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石坂 俊雄 ※三重・鳥羽総会特集 その四
鳥羽総会のお礼と古稀表彰
深井 剛志 次長就任によせて
緒方 蘭 本部次長就任のご挨拶
尾普@彰俊 新任挨拶(私と自由法曹団)
燒リ 一昌 赤旗号外の机上配布に対する
懲戒処分の取消裁決を勝ち取りました。
小内 克浩 「九条俳句」を公民館だよりに不掲載にしたことを違法と認め、慰謝料の支払いを命ずる判決
小口 明菜 第二次新横田基地公害訴訟
第一審判決のご報告
永田 亮 神奈川建設アスベスト訴訟
ダブル勝訴を受けて
久保木 太一 先輩方に質問。
憲法九条改憲問題ってどう伝えればいいんですか?
大久保 賢一 被爆者は、核時代の預言者である
中野 直樹 *追悼*
四つの判決に亡き山下登司夫先生を想う
伊藤 嘉章 二〇一七年三重総会一泊旅行記
その一 総会に行くまでの見聞 副題「式年遷宮と林業振興」(後編)



※三重・鳥羽総会特集 その四

鳥羽総会のお礼と古稀表彰

三重支部  石 坂 俊 雄

 団員及び事務局の皆様、総選挙投票日であり、しかも台風が来襲するなか二五〇名近い方がプレシンポ、総会のために鳥羽市にご参集していただきまして、感謝しております。
 私は、当初の参加人数の予定からして、参加者は、二〇〇名前後になるのではないか覚悟し、そのような事態になったら、総会としては赤字決算になるのではないかと心配をしておりました。
 この参加者数は、相当の悪条件が重なっても、今後の総会、五月集会に集まって頂ける基礎的数字ではないかと思います。本当に、皆様、ありがとうございました。
 ところで、総会で古稀の表彰を受けました。私は、まだ、そんなに歳をとっていると考えておりませんので、古稀の表彰を受けたくありませんでした。しかし、地元での総会であり、団長は、私も親しくしていただいている荒井先生ですから、辞退するわけにも行かず、ありがたく表彰を受けました。
 表彰を受けるのは余りうれしくないと想いながら、皆様の前で、荒井団長が考えていただいた表彰の言葉を聞いていると不思議に緊張してきて、何ともいえない気分になりました。これが表彰をする意味であるのかと考えたりもしました。
 古稀は、現今では、昔の古稀とは異なり、稀れではなく、あっちにもこっちおりますので、若いとはいえないが、通過点にすぎないと考えております。
 私の同期(二六期)には、古稀まで、まだ二年先であるという人もいますが、多くの同期は古稀を迎えました。幸い団員の同期は、団内外で活躍をしている人が多く、私の励みにもなっております。まだ、歳はとっていないといいながらも、世間的には年寄りの部類に入ってしまいますので、今後は、自分が住んでいる地域のことにも少し関心を持ち、かかわらないといけないかなと考えているところです。
 台風一過の翌日は、交通の乱れはありましたが、半日、一泊の旅行も滞りなく終わり、皆様、無事帰宅されたようですので、ほっとしております。
 まだ、しばらくは、皆様ともおつきあいをしていただくこととなりますが、今後とも宜しくお願いいたします。


次長就任によせて

東京支部  深 井 剛 志

 二〇一七年鳥羽総会で、新たに事務局次長に就任した東京支部、旬報法律事務所の深井剛志です。
 私は、弁護士登録が二〇一一年一二月の新六四期で、修習生の時に三・一一の震災を経験しました。そのような経験から、私は弁護士登録後、すぐに福島原発被害弁護団に加入し、これまで約六年間、同弁護団の団員として、原発被災者の被害救済に尽力してきました。同弁護団が福島地裁いわき支部に提起した「福島原発避難者訴訟」では、多くの原告の尋問を担当しました。同事件の判決は、来年三月に予定されていますが、同じ時期には東京地裁、京都地裁における避難者訴訟の判決も予定されています。このように、来年は、多くの判決が予定されていることから、今年出された前橋地裁、千葉地裁、福島地裁の判決と合わせて、国や東電の責任を追及する重要な年になると思います。
 また、来年は、現在政府から出されている「働き方改革推進法案要綱」についても、大きな勝負の年になると思います。時間外労働の規制を緩和させる高度プロフェッショナル制度、裁量労働制の拡大、抜け道の多い労働時間の上限規制など、問題点の多いこれらの改正案について、政府は、一本化して審理を進めようとしています。
 これらの他にも、言うまでもなく、来年は、憲法改正という重大な問題について、大きな勝負の年になると思います。鳥羽総会の最中に行われた衆議院議員総選挙においては、自公併せて三分の二の議席を獲得し、いよいよ改憲の発議が現実味を帯びてきています。秘密保護法や安保法制、共謀罪の阻止の闘いの時以上の、大きな闘いの連帯が必要とされていると思います。
 そのような情勢の中で、来年ほど、自由法曹団の役割が重要、かつ期待される年はないと断言できるでしょう。そのような年に次長の役職に就任することは、不安も大きく、特に今年は事務局の人数が不足しており、次長一人一人が手掛ける業務の量も大きくなりそうです。
 しかしながら、このようなときに重要な役割を果たすべき自由法曹団の次長を務めることができるということは、逆に光栄なことでもあるし、自分にとっての成長の機会でもあると思います。
 二年間の任期の中で、自分のこれまでの経験や持ち味を活かして、上記の問題のみならず、社会が抱える様々な問題について、自由法曹団の存在意義を示していければと思います。
 これからよろしくお願いします。


