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岩佐 英夫 “小泉チルドレン”中川泰宏氏相手に京都府労働委員会で全面勝利命令!
玉木 昌美 栗東市不当労働行為事件報告 中労委で和解
齊藤 園生 町が壊れるということ
守川 幸男  身近な環境への配慮と工夫を
―「嫌煙権宣言」と「健康維持は団員弁護士の基本的任務」に続いて
後藤 富士子 離婚を「不幸」にしないために
―「共同親権」と「ひまわり家事調停センター」
飯田 昭 景観保護の法的戦略〜景観・アメニテイに関する裁判と環境政策の形成
中島晃団員著 のご一読を。
中野 直樹 梅雨 サクランボに誘われて岩魚釣り
脇山 弘 権力と権威



“小泉チルドレン”中川泰宏氏相手に京都府労働委員会で全面勝利命令!

京都支部  岩 佐 英 夫

1 事件の概要

 この事件は、丹後農業協同組合と京都農業協同組合との合併の過程で、労働者や農家組合員の利益を犠牲にする農協合併に反対する丹後農協労働組合(合併強行後は「京都農協労働組合」)に対する団交拒否と露骨な支配介入の不当労働行為事件です。京都農協は、次々と合併を繰り返して肥大化する過程で労働組合潰しを行い、労働組合はありません。

 丹後農協労働組合と上部団体である京都府農業協同組合労働組合連合会(京都府農協労連)は、退職金の勤続年数の通算など合併に伴う労働条件の変更に関する団交を粘り強く求めてきました。ところが、丹後農協は形式的に団交の席に出るだけで合併先との関係を口実に実質的な回答を拒否しつづけ、さらに、合併先の京都農協の中川泰宏会長の肝いりで「職員会」づくりを進めました。丹後農協には従前から親睦会として「互助会」があり、さらに別に「職員会」をつくる必要は全くなく、「会費」の規定すらなく経費は農協丸抱えであり、農協合併をスムースに進めるための第二組合であることは“みえみえ”でした。労働組合は、こうした状況の打開を求めて二〇〇四年一二月二四日、不当労働行為救済申立をしました。

2 審理の最中に不当労働行為発言、そして猛烈な脱退工作

 ところが、労働委員会審理が続いている最中、合併直前の二〇〇五年三月二一日の人事異動の内示で労組三役の内示を遅らせ、さらにその後開かれた「職員説明会」に、合併を押し付けてきた相手である京都農協の中川泰宏会長が乗り込んできて露骨な組合敵視発言を行い、全職員を震え上がらせました。この中川発言に引き続いて、合併期日の四月一日までの一〇日間前後、管理職を動員しての猛烈な脱退工作で一七七名いた労組員を激減させ、新たに選出された委員長以外は公然化できない状況になりました。そして審理終結近くなって「京都丹後農協労働組合、組合員大会」なるものをでっち上げ、「労働組合は解散した」、従って「申立人資格を欠いている」との主張を持ち出し、もと労組役員を証人申請し、審理の混乱と引き伸ばしをはかりました。自ら労働組合潰しをやっておきながら、こうした主張を持ち出すのはまさに「天に唾する」ものというほかありません。

3 妨害はねのけ全面勝利命令

 しかし京都府労働委員会はこうした妨害をはねのけて結審し、二〇〇七年四月一八日救済命令を出しました。この命令は、ポスト・ノーティスの「掲示」を「手交」に引き下げた点以外は、団交拒否・支配介入の不当労働行為の事実を認定した全面勝利の救済命令です。「掲示」を「手交」としたのは「今後の健全な労使関係の構築に資することを期待」してと、府労委は説明しています。

 しかるに、京都農協は、こうした労働委員会の“配慮と期待”に背いて、中央労働委員会に再審査申立を行い、舞台は中央労働委員会に移りました。

 京都府労働委員会では、命令を出したこと自体三年ぶりであり、全部救済命令(命令主文に棄却又は却下部分を含まない)は実に六年二ケ月ぶりです。(この間いくつか敗訴命令も出ている)

4 事件の背景(農協大合併)と中川泰宏氏の人物像

 この事件の背景には全国的な農協大合併があります。京都農協の中川泰宏会長は、もともと地元では金融業者として著名な人物であり、JA京都会長のみならず、JA全国共済連副会長、JA全農経営管理委員など農協関係では全国的な有力者であり、地元では八木町長を経験し、二〇〇五年秋の総選挙では,いわゆる「小泉チルドレン」として、野中広務元自民党幹事長の後継者を破って当選して話題となった人物です。中川会長は農協合併の全国的な動きの中心にいる人物のひとりです。農協大合併は、国鉄分割民営化、郵政民営化の次に米日の金融・保険業界が支配を狙う分野です。農協の貯金・共済は郵貯・簡保に匹敵あるいはそれ以上と言われています。

 こうした背景があるだけに、マスコミも注目し、命令交付は通常、事務室で簡単に手渡しなのに、当日はわざわざ審問室で公益委員・労使の委員も出席して主文を読み上げて渡し、テレビカメラも入るという状況でした。夕方のNHKで報道されました。翌日は、朝日・毎日・産経・赤旗の全国紙のほか、京都、新潟日報、信濃毎日、東奥日報、京都民報等が京都府労働委員会命令を報じました。

5 中央労働委員会でも勝利を

 京都農協は中央労働委員会でも、相変わらず「労働組合消滅論」を展開しています。しかし、仮に労働組合員が二人、場合によっては1人になってしまった場合でも、労働組合としての資格を認めている労働委員会命令や判決が存在します。中央労働委員会でも必ず勝利命令を勝ち取り、労働組合員の拡大でこそ真の勝利を実現できると、関係者一同決意を固めています。引き続き大きな支援を御願いします。

 この事件は事務所の同僚弁護士である佐武直子さんと一緒に担当しています。佐武さんは、現在は弁護士法人大阪パブリック法律事務所で活躍しながらこの事件も引き続き担当しています。

