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野本 夏生 キャディの有期契約化は無効
―東武スポーツ事件・宇都宮地裁判決
平松真二郎 東京日の丸君が代訴訟提訴
=私が、日の丸君が代訴訟弁護団に加わったわけ
吉田 健一 住友重機械リストラ賃金カット事件
労働法制改悪を先取りする不当判決
鶴見 祐策 篠原義仁編著「よみがえれ青い空」(花伝社)
―川崎公害裁判からまちづくりへ―
後藤富士子 「裁判官の言い訳」と「ジュリーナリフィケーション」
―正義は実定法を超えられないか
井上 正信 戦争国家体制づくりの源流(下)
平井 哲史 労働ビッグバン研究会(仮称)開催!



キャディの有期契約化は無効

―東武スポーツ事件・宇都宮地裁判決

埼玉支部  野 本 夏 生

一 事案の概要

 本件は、株式会社東武鉄道の一〇〇%子会社である株式会社東武スポーツが東武鉄道から運営を受託していたゴルフ場(宮の森カントリー倶楽部。本件倶楽部)で働くキャディに対し、正社員から一年雇用の契約社員への契約変更と、最大四割近くもの賃金の減額とを強行し、また、同時に、ゴルフ場に併設されていた保育園を閉鎖し、保育士の有期契約化とキャディ職への配置換えを強要したという事案である。

 ゴルフをする方はあるいはご存知かも知れないが、この「宮の森カントリー倶楽部」は、東武鉄道グループが経営するゴルフ場の中では最もグレードが高く、法人会員のみの接待用ゴルフ場として有名である。キャディらは採用時から徹底した研修を受け、また、彼女たち自身もプロとして誇りを持って働いていた。そして、不況の影響で来場者数が低迷していても、東武鉄道が親会社だから定年まで安心して働けると信じていた。

 ところが、東武鉄道が二〇〇二年一月に発表した中期経営計画「東武グループ再構築プラン」において、グループ内各企業の不採算事業と不良資産の整理、事業と組織の再編を打ち出し、東武スポーツに運営を委託していた本件倶楽部を含む三つのゴルフ場の経営権と事業資産をグループ内の別会社(東武不動産株式会社)に譲渡した上、各ゴルフ場における独立採算を指導したことにより、キャディ・保育士のリストラが行われたのである。

二 組合結成、そして提訴

 二〇〇二年一月三〇日の朝礼で、社長から「キャディ・保母を三月三一日付けで全員解雇する。四月一日から契約社員として再雇用する。」と突然告げられ、引き続き行われた個別面談において、賃金等の詳細は明らかにされないまま、一年契約が明記された『キャディ契約書』を渡され、二月一五日迄に提出するよう指示されたキャディらはパニックに陥った。しかし、どう対応すればよいかわからないところに、管理職から執拗に契約書の提出を求められ、「出さなければ退職とみなす。」とまで言われ、四月以降の勤務継続を希望したキャディは、全員、この契約書の提出に応じてしまった。

 ところが、三月中旬になって四月以降の賃金が示され、初めて賃金が四割近くも減額となりそうだということが判明してから、あるキャディが手にしていた労働組合(栃木労連)のチラシを頼りに相談に行き、四月八日に二八名のキャディ・保育士が参加して労働組合を結成、その後、契約変更の効力をめぐって団体交渉を重ねたが、会社側が譲歩を見せなかったことから、同年一一月二六日、宇都宮地裁に訴訟を提起することになった。

 裁判で求めたことは、在職キャディについては、期間の定めのない労働契約上の地位にあることの確認、差額賃金の支払い、賃金の大幅減額により退職に追い込まれたキャディらについては損害賠償である。

三 宇都宮地裁判決の内容

 宇都宮地裁での審理は三年に及び、昨年一〇月に結審、そして、今年二月二日に判決の言い渡しがあった。結果は原告の全面勝利である。

 判決は、在職キャディは、「キャディ契約書」を提出しない限り労働契約が終了してしまうと誤信して提出に応じたと認められるが、契約書を提出しなければ四月以降働けなくなることに合理的な理由はなく、他方、会社側はキャディがそのような誤信のもとに契約書を提出していることを認識していたと認められるから、有期への契約変更は錯誤により無効であるとし、東武スポーツに対し、従前の賃金額との差額の支払いを命じた。

 また、賃金の大幅ダウンにより、あるいは一方的な職種変更により退職を余儀なくされることになったキャディ・保育士についても、賃金等の重要な労働条件について実質的な不利益を及ぼすことになる労働条件の変更について、このような不利益を従業員に受忍させることを許容し得る高度の合理性はないとして、慰謝料等の支払いを命じた。

