過去のページ―自由法曹団通信:1069号        

<<目次へ 団通信1069号(9月21日)



篠原 義仁
四位 直毅
有事法制関連三法案を廃案に 10・23日弁連・弁護士パレードを成功させよう!
 ―事務局員・家族とともに事務所をあげて参加を―
宇賀神 直 小島成一先生のお別れ会が執り行われる
渡辺 正雄 小島成一弁護士との「お別れ会」
後藤富士子 弁護士報酬敗訴者負担は改革理念に適うか? ―「利用しやすい司法」を目指して―
木村 晋介 カンボジアPKOをめぐる論争をふり返って
小口 克巳 植木敬夫さん遺稿集出版と偲ぶ会
菅野 昭夫 いまこそ問う『過去の克服』 シンポジウムにご参加を ―アジアにおける恒久平和を求めて―
岩田研二郎 日弁連人権大会(福島)の警察改革シンポに参加を


有事法制関連三法案を廃案に
10・23日弁連・弁護士パレードを成功させよう!

―事務局員・家族とともに事務所をあげて参加を―


幹事長  篠 原 義 仁
有事法制阻止闘争本部長  四 位 直 毅

 一〇月開会の臨時国会で、政府・与党は、「修正」や「国民保護法制の輪郭」をほのめかして、有事法制関連三法案の強行成立を狙っています。単独行動主義に走るアメリカのイラク先制攻撃が迫るなか、有事法制の強行はブッシュ政権の戦争政策への無条件追随を更に推し進めるものにほかなりません。
 この一〇月二三日、日弁連は「有事法制関連法案の廃案を求める国会請願パレード」を行います。全国の単位会会長が東京に集まって先頭に立つこの行動は、国会開会初動の一〇月に行われる最もインパクトのある行動でマスコミも注目するものとなるでしょう。また、全国の弁護士一万九千名が強制加入する公的団体である日弁連が、有事法制廃案を掲げて行う国会行動が、各戦線・各分野の反対闘争を大きく激励するものになることも明らかです。
 よって、全国の支部・法律事務所・団員が、一〇・二三パレードに積極的に参加態勢をとり、総力をあげて東京に、そして国会に参集されるよう、強く訴えます。
◎東京と近隣県の法律事務所は、「事務所を閉めて全員参加」の位置づけで、弁護士・事務局員をあげて参加する態勢・段取りを組み、家族にも参加を広げてください。
◎全国の支部で必ず論議し、支部としての参加・代表派遣態勢をとってください。
◎パレード後、日弁連主催の国会要請行動に積極的に参加することを呼びかけます。午後の時間も最大限空けてください。

 有事法制関連法案の廃案を求める国会請願パレード
 《日時》一〇月二三日(水)一一時四〇分〜一二時半
 《集合》弁護士会館クレオに集合し、意思統一後直ちにパレード
 《構成》弁護士、事務局員、弁護士会職員およびそれらの家族
 《規模》一〇〇〇名(日弁連の設定 大幅超過したいもの)
      終了後、国会議員要請



小島成一先生のお別れ会が執り行われる


団長  宇 賀 神   直

 元団長の小島成一先生が永い闘病の末、去る七月二七日に永眠されました。先生は生前、「葬儀は家族のみで行なう、香典・供花も固辞する」ことを強く望み、奥様はじめご家族は先生の遺志を守り、お通夜や葬儀をごく近親者だけで行ない、別に「お別れ会」をお行なうことにし、奥様と東京法律事務所の共催で九月一日、東京都文京区の椿山荘で「お別れ会」が行なわれました。
 「お別れ会」は第一部が文字通り「小島成一先生とのお別れ会」、第二部は「小島成一先生を語り合うつどい」の二部に分けて行なわれ、団員、労働組合や友人、知人など、約七〇〇名の方がたが参列しました。
 第一部の広い会場の正面に設けられた祭壇に、小島成一先生の在りし日の顔写真が美しく飾られた花の中に立てられていました。
 第一部は友人代表の松本善明、労働組合代表の鴨川孝司全労連副議長、自由法曹団代表宇賀神直、日本労働弁護団代表山本博、東京法律事務所代表渡辺正雄さんらが「お別れの挨拶」をして、その後、参列者全員が祭壇に向かってそれぞれの思いを込めて「献花」を行い、奥様とご遺族にお悔やみの挨拶を述べました。その後、小島成一先生の奥様から「ご挨拶」がありました。奥様は「いつも仕事にいく時と同じように、スーツにネクタイ、バッジこそありませんでしたが、生涯弁護士でありたいと願っていた通りの姿で花に埋もれて旅立ちました。(略)昭和五〇年に肺ガンの手術をうけ、健康には人いちばい気をつかうようになりましたが、平成元年からは前立腺がんとの闘いの日々でした。(略)思わぬことからさせていただくことになった自由法曹団の団長という仕事は、小島にそれまで以上に充実した生活をあたえてくれました。(略)みなさんに会いたい思いが果たせないまま亡くなり心残りだったとの思いもありますが、やはりこれでよかった、みなさんには元気な時の小島を覚えていていただければと思っております。」とその思いを、しみじみと語りました。
 第二部は別室で坂本修弁護士が開会の挨拶を行い、上田誠吉弁護士の挨拶を受けて全員で小島先生の遺影に向かって献杯をし、参加者はそれぞれが飲食をしながら奥様にお悔やみを述べ、また、お互いに小島先生のことを語り合いました。
 私の第一部での挨拶は次の通りです。

