第1661号 / 3 / 1

カテゴリ:団通信

●【問題提起】9条の会の原点にかえった活動目標の設定を  宮 尾 耕 二

●中期防衛力整備計画(平成31年度~平成35年度)の分析(後編)  鹿 島 裕 輔

●「今、天皇制を議論しよう」  渡 辺 和 恵

●天皇制についての意見  守 川 幸 男

●天皇の「戦争責任」と日本国憲法  後 藤 富 士 子

●本当に怖い原発の話  大 久 保 賢 一

●そろそろ左派は、〈経済〉を語ろう 6
  通貨発行益を使う  国債はインフレで踏み倒す  伊 藤 嘉 章

 


【問題提起】
九条の会の原点にかえった活動目標の設定を  奈良支部 宮 尾 耕 二

 「九条の会」が誕生したのは、イラク戦争を契機に、海外派兵を可能にする明文改憲が画策された時期であった。この非常事態に際し、それまで仇敵だった「非武装中立派」と「専守防衛派」が対立を棚上げして、統一戦線を形成した。これは絶大な威力を発揮し、「九条二項削除」「自衛軍(ないし「国防軍)創設」といった「直球の改憲」を実現することは事実上不可能になっている。
 その中で、安倍内閣は、解釈改憲と安保法の強行採決という暴挙に出た。これに対して、「憲法を無視するな」「立憲主義を守れ」という世論が巻き起こり、抗議する市民が国会前にあふれかえった。その熱気は今でも記憶に新しい。しかし、反対むなしく、現実に「安保法」という法規範が誕生したのも否定し得ない事実である。この法律は、国会で廃止されるか最高裁判所で違憲とされない限り、法規範としての効力を持ち続ける。そのような状況の中で「自衛隊の存在及びその任務が専守防衛であることを憲法に明記すべきだ。」という考えを持つ人々(いわゆる「護憲的改憲論」)が生まれたのは、ある意味必然だったと言えよう。「自衛隊を明記するだけで何がだめなの?」というファジーな層を含めれば、今や、彼ら彼女らの存在は無視し得ず、「自衛隊明記」案を阻止できるかどうかを左右するグループとなっている。
 では、彼ら彼女らは「敵」なのだろうか「味方」なのだろうか? 自由法曹団内部でも、少なからぬ混乱と対立が起きている。そして、おそらく、安倍首相及びそのブレーンが「自衛隊明記」という奇策に出た狙いは、まさに、この混乱と対立を生じさせることにある。彼らの奇策によって、かつて棚上げしたはずの「専守防衛の自衛隊をめぐる意見の対立」が先鋭化し、九条の会が引き裂かれ、その力を発揮できずにいる。皆、うすうすその状況に気づきながら、形式的な「九条守れ」との一致点に自縄自縛の状態となっているのではなかろうか。
 なるほど、九条を変えるという点で、彼ら彼女らの考えは従来の九条の会の一致点を逸脱する。しかし、その違いは、安保法廃止のプロジェクトを完遂するまで、運動の障害にならないはずである。なぜなら、安保法の廃止は両院の過半数を確保すればできるのに対し、護憲的改憲はその三分の二以上を確保しなければならないのだから。それゆえ、安保法廃止のときまで、「専守防衛の枠組みを超える武力の行使を認めず、それを可能にする改憲にも反対」という一致点で、積極的に護憲的改憲論者と共同すべきであり、対立を封印すべきである。
 ただし、九条の条文には、いわゆる「芦田修正論」的解釈を許す「隙」がある。それゆえ、専守防衛の枠組みを維持するためには、自衛隊という名前だけでなく、その任務が専守防衛に限定されることをも積極的に明記しなければならない。そのことに無自覚な「自称」護憲的改憲論者への「説明」は必要であろう。だが、それは、安倍総理らに騙されようとする人々を味方に引き入れる作業であって、敵対する必要はない。
 願わくば、かつて専守防衛の自衛隊に関する意見の相違を乗り越えて九条の会を立ち上げた原点に立ち返った議論が、平和を願う人々の間でなされることを祈る。議論を呼ぶ内容であることを承知で、あえて問題提起させていただく次第である。
(追伸)なお、本稿は、[kaiken-soshi:22503]に投稿した内容を要約したものです。興味をお持ちの方は、同メール及びそれに引き続く議論をご参照いただければ幸いです。

 

