第1656号 1 / 11

カテゴリ:団通信

●自由法曹団を壊滅させる職務基本規程改正に反対します   土 居  太 郎

●法廷での手錠腰縄改善にむけて   伊 賀 興 一

●国民救援会会長の退任と断想   鈴 木 亜 英

●2018年自治研集会@高知   大 住 広 太

●8月集会第2部   岡 本 真 実

●2018年福岡・八幡総会旅行記 第3 福岡・八幡総会後の1泊旅行2日目 炭鉱の町 田川   伊 藤 嘉 章

●憲法9条の論理と倫理-規範としての「絶対的平和主義」   後 藤 富 士 子

●書評「9条の挑戦」を読んで   大 久 保 賢 一

●中丸素明団員を悼む   藤 野 善 夫

 


自由法曹団を壊滅させる職務基本規程改正に反対します

千葉支部  土 居  太 郎

一 職務基本規程改正の概要
 現在、日弁連が職務基本規程の改正を行うべく、改正案に対する意見を各弁護士会に照会中です。日弁連倫理委員会が改正案及びその解説文を各単位会に配布していますので、詳細は、各単位会にお問い合わせください。
 既に、二〇一八年一一月二一日(一六五一号)の団通信にて、村田智子先生が本規程改正のうち法令違反行為避止説得義務の規程の危険性を指摘する投稿をされています。
 団員としての活動を続けたい方は、どうかこの改正に反対してください。今回の改正案が通れば、団員の活動を懲戒対象とする又は懲戒請求の端緒とすることが可能となり、人権と民主主義のために闘う自由法曹団を壊滅させる危険が生じます。
二 改正の概要及び危険性
 今回の改正のうち、特に問題なのは、①守秘義務規程の改正、②法令違反行為避止説得義務です。
 ①は、概ね、
ア:公益目的による秘密開示を可能にする規程、
イ:第三者の秘密や名誉への配慮義務規程等を創設するというものです。
 ①のアは、アメリカのレ―クプレザント事件(殺人事件の被告人から死体の隠し場所を打ち明けられたがそれを秘匿していた弁護人が世間のバッシングにより廃業した事件)を理由に開示を可能にするというものですが、公益目的による開示が可能になれば、開示できるのにそれをしない弁護士は不当だとして世間の不当な圧力が強まり、守秘義務規程を誠実に順守した弁護士が、かえってレークプレザント事件の弁護人より酷い仕打ちを受ける危険があります。そうなれば、例えば、社会から孤立するマイノリティや刑事被告人の人権擁護活動を行う際に、守秘義務を根拠にした弁護活動を行うことが困難になります。
 ①のイは、事件の関係者の秘密にも配慮しなければいけないこと自体はそのとおりですが、これを規程として記載するならば、例えば社会的に問題となる事件をマスコミで発表し世間に訴えかけることが同規程に抵触するおそれがあります。
 ②の説得義務ですが、人権を守るためには、法令に違反することを前提とすることは珍しくありません。この義務を順守しなければならないとすると、悪法も法という態度を弁護士自身が実践することになります。私達の仕事は市民を監視することではありません。
具体的な問題点については、村田先生のご投稿以上のものを私は執筆できないため、村田先生のご投稿をご覧ください。
三 立法事実の不存在、検討不足
 今回の改正の立法趣旨につき、日弁連倫理委員会は、例えば、過去の懲戒事例からして立法をする必要がある、弁護士が懲戒される場合を明確に予測可能にし経験の浅い弁護士に「ガイド」をしなければならない等と述べています。しかし、例えば、違法行為避止説得義務の立法趣旨とあげられた懲戒事例はどれも弁護士が違法行為を「助長」したといえる事例であり、それを超えて「説得」義務にまで拡張する根拠にはなりません。また、レークプレザント事件は遥昔の他国での事件であるため、今回の規程創設の立法事実になりません。第三者の秘密配慮義務については、立法理由を弁護士が相手方を含む第三者を軽んずる傾向があるためとしていますが、それ以上具体的な理由が述べられておらず根拠不明です。
 このように立法事実が存在しないのにあると言い切ること自体問題です。
 また、これだけ重要な改正をまとめて一度に審議するという方法にも問題はあります。司法制度改革、安保法案、働き方改革等を思い出していただければ明らかなように、多くの重要事項を一度に変えようとすれば、必ず失敗する又は不正義な結果になります。
四 では、何をすれば良いのか
 各単位会から反対の声を出させるようにしてください。具体的には、各単位会の執行部に意見書を送付してください。団員の皆様全員が、各単位会に意見書を一人一通送ればかなりの量となり、各単位会の執行部にとっては無視できない意見となります。意見書といってもお忙しければ一枚紙でもかまわず、とにかく反対である旨が書かれていれば充分かと思います。
 現在は、各単位会に意見照会をしている段階ですので、この段階で規程創設案を断念させるのが最も有効な手段です。日弁連の総会に一度提出されてしまえば強行採決される可能性があります。
 青年法律家協会の常任委員会及び青年法律家協会千葉支部の例会でもこの問題を議論し、会員から積極的な反対の声があげられました。
 自由法曹団存続のために、自由法曹団及び団員の皆様方も今回の改正には強く反対の声をあげていただければと思います。

 

 

