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「つくる会」教科書にNoを!

教科書問題・自由法曹団のたたかい

2001年9月
自由法曹団教科書問題緊急プロジェクト




「つくる会」教科書にNoを!

――― 教科書問題・自由法曹団のたたかい

も く じ

発行にあたって

総括論稿 「つくる会」教科書にNoを!

T 「つくる会」教科書をめぐる策動とたたかいの意味
  ――― 改憲策動のなかでの「つくる会」教科書
(松井繁明)
U 「つくる会」教科書反対闘争と自由法曹団の活動
  ――― 緊急のたたかいが切り開いたもの
(田中 隆)
V アジアの中での教科書問題
  ――― 日中・日韓法律家交流をふまえて
(南 典男)

資料編

 ◎ 各地の教科書闘争
  ――― 支部・法律事務所のレポートなどから
 ◎ 教科書採択制度・関連法文
 ◎ 共同声明(自由法曹団・民主社会のための法律家集団
 ◎ 教科書採択の世論敵視の文部科学省に対する抗議声明
 ◎ Fax速報(「つくる会」教科書にNoを!)
No.1〜No.14


「つくる会」教科書にNoを!
教科書問題・自由法曹団のたたかい

2001年 9月
編 集  自由法曹団教科書問題緊急プロジェクト
発 行  自由法曹団
〒112-0002
東京都文京区小石川2−3−28
DIKマンション小石川201号
Tel 03(3814)3971 Fax 03(3814)2623
URL http://plaza10.mbn.or.jp~jlaf/index.htm






発 行 に あ た っ て

――― 「つくる会」教科書の阻止から「報復戦争」と参戦を許さないたたかいへ

 「新しい歴史教科教科書をつくる会」(つくる会)の中学歴史・公民教科書が教科書検定を通過し、全国の教育委員会・採択地区で採択手続が開始されようとしていた5月、自由法曹団は教科書問題緊急プロジェクトを発足させた。

 鳴り物入りで誕生した小泉政権は驚異的な支持率を記録し、公然と「つくる会」に加担した石原東京都知事にはこれまた異常な支持率が続いていた。公然と「憲法改正」を唱え靖国神社公式参拝を公言する首相や都知事の存在が、ネオ・ナショナリズム勢力を鼓舞し、「つくる会」教科書の採択に拍車をかける危険は現実のものだった。

 それから4か月、全国の都道府県・地域から巻き起こった反対運動はまたたくうちに全国的に結びあった。平和憲法の意味と教育のあり方、侵略戦争への加害の責任を問いかけた壮大な「草の根」運動こそが、542の採択地区のすべてで「つくる会」教科書を不採択に追い込んだ原動力だった。自由法曹団・支部・法律事務所もまたその戦線の一翼に連なり、新しいたたかいの地平を切り開いた。ネオ・ナショナリズムの嵐のもとで展開したこうしたたたかいによって、「改憲策動とのたたかいの前哨戦」に勝利をおさめたことの意味は極めて大きい。

 この総括冊子で取りまとめを行ったのは、こうした教科書闘争を記録して、「つくる会」が企てる「リベンジ」を許さず、改憲を阻止するたたかいに発展させるためである。

 そのとりまとめを進めていた9月11日、ニューヨーク・マンハッタンで発生した「同時テロ」は、世界を「報復戦争ヒステリー」とでも言うべき状況に投げ込んだ。ブッシュ政権とアメリカ軍が着々と進める軍事報復の準備が報道され、小泉政権は「支援立法」の制定などによる公然たる「報復戦争」参戦の道に走りつつある。これが世界の民衆が願う世界平和への道筋に逆行し、平和憲法を否定する方向であることは言うまでもない。

 教科書問題が問いかけたものは侵略戦争と平和憲法の意味であり、教科書闘争がたたかったのはそれらをねじ曲げ、否定しようとする策動だった。教科書闘争が投げかけた戦争と平和への問いかけは、いまこのときアメリカの政府と軍が進めようとする「報復戦争」や日本政府の参戦の道筋に真っ向から対峙することにならざるを得ない。

 「つくる会」教科書があたかも「アジアの解放戦争」であるかのように描いた侵略戦争の発端は、70年前の1931年9月18日、奉天(現在の瀋陽)郊外の柳条湖で発生した満鉄線爆破事件だった。この満鉄線爆破の「テロ」が関東軍の謀略だったことはいまでは公知の事実である。いかに多くの犠牲者を出したとしても、事実の究明や適正な手続での処断を抜きにして、「テロ」を口実に軍事報復に踏み切ることがなにをもたらすかを示す歴史の教訓ではないだろうか。

 再び戦火の色濃いこのいま、全国で燃え上がった教科書闘争の「草の根」のたたかいが、「報復戦争」と参戦を許さないたたかいに発展することを念願してやまない。

2001年 9月25日

自由法曹団教科書問題緊急プロジェクト





つくる会教科書にNoを!
―――  教科書問題・自由法曹団のたたかい
 
T 「つくる会」教科書をめぐる策動とたたかいの意味(松井繁明)
  1 中学歴史・公民教科書の採択結果
  2 「つくる会」教科書の特徴
  3 「つくる会」の策動と権力・財界の対応
  4 ネオ・ナショナリズムの台頭とその意味するもの−策動の政治的背景
  5 教科書制度とわれわれの立脚点
  6 たたかいの意義と展望
 
U 「つくる会」教科書反対闘争と自由法曹団の活動(田中 隆)
  1 情勢=「つくる会」教科書の検定通過と採択の策動
  2 制度=教科書採択制度をめぐる問題点
  3 運動=教科書プロジェクトと運動の展開
  4 教訓・課題=教科書闘争から明日へ
 
V アジアの中での教科書問題(南典男)
  1 自由法曹団の訪中・訪韓と法律家共同シンポ
  2 中国・韓国から問いかけられたもの
  3 日韓法律家共同声明の意味





 T 「つくる会」教科書をめぐる策動とたたかいの意味

――― 改憲策動のなかでの「つくる会」教科書


1 中学歴史・公民教科書の採択の結果

 「新しい歴史教科書をつくる会」主導による中学歴史・公民教科書(扶桑社版)は、全国542の公立中学校採択地区のうち1地区も採択しなかった。まさに国民の良識の勝利である。それだけにこれを一部の養護学校用に採択した東京都(歴史)、愛媛県(歴史、公民)の異常さが浮彫りになった。

 「つくる会」は当初占有率10%を目標にしていたが、一部の私立中学の採択をふくめても0.1%以下しか採択されなかった。「つくる会」にとっては惨敗というほかはない。

 このような成果をもたらした、今回の中学歴史・公民教科書の採択をめぐる闘争をふりかえって、「つくる会」の策動の本質、それとの闘いの意義およびその成果の重要性をあらためて確認しておくことは、たいせつなことであろう。

2 「つくる会」教科書の特徴

 2002年度用中学教科書(4年間使用)として「つくる会」が作成したのは歴史と公民の2種類の教科書であった。その特徴は主に、つぎのところにあった。

(1) 歴史教科書

 神武天皇の東征を長々とあたかも歴史的事実であるかのように記述し、昭和天皇を「123代」の天皇とし、歴史的に実在しなかった神武天皇以降10代の天皇を「復活」させるなど、神話を歴史と混同している。

 「歴史を学ぶのは、過去の事実について、過去の人がどう考えていたかを学ぶこと」と断じ、現代の価値基準で歴史的事実を評価・判断することを「やめよう」という。これによって、日本による朝鮮併合や侵略戦争がすべて正当化され(当時の日本人の意識)、これを批判的に評価する視点(現代の評価基準)が奪われている。しかし歴史を学ぶ意味は、それぞれの時代の評価をも見据えながら、現代における評価をおこなうことによってはじめて、未来につながるのである。

 また、日本の文明・文化をヨーロッパのそれらに匹敵するものと描き出そうとする。その評価自体支離滅裂なものだが、そこには欧米の文明・文化にたいする卑屈な追従がみてとれる。それと裏腹に、中国や朝鮮の歴史や文化を軽蔑し、つねに日本が正しく優位であったかのようにいう、いちじるしい独善主義と排外主義がつらぬかれている。このような教科書で日本の子どもたちが教育をうければ、いやおうなく国際化する未来の社会で、日本はアジアや世界から孤立せざるをえないだろう。

 さいごに、天皇制、植民地政策および侵略戦争を正当化し、讃美する。日本軍による戦争犯罪の評価に疑問を投げかけ(南京事件)、また隠ぺいする(従軍慰安婦)。神風特攻隊やひめゆり部隊の「勇敢さ」を讃えているのには胸が痛む。彼ら、彼女らこそはまぎれもない戦争犠牲者であって、後世に伝えるべきは、その無念の想いこそではないのか。

(2) 公民教科書

 平和主義への挑戦が明らかである。
 人類の悲願である核兵器廃絶に疑問を呈し、国防の義務を強調する。
 「国境は決然と守っていくもの」、「自衛隊は我が国の防衛には不可欠」、阪神淡路大震災にさいし、「懸命の救助作業にあたり、多くの被災者の力になったのは、まぎれもなく自衛隊員だった」という。憲法違反の疑いの濃い自衛隊を肯定的に評価しているだけではなく、阪神淡路大震災については事実を誤っている。住民同士の協力や警察・消防の献身的活動があり、全国から多数のボランティアが駆けつけた。自衛隊員も救助活動にあたったのは事実だが、むしろその出動が遅れたことにつよい批判が集まったのである。

 国民主権と相容れない天皇の神格化がおこなわれている。「天皇は、古くから国家の平穏と国民の幸福を祈る民族の祭り主として、国民の敬愛の対象とされてきた」などといって、「大元帥」として侵略戦争を統率した天皇の姿は完全に隠ぺいされている。今日における民主主義の新たな発展として把えるべき住民投票制度に対し、「住民の意思自体がマスコミや市民運動団体の考えに扇動されやすい」などと攻撃する。あからさまな愚民思想にほかならない。

