2019年 第1655号 / 1 / 1

カテゴリ:団通信

●2019年を改憲断念の年に   船 尾  徹

●事務局次長就任のご挨拶    江 夏 大 樹

●カルロス・ゴーン氏逮捕と日産派遣切り事件について   田 井  勝

●死刑制度学習会に参加して   中 村 雅 人

●「少女像」の影はハルモニだった   大 久 保 賢 一

●「民主化」と「護憲」- 韓国にみる「国民主権」   後 藤 富 士 子

●消費増税と財政出動 亥年の初夢   伊 藤 嘉 章

 


二〇一九年を改憲断念の年に

団 長  船 尾   徹

通常国会から臨時国会
 一八年通常国会は、森友・加計問題、自衛隊日報隠しなどの公文書問題、ウソとごまかしの「安倍政治」による政治の私物化に対する国民的批判が集中するもとで、「働き方改革一括法」が強行採決されました。そして、秋から始まった一八年臨時国会における「安倍政治」は、立法府としての民主的論議を拒否し、重要法案を次々と「強権的」に採決を繰り返し、暴走につぐ暴走に終始しました。
入管法改定と臨時国会
 なかでも入管法改定は、少子高齢化と労働力不足社会の到来を前にして、「移民は受け容れない、しかし外国人労働者を増やす」ことをめざした安倍政権は、最低賃金以下の安い労働コストのもとに、有期雇用として景気変動に対応する雇用調整弁として使い捨て可能な、「現代の徴用工」ともいうべき状況におかれている外国人労働者を、なし崩し的に拡大しようとしたものです。この入管法改定にあたって、「移民」を前提に「共生社会」への道に踏み出すのか否か、そのために必要な根本的論議はおろか、これまで導入されてきた技能実習生など外国人労働者の労働実態を無視し、その人権侵害を解決するための実効性ある根本的な改革論議をまったくネグレクトしたまま、安倍政権は外国人労働者の受け入れ増大にむけて強行採決に持ち込んだのです。
  そのほか水道事業の管理運営の民営化、民間企業の算入を認める漁業法の改定、日欧経済連携協定(EPA)等々、国のあり方と国民生活に重大な影響を有する立法・諸施策について、立法府としてのまともな論議を拒否し、多数の横暴によるやりたい放題の強行採決を繰り返し、国会の空洞化が突出した異常な状況となったのです。与野党が激突したのも当然でした。
  沖縄県知事選でのオール沖縄の大勝利に続く与野党の激突状況のもとで、改憲勢力は野党共闘を突き崩せず、自民党は改憲案を提示できなかったのです。
一八年改憲策動の攻防と一九年通常国会
  「安倍九条改憲」をめざす改憲勢力は、三分の二を越える改憲派議席を有し、改憲推進本部、憲法審査会のポストにこれまでの「与野党協調派ないし改憲慎重派」を排除して「改憲強行派」を据え、一八年臨時国会にのぞんだのです。しかし、通常国会に続く臨時国会においても、自民党改憲案提示に反対する野党共闘の体制を崩すことができなかった。公明党も自民党の改憲案提示に消極的で、与党間協議にも応じなかったことなどから、自民党改憲案を憲法審査会に提示できませんでした。
 私たち改憲阻止の運動が、憲法審査会を審査会幹事の選任、CM規制について民放連からのヒアリングしかできない状況に、追い込んだとみることもできるでしょう。
 かくして一九年通常国会に移行することになり、地方選挙、天皇代替わり、参議院選挙等々、きわめてタイトな政治日程のもとで、改憲策動は困難な条件を抱え込んでいます。こうした側面を過大に重視する朝日新聞は、一九年通常国会での改憲発議は困難とする楽観的報道を流しています。
  しかし、安倍政権は、改憲強行派シフトをしいて、いわば「改憲のための引き金に指をかけている」危険な態勢を解除してはいないのです。自民党一九年運動方針原案は改憲に「道筋をつける覚悟」で臨むことを明記しようとしています(また、「まずは具体的な改正案が示され国民的な議論が進められることが肝要(一二月一〇日安倍首相)」、「通常国会一五〇日間の定例日を有効に使い四項目を提示したい(一二月一一日萩生田光一幹事長代行)」、「国会における憲法審査会で平場で国民にわかる形で議論することは重要(一二月一七日下村博文自民党憲法改正推進本部長」等々の発言)。改憲審議ストップ状態にあった憲法審査会を野党の抵抗にあいながらも一八年臨時国会で強行開催し、最終的には改憲手続法の公選法横並び改正案の継続審議を決め、同審査会の審議の扉を開けさせているのです。一九年通常国会においては、自民党改憲案を提示して審議入りへと公明党を引きずり込む可能性も高まっています(「憲法審はそれぞれの立場から憲法について意見を交わす場だ。自民党としてのイメージを示すこと自体がだめだという理由がわからない」一二月六日北側一雄公明党憲法調査会長の発言)。あわせて野党をもこれに誘導していく危険性も存在しているのです。
