第1688号 / 12 / 1

カテゴリ:団通信

【2019年愛知・西浦総会~特集10~】
*事務局次長就任にあたって  辻 田   航
*自由法曹団総会プレ企画「三菱勤労挺身隊訴訟から徴用工訴訟 へ」講演を拝聴して  竹 内 佑 太
*2019年愛知・西浦総会旅行記第二部(順不同)民間施設「ピースあいち」で見た「靖国の子」の涙
 副題~歴史修正主義者の嫌がらせを感じるか  伊 藤 嘉 章

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●INF条約失効後の日本を取り巻く核兵器の状況-日本政府へ核兵器禁止条約批准を求め、北東アジア非核地帯を実現させよう(1)
                                                 井 上 正 信
●再び、核軍拡競争を起こしてはならない!!  大 久 保 賢 一
●2019年8月集会の報告  坂 梨 勝 彦

 


【2019年 愛知・西浦総会~特集10~】
事務局次長就任にあたって  新事務局次長 辻 田   航

一 二〇一九年西浦総会で本部事務局次長に就任いたしました、東京支部の辻田と申します。所属は北千住法律事務所、修習期は六九期の弁護士三年目です。
 委員会では、治安警察問題委員会、教育問題委員会、改憲阻止対策本部(憲法審査会担当)を担当することになりました。

二 担当委員会に絡めて、今までの私の活動歴(?)を述べておきます。
 まず、治安警察関係では、弁護士一年目の二〇一七年に共謀罪法案への反対運動に取り組み、共謀罪対策弁護団の設立メンバーとなりました。残念ながら法案は成立してしまいましたが、幸い現在まで発動例はありません。また、官邸前見守り弁護団の一員として、首相官邸前や国会前などでの抗議活動における警察の過剰警備と対峙してきました。
 教育関係ですと、元々、団本部教育問題委員会のメンバーとして、教科書採択や少年法年齢引き下げ問題に取り組んできました。また、二〇一八年三月に、事務所の地元である足立区の中学校での先進的な性教育に対し、都議会で自民党議員が不当な介入をした際は、事務所の弁護士や地域の方とともに問題に取り組み、授業継続を勝ち取ることができました。
 さらに改憲関係ですが、そもそも私がいわゆる団系事務所に入ったきっかけは、集団的自衛権行使の容認とそれに続く安保法制の成立です。それぞれ、私のロースクール在学時、司法試験合格発表待ちの出来事であり、憲法を勉強中の学生・受験生としては大変衝撃的でした。安倍首相がいなければ、学生時代にいわゆる「運動」に取り組んだ経験など皆無の私が団員になることもなかったかもしれません(笑)。そんな私ですから、安保法制から続く安倍首相・自民党が目論む改憲問題に取り組まないわけにはいかず、改憲問題対策法律家六団体連絡会の事務局として活動しています。
 そして、法律家六団体の活動で(飲み会を含む)交流を深めた結果、船尾前団長、泉澤幹事長、森前事務局長からお誘いを受け、次長に就任した次第です。

三 ところで、最近は「若手の団離れ」が起きているのではないかと言われています。実際、今期の次長は八人枠のところ五人しかいません。次長が二ケタおり、二年を超えて在任しているという某R弁護団と比較すると、少し寂しい状況です。
 この状況の要因の一つとして、若手の団に対する悪いイメージがあるのではないかと思います。「ベテランが幅を利かせ、若手の意見が全然取り入れられない、古臭くて保守的な団体」といったイメージです。
 団がもうすぐ創立一〇〇周年を迎える(良い意味で)古い団体なのは確かですが、若手にこのイメージが残ってしまうと、一〇〇年のその先が危うくなってしまいます。
 イメージの真偽はさておき、私としてはこれを覆せるように次長の職務に取り組んでいきたいと思いますので、団員の皆様に置かれましてはお手柔らかにお願いいたします。
 それでは、二年間どうぞよろしくお願いいたします。

 

自由法曹団総会プレ企画「三菱勤労挺身隊訴訟から徴用工訴訟へ」講演を拝聴して
                            名古屋北法律事務所  竹 内 佑 太

