過去のページ―自由法曹団通信:1617号      

<<目次へ 団通信1617号(12月11日)


加藤 健次 辺野古新基地建設阻止、名護市長選挙勝利のために
二〇一八年一月沖縄・拡大常幹に
参加をよびかけます!
岩下 智和 ※三重・鳥羽総会特集 その五
伝統ある古稀表彰に感謝
井上 正信 安保法制と秘密保護法制
今泉 義竜 「『沖縄と核』から考える日米関係と憲法九条」開催しました
玉木 昌美 選挙直前に高三対象に出張授業
大久保 賢一 質問時間の制限と少数者の権利
後藤 富士子 「判検弁供給制度」から「法曹養成制度」へ
─「司法試験」「司法修習」「判事補」の変換
中野 直樹 会津の山たち(一)
伊藤 嘉章 二〇一七年三重総会一泊旅行記
その二 一泊旅行の一日目 
副題「式年遷宮の本当の意味」(前半)



辺野古新基地建設阻止、名護市長選挙勝利のために

二〇一八年一月沖縄・拡大常幹に
参加をよびかけます!

幹事長  加 藤 健 次

 安倍首相は、来年の通常国会での九条改憲発議に執念を燃やしています。日本会議は先日行われた集会で九条の会への対抗心をむき出しにして、改憲を実現するための「草の根」の運動を呼びかけました。私たちは絶対に負けるわけにはいきません。各地で学習会、宣伝、そして「安倍九条改憲NO!」三〇〇〇万人署名の取り組みを強めましょう。
 この間、北朝鮮問題を口実にした米軍と自衛隊の一体化が進んでいます。日米首脳会談では、安倍首相は「すべての選択肢がテーブルの上にある」とするトランプ大統領の方針をあらためて全面的に支持しました。また、核爆弾を搭載することができる米軍のB52を自衛隊機が護衛していたことが発覚しました。北朝鮮問題の解決ためには、憲法九条の精神を生かして、対話と外交交渉による解決のためにこそ尽力すべきです。北朝鮮問題の解決の方向をめぐって、自衛隊を海外で戦争をする「普通の軍隊」にしてよいのかどうかが問われています。
 日米首脳会談で、安倍首相とトランプ大統領は、辺野古新基地の建設強化をあらためて確認しました。核兵器禁止条約に背を向ける姿勢といい、安倍首相は「一体どこの国の首相か?」と言わざるを得ません。しかし、沖縄では新基地建設阻止のために「オール沖縄」の粘り強い闘いが継続しています。いま辺野古新基地建設問題を日本全国の問題として、反対運動を強化しなければなりません。とりわけ、来年に予定されている名護市長選挙、沖縄県知事選挙で「オール沖縄」の候補を勝利させることが決定的に重要です。
 来年二月二四日に行われる名護市長選挙には、「オール沖縄」の稲嶺進市長が三選をめざして出馬を表明し、自民党推薦候補の一騎打ちになる様相です。
 このような情勢を踏まえ、来年一月の常任幹事会は、沖縄で開催します。一月二〇日(土)に那覇市内で拡大常任幹事会を行い、翌二一日(日)に名護市長選挙の支援行動を行う予定です。
 今回は拡大常任幹事会とします。来年を辺野古新基地建設と九条改憲を阻止する年とするために、常任幹事でない団員も含め、多数の参加を呼びかけます。


※三重・鳥羽総会特集 その五

伝統ある古稀表彰に感謝

長野県支部  岩 下 智 和

 三重・鳥羽総会に出席して、荒井新二団長から、有難く古稀表彰をいただくことができました。記念品として若杉集氏作の益子土焼締急須をいただき感激しております。ときにはこの急須でお茶をいただきながら、テレビの将棋でも観てのんびり過ごしたいと思います。
 団の長野県支部は今年五〇週年を迎え、昨日(一二月三日)、船尾徹団長にもご出席いただき、記念レセプションを盛大におこなうことができました。古稀をはるかに超えてますます元気な、辰野事件のご家族や丸子警報器事件や東電人権侵害事件の原告など多くの事件関係者とともに五〇年のお祝いができて楽しいひと時を過ごしました。
 鳥羽総会の参加者には、五〇年誌「民衆とともにー自由法曹団長野県支部五〇年のあゆみー」を配布させていただきました。その、五〇年誌に、冨森啓兒団員の「古稀の群像」と題する詩とともに、県支部で古稀表彰を受けた団員全員の氏名を載せていますが、一番古くは、日本共産党の国会議員であった林百郎団員が、一九八二年九月の青森県の小牧温泉総会で表彰されており、受賞式での写真を掲載しています。少なくとも三五年前には古稀表彰が行われていたのですね。私は、長野県支部では一三人目の古稀表彰者となりました。いつから始まったのか私は知りませんが、伝統ある表彰をいただくことは感激です。七〇年の人生を顧みて、今後の生き様を考えるよい機会となりました。表彰状は、古稀団員の各自の活動暦等を的確に捉えたもので、いつも感心させられますが、書かれる団長のご苦労に敬意を表します。私は、丸子警報器事件の取組みなどの大衆的裁判闘争に関して身に余る賛辞をいただき恐縮しておりますが、これを活力として今後とも頑張るぞという、さらなる活動のエネルギーが沸いてきます。
 団の総会に各地から駆けつけた古稀表彰者のみんなとは、多くを語らなくとも、生きた時代背景を共にした熱い連帯感を実感させられます。全国各地に散らばって活動を続け、元気で古稀を迎えた仲間が集まる団の古稀表彰式は、幸せな一時を演出しています。それにしても、古稀表彰を受ける団員は皆若々しく元気ですね。民衆とともに闘い、闘いにとって必要な人間であると実感させられているから老いていられないのかもしれません。大衆運動に身を置き続けることは健康でいる秘訣かもしれませんね。
 先日、運転免許証の書き換え時期をむかえて、自動車教習所での高齢者講習を受けることが必要だという案内が届きました。そういえば、四二年前に長野県上田市で弁護士の仕事を始めた当時、その地域で自家用車を自分で運転する弁護士第一号でした。以後、年間二万キロメートル程度を走り回って仕事をしてきました。早速教習所に予約して講習日も決まりましたので、免許更新をして、今後も元気に全国を走り回りたいと思います。
 安倍の暴走は、古稀などといっていられる状況ではありませんから。