法廷での手錠腰縄改善にむけて

大阪支部  伊 賀 興 一

一 勾留理由開示公判で、手錠腰縄問題で改善の一歩を実現
 日産のゴーン氏逮捕勾留は、全世界に日本の起訴前勾留制度のある種野蛮性を白日の下にさらすこととなった。その本質は、代用監獄における自白強要にあることは言うまでもない。一方で、日本の刑事裁判で、我々も慣れっこになっている重大な問題が、法廷における手錠腰縄問題ではないだろうか。
 先日、二歳三か月の女児の突然死に対し、父親の虐待を疑って逮捕勾留された被疑者の勾留理由開示公判を求めた。裁判官は、連行した警察官に対し被疑者の手錠腰縄を外させたうえで、傍聴者を入廷させるという措置をとった。事案の性質上、無実を信じて傍聴する配偶者や親族などとともに、大阪府警本部記者クラブの記者たちや警官など多数傍聴者が入廷した時、無実を主張している被疑者は何らの拘束を受けない状態で、傍聴者を迎えることができた。
 不拘束、保釈されている被告人の法廷と同じ扱いである。その場に立ち会った弁護人として、これが当たり前の法廷だと痛感した場面だった。
二 裁判員裁判導入時の議論
 裁判員裁判導入に際し、勾留被告人の法廷入廷時に手錠腰縄姿が裁判員の目に触れることは「心証に悪影響をもたらしうる」との配慮から、裁判員裁判では手錠腰縄状態が裁判員にさらされることはない。しかしこれはあくまで裁判員への印象に配慮したものであった。これから刑事裁判を受ける被疑者、被告人の人としての尊厳を正面から議論したものではなかった。
 刑事訴訟法第二八七条第一項は、公判廷での拘束を禁じている。一方で刑事施設法第七八条第一項によって手錠もしくは腰縄を施すことが一定の条件の下で認められている。これまでの刑事法廷では、裁判官が開廷宣言するまでは施設法が優先適用されていたのである。その結果、刑事法廷に入った勾留被疑者、被告人は、傍聴者の前でその姿を強要され続けてきた。
 大阪地裁平成七年一月三〇日判決は、拘置所職員が病院待合室内を手錠腰縄姿で連行した行為について、違法を宣言している。肝心の刑事法廷ではいまだ手錠腰縄姿を傍聴人にさらす悪弊がまかり通っているのは由々しき事態と言わねばならない。私も長年手錠腰縄姿で入廷してくる被疑者被告人を裁判官、傍聴人とともに疑問なく受け入れていた。とても反省している。人としての尊厳を、司法手続きの下であって、いささかも軽視されてはならないからである。
三 「知って行わざるは知らざるに同じ」
 大阪弁護士会では、「法廷での手錠腰縄問題PT」が立ち上がり、この問題で担当事件ごとに、毎回、裁判所(官)に改善の申し入れを行う運動を全会員に提起した。先の勾留理由開示の裁判官にも、事前に申し入れを行い、意見交換をした結果、とられた改善措置であった。
 問題は深刻だが、改善はそんなに困難ではないだろう。
 全国の団員がまず自らの法廷での改善を求めて、声を上げることを呼びかけたい。
四 余論
 先に紹介した幼児突然死に対する虐待の嫌疑は近時のSBS症候群議論に依拠したものである。被疑者は虐待の事実は争い、頭部や全身に虐待の痕跡もない事件であった。勾留理由開示公判では、傍聴者に手錠腰縄姿をさらす方法を改善した裁判官は、起訴直後、全面否認を貫く被告人に対し裁量保釈を許可し、準抗告でも保釈判断が維持された。
 手錠腰縄の議論は、裁判官の良識を呼び覚ます一つのきっかけになったであろうか。(相弁護人は西川満喜氏)   二〇一九・一・四記

 

 

