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笹山 尚人 DNPファイン解雇・偽装請負争議の解決
平山 正和
辰巳 創史
泉大津コンビニ強盗冤罪事件の顛末
飯田 美弥子 セクハラ問題を考える
藤本 智恵 *五月集会特集*
「鳥取五月集会・プレ企画新人学習会」の
ご報告と感想
小林 展大 憲法・平和分科会Aに参加しての感想
伊藤 嘉章 二〇一八年米子五月集会一泊旅行
その三「五月集会前の乗り鉄紀行と鉄道政策」(下)



DNPファイン解雇・偽装請負争議の解決

東京支部  笹 山 尚 人

一 組合の声明
 「DNPファイン解雇・偽装請負争議」が、二〇一八年六月六日、東京都労働委員会における和解によって解決しました。森事務局長から是非にとのことだったので、報告します。
 まずは事案の紹介、また争議解決の評価について、全国印刷出版産業労働組合総連合会(全印総連)と、同東京地方連合会(以下、この二つをあわせて「組合」といいます。)が六月六日に発表した声明をもって紹介します。
 「九年にわたる「DNPファイン解雇・偽装請負争議」が、二〇一八年六月六日、東京都労働委員会にて和解が成立しました。長年にわたり物心両面のご支援を頂いたすべての組合、争議団、労働者の仲間の皆さんに、心よりお礼申し上げます。
 リーマンショック後の二〇〇九年、橋場さんは、鰍cNPファインエレクトロニクス(大日本印刷久喜工場内)で請負契約として働いていましたが、業績不振を理由に解雇されました。その後、自らの働き方が二重偽装請負という違法状態にあったことを知り、さいたま地裁に対して、DNPファインへ雇用の地位確認と損害賠償を求めて提訴しました。
 さいたま地裁では、五年有余、二七回に及ぶ裁判でした。しかし、職業安定法四四条違反、労働基準法六条違反の二重偽装請負の事実を認めながら、地位確認と損害賠償が退けられたことから、東京高裁に控訴しました。東京高裁の判決は、橋場さんの主張を退け、被告の主張を採用し、さいたま地裁が具体的事実によって認めた二重偽装請負の事実を棄却する極めて不当な判決でした。その後最高裁に上告しましたが、さらに不当な棄却の決定で裁判闘争は終結せざるを得ませんでした。
 全印総連では、協議の場を確保する、との方針で上告棄却の判断が出る前に、東京都労働委員会に対して、大日本印刷とDNPファインの二社の団交拒否による不当労働行為救済の申し立てを行い、話し合いによるこの争議の解決を目指してきました。
 都労委申立てから二年が経過し、この度六月六日、都労委の和解案を双方が受け入れ、「DNPファイン解雇・偽装請負争議」を終結することになりました。
 たった一人で闘いに立ち上がり、長期の闘いを続けてきた橋場さんの不屈な頑張りに敬意を表します。そして、さいたま地裁、東京高裁、都労委への傍聴、MIC及び全労連・東京地評の争議支援総行動での社前要請行動、五回にわたる大日本印刷本社包囲デモへの参加、勝たせる会を通じてのカンパなど、九年の長きにわたって全力でこの争議に寄り添い、物心両面で支援して頂いたすべての仲間の皆さんのご支援に改めて感謝いたします。ありがとうございました。」
二 争議に関わってきた経緯
(一)この和解に立ち会った弁護団は、井上幸夫団員と私でした。
 私たちは、この争議に、二〇一五年冬、最高裁段階から弁護団に加入しました。もともとは、竪十萌子団員をはじめ、埼玉の団員の弁護団が担当されてきました。
 当事者の橋場恒幸さんは、二重の偽装請負のもと、人材派遣会社に雇用され、DNPファインの指揮に基づき約四年に渡って就労しました。二〇〇九年に雇用を打ち切られ、DNPファインへの地位確認を求めてたたかいに立ち上がったのです。
 このたたかいは、リーマンショック後の大量の「派遣切り」に対するカウンター争議が二〇〇九年以降大量に提起され、担当した団員も多いことと思います。私も五件ほど担当しました。お話があった一五年段階では、それらの争議もすべて終結しており、正直、まだ終わっていない争議があるのかとの感慨を覚えました。
(二)最高裁が厳しいたたかいとなることを見据え、組合は、会社と解決のための協議を模索していましたが、会社は組合との交渉に応じる気配がありませんでした。そこで組合からの依頼に基づき、私たちは都労委に団体交渉拒否の不当労働行為救済を申立てることとしました。申立を行ったのは、二〇一六年五月。竪団員が産休育休に入るということなので、井上団員と私のみでこの手続きを担当しました。
(三)手続きの当初は、書面の作成、審問を主に私が担当しました。
 竪団員から訴訟の記録を借りて検討したところ、竪団員はじめ高裁までの訴訟の弁護団は、実に緻密に、主張も証拠も提出していました。逆に、これほどの主張立証を尽くしても、東京高裁は偽装請負の実態すら認定しなかったのだと思い愕然としました。
 しかしこれらの証拠に基づきながら、都労委においても偽装請負の実態があったこと、DNPファインがそこに大きく関わっていたこと、その親会社である大日本印刷の責任もあることを明らかにしました。
(四)審問が終了した二〇一七年秋から、都労委において和解協議が開始されました。
 和解条件について、会社との間で何度も折衝が重ねられました。この場面では、井上団員の粘り強い尽力で、和解条件がひとつひとつ、つめられていきました。
 和解に当たっては、組合の意見、支援者の意見、そして何より橋場さんの意見をどうまとめるかということも課題でした。長い争議です。たくさん関わってきた人たちがいます。彼らにはそれぞれ意見がある。何度も何度も、話し合いを重ねました。会議終了後の居酒屋でも、議論は続きました。(笑)
三 ご苦労様でした。
 和解は、こうした経緯を踏まえて、ようやく成立しました。争議開始から約一〇年。私が関わった期間は二年ですが、万感胸に迫るものでした。
 和解内容は、非公開となっているため紹介することができません。ただ、地裁から最高裁まで、一貫して敗訴し続けた事案としては、極めて高い水準である、とだけは言っておきたいと思います。
 ここまでこぎつけた、橋場さんの熱意と力、組合、支援者の力に、そして苦しく厳しい裁判のたたかいをやり抜いた竪団員をはじめとした原始弁護団の尽力に、心から敬意を表したいと思います。
 井上団員と、私については…、厳しい和解をまとめるのに、本当に良いチームでした!自分たちで、自分たちを、褒めたいと思います。(笑)


