過去のページ―自由法曹団通信:1563号      

<<目次へ 団通信1563号(6月11日)


今村 幸次郎 六・一九―沖縄元米兵事件に抗議の声を
林 千賀子 緊急の呼びかけ
―六・一九沖縄県民大会へのご参加を!!―
畠山 幸恵 雇止め事件で、雇止めの撤回を含む
和解を行うことができました。
大久保 賢一 北海道五区の補選の評価について
金 竜介 「部落差別の解消の推進に関する法律案に断固反対する声明」の誤り
〜ネットへの差別的書き込みの多くは既存の法律では対応できません
杉島 幸生 部落差別解消法案に、
なぜ団は「断固反対」するのか
白 充 民弁交流会一〇周年記念シンポへのお誘い
西田 穣 「平成二八年(二〇一六年)熊本地震」
救援義援金の御礼



六・一九―沖縄元米兵事件に抗議の声を

幹事長  今 村 幸 次 郎

 沖縄支部林団員からの呼びかけ(別稿)のとおり、六月一九日に沖縄で米軍属(元海兵隊員)による女性遺体遺棄事件に抗議する県民大会が開催されます。容疑者は強姦と殺害についても認める供述をしています。未来ある女性の命と尊厳を理不尽に強奪する卑劣な蛮行であり、許すことはできません。米軍基地があるが故の悲惨な被害です。こうした事件が絶えない背景には、米軍関係者に特権を与える日米地位協定があることは間違いありません。
 にもかかわらず、安倍首相は、五月二五日の日米首脳会談において、日米地位協定の見直しには一切言及しませんでした。そればかりでなく、安倍氏はオバマ氏に対し、改めて、「普天間の辺野古移設が唯一の解決策であるという立場に変わりはない」と明言しました。許しがたい民意無視の強権姿勢といわなければなりません。辺野古ノーの沖縄の民意は、六月五日投開票の沖縄県議選でも、翁長与党の大勝利により明確に示されています。
 私たちは、事件に強く抗議するとともに、米軍基地撤去、日米地位協定の改定、辺野古新基地建設阻止の声を大きく上げていきたいと思います。六・一九沖縄県民大会への全国からの参加を呼びかけます。当日は、会場内に団沖縄支部の旗を立てる予定です。参加される方は旗を目印にしてください。
 沖縄まで行くのは難しいが、抗議の声を上げたいという方は、同日午後二時から国会前で総がかり行動実行委員会が主催する一九日行動が左記のとおり開催されます(沖縄と連帯した内容の予定)。是非、こちらへご参加ください。
 安倍政権による改憲策動を許すのか、これを阻止して戦争法廃止へと進むのか。七・一〇参院選は、このことが問われる重大な政治決戦です。野党共闘の勝利をめざして、全力で奮闘しましょう。

 名称・・「戦争法廃止、安倍内閣退陣、参院選野党勝利!
      六・一九国会前行動」(仮称)
 日時・・六月一九日(日)一四時〜一五時三〇分
 場所・・国会正門前