国民救援会会長の退任と断想

東京支部  鈴 木 亜 英

 私は昨年夏の全国大会で国民救援会の会長職を退任した。二年間の副会長職を経て、会長となり、以来一〇年中央本部会長の職にあった。
 慣れない仕事ではあったが、全国四万五千会員の暖かい支援により、得難い経験をさせて頂いた。また団員の皆様からは折々に同情を頂いて、しばしば勇気の湧く思いを抱いた。ここに心からの謝意を表したい。
 私が救援会会長に推挙されたのは、外でもない、私がモベヒを一身で体験しており、それぞれの悩みや苦労が分かる立場にいると思われたかららしい。
 さて、私が執行部に入って、知ったことも多い。幾つが挙げてみたい。
 ひとつは、事件支援のあり方である。「無実の人は無罪へ」を目標に審査に臨むのであるが、その可否は都道府県本部段階から、厳しい審査があり、証拠の検討だけでなく、様々な角度から、遠慮のない討議が展開されている。その厳しさには驚いた。大半の再審事件に救援会が関与していることも納得できる。
 二つ目は、刑事司法制度をはじめ人権に関わる悪法との闘いの独自性である。実践団体であるだけに、これまでの厳しい体験の中で培われた権力に妥協しない姿勢である。裁判員裁判制度の創設、司法取引をはじめとする刑事司法制度の改革、秘密保護法・盗聴法・共謀罪など悪法阻止闘争などいずれも、救援会の独自性を貫く努力を怠らなかったように思う。その視点は云うまでもなく擁護されるべき被疑者・被告人の権利に出発点がある。ときには日弁連との関係では少数意見であることを承知しながら、これを堅持しえたことも印象に残った。
 三つ目に、救援会と自由法曹団との連携の確かさである。救援会と自由法曹団には他でもない共通の目標がある。救援会の都道府県本部四七のうち、現在団員が会長を務める都道府県本部が実に二七もあって、全体の六割近くを大黒柱の団員が目配りしていることである。様々な冤罪や再審事件には若手の団員が携わり、心血を注いでいることは特筆すべきことである、救援会が主催する改憲や悪法の阻止のための集会や講演には団員が積極的に講師を引き受け、地元の民主主義運動全般に尽力している姿は地方を訪問するたびに痛感することであった。救援会はこうした団員の献身性に信頼を寄せていることをここに改めて伝えたい。
 私は長年取り組んできた国際人権活動に加えて、救援会の会長職をやることで、日本の刑事司法制度がいかに国際水準と乖離し、遅れてしまっていることを痛感する。カルロス・ゴーンの身柄拘束に対し、フランスメディアをはじめとする国際世論から日本の拘置所は地獄だと手厳しい批判を受けた。弁護人を立ち会わせず、長期間の拘束をすることに対し、自由権規約委員会や拷問禁止委員会などからの批判が、計らずもゴーン逮捕でクローズアップされた形である。自白偏重と「推定有罪」を押し通すこれまでの捜査と裁判のやり方を根本的に改めなければならない時期である。代用監獄制度、死刑の存置、再審における検察官異議申立制度、証拠の事前開示問題など、救援会がますます取り組まなければならない問題は山積している。やり残したことと云うには、問題が大きいだけに容易ではないことは承知済みだが、やはり国民救援会の専らの役割であろう。その場合、個人通報制度や国内人権委員会制度の導入による人権の半鎖国状態からの解放はもとより不可欠である。
 在任中、国民救援会の出番だと云う言葉をよく聞いた。「国民救援会は良くやっているよね」というお褒めの言葉を頂くことも増えたように思う。日弁連からも行動力のある人権団体として度々お呼び頂くことが増えた。無罪判決や再審開始決定の場面では、「国民救援会」の幟旗が背後にはためくテレビ映像が増え、マスコミにも市民権を得つつあると感じる。チュニジアの人権団体がノーベル平和賞を受賞した際には、日本国内で開催された祝賀会に日本の人権団体として唯一救援会が招待され、シンポジュームでのプレゼンテーションを頼まれた。救援会をとりまく環境には確実に変化が起きている。見返りを全く求めることなく、日夜弱者に寄り添う全国の救援会員のひたむきな献身が次第に認められつつあることも、肌で感じられるようになっている。
 一〇年余りも会長職に在任しながら、さしたることもなし得なかったことに悔いは残るものの、「冤罪」と云う言葉が市民権を得たのも、この一〇年であったように思う。「ひと昔」というスパンで見ると、私たちの人権運動は、思わぬ前進をしているものだと感ぜずにはいられない。
 団総会後の一一月二八日、荒井新二、篠原義仁、船尾徹ら歴代の団長の呼びかけで、計らずも私の退任「ご苦労さん会」を開いて頂いた。幹事長在任中の団長豊田誠先生をはじめ、私の執行部時代、国際問題委員会、盗聴事件や堀越事件、同期、現執行部、三多摩法律事務所など多方面から二四人の先輩や仲間の皆さんが多忙にもかかわらず、ご参集くださった。本当にびっくりで、多くの方々に救援会の仕事が注目されていたことを改めて知り、感謝の念に耐えなかった。私もいつの間にか七八歳。あとがないが、年齢を意識せず頑張りたい。

 

 

二〇一八年自治研集会@高知

東京支部  大 住 広 太

 一〇月六日、七日と高知で開催された地方自治研究全国集会に、実行委員の一人として参加してきました。台風の影響もあり、各地の自治体での対応のため、出席できなかった担当の方もいらっしゃいましたが、二日間でのべ一六〇〇人が参加し、集会は成功に終わりました。
 自治研集会は、二〇の団体と自治労連が中心となり、自治体が抱える様々な問題について学習、研究し交流する集会です。今回のテーマは「憲法を守りいかし、安心して住み続けられる地域をつくろう」です。憲法改正が叫ばれる中、「憲法を守る」ことが市民の生活を守るために何より大事であり、各地で大規模災害が頻発し、人口減少を理由に人々の生活を置き去りにした地域の集約・統合が進められる状況に対し、安心して住み続けられる地域を作りたいということが自治体職員と地域住民の共通の願いとなっていることから設定されたものです。
 開催場所の高知は、多数の自由民権運動の志士を輩出し、「自由は土佐の山間より」を県詞としています。現地で開催された実行委員会会議終了後、自由民権記念館にも行かせてもらいました。そのような自由の地らしく、高知県は「県民の自由な議論の場を応援する」と表明しており、自治研集会にも自治体として初めて後援団体になりました(逆に、自由な議論の場を応援しない自治体が多いことは大きな問題だと感じます。)。
 自治研集会本番、全体会では、地元青年によるよさこい鳴子踊りの歓迎文化行事から始まり、東京新聞記者の望月衣塑子さんの記念講演と、基調フォーラムが行われました。望月記者の講演は、記者ならではの取材の裏話から憲法の重要性に話が及び、舞台を端から端まで動きながら止まることのないパフォーマンスで非常に楽しく、興味深いお話でした。基調フォーラムは、防災、児童虐待問題、高齢者・障害者福祉の観点など、様々な分野について、専門家のコメンテーターと現場からの発言がなされました。併せて、会場からもツイッターからコメントを送ることができ、リアルタイムでスクリーンに映し出される、という新しい取り組みも行われました。夜には三つに分かれたナイター講座が行われ、私が参加した講座では、自治体戦略二〇四〇で掲げられている構想とその問題点について学ぶことができました。
 翌日の分科会では、二七の分科会に分かれ、それぞれ議論が行われました。私が担当したのは最賃と公契約条例の分科会で、公契約条例制定によって労働者の賃金を確保するとともに自治体サービスの質の向上へとつなげる取り組みや、そのことが全国的規制である最低賃金の上昇にどう影響を与えるのか等を議論しました。
 自治研集会に参加することで、自治体で働く人々がどんな問題に直面し、それをどう解決しようとしているのか、そして今日本で進められようとしている自治体の方針、それがどんな問題をはらんでいるのか学ぶことができました。自由法曹団も自治研集会実行委員会を構成する団体の一つであり、構造改革PTから担当者が参加しています。学ぶこともとても多い有意義な集会だと思いますので、自由法曹団からもぜひ多くの団員に参加いただきたいと思います。 次回の担当者も募集していますので、この機会にぜひ構造改革PTにお越しください。