以 上



栗東市不当労働行為事件報告 中労委で和解

滋賀支部  玉 木 昌 美

 栗東市は「栗東芸術文化会館さきら」の管理運営を財団法人栗東市文化体育振興事業団に委託していたが、平成一八年四月、指定管理者制度の導入により、事業団ははずされ、民間のJRの子会社が指定された。事業団は、栗東市からの補助金で運営され、職員は栗東市の職員と同一の労働条件とされていたが、仕事が奪われ、雇用問題が発生することとなった。職員の労働組合である職員協議会は、事業団を相手にしても何ら権限がないことから、実質上の使用者である栗東市との団体交渉を申し入れたが、栗東市は、事業団が使用者であり、市は使用者ではないとして、団体交渉を拒否した。もっとも、雇用問題については、「さきら」のあり方について市民レベルの議論を高め、議会における追及もなされる中、職員をJR子会社等へ出向させ、「さきら」の業務に従事させることで解決がはかられた。

 協議会は、「団交に応じない栗東市が許せない、五年後の再雇用のこともあり、一矢報いたい。」と栗東市を相手に団体交渉を求めて、滋賀県労働委員会に不当労働行為の申し立てをした。私は、雇用問題が発生する段階から組合から相談を受け、対応を検討してきたが、雇用が守られたこと、現段階で団交を求めるには無理があることから、県労委での闘争は多忙を理由に組合に任せ、打ち合わせをして書面の作成等についてアドバイスをするに留めた。

 滋賀県労委(会長遠藤幸太郎)は、丁寧な審理を行い、平成一八年一〇月二七日、「市と事業団職員の間に直接的な雇用関係は認められないが、市は事業団に対して、人事面、財政および業務面において大きな影響力を及ぼしている中で、本件指定管理者制度の導入に伴う市の事業団に対する会館の管理委託等の終了は、事業団の存続と事業団職員の雇用に重大な影響を及ぼす問題であり、市は協議会が申し入れた本件雇用問題に関する団交に対して、誠実に対応するべきである。したがって、事業団職員と直接雇用関係がないことを理由に団交を拒否した市の行為は、正当な理由なく団交を拒否したものというべきであって、労働組合法第七条第2号に該当する不当労働行為である。」として謝罪文の交付を命じた。この命令は、「栗東市丸抱え」という事業団の実態を事実に即して捉えた画期的な判断であった。会社側には大阪の弁護士が代理人に就いたのに対し、組合側の私は代理人として顔を出さず、書面も組合が作成した。そのため、かえって丁寧な審理がなされた面もある。この命令については、自治労連弁護団の村田弁護士(大阪)から、代理人なしですごい決定を勝ち取ったとして「侮り難し滋賀自治労連」と高く評価されたが、組合が頑張ったといえる。尚、命令は、出向により、「事業団職員の雇用不安は、当面の間、解消した」として、現段階における団交は認めなかった。

 これに対し、栗東市は中央労働委員会に対し、再審査を申し立て、「栗東市は直接の雇用関係にはないし、市を雇用主と同視すべきような関係にはない、朝日放送事件の平成七年二月二八日付最高裁判決からしても、栗東市に事業団の職員に対する使用者性を認めたのは誤りである。」と主張した。私は、中労委段階からは代理人として就き、県労委命令が正当であること、栗東市の主張が誤りであることの主張・立証を行った。一言でいえば、財政を全面的に栗東市に依存している事業団には解雇問題を解決する何らの権限はなく、不当労働行為事件では、実質的な支配力・影響力を重視すべきであること、事業団の理事長自身が「私は雇われマダムみたいなもの」であることを自認していたが、そのとおりの実態であることなどを強調した。また、理論的には、前記最高裁判例を本件に形式的にあてはめることは相当ではないことを主張した。

 なぜ、本件のような問題が起きたかといえば、指定管理者制度を導入し、地方自治体の外郭団体の職員の雇用を奪うことになったからである。「民間活力を導入し、競争させる」のは、人件費の削減のためであり、公募の場合に外郭団体が人件費を極限まで切り詰める民間に勝つことにはそもそも無理がある。結局、地方自治体の職員と同じ労働条件の外郭団体の職員は弾き飛ばされ、職員は路頭に迷うことになる。そもそも、この指定管理者制度は、必然的に解雇問題を惹起しながら、何の手当てもしない許しがたい制度である。

 中労委においては、双方の主張を出し尽くした段階において、中労委から和解が勧告された。滋賀県労委の謝罪命令は画期的なものであったが、それを維持するかどうかをめぐって、今後、中労委、東京地裁、東京高裁、最高裁とあと四回闘いを継続しても、事業団職員の5年後等の雇用問題の解決に直接つながるわけではない。組合としても、その長期で困難な闘いに意義を見出すことはできない。そこで、和解に前向きに対応することにした。

 和解に向けて協議を進めたが、栗東市側は、当初、使用者ではなく、団体交渉権がないことを確認しないかぎり和解に応じないという強硬姿勢であった。しかし、和解にあたり、争いの中心点について、負けていた栗東市が、中労委段階で組合に完全屈服を迫るのはおこがましい。組合側は、交渉相手を通常は直接の雇用主である事業団とするとしても、最終的には実質的雇用主である栗東市との交渉を必要とする場合があると主張した。

 中労委は双方の主張を踏まえ、次のとおり和解案を提示し、最終的には、労使双方がこれを受け入れることとなった。「1 栗東市は次回の指定管理者指定の結果により生ずる事業団職員の雇用問題について、誠意をもって事業団と協議するものとする。 2 栗東市は、事業団との上記協議を通じて、職員協議会の意見を聞き、これを尊重する。 3 栗東市は、前項の事業団との協議の中で、事業団職員の雇用が確保されるよう最大限努力する。」

 使用者性を全面的に争っていた栗東市に対し、次回の指定管理者指定の際発生する雇用問題について、「事業団職員の雇用が確保されるよう最大限努力する」ことを約束させた意義は大きい。栗東市が実質的な使用者であることを認めたものということもできるからである。事業団がいくら雇用確保に努力するといっても権限がないから意味がないが、栗東市がこれを約束すれば、前回のように雇用が確保される可能性が高い。また、事業団を通じてではあるものの、栗東市が、事業団と誠意をもって協議し、組合側の意見を聞いて、これを尊重することを約束させた点も高く評価することができる。

 和解は、本来平成一九年八月七日に成立する予定であったが、栗東市がその日になって急に「議会の承認が必要かもしれない。」と主張したため、次回に成立させることとなった。そして、九月議会の承認を経て、六回目の期日である、この一〇月九日、中労委での和解が成立した。新幹線栗東新駅問題で顰蹙を買っている栗東市長は、新聞報道によれば、「(これ以上争えば)指定管理者制度自体の問題となる。」と述べたとのことであるが、本件のような事件の根本にはまさに指定管理者制度自体の問題が横たわり、それを許した法律の問題性を浮き彫りにしていることは先に述べたとおりである。

