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増田  尚 組合事務所の退去要求・使用不許可は不当労働行為
中労委が大阪市を断罪する勝利命令
田渕 大輔 神奈川フィル解雇事件
〜県労委に続いて地裁でも勝利〜
小川 杏子 不当な自宅待機に屈せず職場復帰へ
HOYA不当労働行為救済申立事件 解決報告
平井 哲史
青龍 美和子
日本郵便・定年後の継続雇用拒否事件で復職を勝ち取る
村松 昭夫
(アスベスト弁護団団長)
新年早々、関西建設アスベスト訴訟(大阪・京都)で連続判決
―大阪地裁一月二二日、京都地裁一月二九日―
大久保 賢一 「九条があって輝く自衛隊」
西    晃 追悼 河村武信団員を偲ぶ
池上  遊 加害構造を問うということ〜
「福島を切り捨てるのですか」をおすすめします!
三上 孝孜 岡田尚団員著「証拠は天から地から」の感想
辰巳 創史 *宮城・蔵王総会特集*
退任の挨拶
横山  雅 事務局次長退任のご挨拶
山口 真美 改憲問題対策法律家六団体主催
院内集会『テロとの戦争』と安保法制
〜自衛隊の中東派遣がもたらす危険〜(仮題)のご案内



組合事務所の退去要求・使用不許可は不当労働行為

中労委が大阪市を断罪する勝利命令

大阪支部  増 田   尚

 中央労働委員会は、一〇月二一日付で、大阪市役所労働組合(市労組)が大阪市役所に組合事務所として使用していた行政事務スペースにつき、大阪市が、市労組に対し、退去を通告し、二〇一二年度の使用許可申請を不許可処分としたことが支配介入の不当労働行為に該当するとして、誓約文の手交を命じた大阪府労委命令を維持し、市の再審査申立てを棄却した(一一月二六日交付)。
 市労組の組合事務所の使用不許可をめぐっては、二〇一四年度の使用不許可処分の取消と二〇一二〜二〇一四年度の使用不許可処分が違法であるとして国賠法に基づく損害賠償を求めた訴訟でも争われているが、団通信一五三二号で既報のとおり、大阪高裁(志田博文裁判長)は、六月二六日、団結権の侵害や不当労働行為が認められれば、それだけで不許可処分が違法になるとの見解は、「行政財産の目的外使用許可の趣旨を軽視するものとして、採用できない」とか、橋下市長の対応は、「市民感覚に合うように是正改善していく」ものであり、「専ら組合を嫌悪し、組合に対する支配介入の意思を有しているとまでは認めることはできない」などとする不当判決を言い渡した。市労組は、上告及び上告受理申立てをして、大阪高裁の不当判決を破棄するよう求めて裁判闘争を継続中である。本命令は、部会ではなく、公益委員全員による判断であり、大阪高裁判決のずさんな判断を克服し、正常な労使関係の回復を図り、団結権を保障するという中労委の並々ならぬ強い意思表明であると評価できる。
 第一に、本命令は、組合事務所の使用が行政財産の目的外使用許可によるものであり、市長の裁量判断に委ねられるとしても、およそ不当労働行為が成立しないものではなく、特に、組合事務所の使用継続への市労組の信頼が認められる本件では、市労組の団結権に及ぼす支障の内容及び程度等について考慮すべきであると明確に述べて、不当労働行為があっても不許可処分の違法性にただちに影響しないとして、行政裁量を絶対視する大阪高裁判決の誤りを厳しく斥けている。
 第二に、退去通告・不許可処分の理由として市が主張する「本庁舎内での政治活動のおそれを払拭する」との点についても、他労組の組合員の活動が議会で問題にされたのを契機として突如方針転換されたものであり、当該活動も違法なものであったとも認められず、十分な事実確認もせず、組合の自主的な取組も待たずに、組合事務所の退去を求める合理的な根拠はないと指摘し、特に、市労組については、違法の疑いのある政治活動がなされたとも認められず、労使癒着等とは一線を画する活動をしてきた経過があるのに、すべての組合につき一様に組合事務所の退去を求めたのは、むしろ、市長選挙で対立候補を支援したことが背景にあると指摘して、上記の理由と退去要求・不許可処分という手段との間に合理的な関連性はないと判断した。「市民感覚に合うように是正改善」するなどといった大阪高裁判決の俗論を精緻な事実認定と論理に基づき論破した。
 第三に、「行政事務スペースとしての利用の必要性」との理由についても、市の検討は形式的で不十分かつ拙速であり、合理的ではないと斥けた。
 第四に、これらの判断を踏まえた上で、手続上の配慮を欠き、施設管理権を濫用したものであり、かつ、組合活動の基盤である組合事務所につき退去通告・使用不許可処分により移転を強いることは、市労組の活動に支障をもたらすものであるとして、市は、こうした「市労組の不利益を認識しながらあえて無視又は殊更に軽視し」たといわざるを得ず、不当労働行為意思を肯定した。
 第五に、労使関係条例が制定され、労働組合に対する便宜供与ができなくなったから、救済の利益が失われたとする市の主張について、労使関係条例を前提としても不当労働行為が成立する余地がなくなるとはいえず、また救済がおよそなし得なくなるとも解しがたく、市が同種の支配介入行為に及ぶ可能性はなお存在するとして、誓約文の手交を命じる救済の利益は失われていないとして、これを排斥した。労使関係条例を絶対視する大阪高裁判決の重大な誤りに警鐘を鳴らすものといえる。
 市は、本命令に対し取消訴訟を提起しないとして、一二月一五日、橋下市長名で誓約文を市労組に手交した。退去通告・不許可処分が支配介入の不当労働行為であるとの判断を受け入れ、「今後、このような行為を繰り返さない」ことを誓約するのであれば、最高裁に継続中の明渡請求の訴えや、翌年度の使用許可申請への対応においても、本命令を真摯に履行し、労使関係の正常化を図るのかどうかが問われることになる。
 市労組は、橋下市長による退去通告・不許可処分という不当な攻撃に屈することなく、組合活動の拠点である組合事務所を守り抜き、闘ってきた。上告審には団員諸氏から二六二名の弁護士が代理人に就任いただいた。本命令を力に、最高裁での逆転勝利と組合事務所の使用継続をかちとるべく、いっそう奮闘をする決意である。
 (常任弁護団は、豊川義明、大江洋一、城塚健之、河村学、中西基、谷真介、喜田崇之、宮本亜紀と当職である。)