 

 

八月集会第二部

吉原稔法律事務所  岡 本 真 実

 滋賀支部において毎年恒例の八月集会は、今年は台風の影響で中断された。
 奈良支部佐藤真理団員による記念講演のみ八月に行い、滋賀支部団員の各事件報告は一二月七日「第二部」という形で行われた。
 各報告について、概要と私が感じた所感を簡単に列記する。
一 日野町事件(玉木昌美団員)。冤罪事件として救援会でも支援されているので、今回概要は省略。問題点として引当捜査の違法な捜査手段、当時被疑者弁護が制度化されていなかったなどが挙げられた。証拠開示については、裁判官が認めたこと、そして検察官も裁判所に従ったことが大きかった。冤罪事件について、裁判官や検察官次第で証拠開示が認められる、認められないとなるのは不公平極まりないが、それ以前に、任意取り調べの段階で冤罪が発生しないように、弁護人の立会を実現させることが大切だと改めて思った。
二 現住建造物放火裁判員裁判(岡村庸靖団員、樋口真也団員)。 放火事件の被告人の動機が不透明で、過去の体験(前科)、ストレスに弱く、アルコールが加わると衝動性が増すという複雑な背景が判明。弁護人は再犯防止の前提として動機を解明するために、臨床心理士による面談分析を要望。しかし、伊藤寛樹裁判長は「そんな事はよそでやってくれ」と取り合わず、判決では仕事での苛立ちを晴らす為と表面的な捉え方しかしなかった。弁護活動の際に、裁判員に対して分かりにくい事を分かりやすく伝えることの難しさ、同様に裁判員に対して質問の意図を分かりやすくすることの難しさがあった。
 今後の再犯の可能性を低くしようするならば、判決は一つの事象の原因結果だけしか見ておらず、それでは再犯の防止にならないと思った。過去の事象を含めて全体で捉えないと、本当の解決にならないと思った。それを市民が参加する裁判員裁判において、いかに分かりやすく伝えるかというのは頭を悩ます問題だとも思った。
三 不発弾事件(石川賢治団員)。大阪のなんばパークスの近くで、マンションを建設するにあたり、不発弾(一トン爆弾)が発見された。その撤去にかかった費用のうち、約五〇〇万円を土地の所有者が支払った。土地の所有者は、大阪市などを相手取って、撤去費用を支払うように不当利得返還請求裁判を起こした。不発弾は環境省の資料によると、一般廃棄物に分類されている。そこで、廃棄物処理法上、不発弾の処理責任は市にあるというのが土地所有者の主張である。
 不発弾が一般廃棄物に該当するとは思わなかった。むしろ、普段の生活で不発弾の分別を考えることもなかったので、面白い話だなと思った。
四 近江八幡庁舎建設差止裁判(高橋陽一団員)。前近江八幡市長が老朽化した庁舎を建て替えるにあたり、建築費等合計九五億円までに膨れ上がった。この数字は、市民人口八・二万人に対して巨額であった。そこで市民の会が発足し、署名活動や裁判を提起した。その流れの中で、市長選があり、市民の会の代表者が庁舎白紙撤回を掲げて立候補したところ、なんと前市長にダブルスコアで圧勝した。民主主義が勝利した瞬間だった。当選した市長は初登頂日に庁舎の工事契約の解約を通知し、裁判は取り下げになった。
 署名運動、選挙と裁判外での運動や取組がいかに大切かということを感じた。

 

 

