第1689号 / 12 / 11

カテゴリ:団通信

●「暖房器具は命綱」-ストーブ代不支給違憲訴訟  高 崎   暢

●INF条約失効後の日本を取り巻く核兵器の状況-日本政府へ核兵器禁止条約批准を求め、北東アジア非核地帯を実現させよう(2)
                                                   井 上 正 信

●滋賀支部 8月集会を終えて  岡 本 万 季 子

●見事な反対尋問の実例に学ぶ  永 尾 廣 久

●自著「『核の時代』と憲法九条」を語る  大 久 保 賢 一

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【2019年愛知・西浦総会~特集 11~】
2019年愛知・西浦総会旅行記第2部(順不同)
気になる動員女子生徒の遺書 副題 豊川稲荷の狐様とは何か  伊 藤 嘉 章

 


 

「暖房器具は命綱」-ストーブ代不支給違憲訴訟  北海道支部 高 崎   暢

 二〇一九年一〇月二九日、札幌市内に居住する生活保護利用者(五〇代男性)が、ストーブの購入費約一万四千円の臨時支給の申請に対する不支給決定は、憲法二五条が保障する健康で文化的な最低限度の生活を侵害するとして、札幌市を相手に、札幌地裁に不支給決定取消訴訟を起こした。

 国は、局長通知などで、生活保護受給者の生活費は毎月支給される生活扶助費から賄うべきであるとし、必要最小限度の家具や家電を受給開始時に所有していなかったり、被災で失ったりした場合などに限定して臨時支給を認めている。

 生活保護法第九条は、「保護は、要保護者の年齢別、性別、健康状態等その個人又は世帯の実際の必要の相違を考慮して、有効且つ適切に行うものとする。」との必要即応の原則を定めている。この原則は、厚生労働大臣が保護の基準を決めるにあたり従わなければならないし、市町村長が保護を実施する際にも従わなければならない大原則である。
 ところで、この男性は、陳旧性心筋梗塞、狭心症などの持病があり、二〇一三年から生活保護を受給している。特に、持病の発作の時は、一刻を争って掛かりつけの医師の処置を受けないといけない。救急車では間に合わない。そのために、いつ起こるかわからない発作に備えてタクシー代を用意しておかなければならなかった。当然に、買い替え費用を、月額七万七千円の生活扶助費からは捻出することは不可能である。

 現行の運用で見たとおり、生保利用者が暖房器具の故障等により使用できなくなった場合、多くは、買い替え費用が支給されない扱いとなっている。
 本件も、長年使っていたストーブが壊れたので購入費の一時支給を求めた事案であったが、やはり一時支給は認められなかった。
 札幌市は、必要即応の原則を無視し、かつ通知の要件は柔軟に解釈し運用ができる余地があったにもかかわらず、その通知を、形式的・画一的に運用し、通知の要件に当てはまらないとして不支給決定を出したのである。憲法二五条の精神のひとかけらもないこの決定は、到底許されるものではない。
 暖房器具の故障は、特に、北海道や札幌市においては生保利用者の健康を害し生命を危険にさらすことになりかねない。特に本件のようにいくつかの心臓病の持病を持っている者にとっては、文字通り死活問題である。暖房器具は、彼の命綱である。

 彼は、やむを得ず、冬期加算分(灯油代)でストーブを購入したが、その結果、その冬の灯油は購入できなかった。そのため、前年の残りの灯油を必要最小限度に消費せざるを得なかった。水道が凍結しない程度の二~三度に室温を保ち、毛糸の帽子をかぶり、防寒着を着たまま寝ることを余儀なくされた。「寒さへの恐怖だけでなく、寒さによる血圧変動が最も恐ろしかった。」という彼の言葉が印象的であった。

 この裁判は、暖房器具の故障に伴う新たな暖房器具の買替費用を生活保護の一時扶助で支給されるべきであることを求めるものである。同時に闇に葬られがちな生活保護の実際の運用について憲法二五条の精神に立ち戻らせることの問題提起でもある。

