(2018年発行分)第1654号/12/21 中国にとっての原爆投下 埼玉支部  大久保 賢一

カテゴリ:団通信

 原子爆弾の発明と初めての使用は全世界を震撼させた。科学革命と戦争革命が同じ日に起こったのである。侵略者としての日本人が、この人類史上空前の強烈な兵器の打撃を受けたことはファシスト侵略者の当然受けるべき報いであり、八年この方日本ファシストの野蛮な殺戮にあってきた中国人にとって、騙された無辜の日本人は別として、日本軍閥に対して少しも憐憫の情を持ちえない。しかし、本来人間生活に奉仕するはずの科学がかくも残酷な破壊力と殺傷力を持つ武器に応用されたことに、全人類、特に全世界の科学に献身する学者にさだめし深刻な感慨をもたらしたものと、我々は信ずる。 これは、一九四五年八月九日付の「新華日報」に掲載された社説だという。このことを知ったのは、一一月一〇日に開催された日本反核法律家協会主催の「朝鮮半島の非核化のために」をテーマとする意見交換会における楊小平広島大学研究員の報告であった。楊さんの報告は、「中国における『核』の受容」と題する、一九四五年から一九五〇年までの「人民日報」の「核」に関する報道を題材とするものであった。楊さんは、その報告の冒頭でこの社説を紹介したのである。ちなみに「新華日報」は当時の中国共産党の公式新聞である(「人民日報」の発刊は一九四八年)。
私の驚き
 この報告に接したとき、私は大きな驚きを覚えた。まず、この社説は一九四五年八月九日付ということである。広島への原爆投下は八月六日だから、この社説は広島への投下を受けて書かれているのだけれど、とにもかくにもその反応の速さには驚かされたのである。しかも、この社説は、原爆が「人類史上空前の強烈な兵器」であり「残酷な破壊力と殺傷力を持つ」ことを指摘しているだけではなく、「科学革命」であり「全世界の科学に献身する科学者に深刻な感慨をもたらした」としているのである。
 原爆投下当時の米国大統領トルーマンは、投下直後の八月六日の声明で「原子爆弾は宇宙に存在する基本的な力を利用した革命的な破壊力を持つものである。原子エネルギーを解放できるという事実は、自然の力に対する人類の理解に新しい時代を迎え入れるものである」と言っている。「新華日報」は、このトルーマンの声明を正確に理解しているのである。
 さらに、私が刮目したのは、この記事は原爆の打撃を受けることは「ファシスト侵略者の当然受けるべき報いだ」としつつ「騙された無辜の日本人は別」としていることである。トルーマンは先に紹介した声明の中で「(革命的な破壊力を持つ爆弾が)極東に戦争をもたらした者たちに対して放たれた」としているが、「新華日報」はそのトルーマンの声明と呼応しつつも、「無辜の日本人は別」としているのである。原爆は「侵略者」と「無辜の民」を区別などしないのだから、そんな区別は意味がないと言うこともできるけれど、政府と人民を区別して論じようとする姿勢には着目しておきたいのである。
日本政府の態度
 ところで、一九四五年八月一〇日、日本政府は「新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性残虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する罪悪なり、…帝国政府はここに自らの名において、かつまた全人類の名において、米国政府を糾弾するとともに即時かかる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求する」という「米機の新型爆弾に依る攻撃に対する抗議文」を発出している。当時の日本政府は、原爆投下は「人類文化に対する罪悪」であり、「即時に使用を放棄」することを米国に求めていたのである。
 その後、政府は、原爆裁判(「下田事件」・一九五五年提訴、一九六三年判決)において「原子爆弾の使用は日本の降伏を早め、交戦国双方の人命殺傷を防止する結果をもたらした」、「かような事情を客観的にみれば、原子爆弾の投下が国際法違反であるかどうかは、何人も結論を下し難い」と主張している。
 そして、現在、政府は「核兵器のない世界の実現を目指して、現実的かつ着実な核軍縮努力を積み重ねていくことが重要」として、核兵器禁止条約に背を向けている。「人類文化に対する罪悪」も「即時の使用放棄」も消えてしまっているのである。政府に初心に立ち返ってもらいたいと思うのは私だけではないであろう。
現在の中国 
 現在の中国は核兵器保有国である。一九六四年から四五回の核実験を行い、二七〇発の核弾頭を保有しているとされている(長崎大学核廃絶研究センター)。そして、包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名しているけれど、核兵器禁止条約を推進しようとする姿勢は見せていない。核兵器に依存していることでは他の核兵器国と違いはないのである。中国も原爆投下直後に「新華日報」の社説で表明された核兵器の威力を理解しつつ、核への依存という「転向」をしているのである。
 楊さんは、個人史としての原爆被害は核兵器の非人道性を可視化していることや、中国人被爆者の強制連行・強制労働と原爆被害の「二重の苦しみ」に触れつつ、核廃絶に向けての挑戦と被害者の総括的救済の重要さを提起していた。私も大いに共感するところである。
 この日の意見交換会では、朝鮮人「徴用工」につての韓国大法院判決も話題となった。私は、改めて、中国や朝鮮の被爆者の「二重の苦しみ」を忘れてはならないことと、加害の歴史を修正しようとする者たちへの怒りを覚えたものであった。

(二〇一八年一一月一一日記)

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