第1663号 / 3 / 21

カテゴリ:団通信

●札幌市長選挙勝利に向けてご支援をお願いします  佐 藤 博 文

●埼玉県森林組合連合会解雇事件のご報告  大 住 広 太

●解雇事件で会社側証人への反対尋問が名誉毀損?不当判決に対する最高裁でのたたかい  吉 田 健 一

●刑事訴訟法改正草案を作ろう  今 村   核

●沖縄県民投票の支援に行きました ~ 無関心と向き合う~(下)  山 崎 秀 俊

●民放連に申し入れに行きました ~ 改憲手続法の有料意見広告の問題 ~  緒 方   蘭

●なぜ私は、共著「9条の挑戦~非軍事中立戦 略のリアリズム」(大月書店)を出版したか
~ 宮尾耕二先生への回答に代えて  神 原   元

●支離滅裂な護憲論その2 立憲的改憲論は使えるか 下 各対案の使いみち  伊 藤 嘉 章

●後藤さんの「護憲装置としての象徴天皇制―『国民主権』と『平和主義』―」を読む   小 林 保 夫

●守川幸男団員の意見に応えて  池 田 賢 太

 


札幌市長選挙勝利に向けてご支援をお願いします  北海道支部 佐 藤 博 文

一 渡辺達生弁護士が札幌市長選に立候補を決意!
 来る四月七日投票の札幌市長選挙(三月二四日告示)に、当事務所の渡辺達生団員(四六期)が立候補を表明しました。
二 札幌市長選挙の様相
 札幌市は、二〇〇三年より上田文雄弁護士(民主党、社民党推薦)が三期市長を務め、二〇一五年に現市長(当時の副市長)にバトンタッチしましたが、この四年間で政治姿勢が大きく変わり、前回は対抗馬を擁立した自民党・公明党も、今回は現市長を支持し、相乗りとなります。
 これに対して、市民団体と共産党、自由党、新社会党が「市民主権を実現する会」を立ち上げ、その要請を受けて共同候補となったのが渡辺団員です。一騎討ちの選挙となる見込みです。
三 札幌市政の転換を/いのち☆くらしが一番
 渡辺弁護士は、「いのち☆くらしが一番」をキャッチフレーズに、次の三つの重点政策を訴えて、市民主権の実現を目指します。
①総額一〇〇〇億円もかかる「高速道路と都心を結ぶ高規格道路」の建設をやめて、特養や保育所、奨学金、子どもの医療費助成など、福祉や教育にお金を回す。
②公契約条例の制定、地元企業の仕事を増やすことで、民間の給料が上がり、雇用が増え、消費が増え、地域経済が循環する仕組みをつくる。
③原発をやめ、自然再生エネルギーに転換し、安全安心の北海道ブランドを守る。
 現市長は、都心の再開発、大規模公共工事にばかり力を入れて、福祉・医療・教育・子育てについては国言いなりの冷たい政治姿勢が顕著になりました。上田前市長と違い、泊原発の再稼働反対も安倍政権による憲法九条改定反対も言いません。
 渡辺団員は、生活保護基準引き下げ訴訟の事務局長、公契約条例の制定を求める会の元事務局長、泊原発廃炉訴訟代理人、憲法応援団など、弁護士として多くの人権課題に取り組んできました。格差と貧困が深刻になる中で、市民の命と暮らしを守る札幌市に変えていこうと決意をしました。
 急な話であって、ご報告が遅れましたが、全国の団員の皆様に、心からご支援をお願いする次第です。

 

埼玉県森林組合連合会解雇事件のご報告  東京支部 大 住 広 太

 当事務所の長尾詩子団員、黒澤有紀子団員と共同で取り組んでいた森林組合連合会による職員解雇等事件について、本年二月二八日、東京高裁で、解雇無効を前提とし、解雇されていた期間の賞与支払いを命じる判決を得ることができました。
 森林組合連合会とは、森林組合法に基づき、当該地域の森林組合を会員として各都道府県に設置される団体で、都道府県の農林部等とも密接な関係にある公的性格を有する団体です。そのような森林組合連合会において、理事会で決定された方針に従い業務拡大に尽力してきた原告に対し、セクハラ・パワハラを行った上、杜撰な運営体制であること等の責任を全て原告に押し付け、解雇したのが本事件です。解雇に至る手続についても、調査委員会と銘打ちながら、被告側関係者を聴取したのみで、原告の言い分については何らの調査も行わない等、極めて杜撰なものでした。
 被告(森林組合連合会)が挙げた解雇理由は、業務部長である原告が、被告から外部業者への業務委託について恣意的に私的関係のある団体に仕事を回したとか、扶養手当を詐取した等、多岐にわたりますが、地裁段階でその多くは懲戒事由に該当しないと判断され、懲戒事由に該当するとされた事情についても、解雇が社会的に相当であるとはいえないとして、解雇無効の判断がなされていました。
 一審判決後、被告は解雇撤回を表明し、原告に職場復帰を命じましたが、ほとんど仕事を与えず、会話を常に録音したり、上司が欠席する場合には原告に休職命令を出すなどの不当な対応を続けており、一か月後には控訴審係属を理由に休職命令を発しました。
 控訴審判決は、地裁が懲戒事由に該当するとした事実四つのうち三つを懲戒事由に該当しないと判断しましたが、一つ(扶養手当について、扶養家族が変更したにもかかわらず申告をしなかったこと)が懲戒事由に該当するものの、解雇が無効であるとの判断は維持しました。
 さらに、賞与について、就業規則では、「毎年六月及び一二月にこれを支給する」、「額及び支給日は、理事会の同意を得て、会長がこれを決定する。」とされていましたが、原告が入手した理事会の音声や議事録で、ほとんど議論がなされないまま、六月に一・五カ月、一二月に二・五か月分の賞与を支給することを決定していたことが明らかになりました。裁判所は、これらの点を踏まえ、上記金額の賞与を支給する「扱いが長年の慣例のようになっていて、理事会で賞与が議題とされ会長がその金額を決定した形式にはなっていたものの、理事会に従前の扱いと同様にすることが議題として提案され、理事会においては当該期間の業績やそれぞれの従業員の評価が議論されることはなく、現行通りとすることを確認するだけ」であったとして、賞与の具体的権利性を認め、解雇後の賞与について支払い請求を認めました。
 他方で、パワハラについては、被告理事長が原告に対して男女の関係を迫りホテルに誘う等していたこと、被告の理事らが原告を疎ましく思っていたことや具体的発言を認定しながら、「極めて悪性の強いパワハラを行って本件解雇を決定したとまでは認められない」とした上で、未払い賞与の支払い義務が課されることも理由に入れ、不法行為に該当しないとして、損害賠償請求は棄却しました。
 本件では、原告の職場復帰への強い思いもあり、一審でも控訴審でも相当の期間をかけて和解協議が行われましたが、被告側の不誠実な態度から、和解はまとまりませんでした。上記賞与請求権を認めた控訴審の判断は、原告にとっては良いことですが、パワハラによる損害賠償請求を認めない理由の一つに挙げられているように、パワハラを認めないこととの「バランス」を図ったものであるようにも思われます。それでも、賞与の具体的権利性を認めた本判決には一定の意義があると考えますので、ご報告させていただきます。