神奈川フィル解雇事件

〜県労委に続いて地裁でも勝利〜

神奈川支部  田 渕 大 輔

一 神奈川フィル解雇事件
 神奈川フィル解雇事件とは、平成二四年四月に、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の二人のコントラバス奏者が解雇された事件です。
 神奈川フィルは神奈川県内で唯一のプロのオーケストラですが、近年は経営難を理由として大幅な給与の引き下げが実施され、五〇歳代の楽団員でも年間の手取りの収入が三〇〇万円台に止まるなど、労働条件が著しく引き下げられていました。
 このような労働条件の引き下げに対して、既存の労働組合は特に抵抗を行わなくなっていました。そこで、平成二一年三月、神奈川県公務公共一般労働組合神奈川フィル分会が設立され、分会は活発な組合活動を展開してきました。しかし、楽団は、分会の活発な組合活動を嫌がり、平成二四年四月、分会の中心メンバーであった二人のコントラバス奏者を解雇したのでした。
二 不当な解雇理由と仮処分での敗北
 二人に対する解雇理由は、それぞれ四つずつ挙げられていましたが、その内三つは共通したもので、残り一つがそれぞれ独自の解雇理由でした。解雇理由は多岐にわたりますが、プロの演奏家の解雇であったことから、解雇理由の中心を占めていたのは、演奏技術や演奏態度に問題があるとする点でした。
 演奏技術や演奏態度に関して言うならば、過去三〇年にわたり、二人はコントラバス奏者として、数多くの演奏に参加してきましたが、演奏技術や演奏態度を原因として問題を起こしたことは皆無でした。解雇される程の問題が、二人の演奏技術や演奏態度にあったならば、何よりもまず本番の演奏において問題が生じるはずですが、二人が本番の演奏で重大なミスを犯したり、観客からクレームを受けるようなことは全くありませんでした。
 二人の三〇年の実績こそが、解雇理由が存在しないことの何よりの証であり、解雇理由が客観的な裏付けを欠くものであることは明らかでした。
 ところが、二人からの賃金の仮払い等を求める仮処分の申立について、横浜地裁は平成二四年一二月、これを却下する判断をしました。二人の三〇年の実績を一顧だにせず、楽団の主張をなぞっただけの最悪の判断でした。
三 劣勢を挽回する神奈川県労委での勝利命令
 二人に対する解雇は不当な解雇であるとともに、分会所属の組合員を狙い打ちにし、分会の活動に深刻な打撃を与え、分会の団結権を侵害するものでした。そこで、神奈川県労委に対して、不当労働行為に対する救済命令の申立も行っていました。
 仮処分での不当な決定を受けて、県労委での闘いは厳しいものになりました。それでも、県労委では四期日にわたり、合計八名の証人尋問を実施するなど、非常に丁寧な調査が行われました。その結果、平成二六年七月、二人に対する解雇は不利益取扱、支配介入にあたる不当労働行為であり、解雇には合理的な理由も認められないとして、組合の申立を全面的に認める勝利命令を得ることができました。
 県労委での勝利によって、仮処分での敗北という劣勢を挽回することができ、二人の復帰に向けた大きな足場ができたのでした。
四 横浜地裁でも勝利判決
 仮処分で敗れた後、横浜地裁には本訴を提起していました。そして、平成二七年一一月二六日、判決言渡期日を迎えました。
 横浜地裁の判決は、事実認定の点では楽団の主張を相当程度認めるものとなっており、楽団が解雇理由として挙げている事実関係についても一部を認めるものとなっていました。しかし、解雇理由の内、一部の事実関係が認められるとしても、解雇については社会通念上の相当性を欠くものであるとして、結論として解雇権の濫用を認め、解雇は無効と判断するものでした。
 地裁判決は、事実認定の点で楽団の主張を相当程度認めているだけでなく、支配介入を含めて、不当労働行為の成立に不当労働行為を行う意思を要求した上で、不当労働行為の成立を否定するなど、様々な問題のある判決でした。
 それでも、神奈川県労委に続き、横浜地裁でも勝利判決を得たことは、原告二人や分会を大いに勇気づけるとともに、現在、中労委で行われている和解協議を進める上で、何よりの追い風となるものでした。
五 一日も早い二人の復帰を
 地裁判決に対して、楽団は控訴を行ったため、訴訟は控訴審に舞台を移して続くことになりました。今後は、東京高裁と中労委とで闘いを続けていくことになります。
 もっとも、中労委では既に審問が行われ、今後、地裁判決を受けて、和解協議が進められる予定となっています。
 地裁判決で不当労働行為が認められなかったのは残念ですが、中労委での調査・審問を通じて、県労委命令を見直さざるを得ない新たな事実関係が明らかになったわけではありません。決して油断はできませんが、仮処分で敗れた後の困難な状況に比べれば、戦局は格段に好転していると考えています。
 二人が神奈川フィルを解雇されて、既に三年八ヶ月が過ぎました。解雇によって、二人は生活の糧を得る術を奪われただけでなく、演奏家として活動する大切な舞台をも奪われてしまったのです。争議は既に長くなってしまっていますが、二人の演奏家としての人生を守り、二人が再び神奈川フィルの一員として活躍できるようにするため、一日でも早い二人の復帰を実現しなくてはなりません。
 東京高裁と中労委での闘いを進め、さらには裁判所や労働委員会の外でも運動の輪を拡げていくことで、何としても二人の復帰を勝ち取りたい、その思いで今後も頑張っていきます。


