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松本 光寿 二〇一八年 鳥取・米子 五月集会特集 〜 その三 〜
五月集会参加未定者の皆様へ
荒井 新二 自由法曹団創立一〇〇周年記念事業をいかにするか
五月集会の支部代表者会議テーマの追加
平井 哲史
(将来問題委員会事務局長)
五月集会プレ企画・支部代表者会議(後半の将来問題)のご案内
呉 裕麻 浅田訴訟完全勝訴報告
〜介護保険優先原則「違法」判決〜
船尾 徹 改憲阻止・特集*
安倍強権政治と公文書問題
中島 晃 マスコミの好戦的な論調を批判する大久保団員の投稿を読んで
守川 幸男 公文書の隠蔽、捏造、改ざん問題と憲法との関係
―森友学園問題を中心に
中野 直樹 いのちのかぎり歩き続けた人々
第七一回解放運動無名戦士合葬追悼会に参列して
伊須 慎一郎 民事上「秘密」漏えいの嫌疑立証は外形立証で足りるのか?
弓仲 忠昭 映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」を見て
伊藤 嘉章 「消費税を上げずに社会保障財源三八兆円を生む税制」(大月書店)を購読した。(後半)



二〇一八年 鳥取・米子 五月集会特集 〜 その三 〜

五月集会参加未定者の皆様へ

鳥取県支部  松 本 光 寿

 米子・皆生温泉での五月集会について鳥取県支部長の高橋敬幸団員から、団通信に投稿するよう強制?されましたので、思いつくまま雑文をしたためます。
 私が入団したのは既に四七年前のことで、入団直後、宮城県松島での団総会に参加しました。その昼の懇親会の席で戦前からの高名な闘士である団員をおみかけし、その筋の通った波瀾万丈の弁護士人生に思いを致した記憶がよみがえります。その後、北陸の地での団総会に参加し、懇親会の席で国会議員の某団員から有益なお話をお聞きしましたが、その内容はいまや忘却の彼方に消え去っています。その後は、一九九九年の米子・皆生温泉での団総会に参加しただけで、団員としてはお恥ずかしい限りです。今にして思えば、若いうちにもっと全国での団の集いに参加しておけばよかったと悔やまれます。集会に参加し、その土地柄にじかに触れつつ、団員諸氏のなまの意見や考え方を直接お聞きするのは、万巻の書を読むに勝るとも劣らぬ意義があるように思います。
 鳥取県東部(旧因幡の国)は、兵庫県北部(旧但馬の国)と同一の経済圏を形づくっていたもので、中・西部(旧伯耆の国)とは気質も方言も異なります。米子は商業の中心として発達したところであるためか、同市民は進取の精神に富み開放的で、とても山陰人とは思えないことがよくあります。そのせいか、米子出張で宿泊すると酒がすすみ、ここちよく酔えます。なお私は近時、西部の「鷹(たか)勇(いさみ)」(純米吟醸なかだれ)という日本酒を愛飲しています。自然としては、小旅行先である国立公園大山(「暗夜行路」の舞台)が皆様の期待を決して裏切らないと思います。
 私の若かりし頃(在京時)、スナックで出身地の話になり「鳥取だ」と言ったところ、「『東北』はいいわね」と言われ驚愕したことがあります。これはご愛敬でしたが、十数年前に羽田空港での鳥取便搭乗時に若い男性が相棒に「お前、パスポートを持って来たか?」とふざけているのを聞いたことがあります。また最近では(昨年のことですが)、鳥取市での横綱日馬富士の暴行事件に関しテレビ出演していた評論家が、「捜査にあたっている鳥取県警の一番重要な事件」と揶揄していましたが、私は心から鳥取県を愛しています。
 五月集会開催地の魅力については、高橋敬幸支部長が団通信四月一日号で紹介しています。一読しましたが私自身知らなかったことが多かったばかりか、「勧誘」文として秀逸です。まだお読みになっていない方は是非お読みいただき、文中にあるとおり「騙されたと思って」ぜひ参加していただきたいものです。
 閑話休題。日本弁護士連合会は、在野法曹団体として単に司法界にとどまらずわが国の政治に大きな影響力を持つべきです。そして、日弁連が望ましい方向に機能するためには自由法曹団の活動が羅針盤になる必要があり、現にそのような働きをしていると思います。言い古されたことですが「When the US sneezes, Japan catches a cold.」(米国がくしゃみをすれば日本が風邪をひく)という一文に英和辞典で出会いましたが、「自由法曹団がくしゃみをすれば日弁連が風邪をひく」くらいの影響力を自由法曹団は持つべきだと念じつつ、駄文を終えます。パスポートの不要な米子市への皆様のお越しを心からお待ちしています。