本部次長就任のご挨拶

東京支部  緒 方   蘭

 この度、本部事務局次長に就任しました緒方と申します。所属事務所は東京合同法律事務所で、期は新六五期になります。この度、次長として、改憲阻止対策本部、治安・警察委員会、給費制対策本部を担当させていただくことになりました。
 私の弁護士登録は二〇一二年一二月で、第二次安倍政権の発足と同じ月になります。弁護士登録時の課題がライフワークになるとよく言われますが、その言葉のとおり、これまで安倍政権による悪法を阻止する活動に取り組んできました。地域や民主団体の方から学習会や行動を要請していただく機会に恵まれ、皆様に育てていただきました。
 二〇一二年の自民党改憲草案に始まり、秘密保護法、解釈改憲、戦争法、育鵬社の歴史教科書問題、マイナンバー、刑訴法一部改正、共謀罪、働き方改革、そして自衛隊加憲と、これまで情勢が目まぐるしく変わってきました。その中で、自分なりに問題点をかみ砕いてわかりやすく説明することに腐心してきました。
 特に、憲法の問題を伝えることを中心に行ってきました。私は学生時代に憲法が自分の人権を国家から守ってくれる存在であることを知り、その後、学生九条の会の活動や周りの方々との関わりの中で、自分だけでなく、社会の中で生活する人々が自分らしく平和に生きることができる社会にしていくために、憲法は絶対に守らなければならないと考えるようになりました。弁護士になってからは、事務所や団での学習を通じて日米安保の矛盾や世界情勢に目が向くようになりました。来年は憲法問題が正念場を迎えますので、気を引き締めて任務に当たりたいと思います。
 悪法阻止の活動のほかに、これまで司法修習生の給費制廃止の問題と「慰安婦」の問題にも微力ながら関わらせていただきました。
 私たち新六五期の代から司法修習生の給費制が廃止されました。私は青年法律家協会修習生部会の事務局長を担当していましたが、活動熱心なはずの同期が経済的理由から修習生部会に入会しなかったり、遠方の会議やフィールドワークに参加しなかったりということがあり、給費制廃止によって活動や学習の機会が制約されていることがわかりました。また、多くの学生や受験生が経済的理由から法曹の途を諦める深刻な事態も起きています。給費制の問題は団の後継者対策にも関わる重大な問題です。
 また、大森典子団員のお誘いで、岩波新書「従軍慰安婦」の執筆者である吉見義明教授の名誉棄損裁判の弁護団に参加し、「慰安婦」問題にも取り組ませていただきました。昨今は、歴史認識が歪められ、デマが喧伝される一方で、被害者の皆様が次々亡くなられています。事実を知った者として、後世に伝えていくことの責務を感じています。
 学びたいことや知りたいことが山積している中で、安倍政権による多くの課題にも向き合わなければならず、一日二四時間では足りないと感じる日々ですが、しっかりと役割を果たしていきたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


新任挨拶(私と自由法曹団)

京都支部  尾 普@彰 俊

 本部事務局次長となりました京都支部の尾撫イ俊です。所属事務所は、京都第一法律事務所です。期は、新六五期です。これまで、京都支部では、憲法担当の事務局幹事として、憲法問題を中心に取り組んできました。様々な活動を行ってきましたが、特に、憲法学習会の講師活動に力を入れてきました。講師活動を始めた頃は、「ガイドライン」、「周辺事態法」等多くの制度や法律などをどうやったら分かりやすく説明できるのか悩んだ時期がありました。その時に出会ったのが、事務所の本棚で見つけた『有事法制のすべて』(自由法曹団が二〇〇二年に出版した)でした。出版から一〇年以上が経過していましたが、中身は全く古くない、いやむしろ「今」読むべきという内容で、学習会の準備にとても役に立ち、発見したときから、私の学習会バイブルとなりました。もう一つ、学習会バイブルとなったのは、「逐条検討・戦争法制〜安全保障一括法案を斬る!」(二〇一五年六月に自由法曹団が作成)です。戦争法案が問題となった二〇一五年六月頃は、京都支部には、毎日(比喩ではなく)戦争法案についての学習会の依頼が来ていたのですが、戦争法の法案一つ一つを逐条的に説明している書物は当時、皆無という状況で、講師派遣に苦労しました。そんな時に、法案が発表されてから短期間であるにもかかわらず、自由法曹団本部が、戦争法案の逐条解説である「逐条検討・戦争法制〜安全保障一括法案を斬る!」をまとめあげ、全団員に配布しました。この逐条解説は、とてもポイントがまとまっていて、学習会活動の助けとなりました。こんなことができる「自由法曹団はすごい団体だ」これが、自由法曹団に対する私の率直な気持ちです。そんなわけで、どの委員会をやりたいですかと聞かれた際に、真っ先に、「改憲対策本部」を希望しました。もう一つ希望した担当委員会は、市民問題委員会(マイナンバー分野)です。私は、憲法学習会に行くと必ず、マイナンバーの話をしています。意外に思われる方もおられるかも知れませんが、マイナンバーは学習会参加者の関心がとても高く、参加者の方々は、時には、改憲問題以上に、真剣に話を聞いてくれます。マイナンバーは、奥が深く、これからさらに問題が出てきます。担当次長として情報を発信していきたいと思います。
 最後になりますが、団総会と同日の衆議院選挙で、自民公明の与党が三分の二の議席を得るという結果になり、これから、改憲発議を絶対に許さない闘いとなります。自由法曹団は二〇二一年に一〇〇周年を迎えます。「憲法を守り抜き、一〇〇周年を迎える!!!」を合い言葉に頑張っていきたいと思います。


