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脇山 拓 *五・三憲法集会特集(2)*
明日を決めるのは私たち 平和といのちと人権を 五・三憲法講演会」が開催されました
鶴見 聡志 憲法を活かす宮城県民集会のご報告
浅川 壽一 神奈川憲法会議主催
「憲法改悪を許さない五・三県民のつどい」
中川 亜美 愛知・憲法記念日の行事
「憲法施行六九周年市民のつどい」
石坂 俊雄 五月三日の憲法集会(三重)
小笠原 伸児 五・三憲法集会報告
瓦井 剛司 五・三おおさか総がかり集会の報告
林 伸豪 徳島での憲法運動
新屋 朝貴 東京法律事務所「戦争法廃止署名」
五〇〇〇筆達成までの道のり
梶原 守光 ビキニ核被災国賠訴訟の提起について
諸隈 美波 ツクイマタハラ訴訟
中島 嘉尚 民医連施設で介護職員に刑事訴追
林 治 終わっていない追い出し屋被害
〜悪質保証会社に損害賠償を命じる判決
馬奈木 厳太郎 中通りの検証実施が決定しました
〜「生業を返せ、地域を返せ!」
福島原発訴訟第一八回期日の報告
後藤 富士子 「部落差別解消推進法案」という
「部落差別永久化法案」の危険
原 和良 書評「小説 司法修習生 それぞれの人生」
(霧山昴著)
城塚 健之 学習会の手引きにブックレット
『戦争と自治体』を



*五・三憲法集会特集(2)*
明日を決めるのは私たち 平和といのちと人権を 五・三憲法講演会」が開催されました

山形支部  脇 山   拓

 山形支部では、例年五月三日に青法協、科学者会議、日民協、労働弁護団の各支部との共催で「憲法を考えるやまがた集会」(内容は講演とパネルディスカッション)を開催してきました。昨年が二二回目となる老舗の集会です。
 しかし、今年はこれまで超党派で戦争法案阻止の運動に一貫して取り組んできた「戦争法廃止を求めるやまがた県民の会」(当支部も団体として参加)が、戦争法(安保関連法)の制定という事態を受けて大規模な集会(講演会)を開催することとなり、当支部で議論の結果、今年は「憲法を考えるやまがた集会」の開催は見送り、こちらの成功に協力することといたしました。
 憲法講演会の内容は二部構成で、一部の講師は県内在住の直木賞作家高橋義夫氏、二部の講師がフリージャーナリストの志葉怜氏でした。
 高橋氏は「戦後から戦前へ」と題し、一九四五年生まれとして、母親のお腹の中で空襲を経験するなどした戦争体験がありつつ、これまでは声高に反戦平和の声を上げては来なかった、むしろそうしたことからは距離を置いて静にしてきたこと、しかし「戦後」ではなく「戦前」になりそうな最近の戦争法をめぐる動きをみて、もはや黙ってはいられなくなったという平和への熱い思いを、落ち着いた静な語り口で訴えられました。
 志葉氏は「ボクの観た本当の戦争」という題で、実際のイラク戦争の現場の状況を、自ら取材した際の写真や動画を交えて報告され、本当にISを生み出したものは何か、テロをなくす為には本当はなにが必要なのか、中東で日本が真に果たすべき役割は何なのかと言うことを熱く語られました。そして、この間の戦争法制定までの国会答弁で、安倍首相がいかに嘘をついたまま数の力で戦争法を押し通したのか、こうしたことを許さないために次の選挙では勝利しなければならないということを、本当に力強く訴えられました。
 また、講演会の最後に、七月の参議院選挙山形選挙区に野党統一候補として立候補を表明している舟山やすえさんがサプライズゲストとして登場し、戦争法廃止のために参院選勝利へ向けて全力で頑張る決意を表明されました。
 会場の山形市民会館大ホールには、県内各地から六〇〇名の参加者が集まりました。


憲法を活かす宮城県民集会のご報告

宮城県支部  鶴 見 聡 志

 二〇一六年五月三日、宮城県では、仙台国際センターにおいて、宮城憲法会議・護憲平和センター・憲法を守る市民委員会(いわゆる宮城県の護憲三団体)の主催で、ペシャワール会事務局長の福元満治氏を迎えて、「アフガニスタンに命の水を」〜民生支援こそ日本の国際貢献〜と題して憲法を活かす宮城県民集会並びにアピール行進を行ないました。宮城県の五・三集会は、普段はなかなか共同して活動することの少ない護憲三団体が、その垣根を超えて共同して主催してきて行なってきたものです。特に今年は、安保法制を軸とした憲法破壊の現実と参議院選挙の直前ということで、例年にも増して宮城県支部の団員が同集会の企画準備段階から携わってきました。このような準備の甲斐もあり、当日は一〇〇〇人近くの参加者を得て、成功しました。
 「みやぎ割烹着〜ず」の「ラブ・ミー・テンダー」の歌と踊りで集会は始まり、今年は平和と立憲主義を守るための個人と団体の勢力結集を行うために、安保法制廃止みやぎネットからも連帯の挨拶という五・三集会としては初めての試みがなされました。
 基調講演の福元氏からは、国際社会がアフガンに関心を示したのはタリバン政権下でのバーミヤン石仏を破壊したときだけであるが、二〇〇〇年ころのアフガンの現実はテロとは無関係にアフガンの状態を放置すれば「四〇〇万人が飢餓線上で一〇〇万人が餓死」するとWHOが警告するほどの状態であった。このような現場で、これまで医療活動しかしたことのないペシャワール会が水の確保が必要とのことで、飲料水を確保するために二〇〇三年までに一六〇〇本の井戸を掘り、さらに二〇〇三年から江戸時代の技術を活用した農業用水路の建設に着手し、一五万人の暮しを支える水の確保のために奔走する活動の報告がなされました。アフガンの現場で求められていることは、血を流すための兵力などではなく、人を生かすための貢献であり、福元氏の報告から真の国際貢献を実感することができたのではないでしょうか。
 集会の最後には、二〇〇〇万人統一署名のさらなる推進と参議院宮城選挙区での野党統一候補の勝利のために宮城県民の力の結集のアピールが採択されました。集会後は、会場から勾当台公園市民広場まで二・五キロにわたって、「七月の選挙で国民の意思を示そう」「選挙で安倍内閣の憲法破壊をくいとめよう」などとアピール行進を行ないました。
 宮城県では、憲法記念日以降も、五月二八日安保法制廃止みやぎネット主催で、五〇〇〇人を目標とする集会を予定しており、多くの団員が同集会の成功に向けて日々奮闘しています。


