第1662号 / 3 / 11

カテゴリ:団通信

●ノーモア・ミナマタ訴訟における日本神経学会「回答書」について  齊 藤 園 生

●医療費救済制度を求める全国公害調停を申立  原  希 世 巳

●郵政20条裁判大阪高裁判決にみる差別意識  河 村  学

●沖縄県民投票の支援に行きました ~無関心と向き合う~(上)  山 崎 秀 俊

●自衛官募集問題に思う  渡 辺 和 恵

●法律家6団体院内集会 ~ 改憲を先取りする自衛隊のリアル~ の感想  岩 本 拓 也

●「もっとも国民ウケする9条改憲阻止の一致点」  久 保 木 太 一

●支離滅裂な護憲論その一
 立憲的改憲論は使えるか 上  安倍改憲への対案各種  伊 藤 嘉 章

●国際問題委員会での在留外国人の現状についての学習会  星 野 文 紀

 


ノーモア・ミナマタ訴訟における日本神経学会「回答書」について  東京支部 齊 藤 園 生

一 いまだ不明な水俣病の病像
 水俣病は、工場排水と一緒に垂れ流されたメチル水銀が食物連鎖を介して魚介類に蓄積され、この魚介類を経口摂取した人間に生じるメチル水銀中毒症と定義されている。しかし、発見当初から、国も企業も、その原因や被害をひたすら覆い隠し、被害をできるだけ小さく矮小化しようとし、必要な調査も研究も怠ってきた。そのため、公式発見から六〇年以上を経過した現在でも、いったいどのような症状があれば水俣病といいうるのか、曝露から発症までの時間的経過はどうなのか、発症後の症状はどのような経過をたどるのか、等々、水俣病の病像をめぐっては、いまだに訴訟で、被告国及び企業と原告との間では激しい論争が続いている。
二 環境省から日本神経学会への「意見照会」
 国側で水俣病を所管するのは環境省の特殊疾病対策室である。特殊疾病対策室は二〇一八年五月七日、日本神経学会に対し、「メチル水銀中毒症にかかる神経学的所見に関する意見照会」なる文書をだした。内容は、水俣病のような神経疾患は神経内科医による診察が必要ではないか、メチル水銀中毒症では症状の変動がみられることがあり得るのか、曝露後長期間経過してからの発症はあり得るのか、等いずれも裁判上の争点についての照会である。しかも各論点ごとに「当室としては・・・と考えていますが、貴学会はどのようにお考えでしょうか」と国側主張がしっかり紹介され、その見解の正当性を問うている。もっと言えば国側主張にお墨付きをつけてほしい、という文書に読める。
 これに対し、五月一〇日日本神経学会はいずれの論点についても、国側主張を支持する意見をまとめ回答している。そしてこの回答書が、昨年、熊本水俣病互助会訴訟の福岡高裁に、今年一月ノーモア・ミナマタ東京訴訟でも、国側の証拠として提出されたのである。
三 学会はいつから国を忖度するようになったのか
 回答書はわずか四頁程度の簡単な回答書ではあるが、環境省からの意見照会からわずか三日後に回答されている。裁判所での激しい論争点について、学会がわずか三日で意見をまとめて回答したとは到底考えられない。
 既に平成二九年から学会内にワーキンググループができて検討を始め、平成三〇年四月の理事会で承認をされたという。つまり、意見照会の前に環境省から打診があったのである。しかも、このワーキンググループの存在も、承認をしたという理事会の内容も、一般の学会員には知らされていない。日本神経学会は、日本医師会のもとにある学会であり、学会員には長年献身的に診察・検診をしてくれた多くの神経内科医もいる。彼らはワーキンググループの存在も、理事会の議論も全く知らされていない。実際に患者を診てきた医師の意見も聞かず、学会内でオープンな議論もせずに、学会名で回答をしてしまっている。その手続き的不透明さは、驚くばかりである。
 更に問題なのは、本回答書が全国の水俣病訴訟で、国側証拠として裁判所に提出されることを、学会が十分認識していたことである。そもそも裁判でも争われている争点について、学会としての統一見解をまとめるなどと言うことが可能なのか、という疑問がある。長い水俣病裁判のなかで、水俣病の病像を巡る論争を学会が知らないはずはない。国側主張にお墨付きを与えるような見解をだせば、裁判に利用される事は十分認識できたはずであり、「関知しない」等という言い訳が通じるはずはない。
 いつから学会は国に「忖度」するようになったのか、神経学会は学会としての良心もなげ打ってしまったのかと思う。
四 神経学会と環境省に抗議する
 日本神経学会、環境省にたいしては弁護団も被害者団体も怒り心頭である。
 ノーモア・ミナマタ被害者弁護団全国連絡会議は、平成三一年一月二八日、日本神経学会にたいし、公開質問状を提出した。神経学会は二月一二日に回答したが、その内容は裁判については関知しない、という無責任なものであったので、全国連として再度の質問状を提出した。
 また、不知火患者会はじめ被害者団体は連名で、環境省にも抗議と質問状を送りつけた。これに対して環境省は回答せず、という態度を示している。
 国が学会を利用し、自らの主張の正当性を示そうとした例は、本件の前にも薬害イレッサ訴訟での学会意見書などの例がある。国側のなりふり構わない訴訟手法を、裁判所でしっかり批判したい。そして、将来こんな訴訟手法を取ったことと、その手法に乗ってしまったことを、国も学会も「歴史の汚点であった」と言わしめたい。

 

