第1670号 / 6 / 1

カテゴリ:団通信

●日本はなぜ原発を手放さないのか  佐 野 雅 則

●辺野古新基地建設会長声明と「政治問題」を理由とする反対にどう対応するか-予告した特別報告集の追補  守 川 幸 男

●「安全保障」で「平和」は創れない-「安倍9条改憲」の本質  後 藤 富 士 子

●「自由都市」の灯をかかげて半世紀 堺総合法律事務所の50周年記念誌  永 尾 廣 久

●富士山頂からスキー滑降(1)  中 野 直 樹

●全国各地で新憲法リーフの活用を呼びかけて下さい!  森  孝 博

 


日本はなぜ原発を手放さないのか  静岡県支部  佐 野 雅 則

1 挑戦的な問題提起をします
 団本部に原発問題委員会というセクションがあるのをご存知だろうか。福島原発事故後、私は本部事務局次長として二年間その担当をしました。退任後も軟禁されています。原発は今すぐなくせという方針で活動してきました。しかし、再稼働の動きは止まりません。これまではエネルギー問題であり経済問題だと考えていました。ならば、より効率的で経済的な代替手段が出てくれば、原発不要論に流れると思っていました。でも、再生可能エネルギーが台頭し、社会的認知度が上がっても、原発廃止には流れていかない。なぜか。
 私の結論は、団の「原発問題委員会」は「原子力問題委員会」とするのが本質的だということです。なんのことか。
 原発の問題は原子力の問題で、原子力の問題は核の問題です。核の問題は極めて政治的で軍事的な問題です。原発は核保有の担保という安全保障政策の問題だということです。これは、戦後、被爆国日本に対して米国が「平和利用」の美名のもとに「核ならし」をして日本国民を懐柔させてきた同盟戦略の歴史です。「改憲」問題もこの視点抜きには闘えないのではないでしょうか。
 これが現時点での私の結論です。
2 原発を手放さない理由
 日本に「原子の火」をもたらしたのは、一九五三年のアイゼンハワー大統領の「アトムズフォーピース」(平和のための原子力)です。しかし、一九五四年にビキニ事件が起きます。三度目の国民的被ばくに日本の反核感情が沸き立ちます。米国は、それが反米感情に転化して日本の西側陣営からの離脱を恐れます。そこで、「原子力の平和利用」の美名のもと、原子力の力で日本に軛をかけ同盟のタガが外れないようにしました。
 核の「軍と民」の表裏一体性は、米国が同盟管理を思い通りに進めていくにあたって極めて有効で使い勝手のいいツールでした。「原子力の平和利用」という核の肯定的側面を大衆にアピールすることで「核の傘」を裏打ちする米軍核搭載艦船という冷戦戦略に不可欠な軍事的装置を日本とその周辺に展開する環境醸成を容易にしました。そして、日本の歴代政権は原子力の軍事利用の一形態である「核の傘」の戦略的重要性を認識して、それを国防政策の観点から肯定的に受け入れていくという政策判断をしました(いわゆる「核密約」の問題です)。これを米国側から見れば、核密約は、原子力の軍事利用を被爆国日本に軟着陸させ、核のパワーに立脚した冷戦戦略を着実に遂行していくための同盟管理上の外的装置でした。
 「平和利用」と「軍事利用」の両にらみで構築された米国の原子力レジームにどっぷりと浸かってきた日本。そこで発生した巨大原発事故は、そんな「核の同盟」がもたらした一つの帰結なのでしょう。
 それでも日本が原発、特に「核燃料サイクル」を手放さない理由は、核の能力はあるがやらないだけ、つまり、非核政策をとりながら、核兵器に転用可能な技術を温存する「潜在的核保有国」を志向しているからです(技術抑止力論)。
 人類と核が果たして共存可能なのかどうか、根源的に問い直す内観の試練を突きつけられていると考えています。
3 一緒に研究しませんか
 以上は、原発を核の問題として論じる論客の考え方に賛成する私の考えです。今後、もっと議論を深めていきたいと思っています。
 そのための第一弾として、九月二〇日に太田昌克さんを招いての勉強会を「原発問題委員会」で企画しています。原発と原子力・核兵器の問題を知ってもらい、改憲問題とも密接に結びつく日米同盟・安全保障の問題や、沖縄と核の問題など、すべては「同根」だという認識を共有したいと思っています。