 さらには安倍政権は、衆・参同時選挙の可能性を含んだ参議院議員選挙と同時の国民投票を画策し、改憲のための引き金を、天皇代替わり、六月のG20の隙間を縫って日ロ外交交渉による「二島返還」を外交の画期的成果であるなどと喧伝し、これをチャンスとばかりに改憲発議へと強行する機会を狙っているのではないでしょうか。  また、タイトな政治日程のもとでムリをせず、参議院選で三分の二をあらためて確保して参議院選後に改憲案提示を狙ってくる可能性もあります。結局、参議院選で三分の二を阻止するたたかい、全国各地の野党共闘の構築が、決定的に重要となっているのです。
大軍拡による社会保障・福祉財源の削減と野党共闘
 そこで、私たちは、この一九年通常国会から夏の参議院選までの間、改憲策動を断念させる条件をどのようにつくりだしていくのか。「安倍九条改憲」に反対する全国市民アクションとともに野党共闘を、各地でどのようにつくりだしていくのか。私たちひとりひとりの団員が参加している運動のなかで、全国各地で改憲阻止のための野党共闘体制を形成するために有効な課題を提起することに心を砕くことが、いま求められています。
 「安倍九条改憲」阻止をめざす私たちの運動は、緊急意見書「『安倍改憲』は戦争への道」において、二〇一五年九月一九日強行採決した安保法制(戦争法)のもとで米軍と一体化・従属化、外征軍化を強め、世界有数の軍事組織となっている自衛隊の実態と動向を分析し、「ありがとう自衛隊」キャンペーンを批判し、安保法制の下に組み込まれた自衛隊を憲法に明記することの危険性を訴えてきました。
  安倍政権は、安保法制によって集団的自衛権の行使が可能となった枠組に適応させ、これを加速させるべく、防衛政策の基本を転換し、新たな「防衛大綱」を一八年一二月に決定しています。
 新防衛大綱は、これまで建前としてきた「専守防衛」の一線を越え、宇宙やサイバー、電磁波などの新領域を含む「多次元統合防衛力」をめざすと共に、これまで抑制してきた自衛隊の打撃力を格段に強化し、敵基地攻撃能力の保有につながる大軍拡路線と日米一体化した共同作戦体制のさらなる強化を打ち出しています。現代の戦争では「軍事と非軍事の境界を意図的に曖昧にしたハイブリッド戦」が展開されるとして、これに対応するため陸、海、空のみならず宇宙・サイバー・電磁波を組み合わせ、「全ての領域における能力を有機的に融合し、その相乗効果により全体として能力を増幅させる領域横断(クロス・ドメイン)作戦」の必要性を強調し、これまでと次元の異なる軍拡をすすめようとしているのです。
 この新大綱路線に基づいて二〇一九年から二三年度の兵器・装備の調達などの軍拡計画「中期防衛力整備計画」(「中期防」)を決定し実施しようとしています。「中期防」は、海上自衛隊最大の「いずも型」護衛艦改修による事実上の航空母艦化、短距離離陸・垂直着陸能力を有するステルス戦闘機F35Bの導入、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入・整備、戦闘機F35に搭載して遠隔地を攻撃できる長距離巡航ミサイルの導入など、これまで最大の二七兆四七〇〇億円規模の大軍拡による「戦争する国」づくりを進めようとしています。
 不毛な軍拡による軍事費(防衛費)の異様な肥大化は、国民生活の各分野に必要な社会保障・福祉財源を圧迫し抑制していきます。こうした事実を国民生活の各分野の具体的な運動要求に即して批判する運動を提起し、これを全国各地の野党共闘体制の拡大につなげていくことが重要となっています。
野党共闘の裾野を拡げ深めるために
 昨年の東京新聞の「税を追う 歯止めなき防衛費」キャンペーンは、安倍政権が米軍産複合体に従属し米国製兵器をトランプ政権のいいなりで(「対日貿易赤字削減」に協力して)大量に「爆買」し、わが国の国家財政を歪めている深刻な実態(高額な米兵器の購入による「後年度負担」の増大など)を報道しています。
 都市部で定員九〇人の認可保育所を建てる場合、厚生労働省は建物費用を約二億円と想定しており土地があれば、米国製戦闘機F35A(一機当たり約一五〇億円)一機分で少なくとも七五カ所、六七五〇人分を建設可能です(昨年度の保育所の待機児童は全国に二万七〇〇〇人、約四機分で待機児童解消)。
  医療・介護などの社会保障予算二〇一九年度の自然増分を約一二〇〇億円圧縮され、安倍政権六年間で自然増分の削減累計額は一兆六〇〇〇億円に達しています
  こうした一例をみただけでも、「国民生活を切り詰めて、他国のために基地を造る。それを放置する国民が政権の暴走を許している。日本は『法治』国家じゃない。『放置』国家になっている」(沖縄国際大学前泊博盛教授)のです。
 軍拡をめざす自衛隊を憲法にひとたび明記すれば、その軍事力は歯止めなく「自己増殖」していくでしょう。軍拡に反対し国民生活を軸にした野党共闘の形成のために、私たちは共闘の裾野を拡げてたたかっていくことが重要となっています。

 

 

