第1673号 / 7 / 1

カテゴリ:団通信

●「ピースおおさか」訴訟 - 大阪府と大阪市に勝訴  大 前  治

●仙台地裁「旧優生保護法違憲」判決について  山 田 い ず み

●NHKの不当労働行為等とたたかって37年  鷲 見 賢 一 郎

●性犯罪覚書  岩 村 智 文

●「セクシャル・ハラスメントを止める責任」について  神 原  元

 

【5月集会特集】
◇言葉は暴力にもなる - 差別・ヘイトスピーチ分科会に参加して  佐 久 間 ひ ろ み

◇事務局員交流会の「活動交流会」に参加して  泉  共

 

●そろそろ左派は〈経済〉を語ろう 7- 個人向け国債で運用と高等教育の無償化  伊 藤 嘉 章

●「世界滅亡」まで残り2分!!をどう解消するか  大 久 保 賢 一

 


 

「ピースおおさか」訴訟 - 大阪府と大阪市に勝訴  大阪支部 大 前  治

秘密裡に行われた「自虐展示の撤去」
 二〇一一年一一月に当選した橋下徹・大阪市長と松井一郎・府知事(いずれも当時)は、大阪府と大阪市が開設した平和資料館「ピースおおさか」に対して、「南京事件などの自虐の展示を撤去せよ」との攻撃キャンペーンを開始。同館は「展示変更のため」に二〇一四年に一時休館となった。不安を抱いた一人の市民が、展示変更について情報公開を請求したが拒否された。そこで府と市に国家賠償請求を提訴した。引き受ける弁護士がおらず本人訴訟であった。
独自の本人訴訟、一審は敗訴
 原告は独自の見解を長大な書面で提出した。多数の支援者が傍聴席を埋めた。しかし本人訴訟ゆえ種々の困難と限界があった。
 一審の中盤から私一人が代理人に就任したが、敗訴した。その理由は、「尖鋭な意見対立がある歴史認識に関わる情報を公開すると、抗議や報道取材が殺到して業務に支障が生じ、リニューアルオープンが遅延するおそれ」や、「展示変更の検討過程での自由な意見表明や意思決定が損なわれるおそれ」があるからというものであった。
法律家の力を発揮した控訴審
 訴状は原告が書いたが、控訴理由書は当然ながら私が書くことになった。政治的主張や罵倒ではなく、事実主張と法的主張を重ねて裁判官を説得するという法律家の役割を体現することに注力した。情報公開条例違反の事実と法解釈を示し、「業務への支障」や「意思決定が歪められる」などの非公開事由に該当しないことを具体的に示す。冷静かつ分かりやすい表現で書く。そうした姿勢や言葉に触れて、原告や支援者も少しずつ弁護士の役割を理解してくれた。
逆転勝訴-歴史認識に関わるからこそ公開すべき
 控訴審は、府と市に対する訴訟が別個に進行し、いずれも逆転勝訴となった。市への訴訟は二〇一七年九月一日判決(佐村浩之裁判長)、府への訴訟は同年一一月三〇日判決(田中俊次裁判長)。非公開決定は違法と認定して府と市に慰謝料各五万円の支払を命じた(最高裁サイトの裁判例情報に掲載されている)。
 大阪府・市は上告したが、二〇一九年五月二四日に最高裁が上告を棄却。約四年にわたる訴訟が終了した。
 確定した高裁判決は、戦争加害の歴史認識をめぐる内容は「意見対立があり社会的関心も大きく公益性の高い事項」であり「広く公開して国民的議論の対象とするのが望ましい」と判示。また、職員が少なくて業務多忙に対応できないと主張する大阪市に対しては、「職員を削減したのは大阪市である」と指摘し、同市は多忙時に職員を増員派遣すればよく、抗議活動には適切に時間等を定めて対応すればよく、業務に支障が生じるとは認められないと判断した。
荒唐無稽な主張態度を裁判所が批判
 府・市の主張は、事実を知った市民が請願権(憲法一六条)を行使してきたら困る、報道機関が言論の自由(憲法二一条)の一環として取材に来たら困る、だから知る権利を侵害して非公開にしてもよい、という荒唐無稽の主張であった。
 府に対する控訴審判決は、情報公開したら「意見対立が先鋭化しそう」、「過激な要請行動が増えるかも」、「職員が過労になるかも」といった府の主張は「客観的裏付けを欠く抽象的な主張立証」であると指摘し、訴訟追行態度を厳しく批判した。
「維新」の悪政を問う判決
 維新の府政・市政に対しては、数多くの行政訴訟・労働裁判・憲法訴訟が闘われてきた。なかでも本件は、府と市が同時に敗訴した唯一の訴訟である。維新府政・市政の共犯による「秘密裡の歴史改ざん」の過程を違法と断罪した意義は大きい。維新の悪政の根本を問う判決といえる。

 