医療費救済制度を求める全国公害調停を申立  東京支部 原  希  世  巳

一 二〇一九年二月一八日 公害調停申請
 全国公害患者の会連合会と公害患者は、この日公害等調整委員会に対して公害調停を申請した。申請人は東京、神奈川、千葉、埼玉、名古屋、大阪の患者、計九四名と全国患者会。まさしく全国の患者らと患者会が一丸となっての申請である。
 被申請人(相手方)は国(環境省)と自動車メーカー七社(トヨタ、日産、三菱、日野、いすゞ、UDトラックス、マツダ)。申請の趣旨は次の三点。
①被申請人国は公害患者の医療費救済制度を創設すること。
②被申請人メーカーらは救済制度につき相応の財源負担をすること。
③被申請人らは損害賠償金として一人一〇〇万円ずつを支払うこと。
 申請日当日は昼休みに環境省前で集会、そして午後二時からトヨタ前で集会を行い、環境省とトヨタにそれぞれ要請書を提出した。名古屋や大阪からも患者が集結し、特にトヨタ前にはウィークデイの昼間にもかかわらず多数の支援者が集まり三〇〇名規模で、久しぶりに気分も高揚する感動的な集会となった。
二 申請に至る経過
  東京患者会は全国患者会とともに、この数年来、国の医療費助成制度の創設を求めて、請願署名、国会要請などの運動に取り組んできた。そして全国患者会と弁護団は二〇一二年から環境省と「勉強会」と称する交渉を二〇回以上積み重ねてきた。
  環境省は救済制度創設に関わる話し合いや交渉は拒否はしないものの、「SORAプロジェクト(二〇一一年五月)でも因果関係は明確にならなかったから・・」「大気汚染は現在は改善されているから・・」などの主張を繰り返している。これらの環境省の言い分は論理的、実態的にも破綻していることは「勉強会」の議論の中でも明らかとなっており、結局のところ年間百億円と予測される財源の確保の見通しが立たないことが制度創設の最大の壁となっていることが明らかであった。
 この点私たちとしては、関係する地方自治体や関連業界(自動車、石油、運輸など)などの公害発生原因者が応分の財源負担をすることでこの壁を乗り越えることはできると考えている。毎年の公害総行動デーの交渉では、自工会も石油連盟も、救済制度の財源負担については「国から話があれば検討する」との回答を繰り返しており、また東京都は患者自己負担額の三分の一の助成は今後恒久的に行っていくことを患者に約束している。このような状況を踏まえて我々は「環境省が決断しさえすれば・・」と迫ってきたが、環境省は「制度創設する状況にはないのではないか」との対応を変えていない。
 このような状況を打開するためには、あらためて運動の原点というべき患者の目に見えるたたかいを全国的な規模で展開し、世論に訴え、環境省と関連業界の中核である自動車メーカーを包囲していく以外にはないことははっきりしていた。
 かつての東京大気裁判(一九九六年~二〇〇七年)では、被告メーカーらは控訴審裁判所からの和解勧告書で公害被害発生の「社会的責任」を指摘され、その勧告に従って東京都の救済制度財源負担・賠償金の支払いを認めて和解を成立させたのである。国の制度創設に当たっても少なくともその「社会的責任」を逃れるすべはないはずである。
  そこで昨年夏以降、この新たなたたかいの下支えとして環境省と自動車メーカーを相手に公害調停申請の手段が検討され、約半年間の集中的な討議とこれに並行した全国申請人団組織の運動を経て、申請に至ったのである。
三 今後のたたかいの焦点
 公害の分野でも訴訟をたたかいの中核に据えて被告を追い詰めていくこと、そして優れた判決をとることで勝利を目指すことが一般的なたたかいの形となっている。
 しかし言うまでもなく公害調停は「双方の互譲による合意に基づき紛争の解決」を目指す手続きである。訴訟よりも柔軟な手続きであり(訴訟では「制度創設」を求める請求などあり得ない)、期間的にも一~二年程度で決着を目指すシステムであることなどのメリットはあるが、訴訟のような解決のための強制力はない。
 私たちは公害調停の場で国とメーカーに制度創設の決断を迫って、しっかり追い詰めて行くことを目指すとともに、その決断をさせるためには運動の力、世論の力が不可欠であると考えている。たたかいの中核は世論を動かす患者の運動であり、公害調停はその運動のための重要な「下支え」と位置づけられるものである。
 そして解決のカギを握るのは自動車メーカーの中でもトヨタである。東京大気裁判の和解の局面でも、私たちはトヨタに決断を促すべく、東京本社前で大衆行動を積み重ね、最大一千人規模の集会を組んだ。最終盤ではトヨタの敷地内にテントを設営して泊まり込みを続けながら、連日患者と支援者が座り込んだ。こうしてトヨタに早期和解を決断させ、一気に和解成立に向けて状況が大きく進んでいった。
 今日、無公害車化、EV化を目指す世界の趨勢の中で、いまだに排ガス公害で苦しめられている患者の姿と、その責任をとろうとしないトヨタをはじめとする日本の自動車メーカーの姿を徹底的にアピールし、これを国際的にも拡散していくことで、まずはトヨタに決断を求めていくたたかいを広げていきたい。
 この申請日のトヨタ前行動を第一弾として、第二弾が四月二三日、第三弾が公害総行動デーの総括集会として六月六日に予定されている(いずれも昼一二時からトヨタ東京本社前)。今後少なくとも二ヶ月おきくらいのペースでトヨタ包囲の全国的な行動を計画していく予定である。一~二年の短期決戦、全力で取り組む決意である。

 