赤旗号外の机上配布に対する
懲戒処分の取消裁決を勝ち取りました。

東京支部  焉@木 一 昌

一 事案の概要
 墨田区職員のYさんは、平成二八年七月五日、就業時間外において墨田区庁舎内の職員の机上にしんぶん赤旗号外を配布したところ、同年八月三一日付で墨田区長から、以下の理由により戒告処分を受けました。
 (Yさんの机上配布行為は)「墨田区庁舎管理規則に違反するとともに、平成二八年六月二四日付で発せられた平成二八年七月一〇日実施の参議院議員選挙における職員の服務規律の確保と、地方公務員法及び公職選挙法を遵守することのほか、これらの規定に違反しているかのごとき疑念を招くことのないようにとの副区長からの依命通達にも違反する行為である。さらに、この行為が公職選挙法に違反しているかとの疑念を持たれるような記事が新聞により報道されたことは、本区職員の社会的信用を失墜させたといえる。よって、上記処分が適当である。」
二 本件処分の問題点
 しかしながら本件処分理由には以下の問題があります。
(1)「疑念の招くことのないように」との依命通達の不明確性
 Yさんの上記行為は、地公法及び公選法のいずれにも反しません(この点は争いなし)。Yさんは「これらの規定に違反しているかのごとき疑念を招(いた)」ことを理由に懲戒処分を受けたのです。「疑わしきは罰せず」の真逆の「疑われたから罰する」の理論であり到底容認できません。
(2)庁舎管理規則違反を理由とする懲戒処分の不当性
 Yさんは、就業時間外において平穏な態様で文書を机上配付したにすぎません。実質的にみて庁舎管理規則に違反するものではないし、仮に違反するとしても庁舎管理規則違反自体は懲戒処分の根拠たり得ません。
(3)新聞報道を理由として「信用失墜」云々することの不当性
 本件について産K新聞は、あたかもYさんが法律に反した行為をしたかのような記事を掲載しました。Yさんの机上配布行為が地公法・公選法に違反しないことは前述のとおりであり、読み手をミスリードさせるような記事を根拠に「職員の社会的信用を失墜させた」などと非難されては堪りません。
三 特別区人事委員会の採決
 Yさんの審査請求を受けて特別区人事委員会は本件懲戒処分を取り消しましたが、上記三点についての判断は以下のとおりでした。いずれもこちらが主張したとおりの内容であり、「まさにそのとおり」という判断です。
(1)「疑念を招くことのないように」との依命通達の不明確性の点については、そもそも依命通達は、その名宛人及び命令内容に鑑みれば、Yさんに対する命令と解することはできない、としました(これは嬉しい想定外でした)。その上で更に「服務規律違反として懲戒処分を行う前提となる職務命令は、職員に重大な不利益を及ぼす前提となるものであるから、職務命令であること及びその命令内容について一義的明確性が要求される」として、本件依命通達は、「命令内容が一義的に明確であると認めることは困難である。」と判断しました。
(2)庁舎管理規則違反を理由とする懲戒処分の不当性の点については、Yさんの行為は庁舎管理規則に違反するものであるものの(この点は残念)、本件規則は服務上の規則とは解されず、よって本件規則違反を根拠に懲戒処分をすることは適法とはいえない、と判断しました。
(3)新聞報道を理由として「信用失墜」云々することの不当性の点については、「新聞報道されたこと自体が信用失墜行為になるものとは解されない。」「本件配布行為についてみると、処分者も、これを公職選挙法や地方公務員法に抵触する行為だとは主張していない。」「本件配布行為を、職員の信用を傷つけ・・・るような行為とまで評価することはできない。」、と判断しました。
四 結論
 あらためて振り返っても「勝ちすぎ」感のある裁決ですが、それほど墨田区の懲戒処分がお粗末だったということです。しかしながら、Yさんが審査請求しなければ、このお粗末な懲戒処分が先例として残ってしまう訳で(Yさんが審査請求をした動機もまさにこの点にありました)、「権利のための闘争」がいかに重要か思い知らされた案件でした。皆様にもご紹介したく筆をとった次第です。


「九条俳句」を公民館だよりに不掲載にしたことを違法と認め、慰謝料の支払いを命ずる判決

埼玉支部  小 内 克 浩

 一〇月一三日、さいたま地裁は、さいたま市が「九条俳句」を公民館だよりに不掲載にしたことを違法と認め、原告に対し、慰謝料五万円の支払いを命ずる判決を言い渡しました。
 原告が所属していたサークルは、さいたま市内の公民館で毎月句会を開催し、句会の参加者で選んで三橋公民館に提出した俳句が、公民館が発行する「公民館だより」に、平成二二年一一月から平成二六年六月までの三年八か月間、一度の例外もなく、毎月掲載されていました。そうしたところ、平成二六年六月二四日の句会で選ばれた「梅雨空に 『九条守れ』の 女性デモ」という俳句が、突如として不掲載とされました。
 さいたま地裁判決は、サークルが提出した俳句を、公民館が三年八か月間にわたり継続して掲載してきたことから、原告が「九条俳句」を公民館だよりに掲載されると期待するのは当然とした上で、「原告の上記期待は、著作者の思想の自由、表現の自由が憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると、法的保護に値する人格的利益である。」と判示しました。そして、「公民館の職員らが、著作者である原告の思想や信条を理由とする不公正な取扱いをした場合、同取り扱いは、国賠法上違法となる」として、さいたま市による不掲載の違法性を認めました。
 同判決は、国賠法一条の「法的に保護された利益」の解釈において、憲法が保障する思想の自由及び表現の自由を踏まえて、「九条俳句」の不掲載が違法であるという判断を示したものですから、実質的に、これらの点に関する憲法判断を行ったと理解することができます。また、「九条俳句」の公民館だよりへの掲載が、公民館の中立性・公平性を害するということはできないとした点、公民館職員を規律する社会教育法の諸規定が、「大人の学習権を保障する趣旨」であることを明示した点、旭川学テ事件を前提として、「大人についても学習権が保障される」と明示した点などについても、積極的な意義を評価できます。
 他方、同判決は、公民館だよりが、市民の学習成果を発表する場としての役割を果たしてきたことに言及せず、このような場における内容に着目した不公正取り扱いが、憲法上の表現の自由を侵害することを明確に認定していません。また、精神的自由権の萎縮効果につき、精神的自由傷つきやすく壊れやすい点をふまえた適切な判断がされていません。さらに、大人の学習権の保障範囲や、社会教育法から求められる公民館職員の責務についても、不十分な判断が見受けられます。
 さいたま市は、上記地裁判決を不服として東京高裁に控訴をしました。不掲載が違法であると断罪されたにもかかわらず、違法状態の早期解消を拒み、見苦しい抵抗を続けるさいたま市の姿勢は極めて不当です。
 また、原告も、さいたま市の控訴を受けて、地裁判決の上記の不十分な点を中心に、控訴の手続をとりました。東京高裁では、違法状態の早期解消を目指すとともに、憲法上の権利侵害についてさらに踏み込んだ判断を得ることができるよう、全力を尽くしてまいります。


