<<目次へ 団通信1038号(11月11日)


  岡崎 守延 研修医は労働者ー大阪地裁堺支部で初判断
小口 克巳

組織活動についての雑感ー退任のご挨拶に代えて

  中野 直樹 人々の輪の中で の思いで決断
鈴木 亜英 ロースクールで「ギルド」の果たす役割ーNLGアリゾナ総会感想その一
島田 広 三つのロースクールを調査して
菅野 昭夫 NLGから自由法曹団創立八〇周年へのメッセージ
井上 洋子 八〇周年記念のつどい 七〇〇名の参加で終える
小賀坂 徹 八〇周年記念レセプション盛大に開かれる
萩尾 健太 小泉内閣の「特殊法人改革」による日本育英会奨学金制度改悪に反対する
坂井 興一 こんなことも、、。

研修医は労働者ー大阪地裁堺支部で初判断ー


大阪支部  岡 崎 守 延


一 二〇〇一年八月二九日に、大阪地方裁判所堺支部で研修医の身分に関する先例的判決が出ましたので、報告します。

二 この事件は、まず「研修医の過労死」として提起されました。
 一九九八年三月に関西医大を卒業した森大仁(ひろひと)さんは、一か月の無給の「見学生」(実態は研修医と同じで一日一五時間の「見学」)を経て、六月から研修医として、そのまま関西医大病院に勤務することになりました。

 「病気で困っている人を助けたい」という思いを胸に、希望に燃えて医師としての生活をスタートした森さんでしたが、研修医のおかれている実態は想像を絶するものでした。

三 森さんの研修医の勤務は、午前七時三〇分の「点滴・採血」から始まって連日午後一一時頃まで続きました。手術の日には、明け方の四時頃迄立会い、そのまま午前七時三〇分から勤務につくという状態でした。昼食も、勤務の合間を縫って取る状況で、ゆっくりと食事できる様な時間は全くありませんでした。
これに「副直」(夜勤)が組み込まれますが、「副直」も当日の勤務を終えてからそのまま泊まり勤務に移行し、翌日はまた午前七時三〇分からの通常勤務に就くというもので、「明け番」などは全くありませんでした。

 そして、全く信じられないことですが、これだけ働いて、森さんの一か月の給料はわずか六万円でした。

 また、雇用保険も健康保険も、何もない状態でした。

四 森さんは、大学まで陸上部で活躍し、体力的にも何の問題もありませんでした。それが、研修が始まってから、見る見る疲れていく様子が、家族にもよく分かりました。

 この様な激務の中で、一九九八年八月一七日の朝に、森さんが自宅の居間の電話の前で、前夜に帰宅したままの服装で倒れているのが発見されました。

 森さんは既に亡くなっていました。急性心筋梗塞症でした。
研修が始まって僅か二カ月半、二六歳の、余りにも早い死でした。

五 両親には、森さんの死因が、病院での働き過ぎ以外には考えられませんでした。
森さんの勤務の実態を尋ねる両親に対し、病院からは「研修のカリキュラムは午後七時で終了し、その後も病院に残っているのは研修医の全くの自由意志」とか、「研修の時間帯にも『自由研修』の時間があり、全く過酷なものではない」などと、およそ紋切り型の説明しか得られませんでした。

 両親は、更に、森さんの同窓生や、当時の入院患者からも勤務実態を聞く中で、過労死との確信に至りました。
両親は、森さんの過労死に対する病院の責任を問う為に、損害賠償請求の訴訟を提起しました。病院はこれに対し、「研修医は労働者ではない」などという信じ難い言い分まで出して、争い続けています。この事件は、現在も係属中です。

六 両親の追及は、更に続きます。
まず、森さんの給料が月額僅か金六万円と、大阪府の最低賃金にも満たないことから、最低賃金額と金六万円との差額を未払賃金として請求する訴えを新たに提起しました。
続いて、病院が森さんを私学共済に加入させていなかったことから、両親は遺族年金を受給できず、これによる損害賠償の訴えも併せて提起しました。

 今回判決のあったのは、この二つの事件です。

 実は、森さんのお父さんは社会保険労務士で、これら二つの請求内容は、弁護士の狭い視野では中々出てこない発想と言え、このお父さんあってこその訴訟といえます。

七 この両事件でも、病院は同様に「研修医は労働者ではない」という答弁を繰り返しました。
 これによって、この両事件の、最大にして殆ど唯一の争点は、研修医の身分、即ち研修医の労働者性に尽きることになりました。

八 そして、大阪地裁堺支部は、二〇〇一年八月二九日に、「研修医は労働者である」と明快な判決を下しました。
おそらく、研修医の労働者性を認めた初めての判決と思われます。

九 弁護士とすれば、この両事件は過労死の損害賠償請求事件の「前哨戦」という受け止めでしたが、事件の進展の中で、これ自体が極めて重要な意義をもつ事件との認識に至りました。

 即ち、本件の森さんに限らず、全国に約一万三〇〇〇人といわれる研修医は、程度の差こそあれ、非常に不十分な勤務条件を強いられています。

 特に私立の大学病院に、その矛盾が集中していると思われます。

 近時多発している、研修医が関わる医療過誤事件は、この様な研修医の不十分な勤務条件が大きく関わっていると思われます。

十 そして、この不十分な勤務条件という問題は、実は研修医のみに止まらず、広く医者一般にも言えることが分かりました。
 この訴訟の中で、私は、「無給医」という、名のとおり全く給料を支給されずに働いている医師(他病院のアルバイトと当直で生活費を得ている)が多数存在することも知りました。