 

解雇事件で会社側証人への反対尋問が名誉毀損?不当判決に対する最高裁でのたたかい
                                                          東京支部 吉 田 健 一

 不当解雇事件で解雇無効の判決、そして勝利解決と貴重な成果を勝ち取った小笠原忠彦団員(山梨県支部四〇期)が、今度は甲府地裁に損害賠償請求で提訴される。勝利した解雇事件の法廷で小笠原団員の行った反対尋問が名誉毀損にあたるとして、尋問を受けた使用者側証人が慰謝料の支払いを求めたのである。被告とさせられた小笠原団員は、本人訴訟でたたかい請求棄却の勝利判決を勝ち得たのであるが、これが昨年一〇月、東京高裁で逆転され、何と一〇〇万円の慰謝料の支払を命じられる。裁判長は、東京地裁労働部での経験もある中西茂裁判官である。
 同期や山梨県支部の団員を中心に弁護団が結成され、最高裁に向けてのたたかいが開始された。私も大学の後輩である小笠原団員のピンチを救おうと弁護団に参加させてもらうこととなった。
 問題の法廷では、使用者側証人が、解雇理由とされている労働者の横領の事実を証言した。ところが、この使用者側証人には、前職で自らが多額の横領事件を引き起こして退職を余儀なくされたのではないかとの疑いが寄せられていた。そこで、小笠原団員は反対尋問で、前職で「横領したということで、やめたんじゃないですか」と質問して、証人と証言の信用性を弾劾しようとした。これに対して、高裁判決は「弁護士がそのような質問をしたこと自体によって、控訴人の社会的評価を低下させるものといえる」と判断した。
 また、その法廷で裁判長から尋問の関連性を問われた小笠原団員は、関連性を明らかにしようと発言したが、高裁判決は、そのなかに「横領行為があって、首になって」との内容があったこと等をとらえて、これも名誉毀損とした。そのうえで、「質問の必要性があるか極めて疑問」とし、「質問の態様も不適切で、相当性を欠く」などとして「正当な訴訟活動として違法性が阻却されると認めることはできない」とし、慰謝料一〇〇万円の支払いを命じたのである。
 これに対し、弁護団は、判決の問題点を明らかにし最高裁でのたたかいを進めている。
 まず、このように反対尋問における質問そのもの、さらには裁判長とのやり取りをとらえ、広く名誉毀損等の不法行為を認めた高裁判決は、証言の信用性を争う手段を不当に制限し、当事者の裁判を受ける権利を侵害するのみならず、裁判における真実の解明という重要な役割を損ねるものである。
  とりわけ、労働者個人が解雇無効を争う訴訟においては、使用者側の主張立証を打ち破るために、少ない手がかりをたどり、様々な事実や疑問をぶつけるなどして、使用者側証人や証言の信用性を弾劾することが求められる。ここでの反対尋問権は、裁判を受ける権利を実現するためにきわめて重要である。これを不当に制限する高裁判決は何としても見直されなければらない。
 そもそも、当該法廷においては、裁判長から「あまり、関連性がないように、私は思うんで、次の質問に行ってください」との発言を受け、小笠原団員は、質問を変えているのであり、「名誉棄損の恐れがありますから、尋問を止めて下さい」等の訴訟指揮を受けているものではない。その場で発言を聞いている裁判長すら、名誉毀損のおそれがあるとの判断を示していないのである。それ以上に厳しく反対尋問権を制限しようとする高裁判決には、労働者側の訴訟活動に対する悪意すら感じられる。
 さらに、本件名誉毀損訴訟では、地裁から高裁判決に至るまで本人尋問を含めて、尋問手続きは全くされていない。高裁の審理も、第一回期日で弁論が終結され、小笠原団員から尋問の実現を求めて申し立てた弁論再開も退けられて、逆転敗訴判決となったのである。あまりにも杜撰な手続きであり、審理不尽といわざるを得ない。
 民事訴訟における訴訟活動が不法行為に当たるかどうかが争われた事案は存在するが、反対尋問について判断した最高裁判決は存在しない。その意味で、本件は反対尋問権の限界を画するリーディングケースであり、かつ裁判を受ける権利の保障に関する憲法解釈が問われる事案である。反対尋問権を不当に制限する高裁判決がまかり通るような事態となれば、法廷での訴訟活動はもとより、大衆的な裁判闘争にも重大な支障をきたすこととなる。
 最高裁でのたたかいに向けて積極的な提言を含め、ご支援をお願いする次第である。

 

