第1681号 / 9 / 21

カテゴリ:団通信

【 2019年愛知・西浦総会~特集3~ 】
 地元事件紹介その1

*豊川幼児殺人事件(~わずか9頁の再審請求棄却決定)  佐 藤 典 子

*名張毒ぶどう酒事件の現況と再審法改 正に向けて  岡 村 晴 美

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●国家安全保障大統領補佐官ボルトンの解任  井 上 正 信

●基地撤去のための憲法「改正」-加藤典洋『戦後入門』  松 島   暁

●そろそろ左派は経済を語ろう8 日銀当座預金はインフレマネーではない  伊 藤 嘉 章

 


【 2019年 愛知・西浦総会 ~ 特集3~ 】
 *地元事件紹介その1

豊川幼児殺人事件(~わずか9頁の再審請求棄却決定)  愛知支部 佐 藤 典 子

一 事件の概要
 豊川幼児殺人事件とは、二〇〇二年七月二八日午前一時頃に、豊川市内のゲームセンター駐車場西側部分に停められた車内に寝かされていた当時一歳一〇ヶ月の幼児が誘拐され、当日五時三〇分頃に約一〇キロ離れた岸壁近くの海面で水死体で発見されたという事件である。
二 裁判の経過
 本件においては、物的証拠は無く、犯行の目撃者もいなかったが、二〇〇三年四月一三日未明に任意同行を求められた田邉雅樹氏がその後自白し、逮捕・起訴された。田邉氏は、公判で無罪を主張し、自白の信用性が争点となり、一審(名古屋地裁二〇〇六年一月二四日)は、無罪判決であったものの、控訴審(名古屋高裁二〇〇七年七月六日)は、懲役一七年の逆転有罪判決を言い渡し、上告審(最高裁二〇〇八年九月三〇日)は上告を棄却したため、控訴審判決が確定した。
三 確定判決の問題点
 確定判決の主な理由は、①本件駐車場北側部分にずっとワゴンRを停めていたという田邉氏の公判供述は、事件発生の数時間前に同駐車場西側部分で小豆色のワゴンRを見たという証人の証言が信用できるから虚偽であり、その態度は、犯人であることを強く推認させる、②自白については、早い段階からされている、被害児がワゴンRに乗車していた時間は二〇分程度なので乗車の痕跡が無くても不自然ではない、「半割れ状態」であり、事実と嘘をない交ぜにして供述しているから客観的事実と符合しない点があっても不自然ではないなどとして、「秘密の暴露」がないことを認めつつ、全体として信用性を認める不当なものであった。
四 再審請求における取り組み
 そこで、弁護団は、二〇一六年七月一五日に名古屋高裁に対して再審請求を行い、確定判決の有罪認定根拠がいかに脆弱なものであるかを明らかにするとともに、新証拠を提出した。主なものは、自白の信用性を弾劾する①自白どおり被害児を海に投げ落としたならば、被害児の発見場所に流れつくはずがないという漂流に関する意見書や②ワゴンR内での微物採取の再現実験に関する鑑定書などであった。
五 名古屋高裁の不当決定
 ところが、名古屋高裁は、再審請求後、二年半もの期間、三者協議を一度も開催することなく放置を続け、証拠開示も殆どないまま、二〇一九年一月二五日棄却決定を出した。しかも、その内容たるや、冒頭で「確定判決までに提出された証拠によれば請求人の犯人性は揺るがない」と判示した上で、上記新証拠の①については、「漂流予測が現に被害児の遺体が漂流した日時場所のそれとは必ずしも同一でない各種データを基に推算したもので、精度に限界あること事柄の性質上明らか」と判示し、②についても、「新証拠は要するに再現実験であり、現実とは条件を異にするのであって、着衣も異なる。前記経過期間をおいたわけでもなく、かかる再現実験をいくら重ねたところで無意味というほかない」などと判示する本文わずか九頁のものであった。本決定は、科学的な実験を無意味と断じるもので、到底容認できない内容であったから、弁護団は、すぐに異議申立を行い、現在係属中である。
六 「無辜の不処罰」のために
 冤罪により、大分刑務所に長期間服役中の田邉氏は、「両親の元気なうちに一日も早く再審無罪を」と望んでいる。田邉氏の再審無罪のために、さらなる奮闘を続けるのは無論であるが、「大崎事件」で、地裁、高裁の「再審開始決定」を取り消し、再審制度を根本から否定した六月の最高裁の暴挙を目の当たりにして、証拠の全面開示制度の創設や再審開始決定に対する検察官の即時抗告、特別抗告の制限といった内容を含む再審法の制定の必要性をあらためて痛感した。支援する会、市民団体とも良い連携をしながら前進していきたい。