自由法曹団創立一〇〇周年記念事業をいかにするか

五月集会の支部代表者会議テーマの追加

東京支部  荒 井 新 二

 本紙の熱心な読者であれば、本年の五月集会前日のプレ企画「支部代表者会議」について前回一六二九号団通信で告知されたテーマが会議全体の一部に過ぎなかったことに気づいた方がいたでしょう。(会議全体の)「一部の時間を将来問題の議論にあてることにしました」との紹介文だったからです。もうひとつのテーマ〜ここで隠されてしまった感のあるのですがーは、標記の団創立一〇〇周年事業です。そこで執行部から私に急ぎ投稿する旨のお達しがあり、表記内容にてこのように掲載した次第です。さて前触れはこのぐらいにして本題に移ります。
 一九二一年創立の自由法曹団は、二〇二〇年に創立百年目を迎えます(戦前の一九三三年の弁護士一斉検挙により事実上壊滅し敗戦直後の一九四五年一〇月迄の中断の期間を含みます)。この間「進歩と自由をねがい、人民の権利をまもることを志す」(規約三条)団員は、自由法曹団に結集し、その目的である「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現」のために一貫として、さまざまな形で「寄与」してきました。その活動は、数限りない現団員および物故団員によって担われ、その歴史は質量ともに豊かで、人民的な事件活動・社会活動として歴史上特筆されるべきものです。論者によれば古くは明治期の自由民権運動に活動の淵源を遡ることのできる自由法曹団のたたかいの歴史は、わが国の大衆のたたかいの歴史そのものと言えるでしょう。一〇〇年という長い年月を省察し、また自らのものとして振りかえられるのは、歴史に生きる団員として、まことの本懐、僥倖と言うべきでしょう。
 自由法曹団の来し方と行く末を、歴史の確信と展望に繋げて、盛大かつ真摯に、団活動に賛同される広範な人々と、おおいに語りあい誓いあう場として創立百周年記念事業の実施をみなさまに呼び掛けます。さしあたり最近三代の団長(篠原義仁、荒井新二、船尾 徹)がとりあえずの世話人になり事業の準備をすすめます。今後の事業内容とその運営主体については、一〇〇周年にふさわしい全国的な規模での実行委員会をつくって事業推進の具体化を図るなど、これから団全体の討議のなかで深めていくべきでしょう。
 そこで支部代表者会議で各支部の団員の意見や希望を聞いて企画推進に反映させたい思います。企画として集会と出版が大きな柱となるでしょうから、そのことを中心とした意見交換をします。具体的に事前に各支部で討議してもらい、持ち寄ってきてもらいたいことは次の二点です。
 集会事業を東京だけでなく、本部との共催で文字通りの全国的な行事の一環として地方各地で連続的に行うこと。年間を通しての連鎖集会とし、各支部(あるいはその共同)あるいはブロックで具体的な企画をすすめることの意見希望をお聞きしたい。少なくとも高裁所在地では、一つの集会は持っていくというイメージです。基本的に各支部の自主的な企画・取り組みとし、内容・開催方法・日程は各支部が基本的に決めます。支部に開催の義務はありません。日程、企画内容、費用等の調整をして具体化をはかります。
 出版事業をどうするか、このことの意見・注文をいただきたい。過去の記念事業の経過上、一〇〇年目の出版は不可避不可欠だと思いますが、その内容には今までにもさまざな意見・希望が寄せられています。一〇〇年の「正史」をという意見、団員の活動を綴った団物語の続編を、あるいは充実した大年表こそ大事だという意見、その一方で写真集を推す意見もあります。また各地域・支部の活動を重視し特徴等をまとめるべきだ、あるいは委員会や対策本部など核になって担当活動領域ごとの歴史を描出すべきだ、いや新人学習会の講演記録をセレクトし活用すべしという意見、そもそも紙媒体前提で考えるのでよいか、未来を見据えたデジタル化が必要・有効ではないのか、という意見があります。そのほか各支部で得意ないし意欲的に取り組むと期待される領域・課題で〜例えば沖縄県支部に基地問題で〜団全体の活動の歴史を見渡して執筆願して貰い、それを集約したものができないかという意見もあります。まさに百花繚乱の様相を呈していますが、実現を期すべく具体的な可能性と効率性もさぐる必要も当然あります。あたまのひねりどころです。
 執行部に訊くと、本題で三〇分程度の討議を予定しているとのことです。お願いして少なくとも一時間程度の討議を確保したいものです。支部代表者である人も、そうでない人も、積極的に出席され、活発に意見を出していただくよう期待します。


五月集会プレ企画・支部代表者会議(後半の将来問題)のご案内

東京支部  平 井 哲 史
(将来問題委員会事務局長)

第一 自由法曹団の将来問題の取り組みの略歴
 団が新入団員枯渇の危機感を持って将来問題の取り組みを意識的に始めてから一五年が経過しました。この間の法律事務所・法曹をとりまく環境は大きく変化し、将来問題の課題も時期によって中心ポイントが移ろってきました。
 私を含め五四期が合格した一九九九年が取り組み開始となりますが、このころは「どうやって修習生を団員の事務所につなげ、入所者を迎え入れるか」が主要課題であり、青法協ほかの団体と協力してプレ研修→青法協修習生部会の活動支援→四団体説明会、という流れをつくりました。これが見事にはまり、法曹人口増員の影響もあって新入団員は右肩上がりに増えていきました。
 そして新試験が始まった六〇期には新入団員は一〇〇名を超えるようになり、「どうやって入所希望者をより多く団員の事務所に受け入れていくか」に関心の中心が移りました。この時期、修習生と事務所をつなぐための情報交流や法人化または独立による事務所展開の可能性を検討しました。
 しかしそれは長くは続かず、早くも六三期あたりからは過払いバブルの崩壊や弁護士人口の急増などの影響で事務所財政が厳しくなり、採用も広がらず、新入団員も落ち込み始めます。このころから、どう財政基盤を強化していくのか、どう事務所や団の活動を担う人をつくっていくのか、にだんだん関心が移ってきました。
第二 この間の取り組み
 こうして経営問題が浮上してくるなか、二〇一二年以降、毎年の五月集会における将来問題のプレ企画は次の内容でおこなってきました。
二〇一二年(宮崎・宮崎)
 支部代表者会議 「団員事務所の経済基盤づくり・人づくり」
二〇一三年(新潟・湯沢)
 若手団員交流会 「若手団員の仕事・収入・活動の交流」
二〇一四年(和歌山・白浜)
 若手団員交流会 「顧客獲得、活動参加、弁護士としての不安と要望」
二〇一五年(広島・安芸)
 若手団員交流会 「どう稼ぐ、どう活動する」
二〇一六年(北海道・札幌)
 支部代表者会議 「若手団員の参加確保、入団促進・退団防止策等」
 「団員事務所の財政基盤の確立、拡大、継承」
二〇一七年(群馬・磯部) 実施せず
第三 現時点での課題
 この間の取り組みを一見してわかるように、現在、団の将来問題の取り組みは、この取り組みを開始した頃よりも法律事務所を取り巻く経済環境が悪化した中で、どうやって持続可能な財政基盤をつくり、地域の諸需要にこたえうるように自由法曹団員を獲得していくか、が大きなテーマとなっています。
 そしてこの間、財政基盤については、状況がどうなっているかや、自己分析を踏まえて、どこに依拠し、どうやって基盤の確立・強化をはかるか、どう若手に継承していくのか、ベテラン層に求めることは何か等について意見交換をしてきました。また、「人づくり」については支部の状況、若手の状況についてアンケート調査をふまえて若手の要望や意見を交流してきました。 
第四 今支部代表者会議での討議テーマ
 財政基盤つくりについては、過払いバブルがはじけるとともに法曹大増員の影響で相談件数も収入も落ち込むところが多いなか、相談・受任のための様々な試みがおこなわれてきていますが、現時点では、@既存の依頼者層や諸団体との結びつきを生かし、これを拡大・強化しようとするいわば「伝統的な手法・努力」と、Aインターネット上の情報の市場競争に参入して依頼を誘引する「新しい手法・努力」の二つに収れんされてきているのではないかと思われます(これとは別に顧問獲得の努力もあったりしますが省略します。)。
 どの手法・努力にも一長一短があり、【絶対解】はありませんが、ここらで一度交流をはかることは意味があろうかと思われます。
 人づくりについては、あたたかい人間関係が基礎になりますが、若手から出てきている声もふまえると、活躍の場・やりがいのある役割の提供、安心して出ていけるような財政的手当(「保証」とまでは言いませんが。)、若手のやる気をそがない事務所運営・支部運営、がカギを握るのかなと思います。それと、そもそもなんで自由法曹団なのか、自由法曹団員としてなにをするのか、何が求められるのか、についての共通認識の形成が大事なようです。
 この点は、苦労されているところ、相対的にうまくいっているところの情報交流をはかることで「我が事務所の人づくり」に生かせるものと思います。
 時間の制約がありますが、この間の取り組みを踏まえた未来志向の意見交流をはかりたいと思いますので、どうぞご参集ください。