刑事訴訟法改正草案を作ろう  東京支部 今 村   核

一 前回の刑事訴訟法改正に至った経緯と教訓
〔経緯〕
 検察不祥事(とくに村木事件における証拠改竄)をきっかけに「検察の在り方検討会議」が開かれ、提言を受けて、民主党政権末期に、江田五月法務大臣の決断により、村木厚子氏、周防正行氏など有識者委員を含む法制審議会特別部会が設けられた。しかしその人選は全体としてみると、法務省寄りであった。さらに審議において、例えば再審制度における証拠の全面開示など、刑事司法改革の積極意見が出ても、事務局がまとめる議題整理からは落とされるなどの方法により、法務省のペースで審議が進み、結局、刑事訴訟法改正案は総合してみれば、検察の「焼け太り」と評価されても仕方がないものが出来上がった。そして国会でも可決された。国会において、自由法曹団は、参考人を多数送り、各野党に対して同改正案に反対するようロビーを行うなどの活動を行った。しかし日弁連は、それとは別に、同改正案に賛成するようロビーを行っていた。
 また、法制審議会の過程において、周防、村木委員らに対する有識者委員らに対する「バックアップ会議」が行われていたが、これも日弁連主導で、自由法曹団員の有力な参加者もいたが、同会議は有識者委員には不評であった。法制審議会において弁護士委員も総じて発言が少なく、影響力を発揮したとは言い難い。この法制審議会の過程における自由法曹団員の関与はかなり限られていた。
 さらに遡り、自由法曹団は、江田五月法務大臣に対するロビー活動を行い、江田大臣は「わかりました!」とすでに決断していたのか、力強く返答してくださったのであるが、要請内容は、取調べ可視化を中心とするものにとどまっており、全体的な人質司法の改革などの視野、展望に欠けており、また、時期的には民主党政権末期と、遅きに失していた。
〔教訓〕
 折角の政権交代というチャンスを、刑事司法改革のために十分に活かせなかった。その理由として、法務・検察が必死に民主党政権の、いわば喉笛に噛みつこうとしていたことに対して民主党側が防御的な姿勢に立たされていたという状況もある。しかしこれに加えて、そもそもわれわれに、刑事司法改革のためにロビー活動をしようという積極的な視点が欠けており、また、改革の諸点についての全体的な視野が欠落していたように思うのである。
二 「絶望的状況」である刑事司法を改革するために
 今から刑事訴訟法改正草案を準備しよう。
 冤罪を生む構造をかかえた現行刑事訴訟法の解釈・運用状況が、もはや固まってしまい、立法によるしか解決する道はない状況に追い込まれている状況が長らく続いている。平野龍一の「絶望」論文からすでに三〇年以上が経過している。日本の刑事司法は、検察官が支配する「検察官司法」と呼ばれている。そればかりでない。日本の刑事立法も、じつのところ法務=検察が支配している。検察は、司法、立法と二権にわたる支配力を有しているのである。
 私たちは、日本の刑事司法、刑事立法に対してそのような認識を持ちながら、折角の政権交代のチャンスを十分に生かそうとしなかった。私はこれを後悔する。私は、数年前に白取祐司著「フランスの刑事司法」を読み、フランスの刑事訴訟が、フランス革命後、二〇〇年以上をかけて左右に揺れながら、しかしはっきりと人権の観点からの改正を積み重ねて来たことを知った。もちろん、日の目を見なかった草案が、改正の数以上に多くあったことを知った。
 これだけ問題点が指摘される日本の刑事司法において、しかも刑事訴訟法の解釈・運用が固まってしまったもとで、事態を打開するのは、個々の事件の無罪判決等だけではなく、根本的には立法的な解決が必要である。
 日弁連は、昨年一〇月、刑事司法改革のためのグランドデザインを出したが、未だ不十分のものである。私たちは、グランドデザインだけでなく、条文化まで提案し、それぞれに対応する立法事実を提供できるようにしたい。これは、自由法曹団だけで出来る作業ではなく、他の法律家団体、学者など、幅広い共同の作業となるであろう。例えば、取調べ受忍義務の否定、取調べへの弁護人の立会権を認めること、起訴前保釈制度など、起訴前の制度改革のどれ一つを取っても、重要な前進である。私は、司法問題委員会や治安警察委員会に限らず、全団により取り組むべき課題、さらに他の団体、個人と連携して進めるべき課題として、問題の提起を行う。

 

沖縄県民投票の支援に行きました ~ 無関心と向き合う~(下)
                          
北海道合同法律事務所  山 崎 秀 俊

座り込み
 この日、風が強くてカヌーアタックは午前中で終了したので、一一時過ぎにキャンプシュワブ入口前の座り込み現場を訪ねました。昨年、橋本団員が現地を訪ねた時は、座り込み(=ダンプによる土砂搬入)は朝九時頃一回だけでしたが、今は九時、一二時、一五時の一日三回になっていて、それだけ工事が急ピッチで進んでいることがわかります。ちょうど一二時の搬入に向けて座り込みをするところだったので、私たちも参加しました。この日は座り込み一六八八日目。土砂を積んだトラックは一回に約一〇〇台来ます。搬入して、土砂を降ろして基地を出ていくまで、二時間ほどかかります。座り込みをしても、もちろん、警察が来てあっけなく担ぎ出されましたが、その間も、リーダー的な方々はマイクで「違法工事はやめろ!」「生コン車は帰れ!」「辺野古の海にコンクリートはいらない」などなど二時間近く抗議の声を上げ続けています(中には、替え歌を歌いながら抗議をする方もいました 笑)。
 一二時の座り込みに続き、一五時の座り込みにも参加しました。二回目は、あまりの警察=国家権力の横暴に腹が立ってきて、(公務執行妨害とか言われないように細心の注意を払いつつ)腕を取られないように脇を締めて、足を踏ん張り必死の抵抗をしてみました。二人では足りないと思わせ三人がかりで対応させて、一〇秒くらいは時間をかけさせましたが、足を持ち上げられてしまうと、もうどうにもなりません。足を振り払いたい気持ちもありながら、公務執行妨害と言われるのが怖くてできませんでした。
座り込みに弁護士が参加すること
 私は万が一にも逮捕されることを恐れましたが、カヌーアタックメンバーの若い男性が、座り込みではなく「道路に寝込む」というかなり大胆な抗議行動していて、隊長的な存在の警察官が「道路交通法違反!○時○分!一回目の警告!」など訳のわからないことを言いだして威圧するので、すかさず橋本団員が駆け寄り、根拠法等を問いただす抗議に立ち上がりました。橋本団員の厳しい抗議とお説教に対して、強制排除できる法的根拠はないので、その警察官は「だってあいつが言うこと聞かないから・・・」という、ふざけた言い訳をしたそうです。そのコメントを録音・録画したかったのですが、私は既に強制排除されて五〇mくらい離れた歩道の檻の中に押し込められていました。なお、橋本団員の服装を見て、本当に弁護士なのか疑われていたことはさておいて、弁護士が現場で国家権力の横暴を許さない抗議の声を上げることはとても重要なことだと再認識しました。
もう一つの座り込み現場
 抗議船で辺野古崎を見る前に、大浦湾側の埋め立てポイントも見せてもらいました。そこには埋め立て用の土砂を載せた台船が来ていました。その台船が出港する場所は、辺野古の反対側、西海岸の名護市安和(あわ)です。そこには、琉球セメント株式会社の採石場と桟橋(港)があります。この桟橋の入口には、最近では、キャンプシュワブ入口よりも多くの方々が座り込みに集まっています。琉球セメントの港全体を高さ二mくらいの壁で囲み、中が見えないようにされています(市民の批判を恐れているのでしょう)。門という門にはキャンプシュワブ前で整列していたのと同じ警備会社の警備員が整列しており、また、一民間企業であるにもかかわらず敷地内にはパトカーが待機していました。帰札した翌日二〇日にも、「七〇代の女性が機動隊員に押されたとして、転倒。頭を打って救急搬送された。」との沖縄タイムス等の報道があった場所です。
 私も沖縄の基地問題に強い関心を寄せていながらも、安和の現状を十分に認識していなかったのが正直なところで、札幌に戻ってきてから話をしても、安和のことを知っている人は極少数でした。
無関心
 一六日の夕方に参加した県民投票連絡会那覇総支部・ラストスパート集会において、行動提起をした上原カイザ那覇市議は、「県民投票は選挙ではなく、相手はいません。今回は無関心に対して行動していく、答えを出していく」と言いました。これは県外の人々にも向けられた言葉ではないかと受け止めています。
 上述した抗議船には、沖縄タイムスと琉球新報の記者が一人ずつ、毎日乗船しているとのこと。各社の名護支社の記者だけではなく、本社の記者も含めて全記者でローテーションを組んで一人月一回くらいのペースで乗船することにしており、それを五年ほど続けているとのことです。これが沖縄と本土のマスコミの違いだと痛感しました。辺野古の現場で、命と人生をかけて抗議行動を続けている方々に接すると、那覇市議の「無関心に対して行動していく」という言葉がとても重く感じられます。一月二三日の北海道新聞の卓上四季(一面のコラム)に、銃剣とブルドーザーに非暴力で抵抗した「沖縄のガンジー」と呼ばれた阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さんのことが紹介されました。阿波根さんの遺影横には「平和の最大の敵」そして「戦争の最大の友」は「無関心である」と記されているそうです。北海道・札幌でも、沖縄の基地問題に関心を寄せてくれる人を増やしていきたいです。(終わり)