第二次新横田基地公害訴訟
第一審判決のご報告

東京支部  小 口 明 菜

 二〇一七年一〇月一一日、東京地方裁判所立川支部において、第二次新横田基地公害訴訟(以下「本訴訟」といいます。)の第一審判決(以下「本判決」といいます。)が言い渡されました。
一 横田基地公害訴訟とは
 横田基地公害訴訟が初めて提起されたのは一九七六年のことでした。以来、訴訟提起・上訴と判決言渡しが繰り返され、過去七回にわたり、被告国を厳しく断罪する判決がなされています。最高裁判決や訴訟外の運動によって、日米合同委員会で夜一〇時から翌朝六時まで飛行を行わないことが合意されるといった成果も得られています。
 しかしながら、最初の訴訟提起から四〇年以上が経過した現在においても、騒音被害はいっこうに解消されていません。周辺住民は、朝起きて、夜眠るまで、さらには寝ている間も、騒音に曝され続けているのです。
 そこで二〇一三年三月二六日、基地周辺住民は、国に対し、横田基地を離着陸する米軍機・自衛隊機の夜七時から朝七時までの飛行差止めと、損害賠償を求めて提訴しました(本訴訟)。八月一日の追加提訴と合わせると、原告数は一〇七八名にのぼります。
二 本判決の内容
(1)損害賠償請求(過去分)について
住民の訴えに対し、本判決は、WECPNL(うるささ指数。以下「W値」といいます。)七五以上の地域に居住する原告について総額約六億円をこえる損害賠償を国に命じました。違法な騒音被害が広く生じていることが改めて認定されたものです。
 判決は、国の公共性の主張(横田基地での米軍の活動には高度の公共性があるため違法性の判断において斟酌されるべきとの主張)や、危険への接近に関する主張(騒音の存在を認識認容していた原告らについての損害賠償義務は減免されるべきとの主張)を退けたうえで、「被告が騒音による権利侵害を少しでも抜本的に解決しようとする努力を十分に果たしているとはいい難い」として、騒音を放置してきた国の怠慢を厳しく指摘しました。
(2)差止請求について
 他方で、本判決は、米軍機の運航は国の指揮・命令が及ばない「第三者の行為」であるとして、実体的な判断に立ち入ることなく差止請求を退け、自衛隊機の飛行差止請求についても民事訴訟としては認められないという理由をもって訴えを却下しました。
 騒音の原因である米軍機等の飛行差止めは、基地周辺住民の悲願です。しかし本判決は、家族団らんのひとときと安らかな眠りを守って欲しいという、基地周辺住民のささやかな願いにすら応えることはしませんでした。
(3)将来請求について
 また本判決は、将来にわたる損害賠償請求をも退けました。一九七六年の最初の提訴から四〇年以上にわたり、違法な騒音状態がいっこうに解消されていないという事実に目を背けるものです。
 基地周辺住民は、今後も、救済を受けるために繰り返し提訴を行う負担を強いられることになります。
(4)七〇W原告について
 さらに、本判決は、二〇〇五年の国による航空機騒音区域指定の「見直し」により、W値七五未満とされてしまった地域に居住する原告らの損害賠償請求を排斥しました。
 これらの住民は、現在も、「見直し」前と同じく苛烈な騒音に苦しめられています。それにもかかわらず、国が一方的に縮小した航空機騒音区域指定を、漫然と受忍限度を画する指標として採用した本判決の不当性は明らかです。
三 たたかいの場は東京高裁へ
 本判決は、騒音の違法性を認めた点では評価できますが、米軍機等の運行差止めや将来にわたる損害賠償請求について、従来の最高裁判決や過去の他基地訴訟の内容を無批判に踏襲して退けており、長期にわたる深刻な騒音被害の司法的解決を切望する基地周辺住民の信頼に背くものと言わざるを得ません。
 一〇月二四日、第二次新横田基地公害訴訟原告団は、判決を不服として東京高等裁判所に控訴しました。米軍基地の騒音問題に終止符を打つ判決を勝ち取り、「静かな空」を取り戻すまで、たたかいを続けていきたいと思います。