浅田訴訟完全勝訴報告

〜介護保険優先原則「違法」判決〜

岡山支部  呉   裕 麻

一 はじめに
 六五歳になるや否や、障害福祉サービスを一切不支給とした岡山市の処分に対して、岡山地裁がその取り消しなどを認める判決を言い渡した。
 原告は、生まれつき上下肢の障害があり、飲み食い、排せつ、入浴など生きるために必要なあらゆることに援助が必要である。そのため、六五歳になるまで障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)に基づき、一カ月あたり二四九時間の障害福祉サービスを受けて生活してきた。
 このような原告に対して、岡山市は、介護保険優先原則(六五歳になった障害者は、障害福祉サービスと介護保険サービスの重複するサービスについて、介護保険サービスを優先して利用すべきとの同法七条の規定)に基づき、障害福祉サービスをすべて打ち切ったのである。
二 障害者自立支援法と違憲訴訟、基本合意
 障害者は、同法に基づき障害福祉サービスを受けられるが、利用料の一割を負担しなくてはならず、これが重い負担となるなどの問題があった。
 そこで、同法については、これらの問題点を巡り、全国で違憲訴訟が提起された。
 その結果、平成二二年一月七日に国との間で、@地方税法上の非課税世帯に自己負担を生じさせないこと、A介護保険優先原則の廃止を検討することなどを内容とした基本合意が成立した。
 その結果、@非課税世帯の自己負担はなくなった。
 しかし、A介護保険優先原則については、その後も改正はなく、非課税世帯では障害福祉サービスの利用者負担はなくなったにもかかわらず、六五歳になると、介護保険利用部分につき利用料一割を求められるという問題が生じた。
三 介護保険優先原則の問題点
 介護保険優先原則は、そもそも障害福祉サービスと質的に異なる介護保険サービスを利用しなくてはならない上に、同サービス部分には利用料一割負担が生じるという問題点がある。
 そのため、多くの障害者は、従前からの支給の継続を希望する。原告も、従前からの支給の継続を希望し、介護保険を申請しなかった。岡山市はこのことを理由として、障害福祉サービスを不支給としたのである。
四 審査請求を経ての訴訟提起、判決
 原告は、審査請求を経て、本件訴訟の提起に至った。
 そして、この度、岡山地方裁判所は、@不支給決定の取り消し、A従前通りの支給の義務付け、B国家賠償請求のいずれをも認めた。
 同条の解釈を巡る全国初の判決であり、非常に重要な意義をもつ。
五 判決の意義
 同条は、「自立支援給付は、当該障害の状態につき、介護保険法の規定による介護給付・・・であって政令で定めるもののうち自立支援給付に相当するものを受けることができるときは政令で定める限度において・・・行わない。」と規定している。
 その解釈について、岡山地裁は「自立支援給付を受けていた者が、介護保険給付に係る申請を行わないまま、六五歳到達後も継続して自立支援給付に係る申請をした場合において、当該利用者の生活状況や介護保険給付に係る申請を行わないままに自立支援給付に係る申請をするに至った経緯等を考慮し、他の利用者との公平の観点を加味してもなお自立支援給付を行わないことが不相当であるといえる場合には、自立支援法七条の『介護保険法の規定による介護給付であって政令で定めるもののうち自立支援給付に相当するものを受けることができるとき』には当たらない。」と判示した。
 同上は、六五歳になった障害者が介護保険の申請をしない場合には、障害福祉サービスを打ち切ってよく、なおかつそうすべきことを求めているとの岡山市の解釈が誤っていることを明確にしたのである。
六 まとめ
 原告や全国の支援者、弁護団の努力により、このような判決を得ることができた。岡山市の不支給決定が原告を死に追いやるものであることを徹底して主張したことが功を奏したと思う。
 しかし、岡山市からの控訴がされた。高裁でも原告の被害を踏まえた真っ当な判決を勝ち取りたい。