 四月以降の賃金等が明示されていない「キャディ契約書」の提出で変更合意の成立を認めてしまっている点で問題は残るが、しかし、契約変更後の賃金の大幅減額によって生活ができなくなり、退職をせざるを得なかったキャディらにも一定の損害賠償を認めたことは大きな成果であった。

四 現状

 原告、労働組合の関係者、そして地域の支援者らは、この勝利判決により大いに勇気づけられているが、情勢はむしろ緊迫している。というのは、東武スポーツは、二〇〇七年三月末をもってゴルフ事業から撤退すると表明し、在職キャディに対し、今年一月からのフィットネスクラブの駐車場係、チラシのポスティング業務などへの配置転換を予告してきたためである。これも東武鉄道のゴルフ場事業再編によるものであり、四月以降の本件倶楽部の運営は、やはり東武興産というグループ内企業が新たに設立する会社が担当、そこでのキャディは、すでに希望退職に応じている第二組合のキャディらが個人請負という形態で用いられるようである。

 昨年一二月二八日に宇都宮地裁から配転禁止仮処分決定が出されたことにより、当面の配転強行は阻止できているが、四月以降、事態がどのように推移していくことになるのか、新たな配転、あるいは整理解雇が強行されるような事態になるのかは、今のところ見えてこない。すでに、東武鉄道を相手方として、東京地裁に団体交渉応諾仮処分を、都労委に不当労働行為救済申立をそれぞれ提起しているが、弁護団としては、今回の勝利判決を武器にして、この山場を何とか打開していきたいと考えている。

※ 弁護団は、佐々木新一、田中浩介、青木努、長田淳の各団員、横山佳純弁護士、斎田求、野本夏生各団員(以上、埼玉)、須藤博団員(栃木)の八名。

 仮処分・不当労働行為救済申立事件からは笹山尚人(東京)、沼尻隆一各団員、水口匠弁護士、斉藤耕平団員(埼玉)に加わって頂いています。



東京日の丸君が代訴訟提訴

=私が、日の丸君が代訴訟弁護団に加わったわけ

東京支部  平 松 真 二 郎

一 懲戒処分取り消し訴訟の提訴

 二〇〇七年二月九日、卒業式や入学式等の式典で起立して君が代を斉唱しなかったなどとして懲戒処分を受けた東京都立学校の教職員一七三名が原告となり、懲戒処分の取り消しと一人あたり五五万円の賠償を求めて提訴しました。

 日の丸君が代に関しては、これまで、昨年九月二一日に第一審で全面勝訴判決を勝ち取ったいわゆる予防訴訟、昨年一二月二七日に結審した解雇訴訟(処分された結果、定年後の再雇用の合格取り消された教職員による地位確認等請求訴訟)、二〇〇七年三月一五日に結審予定の再発防止研修国家賠償請求訴訟(被処分者に義務付けられた再発防止研修により生じた精神的苦痛に対する慰謝料等請求訴訟)、そして現在証人尋問が続いている不採用訴訟(処分された結果、翌年度末以降の嘱託採用されなかった教職員による損害賠償請求訴訟)が提起されています。

 私は、今回提起した処分の取り消し訴訟は、一連の日の丸君が代訴訟の中でいわば本丸だろうと思っています。一〇・二三通達とそれに続く一連の都教委の指導、不起立に対する懲戒処分が違憲・違法であると判断されなければ、前述の各訴訟はその主張の根拠が失われることになりかねないと考えているからです。

 本来は、原告の主張の骨子や原告の思いなどをご紹介すべきなのでしょうが、私は、五九期で昨年弁護士登録したばかりですので、なぜ私が日の丸君が代訴訟弁護団に加わったかをお知らせしたいと思います。

二 受験生のころ

 ところで、憲法の概説書に、思想・良心の自由に関連して日の丸・君が代の記述が登場したのは、国旗・国歌法が制定された一九九九年以降のことと思います。

 私が始めて手にした憲法の概説書は『憲法I』(野中=高見=中村=高橋共著一九九二年五月有斐閣)でした。そこには思想・良心の自由について国旗・国歌に関連する記述はありません。また、一九九七年四月に改訂された『憲法I(新版)』でも国旗・国歌に関連する記述はありませんでした。

 同書で思想・良心の自由に関連して日の丸・君が代に関する記述が登場したのは、二〇〇三年四月に改訂された『憲法I(第三版)』からです。そこでは「国旗・国家法の制定と思想良心の自由」という項目が設けられ、「生徒に対して国旗掲揚・国歌斉唱を強制することは、生徒の思想・良心の自由を侵害するものと解される。これに対して、教師への強制は、国旗・国歌の教育を求める職務命令としてなされるので、国旗・国歌の教育が生徒に強制する内容でない限り、職務命令は合法的であるので、教師は教育を行う義務を免れないであろう」と記述されています(中村睦男教授執筆)。