泉大津コンビニ強盗冤罪事件の顛末

大阪支部  平 山 正 和
大阪支部  辰 巳 創 史

一 事案の概要
 本件は、二〇一二年六月一六日午前二時三一分ころ、犯人が、泉大津市所在のコンビニエンスストアで、商品の購入を装って代金を支払い、応対した店員がレジスターを開けた隙に、店員ともみあってレジスターから現金一万円をつかみ取ったという事件であり、事件から二か月近く経過して被害店の近くに両親と住んでいた当時二一歳のAさんが強盗罪の被疑事実で逮捕されました。
 Aさんは、逮捕当初から事件について否認し、両親からの依頼で接見した平山正和弁護士の指導で取調べに対して黙秘を貫きました。
 同年八月二八日、Aさんは否認したまま窃盗罪で起訴されました。
二 裁判の経過
 検察官が、Aさんが犯人であるとする証拠は、@応対したコンビニエンスストアの店員が写真面割によってAさんが犯人と指示したこと、A防犯カメラの映像で録画された犯人の映像とAさんとが似ていること、BAさんの指紋がコンビニエンスストア出入口自動ドアの外側のガラス面から採取されたことです。
 事件から二か月近く経過していましたが、両親とAさんや友人の電話やメールの履歴、携帯電話の写真などから、事件の前日である六月一五日の夜から友人が自宅に泊まりで遊びに来て、事件当時は、友人と共にAさんの部屋でサッカーの試合をテレビで見ており、アリバイがあることが、公判当初には解明されました。
 しかし、自動ドアのガラスにAさんの指紋が付着していた理由については、Aさんや弁護人には起訴直後はわからず、「指紋の謎」を解明しなければなりませんでした。検察官は当初、店内の防犯カメラの映像の犯行時の写真を開示しただけで、押収したDVDを開示せず隠蔽していました。起訴後に弁護人が開示請求をした結果、検察官は渋々DVDを開示しました。その中に、別の機会にAさんが指紋の位置を触った映像があるはずだと、祈る思いで、母親が寝食を忘れて長大な映像を探し続けて、ついに事件の五日前である六月一一日に、Aさんが入店の際に指紋の検出場所と完全に一致する自動ドアのガラス面に指を押し付けている映像を発見し、指紋の謎が解けました。この映像を見つけた両親もAさんも泣いて喜びました。
 しかも、防犯カメラの映像を仔細に分析すれば、逃走の際の犯人の体勢や盗った一万円札を握っていたことから、犯人の指紋が付着することは不可能でした。
 アリバイと指紋付着の真相、映像分析などにより、冤罪であることは明々白々の事件でした。論告直前には、担当検察官は追い込まれて、弁護人に無罪の論告もあり得る旨伝えてきたにもかかわらず、検察官は説得力のない有罪の論告をしましたが、二〇一四年七月八日、裁判所は、Aさんに無罪の判決を言い渡し、判決は確定しました。
 この間、公判は一六回を数え、Aさんは、二年の長きにわたって被告人の地位に置かれ続けただけでなく、保釈許可決定を受け釈放されるまで、三〇二日間の身体拘束を受けました。一旦、逮捕したからには過ちを正そうとせず、証拠を隠蔽し、噴飯ものの証拠を創ってまで有罪にしようとする警察、検察の恐るべき体質、捜査能力の劣化と無責任さが露呈しています。
三 国家賠償請求
 無罪判決直後、Aさんは警察・検察に対し、謝罪を求めましたが、なしのつぶてで一切謝罪はありませんでした。そこで、Aさんは、国家賠償請求訴訟を提起しました。お金が欲しいのではなく、警察・検察に謝ってほしい、冤罪を生んだ原因を解明して、二度と冤罪を起こさないでほしいとの思いからです。
