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岡田  尚 日本IBM、賃金減額裁判で判決直前に白旗を揚げる!
吉田 健一 一方的な退職手当の減額は無効
都留文科大学事件の東京高裁判決
黒岩 哲彦 『千葉県銚子市・県営住宅追い出し母子心中事件』で千葉県と交渉
鴨田  譲 さいたま市住宅扶助費減額事件
後藤 富士子 憲法一七条と裁判官
広田 次男 この田舎風がなんとも良いのだ。



日本IBM、賃金減額裁判で判決直前に白旗を揚げる!

神奈川支部  岡 田   尚

 全日本金属情報機器労働組合(JMIU)日本アイビーエム支部組合員九名が原告となって日本アイ・ビー・エムを相手に提訴していた賃金減額裁判(東京地裁平成二五年(ワ)第二五四〇一号)において、IBMは、二〇一五年一二月二五日に決定していた判決言渡しの一か月前である一一月二五日、突如「原告らの請求を全て認める」として、遅延損害金含め総額約一一八三万円を支払うと言明した。
 判決直前の「認諾」は極めて異例であり、私も弁護士四二年目で初めての経験である。判決によって賃金減額が「違法」と断罪されることが確実視されるなか、その社会的影響を避けるための苦肉の策としか考えられない。判決前に自らの減額措置が誤りであったことを認め白旗を揚げたもので、それは勝訴判決以上の意味を有する。
 本件でIBMは、労働者や労働組合との誠実な協議をしないまま、二〇一〇年三月に就業規則を一方的に改訂し、従前なかった賃金減額を可能とする文言を挿入し、二〇一三年七月一日に本給で八・二五〜一二・八%、年間収入で九・九八〜一五%の減額率での減額措置を行った。なかには四回の減額で五〇〇万円を超える賃金ダウンを受けた者もいる。
 労働基準法九一条では、懲戒処分の場合ですら「一〇%を超える賃金減額をしてはならない」と規定しているが、ほとんどがこれを上廻る減額率である。
 加えて、就業規則には減額の基準や金額については何の定めもなく、何年連続でも、いくらでも減額できるという「フリーハンド」を会社に与える規定になっている。この就業規則の改定当時、IBMは業績も順調で約九四〇億円の経常利益を上げており、減額制度の導入の必要性は全くなかった。労働契約法一〇条が、就業規則の一方的改訂による労働条件の不利益変更の場合に、これを有効とするために定めた必要な要件を全く具備していない。
 減額は、労働者を職場から排除する狙いで行われており、減額で自主退職を迫り、応じない者は解雇する。現に本件九名の原告のうち半数以上の五名が減額措置後に解雇予告通知を受け、二名が解雇無効を求めて裁判係争中である。減額は正に解雇への一里塚である。
 私は結審の日に「IBMは、戦後我々が苦労しながら築き上げてきた日本の労働法理を、無視するどころかズタズタに切り刻んだ。裁判所は鉄槌を下すべき」と意見陳述した。一二月二五日に言渡される予定であった判決がIBMを厳しく断罪するものであったことは推測に難くない。
 本件裁判については、労働者側の全面勝利で終わった。いわゆるロックアウト解雇事件は、第一陣の判決が二〇一六年三月二八日に予定されていおり、これも勝利し、IBM争議の全面的な解決に向けて、弁護団は一層奮闘する決意である。