 当時、まだ司法試験受験生であった私は、「職務命令が合法的である」ことが前提として結論が導かれていることに腑に落ちないものを感じました。それは、「職務命令が合法的である」ことを所与のものとすることは、突き詰めると公務員関係において上司の命令に絶対服従を求めることにならないか、それは、結局、法の支配を徹底した日本国憲法と相容れず、否定されたはずの特別権力関係理論と結論を同じくするのではないかという疑問でした。

 そして、その年の秋、いわゆる一〇・二三通達が出されています。

三 修習生のころ

 前掲書の最新版は、二〇〇六年三月三〇日に改訂された「憲法I(第四版)」です。

 そこでは、「生徒に対して国旗掲揚・国歌斉唱を強制することは、生徒の思想・良心の自由を侵害するものと解される。これに対して、教師に対する義務の履行は、校長の職務命令によってなされるので、職務命令の内容が教師の思想・良心の自由を侵害しないかどうかが問題となる。」としていわゆるピアノ事件第一審判決を紹介する記述に改められています(中村睦男教授執筆)。

 ここで、はじめて「職務命令の内容が合法的であるか」という問題意識が示されるにいたります。職務命令による日の丸君が代の強制についても、その内容が「教師の思想・良心の自由を侵害する」、すなわち「職務命令の内容が違憲・違法である」ときには、その職務命令に従う必要がないことがはじめて明らかにされたのです。

 そして、その年の秋、いわゆる予防訴訟判決が出されています。

四 そして、弁護士となって

 予防訴訟判決は、修習の二回試験が終わり、弁護士登録する直前でした。

 予防訴訟の全面勝訴判決に対しても都教委は、教職員に対して君が代斉唱時の起立などを強制する姿勢をあらためようとはしていません。

 そこで、弁護士として活動を始めた直後、日の丸君が代弁護団に加わることを決意しました。不起立により多数の教職員に対する懲戒処分が取り消されることが問題の解決につながると考えたからです。懲戒処分が違法であるとされることによって毎年繰り返される不起立に対する処分に歯止めをかけることができるからです。

 先ほど紹介した恩師の概説書の次の改訂は二〇一一年か二〇一二年の春、執筆されている先生方の年齢を考えるとそれが最後の改訂になるのではないかと思います。

 その時には、「生徒に対して国旗掲揚・国歌斉唱を強制することは、生徒の思想・良心の自由を侵害するものと解される。そして、教師に対する職務命令による国歌斉唱時の起立の強制が、教師の思想・良心の自由を侵害するものであるかが争われた一連の訴訟において、教師に対する強制も教師の思想・良心の自由を侵害するものであり、憲法一九条に違反すると判断されている」として日の丸君が代訴訟の到達点が示されるよう、弁護団の一員として精一杯の努力をしていきたいと思っています。



住友重機械リストラ賃金カット事件

労働法制改悪を先取りする不当判決

東京支部  吉 田 健 一

一 労働者に一方的な犠牲を強いる不当判決

 産業機械や兵器類などを製造している住友重機械工業(株)は、就業規則を労働者に不利益に変更し、二〇〇二年、〇三年の二年間、リストラ策として全労働者について平均で一五%の賃金を一方的にカットした。これを無効として、全日本金属情報機器労働組合(JMIU)に所属する田無製造所(西東京市)の労働者八名が、カットした賃金分の支払を求めて会社を提訴した。この住友重機械リストラ賃金カット事件で、去る二月一四日、東京地裁民事一一部(佐村浩之裁判長)は、労働者の請求をすべて棄却する不当判決を言い渡した。

 判決は、毎月の賃金で四万円から五万円にも及ぶ賃金削減が労働者に与える不利益は決して少なくはないとし、代償措置をとっていないことをも認めながら、他方で経営上高度の必要性に基づいてされたものと認められるとし、不利益変更を合理的なものとして容認した。労働者に一方的な犠牲を強いる不当判決である。