緊急の呼びかけ
―六・一九沖縄県民大会へのご参加を!!―

沖縄支部  林  千 賀 子

 今年五月一九日、ウォーキング中に行方不明になっていた沖縄県在住の二〇歳の女性が恩納村の雑木林において遺体で発見され、元米軍海兵隊員であり事件当時嘉手納基地内で勤務していた男性が逮捕された事件を受けて、抗議の県民大会が以下のとおり開催されます。
・日時:六月一九日(日)午後二時〜
・場所:那覇市「奥武山(おうのやま)公園」内
   「沖縄セルラースタジアム那覇」及びその付近
 この事件は、被疑者の供述によると、「二〜三時間車で走り、乱暴する相手を探した」「後ろから棒で殴った」「女性に乱暴し刃物で刺した」「(女性の遺体を)スーツケースに入れて車で運んだ」とのことであり、強姦致死罪であることの可能性を窺わせる非常に悲惨なものです。遺体発見以降、沖縄は、被害者女性の死を悼む祈りの声と、尊い命が奪われたことについての悲しみ・怒りに包まれています。
 一二万人以上の県民が犠牲となった沖縄戦以来、沖縄は、土地の強制収用や軍用機の爆音被害、墜落事故・落下物事故、環境汚染などの米軍基地による深刻かつ過重な負担に喘いできました。加えて、今回のような米軍基地関連の悲惨な犯罪事件は、復帰後も後を絶たず、復帰後の凶悪事件だけで五七一件(二〇一四年一二月現在)に及びます。沖縄県民は、戦後七〇年にわたって、こうした数々の被害を生み出す米軍基地の整理・縮小を求めてきましたが、日米両政府は空虚な防止対策の約束を繰り返すばかりで、事態は改善されていません。
 こうした多くの事件は、米軍基地があるが故に起きたことは明らかです。今回の事件で、沖縄県民はあらためて、この厳然とした事実を直視し、米軍基地の全面撤去を求める声も沸き起こっています。こうした中、*オール沖縄会議を中心に、数万人規模の県民大会を開催することが決定されました(翁長知事にも参加を呼びかけ中)。本大会では、今回の事件に抗議の意思を示すとともに、米軍普天間飛行場の閉鎖・撤去、県内移設断念などを盛り込んだ「建白書」の実現、日米地位協定の改定、海兵隊の沖縄からの完全撤退等を求めることが予定されています。
 米軍基地の問題は、沖縄だけの問題ではないことは言うまでもありません。安全保障法制の施行、日本国憲法改正≠フ可能性など、憲法の平和主義が変節させられようとしている今日、「軍事力による安全保障」によって真に国民の暮らしと生命を守ることが出来るのかーこの深刻な問いへの答えが、米軍基地問題にほかなりません。
 開催地の奥武山公園は、那覇空港から、ゆいレールで三駅目(下車駅は「奥武山公園駅」)、車でも一五分程度と、非常にアクセスの良い場所です。緊急ではありますが、米軍基地の重圧下にある沖縄の現実と県民感情を理解して頂くためにも、特に全国から若い団員の方々が参加されることを強く期待しております。皆様におかれましては、お忙しいこととは思いますが、ぜひご参加頂ければと思います。
───────────── 
* オール沖縄会議:正式名称「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」。名護市辺野古への新基地建設阻止に向け、政党や市民団体、経済界など幅広い団体を網羅する組織。昨年一二月発足。


雇止め事件で、雇止めの撤回を含む
和解を行うことができました。

東京支部  畠 山 幸 恵

 町田市のファミリー・サポート・センターを運営するNPO法人に雇用されていた原告らが、組合結成後、原告らを含む組合員全員が期間満了をもって雇止めとされた事案について、このたび、雇止めの撤回を含む勝訴的和解といえる解決ができたので、ご報告します。
【事案】
 原告らは、ファミリー・サポート・センターのアドバイザーとして一ヶ月約一〇日程度勤務で一年間の有期契約で雇用されていた。ファミリー・サポート・センターとは、地域の中で、援助を受けたい依頼会員が援助をする援助会員から子育てに関しサポートを受けるというもので、原告らが行っていたアドバイザー業務は、これらの依頼会員と援助会員のマッチング等を行うものである。原告らは、これまで一年契約だったところ、平成二五年度の契約更新において六ヶ月契約を提示されたため、組合を結成。団体交渉等を経て、同年度も一年契約となった。契約期間満了約一ヶ月前の平成二六年二月二七日に突然、「雇用契約終了の予告通知」が原告らを含む組合員全員に送付されたため、原告らは、団体交渉を求めた。しかし、団体交渉直前に「二〇一四年度求人募集の件」という文書が被告NPO法人から送付され、その内容は、一ヶ月一六日以上勤務と原告らのそれまでの勤務日数と異なるものであった。その後の団体交渉で原告らは説明等を求めたが、被告がほとんど何も話をすることなく退席し、平成二六年三月三一日で雇止めとなった。なお、雇止めとなったのは組合員全員で、雇止めとならなかったのは組合に加入していない新人一名だけであった。
 原告らは、少なくとも四〜五回更新され(出産のための一時退職を含むと八回にのぼるものもいた)、更新の契約書は契約期間後に作成されることがほとんどであった。また、原告らの契約形態が有期契約であることについて、被告NPO法人が町田市からの業務委託契約が一年契約であることを理由としてあげたため、同業務委託契約が随意契約であることも争点となった。さらに、原告らの勤務日数が月一〇日程度であり、被告が求める月一六日勤務に対応できないことも、一六日勤務の必要性の面から争点となった。そのほか、ファミリー・サポート・センターのアドバイザー業務が、専門的で継続性を必要とする業務であること等も主張した。
 尋問前にベローチェの第一審判決が出たため、雇止めに対し厳しい判断がなされることを警戒したが、尋問においては原告らの職務の専門性や継続性等をきちんと理解してもらうことができ、最終的には、裁判所から復帰を前提とした和解を打診された。
 結論としては、復帰をせずに和解となったが、雇止めの撤回、原告らがファミリー・サポート・センターで数多くの業務に従事した点について感謝の意を表すること、ファミリー・サポート・センター事業のサービスの質及び従業員の労務環境の向上の宣言等の文言を盛り込んだ和解であった。
 雇止めに関する勝訴的和解の一事例として、参考になれば幸いです。