一方的な退職手当の減額は無効

都留文科大学事件の東京高裁判決

東京支部  吉 田 健 一

 去る一〇月二八日、東京高裁第一五民事部(浜秀樹裁判長)は、公立大学法人都留文科大学に対して、後藤道夫元教授など元教員六名について一方的に切り下げた退職手当の減額分全額の支払いを命じる判決を出した。
 本件で大学当局は、公務員の退職手当引下げに呼応して教職員の退職手当を引下げようとして退職手当規程に「都留市条例を準用する」旨の規定を勝手に挿入し、二〇一三年三月一五日、退職手当を引き下げた都留市条例を同月二九日付で適用すると教職員に一方的に通告した。退職手当を減額されないためには三月二八日までに自己都合退職するか、それとも、三日後の年度末三一日まで勤めて退職手当の減額を甘受するかという、全く理不尽で不本意な二者択一を迫るものであった。そして、三一日まで勤務して退職した教員らの退職手当を一方的に減額した。一人最大で約一八〇万円もの減額である。
 そもそも、独立行政法人となった大学の教職員は公務員ではないにもかかわらず、公務員の労働条件削減に無条件に連動させられるのは不合理である。しかも、大学の経営は順調で当時約七億円もの退職手当基金が存在していたから、退職手当を減額する経営上の必要もない。そればかりか、退職手当規程に市条例の準用規定を挿入することについて、大学は、教職員組合にも教職員個々人にも説明すらしなかったのである。
 このような違法で乱暴な大学運営を見過ごすことはできないと考えた退職教員六名が原告となり、退職手当の減額分の支払いと慰謝料の支払いを求めて大学を提訴したのが本件訴訟である。
 すでに、本年四月一六日、東京地裁立川支部は、退職手当の減額分全額の支払いに加えて、慰謝料の支払いを命じる判決を出している。全く理不尽で不本意な二者択一を迫られたことに対する当局の責任を明確にしたのである。
 今回の高裁判決では、慰謝料は結論としては認めなかったものの、大学当局の一連の不誠実な対応を明らかにしたうえ、退職手当の減額分全額を支払うよう命じた。市条例を準用する規定そのものについても、労働者の団体交渉の機会が制約されるもので、労働者に与える不利益は小さくないと的確に指摘した。そのうえで、大学が退職手当規程に市条例の準用規定を勝手に挿入したことは適正手続きを欠き違法であると明確に断じたのである。
 定年退職を目前になぜ年度途中で自己都合退職しなければならないのか、大学で真理を探求し学生を教育する教員が違法なことを甘受するのでは教え子も自分をも裏切ることになる・・・そんな思いから始まった訴訟ではあるが、高裁判決は、公務員の労働条件切り下げに安易に便乗して労働者の権利をないがしろにすることは許されないことを明らかにし、退職手当減額の効力を否定したのである。
 大学当局は高裁判決に従わず、手続きは最高裁に移された。最高裁でのたたかいに対するご支援をお願いする次第である。
  (なお、担当弁護団は、私と河村文団員、田所良平団員の三名である)


『千葉県銚子市・県営住宅追い出し母子心中事件』で千葉県と交渉

東京支部  黒 岩 哲 彦

 事件現地調査団は二〇一五年一〇月二九日に調査報告書に基づき千葉県と交渉をした。井上英夫調査団長、荒井自由法曹団団長、安形全生連会長、山口中央社保協事務局長など二〇人が参加し丸山慎一日本共産党県議が同席をした。県の住宅課、健康福祉課が応対した。
第一 千葉県との交渉
一 銚子市の対応について