二 最高裁の判断をも逸脱

 判決は、「経営上高度の必要性」などというみちのく銀行事件の最高裁判決で示された判断の枠組みを適用する形をとりながら、経営側の判断を優先する立場を明確にしている。「企業経営に携わっている経営専門家の関与の下で形成された会社側の経営判断」を尊重すべきというのである。実際は営業利益や経常利益をあげ続け、有利子負債も順調に削減している経営実態があるにもかかわらず、判決は、これを無視した。逆に、株式市場における株価の著しい低下や債券格付けの低下といった「企業評価」の低下を強調した会社の主張を鵜呑みにし、重大な経営危機につながるおそれがあるとして、経営上の必要性を肯定した。けれども、「危機」といわれる具体的な事実は存在しないのであり、判決も、「資金調達の支障が必ずしも切迫した中でされたものとはいえない」といわざるを得なかった。さすがに会社の主張した「倒産の危機」までは認定できなかったのである。

 それにもかかわらず、判決が不利益変更の合理性を肯定したのは、多数派の労組が同意していることを重視したからである。判決は、会社を「どのような措置・対応策を講じるのが合理的かを判断するに当たっては、その影響を直接的に被る当事者である労使の判断が、まずもって尊重されるペき事柄というべき」という「労使自治」の論理を強調した。そして、連合所属の住重労組等の同意を経ているとし、約九九パーセントの社員の同意を得たのに等しいとして、同意を得ていない原告らにも不利益変更の効力が及ぶと判断したのである。ここまでくると、もはや最高裁判決と異なった基準によって判断したと言わざるを得ない。

三 労働法制改悪の先取り

 本件の判決は、判例の判断枠組みという名のもとに賃金削減の不利益変更を合理性ありとして容認するものである。いま国会に提出されようとしている労働契約法制における就業規則の不利益変更の仕組みが労働者の犠牲のために使われるおそれがあることを指摘せざるを得ない。

 のみならず、労働契約法制づくりの過程では、不利益変更に多数派労働組合などが同意すれば、その合理性が推認されるというしくみも準備されていた。これは法案化の前段階で削除されたが、今回の判決は、そのような仕組みを先取りした内容となっている。多数派の労働組合が了解すれば、反対する労働者の意見も無視され、不利益変更がまかり通ってしまうということになるのである。

 その意味でも、この判決を許してしまうわけには到底いかない。

 一審判決の段階でご協力いただいた多くの団員、関係者のみなさんに感謝するとともに、控訴審でのたたかいを広め、不当判決を打ち破るために、皆さんのいっそうのご協力をお願いする次第である。



篠原義仁編著「よみがえれ青い空」(花伝社)

―川崎公害裁判からまちづくりへ―

東京支部  鶴 見 祐 策

 川崎大気汚染公害裁判は、汚染源の企業一三社との和解成立により原告被害者の勝利で終わった。それから一〇年がたつ(国とは七年半)。その機会に本書が刊行された。弁護団事務局長の篠原団員をはじめ公害反対運動に中心的な役割を果たしてこられた七名の執筆によるこの本は、一四年にわたる裁判闘争が終結した後の川崎市における被害者救済、公害防止、そして新たな街づくりに向けた大衆的な運動の前進とその到達点が主題である。裁判闘争については、篠原団員による「自動車排ガス汚染とのたたかい」(新日本出版社)が出版されている。その続編的な性格も持つ。

 裁判を戦い抜いた原告団、弁護団、支援団体で発足した「公害根絶・環境再生をめざす市民連絡会」が、川崎市民に広く参加を呼びかけ、行政も巻き込んで着実に運動を発展させてきた。その過程をリアルに俯瞰できるのが、この本の何よりの魅力である。それが、川崎市全域にわたる被害者の医療費助成を実現させ、和解条項に基づく住民参加による、国、道路公団との協議(道路連絡会)、主要道路の構造改善、低音舗装、車線制限、歩道、緑地化など「環境再生とまちづくり」を推進している。

 その基本戦略は、八二年三月の第一次提訴の際に確立されていた。環境行政の全面的な後退の状況のもと、新たに提起する公害裁判の論議のなかで既に「公害都市の再生」が明確に位置づけられている。これは特筆に価しよう。

 東京大気汚染公害裁判が「全面解決」に向けて重要な時期を迎えている。全国的な支援のもとで、被告国、道路公団、自動車メーカーによる原告に対する謝罪と賠償、全患者への医療費救済制度の創設、公害根絶の抜本的な対策を目指して連日懸命の闘いが進められているが、この本からは、基本戦略はもとより、局面的な戦術でも具体的な形で教示をうけることが多い。何よりもその基底にある大衆的な闘いを発展させる思想が貴重に思われる。それが今の苦闘に展望をもたらす。

 この本の特徴に「序章」がある。勝利後の取組の1つとして取り組まれてきた「環境・まちづくり作文・絵画コンクール」に入賞の二人の小学生の作文が紹介され、口絵には小中学生の色鮮やかな絵が数点飾られている。次世代継承を予感させるものがあり勇気づけられる。

