過去のページ―自由法曹団通信:1637号      

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岩佐 賢次 森友問題
大阪の検察審査会へ審査申立をしました。
山田 いずみ 優生保護法による
強制不妊手術等の問題について
船尾 徹 米朝首脳会談と共同声明についての若干の感想
大久保 賢一 米朝首脳会談に寄せて
森 一恵 日弁連シンポジウム
「核兵器禁止条約の早期発効を求めて
〜核抑止論をどう克服する〜」のご報告
石黒 大貴 *五月集会特集*
プレ企画・新人弁護士学習会に参加して
江夏 大樹 労働分科会に参加して
伊藤 嘉章 二〇一八年米子五月集会一泊旅行
その三「五月集会前の乗り鉄紀行と鉄道政策」(上)
中野 直樹 四〇年越しのジャンダルム(四)



森友問題
大阪の検察審査会へ審査申立をしました。

大阪支部  岩 佐 賢 次

 私が所属している「国有地低額譲渡の真相解明を求める弁護士・研究者の会」(共同代表:阪口徳雄・菅野園子団員)は、司法の場での真相解明を求めるために、佐川宜寿前財務省理財局長をはじめとする財務省職員らに対する背任罪、公文書変造罪、公用文書毀棄罪等の刑事告発を行ってきましたが、五月三一日に大阪地検が不起訴処分としたのを受けて、六月五日、検察審査会へ審査申立を行いました。
 背任罪については、不起訴理由の一つとして、ごみの撤去費用の積算が不適正であるとの認定が困難で、財産上の損害を認定するのが困難とのことでした。しかし、財務省理財局が、森友学園側にごみの撤去に関して口裏合わせを依頼していたことが判明しましたし、近畿財務局が、国土交通省大阪航空局に対して、航空局が当初提示したごみの撤去費用について見直しを求めていたことが明らかになりました。これらは、鑑定価格九億五六〇〇万円の土地を売却価格一億三〇〇〇万円に近づけることを目指して調整するために、恣意的にゴミの撤去費用を積算したことを示しているものでしょう。それなのに、どうして、ごみの撤去費用の積算が不適正で、財産上の損害を認定するのが困難なのでしょうか。
 公文書変造罪については、文書の非本質的部分を不法に変更して新たな証明力を作出したと認めるのが困難とのことでした。また虚偽公文書作成罪についても虚偽性がないとのことでした。しかし、国有地の賃貸及び売買の決裁文書という公文書の改ざんは、文書一四件、約三〇〇か所にも上ります。決裁が通るように、また特例の案件であることを強調し、その痕跡を残すために政治家や安倍総理夫人の関与の記載がなされたのでしょう。これらの記載が削除されれば、特例案件であることを隠蔽した新たな決裁文書を作成したことになり、虚偽性も十分認められるのではないでしょうか。
 公用文書毀棄罪では、文書の管理規則が一年未満で義務的廃棄の規定があるため、公用文書と認めるのが困難とのことでした。公用文書毀棄罪でも、期間がすぎれば、捨てるべき文書というのはあまりに形式的すぎます。すでに国会で追及がなされてから廃棄されたのですから、保存期間経過後に当然に公用文書性を失うとの見解は、強い違和感を覚えます。
 これらの不起訴に至った理由は、報道で明らかになった事実だけでも、どれもが一般市民の良識とは相当ずれがあると思います。
 佐川前理財局長の刑事処分に関し、「官邸も早くということで、法務省に何度も巻を入れている」との政治的な関与を窺わせる省庁間の内部文書が明らかになったり、不起訴処分とした特捜部部長が、五月二五日付で函館地検の検事正に栄転したという報道もあります。
 舞台は検察審査会に移りましたが、私たちの会は、本件事案の本質をわかりやすくまとめた意見書を作成、提出する予定です。そして、検察審査会の良識ある判断に期待したいと思います。