 母親は事件前、市の生活保護相談窓口を二回訪問した。市の「面接記録票」は「急迫状態の判断」の項目の一つが「未聴取」と記録され、「面談結果」は「相談のみ」となっていた。県は市の対応に不備があったとの認識を示した。
 主なやり取りは次の通りである。
《県・健康福祉指導課》「県の監査では、各自治体の聴取票から(1)申請意思の確認、(2)急迫状態の確認について確認、指導している。今回、申請意思がないとなっているが、記録上、おかしい。急迫状態では、手持金、ライフライン、食事は取れているかの三点を確認する。どんな事例でもだいたい聞く。今回それがないのはおかしい。聴取書は、内部資料ではなく、第三者が見るものであるという意識。第三者がみても分かるような記載にすべきである。これまでは、個々の問題点を事後に文書に出す。」
【調査団】「上記の監査方針、聴取の原則、取り扱いをあらためて文書で全自治体に周知すべきである。通知を出すなどして統一的でなければ、ローカルルール、バラバラになってしまう。」
《県・健康福祉指導課》「検討する。負債の状況欄がない。今回の件も聞いていない。自治体によって、聴取書の様式は様々である。
【調査団】「家賃の滞納も生命に直結する。きちんと聴取すべきである。統一書式を作って周知すべきである。」。
《調査団・その他意見》
「・聴取書は四月五日相談、八日決裁。この間に聴取内容がおかしいと上も思わないのか。・銚子市の説明を前提にしても対応はおかしい。仕事を前提に断っている。・急迫の認定が難しいとしたら、要保護性の判断について要素を県が提示すべき。・時間の欄を設けるべき。面接時間どれくらいか。指導すべき。・国保の分納が収入等をかなり細かく聞く。国保に聞けばよく分かったはずである。」
二 千葉県の対応について
 同母子世帯は家賃の減免の可能性があったが、対象にはならなかった。県は事件後、県営住宅の入居者に減免制度を周知する文書を配布した。三〇万円以上、一年超の滞納世帯に県職員が「直接訪問」すると説明をした。調査団は「家賃滞納者と早期に接点を持つ徴収員を指導して情報提供を十分にしてほしい」と要請した。
 主なやり取りは次の通りである。
《県・住宅課》「事件後、周知方法を拡大した。
 四月からだと、平成二六年一六五三世帯、
           平成二七年一八三七世帯  一一%アップ。
 一一月からは、平成二六年一八八〇世帯
           平成二七年二二〇四世帯  一七・二%アップ
 滞納者に対する通知(四ヶ月滞納、六ヶ月滞納)は徴収員が通知書、減免案内、自立困窮者パンフを訪問時に渡す。徴収員は、一三人いて、土曜日や平日一七時以降も対応している。ただし、不在時の案内に反応(連絡)があったケースのみである。」
【調査団】「反応がなければそれ以上の対応がないのは不十分である。会えるまで続けるべきである。反応問わず会える時間に訪問する努力をするべきである。月に一〜二回、出張して相談窓口を作るなども考えるべきである。市町村にも窓口を作って相談しやすくするべきである。減免ホットラインなども考えるべきである。」
《県・住宅課》「一以上、三〇万円滞納のケースでは職員の直接訪問を実施している。対象は五〇件から七八件に増えた。うち、自立支援センターに相談に行っているケースもある。
【調査団】「訪問対象に至るハードルが高い。明け渡し請求の実際件数をみても全戸訪問は現実的に可能である。」
《県・住宅課》「県としてもまだ試行過程で、これで実効性なければ改善はありうる。提訴前訪問が実現できればいいと思っている。それ以外にも、判決後と、和解条項違反に対する直接訪問実施している。この対象は一七で状況把握のために行っている。うち、六件は、自主退去か。おそらくいない。それ以外は、なぜとどまっているのかの確認を主にしている。病気、動けないなどの事情あれば、強制執行はしない。その場合には、パンフや自立支援センターの紹介。代わって福祉部門に連絡することもある。」
《調査団・その他》「・徴収員による案内をもっと分かりやすくできないか。チラシ含め。減免申請に必要な書類もどこで取っていいか分からない人多い。・国交省通知(H二六)の成果を活かしてほしい。これに沿った対応をすべきである。・県と市、市内の情報共有についても、徹底すべきである。個人情報保護は、その人の生命の問題には適用されないはずである。」
第二 今後の課題
 今後の国交省との折衝と検討している。徴収員と職員との混同禁止や減免の遡及的な適用などを検討課題である。
第三 母親の刑事事件の控訴審判決
 二〇一五年一一月二七日に東京高裁の控訴審判決があり、母親の控訴を棄却、未決を一〇〇日加算した。