 公害闘争の更なる発展に資するだけでなく、大衆的な運動の基本戦略を学ぶうえでも役立つ教材としてこの本を紹介したいと思う。(花伝社・定価本体一五〇〇円、注文先・川崎合同法律事務所)



「裁判官の言い訳」と「ジュリーナリフィケーション」

―正義は実定法を超えられないか

東京支部  後 藤 富 士 子

一 森川金寿弁護士の嘆き

 昨年二月、横浜地方裁判所は、治安維持法違反で有罪が確定した元「中央公論」出版部員五名(全員死亡)に対する再審事件で、罪を問う根拠となった同法が既に廃止されたことなどを理由に、免訴を言渡した。再審を決めた東京高裁の抗告審決定は、元被告らの自白は拷問によるものだったと認定し、「無罪を言渡すべき新証拠がある」と判断していた。それを受けた再審であったにもかかわらず、横浜地裁判決は、「裁判所が起訴事実について審理できるのは、検事がその事件を起訴できる状態にあることが条件だ」としたうえで、治安維持法が廃止されたことや元被告らが大赦を受けたことが、旧刑訴法の規定で免訴事由に該当することを理由に、「有罪無罪の裁判をすることは許されない」とする一方、「免訴になる事由がなければ、抗告審決定の内容にそった判決(つまり「無罪判決」)がなされることになる」とも述べている。

 「免訴」と「無罪」とどこが違うのか。再審開始があっても、それによって有罪の確定判決が効力を失うものではなく、有罪確定判決と矛盾する内容の再審判決の確定によって初めて失効するので、免訴判決では有罪確定判決を失効させることができない。したがって、元被告らの名誉回復のためには、無罪判決でなければならないのである。

 ここで問題にしたいのは、横浜地裁の裁判官たちは、元被告らが名誉回復を求めていることを知り、しかも実体的には無罪であることも知りながら、「旧刑訴法の免訴事由」があることだけを根拠にして、無意味な免訴判決をしたことである。そこには、裁判官の人間としての良心など微塵もない。「悪いのは裁判官ではない。文句があるなら、法律に言え」という声が聞こえるようである。これでは「法律の奴隷」ではないか。

 昨年一〇月亡くなった森川金寿弁護士は、この免訴判決について、「裁判所は言い訳に終始した」と深く落胆したという。

二 ジュリーナリフィケーション(jury nullification)

 「ジュリーナリフィケーション」とは、「陪審による法の無視」のことである。英米法辞典によると、「陪審が一定の事実を認めながら、裁判官の説示に従わず、法を適用した結果と異なる評決を出すこと」と説明されている。

 具体例を挙げよう。一九七三年、ニュージャージー州キャムデンで二八名の被告が徴兵選択委員会に侵入し、徴兵名簿を廃棄したとして起訴された(連邦vsアンダーソン事件)。弁護人は冒頭陳述で、被告らが起訴事実を争わないことを明らかにしたうえで、彼らは、「場合によっては、人は法律を犯さなければならないし、たとえ厳格な制限はあるにしても、場合によっては生命と自由を守るために、他人の所有する物を破壊しなければならないこともある」という信念を陪審員に説明することを予告し、「ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンも生命と自由を守るために法律を破った」こと、「一九世紀中葉制定された逃亡奴隷取締法で逃走奴隷を援助することも犯罪とされていたが、陪審員は有罪とすることを拒否していたので、最後には政府がこの法律を実行することを断念した」こと、「一九五〇年代初めに、南部においてバスの後部座席に座ることを拒否したローザ・パークスの行為が契機となって、公民権運動が始まった」ことなどに言及した。そして、この事件では、被告全員が無罪とされたのである。

 陪審による法律の拒否―つまり、何が法律であるかについて裁判官の説示に従うことを陪審員が拒否するのである。それは、「地域社会の良心としての陪審員の義務に基づいて、評議の後に行われる投票において自己の良心を表明することである」といわれている。このように、陪審員が裁判官の法律解釈の説示に従わないでもよいということは、換言すると、陪審員もまた、その事件に適用される法律を解釈することができるという意味である。陪審員は、事実認定と法律適用とを同時に行うのであって、その両面を正しく判断することによって評決がなされるべきものとされている。(以上は、青木英五郎著作集III「反権力としての陪審裁判」参照)。

 このことは、陪審裁判では「事実問題は陪審員に、法律問題は裁判官に」という区分がされているとする、従前の理解に根本的な再考を迫る。すなわち、法解釈もまた専門家の専権事項ではないのである。そして、このことこそ陪審制度がもつ根源的民主性だと思われる。

三 裁判員制度の可能性― 法を市民の手に!