安保法制と秘密保護法制

広島支部  井 上 正 信

一 背景
 安保法制は二〇一五年四月日米間で合意された「日米防衛協力の指針」(以下新ガイドライン)を実行するためのものであった。安保法制と新ガイドラインの関係については下段の表を参照。
 新ガイドラインは安保法制で裏打ちされて、日米同盟の一層の強化、日米軍事一体化を進めるものだが、その観点から見た新ガイドラインの核心部分は、同盟調整メカニズムと軍軍間の調整所、共計画策定メカニズムである。
 同盟調整メカニズムは、旧ガイドラインと異なり、平素から活動をする仕組みとしている。軍軍間の調整所は、昨年四月の熊本震災の際に、陸自熊本駐屯地へ設置されたことがある。(注)同盟調整メカニズムと共同計画策定メカニズムは、二〇一七年版防衛白書二九一、二九二頁の図表を参照)
 既に情報共有、協力の強化は、日米防衛政策見直し協議(通称米軍再編協議)における2+2の共同発表文二〇〇五年一〇月二九日「日米同盟:未来のための変革と再編」で合意されている。この合意を実行するため、第一次安倍内閣当時の二〇〇七年八月日米包括軍事情報保護協定(GSOMIA)が締結され、これを履行するための国内法制として特定秘密保護法が制定された。
 この様に既に日米間では、軍事情報の共有、協力が進んでおり、新ガイドラインと安保法制の実施により、それまでとは比べものにならないほどの日米間での軍事秘密情報が積み重ねられているはずである。