 

辺野古新基地建設会長声明と「政治問題」を理由とする反対にどう対応するか-予告した特別報告集の追補  千葉支部  守 川 幸 男

1 はじめに
 二〇一九年能登五月集会に「千葉県弁護士会での憲法問題の取り組みと課題」を投稿した。その中で「一 千葉県弁護士会での取り組みの経過」の(7)項で、沖縄県弁護士会の辺野古問題での民意尊重を求める総会決議を受けて、憲法問題特別委員会から前期執行部に、建設の停止・見直しを求める会長声明を提案したが、常議員会への上程すらできず、次年度(今年度)に持ち越された、と途中経過を報告した。
 その後新年度になって五月一五日の常議員会で、建設の停止・見直しから、政府に対し民意尊重と真摯な対応を求める、という内容に修正したうえでの会長声明が、一八対三で採択されたので報告する。
2 経過とその問題点
(1) 前年度の経過
 それ以前の一月段階で私は、沖縄関係の声明と言っても、辺野古新基地反対なのか、県民投票で五市が協力しないことを問題とするのか、行政不服審査法違反なのか、テーマをはっきりさせることと、日程的にもきついので、会内合意のもと圧倒的多数での可決の工夫を訴えた。
 ところが会長は、常議員会への頭出しとしての上程も、求意見としての提起も認めず、さらには沖縄と他の単位会のいくつかの声明の資料配付すら認めずに、結局二月の常議員会では、この問題は全く討議に付されなかった。危機感を強めた憲法委員会として、三月の常議員会の直前の役員会に委員長ほかが参加し、結局、憲法委員会が常議員会に求意見する、という手続き的にあり得ない妥協(なお、執行部からの「求意見」なら時々ある)が成立した。しかし、三月の常議員会では、事実上討議は行われたものの、結局見送りとなり、次期執行部の検討課題となった。その理由は、千葉では勉強会などしておらず会内合意がない、政治的だ、ということのようだが、他の委員会から出される声明案でもそのようなことはあり、すべての単位会が事前に勉強会などをやっているわけでもなく、県民投票というタイミングもあるから、正当な理由とはならないし、これは会内民主主義に反することであった。
 私は五月一七日の定期総会でこの問題について短く追及した。
(2) 今年度における採択
 沖縄の決議のあと、これを受けて一月には二四日に神奈川県弁護士会が、二五日に鳥取県弁護士会が、二月には二五日に京都弁護士会が、二六日に新潟県弁護士会が、そして三月に入って一三日に東京弁護士会が、それぞれ会長声明を出した。多くは土砂投入中止や抜本的見直しなどであったが、新潟県は政府に対し県民投票の尊重を、また東京は政府に対し民意尊重と真摯な対応を、それぞれ求めるものであった。
3 反対意見にどう対応するか
(1) 反対意見の紹介
 千葉では四月一〇日の常議員会では、賛成意見と別に、いくつかの修正意見や反対意見があった。すなわち、消極的意見がかなりあるから、出すなら東弁の声明あたりが限界であるとか、市民に向き合う弁護士会として特定の政治的な色づけした活動は控えるべきで、そのような活動は有志で行うべき、というものであった(後者の論者は、その後五月の常議員会での修正案には発言なく賛成してくれた)。
 反対意見の中に「基本的人権の擁護の観点から弁護士会が意見表明することはあり得るが、何が基本的人権の擁護にかなうのか、明らかではないのではないか。基地を撤去すべきなのか、基地をどこに置くのか、安全保障上の専門的知識が必要と考える。他国からの侵略を抑止して、国民の生命、身体といった人権を擁護するために、どの様な施策をとるべきなのか、弁護士会といった一つの専門家団体からは判断できない。そのような関係から、この内容での会長声明には反対する。」というものがあった。これが本稿での検討課題である。
 また、採択された五月一五日の常議員会の中では、普天間基地の撤去やそもそも基地問題をどうするのかを理由とする反対意見があった。
 私は、声明案が移転でなく「辺野古新基地建設」となっているのに、冒頭で「普天間飛行場の代替用地を米国軍に提供するため」と矛盾した書き方になっていたので、この点の修正が必要と発言して、結局「代替用地を」「提供するためとして」と正しく修正されたが、前記の二つの反対理由はおかしい。
(2) 反対意見の根本的弱点
 私はこれまで、政治問題であっても法律実務的に検討してそれが人権侵害やそのおそれがあるなら、弁護士会は弁護士法一条に基づいて見解を表明できるし、するべきである、と一貫して主張してきた。このことは正しいが、この二つの反対意見をよく分析してみると、今回、反対意見こそ政治的だということに気づいた。すなわち、第一に「政治問題」でも弁護士会で取り上げるのは前項の観点から正しいが、他方、声明案が「政治的」になってはいけない、ということであって、この二つを区別する必要がある。第二に反対意見こそ、論点をことさら政治的に取り上げる、ということである。声明には触れられてもいない会内で意見が対立する政治的見解を二つ並べて、だから「政治的で反対」と決めつけるのである。さらに、「一致点での見解だ、と言ってあいまいにしてごまかしている。どちらかはっきりさせるべきだ。」などと攻撃されることすらある。牽強付会であって、これは反対意見の根本的な弱点である。また、専門的だから弁護士としては判断できないかのような意見も時々あるが、弁護士法一条の使命を無視するものである。