 国民が良好な医療を受けるには、研修医、医師が治療に専念できる良好な勤務環境が不可欠と言えます。

 この事件は、この様なことを、広く世論に訴えかけていると思います。


組織活動についての雑感 ー 退任のご挨拶に代えて ー


東京支部  小 口 克 巳


1 普段は個別事件に忙殺されるがー団の役割
 戦前の弁護士列伝に出てくるキラ星のごとき名弁護士達、この方々の時代には組織的弁護活動がなかったと聞く。大事件で弁護人が五人居てもそれぞれが弁論を張り、ときには相互に矛盾していたりしたそうである。これでは大弁論も台無しである。これを画期的に変えたのが戦後の団の弁護士達、個人プレーを排して弁護団が力を発揮し、団員は弁護団の縁の下の力持ちになった。ナショナルロイヤーズギルドや韓国の民弁の存在はあるが、自由法曹団は世界的にも稀有の存在だと断言して良いだろう。組織的弁護活動の先鞭をつけ必要に応じて弁護団結集のセンターとなること、裁判闘争を大衆と共にたたかうスタイルを確立したこと、法律家が社会全体の民主化を意識して裁判闘争・悪法反対闘争に協力して取り組んでいることなど団の果たしている役割ははかりしれない。
 日常の個別の裁判闘争では見通しにくい時代の流れ、裁判所の意図、裁判官の陥っている間違った認識、悪法制定の動きなどについて経済的・社会的そして哲学的分析の助けを借りてその本質を明らかにし、個別の裁判を越えた連携を組み、政治・社会の制度改革を見通した活動・たたかいをしている。最近では、整理解雇四要件を巡るたたかいがあるが、詳しくは述べない。
 「個々の裁判を法廷内でたたかいきる」ことだけでは絶対になしえないことを多くの法律家が連携して力を合わせて取り組んでいくこと、しかも全国でまた世界中で連携を取って取り組んでいくことが必須である。「一騎当千」もいいが、条件が限られた団員もそれぞれが限られた力を出し合い協力して大きな仕事をやり遂げることが団の真骨頂と思う。自由法曹団という団体を運営し、その存在を維持し発展させることそのものの価値は大きい。自由法曹団の組織活動の任を引き受けたのはこう考えたからである。

2 団員は指示命令で動かない、情報提供が基本

 偉そうなことを書いたが、日常の業務の大半は地味なことである。「事務局長は雑巾がけが仕事です。」と言ったら「よく言うよ。全国に号令をかけるのに。」と真顔で言わたこともある。しかし本当だ。団員は決して指示命令で動かない。団員一人一人が自分の頭で考え納得して初めて力になる。これが団の本来のあり方だ。九月一一日の同時多発テロに続く事態は今やアメリカの武力報復と日本の参戦に進んでいるが、これに対する立ち上がりは早かった。団員は必要なときには率先して行動するものだということを実例として示した。団はすばらしい組織だ。だから、常に団員が居心地が良く気持ちよく活動できるような条件を整えるのが本部の役割である。客を迎えるために雑巾がけをするみたいなものである。活動しやすくするチャンネルが月一回の常任幹事会であるし、また団通信である。団通信の役割はとりわけ重要で、全国の意思疎通のかなめであることは言うまでもないが、会議の運営にも心すべきことがあると思う。

 会議をするときしっかり考えておくべきことは会議の目的である。指示の伝達、情報収集・情報交換、討議した上での方針決定、実務の段取りの相談等々。目的は千差万別でかつ入り組んでいる。

 しかし、団の場合には「指示の伝達」でよいわけがない。弁護士誰もが自分の判断を持つ。必要な判断資料・情報を用意し、論点となるところを明示し、討論を組織する。当然ながら招集者側での結論は用意してあり、これを始めに示すことも多いが討論を踏まえて示すこともある。こうした手順を経て、会議参加者の腹に落ちないと力にならない。これが本来の鉄則であるはず。実践段階になれば、実践方法を提起し先進的な実践例を紹介、検討して他でどのように活用できるかどうかが検討される。
いずれにしても、参加者が自分で判断することが前提である。その意味で情報を提供する機能は団の会議にとっての重要な機能である。神奈川の大川支部長が「久しぶりの常幹に来たら良い資料が手に入った」とおっしゃったことがあるが準備の甲斐があったというものである。

 しかしこれと裏腹の傾向も出てきている。団にも出てきたマニュアル化の傾向だ。しかし、マニュアルだけでは本質に迫ることは出来ない。「すぐ使える資料をつくってほしい」、「抗議文の文例を送ってほしい」、「意見書を作って送ってほしい」という「要請」がくるが、使い方を誤ると上意下達になってしまう。

 事務局会議では私が進行役なので一人一人が問題の核心に迫るにはどうしたらいいか考えた。次長はこれから団活動を担っていく若い人たちだからなおさらである。次長を終えたときには団が取り組んでいるあらゆる課題についての基本的な見識と見解を持って欲しいと願っていた。私の所属の東京合同事務所では新人の時から何かというと「君はどう考えるのか。法律家であれば自分の意見を持て」と口酸っぱく言われてきたので至極当然と思っていた。従って討論を重視し、進行役の見解を押しつけることなく皆がそれぞれ自分の見解を持ち討論することを目指した。実務的な割り振りに終始したり、上位下達の会議は禁物であると思った。私の意図は受け入れられただろうか、どれだけ成功しただろうか。

3 皆がたのしく活動できるように

 いうまでもなく、団活動はすべてボランティア、団員が講師を務めるときだってそうだ。交通費まで自分持ちだ。

 やっていて充実感があったり、「貢献できたな」と思えたり、喜んでもらえたり楽しかったりがなければその後が続かない。皆が気持ちよく活動できるようにお互い心しなくてはならない。この点弁護士会の活動は(社交辞令とかあるのかもしれないが)お互いを立ててとても礼儀正しい。君子の交わりである。当然のことだが「任務だから活動して当然」などという作風は全くない。学ぶべき面があると思う。

 特に団活動を運営する側はそのことに心を砕かなければならないと思う。松川事件のとき、団員は地味で目立たなくても縁の下の力持ちとして大切な仕事をかぶっていたという。運営する側の役割はそのようなものだと思う。常日頃から東京合同の先輩達からそういわれていたのが頭にあった。事務局長の仕事はただでさえ目立つから極力地味にしていようと心に決めていた。なかには、「気づかない人もいるから、どのようにがんばっているのかもっとアピールした方がいい」と言ってくれた人もいた。実際そうした方が良かったかもしれないが、運営する側の役割は違うところにあると思っていた。革新運動に身を投じたのは個人の手柄とか栄達の世界から絶縁するということだと思う。また、そんなことをしていたらきっと周りの人を不愉快にさせたのではなかろうかと思われる。

 自分の優秀さや、自分が一番がんばっていることをアピールしようというのもそれが活力の源になるのであればよしとしよう。しかし、仲間をおとしめたり、けなしたり足をひっぱったりというのも禁物である。建設的批判として相手に対して節度を持って直接持ちかけるべきである。こうしたことでどれだけの団員が活動から離れてしまうか。少なくとも「近づきたくない」と思う人が一人でもいたらそれは失敗である。少なくとも「運営に責任を持つ側」がそうであってはならないと思う。
総会で配布させていただいた「自由法曹団員の七〇年の歩み」(古稀団員の挨拶文集)の中で内藤功団員が「若い世代の方々のために、……ご迷惑にならないように節度をもってつとめていきたい」と書いておられる。しかし、これは謙虚の極みで彼は若い団員と共に仕事をし自らが模範を示し、指図がましいこともなく、適切で丁重な発言とアドバイスをして憲法・平和・沖縄問題の中核として活動しておられる。「団における一騎当千」とは「多くのひとと気持ちよく仕事し、その中で成果を上げる」という能力があってこそと思う。事務局にもたくさんのアドバイスをしていただいたが、「小うるさい」と感じたことなどは皆無であった。一緒に仕事をさせていただいた鈴木前幹事長からも学ばせてもらったことである。