郵政二〇条裁判大阪高裁判決にみる差別意識  大阪支部 河 村   学

一 はじめに
 よく町で見かける郵便配達員。見かけにも、行う業務内容も、全く同じ配達員であるが、郵政の社内では、旧一般職(地域基幹職)社員と期間雇用社員に分けられる。また、二〇一四年四月からは、新一般職社員という中間的な無期雇用社員制度も導入され、大きくいって労働条件の異なる三種の労働者が同じ配達員として勤務している。
 郵政二〇条裁判は、全く同じ業務をフルタイムで行っているにもかかわらず、すべての賃金を比較すると正社員の三分の一しか受給できないという状況の中で、せめて手当くらい同じように支給すべきというささやかな請求である。
 この裁判は、大きく東日本と西日本に分けて東京と大阪で提訴され、それぞれ高裁判決まで出た(佐賀でも同種の裁判が起こされ、福岡高裁判決まで出ている)。
 本稿は、二〇一九年一月二四日に出された大阪高裁判決の特異性を指摘するとともに、同判決に底流する差別意識について考えるものである。
二 大阪高裁判決の特異性
 本判決の結論は、年末年始勤務手当(一二月二九日から一月三日の間に出勤した場合の特別手当)、祝日給(一月二日、三日に出勤した場合の特別手当)、夏期・冬期休暇、有給の病気休暇について(いずれも期間雇用社員には支給されていない)、契約通算期間が五年を超える期間雇用社員についてのみ相違は不合理とするものである。その他、住宅手当に関しては、新一般職との比較で五年の限定を付けることなく相違は不合理とし、扶養手当、夏期・年末手当(賞与)など他の手当についての相違は不合理でないとした。
 本判決の特異性は、格差が不合理か否かの判断につき、契約通算期間による限定を用いた点である。手当の趣旨や業務内容の相違等から割合的認定をする裁判例はあるが、期間で区切る例はない。
 この点の本判決の論理は、年末年始勤務手当を例にとれば、①最繁忙期に業務に従事しなければならないのは、正社員も期間雇用社員も同じである。②しかしながら、a期間雇用社員は原則として短期雇用を前提とし、柔軟な労働力の確保を目的とする雇用区分である(むしろ年末年始は就労することが前提とされている)。b契約期間は六ヶ月や一年であり、年末年始に向けて採用者数が増える。c五割が一年以内、七割が三年以内で退職する。d正社員の待遇を手厚くすることで有意な人材の長期的確保を図る必要があるという事情や、労働条件は労使協定で決定してきたという事情もある。だから相違が直ちに不合理とはいえない。③但し、契約を反復更新した期間雇用社員に対しては相違を設ける根拠が薄弱である。五年という期間は労契法一八条を参照する(無期転換権が認められるような期間雇用社員については相違は不合理)、というものである。
三 大阪高裁判決にみる差別意識
 本判決は、年末年始勤務手当について、「郵便事業の特殊性から、多くの労働者が休日として過ごしているはずの年末年始の時期に業務に従事しなければならない正社員の労苦に報いる趣旨で支給されるもの」としている。この手当の趣旨からは期間雇用社員を別異に解する理屈は出てこない。手当の趣旨が例えば勤続年数に応じて支給されるようなものとは異なるのである。
 にも関わらず、本判決が五年未満の期間雇用社員の相違を適法としたのは、期間雇用社員が短期契約の雇用調整要員であることによる。そして、これは有期労働者に対するあけすけな差別であり、労契法二〇条により排斥された考え方である。
 おそらく本判決の判断の底流には、年末年始にスポットで就労するような者に手当を出すのは行き過ぎであり、有期労働者に「労苦」があるとしても短期(または一回きり)だから労働条件は低くても構わないという感覚がある。
 しかし、①有期労働者も正社員と同様に、家族を持ち、休日を楽しみ、賃労働で生活する存在であり、その「労苦」に軽重はない。②有期労働者の生活事情はさまざまであるが、それは正社員も同じであり(正社員でも一年で辞める者もいる)、それらの事情を捨象して一律支給している以上、有期労働者のみ個別事情を考慮すべきでない。③本判決は、あけすけな差別をカモフラージュしようとして、「正社員の待遇を手厚くする」必要性があるとか、労使協定しているとかも理由に加えているが、前者はまさに差別意識の発露であり、後者も「合理的な労働条件の決定が行われ」にくい有期労働者には多くの場合差別のお墨付きにしかならない。
 この時期にこうした判断が出されるのはある意味驚きであるが、有期労働者の労働条件は多少低くてもよい、というのは世間に存する根強い感覚である。労働とは何か。賃金は何の対価なのか。使用従属性概念の中にさまざまなものを織り込んできた理論(賃金理論も含め)の見直しや、「家計補助的労働」「非正規労働」など実態に合わない呼称を用いないことも含め、ものの見方・捉え方の転換が必要となっている。

 

沖縄県民投票の支援に行きました ~ 無関心と向き合う ~(上)
                                                        北海道合同法律事務所  山 崎 秀 俊