優生保護法による
強制不妊手術等の問題について

宮城県支部  山 田 い ず み

 優生保護法は、一九四八年に、「優生上の見地から不良なる子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的」(同法一条)に制定されました。同法によって、本人が「遺伝性精神病」「遺伝性精神薄弱」等であることや非遺伝性の「精神病又は精神薄弱」であることを理由として、都道府県優生保護審査会の審査を経れば本人の同意がなくとも男女を問わず生殖を不能とする方法(精管や卵管を結さつ又は切断及び結さつ)による手術(優生手術)が認められており、法律が廃止される一九九六年までの間に、本人の同意なく行われた優生手術(強制不妊手術)は、全国約一万六〇〇〇件に上ります。また、同法により、本人の同意による優生手術、優生思想による中絶手術も多数行われました。
 優生保護法は、国が、産んでも良い人と産んではいけない人を選別していたのであり、子どもを産むか産まないかの選択の自由(「リプロダクティブ・ライツ」 憲法一三条)を侵害し、かつ平等原則(憲法一四条一項)に違反する違憲の法律です。同意に基づく手術であったとしても、国から「不良」であるとみなされ、優生上の見地による人口政策という国家的政策推進のために同意を求められる立場にあった人たちは、自由な意思で意思決定することが出来ないことから同様に憲法違反です。
 一九九六年になってようやく、母体保護法に改正され、優生条項は削除されましたが、その後、日本政府は、国連女性差別撤廃委員会等の国際機関から何度も被害者に対する調査や公的補償を行うことを勧告されても、日本政府は、無視し続け、「当時は合法であった」として、何ら被害者に対する謝罪、公的補償の実施を行おうとしませんでした。
 そのような中、被害者からの相談を受けていた弁護団員の呼びかけで、仙台の若手を中心に弁護団が結成されました。手術から四〇年以上、法律の改正からも二〇年以上が経過していたことから、除斥期間の壁がありましたが、これほどの人権侵害がこれまで放置されてきたことがあってはならないことだと考え、提訴に踏み切ることにしました。そして、本年一月三〇日、宮城県の女性が、優生保護法が改正され優生手術が廃止されたにもかかわらず、その後も何らの被害救済の措置もとられていないことが、国の不作為であって違法であることを理由とし、仙台地方裁判所に国家賠償請求訴訟を提起しました。
 その後、弁護団は、全国の弁護士に呼びかけ、三回のホットライン(電話相談)を実施し、一〇〇件を超える相談を受けました。その中から、五月一七日には、東京、札幌、仙台の三カ所で三名の被害者が同様の訴訟を提起しました。これまで声を上げられなかった被害者が、少しずつ声を上げ始めています。
 また、五月二七日には、二〇〇人近い弁護士により全国弁護団が結成され、補償法の制定、謝罪、実態究明等を求める弁護団声明を発表し、活動を開始しました。
 六月一三日、仙台地方裁判所で第二回口頭弁論期日がありましたが、国は優生保護法の違憲性に関し全く認否しないまま、優生手術被害者は補償制度がなくても国家賠償法により損害賠償を求めることができたことを理由に国に補償制度を作る義務があったものとは言えないと主張しました。
 これに対し、裁判所は、本件における憲法問題の重要性・社会的影響等を踏まえ、憲法判断を回避する予定はない、と述べ、国に対し優生保護法の憲法適合性に対する認否を求めました。
 裁判所が正面から向き合う決意を示してくれたので、弁護団としても、この問題を長年にわたり放置してきたことへの責任を自覚し、日本における優生思想問題にも目に向け、引き続き被害者への国の謝罪と補償を早期に実現するため取り組んでいきたいと思っています。