図表4

 図表4は参議院事務局企画調整室発行「立法と調査」三七九号所収
「平和安全法制成立後の防衛論議」沓脱和人著から引用

二 安保法制の実施
 安保法制は二〇一五年九月に強行可決されて成立し、二〇一六年三月二九日施行された。安保法制はその後二〇一六年一二月から南スーダンPKOへ派遣された陸自施設部隊第一一次隊へ「駆け付け警護」「宿営地共同防護」とこれらのための武器使用権限が付与されて、初めて実施された。
 その後、二〇一七年五月一日から米海軍輸送艦を防護するため、海自最大の護衛艦いずもが房総沖から鹿児島県南方海域まで自衛隊法第九五条二による活動を行った。四国沖からは呉基地所属の護衛艦も参加した。いずもはその後シンガポールに向けて南シナ海を航行した。米海軍補給艦はそのまま日本海へ入った。
 二〇一七年四月からは、日本海で弾道ミサイル防衛作戦を展開している米海軍イージス艦に対して、海上自衛隊の給油艦が燃料を補給していた。この活動は、安保法制で改正された自衛隊法第一〇〇条の六(物品役務融通)に基づくもの。同条改正で新たに付加されたものは、
 二号 米軍施設の警護(第八一条の二第一項二号 警護出動)の場合
 三号 海賊対処行動を行う場合(新ACSA第六条)
 四号 弾道ミサイル破壊措置(第八二条の三第一項又は第三項)の場合
 六号 機雷除去活動(第八四条の二)の場合
 九号 外国軍隊に対する情報収集活動の場合(日米共同のISRを想定)
 上記自衛隊法改正後、これに対応する改定日米ACSAが日米両政府間で調印され、二〇一七年四月一四日参議院で条約承認されて発効した。
三 安保法制の実施と日米軍事秘密
 自衛隊法第九五条の二の実施にあたり、二〇一六年一二月二二日国家安全保障会議は「自衛隊法第九五条の二の運用に関する指針」を決定した。これによると、「防衛大臣は、本条の運用に際し、自衛隊又は合衆国軍隊等の部隊に具体的な侵害が発生した場合等、本条による警護の実施中に特異な事象が発生した場合には、速やかに公表すること。」としており、政府、防衛省は実施の有無を含めて情報を公開しないこととしている。二〇一七年五月に実施された米海軍輸送艦の防護活動は、予めマスコミがその可能性を想定して報道したものであり、これについても防衛省は実施したか否かも答えていない。
 自衛隊法第九五条の二に関しては、さらに北朝鮮情勢緊迫化の中で実施がされている疑いがある。北朝鮮情勢の緊迫化の中で、米韓は合同軍事演習を行っており、その際にしばしばアンダーセン空軍基地(グアム)から、B-1 Bランサー戦略爆撃機が日本上空を横断して日本海や韓国領空を航行したり、韓国内の米軍基地へ駐機するなど、北朝鮮に対して威嚇行動をとっている。航空自衛隊はその都度、日本の領空及びその周辺空域で航空自衛隊築城基地のF-2戦闘爆撃機(対地支援機)、航空自衛隊新田原基地のF-15迎撃戦闘機がB-1Bをエスコートしている。防衛省は日米の共同訓練と説明しているが、自衛隊機が武器等防護活動を行っている疑いがある。しかし、防衛省、自衛隊は情報を公開していないので不明である。
 万一我が国の防空識別圏ギリギリまで北朝鮮空軍機が接近してきた場合には偶発的な武力衝突が懸念される。武器等防護はこの様に危険な活動に直面する可能性を持っている活動であるが、運用指針では、現実に武力衝突が発生した後に国会と国民に知らされることとなり、そのときは既に「時遅し」となる懸念がある。
 米海軍イージス艦への給油活動は、四月から開始されたにも関わらず、防衛省、自衛隊はそのことを公表せず、九月一五日の新聞報道で明らかとなった。新聞報道の情報源は政府関係者、防衛省関係者である。
 日本海での弾道ミサイル防衛活動を行っている米艦への攻撃があれば、海上自衛隊も直ちに応戦することとなろう。給油活動を行うのは海上自衛隊の給油艦であるが、それを護衛する護衛艦も随伴して、そのような事態に備えているはずである。
 米海軍イージス艦への給油活動については、政府関係者、防衛省関係者が情報を提供したようだが、どこまで詳細な情報(具体的な給油活動の回数、日時、海域・場所、給油量、相手米艦など)であったかは分からないが、おそらくこの様な具体的な情報ではなかったと思われる。
 以上の安保法制の実施に関する情報が特定秘密であるのか、防衛省の省秘であるのかは不明である。そのため、給油活動について政府関係者、防衛省関係者が新聞記者へ情報提供した行為の評価はできない。
四 同盟調整メカニズム、共同計画策定メカニズムと軍事秘密
 自衛隊と米軍の運用(作戦行動)に関しては、平素から同盟調整メカニズムで具体化が検討されている。現在北朝鮮情勢の緊迫化の中で、トランプは武力攻撃を選択肢に含むあらゆる選択肢がテーブルに載っていると表明し、安倍首相もそれを支持している。既に同盟調整メカニズムが動いており、様々な軍事的な選択肢が検討されていることはまず間違いないであろう。
 米韓連合軍には、連合作戦計画5027、5029、5015が存在していることが分かっている。日米間では、米韓連合作戦計画を支援する作戦計画5055が既に存在している。共同計画策定メカニズムの中では、作戦計画5055を常に情勢に応じてアップデートを行っている。
 これらの作戦計画の中身が特定秘密なのか省秘なのかは不明である。実際の自衛隊の運用場面で使われる作戦計画であるから、特定秘密ではなく省秘の可能性がある(例えばROEのように)。しかしいずれの種類の秘密であるにせよ、同盟調整メカニズムや共同計画策定メカニズム内で作られている軍事秘密は、厳重に保護されており、かつ日々それが増幅していることだけは間違いないであろう。国民と国会には情報がもたらされることなく、我が国が武力紛争当事者となり、私たち自身もその犠牲になるおそれがある。言い換えれば、軍事秘密の保護は、私たちの生存を含めた平和と安全をごく一部の権力者と軍人にゆだねることに他ならない。


「『沖縄と核』から考える日米関係と憲法九条」開催しました

東京支部  今 泉 義 竜

 東京法律事務所九条の会で一二月二日、NHKスペシャル「沖縄と核」を制作したNHKディレクターの今理織さんと共同通信の太田昌克さんをお呼びした特別企画「『沖縄と核』から考える日米関係と憲法九条」を開催した。参加者は二〇〇名を超えた。当日の模様は沖縄タイムスとしんぶん赤旗にも紹介された。
 今さんは、沖縄になぜ海兵隊と核兵器が配備されるに至ったのかについて、緻密な取材で歴史の謎を紐解いた経過を語られた。太田さんは、核兵器禁止条約を無力化し「戦術核」使用に傾倒するアメリカ政府と、核の傘を自ら望み思考停止する日本政府の姿勢について、現場の取材を通じて得られた事実から語られた。
 お二人の話を聞いて、「安全保障」の名の下に沖縄に犠牲を強いてきた本土の人間の責任を一人一人が真剣に考えなければならない、そして、米国の核戦略に取り込まれ核の危機と隣り合わせで生きていく道をこのまま行くのか、被爆国として核廃絶と東アジア平和の構築のためのモラルオーソリティとしての道を選ぶのか、国民一人一人に問われていると感じた。
 一二月一七日一〇時〜NHKBSで「沖縄と核」の一〇〇分版が放送される。見ていただいて、NHKに感想を送ってほしい。
 お二人のお話しの詳細は、当事務所ブログに紹介しているので、詳しくはそちらを参照されたい(「東京法律事務所ブログ」で検索)。
印象に残った今さんの発言を紹介する。
 「沖縄県議会で国外及び県外への移設を求めるという決議が上がった。憲法九条、安保反対の立場からどこにも基地はいらないというリベラル左派からは、どういう風に受け止められるでしょうか?」「家族、友人の近くに基地を持ってきてほしくはない。沖縄の人もそう。それが戦後ずっと強いられてきた。その中で、県外・国外へというのが自民党含め全会一致で決議された。その声にどう向き合っていくのか。まずは普天間基地移設の問題を、日本全国で考えるということを民主主義のプロセスですべきだ。基地がいらないなら安全保障の責任を日本国民が負う。基地がいるというなら日本全国で皆が負担する。ところが、沖縄の民意は、国民的議論を呼び起こすことが可能となっていない。本土の人間は真剣に考えるべきだ。」