事務局次長就任のご挨拶

 東京支部  江 夏 大 樹

一  自己紹介
 自由法曹団本部の事務局次長に就任した東京支部・東京法律事務所の江夏大樹と申します。平成生まれの若輩者ですが、昭和生まれ・野球好きの団員には、往年の名投手「江夏豊と同じ名前の次長」と覚えて頂けたら幸いです。
 趣味はスポーツでこれまでバスケットボール、ラグビー、サッカー、陸上をやってきました。最近では山登りをライフワークとしている小部正治団員と山登りに行くことも増え、登山が趣味に加わりました。
二  就任にあたって
 次長として改憲阻止対策本部、労働問題委員会を担当します。
 各委員会での活動を精一杯頑張ることはもちろんですが、以下では次長就任後の意気込みについてお話します。
 私は今年・弁護士四年目になりますが、これまで目の前の事件、依頼者の要望等に対応することで一杯一杯となり、情勢・社会問題に疎く、次第に無関心となっていく自分を感じていました。同時に、受任する目前の事件と社会で起きている出来事や政治情勢は決して別物ではないことも肌で感じとっていました。そして、これまでの自分を変えたいという気持ちから、この度、事務局次長に挑戦しました。就任したからには、目の前の事件と同様、誠心誠意取り組みます。
 また、自由法曹団では、若手弁護士が活動参加に消極的になっているようです。私がそうであったように、若手は目の前の事件に精一杯であり、活動へ足が遠のくこともやむを得ないです。しかし、諦めるわけにも行きません。自由法曹団の諸活動の魅力をわかりやすく内外に発信し、若手が参加したいと思える魅力的な企画を行う中で、若手が参加したいと思うように努力したいと思います。
三 終わりに
 「江夏の二一球」のように絶体絶命の大ピンチをシャットアウトする力は持っていませんが、毎回全力投球で取り組みますので、ご指導をどうぞよろしくお願いします。

 

 

カルロス・ゴーン氏逮捕と日産派遣切り事件について                   

 神奈川支部  田 井   勝

一 ゴーン氏逮捕とその後の動き
 二〇一八年一一月一九日、日産自動車の代表取締役会長カルロス・ゴーン氏と同社代表取締役グレッグ・ケリー氏が金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで逮捕された。そして両氏は一〇年度から一四年度までのゴーン会長の報酬を総額約五〇億円過小記載したことの容疑で刑事告訴された。
 さらに、ゴーン氏は、二〇〇八年に自身の管理会社を通じて行った私的な投資の損失約一八億円を日産に付け加えるなどしたことについて、特別背任の容疑で再逮捕されている。
 ゴーン氏の逮捕・起訴を受け、当職らが担当している日産派遣切り・期間工雇止め事件(争議)との関係で、意見を述べる。
二 本件争議について
(一)本件争議は、二〇〇九年、日産が非正規労働者を大量解雇(派遣切り・雇止め)したことに抗い、当該組合員五名が日産らを相手としてたたかっているものである。
 同事件は同年二月九日の同社内での「二月ゴーン演説」をきっかけとする。ゴーン氏はこの日、同年三月時点での同社の営業損益が赤字に転落すると予想し、その危機を脱するため、二〇〇九年度に「労務費を前年の二〇%下げる」、「グローバル従業員数を二四万人から二一万五〇〇〇人に減少する」、「派遣社員の契約を更新しない」と発表した。
 またゴーン氏はこの演説において、「痛みを分かつ」とし、役員の報酬を同年三月から一〇%カットすること、役員の賞与を五〇%平均で削減する、と述べた。
 このゴーン演説の後、当該組合員である派遣労働者らは派遣会社から契約終了を通告された。国内でグループ全体の約八〇〇〇人の非正規労働者が解雇(契約終了)されている。
(二)しかし、日産は二〇〇九年三月以降、急速に好況に転じた。二〇〇九年度決算は、営業利益も純利益も最終的に黒字に転じた。
 また、日産は二〇〇九年三月、同社役員一〇人に二五億八一〇〇万円の報酬を支払った。この報酬総額は、前年度より三億五千万円も多い。ゴーン氏は前記演説の際には報酬を一〇%カットすると述べながら、結局、同社の役員報酬は前年を上回る結果となっている。
 そして、二〇一〇年以降、ゴーン氏の役員報酬はさらに上昇を続け、一〇年には約九億円、一五年には一〇億円を超えた。また、一〇年から一八年までの役員報酬平均は、国内自動車メーカー七社のうち、日産が二億五七五万円で一位である(二位のトヨタ自動車は一億五三〇万円である)。
(三)一方、契約終了を言い渡された当該組合員らは、その直後に日産の上司らに異議を訴えても聞き入れてくれず、またその後、労働組合として同社に団体交渉を申し入れても、直接の契約関係にはないことを理由に、一切の交渉もなされず、契約終了が断行された。
 また、地位確認訴訟を提起した後も、組合として日産に話し合いの場の設定を求め、なぜ解雇しなければならなかったのかの説明を求めてきたが、日産は一切断ってきた。
 日産はこれまで契約終了に対してまともな説明をしていない。唯一の説明は二〇〇九年二月の、一方的なゴーン演説だけである。
(四)当該組合員らはそれぞれ、日産自動車・日産車体で長年働き続けていた。就労中は皆が誇りをもって懸命に働き、ずっと働き続けたいと思っていた。だからこそ、契約終了を通告された際、日産らに対し、なぜ自分たちが解雇されなければならないのかの説明を求めてきたし、心身ともに限界を超えながら、この争議をたたかい続けてきた。
 当該組合員が、このゴーン氏の逮捕騒動で明らかとなりつつある事実について、如何に酷く、許しがたいと感じているか、想像に難くない。
 同社の当時の代表が、何年にもわたって違法に役員報酬を受領していたこと、二〇〇八年のリーマンショック時に、自身の投資の損失を日産に押し付けていたことが仮に事実であるならば、その行為が解雇の必要性を否定する大きな事実であると同時に、不誠実かつ信義に悖るものであるのは明白である。
三 解決に向けて
 逮捕報道の後、この争議も再びメディアで大きく取り上げられている。当該組合員も記者会見の場に出席し、「負の遺産を清算するため解決してほしい」と述べ、また本社前の宣伝行動などで奮闘している。
 事件は現在、中央労働委員会に係属している。県労委で認められた、日産の「使用者」性がどのように判断されるかが大きなポイントであり、また、和解協議が続いている。
 本件は捜査段階であり、事件の内容について意見を述べることは適当でない。また、司法取引の問題や、人質司法の刑事捜査の在り方等に関心を寄せるべきかもしれない。
 もっとも、争議の代理人としてどうしても意見を述べたく、投稿させていただいた。ぜひともご支援いただきたい。