一 はじめに
 私は今回の総会プレ企画に事務員として参加させていただきました。ニュース等で韓国大法院判決が出たことや損害賠償責任が認められたことは知っていましたが、その内容の詳細や背景などは知らなかったので、良い勉強の場をいただけたことに感謝しています。今回はその中でも特に印象に残った崔鳳泰弁護士のお話を中心に、感想を書かせていただきたいと思います。
二 講演を聞いて
 まず、外国判決の承認についての問題について、あまり目にする機会がないためすっかり存在を忘れていましたが、その単語を聞いてハッとしました。日本でも(その是非は別として)判決は出ているところ、「日本の判決を無視するものだ」という報道しか目にしていなかったため法的な問題と結び付けて考えていませんでした。
 大法院判決ではこの問題について「日本の裁判所の判決中、その内容が韓国の善良な風俗やその他の社会秩序に反するものについては、その効力を認めることができ」ないと判断しており、当事者の権利保護や法秩序の安定の観点からも当然のことを言っているように思いました。
 また、重大な争点の一つとなっている個人の請求権に関しても、法律論として外交保護権の放棄と考えるのか、訴訟上の権利が喪失されたと考えるのかなど、当時の日本政府や日本の最高裁および韓国大法院の考え方を詳しく聞くことができ、大変勉強になりました。私がよく目にするメディアはテレビなのですが、そこでは「国際法違反」や「約束違反」といった安倍政権の主張が多く報道されており、韓国大法院判決の理論をわかりやすく説明されているものを見る機会がなかったため、今回の講演で学ぶことができとてもよかったです。いただいたレジュメもわかりやすくまとめていただいているため、折に触れて読み返したいと思います。
 韓国大法院判決を基に三菱重工業の商標権と特許権の差押えがなされることになった経緯についても、原告らが高齢であり亡くなる前になんとか請求をしなければという意味合いが強く、対応をしない日本に対する諦めや攻撃的な意思に基づくものではないという言葉が聞けたことが何よりもよかったです。正直、差押えまでいくというのは和解の余地がない事件に多いイメージがあり、今回もそのように思われたのではないかと思っていました。しかし、和解について諦めておらず、協議の場を設けることになんら問題はない、という希望のあるお話を聞くことができ大変嬉しく思いました。
三 おわりに
 今の日本では、反韓を煽るニュース、ネットへの投稿など、日韓の関係を悪化させようとするものが多く、それに対して異を唱えれば(声の大きい人たちから)一斉に攻撃をされるということが増えているように思います。また、それを恐れて「変だな」と思っても自分の意見を口に出せないような空気が流れているように思います。
 私見ですが、攻撃をしてくる彼らについて「自分にとって嫌いなものがある」ということは当然のことなのに、彼らの中には「相手に非がないにもかかわらず嫌うことが許されない」という価値観があって、だから「自分が嫌い」を「相手が悪い」に言い換えてしまっている部分があるように思えます。「何でも好きになる」ということではなく、「嫌いなものは嫌いなままでいい。ただ、攻撃したり排除せずに共存する」という多様性を認める社会を作ることが大事なのではないかと思います。そして、異なる考え方を認め、お互いを尊重しつつ対話をすることができるようになれば、崔弁護士の言う戦争被害者の尊厳を回復し、傷を癒すことにもつながると信じています。
 末筆ではございますが、今回の企画に際してご尽力くださった関係者の方々へ感謝の気持ちを伝えさせていただき、感想とさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

 

2019年愛知・西浦総会旅行記
第2部(順不同)民間施設「ピースあいち」で見た「靖国の子」の涙副題~歴史修正主義者の嫌がらせを感じるか  東京支部 伊 藤 嘉 章

