法が成立しても、戦争法の廃止を求める運動は引き続き行われている。運動に立ち上がった人々に敗北感はあまりなく、運動が続いていることも画期的な出来事だと思われる。
 この力を基礎に、双方向の議論ができる運動を広げられたらいいと考える。


一一・二九「辺野古に基地は造らせない大集会」(日比谷野音)を成功させよう

事務局次長  種 田 和 敏

 辺野古の新基地建設をめぐっては、翁長知事が一〇月に辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消したのに対し、一一月に入り国土交通大臣が是正指示をしましたが、翁長知事はこれに応ずることを拒否しました。今後は、政府が代執行に踏み切るため、高等裁判所に訴えを起こすとみられます。
 辺野古に基地をつくることに対しては、名護市長選、県知事選、衆議院選を通じて、オール沖縄の民意としてNOを明確に突きつけています。民意を無視した安倍政権の暴挙に対し、沖縄だけでなく、全国からNOの声をあげることが必要です。
 総がかり行動実行委員会は、一一月二九日、「一一・二九辺野古に基地は造らせない大集会」を呼びかけています。辺野古基地阻止のために、この行動を必ず成功させましょう。
 大集会は、日比谷野音で一一月二九日一三時三〇分開始、集会終了後にデモも予定しています。大集会への多数の団員の参加、そして全国各地・津々浦々での一斉行動を呼びかけます。

一一・二九「辺野古に基地は造らせない大集会」(日比谷野音)
日時:二〇一五年一一月二九日(日)一三時三〇分開始 集会後デモ行進
場所:日比谷野外音楽堂
主催:止めよう!辺野古埋立て 国会包囲実行委員会
協力:戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会