神奈川建設アスベスト訴訟
ダブル勝訴を受けて

神奈川支部  永 田   亮

一 歴史的勝訴
 神奈川建設アスベスト訴訟は、二〇一七年一〇月二四日に横浜地裁で、同月二七日に東京高裁で、それぞれ国及び建材メーカーに対して勝訴をすることとなりました。
 横浜地裁で受けた全面敗訴判決から五年、横浜地裁で勝利するとともに東京高裁で大逆転判決を得ることができ、各弁護団員の努力と原告・支援者の取組みの成果であると感じています。
二 各判決の意義
 建設アスベスト訴訟では、国に対しては、アスベスト建材の危険性を認識しながら規制権限の行使を怠ったとしての責任を求め、アスベスト建材メーカーに対しては、危険なアスベスト建材を製造販売し続け、作業者への適切な警告表示を行わなかったこと等の責任を求めていました。
 国に対する判決では、地裁レベルでは六連続、高裁レベルでは全国で初めて、アスベストに対する規制権限不行使の責任が明確に認められることとなりました。労働安全衛生法を根拠としたため、対象が労働者に限定され、建設現場で同様に働く一人親方や零細事業主は救済の対象となりませんでしたが、わずかでも労働者としての期間がある人、就労の実態として企業の指揮命令下にあったり日給月給で報酬を受け取っていたような人については、実質的に労働者として救済を認めており、被災者を救おうとする裁判所の姿勢を感じる内容となっています。
 また、アスベスト建材メーカーに対しては、地裁と高裁とで多少内容が異なりますが、メーカーが適切な警告表示を怠ってきたこと、メーカーの製造していた建材が、原告ら建設作業従事者の建設現場に到達して原告らの石綿関連疾患の原因となったことが明確に認められました。判決において賠償義務を運良く免れたメーカーもいますが、判決では、各メーカーのシェアの高さのほか、当該建材を使用していた原告の記憶が明確である場合等にも、建材の到達を認めています。今回責任を免れたメーカーらも、シェアを補充する資料や建材使用の記憶が明確な原告が現れれば、数億円以上の賠償責任を負うということも当然あり得ることになります。まさに「明日は我が身」ということです。
 国の違法時期がかなり遅く設定されたことや確実に被災者らに到達していた建材メーカーの責任が否定されるなど不十分な点もありますが、一刻も早い救済制度の設立のため、国と企業の責任を明確に認めたこの判決を活用していかなければなりません。
三 判決を受けて思うこと
 この勝利判決を直接受け取りたかったのは、神奈川の建設アスベスト訴訟を事務局長として引っ張り続けてきて、二〇一四年に亡くなった阪田勝彦団員だと思っています。五年前の全面敗訴判決を最も悔しがったのは阪田団員です。その判決が完全にひっくり返ったこと、そして、私が弁護士一年目のときに阪田団員が中心になって検討した主張や作成した書面がこの判決に生きていることは、本当に嬉しいことである反面、阪田団員にこの判決を直接見せてあげたかったなぁととても残念に思います。弁護団全員が、阪田団員の遺志を継いで取り組んできた結果がこの勝利判決ですが、これを判決だけで終わらせることなく、阪田団員の目標であった救済制度創設のためにも、一層の努力を続けていかなければいけません。彼なら「まだまだ、これから」ときっと言うでしょうし。
 今回の判決は阪田団員にちゃんと報告しますが、本当の報告は救済制度ができあがったそのときになります。どうせ忙しそうにしながら僕らを見守っているでしょうから、完全な救済制度を勝ち取ってドヤ顔で自慢してあげましょう。


先輩方に質問。
憲法九条改憲問題ってどう伝えればいいんですか?