   お別れの挨拶
 小島成一先生がこよなく愛し、その存在と活動を誇りにお思いになっていた自由法曹団と全国の団員を代表してお別れの挨拶を申し述べたいと思います。
 まず、お別れの会をお持ち頂いた小島成一先生の奥様と東京法律事務所に感謝とお礼を申しあげます。この会が持たれなかったら、お別れの言葉を述べる機会もなく先生とお別れしなければなりませんでした。
 さて、小島成一先生は一九二三年九月、富山県高岡市に生まれ、一九五二年四月に弁護士になり同時に自由法曹団に加わり七八年の生涯の内、弁護士活動を五〇年四ケ月の永き歳月に亘り展開し、自由法曹団とともに歩んで来られました。
 この間、小島先生は「弁護士は民衆とともに」という強い信念を胸に秘めて活動を続け、一九八九年一〇月から九四年一〇月まで五年間自由法曹団の団長を務め上げ、自由法曹団の活動ー自由と人権、平和と民主主義、社会進歩ーに大きな貢献をつくされました。
 先生は団長退任の挨拶状の中で、「自由法曹団はすばらしい運動体、大切な組織です。これが五年間の団長経験の実感です。」とお書きになっています。
 ところで、小島先生が「弁護士は民衆とともに」と言う信念を抱いて、中小企業で働く労働者や国鉄労働組合などの労働事件、安保闘争の刑事弾圧などの弁護活動に力を注ぎ、自由法曹団の団長を務め上げた原点は何でありましょうか。
 先生は、わだつみの世代として学徒出陣し、ビルマの戦線に行き一九四七年に帰国していますが、ビルマでは二二万人の日本の兵士が死んでいます。また、ビルマの人々に被害を与えています。この先生の肉体的にも、精神的にも辛いきびしい体験は、先生をして後悔しない人生を送るように決意させ、民衆の役に立つ弁護士の道を選ばせたのです。先生はそのことを団創立七〇周年の時に「しんぶん赤旗」にお書きになっています。ちなみに、上田誠吉さんの著書、「民衆の弁護士論」に登載してあります。機会があつたらお読み下さい。
 思えば一九九四年五月の鹿児島は霧島において、団の五月集会があり、終了後恒例の懇親旅行があり、バスで特攻隊基地の知覧を見学し、指宿温泉に泊まりました。その途中のバスの窓から薩摩富士と言われている開聞岳の姿が眺められました。先生は眼を細めて開聞岳を眺めていました。その後で先生は「ビルマから帰国した時に船の中から開聞岳が見えて日本に帰りつくことが出来たと、生きて帰った喜びをかみしめた」と私達に語りました。
 私はこの話しを聞いて信念の人であると同時に温かい心やさし小島先生の人柄はこんなことから来ているのかな、と感心しました。
 小島先生は団長を退任した総会の挨拶で「この五年間はわたしの生涯でたいへん有益な歳月であったと思っています。」と述べています。その言葉を、今、かみしめて思いかえすと先生はゆたかな幸せな弁護士人生を送って来たと思います。
 病の身の先生が健康を回復して、自由法曹団の集まりにお出で下さり、先生のお顔に接することを楽しみにしていたのに、先生は永訣の旅に立たれました。
 日本の民衆と自由法曹団にとり、かけがえの無い、惜しい民衆の弁護士を失った悲しみが湧いてきます。本当に残念です。
 私達は先生の思いを受け継いで、有事法制、司法の民主化、憲法改悪阻止などに取り組むことを誓うものです。あとのことは私達にお任せ下さい。
 真実と正義のために生きてきた人は、安らかに眠る権利があると言われています。小島先生、どうか、安らかにお眠り下さい。