 捜査、起訴、公判遂行の過失を明らかにするために、担当した検察官二名、警察官二名の人証申請をしました。しかし、大阪地裁、大阪高裁、最高裁は、驚くべきことに上記の証人を一人も採用しないままに請求を棄却しました。「絶望の裁判所」を脱せよと強く主張しましたが、馬耳東風でした。
四 NHK再現ドラマ「逆転人生」
 NHKが、この事件を取り上げたドラマ「逆転人生」を製作し、五月、六月の二度にわたり放映しました。「感動した」「驚いた」「怖い」「黙秘権の重要性が分かった」「裁判所は何故賠償を認めないのだ」などの感想がNHKや我が事務所に多くよせられました。Aさんは、冤罪により一度は目標としていたミュージシャンの道を断たれました。しかし、再起して、今も働きながら仲間と一緒に音楽活動を行っています。しかも、自分と同じような冤罪被害者が二度と出ないようにとの思いから、冤罪をテーマにした音楽イベントを主催したり、弁護士会等の集会に招かれて冤罪被害者として発言したり、国民救援会に入会し、地元救援会泉大津支部の事務局長として活動するまでになりました。「逆転人生」そのものです。ここまでは再現していませんが、NHKとしては頑張って製作したものと評価できます。
 「逆転人生」をみて、石川元也弁護士から質問がありました。質問に答えていくつかの問題を指摘します。
・刑訴法二八一条四の開示証拠の目的外使用
 ドラマに、防犯カメラの、犯人がガラス戸から逃走する際の映像とAさんが五日前にガラス戸に触った映像が生で放映された。この映像により迫真性のあるドラマになっている。この映像をみて、冤罪は明らかではないかとの声が寄せられた。これまでも本件がニュースで報道された際に、記者から防犯カメラの映像の提供を求められたが、この規定があるために不本意ながら提供をしなかった。国家賠償請求訴訟において、原告が防犯カメラの映像を含む検察官開示証拠を書証として提出したところ、国代理人がこの規定を根拠に証拠とすることに強く異議を述べた。裁判官の妥協的提案により国代理人がDVDを含む証拠を全て提出することで処理した。民事訴訟で提出されたものだから刑訴法の規定に該当しないと考えられ問題はない。そもそも、刑訴法のこの規定は公益性の観点からして削除するか修正すべき不当な条項である。
・勾留が三〇二日に及んだこと
 アリバイ証拠がそろい、指紋の謎が解明された後、無罪、冤罪を主張して公判のたびに保釈請求、接見禁止取消請求をしたが、裁判所は証拠隠滅の恐れを理由にことごとく却下し、抗告も退けた。一万円の窃盗に落として起訴した事件であるから、認めれば直ちに保釈し、執行猶予のつく事案である。否認し、争えば、事案の実態を無視した長期の勾留をし続けるという、裁判官、検察官の懲罰的かつ人質刑事司法の実態を如実に露呈した。
・黙秘と自白
 執行猶予確実の事案であるから、自白すればすぐに出られると言われ、密室で自白を強要されれば、自白させられる恐れは極めて強い。「逆転人生」の再現とおり、飴と暴言の取調べに耐えるのは至難のことである。一旦しゃべると自白に追い込まれる。Aさんが弁護人の指導にしたがって、黙秘権を理解し、留置場で読書をし、イラストや詩を書いて黙秘を貫いて捜査側に一切の情報を渡さなかったことが、冤罪をはらす結果につながった。


