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西田 穣 二〇一六年佐賀・唐津総会が開催されました。
新垣 勉 〜総会感想・古稀団員から〜
経験をどう語り継ぐか
渡辺 和 恵 古希の祝いに感謝
村山 晃 古希表彰とこれからの総会
塩沢 忠和 総会での古稀表彰はいつまで続くのだろうか
森野 俊彦 古希表彰を受けて
今村 幸次郎 退任のごあいさつ
藤岡 拓郎 事務局次長の任期を終えて
永尾 廣久 古稀ってなんだ?
岩月 浩二 TPPのISD条項に関する参考人として呼ばれて
田村 陽平 組合解散か、それとも廃園か
―千葉私教連・都賀の台幼稚園組合の労働委員会でのたたかいの記録―
渥美 玲子 「マタハラ弁護団愛知」結成と活動
高木 一彦 高江への機動隊派遣に住民監査請求
笹本 潤 アジア太平洋法律家協会(COLAP)設立される!
設立シンポ、パーティー、南シナ海会議にご参加を



二〇一六年佐賀・唐津総会が開催されました。

事務局長 西 田   穣

一 二〇一六年一〇月二三日、二四日の両日、佐賀県・唐津市の唐津シーサイドホテルにおいて、自由法曹団二〇一六年総会が開かれました。本総会では、延べ二七五名の団員が全国から集まり、活発な議論が行われました。
二 全体会の冒頭、東島浩幸団員(佐賀支部)、加藤健次団員(東京支部)両団員が議長団に選出され、議事が進められました。
 荒井新二団長の開会挨拶、地元佐賀支部の宮原貞喜支部長からの歓迎挨拶に続き、佐賀弁護士会・長戸和光会長、全国労働組合総連合・岩橋裕治副議長、日本国民救援会・岸田郁事務局次長、日本共産党・仁比聡平参議院議員、山添拓参議院議員の各氏から、ご来賓の挨拶をいただきました。また、本総会には全国から合計四七本のメッセージが寄せられました。
三 ご来賓の挨拶に続き、恒例の古希団員表彰が行われました。今年の古希団員は四〇名で、うち一三名の古希団員が総会に参加されました。参加された古希団員には、荒井新二団長から表彰状と副賞が手渡されました。また、古希団員を代表して、塩沢忠和団員(静岡県支部)、佐藤欣哉団員(山形支部)、佐々木新一団員(埼玉支部)、村山晃団員(京都支部)からご挨拶をいただきました。
四 続いて今村幸次郎幹事長から、本総会にあたっての議案の提案と問題提起がなされました。
 議案書の第一章に基づき、その後の情勢の変化も加味しながら、現在全国民が直面している(1)改憲阻止のたたかい、(2)自衛隊PKO派遣にかかる諸問題、(3)沖縄における辺野古新基地建設や高江における弾圧などの問題、(4)監視・密告社会をもたらす共謀罪の導入と刑事訴訟法改悪の問題、(5)労働法制改悪をめぐる諸問題などについて問題提起し、あわせて各分散会で討議されるべき主要なテーマについて解説しました。さらに予算・決算の報告がなされました。
五 次に、山添健之団員(東京支部)から会計監査について報告がなされました。続いて、選挙管理委員会の酒井健雄団員(東京支部)から団長に荒井新二団員(東京支部)が無投票で選出された旨の報告がなされました。
六 一日目の全体会終了後、四つの分散会に分かれて議案に対する討論が行われました。
 今年は、各分散会の共通のテーマとして、(1)憲法と平和・民主主義をめぐるたたかい、(2)沖縄の米軍基地をめぐるたたかい、(3)共謀罪と監視社会化に反対する取り組みを中心とした治安警察問題、(4)TPPをめぐるたたかい、(5)労働者の権利と生活を守るたたかい、貧困を克服するたたかい、(6)「主権者」教育と政治的中立をめぐる教育問題、(7)原発ゼロと原発被害回復、核兵器廃絶を求める取り組みなどのテーマに沿って討議が進められ、この間の実践の報告も含めて、各分散会で活発な議論がなされました。
 各分散会の議論を受けて、二日目の全体会では以下のテーマで各団員から発言がなされました。
〇久保田明人団員(東京支部)明文改憲阻止のたたかいについて
〇藤岡 拓郎団員(千葉支部)南スーダン戦争法・PKO問題の現状と課題
〇毛利 正道団員(長野県支部)野党共闘の経験と取り組みについて
〇飯田美弥子団員(東京支部)衆議院にも団員議員を!
〇仲山 忠克団員(沖縄支部)沖縄における米軍基地問題について
〇鈴木兼一郎団員、相曽真知子団員(いずれも神奈川支部)沖縄・高江を訪問して
〇田井  勝団員(神奈川支部)TPP反対のたたかいについて
〇三澤麻衣子団員(東京支部)共謀罪成立阻止に向けて
〇河野善一郎団員(大分支部)別府警察署・監視カメラ盗撮事件の報告と問題点
〇種田 和敏団員(東京支部)労働法制改悪阻止に向けた取り組み
〇増田 悠作団員(埼玉支部)一八歳選挙権をめぐる教育問題の現状と課題
〇大久保賢一団員(埼玉支部)核兵器廃絶に向けて
〇稲村 蓉子団員(佐賀支部)佐賀支部団員の取り組みの報告
〇横山  雅団員(東京支部)今市事件の報告とお願い
 これらの発言以外に、柿沼真利団員(東京支部)から「原発問題をめぐる取り組みと今後の課題」の発言通告がありました。
七 討論の最後に今村幹事長がまとめの発言を行い、議案、予算・決算が採決、すべて承認されました。
 続いて、以下の一一本の決議が採択されました。
〇憲法の破壊・九条の改悪を許さず、平和勢力の結集を訴える決議
〇南スーダンPKOに参加する陸上自衛隊に「駆けつけ警護」等の新任務を付与することを許さず、現在派遣されている部隊の速やかな撤退を求める決議
〇安倍政権が強行する辺野古新基地建設及び東村高江ヘリパッド建設に反対し、沖縄の民意を尊重すること及び新基地建設の即時中止することを求める決議
〇司法修習生に対する給費制復活を求める決議
〇教育公務員の政治的活動への罰則創設等の教員の管理強化に反対し、憲法の価値に立脚した政治教育を積極的に推進することを求める決議
〇TPPの国会承認に断固反対し廃案を求める決議
〇福島第一原発事故による被害の全面救済の実現及び原発推進政策から即時撤退し原発ゼロ社会の実現を求める決議
〇共謀罪(組織犯罪準備罪)の創設に断固反対する決議
〇大分県別府警察署による盗撮事件に抗議し、プライバシー権侵害の違法捜査の根絶を求める決議
〇安部「働き方改革」を批判し、働くルールの確立を要求する決議
〇JAL更生管財人不当労働行為事件最高裁決定を受け、整理解雇争議の自主的・全面的解決を求める決議
八 選挙管理委員会の力久尚子団員(佐賀支部)から、幹事は信任投票で選出された旨の報告がなされました。引き続き、総会を一時中断して拡大幹事会を開催し、規約に基づき、常任幹事、幹事長、事務局長、事務局次長の選任を行いました。
 退任した役員は次のとおりであり、退任の挨拶がありました。
  幹事長   今村幸次郎(東京支部)
  事務局次長 藤岡 拓郎(千葉支部)
  同     増田 悠作(埼玉支部)
 新役員は次のとおりであり、代表して新たに選出された加藤健次新幹事長から挨拶がなされました。
  団長    荒井 新二(東京支部 再任)
  幹事長   加藤 健次(東京支部 新任)
  事務局長  西田  穣(東京支部 再任)
  事務局次長 岩佐 賢次(大阪支部 再任)
  同     湯山  薫(神奈川支部再任)
  同     久保田明人(東京支部 再任)
  同     種田 和敏(東京支部 再任)
  同     三枝  充(東京支部 新任)
  同     酒井 健雄(東京支部 新任)
九 閉会にあたって、二〇一七年五月集会(五月二一日〜二二日、二〇日にプレ企画を予定)開催地である群馬支部・野上真彦支部事務局長からの歓迎の挨拶がなされ、最後に佐賀支部の半田望団員による閉会挨拶をもって総会を閉じました。
一〇 総会前日の一〇月二二日にプレ企画が行われました。今回のプレ企画は「佐賀の環境を守る取り組み」と題して四部構成で行われました。第一部は、「玄海原発問題」につき東島浩幸団員(佐賀支部)から報告をしていただき、第二部は、「有明海再生問題」につき馬奈木昭雄団員(福岡支部)から報告いただきました。続けて、第三部は、「メガソーラー問題」につき池永修団員(福岡支部)から報告をしていただき、最後に第四部で、「佐賀空港軍事利用反対の取り組み」と題し、稲村蓉子団員(佐賀支部)から報告をいただきました。プレ企画には全体で四〇名の団員が参加しました。
一一 今回も、多くの団員・事務局の皆さんのご参加とご協力によって無事総会を終えることができました。総会で出された活発な議論を力に、新たな情勢の下、大いに実践に取り組みましょう。
 最後になりますが、総会成功のためにご尽力いただいた佐賀支部の団員、事務局の皆さま、関係者の方々に、この場を借りて改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。