小島成一弁護士との「お別れ会」


東京支部  渡 辺 正 雄

 事務局長から、九月一日、東京の「椿山荘」で行われた、小島成一先生を追悼する「お別れ会」の様子などについて書いてほしいとのご依頼があって一筆しました。
 七月二七日、七八歳で逝去された先生との「お別れ会」には、全国各地からお越し下さった団員や、小島弁護士とたたかいをご一緒した労働組合の方々、昔の農地、漁業関係者など、六五〇人を越す集まりとなりました。第一部で、宇賀神団長ほか、友人代表松本善明さん、鴨川全労連副議長、日本労働弁護団山本会長のご挨拶をいただき、御参会の皆様から、色とりどりのお花を小島弁護士の御霊に捧げました。引き続く第二部の「小島弁護士を語り合うつどい」では、上田誠吉先生が献杯され、そのあと、小島先生を偲ぶさまざまな語らいが皆さまのあいだで交わされました。その一端は、この通信でも述べられることでしょう。
 ご遺族とともに会を主催させていただいた東京法律事務所を代表して、厚く御礼を申し上げます。
 小島弁護士は、一九七五年に左肺上葉肺ガン摘出手術をされ、八九年には、ご家族がその三年後にガン告知を受ける前立腺肥大の手術をしました。
 先生が団の団長に就任されたのは、八九年一〇月二三日です。以来、先生は、「民衆のために民衆とともにたたかう」団の先頭にたって、九四年一〇月三一日までの五年間奮闘されました。先生は、九五年虎ノ門病院で、ご自身が前立腺ガンの告知を受けます。
 小島弁護士は、若くして農民や漁民の事件にたずさわり、その後とくに困難な中小企業の組合の闘い・争議に多くかかわりました。国労にむけられた組織破壊、日本フィル、日本テレビ、沖電気、毎日新聞の経営建て直しの支援など多くの労働事件に取り組むと同時に、悪法反対のたたかいに力を尽くしました。
 小島弁護士は、団の七〇周年にあたり、九一年一一月一七日の「赤旗しんぶん」のインタビュー「今、云わなければ」の中で、「自由法曹団の弁護士は一生懸命大衆のために、大衆運動のために闘っている。仕事に付随する面白味というよりは、自分の全人生、全人格をかけた使命というようなものに価値を見いだせたときに、初めてその人生は輝くのだと思います。」と語っています。先生は自分で仰るとおり、その「志」をつらぬかれました。
 小島成一弁護士の御冥福を心から祈ります。



弁護士報酬敗訴者負担は改革理念に適うか?

―「利用しやすい司法」を目指して―


東京支部  後 藤 富 士 子

1 司法審意見書における「弁護士報酬敗訴者負担」の位置付け
司法審意見書の構成を一瞥すると、前文にあたる「はじめに」と最後の「おわりに」の間にT〜Xの章立てがなされている。Tは「今般の司法制度改革の基本理念と方向」、Uは「国民の期待に応える司法制度」、Vは「司法制度を支える法曹の在り方」、Wは「国民的基盤の確立」、Xは「今般の司法制度改革の推進」となっている。
 そして、「敗訴者負担」の問題は、Uの第1「民事司法の改革」の7「裁判所へのアクセスの拡充」の(1)「利用者の費用負担の軽減」という項目の中に、「提訴手数料」「訴訟費用額確定手続」「訴訟費用保険」と並んで「弁護士報酬の敗訴者負担の取扱い」というタイトルで記載されている。その内容について、日弁連の要約は次のとおりである。
 〔弁護士報酬の一部を敗訴当事者に負担させることが訴訟の活用を促す場合もあれば、逆に不当にこれを萎縮させる場合もある。弁護士報酬の敗訴者負担制度は一律に導入すべきではない。かかる基本認識に基づき、勝訴しても弁護士報酬を相手方から回収できないため訴訟を回避せざるを得なかった当事者にも、その負担の公平化を図って訴訟を利用しやすくする見地から、一定の要件の下に弁護士報酬の一部を訴訟に必要な費用と認めて敗訴者に負担させることのできる制度を導入すべきである。この制度の設計に当たっては、上記の見地と反対に不当に訴えの提起を萎縮させないよう、これを一律に導入することなく、このような敗訴者負担を導入しない訴訟の範囲及びその取扱いの在り方、敗訴者に負担させるべき額の定め方等について検討すべきである。〕
 司法審意見書の記述を見る限り、「一律に導入すべきではない」こと、「勝訴しても弁護士報酬を相手方から回収できないため訴訟を回避せざるを得なかった当事者にも、その負担の公平化を図って訴訟を利用しやすくする見地から」限定的に導入すべき、ということである。さらに言えば、この制度を導入する目的は、あくまで「訴訟提起しやすいようにする」ためで、原告に提訴のインセンティブを与えることを狙っている。このことは、この項目の中に、「提訴手数料の低額化、定額化」「訴訟費用額確定手続の簡略化」「訴訟費用保険の開発研究」と並んでいることからしても明らかである。
 したがって、オール・オア・ナッシングという硬直的な思考をしたのでは、見かけの戦闘性と裏腹に、完全敗北に至る虞がある。弁護士は、当事者を代弁する専門家なのだから、具体的制度設計においてこそ力を発揮して貢献すべきであり、単に「反対」「阻止」を唱えているだけでは実務家としての存在価値が疑われる。