ゆったりしたスケジュール
 一泊旅行の二日目の一〇月二二日は、午前八時に朝食をとり、午前九時半に、奥三河の秘湯、湯谷温泉の旅館を出る。
 昨夜来の雷雨もあがり、雲が流れはじめ、晴れ間が顔を出してきた。    
 まずは、飛込み提案の見学地、長篠・設楽原合戦場跡地の織田信長の本陣跡に行く。信長の歌碑がある。
 きつねなく 声もうれしく きこゆなり 松風清き 茶臼山かね
 茶臼山稲荷神社もある。
豊田ジャンクション
 名古屋市内に向かうバスは豊田ジャンクションを通過する。
 ここでは、東から来る東名高速道路、新東名高速道路、西から来る名神高速道路につながる東名高速道路部分、東海環状自動車道そして伊勢湾岸道路が交差する。
 長篠設樂原パーキングエリアで入手した道路地図をみると、名古屋第二環状自動車道が名古屋市内を走り、これの外周に東海環状自動車道が走っている。ところが、この両自動車道には、早期開通が望まれる未開通区間がある。この未開通区間における道路の築造は必要不可欠な公共事業であろう。
戦争と平和の資料館「ピースあいち」の沿革
 「ピースあいち」とは、「NPO平和のための戦争メモリアルセンター設立準備会」が運営する博物館相当施設(博物館法第二九条)である。
 一九九三年、散逸していく戦争の資料や遺品を後の世代に残そうと考えた民間有志グループが、愛知県と名古屋市に、戦争資料館の建設を呼び掛けた。県や市でも戦争資料館建設の検討委員会を作り検討をしてきた。以上は、開館一〇周年記念誌「希望を編みあわせる」の二頁に記載がある。さらに一〇周年記念誌によると、戦争メモリアルセンターの基本構想では、大阪城公園に二十五億円で設立された「ピース大阪」などの例を挙げ、建設場所の一例として、名古屋城・名城公園周辺その他を摘示していた(同冊子一一一頁)。
 ところが、地方財政ひっ迫もあったでしょうか、建設計画は棚ざらしとなってしまったという。
 筆者がメモリアルセンターの財政難を理由とする頓挫は河村氏が名古屋市長になってからのことかと、ボランティアガイドに尋ねたところ、あいまいな返事しか返ってこなかった。
篤志家の登場
 行き詰った状況下で、加藤たづ氏が現れ、現金一億円と評価額四三〇〇万円の土地九十坪の寄付の申出があり、ありがたくNPOが頂戴したという。この土地上に、寄付金と市民からのカンパで建物を作り、二〇〇七年に、民間施設である戦争と平和の資料館「ピースあいち」が開館したのである。
あるべきハコモノ行政(私見)
 木造の名古屋城天守閣はアジア太平洋戦争の終盤に空襲で焼け落ちた。二度と戦争をしない、城が焼けないようにとの思いで再建された鉄筋コンクリート造りの天守閣は、名古屋市民の貴重な財産であり、歴史的建造物である。この現存天守閣を、最新の技術で耐震工事をしながら保存する。そして、その近くに戦争メモリアルセンターというハコモノを作る。両者を併せて戦争を考える施設として活用する。
 どうしても天守を江戸時代の形状で再現したいのであれば、現存天守閣は外から見るものとして保全したうえで、名古屋城の敷地内に、天守の各階ごとに木造のレプリカを、江戸時代と寸分違わずに平屋で造る。一階部分から二階部分へは平屋の隣の建物なので車いすで移動できる。名古屋城の縄張りを見下ろす展望塔として五稜郭タワーもどきをつくる。メモリアルセンターとこのようなハコモノの建築費と維持管理費は、富裕層の住民税の減税をやめれば容易に捻出できるであろう。
展示物から1 桐生悠々の「防空演習を嗤う」の新聞記事
 太平洋戦争(一九四一年)も日中戦争(一九三七年)も始まっていない、満州国建国の年(一九三三年)の八月一一日、折からの東京市を中心とした関東一円で行われた防空演習を批判して、悠々は信濃毎日新聞に社説「関東防空大演習を嗤う」を執筆した。「敵機を関東の空に、帝都の空に迎へ撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」という。この所論は、一二年後の現実の空襲被害を予見するものとなった。在郷軍人会の不買運動で、悠々は信濃毎日の退社を余儀なくされた。
展示物から2 「靖国の子」八巻春男氏の写真
 戦争で父親を亡くした子供。十歳くらいか。当時の皇后からの下賜品を両手にして、見あげるきりっとした顔。左目からは、一条の涙が頬をつたう。
 「本当は春男君の涙は悔し涙だったかもしれません。戦争を始めた者に対する怒りの。」(山中恒著「靖国の子」二〇一四年大月書店発行・三五頁)。私見ですが、この記載はイデオロギー過剰ではないか。「父を亡くした悲しみの涙」でよいのではないか。この少年であった八巻春男氏は健在である。写真撮影の前に目薬をつけられたという。
異論のある展示物
 チェルノブイリ原発、福島第一原発の事故の写真もある。これは戦争による被害ではないから、ここに展示するのはおかしいという意見があるという。
個人的に異論のある展示物
 ユーロ紙幣を手にもった笑顔の女性の写真がある。個人的にはこの展示には同意できない。
 統一通貨ユーロを導入した国は自国の通貨発行権を失うだけではなく、自国の金融政策ができなくなった。ギリシャでは、ユーロ建国債が暴落して、ギリシャ国民は高金利による国債の償還に苦しむことになった。永久に借換債を発行し続けて元本返済を繰り延べるとともに、日銀の政策によって金利がないに等しくなっている日本の円建て国債との違いは大きい。ユーロ導入は、ギリシャにとっては、慙愧にたえない間違った選択であった。
歴史修正主義者の意地悪か
 個人が法人に財産を無償で譲渡すると、譲渡人の方に譲渡所得税がかかるところ、本件では、租税特別措置法四〇条の適用によって免除されたという。
 しかしながら、「年間に一二〇万円になる土地建物にかかる固定資産税は、減免を名古屋市にお願いしているが、現市長は『ピースあいち』の展示に一部納得できないものがあるので、減免できないとの回答だったとのことです」(前掲「会館一〇周年記念誌」八一頁)。
 これは、筆者の完全な妄想かもしれませんが、歴史修正主義者の「ピースあいち」に対する苛めではないのか。
    第二部は以上で終