 この裁判は、北海道支部の肘井博行団員、山本完自団員と私で、弁護団を構成し、裁判はこれから始まる。
 全国からのご支援をお願いしたい。

 

 

INF条約失効後の日本を取り巻く核兵器の状況-日本政府へ核兵器禁止条約批准を求め、北東アジア非核地帯を実現させよう(2)  広島支部 井 上 正 信

二 日本への中距離ミサイル配備を狙う米国
1 新聞報道が紹介する米国のメディア、研究者の見解などから、INF条約が失効したら、早晩米国は東アジアへ中距離ミサイルを配備するであろうと推測していました。ところが私の漠然とした推測をはるかに超える新聞報道に接したのです。この論考をまとめようと考えたきっかけがこの記事でした。
 二〇一九年一〇月三日付琉球新報の一面トップと二、三面に、「沖縄に新中距離弾配備」「米新戦略で大転換」という見出しで掲載された記事です。琉球新報の独自取材に基づいて書かれた記事で、琉球新報のスクープでした。この記事の目新しい点は、一般的な予測ではないことです。二〇一九年八月二六日にワシントンで、INF条約失効後のアジアにおける米国の新戦略を協議する会議が開かれ、新型ミサイル(中距離ミサイルの意味)の配備地として、日本、オーストラリア、フィリピン、ベトナムが挙がり、韓国は非核化をめぐり米朝交渉が行われているので当面は除外された、今後二年以内に、沖縄をはじめ北海道を含む日本本土に大量配備する計画があるというものです。
 ロシア大統領府関係者からの取材をもとにした記事で、関係者との詳細な応答内容も掲載してありました。この関係者の話では、日本へ配備されればそれが沖縄であっても、北方領土交渉は無しになるとのこと。
 ロシア大統領府の関係者からの情報である点で、ロシアによる情報戦ではないかとの専門家の批判もあるようです。私も同じ疑問を持ってこの記事を書いた琉球新報記者に電話でお聞きしました。
 それによると、米国とロシアとの間では、双方の国益が絡んだ問題について、互いに水面下で情報のやり取りしており、そのような関係から情報が伝わったのではないかとの説明でした。
 私はこの記事の内容の信ぴょう性は高いと考えています。その後の一〇月一二日付、琉球新報の記事で、ワシントンDCを拠点とするシンクタンク「フォーリン・ポリシー・インフォーカス」の外交問題専門家であるジョン・フェッファー氏のインタビュー記事が掲載されました。彼は米国による中距離ミサイルを沖縄など日本へ配備する計画を把握しているとして、日本へ配備される可能性は「残念ながら非常に高い。」と述べています。その理由として、オーストラリアは配備拒否を表明し、韓国・フィリピンも拒否する可能性が高いこと、日本が拒否してもトランプは圧力を強めるとの見方を示しました。
 さらに彼は、日本に配備される中距離ミサイルは巡航ミサイルで、米国は核弾道ではないと説明するであろうが、核・非核両用タイプになる、日本に配備される場所は日本政府との交渉で決まると述べています。
 加えて、一〇月二二日の朝日新聞に、「日米、新ミサイル配備協議 米のINF条約離脱を受けて」の見出し記事が掲載されました。米国が新たに配備を検討する中距離ミサイルについて日本政府と協議を始めたことが分かったというもの。エスパー国防長官はアジア太平洋地域に配備する意向を示しており、日本配備の可能性を含めて意見交換したと記事は述べています。米軍幹部を取材し、(一〇月)一八日に米政府高官が来日して防衛省、外務省、国家安全保障局の幹部と会い、今後どうなるのかが議題に上がったとの情報も書かれていました。記事は「日本配備」に言及したかは定かではないとしていますが、日本配備の選択肢を含むものとみてよいでしょう。