2 「敗訴者負担」制度提唱者の邪悪な意図
 ところで、政府の検討会審議が始まった今春、同本部の参事官(裁判官)が、「司法審に駄目もとで弁護士報酬敗訴者負担制導入を出してみたら、日弁連が賛成してくれたのには驚いた。これが意見書にも採用されたことでもあり、千載一遇の機会だから、今次司法改革で絶対に実現させる」旨述べたと伝えられる。
 また、はるか昔には、田中耕太郎最高裁長官は、「訴訟促進をはかるために、濫訴防止の効果がある弁護士報酬敗訴者負担制を導入すべき」旨の発言を公に行ったという。
 さらに、検討会の一委員から、「勝敗のはっきりしない事件で敗訴者負担制度が導入されれば提訴を萎縮させる効果を生じるとしても、敗訴者負担制度を導入することによって勝敗の明確な事件について提訴がなされるようになれば、全体としての萎縮効果は大きくない」との発言もなされている(長谷部由起子「民事司法制度の改革について」法律のひろば二〇〇一年八月号)。
 これら、制度設計に大きな影響力を持つ法律家の発言は、いずれも司法審意見書の趣旨に逆行するものであり、弁護士は、放置しないで徹底的に反論すべきである。すなわち、司法審意見書における制度導入の狙いは、「勝訴しても弁護士報酬を相手方から回収できないため訴訟を回避せざるを得なかった当事者にも、その負担の公平化を図って訴訟を利用しやすくする」ことにあるのだから、「訴訟促進をはかるために、濫訴防止の効果がある」などという目的は論外としても、長谷部意見のように「全体としての萎縮効果は大きくない」などと、大きくないにしても全体として萎縮効果が生じることを認識しながら導入を主張するのも背信的である。日本の法律家の議論は実にペテン的である。なお、「訴訟の迅速化」も今次改革で高順位に位置付けられており、その方策として「敗訴者負担制」などということが言われはしない。「敗訴者負担制」は、あくまで提訴奨励策として提言されているのである。

3 「敗訴者負担制」は提訴奨励効果があるか?
 「敗訴者負担制」導入について、現行制度下で勝訴の見込みが厳しくてもやらざるを得ない事件の当事者を依頼者層としている自由法曹団の弁護士が、基本的に反対するのは当然である。私も、その一人である。
 しかしそれは「司法審意見書に反対」ということではなく、同意見書が制度導入の目的とする「提訴奨励」効果がないどころか「提訴萎縮」効果を生じることがはっきりしていることによる。換言すると「敗訴者負担制」は目的と効果がミスマッチしているのである。
 具体的に検討すれば、「勝訴しても弁護士報酬を相手方から回収できないため訴訟を回避せざるを得なかった当事者」の存在を私は知らない。弁護士報酬を「相手方から回収できない」ことに不満をもつ勝訴当事者がいることは事実であるが、だからといって「訴訟を回避する(まして回避せざるを得ない)」などということはない。むしろ、現状は、自分が依頼する弁護士の報酬さえ払えないために訴訟を回避せざるを得ない人々で充ち満ちている。司法審意見書において、「裁判所へのアクセスの拡充」策として「民事法律扶助の拡充」が「敗訴者負担制」を含む「利用者の費用負担の軽減」と並んで挙げられている。そして、民事法律扶助法は二〇〇〇年にようやく制定施行されたものの、扶助財政危機は顕在化しており、扶助要件や件数を制限せざるを得なくなっている。しかも利用される相当の割合が多重債務整理事件であって、訴訟事件に利用されるのは少ない。
 かように、提訴奨励のノーマルな対策である扶助制度がその目的からは遙かに低い効果しかもたらしていない現状で、実在しない「勝訴しても弁護士報酬を相手方から回収できないため訴訟を回避せざるを得なかった当事者」に訴訟を奨励するために、「勝敗のはっきりしない事件では提訴を萎縮させる効果を生じる」制度を導入しようなどとは狂気の沙汰である。これでは、インシュリンを投与すべき糖尿病患者にアドレナリンを投与するようなものだ。したがって、「敗訴者負担制」導入問題は、司法審意見書を非難するのではなく、同意見書が制度導入の目的としていることに逆行する立法事実をこそ明らかにして、原則的導入を阻止すべきである。そして、具体的制度設計としては、司法審意見書の制度導入目的に従い、「法の支配」を定着させるための「提訴奨励」であることを基本にすべきである。たとえば、「生命・身体など、人間の生存や尊厳に関する事件で、原告の資力が被告の資力より相当程度劣っている場合」に限定することである。このようなケースで原告が敗訴した場合に、被告の弁護士報酬を原告が負担する必要はない。「提訴の奨励」なのだから、原告勝訴の場合に限定すべきである。換言すると、「敗訴者負担制」ではなく「資力の優越する敗訴被告負担制」というべきであろう。
 このような制度であれば、団員も、むしろ歓迎するのではなかろうか。司法審意見書は、「敗訴者負担制」の問題でさえ、私たちが目指す司法改革を実現するための武器になることを知るべきである。