米朝首脳会談と共同声明についての若干の感想

東京支部  船 尾   徹

 六月一二日の米朝首脳会談と共同声明について、さまざまな評価がされています。「安倍九条改憲阻止」の運動にとっても重要と考え、その素材として、個人的な感想を述べさせていただきます。
 戦争にむかって一触即発の危機から対話による平和的解決に大きく舵を切り、「朝鮮半島にもはや戦争はなく、新しい平和の時代が開かれた」とする南北首脳による「板門店宣言」に続いて行われた米朝首脳会談と共同声明を、私たちはどのように受け止め、なにをすべきなのでしょうか。
 朝鮮戦争休戦から六五年、そしてベルリンの壁崩壊と東西冷戦の終焉から三〇年遅れで、北東アジアの最後の冷戦秩序が残っていた朝鮮半島は、いま激変ともいうべき歴史的転換にむけて扉を開き、米朝関係は「敵対から友好」へと動きだそうとしています。
 共同声明は、「トランプ大統領は朝鮮民主主義人民共和国に安全保障を提供することにし、金正恩委員長は朝鮮半島の完全な非核化に対する強固で揺るぎない意思を再確認」、つまり、北朝鮮の非核化に対して体制保障を確認したことを基本的な内容としています。
 そのうえで、朝鮮半島における永続的で安定した平和体制の構築と朝鮮半島の完全な非核化のために努力を尽くすことを合意したことにより、朝鮮半島の非核化と平和体制構築にむけたプロセスが、いま始まろうとしているのです。
 共同声明は、休戦協定から平和協定へ転換し朝鮮戦争終結の合意をしていませんが、今後の米朝間協議が真摯に進展していけば、朝鮮戦争終結が課題にならざるを得ない。
 重要なことは、共同声明がめざしている「朝鮮半島の非核化」と「朝鮮半島における永続的で安定した平和体制の構築」の課題を実現するには、米朝間の協議だけでなく、韓国、日本、中国もこの課題を前に進める対応が求められていることを認識する必要があるということです。日本は北東アジアの平和体制の構築にどのようにかかわっていくべきなのかが問われているのだと思います。
 具体的には、北朝鮮の非核化にとどまらず朝鮮半島全体の非核化を真に実現するため、南北間の朝鮮戦争終結の合意と相互の不可侵・共存・平和協力の体制の確立が必要となってきます。こうした体制の確立は、米国の核の傘のもとにある在韓米軍の縮小・撤退を求め、米韓同盟そのもののあり方を問う課題を提起する可能性を孕んでいるのです。
 さらには朝鮮半島を含む北東アジアの平和体制を構築するには、日本列島の非核化、つまり米国の傘のもとにある在日米軍の縮小・撤退、沖縄米軍基地をはじめとする在日米軍基地の撤去、そして日米安保体制の存在意義そのものが問われなければならない。
 「朝鮮半島における永続的で安定した平和体制の構築」の課題は、北東アジア全体に大きな変化・発展の可能性が生じているもとで、北東アジアにおける冷戦構造の終焉をめざして核兵器に依存しなくていい安全保障環境を求める課題として、韓国、日本、中国にも提起されているものとして受けとめる必要があるのではないでしょうか。
 「安倍九条改憲」阻止をめざす私たちの運動は、朝鮮半島の分断に歴史的責任を有する日本こそ、この歴史的なチャンスをいかし九条にもとづく主体的な外交を展開し、北朝鮮との間に過去の歴史的清算と国交正常化をして、朝鮮半島の非核化と朝鮮戦争終結による平和体制の構築を求め、北東アジア全体の平和の構築を求める運動、日米安保体制と米軍駐留の存在理由そのものも根本的に問い直すことを政府に求める運動、九条改憲の必要性・軍備拡大の根拠(北朝鮮脅威論)などが虚妄の論理となっていることをひろく明らかにしていく「安倍九条改憲NO!」の運動にも求められているのではないでしょうか。
 拉致問題もこうした文脈のもとで解決を求めていくべきと考えます。安倍政権は、これまで拉致問題がわが国の最優先課題である、拉致問題の解決なくして北朝鮮との国交正常化はあり得ない、拉致被害者全員を直ちに帰国要求すべきとすることを方針にしたことにより、日朝平壌宣言にもとづく植民地支配を謝罪・清算し日朝国交正常化交渉を進めることを打ち切り、拉致問題も進めることができない事態となっていたのは周知のとおりです。
 こうした路線をとっていた安倍政権が、朝鮮半島危機から米朝会談に至るまでのこの間の対応をふりかえってみると、まことに見るも無惨な姿をさらしています。
 北朝鮮の脅威を煽り、防衛政策の転換・防衛力の増強を進め、米国一辺倒、圧力一辺倒の外交を続け、「対話のための対話は意味がない」、「最大限の圧力」に固執してきた。ところが米朝首脳会談の開催が決まると「大統領の勇気を賞賛したい」と一変し、その後、トランプが会談中止を発表すると、これをいち早く「支持する」と表明し、その後、再び会談が復活すると「会談の実現を強く期待している」と対応して、ひたすら米国にへつらうばかりの戦略不在の右往左往ぶりを露呈しています。
 最終的には、安倍首相は、あわてて六月七日にホワイトハウスに飛んで日米首脳会談にのぞみ、トランプに米朝会談において拉致問題を取り上げてもらうことを要請する。こうした局面で拉致問題についての解決を、日本の首相が、他国の指導者にとりあげてもらうことを要請するほど愚かで恥知らずの対応はありません(文在寅韓国大統領が「朝鮮半島の平和のために東奔西走する。必要であればすぐにワシントンに飛び、北京や東京にも行く。条件が整えば平壌にも行く」(一七年五月一〇日就任演説)、「戦争を経験した地球上唯一の分断国家の大統領である私にとって、平和は生の召命であり、かつ歴史的責務」(一七年九月二一日国連総会基調演説)として、戦争の危機を回避し平和への道を進めようとして、その政治生命をかけた主体的な外交と対照的です)。
 その挙げ句にトランプの対日貿易赤字の縮小に照準を合わせて、安倍首相は、巨額の米国製武器や製品の購入を表明してトランプに評価されるほど巨額の米国製兵器の購入を約束させられているのです。
 ここに至ってようやく安倍首相は、「日朝平壌宣言に基づいて不幸な過去を清算し、国交を正常化し、経済協力を行う用意がある」と表明して日朝会談による対話を遅ればせながら期待する始末です。
 安倍政権のこうした対応は、ひたすら対米従属・追随を自己目的としているばかりで、そこに北東アジアのあるべき将来像を明確にした主体的な外交を見いだすことができません。安倍政権に退陣してもらうよりほかありません。こうした歴史的チャンスに私たちの安倍九条改憲阻止の運動が提起すべき課題は、いまおおきく拡がり重要なものとなっている(二〇一八年六月一六日記)。