 

民放連に申し入れに行きました ~ 改憲手続法の有料意見広告の問題 ~
                               事務局次長  緒 方   蘭

一 訪問の趣旨、概要
 以前より、憲法改正の国民投票の有料意見広告の問題について、民放連が法的規制ないし自主規制をするかが注目されてきましたが、民放連は二〇一八年一二月二〇日に「憲法改正国民投票運動の放送対応に関する基本姿勢」(以下「基本姿勢」という。)を発表し、国民投票運動期間中のテレビ・ラジオのスポットCM(有料意見広告)について、「広告主の表現の機会を制約することとなる量の自主規制を行う理由は見いだせない」として、規制しない方針を明らかにしました。
 この方針を受け、改憲阻止対策本部は民放連に申し入れをすることとし、団執行部の方で事前にアポイントを取って二〇一九年三月一日(金)夕方に、民放連を訪問しました。訪問したのは、泉澤幹事長、森事務局長、緒方事務局次長です。民放連側は、番組・著作権制作部の部長、副部長が対応しました。民放連の方とお話できるのは貴重な機会ですので、民放連を批判し議論をするよりも、民放連の意見を聞くことを重視し、こちらの疑問を投げかける形で懇談を行いました。
二 懇談の内容
 民放連は、護憲・改憲の立場に与することなく、広告主(政党)の表現の自由を尊重しており、自主規制をするのは広告主側であるという考えに立っていることを繰り返し強調していました。もっとも、政党から来たCMを量、中身を規制せずにそのまま流すわけではなく、選挙CMと同様に、変える必要がある点があれば指摘し、変更を依頼することを予定しているとのことです。メディアの役割は有権者に選択肢をわかりやすく伝えることであり、最後に決めるのは有権者であるというお話もありました。
 民放連は前回の一六年参議院選挙で改憲派が衆参両院で三分の二以上の議席を占めたことをきっかけに、国民投票運動について検討するようになり、一八年秋以降に見解を発表してきたとのことでした。今後は、今年の参院選前までに国民投票運動のためのCMの基準を検討するそうです。
 民放連は、方法論として国民投票運動期間の最後の一四日間だけ規制すれば足りると考えており、その前提には、CMが扇情的になるのはやむを得ないが「視野狭窄になるような素材」が流れることはない、自民党の政党助成金は二〇〇億円台であるため広告の予算は多くないはずであるといった見通しがあるようです。また、国民投票に関するCMを流せば視聴率が下がる可能性があり、また、CМを切り離して単品で並べていかないとそれが放送局の意見だと思われたり、ほかのスポンサーに迷惑がかかったりすることもあるという話も出ました。
 懇談の最後に、団から民放連に基本姿勢の撤回を求める申入書を渡しました。
三 感想
 実際に、国民投票運動期間中にどのような内容・量のCMが放映されるかは想像できないため、いざという時に備えて制度設計を行う必要があると思います。
 また、民放連と団は国民投票運動を検討する際に前提としている事実が違うと感じました。私は広告主である政党に自主規制を期待するのは難しいと思います。また、自民党の政党助成金だけでなく、大企業や関連団体から多額の広告費が投じられる可能性もあります。
 今回、民放連の方々に丁寧に応対していただきました。今後、必要に応じてまた懇談の申し入れをさせていただこうと思いました。

 