北海道五区の補選の評価について

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 定山渓での五月集会で、衆議院北海道五区の補欠選挙の結果についての評価が語られていた。評価のポイントは、統一候補が善戦したこと、無党派層を巻き込んだこと、参議院選挙の一人区での戦いに生かせるだろうということなどである。私には、いわば手放しでその結果を積極評価しているかのように聞こえたのである。本当にそういう評価でいいのであろうか、というのが私の問題提起である。
 私も、町村一族の影響力の強い地域で、しかも信孝議員の弔い合戦ということであれば、その娘婿が圧勝すると予想されるのは当然であり、新人議員が互角の戦いをしたのであるから、その善戦を讃えるにはやぶさかではない。
 けれども、現実の数字はこうなっている。まず、投票率は、前回の総選挙時は五八・四三パーセント、今回の補選は五七・六三パーセントである。得票数は、前回の町村票が一三一、三九四票、民主党と共産党の候補者の合計票は一二六、四九八票である。今回の和田候補の得票数は一三五、八四二票、池田候補は一二三、五一七票である。得票率は、前回の町村候補は五〇・四三パーセント、和田候補は五二・三八パーセントである。前回の得票数差は四八九六票、今回の得票数差は一二、三二五票である。得票率は一二・四三ポイント開いたことになる。ちなみに、池田候補の得票数は前回の民主・共産の得票数よりも二九八一票少ないのである。
 この数字を見れば、無党派層が選挙に行ったかどうかも、候補者統一が成功したかどうかも判然としないように思われるのである。投票率が下がっているのであるから前回に比較して選挙民の関心が高かったと評価することはできないのではないだろうか。得票数も減っているし、得票数差も得票率も前回より開いているのだから、統一の成果が表れたと評価することにも無理があるのではないだろうかと思うのである。
 もちろん、このような数字が出てくるのは、池田候補が無所属であることによる選挙戦でのハンディキャップとか、自民党や創価学会の組織選挙に後れを取ったとか、自衛隊基地が多いとかなどの理由も考慮に入れなければならないであろう。
 しかしながら、この数字を無視したまま手放しで評価し、あたかもこの補選が参議院選挙の一人区での戦いのモデルケースになるなどと考えるのは、あまりにもナイーブではないかと思うのである。
 私たちに求められていることは、冷静に数字を分析し、そのうえで、彼我の力関係を乗り越えるための熱い戦いであろう。
 今更なぜこんなことをと思う団員もいるかもしれないけれど、五月集会でのあいさつなどを聞いていると、少しだけ心配になったが故の問題提起として受け止めていただきたい。