米朝首脳会談に寄せて

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 六月一二日、シンガポールで、ドナルド・トランプ米国大統領と金正恩朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)国務委員長は会談を行い、共同声明に署名した。
共同声明の内容
 共同声明によると、トランプ氏と金氏は、新たな米朝関係の構築と朝鮮半島の平和体制の建設について意見交換を行い、トランプ氏は北朝鮮に安全の保証を与え、金氏は朝鮮半島の完全な非核化を再確認している。二人は、新たな米朝関係の構築が朝鮮半島、ひいては世界の平和と繁栄につながると確信し、相互の信頼醸成が朝鮮半島の非核化を推進するとの認識を示している。
 その上で、@双方の国民の平和と繁栄を希求する意思に基づき、新しい米朝関係を構築する。A朝鮮半島の永続的かつ安定的な平和体制の構築に共同で努力する。B「板門店宣言」を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向け努力する。C既に身元が確認された人を含め、戦争捕虜や行方不明兵の遺骨回収に努める、と宣言している。
 二人は、米朝首脳会談は画期的な出来事であり、両国の何十年にも及ぶ緊張と対立を克服し、新しい未来を拓くためのものであり、共同声明の条項を完全かつ迅速に実行に移すことを約束したのである。
私は高く評価する
 私は、この共同声明を高く評価する。「ちびのロケットマン」、「老いぼれ」と罵りあい、核兵器の応酬までちらつかせていた二人が、話し合いのテーブルにつき「新たな米朝関係の構築」と「朝鮮半島の完全な非核化」を「完全かつ迅速に実行に移すことを約束」したのである。その具体化のために、工夫と時間が必要なことは避けられないとしても、共同声明に盛り込まれた目標については何人も異論を挟めないであろう。新たな米朝関係の構築は、最後の冷戦状態を解消し、世界の平和と繁栄につながるからである。そして、朝鮮半島の非核化は、北東アジアの非核地帯化や「核兵器のない世界」の一歩となりうるからである。
朝鮮戦争再燃の回避
 私は、最も避けなければならない事態は、朝鮮戦争の再燃であると考えていた。朝鮮の人々が殺戮と破壊の坩堝に投げ込まれることや、北朝鮮による日本への攻撃、日本国内における在日朝鮮人に対するジェノサイドなどを恐れていたからである。
 「完全で検証可能で不可逆的な核廃絶」、拉致被害者の帰国、中短距離ミサイルの廃絶なども解決しなければならないテーマではあるけれど、最優先は朝鮮戦争の再燃阻止と完全終結であると考えていたのである。トランプ氏や金氏のキャラクターや、具体性がないことなどを理由として、この共同声明の意義を過小評価しようとする意見も散見されるけれど、朝鮮半島における武力衝突の危険を遠ざけたという意義は、何にもまして評価されるべきであろう。
「合意は拘束する」
 そもそも、米国と北朝鮮を代表する二人が共同声明に署名したということは、両国の意思が合致したことを意味している。トランプ氏と金氏が、私的な取引をしたということではなく、国家間の政治的合意の成立を意味しているのである。そして、「合意は拘束する」という格言は、国際法の分野でも通用する原理原則である。共同声明は、政治的宣言にとどまらず、米朝両国を拘束する国際法上の意味を持つのである。
 トランプ氏は「北朝鮮の安全の保証」を、金氏は「朝鮮半島の非核化」を約束した。それぞれ、相手方に対してカードを付与し合ったのである。このことは、「両国の何十年にも及ぶ緊張と対立を克服し、新しい未来を拓く」ための大きな礎となるであろう。この合意に冷水を浴びせなければならない理由はない。
トランプ氏の約束
 トランプ氏は、北朝鮮の安全を保証するとしている。一見、重大な譲歩をしているようではあるが、極めて当たり前のことを約束しているだけである。元々、米国に北朝鮮を攻撃できる根拠など存在しない。国連に加盟するすべての国の主権は平等であるし(国連憲章二条一項)、すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない(同二条三項)とされているからである。そして、北朝鮮が米国に武力攻撃を仕掛けたという事実もない。米国は、自分が気に入らない国家に対して、武力攻撃を仕掛け、政権を転覆してきた。そのような行為はもともと許されていないのである。禁止されていることをしないと約束するは当たり前のことであって、大きな譲歩をしたというものではないのである。私は、トランプ氏の今回の言明を過小評価するつもりはないけれど、その内実についても着目しておきたいと思う。
金氏の約束
 金氏は、朝鮮半島の完全な非核化を約束した。北朝鮮の言うことなど信用できないという言説もあるけれど、金氏も「合意は拘束する」という格言から免れることはできない。元々、北朝鮮が核兵器を開発してきた理由は、核兵器を持っていないと米国によって政権転覆されてしまうという恐怖からである。その米国が「安全の保証」をしてくれるのであれば、核兵器保有の動機は霧消することになる。北朝鮮の核保有の動機を解消することができるのは、米国だけなのである。他方、米国も、北朝鮮の大陸間弾道ミサイルによる反撃を恐れなくて済むようになった。金氏とトランプ氏は大きな取引をしたのである。そして、私たちも、米朝間の核戦争の悲劇から解放されるという成果を得ているのである。
どのように非核化するか
 現在、核不拡散条約(NPT)が存在している。米国は加盟国である。北朝鮮も加盟していたが、現在は脱退している。また、核兵器禁止条約(TPNW)も採択されている。「核兵器のない世界」に向けての法的枠組みは存在しているのである。北朝鮮が核不拡散条約に復帰する条件を整えれば、北朝鮮の核についての問題は解決するのである。核兵器廃絶の具体的手法は、核兵器禁止条約四条に規定されている。この条約の発効を急がなければならない。
 ただし、それだけでは他の核兵器国の核兵器は残ったままである。世界には一万四四五〇発の核弾頭があり、うち北朝鮮は一〇発から二〇発と推定されている(長崎大学核兵器廃絶センター)。「核兵器のない世界」の実現のためには、北朝鮮の核だけを問題にすれば事足りるということではないのである。そのためには、「俺は持つおまえは捨てろ核兵器」という不公平この上ない論理と、核兵器に依存しての国家安全保障政策(核抑止論)を乗り越えなければならない。ヒロシマ・ナガサキ・ビキニの被害体験を持つ日本はその運動の先頭に立つ責務があるといえよう。