カンボジアPKOをめぐる論争をふり返って


東京支部  木 村 晋 介

 当時のカンボジアの社会主義政権を掌握していた人民党と、これに対立する三派連合(シアヌーク派、ロンノル派、ポルポト派)間の長い内戦に終止符を打つべく、国際圧力の下、パリで和平協定が成立したのは九一年一〇月。
 翌九二年からUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)がカンボジア人による総選挙の結果、新政権が樹立するまでの約二年余りの間、同国を統治することになりました。
 しかし、パリ協定やUNTACの暫定統治に対する団内の評判はすこぶる悪いものでした(但し、渡辺脩氏の発言を除く)。
 批判の第一点は、パリ和平協定が、協定当事者からあの大量虐殺で知られるポルポト派を排除していなかったこと、第二点は、国連PKOによる暫定統治がカンボジア人の民族自決を侵害していること、この二点に集約されます。
 パリ協定・UNTAC統治に対するこうした論難が国内で起きるようになったのは、九三年の春ころからで、そうした発言の中心にいたのは、同年二月に団カンボジア調査団に参加した鷲見賢一郎氏、大久保賢一氏、森卓爾氏などのグループ(団通信七二五号など)のほか、同年の団の五月集会に参加された上田誠吉氏、同氏の発言に関連して発言された四位直毅氏(団通信七三五号)などです。
 また前記調査団の方々を中心に団から出版された「戦火のカンボジア」というパンフは、カンボジアは今、戦乱の渦中にあり、パリ協定の和平合意は完全に破綻し、UNTACはカンボジアの政治経済を破壊し、人民の怨嗟の的となっている、という内容のものでした(このパンフはまだ団に残部があると思いますので、必要な方は取り寄せてみてください)。
 以上のようなパリ協定とUNTACに対する認識や非難は、当時すでにカンボジアを三回訪問し、ある程度現地の実情を理解していた私にとって、極めて大きな違和感をいだかせるものでした。
 まず第一に、パリ協定にポルポト派が当事者として加わったことについて、現地でこれを批判する人には(人民党の党員を含め)一人も出会いませんでした。内乱時の対立構造が人民党対ポト派を含む三派連合であった以上、ポト派を排除した和平協定など成立し得ないことは誰にとっても常識に属することだったからです。そのうえ、総選挙さえ実施されればポト派が壊滅的敗北をすることは誰しもが予想しうること。ポト派の壊滅は、国際社会の干渉や圧力で実現させるべきことではなく、正にカンボジアの民衆が公正な選挙の中で自ら決するべきことと考えられていたのです。結局、大敗を自ら予測したポト派は選挙をボイコットし、総選挙後に成立した新政権の手で壊滅させられる結果となりました。
 第二に、総選挙までの期間、UNTACがカンボジアを統治するについてもそれ自体に反対する人には出会いませんでした。勿論UNTACの存在が交通事故や売春宿を増加させるなどのマイナスの影響を与えていたことは事実でしたが、当面の間の平和を保障してくれるものとして、ほとんどの人々から肯定的評価を受けていました。その理由は、二〇年にわたった内戦、特にポト派による大量虐殺により(裁判官や弁護士も含め)指導者やインテリゲンチャのほとんどを失い、そのうえ各派間の内乱時の対立感情が払拭しきれておらず、街中に銃があふれている、という状況の下で、自分たちだけで平和や憲法や司法制度を創り上げなさい、というのは余りにも非現実的な提案であったからです。他の大国の血まみれた手から民主主義的制度を手渡された日本人が、このような状況にある小国にどうしてそのようなことがいえるのか、私には到底理解できないことでした(以上の点に関し、私は団通信七三九号及び七四一号に意見を述べています)。団発行のパンフ「戦火のカンボジア」がいかに当時の現状を偽ったものであったかは、その後の経過が示すとおりです。なぜこのような明らかに誤った議論が、当時団内でまかり通ってしまったのか。それは、当時自衛隊のUNTAC・PKO派遣に反対することが団の目先の政治課題となっており、その課題を達成するために都合のよい論理≠ニ現地報告≠ェ必要だったからだと私は考えています。このような当面の政治的課題にとって都合のよいことを言い述べるだけの運動は永続きしないばかりか、結局市民の信頼を失うことにつながります。現に東チモールへの国連PKO自衛隊派遣については、団通信にみるかぎり、何の批判的運動も発言もありませんでした。ではどのような運動が永続きし市民の信頼を得たのか。次回はこれについて述べたいと思います。