 司法改革の「目玉」として導入された裁判員制度については、市民参加の形をとっても、結局、職業裁判官に追随するだけなのではないかという危惧や、誤判の減少・解消に役立たないという断定など、この制度について消極的ないし否定的意見がある。

 しかしながら、誤判(有罪・無罪の結論だけでなく「事実誤認」の意味)は、単に捜査段階に問題が集中しているわけではなく、日本の現状では「取調可視化」で解決できることではないと思われる。現在のように職権主義的な公判手続をやっていては、どうにもならない。というのは、裁判官は、審理を秩序立て集中させようとして、どうしても早い時期に結論に達し、それとは反対の考え方が後に示されてもはじめの結論に固執しがちである。訴因は、検察官が立証すべき仮説にすぎないが、弁護人が客観的・中立的でない被告人の立場に立つ「当事者的な熱心さ」をもって主張を展開しなければ、裁判官は、「もし、このことが本当だとすると」という仮定を形成し、それに基づいて証拠を判断しようとするので、仮説に一致するものはすべて心に強い印象を残すのに反し、仮説に反するものはすべて注意をひかずに見逃される結果、一応の仮説だと考えていたことが、いつのまにか最終的な結論になってしまいがちである。このことこそが職権主義を排斥する理由である。裁判官を、すべての証拠調べと弁論が終わるまでは判断を下させない状態に置くには、対立する当事者双方の「当事者的な熱心さ」をもって証拠を提出し弁論を行う当事者主義の公判が実現しなければならないのである(『現代刑事法』創刊号/宮城啓子「訴訟構造と手続理念」参照)。

 これを別の角度でみると、裁判官は法律のフィルターを通して事件を見るということである。そして、裁判官の事実の見方(法律の演繹的適用)を修正させることは極めて困難である。これに対し、法律の素人である市民は、事実から法の適用を考えるはずである(法律の帰納法的適用)。しかも、法解釈は、裁判官の専権ではない。

 そうだとすれば、弁護人の当事者的弁護活動は、市民である裁判員に対してこそ説得力をもつはずである。私は、日本の弁護士が、「伝聞排斥の法理」「黙秘権の保障」という憲法上も明記された被告人の権利を実現する中で当事者主義公判を闘うようになれば、裁判員制度は有効に機能すると思う。まさに、問題は、弁護士にあるのである。



戦争国家体制づくりの源流(下)

広島支部  井 上 正 信

(前号の続き)

 次に内容を検討する。

 九六年六月二四日付管理室「状況について」では、各WGの検討状況を整理している。WG1の検討の結果自衛隊法改正法案が九八年四月国会へ提出され、九九年五月可決成立したと述べている。この時の自衛隊法改正法案は、在外邦人等の輸送を規定する第一〇〇条の八の改正と周辺事態法に対応する第一〇〇条の九の新設である。WG1の検討結果、それまで邦人救出のためには航空機しか使用できない規定であったが、第一〇〇条の八第二項を改正して船舶も加わり、更に第三項を追加し、邦人救出の際の武器使用が可能となった。「状況について」は、九八年五月のインドネシア危機に対応する際にも大いに役立ったと述べている。このように、WGの検討・研究の対象は、政策から立法まで広範囲であることが理解できる。WG4(対米協力)では、

(1) 米軍による我が国施設の使用、(2)米軍に対する物品役務の提供を中心に検討を行ってきていると述べている。実は、上記自衛隊法が改正された際、同時に周辺事態法案とACSA協定改訂案が可決されているのである。このことからWGの検討・研究結果は、直ちに有事法制制定へ結びついていることがわかるのである。「状況について」は述べていないが、WG4での検討・研究結果は明らかに周辺事態法とACSA協定改定となったことは明らかであろう。

 更に「状況について」は「対米協力措置等に関しては、今後、具体的な対米協力措置については(ママ)、新たな「指針」に基づく相互協力計画(周辺事態での日米共同作戦計画のことだ)についての検討等日米共同作業又は各々の政府部内で行う検討の場において、各種の具体的事項等を勘案しつつ、更に検討を深めていくことになる。」と述べ、新ガイドライン策定までのWGの作業を、新ガイドラインにより設置が合意された「包括メカニズム」で行われる周辺事態での日米共同作戦計画づくりでの日米共同作業や、日本政府内部での検討の場が引継ぎ、検討を深めるとしているのである。この日本政府内部の検討の場が関係省庁局長等会議のことであるから、「状況について」は、WGでの検討・研究作業が関係省庁局長等会議へ引き継がれたこと、「包括メカニズム」において日米が緊密に共同作業をしながら共同作戦計画と有事法制を制定してゆくことを述べているのである。