 

 

死刑制度学習会に参加して

東京支部  中 村 雅 人

 たまたま死刑囚に関連する訴訟を担当することになった。
 その事件は、表面的には事務的に処理できそうな事案であるが、この際死刑囚の立場にも思いをはせてみようか、と考えていたところ、団の案内の「死刑」というキーワードに目が留まった。予定が入っていない日時であった。
 それに、寄付をしたのに行ったことのない団事務所に一度ぐらいはお邪魔してもいいかな、と。たったこれだけの動機で出向いてみた。
 大阪弁護士会のビデオ、 http://www.osakaben.or.jp/02-introduce/movie/hang_dat/index.php 小池振一郎さんの日弁連の取り組みの話、弁護士としての基礎知識を、この年になって一から学んだ。衝撃であった。
 ディスカッションでは、団員といえどもいろんな意見の人がいることも分かった。
 私が関心を持ったのは、日本の死刑囚の居室には日弁連で中心的に活動している弁護士でさえ入ったこともなく、中の実態、心理を誰も知らないこと、それゆえに中の情報を踏まえた議論ができていないこと、だった。
 しかし、死刑囚の文学作品、絵画などが一部公表されている。いったい彼らはどのような環境と心境のなかで、どのような日々を送っているのだろうか?公表されている作品から何をくみ取るべきか?
 死刑問題を議論する際、先ずは、死刑囚の実態を知る情報の公開から始めるべきではないか。死刑囚にも人権がある。人権擁護活動は、抽象論だけでなく死刑囚の具体的な環境や心境に届いていないのではないか。そこから初めてちゃんとした議論が始まるのではないか?死刑制度に関する世界の潮流を言うだけでは現状を打開できていない。死刑囚の居室内の実態の情報公開、実態調査の実現を求める運動が先ではないか、と感じながら帰途に就いた一日であった。

 

 