〜総会感想・古稀団員から〜

経験をどう語り継ぐか

沖縄支部 新 垣   勉

 今総会で、古希の表彰を受けた。大変名誉なことである。私にとって、団は常に知恵とエネルギーの源泉であった。五月集会、秋の総会に参加すると、様々な知的刺激を受け、法的、運動上の知恵を学ぶことが多い。また仲間の顔を見ると、闘っているのが一人ではないことを実感し、体内に新たらしいエネルギーが沸き起こるのを感じる。地方で闘っていると、この二点は団の集会の大きな魅力となっている。
 改めて自分の歩みを振り返ってみると、新人の頃は、目前の事件の対応に追われて、なかなか団の集会に足を運んでいなかったように思う。ある程度、心の中にゆとりを持つことが出来るようになった頃から参加し、上記魅力を感じ始めたように思う。
 古希を迎えて、二つのことを考えた。一つは、知的刺激の場をもっと広げる工夫ができないかという点である。実務に追われる弁護士活動の中では、研究者の最新の論文や弁護士仲間の豊かな経験に接する機会が少ない。若手や中堅の活動をみると、ときにそのような印象を抱くことがある。現在はインターネットが発達しており、個別課題、事件毎のメール上での意見交換や討議が行えるので、新人団員の団活動への参加を促すためには、団はこの場を意欲的に主宰し広げることを検討すべきではないかと感じる。団通信のメール化も一つの検討事項ではなかろうか。
 もう一つ感じたのは、豊かな経験を持つ先輩や、熟年の団員の経験を若手、中堅に如何に語り継ぐかという点である。事務所、地域の枠を超えて、この「語り継ぐ」ことは、団でなければできないものではないか、ということである。表彰のために舞台に座った際、走馬灯のように四三年の忘れ得ぬ思い出が駆け巡った。数十年経っても、自分の貴重な財産となった忘れられない先輩弁護士の教えがある。おそらく、当の先輩弁護士は、自分の経験を単に語っただけだというのだと思うが、それを聞いた自分にとって、生涯の貴重な思いで、体験となって残っていることが、いくつかある。自分の体験を語り継ぐことは、古希を迎える者の責務といえよう。失敗談や成功談は興味深いものでもある。また苦労したにもかかわらず敗れた事件や運動について、聞きたいこともいくつかある。そんな「語り継ぐ」機会をつくることが必要ではなかろうか。そうそうそういえば、団には団員が苦労して獲得した判例について記述した「憲法判例をつくる」(一九九八年)という名著がある。興味深い本であった。早いもので、あれから一八年が経過した。そろそろ第二弾を出版したらどうであろうか。
 そんなことを思いながらの総会であった。今後も団とともに歩みたいと思う。


古希の祝いに感謝

大阪支部 渡 辺 和 恵

 自由法曹団で古希の祝い(「表彰」は面はゆいのでこう呼ばせていただきます)をして下さることを知ったのは五、六年前のことでしょうか。団員となって今年で四一年。団通信は貴重な情報源で、様々な政治課題にどう取り組むかについて、団の発信することにはいつも関心を持ってきました。しかし、古希の祝いについてさしたる関心もありませんでした。
 今度、古希記念文集への寄稿、総会への出席の要請を受け迷っていたところ、我が事務所の同僚、団の役員を担ってくれている岩田研二郎、井上洋子ご両人に背中を押されてこれに応じました。
 団通信の紙面で常々存じ上げている団員の方々に直接お会いでき、話もお聞きし、熱い思いを直接受け取ることが出来、参加して良かったというのが第一の感想です。新人歓迎をしていただいた総会を含めて数えるほどしか総会参加をしてこなかったので、全国交流の大切さを再認識しました。
 更に嬉しかったのは、表彰状の言葉です。きっと、「以下同文」だろうと思っていたのが、一人一人、団長が書いて下さったことでした。私は、心では結集していましたが、形の上では未結集団員なので、ご苦労をかけたと思います。しかし、文中に、私が三五年の歳月をかけて関わってきたDV被害者と子どもの救援活動である「いくの学園」に触れていただきました。早速、いくの学園のスタッフやボランティアの皆さんに知らせたところ、とても喜んでくれました。本当にありがとうございました。
 団への注文もOKとのことですので一言。古い団員である私にも当然に責任の一端があるのですが、女性の権利に関する課題(労働者の権利問題以外にも注目して)への取り組みが、個々の団員の取り組みに終わっていると思うので、団内で意見交換でもしたらどうでしょうか。女性部の総会の案内をいただきながら、一、二度しか参加しないままの私ですが、団通信を通じての交流であれば誰でも参加できると思うのです。今、問題になっている「自由民主党改憲草案の二四条問題」など家族の協力義務を憲法に明記するとんでもない事ですが、一般の女性たちとの交流の中で問題点があがってきていると思うのです。このテーマは女性だけの問題ではないのは当然で、男性団員も大いに参加いただけたらと思うのです。
 最後に、この総会をご用意いただいた皆様に深く感謝します。私のような帰属意識の薄い者も常に心は団と共にあることに免じてご容赦下さい。