二〇一八年福岡・八幡総会旅行記 第三 福岡・八幡総会後の一泊旅行二日目 炭鉱の町 田川

東京支部  伊 藤 嘉 章

一 伊藤伝衛門宅の見学
 昨日の懇親会では、ビール、日本酒、焼酎の他に泡盛まで飲んだので、二日酔い気味で、バスに乗る。まずは福岡の原田団員が、伊藤伝衛門とのちの柳原白蓮こと燁子の経歴を述べる。質問は受け付けないという。白蓮といえば、朝ドラの仲間由紀恵だが、伝衛門といえば、加納伝助役としての吉田鋼太郎であるが、私は芸能方面には疎いので、質問を考えることはできなかった。
 俵万智の簡単な説明によると、「白蓮は伯爵の柳原家の次女として生まれ、一度結婚に失敗したのち、九州の炭鉱王伊藤伝右衛門に嫁ぎ、情熱的な歌風とその美貌から「筑紫の女王」と呼ばれた。大正九年に出会った若い学生宮崎龍介と恋に落ち、やがて伊藤家を去る。当時としては、大スキャンダルである。」という(俵万智「あなたと読む恋の歌百首」文春文庫一八八頁)。そして、白蓮は、二九歳の年に、まだ伊藤伝衛門と婚姻中に、歌集「踏絵」の中で、    幾億の生命(いのち)の末に生まれたる    二つの心そと並びけり という歌を発表したという(同著同頁)。このころは、白蓮はまだ宮崎龍介とは出会っていない。「二つの心」とは、白蓮こと燁子と伝衛門に違いない。
 燁子が二五歳の時に親子ほど年上の伊藤伝衛門と結婚して以来十年ほど暮らしたお家を見学する。随所に贅を凝らし、見えないところに網代天井まで作っている。廊下にも畳を敷いている。廊下の同じ天井板の壁際の板の角度が、見る場所によって違った見え方をする。あるところから見れば、天井板の両端が下がっているように見える。別のところから見ると、同じ天井板の両端が上がっているように見える。だまし絵か。案内人は、「燁子様は二階の個室に結界を張って、女中さんをそれ以上部屋の中に入れさせなかった。」という。「しかし、燁子様はお掃除など自分ではしないでしょう。その時には女中さんが結界を越えて部屋に入るのでないですか。」と質問した者がいた。質問があまりにもくだらないので、案内人はまともにとりあっていなかったようだ。
二 嘉穂劇場
 かつての炭鉱労働者の娯楽のメッカであった嘉穂劇場を幼稚園児とともに見学する。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦という初代御三家のポスターがある。美空ひばり、三波春夫、大川橋蔵その他懐かしい歌手や俳優のポスターがある。ポスターの横幅が狭い。案内人が「このポスターの横幅が狭くなっているのはどうしてかわかりますか。」というと、ある団員がすかさず「電信柱(デンシンバシラ)」と答える。あの電柱のビラ貼り違法判決前のポスターか。また、なんと力道山のポスターもある。リングを作ってプロレスまでやったという。
 この劇場には回り舞台もある。そして今でも歌舞伎をやるという。劇場の正面には、二〇一八年の十二月催行の市川海老蔵公演のポスターが貼ってある。
 客席は相撲の升席のように四人席が四角い仕切りで囲われており、畳に敷いた座布団に座って舞台を見ることになっている。椅子席でないと座れない者(私も含めて)には敬遠されるであろう。
三 田川市立炭鉱歴史博物館の見学
  あんまり煙突が高いので さぞや、お月さんけむたかろ と歌われた煙突が隣にある田川市立炭鉱・歴史博物館に行く。入場料を払う窓口の横の壁には、五木寛之原作・浦山桐郎監督の「青春の門 筑豊編」のポスターがある。吉永小百合、大竹しのぶが出演していたのだ。
 学芸員の案内を聞きながら展示物を見て歩く。私の質問は単純なものです。
伊藤「工夫の労働時間は」
答え「八時間の一日三交替です」
伊藤「食事はどこで」
答え「働いている場所で弁当を食べます。」
  「ネズミが繁殖しており、ネズミに弁当を食べられてしまうこともあります。」
伊藤「トイレはどこに。」
答え「そのへんですませます。」
 粉塵、高温、異臭という劣悪な環境の中で、日本のエネルギー需要に寄与する重労働が行われていたのだ。
 次に館外の展示を見る。まずは、蒸気機関車が目にとまる。学芸員は「石炭を採掘した土地の地盤が弱いので小さな蒸気機関車を使った。」という。
 いままで静態保存のSLをいくつか見てきた私の印象からしても、宇佐八幡宮の境内、茅野駅前のSLなどは、明らかにこれ以上小さいと思う。燃料としての石炭と水を入れて機関車につなぐ炭水車もかなり大きい。帰ってから調べたら、われわれが見たSLは、「クンロク」との愛称で呼ばれていた「九六〇〇式蒸気機関車」であった。
 博物館の二階の廊下で原田団員から、塵肺訴訟の経緯、概要の説明を聞く。私は、この方面は勉強していないので、質問ができない。
 最後に、田川市の歴史に関する展示室を見る。さすがに遠賀川流域に位置する田川市の博物館だけあって、立派な遠賀川式土器が鎮座している。でも、鏡はしょぼい。直径が一〇センチくらいの内行花文鏡が一面あるだけだ。石棺が発掘されているのだからもっと鏡の発掘もあるのではないかと思うが、それとも本当にないのか。説明員がいないのできけなかった。
四 道の駅と買い物
 道の駅で最後の休憩をとる。アサツキとシイタケを買った団員夫婦がいた。私が「スーパーでの買い物と同じですね。」というと「そうです。」という。地元の団員であった。
 わたしも飛行機に乗らないのでバスで博多駅まで送ってもらい、鹿児島本線でJR久留米駅まで行った。予約していたホテルは西鉄久留米駅近くにあったのだ。
 これで一泊旅行の記載を終わり、個人旅行に続きます。

 

 