二〇一六年六月六日記


「部落差別の解消の推進に関する法律案に断固反対する声明」の誤り
〜ネットへの差別的書き込みの多くは既存の法律では対応できません

東京支部  金   竜 介

 本稿は、「部落差別の解消の推進に関する法律案に断固反対する声明」(二〇一六年五月二四日)の内、ネットへの差別的書き込みが既存の法律で対応できるとしたことについて論じるものです。以下指摘するとおり、ヘイトスピーチ根絶のための活動している自由法曹団にとって重要な問題をはらんでいるからです。なお、私は、本声明について全面的には賛成できませんが、多くのことを語ると議論が混乱するため本稿は上記の点に絞ります。
一 本稿で問題とする声明の文言
 本声明は「ネットへの差別的書き込みなどはプロバイダ責任制限法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)に基づき、プロバイダに対して削除請求するなど、既存の法律で対応することが可能である」と明言しています。
 ネットへの差別的書き込みというのは、特定の個人(団体)に対するもの、不特定多数に対するものまでを含みます。例えば、特定の者の名誉棄損やプライバシーを侵害するもの(「A氏は詐欺の前科がある」)、不特定多数の者に対する害悪の告知(「朝鮮人を殺せ」)、侮辱(「同性愛者は異常動物だ」)、虚偽の情報〈デマ〉(「私はアイヌ民族ですと自己申告すれば生活保護を優先して受給できる」)などです。
二 本声明の問題点
 特定の個人や団体に対する名誉棄損や脅迫が刑事犯罪とされ、不法行為とされることには異論はないでしょう(京都朝鮮学校襲撃事件は現行の刑事法や民事法で対処が可能な例です)。これに対し、不特定多数に対する言動は、現行法では対処できません(「鶴橋大虐殺を起こしますよ!」)。法律制定の是非が議論されているのは、主に後者です(憲法学者の木村草太氏は、前者について現行法で対処できるものを警察などが対処しないことが問題であるとした上で後者について法による規制については慎重な姿勢をとります。多くの憲法学者が法規制の是非を論じているのは後者についてです)。
 この点は、ヘイトスピーチが行われるのが、公道であるか、インターネットであるかで異なりません。インターネットで「○○(個人名)を殺せ」と書き込めば、刑事法で処罰されることとなりますし(特定型)、「日本にいる朝鮮人をすべて死刑にしろ」と書き込んでも現行法では違法とはなりません(不特定型)。そして、現行法では、前者については削除が可能、後者については削除する手段はありません。
三 ネットによる被害を理解してもらいたい
 ヘイトスピーチが過激化してからも、ヘイトスピーチが深刻な被害をマイノリティに与えるということはなかなか理解されませんでした。多くの弁護士の努力もあって「無視すればよい」という弁護士を支持するものは少なくなりました。ヘイトスピーチが深刻な人権侵害であること、無視するのでなくなんらかの対抗策が必要であることは、多くの団員の共通認識になったと思われます。
 ただ、路上や公園で叫ばれているヘイトスピーチと異なり、ネットの書き込みについては、被害の深刻さが充分に理解されているとはいえません。ネット上にあふれる言葉‐「日本の強姦犯のほとんどは朝鮮人」「日本の一般市民が朝鮮人を殺したいと感じたとしても不思議はないです」−が重大な被害を与えていると説明しても「ネットを見なければいいんじゃないの?」という反応が多いのが実情です。
四 ネットのデマがジェノサイドにつながる
 ナチスは当初からユダヤ民族を抹殺すると公言していたわけではありません。ユダヤ民族が劣等民族であるという虚偽の情報(デマ)を流布したことで、排除の対象となる人々への嫌悪や無関心を引き起こされ、社会から排除することを正当化し、ついには、言葉の暴力から肉体的暴力、抹殺(ジェノサイド)へと至ったのです。「ツチ族はゴキブリだ」との言葉がラジオで広められてルワンダの虐殺が始まりました。関東大震災で「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」とのデマが虐殺につながったことは周知の事実です。
 「殺せ」という直接的な表現よりも怖いのがデマです。排除の対象となる者が自分たちより劣った民族であるということや自分たちの財産や命を奪う連中だと思い込むことで虐殺のハードルは極めて低いものとなります。多くの人は「殺せ」という過激な言葉は嫌悪します。しかし、〈自分たちより劣る〉〈自分たちの財産を奪う〉という言葉はじわじわと広まります。マジョリティの心が自覚なく侵されていくのが怖いのです。
 昨年流されたデマに「在日コリアンは二〇一五年七月以降は不法滞在となる」というものがありました。この情報を信じた日本人から嫌がらせを受けた者がおおぜいいます。このような虚偽情報をネットから削除する手段はありません(個人名が記載されている箇所については、法的に削除が可能かもしれませんが、これは個人名の削除だけの問題ではありません)。
 インターネットによるヘイトスピーチは、弁護士にとって大きな課題です。現行法で対処できるものもあるでしょうが、現行法で対処できないものから被害者をどう守るかを私たちは考えなくてはならないのです(念のために述べておきますが、私は、現行法では削除できないネットの書き込みまでを削除できるような取締法を直ちに作ることをここで提案しているわけではありません)。
五 本声明は誤ったメッセージを発信した
 本声明は二つの観点からその誤りを指摘できます。
 まず、自由法曹団の内外に「ネットへの差別的書き込みは既存の法律で対応することが可能」との誤った認識を広めたことです。ヘイトスピーチの根絶というテーマは、団の重要課題ですが、このままでは団内で議論するときに〈ネットへの書き込みは現行法で対処可能〉を前提にすることになります。現行法では対処できないヘイトスピーチをどう止めるか−公道や公共施設についてはこのような論建てをしながら、ネットについては、その論点は存在しないということになってしまいます。これでは、ヘイトスピーチの根絶を適切に議論することができません。
 そして、もう一つの観点は、〈自由法曹団という団体はネットでの差別的表現は現行法で対処できると認識する団体である〉と被害者に受け止められてしまったことです。ヘイトスピーチの被害者に寄り添って闘っている団員にしてみれば、こちらの方が影響が大きいかもしれません。
六 声明を修正して信頼を取り戻すことが必要
 以下は、推測と仮定を交えての話となります。
 今回の声明を出すに当たって、ネットの差別表現の削除の可否という点は、あまり深く議論されることはなかったのではないでしょうか。仮に、本法案とは無関係にヘイトスピーチの根絶を団で討議したら「ネットのヘイトスピーチは現行法で対処できる」との結論は出なかったのではないでしょうか。本法案の立法理由を否定するという目的のあまり緻密に精査することなく結論を導いてしまった感があります。
 〈あなたはネットへの差別的書き込みは既存の法律で対応することが可能と考えているのですか〉と本声明を見た人から聞かれた各団員がこれを肯定しても(現行法で対応できる)否定しても(団の声明は間違っている)自由法曹団の信頼は崩れてしまうでしょう。団の信頼を取り戻すためには、早急な修正が必要です。そうでなければ、ヘイトスピーチの被害を理解しない団体だと思われたままとなってしまいます。
 ヘイトスピーチの被害の多くは現行法で対処できないからこそこれを根絶するための取り組みが続いているのです。