選挙直前に高三対象に出張授業

滋賀支部  玉 木 昌 美

 衆議院選挙の直前である二〇一七年一〇月一六日、滋賀県立石部高校で三年生九〇名を対象に出張授業を行ったので報告する。
 これまで弁護士会に登録をしていて、何回か出張授業に出かけているが、今年は、高校生対象は三月八幡工業高校で一年、二年全員四七四名を対象にしたのに続き二回目であった。尚、今回は、一八歳で選挙権を有する生徒も対象となっていること、衆議院選挙の直前であったことが特徴的であった。また、今回の弁護士会に対する要請は私を講師にと指名する形で行われた。担当された学年主任の先生は、私が講師をした共謀罪の学習会に参加されたことがあったらしい。弁護士会の出張授業は学校からテーマを指定して要請がなされると弁護士を割り当て派遣しているが、今回のテーマは何と「日本国憲法」であり、「衆議院の選挙と関わってお話しいただきたい。」とこちらからすれば、願ってもない要請であった。
 私は、「憲法とは何か、何のために、誰のためにあるのか。選挙って何?主権者って何?めんどうくさいけど投票しなくてはいけないの?」と題する詳細なレジュメと豊富な資料を用意して配布し、かつ、日本国憲法が掲載されたファイルも配布して授業を行った。
 立憲主義の重要性、憲法と法律の違い、日本国憲法の理念、大日本帝国憲法下での人権状況、日本国憲法の平和主義と国民主権の意義、衆議院の解散、一八歳選挙権実現の意義(選挙権の歴史、お金持ちも貧乏人も男も女も老人も若者も一人一票となったこと等)、選挙違反にならないための注意点等を展開し、民主主義の原点は「ものごとを主体的につくっていく」という思想であり、「自分の手で幸福をつかむ」という考え方であることを強調した。また、ひとりひとりが幸せになるという憲法一三条が原点であり、言論の自由の重要性を指摘した。特に、正しい情報を収集し、みんなで議論し、理性的な判断をする力を養う必要があり、政治家のウソやペテンに騙されてはいけない、とも述べた。さらに、社会問題に関心を持ち、政治を身近な問題として捉えることの重要性にも触れた。他には、「なぜ、勉強するのか。それは自分の頭でものごとを考える力をつけるため。それが民主主義の担い手になる。」と述べ、「頭のいい人とは?それは努力の仕方を知っている人」という言葉を紹介した。彫刻家佐藤忠良の「汗をかけ。恥をかけ。手紙をかけ。」という言葉を引用し、トイレ掃除をする人は将来お金持ちになる?という説にも触れた。
 この出張授業について、生徒たちのアンケート結果や感想文が寄せられたが、私の言いたかったことをしっかりと受け止め、よく考えていることがわかった。
 まず、選挙権がある生徒を対象にしたアンケートでは、「今回の衆議院議員選挙について、あなたは投票に行きますか」という質問に「必ず投票に行く」が三六%、「多分投票に行く」が五五%を占めた。最近、一部で若者の政治に対する無関心や保守化が指摘されているが、きちんと憲法を教えれば、それを打破することができるといえる。このことは主権者教育の重要性を示している。
 以下のとおり、感想が寄せられた。
・「頭のいい人とは努力の仕方を知っている人」だとおっしゃったことに深く共感し、印象に残った。(多数)
・今回の講演をきっかけに投票に行こうと思うようになった。
・有権者の中の若い世代の人が少ないと思うので、若い世代は一人ひとりが責任をもって自分の一票を大切にして欲しいと思う。日本は戦争を放棄している国で武器も所持せず、平和な国なのでこの状態をキープしてほしい。憲法改正には自分は同意できないので、選挙権があれば投票に行きたい。
・日本国憲法があるおかげで、日本が平和であることを改めて実感した。国民が憲法を守らせていることを初めて知った。憲法を一度も読んだことがなかったので、目を通したいと思った。
・今まで選挙には興味がありませんでしたが、一人一人が幸せな人生を送るためには投票先を自分でしっかり選んで決めることが大切だと思いました。
・戦時中の話や現行憲法と大日本帝国憲法との違いなどとても良い勉強になった。
・自分から正しい情報を手に入れ、人と話し合い、判断する力をもつ必要があると思った。また、自分が今の政治に不満がある場合は、自分から率先して投票にいけばいいと思った。
・昔の人々の努力によって僕たちが選挙に参加できる権利を持てるようになったことを初めて知りました。折角手に入れた権利を無駄にすることなく使っていきたいと思います。僕は集団的自衛権には反対です。
・私たちが選挙に無関心であると、お金持ちで頭の賢いずるいやつが政治を動かすことになる。その結果、私たちに不利な法律や社会になっても自業自得なんだというのを考えさせられた。だから選挙で投票することは自身のためだと思って行こうと思いました。
 これらの感想を読むと若者たちに期待することができ、今後を展望することができるといえる。