神奈川憲法会議主催
「憲法改悪を許さない五・三県民のつどい」

神奈川支部  浅 川 壽 一

 「憲法改悪を許さない 五・三県民のつどい」が、五月三日の憲法記念日、横浜市保土ヶ谷区にあります保土ヶ谷公会堂にて開催されました。
 神奈川憲法会議には自由法曹団神奈川支部も団体として参加しており、代表委員に森卓爾団員(神奈川支部長)、幹事長に高橋宏団員、事務局長に団員である浅川が就任しております。
 当日は、自由法曹団神奈川支部から多数の応援がありました。司会は神奈川支部の新人である藤塚雄大団員と相曽真知子団員が務め、神奈川支部幹事長である小賀坂徹団員も講演を引き受けてくれました。主催側の読みを大きく上回る参加者が受付に殺到する様子をみて、団神奈川支部事務局長である近藤ちとせ団員が応援に入ってくれました。集会の後行われたデモには多数の団員が参加、集会の準備や片付けなどにも参加、団神奈川支部の力なくして集会は開催できなかったといえましょう。
 集会は午後一時から開会され、代表委員の森卓爾弁護士があいさつを行い、戦争法廃止二千万署名の集約状況を報告した後、広渡清吾・東京大学名誉教授から講演をいただきました。広渡教授は、ワイマール憲法を踏みにじったナチスと、改憲に突き進む安倍政権が似ていることを指摘し、「市民運動は、政権を変えるまで頑張る必要がある。そのために私もがんばりたい」と語りました。小賀坂団員は、マイナンバー制度の危険性とマイナンバー訴訟の意義を、わかりやすく解説しました。
 講演の後、日本共産党の畑野君枝衆院議員、浅賀由香参議院神奈川選挙区候補が登壇しました。畑野議員は「安倍政権の改憲を許さないたたかいを一緒にやり、憲法を守り、生かそう」と訴え、浅賀候補は「市民と一緒に安倍政権を倒したい。憲法を守るたたかいを一緒にやろう」と呼びかけました。
 さらに、ママの会@神奈川の石井麻美さんが連帯の挨拶を行い、「私たちの手に政治を取り戻し、立憲主義を取り戻す候補者を国会に送りたい。そのために、多くの市民と手を携え、お互いの違いを乗り越えて共闘しよう」と呼びかけました。石井さんは、野党共闘を呼び掛ける市民勝手連である「ミナカナ」のメンバーでもあり、精力的に活動をなさっています。
 最後に「あらゆる改憲の策動に対抗し、日本国憲法の改悪に反対しよう。政府に日本国憲法を遵守させ、来年の五月三日、日本国憲法七〇歳の誕生日を迎えよう」とのアピールを採択し、閉会しました。アピールを読み上げたのは、日本民主青年同盟のメンバーである、黒澤大輔さんでした。
 参加者は、主催者予想五〇〇名を大きく上回る七一〇名。公会堂のホールが満員の状態となったことから、公会堂内の会議室に別会場を設けるなどの対応に追われました。準備した資料の数も大幅に不足してしまい、主催側として不手際を反省するばかりです。
 当日は、東京で「総がかり行動」による大規模集会が計画されており、神奈川憲法会議の構成団体の中にも、東京の集会に集結するよう呼びかけている団体が多くありました。そのため、毎年参加してくださる参加者のうち二〇〇名から三〇〇名ほどが東京に流れ、参加者は五〇〇名程度・・・という読みを主催者として行っていたのです。しかし、これが大きく外れてしまいました。
 それほどに、安倍政治に対する怒りと、憲法を大切にしたいという思いが、大きく広がっているのだと痛感しました。


愛知・憲法記念日の行事
「憲法施行六九周年市民のつどい」

愛知支部  中 川 亜 美

 本年五月三日、憲法施行六九周年市民のつどい「立憲・民主・平和と憲法」をテーマに、市民の集会(主催:愛知憲法会議、後援:名古屋市)が行われました。参加者は、約二五〇〇人で、四階までの観客席は満席、階段に座る人もいたと聞きました。私は、司会進行役として参加しました。
 オープニングは、組曲「砂川」。砂川事件を住民の目線で描いた作品で、祖先から受け継いだ土地が奪われるさま、騒音で声がかき消されるさま等近隣住民の過酷な生活、住民の闘い、そして勝利へ、力強い歌声で表現されていました。現在、辺野古基地移設問題で、闘っている住民への支援の重要性を再確認しました。
 そして、第一部では、「今、何が問われているか〜立憲主義・平和主義から考える〜」と題して、学習院大学教授(憲法学)の青井未帆教授の講演が行われました。青井教授は、憲法九条論や武器輸出の問題を専門としておられます。現在の政治状況を立憲主義・平和主義の観点から点検するとどうなるのかという観点からの御講演でした。六〇〇〇万人もの犠牲者が出た第二次世界大戦の教訓として、憲法九条が時の政権の暴走に歯止めをかけるためのストッパーとして設けられているにも関わらず、現政権がストッパーを自ら外し、「戦わない国」から「戦える国」へと変えようとしていることや、本来権力による人権侵害を守る盾として機能する憲法一三条を、現政権は、権利侵害を正当化する根拠として用いている事に対し批判されていました。
 第二部は、ナターシャ・グジーさんによるコンサートでした。ナターシャさんは、ウクライナの出身で、六歳の頃、チェルノブイリ原発事故で被爆されました。現在は、ウクライナの民族楽器バンドゥーラの弾き語り奏者として、日本でも音楽活動をされています。
ナターシャさんは、曲の合間に、原発事故が起きた時の近隣住民の生活状況や行政機関の対応等の体験や、平和への思い、そして、数十年ぶりに故郷を訪れた際の感想もお話されていました。具体的には、未明に起きた事故のことを住民は知らされておらず、放射能が降り注ぐ中、子どもたちは外で遊び、家では洗濯物を干すなど、日常と変わらない生活をされていたようです。時間が経って事故を知らされると、三日で自宅に戻れるから荷物を持っていくなと言われ、着の身着のまま避難したけれども、一ヵ月経っても、二ヵ月経っても一向に戻れる気配がない。いつもは笑い声でいっぱいの家族も、ほとんど笑わなくなってしまった。数十年ぶりに訪れた故郷には、自宅はもちろん、何もなかった。
 ナターシャさんのお話で、原発事故が、いかに重大な権利侵害をしているかということを、痛感しました。
 最後に、閉会のあいさつでは、「今何が問われているか〜民主主義から考える〜」をテーマに、名古屋大学法学部の本秀紀教授がお話をされました。日本国憲法は徹底した平和主義を定め、人びとが平和で人間らしく生きるための国のあり方がさまざまな条文で示されているが、現政府は、集団的自衛権の行使を解釈で合憲とし、憲法そのものを崩壊しようとしている。その憲法の危機に対し、若者や子どもを持つ親が積極的に、そして、彼らなりに平和に対する自分の意見をアピールしている現状がある。憲法は社会のあり方を定めるものであって、私たち国民が、どのような社会にしたいかという視点から、憲法を考え、そして選挙で表していかなければならないとのことでした。
 憲法が社会のあり方を定めるものである以上、健全な民主主義が機能しなければならないのにも関わらず、十分に機能していない現状にますます危機感を抱くとともに、夏の参院選を控え、健やかな社会を目指して活動することを再確認した憲法記念日でした。


五月三日の憲法集会(三重)

三重支部  石 坂 俊 雄

 三重県憲法会議は、毎年五月三日に憲法集会を開催している。私は、副議長をさせられている関係上、ポスターの作成の手配、横断幕作成の手配等の事務的な仕事も少しは手伝う。
 講師の選定は、幹事会の会議で誰にするのか決めるが、いつも頭の痛い問題である。予算が潤沢にあれば、遠方の講師も呼ぶことができるが、かつかつの予算のなかでは、呼べる講師の範囲は自ずから中部、関西方面に制限され、その中で最善の講師にお願いをすることとなるためである。
 時たま、関東から講師を呼ぶときは、中部方面に予定を入れてもらったり、三重県出身の方にお願いして、宿泊は実家に泊まっていただいたりしている。
 今年は、龍谷大学法科大学院の石埼(いしざき)学教授にお願いをした。
 講演内容は、「平和のためにー私たちに何ができるか」という題で、現代の戦争は総力戦であり、「後方支援」は敵からすれば攻撃対象であること、戦闘員と非戦闘員の区別が困難であること、対テロ戦争は、終わりなき戦争であり、平時と戦時の区別が消去されていることなどの説明があり、安保関連法は、戦争法といわれる所以はなぜかという話がなされた。
 そして、安倍内閣による緊急事態条項を憲法に入れる危険性についても言及をされた。
 講演後は、今の政治状況から活発に質疑応答がなされた。
 この集会への参加者数は、約一二〇名である。この人数でも、ここ一、二年はやや参加者が増加傾向で、去年から、収容人数の多い会場へと変更した。また、学生の参加もある。
 七月の参議院選に向けて、戦争法制廃止の候補者を当選させることの重要性を確認して解散をした。