部落差別解消法案に、
なぜ団は「断固反対」するのか

大阪支部  杉 島 幸 生

一 はじめに
 自・公・民進党三党が、五月一九日に突如提出した提出した「部落差別解消法案」は、日本共産党清水ただし議員の反対討論もあって審議入りせず、次国会へ継続となりました。団本部も法案成立に「断固反対する」との緊急声明を出しこれに対抗しました。しかしながら若手団員の一部からは、なぜ団が差別解消を求める法案に「断固反対する」のかよく分からないとの声もあります。そこで、私個人の見解ではありますが、なぜ団がこの法案に反対しなくてはならないのかを考えたいと思います(声明の内容そのものは、団ホームページでご確認ください)。
二 部落解放運動の混乱
 部落差別があってはならないというのは、当然のことです。しかし、部落差別は、女性差別、障害者差別、外国人差別などとはまったく構造が違います。これらの差別は、「女性」、「障害」、「国籍」という属性を理由に、不利益な取り扱いをすることです。その解決のためには、その属性に応じた異なる取扱いをすることを通じて、その不利益や社会的偏見を取り除いていくことが「施策」となります。
 これに対して、「部落民」という属性は果たして存在しているのでしょうか? 行政が部落問題の解消のために特別な「施策」を実施するとなれば、なんらかの方法で対象者を特定しなくてはなりません。そこで、かつての同和行政は、行政が「同和地区」を指定して、そこに居住している人を「同和行政の対象者(=「部落民」)」であると特定しました(属地主義)。これにより同和行政の対象者(部落民)と、そうでない人との区別があらためてつくりだされることとなりました。かつては、ここから「同和行政を受けたい人々」が、行政に同和地区の指定を求めるようになり、同和地区が増えていくということも起こりました。その結果、行政によって新たな「部落」が作られるという事態も生まれました。他方、「他の市民と区別されることを望まない人々」は、指定の返上を求めるということとなり、ここから解放運動の分裂も生まれました。
 しかし実際には、さらに複雑な問題が生じます。というのは、同和地区に住んでいても、他の地域からの移住者は、「部落民」なのか、同和地区で生まれても地区外に移転した人は「部落民」ではないのかという問題が生じるからです。もし居住地域以外に、その判断基準を設けるとすれば、それこそ戸籍を追いかけて、「お前の祖先は、被差別部落の出身者である」という認定をしなくてはなりません(属人主義)。さすがに行政がこうした認定をすることはできませんでしたので、行政は、同和団体(端的に言うと部落解放同盟)にその判断を一任します。そうしますと同和行政を受けるためには、部落解放同盟に「部落民」と認定してもらわなくてはならないということになります(これが「窓口一本化」です)。そのため解放同盟の方針に反対する人は、同和地区の出身者であっても同和行政を受けることができないということになり、解放同盟が運動のなかで絶大な権力を有していくこととなります。そこから解放運動の変質が急速に進んでいきました(同和団体による「利権あさり」は、こうしたところから生まれてきました)。
 声明は、同和行政を実施することで、こうした事態が再現するのではないのかということを懸念しているだと思います。
三 誤った運動が作り出したあらたな差別
 いままで述べてきたことは、「部落問題解消」を目的とした特別な行政(同和行政)を実施することの困難さです。しかし、その背景には、単に技術的な困難さや、濫用のおそれという問題にとどまらず、「部落問題の解決とは、どういうことなのか」、「それをめざした運動のあり方」という大問題が存在しています。
 同和行政を求める人たちは、当然、「部落民」なるものが存在していることを前提としています。歴史的に差別されている「部落民」なるものが、現在も脈々と存在しつづけており、その人たちが苦しんでいるだから、「部落民」の苦しみがなくなるまで、行政は救済措置をとり続けなくてはならないと言うのです。