不当な自宅待機に屈せず職場復帰へ

HOYA不当労働行為救済申立事件 解決報告

東京支部  小 川 杏 子

 去る一〇月二八日、東京都労働委員会において、約二年間にわたり自宅待機を強いられていたHOYA株式会社の労働者が職場復帰を果たす和解が成立したので報告する。
一 執拗な退職勧奨と組合結成、自宅待機命令
 二〇一三年一月、HOYA株式会社昭島工場(光学レンズ関連製品を扱う事業部)では、売上減少により昭島工場を縮小せざるを得ないという理由でリストラ策を強行し、約四五〇名の従業員(当時)のうち約一〇〇名の「希望」退職者を募った。しかし、そもそもHOYAは売上収益三七二四億円に対し当期利益七一二億円(二〇一三年三月期)をあげている超優良企業であり、人員削減を行う必要性などない。しかし、会社は、特定の労働者を対象とした個別面談を何度も実施し、「新体制の昭島工場にあなたの仕事はない」、「応募しなければ社外出向となり、仕事は東北の震災復興支援地での土木作業、シフト勤務で給与は最低ランクとなる」などと述べて「希望」退職に応募するよう迫った。そして、このような執拗な退職勧奨に屈しなかった五名の労働者がJMIUに加入するのと並行して、五名に自宅待機を命じ、職場に立ち入ることすら禁じたのである。それでだけなく、会社は、会社構外でのビラ配布などの組合活動も制限する言動に及んだ。
二 不当労働行為救済申し立てと粘り強い運動の継続
 同リストラ策においては、会社が想定した一〇〇名のうち約九割が退職に応募したが、それでも会社は、昭島工場に五名を配属できず、社外出向に応じない限り自宅待機を解かないという態度に終始した。
 そこで、組合は、同年五月三一日、都労委に不当労働行為救済を申し立てた。求めた救済内容は、自宅待機命令の解除と昭島工場への配属、配属に関する誠実な団体交渉、ビラ配布等の組合活動に対する妨害禁止、組合事務所及び掲示板の貸与等である。また、会社は五名に対する出向命令も辞さない態度であったため、あわせて実効確保措置勧告を申し立てた。これに対し、都労委から、紛争の拡大を防止するよう格段の配慮を払われたい旨の要望書が出された。
 都労委の調査においては、主に(1)自宅待機の不当労働行為性、(2)不誠実団交、(3)組合差別・組合活動に対する攻撃の三点をめぐり、双方の主張が展開された。内容は多岐にわたるが、会社は、五名のうち一部が自宅待機命令後にJMIUに加入したことを捉えて自宅待機の不当労働行為性を否定した。この点は、審問において、自宅待機命令と各人の組合加入の背景にある事実経過を丁寧に押さえることにより会社の組合嫌悪の意図を明らかにした。また、会社は、本件申立後に併存組合の掲示板を撤去し、これを理由に組合間差別はないと主張するなど、それ自体、労働組合軽視といえる態度を露わにした。
 このような都労委における調査・審問と並行して、組合は、本社前行動や昭島地域での集会において職場復帰を広く訴えるなど粘り強い運動を続けた。
三 粘り強いたたかいで勝ち取った職場復帰
 審問後、期日外で和解交渉が進められた。会社は、自宅待機命令後、一貫して組合員一人たりとも昭島工場には戻さないという姿勢であったが、粘り強い交渉を継続した結果、元の職場ではないものの、会社が五名を昭島工場に配属することを受け入れる方向で交渉が進展した。最終的に、二名は事情により退職を選択することになったが、本年五月に三名が昭島工場に復職を果たした。その後さらに、組合活動等に関する交渉を継続したうえ、本年一〇月二八日、都労委関与のもと和解協定を締結した。
 本件は、優良企業による利益追求のためのリストラ、資本関係もない社外へ出向させる人事権の濫用など、安倍政権の労働法改悪の先取りに対するたたかいともいえる。
 組合員は、約二年もの間、自宅待機を強いられる中で、都労委における手続と各種運動を両輪として粘り強いたたかいを続けてきた。昭島工場内での組合活動については、さらなる合意に向けて交渉を続けることになるが、職場復帰を勝ち取ったことは非常に大きな成果である。
 (なお、弁護団は、小川のほか、吉田健一団員、富永由紀子団員、田所良平団員である。)