 基本的人権の擁護にたいしては、国益・公益の優先を主張し、人権が「公共の福祉」によって制限されるべきことを強調している。しかし、「公共の福祉」を理由に安易に人権を制約することは認められないというのが、現代の憲法学の常識であり、国際的な到達点でもある。ことに許せないのは、女性の社会的役割分担を当然視する、あからさまな性差別が打ちだされていることである。  ―こうして、この公民教科書は、平和・民主・基本的人権の擁護という憲法の基本理念を攻撃するものである。それ自体、憲法の理念に違反し、子どもたちを憲法改悪に誘導し、戦争に駆りたてるねらいをもつものといわなければならない(詳細は自由法曹団『日本国憲法を否定し、国民の人権や国民運動を敵視する「つくる会」公民教科書に反対する―「つくる会」公民教科書に対する自由法曹団の見解』参照)。

3 「つくる会」の策動と権力・財界の対応

 「つくる会」は、西尾幹二、藤岡信勝、小林よしのりなど、度しがたい反共・右翼主義者らを中心に結成されている。かれらは、これまでの歴史学や歴史教科書が「自虐史観」に陥り、「東京裁判史観」に汚染されているなどと攻撃し、財界から拠出された豊富な資金力にモノをいわせ、これまでも多数の書籍を出版・販売(もしくは無料配布)するなどして、精力的に活動してきた。

 ついには、上記のように歴史および公民教科書を作成し、占有率10%を目標に、これらを採択させようとはかったのである。

 しかし、これまでの教科書採択制度は、実際に教科書を使う教師や子どもの父母らの意見がつよく反映されるものであったので、「つくる会」教科書のような特異かつ危険な教科書が採択される見通しは、明るくなかった。そこで彼らは、自民党などの国会、地方議会の議員や財界の支援を受け、採択制度の改悪を策動した。それには、豊富な資金力も投入された。

 その結果、少なからぬ地方議会で、教師らの意見の排除を求める陳情書などが採択され、実際に大部分の都道府県で、教師らの意見を反映させにくい方向で採択制度が改悪されてしまった。石原東京都知事はさらに、教育委員らに対し、教師らの意見を排し、みずからの判断で採択するよう、直接圧力をかけた。

 こうして、いわば外堀を埋めたうえで「つくる会」は歴史・公民教科書につき検定申請をおこなった。検定委員会は歴史教科書に137カ所の修正意見を附したが、それらはこの教科書の本質を変更するものではなかった。だからこそ、「つくる会」側は修正意見をすべて受入れ、それによって歴史・公民とも「つくる会」教科書は検定に合格した。

 韓国及び中国の政府は、これを強く非難し、具体的に誤りを挙げて再度の修正を求めたが、日本政府はこれを拒否した。このことは、折からの小泉首相の靖国神社公式参拝問題とも相まって、日韓、日中の外交関係を緊迫化させ、サッカーを含む日韓の市民レベル交流の多くが中止に追い込まれた。

 また、「つくる会」教科書の検定合格は、多くの国民に危惧と不安をいだかせ、侵略戦争を肯定・美化し、歴史を歪曲する「『つくる会』教科書を子どもに渡してはならない」という草の根の運動をつくりだした。こうした運動は、それぞれの地域の特色をもちながら、次第に発展していった。

 7月初旬、栃木県下都賀地区(2市8町)の採択協議会が「つくる会」歴史教科書を採択したとの報道は国民を驚かせ、電話、郵便、ファクシミリ、メールなどさまざまな方法による批判的意見を集中させた。協議会を構成する多くの市町の教育委員会は「つくる会」教科書の不採択を決め、ついには採択協議会自身もさきの決定をくつがえした。これにたいし遠山文部科学相は「外部からの圧力に屈するな」という談話を発表し、各教育委員会あてに同趣旨の局長通達を発したのである。

 こうした政治的・行政的圧力にもかかわらず、採択結果がしだいに明らかになってゆく過程でも、どの区市町村も「つくる会」教科書を採択したところはなかった。これにたいし石原都知事のつよい影響下にある東京都教育委員会および元文部官僚をふくむ愛媛県教育委員会が、一部の障害児学校の教科書として「つくる会」教科書を採択した。両都県の教育委員会は、障害児の教育よりも政治的思惑を優先させたとの批判を免れられないであろう。しかし彼らの思惑にもかかわらず、公立中学校の全採択区で「つくる会」教科書の採択は阻止されたのである。

 ―以上のとおり、「つくる会」はもともと、保守系政治家や財界をバックにしているが、検定・採択の全過程で、国や地方権力の全面的バックアップを受けてきた。それだけに、今回の勝利の意義は限りなく大きいというべきである。

4 ネオ・ナショナリズムの台頭とその意味するもの−策動の政治的背景

 「つくる会」に代表される今日のネオ・ナショナリズム―その思想と運動は、いかなる政治的背景を持つものであろうか。

 小泉政権の成立から今日まで、この国は「構造改革」に席巻されている。小泉政権の「構造改革」はその具体的内容が明らかでないという批判も強いが、それが依拠する経済思想は新自由主義経済論(新古典派理論)だといわれている。この理論によれば、経済のなりゆきはすべて市場にまかせにするべきで、政治・行政による規制は原則的に撤廃すべきである(そうすれば、経済は必ず発展する)という(規制緩和)。また、我が国の資本が諸外国に進出するのも、外国の資本がわが国に進入するのもすべて自由にし、その障害となるようなものは除去すべきであるという(グローバリゼイション)。

 こうした新自由主義経済論による「構造改革」が弱肉強食の世界を現出し、社会を荒廃させる、という批判はおそらく正しいであろう。しかしこの理論自体の正否は措くとすれば、それ自体が一定の資本主義的「合理性」をもち、一般的には「国際性」をもっていることは確かであろう。

 これにたいし、「つくる会」などのネオ・ナショナリズムは、さきに「つくる会」教科書の特徴のところでみてきたように、極端な「非合理主義」と独善的な「排外主義」=非国際性を特徴する。このように、極端に相反する新自由主義経済論とネオ・ナショナリズムが90年代後半(「構造改革」を最初に手がけ、挫折しようとしたのは橋本内閣)から同時並行的に台頭してきたのが、今日の日本である。この関係をいったい、どのように理解すればいいのか。

 ここで注目すべきことは、「国際性」を強調する新自由主義経済論も、軍事大国化とは矛盾しないことである。新自由主義経済論を最も信棒するアメリカが世界最大の軍事大国であることからも、これは明らかであろう。自国の資本を他国に進出させるためにも、ときには軍事力による威嚇を行使し、すでに進出した資産や人員を守るのは、最終的には軍事力だからである。

 わが国の支配層もまた、ソ連崩壊(1989)にもかかわらず、90年代後半から、日米共同作戦の実現をめざし、軍事力の強化をはかってきた。そのために日米間で「新ガイドライン」を締結し(1997)、それを実現させる「戦争協力法」を成立させてきた(1998)。これによって日本は、アメリカ軍の作戦行動にたいし後方支援までは共同する体制をつくりあげた。これにたいしアメリカは、昨年10月の「アーミテージ報告」で、新ガイドラインのいっそうの履行を迫るとともに、新ガイドラインを「下限」であるとし新たに「上限」を要求した。すなわち、日米共同作戦を、後方支援に限らず、前線での戦闘行為にまで拡大させようとしているのである。

 しかし、戦闘行為の共同といえば、まさに「集団的自衛権」の行使そのものである。「集団的自衛権」については、歴代の自民党内閣も「日本も集団的自衛権を保有するが、憲法第9条によってその行使が禁止されている」と解釈してきたもの。日米共同作戦の戦闘行為までの拡大は、容易に受け入れ難いことになる。衆・参両院に設置された「憲法調査会」で、設置法の目的を逸脱して憲法改悪案(憲法9条の改悪が眼目)を決定しようと策動しているのは、まさに戦闘行為の日米共同作戦を受け入れるのが目的なのである。小泉首相がその就任時に、憲法「改正」をとなえ、「集団的自衛権」の解釈を変更することを提唱したのも、また同じ目的からである。いま憲法をめぐる闘いは、つばぜりあいの状況にある。

 ところで、日本の支配層が日米共同作戦の戦闘行為までの拡大を実現すれば、日本の青年らが塹壕のなかで「敵」と銃を撃ちあい、航空機の撃墜や艦船の沈没を覚悟して戦うことになる。それらの青年らにとって、死の恐怖を克服して戦うのは容易なことではない。なんらかの精神的支柱を青年にあたえないかぎり、それは不可能であろう。  そこで、青年らに戦うための精神的支柱をあたえようとするのが、まさにネオ・ナショナリズムであり、「つくる会」教科書にほかならない。その一点では、新自由主義経済論者も、ネオ・ナショナリストも完全に一致できるのである。両者は、その内部に一定の矛盾や緊張関係をはらみながらも、「青年を戦争に駆りだす」ことでは、共同できるし、しなければならないのである。  

―こうして「つくる会」教科書をめぐる今回のたたかいは、たんに教育問題の範囲にとどまるのではなく、憲法改悪阻止闘争の重要な一環なのであった。そしてこの勝利は、これから長く続くたたかいの、緒戦における勝利として位置づけられるべきものである。

5 教科書制度とわれわれの立脚点

 教科書・教育問題におけるわれわれの基本的立脚点は、憲法に定められ、家永訴訟など国民のたたかいを通じて確立されてきた「子どもの教育権」である。そのような立場からわれわれは、教科書の検定制度を廃止すべきものと考える。

 教科書の採択権は、教師を主体とする学校単位に認められるべきである。学校単位の教科書採択の自由は完全に保障されなければならない。同時に、採択権の行使は、最低限、憲法的諸価値の擁護と近隣諸国との親善・友好の継続・拡大を基準とすべきものと考える。

 現行法では、教科書採択の事務が教育委員会に属することを規定するにすぎず、教科書採択権が教育委員会にあることを示す明文の根拠はない。しかし、われわれは、現実に教育委員会が教科書を「採択」していることを重視し、「つくる会」教科書の不採択を教育委員会と教育委員に要請する行動を重点的に行った。これは現実的かつ有効な活動であったと評価してよいであろう。