質問時間の制限と少数者の権利

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 自民党が、与野党の質問時間の割合を、従来の二対八ではなく、五対五にすると言い出した。三時間の質問時間をこの割合で計算すると、例えば、共産党は七分から八分、社民党は約一分ということになる。これでは質問するなということと同じであろう。衆議院規則は「委員は、議題について自由に質疑し及び意見を述べることができる。」(四五条一項)としているけれど、こんな時間配分では、この規定は有名無実となってしまう。
 このことについて、菅義偉官房長官は「質問時間も議席数に応ずるのは国民からすればもっともだ。」としている。政府高官が国会の質問時間についてとやかく言うのは越権だけれど、野党の政府追及時間を減らしたいという本音は透けて見える。
 この提案が、野党の議会における活動を制約することは明らかである。そもそも、政府が国会に提案する議案は事前に与党内で調整されるので、与党議員には、提案前に質疑し意見を述べる機会は提供されている。与党議員が、議会で行うことは、政府への馴れ合いの質問と下手な経を読むことと賛成票を投ずること位なのである。そこには新たな提案などはありえない。議会における質問時間は、反対意見や異なる提案を持つ野党議員のために確保されてこそ意味があるのである。
 だから、自民党の提案や菅官房長官の発言は、議院内閣制ひいては議会制民主主義の基本を無視する極めて乱暴な言動なのである。こんな言動が、白昼堂々、あたかも一理あるかのようなにまかり通ることは、「いやはや。おやまあ。絶句という言葉をここまで実感することもあまりない。」という浜矩子さんのいうとおりなのである(毎日新聞二〇一七年一一月一八日「危機の深層」)。
 確認しておくと、野党議員が政府に対して質問し反対意見を述べることは、国民の少数派が政府をチェックする基本的な仕組みだということである。換言すれば、政府も議会の多数派も、好き放題できるわけではなく、主権者である国民を代表する野党議員の質問に答え、意見に耳を傾けることは、議会制民主主義の要諦だということである。
 そこで問題は、なぜ、そのような政治原則が求められるのかである。
 ドイツの国法学者ゲオルク・イェリネクは、一八九八年の「少数者の権利」で次のようにいう。「いつの時代でも、新しくて偉大な思想、世界を動かした理念は支配権力の妨害に対抗して道を開かなければならなかった。この妨害は、民主制社会では、他の社会よりも百倍も大きい。というのは、民主社会では、国家よりもはるかに大きな権力を持った世論が、無制限かつ絶対的に支配しており、しかも、その世論は、政治的権力とならんで、社会的力を行使する多数者に他ならないからである。」、「創造的な社会的行為は、常に個人の自由な行為であった。他方、社会による強制は決して創造的に働くことはない。」、「支配と自由との間の果てしなき闘いは、来るべき幾世期の民主社会においても闘われるだろう。…われわれが期待し信ずることは、社会が荒廃した精神的倫理的軽薄さと退廃から自分を防御する唯一可能な道は、少数者の権利の承認である。」(「少数者の権利」・一九八九年・日本評論社)。
 要するに、時の多数者の意見だけで国家意思を形成し、少数者の意見を排除するならば、社会は荒廃と軽薄さにあふれ、創造と進歩から遠ざかるというのである。
 この論文の訳者である森英樹さんは、一九八九年五月三日付のあとがきの中で、「およそ百年前のしかもドイツという特殊な政治風土で書かれたものが、時間と空間を超えてストレートにつながるものではないが、…現下のアクチュアルな課題と接合しうる内容を含んでいる。」としている。
 確かに、昨今の安倍政治の軽薄さと退廃を目の当たりにしていると、一三〇年前のイェリネクの論述が圧倒的リアリティをもって迫ってくる。
 浜矩子さんは、「これは『一強のおごり』ではない。『一怯(いっきょう)の怯え』だ。卑怯者が怖気づいて、追及から逃げようとしている。それが、『議席数に応じて』主義の不都合な真実なのではないか。」と喝破している(前同)。私も同感である。
 けれども、私は、それだけではない恐怖にも似た気分に襲われている。国政を私物化し、憲法を無視する政治家が、この国の民主主義の下で多数派を根拠として支配者となり、更に少数者の権利を踏みにじろうとしているからである。少数者の権利の承認は、国家権力から個人の自由を守るための防波堤の一つである。その防波堤の一つが突破されているかのような危機感である。安倍政治を恐れるつもりはないけれど、侮ることもしてはならないと思う。当面の多数派を凌駕するためには、支配権力の妨害を乗り越えなければならない。更なる努力が求められている。

(二〇一七年一一月一九日記)