 私は、前記の二つの小論で、「包括メカニズム」こそが有事法制制定や憲法改悪策動の策源であり、その核心に日米共同作戦計画が存在することを強調したが、政府の公文書である「状況について」が、このことを明確に説明してくれているのである。

 WG1が検討・研究した「在外邦人等の保護」は、新ガイドラインへ「日米両政府は、自国の国民の待避及び現地当局との関係について、各々責任を有する」と書き込まれた。在外法人保護は「非戦闘員退避作戦(NEO)」と称する軍事作戦であるが、全体の作戦計画である五〇五五の一部になっているはずである。WG2が対象とした「大量避難民対策」は、周辺事態の六つの分類の一つに挙げられているので、WG2の検討・研究結果は周辺事態法、作戦計画五〇五五の基礎となっているはずである。〇七年一月五日朝日新聞記事は、安全保障会議が、朝鮮半島有事の際、北朝鮮から難民一〇万人〜一五万人が日本へ押し寄せると推計したと報じている。同記事は、〇六年一二月から共同計画委員会(BPC)で検討している共同作戦計画でも、避難民対策は重要検討項目であると述べている。なぜなら、大量の避難民に紛れて、武装ゲリラ、特殊部隊が日本へ潜入するおそれがあるからだ。WG3が対象とした「沿岸・重要施設の警備等」は、武力攻撃事態、緊急対処事態として、有事法制の基礎となったはずである。

 このように、四つのWGが検討・研究を進めた内容は、いずれも日本の有事法制の制定や日米共同作戦計画の内容となっているのである。

 平成九年(九七年)八月七日付内閣安全保障室「今後の緊急事態対応策の検討について」では、WGの検討を、新ガイドライン策定を考慮して、これに関連する事項については、九月半ばまでに作業を促進すると述べている。新ガイドラインの調印が九月二七日であるから、この文書が意味するところは、新ガイドライン調印までにWGでの検討・研究が新ガイドラインへ反映されること、新ガイドライン策定までにWGでの検討・研究を一区切り付け、新ガイドライン策定後はこれまでのWGから新たな検討組織になることを予告している。それが「包括メカニズム」である。

 現在進められつつある戦争国家体制づくりは、当面の目標であるOPLAN五〇五五の完成と、集団自衛権の憲法解釈見直し、自衛隊海外派兵恒久化法の制定及び中期的な目標である憲法改悪を目指して進むであろう。そこで目指している戦争国家体制は周辺事態(朝鮮半島と台湾海峡有事)だけを対象にするものではなく、グローバルな範囲で米軍への軍事支援を目指すものである。しかしながら、その中でも日本にとって最もメジャーな武力紛争であり、深刻な影響を及ぼすものが周辺事態であることには変わりない。戦争国家体制づくりの第一の目標はここにある。

 私の前記二つの小論とこの文章で、私が強調したい点は、戦争国家づくりの目的が決して日本や私たちの安全のためではなく、私たちの安全を犠牲にしてまでも、日米同盟維持のため日本の総力を注ぎ込むという体制であるということである。北朝鮮が日本にとって軍事的に脅威があるから、それに備えるというものではない。北朝鮮を軍事的に敗北させ、朝鮮半島を武力統一するための戦争へ、日本が全面的に協力する体制である。それには私たち国民の多大な犠牲が伴う。いわば、日米同盟を維持するために(もっと言えば保守政権維持のために)私たちが人身御供になることを意味する。国民保護法により政府が作成した国民保護基本指針では、四つの武力攻撃事態とテロ・特殊部隊による攻撃などの緊急対処事態の想定とその対応策を述べている。そこで語られているのは、想定事態が発生すれば厖大な犠牲者が発生することが前提になっている。国民保護基本指針と国民保護計画は、それでも被害を最小限に食い止められる(これが嘘であることは別稿「国民の保護に関する基本指針の分析」で述べた)ので、万が一戦争になっても国民の皆様は安心してくださいと述べているのだ。安倍首相の「美しい国」とは、私流に解釈すると、「米国の始めた戦争に、日米同盟を維持するため、日本人が犠牲となり血を流しても、それにたじろぐことなく戦争へ参加する」国ということになろう。国益のため一身を犠牲にすることは明治憲法下では日本人の美徳であった。キャッチコピー「美しい国日本」は、安倍首相の復古的右翼思想を端的に物語っている。これに付き合わされて憲法まで改悪されてはたまらない。安倍首相から見れば米国は「美しい国」なのであろう。しかし、多くの若者を犠牲にし多額の戦費を浪費し、その挙げ句イラクで引くにも引けない泥沼にはまり、ブッシュは政権維持すら危ぶまれる状態である。米国は既にイラク国内でイランとの密かな戦争を始めている。この上公然とイラン攻撃を始めれば、もう破れかぶれである。中東全体を巻き込む戦争となる。このような事態でも「美しい国日本」などと脳天気な事を言いながら、米国への軍事支援をするための国家づくりが憲法改悪である。私たちの目の前には戦争国家の分かり易い例がある。私たちの国がこの二の舞にならないよう、これ以上の有事法制や防衛法制の改悪、改憲を許してはならない。