 

NF条約失効後の日本を取り巻く核兵器の状況-日本政府へ核兵器禁止条約批准を求め、北東アジア非核地帯を実現させよう(1)  広島支部 井 上 正 信

一 INF条約とは何であったのか
1 二〇一九年八月二日、INF条約が失効しました。一九八七年一二月当時の米ソ間で調印され一九八八年六月に発効して以降、冷戦終結後の世界を象徴する条約でした。トランプ大統領が二〇一九年二月二日に条約からの脱退をロシアへ通告したため、六カ月経過後の八月二日に失効したのです。
 米国はさっそく八月一九日に地上発射型巡航ミサイルの発射実験を行いました。これに対してロシアは、「(条約失効の)かなり前から準備していたものだ。」と強く批判しました。すでに米ロ間では核軍拡競争が始まっています。米国の実験が想定以上に早かったと認識したプーチン大統領は、八月二一日「同様のミサイルの開発を再開する。」と表明しました。ロシアと中国は、米国がアジア太平洋地域へ中距離ミサイルを配備すれば、対抗措置をとると表明しました。

2 INF条約は、一般的には中距離核戦力全廃条約と呼称されています。ただこの呼称はINF条約の意義を必ずしも正確に表していません。この点は東アジアに中距離ミサイルが配備された場合に日本が置かれる立場を考えるうえで重要なポイントでもあります。
 正確には「中射程、および短射程ミサイルを廃棄する米国とソ連との間の条約」という名称です(国名は略称)。廃棄対象は、五〇〇㌔以上五五〇〇㌔までの地上発射型ミサイルとその発射基、支援施設・装置(製造、修理、貯蔵、実験施設を含むもの)です。核・通常弾頭を問いません。空中発射型・海洋発射型巡航ミサイルは対象外です。
 また、廃棄するミサイルの核弾頭は廃棄対象ではありません。その意味では条約は核軍縮条約としてみればかなり限定的なものです。廃棄に要する期間は、短射程ミサイルが一年六ヶ月、中射程ミサイルが三年以内と定めました。実際にこの期間内に廃棄されたのです。むろん既存のミサイルの廃棄だけではなく、将来の実験・製造も禁止されました(INF条約につき黒沢満著「核軍縮と国際法」が詳しい)。
 ではなぜ核・通常弾頭を問わない条約なのでしょうか。黒沢満氏の著書でもその点は分かりません。ミサイルの外形上核弾頭なのか通常弾頭なのかは区別がつかないからではないかと考えます(核・非核両用)。発射からわずか七、八分で着弾する中距離弾道ミサイルが敵陣営に配備されれば、標的にされた国は、当然核弾頭ミサイルとして対処せざるを得ないからです。
 この条約に基づき米国とソ連とは、相互の査察と検証下で、現実に短・中距離ミサイルとその関連施設・装置を物理的に廃棄(破壊)したのです。核兵器が開発されて以降、特定の分野の核兵器システム(核弾頭を除きますが)が核軍縮条約に基づいて全廃されたことは歴史上初めてのことであり、画期的な出来事でした。

3 INF条約がなぜ当時の米ソ間で調印されたのでしょうか。現在四〇歳代前半以前の若い方は、その背景をご存じないことかもしれませんので、ここで振り返ってみることは、今後日本と私たちが置かれることになる状況を理解する上でも必要なことと思います。
 一九七五年にソ連は、当時のソ連の同盟国であった東ヨーロッパへ中距離核弾道ミサイルSS20を配備しました。射程五〇〇〇キロのこのミサイルは、三発の弾頭を搭載し車載発射型(移動式)ミサイルであるため、敵からの報復攻撃に対する脆弱性が低減され、命中精度が高いものでした。標的はNATO同盟のヨーロッパ諸国、とりわけ西ドイツでした。これに対してNATO同盟は、中距離ミサイル制限のための協議をソ連に求めつつ、他方で中距離弾道ミサイル パーシング2と地上発射型核巡航ミサイルを一九八三年から配備するとの決定をします。軍縮交渉と軍拡を決定するという方向性の異なる二つの決定であることから、これが有名なNATO二重決定と言われるものです。
 NATO二重決定により、ヨーロッパを戦場にした限定核戦争の危機が現実のものになろうとしたのです。とりわけ西ドイツは東西冷戦の中で、ソ連軍・ワルシャワ条約機構軍と対峙する最前線に位置する国でしたから、西ドイツ市民の危機感はとても大きかったのです。
 米国のパーシング2や核巡航ミサイルは一九八三年一一月から配備されるのですが、一九八三年の初めから、西ドイツ国内では、毎日、毎週のように大規模な反核行動が繰り広げられました。特に一〇月は文字通り「反核の炎」が首都ボンと全国を包みました。一〇月一五日から二二日の「平和大行動週間」では、西ドイツ一〇〇万人以上、イタリア一〇〇万人、イギリス五〇万人、ベルギー五〇万人、オランダ五五万人など、米国の核ミサイルが配備される予定の五か国では大規模な反核行動が起こされました(以上佐藤昌一郎著「世界の反核運動」より引用)。

4 なぜヨーロッパでこの様な大規模な反対運動となったのでしょうか。当時米国(レーガン政権)では、ソ連との核戦争も可能だ、核戦場を限定できるとの論調(限定核戦争論)があり、米ソ間の戦略兵器制限条約(SALT条約)により、米ソ間の戦略核戦力が均衡していたため、米ソの領土を聖域にしてヨーロッパでの限定核戦争が引き起こされるとの恐怖心が高まったからです。当時のヨーロッパの反核運動では「ユーロシマ」が合い言葉になりました。広島が原爆攻撃で大量殺戮を受けたように、ヨーロッパも核のホロコーストを受けることを表す、ヒロシマとヨーロッパを重ねた造語です。