 教育委員会の政治的中立性を侵害する文部科学省や自治体および首長らによる恫喝や威嚇は許されないものであった。これに対し、主権者である国民の要請行動をこれらと同視するのは誤りである。

 教育委員会は(かつて選挙制であったものが任命制になったとはいえ)、「子どもの教育権」の実現を任務とするものであり、実際には教科書を使用する教師や子どもの父母を代表してその任務を遂行する。そのためにこそ、政治的「中立性」が保障されているのである。したがって、教師や父母などの主権者=国民からの要請を聴きいれるのはその任務の範囲に属する。これを「外部からの圧力」などとみる「つくる会」や文部科学省の主張はまとはずれというほかはない。

6 たたかいの意義と展望

 「つくる会」教科書の採択にたいするたたかいがじつは、たんなる教育問題をこえて、憲法擁護闘争の一環をなすものであったことは、すでに述べたとおりである。

 つぎに重要なことは、このたたかいはさまざまな局面と包含するものではあったが、その最大の争点が日本人の歴史認識を鋭く問うものであったことである。しかもそこで問われたのは、日本人の「加害責任」であった。わが国の反戦・平和運動はすでに50年以上の歴史的経過を有し、否定しがたい力量を発揮してきた。しかしそれは、ヒロシマ・ナガサキや沖縄、東京大空襲にみられるように、基本的には、「被害者意識」を基調とする運動であった。そのことの重要性は、今日でもいささかも減少するものでないというのがわれわれの確信であるが、同時に、今回の「つくる会教科書」をめぐるたたかいは、広範な国民が日本人の「加害責任」を追及するはじめての国民運動として発展したものである。これは、日本の国民にとって貴重な経験であった。

 さいごに、この闘争が徹底した「草の根」の運動としてその力を発揮したことである。特定の方針の実践ではなく、さまざまな創意が生かされ、運動が運動を生み出した。「細胞分裂型」の運動の発展であった。労働運動でいえばナショナルセンターの区別を超え、大衆運動としてもさまざまな歴史的・政治的な対立をのりこえて手を握りあった。それはまだ発芽状態とはいえ、未来を展望させるに足りるものがあった。

 われわれは、「つくる会」がリベンジを誓う、4年後の教科書問題に、この経験を生かせるものと確信する。同時に、この貴重な経験を、つぎの新たなたたかい、おそらくは憲法改悪阻止のたたかいなどに生かせないだろうか、と考える。さまざまな曲折はあっても、それは不可能な課題ではないだろう、とわれわれは信じる。それができなければ、いかに緒戦の勝利が輝かしくとも、その意義は半減せざるをえないと考えるからである。

(松井繁明 教科書プロジェクト責任者・東京支部長)






 U 「つくる会」教科書反対闘争と自由法曹団の活動

――― 緊急のたたかいが切り開いたもの


1 情勢=「つくる会」教科書の検定通過と採択の策動

(1) 検定通過と採択に向けた策動

 01年4月初頭、「つくる会」教科書(中学歴史・公民 扶桑社版)が教科書検定を通過した。歴史教科書について137箇所、公民教科書について99箇所の修正意見が付され、「つくる会」側がこれを受け入れたことによる検定合格であったが、これら修正によって教科書の本質は全く変っていない。この教科書策動が改憲策動の一環として展開され、学校教育をその「拠点」につくり変えようとするものであることは、あらためて指摘するまでもない。

 検定通過に伴って、教科書問題の焦点は「つくる会」教科書の採択をめぐる問題に移行した。重大なことは、「つくる会」側が、検定通過後の採択手続を想定して、これまでの教科書を誹謗中傷するキャンペーンを展開し、教科書採択から学校・教職員の意見を排除しようとする系統的な策動を展開していたことである。

(2) 地方議会請願と「パイロット版」の普及

 99年から00年にかけて、「つくる会」側は全国の地方議会にいっせいに請願・陳情を提出し、「教科書採択からの教職員の意見の排除」や「『自虐史観』教科書の是正」を要求した。国民的な関心、批判がまだ乏しかったこともあって、これらの請願・陳情は自民党などの議員の賛成で採択されつづけ、33道県、222市町村で採択されている(01年4月11日現在 教科書ネット調べ)。いち早く提出が行われた東京都では23区中13区において採択され、道県庁所在地の札幌・宇都宮・新潟・富山・熊本・宮崎の各市で採択されているなど、都市部での採択が目立ったのもひとつの特徴であった。

 請願・陳情と並行して、「教科書のパイロット版」として企画された「国民の歴史」(西尾幹二著 産経新聞社刊 99年10月29日発行)の大量普及が行われ、「つくる会」側では「75万部のベストセラー」と宣伝した。「府内の公立中学校の社会科教師全員と校長・教頭・地方議員等に郵送された」(大阪府)、「団地全戸の郵便受けに投函された」(東京練馬・石神井団地)、「駅頭やバスターミナルで通行人に配布された」(広島)など、巨額の資金を投じての常軌を逸した普及活動展開された。「国民の歴史」の普及にはじまり、「国民の油断」(PHP文庫)の都道府県および市町村教育委員会への送付(00年5〜6月)を経て、「市販本」の発行・普及(01年6月)に到る大量普及・宣伝の活動は、「つくる会」側の一貫した戦略方針と言っていいだろう。

(3) 石原都知事・自治体首長らの加担

 こうした策動に、自民党などの国会議員や地方自治体の首長、教育長などが加担したことも重大であった。公然と「つくる会」を賛美して教育委員を推進派に差し替える首長や、「国民の歴史」などの宣伝物を配布する教育長などが続出した。とりわけ、東京都知事石原慎太郎は、「我が国の歴史や文化を尊重しながら、国際社会の中で日本の未来を担う人材を育成する上で、教科書は、特に重要な役割を果たしている」として、これまでの教科書採択を公然と非難し(01年2月21日 都議会本会議での施政方針演説)、都下の教育委員・教育長らを集めて「学校票」(東京都がこれまで行ってきた学校意見反映の方法)の排除を強要しようとした。

(4) 教科書問題 01年春

 教科書採択をめぐる問題が浮上した01年春、情勢はこのような状況のもとにあった。

 数年がかりで執拗に展開されてきた推進策動に対して、民主勢力側の反対運動は全国規模で見ればまだ緒についたばかり。検定通過に憤った中国・韓国などの抗議の声が高まり、「子どもと教科書ネット21」(教科書ネット)や歴史教育者協議会(歴教協)などによる教科書批判や学習会活動が精力的に展開されて市民の活動がはじまってはいた。しかし、地域からの運動が全国津々浦々で燃え上がる状況にはなっておらず、採択から排除されようとしていた教職員の側からの運動も全面展開には至っていなかった。

 明らかに先行している「つくる会」側の策動に反撃を加え、「つくる会」教科書を不採択に追い込むことが、改憲策動を阻止する憲法運動の面でも、よりよい教育を求める教育運動の面でも、焦眉の課題となったのである。

2 制度=教科書採択制度をめぐる問題点

 「教科書採択はどのような手続で行われ、どこで決定されるのか」「採択される教科書は一冊だけか。その教科書に限定される法的根拠はなにか」・・教科書問題への取り組みの最初は、法律家としては「初歩」とも言うべきこんな「問い」と検討から出発しなければならなかった。ほとんど「未知の領域」だった教科書採択法制を整理し、これの「問い」に答えることが採択阻止の運動の組み立てや照準にかかわるからである。
 あらためて概要と問題点をスケッチする。

(1) 教科書採択制度の概要

 採択手続や機関は「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」(無償法)、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行組法)、「教科書の発行に関する臨時措置法」(教科書発行法)に明記されており、各区市町村には教科書採択手続を定めた「要綱」がある。
 あらためて概要をスケッチする。

@ 公立小中学校の教科書は、採択地区ごとに各教科1種が採択される(無償法第13条@)。
だから、1冊しか採択されず、その地区内の児童・生徒はその教科書を使うことを余儀なくされる(いわば「押し付けられる」)。

A 採択地区は都道府県教育委員会(=県教委)が定めるが、「定め方」には3とおりある(無償法第12、16条)。
a 区市がそのまま採択地区=東京23区や大規模な市
b 市町村をあわせた区域=小規模な市や町村
c 政令指定都市の区あるいは区をあわせた地域=横浜、大阪など
これらの採択地区の合計が542地区だった(01年時点であり、今後変動し得る)。

B 「教科書その他の教材の取扱に関すること」は教育委員会の事務とされている(地教行組法第23条)。
なお、以下の旨の規定がある。
a 教科書の採択は県教委の指導・助言・援助により行う(無償法第13条@)。
b 地教委は採択した教科書の需要数を都道府県教育委員会に報告する(教科書発行法7条)。

C 各自治体の採択手続・手順は、区市町村教育委員会が定める「教科書採択要綱」によって定められる。 「つくる会」側が学校・教職員の意見を排除しようとしたのは、具体的にはこの「要綱」の改悪を求めたものであり、非民主的な方向で改悪されたものも多い。「要綱」に学校・教職員の意見が反映する道筋が保障されているかどうかが、教職員側からの取り組みに大きく影響する。

(2) 採択法制のはらむ問題

 この採択法制はある種の矛盾をはらんでおり、それが今回顕在化した問題の背景にもなっている。

 第1に、教科書採択についての権限を直接明記した法文が存在していないこと。

 地教行組法第23条は教育委員会の「取扱事務」を明記し、教科書発行法第7条は報告義務を明記しただけであり、無償法にも直接地教委の権限を明記した規定はない(第13条C、第16条Aにそれらしい表現はあるが)。ここから、教科書採択についての実質的な権限を教育権の主体である教職員、父母、児童・生徒に広げる解釈は十分可能である。

 第2に、教科書採択の単位となる無償法上の採択地区と、地方自治法の上の機関であり「事務を扱う」とされる教育委員会が対応するのは、東京23区など一部にすぎないこと(上記Aのa)。