2 中距離ミサイルの日本配備については、おそらく日米拡大抑止協議の場において具体化されるであろうと推測しています。「拡大抑止」とは、米国の核・通常戦力による抑止力を同盟国にまで拡大して、同盟国を防衛するというものです。「日米拡大抑止協議」は二〇一〇年から始まっています。
 オバマ政権下で取り組まれた核軍縮(特に海洋発射核巡航ミサイルを二〇一三年までに退役させるとの決定)に対して、日本政府が強い懸念と反対を表明したことから、米国による拡大抑止の実効性を持たせるため、日本政府の要請を受けて始められたものです。毎年二回、東京と米国内で交互に開かれており、二〇一四年度以降は外務省のHPで、開催場所と主たる出席者までは公表されていますが、何を協議しているかは秘密です。
 専門家の中には、中国のミサイルの射程内にある日本へ米国が中距離ミサイルを配備することは考えられないとの批判もあります。しかし、一九八〇年代のヨーロッパでソ連と米国がそれぞれの中距離核ミサイルの射程内に中距離核ミサイルを配備したことを考えれば、この批判は当たっていないと考えます。

3 トランプ大統領がINF脱退通告を行った理由は、表向きはロシアによる条約違反を挙げています。ロシアの地上発射核巡航ミサイルの射程が五〇〇㌔をわずかに超えているというものです。ロシアは否定しています。しかしこれは口実と思われます。トランプの本当の動機は、INF条約の当事者ではない中国が着々と中距離弾道・巡航ミサイル戦力を強化しており、この分野の戦力で米国は圧倒的に中国に劣っている、不公平だというものです。そうすると米国が開発配備する主要な地域はアジア太平洋地域になるはずです。
 真っ先に配備対象となる国が日本になることは、これまでの日米の同盟関係から自然な流れです。米国にとって、日本ほど御しやすい国はありません。米国と密約を結びながら、国民には平気で嘘をつく政府だからです。日本政府との間には、一九七二年の沖縄返還交渉をめぐり交わされた、有事での核兵器再持ち込みの密約をはじめ、核兵器持ち込み密約があります。
 米国の中距離ミサイルが持ち込まれる際には、日本政府は通常弾頭であるから心配はないと国民に嘘をついてごまかすでしょう。あるいは、日本の非核三原則を米国は尊重している、同盟は信頼関係で成り立つものだから、米国から事前協議の申し出がない以上(日米安保条約では、装備の大幅な変更の際には事前協議を行うとし、核兵器の持ち込みは装備の大幅な変更に該当するとの合意があるとされています)、核ミサイルの持ち込みではないなどと、事実をごまかすでしょう。米国は同盟国との関係で、核兵器の存在につき「肯定も否定もしない」(NCND)政策を採用していますから、事態を曖昧にしたまま日本政府はごまかしを押し通します。
 しかし核弾頭ミサイルか否かは重要な問題ではありますが、それ以上に重要なことは、米国の中距離ミサイルが日本へ配備されれば、中国、ロシアにとっては、核弾頭ミサイルとして対処することになる点がこのことの深刻さです。その逆も同じことが言えます。敵国から発射された中距離ミサイルが着弾し、核弾頭か通常弾頭かを見極めてから反撃していたのでは手遅れになるからです。(続)

 

 