さいたま市住宅扶助費減額事件

埼玉支部  鴨 田   譲

一 はじめに
 平成二五年から平成二七年にかけて三度に渡り生活保護費のうち生活扶助費が引き下げられた。この引下げは、生活保護利用者の生存権を侵害するものであり、現在全国各地の地方裁判所で国及び各福祉事務所を被告とした訴訟が行われている。そして、平成二七年七月一日には、今度は生活保護費のうち家賃に相当する住宅扶助費の見直しが行われ、多くの世帯で住宅扶助費が引き下げられ、または将来的に引き下げられる結果となった。この引下額は各地域によって異なるが、埼玉県ではその引下額が特に大きく、二級地(越谷市、熊谷市など)の二人世帯では月六万二〇〇〇円から月五万二〇〇〇円へと一万円も引き下げられる結果となった。さいたま市でも二人世帯の場合、月六万二〇〇〇円から月五万四〇〇〇円へ八〇〇〇円も引き下げられた。もっとも、この引下げには経過措置が設けられており、例えば、通院、通勤、通学等の理由で本人の自立助長の観点からそれまで居住していた住居に引き続き居住する必要がある場合などには平成二七年七月一日以降も旧基準額の適用を受けることができる。
 本件は、さいたま市内で生活保護を利用しながら生活をしていた母子家庭が平成二七年七月一日に住宅扶助費を八〇〇〇円引き下げられたため、経過措置を適用せずに行った福祉事務所のかかる処分は不当して埼玉県知事に対して審査請求を行ったところ、同年一〇月一九日、審査庁がかかる減額処分を不当として取り消したという事例である。
二 事案の概要
 Aさん(女性)は、小学生の子どもと二人で生活保護を利用しながらさいたま市内で暮らしていた。Aさんのアパートの家賃は月七万八〇〇〇円でさいたま市二人世帯の住宅扶助旧基準額月六万二〇〇〇円を一万六〇〇〇円上回っていた。平成二七年七月一日の住宅扶助基準額改定により、新基準額は月五万四〇〇〇円となったが、Aさんには経過措置が適用されることなく住宅扶助費が新基準額に引き下げられた(以下「本件減額処分」)。このため、Aさんは、経過措置の適用をせずに住宅扶助費を八〇〇〇円も引き下げたことは不当として、埼玉県知事に対して審査請求を行った。
三 本件の争点
 本件の争点は、福祉事務所が本件減額処分を行うに当たり、経過措置の適用を適切に検討したといえるか否かである。本件で問題となった経過措置は以下の二つである。
○経過措置一
(1)世帯員が当該世帯の自立助長の観点から引き続き当該住居等に居住することが必要と認められる場合として次のいずれかに該当する限りにおいては、引き続き、旧基準額を適用して差し支えない。
(略)
(2)ア(イ)現に就労又は就学しており、転居によって通勤又は通学に支障を来すおそれがある場合
○経過措置二
(2)
引き続き当該住居等に居住する場合であって、現在の生活状況等を考慮して、次のいずれかに該当する限りにおいては、それぞれ定める期間内において、引き続き旧基準を適用して差し支えない。
(略)
 当該世帯に係る月額の家賃、間代等が当該世帯に適用されている旧基準を超えている場合であって、転居先を確保するため努力を熱心かつ誠実に努力している場合 福祉事務所が行っている転居に係る指導において設定した期限(平成二八年六月までに限る。)までの間。
四 審査庁の判断
(1) 経過措置一について