東京支部  久 保 木 太 一

一 早速ですが、講義を始めます
(1)はじめに

 本日はお呼びいただき、ありがとうございます。私、城北法律事務所の弁護士の久保木といいます。
 実をいうと、私はまだ弁護士一年目の新人です。ほら見てください。胸の弁護士バッジがキラキラ輝いているでしょう。このバッジは銀を金メッキでコーティングしてあるものなので、弁護士歴が長ければ長いほど徐々に輝きを失っていくんです。もちろん、私自身は経験を重ねれば重ねるほど輝きを増すような弁護士を目指しています(拍手)。
(2)憲法九条とは
 (パワポで憲法九条の条文を示しながら、)皆様、こちらをご覧ください。率直に聞きます。憲法九条は自衛隊の存在を認めているように読めますか?
 …読めませんよね。ちなみに、自衛隊はどこの条文に引っかかると思いますか?
 そうですよね! 二項の「戦力」にクリーンヒットしていますよね!
 しかし、政府は、「必要最小限度の自衛力は二項の『戦力』には当たらない」という屁理屈をこねることによって、自衛隊が合憲であるとしています。
 ここで確認したいのは、憲法九条をまっさらな気持ちで読むと、自衛隊は容認されていないように読める、ということです。
 つまり、文言上、憲法九条は「鉄壁」なのです!!!!(ヒューヒュー)
 それにもかかわらず、自衛隊を合憲とする政府の解釈は、「ガラス細工のような解釈」だとか「針の穴に糸を通すような解釈」とも例えられます。
(3)憲法九条改憲の三つの視点
 今回、政府は憲法九条に自衛隊の存在を明記する改憲を目指しています。私は、今回の改憲について考えるときには、視点を三つに分けることが有益だと信じています。
 憲法九条を壁、自衛隊をボールだとします(パワポで絵を示す)。
 憲法九条ができた当時、憲法九条は条文通り鉄壁でした。しかし、政府が徐々に壁に穴を開けることによって、今では自衛隊というボールがスルーできる大きさの穴が開いてしまっています。
 視点一は、ボール(自衛隊)の現状の大きさです。果たしてBB弾くらいなのか、それとも大砲の玉くらいなのか。語弊があるかもしれませんが、これを、自衛隊の悪性の大きさ、と表現させてもらいます。
 視点二は、憲法九条に自衛隊を明記することによって、壁に開いた穴が拡張される程度です。改憲で広がる穴は、果たして現状のボールが通過できるギリギリのサイズ(ジャストサイズ)なのか、それとも現状のボールよりも大きなボールを通せるサイズの穴が開いてしまうのか、という問題です。これは、改憲によってただちに生じる影響、と言い換えることができます。
 視点三は、憲法九条に自衛隊を明記することによって、壁の穴の周りにできるヒビの大きさです。ヒビはいずれさらなる崩壊を生みます。すなわち、これは、改憲によってただちには生じないけれど、将来的に生じる影響です。
(4)視点一 ボールの大きさ(自衛隊の悪性)
 ボールがBB弾くらいの大きさだったら、壁を通しても大したことない、と思うでしょう。他方で、大砲の玉くらいの大きさだったら、え? それって通しちゃマズくない? と思うでしょう。では、現状のボールの大きさ(自衛隊の悪性)はどの程度でしょうか。
 まず、現状の自衛隊の規模を見てみましょう。
 二〇一七年度国防予算は五・一兆円で、世界八位です。誰がどうやって調べたのかはよく分かりませんが、軍事力は世界七位と言われています。なかなかの規模ですね。
 次に、現状の自衛隊の役割を見てみましょう。
 戦争法によって、集団的自衛権が容認され、自衛隊は自国防衛以外でも武力を行使できるようになりました。また、小野寺防衛大臣は、グアムが攻撃された場合に迎撃の余地があるとの見解を示しています。結構、攻撃的なんです。
 どうでしょうか。現状の自衛隊は、本当に「必要最小限度の自衛力」でしょうか。ボールの大きさは大砲の玉くらいありませんか? もっと大きいかもしれませんね。
(5)視点二 穴が広がる程度(改憲によってただちに生じる影響)
 安倍首相は、憲法九条に自衛隊を明記しても何も変わらない、と主張しています。だったら変えなくていいじゃん、と言いたいところですが、それ以前に、本当に「何も変わらない」のでしょうか。
 現状のボールの大きさは大砲の玉くらいだと仮定します。「ガラス細工のような解釈」により、現状の自衛隊は憲法九条の下で存在しているため、壁にはすでに大砲の玉サイズの穴は開けられています。問題は、改憲によって、この穴がさらに広がるかどうかです。
 憲法九条に自衛隊を明記することによって、ただちに次の影響が生じることが指摘されています(これでもごく一部)。
(1)自衛隊基地のための土地収用が可能に
(2)騒音・飛行差し止め等の自衛隊基地に関する訴訟が困難に
(3)軍事費GDP一%以内という暗黙の了解がなくなり、軍事費が増大
 つまり、改憲によって、穴のサイズはさらに広がるんです。大砲の玉よりもさらに大きなボールが通ることが可能になれば、その穴に合わせて、ボールはさらに膨張します。つまり、現状よりもさらに悪性のある自衛隊が作り出されてしまいます(大玉転がしの大玉くらいでしょうか)。
 「何も変わらない」は嘘です。
(6)視点三 ヒビの大きさ(改憲によって将来的に生じる影響)
 憲法九条に自衛隊を明記するだけでは変わらずとも、今後、それに「チョイ足し」することによって、かなりの変化が生じることが予想されます。
(1)さらなる解釈改憲
 戦争法によって、自衛隊の役割は大きく拡大しました。しかし、一方で憲法九条があったため、一定の足かせ((1)存立危機事態、(2)他の手段がないこと、(3)必要最小限度の実力行使の三要件等)は残されました。
 今回の改憲によって、「三要件がなくても自衛隊による集団的自衛権の行使は合憲だ」という解釈が将来なされ、いわゆる「フルスペックの集団的自衛権」が容認される可能性があります。
(2)さらなる明文改憲
 今回の改憲に加え、特別裁判所の禁止を定める憲法七六条を改憲することによって、国防軍に必須である軍法会議を創設することができます。また、憲法一三条の個人の尊重、憲法一八条の奴隷拘束の禁止を取り払えば、徴兵制復活も可能です。
 今回の改憲によって生じたヒビは、将来的に憲法九条の壁を崩壊させ、日本を軍国化させかねないものなのです。このヒビを入れることこそが、政府の真の狙いかもしれません。
二 先輩方、ご指導ください
 以上が、私が市民団体向けに憲法九条改憲問題について講義するときの概要です。
 「自由法曹団のイベントは原則的に参加するものだと勘違いしている期」と先輩方から称されることもある六九期の一員として、種々の学習会や合宿に参加して得た知見を基にしているのですが、先輩方の目から見れば、色々とご指摘等があるかと思料します。
 私宛のメールやお電話でご指摘いただいても当然に嬉しいのですが、団通信はおそらくアクセス権が認められた場だと思いますので、団通信に(私への過度な個人攻撃にならない程度に)、先輩方が憲法九条改憲問題を伝える際のやり方・コツ等を掲載してくださるとありがたく存じます。
 どうかご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。


被爆者は、核時代の預言者である

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 一一月一〇日、フランシスコ・ローマ法王は、「大量破壊兵器、特に核兵器は、間違った安全保障の観念しかつくり出さない」、「広島・長崎の原爆投下の被害者である被爆者や他の核実験の被害者の目撃証言は、かけがいがないものである」、「彼らの予言的声が、すべての未来の世代への警告となることを願う」と強調したと報道されている(しんぶん赤旗・二〇一七年一一月一二日付)。
 私は、この記事を読みながら、「被爆者は、核時代の預言者である」との言葉を思い出していた。もっと正確に言うと「被爆者は、時代の人々に、生き残る道を身をもって示した人類の預言者です」という言葉である。これは、ノーモァ・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会の「核の支配からにんげんの尊厳を取り戻す戦いに勝つための宣言」の一節である。この宣言は、故池田眞規弁護士の起案にかかるものであり、この文言は池田弁護士の座右の銘でもあつた。(このことについては、池田眞規著作集刊行委員会編「核兵器のない世界を求めて―反核・平和を貫いた弁護士・池田眞規―」(日本評論社)二二五頁以下に詳しい。 )
 ここには、予言と預言と二つのヨゲンがある。広辞苑によると、予言は「未来の出来事を推測していうこと」、預言は「キリスト教で神の霊感に打たれたと自覚する者が神託として述べる言説」とある。ローマ法王は予言と言い、池田弁護士は預言と言うけれど、どちらも予言であり、預言でもあるような気になる。
 大事なことは、ローマ法王も、被爆者の声に耳を傾けることの大切さを説いていることである。その大切さを言い出したのは、池田弁護士の方が先だということは明らかだけど、今、その前後を問わなければならない理由はない。確認すべきことは、被爆者の声を無視し始めたとき、人類社会は滅亡の淵へと進むことになるという予言や預言が行われているということである。
 ローマ法王は、一二億三〇〇〇万人といわれるカトリック教徒の最高位にある聖職者である。ローマ法王庁は、一一月一〇日・一一日「核兵器のない世界と統合的軍縮への展望」をテーマとする国際会議を開催した。日本被爆者団体協議会事務局次長の和田征子さん(長崎の被爆者)は、法王庁に「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」(ヒバクシャ国際署名)を持参し、会議では「原爆を生き延びて」と題する証言をした。その内容は、核兵器がいかに非人道的な兵器か、被爆者の受けた痛み、苦しみ、もし使われれば、同じ苦しみを世界中が負うことになることを伝えたい、ということであった。
 核兵器禁止条約前文は、被爆者の「容認できない苦痛と害」について一項目を設けている。バチカン市国は、核兵器禁止条約にいち早く署名している。被爆者の声が、国際社会に届きつつあるといえよう。私は、池田先生の「被爆者は預言者である」との言明が、ローマ法王の「被爆者の予言的声」という形で継承されていることに感動を覚えると同時に、改めて、被爆者の思いに耳を傾け続けなければと決意している。