五・三憲法集会報告

京都支部  小 笠 原 伸 児

 京都市内で開催された五・三憲法集会を事実経過的にご報告します。
 集会の主催は憲法九条京都の会(代表世話人は瀬戸内寂聴さん、益川敏英さんら)と京都九六条の会(代表は岡野八代さん)、企画運営は五・三憲法集会実行委員会です。今回の集会は、戦争法廃止と安倍内閣打倒のこの間の運動をさらに強め、参議院選挙を展望した憲法集会として成功させようと準備を始めました。
会場の京都市円山公園音楽堂(公式収容人数二五二八名)には開場時間前からいつもより多数の人が入場し始め、オープニング時に一〇〇〇名を、開会時に約二三〇〇名を超える参加者で埋まり、その後も次々に入場して、プログラム配布数で最終的に三〇〇〇名を超える参加がありました。
 司会は、三条ラジオカフェのけんぽうサロン京都に登場したことのある一九歳の男子大学生と地域九条の会のベテラン女性のお二人が務めました。歌と平和踊りでオープニングし、憲法九条京都の会世話人からの主催者あいさつの後、来賓としていつもの野党四党(社会民主党 新社会党 共産党 緑の党)に加えて、憲法集会史上初めて生活の党と民進党からも代表あいさつがありました。各政党代表は、一致して戦争法の廃止と安倍内閣退陣そして参議院選挙の勝利を訴え、盛大な激励の拍手を送る参加者に向かって六野党代表がつないだ手を掲げてアピールされましたが、これも憲法集会史上初めてのことでした。
 講演は、山室信一京都大学人文科学研究所教授による「憲法九条の新たな使命〜戦う立憲民主主義へ」でした。普段は大変おとなしい雰囲気の山室さんがとても熱意を込めて私たちの運動の大事さを訴え、最後は「がまだすばい九条 負けんばい九条!」と記したペーパーを掲げて万雷の拍手を受けました。いつもの文化企画は、一九八六年に結成された京都西陣創造集団アノニムにお願いして、石垣りんさんの詩を中心に構成された朗読のある構成劇『そして今は―その時が来た』を上演していただきました。
 リレートークでは、ジャーナリストの隅井孝雄さんから、安倍内閣によるNHKを中心としたマスコミへの権力統制に対する告発、同志社大学大学院生の相方未来さんから、フェミニズムの思想から安倍内閣が進める女性活躍推進の欺瞞の告発、自由と平和のための京大有志の会の藤原辰史さんから、戦争で命を奪われた若い人たちの立場から安倍内閣が呼称する平和安全保障の言葉には騙されないぞという訴え、京都総評議長の梶川憲さんから、戦争法廃止に向けた労働者の取り組みと二〇〇〇万署名成功への決意が話されました。
 そして、集会実行委員会から、六・五全国総がかり大行動の呼びかけに連帯する戦争法廃止!安倍内閣退陣!六・四京都大行動への参加の緊急呼びかけがなされた後、京都九六条の会呼びかけ人から閉会あいさつがあり、憲法ウォークに出発しました。
 小雨が降り始める中、会場から京都市役所前まで約二・五kmを、約二四〇〇〜二五〇〇名の隊列で憲法ウォークをしました。午後四時頃に出発し、横断幕を持って先頭を歩き、五時前に市役所前に到着した山室さんらはそのまま横断幕を持って隊列を出迎え、最後の隊列を迎え終えたのは午後六時前でした。
 翌日の京都新聞は久しぶりに一面トップで写真報道し、朝日新聞や毎日新聞の報道も含めてマスコミの高い関心を集めました。戦争法廃止、安倍内閣打倒に向け、幅広い市民がつどい、その声に応えて初めて六野党全ての代表が参加し、参議院選挙に向けた決意を述べ、そして市内の人々に憲法ウォークでアピールできた、本当にいい集会になりました。


五・三おおさか総がかり集会の報告

大阪支部  瓦 井 剛 司

 平成二八年五月三日の憲法記念日の午後一時半から、大阪でも、 「憲法こわすな!戦争法を廃止へ!平和といのちと人権を! 五・三おおさか総がかり集会」と題して、大規模な市民集会が開催されました。
 開催場所となった扇町公園では五月一日にメーデーも開催されましたが、大阪支部は、今年はメーデーだけでなく、むしろ五月三日の本集会こそが最重要事項であると位置づけ、大阪支部の団員や団員所属事務所の事務員さんら多数が参加しました。集会には、団体、グループ、個人等あわせ、二万人が参加する大規模なものになりました。
 集会は、山口健一大阪弁護士会会長の挨拶で始まりました。民進党、共産党、社民党、生活の党から戦争法廃止に向けた野党共闘への連帯スピーチがなされ、大学生、高校生、ママの会など若い人たちが戦争法廃止への決意を語りました。若い人たちが自分の言葉でストレートに憲法の大切さや戦争法反対を語る姿は、心に響くものでした。
 参加者は、皆、「戦争法廃止!」と大書したポテッカーを掲げて、安倍政権の暴走を止める意思表示をしました。
 集会後、二時すぎから三コースに分かれてパレードです。団員も、パレードの総指揮、副指揮、街宣車のコールや見守りを担当してパレードを安全に実施するお手伝いをするとともに、市民や団体とともにパレード行進してパレードを盛り上げました。大人数のパレードは、街中に「戦争法廃止!」「憲法守れ」のコールを響き渡らせ、安倍政権の施策に反対する市民の声をアピールしました。
 七月の国政選挙に向けて、安倍政権の暴走をストップさせるための行動は、まだまだこれからが正念場です。大阪でも積極的に取り組んできた「戦争法廃止二〇〇〇万人署名」は、団支部でも一万筆以上、大阪府下では一五五万筆以上が集まりました。しかし、大阪の目標二〇〇万筆までまだ四五万筆が必要です。
 六月五日にも大規模な全国一斉運動が予定されており、それ以外にも、大阪支部による街宣行動や、SEALDs KANSAIやSADLのデモの見守り活動、大阪憲法会議・共同センターや九条の会の街宣活動の参加など、できることがたくさんあります。
 大阪では、橋下維新の会による都構想を市民の声で打倒した経験があります。これを活かして、今後も戦争法廃止に向けたあらゆる活動に支部として取り組んでいき、積極的に立憲主義遵守のために活動していきます。


徳島での憲法運動

四国総支部(徳島県)  林   伸 豪

 本年の五月三日の憲法記念日も例年通り、午前中徳島駅前での四団体共催での憲法トークから始まりました。四団体とは、憲法九条の会、県憲法こん談会、反核平和フォーラム、平和と人権センターの四団体で、これで政党で言えば、民進党から共産党まで網羅することになっています。午後は憲法九条の会と、徳島弁護士九条の会の共催で大阪経済法科大学教授沢野義一先生をおよびして(先生は憲法九条の会関西の代表世話人をされています)、緊急事態条項の問題点を中心にお話をして頂きました。計画では二〇〇人規模の会場でしたが想定外で三〇〇人が参加しました。九条の会の催しの特色として、宣伝が下手で人集めが苦手ですが、徳島で憲法問題で三〇〇人集まるというのは画期的な数字といえます(従前では憲法関連の集まりは一〇〇人が精一杯だったのが実情です)。
 午前のトークでは様々な立場から呼びかけをしました。民進党の代表者も憲法をまもる立場からの心強いトークをされました(もっとも安倍政権のもとでの憲法改正には断固として反対するというもの言いで、民進党のもとではどうなのかということになりますが・・・・)。
 最も私達が共感出来たのは、参院選徳島、高知合区からの野党統一候補弁護士大西聡さんのトークです。大西さんは無所属から立候補しますが、徳島弁護士九条の会の私とならんで代表世話人の一人で、同会創立から力をあわせて憲法運動のために努力してきた仲です。なんとか当選を勝ち取りたいものです。なお徳島九条の会の事務局長も弁護士九条の会の出身で数人の事務局員も送りこんでいます。ということで徳島の憲法運動はいまや弁護士九条の会の存在なくしては語れません。弁護士会内で弁護士九条の会会員は四五%を占めています。昨年は同じく弁護士九条の会員の弁護士会会長のもと、会主催で二回街頭デモを行い、三月二九日には法律廃止、施行反対の街頭運動を実施しました。又新たな会長のもと六月一四日には日弁連人権大会プレシンポとしてテレビで著名な「NEWS23」のアンカーを務めた岸井成格氏(ヒゲのおじさん)をお招きし「それでも安保関連法に反対する理由〜立憲主義と民主主義の回復のために」とのシンポの開催予定となっています。と、このようにここ一〜二年は会も一緒になった憲法運動を展開し、忙し過ぎる毎日です。