セクハラ問題を考える

東京支部  飯 田 美 弥 子

一 今朝のニュース
 この原稿を書いている六月二二日朝、バーガーキングのロシア店が、当地で開催中のサッカーワールドカップ出場選手の子どもを妊娠した女性には日本円にして五二〇万円相当の報奨金とハンバーガーを生涯無料で食べられる権利を与える、という広告をし、非難が殺到して撤回した、というテレビ報道を見た。同店は、その「子ども」は、将来、サッカーロシアチームを勝利に導くに違いない、と目論んだらしい。
 ロシアでも、女性が優勢な遺伝子を残す道具とみられているのか、と愕然した。
二 セクハラに抗議する行動
 日本では、テレビ朝日の女性記者に対する福田前財務事務次官のセクハラ発言と、それを擁護する麻生財務大臣、その他自民党議員らの発言に対して、女性たちの抗議行動が数多く組まれた。
 八王子でも、五月一三日には「怒りのつどい」が行われ、清水秀子都議、青柳ゆきこ市議とともに私も麻生大臣の発言が法的には全くトンチンカンなものであることを、報告した。
 六月六日には新日本婦人の会の有志と、萩生田光一衆院議員の地元事務所を訪問。同人の「赤ちゃんにはママが一番いい」との発言や「子どもは三人以上生むように勧めている」という加藤衆院議員の発言の撤回を求める申し入れをした。
 六月九日には八王子駅北口で、緊急の抗議行動が行われ、四〇人が集って、それぞれが受けたセクハラ体験(伊藤セツ先生は「三人も子どもを生むのか」と嫌味を言われた、という)をこもごも語った。男性からの発言もあった。
 六月二〇日は、セクハラ問題の学習会が開催され、私が法的な解説をし、狛江市のセクハラ市長を辞任に追い込んだ同市の新日本婦人の会の支部長さんが運動の実態を語った。男性の参加者もあり、発言もあった
三 セクハラは発展途上の概念(1)
 日本において、女性を徹底的に無権利にしたのは、明治憲法といえる。
 明治憲法によって、天皇は男性に限る、とされた。それ以前は女帝もいたのに、である。
 民法で、妻は無能力とされ、家庭での発言権は奪われ、家督相続の権利からも排除された。嫁入り婚が原則となり、夫婦同姓が強制された。もっぱら夫と子どもの世話や家事を担う「主婦」という役割が与えられ、「母性本能」という訳語が当然視されるようになる。萩生田議員が今も信奉する「母性」神話はこのときのものと言える。
 刑法では妻だけが姦通罪で処罰の対象とされ、また、強姦の保護法益も「貞操の侵害」と観念された。すなわち、一人の男性にだけ捧げるべき操を、他の男性が暴力的に奪うことが犯罪とされていた。貞淑な女性への同情が厚いのと対照的に、「貞操観念の希薄な女性」(尻軽な?女性)の保護法益は低く扱われがちだった。
 男性は強い兵士に、女性は銃後の備えを担うというジェンダー体制が、私たちの意識の中にも強く刷り込まれるのは避けようのない時代だった。
四 セクハラは発展途上の概念(2)
 日本国憲法で、男女平等とされてから、女性たちは、一つ一つそのジェンダー体制を是正させていった。
 三五歳若年定年制、出産退職規定が、裁判によって違法であり無効とされた。裁判でパート労働者の賃金格差を是正させたのも、女性労働者だった。
 セクシャルハラスメントという訳語が初めて日本に紹介されたのは、一九八八年一〇月のこと。三多摩の女性の会の功績だ。
 今、「♯me too」として世界中で告発運動がなされている性的嫌がらせや性暴力の被害も、「PTSD」や「トラウマ」という概念が一般化するまでは、「減るもんじゃなし」というような言葉で軽視される傾向にあった。
 そして、被侵害利益は、ほかでもない、その人の「性的人格権」「性的自己決定権」だということが、やっと認識されてきたのだ。
 弁護士会では、先ごろ、「両性の平等委員会」という呼称を「性の平等委員会」と改めた。男女だけでない性もあることに思い至ったことによる。
 このように、セクハラの考え方はまだまだ発展途上であり、麻生大臣や萩生田議員はまだ明治憲法の世界に生きていると言わなければならないだろう。
 福田前事務次官や狛江前市長は、よもやセクハラ如きで辞任することになろうとは考えもしなかったはずだ。
五 セクハラは人権問題
 このように、各人の意識に大きな差があるのは事実である。
 学習会参加者の中にも、娘がセクハラに遭いながらも会社の適切な対応で勤め続けることができた、私が相談を受けていたら「そんなこと昔からあったわよ」と我慢させてしまったかもしれない、という発言もあった。
 すぐには解消されないにしても、ここまで進んできた平等への歩みを後戻りさせることはできまい。
 女性たちよ、勇気を出して、声をあげよう!