(二〇一七年一一月一五日記)


 二〇一七年一一月一三日(池田弁護士の命日)付で出版。B5版・三二四頁。定価税抜き二八〇〇円。第一部世界法廷物語、第二部弁護士池田眞規の歩み、第三部池田眞規小伝、年譜、主要執筆一覧で構成。資料として核兵器禁止条約が収められている。池田弁護士の生涯を通じての思想と行動がまとめられている。反核・平和運動を進めるうえで、多くの示唆を提供してくれる本である。書店でも入手できるが、私のところでも取扱っている。ご希望の方は、電話〇四―二九九八―二八六六、FAX〇四―二九九八―二八六八までご連絡ください。


*追悼*

四つの判決に亡き山下登司夫先生を想う

神奈川支部  中 野 直 樹

四つの判決
 私は九年前から首都圏建設アスベスト訴訟、そして四年前から「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」弁護団活動に参加している。アスベスト被害は我が国最大の労災職業病と言われているし、福島第一原発被害は最大の公害事件であり、いずれも現在進行の深刻な人権被害である。
 今年九月二二日・千葉地裁(原発避難者訴訟)、一〇月一〇日・福島地裁(生業訴訟)、一〇月二四日・横浜地裁(建設アスベスト神奈川ルート二陣)、一〇月二七日・東京高裁五民(建設アスベスト神奈川ルート一陣)の判決行動に参加した。一ヶ月に集団訴訟の判決を四回も、しかも国の規制権限不行使の違法を問う事件の判決を連続して受けることは弁護士人生の中でも希有な経験である。
 私はこの四つの判決行動に参加しながら、今年六月二一日に急逝された山下登司夫先生のことを想い続けた。
山下登司夫弁護士と自由法曹団
 山下弁護士は二三期、青法協の看板事務所であった文京総合、小野寺利孝弁護士と二人の文京協同法律事務所、そして一人事務所を基点として活動されたが、おそらく登録以来ずっと自由法曹団員のはずである。はずであるというのは、山下弁護士は団の古稀表彰を辞退され、ご本人による「七〇年の歩み」、あるいはご友人による紹介の記念文が存在しないので確認できていないからである。
 おそらく山下弁護士は団の執行部・委員会などに参加されたことはなかったと思うが、実は長年に渡って継続して団の組織活動の一部を担ってこられた。団総会に向けて作成される議案書は執行部が書く。毎年の議案書の「労働者の権利をめぐるたたかい」の章の中に、必ず「じん肺とのたたかい」、「アスベストとのたたかい」の記述があった。私は、九七年頃から〇三年にかけて、事務局次長、事務局長として議案書書きの作業にかかわった。過去の議案書をみながら、団として「じん肺のたたかい」を論議した経験もないのに、えらく具体的・詳細に記載されていることが不思議だった。専従事務局にこの部分を何を元に書くのだと尋ねたところ、いつからかわからないが、この項目のみ山下弁護士に外注され、一番早く原稿が提出されることが決まりとなっている、とのことであった。山下弁護士は、〇五年議案書では、クボタなどで働いた労働者や近隣住民が石綿被害にあっていることを取り上げ、「ここでも、効率優先の企業の姿勢と危険が予見できたにもかかわらず規制権限を行使しなかった国の不作為が犠牲を広げる結果につながっている。」と指摘されていた。
国の規制権限の不作為の責任を問うたたかい
 山下弁護士は、中堅期以降、小野寺弁護士とともに、最大の職業病と言われてきたじん肺被害救済と根絶のたたかいの組織化に尽力され、全国じん肺弁護団連絡会議代表役員、全国トンネルじん肺根絶訴訟弁護団幹事長として、法廷闘争、裁判外闘争に精魂を傾けてこられた。そして、〇八年から始まった首都圏建設アスベスト訴訟の幹事長として文字通り日夜粉骨の弁護活動をしてこられた。私は、この弁護団に入り、国の責任班メンバーとして山下弁護士と顔を合わせることが日常の風景となった。
 山下弁護士は、最高裁判決の国の規制権限不行使の違法性の判断枠組みの研究に力を注がれた。各事案ごとに根拠法令の趣旨・目的、保護されている権利・利益の憲法上の価値の位置づけ等について探究され、最高裁がどのような利益考量をしているかを深められた。山下弁護士は、常に問題の所在としての総論の議論を大事にし、そこに憲法から説きおこした価値の優劣を位置づけ、人権救済の使命をもつ裁判所が、規制行政庁の「裁量」に逃げ込む道を封ずることに心を砕かれた。大阪高裁でまさかの逆転敗訴をした泉南アスベスト訴訟最高裁では、山下弁護士のこの総論の弁論も力となって再逆転勝訴となった。
 一一年三月一一日、福島第一原発事故が起こり、一三年から各地で原発事故被災者の集団訴訟が提起された。私は生業訴訟の弁護団となり、国の責任を担当することとなった。山下弁護士は、原発事故被災者訴訟について、究極の国賠だと評された。究極という言葉を使われたことについて、詰めて尋ねたわけではないが、これまでの最高裁判決の事案が、既に被害が発生しているときの国の規制権限行使の在り方が問われているのに対し、原発事故被災の事案は、未だ被害の発生がない段階での国の不作為の責任を問う、という点をとらえられたものだと受け止めた。
 私がアスベスト弁護団活動の合間に山下弁護士にアドバイスを求めているうちに、山下弁護士から自分も生業弁護団に入るとの申し出がなされた。もちろんウエルカムだった。山下弁護士には準備書面も書いていただき、福島地裁の法廷にも通っていただいた。
 山下弁護士の活動は、抽象的な表現の国の規制権限不行使の違法性の判断枠組みに、人権救済の魂を打ち込もうとする法律家としての気迫に満ちたものであった。
つかの間のひととき
 告別式のご遺族の挨拶で、山下弁護士は仕事一筋の父だったと語られた。そんな山下弁護士にも道楽のひとときがあった。一つは料理、一つは写真。
 山下弁護士は団通信の読者だった。私が時折投稿していた釣り・山紀行も読まれていた。お酒を飲んだときなどに自然と山の話となった。山下弁護士は若い頃に山登りをされていた。山下弁護士は単なる登山ではなく、本格的な山岳用写真機を担いで山に行かれていたそうである。笠ヶ岳を引合いに出して、通常の一眼レフと異なり、「山が立つ」のだと解説されていた。ご自慢の写真を拝見する機会をねだっていたが、これは叶わないこととなった。
 今年の夏、白山や会津駒ヶ岳に登ったときにチングルマを目にした。名前がいい。白い五枚の花弁の中央に黄色の雄しべ・雌しべが座る上向きの花姿の群落は、たくさんの笑顔が集っているような明るさがある。チングルマは花が散っても見せ場をつくる。花柱が伸びて、白く密生した毛が万歳をするように上に向かう。そこに朝露が落ち陽光に光りながらそよぐ姿はなんとも愛嬌がある。山下弁護士が一番愛した高山植物である。