※憲法集会特集にあたりましては、全国から多数のご投稿を頂きま した。ありがとうございました。


東京法律事務所「戦争法廃止署名」
五〇〇〇筆達成までの道のり

東京法律事務所  新 屋 朝 貴

一 はじめに
 東京法律事務所における「戦争法廃止統一署名」の成果が、五月一〇日時点で五一一〇筆に到達し、所内目標五〇〇〇筆を達成することができました。
 目標を達成できた秘訣はズバリ、所員の取り組んでいる様子の可視化と共有です。所員一丸となって署名を集めた取り組みを報告します。
二 事務所たよりに同封し一斉発送(一万九〇〇〇通)
 年始の事務所たよりに署名用紙と返信用封筒(切手不貼)を同封しました。これまで事務所たよりに署名用紙を同封したことはありましたが、返信用封筒を同封したことは初めての取り組みでした。
 たより読者から戻ってきた署名数は、二月初旬までに二一〇〇筆に到達しました。しかし、目標まで残り二九〇〇筆と道のりは遠く、所内憲法委員は頭を悩ませていました。
三 署名推進ニュース作成(週に二、三回発行)
 二月に行われた事務所泊込総会の合間に、臨時憲法委員会を開催し、この暗雲立ちこめる雰囲気を打破すべく「署名推進ニュース」を発行することを決めました。
 ニュースはA4サイズ一枚(両面刷)で、オモテ面は、集めた署名の合計と達成率(%)、そして所員が誰からどんな風に署名を集めたか、その都度報告する、という中身となっています。例えば、
 『●●(弁)、依頼者との打合せの際に声をかけ●筆集めました!』
 『●●さん、友人へ手紙を書き●筆集めました!』
など、主に箇条書きですが、所員が普段から署名を取り組んでいることを見える形にする効果があります。もちろん街頭宣伝での様子も写真を載せるなどして報告しています。
 ウラ面には、署名集計表と、その時々の新聞記事等を掲載しました。集計表には所員全員の名前と、「打合せ室」と「たより」の欄があり、集計表を見れば、誰がどのくらい署名を集めたのか一目瞭然です。
 もちろん、集計表で空欄の人もいますが、申告していないだけで、打合せ等で署名を勧めていることは、「打合せ室」「たより」の集計表欄の増加で判明しています。
 また、ニュースに記載している集計表をA3サイズに拡大コピーして、目立つ場所(二カ所)に貼りだしています。また、「弁護士」「事務局」「打合せ室」それぞれで集まっている署名合計数を折れ線グラフに表したものも一緒に貼りだしています。
四 「署名のお願いのお手紙」の発送(四〇〇通)
 三月末、署名は三五〇〇筆に到達しましたが、まだ目標まで一五〇〇筆も残している中、憲法委員会は再度依頼者へ「署名のお願いのお手紙」を各弁護士が一〇名ほどピックアップし発送することを四月の事務所総会で提起しました。
 定型の文章を作成し、最後に「私からの一言」欄を設けて各人が一言書き込めるように準備しました。発送物は、お手紙と署名用紙、返信用封筒(切手も貼る)です。
 この発送での反応は良く、翌週にはぞくぞくと署名が送られて、四月末には四八〇〇筆に到達しました。この定型の手紙は事務局も活用する人もいました。
五 ついに目標達成
 そして五月九日に目標の五〇〇〇筆を越え、同日の憲法委員会では拍手が沸き起こりました。
 目標を達成できたのは、ニュースによる署名の取り組みを目に見える形にすることで常に署名を意識づけ、学習会の講師や講演にでかける際にも、打合せの際にも署名を話題にすることができたからだと思います。
 また、それを所員全員で共有し、みんなで取り組んでいる雰囲気を作ることで、「目標達成まで頑張ろう」というやる気を引き出すことができたことが要因だと思います。
 東京法律事務所も引き続き署名の取り組みは六月末まで続けます。全国で二〇〇〇万筆集めきるために頑張りましょう。


ビキニ核被災国賠訴訟の提起について

四国総支部(高知県)  梶 原 守 光

 一九五四年三月から五月にかけての、アメリカのビキニ環礁での六回にわたる核実験により、同海域で操業中であったマグロ漁船員を始め、アメリカ大陸にまで及ぶ広大な範囲に核被爆が及びました。その実験の総核威力は、広島原爆の約三二二〇倍といわれる巨大なものでした。
 ところが日本政府は、このアメリカの核実験に反対しないばかりか、その被爆の実態がほとんど分からない一九五五年一月四日に、早々にアメリカとの間で政治決着をつけ、第五福竜丸関係や船舶、マグロなど物的被害のほんの一部の被害弁償だけで補償を打ち切り、人的被害は放置しました。
 しかも、その政治決着の内容は、アメリカの法的責任をすべて免除し、アメリカの単なる厚意でわずかの見舞金をもらい、それで以後の補償請求、賠償請求権はすべて放棄するというものでした。
 広島、長崎の被爆に次ぐ、第三の重大な核被爆事件であるビキニ事件を、アメリカの要求に沿って、日本国民を裏切り、闇の中に伏せ込み、国家的犯罪を行ったのです。
 したがって、以後日本政府は、被害の実態調査を自ら打切り、被災国民からの被害補償、損害賠償請求を抑え込むため、当時政府が保有していた調査資料の開示を拒否し続けてきました。
 一九八六年三月七日には、当時の山原健二郎衆議院議員が国会質問で取り上げ、資料の開示と被災者への救助を求めましたが、政府は、資料は残っていないの一点張りで開示を拒否しました。
 被災船員らは、自らが被爆しているという証拠がなく、ガンなどで若くして死亡する仲間が相次ぐ中で、法的対応をあきらめざるを得ませんでした。
 ところが二〇一四年になって、当時日本政府がアメリカに渡していた被災資料が、アメリカで発見され、それを、長期に渡ってビキニ被災の調査に取り組んでいた高知県の山下正寿氏らが入手し、国会議員の協力を得て政府を追及した結果、政府も逃げ切れず、ついに資料が開示されました。
 そして日本漁船等の被爆の実態が明らかになり、政府の重大な違法行為があったことを知り、原告四五名が国家賠償請求の訴訟を起こしました。
 この訴訟の柱は二本となっており、
 政府の公文書開示義務違反とそれによる被災者の権利行使の妨害の違法行為
 日本政府が今日まで被災者に対する支援を全くせず、放置してきた不作為の違法行為の責任を問うものです。
 その構成にあたっては、時効等の問題をクリアする必要がありましたが、この政府の責任を問わずして、ビキニ事件を終わらせてはならないという怒りと責任をばねに、訴訟提起にこぎつけました。
 今後のご支援をお願いいたします。