さいごに

 中国訪問で、日本軍の暴虐をまのあたりにしたことは忘れられない。準備の打合せを重ね、事前訪問にまで行ったが、推進力になった南次長の熱意の源泉を見たように思った。アメリカや韓国訪問も印象深い。司法問題ではタブロイド判やビラを作成しているときとても気分が和らいでいるのを感じたものだ。定期借家権、少年法、教育立法などなど国会での私たちの働きかけが実際に論戦に反映されているのを確認できた。最終盤で報復戦争参戦法の反対の意見書を皆で分担して一気に書き上げるとき団の蓄積と底力を実感した。二年間の出来事が次々に浮かんできてきりがない。

 全国の団員にはとてもお世話になった。静岡、高知での五月集会、富山、東京での総会、沖縄、長野での常幹の運営は地元の力で準備いただいた。東北ブロック、北陸支部、千葉支部、愛知支部、京都支部、兵庫県支部、九州ブロックのそれぞれの総会にもおじゃましてお世話になった。常幹会議に毎月参集される方々の負担は並大抵ではない。お礼を申し上げる。一緒に仕事をした豊田前団長、宇賀神団長、鈴木前幹事長、篠原幹事長そして事務局次長のみなさんに感謝する次第である。そして所属事務所の事務局を含めた同人には物心両面でさまざまな負担をかけた。家族はそれ以上である。この場を借りて感謝の意を表したい。


人々の輪の中で の思いで決断


事務局長  中 野 直 樹


一 一一月三日は坂本堤弁護士、都子さん、龍彦ちゃんの命日で、四日、円覚寺 松嶺院で一三回忌の法事がいとなまれた。人権活動に対する卑劣なテロで息子さん家族を奪われたさちよさんは、悔しさ、憎しみ、悲しさ、寂しさなどの衣を一枚一枚脱いできて、今は心が整理でき、救出活動を通じて結ばれた人々、そして地方との縁を大事な宝にして自分の人生を楽しむ生活を送り始めていると話されていた。

 私は、七七年大学に入学するまで、社会に関心をもったり生き方を模索したことはなかった。一年先輩から社会問題を見つめるグループに誘われた。その一人に坂本堤さんがいた。そして公害、薬害、冤罪で苦しむ被害者の存在とその困難な権利救済に立ち向かっている弁護士の存在を初めて知った。二年生になったとき、本郷に移った坂本さんたちとともに学内で弁護人抜き裁判法案反対の声をあげた。社会運動に初めてかかわった。秋の駒場祭で模擬裁判を企画した。シナリオを自作し、確か、四谷の法律事務所に出向いてアドバイスをもらった。坂本さんは兄貴分肌で、さて呼び込みだということで、恥ずかしがる私たちの尻をたたき、裁判劇の衣装で構内を練り歩いた。そんなことを、読経のなかで思い出した。

二 八六年、八王子合同法律事務所で弁護士人生スタート。八九年、坂本弁護士一家事件が発生し、救出運動が始まった。私は、加賀・白山麓の山村百姓で生まれ育った。警察庁に対する要請署名の取り組みを母に話したところ、人口千人を割る過疎村から四〇〇名を超える署名が届いた。子を思う親の心の大きさを実感した。

 その後事務所は細胞分裂し、まちだ・さがみ総合法律事務所の建設に加わった。三人の弁護士が五名となり、この一一月二日、設立一〇周年の節目の企画を催した。こじんまりとした集いであったが、内容は、日フィルの弦楽四重奏と山田洋次映画監督の講演という濃いものであった。日フィルはさちよさんが縁をつくってくださった。山田監督は、山形・鶴岡で、私の好きな藤沢周平さんの作品を素材とした正月映画のロケ中。その合間にかけつけてくださった山田監督はとつとつした口調で、つまづき傷つきながら、しかしけなげに生きている市井の人々への思い、映画製作で出会った人々の生きざまを語られた。決して能弁ではないが、その一言ひとことから瞼に映像が浮かび上がる効果に驚き、ことばの力に感じ入った。

 参加者から、渥美清さん亡き後、西田敏行さんで「寅さん」映画を復活させることができないのかとの質問が出た。これに対し、山田監督は、渥美さんは根っからの下町生まれの江戸っ子気質、これに対し西田さんは福島の僻村に生まれ育ち、両者が背負ってきている自然環境、人間環境、文化が全く異なり、無理やり西田さんに寅さんを演じさせようとしても味わいが出ないばかりか、西田さんの持ち味をだいなしにしてしまうと述べられた。

三 私はといえば、地方のそのまた田舎出で、都会での生活が長くなったとはいえ、日程をやりくりしては、渓流釣り、山登り、スキーと山に癒しを求めてやまない。この楽しみは一人で味わうには大き過ぎるので、ときおり、釣紀行を書いて団通信等に投稿してまた楽しんでいる。当然公立学校を歩んできているので、私学出身の方とはどうも微妙に感覚が合わないと感ずることもある。

 事務局長の話しがあったとき、二年前に次長を退任したばかりであるし、東京の西端の小さな事務所の負担は大きいし、大勢の前で話すことは苦手だし、たたかうぞと握りこぶしを挙げることにも気恥ずかしさを感じる性格だしなどとかなり迷ったが、団に集まり、また団を囲む素敵な人々の輪のなかで過ごす二年間も貴重な人生か、とも考え決意した。

 渓流釣りは、スタンスを正しくとり、流れの心を見きわめ、肩の力を抜き、仕掛けを的確に、自然体に流すことが骨のようだ。

 経験豊かな団長・幹事長に学びながら勘所を会得し、次長の皆さんと専従事務局員の持ち味と心意気と力が生き生きとみなぎる執行部活動ができればと願っている。
 よろしくお願いいたします。