 いずれにせよ、実質的な雇用主である栗東市に職員の雇用を約束させた本和解が、指定管理者制度のもとで困難な雇用問題に直面して闘っている全国の外郭団体の仲間を励ますことになれば、と期待している。

 中労委の闘いにおいては、大阪自治労連弁護団の河村武信弁護士や城塚弁護士に、関連事件の資料や情報の提供を受けてアドバイスをいただいたが、本当に感謝している。



町が壊れるということ

東京支部  齊 藤 園 生

 久しぶりに団の常幹に出席しようと思った(よく考えたら、私は常幹ではなかったので出席する義務はなかったのだが)。夕張市が財政再建団体になって以来、市の職員が半減するとか、市役所庁舎まで売りに出すとか、とかくマスコミ的話題が絶えないが、いったいあの町の人たちは今どんな生活をしているのか、とても興味があったからである。

 とてもおおざっぱな言い方だが、財政再建団体とは、要するに破産者と同じ立場である。破産宣告は受けたが免責はないため、夕張市の場合一八年をかけ債務を長期分割弁済する。「管財人」は総務省という裁判所顔負けの石頭である。口では「住民サービス」を言いながら、最低限の住民サービスさえ削られる運命にある。

 たとえば、広い夕張で現在ある小学校中学校は、なんとそれぞれ各一校にまで減少させられる。年間延べ三万人の高齢者が利用していた老人福祉会館の年間予算も二〇〇〇万円も〇になり独立採算で運営せざるを得ない。運営主体の社協職員の月給は課長クラスで手取り一七万という。それでも利用料を設けたことと、住民税の増税で、高齢者の利用も三四%減少し、今存続の危機にある。市立病院縮小により人工透析は市外で実施するしかなくなったが、高齢の人工透析患者の送迎をどうするのかが問題となり、ただでさえ金のない社協が緊急に受けざるを得ない状況という。

 町の財政破綻は、住民の生活を支えている行政サービスが単に量的に少なくなるということだけではない。最低レベルの行政サービスさえなくなったとき、町としての機能が失われ、住民が生活していくことさえ不能となり、コミュニティそのものが壊れていくことなのだろう思う。

 なぜ夕張は破綻したのか。イベント大好きのアホな市長が長期に居座っただけではない。石炭から石油へのエネルギー政策転換で炭坑をつぶし、その後にはリゾート法で大型開発を持ち込んだ国策の結果であり、最後は構造改革で自治体合併を押しつけ、国の意向に添わなかった夕張への見せしめてきな「破産宣告」だったと言う。「国の政策の失敗とツケを、住民だけに負わせるのは不当だ」という社協職員の言葉は、実情を聞けば、非常に納得できるのである。

(今存続の危機にある老人福祉会館では、自前で運営できるよう、携帯メールからのメール募金をしています。地道な努力に協力しようと思う方はhttp://www.just.st/500000へ)



身近な環境への配慮と工夫を

―「嫌煙権宣言」と「健康維持は団員弁護士の基本的任務」に続いて

千葉支部  守 川 幸 男 

1.かつての投稿の紹介

  ―今回の提起と発想は共通

 (1) 一九八一年一月一一日、団通信二八八号(二六年以上前)で私は、「嫌煙権宣言 喫煙者へのお願い」を投稿した。当時は、会議中でも私の「お願い」にもかかわらず、煙害を蒙る時代だった。禁煙車両の中でも煙害にあったことすらある。その結果のどを痛めて寝込んだつらい数回の経験を赤裸々に書いた。公害事件をやりながら毒をまきちらすのはおかしい、とも訴えた。その後、事務所のロッカーに、「すいません。あやまりながら吸うふしぎ」「吸ったら吐くな。吐くなら吸うな」「やれ吸うな、のどが痛いよけむたいよ」などとスローガンを書いて貼ったりした。

そのような個人的な涙ぐましい努力や社会的な批判の高まりの結果、今ではタバコの煙を吸わされることはほとんどなくなった。

 (2) 一九八八年四月二一日、団通信五五〇号(二〇年近く前)で私は、「健康維持は団員弁護士の基本的任務 −健康維持と鍛錬に関するあれこれ −」を投稿した。

長く活動を続け、社会的弱者のために闘うためには当然であり、現在も努力は続けている。

 忙しいので、トレーニングの時間を取らずとも、日常ふだんにトレーニングすることも重要だ。例えば、全力で歩く、コピーしながらかかとの上げ下ろしをする、自宅で足首に重りをつけて歩く、イスに座ったら貧乏ゆすりする(血行をよくする)、テレビを見ながら、家事をしながらトレーニングするなど、いくらでもある。

2.身近な環境への配慮と工夫を

 ようやく地球温暖化の危機が叫ばれるようになっている。私はタバコや健康について個人的に騒いだり黙々と実践するだけで、公害、環境問題の事件は全くやっていこなかった。

 だからあまり大きな声では言いにくい。また、戦争や企業活動こそ最大の原因であることは理解している。しかし、地球がダメになりそうなのに、それは政治の責任だと言って個人的な工夫や努力をしないことは許されないので、一人一人が努力や工夫することを呼びかけるのは許されると思う。

 そこで、私の実践例を紹介する。

(1) 自宅でなるべく冷房も暖房も使わない。

 もっとも事務所では妥協せざるを得ない。私は事務局より早く事務所に来るが、その間、冷暖房は全くつけない。電灯も自分のまわりしかつけない。

 冬は寒ければ外出時のように着込み、夏は暑ければ着るものを減らす。要するに上半身ハダカで暮らす。洗濯せずに住む。

もっとも最近(一〇年以上前か)では、冬は足温器を使う。

電気は環境に悪い(注)ので、かつて湯タンポを使っていたこともあったが、面倒なので妥協している。

 今年の猛暑でもエアコンを全く使わず、首に冷たいものを巻いたり、扇風機でしのいだ。

 (注)電気は製造過程で環境に負荷をかけ、送電のロスが高い。オール電化住宅など決して環境にやさしくない。

(2) コンセントをいちいち抜くのも大変なので、最近、節電器(電気屋で売っている)をあちこちにつけた。慣れれば面倒でない。

(3) 自宅の机は窓際に置いて、昼間は自然の光を利用し、なるべく電気はつけない。

(4) 冷暖房をつけるのがサービスとか強すぎる冷暖房がサービスと思いこんでいる車掌などに対して、なるべく注意する(もっとも、注意するのもかなり苦痛なので、たまにである)。