 では、誰が「部落民」を差別しているのか。それは「部落民」以外の人間であるということになります。そこから「部落民」は、自らが「部落民」であることを自覚して、差別と闘わなくてはならないという運動方針が生まれました。同和地区出身者を見つけ出し、自分は部落民であると宣言させるという「部落民宣言」も、そこから生まれた運動です。大阪などでは、解放同盟に傾倒した教師たちが、地区出身の子どもたちにクラスメートの前で「部落民宣言」を強要するということも頻繁にありました(いわゆる解放教育です)。
 また部落民は、差別されてきた者として差別とたたかう権利がある。そして何が差別かは、差別された者にしかわからないのであるから(「足を踏まれた痛みは、足を踏まれた者にしかわからない」)、私たち(解放同盟)が差別だと思えば差別なのだ、差別者は、それを受け入れない限り、差別者であり続けるのだから、差別者と認めるまで糾弾しなければならない(これが「糾弾権」です)という方針もここから生まれました。今では信じられないことでしょうが、兵庫県の八鹿高校では、解放同盟が、異なる立場で同和教育をすすめていた先生たちを差別者と決めつけ、自らを差別者と認めなかった約五〇名を体育館に監禁して、殴る蹴るの暴行を加える、頭から水をぶっかけるなどして屈服を迫るという事件も引き起こされました。そこまではいかなくとも糾弾と称した大小の暴力事件は数え切れないくらいありました。糾弾の恐怖から自殺した者も多数います。
 こうした立場からすれば、部落解放とは、そうした血みどろの闘いの彼岸にあるということになります。そして、こうした運動は、普通の市民から「同和は怖いもの、近寄ってはいけないもの」としてタブー視され、「部落民」は、私たちとは違う人たちという新しい差別意識を生み出すこととなりました。
四 部落問題の解決とは
 他方、そこにいるのは同じ市民なのであって、「部落民」など存在しない。部落差別の解消とは、かつて部落と呼ばれた地域に生まれた人であっても、普通の市民として同じように扱われることだ。同和行政は、歴史的に形成されてきた旧部落の劣悪な生活環境(実際に下水道がない地域や、大雨になるとたいてい洪水が起こるという地域も多くありました)や、教育条件などを改善することにとどまるべきである。同和行政によって、一定の改善がなされたのであれば、速やかに一般行政(貧困問題をかかえる他の市民と同じ扱い)に移行すべきである。部落問題の解決とは、市民が「部落」の存在など忘れさって、普通の市民として暮らしていくことができるようになることだと考える人々もいました(こうした考え方を国民融合論と言います)。
 解放同盟が強かった大阪市内のある同和地区などでは、解放会館がそびえ立ち、同和住宅が建ち並び、入浴料数十円の立派な銭湯などがあって、近隣の地域とは一見してことなる風景をつくりだしていました。そこには地域外からの新しい住民の流入も少なく、「部落」コミュニティーがいつまでも残っていました。「部落民」の解放を求める立場からは、これが解放運動の成果であると位置づけられました。
 他方「部落民」など存在しないという立場から、住民運動で同和地区指定の返上を求めた関西のある地域は、解放会館も同和住宅もありませんが、今では、そこがかつて部落と呼ばれた地域であることを知る人も少なくなり、関西有数の人気住宅地となっています。
 繰り返しになりますが、障害者差別や女性差別、外国人差別などは、その違いを認め、それに応じた異なる扱いをすることで解消の方向に向かいます。これに対して部落差別は、同じ市民として扱い続けることで解消に向かうという性質をもっています。こうした差別の構造の違いを踏まえない対応は、たとえ善意からのものであったとしても、部落問題の解決を遠ざけることにしかなりません。
五 なぜ同和行政は終結したのか
 かつての同和行政の根拠となっていた同対法、地対法は、いずれも時限法でした。それは同和行政があくまで歴史的に蓄積されてきた劣悪な環境を改善する範囲内での一時的なものであるとの認識があったからです(それでも同和地区を指定することで、同和地区とそれ以外を区分し、同和利権を得ようとする人たちが自らの行為を正当化する根拠となりました)。