ロースクールで「ギルド」の果たす役割NLGアリゾナ総会感想その一


東京支部  鈴 木 亜 英

1、ナショナル・ロイヤーズ・ギルド(NLG)の年大会がアリゾナ州ツーソンで開かれた。この大会に菅野昭夫、島田広、私の三人の団員が参加した。ツーソンは州都フェニックスに比較的近いが銅産の町として独自の歴史をもっている。人口は六〇万人というから大きな都市ではない。ここはいわば砂漠の町である。ロサンゼルスから飛び立った国内線は延々人気のない砂漠のうえを飛び続け、一時間余りして突如町中に舞い降りる。グランドキャニオンを含む広大なコロラド高原は砂漠が主体であるが、ツーソンはその一角にある。七月から九月末までの「スコール期」を除いてほとんど雨がない。私たちが訪れたツーソンも毎日青空が続き、心を軽くさせた。気温も高く、十月中旬とはいえほとんどの人はTシャツ姿である。冬でも摂氏十度は下らないのだそうだ。緯度をアジアに引き直せば台北に当たるからもっともだと云える。町中の植物はサボテンか多肉系の葉をもった見慣れぬ樹々でありこれが淡い緑の波長を織りなし、肌色やオフホワイトの壁に映える。

 メキシコとの国境に近いから、食べ物も音楽もその流れである。厳しい警戒網の中を漸くここに辿り着いた私たち三人はテロ騒ぎとは無縁に見えたこの町で、連夜星空の下タコスを頬張り、地ビールを飲み乾しと、しばし多忙の日常を忘れたのである。

 車で二、三十分も走るとサガロ国立公園に入ることができる。サガロとはあの大サボテンのことだが、これが木らしい木のない岩肌の山に土筆のようににょきにょきと立っている。はじめての人には誠に異様な風景である。高さ五、六メートルのサガロの「樹齢」が三百年くらいというからこれも愕きである。鳥が巣作りのために穿った穴が目立つ。砂漠とはいえ生命の営みは予想外に活発でその後私たちが訪れた砂漠博物館での見慣れぬ動物たちとの出会いは時を忘れさせるのに十分であった。この国立公園内にあるオールド・ツーソンと名付けられた西部劇スタジオを尋ねた。映画によくでてきた特徴のある凹凸の山々を背景にして開拓時代の建物や幌馬車、汽車などのセットがあり、活劇やカンカン踊りなどのショーで観客を楽しませていた。西部劇大好きの菅野さんはここでロケーションをした西部劇映画を指折り数えて感激しきりであった。

2、こう書くと何やら三人は安逸を貧り、その使命を忘れていたのではないかとの譏りを受けかねない。しかし今回の訪問はロースクール調査にしても、NLG総会憲法九条ワークショップにしても、時宜を得た課題に大いに成果を上げたといってよい。菅野昭夫、島田広の団通信を是非お読み頂きたい。

 私はこれらの問題について、若干の感想を述べてみたい。

 そのひとつにロースクール制度導入と自由法曹団の役割の問題がある。ロースクール制度が遠からず実現する動きである。私たちの関心はこのロースクールでどんな法曹が養成されるべきか、ロースクール制のなかで自由法曹団員がどんな役割を果たせるかなどにある。もっと率直に言えば、より多くの団員を獲得するにはどうしたらいいかである。私たちが今回訪れた三つのロースクールではいずれもNLG(以下ギルドという)会員が私たちの訪米調査のために一日を割いて熱心に説明して下さった。昨年の陪審制度調査のときも同じであるがその熱意には頭が下がる思いであった。そしてどこでも最新のロースクール教育の実情を見せて頂いたし、課題がどこにあるかも指摘して頂いた。ロースクール制の先輩国であるアメリカがこの制度を導入してすでに久しいので、私はそれぞれの伝統と確立した教育方針の下で粛々と法曹教育が行われているのかと思い込んでいたが、どうもそんなに不動のものではないようだ。一言で云うと今日でも新しい教育方針が研究され、それが実行に移され、様々な試行錯誤を重ねながら、さらに新しい方法が取り入れられてゆくという状況で、まさに教育制度もプログラムも発展途上といった感さえあった。ギルドの会員が本当に社会に役立つ法曹養成のために果敢にこの「教育改革」に取り組んでいる姿を目の前にして、どれ程多くのギルドの会員がロースクール教育にコミットしてゆくかがその鍵を握っていると実感した。

3、「公益活動」、「プロボノ活動」、「クリニック」、「エクスターンシップ」など三つのロースクールに共通する新しい試みをキーワードで示せば、こんなところだろう。つまり、儲けることだけに関心を持つのではなく、市民やコミュニティの利益を尊重し、これに奉仕してゆく弁護士を養成するにはどうしたらいいか。ロースクール教育のなかで社会的な様々な体験をさせることによって、その大切さを実感させる、そうしたプログラムを教育課程に組み込むことが最も効果的であると考えられている。こうしたプログラムを教育課程のなかに組み込んでゆくことは学内で決して多数派ではないギルド会員にとって、些かの勇気を必要とすることであり、保守的な教授やビジネスロイヤーを目指す学生とのちょっとした摩擦を乗り越える仕事なのだそうだ。しかし、「パブリック」という概念を用いての体験が目指す方向が、公益的活動の担い手を作ることであり、プロボノ活動のすそ野をひろげることだということが分ってはいても「パブリック」という言葉の持つ重みには誰も争えない。公益活動に従事することはいかなる法曹にとっても有益といった説得は、州立大学が州の予算を獲得するうえでも、私立大学が企業からの寄付を募るにしても、奏功するらしいのである。つまり、ギルド会員の教授たちが実は大学では数のうえで「マイノリティ」でありながら、その主張が「メインストリーム」になりうる余地がここにあるのだ。

4、ロースクール調査も終りになる頃、私の頭のなかにムクムクとひとつの疑問が沸いてきた。その疑問を総会で会ったピーター・アーリンダーにぶつけてみた。彼もロースクールの教授である。私の質問の趣旨はこうである。「ロースクールでギルドの先生方がパブリック・インタレストを重視し、プログラムをつくり、学生たちにそうした実践に取り組んで貰うよう様々な努力をしていることは良く分った。しかし、ロースクールの学生をギルドの会員にしてゆくにはもう一つのハードルがあると思う。つまり、「パブリック」の延長線上に当然のように「ギルド」があるわけではない筈だ。どうやって、ギルドの会員に獲得してゆくか」。