(二〇一八年六月一五日記)


日弁連シンポジウム
「核兵器禁止条約の早期発効を求めて
〜核抑止論をどう克服する〜」のご報告

三重支部  森   一 恵

【はじめに】
 日本弁護士連合会(日弁連)では、以前ご案内させていただいたとおり、下記シンポジウムを開催いたしましたので、ご報告させていただきます。

一 名称 核兵器禁止条約の早期発効を求めて〜核抑止論をどう克服する〜
二 主催 日本弁護士連合会(日弁連)
三 日時 二〇一八年(平成三〇年)六月一六日(土)
                 午後一時〜午後五時三〇分
四 場所 東京都千代田区霞が関一丁目一番三号
     弁護士会館二階 講堂「クレオ」BC
【本シンポジウムの目的】
 二〇一七年(平成二九年)七月七日、ニューヨーク国連本部の核兵器禁止条約交渉会議にて「核兵器禁止条約」(TPNW、Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)が採択されました。
 採択は投票参加国一二四カ国のうち、賛成一二二、反対一、棄権一の圧倒的多数の賛成によるものでした。「核兵器禁止条約」の交渉と採択にあたっては、二〇〇を超える国際NGOも会議に参加し、核兵器廃絶を訴えました。
 しかし残念ながら、原子爆弾の投下による被害を受けた唯一の戦争被爆国である日本は、この条約に参加していません。そこで核兵器禁止条約について、同条約の意義と内容を確認し、核不拡散条約との関係も考慮しつつ、核兵器禁止条約の採択(日本の署名・批准)に向けて何をなすべきか、核抑止論をどのように捉え、どのように克服するか、「核兵器のない世界」に向けて何をすべきかを検討するために、本シンポジウムを開催することといたしました。ちょうど六月一二日に米朝首脳会談が開催され、朝鮮半島の完全な非核化に取り組むべきことが確認されて間がない時期だったので、タイムリーなシンポジウムになりました。
【本シンポジウムの概要】
 本シンポジウムは、下記のとおり、基調講演、特別報告、ビデオメッセージ及びパネルディスカッションと盛りだくさんの内容になりました。
 基調講演では、山田寿則氏から、核兵器禁止条約について、意義と特徴を解説していただきました。核兵器禁止条約では「被爆者」の苦しみと害に留意する等として「被爆者」に触れている点、いかなる核使用も国際法に違反することを確認している点、禁止の範囲として「使用」だけでなく「使用するとの威嚇」まで含んでいる点について、解説していただきました。
 次に特別報告として、和田光弘氏から国連会議の第二会期中に、日弁連の代表として国連で発言を行ったこと、国連での発言において、禁止の範囲として「使用するとの威嚇」まで含めるよう求めたこと等の、報告をいただきました。また和田征子氏から、国連会議の第二会期中に核兵器禁止条約に対する被爆者の思いについて発言したことや、核兵器のない世界の実現のためローマ法王を訪問して面談した状況について、報告をいただきました。 
 特別報告の後、ビデオレターによるメッセージとして中満泉氏から、核兵器のない世界に向けた国連での取り組み、核兵器禁止条約を早期発効すべき必要性について、報告をいただきました。
 パネルディスカッションではパネリストとして、今西靖治氏、太田昌克氏、川崎哲氏、崔鳳泰氏及び金竜介氏に登壇いただき、核抑止論の是非と問題点、核兵器依存の実態をどう考えるか、核兵器禁止条約の意義、核兵器禁止条約と核不拡散条約(NPT)との関係、二〇二〇年のNPT再検討会議に向けた準備会合の状況、「賢人会議」の趣旨、韓国と北朝鮮との間でなされた「板門店宣言」に対する評価、六月一二日に行われた米朝首脳会談の評価、北東アジアの非核化に対する期待等について、熱心な議論が行われました。その上で、各パネリストから「核兵器のない世界」に向けて何を行うべきかの発言もいただきました。パネリスト各自の発言だけでなく、パネリスト相互の質疑応答も行われたので、各問題点について、より理解が深まりました。コーディネーターは自由法曹団の団員である大住広太団員と森一恵(筆者)が務めました。
 最後に山田寿則氏からパネルディスカッションを総括するコメントをいただきました。