古希表彰とこれからの総会

京都支部 村 山   晃

 団の古希表彰が始まってどれだけ経ったのだろうか。長い道を歩んでこられた団員の群像に出会えるのは、いつも総会に参加する大きな楽しみだった。今年はその席に自分がいる。そして一三人もの表彰者が総会に出席した。日頃互いに年齢を確認し合ったことがなかっただけに、同じ時代を共に歩んできた人たちと一緒に表彰されることに感慨深いものがあった。
 私自身は、幸いにも総会で発言の機会を与えられたが、何を伝えられたかは忸怩たるものがある。懇親会で、総会で発言の機会のなかった全員に話をする機会が与えられた。それを聞いていた団員には、懇親会の話の方が面白かったという人たちが大勢いた。団らしい風景がそこにあったからだと思う。そうそうたるメンバーのウイットに富んだお話しは、団の懇親会に相応しい最大の華だったと思う。
 いずれにしろ、総会で配布される古希団員自身の自己紹介と、他己紹介文は、いつも力作ぞろいだと思う。総会に参加できない団員の多くの人たちの手に届けることはできないだろうか。
 私自身は、五月集会と団の総会への出席を基本欠かせたことがない。その結果、日弁連や他の弁護団の全国会議も含め、すべての都道府県を回ることができたし、久しぶりに旧交を温める機会にもなる。それはそれで楽しかった。しかし、年に二度の全国会議を定例化している団体は少ない。しかも会場が「遠い」。春は北海道、秋は九州、それもアクセスが決して良くない。関西からは、特に辛い。遠いということは、時間の確保もさることながら、交通費が馬鹿にならない、ということも意味する。ジパングや早割を使って、できるだけ安く抑えているが、結構な額になる。折角の古希表彰に参加できなかったという団員もいたのではないかと思われる。
 内容的な点で言うと、団は、悪法や弾圧と一線で闘う部隊であり、その点で討論が集中することは必要であり重要なことだ。ただ、もう少し、人権の擁護・伸長や一定の政策の実現へ向けた「造る」「参加する」取り組みに腐心することがあっても良いと思う。そうした活動について、個々の団員で心を砕く人たちは大勢いて、熱心に活動しているが、団の課題となっていない。団の総会などでも、そんな実践報告がたくさん出てくると、もっと楽しくなるように思う。
 団も人々の集まりである。楽しくなくてはいけない。そして、活力に満ちあふれて次も参加しようと思える会議作りを期待したい。
 団が一〇〇周年を迎える五年後までの年二回の全国会合に参加すると、私の会合参加歴も一〇〇回を超えることとなる。それはそれですごいことだと自慢できるようにしたいとひそかに願っている。


総会での古稀表彰はいつまで続くのだろうか

静岡県支部 塩 沢 忠 和

・ 自由法曹団の古稀表彰文が、「以下同文」はではなく古稀団員それぞれへの「オンリーワン」であることは、かねてより知っていた。しかし表彰を受ける総会出席古稀団員全員(今回は一四名)への表彰文が資料として配布されたのは、今回が初めてのことではないかと思う。そしてこれは、荒井団長が一人で書き上げた「個人作品」のはずである。
 ちなみに、私への表彰文の一節は以下のごときである。
「あなたの、周囲を引き込み、そして奮い立たせる激励と叱咤の大きな声は、人々を勇気づけておおきな輪を作り出してきています。・・・・あなたの発する『ときの声』は運動のなかで鳴り響き、いつも人々を結集させる合図になりました」
私の声の大きさは広く知れ渡っているのかも知れないが、この過分の誉め言葉は、我ながら実に「言い得ている」と思う。団長は、記念文集の全てに目を通し、尚且つ独自の個別情報収集活動をした上で、受け取る側が「これはまさしく私の事だ」と納得できる表彰文作成に取り組んだようであり、「団総会での古稀表彰を大切にしたい」との思いが伝わってくる。有り難いことである。
・ 「今般、古稀団員の話しの評価が良かったことを受け、初めての取組として『古稀団員からみた総会感想』という特集を組むこととなった」とのこと。確かに、私の話しはさておき、今回の古稀団員の話しから、多くの団員が感動を受けたようである。私と一緒に総会に参加した小笠原里夏団員(記念文集に、私の事を「尽きることのないエネルギー」との紹介文を寄せてくれている)は、帰りの新幹線の中で、「先生だけが『若い』と思っていたらそれは間違いで、団の総会に参加して古稀表彰を受ける団員はみんな若いんだ!」と感心していた。
・ 思えば、私が入団した(一九七九年)頃は、古稀表彰を受ける団員の話しを聞くことが何よりの楽しみで総会に参加していたのは、私だけではなかったはずである。団の結成は一九二一年であるから、当時の古稀団員は戦前からのいわゆる前期生で、表彰に出席された古稀団員は数名だった。あの頃は「挨拶は五分以内厳守で」という時間制限はなく、それでいて、短気な私が「もういいかげんに終われよ」と思うような話しは一つもなく、聞き惚れたものであった。
 自由法曹団は、各団員の、自由で自主的で個性的なそれぞれの活動、事件への取組み等がまずあって、理念や志しを共有するが故に結集し、集団討議を経て行動提起がなされるところであり、「組織があっての団員」では決してない。それ故に、「この人は七〇年間をこう生きた、みんなで評価しよう」と表彰し、受けた者は「私はこんな思いで七〇年間を生きて来た、これからもこう生きて行く」と表明する「古稀表彰」は、団総会にとって、なくてはならない儀式なのかも知れない。そうだとすれば、かの有名人の名ゼリフよろしく、「我が団の古稀表彰は永久に不滅です」か・・・・・。