滋賀支部 8月集会を終えて  彦根共同法律事務所 岡 本 万 季 子

 滋賀では毎年一回八月に、団員と団の活動にご協力頂いている関係の方々が集まって八月集会という滋賀支部独自の企画を行っており、今年は、八月二〇日に彦根(ゆるキャラのひこにゃんで有名なところです)で行われました。
 この八月集会では、団員が日々の活動報告をしたり、事件について意見を交わすこともできます。事務局にとってももなかなか会うことができない他の事務所の事務局と会うことができたりする互いに交流を重ねる貴重な場となっております。
 また、活動報告以外にも、毎回記念講演として、講師をお招きしてお話を聞くということもしております。今年の記念講演は、滋賀支部の団員で彦根共同法律事務所の所長でもある木村靖弁護士の「団員弁護士としての人生を振り返って」でした。
 木村弁護士の仕事は近くで見てきていますので、木村弁護士の人柄や弁護士としての活動は知っていたつもりではありましたが、今回、講演を聞いて、その知っていたつもりは全然わかっていなかったのだなと痛感することになりました。
 尚、簡単に木村弁護士の紹介をしますと、木村弁護士は昭和一六年生まれの七八歳で、七八歳の今でもパワフルに弁護士活動をしています。見た目は温厚、でも依頼者の相手方の態度によっては毅然とした態度で対応しているのが印象的です。経歴をみると滋賀弁護士会長や日弁連の副会長に就任したことがあり、日弁連の副会長時代には現在の労働審判手続設立のために尽力した、とても熱い弁護士です。
 さて、本題の講演ですが、「なぜ弁護士になったのか」「団員としての関わった事件」「日弁連副会長時代の労働審判制度設立への尽力」等が主な内容で、弁護士になりたての頃の先輩弁護士とのユニークなエピソード等もふまえて、終始和やかなムードで行われました。
 中でも特に記憶に残る内容は、「当初は裁判官志望だったが、公害訴訟の患者さんの自宅に泊りがけで行ったり、弁護団の方と交流する中で、弁護士でないと直にものを聞けないと思って、弁護士志望に変わって行ったこと(ここのくだりで団員魂を感じます!)」や、「日弁連の副会長時には、当時六二歳であったにも関わらず一年間彦根を離れ東京に住み、本腰を入れて副会長の仕事に取り組んだこと」です。
 今でこそ、労働審判は普通に利用される手続ですが、その手続に木村弁護士がかかわって、実際に制度設計が固まるまでには紆余曲折あり、激論の結果、全員一致で取りまとめられたことが興味深かったです。
 また、木村弁護士が縁あって滋賀に来た時には、最初は大津市内の事務所に身を置いて活動していたが、滋賀県の北部(湖北)には団事務所がなく、湖北の人たちが大津までくるのは大変だから湖北に団事務所を開くといってできたのが、現在の彦根共同法律事務所ということなど、弁護士としてまた、団員として様々な相談者に対応すべく活動してきたのだということを改めて知ることができました。
 木村弁護士の講演を聞いて、私も知らなかった木村弁護士をたくさん知る機会となり、有意義な時間となりました。
 また、木村弁護士の講演以外にも、原発運転差止訴訟や退職金不払い合意無効事件、交通事故の犯罪被害者への支援活動、学校いじめ第三者委員会に関する報告もなされ、無事に今年も終了し、今年も滋賀は暑い、熱い夏となりました。

 

 