 その結果、横浜・大阪などの政令指定都市では単一の教育委員会が地域ごとの教科書を採択することになり(Aのc)、教育委員会は各地域の学校等の意見を参考にしなければ採択そのものが制度上不可能になる。少なくも、政令指定都市の採択について「教職員や住民の意見を聞かずに教育委員だけで採択する」などという議論は成り立つ余地がない。

 逆に、小規模な市町村は採択地区に含まれるのだから(Aのb)、教育委員会は単独では採択を行えないことになり、ここでも「教育委員会の専権」を論じる意味はない。この採択地区と教育委員会の間の矛盾が劇的に顕在化したのが、採択地区の「つくる会」教科書採択の結論を10地教委がすべて拒否した栃木県・下都賀地区だったことは記憶に新しい。

(3) 照準は教育委員会

 採択法制は矛盾をはらんだものであるが、現実に教科書の採択が教育委員会で進められる以上、「つくる会」教科書に反対する運動を向けるべき矛先は区市町村教育委員会(地教委)ということになる。教科書プロジェクトの提起した緊急方針は「教育委員会に声を集中」であり、動きはじめていた運動の照準を明らかにする積極的な意味を持ったものだった。

 同時に、地教委以外が行う教科書採択手続が存在していることも黙過できない。
 a 都道府県立の義務制学校(養護学校など)=県教委が採択事務(無償法第13A)
 b 国立、私立の小中学校=校長が学校単位で採択事務(無償法第10条)
 今回、「つくる会」教科書を採択した学校がこの2種に含まれていることからすれば、いっそうの警戒・検討を要しよう。

3 運動=教科書プロジェクトと運動の展開

(1) 東京支部の闘争から本部プロジェクトへ

 教科書問題への組織的な取り組みの口火を切ったのは東京支部だった。石原都知事が公然と「つくる会」に加担し、23区の大半で「つくる会」の請願・陳情が採択されていながら、必ずしも対抗する地域運動が構築されていないことについての危機感もあった。東京支部は3月の支部幹事会で取り組みを決定し、4月25日の教科書問題学習会を経て、地域にある各法律事務所に緊急の取り組みを提起した。この東京支部の決起が、終盤の「東京決戦」の戦線の重要な一翼を構成することになる。

 自由法曹団本部の取り組みはこうした東京支部の活動に触発される形ではじまり、五月集会(5月20〜21日)の教科書問題決議を経て、5月30日の「教科書問題緊急プロジェクト」の編成に至った。採択期限まで2か月余という緊急闘争を構築するため、プロジェクトはすでに闘争に入っていた東京支部のメンバーと本部執行部・事務局で編成し、松井繁明(責任者・東京支部長)、田中隆(副責任者・東京支部前幹事長)、瀬野俊之(事務局長・東京支部教科書問題責任者)、小口克巳(本部事務局長)、南典男(本部担当次長)、森脇圭子(本部専従事務局員)という体制をとった。

 6月初頭からFaxなどで緊急提起し、6月16日の長野常幹で訴えた闘争の基本方針は、

@ 各地域の「要綱」や運動の状況を把握すること
A 地域の運動・教職員・市民とともに教育委員会・教育委員に声を集中すること
B 教育委員会の傍聴や情報公開を活用すること
C (少なくも)公民教科書への自由法曹団見解を教育委員会・委員に届けること
であった。「教育委員会をターゲットに『採択するな』との要請を突きつける」というわかりやすい方針を投げかけたこの提起は、都道府県や地域の運動に明確な方向を示した積極的な意味を持っていた。

(2) 地域運動と法律家独自の活動

 6月初頭から8月前半まで、支部・法律事務所・団員は、それぞれの都道府県や地域で積極的な運動を展開した。運動の形は法律事務所の所在や採択地区のあり方によってさまざまであったが、急きょ取り組んだ運動が貴重な成果や教訓を生み、多くのドラマを生み出したことは共通していた。

 特徴点だけ列挙する。
 第1。地域を担当する法律事務所が存在し、それぞれの区市が採択地区になっている東京都23区などでは、法律事務所が地域の団体・個人に呼びかけて運動を構築し、共同して地教委(東京では区市教委)への陳情・要請などを展開する行動が取り組まれた。地域の共同行動では、「全労連系と連合系の労働者が一緒になって行動した」「全教と日教組が同じ席についた」「宗教者や市民と共同した」などの新たな経験を生み出し、この息吹が終盤の「人間の鎖」などの盛り上がりに発展している。

 第2。県庁所在地などの法律事務所が県下すべての地教委に対応する多くの道府県では、法律事務所・団員による地教委への要請や資料送付が広範に展開された。「県内96地教委に要請書などを郵送」(鹿児島県・南九州支部)、「但馬地区等の教委を重点的に訪問要請」(兵庫)、「下都賀地区の事態に対応して直ちに労働弁護団名の要請を行った」(栃木 団の支部はない)など、規模も大きく対応も迅速であった。特筆すべきは、こうした法律家独自の活動が地元紙に大きく取り上げられ、世論形成に与えた影響も大きかったこと。「自由法曹団・青法協・労働弁護団連名の意見書提出を、上毛新聞が5段抜きで報道」(群馬)「団支部と学者で意見広告を提起し5紙に発表」(大分)などである。

 第3。団員の枠を超えた広範な弁護士と共同や、弁護士会での対応も追求された。大阪や神奈川では弁護士共同アピール、共同要請が取り組まれて、短期のうちに多くの弁護士の賛同が寄せられた。7月19日に被爆地広島の弁護士会長名で発表された批判声明は、団員の提起を受けた弁護士会が会として「つくる会」教科書への批判を発表したもので、画期的な意義をもっている。

 7月14日の本部常幹に寄せられた支部・事務所の活動報告は、「1か月でよくぞここまで」と感嘆させるほどに活力に富んでいた。緊急の闘争だったにも関わらず、自由法曹団と支部・法律事務所・団員は、教科書闘争をみごとに自らのものにしたと言えるだろう。

(3) 公民意見書・日韓法律家声明とプロジェクトの活動

 「歴史教科書もひどいが、公民教科書はもっとひどい」「公民教科書が憲法理念を真っ向から否定しているのを、法律家として放置できるか」「歴史はだめだが公民ならという教委も出てきかねない」。これが、「市販本」を読んだプロジェクトメンバーの共通の感想だった。歴史認識にかかわる歴史教科書には中国・韓国からの厳しい批判があり、歴史学者からの詳細な検討批判が行われているが、公民教科書についての法律専門家からの批判検討が乏しかったことも背景にあった。

 この危機意識が、急きょ公民意見書の問題点を抽出し、批判コメントを加え、「公民教科書への自由法曹団見解」を発表する(6月21日)という課題につながった。とりかかってから2週間で発表にこぎつけるという「突貫作業」だったが、公民・意見書の発表がとかく歴史に傾斜しがちだった運動や世論に警鐘を鳴らし、全国の支部・法律事務所・団員の活動に「武器」を提供する役割を果たした。

 7月5日、自由法曹団は民主社会のための法律家集団(韓国 民弁)とソウルで共同シンポジウムを行った。このシンポジウムや交流で韓国弁護士の教科書問題への関心と懸念が表明され、これが「日韓法律家共同声明」(7月24日)につながった。「自由法曹団はじまって以来」というこの共同声明もわずかのうちに取りまとめられ、韓国で大きく報道され、日本でも局面に一石を投じた。共同声明に至る経緯や意味は(V)で明らかにしている。

 7月24日、遠山文部科学大臣は、県教委の教育長らの会合で「外部からの働きかけに左右されずに採択せよ」という趣旨の発言を行った。主権者国民の教育委員会への要求や意見を敵視し、「つくる会」勢力に事実上加担しようとする発言にほかならない。この発言に対し、自由法曹団は「世論敵視の文部科学省に対する抗議声明」を発表した(7月30日)。

 こうした活動と並行して、プロジェクトは全国各地の情勢や運動の情報を収集して全国に伝える「闘争センター」としての活動に全力をあげた。

 そのために、Fax速報「『つくる会』教科書にNoを」(No.1〜14)を発行し、意見書や運動資料を各支部に発信し続けた。こうした活動に威力を発揮したのが、メールによるネットワークだった。「教科書ネット」ではメールによって市民からの情報が交換されており、採択結果も機敏に集約されていた。この教科書ネットのメーリングリストに加入し、ネットが交換する情報を入手するとともに、即日プロジェクトメンバーや対応する支部・法律事務所に転送した。こうした機敏な情報伝達が、情勢に応じた活動を可能にし、受信した支部からも歓迎された。

 他方、自由法曹団側からも意見書などの資料をすべてホームページに掲載し、メールで所在を明らかにした。その結果、ホームページへのアクセスが飛躍的に増えたとのことである。IT化の進行するもとで、自由法曹団もメールを駆使して教科書闘争をたたかったのである。

4 教訓・課題=教科書闘争から明日へ

 「『つくる会』編1%未満 国・市区町村立ゼロ」(朝日紙)・・これが8月16日の新聞報道だった。東京都、愛媛県の養護学校での採択という「異常突出」はあったものの、「つくる会」教科書は全国のすべての区市町村で拒否された。これが「つくる会」の策動をはねかえした輝かしい勝利であることは言うまでもない。

 このたたかいの意味については(T)で明らかにしているのでここでは繰り返さず、自由法曹団の闘争の面からいくつか教訓と課題を指摘する。

(1) ネオ・ナショナリズムのもとでの闘争

 「こんな教科書がまさか・・」という楽観論を許さなかった背景には、この春から吹き荒れた「小泉フィーバー」があり、東京では2年ごしの「石原現象」があった。そして、6〜7月の都議会議員選挙や参議院選挙の結果は、ネオ・ナショナリズムへの「追い風」にもなっていた。改憲を企て、靖国神社公式参拝を叫ぶ首相や知事が異常なまでの支持を集めるというかってない情勢のもとで、教科書闘争がたたかわれたのである。