中期防衛力整備計画
(平成三一年度~平成三五年度)の分析(後編)  事務局次長 鹿 島 裕 輔

一 はじめに
 前回の星野事務局次長による中期防衛力整備計画の分析(前編)に引き続き、中期防衛力整備計画の後半部分のポイント、とりわけ前回の中期防衛力整備計画(平成二六年度~三〇年度)との比較において特徴的な点を中心に解説する。
二 日米同盟の強化
 日本の安全を確保するために、「「日米防衛協力のための指針」の下、アメリカと日本及びインド太平洋地域との関わり合いを維持・強化し、日米防衛協力を一層強化することとしている。その前提として、日本自身の能力を強化するとしている。
 防衛協力の具体的な内容として、最初に「宇宙領域やサイバー領域等における協力」が挙げられていることが特徴的である。また、前回の中期防衛力整備計画には挙げられていなかった内容として、総合ミサイル防空等の推進、日米共同の活動に資する装備品の共通化、各種ネットワークの共有、米国製装備品の国内における装備能力の確保、FMS調達の合理化による米国の高性能の装備品の効率的な取得、日米共同研究・開発等の推進が挙げられている点も特徴的である。
 このように、安倍政権は今後も日米同盟の強化を理由に、日本自身の防衛力を強化するとともに、アメリカの言い値で高額な兵器を大量に購入するつもりである。
三 安全保障協力の強化
 安全保障協力の強化として、他国との共同訓練・演習、他国への能力構築支援、海洋安全保障、国際平和協力活動等、軍備管理・軍縮及び不拡散が挙げられているが、さらに前回の中期防衛力整備計画にはなかった「装備・技術協力」が新たに加えられた点が特徴的である。
 国際平和協力活動等については、「平和安全法制も踏まえ」主体的に推進するとされており、特に工兵マニュアルの普及、陸上自衛隊において、中央即応連隊及び国際活動教育隊の統合による、高い即応性及び施設分野や無人機運用等の高い技術力を有する国際活動部隊の新編に向け、必要な措置を講じるという点は、前回の中期防衛力整備計画にはなかった点である。
四 防衛力を支える要素
 日本の防衛力を支える要素として、自衛隊の総合訓練・演習や日米の共同訓練・演習、戦地での医療態勢や自衛隊病院の拠点化・高機能化などの衛生機能の強化、地元住民への広報や訓練・共同演習の説明などによる地域コミュニティとの連携、公開シンポジウム等による安全保障教育の推進やソーシャルネットワークの活用などによる知的基盤の拡充が挙げられている。
 とりわけ、自衛隊による訓練・演習について、前回の中期防衛力整備計画では「全国の部隊による北海道の良好な訓練環境の活用を拡大」と記載していたが、今回は「北海道を始めとする国内の演習場等の整備・活用を拡大」との記載に変わっており、また、前回の中期防衛力整備計画では「米軍施設・区域の自衛隊による共同使用の拡大」と記載していたが、今回は「自衛隊施設や米軍施設・区域以外の場所の利用や米国・オーストラリア等の国外の良好な訓練環境の活用を促進」との記載に変わっており、自衛隊による訓練・演習場が拡大されている点が特徴的である。
五 整備規模
 自衛隊の装備品のうち、主要なものの具体的整備規模で特徴的なのは、陸上自衛隊の装備品として「陸上配備型イージス・システム(イージス・アショア)」二基が明記されている点、航空自衛隊の装備品として明記されている「戦闘機(F-35A)」の機数四五機のうち、一八機については、「短距離離陸・垂直着陸機能を有する戦闘機(F-35B)」を整備するものとしている点である。
六 所用経費
 この五年間の計画実施に必要な防衛力整備の水準に係る金額は、平成三〇年度価格でおおむね二七兆四七〇〇億円程度を目処とするとしており、前回の中期防衛力整備計画では平成二五年度価格でおおむね二四兆六七〇〇億円とされていたことからすれば、約三兆円もの防衛予算の増額となっている。
 そして、「格段に速度を増す安全保障環境の変化に対応するため、従来とは抜本的に異なる速度で防衛力の強化を図り、装備品等の整備を迅速に図る観点から、事業管理を柔軟かつ機動的に行うとともに、経済財政事情等を勘案しつつ、各年度の予算編成を実施する」と記載しており、今後はこれまで以上に迅速に装備品を整備することを想定している点も特徴的である。
七 さいごに
 これまで本部事務局次長四名により連続して「防衛計画の大綱」及び「中期防衛力整備計画」について、改憲阻止対策本部で分析した内容について報告してきたが、総じて言えることは、安倍政権は日米軍事一体化を推し進めて、海外で米軍とともに戦う能力を強化しようとしていることである。そのために高額な兵器の購入等による軍事費の増大を進め、その反面、国民の生活に直結する社会保障費を削減しているのである。そして、最終的な目標は憲法九条の改正であり、いまはその先取りをしている状態である。我々としては、まずこのような現状を把握し、問題点を理解した上で、改憲阻止運動へと繋げていく必要がある。これまでの報告がその一役を担えたとしたら幸いである。

 