ツクイマタハラ訴訟

福岡支部  諸 隈 美 波

 妊娠した労働者に対する上司の配慮を欠く言動や、妊娠後の業務軽減が認められなかったことがマタニティハラスメントであるとして会社と上司を訴えていた裁判で、会社と上司の責任を認める判決が出ました。
 原告は、通所介護施設の介護職の職員です。二〇一三年七月ころ、妊娠したことが判明し、原告は医師に相談し、やるべきではない業務などを聞いたうえで、上司(施設の所長)と面談することになりました。
 同年九月に面談を実施しましたが、上司は面談の場で、できない業務が多いことに嫌悪を示し、「妊婦として扱うつもりないんですよ」とか、「万が一何かあっても自分は働きますちゅう覚悟があるのか」「一生懸命しない限り更新はない」などと言い、妊娠しても業務軽減などを申し出ることはできないという印象を与えるようなことを原告に告げました(録音あり)。原告は、この面談を受け、今まで以上に働かなければ契約を更新することができないのだと感じ、その日以降上司に対し業務軽減を求めることができなくなってしまいました。
 そして、だんだんとお腹が大きくなっていく体で、利用者さんの送迎をしたり、車いすを運んだり、入浴介助をしたりといった重労働を一二月まで続けました。送迎中や入浴介助中に気分が悪くなることもありましたが、そのことを上司に言えば一生懸命していないと思われると思い、相談することもできず無理をして働き続けました。その結果、一二月には切迫早産と診断されるに至りました。その後原告は夫とともに会社に業務軽減を申し出て、ようやく送迎や入浴などの業務を担当しないこととなりました。しかし、二〇一四年一月の勤務については原告が望んでいないにもかかわらず、勤務時間を一日四時間に変更し給与も大幅に減額になるといった会社の不誠実な対応も続きました。原告は、九月の面談以降、上司から無視されるなどが続き、妊娠した自分を責めたり、流産するのではないかちゃんと子どもを産めるのか育てていけるのかと不安に感じ、精神的に追い詰められ、一月にはうつ病という診断も受けました。二月には、無事に子どもを出産しましたが、その後もうつ状態は続き育児休業後は病気休職となりました。
 原告は、地域一般労働組合に加入し、妊娠出産しても働き続ける権利があることを示したいという思いで職場復帰を目指し会社と団体交渉を続けていましたが、話し合いがつかず、二〇一四年八月、上司と会社を被告として訴えを提起しました。
 訴訟の中で被告は、上司の発言については業務指導の一環だとか、原告の健康に配慮し業務軽減を行っていたなどと主張していました。
 判決では、被告の言い分は認められず、上司の発言については、『妊娠していることについての業務軽減等の要望をすることは許されないとの認識を与えかねないもので、相当性を欠き、(略)妊産婦労働者の人格権を害するものと言わざるを得ない。』とし、業務軽減等の措置を講じていなかったことも認め、『原告に対して負う職場環境を整え、妊婦であった原告の健康に配慮する義務に違反したものと言える。』としました。
 妊産婦労働者の人格権および妊産婦労働者に対する健康配慮義務を明確に認めそれに反する場合は、損害賠償の対象になると認められたことはよかったのですが、賠償額が三五万円と低額にとどまり、その点に関しては、マタハラ被害の実態を裁判官に理解させることができていなかったものと思います。
 現在、控訴及び団体交渉の申し入れを行っており、今後も裁判及び交渉が続く予定です。原告本人は、同じような被害にあう人をなくそうと活動しており、メディアからの取材等にも積極的に応じています。関連する記事等見ていただく機会がありましたら今後ともぜひご注目ください。


民医連施設で介護職員に刑事訴追

長野県支部  中 島 嘉 尚

特養あずみの里、異変発生、業務上過失致死で起訴
 二〇一三年一二月一二日午後三時二〇分ころ、長野県民主医療機関連合会(以下、民医連といいます)に加盟している特別養護老人ホームあずみの里の食堂で、おやつとして提供されたドーナツを食べていた八五歳の女性入所者(以下、「女性」といいます。)が、ぐったりして意識を失っているところを、遅れて食堂に入ってきた介護職員が発見しました。職員による救急措置、救急隊による救急措置と病院への救急搬送がなされましたが、「女性」は、意識がもどらないまま、二〇一四年一月一六日、入院中の病院で亡くなりました。
 この出来事をとらえて長野県警本部は、すぐさま県庁所在地長野から係員を安曇野警察署に派遣、同署を根拠地として強引な捜査を開始しました。二〇一四年一月七日施設長に対する警察の取調べが始まり、続いて施設から膨大な関係記録が押収されました。二月一日には施設とご遺族との間で示談ができたにも拘わらず、その後も捜査を進め、五月二二日、准看護師を業務上過失致死容疑で検察庁に送検。検察は、二〇一四年一二月二六日、異変のあった時「女性」の隣で食事全介助の男性入所者にゼリーを食べさせていた准看護師を、「女性」に対する注視を怠り、ドーナツを誤嚥・窒息させ、心肺停止状態に陥らせ、低酸素脳症により死亡させたとして、業務上過失致死で長野地裁松本支部に在宅起訴したのです。しかし、異例の体制と意欲にひきかえ、捜査の内容と検察による起訴は、ずさん極まりないものでした。
刑事訴追の異常、二人で一七人の介助、「女性」から目を離したのは二八秒
 介護現場での誤嚥・窒息を原因とする刑事訴追は、文献にも見当たりません。民医連を標的にした意図的、強引な起訴と言うべきものです。
 弁護団の調査のなかで、次々に実状が明らかになりました。食堂で、おやつの提供を受けていたのは一七人、食事介助の職員は、基本的に一人の介護職員と、応援に入った一人の准看護師でした。起訴された准看護師は、当日たまたまおやつ介助は応援として入ったのですが、入所者にドーナツやゼリーを配りおえた後に、食事全介助の男性入所者の隣にすわってゼリーを三口食べさせたときに、ドーナツを食べていた「女性」の異変を、遅れて入ってきた別の介護職員が発見しました。弁護団は、その日の食堂での入所者全員の配置や食事介助にあたった職員の動きを再現実験により正確に把握しました。その時の准看護師の動きは、図のとおりです。再現実験によれば、准看護師が最後に異変のない「女性」の姿を見てから、異変を発見するまでの時間は、約一分。また、遅れて食堂に入ってきた介護職員が最後に異変のない「女性」の姿を見てから、異変が発見されるまでの時間は、二八秒にすぎませんでした。隣にいて感じる「女性」の気配にも特別のものはなく、准看護師には、なんら非難されるべき注意義務違反はなかったのです。
 矢印が准看護師の動き。着席までに何分もかかり、異変発生は、着席直後でした。
 警察の捜査は、二人だけで一七人のおやつの介助をしていたこと、職員が「女性」を直接みていない時間が極めて短いことも含め、介助の実際に目を向けないまま、交通事故の脇見運転の如く前のめりに「注意義務」を組み立てたずさんさなものでした。
 死因は、窒息とは考えられない
 「女性」は、ぐったりした姿を発見された直前、むせたり、もがいたり、苦しんだり、声を出したりすることなく、隣にすわっていた准看護師に苦しむ気配も感じさせることもなく、急に左に身体を傾けて意識を消失しました。
 「女性」はドーナツを誤嚥して窒息したのではなく、たまたまおやつの時間帯に心臓疾患か脳疾患を発症したと考えられるとの専門医による鑑定意見書も作成されています。弁護団は、誤嚥や窒息による死亡でなくその証明もないことを明らかにして、業務上過失致死というこの事件の構造を根本から崩す活動をすすめています。警察も検察も、「女性」の死因についてしっかりした医学的な検証・鑑定をしないまま、誤嚥・窒息、それが原因で心肺停止と決めつけたのです。この点でも捜査はずさんでした。
本件で見える権力側の狙い
 あずみの里は地域の信頼も厚く、国民のための医療、介護を目指す拠点でもあります。権力側の拙速かつ強引な捜査、病院職員の経歴も記載された名簿など大量の書類押収、そして強引で無謀な立件からみても、この施設に狙いを定めた意図的な攻撃であることが容易に見て取れます。また、介護への攻撃も見逃せません。二〇一五年四月からの介護報酬改定は、全体二・二七%のマイナス改訂となりました。これで、特別養護老人ホームの五割近くが赤字になると試算されています。介護の現場は、介護職員は過重労働で疲弊し、介護崩壊の危機にあります。それによって引き起こされる家族の不安や不満を警察介入によって介護施設に向けさせ、政府の施策に対する不満から目をそらし、併せて介護施設などに対する警察の支配・介入の機会を拡大する、そんなねらいも背景にあると考えられます。
 入所者のために一生懸命介護していても、ひとたび異変や事故が起きただけで、有無を言わさずに捜査され、刑事訴追される。こんなことがまかり通れば、介護職員は職場を離れ、介護内容での萎縮が始まります。介護全体が萎縮し、安易な身体拘束や流動食導入が促進され、高齢者の尊厳や生きがいや、希望にそった介護は、後退を余儀なくされることになることは容易に予測できます。まさに、本件の刑事訴追は、利用者も含む国民全体への攻撃として、引けないたたかいです。
裁判の進行と、広範な国民運動
 弁護団は、なんとしても本件で無罪を勝ち取るべく、精力的に取り組んでいます。第一回公判以降、検察のずさんな起訴に対し、徹底した求釈明でたたかい続けました。その成果もあり、三月一四日には、裁判所と交渉して期日を確保し、五時間に及ぶ弁護人冒頭陳述を行い、事案の全容を積極的に主張しました。このように長時間の冒頭陳述が必要であったということは、如何に私たちに主張すべきことがたくさんあり、反面警察等の捜査が不十分なものであったのかということを示しています。いよいよ裁判は、次回公判(二〇一六年七月六日午前一〇時)から、証拠調べに入っていきます。
 ところが、本年四月に合議体の裁判官全員が交代するという異常な事態が発生しました。弁護団は、裁判官に対し、介護の実状と検察の主張に重大な欠陥があることを訴え続け、求釈明などを経て、長時間の冒頭陳述まで認めさせてきましたが、その成果が引き継がれにくい事態となったのです。警戒すべき事態であることはもちろんですが、司法行政上も見過ごせない重大な問題です。日本の刑事司法が、自白偏重など重大な弱点をかかえているなかで、それらを乗り越える弁護活動をすすめる決意でいます。
 また、裁判運動としても、無罪を勝ち取る会が発足し、四月二四日には松本での集会が開かれました。会場に入りきれない大勢の支援者が集まり、この裁判に対し多くの人たちが関心を持っていることを肌で感じました。今後も、介護関係者・医療関係者をはじめ、本格的に、広範な裁判支援の全国的運動を展開することにしています。全国団員のご理解とご支援をお願いします。もし、各地において事件内容について知りたいとの要請があれば、弁護団の一員を派遣し、説明にあがりたいと考えております。また、介護施設に対する警察の動きについての情報も是非お寄せ頂きたい。
 なお、本件は、木嶋日出夫団員を団長、私が主任弁護人兼弁護団事務局長となり、団長野支部二〇人を超える団員と東京の四人の団員が参加し、取り組んでいます。自由法曹団の闘いの基本である裁判は法廷のみでなく法廷外の闘いをも含む車の両輪とする大衆的裁判闘争の位置づけで頑張る所存です。