 こうした情勢にもかかわらず、多くは保守層で占められている「草の根」の教育委員会は、ひとつとして「つくる会」教科書を採択しなかった。無数の市民・住民が動き、教職員が声をあげ、法律家も参戦した「草の根」のたたかいがこの結果を生み出す原動力であったことは言うまでもないが、3000にのぼる地教委のすべてを民主運動が包囲したというわけでもない。現に、あの栃木・下都賀地区の採択問題で批判の声をあげたのは保守系の首長らであり、全国に先駆けて「全県不採択」に至ったのはさほど運動がなかったと思われる保守県であった。

 「つくる会」教科書を拒否したのは、民主運動だけではなく、全国津々浦々の保守系・無党派を含めた「草の根」の良識だった。ここに教科書闘争の最大の教訓を見ることは誤りではないだろう。教科書闘争は、石原都知事が高唱し、小泉首相も叫ぶ「国家主義」の鼓吹が極めて浅薄なものであり、決して国民的な支持を得ていないことを事実をもって示したのである。

 あえて仮説的につけ加えておく。「ネオ・リベラリズムとネオ・ナショナリズムがなぜ並行し、共働するか」というのは重大な問題であり、石原都知事と対峙する東京支部が問いかけ続けてきたテーマであった。教科書問題や靖国問題をめぐる国民世論は、この問題を考えるうえでもひとつのカギを提供しているように思える。「ネオ・ナショナリズムの突出は現在の攻撃の『弱い環』であり、それを伴わざるを得ないネオ・リベラリズムにとっても『柔らかいわき腹』だ・・」。教科書闘争を経た東京支部幹事会合宿(8月24日、25日)で語り合われた議論である。

 教科書問題に限らず、すべての政治課題に関わる問題であり、今後の検討・研究・実践に委ねる。

(2) 自由法曹団をあげての緊急地域闘争

 「もう2か月しかなく、しかも都議選・参院選がある。いまから提起で間に合うか」「国会への意見書ならいざ知らず、今回は地域単位の闘争だ。それを団本部がやれるか」・・プロジェクトを編成した5月30日、すでに戦端を開いていた東京支部側から参加したメンバーが異口同音に投げかけた疑問だった。「やる以上は実戦的にやる。自由法曹団には専門家集団として意見書をつくるだけではなく、闘争集団としてたたかう力がなければならない。あくまで緊急の闘争センターとして緊急プロジェクトを組む。だから、期限は9月までだ・・」これが確認だった。

 その2か月余の闘争がどのようなものだったかはすでに見た。時間の短さや諸条件から「もてる力を出し切った」とまでは言えなくとも、団本部と支部・法律事務所・団員が一体となって教科書問題に挑み、貴重な成果を生み出したことは優に確認できるだろう。

 教科書闘争は、激動の情勢のもとで、闘争集団としての自由法曹団が地域での緊急闘争を全国レベルで縦横に展開できることを示した闘争だったとも言えるだろう。  

中央レベル・本部レベルのたたかいと、地域の「草の根」のたたかいとの有機的結合がいっそう求められる現在の情勢のもとで、これまたこれからの課題に引き継ぐべき教訓である。

(3) 情報化時代のなかでの市民の闘争

 「メーラーを立てると教科書問題のメールが来ている。多いときには1日数十通にも及ぶ」「毎日全国の情報を見る。辟易もするが、空気が入って身が引き締まる気もする」「『○○地区が危険!』とある。誰が言っているかわからないから正確かどうかの判断に苦労する。正確と思われるものを拾って速報にする・・」この2か月余りのプロジェクトメンバーの毎日である(もちろんパソコンユーザーにとってだが)。

 教科書闘争は、「単一の中央組織が統一指令を出して、各地でそれを実行する」といったかつての闘争形態とはうってかわって、全国の市民運動が「草の根」から決起し、それをメールで結びあったおそらくははじめての全国闘争だった。自由法曹団もその一翼につながって、情報の受け手となり、送り手となったことはすでに述べたとおりである。

 この全国各地の情報の交換・交流は、闘争を発展させる上で決定的な意味を持っていた。「送り手の顔が見えない情報」の氾濫のなかで、法律家には「きちんと裏をとる」といった独自の役割が要求されてくるだろうが、これからの運動のなかでこうした情報の交流がますます重要になることは明らかだろう。その流れは、市民・青年が自発的に呼びかけをはじめた「同時テロ」への「報復戦争」反対の運動にも現れている。  情報化時代のなかでたたかった教科書闘争は、「21世紀型闘争」への闘争技術の習熟と法律家の役割といった新たな課題も投げかけたのである。

(4) 教科書闘争からいま、そして明日へ

 この夏の教科書闘争はどこに結びつき、どう発展させねばならないか。
 端的に言えば、

@ 4年後(あるいは3年後)の「リベンジ」を許さないこと
A 教科書闘争の共同や確信を、改憲阻止に向けての各地の運動に発展させることである。

 第1に教科書そのものの課題。「つくる会」は4年後の中学校教科書のみならず、3年後の小学校教科書への参入も公言しており、そうなれば次の採択問題は2004年ということになる。また、養護学校への採択を強行した東京都教委の教育委員が石原都知事の「肝煎り」で選任された委員であり、「危険」とされた採択地区の多くで「確信犯」の教委への送り込みがはかられていたことを考えれば、教育委員会の動向なかんずく委員人事に関心と警戒を払わねばならないだろう。教科書問題は、教科書検定以前からはじまっているのである。

 第2に改憲阻止の課題。「つくる会」の策動が改憲策動と深く結びついていることはおそらくだれにも異論はないだろう。だからといって、教科書闘争で高揚した市民の運動が、改憲阻止に向けての憲法運動に自動的に発展するという保障はなく、そこには憲法運動の側からの積極的なアプローチが必要である。時折しも発生した「同時テロ」への「報復戦争」と実質参戦の動きは、過去の侵略戦争への戦争責任の問題を現代の戦争と平和の問題に投影しつつある。戦争賛美の教科書を否定した教科書問題たたかいを、「報復戦争」と参戦反対のたたかいに継続・発展させることこそ焦眉の課題である。

 いまと明日のたたかいを、どう具体的に展開するか。そのカギはこの間の闘争の体験や教訓にあるだろうし、それぞれの地域の状況に応じて支部・法律事務所・団員の創意工夫によって肉付けられるものだろう。そのために、歴史的とも言える教科書闘争を、それぞれの支部や法律事務所で教科書闘争を(あるいはそれを含む01年夏のたたかいを)記録し、そして語り継がねばならないのである。

(田中 隆 教科書プロジェクト副責任者・東京支部前幹事長)






 V アジアの中での教科書問題

――― 日中・日韓法律家交流をふまえて



1 自由法曹団の訪中・訪韓と法律家共同シンポ

 自由法曹団の国際問題委員会は、これまでナショナル・ロイヤーズギルド(NLG)との交流が中心だったが、これに加えて、2000年度からはアジアとの交流を中心課題の一つとして位置づけた。

(1) 中国訪問 00年9月

 自由法曹団の代表団(団長豊田誠、33名)は、2000年9月14日から同月20日まで、今まで交流のなかった中国を訪問した。対外友好協会、中国社会科学院、抗日戦争記念館、中国全国律師協会、北京律師協会、戦後補償問題で取り組んでいる弁護士などと交流し、親睦を深めるとともに、南京大虐殺記念館、平頂山記念館、731部隊罪証記念館を訪問し被害者の証言を聞くなどして、侵略戦争によるアジアの人々の被害と歴史認識について理解を深めた。

 シンポジウムでは、自由法曹団側から、活動紹介、改憲策動との闘い、沖縄等米軍基地撤去の闘いとアジアの平和共同体の構築について報告し、中国側から、中国の法制度と弁護士の役割、アジアの平和をどう見るか、改革開放政策について、日本軍の中国に対する侵略と暴行の実態、日本の右翼的潮流について、戦後補償問題についてなどの報告を受けた。とりわけ、中国側は、日本の右翼的潮流について詳しい調査と分析を行っており、日本の右傾化について強い関心と警戒を持っていた。団は、このシンポを通じて、日本におけるナショナリズムの台頭に警戒することの重要性を学ぶと共に、ナショナリズムとの闘いがアジア諸国との友好、アジア平和共同体の構築にとって不可欠の課題であることを認識したと言っていい。

(2) 韓国訪問 01年7月

 自由法曹団の代表団(団長石川元也、18名)は、2001年7月4日から同月7日まで、韓国を訪問し、民主社会のための弁護士集団(以下、「民弁」)と労働問題を中心に交流し、懇親会で親睦を深めるとともに、西大門刑務所歴史館を訪問するなどして日本の植民地支配の過酷さについて理解を深めた。民弁は韓国の民主化運動の中で生まれた団体で、韓国の弁護士のうち約1割によって構成されている。

 シンポジウムは労働問題が中心であったが、懇親会では「つくる会」の教科書が話題となり、韓国民衆が日本の韓国併合などの侵略の歴史に対しどれほど怒りをいだいているか、歴史を歪曲した「つくる会」の教科書がいかに日本人に対する不信感を増大させているか、韓国の民衆が金大中政権に対し弱腰との批判をどれほど有しているかが認識できた。そして、「つくる会」教科書の採択を許さないために、日韓法律家の共同声明をあげようということになった。自由法曹団は、韓国訪問を通じて、日本が朝鮮を侵略し支配した歴史の認識が韓国民衆の中に深く根付いていること、歴史認識の問題は「つくる会」教科書に対する韓国民衆の怒りのすさまじさに象徴されるように「今」の問題であること、この問題は日本人自身が正当な歴史認識を持つことによって初めて解決されることを理解した。