 一〇数兆円という膨大な同和予算が使われることで、同和地区の生活環境や教育条件、労働環境は、大幅に改善されてきました。先ほど述べたような異常な風景が生まれた地域もあったものの、全国的には、同和地区と言われてきた多くの地域で、地区外から移転してくる住民もふえ、最後の差別とも言われた地区外者との結婚も大幅に増えていきました。こうした実態を踏まえ、地対協答申は、同和行政はその役割を終え、いまではかえって弊害を生み出しているとして、その終結を打ち出したのです。
 このときも同和行政の存続を求める人たちは、「まだまだ差別は残っている。だから同和行政を続けなければいけない」と特措法の延長を主張していました。そのときの根拠として持ち出されたのが、「差別落書き」でした。陰湿な差別落書きが頻発するのは、差別意識が根強く残っているからだというのです。しかし、実際に落書きをしていたのが、解放同盟の活動家であったという漫画のようなことが発覚し、そうした主張も力を失っていきました。
六 部落差別解消法案のもつ問題点
 文字で書くと簡単ですが、同和行政を終結させるべきという運動を担ってきた人たちは、文字どおり体を張って、その運動を続けてきたのです。そうした人たちの多くは旧同和地区の出身者です。自らの被差別体験から、差別の解消を求めて運動をはじめ、部落問題の解決とは、同和地区出身を特別扱いしない、する必要のない状態になることだとの信念のもとに運動を進めてきたのです。そうした人たちは、旧同和地区出身者であるにもかかわらず、差別者と批判され攻撃を受けてきました。私のある知人は、父親が、そうした活動家であったことから、小学校のとき、解放同盟に心酔していた教師に教室の前に呼び出され、クラスメートの前で「この子は差別者の子どもだ」と批判されたそうです。少なくとも大阪では、こうしたことはまれな例外でありませんでした。そうした人たちにとって、今回の部落差別解消法案は、「悪夢の再現」以外のなにものでもありません。
 今回の法案は、部落問題の解消のための「施策」を進めることを求めています。「施策」の内容がはっきりしませんが、そうであるだけにかつての「同和行政」の復活につながる可能性があります。そうしますと、再び「施策の対象となる人々と、それではない人々」との間に、「部落」というラインを引くこととなります。しかも、この法案は、恒久法ですから、そうした状態がいつまでも続くことを前提としています。ここから声明は、この法案は、部落差別を「固定化、永久化する」ものだと位置づけているのだと思います。   また「部落差別」の定義も明確ではありません。そのため、かつてそうであったように、同和団体が、差別の認定者として「権力」をもち、自分に反対する者に対して、「差別解消法」の精神を踏みにじる差別者であるなどの決めつけをして屈服を迫るということも生じてくることでしょう。
 さらに現在、旧同和地区と、そうでない地域との間で、一般行政では対応できない特別な「施策」を実施しなければならないほどの著しい格差が存在しているとはおよそ言えず、その意味で立法事実も存在していないのではないでしょうか。
 今回、立法事実として、インターネット上の差別的表現が取り上げられているようです。かつての差別落書事件の顛末を知るものとしては、正直、「おいおい、またかよ」との思いをぬぐうことができません。仮にそうではないとしても、差別意識をもつ人間などは、いつの時代にも、どこにでもいるものです。そうした輩によって、たまたま行われたインターネット上の表現に対しては、すでに対抗策(例えば、プロバイダー責任制限法)が存在しています。仮に、それが不十分なものであったとしても、インターネット上の差別表現に対抗するために今回のような法律をつくることは、「角を矯めて牛を殺す」ことになるのではないでしょうか。
七 団は「断固反対」すべきである
 部落解放同盟の暴力に、行政も、警察(八鹿高校事件では、地元警察は解放同盟の暴力を現認しながらそれを黙認しました)も、マスコミも沈黙するなかで、団の先輩方は、その暴力的糾弾や、利権あさり、行政の私物化と闘ってきました。私自身は、もう少しあとの世代ですので、直接の体験はありませんが、これは団の誇るべき歴史だと思います(この点は、私のつたない解説より、団物語を読んでください)。こうした歴史のある団だからこそ、今回の法案には、「断固反対」しなければならないのだと思います。