 

「安全保障」で「平和」は創れない -「安倍九条改憲」の本質  東京支部  後 藤 富 士 子

 現在焦眉の急となっている「安倍九条改憲」案は、憲法九条一項二項には手を触れず、「九条の二」として次のような条文を加えるという。その一項は「前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置を執ることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。」とし、第二項は「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」である。すなわち、自衛隊は「自衛の措置をとるための実力組織」であって、九条二項が保持しないとしている「戦力」ではないから、「自衛隊を憲法に明記するだけで何も変わらない」と説明される。
 これに対して、九条、とくに二項の制約が自衛隊に及ばなくなり、九条二項が死文化する、という批判がされる。法律論としては、そのとおりであるが、もっと重大な問題がある。九条は、日本国憲法第二章「戦争の放棄」に定められているのに対し、「安倍九条改憲」案は、第二章のタイトルを「安全保障」と書き換える。「戦争の永久放棄」から「安全保障」へタイトルが変わることは、「何も変わらない」どころではなく、「重大な変質」を思わざるを得ない。
 ドイツの神学者であるディートリヒ・ボンヘッファー牧師は、一九三四年にデンマークのファーネで行った「教会と世界の諸民族」という講演の中で、「平和」と「安全」は違う、「安全」の道を通って「平和」に至る道は存在しない、と述べている。その一節を引用すると、
 「いかにして平和は成るのか。政治的な条約の体系によってか。いろいろな国に国際資本を投資することによってか。すなわち、大銀行や金の力によってか。あるいは、平和の保証という目的のために、各方面で平和的な再軍備をすることによってであるか。違う。これらすべてのことによっては平和は来ない。その理由の一つは、これらすべてを通して、平和と安全とが混同され、取り違えられているからだ。安全の道を通って〈平和〉に至る道は存在しない。なぜなら、平和は敢えてなされねばならないことであり、それは一つの偉大な冒険であるからだ。それは決して安全保障の道ではない。平和は安全保障の反対である。安全を求めるということは、〔相手に対する〕不信感を持っているということである。そしてこの不信感が、ふたたび戦争をひきおこすのである。安全を求めるということは、自分自身を守りたいということである。平和とは、全く神の戒めにすべてをゆだねて、安全を求めないということであり、自分を中心とした考え方によって諸民族の運命を左右しようとは思わないことである。武器をもってする戦いには、勝利はない。神と共なる戦いのみが、勝利を収める。それが十字架への道に導くところでもなお、勝利はそこにある。」