二〇一七年三重総会一泊旅行記

その一 総会に行くまでの見聞
副題「式年遷宮と林業振興」(後編)

東京支部  伊 藤 嘉 章

五 式年遷宮と林業
 二〇一三年の第六二回式年遷宮を記念して造られた「せんぐう館」に入る。
 「五五〇億円も集めたという式年遷宮の費用が余ったので、このハコモノを作ったのかな」(これは、伊藤の独り言です。独りごと その一となります)
 まず、目につく物に、外宮の正宮の一部分の原寸大模型がある。棟もち柱を設置した神明作りの横からの構造がよくわかる。外宮、内宮の正宮だけでなく、敷地内外にあるすべての建物を二〇年ごとに作り替えるという式年遷宮。
 なんという木材資源の無駄遣いではないかと、かつては思っていた。今は違います。式年遷宮による木材の大量消費は林業の振興に大きく寄与しているのである。木は切っても植えれば成長する。林業家は一〇〇年後、二〇〇年後の木材需要が約束された林業経営ができるのである。
 森林を守るために割り箸をやめて塗り箸を使うという運動は、円高とあいまって、奈良県の吉野町の割り箸産業に壊滅的打撃をあたえるとともに、林業衰退の要因ともなっている。木材は、植林、成長、伐採、消費、また植林という持続型の資源である。老木はさほど二酸化炭素を吸収しない。伐採して木を建物や家具等の木製品として使い、再度植林すれば木は成長の過程で多量の二酸化炭素を吸収する。そして森林ができれば、水源涵養林となり、緑のダムとして、国土の保全につながるのである。
 「割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題」(ちくま新書)の著者田中淳夫は「我が家では自宅でも割り箸を使用している。毎度の食事も割り箸だ。」と書いている。実は、私自身も、この書を読んで以来、真似しています。仲居さんが一品ずつ料理を持ってくる懐石料理の場合に、料理ごとに新しい割り箸を出してほしいと思っているのですが、そのような店はありませんか。中華料理店などで、塗り箸と割り箸を選べる店はうれしいですね。
六 式年遷宮の由来
 天照大神を祀る内宮の式年遷宮は持統天皇四年(六九〇年)に、天照大神の食事係の豊受大神を祀る外宮は六九二年に始まったとされる(新谷尚紀著「伊勢神宮と三種の神器」(講談社選書メチエ)の九二頁)。
 理由は複数あるという。第一が、「常若説」。すなわち、神宮の堀立柱に萱葺きという日本古来の社殿の神聖性と清浄性を保ち続けるためにおよそ二〇年で老朽化する社殿に代えて新たな社殿を造替するのだという説である(同書六七頁)。
 堀立柱が老朽化するというのであれば、持統の時代の七世紀後葉は、飛鳥寺、旧法隆寺の若草伽藍の礎石そして再建法隆寺、あるいは薬師寺から明らかなように、すでに礎石を設置して柱を建てる工法が行われていたのに、伊勢神宮だけが礎石設置を採用しなかった本当の理由は何であろうか。
七 スペルと伊勢うどんと投票箱
 「せんぐう館」を出る前に、伊勢志摩サミットに参加した首脳のうち、英語が母語のオバマとキャメロンのコメントを書いた色紙の文字を読もうとしたが、スペルが崩し字で半分しか読めなかった。それとも私の語学力の不足のためか。
 参拝後は、駅近の店で、てんぷら入り伊勢うどんを食べ、ビールを飲む。つゆ(たれ)の味が濃すぎる。二三日の昼食で食べた伊勢うどんは、こんなに味が濃くなかった。
 伊勢市駅に着くと、午後三時であった。電車が全く動いていない。タクシーで総会会場の鳥羽シーサイドホテルに向かう。運転手がいうには、鳥羽から名古屋に行く電車が止まったので、名古屋行の客がいたが断ったという。午後八時に、投票所から開票所に投票箱を運ぶ仕事があるので、名古屋から回送してきてこの仕事に間に合わないと困るからとのことであった。
(その二「式年遷宮の本当の意味」に続きます)