改憲阻止・特集*

安倍強権政治と公文書問題

東京支部  船 尾   徹

安倍強権政治に対する怒り
 今年に入って裁量労働制の拡大をめざした厚生労働省による労働時間データの捏造、森友疑惑に関する財務省による決済文書の改竄、昨年の南スーダンPKO部隊派遣の日報の自衛隊による隠蔽に続いて、イラク派兵に関する陸上自衛隊、航空自衛隊の日報の隠蔽、そして、南スーダンPKO部隊派遣のあらたな日報の隠蔽など、次々と明らかになる事態を前に、安倍政権に対する批判は大きく広がり、内閣支持率は急落し、その「政治の私物化」と「安倍九条改憲」をめざす暴走に対する怒りは燎原の火の如くひろがりだし、全国各地で集会、デモが行われている。
 国会では、共産党、立憲民主党、社民党、自由党に加え、民進党、希望の党も含めた野党六党が結束して安倍政権と対峙する状況が生まれている。そして、国会周辺では市民の行動が連日繰りひろげられ、市民と野党の共同が、日々、積み重ねられている。
国民共有の知的資源としての公文書の改竄と隠蔽
 国民の知る権利と民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源としての公文書(行政文書)の作成、整理、保存管理を軽視する安倍強権政治は、主要関係行政組織の「隠蔽体質」と新自由主義的改革による内閣機能の強化と公務員の人事権掌握によるトップダウンの政治を強行する安倍政権への「忖度」と相俟って、きわめて杜撰でいい加減な公文書問題を続出させている。安倍強権政治は、財界に奉仕するための労働時間データの捏造、政権への忖度による決裁文書の改竄、自衛隊の海外派兵強行を正当化するための隠蔽を繰り返して、行政の公正性を担保する公文書が求めている主権者としての国民への真摯な「説明責任」を放り出し、民主主義の基盤を破壊している。その結果、この政権全体が、土台から腐敗しその政治の劣化は目をおおうばかりとなり、危機的ともいうべき事態となっている。
意思決定過程を秘匿する内閣法制局
 安倍政権のもとで集団的自衛権の行使容認に踏み切る閣議決定に至る過程において、「法の番人」であるべき横畠内閣法制局長官が、内閣法制局としてそれまでの憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使を容認するにあたって、内閣法制局と与党との協議、法制局内部の協議等の記録文書(公文書)を作成していないと平然と答弁していたのは、私たちの記憶に新しい(瀬畑 源「公文書問題 日本の『闇』の核心」講談社新書)。
 公文書管理法は、公文書は「民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得る」ものであり、「現在及び将来の国民に説明する責務」を全うするものとしている(一条)。
 それまでの憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊が米軍の補完部隊として世界規模で海外派兵することを容認する意思決定過程を内閣法制局において記録文書として作成することを不要とすることは、主権者である国民から検証のため利用可能な知的資源を剥奪するだけでなく、将来の世代からも知的資源を剥奪することを意味する。
 厚生労働省が、裁量労働制の拡大適用を意図した不適切データの捏造を撤回したのは、まがりなりにも労働政策審議会の議事録が公開されていたことによる。政治に民主主義を確保するには、意思決定過程の公文書が適正に作成されることが欠かせない。
活動記録の隠蔽とシビリアン・コントロール
 自衛隊が派遣された現地は「非戦闘地域」であるとした政府の説明と矛盾する南スーダンPKOの日報データを廃棄・削除していたはずの日報データが、別に存在することが発覚し、稲田防衛大臣が辞任するに至った日報(公文書)の隠蔽問題に引き続いて、イラク派兵時の陸上自衛隊と航空自衛隊の日報データについても、防衛省・自衛隊は隠蔽を繰り返していたことが発覚した。海外派兵された自衛隊が現地のどのような状況のもとで、どのような活動を行っていたかについての活動記録(日報)は、その後、駆けつけ警護等のあらたな任務のもとに南スーダンPKOの派遣の是非を検証するうえで欠かせなかったものである。そればかりか一年前から存在していた日報データを防衛大臣に報告せず、自衛隊の最高指揮官である首相が掌握していない事態は、シビリアンコントロールの根幹を揺るがす異常な状況まで露呈している。こうした自衛隊を憲法に明記する「安倍九条改憲」の危険性を検討するうえでも重要なことはいうまでもない。
公文書の改竄と全体主義
 森友疑惑の真相を解明するうえで重要な意味を有する国有地売却の経緯にかかる公文書を破棄したとしてきた財務省が、今度はその決裁文書の内容そのものを改竄していたという事実が発覚した。その真相の全面的な解明の必要はもちろんだが、安倍強権政治のもとで、政権を「忖度する政治」が蔓延し権力全体に拡がり決裁文書の改竄が行われているのである。公文書の改竄により国民の知る権利は侵害され、民主主義の機能不全となっている状況は、速やかな政権交代によって回復され真相が解明されなければならない。時の政権への「忖度の連鎖」が社会に拡がり、「空気と忖度のポリティクス」(中島岳志「保守と立憲」スタンドブックス)が働いて、ひとり声をあげて抗することが困難であった「全体主義」の時代を忘れるわけにはいかない。
市民と野党の共同
 公文書の捏造、改竄、隠蔽等の問題は、偶々、生じたものではない。特定秘密保護法、安保法制、共謀罪など強権的に政治を進め、安倍九条改憲をめざしているこの政権のもとで集約的に生じているのである。そして前川政務次官の講演をめぐる文科省による教育内容への介入問題等々を含めて、国民的な批判が巻き起こっている。
 今、安倍強権政治を批判する市民と野党の共同による運動が、原発ゼロ基本法案、核兵器禁止条約をめざす運動なども含めてひとつひとつ積み重ね拡げるなかで、安倍九条改憲NO!三〇〇〇万署名運動をやり切った先に、安倍改憲の退場が現実感をもって見えてくる(二〇一八年四月一一日記)。