 ボンヘッファーは、いち早くナチ政権の悪魔性を見抜き、ユダヤ人迫害のもつ犯罪性を訴え、ナチに対する抵抗運動に加わった。ナチ政権発足直後の一九三三年四月に行った「ユダヤ人問題に対する教会」という講演では、国家に対して教会がとるべき態度についての三重の可能性を論じている。
 「第一に、国家に対して、その行動が合法的に国家にふさわしい性格を持っているかどうかという問い、すなわち国家にその国家としての責任を目ざめさせる問いを向ける。第二に、教会は、国家の行動の犠牲者への奉仕をなす。教会は、すべての共同体秩序の犠牲者に対して、たといその共同体がキリスト教会の言葉に耳を傾けないとしても、無制限の義務を負っている。」としたうえで、「第三の可能性」として「車の犠牲になった人々を介抱するだけでなく、その車そのものを阻止することにある。そのような行動は、直接的な教会の政治的行動であろうし、そのような行動は、教会が、法と秩序を建てる機能をもはや国家が果たしていないと見る時に、すなわち法と秩序の過小あるいは過剰の事態が出現していると見る時にのみできることであり、また求められることである。この両者の場合に教会は、国家の存在が、したがってまたその固有の実存が、おびやかされているのを見る。」という。
 この「第三の可能性」とは、車が暴走して路上の人をバタバタなぎ倒しながら走っているとした場合、その場に居合わせたキリスト者がすべきことは何かを突き詰めている。「暴走する車が来ますよ。危ないから、気をつけなさい」と警告することか。車にはねられて怪我をした人を介抱することか。確かにそれらは大事だけれども、本当にしなければならないのは、「その車そのものを阻止することにある」、つまり暴走している車の前に立ちはだかって車を止め、運転手をひきずりおろすことなのではないか。
 ボンヘッファーは、最終的にはヒトラーの暗殺計画に連なったということで逮捕され、終戦直前に絞首刑になった。「第三の可能性」を論じた講演当時、やがて自分がヒトラー暗殺計画に参加するようになるとは思っていなかっただろうと推測されているが、この「第三の可能性」は、究極の状況における倫理的な判断があることを示唆している。
 ナチ政権との闘いは、それこそ生きるか死ぬかのような熾烈で過酷なものであったが、「ドイツ告白教会闘争運動」の理論的リーダーであったカール・バルトの思想の中には、「最後から一歩手前の真剣さ」があるといわれている。「大きな希望」を信じているがゆえに、私たちには全く絶望してしまうような状況というのは、この地上においてはありえない、どんなに状況は厳しくても、なおそこに希望がある。だからこそ目覚めて、ユーモアをもって、一歩手前の真剣さで、希望をもって生き続ける、闘い続ける、と二〇世紀最大の神学者は言い続けたのである。
引用文献:朝岡勝『剣を鋤に、槍を鎌に―キリスト者として憲法を考える』(いのちのことば社)
                                     二〇一九・五・一八

 