なぜ私は、共著「九条の挑戦~非軍事中立戦略のリアリズム」(大月書店)を出版したか
~ 宮尾耕二先生への回答に代えて  神奈川支部 神 原   元

 「今や『護憲派』もその大半が『専守防衛』の範囲内なら自衛隊や日米安保を容認しているようで、かつて護憲派の少なからぬ部分が非武装中立論を唱えていた時代があったことすら忘れ去られようとしている。本書はそのような風潮に『待った』をかけ、一般に『現実的」だと思われている軍隊による自衛戦略の『非現実性』を突き、一般に「非現実的」だと思われている非軍事中立戦略の『現実性』を正面から主張した稀有な書物である。」(アマゾン・レビューより)
 宮尾先生と私とでは、見えている世界が違うのだろう。私の目には、右のレビューにもあるとおり、もう何年も前から護憲派の一致点は「専守防衛」であったと映る。二〇一五年安保法反対運動に参加した若者の対談を読んで衝撃を受けた。一人は九条改憲、一人は自衛隊合憲論。若い方々にとって、安保・自衛隊を廃棄するという選択肢は遡上にも上がっていないのだ。なるほど安保法反対運動の一致点は「専守防衛」であり、そこから運動に参加した若者は、安保・自衛隊を廃棄するという選択肢が、最初から視界に入っていないのだ。この流れからすれば、若手弁護士から「専守防衛が一致点であれば、それを憲法に書けばいいではないか」という声が出てくるのはごく自然である(「護憲的改憲論」等)。
 もはや時代に取り残された私は、永遠に口を閉ざす道もあった。しかし、九条改憲という戦後最大の危機に際し、「専守防衛」という、自己の信念に反する理念の下で闘うのは嫌だった。「お花畑」「利敵行為」と罵られても、最後まで信念に基づいて行動したかった。そこで、専守防衛批判・護憲的改憲論批判を自分のフェイスブックに投稿し、同じ文章を団通信一六二一号にも投稿したのである。
 世の中とは不思議なものだ。この投稿が私より九歳若い若手気鋭ジャーナリスト布施祐仁さんの目にとまった。偶々布施さんの友人が私の前著の編集者であった。布施さんと私、編集者とで居酒屋等で密談を重ね、「憲法の伝道師」伊藤真先生に声をおかけして企画したのが本書である。
 本書の企画を通して多くのことを教えられた。伊藤先生は「軍隊を持つのか持たないのか」とストレートに問いかけ、軍隊必要論を五つの視点で分析・論破する。布施祐仁さんは今すぐ自衛隊をなくすのは現実的でないとする一方で「軍備撤廃をあきらめるのには、まだ早過ぎます」とし「目の前の安全保障にリアルに向き合いながら、同時に、どうしたら日本と世界の軍備撤廃という目標に接近できるか、その道筋を考え、具体的に行動していくことです」とする。そして、まずはアメリカの「打撃力」に依存する国防から脱却して真の意味の「専守防衛」を目指し、中期的には北東アジアの多国間安全保障体制の構築を進め、最終的に自衛隊を領土警備隊や災害救助隊などに再編するべきだとするのである。私は、この若いジャーナリストの、理想とリアリズムの絶妙な統合に目を見開かせられた。
 出版記念会で、伊藤真先生は、これから教え子たちに平和の理念を教え、種を蒔こうと思っている旨を述べられた。私はこれに深く感動した。そうか。今すぐ多数派になれなくとも、若い世代にバトンを託す道がある。
 私は当初本書を「負け犬の遠吠え」のような気持ちで書き始めた。今は違う。今、私にとって本書は、若い方々に先人の知恵を伝え次世代にバトンを託す「希望の書」である。若い団員のみなさんにお読み頂き、忌憚のない意見を頂戴できれば幸いである。二〇一九年三月七日

 