「今、天皇制を議論しよう」  大阪支部 渡 辺 和 恵

一 象徴天皇制についての議論が広くなされることの必要性
 平成天皇の退位の日が四月三〇日と近づいている。退位に関わって、マスコミが象徴天皇制を取り上げ、一般の人たちが少なからず議論するようになったことを私は喜んでいる。
 今から三〇年前、私はある新聞に「子どもたちと天皇」と題するエッセーを載せたことがある。一九八九年二月二四日、昭和天皇の葬儀の日が休日になったことがあった。次男は当時小学校二年生で娯楽番組が大好きなテレビっ子である。娯楽番組は自粛を求められ、子どもにとっては退屈な日となった。私は事務所のその他の弁護士と同様、天皇に関わる日は不承認の立場から事務所で仕事をした。当時小二であったにも関わらず、母親が一日中遅くまで、又休日を返上して働くのを見ていたからか、日頃の私の教育が徹底していたのか、「生活のために働く」ことをしない天皇を不思議な存在だと言った。私は当時このエッセーに「天皇への弔意の強要、国民主権・民主主義に反する天皇元首化の動き」に対して、次男が子どもらしく批判したことに喜び、憲法第一条「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」に従って、「日本国民の総意が天皇制を廃止する日は遠くないと思うことしきりである」と書いた。
 しかしである、三〇年後の今日、自民党改憲草案など天皇の元首化の動きが強まり、国民の間で、更に民主的人士の間でも、「天皇制」について議論することは鳴りを潜めていた。
二 「象徴天皇制」は現実には国民にこの権力の承認を求めている
 先日、二月一一日、大阪でも恒例の「建国記念の日、不承認のつどい」が教育会館で二四〇名の参加で開かれた。実に第五三回目の開催である。建国記念日が定められた翌年から毎年粘り強く開かれている。私はアメリカ占領軍が戦後日本支配のためには世界に広がる「天皇戦犯」の声を抑え、「象徴天皇制」をしくことが有効であるとの意図のもとに創設せんとし、日本側と合意した所産であるとの歴史的事実を思う時、「象徴天皇制存続の議論」には反対である。だから、都合のつく限り、この集会に参加してきた。この日も、一度参加してみたいという平成生まれの若き法律家をお連れした。講師の京都府立大学の小林啓治教授は、「天皇制は平等原則や、民主主義的意識を弱める危険性をはらんでいる」との観点から、「全ての人の基本的人権を保障する社会、民主主義国家の実現こそが求められる」と講演された。又、日本国憲法は「『主権の存する国民』が天皇に日本国・国民統合(象徴されるもの)として天皇に権利を付与したもの」である。しかし、現実には「天皇がその権利を行使するものであって、国民は天皇の象徴としての権威の承認を強制される立場=象徴として保持し守る義務を課せられる」と、次の明仁天皇の言葉を引いて説明された。「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすために、天皇が国民に天皇という象徴の立場への理解を求める」。
三 「護憲装置としての象徴天皇制」の論には反対
 こんな折から、団通信に後藤富士子団員の表題のテーマの論稿に出会った。前記集会で講師のもとに寄せられた質問は一〇通程度だったが、いずれも「平成天皇は護憲・平和主義の立場にいることから、象徴天皇制は廃止どころか、安倍政権に対する歯止めとして有用だという意見が民主的人士の中で結構あるが、この考え方に私は反対だ。先生はどう考えられるか」だったということで(私も同旨の質問をした)、先生の立場が表明された。
 後藤団員の論稿には驚いたが、実はこの問題について、どこでも水面下で問題になっていたのだ。講師は平成天皇がいかように発言しようが、前記の通り、象徴天皇制は「平等原則、民主主義的意識を弱める危険性をはらんでいる」。国民は天皇発言に期待しているが、前述の通り諸々の問題についての「天皇の発言は、天皇制(皇室)の維持を自己の任務としているのみ」であると答えられた。元々、護憲装置として象徴天皇制が日本国憲法に埋め込まれたとするのは歴史的事実に反する。
 改憲の嵐が吹き荒れている政治情勢の中で、国家権力に護憲の義務を果たせるのは天皇ではない。我々国民である。この原則に立ち戻るべきであると考える。今日は天皇在位三〇年の式典が開かれた。皇居に参賀した庶民の「震災の時にもやさしく庶民に対応していただいたことに感謝する」との言葉をマスコミに紹介していたが、本来その行為をするべきなのは内閣総理大臣(憲法七二条)ではないか。

 