「自由都市」の灯をかかげて半世紀 堺総合法律事務所の五〇周年記念誌  福岡支部 永 尾 廣 久

 堺総合法律事務所が五〇周年を迎え、記念誌を発刊しました。同事務所が堺・泉州の地に誕生したのは一九六九年春のことです。
 所員の一人が、NHKの「プロフェッショナル」に主人公として登場した(二〇〇九年)村田浩治団員です。労働弁護士としての活動がNHKの特集番組となって光があてられたのは画期的でした。そして、団本部事務局次長として、井上耕史団員、次いで辰巳創史団員が活躍しました。どちらも、クレジット・サラ金、商工ローン問題でも大活躍しています。
 さらにこの人こそ堺総合というべきなのが、平山正和団員です。NHKの再現ドラマ「逆転人生・奇跡の逆転無罪判決」に登場しました。コンビニ強盗事件の犯人として逮捕されたミュージシャンの青年の無罪を母親の執念の努力とともに勝ちとったのです。
 以下、平山団員の出色のエッセーです。そのタイトルは「七〇代は黄金期?洟垂れ小僧?」です。泉州の地・堺で弁護士生活五〇年を迎え、「今も青年弁護士当時とほとんど変わることなく(と自分で考えている)」現役で、弁護士活動を元気に続けています。
 「意欲と気力、体力が続く限り引退という言葉はありません。職業として弁護士を選んだこと、働く人々とともに活動する弁護士を選択したことを、おおいに得したと実感し」ているのです。問題は、では、どうやって、平山団員はそれを可能にしたのか、です。
 実は、平山団員は四二歳の厄年に油断大敵、原因不明のままインシュリンがまったく出なくなるというⅠ型糖尿病を発症して今日に至っています。ですから、インシュリン注射は欠かせません。そして、食事療法のおかげで「三〇年たっても合併症がないとはおかしい」と主治医が頭をひねって不思議がるのです。
 お昼は野菜たっぷりの塩分なしの健康(愛妻)弁当を三〇年以上も続けています。決まった時間に、どこでも食べ、たまには移動のタクシーのなかで食べて、運転手から驚かれます。
 野菜・海藻・キノコはカロリーがないので、いくら食べてもよく、大量に食べるので、糖尿病の食事療法をするとお腹が空くというのはまったくの誤りだと平山団員は断言します。おかげで七〇歳をこえても平山団員の頭髪は黒々、ふさふさ、額もはげあがっていません。七〇歳になった私は、濃さと硬さが自慢だった頭髪が薄く、弱々しくなってしまい、今せっせと一日二回、養毛剤をすりこんで回復しようと、はかないあがきをしています。
 次に、平山団員の生活の様子をみてみましょう。一日八時間の睡眠を確保。アイフォンのクラシック音楽で目覚めます。朝食は三〇分かけて自分でつくります。自分で鋭く研いだ包丁で、玉ねぎ、ニンジン、ショウガ、ピーマンをみじん切りにして水にさらして辛味を逃がし、リンゴ、かまぼこ、チーズを刻んで入れ、ヨーグルトをかけて味つけし、大きなお椀一杯のサラダは、調味料もドレッシングも不要。ご飯は茶碗半分ほどに納豆、黒ニンニク、とろろ昆布、ジャコをかけて、三〇分かけて食べます。
 朝食後はストレッチ。開脚ベターに挑戦します。これに三〇分かけます。こんな「朝活」の一時間のあと、事務所では、毎日、夜八時まで疲れを知らないで一日を過ごします。
 外に出て歩くときは、意識してフルスピードで大股で歩きます。電車に乗ったら、空いていても座らず、立ったまま、つま先立ち。テニスのステップを踏みながら本を読みます。
 平山団員は四二歳のとき、堺市長選に立候補して、市長になりそこねました。
 そして読書量は、わずか年一〇〇冊でしかなく、その少なさに平山団員は愕然としています。私は、この三〇年以上、年に五〇〇冊を下まわったことはありません。そして一日一冊の書評を福岡県弁のHPにアップしています。そこだけが、平山団員に勝っているところです。
 他人様の生活と権利、財産を守るために、そして権力に立ち向かう活動に全精力を傾けてたたかうわけですから、弁護士の活動は脳を活性化し、身体も動かして「健康寿命」の伸長におおいに効果がある。社会的弱者の用心棒、また牧師か坊さんの人生相談のような弁護士活動なので、「健康寿命」が続くかぎり弁護士の「現役活動寿命」も続く。平山団員は、こう考えています。
 私も、平山団員のあとに続けられるよう、無理なくがんばるつもりです。

 