 福祉事務所は、転居により生じるおそれのある支障について調査把握の上、経過措置一の適用を個別具体的に検討すべきであったが、そのような検討がなされたとは認められない。
(2) 経過措置二について
 処分庁からAさんに対し、転居先物件探しについての方法や回数、物件探しの際の条件設定や期限等、指導への対応状況によりAさんの熱心さや誠実さを客観的に把握しうるような具体的指導を福祉事務所が行った記録、Aさんの転居先物件探しの実態を福祉事務所が調査把握した記録はない。
(3) 結論
 以上から、処分庁が行った局長通知に基づく経過措置の適用にかかる検討は適正に行われたとは認められず、経過措置の適用にかかる適正な検討を経ずに住宅扶助費を減額変更した処分庁の処分は不当であるとして、福祉事務所が行った本件減額処分を取り消した。
五 まとめ
 この裁決の後、福祉事務所は、Aさんに対し、遡及的に上記経過措置二を適用し、平成二七年七月から次回賃貸借契約更新時である平成二八年二月まで旧基準額の住宅扶助費月六万二〇〇〇円の支給を決定した。
 筆者の聞いている範囲では、家賃が旧基準額以内の方については問題なく次回契約更新時まで経過措置が適用されているようである。他方、家賃が旧基準額を超えている方は、本件のAさん同様、経過措置の適用が検討すらされずに平成二七年七月一日から一律に引き下げられているのではないだろうか。実際、さいたま市の各区役所福祉課が全生活保護利用世帯に配布した住宅扶助費変更を知らせる書類には、経過措置の適用に関し、「※いずれの場合も従前の家賃が旧基準以内の場合に限ります。」との記載があるし(厚労省の局長通知にはこのような制限をする記載は全くない。)、Aさんが福祉事務所に経過措置の適用について尋ねたところ、福祉課職員は、家賃が旧基準額を超えている場合には経過措置の適用はないと説明したそうである。
 今回の住宅扶助基準の引下げは、政府自身が定めた最低居住面積水準の無視、家賃CPIの恣意性などそもそも引下げ自体に根拠がないものであるが、福祉事務所の運用においても、厚労省の通知に沿っていない杜撰な運用がなされ、利用者に不当かつ過大な負担を強いており、国が本来果たすべき健康で文化的な最低限度の生活の保障から益々遠ざかる事態になっているのではないだろうか。