天皇制についての意見  千葉支部 守 川 幸 男

一 はじめに
 後藤富士子団員の「護憲装置としての象徴天皇制」(一月二一日付一六五七号)に対して、なつかしい盛岡暉道団員(二月一日付一六五八号)の感想的意見と池田賢太団員の「『象徴天皇制』からの脱却」(二月一一日付一六五九号)が批判的な意見を述べている。
 批判としては正しいが、うち池田団員の論稿は、後藤団員の象徴天皇制美化を批判するあまり、今上天皇の発言の目的について、論証のない非難をしており、また、早期に天皇制を廃止すべきだとの意見は、歴史の発展段階から見て現在の課題ではない。
二 象徴天皇制を歴史の発展段階の中でどう位置づけるかが重要
 明治憲法下で天皇は絶大な権力を有し、現人神とされていた。
 他方、日本国憲法は、天皇を象徴と定め、国政に関する権能を有さず、これを国事行為に限定した。これは国民主権や法の下の平等から見て、憲法との整合性もなく不徹底ではあるが、この変化の主たる側面は、巨大な歴史の進歩と位置づけられ評価されるべきである。ところが、実際には象徴としての行為が肥大化して来た。だから天皇制や象徴天皇に対する池田団員の批判は正しいが、今は、象徴天皇制の廃止ではなく、天皇の政治利用をさせないことが課題である。自民党が天皇の元首化を狙っている現在、このことが重要である。
三 天皇個人の意図と限界
 天皇や皇太子、秋篠宮の憲法擁護発言等は、客観的には憲法九九条に沿ったものであり、これ自体はむろん批判の対象ではなく、評価されるべきである(安倍首相は内心大いに不満であろうが)。しかし、池田団員の、これらの発言の主観的意図なり目的が「『象徴としての天皇』という地位を失わないための発言ではないだろうか。」などの指摘にはその論証がない。
 むしろ、おそらく天皇らは、個人的には立憲主義的な考え方の持ち主のように思われ(これも厳密な論証があるわけではない)、問題は、天皇が憲法で限定されている国事行為の限界を超えて、象徴としての行為だとして戦地や被災地を訪問することが自らの役割だと考え、これを精力的に実行してきたことである(その結果、過重な負担がかかり、かつ高齢になってその任に耐えないと感じて、生前退位に至ったのであろう)。
 しかし、仮にそう考えない天皇が出現して、英霊が祀られている靖国神社に参拝することが平和を守ることにつながるとか憲法の趣旨に沿うと考えて、これを実行したらどうであろうか。よい天皇だからよいのだ、というわけにはいかないのであり、この点は池田団員も異論はないと思う。
 このように、象徴天皇制と天皇の言動は、憲法を歴史の中に位置づけて理解し評価する必要がある。
四 さらなる討議を呼びかける
 以上の考えは団員なら常識と思っていたがそうでもないらしい。そこで、さらなる討議を呼びかける。
〈追記〉
 この指摘をした直後に、前号(二月二一日付一六六〇号)で、最近になって突然、旅行記、経済問題などで投稿マニアになった伊藤嘉章さんによる「天皇制議論について 天皇公選論という暴論」を読んだ。
 これに対しても、今回の私の論考が有効と思うので、項目別に意見を述べる必要はなさそうである。

 