日本郵便・定年後の継続雇用拒否事件で復職を勝ち取る

東京支部  平 井 哲 史
 同    青 龍 美 和 子

 表題の事件について、二〇一三年五月の東京支部ニュースに大野鉄平団員が提訴報告をおこなっていましたが、このほど解決をみましたので改めて報告します。
一 事案の概要
 二〇一三年四月一日から改正高年齢者等の雇用の安定等に関する法律(高年法)が施行され、六〇歳定年で退職する労働者のうち希望者は全員継続雇用されるようになりましたが(ただし経過規定あり。)、それまでは使用者と過半数の労働者を組織する労働組合とが協定した選定基準により選別することも許されていました。
 原告の大橋照一さんは、改正高年法が施行される一日前の二〇一三年三月三一日に、従前の選定基準を適用して継続雇用を拒否され、これはおかしいとして提訴をしました。
二 裁判の争点とたたかい方
 日本郵便における再雇用は、作文・直近二年分の人事考課の評価・面接を経て決定されますが、作文と面接で落ちることはまずないので、人事考課が事実上の再雇用基準でした。再雇用の条件は、直近二年度分の人事評価を点数化していずれも八〇点以上であることでしたが、原告は、定年直前の年(二〇一一年度)の人事評価が八〇点未満であったことが理由となって不合格とされました。そこで、この二〇一一年度の人事考課が裁量権を逸脱又は濫用したものであったかどうかが裁判の争点となりました。
 人事考課の評価項目はくつもありましたが、大橋さんは前年同様の働きをしていたにもかかわらず、評価だけが「営業・業務実績」、「業務プロセス」、「顧客志向」の三項目において前年の「○」から「△」に下げられ、その結果考課点が八〇点を下回ることとなっていました。
 そこで、この三項目の評価に的を絞り、(1)そもそも評価者となった上長は評価者となって最初の評価をおこなったもので、評価基準を理解しないで評価しており信用できないこと、(2)業務の実績には何も変わりがないにもかかわらず評価だけ下げるのは、それ自体が恣意的であること、(3)「営業・業務実績」の評価基準にもされていない年賀状等の営業実績をもってマイナス評価していること、「顧客指向」の項目でプラスアルファの考慮要素でしかない共助共援の有無を積極的にマイナス評価の材料として使っていること、(3)「業務プロセス」でマイナス評価の根拠としてあげられている自転車等の鍵の返納簿への押印忘れなどは他の局員と同じであり殊更低評価を受ける理由にはならないこと、などなどかなり細かく、これでもかというくらいに、評価者の信用性・評価方法の不合理性・各評価項目における評価の恣意性を論証しました。
 本人が十分に説明できないところは、同じ局内の郵政産業労働者ユニオンの仲間に集まってもらって説明を補充してもらい、また、他の局員の働きぶりについて組合の支部に職場アンケートをとってもらい、大橋さんだけが殊更に業績が低いわけではなく、他を手伝わないこともなければ、ミスも多いわけではないことの立証として使い、支部から二人証人に立ってもらいました。
三 裁判所の判断とその後
 今年四月二三日に出た一審判決は、こちらが批判した三項目のうち「営業・業務実績」の項目だけをとりあげて、二〇一〇年度と二〇一一年度とで業務遂行状況は変わらないのに「○」の評価が「△」になっていることについて、会社側が合理的な主張立証をできていないということで、裁量権の範囲を逸脱するものと判断し、これにより再雇用基準をクリアするから他を判断するまでもなく再雇用後の地位が認められるとしました。こちらとしては恣意的におこなわれている評価を全面的に批判をしてもらいたいところでしたが、地裁判決は大変あっさりと会社の人事評価を否定しました。
 控訴審では、会社側は、(1)原告は勤労意欲が低下していたから業務効率も低下していた、(2)二〇一〇年度の人事評価のほうが間違っていた、(3)本人が二〇一一年度の人事評価を容認していた(からいいんだ)と主張していましたが、(1)は何ら具体的な根拠なく言うもので、(2)は自身でよしとしていたものを後で都合が悪くなったら間違いであったと言い出すのは身勝手なごまかし以外のなにものでもなく、(3)本人が異議を述べていないから評価が適正になされたということにはなりません。このため、高裁は一回で結審し、一一月五日の高裁判決は会社の主張をいずれも一蹴し、控訴棄却としました。その後、組合が職場前宣伝を間髪入れずにおこない(私たちも参加しました。)、局と本社に復職を申し入れ、会社が上告を断念したことにより、この高裁判決は確定しました。大橋さんは一一月二〇日から勤務に復帰し、現在はバックペイの計算・支払いを待っているところです。
四 雑感
 今回の事件は、定年後の継続雇用後の地位の確認を求めたものですが、実際に問われたのは使用者の人事評価のあり方です。人事評価については使用者の裁量権が認められており、裁判所によってはこれを過大評価して、一見して不合理と言えるような事情がなければ裁量権の逸脱または濫用を認めようとしない姿勢も見られます。ですが、人事評価は賞与や昇給ひいては退職金にも影響してきますから、恣意的にやられたのでは労働者はたまりません。労働契約において労働条件は労使対等の立場で決定すべきこととなっていますから、いかに人事考課は使用者が決定するものといっても、それは労働者において許容したものですから、なんでも許されるものではなく、使用者には公正に査定をする義務があると言うべきです。
 本事件の地裁判決、高裁判決は公正査定義務があるとは言いませんでしたが、同じような仕事をしていれば評価も同じでしかるべきであり、これを変えるのであればその合理的な理由を使用者が主張立証しなければならないとして、いくら評価項目と評価基準が定められていても、その運用がいいかげんであれば恣意的におこなわれた人事評価は無効になること、評価はきちんとした根拠をもっておこなわなければならないことを示しました。再雇用拒否をめぐる紛争は、高年法が六一歳以上についてはまだ労使協定で定めた選定基準を用いることを許しているため、この先も起こり得ますが、そうした事案の参考になれば幸いです。
 また、今回の事件では、大橋さんは本当に多くの職場の仲間に励まされ、かつ、具体的に裁判闘争の支援を受けました。職場に組合の支部がなければ立証で困難を抱えていたであろうことを考えると、たたかう労働組合がしっかり職場にあることがなんとありがたいことかをしみじみと感じます。規模は小さいですが、文字通り組合とタッグを組んでたたかって復職も勝ち取り、いい経験をさせてもらいました。(大野団員は一審の途中で留学のため弁護団を離れざるを得ませんでしたので、本稿は平井・青龍の責任で執筆しました。)


新年早々、関西建設アスベスト訴訟(大阪・京都)で連続判決

―大阪地裁一月二二日、京都地裁一月二九日―

大阪支部  村 松 昭 夫
(アスベスト弁護団団長)