憲法一七条と裁判官

東京支部  後 藤 富 士 子

一 国家賠償法の意義
 日本国憲法一七条は、「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」と定めている。これを受けて国家賠償法が制定された。
 明治憲法(大日本帝国憲法)の下では、普通の裁判所(司法裁判所)とは別に、行政関係の訴訟を担当するために、行政裁判所が置かれていた(同六一条)。行政裁判所は全国に一つ東京だけにあり、一審にして終審。管轄する事件は法律に定められたものに限られており(列記主義)、また、行政裁判法一六条は「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定していた。一方、公権力の行使に関する事案は、そもそも司法裁判所の守備範囲外とされていたから、国の損害賠償責任について審理する裁判所はなかったのである。その前提にあるのは、国家無答責、国家無責任という考え方である。この点で興味深いのは、明治憲法と日本国憲法では、「司法権の姿」が全く異なることである。日本国憲法七六条一項は「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」とし、第二項で「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」としている。すなわち、憲法で認められる実体的賠償請求権は司法裁判所の手続で実現されるのである。
二 国家賠償法と裁判官
 国家賠償法一条一項は、「国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国又は公共団体が、これを賠償する責に任ずる。」と定めている。すなわち、「公務員」から裁判官を除いていないし、裁判行為が「公権力の行使」に当たることは異論がないことから、裁判官の行為であっても、適用を除外していないと解されている。
 それでは、国賠法の適用にあたり、裁判官の職務行為と他の公務員の職務行為とで全く差がないのだろうか?最高裁昭和五七年三月一二日第二小法廷判決は、「裁判官がした裁判について、国賠法一条一項に規定するところの違法な公権力の行使として国の賠償責任が肯定されるためには、裁判官がした行為に上訴等の訴訟上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在するだけでは足りず、これに加え、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とするものと解される。」として、違法判断基準に下駄を履かせている。何とも情けない話である。
 ちなみに、裁判については、そもそも国家賠償法が適用されないのではないかという議論がある。英米法の国では、裁判官の民事責任については司法免責特権という考え方があり、また、ドイツでも裁判官の義務違反が犯罪になる場合に限って損害賠償が認められているといわれている(宇賀克也『国家賠償法』一一四頁)。
 これに対し、日本の国賠法で「裁判官の裁判」を特別に除外していないのは、おそらく日本の「裁判官」制度の現実からする帰結と解される。日本国憲法は裁判官の任期を一〇年とし(八〇条)、キャリアシステムではない道を示しているところ、裁判所法制定過程でキャリアシステム廃止が攻防になったものの、「判事補」制度を設けることによりキャリアシステムが延命された。一方、憲法七六条三項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と定めていることとの関係で、裁判所法二七条は、判事補は、原則として「一人で裁判をすることができない」とし、また「同時に二人以上合議体に加わり、又は裁判長となることができない」とするなど、憲法七六条三項の「裁判官」ではないことを示している。
 結局、裁判官の質の問題で、日本の裁判官については特別扱いする根拠がないのである。実際、現行の統一試験・統一修習制度で養成されてキャリアシステムの下におかれている点で、行政官である検察官と裁判官とで、実態的にいかなる差異も見い出せない。すなわち、国賠法一条一項の適用にあたり、「裁判官の裁判」について特別扱いすべき理由は基本的に存在しない。
三 人身保護命令と裁判所侮辱罪
 このような日本の裁判官制度の現実ないし致命的矛盾は、人身保護法にも濃厚に表れている。憲法三四条後段では「正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない」と定めている。この規定に基づき人身保護法が制定されているところ、人身保護命令違反は、英米では裁判所侮辱罪で制裁されるが、日本では刑事訴訟法の「勾留」「勾引」で対処するほかなかった。しかるに、裁判所侮辱罪の制裁権限を有しない官僚裁判官が、人身保護命令を発すること自体、制度矛盾というほかないのである。
 ちなみに、人身保護法の手続は、家事審判の「引渡し」について、人身保護命令で出頭を命じられた公開の法廷ではなく、裁判所職員が「子守り」する「別室」で実現するものとして運用されている有様である。家事審判手続は、非公開・職権主義であるのに対し、人身保護法の救済手続は、公開の法廷で行われる徹底した弁論主義であり、制度としては対極にあるほど原理が異なっている。それにもかかわらず、人身保護法の手続が、恰も家事審判の執行手続であるかのように運用されている。
四 「判事補」制度の廃止―日本国憲法の司法の必然
 こうしてみてくると、そもそも憲法七六条三項の「裁判官」ではない者が、裁判に携わっていること自体が、憲法の司法の前提を欠いている。このことは、一〇年経って「判事」になり、それが多数になったからといって、裁判官制度ないし司法組織という視点でみれば、瑕疵が治癒されることはあり得ない。
 日本国憲法の司法は、公権力の行使を含め全ての法的紛争を司法裁判所で扱うという意味で、「司法権の優越」である。それにもかかわらず、司法権を担う「裁判官」がそれに見合うものになっていないために、「司法権の優越」は画餅に帰すのである。したがって、「判事補」制度の廃止は、日本国憲法の司法の実現にとって必然である。
 しかるに、弁護士は、「判事補」を供給する国営統一修習の維持に固執する。そんな弁護士が「日本国憲法の擁護者」であるはずがないのではなかろうか。