植木敬夫さん遺稿集出版と偲ぶ会


東京支部  小 口 克 巳

 自由法曹団の先輩、東京合同法律事務所所属の植木敬夫団員(五期)が亡くなったのが二〇〇〇年一一月一四日(享年七四歳)、はや二年近くが過ぎました。植木さんは一九五三(昭和二八)年に創設間もない東京合同法律事務所に入所し、以降四七年間にわたって私どもの事務所の中心として活動してきました。戦後間もない激動の時代から、青梅事件、辰野事件、砂川事件などの弾圧事件において最前線に立ち、非常に困難な時代を乗り越え、他方借地借家人組合の会長などを務めるなどしてきました。植木さんの真骨頂は、事実を分析し、その本質を洞察し、時代の先を深く読んで活動することで、これは豊富な学識と哲学的探求に裏付けられたものでした。
 こうした業績を記念し、私たちが学ぶ素材とするために東京合同法律事務所で「植木敬夫遺稿集ー権力犯罪に抗してー」の出版準備を進めています。予定通り行けば偲ぶ会当日までには完成させる予定です。様々な事件活動から導き出される教訓を普遍化し、たたかいの手がかりとするために論稿としたものばかりです。個々の事件活動を通じて何を実現するか、困難な局面を打開するために何に着眼しどう突破するか等々極めて実践的で内容的にも深く示唆に富むものばかりです。日本評論社刊で一部三五〇〇円を予定しています。ご期待いただきたいと存じます。市販されますが、東京合同法律事務所にご連絡いただければ頒布させていただきます。
 また、私たちは植木さんの三回忌を迎えるにあたり、親しく交友を持たれた皆様方と集い、植木さんを偲びつつその業績に学び植木さんの遺志を継いで明日への一歩を踏み出したいと考えています。
 偲ぶ会は、後記の通り開催いたします。団員の皆様方にこの場を借りて、ご案内申し上げます。
 日 時  二〇〇二年一一月九日(土曜日)
 時 間  午後二時〜四時まで
 場 所  プラザエフ(旧主婦会館、四谷)九階 すずらんの間
 会 費  五〇〇〇円(遺稿集進呈)

 ご出席ご希望の方はお手数ですがその旨明記して文書で(ファクシミリで結構です)「東京合同法律事務所内 植木敬夫さんを偲ぶ会実行委員会」あて、できるだけ九月末までにご連絡下さいますようお願い申し上げます。