*五月集会特集*

「鳥取五月集会・プレ企画新人学習会」の
ご報告と感想

福岡支部  藤 本 智 恵

 平成三〇年五月一九日(土)、自由法曹団の五月集会・プレ企画新人学習会が鳥取で開催され、参加しましたので、ご報告をさせていただきます。
一 プレ企画(新人弁護士学習会)
 例年と同じく、今年度も五月一九日(土)から五月二二日(月)にかけて自由法曹団の五月集会・プレ企画新人学習会が開催されました。
 プレ企画では、六〇期代の先輩弁護士から、新人だった時に携わった弁護団活動やその活動と一般業務、私生活との両立についてのお話を聞きました。仕事を始めて五か月が経ち、分からないままに日々の業務も増えるなかで、弁護団活動等も両立させたいと考える私にとって非常に参考になりました。
 プレ懇親会では、アメリカで平和と人権のために活動されるNLG(National Lawyers Guild)のメンバーの方からの挨拶がありました。恥ずかしながら、私は、それまでNLGの存在を知りませんでした。トランプ政権ばかりが多く話題にあがるなかで、アメリカで平和のために活動されている方が多くいることを知り、とても心強く感じました。
二 労働・格差・貧困分科会、特別企画
 五月二〇日の分科会は、労働・格差・貧困分科会に参加しました。講師は、ネット記事等を書かれるジャーナリストの藤田和恵氏でした。藤田氏が、講演の中で言った、弱い立場にあり、発言の回路を持っていない人々の声を伝えるために記事を書いているという言葉がとても印象的でした。弱い立場に立たされてしまった人の法的救済を行っている弁護士と多く共通する点があるように感じました。
 懇親会後、給費制特別企画に参加させていただきました。私は、所属する福岡県弁護士会で給費制対策本部に所属していることから、この問題について関心がありました。給費制問題に関する各地の団員の取り組みや当事者である若手会員が積極的にこの問題に取り組めていない状況を議論しました。
三 労働分科会
 五月二一日は、労働分科会に参加しました。分科会では、各地の団員の労働法制改悪阻止に向けた取り組みや、労働問題における裁判闘争についての状況を聞きました。私も三〇〇〇万署名や労働法制に反対する街頭宣伝等に参加をしていますが、他の地域では、毎週または朝早くから街頭宣伝をされていることを知り、まだまだ頑張りが足りないと思わされました。また、分科会で、派遣ネット相談という取り組みをされていることを知り、私も登録させていただきました。私の所属する福岡県弁護士会では、当相談に登録されている方が多くはありません。この場を借りて派遣ネット相談への登録を宣伝させていただければと思います。
 分科会は、興味のある分野がとても多く、参加した分科会以外のものを聞くことができなかったのが少し残念ではありました。
四 おわりに
 五月集会の開催のために尽力してくださった方々、貴重なお時間を割いて参加していただいた方々のお力のもとで今年度の五月集会が無事に開催されたと感じております。
 新入団員としては、諸先輩方と親交を深めることができる貴重な機会を与えていただいたと思っています。また、各地で人権活動や弁護団活動に取り組まれる新人団員の方と知り合うことができました。新入団員の方達と三日間をともに過ごして、仕事のことや弁護団活動等について話すことができ、非常に刺激を受けました。
 学ぶことが多かった今年度の五月集会の開催に心から感謝するとともに、次年度からも積極的に参加していくことができればと思います。