一 建設アスベスト被害と訴訟の現状
 昨年一〇月九日、泉南アスベスト訴訟において、国の規制権限不行使の責任を認める最高裁判決が出されたが、泉南アスベストはわが国のアスベスト被害の原点、そして、わが国最大のアスベスト被害は建設アスベストである。二〇〇五年の「クボタ・ショック」から一〇年間で、アスベスト関連疾患の労災認定は一万件を越え、今なお毎年一〇〇〇件規模で増加しているが、その半数は建設業に集中している。また、阪神淡路大震災や東日本大震災による建物倒壊による大量のアスベスト飛散や、一九七〇年代から八〇年代に大量のアスベスト建材を使用して建築された約二八〇万棟のビルやマンション等の解体がこれからピークを迎えることを考えれば、今後も数十年に渡って深刻なアスベスト被害の発生が危惧されている。
 ニチアスやA&Aマテリアルなどの建材メーカーと国の責任を問う建設アスベスト訴訟は、現在、三高裁(東京高裁二件、福岡高裁)、五地裁(東京、横浜、札幌、大阪、京都)で約六五〇名の被害者によって闘われている。すでに、二〇一二年一二月には東京地裁で、昨年一一月には福岡地裁で、労働者との関係で国の規制権限不行使の責任(使用者に労働者に防じんマスクを着用させることを義務づけなかったこと)を認める判決が出されているが、建材メーカーの責任と、「一人親方」に対する国の責任は、未だこれを認める判決は出されていない。
 そうしたなかで、来年一月に、大阪地裁と京都地裁で関西建設アスベスト訴訟の連続判決が予定され、北海道訴訟も三月結審、来年中の判決が予定されている。
二 関西訴訟で連続勝利判決を勝ち取る意義
 第一は、国の責任を認める連続勝利判決を勝ち取れば、国は、泉南最高裁判決に続いて、建設アスベスト被害に対する責任の関係でも、東京地裁判決、福岡地裁判決に次いで四連敗となる。まさに、国の責任との関係では「決着を付ける判決」となる。また、建材メーカー責任も認められれば、初めて建材メーカーの法的責任に風穴を開けることになり、建材メーカーらに敗訴の現実的可能性を強く認識させる判決となる。
 第二に、連続勝利判決は、社会的、政治的にも大きな威力を持つ。それは、「わが国の産業発展の陰で犠牲となった被害者を救済せよ」、「いのちや健康を何よりも大切にせよ」という広範な世論を巻き起こし、いわば、1+1が3にも4にもなる相乗効果を発揮する。そして、何よりも政治に大きなインパクトを与え、「建設アスベスト被害救済基金」(仮称)の創設という建設アスベスト訴訟の最終目的に向けて大きな弾みとなる。
三 「一一・一九 建設アスベスト被害の全面救済を求める院内集会」の成功
 関西訴訟では、すでに一一〇万筆を越える公正判決署名やアスベスト・公害被害者らの共同アピール、弁護士共同アピール、消費者団体代表らの共同アピールなどが裁判所に提出されているが、一一月一九日には、全建総連をはじめ多数の組合、団体、公害被害者ら約四〇〇名が参加して、関西訴訟の連続勝利判決と建設アスベスト被害の全面救済を求める院内集会が開催された。この院内集会には、与野党の実に八六名の国会議員(秘書出席も含む)が参加し、それぞれから政治の力で建設アスベスト被害の全面救済の実現に努力する旨の決意が表明され、連続判決を前にして、原告らを大いに励まし全面解決への展望を切り拓く集会となった。
 原告団・弁護団は、何としても、関西訴訟おいて連続勝利判決を勝ち取り、その後の判決行動によって、建設アスベスト被害の全面救済と根絶に向けて大きな前進を勝ち取る決意である。


「九条があって輝く自衛隊」

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 この標題は、毎日新聞の「万能川柳」欄に掲載された川柳である。作者は、自衛隊が海外に出て、殺し殺される軍隊になることに反対しているのであろう。九条の下で「専守防衛」に徹すべきだと考えていることが伝わってくる。
 皆さんはこの川柳にどんな印象を持つだろうか。「いいね。座布団をあげてくれ。」と思うのだろうか。「九条の下で自衛隊が『輝く』はおかしいだろう。」と文句を言いたくなるのだろうか。それとも「何ということもない句だ。」と思うのだろうか。
 自衛隊は九条違反だと考えている人からすれば(私もその一人だが)、九条の下で自衛隊が輝くなどというのは「ありえない」と突っ込みを入れたくなるであろう。また「平凡な句だ」とスルーする人もいるかもしれない。けれども、私は、この句は世相を鋭く切り取っているように思うのである。そして、「戦争法」が制定された状況下において、自衛隊の海外派兵に反対し、九条の縛りをかけようとしているこの作者に賛辞を送りたいのである。
 ところで、私は、日弁連の会合で、防衛官僚であった柳澤協二元内閣官房副長官補に「元々、今日の事態を招いたのは、自衛隊を合憲としてしまったからではないのですか。」と質問をしたことがあった。本当にそう思っているからである。彼の答えは「私はその自衛隊で禄を食んできたものです。だから、違憲だとはいえません。けれども、私も今回の法案には反対しているのです。」というものであつた。今、日本共産党は、日本は「非常事態」にあるとして「国民連合政権」の樹立を呼びかけている。平和主義も立憲主義も民主主義も踏みにじられて、安倍政権の独裁政治が横行しているからである。そして、その危機感は、決して共産党だけのものではない。本来であれば、政権批判などするはずもない元内閣法制局長官や元最高裁長官や多くの学者たちも声を上げているのである。それは、自衛隊を違憲としている人だけではないのである。
 「非常事態」というのは決して大げさな表現ではないのである。
 私は、自衛隊は違憲の存在と考えている。日本国憲法の非軍事平和主義は一切の戦力の放棄を規定している。「丸腰の日本が責められたらどうする」という問いかけも含めて、憲法制定権者はそういう選択をしたのである。私は、改定権者として、その選択を尊重し続けたいと思う。殺傷力と破壊力の強弱で物事を決めることは危険で野蛮だからである。
 けれども、自衛隊は合憲だけれど、海外に派兵することに反対だとする人たちとの共同もしたいと考えている。
 今、私たちに求められていることは、「戦争法」を廃止する国会の形成と、「集団的自衛権」を容認した閣議決定を撤回する政府を樹立することである。そのためには違いの強調ではなく、共通項を大切にすることだと思う。多数派の形成が求められているのである。