天皇の「戦争責任」と日本国憲法  東京支部 後 藤 富 士 子

一 「慰安婦問題」は天皇の謝罪で解決できる・・・
 韓国の文喜相国会議長は、二月七日に行われた米ブルームバーグ通信とのインタビューで、慰安婦問題について天皇が元慰安婦に直接謝罪すれば解決できるとの考えを示した、と報道されている(二月一〇日朝日夕刊)。文氏は「一言でいいのだ。日本を代表する首相か、間もなく退位される天皇が望ましいと思う。その方(天皇)は戦争犯罪に関わった主犯の息子ではないか。おばあさんの手を握り、申し訳なかったと一言言えば、問題は解消されるであろう」と語ったという。
 ちなみに、今年一月二八日に亡くなった元慰安婦・金福童さんは、日本政府に「心からの謝罪」を求め、二〇一五年末に朴槿恵政権が強行した日韓合意について「歴史を売った」と韓国政府を厳しく批判した。彼女が一四歳のときに、日本人と一緒に韓国南部居住地の区長と班長がきて「娘を軍服を作る工場に出せ。拒否すれば反逆者だ」と脅し、連れて行かれた先は中国・広東の慰安所だった。一日に一五人、時には五〇人を超える軍人の相手をさせられた。インドネシアやマレーシアなど前線を連れ回され、米軍の捕虜収容所などを経て、終戦から二年後に帰国を果たした。この壮絶な被害体験を語る真意について、彼女は「私たちはお金がほしいわけじゃない。女性だもの、知られるのがつらいときもあった。でも私たちは尊厳を回復したいのです」と述べている(二月八日赤旗「潮流」)。
 なお、李在禎・元統一相は、日本では六五年の日韓請求権協定で解決されたとの意見が強いが、韓国の多くの被害者は今も心に傷を負い、癒されていない、と実情を述べている。そして、韓国の国民は、慰安婦問題や歴史教科書の問題で日本国内から出てくる言動を見るたびに、心から謝っているわけではないと感じてしまうのだという(二月一一日朝日日刊)。実際、日本政府は、元慰安婦が亡くなったとき、弔問や弔花を行っていない。金福童さんは、謝罪の手紙一枚でも送ってほしいと言っていたという(二月一四日朝日日刊)。
 要するに、日本を代表する安倍首相の「カネで解決した」という態度が、韓国の反発を招いている。安倍首相は、「天皇の謝罪」という韓国国会議長の発言に怒り狂う前に、日本国憲法で国政に関する権能を有さないとされる天皇に代わって、「心からの謝罪」をするのが筋である。ちなみに、憲法三条は、天皇の国事行為に対する内閣の助言・承認と責任を定めている。
二 「八月革命」の真相―日本は主権国家ではない?
 宮沢俊義は、ポツダム宣言の受諾により、天皇主権から国民主権になったとし、主権者の交代をもって「革命」と説明した。
 しかしながら、ポツダム宣言受諾から対日講和条約発効までの占領期における日本の法体制については、「占領体制」自体が固有の法体制と考えられる(長尾龍一『日本憲法思想史』講談社学術文庫、一九九六年)。すなわち、ポツダム宣言を憲法とし、マッカーサーを主権者とする絶対主義的支配体制。新旧両憲法ともにこの主権者の容認する限度でのみ効力をもち、主権者は両憲法に全く拘束されない。主権者が法に拘束されるのが法治国家であるならば、日本は法治国家でない。日本国民の意思は議会や政府を通じて表明されるが、主権者はこれに拘束されず、これを尊重するのはあくまで恩恵である。民意による政治が民主主義なら、これは民主主義ではない。
 この立場から、「八月革命」説は次のように批判される。間接統治とはいえ占領軍の統治を受け、いわば占領軍を主権者とする体制において、そのことを捨象して天皇主権とか国民主権とかがありうるかのように議論している点である。比喩的にいえば、ポツダム宣言受諾によって、主権は天皇から国民にではなく、マッカーサーに移ったのである。
 このことを最も雄弁に物語るのは、日本国憲法九条による戦後日本の武装解除とその後の再武装(一九五〇年の警察予備隊創設)である。後に自衛隊となる実力組織の創設は、ポツダム政令によって行われた。戦後日本の非武装を決定した権力と同じ権力が、いかなる民主主義的プロセスをも抜きにして再武装を命じたのである。
 なお、日本国憲法の制定過程をみると、明治憲法の改正手続に則って、昭和天皇が草案を発議し、最終的に裁可して改正されたという点で、欽定憲法である。すなわち、日本国憲法は、形式において欽定憲法でありながら、内容において主権在民であり、民定憲法である。しかし、国民主権における「国民」は制憲過程において一貫して不在であり、GHQが日本国民の主権者としての地位を代行・擬制しているにすぎない。この矛盾をもって、枢密院での議決において新憲法に反対したのは美濃部達吉だけであった。
三 天皇制の存続・戦争放棄・沖縄の犠牲化
 「占領政策の道具としての天皇」といわれるのは、日本人は真の民主主義あるいは真の人民主権を実行する能力がない、天皇がそうせよと命ずる場合にのみ、「民主主義」を受け入れるだろうという見解をマッカーサーが有していたからである。ジョン・ダワーは、「天皇制民主主義」と呼び、マッカーサーの発明としている。このためにこそ、天皇の戦争責任の免責が必要だった。そして、「昭和天皇は平和主義者で、戦争責任は一切ない」という物語が作出されたのである。
 一方、天皇制を守るために、戦争放棄が必要だった。「ヒトラー、ムッソリーニに比すべきヒロヒト」と考える人々が世界中にいた。国内でも、敗戦の責任を取って退位すべきであるという主張は、三笠宮や木戸幸一からも出されていたほどである。こうした国際世論と国内世論を納得させるためには、日本が完全なる非武装国家となるという大転換を打ち出さなければならなかった。
 ちなみに、マッカーサーは、昭和天皇の退位を強硬に禁じた。GHQは、一九四六年の明治節(一一月三日)を新憲法の公布の日とし、また、四八年の一二月二三日、当時の皇太子(平成天皇)の誕生日にA級戦犯を処刑したが、この時ばかりは昭和天皇も「辞めたい」と側近にもらしたという(原武史『昭和天皇』岩波新書、二〇一五年)。天皇の上に「青い目の大君」といわれたマッカーサーが君臨していたのである。
 「天皇制の存続」は憲法九条による絶対的な平和主義を必要としたが、他方で、日米安保体制を、すなわち世界で最も強力かつ間断なく戦争を続けている軍隊が「平和国家」の領土に恒久的に駐留し続けることを必要とした。この矛盾に蓋をする役割を押し付けられたのが沖縄である。沖縄は、天皇が象徴する「日本国」や「日本国民の統合」から予め除外されていた。
 ところで、私も「八月革命」説に全く疑問をもたなかった一人であるが、日本国憲法の成り立ちと象徴天皇制について、もっと深い学習が必要だと痛感している。
【参考文献】 白井聡『国体論―菊と星条旗』(集英社新書)
 なお、本文二、三に引用した文献は、上記の孫引きです。  〔二〇一九・二・一四〕