 

 

名張毒ぶどう酒事件の現況と再審法改正に向けて  愛知支部 岡 村 晴 美

一 事件の概要
 本件は,一九六一年三月二八日,三重県名張市内の集落において開催された懇親会において,用意されたぶどう酒を飲んだ女性一七名のうち,五名が亡くなり,一二名が傷害を負ったという事件である。
二 裁判の経過
 犯人として逮捕された奥西勝氏は,一審(津地裁昭和三九年一二月二三日判決)では無罪判決が言い渡されたものの,控訴審(名古屋高裁昭和四四年九月一〇日判決)において逆転有罪・死刑判決が言い渡され,上告審(最高裁昭和四七年六月一五日判決)が上告を棄却したため,控訴審判決が確定した。
 弁護団は数次にわたって再審請求を行い,第七次再審請求審(名古屋高裁平成一七年四月五日決定)において再審開始決定が出されたものの,第七次再審請求異議審(名古屋高裁平成一八年一二月二六日決定)が再審開始決定を取り消した。その後、名古屋高裁刑事第一部に係属していた第一〇次再審請求審に至るまで再審開始決定が出されることはなく、現在、第一〇次再審請求の異議審が名古屋高裁刑事第二部(高橋徹裁判長)に係属している。
三 第一〇次再審請求異議審の審理状況
 弁護団は,二〇一七年一二月一一日の異議申立て以降,証拠開示命令の申立て,鑑定請求,証拠物閲覧等許可請求及び三者協議の申入れのほか、審理の進捗についての問い合わせ等を再三にわたって行ってきたものの,裁判所は三者協議の申入れについては理由なく拒否し,他の請求については何らの回答もしないという態度に終始した。
 これらの要求についてのやりとりが記録上明らかにされているかどうかを確認するため、二〇一八年六月二二日、弁護団が本件記録を閲覧したところ、驚くべき事実が発覚した。弁護団が、二〇一八年三月二七日、証拠物である封緘紙に付着した糊の測定に関する請求を行った翌日、裁判所は検察官に求意見書を出し、測定の可否につき意見を求めていた。これを受け、検察官は同月二九日にはこれに対する意見書を提出していた。しかし、裁判所は、弁護団に何らの告知もしなかったのである。これでは、検察官意見書に対する誤謬を正す機会すら弁護団には与えられないことになり、あまりに不公正である
 弁護団はすぐさま、裁判所に対して、適正な対応をせよと強く申し入れたが、裁判所からは何らの応答もなかった。弁護団は、やむを得ず、二〇一八年八月二九日、名古屋高裁刑事第二部、高橋裁判長らを忌避する申立を行い、その後も再度の三者協議の申入れ並びに証拠物閲覧等の請求及び証拠開示命令の申立てに対する速やかな判断の申入れ等を行ったものの,裁判所は全く対応しなかった。弁護団は,二〇一九年二月二二日,やむを得ず二度目の忌避申立てを行った。
 何度このようなことを繰り返せば良いのか。弁護人の請求及び申立てを徹底的に無視し、長期間にわたって放置するという名古屋高裁刑事第二部の対応は、公正、公平を重んじて速やかな判断を是とする裁判所において、許しがたい暴挙である。
 しかし、どんなに逆風が吹いても、名張弁護団はへこたれない。むしろ、向かい風が吹いてくるほど燃えさかるタイプの弁護団である。奥西勝さんとその家族の名誉を回復し、無念を晴らすべき、今後も全力をつくす所存である。
四 再審法改正に向けて
 上記裁判の経過でも記載したとおり、本件は、一審で無罪判決が言い渡され、第七次再審請求審において再審開始決定が出された事件である。これは、六人もの裁判官が無罪の心証をもったということを意味する。
 再審は、誤判により有罪の確定判決を受けたえん罪被害者を救済することを目的とされる制度であるはずである。しかし、現在の日本において、再審でえん罪被害者を救済することは非常に困難である。
 再審開始決定を得た事件の多くでは,再審請求手続において開示された証拠が再審開始の判断に強い影響を及ぼしているが、再審請求手続における全面的な証拠開示は制度化されていない。名張事件においても、未開示証拠は多く存在している。
 再審開始決定をとっても、検察官の不服申立てによって振り出しに戻り、審理が長期化するという事態が繰り返されてきた。その結果、奥西勝さんは、名誉が回復されないまま高齢と成り、亡くなるという深刻な事態を招いている。
 再審法改正にむけての課題は多いが、再審請求手続における全面的な証拠開示の制度化と再審開始決定に対する検察官による不服申立ての禁止の二点は、特に早急な法改正を要する課題というべきである。