2 中国・韓国から問いかけられたもの

(1) 「つくる会」教科書とアジアの政府・民衆の批判

 「つくる会」教科書の内容はアジアの人々の心を踏みにじるものである。
 「つくる会」教科書が検定を合格すると、中国・韓国政府、中国・韓国の人々は驚きと怒りを持っていっせいに批判した。中国外務省の朱邦造報道局長は、「日本政府が中国側の度重なる厳正な申し入れを顧みず、是非を曖昧にし、黒白を転倒させた教科書が出るのを放任したことに対して、中国政府と人民は強い怒りと不満を表明する」と発言し、「アジアのすべての被害国民への侮辱だ」と述べた。陳健中国大使は、「このような教科書が検定を通ったことに大きな驚きと深い遺憾の意を表明する」と非難し、「少数の極右勢力が編集したものだが、アジアの隣国の感情を傷つけ、日本の若い世代を間違った方向に導く」と懸念を示した。韓国政府も、外交通商省の声明で「一部教科書が自国中心主義的な史観から過去の過ちを合理化・美化する内容も含んでいる。深刻な憂慮を禁じ得ない」として、日本政府に「歴史の歪曲」を防ぐよう求めた。

 政府以上に怒りを募らせたのが中国・韓国の民衆である。中国・韓国のマスコミは、「つくる会」教科書の検定合格をトップニュースで報道し、激しい批判を展開した。例えば、韓国のマスコミは、「国粋主義再び台頭するか」「復活する軍国の亡霊」といった新聞の見出しが踊り、これに呼応して韓国史研究会など15の学会が声明を発表し、「今度の歴史教科書改編問題は日本に対する否定的な認識を再拡散する契機となっている」として「日本政府と日本国民はようやく改善されつつある韓日関係が損なわれることのないように適切な措置を」と訴えた。これらの動きの中で、金大中政権が日本政府に対し弱腰であるとの批判が強まった。

 こうした中で、韓国政府が5月8日、中国政府が5月16日、それぞれ25項目、8項目の再修正要求を日本政府に出した。しかし、小泉内閣は、韓国政府、中国政府の修正要求を拒否した。これに対し、江沢民主席は「歴史の問題はきちんと対応しないと、大きな波風を起こす可能性がある」、「中国人民は抗日戦争で大きな傷を負ったが、前向きに考えようとしている。日本側も、あの戦争は軍国主義が起こしたものであることを教えて欲しい」と述べた。金大中大統領は「韓国政府は日本に最後まで是正を求める」と強調し、教科書問題によって「これまで努力してきたものが損なわれ、まかり間違えば振り出しに戻りかねない」と危惧を表明した。

(2) 教科書問題と日本国民の加害の認識

 中国政府や韓国政府が「つくる会」教科書を検定合格させた日本政府に対して再修正要求を出し、これを拒んだ小泉内閣を批判したのは、取引のためではなく、中国と韓国の民衆に突き動かされたためである。韓国では市民間の交流がいくつも中止され、ワールドカップの開催さえ危ぶまれる事態となった。日本の行った侵略と植民地支配により中国と韓国の民衆は忘れることのできない被害を受けている。自分の身内には必ず日本によって殺戮されたり、弾圧を受けたりした者がいる。こうした加害事実を認識することなくしては、中国や韓国の「つくる会」教科書の検定合格に対する怒りを理解することはできない。

 中国や韓国の「つくる会」教科書の検定合格に対する批判は、日本国民に対し、加害事実を認識することによって初めてアジアとの友好がはかれることを、不十分ではあるが一定程度理解させたのではないか。侵略戦争という加害の負の部分を覆い隠し責任をとらないのでは、日本は国際社会の中で孤立化の道を歩むこととなる・・まだまだ不十分とはいえ、教科書問題を通じてこのことを日本国民は認識せざるを得なかったのである。  「つくる会」教科書の採択を許さない日本国内のたたかいは、アジア諸国民をはじめとした国際社会による日本政府の対応への厳しい批判と連動することによって前進し、「つくる会」教科書の不採択という結果を勝ち取ることができた。同時に、このことは、日本国民の多数は歴史の歪曲に反対でアジアとの友好・共生を求めていることを示し、政府の失った信頼をかろうじてつなぎとめたとも言えるだろう。

3 日韓法律家共同声明の意味

 自由法曹団と民弁は、7月24日午後3時、「つくる会」教科書の採択を許さない共同声明を東京とソウルで、同時に発表し、記者会見を行った。  東京での記者会見には、日本の新聞だけでなく韓国のテレビ局(韓国公共放送「KBS」、日本で言えばNHK)も取材に来た。日本では、朝日新聞、毎日新聞、赤旗で報道された。韓国では、KBS、SBS、YTNの各テレビ局、東亜日報、中央日報、ハンギョレ新聞、KOREATIMESなどに大きく報道された。特に、KBS放送局の9時のメインニュースで東京での記者会見の様子が大きく報道された。

 共同声明は、「つくる会」教科書の採択・使用が日本と韓国の未来に関わる深刻な問題となることを確認し、日本の子どもたちの教科書として採択・使用されることに強い反対を表明した(資料編に全文掲載)。韓国と日本では、マスコミの取り上げ方に大きなギャップがある。このことは、とりもなおさず、日本と韓国の侵略戦争という加害事実に対する認識の差を示している。であればこそ、今回の日韓法律家共同声明の意義は大きい。

 第1に、この共同声明がアジアの法律家戦線における加害事実の認識の共有につながるからである。アジア諸国民との加害事実の認識の共有は、アジア諸国民との信頼関係をつくりあげ、ひいてはアジア地域に平和共同体を構築する礎となる。日本政府が加害事実を覆い隠し、ネオ・ナショナリズムが活発化している今、民間において加害事実の認識を共有することが重要である。法律家戦線は、各々の国内における国民的運動と深く関わって活動しており、この戦線で加害事実の認識の共有が進展することは、大きな意味がある。

 第2に、共同声明は、韓国において大きく報道され、韓国民衆の日本国民に対する信頼を回復する上で、ささやかではあるが一定の役割を果たしたからである。団のほかにも、歴史研究団体や様々な諸団体が韓国の民間団体と共同声明をあげ、「つくる会」教科書の採択を許さない闘いを連帯した。これらの努力が日本国内にも影響を及ぼしたし、韓国民衆の信頼をつなぎとめる役割を果たした。団の共同声明もその一翼を担ったのである。

 第3に、共同声明は、今後の闘いの方向を指し示したからである。日本国内においてネオ・ナショナリズムとの闘い、新自由主義との闘いを前進させることが求められているが、こうした闘いは、アジア諸国民と連帯した闘いなくしては前進できないのではないか。アメリカは、唯一の超大国として、経済的にも、軍事的にも、世界的な覇権の維持と強化をはかり、日本に対して戦争を遂行する体制づくりを求めている。もし、日本がアメリカの世界戦略に組みせず真の平和を願うならば、アジアとりわけ東アジア諸国との平和を実現するための協力・共同、加害事実の認識の共有が極めて重要であり、そのためには、アジア諸国民と連帯して闘うことが必要不可欠である。

 また、グローバリゼーションによりアジア諸国民の生活と権利が侵害されているが、この侵害を除去するには、侵害を作り出している多国籍企業等との闘いをアジア諸国民が共同して進めることが必要不可欠である。  その意味で、団がアジア諸国の法律家・民衆と連帯して実践的課題に共同して取り組むことの意義は大きい。今回の共同声明と「つくる会」教科書採択阻止運動の経験を今後の闘いに生かしていくことが求められている。

(南 典男 自由法曹団事務次長 国際問題・教科書問題担当)






資 料 編

各地の教科書闘争

――― 支部・法律事務所のレポートなどから

 「つくる会」教科書に反対する闘争は、地域・都道府県を「主戦場」に、それぞれの地域で創意あふれるたたかいが生み出され、それが全国的に結びあったたたかいだった。自由法曹団の支部・法律事務所・団員の活動もその例外ではない。

 団本部に寄せられたレポート・資料、常任幹事会での討議・発言、東京支部ニュースなどからその一端を紹介する(「 」内はレポート等の転載)。収集できた情報には限りがあり、紙数の制約もあってもとよりすべてを網羅できているわけではない。いまと明日のたたかいに結びつけるため、それぞれの支部がそれぞれの教科書闘争をとりまとめられるようお願いする。

◎ 地域の市民・団体とともに

東 京

 ほとんどが区・市単位の教科書採択は、区・市に対応する法律事務所にとって地元自治体に関わる問題。それぞれの法律事務所は地域に行動を提起し、活発な運動を展開した。「ガイドライン」闘争、改憲阻止の運動、石原「ビッグレスキュー」での行動など地域闘争の蓄積があったことが、機敏な運動展開の力になった。もうひとつの力は、30号にわたった東京支部Faxニュース「ぶっとばせ憲法改悪!(教科書特集)」。「教科書問題は自由法曹団に聞けばわかる」と言われるまでに。

【杉 並】

 マスコミも注目した「危険地区」。「ミニ石原」と言われる区長が教育委員の入れ替えをはかり、区民の反対にもかかわらず5人中2人が「確信犯」。地域の憲法運動を基礎に、教科書を読む会から運動がスタート。終盤にはチラシ10万枚を全戸配布し、「人間の鎖」へ。区内在住弁護士の共同アピールの発表も。

 「7月24日の昼時の1時間、550人が鐘や太鼓の音の鳴る中、区役所を人間の鎖で包囲した。(中略)当日の小学校使用の教科書審議の内容が、素人の方々の個人的な経験を基にした雑談のような感じもあり、明日はどうなるかの不安がよぎる。しかし、25日は議論がそれなりに展開し、扶桑社発行の教科書は採用ならず。ヤッタ!」

【新 宿】

 区内の団体・個人に呼びかけて「新宿ネットワーク」を立ち上げ。シンポジウムなどを経て、「連名要請行動」を展開。要請当日まで賛同Faxが絶えず、10日間で373名、10団体。平和と民主主義・新宿連絡会(新宿平民連)も反対運動。「(連名要請の)申入れには27名が参加し、事務局次長と指導室長が対応(中略)。申入書の趣旨説明だけにとどまらない熱気のある会合となりました。会合終了後、新宿区教職員組合(連合)の執行委員長、書記長から名刺を出され、『なにかありましたら、連絡下さい』と励まされました。参加者からは『来てよかった』という感想が口々に。教科書問題に取り組む中で、何か新しい息吹きを感じることができます」

【足 立】

 20年続いた地域の憲法運動と教組が中心の教育運動が合流。5回にわたる街頭宣伝行動を行って参加者120名余、教委への要請懇談も2回。900人参加の憲法集会で教科書問題を訴え。