 ピーター・アーリンダーのはなしはこうである。「確かに『パブリック』という言葉は定義がない。極めて幅が広い。公園の掃除までが『パブリック』の範囲に入るだろう。むしろ、あえて曖昧にされているとさえ云える。確かに公益活動は大切なことだ。しかし、いくら『パブリック』を重視して、その方向での実践を重ねても社会変革を目指すギルドの会員にそのままつながってゆくわけではない。大切なのはギルドの教授が階級的な視点をもって学生に意識的に接触してゆくことだ。影響を与え、尊敬されなければならない。また学生同士の交流が大切だ。学生たちの自発的な交流や集いが必要だ。ギルドはロースクール学生に会員資格を与えロースクールの中にギルドの支部がある。この支部の学生が新たな会員を獲得してくるのだ。『パブリック・インタレスト』の活動をしながら、意識的な教授や学生が良心的な学生に考えさえ、影響を与えてゆくことによって、ギルドの会員になって貰うのだ。そうした総合的な闘いが必要なのだ。意識的な勢力があるとないとでは大違いなのだ。」

 「そのことはアメリカ社会全般にも云える。多くの公益活動、奉仕活動がありながら、いずれもその活動がそこに止まっているのは、そうした活動を社会変革のなかに引き上げてゆく意識的な政党がないからだ。ギルドの役割は大きいがすべてではない」

5、ロースクール制導入は学生たちにとって経済的負担という大きな障害をもたらす。アメリカでもそのことは克服されていない。たとえ、法曹資格を得ても、ローンの返済のためにやむなくギルドから離れてゆく人も多いと聞く。しかし、ギルドがロースクールのなかで果たしている役割は決して小さなものではなかった。掬い上げた砂を指の隙間から大きくこぼしながらも確実に社会変革を志す法曹を育てているのだ。


三つのロースクールを調査して


北陸支部(福井県)  島 田  広


1 はじめに
 一〇月八日から一四日までの訪米期間中に、団の代表団はUCLA、LOYOLA(ロサンゼルス、一〇月九日訪問)及びアリゾナ大学(チューソン、一〇月一一日訪問)の三つのロースクールを調査しました。調査の目的は、ロースクールにおいていかにして進歩的弁護士が養成されているかを調べるというものでした。

2 公益的活動が重視されるアメリカのロースクール
 今回訪問したロースクールでは、学生を公益的活動に参加させる取り組みが、非常に熱心になされていましたが、その目的は次の二点にあると思われます。
(1)企業弁護士の養成への偏りを避け、公益的活動の将来の担い手を育てること

 公益的活動を職業とする弁護士と、企業弁護士との間の所得格差は歴然たるものがあります。UCLAで聞いた話では、卒業生の初任給は企業弁護士なら年一五万ドル程度、公益的な仕事をする弁護士はそれより一〇万ドルほど低いとのことでした。したがって、意識的に公益的な仕事をする弁護士を育てなければ、ロースクールは企業弁護士の養成機関だと世論の批判をあびることになりかねないのです。
(2)プロボノ活動のすそ野を広げること
 アメリカの弁護士はプロボノ活動に積極的に取り組んでおり、プロボノ活動を行うことが弁護士のステータスになっているといえます。クリニックやエクスターンシップなど公益的活動に関する教育も、普段は一般民事や企業法務の弁護士として活動している多くの弁護士のこうしたプロボノ活動によって成り立っています。学生時代にロースクールで公益的活動に取り組んで刺激を受けた学生が、卒業後もプロボノ活動として公益的活動に関与するようになるのです。

3 ロースクールにおける公益的活動の取り組み
 学生を公益的活動に関与させる方法としては、クリニックにおける市民への法的サービスの提供、エクスターンシップ、及びそれ以外のボランティア活動などがあります。

(1)クリニックはどのロースクールでも盛んに取り組まれており、学生が市民から相談を受けるだけでなく、代理人として実際の訴訟にも取り組んでいます。初学者のうちに市民からの相談を受けることで社会的な問題意識を喚起し、相談活動や訴訟活動を学生と教官が集団的に検討しながら行うことで法的技術を磨くよい機会になっていること、特に企業弁護士のようにOJTの機会に恵まれない進歩的な弁護士にとってこのクリニックでの研鑽は重要な意味を持っていることが、各教官から一様に強調されていました。

 アリゾナ大学では、クリニックの運営自体が学生に任されており、上級生がプログラムを企画し、下級生にクリニックへの参加を働きかけるという全米でもめずらしい取り組みがなされていました。インディアンや移民の権利、ホームレスへの法的支援など様々な問題が取り上げられています。

(2)エクスターンシップは二年生の夏休みなどを利用して弁護士事務所や政府機関で仕事をするというものですが、その機会に公益的活動に関与する学生は数多く、UCLAではその数は三〇〇ないし四〇〇人との説明を受けました。
 アリゾナ大学では学生が州最高裁において裁判官の補助者としてインディアンの権利の問題に取り組んでいることが紹介されました。

(3)なお、UCLAでは、同大学の学生二五人と、学外の学生五人の合計三〇人の特別クラスを編成して、公益的活動の将来の担い手を育てる活動に取り組んでいました。このクラスにはかつての労働組合の活動家や政府の公共部門で働いていた経験を持つ学生を選抜して参加させ、地域の相談活動から公共政策を変えるための草の根の活動についての授業まで様々な公益的活動のノウハウを伝授するのだそうです。こうした方法は、進歩的学生を隔離することになって良くないとの批判もあるようですが、同じ志を持つ学生が集まることで、活動の励みになるメリットも大きいようです。

4 NLG会員の弁護士教官、学生が果たす役割

(1)各ロースクールを調査して印象に残ったことは、NLG会員の弁護士教官が、各ロースクールの教官層の中で重要な地位を占めているということでした。

 「公益的活動」という言葉は非常に多義的で、政府の公共政策を変える活動から地域のいわゆる慈善活動まで含むものです。その中で、労働者やマイノリティの人権を階級的な観点からとらえて学生に問題提起する役割を、NLGの会員である弁護士の教授たちが担っています。こうしたNLG会員の積極的な活動は、どのロースクールでも高い評価を受けていました。

 LOYOLAロースクールでは何人もの教授に紹介されましたが、私たちがNLGの総会に参加するために訪米していることを聞くと、皆一様に「それはいいことだ。」と言ってくれました。NLGの会員も多く、それ以外にも自由人権協会の役員や、障害者組織の役員といった進歩的な法律家の比率が非常に高いとの説明を受けました。

(2)また、どのロースクールにも、NLGの学生支部が組織されて活動していることも印象的でした。
 アリゾナ大学では、家庭内暴力の解決のための活動と、貧困な階層に対する法的サービスの提供の活動を支部の学生達が行っているとの報告を受けました。学生の中では少数派である進歩的学生同士が集まって励まし合えるNLG支部の存在は、学生達の志を維持させる上で不可欠の存在となっているとのことでした。LOYOLAロースクールでもNLG会員の学生が三〇人ほどおり、公益的活動の中心として活躍しているそうです。