終わっていない追い出し屋被害
〜悪質保証会社に損害賠償を命じる判決

東京支部  林     治

一 住まいは生活の基盤
 住まいは生活の基盤である。プライバシーが守られ、落ち着ける自分だけの空間、家族と過ごせる空間があることがどれだけ大切か。多くの人にとっては、落ち着ける住まいがあるのは当然ですから安心して生活できる住まいがあることの重要性は普段は認識されないことであろう。
 しかし、住まいを奪われてしまう心配がある、勝手に他人が入ってくる恐れがある場合には、生活の平穏は保障されない。
 裏を返せば、「住まいを取り上げる」と脅すことは、そこに住んでいる人にたし非常に厳しいプレッシャーになり、生活そのものに対する脅威になる。
二 追い出し屋とは
 そんな住まいを脅かす存在が「追い出し屋」である。
 「追い出し屋」をご存知だろうか。私なりの定義であるが、たとえわずかな家賃の滞納であっても、過酷な取り立てを行ったり、「違約金」などの名目で不当な金銭徴収をしたり、鍵交換を行ったり、家財道具の撤去などの違法行為を行う不動産業者を「追い出し屋」という。
 家賃の滞納があった場合、明け渡し請求(場合によっては強制執行まで)を行って退去を求めなければならないが、追い出し屋は、この手間と費用を省くために、違法な行為を行う。
 主体は、家賃保証会社、管理会社、賃貸人(サブリースを含む)など様々である。
三 社会的な注目と追い出し屋規制法案の提出、そして廃案
 この追い出し屋による被害は、二〇〇八年〜一〇年ころにかけて被害が急増し、各地で法律家が訴訟を提起し、集会などで訴えたこともあり、マスコミ等でも取り上げられ、社会問題化した。
 民主党政権時代には、内閣から「賃借人の居住の安定を確保するための家賃債務保証業の業務の適正化及び家賃等の取立て行為の規制等に関する法律案」(通称:追い出し屋規制法案)が提出され、参議院では全会一致で通過した。
 しかし、その後、(被害はなくなっていないにもかかわらず)社会的な注目も低くなり、衆議院に送られた追い出し屋規制法も実質的な審議をほとんどすることなく継続審議を繰り返し、結局廃案になってしまった。
 もっとも、被害がなくなったわけではなく、現在でも私の事務所にはたびたび被害の相談が寄せられている。
四 ラインファクトリー株式会社という家賃保証会社
 そんな被害相談の一つにラインファクトリーという神奈川県の物件を中心に家賃保証を行う会社が行った追い出し行為(補助錠を取り付けて入室できない状態にし、室内の荷物をすべて撤去した)について、二〇一五年四月に相談を受けた。
 このラインファクトリーという会社、実は以前にも「鍵を代えて、荷物を処分する」などと家賃を滞納していた賃借人を脅したので、二〇〇九年に横浜地裁に占有保全の仮処分を申し立てた相手方の会社であった。
 この横浜地裁での仮処分は、代理人を就けずに代表者が裁判所に出頭し、何度か審尋を行った結果、ラインファクトリーの代表者が賃借人を畏怖させたことについて遺憾の意を表し、今後の交渉は代理人弁護士を通じて行うことについて、一筆書くことになった。これにより、保全の必要性がなくなったとして仮処分の申立を取り下げる形で終わった。
 しかし、このラインファクトリーは、このことで反省したわけではなかった。今回の相談でも相変わらず追い出し行為を行っていたことがわかり、ネット上の掲示板でも追い出し行為を行う業者であるとの書き込みが継続的にされている。
五 訴訟の場でも反省せず
 二〇一五年九月に三三〇万円(内訳:家財道具の財産的損害一〇〇万円、ホームレス状態を強いられた精神的損害二〇〇万円、弁護士費用三〇万円)の損害賠償を求めてラインファクトリーを相手に提訴した。
 ラインファクトリーは、補助錠を取り付け入室できない状態にしたこと、家財道具の一切を処分したことをいずれも認めながら「被告は原告の請求に応じるつもりはない。また、原告は被告に対し被告が立て替えた滞納家賃、撤去費用と迷惑料を支払え」などと答弁書で主張し全く反省する様子がなかった。なお、本件でも代理人を就けずに代表者が裁判所に出頭した。
 ラインファクトリーが行った行為自体には争いがなく、損害額の点のみが争いとなった。そのため、損害額を示すために陳述書は提出したが(室内にどんな家財道具があったのかを原告の記憶を示したもの)、尋問を行うことなく結審した。
六 五五万円の支払いを命じる判決が確定
 二〇一六年四月一三日、東京地裁民事四九部(戸室壮太郎裁判官)は、ラインファクトリーに対し、五五万円の損害賠償命じる判決を言い渡した(確定)。損害額の内訳は、財産的損害が三〇万円、精神的損害が二〇万円、弁護士費用が五万円である。
 今回の判決の特筆すべき点は、玄関扉に補助錠を設置し原告の占有を排除したこと、室内の荷物を撤去したことのいずれにも民事上の責任が生じていることを明らかにしただけでなく、荷物撤去行為に関しては「刑事において窃盗罪又は器物損壊罪に処せられるべき行為」であると明確にしていることである。これまでの追い出し屋被害に対する判決よりも踏み込んだ内容になっている。
 一方で、ラインファクトリーが「家賃滞納後も連絡を取らなかった原告は、被告に荷物撤去することを仕向けた」との主張は原告の同意があった旨の主張と解されるが、原告の言動から同意があったとは認められないとして、これを排斥している。
 もっとも、慰謝料算定の際、原告がラインファクトリーや管理会社に連絡を取らなかった対応を「著しく不誠実」として減額要素としていることは、実態を知らない判断である。家賃を滞納している賃借人は保証会社等に連絡しても「早く支払え」「早く出て行け」と責められるだけなので、支払いや転居をできる場合以外は、連絡を取らないのは無理からぬことであり、その態度を「著しく不誠実」とするのは酷である。今の社会は、(二〇一六年一月に川崎市多摩川河川敷で殺害された少年の母親に避難が向けられたように)被害に遭った者に対しても「被害に遭った人も落ち度がある」として逆に責められる世の中であるが、この判決もそのような時世を反映していると見ることもできる。
 また、被害額としても少額過ぎると思われる。原告は母親の形見のカップまで処分されたことを嘆いていたが、事情をさらに汲んで損害額を決定してくれることを願う。
 しかし、このような点はあるとしても総じて今回の判決は評価できるものであり、今後の追い出し屋対策に有効な武器となるべきものであった。
七 法規制は必要
 いくら裁判で勝利し、お金をもらっても今回の原告のように処分されてしまった母親の形見は戻らない。こういった被害を食い止めるためには法律での規制が必要である。
 そもそも、追い出し被害に遭ってホームレスになった者は、自分の生活を立て直すことに精一杯で、追い出し被害について提訴したいと法律家のところに相談に来ることはない。追い出し屋も違法行為と認識しながら、「どうせ裁判をしてこない」と考えるからこそ、費用と時間を省くために追い出し行為を行うのである。
 国交省は、全国追い出し屋対策会議との交渉の席で「被害の相談件数が増えていない」との理由で改めて法律案を提案することに消極的であるが、相談をすること自体が困難な状態にあること、その中で裁判まで至ることは氷山の一角であることをもっと認識ずるべきである。
 追い出し屋規制法の制定をこの機会に改めて求めたい。