 二月二四日の辺野古新基地建設による埋め立ての賛否を問う沖縄県民投票が行われ、投票率五二・四八%、「反対」は七一・七%の四三万四二七三票、辺野古に基地はいらないという明確な民意が示されました。この県民投票の支援のため、橋本祐樹団員と北海道・札幌から沖縄に行ってきました(二月一五日から一九日までの四泊五日)。
ハンドマイク街宣
 沖縄県知事選挙の支援に行ったときには、主に法定ビラの全戸配布に歩きまわりましたが、今回は、住宅街に入って「ハンドマイク街宣」をしました。四人一組で、マイクで宣伝する、のぼりを持つ、プラスターを持つ、チラシを配るなどの役割を交替で担いました。宣伝をしていると、「頑張って!」と声をかけてくださる方、車の中から手を振ってくれる方など、好意的な反応が多く、住宅街がほとんどですので通行人が多くはありませんが、チラシも八割方は受け取ってくれました。その実感どおり、一八日に発表された琉球新報・沖縄タイムス・共同通信による電話世論調査では「辺野古反対六七%」「結果尊重を八六%」「投票行く九四%」という結果が出ました。
県民投票音楽祭
 一七日の夜、県庁前を通りがかると県庁前の広場から軽快な音楽が聞こえてきました。どんなアーティストが来ているのかのぞきに行くと、県民投票条例の請願署名に取り組んだ元山仁士郎さんら若者が「県民投票音楽祭」を開催していたのです。軽快なラップにあわせて、県民投票への参加を呼び掛けていました。会場は一〇〇名くらいの若者でにぎわっていました。中には、私のような県外から来た若者風の中年も混ざっていたかもしれませんが、そのにぎわい、かっこよさに圧倒されました。北海道・札幌でもまねしたいと思いますが、どうやったらこんなかっこいいことができるのか、全く想像できません(橋本団員は、ラップの替え歌のイメージを膨らませつつあるようですが…)。
辺野古の海
 一八日は、辺野古の現場を見てきました。海上抗議船に乗せてもらい、辺野古崎に建設中の護岸(桟橋)を間近に見ることができました。三〇〇mの桟橋を建設予定のところ、既に一〇〇mまで伸びてきていました。
 埋め立て予定地をぐるーっと取り囲むように、オレンジ色のフェンス(直径七〇~八〇cmの円筒状)が海上に浮かべられて隙間なく設置されていますので、船では工事現場に近づけません。そこで、カヌーが活躍します。カヌーメンバーは、フェンスにカヌーを横付けして、一度フェンスによじ登り、フェンスの上にまたがって、カヌーをフェンスの内側に投げ込んでカヌーに飛び乗ります。そして、工事現場を目指すのですが、海上保安庁の頑丈なモーターボートが接近してきて、海保のダイバーが海に飛び込み、カヌーを押さえ付けたり、パドルを掴んでカヌーの行く手を阻みます。最終的には海保のボートに乗せられ、カヌーをけん引されて辺野古漁港付近で解放されます。解放されるとまたカヌーに乗ってアタックを繰り返すそうです。辺野古漁港と辺野古崎までは二Kmほどあり、現場にたどり着くだけでも相当な体力を要します。また、当初、海保のダイバーは、意図的にカヌーを転覆させたり、腕をひねり上げたり、連日、カヌーメンバーにけが人が出るほど乱暴なことをしていたそうですが、最近はけがをさせるようなことはないものの、正に命がけの抗議行動です。海上保安庁は、日本人ではなく米軍を守る存在になっています。カヌーメンバーには、一人だけ若い男性がいましたが、ほとんどは高齢の方で、女性も少なくありません。札幌を出発する前には「カヌーにも乗りたい」と申し出ていましたが、素人が協力できるものではありませんでした(次に備えて、ひそかにカヌー教室に通うべきかと思案しています…)。(続)

 

自衛官募集問題に思う  大阪支部 渡 辺 和 恵

 皆さんは、自分の子ども宛の「自衛官募集の文書」を受け取られたことがあるでしょうか。私は奈良市に居住していますが、今から二七年前当時高校三年生(一八才)だった長男のところに、「自衛隊父兄会」と名乗る団体から受け取りました。PKO法が一九九一年衆議院で強行採決された翌年の四月でした(その後同法は六月に成立しました)。
 どうして私の息子の住所と名前を知ったのだろうと気持ち悪く、その団体に電話を架けてみました。すると、そこは自衛官募集案内所でした。当時担当の自衛官は「生命の危険のない、経済的にはいい待遇ですよ」と就職先の好条件をアピールしていました。
 政府は名簿提供を自衛隊法九七条一項、自衛隊施行令一二〇条を根拠にしていますが、これは自治体にこの名簿の提供を義務づけてはいません。だのに実際には子どもたちの名簿を自衛隊に提供していました。その後新聞記者が二〇〇三年に明らかにしてくれました(新聞協会賞受賞)。公務員の守秘義務はどうなっているんだと驚きました。
 最近安倍首相は「六割もの自治体が名簿を提供していない」と発言しましたが、ウソです。防衛省によれば、全国の一七四二市町村・特別区のうち通常の閲覧に応じているところ五〇一自治体(二九%)、適齢者を抽出した上で閲覧させているところが六六五自治体(三八%)、抽出した上でそれを文書にして提供しているところが五六五自治体(三二%)あるといいます(二〇一五年一月二五日付平和新聞)。九九%応じているのです。又、例えば京都市は二〇〇八年から閲覧に応じ、今日宛名シールまで作って提供していることが報道されました。これには驚くばかりです。京都市の女性たちは「自衛隊に私の子どもの個人情報をわたさんといて!」と直ちに抗議行動を起こしました。さすが京都の女性たちです。
 自衛隊は常時定員数に実員数が達しません。例えば平成二八年三月までは定員二四万三一六七人ですが実員は二二万三六八九人です。高齢化も問題になっています。
 ところで、全て事は金・物・人で進みます。今、五年連続で過去最大となる五兆二五七四億円の防衛予算が衆議院で通過し、アメリカ防衛企業の言いなりに武器を爆買いし、あとは人だけです。
 第二次世界大戦で日本国は二五〇万人もの青年の命を奪いました。その事実の上に知恵を結集して誕生した憲法九条は武力で紛争を解決することを一切禁じました。安倍首相のいう「日本国憲法に自衛隊を明記する」ことは、災害救助をする自衛隊ではなく、実力装置としてますますその存在を明らかにしていく自衛隊を肯認することだと思います。
 皆さん、今こそ、「子ども(あるいは孫)の命を守るとは」を考えるべき時だとは思われませんか。