仙台地裁「旧優生保護法違憲」判決について  宮城県支部 山  田  い  ず  み

 一九四八年に成立した旧優生保護法は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことを「目的」とし、同法が母体保護法に改正された一九九六年までの約五〇年間に、不妊手術約二万五〇〇〇件、人工妊娠中絶約五万九〇〇〇件、合計約八万四〇〇〇件もの優生手術等を行わせ、多くの被害者の尊厳を奪いました。
 一九九六年、国会は優生手術が「障害者差別に当たる」として優生条項を廃止しましたが、日本政府は、「当時は合法であった」として、その後、一貫して、謝罪、補償も、実態調査も拒否し続けました。
 そのため、昨年一月三〇日、一五歳の時に優生手術を強制された宮城県在住の六〇代女性が、全国で初めて、国家賠償法に基づく損害賠償請求訴訟を仙台地裁に提起しました。
 その前後から、マスメディアによる熱心な報道がなされ、放置されてきた優生手術被害の深刻さと被害回復の必要性から世論も被害回復を求めたことから、二〇一九年四月二四日、旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律(いわゆる「一時金支給法」)が制定されました。しかし、一時金支給法は、優生保護法が憲法違反であることを前提にしていないことから、三二〇万円の支給にとどまり、被害者の被害回復は不十分なものにとどまっています。また、その不十分な補償でさえ、周知や相談窓口において被害者の特性に応じた合理的配慮が十分になされていないこと、記録が判明している被害者への個別通知等が行われていないこと、などから被害者のもとに届いていない現状です。
 他方、裁判は、五月二八日に判決が言い渡されました。仙台地方裁判所は、子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)は憲法一三条が保障する基本的権利であるとし、「不良な子孫の出生防止」を目的に優生手術を強制した旧優生保護法は憲法違反であると判断しました。
 さらに、優生手術による被害者の「権利侵害の程度は極めて甚大」であり、損害賠償請求権を行使する機会を確保する必要性がきわめて高いにもかかわらず、旧優生保護法の存在自体が損害賠償請求を妨げてきたこと、社会には旧優生保護法が広く押し進めた優生思想が根強く残り、被害者が優生手術の客観的証拠を入手するのも困難だったことから、被害者が手術から二〇年の除斥期間を経過する前に損害賠償請求を行うことは現実的に困難であり、損害賠償請求権行使の機会を確保するための立法が必要不可欠であったことも認めました。しかし、結論においては、原告らの請求を棄却しました。
 被害の実態や被害回復状況を見れば、裁判所が被害救済を図らねばいけない事案でしたが、本判決は、優生保護法による人権侵害の甚大性について理解していないと言わざるを得ない不当判決だったと思います。
 なお、同判決は付言として「平成の時代まで根強く残っていた優生思想が正しく克服され、新たな令和の時代においては、何人も差別なく幸福を追求することができ、国民一人ひとりの生きがいを真に尊重される社会となりうるように」と述べました。真にそのように願うのであれば、人権救済の最後の砦としての司法府がその役割を自覚し、被害者の声に耳を傾け、被害回復に向けた判断をすべきだったと思います。控訴審では、被害に真に向き合った判決を期待し、弁護団としては、主張、立証をしていきたいと考えています。
 また、国会に対しては、同判決の旧優生保護法が違憲であると判断したことを前提とする一定の損害金の支給を内容とする、また、被害者が制度を容易に利用できることを内容とする、一時金支給法の改正を働きかけていきたいと考えています。

 

NHKの不当労働行為等とたたかって37年  東京支部 鷲  見  賢  一  郎

1 NHKの誓約文書の交付と掲示
 日本放送協会(NHK)は、二〇一九年五月二一日、全日本放送受信料労働組合(全受労)に対して、左記の誓約文書を交付し、同年五月二三日から六月一日までの一〇日間、NHKの名古屋放送局名古屋駅前営業センターの事務室内に、左記の誓約文書を掲示しました。

                            記
 令和元年五月二一日(掲示用は令和元年五月二三日)
 全日本放送受信料労働組合
 中央執行委員長  〇 〇 〇 〇 殿
                    日本放送協会
                    会長    上 田 良 一

