(2018年発行分)第1654号/12/21 ※福岡・八幡総会特集 総会プレ企画に参加して 京都支部  秋山 健司

カテゴリ:団通信

 二〇一八年福岡八幡団総会終了から早一ヶ月半も経過してしまいました。プレ企画の会場で執行部の皆様から「プレ企画の感想をきちんと団通信の形で投稿にして下さい。」と言われていたのですが、総会後、京都支部事務局長としての最後の大仕事である京都支部総会の準備、殺人共謀共同正犯えん罪事件の公判前整理手続きと公判期日のラッシュ対応が続き、すっかり遅れてしまいました。ラッシュが終わったこの時期に、何とか一気呵成に宿題履行と相成った次第です。
 言い訳はこの位にして、本論です。今回は、題して「勝つまでたたかう」。福岡支部の皆さんの闘いの今昔物語という内容であったと受け止めています。自分が高校の社会科の教科書で学んだ水俣事件から、筑豊じん肺訴訟事件、ハンセン氏病訴訟事件、有明海訴訟事件、そして玄海原発差止訴訟事件から被災者支援訴訟事件まで・・・数え上げることが難しい程の様々な闘いの息吹に触れることができました。福岡の団支部の歴史は、弁護士二年目だった馬奈木昭雄団員が、「『食えるか、食えないか』ではない、『被害の本質と加害の原因を知る』ことが大事なのだ。」という思いで事件の現場に飛び込んで行かれた、その時から歩みを始めたのだということを思わされました。
 企画は、福岡支部の各団員が、それぞれの担当されている事件での奮闘のお話を通じて、「被害とは?」「救済とは?」「運動とは?」を深めていくという形で進められました。たくさんのお話をお聞きしましたが、紙幅の関係で、印象深かった内容を中心に筆を進めたいと思います。一番印象に残ったのは「支援者や裁判所に、被害をどう訴えていくのか。」ということについての工夫でした。筑豊じん肺訴訟では、「黙して語らない抗夫(こうふ)が、子どもに風船を膨らませてあげられない辛さをかみしめるその姿を訴える。」、有明海訴訟では、「こんなにうまい海の幸が、泥のにおいで汚されるという漁師の辛さを訴え、裁判官に現地の海に来てもらって、その手に臭いタイラギをとってもらう。」、生活保護裁判では「亡くなった両親が、月末はおかずをもやしだけにする、服は皆フリーマーケットで買う、という苦労を重ねて貯めた四四万円の進学費用を行政が取り上げてしまった事実を訴える。」等々、理屈だけではなく、読む人、聞く人の感性に直接訴えかけていく訴訟活動が報告され、自分自身の訴訟活動のあり方を振り返らせてくれました。現在、私は、京都支部の飯田昭団員、寺本憲治団員と、京都市左京区北泉通における架橋・道路拡幅工事に対する違法な公金支出を問う住民裁判事件に取り組んでいるのですが、書面で「都市計画図面では直線に描かれている道路が実施計画図面では屈折する形で描かれており、その結果、実施計画図面どおりに工事を行えば、都市計画図面を前提とすれば工事対象地とならない土地が対象となり、その土地と地上建物の所有者の財産権を侵害する。」と書面で繰り返すだけでなく、担当裁判官に現地に来てもらい、「この眼前に伸びている道路が、都市計画図面ではどのように描かれているのか。」、「それが実施計画図面ではどのように描かれているのか。」、「都市計画図面と実施計画図面の差異が、この沿道のどの家に、どのような侵害をもたらすのか。」を、当事者のお顔を見てもらいながら訴えていくことが非常に重要な意味をもつのではないかと考えるに至りました。
 企画後半の質疑応答場面では、法廷での意見陳述の重要性と裁判所や国、相手方大企業による抵抗への対処策について様々な意見が聞けたのも勉強になりました。
 最後に、馬奈木団員から、「権利というものは、法律で初めて生まれるものではない。我々市民がその日々の営みからつかみとった利益の実効支配から生まれるものなのだ。法律は後からそれを保障するものに過ぎない。憲法九七条はそのことを謳っている。そのことを捉えて放さず、我々はまた明日から突き進んでいこう。」という言葉で締めくくられました。
 日常業務を中心とした生活の中ではつい忘れられてしまう大事なことを、今回もプレ企画で気づかされ、思い出させてくれました。ここ二年間は、「京都支部事務局長はプレ企画から参加する。」という支部慣例のおかげもあってプレ企画で有意義な学習をさせていただくことができました。これからも、総会や五月集会の現地での実践を学び、自分の大局的な見地を思い出させてくれる企画に参加していきたいと考えております。

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