支離滅裂な護憲論その二 
立憲的改憲論は使えるか 下 各対案の使いみち  東京支部 伊 藤 嘉 章

一 個別的自衛権に限定する山尾試案の使い道
 安倍総理は自己の改憲案を変えることはなく、また、山尾案が国会の多数派となって発議されるわけではないから、山尾案が立憲民主党の案になっても無意味だという議論もある。
しかし、二項削除の石破茂案が葬りさられ、安倍の案が発議されてしまった場合に山尾試案は改憲反対派の議論のネタに使えるのではないでしょうか。
二 中国や北朝鮮から攻められたらどうするのだ
 明治政府は一八九五年に無主地であった尖閣諸島を沖縄の一部にくみいれた(添谷芳秀著「安全保障を問いなおす」二〇一六年発行二二一頁)。この尖閣諸島を狙って中国がチョッカイを出してきている。
 櫻井よしこ氏は、「隣に日本の領土を奪い、アジア諸国の領土も海もわがものにしようという中国が存在する今日、軍事面での努力を強めることなしに、領土領海、国民の幸福を守り切れると考える方がおかしいのである」という(同人著「日本の敵」二〇一五年発行十一頁)。
三 現行法体系で対応できる
 尖閣諸島周辺でちょろちょろする中国の海上民兵を用いた作戦を許さないために何より必要なのは、まずは、放水能力強化を含めた海上保安庁や警察の対処能力の整備である。海上保安庁で対応できない場合は、「海上警備行動命令」(自衛隊法第八二条)が発令されて海上自衛隊が出ていきます。自衛隊は、現在、島嶼が占領された場合を想定して、島嶼奪還の計画を立案し、訓練をしているのです(「軍事研究」二〇一八年七月号『島嶼奪回―強襲上陸作戦という幻想』参照)。
 万が一の場合は、内閣総理大臣が防衛出動命令を出すことになっています(自衛隊法第七六条一項一号)。このように、今の憲法、自衛隊法等の法体系の中で対応できるのです。憲法を変える必要は何もありません。
四 立憲主義との乖離を埋めるのであれば、山尾試案です
 山尾試案では、個別自衛権の範囲で戦力保持組織の存在を認めています。
 ところが、すでに集団的自衛権が認められているのです。平成一五年法律七九号「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」において「存立危機事態」(同法第二条四号)という概念を発明し、自衛隊法第七六条一項二号に「我が国と密接な関係のある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」を規定し、防衛出動対象としてしまった。
 山尾試案は、このような限定付きの集団的自衛権も認めない憲法をめざすというものである。
 だから安倍改憲に反対なのだ。
五 安倍発言のうそ
 安倍総理は、「九条二項は残るのだから、何も変わらない。」という。
 しかし、何も変わらないのであれば、改憲は、不要であるはずだ。すでに限定つきながら集団的自衛権を認めているのである。そこに、安倍改憲案には「自衛の措置をとることを妨げず」と明記されている。安倍改憲が実現してしまえば、憲法解釈の変更と安保法制によってすでに認めた限定的集団的自衛権から、存立危機事態の要件を取り払い、フルスペックの集団的自衛権へと移行することに憲法上何の障害もなくなるのである。安倍改憲が実現してしまったら、これはポスト安倍の石破内閣の仕事となろう。
六 フルスペックの集団的自衛権とは何か
 二〇〇三年、アメリカは、先制的自衛権と称してイラク戦争を始めた。当時の小泉首相は日米同盟ゆえに支持すると宣揚した。しかし九条がストッパーとなって自衛隊は出動を免れた。
 さかのぼるが、二〇〇一年には、アメリカの貿易センタービルへのアルカイダ一味の突入の報復から、アルカイダをかくまっているとして、タリバンを攻撃すべく、アフガニスタンに、アメリカを含む複数の国の軍隊が集団的自衛権の名のもとに侵攻した。
 フルスペックの集団的自衛権が認められれば、自衛隊は、アフガニスタン侵攻にもイラク戦争にも、集団的自衛権の行使として、アメリカ軍の指揮下で戦争に出動することになる。
七 阪田試案の使い道
 集団的自衛権を容認するとしても、現行の安保法制にあわせて改憲するのであれば、存立危機事態を憲法に明記する阪田試案の規定によらなければならない。これしかないのだ。
だから安倍改憲には反対せざるをえないのであると。
八 蛇足案の使い道
 自衛隊は国民を守るための存在ではない。
 アジア太平洋戦争において、旧日本軍は、日本国民、日本の国土を守ることができなかった。しかも「虜囚の辱めを受けず」などという軍人勅諭ゆえに、他国民の捕虜を大量虐殺し、アッツ島では自国の兵士に玉砕を命じるという非人道的なことまで行った。また、志願という名のもとに特攻を命じるというおぞましい戦法までとった歴史がある。
 このようないまわしい歴史から学ぼうとする考え方を田母神俊雄元幕僚長などは、自虐史観とののしる。同人著「自衛隊の敵」(二〇一三年発行)では、「自虐史観が現在の我が国の政府の政策を雁字搦めにして、自分の国を自分で守る体制がつくれない。」という(六頁)。  
 また、戦争の悲惨な現実に目をつむり、大東亜戦争はアジア解放の戦いであったなどと戦争を美化する言説が増えているなかで、憲法九条二項を残しても、「自衛のため」として、憲法に自衛隊を書き込めば、いまわしい歴史が繰り返されるおそれがなしとしない。ちなみに自衛隊では、捕虜をジュネーブ第三条約に基づく待遇をするのではなく、「処理」すなわち、殺害を指示されるという(「自衛隊の存在をどう受け止めるか」元陸上自衛官末延隆成他編著・二〇一八年一一月発行・一八頁)。
 旧陸軍・海軍と同じく、自衛隊は国民を守るために存在しているわけではない。故栗栖弘臣元統幕議長はいう。「今でも自衛隊は国民の生命、財産を守るものだと誤解している人が多い。しかし、国民の生命、身体、財産を守るのは警察の使命(警察法)であって、武装集団たる自衛隊の任務ではない。自衛隊は『国の独立と平和を守る』(自衛隊法)のである。この場合の『国』とは、我が国の歴史、伝統に基づく固有の文化、長い年月の間に醸成された国柄、天皇制を中心とする一体感を享有する民族、家族意識である。」と(栗栖弘臣著「日本国防軍を創設せよ」二〇〇〇年発行・七八頁)。一九四五年夏、ポツダム宣言受諾に時間を要し、その間に広島、長崎の原爆投下、ソ連軍の満州侵攻をもたらしたのは、天皇制維持という国体に拘っていたからであった。
 そこで、条文をみると、警察法第二条一項では、警察の責務として「個人の生命、身体及び財産の保護に任じ」とある。しかし、自衛隊法第三条では、自衛隊の任務として「我が国の平和と独立を守り」とあるものの、国民の生命を守るとは書いていないのである。但し、集団的自衛権による自衛隊の出動を認める自衛隊法第七六条一項二号では、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」として、自衛隊法に初めて「国民の生命、自由及び幸福追求の権利」がうたわれるようになったのはどうしてでしょうか。
 また、自民党の参議院議員となった「ヒゲの隊長」は、イラクに派遣された部隊が危険となったので部下が撤退したいと打診しても聞く耳をもたなかった。「平成の牟田口」と呼ばれるようになったという(前掲「自衛隊の存在をどう受け止めるか」五四頁)。
 このような隊員がいた自衛隊、また旧軍隊の内務班と同じような苛めをしたものが幹部になっていく自衛隊(団通信一六六〇号参照)を憲法に書き込みながら自衛隊に統制を加える条項のない改憲案には賛成できないのである。
九 ここまでの総括と安倍改憲反対のメニューの多様性
 阪田試案のように限定的の集団的自衛権を認める改憲案も、山尾案のように個別的自衛権の立場での立憲的改憲案も、発議されることはない。国民投票は、安倍改憲案を含めた複数の選択肢から選ぶものではない。国民投票は、安倍改憲案にイエスかノーかの選択肢しかない。
 安倍改憲案が通れば、政府は「自衛のため」として、自衛隊をイラクの戦闘地域に、あるいは、シリア攻撃に派遣することになろう。自衛隊は、アメリカ軍と一体となって、事実上アメリカ軍の指揮下に入り、アメリカ軍の弾除けとして出動することになる。
 一ミリも憲法を改正してはいけない。安倍改憲に反対するメニューはいくつあってもいいのではないか。個別的自衛権だけを認める者には、山尾案、蛇足案を提示し、集団的自衛権を認める者には、阪田案が限度であるとして、議論の相手によって使い分けていくことはできないでしょうか。だから安倍改憲に反対なのだと。

 