 当協会が、二三年六月一三日に貴組合名古屋駅前支部から申入れのあった「〇〇センター長の発言について」を議題とする団体交渉を、貴組合中央執行委員の出席を理由に拒否したこと、及び同年七月一二日に行った「〇〇センター長の発言内容について」を議題とする支部団体交渉への貴組合中央執行委員の出席を拒否したことは、いずれも東京都労働委員会において不当労働行為であると認定されました。
 今後、このような行為を繰り返さないよう留意します。以上
2 地域スタッフの労働者性を認め、NHKに団交応諾を命令
 NHKは、〇〇センター長の不当労働行為発言を追及する、平成二三年六月一三日の名古屋駅前営業センターにおける支部団交を、全受労の中央執行委員が出席することを理由に拒否しました。また、NHKは、〇〇センター長の不当労働行為発言を追及する、平成二三年七月一二日の名古屋駅前営業センターにおける支部団交に、全受労の中央執行委員が出席することを拒否しました。
 全受労は、右記のNHKの支部団交拒否及び支部団交への中央執行委員の出席拒否を不当労働行為として、二〇一一年一一月一一日、東京都労働委員会に救済申立をしました。この不当労働行為救済申立事件の中で、NHKは、受信料の集金業務に従事する地域スタッフ(受託者)は労働組合法上の労働者ではないと主張してきました。
 東京都労働委員会は、二〇一五年八月二五日、地域スタッフを労働組合法上の労働者と認め、NHKに対して、主文一項で、「被申立人日本放送協会は、今後、申立人全日本放送受信料労働組合が申し入れる支部団体交渉について、申立人全日本放送受信料労働組合の中央執行委員の出席を理由として拒否してはならない。」と命令し、主文二項で、前記の誓約文書の交付と掲示を命令しました。
 この都労委命令は、二〇一六年一一月一六日、中央労働委員会命令で、二〇一八年九月二八日、東京地裁判決で、二〇一九年五月一五日、東京高裁判決で、それぞれ維持され、東京高裁判決は、二〇一九年五月二九日の経過により確定しました。
 全受労南大阪支部(旧全受労堺支部)は、大阪府労委命令、中労委命令、東京地裁判決に続いて、二〇一八年一月二五日の東京高裁判決で地域スタッフの労働組合法上の労働者性の認定を勝ち取り、最高裁第二小法廷は、二〇一八年一〇月一〇日、この東京高裁判決に対するNHKの上告を棄却し、上告受理申立てを受理しない決定を出しました。この最高裁決定により、地域スタッフ(受託者)の労働組合法上の労働者性は確定しました。この全受労南大阪支部の不当労働行為救済申立事件は大阪支部の団員が担当されています。このこともあり、NHKは、前記二〇一九年五月一五日の東京高裁判決に対して、上告及び上告受理申立てをしなかったものと解されます。
 なお、NHKは、東京地裁、東京高裁では、「『〇〇センター長の発言について』との議題は、労働条件についての議題ではなく、〇〇センター長の責任追及についての議題であり、義務的団交事項ではない。」、「支部交渉(下部交渉)における中央執行委員(上部役員)の出席が制約されることを定めている『各級レベルの交渉について』を全受労が事前了解している。」とも主張していましたが、これらの主張はいずれも退けられました。
3 NHKの不当労働行為等との三七年間のたたかい
 NHKの受信料の集金業務に従事する受託者は、一九八二年八月二五日、全日本放送受信料労働組合を結成しました。しかし、NHKは、受託者は労働者ではなく、受託者の団体は業者団体であるとして、全受労を労働組合と認めませんでした。
 私は、一九八四年春闘における全受労に対する他労組との事務費についての差別回答、引き続く全受労中央書記長に対する業績不振を口実とする委託契約の解約等についての、都労委に対する不当労働行為救済申立を担当して以来、NHKの不当労働行為に対する救済申立や委託契約の解約に対する訴訟提起等を担当してきました。全受労の中央書記長に対する委託契約の解約は、都労委、中労委で、受託者が労働組合法上の労働者であること及び全受労が労働組合法上の労働組合であることを認定させ、委託契約の解約の撤回を勝ち取り、東京地裁の行政訴訟で金銭解決をしました。
 全受労結成から三七年、地域スタッフ(受託者)が労働組合法上の労働者であること及び全受労が労働組合法上の労働組合であることが最高裁で確定し、私の担当した団交拒否事件も全面勝利することができました。今後とも、NHKの受信料集金業務に従事する地域スタッフ(受託者)の皆さんの雇用と労働条件が守られ、向上することを願ってやみません。

 

性犯罪覚書  神奈川支部 岩 村 智 文

 今年度末に無罪判決がいくつかの地裁(支部)で出されたことにより、判決批判だけでなく、性にかかる犯罪の見直しを求める声が高くなっている。なかでも「暴行、脅迫」要件を外して、同意のない性交等の処罰を求める声がもっとも強いようである。この点を少し考えてみたい。
 強制性交等(かつての強姦等)の罪は、刑法典における条文の位置から分かるとおり、もともと性秩序・健全な性風俗を保護法益としていた。したがってそこでの「暴行・脅迫」も社会的秩序を乱す程度のものが要求されていた。しかし、順次その点は改められてきて、個人の性的自由を保護法益とするようになってきた(註釈刑法は社会的法益の側面ありとしているが)。すなわち強要罪の特別類型とされてきた。性的自由(性的自己決定権)を侵害するとなると侵害行為は「暴行・脅迫」に限らない。
 ドイツでは日本より早く、上記の点を意識し、法改正がつづき、おおざっぱに言えば二〇一六年改正法では、「他人の認識可能な意思に反して、この者に対して性行為を行ったり(した)、・・・者は、六月以上五年以下の自由刑に処する。」を基本として、暴行・脅迫を用いたときは、一年以上(犯情の重い場合は二年以上、凶器などを使用すると五年以上)の自由刑を科すとしている。
 一方日本では、この間の法改正によって、暴行・脅迫を用いる性交等の罪は、下限が懲役五年以上とされている。ドイツよりはるかに重くなっている。こうした重罰化に対しては、刑法学者から法の運用実務から見て、「『限界事例』が重い刑罰に見合わないので処罰されなくなる。」、「重罰に見合った行為のみを処罰する方向に動く。」、「(ミシガン州に見られるとおり)捜査・訴追・有罪判決を促すには、重すぎる刑罰は逆効果。」といった意見が出されていた。ドイツの法改正は、法定刑として低い下限を定めることによって処罰範囲を広げようとしてきたのだ。
 今、見直しを求めている人たちが「暴行・脅迫」要件を外し、同意無しだけでの処罰を要求しているのか、同意無しを基本とする性にかかる刑罰体系を考えているのかは、つまびらかでないが、いずれにせよ法定刑の下限、上限をどうするのか、慎重に吟味されんことを願うものである。