「判検弁供給制度」から「法曹養成制度」へ
─「司法試験」「司法修習」「判事補」の変換

東京支部  後 藤 富 士 子

一 現行統一修習制度の真実
 戦後に制定された現行統一修習制度は、判事補・検事・弁護士を供給するための制度である。これが国営であるのは、戦前の司法官(判事・検事)養成制度に弁護士養成が加えられたからである。ちなみに、戦前は、司法試験こそ統一試験であったが、弁護士養成制度はなかった。すなわち、司法試験は、司法官養成の入口試験であったのである。戦後改革で在野法曹から「法曹一元」が叫ばれたものの、裁判官のキャリア・システムを維持するために「判事補」制度が生まれ、在野法曹の水平運動を満足させるものとして「統一修習」制度が実現した。結局、司法試験は、それ自体が法曹資格付与試験ではなく、法曹養成の入口試験であることに変わりはないうえ、ここで「法曹」というのも判事(補)・検事・弁護士であり、「汎法曹」(普遍的な意味での法曹)ではない。
 一方、今次司法改革の起点は法曹人口増大であるところ、それは在野法曹の既得権益を脅かすものとして執拗な抵抗が繰り返された。また、法曹人口増員と質の確保のための養成制度として設計されたのが法科大学院であり、それが法曹養成の中核となる位置づけがされた。しかるに、法科大学院修了者が国営統一修習を受ける入口である司法試験でふるい落され、司法修習修了の「二回試験」合格者に法曹資格が付与される。結局、法曹養成制度の枠組みは「判検弁供給制度」であり、その入口で行われる司法試験も法科大学院修了を限定要件とすることがなかった(旧試験、予備試験)。そうすると、法科大学院修了は、法曹養成制度の中核どころか、「時間もお金も無駄」なものと認識されるようになるのは当然であろう。
 さらに、「司法試験合格者三〇〇〇名」の目標は、ついに達成されないまま一五〇〇名へ減員されるに至り、平成二九年の司法試験では、法科大学院修了者の合格率は二二・五一%、予備試験を通過した受験者の合格率は七二・五〇%である。しかし、平成二九年の予備試験受験者は一万七四三人、合格者は四四四人で、合格率は四・一%であるから、受験者数と最終合格者数に換算すれば、合格率は三%足らずである。これは、旧試験時代の様相と変わらないのではないか。結局、「元の木阿弥」ということだろうか?
二 「汎法曹」養成制度の概要
 まず、法科大学院を法曹養成の中核とする位置づけを徹底することである。そして、法科大学院修了者が受験する司法試験は、法曹資格付与試験とする。さらに、司法試験に合格した法曹有資格者の質を向上させるために、一年の司法修習を国費で実施する。
 ところで、法曹の多様性と質の向上を考えたとき、現行統一修習は陳腐化していると言わざるを得ない。その最大の欠陥は、民事裁判、刑事裁判、検察、弁護という修習区分にあると思われる。多様性とは専門分化の多様性の反映であるべきだし、普遍的な法曹がもつべき質は、多様な紛争解決手続に対応する柔軟な能力だと思う。現行制度では、それが決定的に欠けている。
 去る一〇月一一日号団通信に掲載された滋賀支部の石川賢治さんの「人質司法が招いた悲哀〜認知症高齢者の窃盗事件」では、勾留状を発した裁判官や取調検察官が、高齢認知症女性の問題行動に対する適切な対処をするのに必要な知識に欠けていることを非難している。しかし、私は、この女性が成年後見制度の恩恵を受けてこなかったこと、刑事裁判終了後もその手続がとられそうもないことにこそ、疑問をもった。被疑者・被告人の弁護をする弁護士は、単に「事件」の切り口だけで依頼者を弁護するのではなく、成年後見制度の活用を柱にした「人を弁護する」活動もできたのではないかと思うのである。
 私は、今年五月に初めて成年後見人になった。被後見人は、かつての依頼者で五〇歳の女性。私のほかに頼れる人がいないので、私が精神科受診予約を手配し、受診に付き添い・・という具合。そして、本人の希望で、私が後見人になるのを前提に後見開始審判を申し立て、選任された。ところが、本人は収入がなく、さしたる財産もないので、裁判官から「無報酬です」と言われ、一旦申立てをすると取下げられないことも承知した。障害者手帳、障害者年金などの手続や入通院治療について病院に赴いて医師と協議するなど膨大な無償役務を強いられ、これからもそれが続く。でも、私が後見人になっていることで、本人の利益が護られているだけでなく、様々な社会福祉制度を活用することで社会にも貢献していると思う。だから、私の働きは、社会に不可欠なものだと確信するが、一方で、なぜ膨大なタダ働きになるのか、納得できない。
 しかるに、弁護士は、成年後見制度も「弁護士の職域拡大」と儲け話にしており、多額の資産を有する被後見人の後見人になればそれなりの報酬が保障され、さらに、被後見人の資産を横領する後見人までいる。結局、日本の弁護士は、困っている当事者が必要とする法的役務を提供するのではなく、報酬が得られなければ斬り捨てて平気なのだ。これでは、弁護士が国民から信頼されるはずがない。のみならず、斬り捨てられた人々に法の光は向けられず、司法制度そのものが信頼されなくなるのは当然である。
 この隘路を打開するために、法曹資格取得後の国営修習は効果甚大ではなかろうか?司法修習生として給与を支給されるから、「報酬」で選別しないで、「必要性」に基いて役務を提供できる。それが、司法制度や法制度を活性化するだろうし、専門分化の多様性にもかかわらず、「汎法曹」の質は向上するはずである。
三 「判事補」は「ロークラーク」に
 新しい司法修習修了者の進路は、判事補・検事・弁護士に限られず多様であり、それぞれ採用試験を受けることになろう。新しい司法修習修了者は、どの進路に進んでも即戦力となるはずである。
 問題は、「判事補」をどうするか、である。私見でいう「法曹一元」は「判事補制度廃止」であるから、この点は疎かにできない。
 ところで、戦後改革の議論の中で「判事補」が生まれたとき、「法曹一元」論者からは、アメリカの裁判官秘書(ロークラーク)を想定して、それを一〇年やれば判事に任命されることができるというものであった。それが、司法官僚に粉砕されて、キャリア・システム温存策になったのである。
 しかしながら、憲法七六条三項は「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定しており、裁判所法二七条一項は「判事補は、他の法律に特別の定のある場合を除いて、一人で裁判をすることができない。」と定め、同二項で「判事補は、同時に二人以上合議体に加わり、又は裁判長となることができない。」とされている。したがって、「判事補」の存在を認めても、その職務内容を「ロークラーク」に変換すれば、キャリア・システムから切断され、検事や弁護士と同等の判事の給源の一つに過ぎなくなる。そして、若く柔軟な頭脳は、判事の仕事の質と量の向上に貢献するに違いない。なお、裁判所法四三条は「判事補は、司法修習生の修習を終えた者の中からこれを任命する。」と規定しているにすぎないから、裁判所法レベルでの改正は不要かもしれない。
 また、法曹人口増大と「汎法曹」養成制度によって、紛争解決手段・手続も、裁判所の中に閉じ込められない。多様な専門的「ADR」が運用され、法の民主化が進むと思われる。それこそが、私たちが目指す司法改革であろう。