5 当時私はマスコミ報道で、ボン五〇万人、ローマ五〇万人、ロンドン数十万人など巨大な反核集会やパレードが行われる映像・写真を見て、感動を覚え勇気づけられたことを今でも思い出します。
 ヨーロッパの反核運動のエネルギーは、反核運動の本家である日本へも影響を与えました。当時全国で燎原の火のように広がった「非核自治体宣言」運動です。この運動はハーグ陸戦条約で無防備都市に対する攻撃が禁止されていることにアイデアを得て取り組まれたものでした。
 私が住む福山市でも、市民運動の力で、市民の一七%に達する請願署名が集められ、市議会で非核自治体宣言を勝ち取りました。この市民運動を推進するため、私は核兵器と核戦略についての多数の学習会講師を務め、そのために核兵器と核戦略に関わる多くの文献を読んで勉強しました。このことがその後の私の反核運動の基盤を作りました。いわば原点のような出来事です。
 全国各地を旅行されれば、市町のどこかに「非核自治体宣言の街」の立看板を見ることがあるはずですが、これがこの時の運動の名残です。

6 西ドイツでは現職の裁判官たちも、米国の核ミサイルが配備されるNATO軍の基地を取り囲んで、核ミサイル撤去を求める運動に参加しています。その中で一人の法律家の名前を記憶しておいてほしいと思います。裁判官にも市民的自由を保障すべきと訴えてきた青年法律家協会という法律家団体が作成に協力した映画「日独裁判官物語」に登場するディータ・ダイゼロース氏です。今年(二〇一九年)亡くなった彼は、この運動に参加し、その後結成された国際反核法律家協会の設立に貢献し、西ドイツ支部の支部長を務めました。(続)
※この原稿はNPJ通信にアップされているものを団通信掲載用に若干の修正を加えたものです。

 