見事な反対尋問の実例に学ぶ  福岡支部 永 尾 廣 久

反対尋問はむずかしい
 主尋問は大項目を立て、小項目を並べていく。流れを確認し、得点を稼ぐべきポイントを想定しておく。事前に十分な打合せができるので、当日も流れはスムースに進んでいき、途中で焦ることはほとんどない。
 ところが、反対尋問となると、事前の打合せができないから、大項目、小項目、ポイントを並べたて、流れを想定したとしても、想定どおりになるとは限らない。想定外の答えが出てきたとき、どこまで追うのか、敵に塩を贈るだけにならないか迷うことも多い。
 一般論としては、深追いは禁物だ、としか言いようがない。どんなに挑発しても木で鼻をくくったような答えしか返ってこないときは、こちらがいらいらして自制心を喪ってしまい、あとで反省することも少なくない。法廷に依頼者がいるときには、「嘘」をつく相手をとっちめてやったというパフォーマンスをしなければならないこともある。「今日は、スカッとしましたよ」という言葉を聞くと救われる。
 反対尋問で失敗した、うまくいかなかったという体験を、これまで何度もした。最近では、深追いしない、なるべく寸止めにしておいて、後の手がかりを残すというのを私はモットーとしている。
心が震えた田村質問
 田村智子議員(日本共産党、参議院)が一一月八日、国会の委員会で、安倍首相そして菅官房長官に質問したのをユーチューブで見て、久しぶりに心が震えるほど感動した。実に見事だった。なにより、その態度・表情がすばらしい。首相そして官房長官を前にして、あくまで堂々として、落ち着いている。委員長の指名を求める挙手にしても、しょうもない答弁が終わると、すぐにさっと右手をあげ、ためらいがない。答弁が答弁になっていないでしょ、そんな気分を体現したかのような、にこやかな笑顔で右手をあげ、委員長から名前を呼ばれるのを待つ。次に、どう反論し、切り込んでいくのだろうか、大いに期待できる、ワクワク感をもたせる。
 そして、質問するときには、きっとした鋭い目つきに一変し、切り込んでいく。とはいっても、言葉づかいに余裕がある。テレビでみている視聴者に、決して嫌な奴(女)だと思わせることがない。ときの権力者たちに媚びを売ったり、迎合することは一切ない。相手が首相であり、官房長官であっても、いささかもひるむことなく、対等な立場で堂々と胸をはって切り込み、わたりあう。見事だ。
 答えにならない答えを前にして、質問の合間に、言うべきことをコメントとして付け加える。これは弁護士の法廷での質問にはあまりなく、政治家の質問ならではのところだ。いずれにしても、何が問題となっているのか、なぜ答えが不十分なのかを短くまとめ、総括する。それが実に的確だ。
質疑応答の流れがよどみない
 田村議員の質問に対する安倍首相、菅官房長官の答弁は自己保身に汲々としていて、ほとんど実がない。しかし、ときに開き直り、切り返しがある。それに対する田村議員の受けこたえがまたすばらしい。
 質疑応答の流れが自分の予定したとおりになっていないとしても、あたかも予定調和どおりの流れかのように見せて、質問を続けていく手際の良さに私は驚嘆した。つまらない切り返し、反問があっても、動揺する片鱗も示すことがないので、見ている人はまったく不安を感じることもなく、次の質問でどうやって切り返すのだろうかと期待させる。
 さらに、あまたある書証を適切にひっぱり出し、読み上げて、はぐらかしの答弁をものともせず、質問にうまくつなげていく技(わざ)は、聞いていて心地よい。書証がたくさんあるとき、それらの書証を、どの順番で、何をぶつけるのか、弁護士として悩むことも少なくはない。田村議員は、次から次にブログを紹介し、読みあげ、質問に十分な裏付けがあることを示し、委員会室を静まりかえらせた。そして、政府の内部資料も統計も駆使し、テレビ視聴者のためのパネルも使いながら、流れるように重要な質問を連発する。時間配分も見事だった。三〇分という質問の持ち時間が最後までまったく途切れることなく続き、あっという間に終わった。
 その流れにいささかもよどみがなく、しかも、いくつものヤマ場を示しながら進行していった。不誠実な答弁があっても、これで終わりではありませんといって、次の重要な質問が続き、「あと五分です」と言ったときには、本当に五分間で質問を見事にまとめ、しかも、最後に時間を気にして早口であっても問答を総括して、安倍首相による政治の私物化を厳しく指弾して、着席した。
 田村質問こそ、安倍首相の息の根をとめた質問として、日本の国政史上に残るものではないだろうか。これほど、すばらしい反対尋問を私は残念ながら法廷で見聞したことがあっただろうかと自問自答した。
 実は、私がユーチューブをのぞいたのは、枝野議員(立憲民主党)のツイッターで「一見の価値あり」というのを読んだからだった。弁護士にとって反対尋問のすすめ方としても大いに参考になると思い、まだ見ていない人に、この感動の三〇分をぜひ見てほしくて投稿した。

 

 