二〇一五年一一月二九日


この田舎風がなんとも良いのだ。

福島支部  広 田 次 男

一 「水を守る住民の会(以下、「会」)」解散式。
 「会」は、一九九七年二月に設立された。二本松市五月町内に計画された産廃処分場建設に反対する住民運動である。
 一一月二二日、その使命を終えて解散式が行われ、招待された。
 処分場予定地は、二本松市と本宮市にまたがる、地代山であった。
 長年に亘り、「会」の会長を努めてきた、Wさんの家は地代山の沢筋にある。
 W家の近くには、一〇〇〇年桜と言われる桜があるが、Wさんは「樹齢は八〇〇年位でしょう」「その頃から、私の先祖は、ここらに居たのでしょう」という。
 Wさんの一族は、地代山周辺に広く播居しており、南北朝時代には、地代山に「長峰舘」を築き、その遺跡は県のデーターベースにも登録されている。
 現在は清里観世音菩薩が安置されている。
 正に、Wさん一族の聖地に、産廃処分場の設置許可申請手続が始められたのである。
 Wさんは、家の子・郎党、親類・縁者、友人・知人を動員して反対運動を立ち上げた。
 Wさんは顔役であったから、郡山市の弁護士を二、三人回ってから、私の所に来た。
 私の顔を見たWさんは、「広田先生は、体を張ってでも、処分場を止めてくれると聞いてきた」という趣旨の事を言った。それに対して、私は何と答えたか、今となっては覚えていない。
 以来、Wさんとのつき合いが続いた。
 盆、暮には、規則正しく、二本松の銘酒二本を持って、Wさんと、その腹心が事務所に来て、作戦会議を行ってきた。
 反対運動が開始されて一八年、さすがのゴミ業者も資金繰りに窮し、倒産の挙句、買い占めていた産廃予定地は競売に付され、太陽光発電業者が、これを買い取り、発電設備の建設が始まった。
 私はWさんに発電業者に「土地は産廃業には一切使用」しない旨の一筆を貰っておいでとの助言をなし、Wさんは、それを実行した。
 勿論、地元二本松市長は、処分場建設に同意しない旨を約束してきた。
 これをもって、産廃建設は頓挫したものと判断し、「会」の解散式となった次第である。
 解散式は、午後三時から七〇人位が集って行われた。
 市長代理の市民部長、地元選出の二人の市会議員、担当課の課長、地元の区長等々が次々と一人あて二分位で、「一八年間、御苦労様でした」を繰り返した。
 私は、「永年に亘り、運動に貢献した」との表彰状を頂いた。
 (持ち帰って数えてみたら、事務所の待合室には、じん肺、処分場、労働事件、住民訴訟等々の表彰状が既に一二枚飾ってあり、二本松のは一三枚目の表彰状となった。これに団からの古希表彰状を加え、待合室の壁は隙間がなくなった。)
 私は、最後で、「少し多めに活して」と言われていたので、「先祖から伝えられた環境は子孫に対して、キチンと渡ねばならない」「真面目な生活が、(産廃業者の)札ビラで脅かされてはならない」「故郷の環境を守り抜いた斗いは、長く子孫に語り伝えられるべきだ」といった、二宮金次郎のような話しを二〇分程もして、解散式は終了した。
 一八年間の打ち上げは、Wさんの腹心九人と勿論泊まりがけで、二本松市岳温泉きっての老舗旅館A館であった。
 一九九三年に二本松市で、ゴミ弁連(斗う住民と共にゴミ問題の解決をめざす、弁護士連絡会)の集会を開催した際には、同A館三階の天皇陛下御用達の部屋を用意され、その余りに広荘な構えに辟易した覚えがあったので、今回は予め、「あの部屋だけは勘弁してくれ」と断っておいた。
 打ち上げは、ユックリと温泉に浸かった六時三〇分から三次会まで「午前様」で行われた。
 二本松は、先に触れたように銘酒の産地である。次々と繰り出される酒を座敷、カラオケ、最後は部屋と場所を変えて飲み続けた。
 翌日は当然、宿酔であったが、なんとも満足感があった。
 私は、生まれも育ちも東京で、現在もシティーボーイを自認している。
 他方、今回の斗いのように最初から最後までディープな田舎風というスタイルにも抵抗感どころか、ドッポリと浸って違和感がない。
 次の表彰状は何時になるか楽しみにしている。

二〇一五年一一月二四日記