 

 

国家安全保障大統領補佐官ボルトンの解任  広島支部 井 上 正 信

一 九月一一日ボルトン国家安全保障大統領補佐官が解任されたとの驚愕ニュースが世界を駆け回りました。この間の国内報道で見る限り、そのような様子は窺えなかったので、私もなぜ?と驚きながら疑問も持ちました。九月一〇日のトランプのツイッターも見ましたが、解任したことは確認できましたが、なぜという疑問への答えになりませんでした。
 ここからは私の推測ですが、北朝鮮第一外務次官が二月末までに米朝高官協議を開催すると述べたこと、ホルムズ海峡有志連合構想についてホワイトハウスの熱意が冷めてきたことを踏まえると、北朝鮮政策とイラン政策をめぐり、トランプとボルトン補佐官との重大な見解の相違が出てきていたのではないかと考えました。

二 ボルトンは、ブッシュ政権に強い影響を与えていた「ネオ・コン」の生き残りです。彼自身がブッシュ政権時代に国務次官(安全保障担当)としてイラク攻撃を主導しました。彼は国際法上違法な予防攻撃を、差し迫った脅威に対する先制攻撃として合法であると主張する特異な考え方に立ち、イラン、イラク、北朝鮮に対して先制攻撃を求めていた人物です。
 二〇一五年三月には、イランの核開発を阻止するためにイラン攻撃を煽る論文を発表しています。二〇一六年七月には、サダムフセインをもっと早く引きずり下ろさなかったことが、イラク戦争での唯一の誤りであったとして、湾岸戦争の原因となったイラクによるクゥエート軍事占領の時にフセイン政権を打倒すべきであったと主張しました。
 彼はブッシュ政権時代の二〇〇五年に国連大使に就任しますが、国連の任務と権威を真っ向から否定し、国際紛争を外交ではなく軍事力で解決する考えの持ち主でした。

三 トランプ政権は、国家安全保障大統領特別補佐官として、最初は退役陸軍中将フリンを指名しましたが、就任一ヶ月でロシア疑惑に関わり退任しました。二代目は現役陸軍中将マクマスターが就任しました。彼はトランプ政権で極右の立場から影響を与えていたバノンを排除し、北朝鮮との米朝首脳会談を準備中の二〇一八年三月に解任され、三代目の国家安全保障大統領補佐官にボルトンが任命されました。 
 同じ三月にはトランプ政権での数少ない穏健派とみられていたティラーソン国務長官が解任されています。それに代わり、ポンペオCIA長官(当時)を国務長官に任命しました。これでボルトン補佐官就任と合わせて、トランプ政権の対北朝鮮強硬派が揃ったといえます。