一 基調講演
 核兵器禁止条約について
 山田寿則氏:明治大学法学部兼任講師
二 特別報告
(1)日本弁護士連合会(日弁連)の取組について
 和田光弘氏:日本弁護士連合会前副会長
(2)核兵器の被爆者の立場から
 和田征子氏:日本原水爆被害者団体協議会事務局次長
三 ビデオレターによるメッセージ
 中満 泉氏:国際連合(国連)事務次長
四 パネルディスカッション
(パネリスト)
今西靖治氏:外務省軍縮不拡散・科学部 軍備管理軍縮課長
太田昌克氏:共同通信社編集委員、早稲田大学・長崎大学客員教授
川崎 哲氏:ピースボート共同代表、ICAN国際運営委員
崔 鳳泰氏:韓国弁護士、大韓弁護士協会日帝被害者人権委員会委員長
金 竜介氏:弁護士、在日コリアン弁護士協会理事
(コメント)
山田寿則氏:明治大学法学部兼任講師
(コーディネーター)
大住広太団員(日弁連憲法問題対策本部幹事)
森 一恵(日弁連憲法問題対策本部委員)
【終わりに】
 日弁連として取り組むべきことは、唯一の戦争被爆国である日本政府、アメリカを含めた全ての核保有国及び核依存国に対し「核兵器禁止条約」(TPNW)の趣旨を真摯に受け止め、条約に加入するよう粘り強く働きかけることになります。ただし「核兵器禁止条約」に加入するために克服しなければならないのが、いわゆる「核抑止論」になります。
 今西靖治氏からは、日本政府が核兵器禁止条約に賛成できない理由として、核軍縮の人道的側面からは評価できるが、安全保障面からは評価できない、安全保障面からは「核抑止力」が重要であるという「核抑止論」に基づいた発言がなされています。「核抑止論」を克服するためには、「核抑止力」は安全保障には役立たないこと、むしろ率先して核廃絶をすることが真の安全保障につながることを、理論面で説得的に論証していかなければなりません。私は本シンポジウムで学んだことをもとに、「核抑止論」を克服するための理論面について、説得的な論証の仕方を構築することを今後の課題としていきます。


*五月集会特集*

プレ企画・新人弁護士学習会に参加して

熊本支部  石 黒 大 貴

 平成三〇年五月一九日昼過ぎ、私は鳥取県米子市にいました。熊本から片道約五時間。生まれて初めて鳥取の地に足を踏み入れた訳は、そう、五月集会のプレ企画「新人弁護士学習会」に参加するためです。
 新幹線の帰りの切符が券売機から出てこなかったというトラブルを米子駅にて解決するのに手こずり、送迎シャトルバスに乗り遅れてしまいましたが、タクシーを拾って何とかホテルに到着できました。
 会場に入ってみると見慣れた同期の顔がちらほら。そうか、これも五月集会の醍醐味なのだな・・・と感じつつ、席に着きます。
 講演は、岡邑祐樹団員の「倉敷民商弾圧事件〜未曾有の弾圧事件に弁護士はどう対処すべき(教訓も含めて)〜」、竹村和也団員の「労働組合とともに取り組む労働事件〜日本航空の一連の弁護団事件を担当して〜」、高木野衣団員の「原発避難者京都訴訟〜私たちが大切にしてきたもの〜」という三つがテーマ。
 岡邑団員から語っていただいたのは、事件を受けた当初、これが弾圧事件であると気付けなかったこと、弾圧事件と気付けていればより適切な事件処理ができたのではないかという教訓を交えたご経験でした。
 竹村団員からは、修習生の頃から関わられ、新人弁護士としてこの事件に集中して取り組まれてきたことを、エピソードを踏まえながら楽しくお話いただきました。
 高木団員の、現地の写真を交えながらの、故郷の喪失、避難指示地域といわゆる「自主避難」を余儀なくされた地域との不合理な線引きについてのお話は、多くの事件に見られる地域の人間関係の分断という、我々が全力で取り組まなければならない問題であると改めて感じました
 その後は、新人弁護士のグループを作って、それぞれが講師の団員の方々への質問タイム。
 特に新人は弁護団事件で仕事を多く振られることから「通常事件に対する時間の掛け方のバランスをどうするか」ということや「マスコミに広く事件を報じてもらうために報道関係者とどう繋がりを持つか」など多くの質問が寄せられました。
 個人的には、岡邑団員のアソシエイトからパートナーになった際の経営面での苦労を語っていただいたことは、今後経費を払っていく身として大変勉強になりました。
 五時に終了した新人弁護士学習会の後は、懇親会会場へ。
 美味しい料理のおかげでお酒がすすみ、二次会は同期と米子の街に繰り出します。「居酒屋北海」はいろんな意味で思い出の場所となりました。
 「二〇一八年 鳥取・米子五月集会」はプレ企画だけでも書くことが沢山あって、全体会や分科会について書ききれませんでしたが、参加して本当に良かったと思います。
 「よし、また月曜から頑張ろう!」。そう思った三日間でした。