(5) 起案には余った紙の裏を使う(但、個人情報に気をつける)。

(6) 食器はお湯とたわしで洗い、油は紙でふいて落とす。要するに洗剤は基本的に使わない。

(7) ビニール袋、紙袋、封筒など廃物利用に心がける(但、たまりすぎたら紙については仕方なく(8)の「雑紙」として捨てる)。

(8) 数年前からだが、雑誌や広告、段ボールなどと同じ日に、資源ゴミとして雑紙(知らない人が多いと思うが、ざつがみ、と読む)を分別して出す。燃えるゴミには出さない。封筒、名刺、のし袋、説明書、小さな紙の箱などである。ホチキスやセロテープもはずして、ホチキスは燃えないゴミへ、セロテープは燃えるゴミへ。めんどうだがやめられなくなった。そこでホチキスの使用は少し減らすことにした。

(9) この一、二年のことだが、生ゴミは自家処理をして、燃えるゴミには出さない。

(10) 結局、燃えるゴミとして出すのは、食品を包むビニールやトレイがほとんどであり、食品の汚れは、茶わん類を洗うときに軽く洗って流しの上で洗濯バサミを使って干してから捨てる。

このビニールやトレイ、回収や再生などできないかと生協に注文を出している。家庭菜園ができればよいが、時間も場所もない。

(11) エレベーターの○閉ボタンはなるべく押さない。

(12) ペットボトルはなるべく買わず、水筒代わりに水を入れて持ち歩く。

(13) 落ち葉はゴミ出しせず庭に捨てる。

(14) 新聞折り込みの広告など不要なのだが、県民だよりほか必要なものとの仕分けがむずかしいとのことで、新聞販売店の協力がむずかしい。

(15) あふれるコピーやFAXをどうするかは要検討である。

以上、工夫の例をあげたが、めんどうで言ったとおりにできず妥協したりすることもある。しかし、全部は出来なくとも、一人一人が一つでも始めたらどうか。自分ではできなくとも家族にすすめてみるのもよい。そして、これ以外にもあれこれ工夫を検討したらどうだろうか。



離婚を「不幸」にしないために

―「共同親権」と「ひまわり家事調停センター」

東京支部  後 藤 富 士 子

1 理不尽な「単独親権」制

 民法八一九条では、離婚に際し、親権者を父母のどちらか片方に指定しなければならないとされている。離婚の九〇%を占める協議離婚でも、離婚届に親権者を定めなければ受理されないし、裁判離婚では裁判所が指定する。離婚の増加と少子化を背景に、子の親権をめぐって訴訟にまでなるケースも増え、また、子の身体の争奪が刑事事件にまでなっている。さらに、社会の耳目を引く少年犯罪や虐待の背景に、離婚による養育機能喪失が垣間見えることも少なくない。

 考えてみると、離婚後に単独親権になるのは、片方が親権を喪失することである。しかるに、民法八三四条が規定する親権喪失事由は「親権の濫用または著しい不行跡」である。すなわち、「離婚」それ自体は、親権喪失事由に該当しないのである。したがって、親権者指定が裁判で争われるとき、無理矢理片方の親権を喪失させるのに、裁判所がいったい如何なる手続的正義を持ちうるというのであろうか? また、実体的にも、子の養育に何の責任も負えない裁判官が、どうして親権者を指定できるのだろうか?

 反面、「単独親権」制は、非親権者の「責任放棄」を許すものでもある。

 しかしながら、「女性差別撤廃条約」や「子どもの権利条約」では、父母が婚姻中であるか否かにかかわらず、子の養育は父母の平等な権利であり義務である。したがって、現行法の「単独親権」制が、これら条約に違反していることは明白である。

2 「共同親権」原則の普遍化ー民法改正案

 民法の旧規定では、親権者は、第一次的に「家ニ在ル父」、第二次的に「家ニ在ル母」とされていた(旧八七七条)。つまり、父母が婚姻中であっても「単独親権」であった。

 このような家父長的ないし父権主義的な規定は、「両性の平等」原則に反するので、現行法では、婚姻中は父母の「共同親権」を原則とし(八一八条3項)、離婚・非婚の場合は「単独親権」で性においてニュートラル(八一九条)になった。すなわち、離婚や非婚の場合、「家に在る親」は父か母のどちらか片方であるとして、単独親権を維持することに疑問がもたれず、両親が家に在る婚姻中のみ共同親権にしたのであろう。

 しかしながら、婚姻中でも片親が単身赴任などで別居している例を想定すればわかるように、子と同居していなければ親権を行使できないというものではない。また、非婚といっても、単に法律婚をしていないだけの事実婚のように、子と両親が同居している場合には、共同親権が完全に可能である。重婚的な場合でさえも、子と同居していない親が現実に養育責任を果たしている例はあるし、むしろそうあるべきである。

 したがって、婚姻中の「共同親権」原則を、離婚・非婚にも敷衍すれば足りる。具体的には、民法八一八条3項から「父母の婚姻中は」を削除し、八一九条を全部削除するだけで足り、新しい条文を加える必要などないのである。

 そうすると、離婚に際して親権者を指定する必要がなくなるから、「親権者指定」は訴訟事項から消える。残るのは、民法七六六条の「離婚後の子の監護」に関する取決めであるが、父母の合意ができなければ家事審判により決される。

 すなわち、子の養育をめぐる紛争は、離婚訴訟から解放され、未来志向の建設的な協議が促されるのである。それは、一九四九年に発足した家庭裁判所が掲げた「家庭に光を、少年に愛を」という標語に象徴される福祉的機能(人間関係調整機能)を果たす機関に紛争解決が委ねられるべきことを意味している。

3 弁護士の役割―「当事者代理人」から「調停者」へ

 私は愚かにも「ADR」を「裁判所外紛争解決手段」と誤解していた。これは、調停が裁判所の外には殆ど存在しない日本の現状を反映した認識だったと思う。棚瀬一代教授の著書「離婚と子ども」(「自由と正義」七月号書評を参照してください)に、アメリカでは弁護士と心理臨床家が協働して「私的調停」を行っていることが紹介されているが、「調停も裁判所」と思っている私には「私的調停」というのがどうしても飲み込めなかった。司法的紛争解決のために、「私的」で対応できるはずがないと考えるからである。