〔二〇一七・一一・二三〕


会津の山たち(一)

神奈川支部  中 野 直 樹

夏盛りの体力測定
 梅雨があけた後の一週間から一〇日間くらい、太平洋高気圧がでんと座り、晴天が続くものであった。山や川や海の遊び人はこの時期を頼みにして手帳に予定を書き込む。私は、ここ五年、京都の山好き弁護士たちと一緒に縦走の山旅に出かけることがお決まりとなった。一三年は飯豊連峰縦走、一四年は朝日連峰縦走、一五年は越後二山縦走と、山形、福島、新潟の県境の奥深い山に大汗をかいた。避難小屋二泊なので寝袋、食料などで増量したザックにかかる重力に抗しながら歩む。一六年は、ブナ立尾根から裏銀座縦走コースで鷲羽岳、水晶岳を経て、赤牛岳の長い背尾根を黒部湖まで下り、再び船窪岳まで登り返す、という長大な山行に挑戦した。持久力の体力測定のようなものだ。
 夏山シーズンのこの時期、混雑するアルプスを避けようとすると三日間縦走に適する山塊を見出すことが難しくなった。
会津の山々
 私は現在、「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の弁護団に属し、福島通いをしている。そのついでに、福島の山にも登っている。インターネットで都道府県別百名山と検索すると、福島県には吾妻山、安達太良山、磐梯山、会津駒ヶ岳、燧ヶ岳、飯豊山の六座が位置し、数としては九番目だそうだ。ちなみに山好きのあなたは一番目から八番目がどこかわかるだろうか。福島の中でも会津は、山形、新潟、群馬、栃木県境に標高二〇〇〇m級の山がひしめいている山国だ。磐梯山、会津駒ヶ岳、燧ヶ岳、飯豊山の横綱陣に加えて、会津朝日岳、帝釈山、御神楽岳の二百名山の大関も割拠している。
 実に不順な天候のこの夏の山旅は、南会津の秘湯にひたりながら、三日間、会津駒ヶ岳、会津朝日岳、帝釈山の日帰り登山を繰り返すという計画となった。
檜枝岐
 八月三日昼刻、那須塩原駅で、京都の浅野・藤田弁護士を拾った私の車は、塩原温泉郷、会津高原温泉を経て檜枝岐村に着いた。ひのえまたは、尾瀬への玄関口として有名な登山基地だ。村の面積の九八%を林野が占める豪雪地帯であり、日本で一番人口密度の低い自治体だそうだ。古くは落人平家の隠れ里と言われ、山歩きとは無縁の方も、檜枝岐歌舞伎と聞くと活字・映像で見聞きしたことがあると思う。檜枝岐村のメイン通りは、旧沼田街道であり、七入から先は車禁止の山道となり、尾瀬沼を経て群馬県・片品村の大清水で車道につながる。
 会津駒ヶ岳からの下り口とするキリンテ白樺キャンプ場まで走ってバス停と時刻を調べた。ちょうどバス停のところに「食堂」という大きな看板を出した茶店があった。ビールがあるかどうか探索をしたところ、生はないが缶ビールがしっかり冷やされていた。店のおばさんに明日山から下りてきて立ち寄りますと予告した。
旅の宿
 初日の宿「かぎや旅館」に車を着けた。年代物の木造二階建てで、磨かれて鏡のように光っている階段や廊下を歩くと、板間がきしむ音が高く響く。標高千メートルの地だが、昼間は三十度を超える気温だったようで、案内された客室には熱気が籠もっていた。窓を開けると眼下を流れる檜枝岐川から涼げな川音と空気が入ってきた。
 古代檜風呂と銘打ったアルカリ性単純温泉で汗を流し、夕食となった。秘湯ビールで乾杯し、特注の岩魚の活き造りに箸をつけた。浅野さん・藤田さんにとっては岩魚の刺身は珍しい。私は岩魚釣り師を自称しており、時折型のよい岩魚が釣れたときに三枚におろして食べることがあるが、甘味の強さに特徴がある。山深いこの地の郷土料理は、山人(やもーど)料理と裁ちそばだという。畑地が少ない高原のこの地では小麦や米が穫れず、ソバが主食の食文化が続いてきた。つなぎを使わない十割蕎麦のために薄く延ばした生そばを何枚か重ねて布を裁つように包丁を手前に引いて切ることからその名が付いたとの説明があった。山菜料理のあれこれに加えて、山椒魚のから揚げが出てきた。これは苦い薬のようだった。
 温泉で身体を暖かめ、明日からの山旅に備え早めの就寝となった。(続く)


二〇一七年三重総会一泊旅行記
その二 一泊旅行の一日目
副題「式年遷宮の本当の意味」(前半)