憲法九条の論理と倫理――法規範としての「絶対的平和主義」

東京支部  後 藤 富 士 子

一 「いずも」型護衛艦の「空母化」
 政府は一二月一一日、与党のワーキングチームに一九~二三年度の「防衛計画の大綱」と「中期防衛力整備計画」の骨子案を示し、了承された。防衛大綱の骨子案では「現有の艦艇からの(短距離離陸と垂直着陸ができる)STOVL機の運用を可能とするよう、必要な措置」を講じることを盛り込み、中期防にはその一環として、「いずも」型護衛艦の改修を明記した。「いずも」型護衛艦は甲板などを改修し、STOVL機である米国製のF35Bステルス戦闘機の運用を想定している。
 ここでは、憲法九条が「専守防衛」という法規範であることを前提とし、それに照らせば「攻撃型空母」の保有は認められないとの論理は維持する。一方、「攻撃型空母」の定義の一つが「対地攻撃機の搭載」であり、F35Bステルス戦闘機は対地攻撃を主任務にしている。それでも違憲ではないという論理は、同戦闘機を常時艦載しないことで、「攻撃型空母」に当たらない、というのである。
 ちなみに、公明党は、三回にわたり了承を見送ったものの、「攻撃型空母」との指摘をかわすため、「多用途運用護衛艦」とする主張を自民党に受け入れさせたほか、戦闘機の運用についても常時艦載するのではなく、「必要なときに運用する方向性が明確に示された」として了承したのである。ところが、確認書では、呼称は今と同じ「ヘリコプター搭載護衛艦」となった。
 しかし、イラクやアフガニスタンなどで先制攻撃を繰り返してきた米空母艦載機も、年二回の定期航海以外は「母基地」を拠点に運用されており、「常時継続的」な運用などあり得ないという。
 そうすると、憲法九条に反しないとする政府の論理は、第一に「専守防衛」という法規範の読み替えの問題であり、第二に文言のメルトダウンの問題である。この第二の問題については、メキシコの外交官で詩人でもあったオクタビオ・パスの箴言で十分と思われる。曰く「一つの社会が堕落するとき、最初に腐敗するのが言語である。それゆえ、社会の批判は文法と意味の回復とではじまる。」(杉原泰雄『憲法の「現在」』二八八頁二〇〇三年発行)。第一の問題については、九条二項「戦力」概念の変遷が重要であるが、本論では二〇一五年の安保法制をめぐる論点であった「個別的自衛権」のみを加える。
二 「絶対的平和主義」の条文化
 憲法九条一項の戦争等の永久放棄について、「国際紛争を解決する手段としては」と書かれていることで、形式論理的には「国際紛争を解決する手段」でなければ戦争できると解釈する余地はある。また、第二項は、冒頭で「前項の目的を達するため」との文言を置いているので、同様に、戦力不保持も「国際紛争を解決する手段として」に限定されると解釈する余地はある。そして、現実に導かれるのは、「自衛のため」の戦争や戦力保持は憲法九条で禁止されていない、とする解釈論である。ここから更に「言い替え」がされて、「専守防衛」とか「個別的自衛権」とかが、合憲違憲の指標とされるに至っている。
 しかしながら、自衛権を行使しなければならない事態は、まさに「国際紛争」状態であり、その解決手段として「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を定めたのが九条にほかならない。すなわち、九条は「絶対的平和主義」を定めた条文である。したがって、立法政策としてならともかく、九条の解釈として「専守防衛」とか「個別的自衛権」とかいうのは、「書かれた法文」とは全く別物と言わざるを得ない。
 仮に「九条」に人格があると想定すると、「九条」は、「専守防衛」「個別的自衛権」なんて、「私のことではありません」と言うに違いない。そして、「絶対的平和主義」を定めたものと理解されないのであれば、「私の居場所はありません。天より遣わされたのですから、天に還ります」と言うのではなかろうか?かように、九条の解釈は、解釈する者の倫理が問われているのである。
 ところで、前記した「いずも」型護衛艦の空母化の話に戻ると、希望の党・松沢成文代表は、「防衛のための空母と言えばいい」と述べている。「空母なんですよ、あれは。『攻撃型空母』ではないというのが政府の説明ですよね。特に離島の方は滑走路がないから、緊急事態が起きた時にきちんと防空態勢を図るというのは、日本のしっかりとした抑止力につながる。日本は領海が広いですからね。(政府は)必要だという認識だと思いますし、私たちはそれに賛同します。(空母という名称を使わない政府は)そんなに逃げることはないですよね。空母は空母だから。あくまでも自国防衛のための空母なんだと言えばいいんだと思いますけれどね。」と述べている(朝日新聞一二月一四日日刊)。
 このような意見は、憲法九条を無視した自己の政策論にすぎず、国会議員が負っている憲法尊重擁護義務に違反している(九九条)。そして、深刻なのは、松沢議員に、その自覚がないことである。また、このような見解が、国会において国民代表として表明されないために、有権者が選挙権の行使を誤ることにつながり、議会制民主主義の健全な運用を妨げていると思われる。
三 「行政国家」現象による権力分立の変容
 安倍首相は、議会で自らを「立法府の長」と一度ならず口にしている。「存在は意識を決定する」との法則に従えば、安倍首相は、権力分立を否定し、自ら「独裁者」であると言い放っているのである。
 しかし、なぜ、そうなるのか?を考えると、たとえば「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」の法形式が、国会の議決を要さない、閣議決定で足りるとされていることに顕れているように、国権の最高機関であり唯一の立法機関と定められている国会が空洞化、形骸化していることに思い至る。「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」が、国会の議決を要さないほど軽い問題とは思えない。「戦力」に関する問題なのだから、憲法九条に直接かかわることを考えると尚更である。また、財政の見地からしても、国会の議決が不要とは思えない。憲法は、「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。」(八三条)、「国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。」(八五条)と定めている。それにもかかわらず、安倍首相は、日本の安全保障のために必要のない高価な米国製F35Bステルス戦闘機などを勝手に購入している。
 このような現実は、「行政国家」というべき現象であり、それが権力分立制を変容させていることがみてとれる。「行政国家」とは、本来決定された一般的抽象的法規範の執行の部分的担当者にすぎない行政府が、法規範の決定においても中心的かつ決定的な役割を営む国家を意味するといわれる。その特徴として、①法律の発案・審議において行政府が中心になっている、②委任立法(法律事項について立法の権限を行政府に委任して立法を行なわせたり、委任に基づいて行政府が制定した法規範)がエスカレートして立法権の放棄に等しいような立法権の全面的・包括的・白紙委任的な委任、③多数与党であることから、議会は事実上内閣の政治責任を追及できない、④立法府は、事実上、行政府提出の法律案・予算案に機械的な承認を与える「登録院」と化し、行政府が行政権と立法権を併呑し、国政の中枢となる、などがあげられる(杉原泰雄『立憲主義の創造のために/憲法』一一一頁、岩波書店一九九一年第三刷)。
 こうしてみると、単に強行採決という運用の問題よりも深刻な事態といえよう。安保法制も多数の法案が一括審議・採決されており、国民にはどんな法律が制定されたのか皆目わからない。入管法改正法案の強行採決も、典型的な白紙委任である。ここまで「行政国家」現象が進行してしまったら、国会を「国権の最高機関であり唯一の立法機関」として再生する改革にも取り組まなければならないのではなかろうか。 (二〇一八・一二・一五)