 

「セクシャル・ハラスメントを止める責任」について  神奈川支部 神 原  元

 本年五月二六日五月集会「差別・ヘイトスピーチ問題分科会」にて、早田由布子団員(東京支部)から自由法曹団内のセクシャル・ハラスメント(以下「セクハラ」という)問題について発言があった。その際、早田団員から「その場にいる被害者以外の人からセクハラを指摘してほしい」との意見が述べられた。
 これについて、私自身の後悔がある。ある会合でセクハラ発言を聞いたが、セクハラ発言を止めたり、その場で注意したりすることができなかった。なぜ男性は他の男性のセクハラを止められないのか。この点について自分を振り返って考えたい。
 その要因として、当面、二つの要因が考えられる。
 一つは、加害男性との人間関係である。当該加害男性は自分の信頼する人物であった。だから、当日まず何が起きたのか理解に苦しんだ。自分の信頼する人物がセクハラをするとは信じられなかったため、事態を理解し認識するのに時間を要したのだ。これは団員でも酒席などで普段立派な人権派弁護士がセクハラ発言をするのに戸惑った経験があるだろう。尊敬する人物が酷い発言をするのに耳を疑い、咄嗟にそれがセクハラ発言だと判断できない状況である。ヘイトスピーチ問題に関し「沈黙効果」が言われる。ヘイトスピーチに晒されて咄嗟に反論できない状態だ。これに似た現象かもしれない。
 もう一つは、この問題は当事者間の問題だと考えてしまうことである。特に我々法律家は「性犯罪は親告罪」という観念が頭に染みついている。だから、被害者が抗議の声をあげなければ問題なしと考えがちだし、被害者が抗議して加害者が謝罪すれば事は解決したと考えがちだ。しかし、そうではなかった。被害者がセクハラに対して抗議の声をあげることはそのこと自体被害者にとって苦痛であり、セカンドレイプとなる。そのことに対する認識が十分ではなかった。
 私はヘイトスピーチ問題で、いつもMLキングの次の言葉を引用する。
 「結局、我々は敵の言葉ではなく友人の沈黙を覚えているものなのだ。
In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends.」
 この言葉はそのままセクハラ問題における男性の立ち位置に跳ね返ってくるだろう。
 ここで提唱したいのは「セクハラを止める責任」である。セクハラは人権侵害であるというのは概ねの認識になっていると思う。しかし、ならば、どう解決するかについて認識が一致しているとは限らない。セクハラを「当事者間の問題」にしてしまうことは被害者に対するセカンドレイプになりかねない。そこで、セクハラについては被害者ではなく周囲の人間が止め、事後であれば加害者に抗議しなければならないのだ。
 つくづく痛感するのは、「セクハラを止める責任」を認識したとしても、その責任を果たすことが誰にでも容易であるとはいえないということだ。
 まず、セクハラが発生したら被害者の抗議を待たず、すぐに行動しなければならない。自分が陥った間違いでもあるが、抗議を被害者にさせてはならない。また、その後の解決を被害者に委ねてはならない。ここは発想の転換を要する。セクハラを個人に対する犯罪で親告罪と考えるのではなく、いわば社会法益に対する犯罪として、社会に対する犯罪と捉えるのだ。したがって、被害者が怒る前に自分が怒らなければならない。被害者が抗議する前に自分が抗議しなければならない。これには訓練を要するかもしれない。
 次に、この問題については、一切の「しがらみ」を断ち切ることだ。普段付き合いがあるとか、信頼していた人物であるとかいうことは全て頭から消し去らなければならない。個人のパーソナリティの問題を離れて、セクハラ行為だけを評価の対象としなければならない。これは発想の転換と同時に一定の覚悟を要する。
 セクハラがなぜ人権侵害であるのか。これは多言を要しないだろう。セクハラは被害者に対する重大な侮辱であり、その人間を価値のないものとして貶める行為である。差別を助長し扇動する一種のヘイトスピーチである。最大級の人権侵害だといってもいい。
 自由法曹団員は、セクハラが人権侵害だという点で一致している。次に一致すべきは「セクハラを止める責任」について一致をみることである。