 しかしながら、民法を改正して「親権者指定」を訴訟事項から外せば、「離婚と子ども」をめぐる紛争は、もはや司法的紛争ではなくなる。どこまでも当事者の自己決定を促し、関係性構築型の調停こそ有効であろうし、仮に調停不調で家事審判に委ねられるとしても、調停過程は無駄にはならない。

 これに比べ、「単独親権」制の下での親権者指定をめぐる紛争は、全く不毛の争いである。のみならず、公私ともに莫大な費用を浪費する。親権者指定の証拠となる鑑定の費用は、子一人で三〇万円が相場と言われる。独禁法違反として廃止された「弁護士報酬基準規程」に従えば、離婚だけでも調停の着手金と報酬の合計は、四〇万円〜一〇〇万円である。それに、財産分与、慰藉料が加われば、別途計算である。親権についても、離婚そのものとは別に考えられるであろう。このような莫大な弁護士費用が当事者双方から払われるとすれば、「単独親権」制は、いわば悪徳商法の温床のようなものであろう。

 以上を踏まえると、「共同親権」制の下での離婚調停は民間ADRに委ねられるべきであると思われる。そして、その需要は大きいと思う。

 具体的には、「ひまわり家事調停センター」(仮称)という民設民営の認証ADRを全国的規模で立ち上げることである。国や自治体の補助金(「家庭基盤充実支援」のような福祉予算)や民間の寄付金で財政基盤を固めながら、相談、調停、調査等々、豊富なメニューを用意し、提供するサービスに見合う料金を設定して、利用者に負担してもらう。資力がない者は法テラスの援助を受けることができる。そして、資力のある利用者によって解決水準が向上していけば、利用者以外も恩恵を被る。

 このような「調停」を想定したとき、弁護士が「当事者代理人」として関与する余地はなくなる。この「調停」は、変容型調停(トランスフォーマティブ・メディエーション)であり、代理になじまない。そして、ADR促進法に照らしても、弁護士が「調停者」として関与すべき余地が大きい。

 「ひまわり家事調停センター」は、いわば「第二家栽」というべきものであり、「家裁」を超えるであろう。何故ならば、「家裁」が権力を背景にしているのに対し、「第二家栽」は完全に「私的自治」の世界だからである。そして、それを担う弁護士こそ、市民に信頼され、歓迎されるであろう。「単独親権」制に苦しめられている人々は、「ひまわり家事調停センター」を待っている。



景観保護の法的戦略〜景観・アメニテイに関する裁判と環境政策の形成

中島晃団員著 のご一読を。

京都支部  飯 田  昭

1.京都市では、本年三月、新景観政策関連の条例が市議会で成立し、九月一日から施行された。新景観政策は、高さ規制の強化(高度地区の変更による。中心部の大通り沿いを四五メートルから三一メートル、職住共存地区を三一メートルから一五メートル等)と六つの条例からなる。六つの条例とは、(1)高さ規制の特例許可の手続きを定める条例、(2)市街地景観整備条例の改正による美観地区(景観地区)の拡大、強化、(3)風致地区条例の改正による風致地区の拡大、強化、(4)自然風景保全条例の改正、(5)眺望景観創生条例の創設による眺望景観や借景の保全、(6)屋外広告物規制条例の改正による屋上屋外広告物や点滅照明等の禁止である。

2.新景観政策により、歴史都市京都の大景観(盆地景観。三山の眺め)、中景観(まちなみ)の保全・再生を図ることがかなりの程度できることになった。

 何故このような条例が制定する運びとなったのか。従来からの規制の程度では到底対応できない京都のまちなみ、山並み破壊とこれに対する住民・市民の運動が中心的役割を果たしたことは勿論である。京都弁護士会や建築学会もくり返し意見を出してきた。他方、京都市はこれまで、京都駅ビル問題や京都ホテル問題に象徴されるように、規制緩和に与してきた。しかしながら、このままでは歴史都市京都は一地方都市になり、更には財界も京都ブランドの危機を認識する中、景観法の制定がこれを後押しし、実現に至った。

3.中心的役割を果たした住民・市民の運動の中でも、草の根の住民運動の連絡団体である「住環境を守る・京のまちづくり連絡会」(木村万平代表)と、市民団体・労働組合も含めた「まちづくり市民会議」(中島晃事務局代表)が中心的な役割を果たしたことは言うまでもない。

 多数のマンション問題、大文字山ゴルフ場開発問題や一条山開発問題を初めとする緑地破壊の問題、京都ホテル改築問題、京都駅ビル立替問題、そして鴨川のボン・デ・ザール架橋問題等々この間の住民・市民の運動は枚挙にいとまがないが、木村万平氏と中島晃団員が中心的な役割を果たされたことも間違いがない。

4.今般、木村万平氏が「京都破壊に抗して〜市民運動二〇年の軌跡」、中島晃団員が、「景観保護の法的戦略〜景観・アメニテイに関する裁判と環境政策の形成」(いずれもかもがわ出版)を発刊された。

 この二冊は、まちづくり・景観問題に取り組む上で、是非セットで読んで頂きたいし、マンション問題や緑地開発問題等の住民の相談にのる上でも、読んでいただく必要がある本である。

 といっても、この二冊は性格が全く違う。前者(木村万平著。三,二〇〇円)は、この二〇年間の京都の二〇〇件以上の京都破壊の実例と住民・市民運動を網羅した百科事典のような本である。多数の写真、図表も配置されている。京都のまちづくり問題に興味を持っていただいている方には通読をお勧めするが、通読をしなくても、マンション問題や開発・環境問題の相談を受けた際にその都度参照するために、一冊手元に置いておくことを是非お勧めしたい。

5.さて、中島団員の著作であるが、これは、極めて多忙な仕事や社会的事件・運動の合間をぬって、三年間京都大学大学院地球環境学舎博士課程で地球環境学を専攻され、その卒業論文として書かれたものを、新景観政策の制定に合わせ市民向けにもわかりやすく補充されたものである。

 これまでの裁判例、環境政策、景観保護をめぐる法制度を整理したうえで、景観法、国立マンション問題をめぐる判例、学説の到達点と課題を簡潔に網羅し、そのうえで、景観・アメニテイに関する権利の生成・実現を丁寧に論じている。