 

本当に怖い原発の話  埼玉支部  大 久 保 賢 一

はじめに
 樋口英明元裁判官は、大飯原発訴訟で「多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題とを並べた議論の当否を判断すること自体、法的には許されない」などとして差止の判断をした人である。その樋口さんが、日本民主法律家協会の司法制度研究会で「大飯原発差止訴訟から考える司法の役割と裁判官の責任」と題する問題提起をしている(「法と民主主義」五三四号)。私は、この論考に接して、改めて原発は本当に怖いものなのだと確認した。
 樋口さんは、差止を認めるかどうかは、原発を危険と思うかどうかだという。樋口さんは「心底、危険で怖いと思う」、「ほかの裁判官がなぜ止めないのか、私にはほとんど理解できない」としている。
樋口さんが怖いと思う理由
 樋口さんは二つの危険性を指摘する。一つは、被害の大きさであり、もう一つは事故発生の確率である。
 福島原発事故は、一〇万人を超える人々の生活を奪う被害を出しているけれど、場合によっては、三千万人を超え、東日本壊滅という事態を引き起こしたかもしれないという。そうならなかったのは、四号機の使用済み核燃料を冷却する水があったこと、二号機で圧力破壊が起きなかったことなどの僥倖があったからだという。当時、四号機からの放射能漏れによって半径二五〇キロ圏内が避難区域になる可能性や、二号機の圧力破壊による東日本壊滅が想定されていたことなども紹介されている。
 そして、樋口さんは、被害の大きさと発生確率はおおむね反比例するといわれるが、原発には通用しないという。地震の際に、原発は止める、冷やす、閉じ込めるという三原則で安全性を確保している。そのためには極めて高い耐震性が要求される。その耐震性を決定するのが基準地震動(単位はガル)である。日本での最大の地震動は四〇二二ガルであり、ハウスメーカーはこれに耐えうるように住宅を建設しているという。日本が地震国(世界で起きる地震の一割以上が日本)であるから当然の対処方法であろう。ところが大飯原発は稼働中の現在も八五六ガル仕様だというのである。しかも住宅メーカーの耐震ガル数は実験を重ねているけれど、原発はそれをしていないというのである。こういう状況は、事故発生確率を高めることになるであろう。こうして、原発事故は、被害も甚大、発生確率も高いことになるというのである。
 なぜそのようなことになっているかというと、電力会社は地震の強さの上限が分かるそうなのだ。それが強振動予測といわれるもので、それに基づいて原発の基準地震動が決められるのだという。地震予知に成功していない地震学において、なぜ、強振動予測ができるのか、なぜそれを原発にだけストレートに結びつけるのかという疑問が提示されている。樋口さんは「なにゆえに一般建物には適用されない強振動予測を原発にだけ適用するのか」、「最低でも、一般建物並みの耐震設計を原発でもやってくれ」としている。私は、不覚にも、原発がその程度の耐震設計であることを理解していなかった。いくら何でも住宅の耐震設計より低レベルなどとは想定していなかったのである。樋口さんが「これらの事実を知れば知るほど怖くて、原発を止めるのに何の迷いもありませんでした」というのはそのとおりだと思う。
何故ほかの裁判官は差し止めを認めないのか
 そうすると、何で他の裁判官は差止を認めないのかという疑問が湧いてくる。樋口さんは「私にはほとんど理解できない」としつつ、次のような推測をしている。一つは伊方最高裁判決の魔法であり、もう一つは頑迷な先例主義だという。
 伊方最高裁判決の魔法とは、その判決が「高度の専門技術性を帯びる」と言っているので、裁判官も代理人もそうだと思ってしまうことをいう。その魔法にかかった裁判官は「自分には難しい。規制委員会の専門技術的問題だ。規制委員会の言うとおりでいいのではないか」と考えてしまうのだという。
 樋口さんは、地震の時に何が起きるかの判断に求められるのは専門技術的な知識よりもリアルな想像力だという。自動車工学を知らなくても交通事故の裁判ができるのと似ているというのである。「理性と良識があれば簡単に答えが出せる」というのが樋口さんの確信である。
 もう一つの頑迷な先例主義というのは、多くの裁判官が自分の頭で考える前に先例を調べることを意味している。その習癖は恐ろしいくらいだという。それが、樋口さんの判断方式は異端だとされる原因だともいう。樋口さんは、一番大事なことは放射性物質が拡散して、原告らの住居地に到来するかどうかだとしている。また、正当な手続きを踏んでいるかどうかではなく、規制基準が国民の安全を確保する内容となっているかどうかであるともいう。三・一一以後においても、規制基準とのつじつまが合っているかどうかに焦点を当てているのは、正統と異端を逆転するものだと批判している。そして、そのような判断様式は、原発の危険性に目を向けないことになるというのである。
 樋口さんは、伊方最高裁判決について「規制基準が真に国民の安全を確保する内容となっているかを裁判所が確認しなさい。それが確認できなければ住民が勝つのだ」としていると解釈している。せめて、三・一一以後はそう読み替えるべきだし、それが法律学の進歩だともいう。三・一一以前と以後とで、この国の原発を巡る状況は大きく変わったとする認識がそこにある。私は、その樋口さんの認識に共感を覚えている。
おわりに
 樋口さんは質問に答えていくつかの見解を述べている。①火山の大規模な活動など国民が怖がっていないのが「社会通念」だ。だから稼働を認めるなどという論法はけしからん。②憲法の理念は何か、裁判官の独立とは何か、国民主権とは、民主主義とは何かなどと、学生時代に習ったことにさかのぼって考えれば、自ずから正当な答えは出てくる。③福井地裁から名古屋家裁に転勤になったことは左遷という人もいるけれど、私はそうは思っていない。ただし、非常に巧妙な人事かもしれない。④私より能力も志も高い人が沢山辞めた。私はその人たちに恥ずかしくない仕事をと考えてきた。原発を差止めない判断などはできない。また、追加発言では、検事だった人が裁判長席に座っているような国民がびっくりすることは止めるべきだともしている。
 こういう裁判官がいたことはうれしいことだけれど、異端視されたり、巧妙な人事に晒されていることは「ヤッパリネ」というよりも、この国の行く末が心配になってしまう。原発も本当に怖いけれど、裁判所も怖くなってしまうからである。樋口さんは二〇一七年八月に定年を迎えたようであるが、まだまだ先は長い。私たちに多くの知恵と勇気を提供して欲しいと思う。(二〇一九年一月四日記)