民弁交流会一〇周年記念シンポへのお誘い

沖縄支部  白     充

 団沖縄支部は毎年、韓国・民弁(民主社会のための弁護士会)の米軍問題研究委員会との間で、平和交流会を行っています。
 この平和交流会は、相互の米軍基地関係訴訟の経験交流と、駐留米軍協定の比較研究等を目的として実施されており、二〇一六年をもって一〇周年を迎えます。
 一〇周年を記念して、今年は九月三〇日午前、午後を通して、ソウルでシンポジウムを開催します(なお、二〇一六年五月集会特別報告集でお知らせした日程から変更されているので、ご注意ください)。
 シンポでは、一〇年間続いた平和交流会の経験の共有、「北東アジアの平和に向けた韓国と日本の役割」を共通テーマとして、金大中政権下で太陽政策を発案したチョン・セヒョン元統一部長と、君島東彦立命館大学教授の基調講演が予定されています。なお、シンポの会場は、交流会の中心メンバーの一人であった民弁のイ・ジェジョン弁護士が、今次の韓国での総選挙で「共に民主党」から当選し、国会議員となったことから、韓国・国会議員会館を借りて行うことも予定されています。
 日韓関係の悪化、東アジア情勢の緊張、米軍の東アジア戦略といった課題が山積する中で、我々の平和交流会だからこそ可能な議論と視座を提示したいと考えています。
 また、翌日からの公式ツアーは、一〇月一日朝から三日夕方までの二泊三日で、韓国民主化の灯となった光州事件があった光州(クァンジュ)、施設の撤去を勝ち取ったメヒャンリ射爆場跡への訪問が予定されています。
 特に旅行社等は利用していませんので、(1)シンポのみご参加の方は、往路・九月二九日の便、復路・一〇月一日の便をご自身でお取りください。また、(2)シンポ及び公式観光にご参加の方は、往路・九月二九日の便、復路一〇月四日の便をお取りいただければ、全てのスケジュールにご参加いただけます。
 参加をご希望の方は、沖縄合同法律事務所(〇九八―九一七―一〇八八)まで、ご連絡ください。ご連絡をいただいた方には、追ってシンポの会場や詳細な日程等をお知らせします。なお、宿泊場所については、団沖縄支部でまとめて予約することもできますので、ご希望であればその旨、お知らせください。
 この機会に、東アジアの平和について、共に(楽しく)考えてみませんか?


「平成二八年(二〇一六年)熊本地震」
救援義援金の御礼

事務局長  西 田   穣

 二〇一六年四月一四日及び同月一六日に続けて発生した平成二八年(二〇一六年)熊本地震(気象庁発表の呼称による)につき、多くの団員・団員事務所の義援金のご協力に深く感謝申し上げます。
 二〇一六年五月末日の段階で合計一二〇万七一〇〇円の義援金のご協力をいただきました。これらの義援金は、被災者の人権を守り、被災者と協力して復興に尽力する被災地の団員や法律事務所の活動を支えるために、自由法曹団熊本支部の方に送金させていただきました。皆様に対し、引き続きご協力をお願い申し上げると同時に、改めて御礼申し上げます。
 また、自由法曹団では、今後、被災の状況や要請を受け、人権擁護、そして復興に向けた具体的活動も進めたいと考えております。全国の団員のみなさんには、被災地の支部の皆さまを激励していただくとともに、一致団結して具体的な活動にご協力いただくようお願い申し上げます。
(振込先)三菱東京UFJ銀行 錦糸町支店(店番〇八二)
                     普通口座 〇四九九八九四
   口座名義 「自由法曹団・カンパ口 西田穣(ニシダミノル)」