中島団員が最も言いたかったことは、後書きにもあるように、「建築自由の原則」を根本的に見直さなければならないことである。

 中島団員の本は、頁数も本文一〇八頁と一挙に読める分量であり、かつ、学者の論文よりは読みやすく、しかも、丁寧に関連判例、文献が網羅されているため、まちづくり・住民運動に関心をもって取りくまれている団員はもとより、そうでない団員についても、是非ご一読をお願いします。

6.また、一一月一日の日弁連第五〇回人権擁護大会(浜松)第三分科会シンポジウム「住み続けたいまち・サステイナブルシシテイへの法的戦略〜快適なまちに住む権利の実現に向けて」は、都市計画法・建築基準法を、持続可能な都市を目指して、「計画なければ開発なし」、「建築不自由の原則」に抜本的に転換させることにつなげることへの契機としたいと考えていますので、是非ご参加ください。



梅雨 サクランボに誘われて岩魚釣り

東京支部  中 野 直 樹

 鹿沼、那須、白河、須賀川、郡山、福島・飯坂、白石・・と書くと東北自動車道を走りなれている人には、すぐインターチェンジの名称が連想される。ICやSAは、所在場所の市町村名や地名が付けられるようになっているようで、ハンドルを握りながら、世間には知名度の低い地名も知らず知らずのうちに記憶に刷り込まれる。東北自動車道路のマップを横に広げて、そこに芭蕉がおくのほそ道の旅で宿泊した場所を選び出すと、先のICの地名と重なるのである。古来、白河の関を越えた先が「みちのおく」と言われ、京都や江戸の中央政権の権力が及ばない地域であった。

 芭蕉は「須賀川」の箇所で「長途の苦しみ、身心疲れ、且は風景に心を奪われ」と著しているが、都心から車を飛ばしてきたドライバーもここまで来たかとの感慨がわき、ほっと緊張の抜ける地点である。さらにこのあたりから、左手に磐梯山、安達太良山、吾妻山、蔵王・・奥羽山脈の雄大な山並みが運転者の目を奪う。油断の潜むコースだと戒めながら、二本松をすぎゆくと、突然タイヤが三三七拍子を打つ。二回、三回と繰り返される。そのユーモラスさが思わず車内に笑いを生み、眠気のカーテンが払われるのである。私はかねがね路面のアイデア作品だと感謝してきた。ところが、今日は、どうしたことかおなじみの拍子が伝わってこなかった。あれ?と思い、助手席で窓外をみながら物思いにふける佐藤さんに声をかけた。

 佐藤さんは国民救援会町田支部の永年事務局長だ。佐藤さんは、一九七四年、妻が町田市議会議員選挙に出馬した際の近所へのあいさつ回りが公選法の戸別訪問罪に問われ、最高裁まで一〇年に及ぶ裁判をたたかう人生となった。佐藤さんは、この裁判中の合宿の慰みに岩魚釣りを始めた。勧誘者は弁護の中心となった八王子合同法律事務所の齊藤展夫、佐治融団員だ。以後今日まで、元弾圧被害者と弁護人のSトリオが、多摩ナンバーのパジェロで走る、岩魚釣りみちのく旅は三〇年以上続くのである。

 私は八六年に八王子合同に入所し、九一年に彼らに岩手県北本内川で教授を受けた。以後、手帳には斜線を入れて「佐藤」と書くことがならわしとなった。佐藤さんは私の岩魚釣りの師匠の一人である。このグループと岡村親宜・大森鋼三郎団員の〇ペアーの旅は、時折、交流釣行している。岡村さんが釣りのために免許をとり早速購入した車は、佐藤さん勧めのパジェロであった。最近はパジェロが近づくと他の車が逃げてしまうような「欠陥車」になってしまったが、出始めのパジェロは優秀車であった。

 佐藤さんは山形県村山市に生まれ育ち、集団就職列車で上京し、三菱自動車で定年まで働いた。これがパジェロとの縁である。

 今年四月、私が佐藤さんに、山形出張の事件を受任したと話すと、佐藤さんは、六月二〇日頃のサクランボ収穫期に合わせて、自分の実家に泊まろうと計画を組んだ。そんな経過で、私は、ネクタイを締めたスーツ姿で、釣り道具を積んだパジェロを、村田ジャンクションから山形自動車道に走らせることになった。

 山形市内で、かなり気の重い仕事を済ませたあと、村山市に向かって北上した。道路の両側には、サクランボ園が広がり、鮮やかに色づいた赤い実は垂涎の的である。佐藤さんは、佐藤錦どうしでは交配せず、必ず相性の良いナポレオンも植えてあると解説を加える。

 最上川のほとりに涌く碁点温泉でネクタイをはずした。おくのほそ道には「最上川は、みちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有」と記されている。碁点橋からみると、川面のあちこちに岩石が出ている。ちょうど碁石が散らばっているようにみえる。芭蕉は、もう少し下流である紅花の産地である尾花沢から大石田で最上川の船下りをしたようなので、難所話は伝聞であろうが、なるほど、船頭が座礁の危険に直面しながら慎重に操らなければならない箇所である。佐藤さんは、子どもの頃、この岩石から飛び込みをして遊んでいたそうだ。

 佐藤さんによると、最上川は、山形県(出羽の国)のみを流れ、一県のみ流域とする川として最長だそうだ。地図をひろげると、福島県境の吾妻山を源流として、米沢盆地、朝日連峰、出羽三山、蔵王連峰などの水を集めて、豊かな穀倉地帯の流域を形成している。ついでにいうと日本三大急流のひとつとされる。

 佐藤さんの実家に二泊することになった。佐藤さんのお兄さんが農家の跡をとり、家と田畑を守っている。おいしい山菜料理の数々と本格的な板ソバなどに満腹し、コップ酒を重ねた。

 翌朝は、いつものことながら二日酔いに反省の弁を繰り返しながら、釣り支度をした。目的地は、朝日連峰の北端から流れ落ちる大井沢である。まだらの雪模様を残した月山をみながら寒河江川をさかのぼった。寒河江といえば、昨夜観ていたテレビニュースで、サクランボ泥棒が発生したとの報道がなされていた。以前山形の団員から、この地域では、昔からサクランボ窃盗が刑事国選の風物詩だとの話を聞いたことがあったが、赤い宝石といわれるだけの高価品なわけだ。