二〇一五年一二月八日記


追悼 河村武信団員を偲ぶ

大阪支部  西     晃

 本年九月二〇日(日)午前〇時四一分、当事務所(河村武信・西晃法律事務所)の創設者である河村武信団員(一九期)が亡くなられました(享年七七歳)。通例によれば団内では'河村さん'となるのでしょうが、私が“河村さん”とはどうしても言いにくいので河村先生とします。
一 突然の発症と闘病生活
 それは二〇一三年の正月気分もようやく抜けようとしていた一月一一日のことでした。全く別の検査目的で訪れていた病院で、検査終了時の着替えのぎこちない動作に異変を感じたナースの機転で直ちに脳外科に。検査の結果脳幹部分からの出血が認められました。ご承知の通り脳幹出血は一度発症すると極めて予後が悪いです。あっと言う間に出血部位が広まり、発症後僅かの時間で一時は極めて重篤な状態に至りました。ただ、発見と処置がいずれも病院内(しかも救命対応可能な)であったことから、何とか一命を取りとめることができました。
 一時は自発呼吸も出来ない状態でした。医療機関の懸命の処置で症状は安定。会話それ自体は無理でしたが、自由の効く右手指と顔や目の動き等で家族や私達とのコミュニケーションは十分可能なところまで回復しました。
 しかし残念ながらここまでが限界でした。河村先生が手がけて残された幾つかの事件の解決の報告に病室を訪れる度に、左目を大きく見開いてうなずき、手を動かし、必死で何か訴えようとしているその姿も、今年(二〇一五年)初夏以降だんだんと弱くなりました。
二 労働弁護士として、団員として・・・私との関わり
 河村先生は修習終了後、当時の東中法律事務所(現関西合同法律事務所)に入所。弁護士一年二ヶ月という時期に(一九六八年)、要請を受け大阪から北九州に移り、北九州第一法律事務所の創設に参加し、一年余にわたって解雇闘争で活動しています。ここでの経験がご自身の一生涯をかけた「労働弁護士」の原点となりました。
 一九六九年大阪に戻ってからは、様々な解雇・配転等の労働事件、衛星都市職員の労働事件、特に国鉄分割・民営化に伴う労働争議には、弁護団の中心として大活躍をされました。
 私自身とは二〇〇一年一一月からのご縁です。当時堺法律事務所に所属していた私が団大阪支部の事務局長に就任する機会に、移籍させていただいたという経過です。
 それ以前からフットワークエクスプレス事件等で一緒でしたが、以後も信用金庫の分割営業譲渡を争った不動信金事件や、五〇歳定年制リストラ・遠距離不当配転を争ったNTT事件等多くの事件を共に闘いました。
 印象に残るのは、常にどんな非常時にも冷静であること。大局を掴んで鳥瞰することについては、学ぶことばかりでした。証人尋問等での理路整然とした道筋の付け方もしかりです。ただ時々大爆発して、特に交渉の相手方(時に弁護士も含む!)に対しても怒鳴りつけることもしばしば・・・その時は正直高めの血圧が凄く気になる一瞬でありました。
三 河村先生の志を引き継いで
 大阪を中心に関西では弁護士・学者・労組からなる民主法律協会があり、河村先生は民法協を軸足に活動していました。私はずっと団を軸足にしています。もちろん思いは同じです。かつて修習四〇期の私が、民法協の新人歓迎会の席で初めて出会った河村先生の挨拶を実は今でもはっきりと覚えています。
 「どんな事件でも良いから、自分がこれだ!と思った事件を徹底的に掘り下げて見たら良い。その事件の根っこにあるもの、解決を困難にしている最大の要因は何か、実は全ての問題が一番底のところでつながっていることが見えてくる」
 それが私にとっては沖縄米軍基地問題だったというわけです。
 河村先生どうか天国で私達を見守っていて下さい。安らかに。本当にありがとうございました。


加害構造を問うということ〜

「福島を切り捨てるのですか」をおすすめします!

福岡支部  池 上   遊

一 加害構造を問うことの意味
 「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団・弁護団編「福島を切り捨てるのですか〜“二〇ミリシーベルト受忍論”批判」(かもがわブックレット)が刊行されました。ぜひ皆さんにもお読みいただければと思いますので、私から簡単にご紹介させていただきます。
 この本を読んで、加害構造を問うということの意味を改めて考えさせられ、印象深く感じました。
 私は、佐賀県玄海原発の全基廃炉を求め、佐賀地裁で国と九州電力を被告とした裁判に取り組んでいます(原発なくそう!九州玄海訴訟)。玄海訴訟では、裁判所に福島第一原発事故の被害を余すところなく示すことに力を注いできました。被害を明らかにすることは加害を明らかにすることにつながります。私たちは、原発問題における加害構造を(1)国策民営、(2)徹底した利潤の追求、(3)本質的な公害企業性、(4)徹底した情報の隠蔽、(5)地域支配の五点によって特徴づけられるものと主張しています。
 国や東電による“二〇ミリシーベルト受忍論”もそのような加害構造の一端であって、本書第三部での白井聡さんと中島孝さんの対談にはそのことが如実に表れており、そのことから、先ほど述べたような感想を持ちました。
二 “二〇ミリシーベルト受忍論”とはなにか
 福島第一原発事故後の平成二三年四月二二日、国は事故発生から一年の期間内に積算線量が二〇ミリシーベルトに達するおそれのある区域を計画的避難区域として設定しました。国際放射線防護委員会(ICRP)や国際原子力機関(IAEA)が事故直後の緊急時に避難や除染を行うための放射線量の基準を、年間二〇〜一〇〇ミリシーベルトの範囲で設定するように勧告していることを理由に、最も厳しい値である二〇ミリシーベルトを採用したと言っていました。
 その後、計画的避難区域は縮小再編され、その一部が現在の避難指示解除準備区域、居住制限区域となりました。ここでも二〇ミリシーベルトが基準となっています。
   避難指示解除準備区域
   年間積算線量が二〇ミリシーベルト以下になることが確実と確認された区域
   居住制限区域
   年間積算線量が二〇ミリシーベルトを超えるおそれがあって、引続き避難の継続が求められる地域
 そうしたところ、平成二七年六月一二日、政府は、「避難指示解除準備区域・居住制限区域については、・・・遅くとも事故から六年後(平成二九年三月)までに避難指示を解除し、住民の方々の帰還を可能にしていけるよう、除染の十分な実施・・・に取り組む。」と宣言しました。さらに、避難指示区域からの避難者に東京電力が支払っている慰謝料について、解除の時期にかかわらず平成三〇年三月分まで支払うよう東京電力に指導することを決め、支払いの打ち切りを宣言しました。これらを皮切りに、福島県による避難先の住居無償提供の打ち切り、東電による商工業者への一括賠償支払い、「子ども・被災者支援法」の支援対象地域の縮小、撤廃の方針などが次々と打ち出されました。
 本書で馬奈木団員がこれらの動きを評して、「原発事故の被害救済について店じまいにかかっている」と指摘しているのはまさにその通りです。こうした動きを正当化する理屈となっているのが、まさに“二〇ミリシーベルト受忍論”なのです。二〇ミリシーベルト以下の被ばくでは被害がないと宣言しているのです。
三 繰り返されてきた加害構造
 「原発なくそう!九州玄海訴訟」弁護団の代表である板井団員も本書に寄稿しています(「福島切り捨ては福島だけの問題ではない」)。
 板井団員は、長く熊本水俣病問題に取り組んでこられましたが、その体験をひもときながら、「被害を繰り返したい者は被害を小さく見せる」として、福島で起きている動きもまさにそれだと指摘されています。原発事故による被害を小さく見せることによって、原発再稼働への抵抗を排除する。川内原発を八月一一日に再稼働できたのもそれが理由ではないでしょうか。
 私は、原発差し止めの裁判以外にも、建設アスベスト訴訟の弁護団にも所属しています。そこでも、古くからアスベスト被害が指摘されていたのに、その被害を放置して、高度経済成長の美名のもと、全国にアスベスト含有の建物の建築を推進し続けてきたという加害の経過があります。
 板井団員は、戦争についてもこのことがあてはまることを指摘しています。
 こうした命よりカネともいうべき加害構造は、あらゆる公害問題について見られるのではないでしょうか。そうであれば、私たちは、いい加減このような加害と被害の歴史を繰り返させるわけにはいきません。
四 最後に〜福島を切り捨てるのですか
 生業訴訟原告団・弁護団では、本書の前に、「あなたの福島原発訴訟」(二〇一四年・かもがわ出版)という本も発行しています。
 この中で、馬奈木団員は、「『人の命や健康よりも経済的利益を優先させる社会のあり方はもうやめにしませんか』・・・私たちはもうそうした社会のあり方をやめにしましょうということを求めているわけで、この裁判はそうした取り組みの一環として行われている」と述べられています(裁判の概要と目的について)。
 加害構造を問うことの意味、真価はここにあると思います。私も私が関わるあらゆる公害事件でこのことを常に求めたいと思っています。
 私たち「原発なくそう!九州玄海訴訟」が提訴以来、ことあるごとに生業訴訟と一緒になって行動し、福島での期日に毎回参加してきたのは福島現地の被害を見つめ、その裏返しである加害構造を問うという点で共同できるからこそだと思います。全国の原発加害を問うあらゆる訴訟が連帯できる鍵もそこにあると思います。
 ぜひ、団員の先生方こそ、本書を手にとって、福島の被害を見つめていただきたいと思います。