再び、核軍拡競争を起こしてはならない!!  埼玉支部 大 久 保 賢 一

はじめに
 米国国防情報局(国防総省の諜報機関)の長官が、ロシアが低爆発力の核実験を実施している可能性があると指摘している。ロシアは戦術核の最新鋭化を推進しており、その保有量全体は今後一〇年にわたり著しく増加するだろうというのである。中国については、実験場の通年運用を準備している可能性があり、今後一〇年で保有量は少なくとも二倍になるというのである(「赤旗」五月三一日付)。ロシアや中国がこの指摘を認めているとの報道はないけれど、米国政府の責任者がこの手のフェイクを流すとも思われない。そうすると、ロシアの現在の核弾頭保有数は六八五〇発、同じく中国は二七〇発とされているけれど(長崎大学核兵器廃絶研究センター)、これからの一〇年間でこの数字が大幅に増加することになる。
 他方、米国は、今年二月一三日に、臨界前(未臨界)核実験を行っている。臨界前核実験というのは、高性能火薬爆発の衝撃波を古くなった核兵器用プルトニウムにぶつけ、核爆発をおこす臨界状態の寸前でとめる実験で、核兵器の安全性、信頼性確保に必要な情報が得られるとされている。爆発が伴わないとしても、核兵器の使用を念頭に置いての実験である。北朝鮮は、この二月の実験について、「米国は表で対話を提唱しているが、力による問題解決を追及していることを自らから示した」と批判している(「赤旗」五月三一日)。この実験が二回目の米朝会談の直前であったことからすると、北朝鮮の批判は無理もないであろう。米国の「俺は持つお前は捨てろ核兵器」路線に変更はないのである。
 そして、核兵器の小型化を図るとしている核態勢見直し(NPR)やINF全廃条約からの脱退などからして、米国の核兵器依存は強まっているといえよう。再び、核超大国間の核軍拡競争が始まる兆候が見え隠れしているのである。
NPT再検討会議の議論状況
 四月二九日から五月一〇日までの間、国連で、来年のNPT再検討会議の準備会が開催された。その中で、米国は、「冷戦後、アメリカは核弾頭の八八パーセントを削減した。核軍縮の成否は緊張緩和と信頼醸成にある。当時の条件が失われてしまった今、『新しい軍縮の言説』の構築が必要である」などとしている。ロシアは、「新START条約が、中距離核戦力(INF)全廃条約と同じ運命をたどることを望まない。ロシアは繰り返しこの条約の更新を主張してきた」などとしている。中国は、「核軍拡競争に参加したことはないし、今後も参加しない。核戦争に勝者はない。それは人類にとって超えてはならない一線である」などとしている。
 米国の核弾頭保有数のピークは一九六六年の三万二〇四〇発という数字がある(アメリカンセンター)。現在は六四五〇発とされているから(長崎大学核廃絶研究センター)、その差は二万五五九〇発となり、計算上はピーク時の八〇パーセントは削減されていることになる。
 このように、米国もロシアも中国も核軍拡をするなどとはしていない。むしろ、核弾頭の数を減らしたとか、新START条約は維持するとか、核戦争は人類が超えてはならないものであるなどと、あたかも核軍縮に理解があるように振舞っているのである。これらの言説は、核兵器禁止条約が採択され、その署名国や批准国が増えている状況の中で、自らも核不拡散のみならず核軍縮にも背を向けていないことを示すパフォーマンスであろう。
 けれども、彼らは、絶対に核兵器禁止条約を推進するとは言わない。安全保障環境を無視して核兵器の削減や禁止はできないというのである。日本政府は「国民の生命と財産を守るのは政府の責任である。日本は核軍縮と安全保障を同時に求めていく」と演説している(各国の発言は河合公明氏の「反核法律家」への寄稿による)。要するに、彼らは、自国の安全を核兵器で確保するというのである。他国には核兵器を持つなとしながら自国は核を保有しその命運を核に委ねようというのである。私たちは、このような倒錯した論理がまかり通っている国際社会の異常さを確認し、それを改革しなければならないであろう。