 

 

書 評 「九条の挑戦」を読んで

埼玉支部  大 久 保 賢 一

 これは、伊藤真、神原元、布施祐仁三名の共著「九条の挑戦」(大月書店・二〇一八年)の読後感想文である。贈呈してくれたら感想文を書くと神原君と約束していたその責めを果たしたい。感想は三点ある。まず、読後感がさわやかということである。痛快と言ってもいいだろう。第二に、勉強になったことである。第三に、現代が「核の時代」だという視点が確保されていることである。
さわやかな本である
 この本のサブタイトルは「非軍事中立戦略のリアリズム」である。要するに「非軍事中立戦略こそが、安全保障環境の変化に対応した最も現実的な道である」と主張する本なのである。改憲派からは「お花畑での戯言」と言われるだろうし、護憲派からは「昔そんなのがあったね」と言われそうな議論なのだ。もちろん著者たちはそのことは十分承知している。それでも果敢にその論証に挑戦しているのである。
 自民党の九条論の背景にあるのは「九条などはユートピア」とする思想だし、最近あれこれ言われている「新九条論」とか「護憲的改憲論」とか「立憲的改憲論」なども自衛隊という軍事力を前提とするものであって、非軍事という発想はないか乏しい。
 私にとって、それらの主張を読むことは決して楽しいことではないのである。さわやかどころか、どう反論しようかと構えてしまうからである。ところがこの本は違う、共感を持ちながら読み進めることができるのだ。その理由は、この本の問題意識にわたしが同意しているからであろう。端的に言えば「軍事力で安全は確保できない」というリアリズムと「軍事力がない世界が一番安全」という当たり前の結論への共感である。
 著者たちは、平和の思想を念頭に置いているけれど、展開するのはリアリズムである。仮に日本に対する軍事攻撃があった場合、どのように対抗するのが最も有効かという問いかけや、北朝鮮や中国の「脅威」と対抗する上で必要な対処方法は何かという現実的な問題を念頭に、非軍事戦略政策を展開するのである。中立というのは、集団安全保障体制を念頭に置きつつ、日米安保体制からの脱却が、日本の安全保障に有効だという発想である。今、最も求められている知的営みといえよう。
勉強になる
 伊藤論稿は、端的に「軍隊を持つのか持たないのか」とテーマに、安全保障政策を検証し、九条の解釈と自衛隊違憲論を展開している。私にとって最も興味深かったのは、長谷部恭男さんと木村草太さんに対する批判である。伊藤さんは、長谷部説を「自衛隊を違憲と解釈する必要はない。個別的自衛権を否定することは攻められても我慢しろ、大切な人を殺されても我慢しろという価値観の押し付けだ」と整理している。伊藤さんは、そのような考えは憲法の規範力を弱めるものだし、戦争を我慢しろという価値観を押し付けているではないかと批判するのである。木村説については、「外国からの武力攻撃に際して、一三条後段と九条二項のどちらを優先するかという問題の立て方をして、一三条後段を根拠に自衛隊を認める説」と整理している。その上で、九条の存在自体が、一三条を根拠にする自衛権論を排除しているという樋口陽一説を援用して、木村説を批判している。私も伊藤説を支持したいと思う。
 神原論稿は、「憲法九条の政策論」(小林直樹・一九七五年)、「総合的平和保障基本法案」(深瀬忠一・一九八七年)、「自衛隊の平和憲法的解編構想」(一九九七年・水島朝穂)を題材に、憲法学が軍隊によって国を守ろうとする考えは、現代戦争に極めて不適な、日本では愚策というべきであり、日米安保の強化は我が国の独立を損なうだけではなく、自国に無関係な戦争にわが国を巻き込むおそれがあって、わが国の国益に反すると主張してきたことを論証している。私は、これらの見解をこのように位置付けて検討したことがなかったので、蒙を啓かれたところである。
 布施論稿は、日本の安保政策や自衛隊の実態について教えてもらうところが多かった。「部隊の厚生費が切り詰められ、トイレットペーパーも隊員たちからお金を集めて買っている」という嘘みたいなエピソードには驚かされた(笑)。そして、最も感心したのは「自衛隊員に対する責任」というパートを設け、自衛隊員に配備される「救急救命キット」のお粗末さや、捕虜としての処遇を受ける根拠があいまいなことなどを指摘していることである。
「核の時代」という視点
 伊藤論稿には「国連憲章では戦争を原則違法化しましたが、その後に原爆が使われました。その惨状を知った日本が作ったものが九条二項です」という記述が、神原論稿には「核戦争の時代には、戦争という手段そのものを放棄すべきだと考えた非軍事中立政策の英知は未だ捨て去るべきではない」という記述が、布施論稿には「核戦争の危険性を完全になくすためには、核兵器を廃絶するしかないのと同じように、『戦争のない世界』という人類の理想を完全に実現するためには、最終的には軍備を廃絶するしかないと思うからです」という記述がある。いずれも、人類が核兵器を発明し、使用し、使用の準備をしている「核の時代」にあることを念頭に置いている記述である。できれば、制憲議会における幣原喜重郎の、核兵器の時代においては「文明と戦争とは結局両立しえないものであります。文明が速やかに戦争を全滅しなければ、戦争がまず文明を全滅することになるでありましょう」という答弁などを引用して欲しかったけれど、三人とも核兵器に触れていることに共感を覚えている。
 本書は、非軍事中立という考え方をそもそも知らない若い世代を念頭に置いて書かれたものだというけれど、最も年長の著者である伊藤さんよりも一回りほど年寄りの私にとっても、痛快で有意義な本であった。三人に感謝したい。
 最後に、一つだけ気になったことを付記しておく。伊藤さんが「自衛隊を憲法に明記するとは、何も変わらないどころか、国のかたちを軍事国家へと変えること大きな危険を持ちます。それを目指すべき日本のかたちだというのが国民の合意なら、それはそれで仕方ありません。」としていることである(八三頁)。国民主権主義の下での結論であれば容認せざるを得ないということであろうが、私は、伊藤さんと同じようにそのような改憲に反対するだけではなく、そのような結論を受け入れなくて済む法的議論ができないかと考えているのである。憲法改正の限界に係わる議論である。そのことについての議論はまたの機会としたい。(二〇一八年一一月三〇日記)