富士山頂からスキー滑降(1)  神奈川支部 中 野 直 樹

この時期のこの条件しかない遊び
 富士山は標高の高さ、独立峰、五合目から上は樹木がないことから、気温が低く強風が山肌を冷やす。そのため積もった雪の表面は固く凍りつき、鏡のようにツルツルになるそうだ。そんなときの登山は極めて危険で、万が一転倒して滑り始めると止まらず何百メートルも流されてしまう。おそらく全身打撲で深刻な事態となる。
 この富士山にも、五月連休明けから下界の気温が二〇数度まで上がり、しかも富士山上部に雲がかからない気象条件のときにスキー滑走を受け入れてくれる寛容の時期がある。このチャンスは雪があることも必要条件なので六月初めという終期付きである。
 私は埼玉の同期の南雲芳夫弁護士からこのチャレンジの武勇伝を聴かされてからいつかはとの思いをもち、事務所のHPの自己紹介にも「抱負」として書いた。しかし、五月の最もいい時期を占拠している五月集会をはじめ、集団訴訟の裁判期日、地域、弁護士会のイベントが入ることが多く、それに気象条件が重なり、「抱負」の文字が消えないまま一〇数年が経過した。
訪れたチャンス
 今年の冬は、豪雪だった昨冬とは一転して全体として雪が少なかったが、四月に寒気が戻り、連休後もテレビに映る富士山の雪は五合目まで覆っていることが確認できた。今年こそ挑戦しようと考え、手帳の五月の各週末に線を入れた。そして一〇連休は石川県の実家をベースに、石川、富山、福井の山に通い、雪山歩きに慣れた。
 連休後、毎日の気象予報を祈る気持ちで見るが、二回の予定時期は天候不順で延期、だんだんとあきらめ顔となった。そして今年の計画の最後だった五月一九日、日本列島に暖気が入り、屋久島では記録的な豪雨で数百名の登山客が下山できないという報道がなされる中、関東は雲が多いが、気温が二三度位、降水確率二〇%という予報が出された。よし実行だと決め、夜、車のハンドルを握り、富士山スカイラインの標高一四五〇m水ヶ塚公園駐車場に車を止め、車中泊となった。
朝霧
 午前四時半に目覚めて車から出ると、暁光のなかに富士山がくっきりと浮かび上がっていた。このスポットが土産物売り場も備えた広大な駐車場になっている理由がわかった。駐車場には一〇台ほどの車が止まり、テントを張っている方もいる。昨夜コンビニで仕込んだカレー弁当を食べ、お湯をわかしてドリップコーヒーに落とした。そうしているうちに富士山が霧に包まれ姿を隠した。富士山の上に傘雲がかかると天候悪化の予兆であるが、山の朝霧は天気の良いことの前兆であるとのあやふやな経験則に従い、予定通り登ることとした。
 駐車場から出てスカイラインを走る。周囲の木々はまだ芽吹きの頃で、山桜の淡い彩りが目を引いた。標高差千mほど上ると富士の宮口新五合目(二三八〇m)の駐車場に着いた。車が三〇台ほど止まり登山準備をしている人々の姿があった。
 私も出立の準備を始めた。登りはスキーではなく登山靴で歩くこととし、山スキー用ブーツをザックに詰めた。そして、山スキー板の後端をザックの両脇のポケットに入れ、先端をマジックバンドで結わえた。ザックを背負うと頭の上に逆Vの字の形となる。これだけでもかなりの重量なので、その他の荷物は、雨具、ヘッドランプ、スパッツ、アイゼン、水三本、行動食のパンに限った。
 六時一〇分、よいしょとの掛け声をかけてザックを担ぎ、登山道に向かった。登山道入り口は鉄パイプで閉鎖されていたが、わずかな隙間があいており、そこから登山域に入った。五合目から富士山頂への登山口は静岡県側の富士の宮口、御殿場口、須走口と山梨県側の富士吉田口の四つがある。私は夏の富士山に三回登っているが、もっぱら富士吉田ルートだった。今回初めての富士の宮口ルートは五合目としての標高がもっとも高い。ここから三七七五・五mの剣が峰山頂までの標高差約一四〇〇mの夏山のコースタイムは五時間三〇分ほど。残雪歩きでスキー板を背負っていることもあり前提条件が異なるが、一応コースタイムを目標とした。
 霧に包まれた出発となった。すぐに残雪歩きとなった。前日に溶けた雪が凍っていた。六合目の小屋でアイゼンを装着した。この頃には霧が晴れ、前方に雪渓を蓄えた山肌が直線的に伸び、その先に真っ青な空が待ち構えていた。(続く)