古希表彰を受けて

大阪支部  森 野 俊 彦

 このたびは思いもかけず古希のお祝いをしていただき有難うございました。
 弁護士としての活動は四年程度にすぎないのに、たまたま七〇歳時に団に所属していたということだけで表彰に浴するなんてこそばゆい限りですが、佐賀は私がかつて四年間裁判官として勤務した地で、その折家族で唐津に出かけたこともあり、思い出をたどる気持ちもあって式への出席を決めました。表彰式のなかで、裁判所の民主化のために頑張ったとのくだりを耳にしたとき、不合理な差別に遭いながらもへこたれず定年まで裁判官をし続けて、本当によかったと振り返るともに、弁護士になって団に入ったことも正しい選択だったと思いました。
 ところで、唐津といえば思い出すことは、もうひとつあります。佐賀県弁護士会に所属していた弁護士が担当していた刑事事件について、検察官が被疑者から弁護人との接見内容を聴取したことは違法だとして国家賠償を求めた事件がありました。一審の佐賀地裁は、結論として検察官の行為は違法でないとして請求を棄却しました。それが福岡高裁に控訴され、最後の勤務地として同高裁にいた私が裁判長として担当することになりました。私は、陪席裁判官と何度も合議した結果、取調べで被疑者が接見内容を話し始めたときは、捜査機関はこれを漫然と聴取してはならず接見内容を話す必要がないことを被疑者に告知するなどして秘密交通権に配慮すべき法的義務があるとし、これをせずに聴取を続けた検察官の所為は違法だとして、原告の賠償請求の一部を認め、逆転判決を下しました。国はもちろん、原告の他の違法事由に基づく請求については排斥したため、これを不満とする原告も上告しましたが、最終的には最高裁でも、判断が維持されました。私にとって定年を控えた時期になした、思い出の残る判決でした。
 今回のお祝いの席で発言の機会をいただいたので、中途半端な判決をして申し訳ない思いから忸怩たる気持ちで件の判決に触れたのですが、そのあと宴たけなわとなるころ、数人の女性弁護士が私の席まで来られて、「その節はありがとうございました」とお礼を述べられるではありませんか。聞くと、いずれも当該訴訟の弁護団の一員であったとのこと。皆さんの明るい笑顔に接して、ずうっととれなかったモヤモヤ感が吹っ飛び、すがすがしい気持ちになりました。「こちらこそありがとう。」といわずにはおれませんでした。


退任のごあいさつ

東京支部 今 村 幸次郎

 佐賀・唐津総会をもって、幹事長を退任することとなりました。至らない点が多かったと思いますが、団員のみなさまには、二年間にわたり、ご支援、ご協力をいただきありがとうございました。
 二〇一四年一〇月からの二年間は、戦争法、辺野古新基地、盗聴拡大・司法取引、派遣法改悪等の雇用「改革」、原発再稼働、TPP、教科書等々、暴走を続ける「安倍政治」との激闘の時期でした。
 何かと忙しい毎日でしたが、包容力ある荒井団長のもと、有能な二人の事務局長、熱意あふれる一一人の次長の皆さん、そして、専従者・アルバイトの皆さん(特に大ベテランの山口泰司さん・本木進さんには緊急リリーフ登板で、助けていただきました。)に支えられ、いい雰囲気の中で、楽しく仕事をすることができました。
 二〇一五年八月三〇日の一二万人国会包囲、二〇一六年二月一九日の野党五党による共闘成立の国会前報告等の歴史的瞬間に立ち会えたことをはじめとして、得難い貴重な経験をさせていただきました。関係するすべてのみなさまに、改めて、お礼申し上げます。ありがとうございました。
 現時点で、私たちが勝っているのか、負けているのかは、よくわかりません。しかし、勝利の鉄則は「勝つまでやめない」ことだとよく言われます。団が今の団結と輝きを保ちながら、連綿として活動を続けていくならば、最終の勝利は間違いなく私たちのものになると思います。
 今後は、その団の一員として、全国のみなさんに遅れないようついていきたいと思います。
 二年間、どうもありがとうございました。


事務局次長の任期を終えて

千葉支部 藤 岡 拓 郎

 本当に楽しく充実した二年間でした。おおげさでなくこの二年間は私の弁護士生活の中で大きな転機となりました。
 この二年間の中で強く記憶に残るのは、昨年の改憲阻止対策本部での戦争法との闘い、貧困社会保障問題委員会での銚子事件の取り組みです。
 戦争法との闘いでは、団本部での夕方から夜遅くまで延々と続く議論と刻々と変わる情勢の中で誰もが消耗していたように思いましたが、最後まであきらめず、意見書やリーフを立て続けに出し、国会要請にも行き、大きな運動の流れを作りました。手前味噌になりますが、当時の次長四人が下書きを作った「非戦・平和への提言」(団HP参照)は憲法九条の意義を再確認し平和活動の原点を掘り下げるもので戦争法成立後の今こそ訴えていく力があると感じています。
 銚子事件は、貧困委で二年間中心的に取り組み、最終的に運動の成果を出版する形で残すことができました。荒井団長直轄の貧困委は、問題の広さからして今後の団活動の要になっていくと思います。
 これらの活動を通して、多くの団員先生、団外でも学者、活動家、市民の方とも接点ができ、様々な視点を共有して活動範囲も一気に広がりました。
 佐賀唐津総会の退任あいさつの場で、私は楽しい記憶しかないと発言しました。やや誇張があったかもしれません。八割方楽しいというところが本音です。あとの二割、取られる時間や作業量からみて負担があることは否定しません。しかし、社会で起きているあらゆる人権侵害に対してこれほどまでに関心をもってはっきりした姿勢で首を突っ込める法律家団体はおそらく団以外にないと思います。まさに考えるより?行動するという言葉があてはまります。その活動の最先端を片隅にいながら間近で見ることができました。このような貴重な機会は弁護士生活の中でも滅多にありません。
 素晴らしい経験です。ぜひ一人でも多くの若手団員の方にこのような体験をしてほしいと心から願っています。最後に荒井団長をはじめとした執行部、事務局の皆様、千葉支部の皆様、関係するすべての皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。


古稀ってなんだ?