四 二〇一九年二月にハノイで開かれた米朝首脳会談に先立ち、ビーガン北朝鮮特別代表は、同年一月にスタンフォード大学での演説で、北朝鮮非核化先行、その後に制裁解除(オール・オア・ナッシング戦略)という米国の方針を改めて、北朝鮮が主張している「行動対行動」原則(ステップ・バイ・ステップ戦略)を実質的に受け入れることを表明しました。
 しかしその後開かれたハノイ会談では、首脳会談にボルトンも出席しているニュースが流れて、それを見た私は嫌な予感がしたのです。案の定トランプは、寧辺の核施設の解体の見返りに経済制裁の一部解除を提案した金正恩に対して、「ビッグディール」を主張したため、合意に至りませんでした。その後の三月七日国務省高官の記者会見で次のようなやりとりがあり、トランプ政権は再び一括合意路線(オール・オア・ナッシング戦略)に回帰したことを明らかにしたのです。
 記者:大統領がハノイで最終的にとったオール・オア・ナッシング戦略に全員が同意していたと自信をもって言えますか?というのは、サミットに至る数週間の間に(大統領)顧問団の中の他の人たちが主張していたようなステップ・バイ・ステップのアプローチをとらないという大統領の決定について、ボルトン氏がもっとも大きな影響力を持ったのではないかと、私には思えるからです。
 国務省高官:政権内にはステップ・バイ・ステップのアプローチを主張する者は一人もいません。
 この発言に合わせるように、一月にはステップ・バイ・ステップ戦略をとると発言していたビーガンも、三月一一日にはこの高官発言を肯定する軌道修正をしたのでした。

五 この様にボルトンは、トランプ政権の北朝鮮政策において、北朝鮮が決して受け入れないことは分かっているオール・オア・ナッシング戦略を推し進め、トランプ政権の北朝鮮政策を混乱させてきた張本人と言えます。ボルトンの補佐官就任を報道した二〇一八年三月二四日付朝日新聞は、ボルトンが最終的には北朝鮮の政権を倒し、韓国による南北統一を持論としていると報道しています。

六 イラン政策についても同様です。上記の朝日新聞記事は、ボルトンがイランとの核合意から離脱することを訴えていると報道しています。案の定トランプは、ボルトンが補佐官に就任してまもなくの二〇一八年五月一〇日核合意から離脱を表明しました。その後米国はイランに対する厳しい経済制裁を科し、イランは核合意に基づく核開発の制限の一部履行を停止し、今や核合意は風前の灯火となっています。
 さらにトランプは、イランに対する限定的な空爆作戦を一旦は発動し、空爆直前に中止しました。このことにより、米国とイランとの間の軍事的緊張は高まったのです。二〇一九年六月二二日朝日新聞によれば、イランによる米軍無人偵察機の撃墜に報復するため、六月二〇日トランプが政権幹部を集めて協議し、ボルトンとポンペオが強硬策(空爆実行)を主張し、有力議員は慎重意見であった、ニューヨークタイムズは、国防総省幹部も空爆に慎重意見であったと報じたとのこと。
 そのような最中に米国による核合意離脱と対イラン経済制裁により、ホルムズ海峡の安全航行への危険が生じることを阻止しようと、トランプ政権は米国の同盟国や友好国の軍隊による有志連合構想を打ち上げて、複数の国の海軍力によってホルムズ海峡の航行の安全を図ろうとしました。これは明らかにイランに対する軍事的挑発です。
 しかしながら、国際社会はこの様な原因を作った張本人のトランプ政権が打ち出した有志連合構想へは冷淡でした。さすがの安倍政権も慎重に構えたくらいです。

七 この様にボルトンは、国際紛争を軍事力行使により解決を推し進めようとする「戦争屋」と言ってよい人物です。ブッシュ政権では国務次官(安全保障担当)で、イラク攻撃を推進した張本人でした。イラク戦争が失敗であったことは誰しもが認めることですが、ボルトンは決して認めていません。むしろ二〇一六年七月六日「The Telegraph」誌へ寄稿した論文では、二〇〇三年にイラク攻撃をすべきではなかった。そうではなく一九九一年にイラクを片付けておけば良かった。」と述べて、イラクがクゥエートを軍事占領したときに攻撃してフセイン政権を倒しておくべきであったと、その責任を転嫁しているくらいの確信犯です。

八 そのボルトンがトランプ政権から去ることになりました。トランプ政権の北朝鮮政策、イラン政策が戦争から外交へと大きく転換するきっかけになることを祈るのは私だけではないでしょう。トランプ政権が今後どのような対北朝鮮、イラン政策を選択するか「何が起こるかみてみよう。」

*この原稿は、NPJ通信連載記事「憲法九条と日本の安全を考える」へ掲載されたものです。

 

 