自著「『核の時代』と憲法九条」を語る  埼玉支部 大 久 保 賢 一

はじめに
 「『核の時代』と憲法九条」という著書を上梓した。日本評論社からの出版である。日本評論社とは『原爆症認定集団訴訟闘いの記録』(二〇一一年)、『肥田俊太郎が語る いま、どうしても伝えておきたいこと』(二〇一三年)、『核兵器のない世界を求めてー反核・平和を貫いた弁護士池田眞規』(二〇一七年)などで共同した縁で、今回の出版を引き受けてもらったのだ。通底しているのは核問題である。
出版の動機その1
 出版のそもそもの動機は、安倍晋三の改憲盲動はもとより、武力の行使と戦力の保持を容認する有象無象の似非「護憲論者」の存在に危機感を覚えていたことにある。自衛権の行使であれ正義の実現であれ武力での問題解決を容認すれば、「最終兵器」である核兵器の保有や使用を容認することにつながるという危機意識でもある。
 核兵器の最初の使用者トルーマンは、真珠湾を不意打ちし、アジアへの侵略と植民地支配を展開した大日本帝国に対する報いとして原爆を投下したとしている。戦争の終結と植民地の解放を早めた「正義の行動」だというのである。彼は、その業火の下で展開された、生きたまま焼かれる肉親を放置しなければならなかった地獄は無視しているのである。
 私は、ブレーキとアクセルの操作もできないくせに車の運転をした「老いぼれ」に、妻と幼子を殺された若い父親の無念の情を、夫としてまた父としての自分に置き換えた時、痛いほど理解できるような気がする。あるはずの日常が理不尽に奪われることの苦しみを想像できるからである。
 核兵器は、あまたの日常を国家という怪物の事情で、大量かつ無差別に奪うのである。これは、想像の世界ではない。広島・長崎で現実に起きたことであり、世界の核実験場などでも展開されてきた現実なのである。核兵器禁止条約は、核兵器の使用は意図的であるかどうかにかかわらず、「人道上の壊滅的結末」をもたらすとしている。「人道上の壊滅的結末」とは、人間の手に負えない事態を意味している。人間の手に負えないものであるがゆえに「最終兵器」となりうるのである。人間の手に負えないものに人類社会の現在と未来を託するという倒錯がここにある。
 私は、核に依存する核抑止論などの言説を心の底から軽蔑する。そして、同様に、原爆投下や核兵器を念頭に置かない憲法論や平和論は取るに足らない駄弁だと考えている。その駄弁があたかも新鮮なものであるかのように流布されたり、その言説に右往左往している光景に接すると「何と愚かなこととか」と慨嘆したくなる。「核の時代」にあって、核兵器の存在を視野に入れない「平和論」や「護憲論」など無意味どころか有害である。
もう一つの動機
 もう一つの動機は、核兵器の廃絶や憲法九条の擁護に誠実に取り組んでいる人たちに、九条二項が成立した背景に、広島・長崎のホロコーストがあったことを知ってもらいたかったことである。安倍改憲ノー全国統一署名(三〇〇〇万署名)やヒバクシャ国際署名が取り組まれているけれど、その二つの課題の歴史的、論理的関係については十分な理解がないように思えたからである。九条二項の絶対的平和主義は、被爆者の犠牲の上に打ち立てられたことを伝えたかったのである。これらの運動に取り組んでいる人たち中にも、そもそもこの連関についての問題意識を持とうとしない人もいた。核兵器の廃絶も九条の擁護も当然のことであって、その関係性を考える必要などないということのようであった。もちろん、関係性など考えないでも署名集めは可能である。もともと、別々のルートで始められているのだから同時進行しなければならない課題ではないからである。けれども、自らが取り組む運動の歴史的背景や普遍的意義を知っておくことは決して無駄ではないであろう。その方が主体的取り組みとしての質が高いからである。そんな動機付けもあったことを記しておきたい。
個人的体験の記録として