 

法律家六団体院内集会
~ 改憲を先取りする自衛隊のリアル ~ の感想  東京支部 岩 本 拓 也

 二〇一九年二月一八日に「改憲を先取りする自衛隊のリアル」に参加をしました。私は、司法修習生になるまでは、ごく普通のサラリーマン生活を送っていたこともあり、今までの人生の中で自衛隊について深く考えるということをしたことはありませんでした。
 そんな私が、シンポジウムに参加して驚いたことは、日本の防衛戦略が対米一体化により、アメリカの意向によって動いており、防衛費が年々増大していることでした。
 柳沢協二氏のご講演では、一八大綱の認識として、「米中対立顕在化、米国はインド太平洋で戦略的戦争」「競争関係ゆえにグレーゾーン事態が長期化・衝突リスク」「宇宙・サイバーで優位を獲得、日米の海洋プレゼンス」による直面したことのない変化という危機感という認識を持っているとのことでした。このような認識の中でアメリカに依存し軍事費が際限なく増えること、アメリカとの一体化が抑止力となるかということに少なくとも疑問を持たなければならないとのお話がありました。私は、アメリカに見捨てられないために際限なく同調し、軍事費の増大に歯止めがかからなくなっていることに驚くとともに、今後も同様の傾向が続くことは、更なる依存を強めることを意味することから、危機感を持ちました。
 半田滋氏のご講演では、相模総合補給廠における玉突き移転により、実働部隊である第三八防空砲兵旅団司令部が配備されたというお話がありました。この配備により、本来はキャンプ座間に入った方が任務遂行上、合理的であるのに、毎日、バスで全員をキャンプから送迎しており、不便な勤務となっているのとのことでした。そして、新設の狙いは相模総合補給廠の返還阻止にあると推測されるとのことでした。本来、日米地位協定に基づき、返還されるべき基地がこのような編制により、返還されないことに疑問を感じました。必要のなくなった基地は合意に基づき、直ちに返還がされるべきであると感じました。
 杉谷剛氏のご講演では、兵器ローン残高が五兆円あること、兵器予算を補正で穴埋めしていること、車の関税を掛けられないために兵器を買っていること、兵器の価格はアメリカのいいなりであること、防衛省が防衛メーカーへ支払い延期要請しているとのお話がありました。これらを聞いて、日本がアメリカのいいなりとなって、軍事費を膨張させるにとどまらず、当初の支払期限が守られていないことを聞いて、政府が防衛予算のコントロールを出来てないことに驚きました。
 シンポジウムを通じて、暮らしに直結する社会問題が多くある中で、防衛費が増大していくことに疑問を感じました。今後はしっかりと我が国の防衛の情勢を注視していかなければならないと強く感じました。

 