「壊滅的な人道上の結末」の意味すること
 国連は核兵器禁止条約を採択している。この条約は、核兵器使用がもたらす「壊滅的な人道上の結末」を憂慮し、核兵器が二度と使用されないことを保証する唯一の方法は核兵器の廃絶であるとしている。この「壊滅的な結末」とは、対処できないこと、国境を超えること、人類の生存、環境、社会経済的発展、世界経済、食料の安全及び将来の世代の健康への重大な影響などを意味している(条約前文)。その上で、核兵器の開発、実験、製造、保有、占有、移譲、使用、使用するとの威嚇などを全面的に禁止している(一条各項)。ここには、核兵器に依存しての国家安全保障という発想は全くない。むしろ核兵器使用は国際法違反だとしているのである。このことが核兵器国や日本などが絶対容認できないポイントなのである。だから、核兵器国は この条約の発効を阻止しようとしているし、日本政府も署名や批准を拒否しているのである。
 この条約は五〇か国の批准書寄託のあと九〇日の経過で発効することになる。現在七〇か国の署名、二三か国の批准だからまだ発効に至っていない。二〇一七年七月七日の採択から二年近くなるけれど、もう少し時間はかかりそうである。けれども、元々一二二か国(国連加盟国は一九三)の賛成で採択されているのだから、焦る理由はないであろう。
 私たちに求められていることは、日本政府の姿勢をどうすれば変えられるのか、その知恵を絞ることである。核兵器を廃絶するといいながら核兵器禁止条約を忌避する日本政府を変えることができないようでは、「核兵器のない世界」は実現できないであろう。
私たちに求められていること
 大国間の核軍拡競争の兆候がないわけではない。日本政府もその流れを押し止めようとはしていない。けれども、核兵器禁止条約を発効させようとする力も間違いなく働いている。そのことは、今回の準備会での議論状況からも明らかである。絶望や幻滅にとらわれることはない。希望の道は拓かれているのだ。確かに、巨大な力を持った者が、その力が物理的暴力であれ、金力であれ、自ら進んで投げ出すことなど想定できない。それは人間の本性かどうかはともかくとして、私たちが容易に確認できる現実である。彼らからその力をはぎ取るのはその力を凌駕する社会的力だけである。核兵器という究極の暴力を保有し使用する権限を持つのは、核保有国の政治的責任者である大統領や首相である(各国によって決定権者は異なる)。彼らがその立場にあるのは、国民の同意である。直接的であるか間接的であるかはともかくとして、核の発射ボタンを手に持つ者の正統性は国民の支持を根拠としているのである。だとすれば、その正統性を付与できる国民の意思の転換があれば、彼らの正統性を剥奪することも可能ということになる。非核の政府を求めるためには、非核の政府を求める有権者の多数派の形成が前提ということになる。そのために何が必要か。核兵器のいかなる使用も「壊滅的人道上の結末」をもたらすことを理解してもらうことである。その「壊滅的結末」の歴史的現実が、広島・長崎の原爆体験をはじめとするヒバクの実相である。その実相を理解してもらい、核兵器廃絶の意思を形成してもらうことである。平穏な日常が、理不尽に奪われる苦痛や被害は、多くの人と共有できるであろう。それは人道の基礎だからである。核兵器禁止条約も、「ヒバクシャの容認できない苦痛と被害」を基礎としている。世界は、核兵器国などの抵抗はあるけれど、間違いなく核兵器と決別しようとしている。核兵器は必ず廃絶できる。それは人間が作ったものだからである。そのためには、再び核軍拡競争など許してはならない。(二〇一九年五月三一日記)