基地撤去のための憲法「改正」-加藤典洋『戦後入門』  東京支部 松 島    暁

はじめに 
 過日、元団長の坂本修さんとお会いした際、加藤典洋『戦後入門』(ちくま新書)を薦められました。同じ加藤氏の『敗戦後論』について以前に一文をしたため(二〇〇〇年団五月集会特別報告集)、そこで加藤氏を新手の改憲論者(護憲的改憲論)と評しており、「今さら?」とは思ったのですが、坂本さんの薦めもあり、購入して読んでみました。
 新書本としては異例の六〇〇頁超のボリュームで詳しくは紹介できないのですが、かつての評価は一部修正しなければと思いつつも、護憲的改憲論の先駈けという評価に変わりはありませんでした。
戦後のねじれと憲法の選び直し
 かつて『敗戦後論』で加藤氏は、「戦後の原点には『ねじれ』(憲法の制定とその内容との矛盾)があり、その矛盾が指摘されないだけでなく、その矛盾『ねじれ』の中にある『汚れ』が直視されずに抑圧され、その結果、私達は憲法を憲法として尊重しない、不思議な立憲国国民となってしまった。私達の平和憲法保持は、この『強制』の事実に目をつむることによって完遂された」としていました。その主張は、いわば、普遍的価値を有する「平和憲法」を(護憲的)、その強制の故にもう一度「選び直」そう(改憲)というもので、この加藤氏の主張を間宮陽一氏は、親から強制された結婚について、江藤淳は「強制」された結婚だから別れようといい、大江健三郎は強制されたとしても「仲がいい」から別れないといい、加藤典洋は強制だから「いったん別れ」てもう一度「結婚」し直そうというようなものと評しました。
 『敗戦後論』での憲法選び直し案の評判が宜しくなかったためか、今回、その不十分性を補強・修正したとしていますが、後述するようにやはり納得のいく提案とは思われません。
護憲派は「戦前の死者」を切り捨てたか
 とはいえ、いくつかの貴重な指摘がなされていることも事実です。
 加藤氏は、戦後の日本人が、戦死者たちをその考え方において裏切ったといいます。「戦後の日本人にとって『よい憲法』だったのは、戦後の日本人が、信奉の対象を戦前の価値観から戦後の価値観へと変えた」、「戦争で多くの愛する家族を失い、国の無責任さをつくづくと思い知り、占領軍の促す価値観に説得されつつ、自発的にそちらに宗旨替えするようになった」といいます。そしてこの認識を踏まえて、護憲派に対し、「戦争の死者たちを、間違った国の戦争にしたがった人々とみて、自分の価値観とは異なる人々だからと切り捨て、戦前を否定した戦後の価値観のうえに自分をたたせる。このような革新派の人々は、侵略を行った東アジアの隣国の人民や政治に、深甚な謝罪の意を示す一方、日本の戦死者に対してはさほどの関心を示さない態度には、見るからに腰の軽さが透けて見える」と批判します。他方で、改憲派については、「どうしても戦前の死者たちを称讃したい、否定したくないという一心から、歴史的現実のほうをねじ曲げて日本は正しかったのだ、間違ってはいなかった。死んだ兵士もそれを支えた国民も立派だったと肯定する」態度を想像力の欠如と批判します。
 しかし、戦前の死者に対する向き合い方において加藤氏の指摘する傾向が一部にあるにしても、それを護憲派と改憲派に当てはめ対峙させる議論は、やや図式的すぎるように思います。
国連との提携による対米自立は可能か
 また、戦後日本の対米従属に関連して、ニュルンベルグでドイツ軍の悪を強調することがカチンの森のソ連軍の犯罪を隠すのに役立ったように、日本軍の残虐非道さを強調することにより米軍による大量殺戮=原爆投下が戦争犯罪行為であることを見えにくくした効果をもったという加藤氏の指摘も、まっとうで鋭いものです。
 さらに「アメリカの罪を告発しないことによって、アメリカと日本の間に波風を立たせまいとする現在の日本」、「それは一見インターナショナルな開かれた視点に見えながら、その実は、普遍原理を内蔵しない被害者体験にもっぱらたよろうとする、もっとも低い意味でのナショナルな閉じられた視点なのだ」という小田実の言説を引用しながら対米自立を主張するのですが、その方向は、ナショナリズムを排した国際協調主義、国連との連携だといいます。これが米国と敵対関係に入ることなしに米国から独立し、互いに平等な友好関係に移行する唯一無二の方法だからというのです。
 米国との抗争なしに独立を構想すること自体が、私には空想的としか思えませんし、国連との連携も、現実の国連が中立的組織ではなく、米中露などの大国の利害が激突し、その意向に大きく左右される組織となっている以上、米国と闘わずに日本と国連との提携など実現するのだろうかという疑念を払拭できません。
 そして、憲法九条に基地撤去を書き込み、それにより日米安保、地位協定を乗り越え、米国と交渉、基地撤去するという「矢部方式」(矢部宏治『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないか』)による解決こそが最良の解決策だとします。しかし、これこそ基地撤去のために憲法の改正をという倒錯した論理に他ならないのではないかと思います。
おわりに
 「戦後入門」における加藤氏の提案は、対米従属という「汚れ」を、対米自立の国民運動に転化し、その力によって基地撤去を実現しようとするものではなく、憲法の改正によって基地を撤去するいう「ねじれ」た構想と言わざるをえません。
 なお、対米従属の「内面化」が、保守・革新、護憲派・改憲派を問わず起きているとの指摘や安倍政権がなぜ倒れないかについては、重要な論点なのですが、字数の関係で他日を期したいと思います。