 

 

中丸素明団員を悼む                

千葉支部  藤 野 善 夫

 昨年一二月一六日、闘病中でありました、中丸素明団員(三三期)が、復帰の志し半ばで残念ながら、亡くなりました。治療経過は良く、本人も私たちも復帰することを信じていましたが、病を克服する体力が、続かなかったようです。享年七一歳でした。お通夜の席で述べさせて頂いた拙文を掲載して、同団員を偲ばせていただきます。
 「中丸素明さんへ(惜別の辞)
 中丸さんと出会ったのは、三八年程前、高橋勲弁護士が指導担当で、我が事務所で修習をしたことが切っ掛けでしたね。弁護士では僕が七年ほど先輩でしたが、貴男は、民間企業、そして労働省の労働監督官を経て、司法試験に合格し、司法修習生になったということで、社会経験もあり、働く者の職場の状況を知った経験を踏まえ、労働関係の弁護士を志望して来た経歴の人と知り、心の中で、感心したのでした。
 弁護士として走り出してからも、事件処理は、当然しっかりと処理をしつつ、労働事件にも熱心に取り組み、それに留まらず、労働法制の改悪を許さない運動にも積極的に関与しましたよネ。女子保護規制の「撤廃」が法案として出された時は、自由法曹団本部の事務局次長として、奮闘をしましたヨネ。
 それが切っ掛けとなり、労働法制改悪反対(千葉)県民連絡会議の結成にも努力して、その代表としても活躍し、また、田村徹弁護士の後を継いで、千葉労働弁護団の会長としても活躍しましたね。そして、千葉県権利討論集会を継続し発展させることにも奮闘されましたね。労働法制の改悪を許さない為に、労組の垣根を越えて、県内の運動が広がるようにと気配りをしていましたこと、私も側にいて、良く判りました。
 このような貴男ですから、安倍「働き方改革法」案に対しての千葉県内での運動が広がることを期待し、奮闘することを願っていたはずです。
 しかし、体調が思わしくなくなり、今年の年頭から、療養をすることを余儀なくされ、さぞかし口惜しい気持ちを持っていたと思います。
 私たち事務所の仲間も、貴男がきっと元気になって戻って来て、運動に参加してくれると、信じていました。
 そのような状況でしたので、今回の知らせ(逝去)には、正直、事務所の誰もが、驚きましたし、残念で仕方ありません。
 しかし、悲しんでいるだけでは、何も変わりません、「泣くのはだめだ、笑って行こう」と貴男の取り組みを受け継ぎ事務所の仲間が、分担をして、発展させることを、誓い合いました。
 一生懸命に前を向いて、奮闘してきた中丸さん、いろいろな面で大変だったでしょう。後は私たち所員が貴男の志を継ぎ、頑張ります。
 それでは中丸さん、安らかにお休み下さい、そして私たち事務所員を、静かに見守って下さい。「冬至」という季節の折り返しを前にして。 (平成三〇年)一二月一九日。」

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