5 調査を終えて
 調査を通じて、ロースクールでの教育活動が、公益的活動を担う弁護士の養成に大きな役割を果たしていること、NLG会員の弁護士教官と学生が積極的にロースクールにおける公益的活動に取り組み、階級的な課題を学生に提起して、進歩的な弁護士の養成のために奮闘していることを改めて知りました。

 しかし同時に、アメリカのロースクールにおいても、公益的活動に熱心に取り組む学生は少数派にとどまっているということも見逃せない事実です。

 NLGの総会にアリゾナ大の学生が出席していたので話を聞いたところ、クリニックに参加する学生は全体の二割にも満たないとのこ
とでした。UCLAがわざわざ公益的活動のための特別クラスを編成した狙いも、公益的活動に取り組む学生が孤立するのを避け、同じ志を持つ学生同士を結びつけることで志を維持させることにありました。

 ロースクールが自然発生的に進歩的弁護士を生み出すものではなく、NLG会員をはじめとする進歩的な弁護士教官と会員学生たちのたゆまぬ努力によって、はじめて一定の進歩的役割を果たし得ていることを痛感しました。


NLGから自由法曹団創立八〇周年へのメッセージ


国際問題委員会 委員長  菅 野 昭 夫


 私が八〇周年記念集会に参加中に、NLGブルース・ネスター議長より以下のメッセージがemailで届いていましたので、ご紹介させて頂きます。

 私は、ナショナル・ロイヤーズ・ギルド(NLG)を代表して、自由法曹団創立八〇周年に対し、心からのお祝いを申し上げます。NLGは、民主主義を擁護し、基本的人権を発展させ、世界平和を実現するための共同の闘いについて、自由法曹団と確固とした連帯を築いてきました。私たちの組織は、一九三七年に創立され、まだ六四年の歴史を経ただけですが、民主主義、人権、世界平和のために一貫して奮闘してまいりました。その意味で、私たちは、自由法曹団と、今後長く、これらの共通の課題のために共闘を持続させ、これらの課題を達成することを切望しております。

2001年10月25日
ナショナル・ロイヤーズ・ギルド議長 ブルース・ネスター


八〇周年記念のつどい 七〇〇名の参加で終える


事務局次長  井 上 洋 子


 自由法曹団八〇周年記念のつどいは、一〇月二六日金曜日の午後四時間をかけて、日弁連会館の二階大講堂(クレオ)で行われました。広い大講堂がほぼ満員に近い状態になりました。

 つどいは、前半は朗読、スライド、証言が組み合わされた演出の舞台(これを「構成劇」というそうです)、後半は六本の講演が順次なされる「リレートーク」でした。

 前半の構成劇は全体を「正義を求めてー民衆とともに」と銘打ち、ロックの音楽で始まりました。まずは、広島で被爆して白血病で死亡した折り鶴の少女さだこのメッセージ・イメージの音楽、スライド、朗読です。そして、スライドと朗読を中心に、戦争責任の問題で劉連仁事件、民衆とともにという座標から松川運動、自由法曹団七五周年のビデオ、薬害公害事件の視点からスモン、自由と民主主義の視点から労働問題、差別問題という流れが次々と映し出されました。

 スライドと朗読の合間に、証言者として当事者の方々が話をされたのがこの構成劇の感銘力を強くしました。尼崎大気汚染訴訟原告団長の松光子さん、元日立男女差別裁判原告の堀口暁子さん、元中部電力人権裁判原告の若宮叔孝さん、郵産労東京地方本部副委員長の岡田時弘さん、ハンセン病国家賠償訴訟東日本訴訟原告の谺雄二さんです。それぞれの立場から、それぞれの思いを語られました。

 そして、音楽「イマジン」で幕です。

 演出に工夫がされ中身も盛りだくさんで興味深い企画でしたが、マイク等の不備で会場のうしろ三分の一に着席しておられた方には朗読等の音声がはっきり届きませんでした。苦情がたくさん寄せられました。せっかくきていただいた方に十分楽しんでいただけず申し訳ありませんでした。

 後半は、「憲法・人権・21世紀」と銘打って、小笠原彩子団員司会による六名のリレートークです。

 宇賀神直団長の問題提起に始まり、小森陽一氏(東京大学教授)「ネオナショナリズムと21世紀の課題」、山住正己氏(東京都立大学前総長)「教科書問題・『教育改革』で問われたもの」、西川征矢氏(全国労働組合総連合副議長)「労働争議の現場から」、川田龍平氏(HIV訴訟元原告)「人権を守るために」、国宗直子団員(ハンセン病訴訟弁護団)「裁判のたたかいの中で」と順次講演されました。いずれも示唆に富む、考えさせられる内容で、一本一本をゆっくり聞く価値のあるものでした。それを短時間に六本まとめて聞くという、とても贅沢な企画でした。

 最後に「報復戦争の即時中止と報復戦争参加法案等の撤回を求める」アピールが採択されて、記念のつどいはお開きとなりました。


八〇周年記念レセプション盛大に開かれる


神奈川支部  小 賀 坂 徹


 一〇月二六日、記念のつどいに引き続いて、午後六時から、東京ドームホテル天空の間で、団創立八〇周年記念レセプションが六五〇名もの多数の参加者で盛大に開かれました。

 全労連議長小林洋二さん、共産党中央委員会委員長・志位和夫さんのご挨拶、日弁連会長・久保井一匡さんからのメッセージの紹介の後、国民救援会中央本部の山田善二郎さんの御発声での乾杯へと進んでいきました。レセプションでご挨拶をいただいたお客様は、日本共産党参議院議員・緒方靖夫さん、東京新聞論説委員・飯室勝彦さん、日本経済新聞・藤川忠宏さん、消団連事務局長・日和佐信子さん、全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長・神美智宏さん、日航ボーイング747副操縦士・和波宏明さん、痴漢冤罪事件の当事者の長崎満さんでした。えひめ丸の被害者・寺田祐介君のご両親である亮介さん、真澄さんからもご挨拶いただく予定でしたが、ハワイでの船体引き揚げの立ち会いのために参加できず、スライドでの紹介となりました。この他、韓国の「民主社会のための法律家集団」(民弁)事務総長ユン・キウォンさん、事務次長キム・ジンコックさんもおみえいただきました。

 お客様のご挨拶の合間には、歌手の佐藤真子さんがピアノ、ヴァイオリン、バンドネオンの伴奏で素敵な歌を披露してくださいました。また、高知の土田嘉平団員には飛び入りで「デーオ」を熱唱していただき、大いに盛り上がりました。