 「最初の行動が5月15日の梅島駅頭早朝街宣。(中略)チラシを受け取りに近づいてくる人や受け取ったチラシを読みながら区役所に向かう人が続くなど、最近の宣伝行動ではめずらしいほどの反響で、30分ほどで準備した千数百枚のチラシをまききった。『こんなに反響があるとは。関心があるんだ!』とは、教組書記長の感嘆半ばの感想」

【八王子】

 「新ガイドラインに反対する八王子連絡会」で教科書問題とビッグレスキューを二本柱に。「八王子市民の会」がシンポジウム。韓国民団の人たちと共同の要請も。「記者会見した崔支団長は『在日韓国人は、不幸な歴史の生き証人として、この日本で生活しています。私たちの願いは不幸な歴史を乗り越え、歴史の痛みを共有することです』と語った。」

【台 東】

 「台東ネット」で運動。「6月14日には、朝7時45分から8時30分まで台東区役所前で台東協同の所員を含む11名でネット21のリーフをまきました。大雨の中の活動でしたが、区役所職員などの取りはよく、時間内で500部がなくなりました。弁護士もたまには早出をするものです」

【千代田】  

 平和と民主主義・千代田連絡会と千代田春闘共闘で要請。東京で最初に採択される地区で、「危険情報」もあって傍聴者が殺到。歴史・公民とも東京書籍が提案され「異議なし」で採択。

【荒 川】

 「荒川ネット」を立ち上げ。区長や保守系区議の推進策動が顕在化し、「情勢は危険!」。一般紙折込みも含めて区内宣伝を徹底し、教委当日は区役所を包囲。「2対2 委員長代行(委員長は教科書執筆者で回避)の決済で不採択。運動がなければあぶなかった」。

【江 東】

 「教科書問題を考える区民の会」。「都教委が養護学校で採択」の報に緊張が走り、8月初頭は3日連続で区教委に対する監視・要請行動。

【墨 田】

 公開された委員会の傍聴記。「A委員=読み物としては面白いが、中学校の教科書としてはむかない。B委員=ハガキその他、要請が来ている。左とか右は関係ない。公正さが必要でかたよった教科書は駄目。C委員=文献が少ない。中学生の主体的な学習に向いていない。問題解決能力、生きる力を助ける視点が不足している。委員長=神武天皇の記述は子供達が戸惑うのではないか。教育勅語は資料として扱っているのか本文として取り扱われているのか。本文として取り扱われていると思う。教育勅語については、昭和23年の国会決議で失効宣言がなされている。どのように考えているのか・・」

【大 田】

 地元で開かれた推進派の集会に1200名。「地元の顔ぶれはほとんど見ない。宗教団体の集会のようだ」とは参加してみた区民の感想。要請はがきを集中し宣伝カーの運行も。「宣伝カー1台と弁士用車1台で8人が蒲田駅、大森駅、大型スーパー前、団地等の6カ所を回っての街頭宣伝にくり出しました。朝10時から午後1時30分まで。(中略)選挙も教科書も頑張ろう!」

北海道

 「札幌市民連絡会が7月5日教委に要請。賛同35団体の中に自由法曹団北海道支部も」とは、教科書ネットのメーリングリスト経由の情報。「十勝採択地区が危ない!」などの情報がとんだ最終盤、北海道支部は重点的に意見書送付など必要な手だてを実行。

埼 玉

 埼玉憲法会議には埼玉支部が加入し、代表委員のひとりは団員。憲法会議でさいたま市、川口市などの市教委に要請し、県内に反対運動のチラシを配布。

大 分

 大分支部と大分大学教官有志が呼びかけて意見広告を提起。憲法記念日の集会に教科書問題を取り上げ、これを機会に一口1000円、1600口を目標に取り組んだ。呼びかけには自治労大分、大分県教組、大分高教組も参加。進める側の「予測」を遙かに上回り、3000名(個人・団体)を上回る賛同を得ての堂々の成功をおさめ、西日本新聞・大分合同新聞などに一面全面広告の堂々の意見広告を発表し、朝日・毎日。・読売3紙にも。「教科書問題がそれだけ広く深い問題であることの反映であることは言うまでもありませんが、日和見をせずに、情勢を的確に捉えて立ち上がることの重要性を痛感しました。

◎ 法律家として教育委員会に

群 馬

 自由法曹団群馬支部と青法協群馬支部、労働弁護団の役員連名で意見書をつくり、県内の各市町村教委に送付。意見書はオリジナリティのある重厚なもの。地元の上毛新聞では、「不採択求め意見書 県内の弁護士ら今週、各教委へ提出」と5段抜きで大きく報道。前橋市、高崎市、桐生市については情報公開請求をし、一部非公開にした桐生については異議申立も。「事前の公開請求では採択審議そのものは出てこないが、請求することが密室審議への無言の抗議と圧力になる・・」(7月14日常幹)。

鹿児島

 「自由法曹団南九州支部鹿児島県内弁護士一同(6名連名)」で県内の教委に要請分と公民教科書への見解を送付。送付先は実に96市町村教育委員会。南九州新聞は「賛否両派が要望書 教科書展示の閲覧、前年の倍近く」と報道。

熊 本

 自由法曹団、青法協、労働弁護団の連名で教委に申入れ。地元紙で大きく報道。

長 野

 長野県支部の要望書を県下120箇所に郵送。毎日新聞長野版は5段抜き写真入で大きく報道し、地方紙の「長野日報」「信濃毎日」も報道。

愛 知

 支部例会で学習会。名古屋市教委に支部として要請、「市民の会」にも団体加入。

兵 庫

 緊急県民集会の開催とあわせて兵庫県支部独自で教委への要請行動。「採択される危険が大きいのでは」と思われた但馬や淡路島の教委には団員が赴いて直接要請。「委員全員に配布する」と約束した教委事務局も。「このあたりは弁護士が少ないから、弁護士が行くと大変な騒ぎになる。いつもは憂慮している『弁護士過疎』だが、このときばかりは・・」。「学校の図書館に教科書が並べられていたので見に行った。意見を出す場所があったので『元PTA会長』の肩書で出した」団員も。

京 都

 採択予定は7月上旬で時間がない。6月30日付で京都支部幹事長名の要請書を作成し、公民教科書への意見書とともに府下57の教育委員会と関係団体に送付あるいは提出。要望書には「京都府市町村のアジア諸国都市との姉妹・友好提携関係の一覧表」を添えて、アジア諸国との平和外交を強調。

宮 城

 宮城県支部名の要請書を宮城県教委、仙台市教委などに提出。

◎ 広く弁護士に訴えて

大 阪

 公民教科書への意見書を府下の教委に送付したほか、広く弁護士の共同アピールを提起。6月26日に呼びかけて1週間で144名がこれに応え、府下すべての教育委員会に送付。

神奈川

 支部幹事会で弁護士共同アピールを提起して、青法協や労働弁護団関係者にも共同を呼びかけ。4名が呼びかけ人になったアピールには約80名が賛同者になり、神奈川県教委や県下の教委に提出。取り組んだ団員も弁護士層の敏感な反応に意を強くしたとのこと。

広 島

 被爆地広島での採択を許さないために、団員が弁護士会に問題を提起。会内の討議を経て、7月19日に広島県弁護士会長声明を発表。「世界で初めて原子爆弾の惨禍を体験した広島は、全世界に向けて平和を派新する使命を持った都市です。そして広島弁護士会は永年に亘り平和を希求し、核兵器の廃絶を訴えてきました。ところが、「公民」の教科書には、核兵器の廃絶は空論であるととられかねない記述があります。このような記述は、日本国憲法の永久平和主義の精神に反するのみならず、核兵器廃絶の理想を否定しているとも解され、極めて遺憾であると言わざるを得ません」(声明より)。

◎ 「採択の危険!」との報に

栃 木

 「下都賀地区採択協議会が『つくる会』教科書を採択」との報道が全国をとびかった。栃木県労働弁護団(自由法曹団の支部はない)は、直ちに労働弁護団としての要望書を栃木市など10市町村の教育委員会に提出した。協議会の採択には、地元の保守系首長や地元住民から厳しい抗議と批判が突きつけられ、全国から撤回要求が殺到するなかで、10市町村の教委すべてが協議会の結論を支持せず、劇的な「逆転不採択」となった。下都賀地区の教委には、東京支部や宮城県支部も要望書を提出している。この「下都賀の攻防」が流れを決めた意味は大きい。

東 京

 反対運動が盛り上がる中で、関係者を震撼させたのが「東京都が養護学校で採択」との報道だった。
地域単位で展開していた運動の「虚を突かれた」かたちでもあった。東京支部は直ちに撤回・再検討の要望書を提出し、全国・全都から集中された反対意見は3000件に及んだ。8月7日、都教委は都庁を取り巻く抗議の渦の中で養護学校への一部への採用を強行したが、マスコミや識者の手厳しい批判を受け、あとに続く区市教委は現れなかった。教育委員6名のうち3名は石原都知事の「肝煎り」で任命された委員であり、「石原の突出」をあらわにした採択だった。

愛 媛

 東京都に続いて、「愛媛勤評」以来の名うての反動教委である愛媛県教委も養護学校に採択。団員が会長になっている「日本コリア協会」は会として反対声明。愛媛県では採択後も撤回を求める県民の運動が続いた。





教科書採択制度・関連法文

○義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律(教科書無償措置法)

第3章 採択

【都道府県の教育委員会の任務】
第10条 都道府県の教育委員会は、当該都道府県内の義務教育諸学校において使用する教科用図書の採択の適正な実施を図るため、義務教育諸学校において使用する教科用図書の研究に関し、計画し、及び実施するとともに、市(特別区を含む。以下同じ。)町村の教育委員会並びに国立及び私立の義務教育諸学校の校長の行う採択に関する事務について、適切な指導、助言又は援助を行わなければならない。