岡田尚団員著「証拠は天から地から」の感想

大阪支部  三 上 孝 孜

 私は、宮城蔵王総会で、古希表彰をしていただいた。団では何の活動もしていないのに、七〇歳になったというだけで表彰を受けるのは、気恥ずかしい気がする。しかし、一つの節目かな、と思い、総会に出席し、表彰状と記念品をいただいた。荒井団長をはじめ、団員の皆さん,ありがとうございました。
 一緒に表彰を受けた岡田尚さんの著書を会場で購入し、読ませてもらった。岡田さんは、同じ国労弁護団の関係で面識があったが、その外の弁護士活動は良く知らなかった。本書を読ませていただき、岡田さんの労働事件での精力的な活動と成果を知って、感服した。同じ年齢で、これだけ素晴らしい活動をされた人がいることに敬服する(もっとも、私は二一期なので、期は少し古いが)。
 本書で紹介された各事件と岡田さんらの活動は、労働・弾圧・対自衛隊裁判での困難な闘いとその中での弁護士の役割の大きさをリアルに伝えている。
 オウムによる坂本弁護士殺害事件で、検察官から、被害感情として、麻原に死刑を希むか、と聞かれたとき、「ウッ」と詰まったという。これまで死刑廃止論をぶってきたからだ。最後に「厳罰ということで」と口をモグモグさせたようだ。
 私も、日弁連の死刑廃止検討委員会の活動等を通じて、死刑廃止を目指している。同じように、身内が殺害の被害にあったとき、被害感情として、どのように言えるのか、あまり自信はない。この話は身につまされる。
 護衛艦「たちかぜ」乗組員自殺国賠事件も興味深い。自衛隊側の指定代理人であった海佐が、自衛隊が、自殺直後に乗組員に対して行ったアンケートを隠している事実を、岡田さんに手紙で通報してきたという。この事実が明らかになり、告発した海佐の証人尋問が実施され、完全勝訴判決が得られた。自衛隊の不正義に怒った海佐も立派だが、岡田さんらの真摯な活動が、海佐の良心を呼び起こしたのだろう。
 私は、大阪府警の警察官による特別公務員暴行陵虐事件の付審判(準起訴)事件で、検察官役を務めたことがある(有罪確定)。その事件でも、大阪府警は、証拠を隠滅した。大阪府警は、阪神ファン少年に対する暴行現場に居合わせた一〇人の警察官が、署長宛に提出した報告書を「廃棄した」と述べ、裁判所からの提出要求を拒否した。この事件では良心のある警察官はいなかった。自衛隊や警察権力は、公務上、平気で証拠を隠滅する。
 滋賀支部県の玉木さんも絶賛していたが、この本と岡田さんらの活動は、様々な分野で人権を守る裁判に取組んでいる人達に感銘を与えてくれる。