福岡支部 永 尾 廣 久

 古稀表彰記念文集
 唐津(佐賀県)で開かれた総会に出席した。総会行事に参加する楽しみの一つが表彰される古稀団員の話を聞き、記念文集(親しい人による紹介と本人の挨拶があり、いずれも面白い)を読むことだ。
 今回は対象者に同期(二六期)が六人もいた。
 加藤修団員(熊本)は厚生省につとめながら司法試験に合格し、修習を一年遅らせて(だから、本当は二五期)、ヨーロッパ一人旅を敢行した。
 パリのブーローニュの森に一週間もテント生活をしたという。そのテントはパリで買ったのかと本人に尋ねると、いや、日本から持っていったという答えが返ってきた。バックパッカー元祖の一人だ。
 弁護士になって活動しているうちに共産党公認で衆議院議員選挙に三度も立候補した(いずれも残念な結果に終わった)。このとき、テレビの政見放送で、「顔も丸いが心も丸い」というパフォーマンスをしたのが話題を呼んだ。
 佐々木新一団員(埼玉)は、新人弁護士時代に神奈川と埼玉にまたがる会社(ジェコー)の労働事件を一緒に担当した仲なので、いつも「しんちゃん」と呼んでいる。小学生のころ、毎月の給食費の集金袋に、生活保護を受けている子どもの袋だけ赤字の太い線がひかれていたのを見て心を痛めたという。中学生になると、アンポ反対のデモに学校から三〇人も参加した。さすがは、戦前に教員赤化事件の起きた長野県だ。そして、高校生になったらすぐに運動を開始した。いやはや、私なんか受験勉強に没入していて、同人誌を三号出しただけ。もちろん、大学でも学生運動に全力投球。そして活動家仲間で司法試験の勉強を始めて、八人のうち四人が合格し、みな団員になった。
 塩沢忠和団員(静岡)は、古稀表彰なんか辞退したいと思ったと総会で檀上から挨拶した。身体能力の衰えを感じているのに、それを表彰されるなんて・・・、ということ。でも、考え直した。まあ、そうはいっても、まだまだだ。もうひとがんばりせよという励ましと受けとめ、ありがたく受けることにしたという。なるほど、その心境がよく分かった。若さを維持するには、若い人のなかで一緒に活動するのが一番だから・・・。雪深い秋田で一四年間も活動したあと、温暖な郷里の浜松に戻って、すでに二八年になる。
 畑谷嘉宏団員(神奈川)は、県会議員に三回挑戦して落選し、四回目で当選した。九一票差で敗北し、三四二票差で当選した。まさしくギリギリ、薄氷を踏む勝利だった。その勝利を、本人は「勝ったときは力が勝っている」と冷静に総括している。対象を選り好みすることなく、すべての有権者を対象として活動し、一一年間、毎月欠かさずニュースを発行した。このほか、本人がどんな苦労と工夫をしたのか、詳しいことは省略するが、その並々ならぬ努力には、「なるほど、そこまでするのか・・・」と思わず膝を叩いた。選挙に出るということは、私を当選させて下さい、私の名前を書いて投票してください、当選してこういう仕事をしますという約束をすることであるという、極めて単純な真理が分かった、と実感を込めて書いている。これまた、なるほどと思った。
 実は、畑谷団員は私の大学生のころの大先輩だ。川崎セツルメントでのセツラーネームは「ジャガ」(私は「イガグリ」)。大変お世話になったというか、なにかと指導を受けた。いま病気の奥様の介護で大変だとのこと。これからも無理なくがんばってほしい。
 森野俊彦団員(大阪)は、二三期の青法協会員として裁判官になった。私も福岡高裁で事件を担当してもらったことがある。定年退職したあと、弁護士になってから、自由法曹団に入団した。これはきわめて珍しい。その若さと心意気に敬服していると、本人が「なお青年の気概を失っていないと自覚する一弁護士」だと書いている。なーるほど、そのとおりだと感嘆した。
 私の本『司法修習生』に二三期終了式の様子を詳しく描いたが、これは本人の了解を得て引用させてもらったもの。裁判官に青法協会員がいなくなり、裁判官懇話会も終了して久しい。裁判官ネットワークも定年退官者が相次いで先細りしているようで、心配だ。勇気をもってモノを言う裁判官がもっといてほしい。裁判官再任審査手続に少し関わったことのある身として、現状はあまりに物足りない。
 古稀記念論文集
こちらは文集ではなく一冊の独立した論文集。著者の守川幸男団員(千葉)は、私とは、どちらがより奇人変人なのかを競いあう(?)ライバルだ。この論文集には、守川団員が団通信への投稿だけでなく、詩人(「うらら」)として本まで出している身だから、当然、いくつもの詩まで掲載されている。
 同期の先輩詩人である庄司捷彦団員(宮城)に追いつきたいということだろう。この記念論文集は、守川団員の「生きた証(あかし)」、「遺言」でもあるという。それなら、手にとって読まねばなるまい。
 なんと掲載されているのは弁護士になる前、大学生のころに全学連のメンバーとして活動していたときの話、これはガリ版ずりのものを起こしたという。
 そして、受験勉強のすすめ方まで、さかのぼっている。実は、私も目下、受験体験記をまとめている最中なので、興味津々だった。
 そして、自由法曹団に投稿したものを集めている。私も常連投稿者の一人だけど、私と違って事件紹介がある。不当解雇、過労自殺で労災認定など、目新しいニュースもあるし、もちろん著者の得意分野である司法問題や憲法問題もある。何かにつけて一言、モノ申さずにはおれない性格なのである。福井での人権擁護大会において、日弁連として死刑制度の廃止を目ざすべきかどうか議論したときも発言して疑問を投げかけた。
 さらに、特筆すべきは健康維持を兼ねる山のぼり、空手、ボクシングなど。その分野は意外なほど広い。三〇年前には嫌煙権を宣言し、喫煙者から嫌われていた。そして、最後にお待たせの詩集だ。二〇〇七年一〇月の山口での総会のときに金子みすず記念館に寄ってから一念発起したのだ。いやはや、これほど広範囲に活躍している弁護士も少ないだろう。奇人変人のタイトルを確実にゲットしつつある。この論文集は二六〇冊もの大作なのに、定価は、なんと一〇〇〇円(消費税込み)。こうやって一冊にまとめるのは、とてもいいことだと思う。誰でも出来ることではない。ここはタイトル保持者だからこそ・・・。
 さてさて、おまえはまだ古稀にならないのかと問われそう。いやいや、それがまだなんですよ・・・、と答えておこう。といっても、いつのまにか還暦はとっくに過ぎてしまった。なんとかして古稀が来るのを先送りしたいものだ・・・。