 

【5月集会特集】
言葉は暴力にもなる-差別・ヘイトスピーチ分科会に参加して  大阪支部 佐 久 間  ひ  ろ  み

1 はじめに
 大阪支部の新人(七一期)の佐久間ひろみです。この度、初めて五月集会に参加いたしました。分科会として、差別・ヘイトスピーチ分科会を選んだ理由は、世間に根強い性差別問題や、ヘイトスピーチ問題について、現状どのような問題があり、各地の自由法曹団員はどのように問題に取り組んでいるのかを学びたいと考えたからです。
2 ヘイトスピーチ問題について
 分科会では各地の団員から報告がありましたが、最もショックだったのは、川崎市でのヘイトデモの映像です。私は、ヘイトスピーチを頭では理解しているつもりでしたが、実際に「殺せ」「追い出せ」などという口汚い言葉で街を練り歩く様は異様であり、恐ろしさを感じました。単に映像を見ただけの私でもショックなのですから、言葉を向けられた方々はどれだけの苦痛を感じたかと思います。このような苦境の中でも、ヘイトデモをやめさせるために人間の鎖をつくるなどして対抗する姿も印象的でした。なお、最近はヘイトデモから「選挙ヘイト」すなわち政治団体を立ち上げてヘイトスピーチが記載されたビラを配るなどといった活動に移行しており、規制が難しくなっているとのことでした。
 また、宋惠燕団員(神奈川支部)の報告で驚いたのは、余命三年ブログに煽られて懲戒請求をしたものの、事の重大さに気が付いて取り下げたという人の謝罪文についてです。謝罪文の宛名で、日本人の弁護士の名前は普通に記載するのに、在日コリアン弁護士の名前はわざと卑猥な言葉に変えて記載し、最後まで嫌がらせをしてくるそうです。あくまでも在日コリアンには謝りたくないという姿勢に、差別の根深さを感じました。
3 女性差別問題について
 さらに、女性差別問題もまだまだ根深く残っています。早田由布子団員(東京支部)の団内でのセクハラ問題報告を聞いて、セクハラの根底にある女性差別意識を改善するには、自分はセクハラをしているのではないかという意識を各自が常に持つことがとても重要であると感じました。
 最近、 MeToo運動だけでなく、KuToo(靴・苦痛)運動も盛んにおこなわれています。一昔前は、女性のスーツはスカートが正式でパンツスーツは失礼、女性の靴はヒールのあるパンプスでないと失礼などということが罷り通っていたと思います。自分が好きで身に着けているならまだしも、それを他人からとやかく言われて女性が苦痛を我慢する構図はアンバランスです。今後、私も女性の一人として積極的に取り組んでいきたいと思います。
4 まとめに変えて
 分科会に参加して、差別問題の根深さに驚き、今後も地道に取り組んでいくことでしか差別意識は解消されないと感じました。私はまだ新人ですが、言葉の暴力が減り、差別が少しでも解消されるよう微力ながら活動していきたいと思います。

 