*宮城・蔵王総会特集*

退任の挨拶

大阪支部  辰 巳 創 史

 大阪支部の辰巳創史です。この度、団本部事務局次長を退任しました。
 二年間、大阪から東京まで月に何回もよく行けたなと我ながら思います。事務所は大阪の堺ですが、自宅は奈良ですので、片道四時間弱くらいかかります。改憲阻止対策本部の会議を二〇時過ぎに早退させていただいても、家につくのは日付が変わったころ。すっかり新幹線で仕事をするスタイルが定着したかというとそうはならず、DVD付のパソコンでレンタルした海外ドラマを観まくっていました。観たかった海外ドラマは二年間で大分はかどりました。
 私は、団大阪支部でもヒラの事務局をさせていただいておりましたが、団本部は、また少し違った雰囲気で刺激的でした。二人の団長と二人の幹事長のもとで次長をさせていただきましたが、それぞれ個性的で、笑わせていただきました。事務局長も次長の皆さんも、本当に優秀な人ばかりでしたから、私のようにちょっといい加減なところのある者でもなんとかついていくことができたと思います。
 休んだら迷惑をかけるので、適当に手を抜いているつもりでしたが、最後の最後になって、肺気胸で入院する羽目になってしまいました。しかも、とても忙しかった七月に。もともと大阪からの参戦なので、次長の戦力としては何割引きかする程度になってしまっていると思っていたのですが、まるまる休んでしまい、そのしわ寄せが他の次長に行ってしまって申し訳なく思っています。
 そのお詫びに、懇親会では思いっきり飲ませていただきました。
 最後に、前団長、団長、前幹事長、幹事長、事務局長、前次長、次長、本部事務局の皆様、本当に二年間ありがとうございました。
 私の後任の岩佐団員は、本部次長を末永く勤めてくれますので、私同様に可愛がっていただければ幸いです。


事務局次長退任のご挨拶

東京支部  横 山   雅

 東京合同法律事務所に入所することが決まって以来、いずれ団本部の次長をやらなければならないと事務所内外の諸先輩方より言われて日々をすごして来た私にとっては、次長の仕事をやり遂げることは大事なことでした。二年間団本部の次長をやり遂げることができ、今は本当にほっとしています。
 次長の仕事が終わってからは、なんだか脱力してしまい腑抜け気味な自分を何とか立て直そうとしている今日この頃です。
 この二年間は激動の二年間でした。私は、主に改憲阻止対策本部と治安警察委員会を担当させていただきましたが、秘密保護法の反対運動に火がつき始めたところで次長生活が始まり、最後は戦争法制の大規模な反対運動の中で次長生活が終わった二年間でした。残念ながら秘密保護法も戦争法制も通ってはしまいましたが、大規模な反対運動の渦中にいられたことは、貴重な経験となりました。次長になるまで憲法問題に積極的に取り組んでこなかった私にとっては、日々勉強の毎日でした。次長になってすぐに「国家安全保障戦略」や「防衛大綱」を読み込んで分析するように言われた時は、心の中で「本気(マジ)かよ」と言ってしまいましたが、今となってはそれも良い思い出です。
 また、それら憲法問題と並行して、刑訴法の改正問題もありました。刑事事件のことを少しでも真剣に考えたことがある弁護士であれば反対以外にあり得ない法案だと思ってます。どうしてこの法案に賛成できる弁護士がいるのか未だに理解ができずにいます。何度も議員会館に足を運び、国会議員・先輩団員の先生方と法案の国会審議について議論を重ねられたことは、とても勉強になりました。残念ながら廃案にはならず、継続審議の法案として来年の通常国会に回されることになってしまいましたが、廃案を夢見て引き続きこの問題には取り組もうと考えております。乗りかかった舟ですので目的地までたどり着けるのか、途中で沈むのかを最前線で責任をもって見届けたいと思います。
 さて、近年は次長の担い手が中々見つからない状況が続いておりますが、非常に残念なことだと思っています。若手団員の方は、機会があれば是非やってみて下さい。正直に言いますと次長の二年間は大変です。しかし、貴重な経験がたくさんできますし、面白い場面や考えさせられる場面にたくさん立ち会えると思います。自由や権利や民主主義を真っ正面から考えられる機会は中々ないと思います。毎日の弁護士の業務をこなしながら、団本部の次長を真摯にやることは大変ですが、自分の限界は、自分が考えているよりも本当はちょっと先にあるのだと良い意味で自分の限界を知る機会にもなると思います。若いうちにしかできないことですので、若手団員の皆様は是非トライして見て下さい。一生団本部の次長をやらなければならないということになる方がいたら私は全力で止めますが、あくまでも「二年間」という限定がついています。必ず終わりはやって来ますので。
 最後に、一緒に働いて下さった方、私を支えて下さった方、私の周囲にいらっしゃる全ての方々に本稿をもって御礼の言葉を申し上げさせていただきます。
 二年間にわたりご支援いただきありがとうございました。


改憲問題対策法律家六団体主催

院内集会『テロとの戦争』と安保法制

〜自衛隊の中東派遣がもたらす危険〜(仮題)のご案内

改憲阻止対策本部事務局長  山 口 真 美

 改憲問題対策法律家六団体(社会文化法律センター、自由法曹団、青年法律家協会弁護士学者合同部会、日本国際法律家協会、日本反核法律家協会、日本民主法律家協会)主催で戦争法制に反対する院内集会を開催します。
 九月一九日、安倍政権は強行採決に次ぐ強行採決を重ね、日本を海外で戦争する国にする違憲の戦争法を強行成立させましたが、戦争法制に反対し、九条を守ろうという声は全国各地にひろがり、各層各分野の人々が行動し手を結ぶ歴史的なうねりをつくりあげました。来年早々には通常国会が開催し、夏には参議院選挙もあります。参議院選挙で平和と民主主義を守る流れを大きく躍進させ、安倍政権に国民の審判を下すためにも、戦争法に反対し、平和を求める人々のうねりをさらに大きくしていく必要があります。他方で、十一月十三日のパリ同時多発テロ事件を受けて、「テロとの戦い」を口実とし、憲法の平和主義を否定し、自衛隊の海外派兵を推し進める強まることが懸念されます。今回の院内集会では、シリアをはじめとする中東の現状を知り、自衛隊派遣の危険性について学びつつ、戦争法制の廃止を呼びかけ、広げていこうと考えています。
 ぜひ、大勢ご参加ください。

改憲問題対策法律家六団体主催
院内集会『テロとの戦争』と安保法制
〜自衛隊の中東派遣がもたらす危険〜(仮題)

【日 時】 二〇一六年一月二〇日(水)一七時〜一八時三〇分
【場 所】 参議院一〇一会議室(予定)<後日、B一〇七の変更>
【講 師】 栗田禎子氏(千葉大学文学部教授 中東現代史)(予定)