マスコミの好戦的な論調を批判する大久保団員の投稿を読んで

京都支部  中 島   晃

 団通信一六二八号に掲載された埼玉の大久保賢一団員の「南北首脳会談はあってはならないことなのか―毎日新聞社説に対する批判―」を興味深く読んだ。毎日新聞の本年二月一一日付社説に対する大久保団員の批判は、まことにもっともなことで、朝鮮半島における軍事衝突をあおるような好戦的な論説に猛省を促す指摘にいたく共鳴するものである。
 そこで思い出したのだが、昨年七月一七日、韓国の文政権が北朝鮮に向けて対話と協議の提案を行ったことに対し、地元紙(京都新聞)が翌日(七月一八日)夕刊一面コラムの冒頭に、「ミサイル撃たれても核開発されても対話。理解しがたいわ。演説を詭弁と北もみる。」という寸評の載っているのを読んで、強い違和感をもったことがある。
 隣国の大統領による地域の安定と平和に向けた対話の呼びかけを、「理解しがたいわ」と切り捨ててはばからない感覚は、一体何なのだろうと思った。
 このコラムは準社説といわれており、これをこのまま看過できないと考え、七月二〇日付で京都新聞の編集局長宛に次のとおり書面を送った。
 「韓国の文在寅大統領が、この時期に北朝鮮に対話を提案したことは、地域の安定と平和に向けて貴重な意味を持つのではないでしょうか。それを一刀両断で「理解しがたいわ」と切り捨てる貴紙のコラムの感覚は、いささか乱暴であって、冷静さを欠いており、その妥当性を強く疑わざるを得ません。
 そこで貴紙の論説・編集に責任を負う貴殿に対して、今回のコラムがどのような議論を経て、誰によって書かれたのか、またこのコラムがはたして妥当なものといえるのか、今後、このコラムの内容の見直しを検討される用意はないのか、を明らかにしていただきたく、本書をもって問い合わせをいたします。
 ご多用中のこととは存じますが、問題の重要性に鑑み、・・・貴殿の見解を書面をもって明らかにしていただきたく要望するものです。」
 このような書面をあえて送ったのは、近隣諸国との関係を巡って、マスコミが短絡的な論評を加えて、対外的な緊張をあおり、国民を戦争に駆り立てていったという戦前の苦い経験があるからである。そういうことから言うと、マスコミが対外的な緊張をあおるような報道をすることは、あってはならないことであろう。
 ところで、このコラムが掲載された直後の同年七月三〇日付同紙の「表層深層」(ワシントン、北京、東京共同)によれば、対話論じわり≠ニの見出しのもと「対話は不可避との現実論もじわり広がる」と書かれている。そうすると、文政権による対話の提案は、こうした状況を先取りしたものであり、その後の事態の推移を見ると、南北首脳会談や米朝首脳会談に実現に向けた、重要な第一歩となったということができる。
 そうしたことからいえば、さきに紹介したコラムは、まことにお粗末としか言いようがないものであった。京都新聞に書面でこの問い合わせを行ったが、同紙からは何の返答もない。おそらくまともな反論ができず、返答に窮しているというのが実情ではないだろうか。
 朝鮮半島の危機的状況を打開するためには、制裁強化などの圧力一辺倒ではなく、北朝鮮との対話による解決に向けた努力を真剣に追及することが必要なことは自明のことであろう。
 にもかかわらず、こうした努力に冷水をあびせかけるようなマスコミの論調は、きびしく批判されるべきものである。
 先ごろ、直木賞作家の中島京子の小説「かたづの」を読んで、随分教えられるところが多かった。
 この小説は、八戸南部氏の二〇代当主直政の妻・袮々(ねね)が、夫と嫡男を相次いで失うが、八戸を守るために、自ら領主となり持ち前の聡明さと決断力だ度重なる困難を乗り越えていく。東北の地で女性ながら領主となった彼女は、数々の困難に立ち向かうにあたって、決して「戦」をせずに、家臣と領民を守り抜いていくのである。彼女は、一人になると、家臣の男どもが、何かといえば、すぐにいくさだと叫び、武士の意地だ、目に物見せてやるといきまくのを見て、あの馬鹿者どもが、そんなことをして何になるかとののしる場面が出てくる。ここに、国際紛争を解決する手段として、武力による威嚇又は武力の行使は永久に放棄すると定めた憲法九条の源流があるのではないだろうか。
 さきに批判したマスコミの好戦的な論調は、憲法九条の基本原則を忘れた議論といわなければなるまい。
 もし、仮に朝鮮半島で軍事衝突がおこれば、南北を問わず多くの人々の生命が奪われることは目にみえており、その戦火が沖縄などに米軍基地がおかれている日本に飛火することは必至である。ましてや、軍事衝突が拡大して、核兵器の使用という事態にでもなれば、その惨劇は目をおおうばかりである。
 そうした事態をリアルに見すえて、軍事衝突を回避するために行った隣国の大統領の真剣な対話の提案に対して、全く何のリスペクトも払わず、上から目線であれこれと批判するマスコミの態度は、かつての植民地に対する旧宗主国の支配者意識がいまだに完全に消え去ってはいないのではないかとすら感じさせるものがある。
 いま京都で、「NHK・メディアを考える京都の会」が結成され、私はその共同代表の一人となっている。NHKをはじめ、マスコミの動きを市民の立場から監視し、間違った報道があればすぐさま批判し、すぐれた報道については、これを評価して激励するという取り組みをすすめている。
 いま、全国各地にこうしたマスコミを監視、激励する運動が広がっているが、団員が各地でこうした運動に積極的にかかわっていくことがいま重要になってきているのではないだろうか。
 以前、全国紙の本社編集局長をしていた人から、具眼の士による的確な批判は新聞を育てる糧になるといわれたことがある。そうすると、大久保団員の今回の批判は、毎日新聞を育てるうえで貴重な糧であるといえよう。


公文書の隠蔽、捏造、改ざん問題と憲法との関係

―森友学園問題を中心に

千葉支部  守 川 幸 男

 千葉県弁護士会では憲法出前講座をやっている。若い人を中心にやってきたが、今回はじめて担当した。以下はそのレジメのほんの一部の抜粋であり、団通信用に若干加筆した。項立てがこれでよいかわからないが、論点はほぼ出ていると思う。
 (最近、条文解説やあまり詳細なものではなく、ものの見方、考え方を提示し、意見交換的なレジメにしている。)
一 え?森友学園問題って憲法問題なの?
○単なる「一大スキャンダル」とか「理事長の詐欺」の問題ではない。
○この点で、もっと国会で議論すべき重要テーマがある、とか、政局に利用するな、との意見もあるが、そうではない。
 また、この問題はアベ改憲の逆風とはなるが、ここでは政治的分析でなく、弁護士として憲法の立場からどう見るかを論じる。
(1) 公正な行政の観点
○公務員は国民全体の奉仕者(一五条)なのに
○政権と密接な協力関係にある組織や個人への特別の便宜
 公正な行政運営の破壊と国家の私物化、法の支配の破壊
 ― ほかにもたくさんの事例
(2) 国民主権と知る権利、情報公開
○国民主権のもとで国政情報はだれのものか
 知る権利と報道の自由 ― 主権者としての判断、行動の前提としての情報
○改ざん前の公文書の隠蔽下=国民の知る権利を侵害した状態=で総選挙が行われた
 公文書管理法一条「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」「国民主権の理念にのっとり」「歴史的公文書等の適切な保存及び利用等」
 歴史の改ざん、のちの検証困難
(3) 三権分立の危機
○国権の最高機関としての立法府がないがしろにされている
 臨時国会を求められたら招集義務があるのに無視
 国政調査権の発動としての証人喚問の拒否 佐川氏だけ喚問
○行政の肥大化、三権分立の危機
 自衛隊の日報隠しはシビリアンコントロール(文民統制)の否定
○国民主権、議会制民主主義の危機
(4) 財政の公正な執行の理念の侵害(要検討)
○会計検査院による決算の検査と国会への報告
 正しい検査の障害、妨害
(5) 結局、憲法破壊、立憲主義否定の安倍政権に憲法を語る資格なし
二 天皇主権の国の復活を狙う勢力が政権を担っている

○教育勅語を素読させた塚本幼稚園の異常
○教育勅語とは何か
 天皇が臣民に道徳を押しつけ、国家の危機に際しては天皇のために命を投げ出せ、という思想 日本国憲法と相容れない
○憲法尊重擁護義務を無視してこれを持ち上げる内閣総理大臣
○日本国憲法の基本原則を破壊したい人たちが政権を担っている