 朝日連峰は一八七〇mの大朝日岳を頭とする巨大な山塊である。藤沢周平は「春秋山伏記」で、主人公の羽黒山の山伏が、子どもをさらった木地師を追跡して険峻の八久和川の杣道を辿るシーンをスリリングに描いている。また太田蘭三の「殺意の三面峡谷」は、西朝日岳を源頭に新潟県村上市まで流れ下る三面川の最源流部岩井又沢を舞台とする推理小説である。ちょっぴりエッチなシーンもはさんだ山岳小説としてぞくぞくとするリアリティーがあるし、イワナ釣りも迫真をもった筆使いで描いている。二つの作品はまったく性格を異にするものであるが、いずれも、山容が厚く深く、峻険な渓を刻み、立ち入る者の少ない朝日連峰の神秘性を下地にして、そこに踏み込んだ者の体力と緊張の限界を見事に描き切っている。

 大井沢は、天狗角力取山というユーモラスな一四〇〇メートル峰をおおうブナの森を水源とするおだやかな渓である。登山車道の終点から枝沢に入り、そのまま竿を出さないで上流に向かった。まだカラ梅雨で、強い陽射しが照りつける。額や首筋に汗を浮かべながらふんばって遡行し、四〇分ほど経過したところでザックをおろし、両手で冷たい水をすくって息をついた。

 藪沢なので、仕掛け糸は一メートルほどの短さにしないと木の枝釣りになってしまう。佐藤さんのはもっと極端で糸の長さが五〇センチメートルほどのちょうちんで、しかも竿が軟調ときているので、型の良い岩魚がかかったときは竿先のたわみがヘアーピンカーブのようである。

 佐藤さんたちSトリオは、仕留めた岩魚をそのまま魚籠にいれ、岩魚がコトコトと跳ねる感触を楽しみながら釣りあがる。これに対し、〇ペアは、仕留めた岩魚は鈎をはずす前に、ナイフの柄で頭をたたいてしめた後に魚籠に入れる。その方が鮮度がよいという。なるほど、しめないで魚籠にいれたときには岩魚は硬直し、肌が白く変色するのに比べ、すぐしめた場合には、死後硬直も変色も少ない。そんな現象を佐藤さんに伝えても、佐藤さんは、このコトコトが心地よいのだといって流儀をかえない。いずれの鈎にかかっても、岩魚には酷な話である。

 岩魚の食い盛りである。木漏れ陽にきらきらと光る川面に飛沫をあげながら岩魚が飛び出す。釣り進むと、二メートルほどの高さの落ち込みがあった。手前に蔓が垂れ下がり、正面から竿を出せない。そっと左手に回り込み、竿を六・一メートルに伸ばしきった。苔むした大岩の間からほとばしる豊かな水流は砕かれて真っ白い。白濁が消滅するあたりに餌のブドウ虫を投げ入れた。そのまま流すと仕掛けが蔓にからまりそうなので、少し上手に引いたところ、ブドウ虫が水面に浮きあがった。そこに、急浮上した岩魚が飛びつき、ぐいっと底に引っ張っていた。息をつめて一、二、三と数え、竿先を合わせた。糸の張力に異変を察知した岩魚は右に左にと蛇行する。その必死さが竿を握る手にひしひしと響く。竿先を少しあげ、岩魚の方向を川面に向けさせてそのまま一気に引き上げた。エラをふくらませた怒り顔の二六センチであった。

 気がつけば、青葉の籠のなかにいた。降り注ぐ日の光が、岩も、川面も、岩魚も、そして人間も緑色に染め上げていた。



権力と権威

山形支部  脇 山  弘

 中曽根康弘の〈天皇制と、わび、さび、もののあわれ等の芸術が日本歴史の誇るべき文化的価値なのである〉との新聞談話をひき、団の冊子は、〈実在の天皇たちは初期においては血を血で洗う権力闘争を繰返し、「日本の伝統と文化」と崇めることなどできません。鎌倉時代から幕末までの天皇は、政治的実権をもたない空虚な存在でした。このように実態の異なる天皇を日本の伝統と文化というのはかなり乱暴な議論でしょう〉と書いている。

 初期の天皇は崇められない、という心情の吐露かと思うと一転し、鎌倉以降の天皇は空虚な存在でしたと歴代天皇の事績評価である。これは中曽根が語った「天皇制」を「天皇」にすり替え、中曽根が語ってもいない論点を叩くアンフェアな論法である。また、天皇制と天皇を峻別しないから、中曽根の天皇制文化の批判になっていない。

 さらに天皇は崇められないと云うや、摂関政所政治や院政の時代を飛びこして、鎌倉時代から幕末までの天皇は空虚な存在でした、と南北朝の大動乱にもふれないひどい論である。本通信に声が寄せられるかと待ったが、風は吹かない。さようで御座るか。

 まず、実権のない天皇は空虚な存在だったのか、中曽根に聞こう。彼は、鼎談集『憲法改正大闘論』において、日本の歴史を見ても天皇は歴史的・文化的・伝統的権威をもった存在で、現実的な権力をもっていたのは将軍です。権威と権力が分離されていた。天皇の「権威」と将軍や首相という現実的な「権力」の二重構造でやってきた。かたや超越、こなた俗界です。俗界の政権が倒れても超越的な存在の天皇がおられます。そういう歴史的叡智をもって日本という國は続いてきた、と語っていた。

 このような見解は『丸山真男講義録』に既にあった。「天皇を中心とする統治機構が整備され、その統制力が強化されるほど、むしろ統治機構の内部において、天皇がたんに権威の帰属点になり、その意味で神聖化されるのに逆比例して、天皇個人の実質的な決定権からの隔離もまた制度化されてゆく」つまり統治権の帰属者と実質的な権力行使者による統治であり、天皇は権威であって赤裸々に支配者としては現れない。

 武光誠教授は『天皇の日本史』にこう書く。天皇が日本という國の中心であり、日本文化の核の部分に位置することは明らかである。今日では、天皇自らが政治に当たらないことが原則とされた。天皇支配の根拠は、天皇を日本の神々をまつる最高位の祭司とみる。これによって天皇家の権威がいままでつづいてきた理由を了解でき、天皇の宗教的性格が日本文化の核という結論をみちびく。なお、網野善彦や高木昭作も天皇制を宗教的・呪術的なものという。