 

全国各地で新憲法リーフの活用を呼びかけて下さい!  事務局長   森  孝 博

 五月二五日から二八日にかけてトランプ米大統領が来日しました。安倍政権や大手マスコミは「令和初の国賓」と持ち上げ、ゴルフや大相撲観戦の様子を大々的に報道し、「蜜月ぶり」をアピールしています。
  しかし、その実態は、団の新憲法リーフの表紙(後掲)に描かれているとおり、トランプ米大統領に媚びへつらい、「バイ・アメリカン」という要求を丸のみし、国民のおカネをアメリカに貢ぐもの、といわざるをえません。
  一機一一六億円以上といわれるF35戦闘機は、米政府監査院(GAO)から九六六件もの技術的問題を指摘され、本年四月九日には空自三沢基地所属機が青森県沖で墜落しました。墜落事故から一カ月以上が経つ今も、操縦していたパイロットは依然行方不明のままです。それにもかかわらず、安倍首相は、二六日の共同会見で、高額欠陥品F35の〝爆買い〟をあらためて公言し、トランプ米大統領から「日本は米国製の防衛装備の最大の買い手となった。F35ステルス戦闘機を一〇五機購入すると発表した」、「米国の同盟国の中で日本が最大のF35保有国となる」と称えられました。さらに、安倍首相は、二八日、トランプ米大統領とともに、いずも型護衛艦「かが」に乗艦し、「本艦を改修し、STOVL(短距離離陸・垂直離陸)機を搭載する」と述べて、改修による空母化とF35―Bの搭載も約束しました。これに対しても、トランプ米大統領から「さまざまな地域の紛争や、離れた地域の紛争にも対応してくれるだろう」と、自衛隊の外征と米軍下請化への強い期待が寄せられました。
  安倍首相は、軍事分野だけでなく、貿易分野でもアメリカの要求につき従う姿勢を露わにしました。トランプ米大統領は、二六日の共同会見で、TPPにすら「縛られない」と明言した上、同日に「日本との貿易交渉で大きな進展。農産物と牛肉で果敢に交渉中。多くは日本の七月の選挙後まで待ってのこと、私は大きな数字を見込んでいる」とツイートしました。七月の参院選で安倍政権や自民党が不利になることを避けるため、選挙後まで状況を国民に伏せておくことをお願いしたことも強く疑われます。
  こうした異常な姿について、海外では「安倍首相ほどトランプ大統領に媚びへつらうことに心血を注いできた指導者はおそらく世界中を探してもいないだろう」(米紙ワシントン・ポスト)などと揶揄されていますが、前述のとおり、国内では全面的な「朝貢外交」の実態が十分に知らされていません。
  団の新憲法リーフの増刷を決めましたので、参院選までにこのリーフを大いに活用して、対米追随で国民のいのち、暮らし、財産を脅かす安倍政治・外交の危険性を広く訴えていきましょう。

※お願い
  リーフのいっそうの普及を図りたいと思いますので、各県支部や団事務所でお付き合いのある地域の関係団体や依頼者などにも、ぜひリーフの購入と活用をオススメ下さい。
  注文書は、自由法曹団ホームページ「お知らせ」の中の『新しい憲法リーフレットが完成しました!ご活用下さい!!』からとることができますので、ご利用下さい。
 よろしくお願いいたします。

 

 

 

TOP