「少女像」の影はハルモニだった

  埼玉支部  大 久 保 賢 一

 一一月一八日から二一日まで、韓国に行ってきた。笹本潤弁護士が企画した「憲法と米軍基地と南北問題を知る」という研修旅行だ。懇談した弁護士・学者・活動家は五人、訪問した博物館・記念館などは五か所、平沢(ピョンテク)米軍基地、南北境界線近くの「自由の橋」や烏頭山(オドゥサン)統一展望台などにも行ってきた。統一展望台からはリムジン河を挟んで北朝鮮の農村風景を望むことができた。何とも強行軍だったけれど、大いに勉強にはなった。
 そもそもの動機は、板門店で文大統領と金委員長がしたように南北境界線を行き来したいということだった。かつて、東西ドイツが統一されたとき、ベルリンの壁の破片を買ってきたことと重ね合わせて、歴史の転換点に立ち会えるような気分でいたのだ。けれども、板門店はすべての人に開放するための工事中ということで行けなかった。
 このところの南北関係の展開は目を見張るようである。あのトランプ大統領と金委員長との間にも信じられないような変化が生じている。「ちびのロケットマン」と「狂ったおいぼれ」が、朝鮮半島の平和と非核化を語り合ったのだ。もちろん、楽観も油断もできないけれど、間違いなく良い方向に向かっているといえよう。
 他方、日韓関係はぎくしゃくしている。一九六五年の日韓請求権協定には「完全かつ最終的に解決」という文言が、二〇一五年の日韓両外相共同記者発表(「慰安婦」合意)には「最終的かつ不可逆的に解決」という文言があるにもかかわらず、韓国大法院は「徴用工」の日本企業に対する損害賠償を認め、韓国政府は「和解・癒やし財団」を解散するとしているからである。外交関係にひびが入るのはやむを得ないであろう。私たちが真剣に考えなければいけない課題である。
 これらの問題を考える上で、今回の韓国行きは必要な視点を提供してくれた。特にそれは、民族問題研究所対外協力チーム長金英丸(キムヨンハン)氏との交流であった。日韓両国語を自由に操る氏は、あの二〇〇万人の「キャンドル革命」の背景事情について語ってくれただけではなく、開館したばかりの「植民地歴史博物館」を案内してくれた。
 氏によると、「キャンドル革命」によって弾劾された朴大統領が何より大きな批判を浴びたのは、被害者の人権を踏みにじった二〇一五年「慰安婦」合意と歴史教科書の国定化だという。「慰安婦」合意というのは「日韓両外相記者発表」のことをいい、国定化というのは、彼女の父の朴正熙(パクチョンヒ)大統領が「独裁者」として書かれている歴史教科書を「経済発展の英雄」と書き換えようとしたことを意味している。
 朴正熙(パクチョンヒ)は独裁者というだけではなく、「皇軍」として日本帝国主義に積極的に協力し、自身の独裁体制を明治維新と重ね合わせて「維新体制」と名付けた代表的な「親日派」だという。日本の支配下にあった朝鮮で、抵抗した人もいたけれど、積極的に協力した「親日派」(今は親米派)の人たちも存在しており、現在でも各界各層に隠然たる力を持っているという。李明博(イミョンパク)大統領や朴大統領(娘)を当選させた勢力はそのような人たちであり、彼女はその勢力の代表として、日本政府と慰安婦問題で妥協し、歴史を修正しようとしたのであろう。ちなみに、日韓条約(請求権協定を含む)の締結は朴正熙(パクチョンヒ)時代である。韓国社会には、戦前・戦中に日本帝国主義とどのように向き合ったか、戦後は、米国とどのように付き合っているかによる分断が牢固として存在するようである。それが、政治の大きな振幅として現れるのであろう。
 ところで、「植民地歴史博物館」は、日本帝国主義の植民地支配の実情、それに抵抗した独立運動家と協力した親日派の生き方の比較、強制動員被害者と遺族の声、そして過去を克服するために取り組んできた日韓市民連帯の歴史などが展示されている。
 金さんは、強制動員被害者のケースとして「慰安婦」のことも話してくれた。二〇一五年の「慰安婦」合意の一番の問題点は被害者の声をまともに聞かなかったことだという。合意に基づいて設立された「和解・癒やし財団」の担当者が役人とともに高齢になった元「慰安婦」を訪ねて見舞金を渡そうとした時、彼女は「あの時も、役人が来て、いい話があるからと言って私を連れて行った」と言って受領を拒んだという。彼女にとって、その「見舞金」は彼女の人生を狂わせた「うまい話」と同義なのであろう。元「慰安婦」の方たちは、国や自治体の援助があり、お金には困っていないという。彼女たちが求めているのはお金ではないのだろう。金さんがそのハルモニのエピソードを語った時、その声に涙がこもっているように、私には聞こえた。
 日程の最後に、日本大使館の前にある「少女像」に会いに行った。多分皆さんも写真やテレビなどで見たことがあるだろう。オカッパ頭のいたいけな少女の像だ。その像の隣には椅子が置いてある。私はその椅子に腰をかけた。そして、「従軍慰安婦」の存在を知った時のことを思い出していた。一九九一年、金学順(キムハクスン)さんが実名でその体験を語った時のことだ。私は、当時一三か一四歳の次女と彼女の証言を聞きに行った。私の記憶に間違いがなければ、次女は、金さんの母に編んでもらった黄色いセーターが日本兵によってボロボロにされた話を聞き、「黄色いセーターをあげたい」と言っていたように思う。
 「少女像」には影がある。その影はハルモニである。いたいけな少女たちが、遠い異国で、荒くれた兵士たちの慰み者にされていたことなど、できれば信じたくない。けれども、それが事実であるとすれば、私は何をすればいいのだろうか。
 日本の朝鮮での植民地支配は未精算なのだと思う。とりわけ被害者個人の人権が軽視されているといえよう。それは、単に日本政府だけの姿勢ではない。韓国における「親日派」の意向も働いているのであろう。加害者は水に流したいかもしれない。けれども、石に刻まれた被害者の苦しみを癒すことは簡単ではないであろう。「最終的な解決」、「完全な解決」などという言葉をもてあそんではならないと心底から思う。(二〇一八年一一月二四日記)

 

 