「もっとも国民ウケする九条改憲阻止の一致点」  東京支部 久   保  木  太  一

一 「時代に合わなくなった」から憲法改正をするのはナンセンス?
 「日本国憲法施行から七〇年以上が経過した。日本国憲法は古くなり、時代に合わなくなった。なので、憲法を新しく変える必要がある」
 団員の皆様は、上記言説を一笑に付すのではないか。あまりにも短絡的で、あまりにも日本国憲法についての理解が足りていない、と。
 そして、団員の皆様は、安倍改憲の争点は、上記言説のような漠然とした抽象論にはなく、現状の自衛隊はどのようなものであるか、日本の安全保障はどのように図られるべきかということにあると考え、日々研鑽を積んでいるのではないか。
 しかし、残念ながら、多くの国民が、団員の皆様の期待を裏切り、上記言説を盲信している。
二 世論調査分析から見えてくること
(1) 世論調査分析の目的・対象
 私は、改憲問題対策法律家六団体連絡会事務局として、国会閉会中の暇(?)な期間を使って、最近の憲法改正に関する世論調査の分析作業を行った。目的は、国民からもっとも支持を集める九条改憲阻止の一致点は何か、ということを明らかにすることである。
 分析の対象としたのは、NHK「世論調査 憲法に関する意識調査二〇一八」(二〇一八年四月実施。以下、「NHK世論調査」という。)、共同通信「憲法に関する世論調査結果」(二〇一八年四月実施。以下、「共同通信世論調査」という。)、内閣府「自衛隊・防衛問題に関する世論調査」(二〇一八年三月実施。以下、「内閣府自衛隊世論調査」という。)である。
 なお、問題提起を目的とした本稿では、厳密さよりも簡明さを優先し、質問の仕方やサンプルをどのようにとるかによって結果が左右されるという世論調査の限界については、一旦度外視する。
(2) 国民は今の時代に合わなくなった憲法を変えたい
 NHK世論調査では、「今の憲法を改正する必要があるか?」という質問に対し、「必要」が二九%、「不必要」が二七%となっており、ともに三割以下であるが、「必要」と回答した人に対して、「必要」の理由を尋ねたところ、回答の比率は以下のとおりとなっている。
・憲法が今の時代にあわなくなってきているから…五四%
・国の自衛権や自衛隊の存在を明確にすべきだから…三二%
・アメリカに押し付けられた憲法だから…五%
 また、共同通信世論調査においても、(憲法を改正すべき派に対し、)「そう思う最も大きな理由は?」という問いに対し、以下のとおり、同じような回答傾向が見られる。
・憲法の条文や内容が時代に合わなくなっているから…六四%
・新たな権利や義務、規定を盛り込む必要があるから…二六%
・米国に押し付けられた憲法だから…四%
 つまり、「憲法が今の時代にあわなくなってきているから」というぼんやりとした理由が過半数を超えている。
 他方、「アメリカから押し付けられた憲法だから」という「ネトウヨ的理由」は、五%とほとんど支持を集めていない。学習会でこの「押し付け改憲論」を批判の対象としてよく扱っている私は、誤った仮想敵と戦闘を繰り広げていることが分かる。
(3) 憲法九条は国民から評価されている
 憲法九条を愛している我々こそ、実は憲法九条を過小評価し、自虐的になり過ぎているのかもしれない。
 NHKの世論調査によれば、憲法(そのもの)の改正が「不必要」と考える理由は以下のとおりとなっている。
・戦争の放棄を定めた憲法九条を守りたいから…六四%
・憲法改正より優先して取り組むべき課題があるから…一七%
 さらに、「憲法九条をどう評価するか?」という質問に対しては、
・非常に評価する…二八%
・ある程度評価する…四二%
となっており、七〇%もが憲法九条を評価している。
 また、共同通信世論調査によれば、「武力行使をしなかったのは九条の存在があったからこそだと思いますか?」という質問に対する回答は以下のとおりである。
・武力行使しなかったのは、九条があったこそだ…六九%
・武力行使をしなかったのは、他の要因もあったからだ…二九%
 憲法九条は国民に評価されており、国民の中では憲法九条はまだ死んでいない。改憲勢力はその点を意識して、現行憲法九条に触れない(ように見える)改憲案を提示しているのかもしれない。
(4) 国民は自衛隊の「現状維持」を求めている
 内閣府世論調査では、「全般的に見てあなたは自衛隊に対して良い印象を持っていますか?」という質問に対して、「良い印象を持っている」と回答したのが八九・八%を超える。
 そして、「全般的に見て日本の自衛隊は増強した方がよいと思うか?」という質問に対しては、「今の程度でよい」が六〇・一%となっており、「国際平和協力活動について今後どのように取り組んでいくべきだと思いますか?」という質問に対しては、「現状の取り組みを維持すべきである」が六六・八%となっている。
 つまり、世論は、自衛隊の現状維持を求めているのである。国民が現状の自衛隊の組織・活動を正しく認識しているのかどうかは分からない。おそらく国民の多くは正しく認識していないであろう。
 しかし、そこは問題ではない。一番世論の支持を集める政策が、自衛隊の現状維持である、ということが肝心なのである。このことを正しく認識すれば、なぜ安倍首相が自己矛盾に陥りながらも「何も変わらない」と連呼するのかが理解できる。
三 私見(?)
 以上の世論調査分析結果から、もっとも世論の支持を集める九条改憲阻止の一致点は、
★九条には指一本触れさせないこと
★自衛隊は現状維持
 だといえるのではないか
 つまり、自衛隊明記の安倍改憲が現状の自衛隊(九条)を変更する、ということが立証命題だ。この立証さえできれば絶対に勝てる。
 以上は私見ではあるが、世論調査に基づく私見なので、もしかしたら国民の総意なのかもしれない。

 