事務局員交流会の「活動交流会」に参加して  阪南合同法律事務所 泉  共

 分科会を「活動交流会」に選んだのは、働いて来年で丸二五年、仕事では一定の経験があり、各地域の仕事内容と違いはあるのかもしれませんが、特に聞いてみたいところが思い浮かばず、自分が楽しく、事務所内外の活動に関わっていることの報告をしたかったのと、他の地域の事務所の活動の様子を聞いてみたかったからです。
「活動交流会」への参加者は、全体の参加四〇名ぐらいのうち、たった七名。東京から三名、北海道・愛知・岐阜・大阪(私)一名ずつの参加でした。七名の事務所の弁事の人数は、岐阜一〇名、大阪一二名、その他は、弁事合わせて三〇名~六〇名の大規模事務所でした。規模や、地域がらもあると思いますが、東京は、事務所独自の企画で、映画鑑賞会・講演会・派遣村などを、頻繁に開催していることにびっくりしました。事務所内で、「憲法委員会」を作り、企画を計画、またブログを開設して、所員が順番で憲法の様々なテーマで、思いを掲載しているとのこと。所員が多いことで、幅広く活動できていることがわかりました。他の地域では、市長選挙に事務所で取り組んだ報告、同じように定期的に、講演会・学習会をしているとの報告を聞き、私も、事務所に事務局をおく「九条の会・はんなん」の毎年一回の講演会には、所員総出で講演会当日の運営をしていること、「三〇〇〇万署名」の取り組みのため、昨年の事務所のニュースを「憲法特集」にして、所員各自が「憲法」をテーマに作成したこと、また、事務所の最寄駅の前で、パブリックビューイングに挑戦したことを報告しました。
 報告を聞いていると、悩みは、規模が違っていても同じで「企画に若者がこないね~、どんな企画をしても、動くメンバーが金太郎飴のように同じ顔のため、そうじゃない方法はないかな~」とのことでした。SNSの活用で「企画した映画に若者がきたよ!」という報告があり、そこから、アナログな私が、SNSについて、交流会のメンバーに、自慢話を聞いてもらいながら、相談させて頂きました。自慢話→「三〇〇〇万署名の取り組みのため、事務所の憲法特集のニュースと署名を、学生時代の友人、夫の親戚、旅行で知り合った友達など三〇名に、お手紙と返信用封筒を送ったところ、一九名より返信があり、九八筆も集まった!送った人は、活動・運動をしていない普通の人ばかりなので、「憲法を守るのは誰?」と、子育て中の弁護士が書いた素人でもわかりやすい文章に「ここ読んで!」と付箋を貼って、友達へ普段書く手紙以外に、私の学んできた憲法の大切さ、自民党が変えたい憲法の中身、今も原爆症で苦しんでいる人がいることなどを書いて送りました。返信をくれた友達からは「夫婦で考えて署名したよ~、憲法九条を考える時間が持てることに感謝しています」など、嬉しい手紙が入っていました。返信のない友達もいますが、それぞれの環境があり、残念には思っていませんし、その後も、その友達に近況の手紙を書いています。そこで「SNSを活用した方が、もっとたくさんの友達以外の人へ、取り組みや思いも発信できると思っているけど、使った方がいいかな?」と相談したところ、「SNSの場合、同じ文書が一斉送信みたいになるので、それぞれの人にあった文書にならないし、届いた人によっては、何を今更言ってるの?と思う人もあり、デメリットもある」「SNSの場合、バッシングもたくさん入ってくる。バッシングを見なくてもいいけど・・・」と言ってくれました。引き続き、自分のやり方で、思いを伝えていこう!と確認ができ、お互い頑張っていることを共有できた交流会でした(金太郎飴問題については、解決していませんが・・・)。個人的な相談を一緒に考えていただき、本当にありがとうございました。

 

そろそろ左派は〈経済〉を語ろう7-個人向け国債で運用と高等教育の無償化
                                 東京支部 伊 藤 嘉 章