【教科用図書選定審議会】
第11条 都道府県の教育委員会は、前条の規定により指導、助言又は援助を行なおうとするときは、あらかじめ教科用図書選定審議会(以下「選定審議会」という。)の意見をきかなければならない。
2 選定審議会は、毎年度、政令で定める期間、都道府県に置く。
3 選定審議会は、20人以内において条例で定める人数の委員で組織する。

【採択地区】
第12条 都道府県の教育委員会は、当該都道府県の区域について、市若しくは郡の区域又はこれらの区域をあわせた地域に、教科用図書採択地区(以下この章において「採択地区」という。)を設定しなければならない。
2 都道府県の教育委員会は、採択地区を設定し、又は変更しようとするときは、あらかじめ市町村の教育委員会の意見をきかなければならない。
3 都道府県の教育委員会は、採択地区を設定し、又は変更したときは、すみやかにこれを告示するとともに、文部科学大臣にその旨を報告しなければならない。

【教科用図書の採択】
第13条 都道府県内の義務教育諸学校(都道府県立の義務教育諸学校を除く。)において使用する教科用図書の採択は、第10条の規定によって当該都道府県の教育委員会が行なう指導、助言又は援助により、種目(教科用図書の教科ごとに分類された単位をいう。以下同じ)ごとに一種の教科用図書について行なうものとする。
2 都道府県立の義務教育諸学校において使用する教科用図書の採択は、あらかじめ選定審議会の意見をきいて、種目ごとに一種の教科用図書について行なうものとする。
3 公立の中学校で学校教育法第51条の10の規定により高等学校における教育と一貫した教育を施すもの及び公立の中等教育学校の前期課程において使用する教科用図書については、市町村の教育委員会又は都道府県の教育委員会は、前2項の規定にかかわらず、学校ごとに、種目ごとに一種の教科用図書の採択を行うものとする。
4 第1項の場合において、採択地区が二以上の市町村の区域をあわせた地域であるときは、当該採択地区内の市町村立の小学校及び中学校において使用する教科用図書については、当該採択地区内の市町村の教育委員会は、協議して種目ごとに同一教科用図書を採択しなければならない。
5 前各項の採択は、教科書の発行に関する臨時措置法(昭和23年法律第132号。以下「臨時措置法」という。)第6条第1項の規定により文部科学大臣から送付される目録に登載された教科用図書のうちから行わなければならない。ただし、学校教育法第百七条に規定する教科用図書については、この限りでない。

【同一教科用図書を採択する期間】
第14条 義務教育諸学校において使用する教科用図書については、政令で定めるところにより、政令で定める期間、毎年度、種目ごとに同一の教科用図書を採択するものとする。
第15条 削除

【指定都市に関する特例】
第16条 指定都市(地方自治法(昭和22年法律第67号)第252条の19第1項の指定都市をいう。以下この条において同じ。)については、当該指定都市を包括する都道府県の教育委員会は、第12条第1項の規定にかかわらず、指定都市の区の区域又はその区域をあわせた地域に、採択地区を設定しなければならない。
2 指定都市の教育委員会は、第10条の規定によって都道府県の教育委員会が行なう指導、助言又は援助により、前項の採択地区ごとに、当該採択地区内の指定都市の設置する小学校及び中学校において使用する教科用図書として、種目ごとに一種の教科用図書を採択する。
3 第13条第3項及び第5項の規定は、前項の採択について準用する。

○地方教育行政の組織及び運営に関する法律(地教行組法)

【教育委員会の職務権限】
第23条 教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。
(1〜5 略)
6 教科書その他の教材の取扱に関すること。
(7〜19 略)

○教科書の発行に関する臨時措置法

【教科書需要数の報告】
第7条 市町村の教育委員会、国立及び私立の学校の長は、採択した教科書の需要数を、都道府県の教育委員会に報告しなければならない。
2 都道府県の教育委員会は、都道府県内の教科書の需要数を、文部科学省令の定めるところにより、文部科学大臣に報告しなければならない。




共 同 声 明

 自由法曹団は日本の弁護士約1600名、民主社会のための法律家集団は大韓民国の弁護士約350名で構成される法律家団体であり、いずれも民主主義を守り労働者や国民のためにたたかっている。2001年7月5日、自由法曹団と民主社会のための法律家集団とは大韓民国ソウル市において共同のシンポジュウム・交流会を開催し、両団体の活動についての交流を行った。

 このシンポジュウム・交流会の中で、両団体は、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)が作成した中学校の歴史教科書、公民教科書の問題について共同声明を出すことにした。

 日本で「つくる会」の教科書に反対する運動を行っている自由法曹団は、次の意見を表明する。

 「つくる会」の歴史教科書および公民教科書は日本の子ども達の教育と将来にとって有害である。「歴史教科書」は侵略戦争を美化し、日本民族の優秀性を根拠なく強調するなど、排外主義をあおるものであり、「公民教科書」は「歴史教科書」と共に国際平和に逆行して日本国憲法の平和条項の廃止へ子ども達を誘導するものである。自由法曹団は、法律家団体の責務として「歴史教科書」とともに「公民教科書」の危険性を広めるため意見書を作成し、普及する活動を精力的に展開するとともに、これらの教科書について全国の各市町村で採択させない運動を展開している。こうした運動は日本の将来にとって極めて重要であると考えている。

 民主社会のための法律家集団は次の意見を表明する。
 「つくる会」歴史教科書は、日本の侵略を美化し、排外的な民族主義をあおっている点、韓国をはじめアジア諸国に対する侵略に対する反省もないどころかこれを美化している点について深い憂慮をもっている。また、自由法曹団が「公民教科書」に対して考えている問題点についての理解に同意する。そして、法律家団体として「歴史教科書」及び「公民教科書」について、これらを採択させない運動を展開していることについて強い支持と共感を表明する。また、合わせて日本の良心的な人々が「つくる会」教科書の不採択運動をしていることへの連帯の意思を表明する。

 自由法曹団と民主社会のための法律家集団とは「つくる会」歴史教科書、公民教科書が日本の子どもたちの教科書として採択・使用されることが日本と大韓民国の未来にもかかわる深刻な問題を引き起こすことになることを確認し、両団体は「つくる会」の歴史教科書・公民教科書が日本の子どもたちの教科書として使用・採択されることに強く反対し、日本全国の自治体がこれらを教科書として採択しないよう強く求めるものである。

 日本と大韓民国の両法律家団体は今後も引き続き両国の未来を担う子ども達の教育、そして教科書の問題について強い関心を持って注目し、必要なたたかいを進めていくことを相互に確認する。

2001年7月24日

自  由  法  曹  団
民主社会のための法律家集団






教科書採択の世論敵視の文部科学省に対する抗議声明

1 一部新聞で報道されるところによれば、遠山文部科学大臣は7月24日、都道府県の教育長らが集まった全国都道府県教育委員会連合会の総会で教科書採択のについて発言し、「一部の地域で、公正かつ適正な採択が妨げられかねない事態が生じている。外部からの働きかけに左右されることなく、採択権者の判断と責任で、採択を行ってほしい」と述べたという。

 一方、7月19日付で文部科学省初等中等局長名で各都道部県教育委員会教育長あて「一部の地域からは、教育委員会等の採択関係者に対し、教科書採択について組織的な運動として展開されるなど様々な働きかけが行われ、教科書の公正な採択に影響を与えかねない事態が生じているとの報告がなされています。」としたうえで「教科書の採択が外部からの働きかけに左右されることなく、採択権者の権限と責任において公正かつ適正になされるよう、指導の徹底をお願いする」旨の「通知」がされている。こうした発言等は教育への国家権力の介入と国民主権を否定する重大なもので、これに対して厳しく抗議するものである。

2 もともと「新しい歴史教科書をつくる会」(以下つくる会)作成の教科書の採択を求める者は、かねてから教育委員会に働きかけ、「つくる会」教科書を無償で「配布」したり、検定後「市販」を強行して採択の弾みにしようとしたり、教科書採択の仕組みの「改正」までして、つくる会教科書の採択に有利になるようにはかるなどの様々な「運動」を展開してきた。しかし、こうした動きについては文部科学大臣は何らの態度表明もしていない。

 ところが文部科学大臣、文部科学省は今の時点になって急遽従前の態度とは異なり、ことさらに公式の場で発言したり「通知」を出したりして教育委員会に対する働きかけを批判している。こうした「発言」、「通知」は、7月11日に栃木県下都賀地区協議会で一旦決められた「つくる会」歴史教科書(扶桑社刊)について、抗議が相次ぎ採択の方針が覆されたことなど全国で巻き起こっている抗議の声を意識し、こうした国民の健全な批判を敵視してなされたものとみるほかない。

 上記の「発言」、「通知」は形式的には、教科書採択が「公正かつ適正」になされるべきとしているものの、現在に至る経緯とタイミングから見るならば、「つくる会」の教科書批判への牽制であり、実際は教育委員会に対し、「つくる会」教科書採択を躊躇せず踏み切るように言っているに等しい。「採択権者」の権限と責任による「採択」を擁護するかのような姿勢をとりながら実際には文部科学大臣、文部科学省による「教科書採択」への介入である。

3 教科書採択については、地域によっては教材選択にもっとも関心と高い理解をもつ現場の教員の意見を聞かないで決定することを始め、教育の本来のあり方に反するものになってきている。

 そもそも、教科書採択は、教育に直接携わる教員、地域住民、国民の意見を聞いてなされるべきものであり、国民の批判、監視を回避しようとすることこそ問題である。父母が我が子の教育に重大な関心を持つのは当然であり、基本的な権利である。そして、国民が次代を担う世代の教育に関心と期待をもつこともまた当然である。公教育は国民の負託を受け、国民全体に対し、責任を負って行われるべきものであり、国民の意見や批判を排除することは許されない。

 さらに、国民からの批判を嫌悪し密室での採択を強行しようとすることは国民の請願権を否定し、国民主権をもないがしろにするものである。

 私たちは、このたびの文部科学大臣の「発言」と文部科学省初等中等教育局長の「通知」に対して厳しく抗議すると共に直ちにこれを撤回することを求める。

2001年7月30日

自 由 法 曹 団
団長   宇賀神  直