いのちのかぎり歩き続けた人々

第七一回解放運動無名戦士合葬追悼会に参列して

神奈川支部  中 野 直 樹

三月一八日
 一八七一年パリコミューン記念日のこの日、わが国の進歩と革新、平和と民主主義、国民生活を守るために活動するなかで亡くなられた方々に感謝と敬意をこめて追悼・顕彰する墓前祭が民主運動として連綿として続けられている。主催は日本国民救援会本部である。合葬される無名戦士墓は、青山霊園の中にある。
無名戦士墓
 一九九七年、岡村親宜弁護士が「無名戦士の墓 評伝・弁護士大森詮夫の生涯とその仲間たち」(学習の友社)を著した。その「序にかえて」に、当時の日本国民救援会山田善次郎会長が、「故大森詮夫弁護士は、日本共産党に加えられた、あの三・一五、中間、四・一六事件の弁護に、『日本労農弁護士団』の一員として加わった。一九九三年(昭和八年)九月一三日から、特高警察は、右事件の弁護をおこなった『日本労農弁護士団』所属の全国の弁護士全員を、その弁護を理由に、根こそぎ検挙した。・・故大森弁護士も、その一人として検挙・起訴され、有罪とされた。彼は豊多摩刑務所投獄中、結核が悪化し、・・一九四三年三月九日、満四〇歳で、四人の幼児を残し、帰らぬ人となった。『万事頼んだぞ。俺が死んだら、細井和喜蔵君の無名戦士墓へ葬ってくれ。』これが、故大森弁護士の最期の言葉だった。同年一〇月、故大森弁護士の妻民子夫人は、満八歳の長男研一君とともに、密かに、故大森弁護士の遺骨を、この『無名戦士墓』に納骨した。」、そして日本軍国主義の敗戦後の一九四八年三月一八日、この墓への第一回「解放運動犠牲者合葬追悼会」が挙行され、以来毎年続けられてきている、ことを紹介されている。
初めての参列
 私は、毎年この時期が近づくと国民救援会からの募金要請にささやかなカンパをしてきただけであった。七一回目となる今回は、故山下登司夫弁護士と町田の地域・労働組合運動を担われた故伊藤文彦氏の合葬の紹介者となったこともあり、青山葬儀所の式典会場の人となった。
 会場には全国から本当にたくさんのご遺族、関係者の方々が参列されておられた。正面の祭壇に、合葬者の氏名・享年・略歴を刻んだ銅板プレート三二枚が飾られており、手を合わせた。鈴木亜英弁護士が、救援会本部会長として挨拶をされ、今年合葬される方が一〇七三名であり、第一回の追悼会以来の合葬者の総数が四万六二〇五人であると述べられた。
 合葬者全員のお名前が都道府県毎に読み上げられた。厳粛な空気感のある時間であった。配布された名簿の略歴を追いかけながら伺っていると、各故人の生きてきた時代と人生に瞬時触れた気持ちになった。
 今年合葬された弁護士は次の方々である。
山形 脇山  弘 八二 弁護士、勤労者の人権擁護と原発反対闘争
東京 柴田 五郎 八一 弁護士、布川再審無罪事件弁護団長
東京 矢花 公平 六九 青年法律家協会会員、自由法曹団団員
東京 山下登司夫 七五 弁護士、全国じん肺弁護団連絡会議幹事長
長野 冨森 啓兒 八五 県憲法会議代表委員、長野中央法律事務所所長
福岡 幸田 雅弘 六三 弁護士、福岡住環境を守る会代表
新装版「無名戦士の墓」のおすすめ
 岡村弁護士は、二〇一五年、著書の新装版(学習の友社)を発刊された。「初版出版時には御健在であった故大森民子さんが、二〇〇五年二月、享年九七歳で死去された。また全く予期していなかったが、故詮夫と故民子の三男大森鋼三郎兄が、二〇〇九年七月死去した。享年六七歳であった。・・民子さんの死去後、故大森詮夫弁護士の治安維持法違反被告事件の東京地裁判決が発見され、筆者がその提供を受けたので、新装版の本書に資料として収録した。」と再発刊の動機を語られている。
 大森詮夫弁護士は他の弁護士とともに転向の上申書を出した。判決は、「国体変革を目的とする結社の目的遂行の為にする行為」、「私有財産制度否認を目的とする結社の目的遂行の為にする行為」について治安維持法一条違反で有罪とした上で、情状について「・・判示の如く弁護士として布施辰治法律事務所に入り、判示法律事務に従事するに及び、遂に共産主義に感染して該思想を抱懐するに至り、本件犯行を敢行したるも、其の後刑務所に収容されて静かに過去を反省し、我が国体の世界に冠絶する所に及び、共産主義が我が国体と根本的に背反することを悟り、過去一切の盲信を棄て翻然転向して将来全く共産主義に関係せぬ忠良なる臣民として再生すべきことを誓うに至り」と判示している。おぞましい限りだ。
 岡村弁護士は、故大森詮夫の仲間たちの生き様を見ると、戦後史を特徴づけている平和と民主主義の闘いが、いかに戦前の絶対主義天皇制権力下の弾圧の嵐の中の闘いを引き継いでいるかが鮮明に明らかとなる、と述べている。
 岡村弁護士は、故大森鋼三郎弁護士との同期の仲間の友情と絆をベースとして、治安維持法による弁護士弾圧の歴史的事実を人間の絆が縦糸でつながっているという目線で描く。「戦争をする国」づくり、九条明文改憲との闘いの渦中にある私たちの事業は、同時代人の共同を強化することで遂行することの意義とともに、歴史という長い縦糸の目で客観評価されるのだと認識させてくれる一冊だと思う。


民事上「秘密」漏えいの嫌疑立証は外形立証で足りるのか?