中通りの検証実施が決定しました 
〜「生業を返せ、地域を返せ!」
福島原発訴訟第一八回期日の報告

東京支部  馬奈木 厳太郎

一 初めての雨のなかの行進
 五月一七日、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の第一八回期日が、福島地方裁判所において開かれました。この日、国と東電から新たな書面が提出されました。
 国の書面は、今回の事故について国には予見可能性がなく、「長期評価」などに基づく対策を講じるべきだったとする原告らの主張には理由がないとするものです(準備書面一四)。
 東電の書面は、中通りでの検証について、放射線量や地域の現状については行政情報や報道などの資料で十分であり、原告本人尋問もあることから、実施の必要性や相当性はないとするものです(検証に対する意見書)。
 原告側からは、経済産業大臣が規制すべきであった津波対策措置について述べ、適時適切に規制権限が行使されていれば本件事故を防げたと主張するもの(準備書面三九)、三名の地震津波に関する専門家の証言により「長期評価」の信頼性が確認されたことを主張するもの(準備書面四〇)、被告は「長期評価」の公表直後にこれに基づく推計をなすべきであり、これにより浸水深二メートルの津波の襲来が予見可能であったと主張するもの(準備書面四一)、詳細な地震想定検討を含まない「津波評価技術」が、原子炉の津波対策の基準として被告によって意図的にその目的を越えて利用された経過についてまとめたもの(準備書面四二)などの書面を提出しました。
 期日当日は、生業訴訟史上初めて雨のなかでの裁判所に向けた行進となりましたが、あぶくま法律事務所前には三〇〇名ほどの方が集まりました。堀潤さんや井上淳一監督、おしどりの二人、東京演劇アンサンブル、原発事故被害救済千葉県弁護団の藤岡拓郎団員、「原発なくそう!九州玄海訴訟」弁護団の東島浩幸団員といった常連メンバーのほか、今回は劇団燐光群や青年座、さんらんのみなさんも駆けつけてくださり、傍聴席に入りきれなかった方々向けの講演会では、「アフリカの人々は日本に何を求めているか」と題して東京外大助教のモハメド・オマル・アブディンさんに講演していただき、こちらも好評でした。
二 三回目の原告本人尋問
 この日は、原告本人尋問が行われ、六名の方が法廷に立ちました。事故による生活の変化、現在抱える苦しみ、あるいは汚されてしまった故郷への想いなどを、それぞれご自身の言葉で語っていただきました。ふるさととは、決して一代で成るものではなく、長い年月をかけて、その地域で根づいていくなかでふるさととなっていくことへの想い、畜産を生業とし、牛とともに生活を送ってきたなかでの避難によって、やせ細り餓死した牛を見なければならなくなった無念さ、親子二代にわたってピアノ教室の生徒となり、ピアノを通じて子どもたちと交流を続けてきた人間関係が事故によって失われた喪失感など、原発にほど近い地域から避難した方々の生活環境・地域とのつながりの変化などが涙ながらに語られ、あわせて中通りで生活をしている方の子どもへの健康影響への不安や、家族間での認識をめぐるギャップについての葛藤、目に見えない放射性物質によっていまも翻弄され続けている状況など、低線量被ばくによる被害実態も改めて明らかになりました。傍聴席には、終始すすり泣きが響き渡る、そんな尋問となりました。
三 中通りの検証が正式決定
 もう一つ、今回の期日では、中通りでの検証が正式に決定されました。福島第一原発事故をめぐる裁判で中通りでの検証を実施するのは全国で初めてのこととなります。期日翌日の新聞各紙には、「福島・中通りで地裁現地検証」(河北新報)、「避難区域外も現地検証」(毎日新聞)といった見出しが並びました。
 浜通りのみならず、中通りでも検証が実施されることは、線量の多寡が被害の有無とは自動的には連動しないこと、中通りにおける生活環境の変化など、中通りにおける被害の実態を明らかにするためにも極めて重要です。
被害実態を余すことなく明らかにするためにも、原告本人尋問も検証も全力で取り組む決意です。


「部落差別解消推進法案」という
「部落差別永久化法案」の危険

東京支部  後 藤 富 士 子

 五月一九日赤旗で「部落差別解消推進法案」を今国会で成立させるべく議員立法で提出、と報道された。受任事件の関係で「同和教育」という言葉を目にして、亡霊を見たような気持ちにとらわれたばかりのタイミングだった。そして、思ったのは、兵庫県支部の山内康雄団員の死である(団通信三月一日号前哲夫団員投稿)。山内団員は、一九七四年に発生した八鹿高校事件を頂点とする南但馬での部落解放同盟(解同朝田一派といわれたと記憶しています)による集団暴力事件の被害者・家族を守る立場で、長期にわたって専従的活動をされた。
 当時、私は、司法試験受験のために一橋大学法学部の聴講生であったが、赤旗の報道を注視していたし、山内弁護士のことも記事で知った。四〇年以上前のことで不正確かもしれないが、八鹿高校事件は、生徒を下校させて、朝田一派が体育館で教師に対し凄惨なリンチに及び、半殺しの目にあわせた事件である。警察は出動しながら、リンチを見守っていただけ。「差別糾弾!」と称して行われる犯罪が、警察環視の下に遂行されたのである。
 一九日付赤旗の記事によれば、同和立法は二〇〇二年三月で終結しており、新規立法は逆行である。法案では何を「部落差別」というのか定義もなく、法案に盛り込まれた「部落差別の実態調査」は新たな差別の掘り起しによる人権侵害につながりかねず、「部落差別」を固定化・永久化するものである、というのが共産党の反対理由である。二二日の赤旗は、「全国部落解放運動連合会」を発展的に改組した「全国地域人権運動総連合(全国人権連)」事務局長のインタビュー記事で、自民党の狙いが指摘されている。差別禁止という法の名で利権維持を図る「解同」などの動きを取り込みつつ、国が人権を管理するものへ改悪することを狙っている、という。
さらに驚くべきことに、二五日付赤旗で「きょう採決狙う」と報道された。二五日午前に初めて行われる、わずか四〇分の共産党のみの質疑で終了し、衆院法務委員会採決に持ち込むという。緊急事態であるが、法案が成立したわけではない。早急に法案阻止の論戦を広げるべきであろう。
 それにしても、山内団員が生きていたら、こんなことにはならなかったのではなかろうか。 