支離滅裂な護憲論その一
立憲的改憲論は使えるか 上 安倍改憲への対案各種  東京支部 伊 藤 嘉 章

一 はじめに 憲法学説の変化に驚愕
 司法試験の受験勉強から解放され、憲法の学習から遠ざかり、あれから四〇年、憲法学説の変化に驚愕しているところです。あの芦部先生がすでに亡くなっていたことも知りませんでした。当時、見えを張って芦部信喜教授の憲法三部作を購入したことをつい昨日のことのように思い出します。今日は、復刻版「憲法と議会制」が七〇〇〇円(税別)で書店においてあるのを見かけました。  
 そして、今では憲法が涙を流しているからと言って、立憲主義を守るためと称して九条全体を削除し(「リベ・リベ」第二弾 井上達夫著「憲法の涙」二〇一六年発行・四二頁)、さらに徴兵制まで認める(同著・五三頁)議論があるなんて。
二 「きみはサンダーバードを知っているか」
 私は、この本(コーディネーター水島朝穂・一九九二年・日本評論社)をアマゾンで一円で買って初めて読みました。PKOの問題点を指摘し、対案を提示した名著です。なお、この本は映画本コーナーあるいは鉄道本コーナーにあったという都市伝説があります。文法書「象は鼻が長い」(三上章・一九六九年・くろしお出版)が児童書コーナーにあったように。
 そして、桜美林大学加藤朗教授は、専守防衛に徹し、民間のPKO部隊として「憲法九条部隊」の創設を提唱しています(自衛隊を活かす会=編著「新・自衛隊論」(二〇一五年発行)所収の「二 対テロ戦争の位置と『憲法九条部隊』構想」・一六〇頁)。この「憲法九条部隊」もサンダーバードに乗って出動するのであろうか。
三 安倍改憲に対する様々な対案
 ところで、あくまでも非武装中立、今では非軍事中立というようですが、九条の文言に忠実に自衛隊、安保条約違憲を主張する伊藤真弁護士らの九条原理主義者に対し、自衛隊は戦力ではないというかねてからの政府解釈の他に、集団的自衛権を否定し、個別的自衛権を認める論者の間でも議論が分かれます。
 すなわち、「憲法九条が準則ではなく、原理を示しているにすぎないのであれば、自衛のための最低限の実力を保持するために、この条文を改正することが必要だとはいえないことになる。」という九条の法規範性を否定する修正主義者(長谷部恭男著「憲法と平和を問いなおす」二〇〇四年発行・一七三頁)や、「一般に武力行使は禁じられるのだけれども、憲法一三条を根拠として例外的に日本国内の安全を守るための武力行使は許容される」として、個別的自衛権を認める木村草太説(長谷部恭男編「検証・安保法案どこまでが憲法違反か」・二〇一五年発行所収・一三頁)もあり、さらに新九条論などもあって、百花繚乱の状況にあるようです。
四 改憲阻止のための大同団結
 しかし、安倍改憲阻止に使える理屈であれば、九条原理主義に限らず、修正主義であろうと、護憲的改憲論、立憲的改憲論、新九条論にかぎらず、過去の「憲法変遷論」であろうと、「自衛隊令外の官論」であろうと、何でもいいのではないかというのが筆者の立場なのです。ここで、うちわ喧嘩をしている場合ではないのです。
 改憲派は、団結しています。石破茂議員などは九条二項削除派ですが、安倍改憲論に賛同しているのです。
五「立憲的改憲 憲法をリベラルに考える七つの討論」(山尾本)
 山尾志桜里 筑摩新書一三四六 二〇一八年八月発行
 帯には、「権力をしばり、民族を守る。七人の論各と徹底討論!
今あるすべての憲法論を疑え!」とあります。
 反対だけの改憲案では闘えない。
六 まずは、集団的自衛権の拡張を許さない阪田案からいきます
 山尾「私たちは反対だけど、でもあなた(安倍総理)の立場で改憲案を出すならこれですよね。」(山尾本六四頁)と言って、現行安保法制下での集団的自衛権容認の立場から、二〇〇四年八月から二〇〇六年九月まで内閣法制局長官を務めた阪田雅裕氏の次の案を示す(山尾本五二頁)。
 第九条改正 阪田試案 
 日本国憲法第九条に 次の項を加える
 三項 前項の規定は、自衛のための必要最小限度の実力組織の保持を妨げるものではない。
 四項 前項の実力組織は、外国からの武力攻撃を受けたときにこれを排除するために必要な最小限度の実力を行使することを任務とする。
 五項 第三項の実力組織は、前項に規定する場合のほか、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命・自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に限り、その事態の速やかな終結を図るための必要最小限度の実力を行使することができる。
七 次に、集団的自衛権を認めない山尾試案(立憲的改憲論)
 個別的自衛権に徹する立場からは次のような改憲案となる。なお、護憲的改憲論ではなく、立憲的改憲論というのは、論者が立憲民主党の議員だからでしょうか。
 憲法第九条に次の「第九条の二」を加える(山尾本三七五頁)。
 一項 前条の規定は、我が国に対する急迫不正の侵害が発生し、これを排除するために他の適当な手段がない場合において、必要最小限度の範囲内で武力を行使することは妨げない。
 二項 前条第二項後段の規定にかかわらず、前項の武力行使として、その行使に必要な限度に制約された交戦権の一部にあたる措置をとることができる。
 三項 前条第二項前段の規定にかかわらず、第一項の武力行使のための必要最小限度の戦力を保持することができる。
 四項 内閣総理大臣は、内閣を代表して、前項の戦略を保持する組織を指揮監督する。
 五項 第一項の武力行使に当たっては、事前に、又はとくに緊急を要する場合には事後直ちに、国会の承認を受けなければならない。
 六項 我が国は、世界的な軍縮と核廃絶に向け、あらゆる努力を惜しまない。
八 そして アジア太平洋戦争の反省からする蛇足案があります
 個別的自衛権の立場で専守防衛に徹することを前提に、アジア太平洋戦争の歴史に学び、戦力保持組織という暴力装置から国民だけでなく、自衛隊員を守るために、山尾試案に以下のみっともない条項も蛇足として付加する。
 七項 我が国は、核兵器を保有しない。また、地雷、クラスター爆弾、毒ガス兵器、生物兵器等の非人道的な兵器を保有、使用しない。
 八項 我が国は、いかなる軍事兵器、装備も輸出しない。
 九項 戦力保持組織の隊員は、非戦闘員、捕虜を殺害、虐待してはならない。
 一〇項 戦力保持組織の隊員は、何人に対しても自死を命じ、又は慫慂してはならない。
 一一項 司令官は、戦力保持組織の隊員に特攻を命じ、又は特攻の志願を受入れてはならない。
 一二項 司令官は、戦力保持組織の隊員に玉砕を命じてはならない。
 一三項 司令官は、戦局が危殆に瀕し回復の見込みがない場合には降伏を実行しなければならない。
 一四項 戦力保持組織の隊員は、捕虜となることを恥辱に感じることなく他日を期するものとする。     
九 国はかならず下っぱを見殺しにする
 「いざとなったら国は兵を皆殺しにします」「えらい人にとってたいせつなのは自分のいのちだけですからね。自分以外のいのちは消耗品」(瀧本邦慶・聞き手下地毅「九六歳 元海軍兵の『遺言』」二〇一八年発行・一三五頁)。
一〇 わたしは国にだまされた 玉砕について
 「援軍もおらない。武器もない。弾薬もない。食料もない。こういう状態の中であいてとたたかって殺される。玉砕いうたら最後はあいてに殺されるんだけれど、実際は日本の本部から見すてられたときにもう殺されておるんです。日本の国にだまされて、日本の国に殺されとるんです。これが玉砕のほんとうのすがたなんです。」(前掲書一四一頁)。以上で 上 終わり