 私のこれまでの見解は、冷戦時代からある護憲論の「巻き込まれ論」だとの批判を受けるかもしれない。私自身は「巻き込まれ論」が物事の半分しか語っていないことは十分承知している。戦争国家になることは、単に私たちが戦争に巻き込まれて被害を受けるということだけではない。それ以上に他国の人民への加害国家になることである。このことを米韓連合作戦計画(OPLAN五〇二七)と朝鮮半島有事の日米共同作戦計画(OPLAN五〇五五)に即して論じておきたい。

 OPLAN五〇五五がOPLAN五〇二七の一部であることは既に述べたとおりである。五〇五五がバージョンアップすれば当然五〇二七も変わってくると考えるのは自然であろう。米国のシンクタンク「グローバル・セキュリティー」が二〇〇三年一月にホームページへ「OPLAN5027 Major Theater War-West」という論文を公表し、私もダウンロードした。五〇二七が二年ごとに改定されていることを述べながら、九四年版から〇四年版までの内容を解説している。九六年版の解説では、新ガイドラインの策定により、北朝鮮との戦争の際米軍が日本の基地を使用できることが保障されたこと、周辺事態法の制定で北朝鮮との戦争に備えて、軍隊を日本と太平洋地域に駐留させることが可能になったことから、五〇二七は「オーバーホール」されることになった、と述べている。ではどのように変わったのか。九八年版では、それまでのものが北朝鮮軍の侵攻を食い止め、それを非武装地帯の後方へ押し戻すことが主眼であったが、九八年版では北朝鮮へ攻め込むというより攻勢的な内容になった、ソウルに対する生物化学攻撃を想定し、その場合神経ガス攻撃でソウルの全人口一二〇〇万人の内三八%が死亡する、そこで北朝鮮の軍と政府を木っ端みじんにすることに主眼をおき、北朝鮮への先制攻撃も含む作戦計画であると解説している。

 日本が戦争国家になることは、朝鮮半島での軍事緊張の高まりの中で米国が軍事オプションを採用しやすくし、朝鮮半島での戦争の危険性が高まること、そのことで下手をすると数百万人の韓国市民が殺戮されるかもしれない。更にそれ以上に北朝鮮の人民の犠牲が伴う。日本はそのような戦争政策を後押しする国になろうとしているのである。絶対に容認することはできない。



労働ビッグバン研究会(仮称)開催!

東京支部  平 井 哲 史

 「労働ビッグバン」が騒がれています。しかし、その内容は正確に知られているでしょうか?

 今通常国会では、ホワイトカラーイグゼンプションをはじめ、団が「毒」と指摘してきた各制度は盛り込まれないこととなり、残すは就業規則による労働条件の不利益変更の制度化問題等となっています。そして、パート労働法や最低賃金法、労基法での割増率アップなどはなはだ不十分な内容をより前進的に修正させることができるかが課題となっていると言えます。

 安倍内閣は、これまでの規制緩和路線がもたらした格差社会・ワーキングプアの社会問題化に直面して、選挙を前に、一定の措置をとらざるを得なくなっています。いっせい地方選挙で規制緩和を進めてきた勢力が打撃を被れば、参議院選挙に向けて、さらに労働条件の改善に向けた修正を押し込む展望が開けていくものと思われます。

 しかし、他方で、財界は、規制緩和路線をまったく放棄しておらず、がめつく要求をし続けています。その財界と政府の戦略を批判的に学習し、今後の運動の力とすべく、労働問題委員会では、左記の要領で、二回連続で学習会をおこなうことを企画致しました。多くの団員の方の積極的なご参加を呼びかけます。

                   記

(1) 三月二七日(火) 一八時三〇分から  団本部会議室

   【題材】 御手洗ビジョン・希望の国

        規制改革民間開放推進会議の第三次答申

        経労委報告

(2) 五月 九日(水) 一八時三〇分から  団本部会議室

   【題材】 経済財政諮問会議の報告