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 内宮の参拝と案内人との問答
 総会後、伊勢神宮の内宮に行く。
 (風日祈宮の前で)
私「ここの建物の柱は地中にどのくらい埋まっているのか」
答「四メートルから五メートルくらいか」
私「礎石は使わないのか」
答「一切使っていない」
私「柱の根元に銅板がまいてあるが」
答「柱が腐らないようにするためです」
二 他の団員の質問 その一
問「垂仁天皇のときに、この伊勢の地に天照大神をまつるこの神宮が移ってきたというが、その前は何処にあったんですか」
答「皇居にありました」
この答えは正しいでしょうか。
 案内人の答は日本書紀に基づくものと思われますので、日本書記の該当部分をみることにします。十代崇神の治世に、かつて皇居内で倭大国魂とともに祀られていた天照大神を、一時、大和の笠縫邑にまつることにし、十一代垂仁のときに、お守り人(筆者の造語)に任命された倭姫が、近江、美濃をまわり、伊勢にいたると、天照大神自身が、伊勢の国がいいというので、この伊勢の国に祠をたて、五十鈴川のほとりに斎宮を立てて、「則ち天照大神の始めて天より降ります処なり。」(小学館日本古典文学全集「日本書記一」三一九頁)ということが書いてあります。従って、伊勢神宮の立場からすれば、日本書記に依拠しているので正しいことになると思います。
三 神宮創祀についての議論と礎石工法不採用の理由
 しかし、日本書紀は当時の政権の大本営発表であるとともに、アマテラスという皇祖神の子孫が国を統治する正当性を宣揚したイデオロギーの書であるとの立場からすれば、神宮創祀については、議論百出になるようです。こんな大上段に振りかぶった言い方をしなくても、いろんな考え方があるのです。
 前掲の新谷尚紀著「伊勢神宮と三種の神器」(講談社選書メチエ)によれば、「伊勢神宮創祀の画期は遷宮創始も含めて天武・持統朝にあった」という(一一頁)。
 さらに、武澤秀一「建築から見た日本古代史」(ちくま新書)には、次の記述があります。「皇祖神アマテラスとは、天皇を根拠づけるために天武・持統朝において創造された神でした」(二八三頁)。「皇祖神の御所である伊勢神宮が大昔からずっと続いてきたことを具体的に証するために、礎石工法という合理的な工法に目もくれずに、耐用年数に問題のある掘立柱をあえて用いたうえ、定期的に葺替えを余儀なくされる萱葺き屋根を採用したのである。大陸伝来のあたらしい工法(礎石工法・瓦葺屋根)で作った伊勢神宮では、皇統の悠遠さといったところで説得力がない」と論じています(三〇五頁)。但し、学説を渉猟したわけではないので、前記見解が学説上で占める位置は知らない。
四 他の団員の質問 その二
 問「城の内堀・外掘のように内側に内宮があって、その外側に外宮があるのかなと思っていたが、両宮は別の場所にあるのですね。それでは、内宮と外宮という意味は、どういう意味ですか」
 私は、質問は聞こえたのですが、これに対する答をきいていませんでした。前出の著者武澤秀一が別著「伊勢神宮と天皇の謎」の七六頁で、「<陰―陽>、<内―外>といった中国流の二元論的発想から二つの大神宮を位置付けしなおし、内宮・外宮という並称が生まれたのではないか」と書いているのを見つけました。
五 褒められた質問
 案内人の最後の説明は、「四至神」について。この三文字を「みやのめぐりのかみ」と読むそうです。由来などの説明は忘れてしまった。畳二畳くらいの場所を石段が取り囲み、中に白い小さな石が敷き詰めてある。
私「真ん中の三角の石が神様ですか。」
案内人「そうです。」
隣にいた団員が「それは、いい質問だ。」という。
六 再び案内人との問答
帰りがけに案内人に朱印帳を見せて、
私「このように作法どおり、昨日は外宮を参拝し、今日は内宮を参拝し、それぞれ朱印をもらいましたが、伊勢神宮の朱印は、スタンプと日付だけの簡単なものなんですね。」
答「そうなんです。」「神宮は何でもシンプルなんです。」「先ほど説明したように、鳥居の形状もシンプルだし、社も鳥居も漆を塗ったりなどしません。」
七 伊藤の独り言 その二
(1)「どうせ二〇年で壊してしまうのだから余計なところには金をかけないのかな」
 「なお、前掲の齋藤茂樹『珠玉の「一宮」謎解き紀行』の一五〇頁には『伊勢神宮の御正宮でさえ、かつては朱色に塗られていた時代があるという。』と書いてある。しかし、出典が記載されていないので調べようがないのが残念だ」
(2)「朱印がスタンプと日付だけなのは、『天照皇大神宮』などと、その都度書いていると、朱印客が多いときには時間がかかるので簡素化しているのかな。」
(3)「なぜ、外宮が先参りなのか」
 案内人に聞きたかった
「明治天皇がそうしたからと、どこかに書いてあったようだが」
「でも、寄席と同じように考えたらいいんじゃないかな。まずは、前座、二つ目の噺を聞き、最後に真打が出てくる」
「そこで、天照大神のお食事係のいる外宮を参拝する。そして、次に伊勢神宮の真打、主神の鎮座する内宮こと皇大神宮に参る」
(4)「でも、内宮も外宮も正殿といっても、なんてショボイのか。静岡県の登呂遺跡に復元された高床式建物とそんなに変わらないのではないか。だから神宮側では、近くからみられると恥ずかしいので、周り何重にも囲っているんじゃないのかな」(続)