後藤さんの「護憲装置としての象徴天皇制
―『国民主権』と『平和主義』―」を読む  大阪支部 小 林 保 夫

 率直に言うと、私は、後藤さんの論考に接し、直感的に、これは一種の天皇賛歌ではないかと少なからぬ衝撃を受けました。そのため、この拙文は、直接には後藤さんの論考に対する意見を述べたものです。
 しかし、私は、たまたま、天皇の代替わり、新元号の制定というこの時期に、このような意見をも契機として、これらの問題について私たちの理解を深めることに役立てばと考えて、稿をまとめてみることにしたものです。
 すでに、天皇制の問題については、何人もの論客が多様な意見を展開しておられるので、あえて私が、私の意見を公表するまでもないかとも思ったのですが、次第に残り少なくなった直接の戦争体験者としての意見にも意味があるかと考えて投稿することにしました。
一 後藤さんの論考には「昭和」、「平成」などの元号表示と西暦表示が混在しています。
 後藤さんが意図していないとしても、「象徴天皇制」、さらにはかつての君主制の一態様である天皇制の残滓に対する後藤さんの好意ないし郷愁を感じないわけに行きませんでした。
  元号は、中国などにおける君主制の時代に、君主が領土、人民を支配するだけでなく時間をも支配する権力者であることを示す意図で、みずからの治世を顕示するために採用されたといいます。そして現に元号制を採用している国は、日本くらいであるといいます(さしあたり、元号についての考証はウイキペディアに詳細です)。
  ちなみに、イギリスは、かつて名実ともに君主制国家として、世界に覇を唱えた国であり、現在もUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(日本語の略称「大英帝国」)を正式な国名としていますが、同国は元号制を採用していません。なお同国が「王」を置き、国民生活の隅々に階級的な残滓ないし名残を残しているとはいえ、今日国民主権と民主主義制度を採用していることには議論の余地がないでしょう。
 しかし、このイギリスを含めた諸外国から見ると、おそらく、日本は一種の君主制国家であり、元号を採用しているのはその証しであるとして、理解の難しい異様な国に映り、その結果わが国の国民主権や民主主義のありかたにもにわかには同意できない違和感を覚えさせることにつながっているのではないでしょうか。
 私たちが、わが国を国民主権と民主主義を国是とする国であり、同様の政治形態を採用する普通の国々の一つであると理解していることには、自己満足的な思考に陥っている恐れがあるのではないでしょうか。
 ちなみに、私は、国民主権と民主主義を擁護する立場から、元号は君主制の名残であり、元号を使用することはこの立場に反することになるという明確な理由で西暦を使用することにしており、ただ元号を使用するみなさん(裁判所を含む)の換算の労を省く便宜のために、元号表示を注釈的に表示することにしています。例えば、「二〇一九年(平成三一年)」というように表示するのです。
二 後藤さんの論考は、「平成天皇」の言動を賛美するものであり、さらに「昭和天皇」の「苦悩」にも一定の理解を示す後藤さんの心情を読み取るのに十分ですが、それは現行憲法を踏まえた憲法論とはいえないのではないでしょうか。
 後藤さんは、現行憲法上のいわゆる「象徴天皇制」が、現行憲法の国民主権や平和主義を護る点で「護憲装置」としての役割を担っているとするどのような憲法上の論拠が存在するというのでしょうか。
 私には、そのような論拠も保障も、憲法上どこにも見いだせません。
 後藤さんが挙げる論拠は、少なくとも頭書の論考上は、「平成天皇」の即位の際の「おことば」、米国訪問前の米側記者の質問に対する文書回答、憲法尊重擁護義務(憲法九九条)、天皇自身の戦争経験、サイパン等への戦没者慰霊の旅など「平成天皇」の言動です。
 これらは、好意的に見ても、後藤さんのいう「平成天皇」の「護憲姿勢」を示すものとは言えるかもしれませんが、そのいずれも憲法上の「護憲装置」としての制度的保障とはいえません。代替わりした新しい天皇が安倍首相のように靖国神社に参詣することが、日本国の平和に資すると強弁して、私たちから見れば反憲法的・好戦的姿勢を取ることを抑制するどのような制度的な保障もないのではないでしょうか。
 なお後藤さんは、憲法尊重擁護義務(憲法九九条)を挙げますが、安倍首相がまさに憲法尊重擁護義務を負う筆頭であるにもかかわらず、先頭に立って憲法改正の旗を振る昨今の様相を見れば、憲法九九条が「護憲装置」としての制度的保障の機能を果たしていないことは明らかではないでしょうか。
 また「平成天皇」の言動については、私も、あの戦争を体験し、「苦悩」した「昭和天皇」に身近に接してきた個人のありかたとしては好ましいものと考えますし、その心情に意図的な打算があるとは思いたくありませんが、これに対しても、天皇制の存続を願う意図・打算に出たものと批判する意見もありうるでしょう。
 さらに、「昭和天皇」の「苦悩」についていえば、その「苦悩」がどれだけ深いものであったとしても、わが国を含むアジア諸国に二五〇〇万人に近い死者を含む未曾有の甚大な犠牲を強いることとなったアジア太平洋戦争を「大東亜戦争」の名で推し進めた同天皇の戦争責任にかんがみれば、とうてい免罪することを許す余地はないでしょう。ヒットラーやムッソリーニは自殺やさらし者として断罪されたのです。
三 現行憲法上天皇は「国民統合の象徴」であると規定されていますが、そもそも「象徴」とは、きわめて抽象的で、その意味を具体的にとらえることは困難です。憲法学者の間においても「象徴」の意味については、多様であり定まるところを知りません。
  敗戦時、天皇制を存続させることとしたのは、当時の世界及び日本の諸勢力の妥協の産物であり、具体的には日本国の統治という見地から有益であるというアメリカ占領軍の政治的打算の結果であるという経緯は争いの余地のないものです。
  そして、天皇制の存続についての憲法上の位置づけにあたり、国民主権という現行憲法の基本的立場に抵触しない存在として「象徴」という形容をすることとされたものであることが知られています。
  所詮、天皇制を含む君主制は、歴史的所産であり、歴史の進歩の方向に照らせば、形骸化し、結局は廃止されざるを得ないことは必至です。
  私は、かの大戦に際して、「戦災孤児」になったかもしれないような多大の犠牲・被害を被った経験からも、「君が代」や「日の丸」は好まないし、それが「民が代」になることにも強く反対します。〔追記〕なお、私は、三月一日付の「自由法曹団通信」において、後藤さんの「天皇の『戦争責任』と日本国憲法」を拝見しましたが、そこでも以上の私の意見を変更する論拠を見いだすことは出来ませんでした。二〇一九年三月六日

 