TPPのISD条項に関する参考人として呼ばれて

愛知支部 岩 月 浩 二

 一〇月三一日、衆議院TPP特別委員会において、ISD条項(投資家対国家紛争解決制度・Investor-State Dispute Settllement)について、民進、共産推薦の参考人として意見陳述をし、質疑を受けた。
 TPPは、関税だけではなく、国内法制に深く関わる気も遠くなるほど膨大なルールブックである。しかし、政府は、当初から今国会での成立を既定路線とし、一一月三〇日の会期末に三〇日の条約自然承認を迎えるように審議日程を想定していた。終始、強行採決をちらつかせる異様な状況の中で、断続的に審理が行われていた。
 審理予定も断続的な組み方がされ、金曜日(二八日)に参考人招致の連絡があり、月曜朝九時に参考人質疑が行われるという慌ただしさであった。
 TPPについては、報道の自由度が急落する以前からマスコミでは厳しくタブー扱いされ、農産物や自動車関税以外の問題を知る国民は極めて少ない。とくにISDについては、二〇一四年以降は、ほぼ全てのマスコミが沈黙を守っていた。
 意見陳述の時間は一五分であり、技術的な論点に入り込むには限界があった。結局、わかりやすい論点で、かつ与党議員にも拙速審議に何らかの迷いを生むような内容に絞り込んでいく作戦にした。わかりやすくて、かつ盲点になっている論点を中心に意見を構成した。
 私が述べた論点は、五つである。
 一つ目は、国民に十分に情報を提供して国民的議論を行うように措置するという農林水産委員会の決議が、とくにISDについては全く行われていないこと、このため国民はISDを知らないまま、重大な決定を一方的にされる結果となること。
 二つ目は、政府がISDで公共目的の措置が妨げられることがないとする条項の日本語訳に意図的な誤訳がなされて、英語正文以上にISDの行使が限定されるかのように誤解させるようにしており、国会に対してすら、条約正文について正確な情報を与えず、議論を誤らせようとしていること。
 三つ目は、我が国はISDを使う立場だと言うが、すでにTPP参加の途上国との間にはISD条項は存在する。新たにISD条項を結ぶことになるのは米、加、豪、NZの四カ国であり、いずれもこれまで日本が締結経験のない英米法の先進国であること。とくに米国は訴訟大国であり、NAFTAでも、全ISD件数六九件中、五〇件が米国企業が提訴したものであり、勝訴したのも米国企業に限られ、米国は敗訴したことがないこと。米国(企業)と日本(政府・企業)が互角に渡り合えるのか。
 四つ目は、米韓FTA交渉過程における韓国最高裁によるISDの検討を読み込むと、ISD条項は、主権の侵害でないとすれば、主権の放棄であるとされていること。
 五つ目は、たとえば解雇制限法理のような長年の判例の蓄積と議会の努力によって法文化されたものも、外国企業の訴えによって海外の三人の民間人が、これを事実上、覆してしまうことがあり得ること。裁判所も国会をも超えるものであり、そのようなものを導入することが許されるのかということ。
 以上である。
 参考人質疑というと、専門性のある議員の前での意見陳述と質疑であることから、高度な内容を想定してしまい、身構えたが、終わってみれば、ISDに対する議員の認識も政府が表面的に主張するところから一歩も出るものではなかった。TPPの広範性からすれば、一特別委員会が全ての分野に専門性を獲得することはあり得ない。本号が手元に届く頃には、衆議院を通過している可能性が高いが、議員もおよそ内容もわからないまま、ただ採決してしまっている可能性が高い。議員がただ多数決の投票マシンに堕した第二次安倍政権の下で、グローバル資本への主権の明渡しがなされることは、やはりクーデタであるとの思いを強くしている。


組合解散か、それとも廃園か
―千葉私教連・都賀の台幼稚園組合の労働委員会でのたたかいの記録―

千葉支部 田 村 陽 平

一 はじめに
 二〇一六年九月六日午後九時、都賀の台幼稚園教職員組合と千葉私教連とが申立人となり、幼稚園を相手に、二〇一六年二月に千葉地方労働委員会に対し不当労働行為救済を申し立てた事件の組合側の勝利的和解が成立した。それまでの経緯と本和解の意義について報告する。
 弁護団は、私を含め、中丸素明団員、井出達希団員、島貫美穂子団員(いずれも千葉中央法律事務所所属、千葉支部団員)の四名で構成した。
二 事件の概要
 本件の舞台は、千葉県千葉市にある学校法人朋徳学園が運営する都賀の台幼稚園である。都賀の台幼稚園教職員組合は、上記幼稚園に勤務する教職員で組織する労働組合である。二〇一四(平成二六)年三月に現理事長のパワハラ・セクハラ的言動や傲慢な幼稚園運営に耐えかねて私教連に相談し結成した。申立時、常勤教諭である組合員は七名で、全員が加入していた。千葉県私立学校教職員組合連合(「千葉私教連」)に加盟している。
 二〇一四(平成二六)年一一月、当時の事務長(理事長の実妹)が、卒業証書を入れるホルダーの代金を、制作業者からの請求金額に上乗せして保護者会に請求し、徴収していたことが発覚した。その対応を巡って、学園側の説明や対応は二転三転し、保護者の不信感は高まり、保護者は学園を厳しく追及するようになった。また、組合も保護者の信頼回復のために学園を追及した。
 この追及に関し、学園側が組合が経営に介入しようとしていると勝手に判断し、組合攻撃を強めていった。年度途中の担任の交替や執拗な個人攻撃等にはじまって、究極的には、組合を解散しなければ園児募集停止をする(廃園をする)と理事会で決議を強行し、実際に次年度園児募集のチラシに広告を出さない(極めて異例のこと)というところまで組合攻撃を強めた。
三 労働委員会でのたたかい
 結局、組合側が千葉県学事課へ要請するなどの行動が功を奏し、廃園はぎりぎりのところで免れた。組合側も、悩みに悩んだ末に組合活動継続を決定した。
 その上で、千葉私教連と幼稚園組合は、労使間の正常化を目指し一連の行為を不当労働行為であるとする申立てを、弁護団とともに、千葉地方労働委員会に申し立てた。
 労働委員会の審問期日は、幼稚園の先生の勤務時間の都合に合わせ午後五時以降とすることができた。
 労働委員会は当初より和解を勧告してきたが、事実関係も直視しない学園側態度から、組合側は事実関係の解明が先、膿を出し切ることが重要として、最終的に双方の証人尋問(組合側証人に保護者が協力)まで審問期日を進めた。
四 画期的な勝利的和解成立
 証人尋問の後の和解期日において和解が成立した。組合が勝ち取った和解は、これまでにない画期的な条項になっている。
 まず、組合が求めていた権利救済の内容については、学園側の一連の行為を不当労働行為と断罪し、謝罪の文言を入れ込んだ。
 そして、学園が人事権・経営権を盾にして団体交渉を拒否していた経緯から、当然のことではあるが人事権・経営権であっても労働条件に直接関係する事柄であれば団交事項になることを明記させた。
 さらに画期的なのは、和解条項の中に、教育とは何かという理念を再確認させるための文言を入れ込んだことである。教育に携わる者として、労使ともに幼稚園の教育理念を再確認し、今後の園の運営をしていくことを条項の中に入れ込むことに成功をした。
 このような労働委員会での勝利的和解の要因は、組合員の結束、保護者や地域からの組合員である先生方への信頼等多岐にわたる。
 もっとも、訴訟と異なり、労働委員会での和解は正常な労使間を築く第一歩である。今後この和解に魂を吹き込むために職場での引き続きの取り組みが重要になってくる。
五 さいごに〜民主的な職場作りから民主的な社会作りへ〜
 幼稚園教職員の皆さんは、組合とは縁もゆかりもない方々だった。不当労働行為や団体交渉といった言葉などをはじめとして私教連へ相談や労働委員会闘争を通じて初めて触れることばかりだった。
 そのようなたたかいの過程で、私は教職員の皆さんが自分たちを民主社会の一人の市民として自覚していく様を強く実感した。申立て後の懇親の場において、教職員の皆さんが一同に語ったことは、職場環境を良くしたいということを超えて、「日本一の教育をしたい」ということだった。それは誰に言われるでもなく、一人一人が自分の言葉として自然に出た言葉だった。
 さらに、勝利的和解を勝ち取った後、ある幼稚園組合の先生は、「このような和解案を勝ち取ったことを全国の私たちと同じように苦しんでいる幼稚園の先生たちに伝えたい」「そして一緒に困難に負けずに立ち上がろうと伝えたい」と述べた。場合によっては更なるたたかいが待ち受けているかもしれない和解成立時に、幼稚園組合の先生たちは、苦しんでいる仲間たちにともにたたかおうと高らかに決意したのである。
 自分たちの労働条件や職場環境を変えようという取組みが、その過程の中で更に社会を変えようという意識を生み出していった。民主的な社会とはこのような一人一人の取組みの末にある社会だと思った。
 引き続き、民主的な職場そして社会を作るために、現場の先生たちと一緒に社会を変える楽しさを感じながらたたかっていきたい。