埼玉支部  伊 須 慎 一 郎

 団通信一六二九号で、滋賀支部の玉木昌美先生から、私が担当させていただきました滋賀弁護士会主催の特定秘密保護法の学習会の内容を紹介していただきました。ありがとうございました。
 学習会は自衛官えん罪事件(国賠訴訟)を踏まえて、特定秘密保護法の問題点を改めて考えるという内容でしたが、事件の内容を少し紹介させていただきます。
 自衛官えん罪事件とは、二〇一五年九月二日の参議院平和安全法制特別委員会で、仁比聡平参議院議員が、中谷元防衛大臣(当時)に対し、河野俊克統合幕僚長の訪米議事録の存在を追及したことをきっかけに、安倍首相、中谷大臣、河野統合幕僚長が訪米議事録の存在を否定する裏で、自衛官(三等陸佐)に自衛隊法違反(秘密の漏えい)の嫌疑をかけ、ポリグラフ検査、実家を含めた三ヶ所の捜索差押、連日取調べ等の違法捜査を行っていたという事件です。同事件については、自衛官がさいたま地方裁判所に、昨年三月、国家賠償請求訴訟を提起しているのですが、私は訴訟代理人となっています(弁護団は佐々木新一団員、燒リ太郎団員、小林善亮団員の四人です)。
 今回、私自身、特定秘密保護法を改めて勉強し直す機会があったことで、自衛官えん罪事件に対する被告国の訴訟対応の問題点を整理し直すことができました。
 「特定秘密」の漏えい罪の成否については、起訴状記載の訴因の特定と秘密性の立証方法などが問題となります。秘密性の立証については、森雅子担当大臣が、法案審議当時、秘密の指定手続、秘密指定のあった事項の種類、性質、秘密の取り扱いを必要かつ相当とする合理性な事由などを立証することにより実質的秘密性を推認させる立証方法で足りるという考え方を示していました。しかし、外形立証では、どこまでいっても実質秘かどうか分からないので、被告人の防御権を侵害することになり、合理的な疑いを超えるだけの立証もないので、立証不能で無罪とされるべきです。
 では、自衛官えん罪事件(国賠請求)ではどうでしょうか。
 自衛官えん罪事件では、提訴から一年一か月経過し、口頭弁論期日も既に六回重ねていますが、未だに被告国は自衛官が、どのような「秘密」を漏えいしたのか明らかにせず、秘密漏えいに関わる証拠を一点も提出していません。被告国は、「秘密」を外形的に立証するかどうかも明らかにしない曖昧な応訴態度を取り続けています。どうやら、被告国は、民事上の立証は、刑事手続と異なり、証拠の優越で足りるとされていることから、裁判官の対応を見ながら、外形立証のような方法で秘密性を立証すると表明するタイミングを計っているのだと思われます。そのため、現時点では、被告国は「秘密」を明らかにしないまま、自衛官に嫌疑をかけた捜査報告書(しかも原資料を添付しないもの)などの提出のみで(これも未だ提出されていません)、自衛官が疑わしかったのだと印象付け、誤魔化そうとしています。
 しかし、中央警務隊は、自衛官に嫌疑をかけ、ポリグラフ検査、捜索差押、連日取調べ、偽計による自白強要などによる人権侵害を繰り返したのですから、民事手続においても、秘密にすべき内容なのかどうか分からないままの外形立証では到底足りず、実質秘の立証が不可欠であり、被告国が実質秘であることを立証しない以上、自衛官に嫌疑をかけたこと自体に理由がなく(証明がなく)、ポリグラフ検査など一連の捜査が違法とされるべきです。
 今回、特定秘密保護法等を改めて勉強し直す中で、被告国の応訴態度に問題があることを理解することができました。
 また、学習会の資料として、八年くらい前に、愛知支部の川口創先生からいただいた週間空輸実績(報告)(自発報告)の「非開示バージョン」と「全面開示バージョン」を使わせていただきました。この二つの文書を比較すると、政府・防衛省・自衛隊が何を隠したいか、これから何を隠すのか一目瞭然です。それから、埼玉弁護士会主催の共謀罪の集会で大垣警察の市民監視事件の報告をしていただいた岐阜支部の山本妙先生からいただいた大垣警察とシーテック社の議事録の一部も使わせていただきました。特定秘密保護法四条三号で、「情報収集活動の手法又は能力」が永久に秘密とされる構造となっていますので、公安警察や自衛隊情報保全隊の市民監視活動も永久に闇の中になってしまいます。そうすると、ますます市民活動が萎縮されてしまうことになります。やはり、特定秘密保護法は廃止されるべき悪法であることも再確認できました。
 今後とも、全国各地の団員が、たたかいの中で掴んだ事実を踏まえて、特定秘密保護法の廃止に向けて力を合わせていければと思います。
 最後になりますが、滋賀弁護士会の団員の先生方には懇親会も含めて大変お世話になりました。ありがとうございました。


映画「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」を見て

東京支部  弓 仲 忠 昭

一 はじめに
 スピルバーグ監督の「ペンタゴン・ペーパーズ」を見た。
 監督は、トランプ大統領就任の四五日後に製作発表、準備していた他の映画を後回しにして、一〇か月で撮影を終えた。ここに本作品にかけた監督の意気込みが感じられる。
二 ペンタゴン・ペーパーズ暴露の報道
 一九七一年当時、ベトナム戦争が泥沼化し、従軍アメリカ兵の戦死も増加。アメリカ国内・国外での反戦運動も広がっていた。
 その年の六月一三日、ニューヨーク・タイムズ(NYT紙)が、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書であるペンタゴン・ペーパーズ(ロバート・マクナマラ国防長官が将来への教訓を得るために指示し一九六〇年代後半に作成された総括文書。)の存在とその内容をスクープ報道した。NYT紙は、この文書を政府系のシンクタンクに勤め、この文書の作成に関わったダニエル・エルズバーグから入手していた。この文書の報道により、アメリカ政府が、ベトナム戦争に関する情報を隠蔽し、国民を欺いていたことが暴かれた。文書には、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンと四政権にわたり隠蔽されてきたベトナム戦争の闇(国民・連邦議会への虚偽報告、暗殺、ジュネーブ条約違反、不正選挙等々)が綴られていた。
 ニクソン政権は「国家機密の漏洩(機密保護法違反)」、「国家の安全保障を脅かす」と激怒、NYT紙に対し以後の記事掲載の差し止めを求めて連邦地裁に提訴。同じく同文書を入手したワシントン・ポスト(WP紙)も、NYT紙が裁判所での係争中に同文書の公表を始めた。ニクソン政権は、WP紙に対しても同様の差止命令を求めて提訴した。
三 ワシントン・ポストの逡巡と決断
 映画「ペンタゴン・ペーパーズ」は、先に報じたNYT紙ではなく、迷いや弱さを抱えるWP紙の女性社主キャサリン・グラハム〈メリル・ストリープ〉と敏腕編集主幹ベン・ブラッドリー〈トム・ハンクス〉らとの意見の衝突、逡巡、決断の過程を丁寧に跡づけた。報道の自由、メディアとジャーナリズムの果たすべき役割をスピード感をもってスリリングに描写した極上の娯楽作品である。
 文書掲載は違法行為である、社主らが処罰される、WP社の存続に関わるなどとして掲載を阻止しようとするWP社の役員や顧問弁護士たちと掲載を主張する編集主幹らとの間で悩み、揺れ、逡巡しつつも最終的に掲載を決断した女性社主をメリル・ストリープが見事に演じた。「権力を見張るのが我々の役目だ」とてきぱきと記者たちに指示し、短時間で入手文書を読み込ませて、掲載記事を完成させた編集主幹。これを演じたトム・ハンクスも適役で緊張感ある演技で大いに盛り上げた。
四 司法判断と報道の自由
 連邦最高裁は、一九七一年六月三〇日、NYT紙のスクープ報道からわずか一七日後に、ペンタゴン・ペーパーズの公表は国家の安全を脅かすとするニクソン政権の主張を退け、差し止め請求を却下した。NYT紙とWP紙が勝訴し、報道の自由が守られた。
 ヒューゴ・ブラック判事は、補足意見の中で、「報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない。…制限を受けない自由な報道のみが、政府の偽りを効果的に暴くことができる。」と述べている。
 映画では、電話するニクソンの後ろ姿らしい影が、「WP紙の記者は入れるな!」と命じる場面もあった。
五 おわりに
 気に入らない報道につき、「フェイクニュース」と攻撃し、自らは「嘘」を並べ立てるトランプ大統領。文書改ざん・隠蔽、嘘と誤魔化しの政治に対し真摯な説明・真相究明を求める市民の声を無視し、疑惑を報じるメディアを敵視し攻撃に躍起となるアベ政権。そのアベ政権の提灯持ちとしか思えない一部メディアや似非ジャートたちが目障りにもテレビ画面の中を蠢動している。
 このような大手一部メディアの悲惨な現状において、映画「ペンタゴン・ペーパーズ」は、多くの人々に鑑賞してもらいたいタイムリーで心躍る映画である。
 団員のみなさまにも是非ご覧いただき広めていただくことを切に願う。