守川幸男団員の意見に応えて  北海道支部 池 田 賢 太

一 はじめに
 団通信一六六一号において、守川幸男団員からご意見を頂戴したので、改めて私の意見を述べたいと思う。
 守川団員は、「池田団員の論稿は、(中略)今上天皇の発言の目的について論証の無い非難をしており」と述べ、「象徴天皇制を歴史の発展段階の中でどう位置付けるかが重要」であるという。
 基本的な考え方は、私も守川団員も大きく違わないのだろうと思う。しかし、決定的に違うのは「象徴天皇制は巨大な歴史の進歩と評価されるべき」という点にあるのだろう。私はそのようには全く評価できず、むしろ戦前を引きずる契機だと考えている。今上天皇の行為や言動を歴史の中に置いてみたとき、その行為や言動は実体として戦前と何ら変わることはない。それゆえ、正直なところ、守川団員の批判の趣旨が正確に理解できていないのが実情であり、私が天皇の意図をどのように理解したかを明らかにすることでその批判に応えたいと思う。
二 天皇の意図―二〇一六年八月八日の「おことば」から
 天皇の主観的意図なり目的は、その外形から判断していくほかない。そこで、退位についての「おきもち」を示した二〇一六年八月八日の「象徴としてのお努めについての天皇陛下のおことば」について検討したい。
 この「おことば」は、日本国憲法と皇室典範の規定からはなしえない生前退位を実現すべくなされたものであることは周知のことである。その「おことば」からは、今上天皇が志向する天皇像が明確に認識できるし、それに合致しなくなりつつある自分をそこから離脱させたい、有体にいえば晩節を汚したくないという思いが見て取れる。
 この「おことば」については、種々の論評がなされているが、私が最も適切と感じる論評は『憲法研究』(信山社、二〇一七)の創刊第一号に掲載された芹沢斉教授の論稿「象徴天皇制をめぐる課題」である。この中で、芹沢教授は、天皇が高齢ゆえに全身全霊で象徴としての務めを果たせなくなったことを退位の理由としたことについて、「この理由づけは、憲法の定める象徴天皇像に大きな変化を加えかねない」と指摘する。続けて、「憲法規範からは象徴天皇は動的にではなく、静的に捉えられるべきであるのに対し、平成天皇は、象徴としての務めを果たすことによって万全の象徴たりうることを示したからである。この論理によれば、万全の象徴であるためには象徴としての行為を積極的に幅広く行った方がよいということになりかねない。それは、憲法が厳しく制限しようと試みた事柄である」(五三頁)と厳しく批判する。
 この「おことば」は、テレビに国民に対して示された天皇の気持であり、それに理解を求めている。形式的には憲法違反とならないよう細心の注意を払ったものと言えようが、これが国政に与えた影響は大きく、天皇の意向に即した立法がなされており明確な憲法違反と評価されるべきである。しかし、その反面、国民は天皇の望み通りに理解を示し、天皇と憲法をめぐる大きな論争とはならなかった。
三 天皇の自己保身としての護憲的言動
 なぜ、この「おことば」は憲法議論を呼ばなかったのか。あるいは、天皇の動的な象徴としての行為はなにゆえ正当化されてきたのか。私は、天皇に対する国民的な感情以外に説明がつかないと理解する。公的行為説などが論じられているが、私は憲法上、それを正当化することはできないとの立場をとる。それにもかかわらずかかる行為が許容されているのは、国民がそこに問題を感じていないからだと考えている。私が先の拙稿で「今上天皇は、戦地巡礼や被災地への訪問を積極的に行ってきたが、それは慰霊と顕彰、士気高揚という戦前戦中の天皇が果たしてきた役割を、形を変えて継続してきただけではないだろうか」としたのは、戦前戦中に天皇が行ってきた動的な行為を、戦後はより柔らかな形で行うことで、憲法上の限界について国民に違和を感じさせず、かえって天皇や皇室に対する敬慕の情を起こさせることこそ、それらの行動の目的であろうと思うからだ。一六六一号で渡辺和恵団員が、京都府立大の小林啓吾教授の「天皇の発言は、天皇制(皇室)の維持を自己の任務としてのみ」という発言を紹介しておられるが、私もそのように感じる者の一人である。
 天皇にとって、現在の天皇としての地位が、日本国憲法に依存するものである以上、その基盤としての憲法を変更させられることはあってはならない。天皇や皇室が、日本国憲法を尊重している(ように見せかける)ことは、自らの基盤を安定させることに直結するからであり、利害関係が存在するからである。しかしその実態は、守川団員が問題視するとおり、天皇自ら象徴としての行為を設定し、憲法上の制限を無視して行動してきたのである。換言すれば、天皇は常に自らの政治性を意識し、それを利用して自らがやるべきと考えたことをやり続けてきた。その批判を避けるために憲法を用いていたというべきであろう。
四 歴史の発展段階から見れば、象徴天皇制は廃止されるべき
 また、守川団員は、冒頭述べたとおり、象徴天皇制は巨大な歴史の進歩と位置付けておられ、歴史の発展段階から見れば天皇制廃止は現在の課題ではないというが、その意図するところは必ずしも明らかではない。
 象徴天皇制の成立の経緯は、アメリカの対日占領政策を実現するために、天皇を無力化したうえでその権威を利用したものであることに鑑みれば、日本は徹底した民主化の機会を喪失させられたというべきであり、巨大な歴史の進歩とは評価し難いように思う。芹沢教授は先に挙げた論稿において、憲法制定当時のいわゆる国体論争で、国体不変論が「国民意識のレヴェルでの『天皇』間の普遍性・連続性を強調することにより、天皇主権から国民主権への転換を否定もしくは軽視させるイデオロギー機能を主眼とするものであったことは容易に推認できる」「憲法社会学の立場よりすれば、国民意識のレヴェルでの『国体』の連続性は、憲法規範から逸脱する社会慣行を容認する温床として機能するであろうことも疑いない」(四五頁)と指摘する。象徴天皇制が、日本に今日まで立憲主義的な考え方が根付かないことの遠因であるとすれば、歴史的進歩の中に位置づけることは困難と思う。
 日本国憲法の三大原理とそれに通底する個人主義・自由主義を貫徹するためには、また天皇に対する人権侵害と天皇自身によるものも含めて天皇の政治利用を阻止するためには、憲法改正によって天皇制を廃止するほかない。現在の憲法改正議論の中で行うべきではないとの意味において「現在の課題」ではないとしても、早期に行われなければならない課題である。この点に関して、団通信一六六〇号の伊藤嘉章団員の論稿の中に、日本国憲法は「不磨の大典」であるとの指摘があった。私は全くこれに賛同しない。また、関連して改憲阻止MLで大久保賢一団員と憲法改正の限界についてやり取りを交わしたので、それらについては機会を見て論じることとしたい。

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