 

国際問題委員会での在留外国人の現状についての学習会  事務局次長 星 野 文 紀

第一 本多ミヨ子さんの学習会
 一月三〇日の国際問題委員会の場に首都圏移住労働者ユニオンの本多ミヨ子さんをお招きし、日本に滞在する外国人の現状と問題点を考える学習会を行いましたので、そのご報告を致します。
一 日本に暮らす外国人
 日本に暮らす外国人は二〇一七年末で二五六万人、その内五六%の人は永住者、定住者、日本人の配偶者等の身分・地位に基づく在留資格を持っています。
 かつて、最も多かった在留資格は特別永住者です。朝鮮半島・台湾から日本に来た、「かつて日本国籍を有していた外国人」に認められた資格で戦後すぐには六〇万人ほどいました。現在はその子孫で五世が中心になります。平成に入ってからどんどん減っており平成三年で六九万人(外国人全体の五七%)であったものが現在三三万人(外国人全体の一三%)にまで減っています。
 現在一番多いのは永住者(二九%)で、留学(一二・二%)、技能実習(一〇・七%)、技術・人文知識・国際業務(七・四%)、定住者(七・〇%)と続きます。
 永住者は二〇一七年末で七四万人おり、年五%程度の割合で増加しています。これは、様々な理由で、日本で働き暮らすうちに家族を形成したり、母国から呼び寄せたりして定住化し、一〇年で永住者となっている人が多いからと思われます。永住者の国籍は中国、ブラジル,フィリピン,韓国の順に多く、この上位四国で三分の二を占めます。
二 日本に来る動機
 日本に入国する動機としては、本多さんのお話では、働くために来ているものが最も多く、留学、技能実習技術、人文知識・国際業務、家族滞在、日本人の配偶者等の様々な在留資格をもって働いています。つまり、それぞれの在留資格の本来の目的に関わらず、働くことが大きな目的になっているようです。
 もちろん、留学生として勉強を主な目的に来ている人たちも多くいますが、それよりも日本語学校などで勉強するという名目で実際は働きに来ている外国人が多く、日本社会の方も留学生を労働力と見ているのが実情のようです。
 このように、日本には多くの外国人が既におり、その多くは働くことを目的としており、日本は既に移民社会であるといえます。
三 具体的問題
(1)入管法第二二条の四第一項
 在留資格に応じた活動を三ヶ月以上行っていない場合は在留資格が取り消されることがあるため、勤め先が倒産したり、勤め先から不当な扱いを受けて働けなくなったら、三ヶ月以内に就職しないと在留資格を失います。在留資格が無くなると、家族滞在者も含めて入国管理局に収容されることにもなります。在留資格が不安定なため、就労している外国人は非常に権利主張がしにくい立場に置かれています。
(2)子どもの教育
 日本に就労しに来ている外国人には家族も呼ぶ人も多く、家族には子どもも含まれます。そこで、日本での教育が必要になりますが、日本の国は、外国人の子どもがこのような形で入ってくることを想定しておらず予算が全然ないため、国としては正面から対応はしていません。現場の努力で、対応しているのが現状です。また、外国人の親の方も、そのうち帰るという不安定な立場のためかあまり熱心に学校に行かせません。
 結果、教育を受けない子ども達が多く生まれることになっています。
(3)社会保障の不公平
 外国人も給料をもらえば、税金や厚生年金を負担させられます。しかし、年金は加入期間の問題等で、貰えないことの方が多いのに、最高三年分の脱退一時金以外は返ってきません。生活保護は、定住の人以外は全く認められず、定住者も権利でなく恩恵だとされ審査請求もできません。社会保障の面でも外国人は不当に扱われています。
(4)難民問題
 日本は、難民をほとんど認めない国ですので、難民認定は非常に狭い門です。しかも、難民認定の審査期間は非常に長く、その間は働くことも出来ません(六ヶ月以上経てば働ける)ので、難民認定を希望する者は非常に厳しい立場に立たされます。難民認定がされるまでの間は、仮放免がないと入管施設に全員収容され、仮放免があっても二ヶ月に一回入管に出頭する必要があります。また、入管に出頭した際に仮放免が取り消されいきなり収容される可能性もあります。仮放免中は許可がないと自治体から出ることが出来ないため、受け入れてくれる高校をもとめて他の自治体にいくこともできません。これは子どもの進学の権利を侵害する結果になっています。
四 今後に向けて
 日本には、既に多くの人が働きに来ています。働いてお金を稼いだり、本国に送金するのは悪いことではないし、日本側も労働力として期待しています。
 それにも関わらず、実際に日本で暮らす外国人については人権面で様々な不当な扱いを受けています。外国人の権利を護る基本法を作り、他文化共生の社会を作ることが求められる。というのが本多さんのお話です。
第二 さいごに
 以上が、私の理解した範囲での本多ミヨ子さんのお話です。外国人の人権の分野に関して、団ではこれまで十分に活動してきたとは言えないと思います。国際問題委員会で、今現実に起きている外国人問題をどう捉えるのか、私たちになにが出来るのか検討を始めたところです。
 今度の五月集会で外国人の人権について分科会を持つ予定です。本多さんにも来てもらう予定ですので団員各位の参加を呼びかけます。また、団員のみなさまにも、外国人の人権についての活動報告、ご意見等を団通信や五月集会特別報告集に寄稿いただきたいと考えています。団での議論がさらに深まることを期待します。

TOP