 

そろそろ左派は、〈経済〉を語ろう  6 
 通貨発行益を使う  国債はインフレで踏み倒す  東京支部 伊 藤 嘉 章

一 はじめに
 杉島先生 私の応答(一六五二号と翌号)に対する論点整理(一六五七号)ありがとうございます。あらためて私なりの理屈で整理をしてみました。ご一読いただければと存じます。
二 不況の原因がデフレなのか→ここの議論は留保します
三 財政破綻のリスクはあるのか→ありません
 杉島先生のいう財政破綻の定義はよくわかりました。
 私は次のように考える学説に同意します。
 日銀が市中銀行からの一〇兆円の国債を購入した場合、日銀の貸借対照表の資産の部に「国債一〇兆円」と記帳し、負債の部に「市中銀行の当座預金債務一〇兆円」と記帳する。
 財務省が国債を発行し市中銀行が引受けたままであれば、財務省は利息の支払いを続けなければならないし、満期には額面金額を償還しなければならない。
 しかしながら、日銀が国債を市中銀行から購入すると、財務省の負担は激減するのです。
 すなわち、国債の発行者である財務省は、かつての債権者であった市中銀行宛ではなく、日銀に国債の利息を支払うことになります。日銀はこの利息から経費を控除した金員を財務省へ上納金として支払う。このようにして財務省から日銀に支払われた利息は、再び財務省に還流する。実質的には、利息はないのと同じになります。また、日銀が保有する国債が満期になれば、財務省は借換債を発行し、これを日銀が引受ける。民間人の取引でいえば、借用書の書替を永久に繰返すのと同じことです。このようにして、財務省にとって債務であった国債は、日銀の購入によって無いものと同じになります。
 日銀が国債を買取った結果発生した貸借対照表上の当座預金債務は、マネタリーベースと言われるものです。このマネタリーベースは、日銀が国債を買取るにあたって、無から有を作り出した通貨発行益なのです。市中銀行は、このマネタリーベースを使って、企業や個人に貸出しを実行することができるようになります。
四 インフレの原因は何か→供給力不足である
 しかし、日銀の無限大の国債の買取り、引受けはインフレをもたらす。そこで、インフレの原因を考えます。但し、貨幣の量が増えれば当然にインフレになるのではなく、需要に対して、供給力の不足がインフレの原因となっています。江戸時代や明治時代の銀本位制、金本位制の時代については、よくわかりません。そこで、金本位制から離脱したあとの日本のインフレの原因について検討してみたいと思います。
 まず、アジア太平洋戦争に負けた直後のインフレについて。「欲しがりません。勝つまでは」と我慢していた購買力が敗戦によって解放されたものの、空襲で工場が焼け、多くの兵士が外地から帰れず、生産力が枯渇していた。そこに復興金融公庫債の日銀引受けが行われたのである。インフレになるのは見やすい道理であった。
 この対処は、一九四九年ドッジラインによる金融引締めであった。但し、インフレは収まったが、ドッジ不況が生じた。一九五〇年の朝鮮戦争の勃発による朝鮮特需によって日本経済は息を吹き返したとされる。
 一九七三年第一次オイルショック後の狂乱物価といわれる事象が生じた。世界石油輸出機構の談合による原油の突然の四倍の値上げを起因とする諸物価の高騰は、金融引締めが時期を失したからといわれている。遅ればせながらの金融引締めにより鎮静化した。
 一九八五年のプラザ合意以後の急激な円高不況に対して、日銀は金融緩和を行った。余ったマネーは、土地と株に向かい、バブルをもたらした。しかし、一般の消費者物価は安定していた。小売や卸売の商品にはインフレは生じなかった。
 平成の鬼平と言われた三重野康総裁による公定歩合の急激な引き上げの他に、株の簿価分離の廃止、不動産融資の総量規制、国土法の適用などによってバブルははじけた。
 総括 マネーの過剰があれば、当然にインフレになるわけではない。インフレは終息させることができる。
五 高インフレは生じるか→妄想にすぎないのでは