憲法・平和分科会Aに参加しての感想

神奈川支部  小 林 展 大

 自由法曹団鳥取・米子五月集会では、私は憲法・平和分科会Aに参加した。
 一日目の憲法・分科会Aでは、署名・デモの効果、憲法学習会についての報告、国民投票法の問題等の報告があった。二日目の憲法・平和分科会Aでは、神奈川支部における駅の自由通路、ペデストリアンデッキにおけるビラ配布・街頭宣伝活動等を規制する看板撤去についての報告があり、私も後述のようにその看板撤去に関わったこともあり、どうしてもその看板撤去について書きたくなったので、看板撤去の経緯と私の感想を書くこととしたい。
 既にご存知のとおり、自由法曹団神奈川支部は、駅の自由通路、ペデストリアンデッキにおいて、ビラ配布・街頭宣伝活動等を規制している法的根拠を地方自治体や警察に問い合わせた。そうすると、根拠はなかったとして、上記看板が次々と撤去された。
 私は、川崎駅の看板撤去を担当した。川崎駅の看板撤去の経緯は次のとおりである。
 川崎駅東口自由通路には「当該通路において許可なく次の行為を禁じます。1.販売・配布 2.勧誘・演説 3.その他通路の秩序を乱す行為 川崎市・JR川崎駅」という看板が設置されていた。
 そこで、川崎市の担当者に問い合わせて、確認してもらったところ、そのような看板は見当たらなかったとの回答があった。嘘だと思った私は、その直後に川崎駅東口自由通路に向かうと、やはり上記看板が設置されたままであった。そして、後日、再び上記看板の設置場所を図示した上で撤去を求めると、川崎市の担当者から、上記看板を見落としていた、上記看板を剥がそうとしたのだが、剥がれなかったので、「配布」と「演説」のところにテープを貼って禁止の対象から除外したとの回答があった。このようにして、川崎駅東口自由通路における上記看板を撤去(個人的には撤去という表現が正しいのか疑問はあるが)させることができた。
 駅の自由通路、ペデストリアンデッキにおけるビラ配布、街頭宣伝活動等を規制することは、表現の自由という基本的人権との関係で問題が生じないかという検討をすることなく、上記看板を設置するに至ったというのは私には信じがたいことである。地方自治体、警察としては根拠なく基本的人権を規制することになるという認識がなかったのであろう。基本的人権がいかに軽視されているかを端的に示す例ではないだろうか。
 今回、駅の自由通路、ペデストリアンデッキという日常生活において訪れる場所でも憲法上の問題に触れることができる事例があったので、他にも日常生活において憲法上の問題になりそうなものがないか、目を向けてみたいと思う。そして、さらなる基本的人権の擁護、社会正義の実現(弁護士法一条一項)を目指したい。


二〇一八年米子五月集会一泊旅行
その三「五月集会前の乗り鉄紀行と鉄道政策」(下)