「民主化」と「護憲」   ── 韓国にみる「国民主権」

  東京支部  後 藤 富 士 子

一 朴正煕大統領の長期独裁体制 ―「維新憲法」
 一九六九年、朴正煕大統領は、三選改憲で政権を長期化したが、さらに永久政権を企て、七二年一〇月一七日、既存のすべての民主主義制度を停止して超法規的非常措置「維新」を宣布した。各大学の構内に戦車が進駐し、維新の宣布と同時に無期限休校命令が出された。そして、同年一二月、憲法上の国民の自由と権利を暫定的に停止させることができる大統領の「緊急措置」を定めた維新憲法が公布された。
 文在寅は、大学法学部一年生であった。既存の法典や法学書はゴミ同然になってしまったのだから、「これでも法学が学問だと言えるのか」「そもそも法学に学ぶ価値があったのだろうか」という疑問が法学部生たちを押し潰した。翌年春に授業が再開されたが、憲法の教授は、休校中に新たに維新憲法の本を書いて講義に使った。
 七三年後半から、全国で維新反対闘争が起きた。改憲請願一〇〇万人署名、緊急措置一号、四号の発令、七四年の全国民主青年学生総連盟事件(政府転覆を企てたとしてメンバー等一八〇人がKCIAに逮捕され非常軍法会議にかけられた)、七五年の人民革命党再建委員会事件(党を再建し、民青学連の国家転覆活動を指揮したとして二三人が国家保安法違反で逮捕され、八人が死刑となった)などが立て続けに起こった。文が大学で維新反対デモの首謀者の一人として逮捕され、大学を除籍されたのも七五年四月のことである。
 七九年一〇月二六日、朴正煕大統領が暗殺された。全斗煥や盧泰愚などが中心になって軍事クーデターを起こし、崔圭夏大統領を引きずりおろして間接選挙で全斗煥を大統領とする「第五共和国」政権を樹立した。八〇年になると、大学を拠点にして全国的に反独裁・民主化闘争が澎湃として巻き起こり、復学した文も熱心に活動した。五月一七日に除外されていた済州道にまで非常戒厳令が拡大されると、文は、戒厳布告令違反で再び拘束された。留置所で司法試験合格を知らされ、同年八月に大学を卒業し、司法研修院を経て、八二年八月、盧武鉉と合同法律事務所を構えた。
二 全斗煥大統領の「護憲措置」
 八七年一月、釜山出身のソウル大学生朴鐘哲が取調中の拷問で死亡した事件が発覚し、二月七日、全国各地で一斉に国民追悼集会が開催された。釜山の怒りは沸騰し、警察が会場を完全封鎖する中、急遽、別の場所(路上)で追悼集会を行ったが、警察が白骨団(私服警察官で構成された鎮圧部隊のあだ名。一般警官と区別するために白ヘルメットを着用)とともに押し寄せてきた。恐れ動揺する市民や学生を守るために、釜山民主市民協議会の役員らは市民・学生と警察の間に割って入り、道路に腰を落として座り込みを始めた。盧武鉉と文在寅も座り込み、警察の催涙弾を浴びながら、ごぼう抜きにされて鶏舎車(護送車)に放り込まれ、釜山市警の対共分室(スパイ事件の捜査を担当する部署がある別棟)へ連行された。盧武鉉に逮捕状が請求されたが却下されると、検察は何度も非公式に令状請求するなど、韓国の法治主義の現在地を露呈した。
 四月一三日、全斗煥大統領は、国民の民主化要求を拒否して一切の改憲論議を停止させる「護憲措置」を発令したが、国民の民主化の熱気に油を注ぐ結果になった。民主化を求める時局宣言(政府が民意に背を向けたり、社会的混乱が起きたときなどに、知識人など社会的影響力のある人々が憂慮を伝えて解決を促すために発表する宣言文)が洪水のように発表された。五月には、全国のすべての民主化運動団体に野党が加わって「民主憲法争取国民運動本部」(略称「国本」)が結成され、盧武鉉弁護士は「釜山国本」の常任執行委員長になった。六月、全国で連日デモが展開され、ついに同月二九日、全斗煥政権は、①大統領の直接選挙への改憲、②軍事独裁の平和的政権移譲、③金大中赦免復権と時局事犯の釈放などを骨子とする特別宣言を与党盧泰愚代表に発表させた。
 こうして韓国の市民社会は、「六月抗争」により軍事独裁政権を倒したのである。
三 盧武鉉大統領を弾劾から救った「民意」
 二〇〇二年、盧武鉉は大統領選を制し、翌年一月、文在寅は、「権威主義の打破」を掲げる参与政府(盧武鉉政権)の民情首席秘書官就任に応じた。権威主義の体制が打破されて政治的・市民的民主主義が完成するには、大統領が「憲法や法律にない、超越した権力」を放棄することだと意識された。具体的には、政権の目的のために権力機関を利用しないところから始めなければならなかった。この盧武鉉政権が目指したものこそ、権力分立を中核とする立憲主義であろう。