 

2019年8月集会の報告  滋賀支部 坂 梨 勝 彦

 本年八月二〇日(火)、自由法曹団滋賀支部恒例の八月集会が開催されました。本稿では、その集会の内容について報告させていただきます。
 まず滋賀支部の八月集会について、聞きなれない方もいると思いますので簡単にその内容を説明します。始まったのは、私が弁護士登録(平成一四年)してから比較的すぐの頃で、発案者は玉木団員でした。故吉原稔団員、故野村裕団員らも交えて、とりあえず一回、開催してみようということで開催された集会でした。内容としては、八月の平日の午後から半日くらいを使い、講師としてベテランの団員の方をお招きし、実際に扱った事件などご自身の生の体験を、一時間ほどざっくばらんに語っていただきます。また、あるテーマについての討論を行い、さらに、個々の団員の事件報告(五~六名ほど、一〇分程度)をしていただきます。終了後は懇親会もあります。当初は一年限りの企画だったのですが、好評であったため、その後毎年開催されて今日に至っています。
 さて、今年は昭和四五年弁護士登録の大先輩である木村靖弁護士を講師にお迎えして、自身の経験を話していただきました。事件についての話もあったのですが、特に、平成一五年四月に日本弁護士連合会副会長に就任した後、労働審判制度を立ち上げるまでの苦労話などをお話しくださりました。故吉原稔先生や故野村裕先生に関する非常に面白いエピソードなども聞くことができました。また、「当初は裁判官を目指していたが、当事者からしっかりと話を聞けるのは弁護士であるとの理由で弁護士志望に変更した」「弁護士でないと直にものを聞けない」、「知識を弱い人のために役立てたい」というお話から、弁護士の原点を再認識し、「狭山事件を担当されていたときのお話」「弁護士になってすぐの頃、選挙運動で逮捕された人への接見を指示されたときのお話」には歴史を感じさせられました。また、日弁連副会長時代の「労働審判の導入のために個性豊かな弁護士の意見をまとめることの苦労」が特に印象的でした。木村先生、ありがとうございました。
 個々の弁護士の事件報告については、石川団員が大津のいじめ事件を皮切りに現在全国で活動していること、玉木団員が刑事裁判の控訴審で一回結審が原則になっていることへの憤り、退職金不払の合意が問題となった事件、昇格の条件につき四月~九月(前期)と一〇月~三月(後期)に分け、前期の成績のみで昇格の有無を決定するという社内規則が問題となっている(従業員にはまったく知らされていない)バス運転手さんの事件、など今年も考えさせられる事件の報告が多くありました。
 内容が盛りだくさんなので、午前から開催した方がいいのではないか、との感想が出るほどの盛況でした。個人的には、終了後の懇親会でよその事務所の面白い事務員さんとお知り合いになれたのが嬉しかったです。
 以上、滋賀支部の八月集会の報告でした。

 

 

 

 

 

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