いまこそ問う『過去の克服』
シンポジウムにご参加を

―アジアにおける恒久平和を求めて―


国際問題委員会委員長  菅 野 昭 夫

 「過去を克服しアジアにおける恒久平和を築くための提言懇談会」(略称「提言懇」)から、国際問題委員会に対し、後記シンポジウムへの協力要請がありました。
 「提言懇」は、戦後補償問題に関心のある学者及び主に中国の戦後補償問題に関わっている弁護士により昨年一〇月に作られた団体です。戦後補償問題の全面解決に向けたグランドデザインを「提言(案)」の形で発表し、広範な各界各層の人々との意見交換を重ね、提言の実現を目指して、研究を進めています。
 今日、歴史的事実を認めそれに対する償いを求める戦後補償裁判が数多く提起され、強制連行・強制労働の問題に関しては、昨年の劉連仁訴訟や今年の福岡での三井鉱山訴訟に見られるように、国や企業の責任を認める判決が出されています。
 また、アメリカの連邦カリフォルニア州北部地方裁判所におけるクラスアクションやILOでの審議など、国際的にも日本の強制連行・強制労働問題の解決を求める動きが強まりつつあります。
 元「従軍慰安婦」の問題についても、一九九二年から約一〇年の間に、国連人権委員会、人権小委員会、現代奴隷制部会等で日本政府に対する数々の勧告が出されたり、「女性国際戦犯法廷」が開催されるなど、国際社会の中で取り組みが強化されつつあります。国内においても、民主党、共産党及び社民党の野党三党により「戦時性的強制被害者問題解決促進法案」が提案され審議されるなど、慰安婦問題解決に向けた動きも強まりつつあります。
 しかし、日本政府は、相変わらず「戦後補償問題は解決済み」との基本的態度を変えていません。
 今回の企画は、戦後補償問題の解決が日本の未来にとってどのような意味を持つものなのかについて国民的議論に付す出発点にしようとする試みです。日中共同声明とは何かについて王(対外友好協会副会長)氏、ドイツにおけるナチス強制労働被害者救済のための補償基金がいかにして実現したかについてマンフレート(フォルクスワーゲン社文書館館長)氏、ドイツにおける「過去の克服」の国民的闘いについて石田(東大助教授)氏、日本の歴史認識の現状と中国人の歴史観について劉(早稲田助教授)氏が話をし、日本における「過去の克服」の展望と意味を考えようとするものです。なお、朝日新聞社がこの企画を後援することが決まりました。
 自由法曹団は、日本がアジア諸国と真の友好関係を築き上げ、アジアにおける恒久平和を確立するために、日本がアジアの人々に加えた加害とそれにより被った被害の事実を認め、謝罪し、その証としての償いをし、歴史的事実を記録にとどめ後世に伝え二度と同じ過ちを繰り返さないこと、すなわち「過去の克服」が重要な課題と考えています。また、多くの団員が、戦後補償裁判に関わり奮闘しています。こうした点から、国際問題委員会は、今回の企画の趣旨に賛同し、協力していくことを決めました。
 提言懇から、@後記シンポジウムに参加していただくこと、A賛同金(一口一〇〇〇円、振込先 あさひ銀行新宿西口支店1982691「テイゲンコンベンゴシカワカミシロウ」)の要請もきています。九月常幹において自由法曹団としての賛同を討議してください。

午前講演(一一時〜一二時)「日中共同声明の基本精神」
講師 王效賢(中日対外友好協会副会長)
午後パネルディスカッション(一三時〜一七時)
「いまこそ問う『過去の克服』ーアジアにおける恒久平和を求めて」
パネリスト マンフリート・グリーガー(フォルクスワーゲン社)/石田勇治(東京大学助教授)/劉傑(早稲田大学助教授)
司会 矢野久(慶応大学教授)、川上詩朗(弁護士)
日時二〇〇二年一〇月一九日(土)午前一一時〜午後五時
場所発明会館ホール(地下鉄銀座線虎ノ門駅3番出口徒歩五分)
参加費一〇〇〇円(一般) 五〇〇円(学生)
主催過去を克服しアジアにおける恒久平和を築くための提言懇談会(略称「提言懇」)
後援朝日新聞社



日弁連人権大会(福島)の警察改革シンポに参加を


大阪支部  岩 田 研 二 郎

 十月十日に、福島県郡山市で開催される日弁連人権擁護大会シンポの第一分科会は「だいじょうぶ?日本の警察ー市民の求める改革とは」をテーマに警察改革を検証します。私は、実行委員会の事務局長として基調報告やシンポの準備に取り組んでおりますので、全国の団員のみなさんにシンポの内容などを紹介しながら、参加をお願いしたいと思います(「自由と正義」九月号にもレジュメ掲載)。