 終盤には、上田誠吉、石川元也、豊田誠の各歴代団長からの発言、新暮らしの法律相談ハンドブックの紹介、この日にリニューアルした団のホームページの紹介などが行われました。最後に、新規登録したばかりの五四期の弁護士の自己紹介の後、宇賀神団長の閉会の挨拶でお開きとなりました。

 司会は伊藤和子団員と私が担当させていただきました。

 狭い会場に、予想を上まわる多数の団員、お客様にご参加いただいたため、会場内での移動がしづらかったり、料理の量が十分でなかったり、音声が聞き取りづらかったりと、多々不手際もあったと思いますが、何卒ご容赦願いたいと思います。

 旧交を温めながらも、団の今後について思いを馳せる機会となったのであれば、準備した側とすれば、望外の喜びです。多数の皆さんにご参加いただいて、本当に感謝しています。

 尚、全体の構成・演出は、元日本テレビ労組の仲築間卓蔵さんにお願いしました。この場をお借りして仲築間さんにも感謝の意を述べたいと思います。


小泉内閣の「特殊法人改革」による日本育英会奨学金制度改悪に反対する


東京支部  萩 尾 健 太

 駒場寮「明渡」訴訟で、全寮連(全日本学生寮自治会連合)の代理人を努めている関係から、団総会で、以下の内容で発言しようと通告したのですが、時間が足りず文書発言ということになりましたので、団通信に投稿します。

1 小泉内閣は、石原行革大臣の下、行革推進本部を設置し、本年八月一〇日、「特殊法人等の個別事業見直しについての考え方について」を発表した。そのなかでは「構造改革」の目玉として「特殊法人改革」を打ち出している。
 その本質を最もよく示しているのが、日本育英会奨学金制度の改革である。

2 日本育英会は、日本育英会法に基づき戦時中に設立され、国の奨学金事業をになってきた。だが、今日、欧州各国では、奨学金は返還義務のない給付制度が大勢で、授業料も低く親の貧富とは関係なしに学べるようになっている。それと比較すると、日本の奨学金制度は、現状でも不十分といえる。

 しかし、小泉内閣がで打ち出した日本育英会奨学金制度の改革は、決してこの不十分な点を改善するものではない。むしろ、正反対である。「特殊法人等の個別事業見直しについての考え方について」によれば、以下の内容となっている。
(1)無利子奨学生の数を一層絞る
(2)利子付き奨学金は、国民金融公庫の教育ローンと統合する
(3)大学院生の奨学金返還免除制度を廃止する
(4)高校生向けは地方に移管する

3 無利子奨学生の数を一層絞ることの問題性は、欧州との比較から、明白である。
 また、教育ローンは、親が借りるものであり、収入や担保をもたない学生本人が借りる育英会奨学金と異なり、親の収入や担保が必要となる。国民金融公庫の教育ローンは、現状でも、親が失業していると「返済能力無し」として融資をしていない。結局、育英会奨学金の教育ローンとの統合は、一番奨学金が必要な学生を奨学金制度からはじき出すことになる。

 さらに、大学院生になると、親の経済援助はなくなり、奨学金が主な収入源という院生が多い。にも関わらず、院生の奨学金免除制度をなくすと、大部分の院生の生活は成り立たなくなる。院生は壊滅的打撃を受け、日本の研究体制の弱体化に結びついていくことは必至である。

 私たちの後継者を養成する場として、法科大学院が構想されている今日、裕福な人しか法律家になれないことに直結するこの奨学金制度の改悪は、決して看過することはできない。

4 今年、失業率は統計を取りだして以降、最悪と言われている。そのもとで、家計の困窮度に応じて優先的に採用される育英会奨学金の役割はますます大きくなりこそすれ、決して薄れることはない。奨学金制度を改悪するのではなく、奨学金の給与制の導入を含めた抜本的な拡充など、教育の機会均等の原則(憲法二六条)に立った改善こそ求められる。

 そして、この奨学金制度改悪に反対する中で、庶民に負担をしわ寄せする小泉内閣の「特殊法人改革」ひいては「構造改革」の本質を明らかにし、小泉路線と対決する闘いを切り開いていきたい。

5 民主青年新聞(一〇月二九日付)に、日本育英会労働組合委員長の柳沢淳氏が以下の呼びかけを寄せている。
 「育英会労組は、全労連、東京労連、全学連、私大教連、特殊法人労連、特殊法人『行革』をともに考える国民会議などとともに、『奨学金制度廃止反対連絡会議』を結成します。奨学金改悪をやめさせるために、ともに全国的なたたかいを進めましょう。」

 自由法曹団も、この呼びかけに答える必要があるのではないだろうか。

 以上の次第で、全学連(全日本学生自治会総連合)、全寮連(全日本学生寮自治会連合)の提唱する署名(団総会資料袋に同封)にご賛同お願いいたします。

 お手元に署名用紙が無い方は、全学連(国立市北一・六・六)まで、お問い合わせ下さい。 


こんなことも、、。


東京支部   坂 井 興 一


 この夏迄、団通信には何度も投稿してご迷惑をお掛けしていた。それからは二つの選挙応援や地域事務所なら何処でも共通する教科書・靖国、そしてテロ事件以来の様々な取り組みと新しい会活動(日弁民訴、東弁任官推進)が加わり、忙しなく日を過ごしている。そんな日々にメモし備忘して置いた二、三のことである。

(団員有志の「みんなで考えよう司法改革」)

 まだ暑かった九月祝日の団の司法全国活動者会議に、札幌の高崎さんや東京の米倉さんが発売前の売り込みをしていた。オレはドッチ派のも読むんだと篠原幹事長が混ぜ返して買っていたので、私もそうした。ホカホカ本の「はしがき」から、執筆の方々の清新の気負いが匂い立ってきた。審議会中間報告以降、毎月一、二回、東京か名古屋に集まる強行日程であったが、それほど疲れは感じなかった、と言う。志をもって人の為さんとする時のその言やよし。そう言えば、この本とは河岸が違っている感じの人たちが出した「変革の中の弁護士」にも似たような気負いを感じたことがあった。その中身に賛同する気分は少なかったが、そんなあたりが妙に印象として残っていた。私はそんな風に詰めた気持ちで問題に向かっているだろうか。三〇年以上も地域事務所にいて、自分の嗜好とはあんまり関係なく何でもこなす習いとなり、とりとめもなく日を過ごしている。その為か、意気込みをもって生きている人のことが妙に気に掛かるのである。執筆の面々は様々に活躍されているが、日弁連では勿論、団でも今ひとつ支配的な潮流にはなれないで来た方々(多分)であり、であるからこその志の切磋であったろう。主流であれば官費で出来てしまうからである。