 

 

そろそろ左派は経済を語ろう8 日銀当座預金はインフレマネーではない
                                東京支部 伊 藤 嘉 章

はじめに
 杉島先生 御反論(一六七五号)ありがとうございます。
 旅行記を脱稿して、次は別のネタから天皇制論議に戻ろうとしたのですが、「四〇〇兆円の当座預金は、インフレ要因にならないとの答えがない」旨の御指摘を受けましたので、にわか勉強ですが、私なりの回答をしたいと思い起案しました。
マネタリーベースは銀行間の決済資金にすぎない。
 杉島先生は、一六六四号で、「法定準備額は約一〇兆円……市中銀行は、膨大な貸出余力を有しています。この日銀マネーが、過剰な貨幣となって市場に登場する可能性は否定できません」と書いています。
 私も、市中銀行は、日銀から供給された当座預金を顧客への貸付金に振り替えることによって貸出が行われるもの(外生的貨幣供給論)と思っていました。そして、信用乗数をともなって、マネーストックが膨らんでいくのだと。
 ところが、日銀における当座預金残高とは、銀行間の決済資金用の残高にすぎないのである。市中銀行が貸付を実行しても、当座預金残高は減少しないのである。他方で、銀行は日銀における当座預金残高が不足すると、銀行間決済のために、短期金融市場、もしくは、最後の貸し手である日銀から借入れて当座預金残高を確保しなければならない。
貸出は準備預金(日銀当座預金)の残高とは関係ない。
 他方、銀行の貸出は、当座預金の残高とは独立に行われる。銀行は、貸出にあたり、借入人の預金通帳の入金欄に貸出実行額を記帳するだけで、無から預金という貨幣(万年筆マネー)を創造しているのである(内生的貨幣供給論)。その結果、銀行のバランスシートの両側に、貸出債権と預金債務とが記帳される。
 銀行は、日銀における当座預金をおろして貸付けているわけではなく、貸出により日銀当座預金の残高は変動しない。
 銀行の貸出によって、生まれる預金がマネーストックであり、この預金が貨幣として機能して、市場に流通する。
銀行の貸出には資金需要の存在が前提
 無から有をつくるのであるから、杉島先生がいうような三八〇兆円の数十倍の貨幣の供給(一六五七号)も理論上はありうる。しかし、今ではバーゼル規制によって不可能である。
 本来、銀行は貸出した元本に利息をつけて回収してなんぼという商売である。すると、現実の貸出限度額とは、回収可能性額ということになる。銀行には、天気のときに傘を貸したがり、雨が降ると傘を取り上げるという習性がある。
 大企業は内部留保を蓄えていることに加え、デフレの時代には、資金需要がないのだから、日銀がいくら笛を吹いても、銀行が踊らず、貸出が増えないのは、当然のことである。
当座預金(準備預金)残高はブタ積みが当然
 日銀が国債の買いオペによって市中銀行に供給した「準備預金は、銀行の対企業融資の原資を提供するのではなく、日銀勘定にじっと留まったまま、銀行間決済の場、日銀による金利操作の舞台、という役割を務めるもの」(横山昭雄「真説 経済・金融の仕組み」七八頁)にすぎない。
 かつて、膨れ上がった当座預金残高をブタ積みと揶揄する見方があったが、けだし、これは、当然のことである。
マネタリベースとマネーストックは別のトラックの走者