労働分科会に参加して

東京支部  江 夏 大 樹

 二日目の労働分科会では、第一に、高プロが盛り込まれた働き方改革の一括法案の成立に反対する各地の取り組みやその工夫が討議され、第二に、各地で取り組まれている活動(大阪で取り組んでいる派遣のネット相談、無期転換の路上相談等)や事件の報告がされた。
 高プロを阻止するための方策について、東京の鷲見団員が、データの異常性に着目すべきであるとして、討議の口火を切った。異常値と指摘されるものの具体例は、「一日の残業時間が四〇時間」になるなど、一見して明らかな異常数値であるが、このような異常値に至らないものでも、誤った数値が散見されている。データ全体の信用性を切り口として、高プロの成立阻止に取り組むことも一つの重要な突破口である。
 大阪の鎌田団員は、日々取り組んでいる街頭宣伝を通じて、データ捏造問題、過労自殺の隠蔽問題を訴え、労働者の置かれた厳しい実態を訴えることの重要性、加えて、職場からの突き上げるような立法運動が必要であることを話された。私たち若手の模範となる取り組みの報告であった。この他にも、労働分科会での大阪の団員の活発な活動の報告がなされ、大阪での地道な取り組みに刺激を受けた。
 事件活動報告では、労契法二〇条裁判等、報告があったが、とりわけ、感銘を受けたのが、神奈川の川岸団員によるグリーンディスプレイ事件の報告である。
 この事件は、二四歳の青年が、長時間不規則労働と二二時間勤務の末に帰宅途中に単独バイク事故を起こし死亡したことにつき、会社に損害賠償を求める事件である。通勤災害において、会社への責任追及は、一筋縄にいかないものであるが、この事件では、弁護団と支援者の取り組みによって、裁判所が被災者及び遺族に寄り添う内容の和解勧告を公開の法廷で行った(勧告の内容は報告集一二三ページ参照)。 
 原告とその弁護団の必死の訴えと支援者の結集が、世論を動かし、裁判所を動かす。まさに、理想となる事件解決のありようであると感じた。
 翌日には、東京の小部団員に連れられ「伯耆(ほうき)富士」とも呼ばれる大山に登ってきた。確かに、富士山似のフォルムであるが、頂上までは難なく着いた。次の団総会は福岡・北九州だが、近くに良い山はあるのだろうか。


二〇一八年米子五月集会一泊旅行
その三「五月集会前の乗り鉄紀行と鉄道政策」(上)

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 前日の乗り鉄の始まりと「暗夜行路」
 五月一九日、続百名城に指定された米子城を見てから、米子駅を起点として山陰本線で伯耆大山駅に向う。
 車中で、志賀直哉の「暗夜行路」を取り出す。日本文学史上白眉といわれる、時任謙作が大山の地に立ったときの大自然の描写を読む。「なんだ、これは、幻覚か」。「臨死体験」?「幽体離脱」もあるのか。それとも志賀直哉の言葉の遊びなのか。
時任謙作の兄は謙作の出生の秘密をばらすなど余計なことをしたものだ。
二 木次線と砂の器
 伯備線で、伯耆大山から備中神代まで行き、そこで芸備線に乗り換える。さらに、備後落合で松本清張の「砂の器」に出てくる木次線に乗る。客は二人しか乗っていない。一見して鉄道マニアだ。転車台もある。
 夏草や(初夏ですが)
 つわものどもが(鉄道員・ぽっぽ屋)
 夢のあと
 砂の器の今西刑事は容疑者の本籍地である石川県江沼郡山中町を目指して、東京駅から夜の九時四〇分発の夜行列車に自費(妻のへそくり)で乗る。関ケ原あたりで夜が明けた。米原で北陸本線に乗換える。北陸本線の「大聖寺駅」に翌日の午前(ヒルマエ)に着いたという。そこから電車に乗った。この電車は、一九七一年に廃線となった北陸鉄道山中線と思われる。今西刑事は、奥さんにせがまれた土産として帯留めを買って帰った。
 なお、新潮文庫「砂の器」下巻平成一六年八九刷の四〇八頁以下に、容疑者の出自、戸籍を使った他人へのなりすまし、犯行の動機、犯行態様、証拠隠滅工作についての纏まった記載がある。初読、再読の場合には、この部分をしっかり読み頭に入れたうえで、倒叙推理小説のつもりで、任意の部分から読み始めると、「砂の器」は楽しめる小説ではないでしょうか。私見、「砂の器」は推理小説としては二流か。
三 亀嵩駅と木次線の今 
 私が乗った気動車は、野村芳太郎によって映画化された「砂の器」の亀嵩の駅に停まる。あの父と子が駆け寄って抱き合う場面の駅だ。民間に管理が委託された駅舎では、年配の複数人が何か食べている。老人会の昼食会か。でも、よく見ると二十代の者もいる。あっ、これが、ハーベスト出版発行の「木次線ローカルガイド」に出ている「扇屋そば」なのか。私も食べてみたかった。でも。いったん下車した場合に、次の列車が来る時刻を考えると断念するほかはなかった。
 次に、車両は木次線の出雲三成駅に近づく。車窓から町が見える。それまでの木次線沿線は、家があっても、集落にすぎなかった。限界集落かもしれない。放置された廃屋もあった。さすが、本署三成署がある町はそれなりの町だ。亀嵩は殺された元警察官が執務していた駐在所があったにすぎない。亀嵩の駅からいなくなったあの少年の面影をとどめた成人に、元警察官が懐かしさのあまり会いに行くなどという余計なことをしなければ皆幸せになれたのに。(続)


四〇年越しのジャンダルム(四)