「消費税を上げずに社会保障財源三八兆円を生む税制」(大月書店)を購読した。(後半)

東京支部  伊 藤 嘉 章

五 国土の均衡ある発展
 まだ、新幹線、高速道路は足りないのです。ミッシングリンクがたくさんあります。全国新幹線鉄道整備法に定める計画路線はすべてつくるべきです。石破茂議員は言います。合区になった鳥取県から島根県に選挙応援に行くのに、一度羽田に出て飛行機で往復した方が早い場合もあると。山陰新幹線をつくり、北陸新幹線を新潟までつなげ、新潟からは新青森まで羽越新幹線を通し、「日本海を貫く新幹線が必要」であるという(「週刊東洋経済」NO六七七五)。国土の均衡ある発展(言葉が古い)のためには不可欠の路線ではないか。
 不公平税制の是正によって生まれる財源は福祉だけではなく、大型公共事業によってインフラ整備にも使うべきである。大型公共事業による支出も、福祉の支出と同じくすべて誰かの収入となる。雇用が生まれ、給料があがれば、支出が増えて、乗数効果をともなって、世の中に金が回っていくのである。
 そして、整備されたダム、道路、港湾・空港・鉄道は多くの者の便益に資するのである。
六 再び「砂の器」から
 今西刑事は、亀嵩に行く前に秋田県の羽後亀田に出張している。吉村刑事とともに、上野駅二一時発の秋田行急行「羽黒」に乗った。
 「夜が明けたころが鶴岡だった。酒田に着いたのが六時半だった。今西は早く眼がさめたが、隣の吉村は腕を組み、背中を後ろにより倒して寝込んでいた。
 本庄で乗り換えて、亀田に着いたのは、一〇時近かった。」と松本清張は書いている。
 読売新聞に「砂の器」の連載が始まった一九六〇年五月一七日には、秋田空港はなく、秋田新幹線「こまち号」もなかった。
 YAHOO路線情報で検索すると、いまでは、東京駅から午前六時三二分発の「こまち号」に乗っても、あるいは、羽田空港から午前七時五〇分発のANAに乗っても、秋田駅からJRの羽越本線に乗り継げば、当日の午前一一時三一分には、羽後亀田駅に到着するのである。
 われわれは、いままでの政権が行ってきた空港、鉄道というインフラ整備の恩恵を受けているのである。
七 基礎的財政収支の黒字化という呪縛
 著者の論述にもどります。二八頁では、「このように支出を見直すことによって国の台所の健全化ができる」という。著者も、二六頁で、基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化を目指しています。
 しかし、基礎的財政収支の黒字化という呪縛こそが諸悪の根源なのです。この縛りによって、公務員の給料が減らされ、年金支給額も、生活保護費も減額するというデフレ推進策が行われてきたのです。
八 政府の財政出動
 黒田日銀は、日本政府の国債を三〇〇兆円ほど買い取り、この結果、政府が日銀に支払う利息は、日銀の政府への上納金となって政府に還流するのです。そして、日銀保有の国債の満期がくれば、借換債を発行しこれを日銀が引受けていけば、借金はないのと同じになります。
 国債は借金と思っていましたが、国の通貨発行権の行使であったのです。国債の償還とは、発行された通貨の回収にほかならず、経済の縮小をともなうことになるのです。
 黒田日銀の目標は、岩田元副総裁の理論にもとづき、日銀が国債を大量に買い取れば、購入代金は日銀から市中銀行を通じて、民間に流れて経済が活性化してインフレが実現するというものであった。しかし、民間には資金需要がなく、前記のデフレ推進策とあいまって、また、消費税率の引上げが追打ちになって、いまだにインフレにはなっていないのである。
 いまこそ、政府の財政出動が必要なのである。政府が国債を発行すれば、市中銀行は日銀の当座預金よりも有利に資金の運用ができるので、発行先にことかくことはないであろう。国債発行は税金と違って収奪ではなく、銀行の資金に国債を通じて利息を付すという隠れ補助金にほかならないからです。
九 福祉国家型の生活保障並びに快適な生活環境と国土の強靭化
 不公正税制の是正による三八兆円の税収の捻出と三〇〇兆円という日銀に眠っている当座預金を原資とする国債発行による財政出動によって、福祉国家型の生活保障(一〇五頁)と、インフラ整備による快適な生活環境、そして、強靭化した国土を実現できるのではないだろうか。
 「コンクリートも人も」なのです。
 「建設の槌音高く」
 「ゆりかごから墓場まで」
 いずれも古い。でも死語にするのではなく、復活すべき言葉ではないか。(終)