 すると、市中銀行の信用創造によってつくられ市中に出回るマネーストックと、銀行間の決済に使われる当座預金であるマネタリーベースは、「いわばしきりで区切られた別々のトラックを走っている」(石塚良次「現代資本主義の貨幣理論-金融緩和論の陥穽 異端の経済学MMTを読み解く」「情況 二〇一九夏号」五二ページ)別のランナーという考え方からすれば、「日銀マネーが、過剰な貨幣(信用貨幣)となって市場に登場する可能性を否定できない」という考え方は、誤りであり、杞憂にすぎないことになる。
それでも心配ならば総量規制(サラ金の総量規制ではない)
 貸付を抑制するには、バーゼル規制の他に、一九九〇年三月から一九九一年一二月まで政府がおこなった不動産融資についての総量規制の実績があります。そこで、すべての融資に、前年度融資額の一定パーセント以内に抑えるという総量規制をかければ、際限のない信用創造は行われなくなります。
公共投資によるインフレの創出
 国債の発行によって公共投資を続けた結果、「供給力>需要」(不況)が「供給力〈需要」(好景気)へと市場が変化することに異存はありません。
 ただし、このときに、四〇〇兆円がインフレマネーとなるのではない。そろ左派の松尾教授もいいます。「世の中に本当に出回っているおカネと、民間銀行が日銀に預けてあるおカネとは別物で、民間銀行が日銀に預けてあるお金がいくら膨大になっても世の中に出回るわけではありません」(同人著「左派リベラル派が勝つための経済政策作戦会議」八七頁)。
日銀は逆ザヤになる付利などしない。
 日銀は、市中銀行が当座預金に積む資金を調達する政策金利の調節によって、間接的に長期金利、そして貸付金の増減に影響をもたらすにすぎない。市中銀行は、日銀当座預金を下ろして、民間企業に貸出すのではない。
 二〇〇八年リーマンショックの年に、金融決済機能が破綻しないように日銀は決済用の当座預金に流動性を潤沢に供給しようとした。このとき、余裕のある銀行は、一九五九年に導入された準備預金としての当座預金が無利息であるところから資金を他で運用する傾向があった。そこで、当座預金に付利することによって、銀行業界全体の流動性を確保するために、資金に余裕のある銀行でも当座預金に資金を固定することを期待して、二〇〇八年一〇月三一日の政策金利引下げとともに、当座預金に〇・一パーセントの付利をすることになった(元日銀総裁白川方明著「中央銀行」二五〇頁)。
黒田日銀の時代には、国債売却によって利益を出した銀行はその代金に利息が払われることによって、日銀にとって国債を買いやすい制度として維持されてきた。
 当座預金の付利は銀行の貸出の抑制とは関係がなく、日銀は、国債流通利回りよりも高い馬鹿な付利はしないのである。
インフレ抑制に保有国債の売りオペは、ほどほどに。
 いまでは、四〇〇兆円もの日銀当座預金がある。確かに黒田日銀の異次元緩和が始まった時のマネタリーベースに戻すべく国債の売りオペをすれば、国債価格は暴落し、長期金利は暴騰する。しかし、日銀は、購入価格よりも低い売却による剰余金の食いつぶし、資本の欠損となることはしない。  
 しかも、国債が安く市場に出れば、満期に額面で償還されるおいしい金融商品・国債の購入者が現れ価格が均衡する。
そこで、インフレ抑制は政府
日銀は本気になれば、インフレ抑制はできるのです。政府はデフレの時代にも消費税率を上げたり、日銀は二〇〇六年にはゼロ金利を解除した実績があります。インフレが暴れ出す前に防止することは十分にできるのです。  
国債は未来への贈り物
国債には愛がある(財務省ユーチュウブの動画から)  以上

 

TOP