 収められている金野団員外11人の方々の論考は渋滞なく読み、大概受け容れることが出来た。内容的に変わりはないと思うが、マッチプレーで兎角鋭角化されやすい発言の時とは違い、節度をもって論じられていた。中身については監修者の戒能教授の纏めに尽きるので、書評する人は大変だなと思っていたが、何処にも登場しない。そのトーン・スタンスは高知五月集会での渡辺教授講演の司法実践版とも言える位のものなのに、黙殺かと気になっていたのである。今年に入っての団の論調を見ると、坂本修さんの入れ込みの為か、日弁連は日弁連・団は団と割り切った上での応援スタンスになってきており、結構なことだと受け止めている。それ迄司法は弁護士会とその活動家任せで、論調も兎角遠慮・肯定気味の印象が強かった。

 遠慮と配慮それ自体が悪いわけではない。それは戦略上も正しかったし、その限りではこれからも同じである。団もキャリア層が厚みを増してきて、歳々年々優秀な活動家が様々に弁護士会の役員・スタッフになり、重用されているうち、いつしかそこの水に馴染んでしまう。優秀であれば尚のこと、役割や成果を競ってしまう。大学関係者とのことでいえば、ロースクールなどを巡って調和が難しくなっていたと聞くが、その先生方も政府側から礼節をもって迎えられるのがフツーのことになれば、また違った現象が生まれよう。

 それが弁護士界では先取りして生まれた。こうした現象はわれわれも含めての今迄の努力と成果であり、然し同時に陥穽となる。弁護士会の立場と論理では、自民党・財界であれ、官や体制マスコミであれ、傾向者の目的的意見であることを理由に断ることが出来ない。まだるっこくなればその線に沿っての模範答案を提供し、陳述書も代作してしまうことになる。強力依頼者相手にそれを繰り返していれば、今更割り切った物言いが出来にくくなるのも人情である。、、、といった事情を幸か不幸か、努力してかどうか、免れてある方々の論考集がこの本であるように思われる。これからは民の時代と言いながら、皮肉にも、競争の激化・公設センター・教官派遣・任官支援などを通しての公的権威との親和性も却って強まるであろう。これからのそんな業界風景を考え、幾らかの自戒気分で読んだものであった。

(のめり込む人たち)

 それから数日後、「憲法と人権の日弁連をめざす会」主催の【まやかし「司法改革」、許すな改憲への道】集会がクレオで開かれた。このめざす会も一条の会も、同期の友人に免じて貰って「高山さんたちの会」と略したい。

 同君は21期青法協の中心で、同期取り組みの出稼ぎ憲法裁判「川村事件」や各種道交法裁判のリーダーであり、司法関係については紹介する迄もないであろう。そんなよしみもあって覗いた集会は超満員で、アピール度の高い、熱気溢れるいい集会だった。テロ事件とそれを機にした小泉内閣の戦争協力姿勢が露骨に始まった時で、司法改革の推進体制が彼を本部長とする国家戦略レベルものと宣言されたこととのタイミングもピタリ合い、如何にもリアリティのある告発になっていた。

 小田中教授の基調講演の論調は「法と民主主義」その他でも紹介されているので割愛するが、規制緩和路線批判の司法版であり、自分らの宿題がない分野のことであれば、違和感なしにスッと入ってくる内容であった。弁護士会総会をいつも賑やかにして呉れる面々による弁護士寸劇「おそるべき裁判員制度」は、弁護士自治が怪しくなった状況下における公的弁護人制度や、刑事司法改革が行われない下で押し付けられる裁判員制度の危険性を告発する内容のもので、素人熱演の良さが発揮されてなかなかの出来であった。高山さんたちの話についてはハッキリしたその傾向性を批判する向きもあり、それが多数なのであろうが、この日のものについてはそんな感じがなく、ご本人の主催者挨拶もわたしが元々馴染んでいた謙虚な高山さんのイメージそのものであった。他にアジア民衆の視点からの女性エッセイスト朴慶南氏の話、吉展ちゃん事件小原保の弁護人であった土屋元日弁連会長の孤立・無援の話、そして取り分け、自身の痛切・無念の体験に裏打ちされた人質司法の弊害と、併せて韓国の死刑制度廃止に係わる法律家の妨害的役割を指摘する安田弁護士の文字通りの告発話には、他を圧倒する迫力を感じさせるものがあった。、、、といった内容をご紹介するのが意図ではないのだが、折角の集会も団関係者の姿はまことにチラホラ。賛同者だけの集まりではないのだから、食わず嫌いしないでもっとご覧になった方がいいと思ってのことである。私の本意は、この集会が持っていた熱意・懸命さ・理解されようとする一途さ、といったものをホントに暫く振りで見ましたということを伝えたいところにある。デモ・スト・集会が日常的であった70年前後頃の熱気、そして公害・消費者・薬害事件などでの自然発生的市民の立ち上がりで生まれる感激的な集会を、身辺で見ることが少なくなって久しい。お膳立てされ、動員され、シナリオ化され、催すことそれ自体で草臥れてしまう。そうした出来合いイメージを免れて行われたその夜の集いに、一途なものの持つインパクトを私は感じたのである。それをうらやむ気分があって、ついこの前の団80年行事もそんな思いで見ていたのであったが、幸せなことにリレートークに入った頃から幾らかその気分が変わっていた。誰の話からとは言わないが、当事者であった人、現場からの発言、そしてさる人の言によれば「のめり込んだ人」の話の持つメッセージの強さであった。そう言えば確かに高山さんたちは私より遙かにのめり込んでいる。件の集会で纏めて紹介された懲戒被請求者弁護士諸君ものめり込みのクチだ。そうした人達は距離があって眺めている分には良いが、組織的責任を負う立場にいると存外微妙になることがある。事務所でなら他の要請をパスされる。生計活動でアテにすることが出来ない。弁護士会では何度も同じことをしつこくやられる。もしかするとわが東弁期成会草創の先輩や団の偉大な先人諸氏も、弁護士会などでの当時の見られようはそういうことだったのかも知れない。そんなわけで評価は単純ではないのだが、人を揺さぶり、事態を動かし、常識を変え、大事を為すのは概ねこういう人たちだ。何でも屋になって久しく、割り当て・役割でないと動かなくなっている私に必要なのがこうした刺激だと思えたのであった。