神奈川支部  中 野 直 樹

三一六三mの頂
 ジャンダルムの頭頂部は一〇人ほど立てる広さがあった。名と標高を書き込んだ木板が置かれていた。その脇に、金属製の支柱に帽子を被った天使の像を象った金属板が取付けられたものが立てられていた。風雪に耐えてきたものだった。いったい誰がどういう趣旨で持ち込んだものだろうか。浅野さんによると国立公園内の山頂に登頂記念の持参ボードなどを設置すると管理事務所から撤去通告を受けることもあるらしい。そういえば〇八年一〇月、安達太郎山に登ったとき、「京都第一法律事務所・浅野則明」と名乗った登頂記念の「カンバン」が安置されていた。
 ジャンダルムの頂きから北の正面に青空を背負って座る奥穂高岳を眺めた。二〇歳のとき大学の同クラスの山友とあの奥穂高岳に立ってこちらを眺めたときにタイムスリップした。あのとき、彼方から此方の険しい稜線を見つめながら、行くか行くまいかを友と議論をしたことを思い出した。この友は三〇歳代で早世した。山を縦走する魅力を教えてくれたこの友に感謝と追悼の言葉を心につぶやいた。
山を選ぶ
 物事の優劣をつけたり、選んだりするときの区切りとなる数字として使われることが多いのは、一、三、八、そして百であろうか。深田久弥氏は、戦前から「日本百名山」を選ぶことを思いつき山岳雑誌に連載開始(二五座で廃刊)、戦後も志を継いで、還暦の年にそれを完成したと書いておられる。これがバイブルとなり山愛好家の目標となっている。
 プロアドベンチャーレーサー田中陽希氏が二〇一四年、グレートトラバース「日本百名山ひと筆書き」に挑戦し、これがNHKの映像で全国に届けられ、山に行かない方も山の雄大さと美しさに魅せられることとなった。田中氏は一五年「日本二百名山ひと筆書き」を成し遂げ、そして今年「日本三百名山」に挑戦中である。この「日本三百名山」は一九七八年に日本山学会が二百を加えて選定したものである。選定する数字としては中途半端な「二百名山」は深田氏のファンクラブが八四年に深田氏の百の最終選考から外れた四六座に新たに五四座を加えて選定したという。
 「日本百高山」という選定もある。山と渓谷社が標高ベスト一〇〇を選んだものだ。ほとんどが北・中央・南アルプス、八ヶ岳の派閥に属しているが、富士山、御嶽山、白山が孤高を誇っている。
 「日本の山三〇〇〇m峰」という指標もあり、二一座が取り上げられている。今立っているジャンダルムは槍ヶ岳に続く六番目の高峰であるが、この二一座には数えられていない。すぐ側に三一九〇m、銅メダルの奥穂高岳が主峰とされていることがその理由だそうだ。同じ理由でランキングから外れて日陰ものとなっている頂と稜線を含め、私はこのジャンダルムの稜線歩きで三千mの高み完歩を達成する記念日となった。
ロバの耳
 いったん、登ったルートを忠実に下り、ジャンダルム右側の上高地側をへつりながら巻いた。足の下は切れ落ちているのでついつい岩肌にへばりつきたくなる心理となるが、これに抗して重心軸を保つ。ジャンダルムの向こう側の壁は衝立の如くであり、ペンキで×が記されていた。
 次は、三角錐のような壁を最初は直登、続いて岩の割れ目を下って上高地側の壁に取り付いた。下りで、両手で岩角をホールドしながら次の足を置く位置を探すが、ペンキ印があるところまで足が届かない。その途中は危険な岩屑だった。身体と岩盤のすき間からわずかに見えるところに一瞬足を預けられるポイントを探し、右足と左足の位置を入れ替え、浮き石の動きに気をつけながら、三点確保の位置を少しずつずらしようやく安定した地に足を置くことができ、息を詰めた緊張が解けた。この箇所はやばかった。
 そこから今度は飛騨側に移り、岩場のテラスのようなところを慎重に進むと、薄くガスに巻かれたロバの耳の壁が眼前に立った。飛騨側をペンキ印に導かれながら登り、耳の先端の下を巻いて最後は鎖を手にして岩壁を下った。浅野さんが〇九年九月に奥穂高にのぼったときロバの耳の中途に赤いヘリコプターの残骸が残っているのを目撃し、そのときに撮った写真を送ってきていた。これは九月一一日、今私たちが辿っているルートで遭難した登山者を救助していた岐阜県防災航空隊のヘリが墜落し、三名が亡くなられるという痛ましい事故の痕だった。きびしい美しさに魅せられたがゆえにこの地で永眠された数多くの登山者とともに殉職された方々の魂よ鎮まれの思いだった。
最後の難所・馬の背渡り
 奥穂高岳が間近に迫った。まだ気が抜けない。午後三時、白いペンキで「ウマノセ」と書かれた取り付きから尾根登りとなった。尾根といっても、右も左もすっぽりと切れ落ちた刃の先のような岩場だ。ガスに覆われたため目先しか見えないことが幸いして集中できる。もし視界を遮るものがないと高所感からいろんなことを考えてしまうだろう。そして、登りだから、手をかけるべき岩角、足を置くべき岩の割れ目がみえるからまだいい。下りは絶対に御免こうむる。
 二〇分後、奥穂高岳山頂に着いた。そこに重太郎新道を登ってきたガイド付の大阪の女性二人が着いた。うち一人は六九歳で九七番目の百名山登頂。ここにたどり着くまでの人生あれこれを語っておられた。残りは、草津白根山、五竜岳、光岳だそうだ。
 沸き上がるガスの切れ間からジャンダルムのドームが浮かび、すぐ消えた。私たちはようやく二本足だけで移動しながら、穂高岳山荘に向かった。(終)