 黒田総裁が、今後、記者会見で、「長い険しい道のりではあったが、ようやく二パーセントのインフレ目標を達成することができました。」と発表した次の日には、国債の民間からの投売りが始まるのでしょうか。金融引締めに入ったら、日銀は三〇〇兆円の保有国債をいちどに売却するのでしょうか。
 まずは、マネタリーベースが乱脈融資によって投機マネーに転嫁するまえに、国債発行によって国がマネタリベースを吸い上げ、これを教育、介護、子育て支援並びに国土強靭化の公共事業にばらまく。
 次に、過去の経済の例に学び、金融引締めをすべきときには、可及的速やかに行う。伝統的な金融引締め策として、まずは、国債の売りオペがある。そして、日銀の貸借対照表に影響しないように市中銀行の日銀における当座預金の付利利率を引上げる。当座預金の法定準備率を引上げる政策も復活する。過剰準備の当座預金を定期預金にするという案もあるようです。さらに、かつてのバブル末期にやったように銀行の貸出総額を、前年度と比べ一定の伸び率以内に限定する貸出の総量規制を行う。これは、換言すれば過剰準備の預金封鎖です。このようにして、マネタリーベースを日銀の中に閉じ込めて、マネーストックとして市中に出ないようにすれば、三八〇兆円の数十倍の貨幣の供給などおこりえないのです。潜在的インフレリスクの凍結です。
六 そろそろ左派は、〈経済〉を語ろう
(1)大胆な財政政策の実施
 金融緩和だけでなく、第二の矢である財政政策を大胆に実行し、また、生活保護費の削減、年金の減額、公務員給料の削減などといったデフレ推進策をやめる。アクセルとブレーキの同時操作をやめ、アクセル全開にする。
 財源は、国債の追加発行。国債は日銀が買ってしまえば、マネタリーベースという通貨に変じて債務でなくなってしまう。 
 無から有を生じるこの通貨発行権を利用しない手はないと思います。
(2)超過累進課税の強化による所得の再分配
 さらに、法人税、所得税を安倍内閣発足時の税率に戻す。使い道のないほど金をもっている大企業や富裕層から納税してもらうのだから困ることはないはずであります。
(3)インフレによる国債の踏み倒しも所得の再分配である
 そして、機関投資家、富裕層が保有する国債の返済方法のひとつとして、インフレによる貨幣価値の減価による踏み倒しも見込みます。
①一九六四年(第一回東京オリンピック)から二〇〇四年(小泉内閣)の四〇年間に貨幣価値は一〇分の一に減価した。
②一九七四年(第一次オイルショックの翌年)から二〇〇四年までの三〇年間で貨幣価値は三分の一に減価した。
 いずれの期間内でも、住宅ローン債務者は返済の負担が軽減するという債務者利得を享受したのであった。②のマイルドなインフレによって、借金のない庶民も、インフレとGDPの増大でふところが大きくなってきたのであった。
 また、インフレは、使い道のない金を蓄えている富裕層には金融資産の価値を減じる意味で税の役割を果たしているのです。円資産をもっている限り何人も脱税のしようのない公平な税として。また、税務当局は納税者の補足が必要ないのでコストのかからない税である。
 国債の発行によって、インフレが生じるのであれば、国債発行が低所得者層の経済的厚生のために行われていれば、インフレ税は所得の再分配に他ならない。
(4)高インフレは予防できる。
 二パーセントのインフレ目標を達成した暁には、黒田総裁には目標の達成を花道に総裁を引退していただき、インフレ率一パーセントを目途として金融政策を行ってきた前総裁白川方明氏に総裁に返り咲いていただき、二パーセントを少しでも越えたら引締めに徹するガチの引締めの金融政策をとってもらうことにしよう。
 あるいは、一九九九年二月から始まったゼロ金利政策を、景気が回復したとして、二〇〇〇年八月に解除した速水優元日銀総裁の再起用も考えてもよいのではないだろうか。
(5)独自の見解
 あるいは、異端であっても、やっぱりそろそろ左派は〈経済〉を語らなくてはならないと思います。

TOP