1 はじめに
 護憲論・天皇制論議から、また、そろ左派にもどります。杉島先生 応答(一六六四号)ありがとうございます。私もいいかげんにしたいと思うのですがまた書いてしまいました。
2 安全な国債
 二〇一九年三月二三日の朝日新聞に、財務省が個人向け国債の広告を載せています。「国債は『手軽』で『安心』。選ばれる理由があります。」
 「元本割れなし」とあります。
 「国が発行だから安心」だそうです。
 本当に財政破綻のおそれがあって危険なものであるならば、
 「財政破綻のおそれがあります。国債の買いすぎに注意しましょう。」などと書くはずですが、そのような警告文言は全く書いてないのです。
 だから安全な金融商品なのです。
3 この道はいつか来た道なのか
 ところが、「安全な国債」の広告が掲載されている朝日新聞の編集委員原真人氏は「日本銀行 失敗の本質」(二〇一九年四月発行)を書いて、アジア太平洋戦争における旧日本軍の失敗になぞらえて、黒田日銀の政策を揶揄しています。
 この本の二一二頁には、一九四一年に大政翼賛会が発行した「戦費と国債」という冊子中の次の問答を引用しています。
 「問 国債がこんなに激増して財政が破綻する心配はないか。
 答 国債がたくさん増えても全部国民が消化する限り、少しも心配ないのです。国債は国家の借金、つまり国民全体の借金ですが、同時に国民がその貸し手でありますから、国が利子を支払ってもその金が国の外に出て行く訳ではなく国内で広く国民のふところに入っていくのです。」
 と、現在のリフレ派や財政拡大論者顔負けの説明をしていたのです。
4 いえ、そうではありません
 アジア太平洋戦争に負けて、空襲で国土が焦土になり、供給力が激減した一九四五年当時の日本や、輸出で稼いだ外貨を、外貨建ての国債の返済に優先してきたあまり、輸入ができず国内に必要な食糧・日用品を事欠くようになってハイパーインフレを招いてしまった現在のベネズエラ(「前衛」二〇一九号五月号「ベネズエラ問題をどう見るか」松島良尚論文・七〇頁)と違い、今の日本では、ハイパーインフレどころか、二パーセントのインフレにもなってくれないのです。
5 法教育委員会の模擬国会での教育無償化案の内容
 第二東京弁護士会の法教育委員会では、二〇一九年三月二九日、高校生を対象とした「ジュニアロースクール」を開催し、法的なものの考え方を体験するイベントを実施したとのことです(四月九日付け朝日新聞夕刊)。
 八グループに分かれて、高等教育の①無償化の必要はあるか、②無償化する場合、範囲と方法をどうするか、③財源をどう確保するか――を国会議員になったつもりで話し合ったとのこと。
 最優秀立法賞は、①②については、世帯の年間所得三〇〇万円未満は全額国庫負担とし、所得が上がるごとに段階的に無償化の割合を減らしていく(所得一千万円以上は一%)。③の財源については、消費税率〇・二五パーセント増税で〇・六兆円を、医療費〇・六兆円削減で、合計一・二兆円を確保するというものだそうです。また、「国債発行は(借金の先送りで)絶対にNG」との意見があったといいます。
6 教育国債は出世払い
 国債の発行を借金による負担の先送りというならば、国債を財源とする教育無償化こそ先送りがもっとも公平ということができるのです。教育の成果は、二十年、三十年後に現れてくるのです。高等教育によって、知識・技能を身につけ、就業によって収入を得られるようになった世代が、納税によって自分の受けた教育の費用を負担し、国はこれを財源として国債を償還するのです。
 元大蔵官僚・現嘉悦大学教授高橋洋一氏はいう。教育無償化を「国債ではなく税財源でおこなうことは、親の世代に小遣をせびっているようなものだ。教育国債は出世払いである。親の世代にせびるより、後に働いて返すという方がよっぽど潔い。これは受益者原則にもかなっている話でもある。」(高橋洋一著「財政破綻の嘘を暴く」平凡新書・二〇一九年四月発行・一八八頁)。
7 教育費の先行投資
 教育国債による無償化を社会全体の便益でいえばつぎのようになります。
 「いま、教育にもっと投資しておけば、将来、国際競争力は強まり、技術革新などを通じて日本が豊かになり、次の世代、その次の世代がその利益を受けることができるはずだ。だからこそ、今は形こそない資産だが、次の世代、その次の世代のため、公債という形で負担してでも、先行投資という意味合いからも教育国債の発行がのぞましい」(高橋洋一・前掲書・一四一頁)。
8 教育国債も建設国債と同じに
 道路、空港、港湾などのインフラ整備の財源を国債で調達して、現実に利用する将来の世代が償還資金を負担することが公平なのと同じ考え方です。
 従って、教育国債もインフラ整備用の建設国債と同じく、六〇年償還ルールとし、プライマリーバランスの計算の枠から外して、一般国債とは別枠にすべきところです。
9 インフレ税と所得の再分配
 世帯の所得が低い家に生まれたものであっても、無償で教育が受けられ就業の機会が得られるようになる。その財源が国債であり、あわよくば、その償還がインフレによる国の負担の軽減となるのであれば、インフレは使い道のない金融資産をため込んでいる大企業や富裕層の資産の減価という、そして日本円を有している者は何人も免れることができない最も公平な税の負担となり、所得の再分配が行われるものにほかならないのである。
10 杉島先生への反論ふたつ
 このところ、天皇論議と護憲論ばかり書いてきたので、私には、経済についての新たな知見がないことに気がつきました。
 そこで、最後に杉島論稿に対し二つだけ疑問点を列挙するにとどめます。
①日銀保有の国債に利息がかかることはわかります
  ただし、日銀は保有国債の表面利率と逆ザヤになるような当座預金の付利をするのでしょうか。
②国債の投げ売りがおこるのか。
  株式は、会社が倒産すれば、無価値になるので、倒産の兆候が見えれば、投げ売りとなることは必至です。
 しかし、日本国債は、満期になれば円という資産が額面で償還されるのです。このとき、財務省に償還財源がなければ、現在でも、毎年行われているように、借換債を発行し、これを日銀が引受ければ、デフォルトはありえないのです。

 