[シンポの内容ー元警察官、職員による告発]
 シンポの内容をまず、紹介します。
 コント「だいじょうぶ? 警察」 松元ヒロ(元ニュースペーパー)から始まります。
 第一部は「警察不祥事の実態とその要因をさぐる」と題し、 基調報告「警察不祥事の実態と分析」平哲也弁護士(新潟)、 基調報告「神奈川県警の組織的隠蔽はなぜ起こったのか」(山田泰弁護士、神奈川警察見張り番)の後、元警視庁警察官(ジャーナリスト)の黒木昭雄さんに「警察社会の実態と不祥事の原因」の特別報告をお願いしています。元警察官としての実体験にもとづく警察社会のおかしな話が聞けると思います。
 第二部は、パネルディスカッション「情報公開と不正経理ー始まった警察情報公開」です。パネリストは、庫山恒輔さん(仙台市民オンブズマン事務局長)、大内顕さん(元警視庁経理職員)、大沢理尋弁護士(新潟)です。
大内さんは、警視庁で、裏金つくりを担当してきた経理職員で、昨年、機動隊の年間一二億円にものぼる裏金問題を暴露された人です。今年四月に、「警視庁裏ガネ担当」(講談社)を出版されています。架空領収書の偽造などが日常茶飯事になっている実態や捜査費名目で受領した金をすべて裏金にして自由に使う仕組みなどが克明に書かれており、機動隊員も知らない出動旅費などの流用による裏金つくりとその隠蔽工作プロジェクトのメンバーとしての活動などが生々しく書かれています。その一部をご本人から紹介していただきます。
 また実行委員会で取り組んだ一八都府県の警察や公安委員会へのいっせい情報公開請求の取組の成果なども紹介します。
 資料編に、墨塗りの開示資料や公安委員会議事録、、懲戒処分報告書、金銭出納簿、警察表彰名簿、警察学校カリキュラムなど興味深い資料を収録しています。
 第三部はパネルディスカッション「市民の生活の安全と警察の役割ー警察をどのように民主的にコントロールできるか」でパネリストは渡名喜庸安氏(愛知学泉大学)、黒木昭雄氏(元警察官)、高井康行弁護士(第一東京、元検察官)、新垣勉弁護士(沖縄)です。 まず、 桶川ストーカー殺人事件の被害者の女子大生のお父さまである猪野憲一さんに「警察は市民を守っているのか」というテーマでインタビューします。
 そして、「刑事警察機能の低下の原因と対策」「行政警察権限をはじめとする警察権限拡大をどう考えるか」「警察の民主的コントロールはいかにするべきか」などをめぐって討論します。行政警察の分離、縮小や警察の分権化、警察の不当な権限「不行使」の是正に公安委員会を活用する提案など、元検察官の高井弁護士の問題提起などを交えながら、討論します。
 また山口県公安委員会の委員をされている末永汎本弁護士にも登場いただき、弁護士の公安委員として何ができるのか、どのように変えていけるのかを話していただきます。

[基調報告書の分析や資料]
基調報告では、警察の不祥事を、情報公開で開示された懲戒処分、訓戒処分などの一覧表などにして分析したり、報道された警察不祥事記事の分析などのほか、神奈川県警事件、緒方宅盗聴事件、桶川事件、栃木リンチ殺人事件、奈良県警汚職事件、兵庫大学院生殺人事件など著名事例一〇事例の事件の原因分析もやっています。
 民主的コントトロールのありかたの分析では、公安委員や警察署協議会の委員をしている弁護士(公安委員九名、協議会委員一四〇名以上)に、アンケート調査をして、弁護士から見た公安委員会などのありかたを分析しています。
 昨年六月から開始された苦情申出制度での苦情総数が、一万七〇〇〇件にのぼり、その大半は電話によるものが多いようです。文書による苦情申出には原則として文書で回答することが義務づけられています。

[警察の情報公開について]
 情報公開請求ですが、国家公安委員会、警察庁は昨年四月から、都道府県は、昨年十月から公開が始まっているところが多いです。遅いところは、今年の四月、七月などです。条例により違いがあり、公開請求できる文書の時期的制限をしているところが圧倒的で、公開請求開始後の文書に限るというところが多いことが分かりました。時期的制限を設けず、過去の文書も請求できるのは、北海道、宮城、東京、茨城、山梨、石川、三重、大阪、兵庫、鳥取の一〇都道府県だけでした。
情報公開をやってみて、こんなことが分かりました。警察や行政機関がどんな文書を保有しているかを知るには、その行政機関がつくっている文書管理規程の「文書保存期間」の文書ごとの一覧表を探すことです。これは情報公開対策で改定されていることが多いのですが、保存期間が細かく決められており、そこにその行政機関が保有する主な文書の表題と保存期間が書かれています。私は、大阪府警本部が作成した「文書分類表および保存期間の基準表」というファイルを、府民情報センターの開架の棚で見つけました。「警察署」の欄を見ると、そこで保有する文書は膨大なもので、「ストーカー事案処理経過簿」「警告実施報告書」「少年補導指揮簿」「独居高齢者等の実態等報告(年報)」「来日外国人犯罪検挙報告書」「暴力団情報提供依頼受理簿」「暴走族カード」など各課の文書の表題が詳細に分かります。
 九四年の山形人権大会での「警察活動と市民の人権」シンポでは、警察作用の面からの警察分析がなされ、その成果をふまえて、二〇〇〇年五月の定期総会で警察改革を求める決議がなされています。今回は、警察組織の分析となりますが、まだ警察の情報公開がはじまったばかりで、警察組織という未知の分野へやっと分け入ったところで、二〇〇〇年五月総会決議を一歩前進させる決議内容まで分析が到達しないので、今回は決議は見送ることとなりました。
 シンポはおもしろいものにしたいと思いますので、団員のみなさまの参加をお願いします。