 ちなみに、今年一〇月から徴用工をめぐる韓国大法院判決が相次いだ。これに関し、朴槿恵前政権の意向をくんで判決を遅らせたとして、訴訟進行を担当する法院行政処(大法院の付属機関)前次長が逮捕され、一二月になって、その上司であった前大法院判事の逮捕状が請求されたが、「共謀関係の成立に関して疑問の余地がある」として棄却された(一二月七日朝日新聞夕刊)。この司法の動きこそ、二〇一七年の「就任の辞」で「国を国らしくつくる大統領になる」と約束した文在寅大統領が、盧武鉉政権のやり残した宿題に取り組んだ成果ではないかと思われる。
 ところで、二〇〇四年三月、盧大統領の弾劾訴追案が国会で可決された。弾劾は、大統領、国務総理、法官(裁判官)など身分保障を受けている公務員の非行について、国会在職議員の過半数の発議で訴追され、三分の二以上の賛成で可決されると、憲法裁判所で審理され、裁判官九名のうち六名以上の賛成によって弾劾が決定される。
 大統領の委任を受け、文は、代理人団を立ち上げ、本格的な活動が始まった。法律的に緻密な弁論をすれば絶対に勝てると確信した。弾劾は多数党の数による横暴というほかなく、法的根拠がないことは明らかで、民意に逆らった多数党のクーデターとして、民主憲政の危機が認識された。法廷の弁護活動だけでなく、憲法学者をはじめとする法律の専門家に働きかけて弾劾反対意見を表明してもらうことができた。
 弾劾に反対する市民たちのろうそく集会も開かれた。弾劾裁判の政治的性格や憲法裁判所裁判官たちの保守的な傾向を考えると、世論で圧倒する必要があった。文は、インタビューに応えて、「憲法とは何なのか。はるか遠くの高みにあるものではないはずだ。国民がもつ、民主主義に対する最も普遍的で素朴な思い、それを象徴的に表したものが憲法だ。つまり憲法の解釈も、一般国民の民主主義や法に対する意識から出発しなければならない。それが憲法に反映されなければならない。そうであるなら、街頭に出たこの大勢の市民たちによる弾劾反対のろうそく集会が、すでに弾劾裁判の進むべき方向を示しているのではないだろうか」と述べている。
 弾劾裁判の途中の四月一五日、第一七代総選挙があり、政権与党「開かれたウリ党」が単独過半数(二九九議席中一五二議席)を得て第一党となった。これは、弾劾に対する、恐ろしいほどの民意の審判であり、弾劾裁判の判決への決定打と思われた。そして、五月一四日、憲法裁判所は、弾劾棄却の判決を言い渡した。
四 与えられた日本国憲法
 戦前の日本において治安維持法が弾圧したものは、「反戦」と「主権在民」である。共産党は「戦争反対」と「主権在民」を主張して、絶対的天皇制権力により殺人的・壊滅的な弾圧をうけた。だが、これらの暴虐の根拠は、日本国憲法で除去された。すなわち、日本国憲法により「国民主権」と「絶対的平和主義」が実現したのである。
 しかし、問題は、韓国に比べればわかるように、国民が民意により勝ち取ったものではないことにある。共産党の野坂参三がGHQを「解放軍」と規定したというのも興味深い。また、九条については、GHQによる「刀狩り」にすぎず、それゆえにアメリカの安保政策に組み込まれて換骨奪胎の体を露呈している。さらに、四月二八日は、本土では「主権回復の日」とされる一方、沖縄では「屈辱の日」とされ、日本国憲法は適用されなかったのである。
 ところで、今日「慰安婦」「徴用工」などの歴史問題が噴出している。それは、日本が過去の歴史問題と真摯に向き合ってこなかったことのツケであり、その問題の現れ方も、解決方策についても、韓国と日本の差は大きい。ちなみに、文大統領は「韓日関係には過去の歴史問題がある。いつでも火がつくし、完全に解決したとみることはできない。歴史問題のために、韓日を未来志向的に発展させる様々な協力関係に問題が起きてはいけない」と述べている。この現実政治の落差は、憲法を自ら闘い取った国民と、与えられた憲法に寄りかかって安穏と過ごしてきた国民の差ではないかと思われる。
 ※本文で韓国に関する記述は『運命 文在寅自伝』によっており、誤解があるかもしれません。〔二〇一八・一二・八〕