「世界滅亡」まで残り二分!!をどう解消するか  埼玉支部 大  久  保  賢  一

「終末時計」の意味すること
 アメリカの科学誌「プリティン・アブ・ジ・アトミック・サイエンティスト」が「終末時計」を発表し、世界滅亡まで残り二分だとしている。この科学誌は一九四五年設立され、一九四七年以来毎年「終末時計」を公表しているが、二分前という最悪の事態は、米ソが水爆の開発競争を激化させた一九五三年と米朝が核の威嚇で応酬していた二〇一八年の過去二回だという。いくつかの理由が述べられている(「赤旗」・一月二五日付)。①核兵器や気候変動という人類が直面する二大脅威が、トランプ米国大統領をはじめ指導者のばらまく嘘で増幅され、解決がより困難になる「異常が日常化する事態」に突入していること。②現在、米ソ冷戦期と同程度の核の脅威があるのは、ロシアからの攻撃などではなく、「手違い」やテロによる核爆発、サイバー攻撃の可能性があること。③米朝が核戦争に突入する可能性は下がったが、非核化がなお進んでいないこと。④トランプ大統領がイラン核合意から離脱し、ロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約を破棄するなど「世界規模の軍備管理プロセスの完全崩壊に向けた深刻な一歩」が進められていることなどである。私は、そこに、アメリカが低爆発力核弾頭(TNT換算五ないし七キロトン・広島型は一五キロトン)の製造を開始したことを付け加えておきたい。アメリカは本気で核兵器を使用するつもりだと思うからである。
これをどう受け止めるか
 さてそこで、この発表をどう受け止めるかである。この発表にかかわっている人たちは決して無責任な人たちではない。また、そこで述べられている理由も説得的である。「異常が日常化する事態」などは日本にもみられるし、核の脅威についての認識は「核兵器禁止条約」が指摘する「核兵器が継続的に存在することによりもたらされる危険(事故、誤算または意図的な核兵器の爆発)」と共通している。朝鮮半島の非核化の進捗状況も予断を許さないし、「軍備管理プロセスの崩壊」も危惧されている。私には「オオカミ少年のたわごと」と無視することなどできない。「何ができるのか」を考えなければと受け止めている。ここでは、核兵器の問題について少しだけ考えてみたい。
73年前の帝国議会
 「終末時計」が始まる前の一九四六年八月の帝国議会。幣原喜重郎大臣は、核兵器を念頭に「破壊的武器の発明、発見がこの勢いを持って進むならば、次回の世界戦争は、一挙にして人類を木っ端みじんに粉砕するに至ることを予想せざるを得ない」としていた。同年一一月に内閣が発行した「新憲法の解説」は、「原子爆弾の出現は、戦争の可能性を拡大するか、または逆に、戦争の可能性を収束せしめるかの重大段階に到達したのであるが、識者は、まず文明が戦争を抹殺しなければ、やがて戦争が文明を抹殺するであろうと真剣に憂えている」としていた。「核の時代」において戦争で物事を解決しようとすれば「文明が抹殺される」と予見されていたのである。そして、戦争で物事を解決しようとすれば終末が訪れる、それを避けようとすれば、武力の行使は絶対にしてはならない。そのためには、戦力を持たない、交戦権を放棄するのが一番であるとして日本国憲法九条が制定されたのである。それを推進していたのは政府である。そこにはまだ「正常な日常」があったようである。
ラッセル・アインシュタイン宣言
 「終末時計」が二分前とされた一九五三年の二年後。バートランド・ラッセルとアルバート・アインシュタインは「たとえ、水素爆弾を使用しないという協定が結ばれていたとしても、もはや戦時には拘束としてはみなされず、戦争が起こるやいなや双方とも水素爆弾の製造に取り掛かるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側は必ず勝利するからである」と宣言している。多くの賛同者を得たこの宣言は冷戦時代のものであるが、核兵器の特性についての鋭い指摘は何ら色褪せていない。米ソの冷戦はすでに過去のものとなっているけれど、人類は核戦争の脅威から免れていないのである。米国とロシアは、再び、核軍拡競争に踏み出したのである。「終末時計」は、それに加えて、「手違い」やテロ、サイバー攻撃の可能性を加えている。これは、二〇〇九年四月、オバマ米国大統領(当時)が「核兵器のない世界」を言い出した背景とも通底する指摘である。これらも踏まえ、「核兵器禁止条約」は「核兵器のない世界の達成と維持は世界の最上位にある公共善」としていることを想起すべきである。「核兵器禁止条約」の発効が待ち遠しい。
核兵器の廃絶と戦力の廃絶
 戦争に勝つということを目標とする限り、核兵器は対抗手段がないがゆえに有効である。けれども、それが使用されれば「人類の終末」が待っている。そして、核兵器に関する協定など、政治指導者が変われば踏みにじられてしまうことは、現在の事態が証明している。ここに、中途半端な軍縮や軍備管理に止まらない「核兵器全面廃絶」を希求しなければならない理由がある。
 加えて、戦争という制度が存続する限り、核兵器の応酬と人類の存続の危機が継続することになる。ここに、核兵器廃絶を希求するものは、戦争の廃絶、その担保としての戦力の放棄をも合わせて希求する必要性がある。軍事力の強弱、即ち戦争で物事を解決しようとすれば「最終兵器」である核兵器を手放せないこととなり、それが使用されれば、勝者も敗者もない「壊滅的な人道上の結末」(核兵器禁止条約)がもたらされることになる。核兵器のない世界を望むのであれば、戦争の廃棄をも主張してこそ、より説得的となるのである。
 日本国憲法九条は、戦争や武力行使の放棄に止まらず、戦力と交戦権を放棄している。核兵器の廃絶と日本国憲法の世界化は、同時に求めなければならない課題なのである。
まとめ
 和田進神戸大学名誉教授は、広島、長崎の悲惨な実相は、「人類は一つ」というメッセージを生み出し、世界に伝え、核戦争阻止・核兵器廃絶の国際連帯を生み出した。「核兵器廃絶と憲法九条」の関係は、憲法九条を生み出した大きな要因の一つが核兵器の出現であり、同時に九条・平和的生存権の世界的樹立の物質的基盤は、核兵器の廃絶を求める「世界の平和を愛する諸国民」の連帯した運動にあるという弁証法的な関係にある、としている。(「法と民主主義」二〇一八年一〇月号)。私は、この見識に全面的に同意する。そして、広島、長崎の核のホローコーストを踏まえ、核兵器も戦争もない世界を実現しようとする営みこそが「終末時計」を進めさせず、元に戻す方法だと確信している。  (二〇一九年二月三日記)

 

 

 

 

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