以上


「マタハラ弁護団愛知」結成と活動

愛知支部 渥 美 玲 子

 私は趣旨に賛同してくれる岡村晴美弁護士と兼松洋子弁護士の三人で、二〇一五年三月二〇日にこの弁護団を結成した。その後、団員を募ったところ現在では一〇名に増えている。

 私が弁護士になった一九八二年頃、女子差別撤廃条約の批准を機に「男女雇用平等法」を求めて運動が展開していた。しかし、一九八五年には労基法改悪(女性の時間外労働制限規定緩和)と引き換えにできた法律は「努力義務」でしかない「機会均等法」であり、また同年には労働者派遣法も成立した。それまで専業主婦だった女性が働くようになったが、その雇用形態は「パート」「派遣」「臨時雇用」等という不安定雇用でしかなく、女性の労働は最初から低い労働条件だった。また従来から賃金や昇進・昇格面において大きな差別を受けていた女性の正社員は、「コース別雇用」という差別ツールによって差別を受け続けた。
 ちょうど岡谷鋼機女性差別事件が始まった一九九五年頃から、全国的にも「女性賃金差別全国交流集会」ができ、その集会に参加する中で各地の訴訟の状況を知るにつけ、この愛知でも女性労働に特化した弁護団が必要だと感じていたが、なかなか一歩を踏み出すことができないでいた。正社員同士における賃金の女性差別もさることながら、パートなど非正規労働が多い女性に対する低賃金の状態は酷かった。
 女性達は「同一労働同一賃金」「同一価値労働同一賃金」などを掲げて運動を展開し、またいくつの訴訟でも実際に差別の実態を立証し、格差の不当性を訴えるなどしていた。しかし、この原則を職場に導入することについては、男性正社員を中心とする既存の労働組合の受け入れるところではなかった。つまり「男性正社員の賃金水準を落とすことなく、というのが闘いの最大の条件だ」という労働組合の要求から、同一賃金を目指す闘いは組織されなかった。また既存の労働組合はパートなど非正規の労働者を組織しなかった。私から見れば、このような方針は、「男性正社員の賃金水準が維持されなければ、男女間の賃金格差や非正規雇用との賃金格差があることはやむを得ない」ということを意味した。賃金の男女格差は一向に縮小することなく、むしろ男性正社員の割合も減少し男性の非正規雇用が増えたと思うのである。

 また、昔から妊娠や出産に対する嫌がらせで体調を崩したり、鬱になったりして泣く泣く退職した女性は数多くいたが、女性の労働する権利を守り向上させる闘いについては、女性労働者は放置され孤立していた。現在も基本的にはその状況は変わっていない。
今でも覚えているが、三〇年前に聞いた、ある会社での会話(笑い話?)。
 女性労働者「係長、私妊娠しましたので、ご報告します。」
 係長   「そうか、それで何時だね?」
 女性労働者「来年の一月が出産予定日です」
 係長   「そんなことは聞いていない。退職するのは何時だね、後任を採用しないといけないから早い方がいいね」
 女性労働者「えっ?」

 しかし、このような状況におかれた女性労働者が周りに相談しても、「ご主人が養ってくれるから退職してもいいんじゃない?」「とにかく健康な子どもを産むことがあなたにとって一番大事なのだから、会社と喧嘩するなんてやめた方がいいよ」という実に親切な助言しか得られなかった。
 「マタハラ」の一番の問題点は女性の就労を奪うことである。せっかく正社員として就労しても妊娠などを機に退職すると、その結果無職となって経済的自立性を失う。また子どもが大きくなってパートなどの職についたとしても、その賃金額は低く、到底経済的自立を可能にするようなものではない。

 この弁護団を結成して以来、定期的に会議を行い、またブログも作って広報活動をしている。「マタハラ弁護団愛知」のブログを見ると、お分かり頂けるが、各方面で活躍するメンバーがそれぞれの立場でいろいろな感想を寄せ合ったり、また学習会で周りの支持を得ている。
 ところで、最近、この弁護団に相談があり示談交渉について受任したケースがあった。
 妊娠を職場の上司に告げたところ、「職場に迷惑だから退職するのが常識だ」「そんなに働きたかったら正社員でなくパートで良いじゃないか」などの嫌がらせを受けた事案である。その女性はそのような嫌がらせを受けて体調を崩し、本来であれば訴訟で責任の所在を明確にしたかったにもかかわらず、数ヶ月後には出産するといういうこともあり、やむを得ず示談とすることになった。実は、その女性はこの弁護団に相談する前に複数の弁護士事務所に行って相談したが、いずれも「何もできない。無理!」と断られたということであり、このことで「妊娠することが罪なのか」と苦しんだということである。さらについ最近もマタハラ事件を労働審判の手続(使用者が申し立てたケース)が解決した。
 妊娠出産という人類永続のために不可欠な身体機能を有することは、尊重されこそすれ、社会的経済的政治的関係において女性を男性よりも低位におく理由になってはならないと思う。

 弁護団の名称は「マタハラ弁護団愛知」ではあるが、狭義のマタニティつまり「妊娠・出産」に限らず、「育児」なども含めて、女性が働き続ける上で必要とする措置と権利の実現を求めて闘うことが重要だと思っている。具体的には、被害状況を把握し法的な救済が可能な場合には援助すること、そのために既存の団体と協力関係を持ち連携すること、あるべき労働環境を作り出すために必要な立法措置など議会や議員などに働きかけることなど多方面に亘る活動をしていきたい。この弁護団の趣旨に賛同していただける弁護士は何時でもご参加下さい。お待ちしています。