 

 

消費増税と財政出動 亥年の初夢

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 亥年の初夢・妄想
 新年明けましておめでとうございます。二〇一九年は消費税増税の年です。ポイント付与などという姑息な方法ではなく、政府による国債の大量発行による大幅な財政出動という初夢をみて、妄想をしています。
二 消費税増税と消費の抑制について
 黒田日銀総裁が二〇一三年に「二年で、マネタリーベース二倍、消費者物価上昇率二%」という目標を高らかにコミットメントして、黒田バズーカとも言われた大幅な金融緩和を始めてから六年が経とうとしている。マネタリーベースは四倍になったものの、消費者物価上昇率は二パーセントという目標には及ばない。
 異次元緩和という金融政策を始めたものの、政府は二〇一四年に消費税を八パーセントに引き上げ、その結果景気回復の腰を折ってしまった。
 政府は、二〇一九年には、さらに税率を一〇パーセントへの引き上げを強行しようとしています。八パーセントへの引き上げの時よりも、一〇パーセントというわかりやすい税率、計算しやすい金額から、消費抑制力がより強く働くのではないかと思われます。
三 財政政策によるばらまき
 マネタリーベースを増やすという金融政策だけでは、インフレは達成しえないことが黒田総裁就任以降六年間の社会実験で明らかとなった。また、消費税率増税は消費の減退をもたらすことも過去二回の消費税率の引き上げで経験しているところである。
 さらに消費税率の引上げをするというのであれば、ポイント付与などというしょぼい手ではなく、国債の大量発行によって財源をまかない、大幅な財政出動が必要なのではなかろうか。
四 人に優しい使い道と国土を作替える大型公共事業へのばらまき
 国債発行によって調達した資金は、教育、医療、介護、子育て支援などに使うとともに、フル規格による全国新幹線網の整備、東京の外かく環状道路の東名~湾岸の区間の早期着工を含めた三大都市圏環状道路をはじめ、最低でも片側二車線ずつの高速道路の全面早期完成による高速道路のネットワークの構築、大型コンテナ船の入港可能な港の造成工事、中部国際空港セントレアの滑走路の増設、小笠原空港の新設、その他色々あると思いますが、人の移動、物流に関するインフラの整備に投資する。不要不急の公共事業などあるのでしょうか。
 もちろん、防災、老朽化した施設の維持、更新にも力を注ぎます。例えば老朽化した首都高速道路を大深度地下に移動して、河の上の無粋な橋脚を撤去し、東京の河にも清流が蘇る工事も必要になります。屋形船で一杯やれる川が増えるでしょう。
五 新天皇即位記念事業としてのばらまき交付金
 このような大型の公共事業に財政支出しても、消費税率引上げによって、消費が抑制されるところから、国民一人一人に金が回るには時間がかかる。そこで、全国民と全自治体にすぐに金が回るように、新天皇即位を記念して以下の交付金をばらまくのはどうでしょうか。
その一 「新天皇即位記念ふるさと創生交付金」 全自治体へ
 二〇一九年新天皇即位を記念して、使途自由のふるさと創生交付金を、自治体ごとに年間一〇億円を三年間にわたってばらまくというものです。
 二〇一八年現在、市町村の自治体数は、東京の特別区を足すと一七四一となる。必要な合計金額は、一兆七四一〇億円となります。
これって、あの竹下内閣の時に、一九八八年から一九八九年にかけて、各自治体に一億円をばらまいた「ふるさと創生事業」、正式には「自ら考え自ら行う地域づくり事業」の蒸し返しではないのか。
いいえ、違います。一九八九年は、昭和天皇逝去の年であり、バブルの真っ最中であった年です。
 あれから三〇年、多くの自治体では、人口減少、市街地はシャッター街と化し、衰退の道を歩んでいるところが多い。昭和天皇逝去の年は、平成天皇の即位の年でもあったので、平成天皇即位の年のふるさと創生事業の故事にならい、新天皇即位を記念して、インフレ目標にまだ遠い今、「自ら考え自ら行う地域づくり事業」を、一年間で一〇億円という当時の一〇倍の金額の支出を三年間にわたって行おうというものである。二〇一八年現在、市町村の自治体数は、東京の特別区を足すと一七四一となる。必要な合計金額は、一兆七四一〇億円となります。
その二 新定額給付金  全国民へ
 さらに、二〇一九年新天皇即位を記念して、国民一人一人に年間金三万円の新定額給付金を三年間にわたってばらまく。
 これも昔あった。二〇〇九年麻生内閣のときに、緊急経済対策の一施策として、住民基本台帳に登録されている者、外国人登録原票に登録されている者のうちの特別永住者等に、一人一万二〇〇〇円、但し六五歳以上の者並びに一八歳以下の者には、八〇〇〇円を加算するというものであった。
 また、小渕内閣の一九九九年に、一五歳以下の子供と六五歳以上の市町村民税非課税者に一人二万円の地域振興券が交付された。ウィキペディアによると、当初は、全国民に一人あたり三万円、総額約四兆円の商品券を交付するという案であったという。
 今こそ、この当初案を復活し、「なんで、私はもらえないの。」との声が出ないように、また商品券を買物で使うと所得の低い世帯であることが分かってしまうといった社会的スティグマを感じさせることのないように、所得制限なく一律に、全国民に一人あたり年間三万円を三年間にわたってばらまくのです。
 新定額給付金は、一年間で約四兆円を必要とし、これに加えて自治体へのばらまき交付金は約一兆八〇〇〇億円を要する。両交付金の合計額は、一年間だけでも諸経費を含めて約六兆円が必要となる。三年分だと合計約一八兆円の計算となる。
その三 仁徳天皇の三年間租税猶予の故事からの補論
 日本書記によれば、仁徳天皇は丘に登り、庶民の家の竈の煙がたたないのを見て、国民が疲弊しているのを憂え、三年間租税納付を免除したという。
 そして三年後に国見をすると、庶民の家の竈の煙が立ち上るのを見て満足したという。蓋し、名君であるか。
 この仁徳天皇の故事にならって、新天皇・新皇后の即位記念事業として自治体と国民に対するばらまきを、三年間継続するというものである。
六 新天皇即位記念事業としての国債の無利子の永久国債化による 財政改革終結宣言
 黒田日銀は日本政府の発行済国債の四割を購入し、このうち三〇〇兆円は長期国債であり、満期には借換債を日銀が引き受けており、また、政府が日銀に支払った利息は日銀の政府に対する上納金として政府に還流してくる。このことによって、日銀が保有する国債は実質的にないのと同じになっている。
 そして、三〇〇兆円の長期国債のうち、例えば一〇〇兆円分の国債を満期の来ない無利子の永久国債に転換してしまう。そうすればこの永久国債は、日銀のバランスシートの資産の部に永久国債として記帳された単なる数字でしかなく、債権債務が存していた国債は完全に消滅したことになる。日銀も政府機関の一つであり、日銀が国債を買取って債権者となることは、民法第五二〇条の「債権債務が同一人(日本国)に帰属した」として混同によって債務が消滅したことになる。    
 このような一定金額の長期国債の無利子永久国債化による財政改革終結宣言を、新天皇即位記念事業の一環として、二〇一九年に行うというものである。  
 但し、国債の永久国債化宣言をしても、市中銀行が国債を日銀に売却した対価として日銀の当座預金に積んでいる金員が消滅してしまうわけではない。当座預金残高は、銀行としてはいつでも引き出して使えるのである。財務省の国債の発行、日銀の国債買取りは、国家の通貨発行権の行使であったことになる。無から有を作り出す魔法の杖がここにあったことになります。
七 補記 小和田家の先祖と村上城
 二〇一八年一二月の初め、新潟県村上市のJR村上駅からタクシーで村上城に向かった。村上市は、雅子様の父系の小和田一族の先祖の地である。運転手がいうには、雅子様が皇后になられたら、いまでは城跡しかない村上城に櫓が復元されると多くの者が期待しているとのことであった。これも新天皇即位記念事業なのであろうか。

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