 水林彪教授の近著『天皇制史論』はこう論じる。律令天皇制において天皇家は天皇・藤原家という形で存在した。これは天皇不親政の原理が成立したことを意味する。すなわち最高権力の所在が天皇その人ではなく、天皇・藤原家に帰属することとなり、天皇以外の者が権力を掌握するところとなって天皇それ自身は権力をもたない権威という一種の機関となった。このような天皇不親政の原理の成立を基礎として、武家によって権力が奪われていくにもかかわらず、天皇という存在は消滅するどころかむしろ武家権力の正当化のための不可欠権威として存続した。最高権力者の関白や将軍が天皇を権威として仰ぎこれによって正当化され権力を行使するという構造である。このように、天皇という存在の本質は、諸権力の重層的構造として存在する権力秩序のあり方を正当化する権力をもたない権威としての存在である。この本質は、律令天皇制成立から幕末まで一貫していた。(ある時期の天皇親政を否定するのではない。為念)このように天皇の存在は俗を超越した権威であった。

 冊子は、天皇は空虚な存在にすぎないというが、十五才の明治天皇が「徳川内府、従前委任の大政返上・将軍職辞退の両条、今般断然聞こしめされ候」と、王制復古・国威挽回の大号令を発し得たのは、天皇に権威あればこそ、よって錦の御旗たり得たことは「衆庶の知る所」ではなかったのか。

 次ぎに、初期の天皇が権力闘争を繰返したというが、その天皇号を明かさない、また初期とは何時までかも伏せている。これが壬申の乱を指すのであれば、当事者は大海人と大友の皇子である。記紀に盲従しない研究は、大海人が王権簒奪のため大友に先制攻撃をかけたことを明らかにしている。

 武光教授は、〈天皇という称号は、大和朝廷の発生当時から用いられたものではない。七世紀末天武天皇のときはじめて使われた。それまでは、大王が朝廷の支配者とされていた〉と指摘する。(数研出版の大学受験参考書新日本史も同趣旨の解説をしている)

 大海人は乱のさなかに軍事大権を息子の高市皇子に委ね前線から離脱した。その後の乱は高市と大友の戦いとなり、高市が勝利したので大王の地位は高市に移った。こうなると、高市の上に君臨する大海人の称号をいかにせんとなって、天皇・スメラミコトと呼ぶことになった。スメラは「澄んでいる=清浄である」と理解され、大王を超越する宗教的に最も清浄な存在として崇め奉るミコトであった。中曽根が述べた「超越的な存在としての天皇」という修飾句の淵源である。

 大王中大兄皇子が病没し、大海人が天武天皇を称するまでの間、王権の座に誰か就いたのか、どうか、種々論議がなされたが、明治三年に明治政府は殺害された大友皇子に弘文天皇の諡号をした。

 明治一五年の小学教科書『小学國史紀事本末』は壬申の乱を次のように書いている。これを小学生が朗々と読みあげていたという。

 「天智帝崩に臨み、皇子大友の幼なるを以て、位を皇弟大海人に伝へんと欲す、大海人固辞し、僧となり吉野にはいる、大海人英武にして威望あり、時人云う、是虎を野に放つが如しと、是に於いて太子大友立つ、是を弘文帝とす・・・大海人京に入り、先帝の親臣数人を斬り・・・乃ち位に即く、之を天武帝となす、是に於いて天智の統姑く絶つ、光仁帝に至って復た旧に復せり」。

 野の虎大海人が弘文帝(諡号の天皇)を殺害したとする皇位簒奪説にたつ教科書である。だが、明治四三年の国定教科書から壬申の乱の記述が消え、国定教科書編修官喜田貞吉はこう説明している。

 普通教育上タメにならぬ歴史上のできごとは教えてはならない。児童の頭へよけいなことを多く注入する必要はない。国史教育の神髄は、善良な国民を作るのが目的であるから、善いことだけ学んで十分我が国の善美ないわれを知り、これを顕彰する義務のあることを自覚させるところにある。したがって、歴史上の事実を熟知していても、教育の目的に照らして授業しなければならず、こうした立場から、国定教科書は、たとえば壬申の乱のような教育上有害無益の心配のあるものは削除してある、と。

 大海人の王権簒奪説は天皇制権力によって、正統に反する異端と断定され抹消される。翌四四年には南北朝正閏論争がおき、明治天皇の勅裁によって南朝が正統とされたので国定教科書が改訂され、南北朝の章名は吉野朝廷と改められて北朝の天皇は「日本歴代表」から削除された。このように歴史は捏造されていった。この論争の結末の一つが、教科書編修官喜田禎吉にたいする休職処分の発令であった。

 天皇制は、正統による異端糾問という姿をとる。なにが、真理であるかということより、何が正統であるか、何が異端であるか、ということが最大関心事になる。天皇制が国民の中に上から浸透していくと、天皇制そのものが空気のように目にみえない雰囲気として一つの思想的な強制力、抑制力を持つようになる。臣民はこれに慣らされやがて空気と同じように意識しなくなる。意識するのは極少数の「主義者」である。「主義者」が異端とされたらどうなるか。刑死した幸徳秋水を思えばよい。これが天皇制の文化である。

 中曽根康弘は改憲・教基法改正の目的を前著で語っていた。敗戦の結果プラグマティズム、功利主義、個人主義が入ってきて、それまでの「日本が保ってきた儒教的、神道的、あるいは縄文時代から続いてきたディシプリン」を一掃してしまった。それで日本は本来の自己を見失い、文化や歴史に対する信頼感やプライドをなくしてしまった。日本を建て直すには「文化」が「平和」に代わるべき大事な価値観になる。このディシプリンは、原始仏教や記紀等の神典を通じて大和心を明らかにする国学を含意する。

 松井繁明氏は、拙稿に教育議をひき儒教の徳目は教育勅語に吸収されたと書いたら、改悪勢力の伝統と文化は教育勅語であり儒教や国学ではないと云う。勅語から儒教の徳目を除いたら何が残るか。また、氏は輪廻を書いた謂われに平家物語の諸行無常をあげる。

 「運命つきぬれば力およばず。されど名こそおしけれ。いつのために命をばおしむべき」。「見るべき程の事は見つ、今は自害せん」と海に沈んだ知性の将知盛。「たけき者も遂には滅びぬ」。

 無常のさきには浄土教、彼岸西方浄土の救済がある。平家物語は諸行無常で始まり浄土欣求・来世賛美で終わる。平家物語に輪廻の思想はひとかけらもない。