東京支部  伊 藤 嘉 章

四 新幹線開業の光と影
 東京から北陸本線の大聖寺駅に行くには、今では、東京発六時一六分の北陸新幹線「かがやき」に乗れば、金沢駅に八時四六分に着く。そして、北陸本線に乗り換えて、大聖寺駅には一〇時三二分につく。あるいは、羽田空港から七時五五分発のJALに乗り、小松空港からバス、電車を乗り継げば、やはり大聖寺駅には一〇時三二分に到着する。北陸新幹線が金沢から西に延伸されれば、大聖寺駅のひとつ東の新幹線の予定駅である加賀温泉駅までは、さらに時間短縮となる。
 北陸新幹線が全線開通すれば、北陸方面と京都、大阪間の移動時間が短縮され、経済的一体性が深まる。さらに関西空港まで延長すれば、北陸方面にハブ空港を作ったのと同じ便益が生じてくる。また、四国新幹線を作り、紀淡連絡橋を通して関空まで結べば、四国にもハブ空港ができたと同じことになる。滑走路の増幅も必要となろう。さらに、豊予連絡橋を通過しこれから作る九州東部新幹線と結べば四国と九州の一体化が可能となる。
 しかし、北陸新幹線の全線開通によって、北陸本線の金沢と敦賀間並びに小浜線の敦賀と小浜間は、JRから切り離されてしまう。切り離されたうちの石川県部分は、既存の三セクのIRいしかわ鉄道と接続して延伸され、福井県部分は、若狭越前鉄道(仮称)として、それぞれ第三セクターとして地元の自治体に押し付けられる。「特急しらさぎ」も「特急サンダーバード」も廃止され、現在の特急停車駅の越前人形で有名な「武生」も、眼鏡で有名な「鯖江」も各駅停車しか停まらないおちぶれた駅になってしまう。
五 在来線の必要性と上下分離について
 新幹線にかぎらず、鉄道建設の用地買収費、レール、橋梁、トンネル、駅舎等の下部(インフラ)の築造費(金利負担も加わることが多い)並びにメンテナンス費用に加えて上部(運行・運営)の経費のすべてを運賃でまかなうほどに収益をあげることのできる路線は数少ない。
 国鉄の赤字の多くは、赤字ローカル線の運行によるものではなく、新幹線の築造をはじめ、在来線の輸送力増強のための電化、複線化の費用、新型車両の投入について、国は、鉄道債券の保証人になるだけで、資本の支出をしてこなかったことによるものである。
 いまでは、全国新幹線鉄道整備法によれば、整備費の三分の二を国が、三分の一を該当地の都道府県が負担することになっている。これを杓子定規に運用すると、新鳥栖と武雄温泉間の長崎新幹線のフル規格の費用を佐賀県が出し渋るということも起こっている。
 宮崎県の高千穂鉄道、岩手県の岩泉線のように、災害でレールが流されると、復旧に莫大な費用がかかり、売上げが少ないからといって、廃線ありきではなく、「鉄道災害復旧基金」をつくり国が復旧し、レール、施設を国の所有としたうえで、以後国が維持管理し、JR等民間会社が運行するという上下分離の仕組みを考えるべきではないか。
 新幹線開業後の在来線の第三セクター化にあたっては、費用を自治体へ押し付けるのではなく、JR各社や国も相応の負担をすべきである。
六 道路と鉄道における上下分離
 国道、都道府県道、市町村道といったインフラは、築造費並びに維持管理費は公的に負担し、誰でも無料で利用ができる。
 宅配便にかぎらず、運送会社は、道路というインフラを無料で使用して車を走らせて利益を上げているのである。上下分離そのものである。国道が赤字だという議論は寡聞にして知らない。
 ならば、鉄道も、国民の経済活動、通勤通学を含むあらゆる社会生活に必要な移動手段として、二〇一三年制定の「交通政策基本法」に「移動権の保障」を盛り込み、インフラ部分を、国、自治体が整備、所有し、民間の鉄道会社が運行業務だけに携わるという上下分離がもっと行われるべきではないか。
 それでも、運行が赤字になる場合は、コミュニテイバスのように行政の負担が必要なのではないか。
七 補論 国鉄債務の処理について
 約三○年前、国鉄の赤字をどうするのか、そして、分割民営化の是非という大議論があった。国鉄は、一九八七年、第一種事業のJR旅客会社六社と第二種事業のJR貨物会社一社とに分割された。人員の大幅削減とその後の資産売却によっても、一七兆円の負債が残った。
 残った負債は、国が債権者への弁済に変えて国債を交付するという代物弁済によって処理したのである。国債は国民負担というが、そうではないのである。国債を日銀が買取れば、政府の日銀への利払金は、日銀から政府への上納金となって政府に還流する。そして満期に政府が発行する借換え債を日銀が引受ければ、これは借用書の書換えにすぎず、国債はないのと同じになってしまう。誰の負担でもないのである。
 このようにして国鉄債務はすでに消滅してしまったのである。