以 上


高江への機動隊派遣に住民監査請求

東京支部 高 木 一 彦

 沖縄の二紙はもとより、いくつのか本土メディアも報じてくれたので、ご覧になった方もあるかと思うが、去る一〇月一七日、この七月一九日以来、沖縄県東村高江に、米軍ヘリパッド(正確にはオスプレイパッドだろうが)の建設強行のために、警視庁・千葉県警・神奈川県警・愛知県警・大阪府警・福岡県警から合わせて五〇〇人と推定される機動隊が派遣され、建設に反対する住民らに、明らかに違法な弾圧を加えている件について、東京都公安委員会に機動隊員の派遣を中止するよう勧告を求める住民監査請求を申し立てた。
 極めて短期間の取り組みだったが、自由法曹団東京支部にいち早く全面的な協力をいただき、北海道から福岡まで六七人の弁護士が代理人に就任してくれたことも大きな励ましとなって、監査請求人には東京都民三一四人が参加してくれた。アニメ監督の高畑勲さんや西谷修立教大学特任教授、一坪反戦地主会関東ブロック共同代表の大仲さんなども名前を連ねていただいた。
 武蔵野市で市民運動「辺野古アクションむさしの」を立ち上げ、何度か沖縄を訪問し、辺野古や高江で闘う住民の方たちと交流をしてきた私は、「沖縄では、もうやれることは全部やっている。後は、本土の・東京の私たちが何をするかにかかっている」と思ってきた。
 参院選でオール沖縄の推す伊波洋一候補は現職大臣に完勝し、辺野古・高江の問題での沖縄の民意を完膚無きまでに示した。にもかかわらず、その翌日から高江のヘリパッド建設は強行された。「私たちは非暴力です。コトバの暴力も含め誰もキズつけたくありません。いつでも愛とユーモアを!」これは、高江のNIゲート前の住民の座り込みテントに掲げられている住民の会の方たちの「座り込みガイドライン」だ。この座り込みテントがあっという間に全国の機動隊によって強制撤去されたという。あの優しい伊佐育子さんたちが、どんなに悔しかっただろうと思うと、来年四月に国民年金がでるようになったら弁護士を引退すると決めている私でも、できるだけのことはしようと決意した。
 その一つが、私は行けなかったが、武蔵野の仲間七人を八月七日から三日間、高江の現地に送り、カンパを届け、武蔵野で緊急報告会を開いたこと。もう一つは、九月三〇日の武蔵野市議会で「高江のヘリパッド建設強行に反対する意見書」を一五対一〇の賛成多数で採択してもらったこと(公明党議員団も賛成してくれた)。最後の一つがこの住民監査請求だ。もともとは武蔵野市周辺で五〇人くらいで申し立てる予定だったのに、辺野古リレーの若者や一坪反戦地主会のみなさんで作った実行委員会により、どんどん運動は広がった。六七人の弁護士に対する委任状を、短期間にもらわなければならないため、私の事務所にも何人もの方々にお越しいただいた。お顔も存じ上げないみなさんが、口々に「何かしなければならないと思っていた。こういうことを呼びかけて下さってありがとう」と話していかれた。千葉でも、神奈川でも、大阪でも、福岡でも住民監査請求の準備が始まったという。
 先日那覇市で行われた日本環境会議は、「辺野古が止められれば日本が変わる。止められなければ日本に未来はない」とのスローガンを採択した。
 まだまだ、闘いはこれからだと強く思う。


アジア太平洋法律家協会(COLAP)設立される!
設立シンポ、パーティー、南シナ海会議にご参加を

東京支部 笹 本  潤

●ネパールで念願のCOLAPが設立
 二〇一六年六月にネパールの第六回アジア太平洋法律家会議において、アジア太平洋法律家協会(COLAP)が設立されました。アジア太平洋法律家協会(COLAP)の正式名称は、Confederation Of Lawyers Of Asia And The Pacificで、今まで六回開催された会議体としてのCOLAPと同じ名前を引き継ぎます。
 設立時点では七つの国の法律家団体が会員となりました。パキスタン(Democratic Lawyers Associate of Pakistan)、インド(Indian Association of Lawyers)、ネパール(Progressive and Professional Lawyers of Nepal)、バングラデッシュ(Democratic Lawyers Association of Bangladesh)、ベトナム(Vietnam Lawyers Association - VLA)、フィリピン(National Union of Peoples Lawyers - NUPL)、日本(日本国際法律家協会―JALISA)の七協会です。韓国(民弁)、北朝鮮(朝鮮民主法律家協会)なども参加予定で、アジア太平洋地域の多くの民主的な法律家団体に拡大していく予定です。私が初代事務局長に就任しました。会長はインドのジテンドラ・シャーマさんです。
 アジアには多くの平和や人権に関する課題があります。弁護士への弾圧が激しく命がけで闘っている法律家、日本も含め、米軍基地や軍事的緊張、テロと闘っている法律家、民主主義のために闘っている法律家、人権・開発のために闘っている法律家などさまざまな法律家がアジアにはいます。今後、世界的にも最も不安定で流動的な地域であるアジア太平洋地域において、平和、人権、開発、民主主義を実現するために、アジアの法律家が連帯して恒常的に活動していく意義は大きいです。
 COLAPの第一回の執行部会議が、二〇一七年一月七日、八日に日本で開かれ、一月七日にはCOLAP創立記念のシンポとパーティーを開催します。日本では、現在、COLAP6に参加したメンバーを中心に、COLAP実行委員会を結成し、COLAP関連のイベントや国際キャンペーンの準備をしているところです。アジアの法律家と語りふれあうことのできるシンポ、パーティーにご参加ください。

●一月七日コラップ創立シンポジウム 歓迎パーティー
 日時 二〇一七年一月七日(土)
 午後三時〜  コラップ創立シンポジウム
 午後五時三〇分〜 コラップ歓迎パーティー
 場所 「Ryozan Park大塚」
 東京都豊島区南大塚三―三六―七南大塚T&Tビル七階     JR山手線「大塚駅」徒歩三分、
 丸の内線「新大塚駅」八分
 参加費(歓迎パーティーのみ。シンポジウムは無料。) 
 三〇〇〇円
 連絡先 jalisa@jalisa.info 
 FAX 〇三―三二二五―一〇二五

●南シナ海問題専門家会議(IADL)
 合わせて続く一月九日には、IADL主催の南シナ海の専門家会議を開きます。
 二〇一六年七月一二日、国連海洋法条約で定められた仲裁裁判所で、南シナ海の中国による領海進出をめぐって裁定が出され、中国が従来主張していた九段線などの言い分はほぼ全面的に否定されました。仲裁裁判所による裁定は、国際法に則った手続きで、中国政府も本来これに応じなければなりませんが、中国は同裁判所の管轄外と主張して、裁判自体にも出頭しないまま裁定を迎えることになりました(INTERJURIST NO190の松井芳郎解説参照)。
 仲裁裁判所の判決は国際法に則った解決ですが、強制執行力はないため、南シナ海の問題は交渉による解決もめざしていかなくてはなりません。しかし、その際も、私たち法律家は、法に則った解決である仲裁裁判所の裁定も無視することはできません。
 このような問題意識に基づき、IADL(国際民主法律家協会)は、来年一月九日に日本の青山学院大学で南シナ海問題に絞った国際専門家会議を開催します。中国、ベトナム、フィリピンその他の法律専門家が参加します。会議は英語で行われますが、同時通訳を入れる予定です。東アジアにおいては、日本も尖閣諸島の問題を抱えており、国際法に基づく紛争解決をテーマにした会議は私たちにもきっと役に立ちます。こちらの方もご参加ください。
 日時:二〇一七年一月九日(月) 午前八時半から午後五時まで
 場所:青山学院大学(表参道駅下車)総研ビル一〇階一八会議室