(二〇一六・五・二五記)


書評「小説 司法修習生 それぞれの人生」
(霧山昴著)

東京支部  原   和 良

 ゴールデンウィーク前、事務所に一冊の本が送られてきた。福岡弁護士会の有名人霧山昴弁護士(ペンネーム)から謹呈いただいた「小説 司法修習生 それぞれの人生」(花伝社)という本だ。霧山弁護士には、福岡弁護士会のホームページで、拙著二冊について頼みもしないのに書評を書いていただき、親しくさせてていただいている。謹呈いただいた以上、どんなにつまらなくとも早く読んで感想を送らねばならない。
 わざわざ、「小説」と書いている以上、小説なのだろう。でも、司法修習生というあまりにもストレートなタイトルでは、売れないのではなかろうかと余計な心配をしてしまう。
 カフェのオープンデッキで、コーヒーを飲みながらページをめくりプロローグから読み始めた。何と、喫茶店での修習生どうしの若い男女の別れ話から始まるではないか。さすが霧山弁護士。ただものではない。もしかしたら、これは本当に小説かもしれない。何がこれから起きるのだろう?と興味を惹かれ、物語に吸い込まれていった。
 この物語は、一九七三年四月、司法研修所に入所した二六期修習Bクラスの前期修習の若者たちの人間模様を綴った小説である。 小説家の文章は、法律家の文章と違い説明してはいけないのが鉄則と言われている。言いたいことは説明してはいけない。情景の描写や登場人物の言葉を通じて語らせる。なかなか難しいことだが、これをやってのける霧山弁護士は、やはりすごい。本当に弁護士なのか。
 良くも悪くも、人はその時代の影響を否応なく受けながら時には時代に翻弄されながら生きていくし生きていかざるを得ない。時に司法反動が吹き荒れていた時代。それぞれの夢を抱いて研修所に入所した修習生たちの人生の葛藤を、どの立場にも偏ることなく、淡々と描写していくその手法は、いつの間にか四七期八組の自分が、二六期B組に編入して教室に座っているかのような気持ちにさせてくれる。私たちの期は、湯島で前期修習をした最後の期であるが、その共通体験がそうさせてくれるのかもしれない。
 霧山弁護士は、弁護士になって四二年目、私は二一年目。新人の弁護士と霧山弁護士の丁度中間地点に私はいる。司法改革の中で、修習生活も修習生も私は大きく変わったとつくづく思う。それをとやかくいうつもりはない。一年修習で弁護士になった若い弁護士が、もし旧司法試験時代の修習生活を追体験したいということであれば、ぜひこの本をお薦めしたい。何で、あの先輩弁護士はあんなにパワフルなのか?何であんなに頑固で頭が固いのか、その秘密の鍵を見つけることができるかもしれない。
 小説では、青法協メンバーの言葉、裁判官教官の言葉、勉強会で講師を務める青法協の先輩弁護士、青法協裁判官の言葉を通して、青法協が語られる。みんな今も現役で頑張っている先輩法曹であり親近感を感じる。数年前退官された二三期のM元裁判官の言葉も胸にささる(同じ話を退官直後に青法協の福岡常任委員会で聞く機会があった)。
 青法協結成準備会での先輩弁護士が語る言葉〜「弁護士は自由業といっても法律事務所を構えなければなりません。集団事務所といっても一人ひとりに生活がかかっています。だから、弁護士は一人あたり少なくとも二五万円の売上を毎月、確保しなければなりません。民主的運動に関わるとしても、商売としての弁護士もやらなければならないのです。そのためには、コネクション、人間関係を絶えずつくっておく必要があります。…青法協というところは、どのような法律家になっていくのかについて意識的に考える人たちの集合体、団体なのです。」これは、想像するにO弁護士の言葉であろうか?今も社会派弁護士に共通する難しい課題である。
 本書はあらゆる意味で、司法の歴史を知りこれからの司法を考える生きた教材であり、特に若い弁護士のみなさんには一読を進めたい。


学習会の手引きにブックレット
『戦争と自治体』を

大阪支部  城 塚 健 之

 京都自治労連と団京都支部によるブックレット『戦争と自治体』が刊行されました。本書を読めば、戦争体制は、自治体労働者の支えなしにはありえないことがよく分かります。
 以下、各章の見出しを参照しつつ、簡単なコメントを。
「第一章 徴兵制と市町村が果たした役割」
 戦前の帝国軍隊がどのような組織だったのか、徴兵制がどのような仕組みだったのか、当時の市町村職員がこれをどう支えていたのかがよく分かります。中国大陸で亡くなった私の祖父がどのような手順を経て徴兵されたかも初めて具体的に分かったような気がしました。
「第二章 日本国憲法で、根本的に変わった地方自治と自治体の役割」
 戦前の市町村が国家総動員態勢の中でどのような役割を果たしたのか、満州農業移民や避難を禁じた防火義務によりどれだけ多くの人々が犠牲になったかが分かります。
「第三章 戦争法と自治体労働者」
 戦争法が自治体労働者にどのように関わるのかを法律ごとに指摘。これは自治労連全国弁護団意見書「地方自治の真価が問われる―海外で戦争する国づくりと自治体・自治体労働者」(二〇一五年五月)をまとめたものでしょう。この意見書は、自治労連全国弁護団の若手のエースともいうべき、大河原壽貴(京都)・河村学(大阪)・穂積匡史(神奈川)の三団員がまとめた労作で、労働法律旬報二〇一六年一月合併号の特集「戦争法制と労働者」(労旬一八五五+五六号一〇一頁)にも収められています。
「第四章 自民党改憲草案と戦争法」
 これはコメント不要ですね。でも学習会では落とせない論点。
「第五章 戦争法廃止、憲法を守る自治体の役割」
 自治体の自衛官募集への協力、退職自衛官の採用、最近各地で目立つ政権の意向を忖度した自治体の「自主規制」の動きなどに注意を喚起しつつ、平和の守り手としての自治体労働者の果たすべき役割を明らかにしています。
 さて、本書の使い方ですが、お勧めは学習会レジュメ(パワーアップ用)のネタ本です。おそらく、各地の団員が自治体労働者・労働組合からの学習会の講師を引き受ける機会は多いと思います。そんなとき、本書を一冊手元に置いておけば、自治体労働者が知りたい論点をほとんどカバーできます。若手団員は必携ですね。
 ところで、聞くところによると、本書は京都自治労連役員の方と、毛利崇団員一人とでまとめられたとか。おそらく相当の時間と労力をかけられたと思いますが、おかげで価値ある書籍に仕上がっています。
 残念ながら、市販はされていないようですので、ご入用の方は京都自治労連までお問い合わせくださいとのことです。増刷となることを期待しています。
(問い合わせ先)
〒六〇四-八八五四 京都市中京区壬生仙念町三〇―二 
          ラポール京都五階
          京都自治労連
          電 話 〇七五-八〇一-八一八六 
          FAX  〇七五-八〇一-三四八二
 なお、ホームページから申込用紙がダウンロードできます。
http://kyoto-jichirouren.com/