 はしがきにも書いたけれど、この本は、私の市民としての活動の記録でもある。弁護士登録以来の四〇年間、所沢という地方都市で、家内制手工業的な事務所運営をしながら、せめて思考は世界的になどと背伸びをしながら活動してきた記録なのだ。だから、誰かに読んでもらいたいと心から願っているのだ。そう考えて何人かの方に贈呈させてもらった。
いくつかの感想
 何人かの方から感想をいただいている。いくつか紹介したい。
学生時代からの友人Y君。
 平成最後の日は雨。TVでは終日、大晦日のような特別番組を放送していますが、世の中の喧騒を離れ、今日は一日、大久保さんの新しい著作を読んでいました。日本評論社発行の「『核の時代』と憲法九条」です。第一部・論稿と第二部・エッセーから構成されています。論稿、エッセーともに、折々に大久保さんがメール添付で送ってくれるものも収録されており、一度拝読したものもありますが、論稿は改めて、じっくりと勉強させていただきました。論旨が明快で、ズバリ指摘、切り捨てるところは、学生時代の大久保さんそのままです。人類が核兵器を持った時代の九条の非武装平和主義の先進性、九条の普遍化、世界化という主張について、さらに確信を深めることが出来ました。エッセーは率直な物言いで、お人柄がそのまま出ています。
敬愛する平和学者のYさん。
 先日は貴重な著書をありがとうございました。大変興味深く拝読し、学ぶことがたくさんありました。むすかしい問題を論理的にわかりやすく、多くの学生だけでなく、市民に読んでほしい本だと思っています。最後の章はユーモアにあふれ、思わず笑ってしまったこともありました。P二六六の金英丸さんとは平和資料館「草の家」でいっしょに活動をしましたが、一一月には「草の家」創設三〇年でいっしょに記念行事に参加して話をする予定です。本当に世界は小さいですね。テレビで北朝鮮ばかり非難し、アメリカの核兵器を批判しないマスコミはいつもおかしいと思っていました。著書できちんとなぜそうなのかなど分析をされ、マスコミが報道しないことがたくさん書かれていると思いました。大変読みごたえのある本をいただき、本当にありがとうございました!
沖縄の弁護士Pさん。
 ご著書、拝受いたしました。ありがとうございます(団通信をいつも楽しく拝見している僕にとっては、復習的な内容となりました^^)とはいえ、古希とは存じ上げておりませんでした。本当に、「これまでは助走」という表現は誇張でも何でもないと感じました。僕が言うまでも無く、先生はいわゆる平和勢力の中でも、朝鮮半島情勢はもちろんのこと、あらゆる面で造詣が深く、そして(いわゆる評論だけではない)実行力をお持ちです。もちろん、ご無理はなさらず、しかし、今後ともその人生をもって、我々を引っ張っていってください。今後とも、よろしくお願い申し上げます。
被爆者のWさん。
 新元号で大騒ぎをした連休もやっと終盤となりました。三日の憲法記念日も、渋滞情報がNHKのトップニュースとして流れ、改憲反対派の六万五〇〇〇人集まった憲法集会の映像などは、全く見ることはありませんでした。
 そんな中、『「核の時代」と憲法九条』をお送り頂きました。貴重な著書を本当に有難うございました。
 これから様々な場面でも、参考にさせていただく資料が多く含まれており、有難く思います。
 今日は午後から、二・二〇福島原発かながわ訴訟の判決報告会に出席してきました。自主避難をしてきた方たちに対する国の態度は原爆症裁判のそれと同じもので、私たちの裁判のことを聞いているような思いでした。
 高裁に向けて、どのように闘えばいいのか、原告の方の心痛が伝わってきました。
 被爆者は、原発の問題に、もっと心を寄せなければならないと思いました。
 こういう感想文をいただくと本当にうれしい。またこれからも頑張ろうと元気が湧いてくるのだ。
娘のFBへの投稿
 もう一つだけエピソードを語らせてほしい。長女がFBでこの本のカバー写真と合わせてこんな文章を書いてくれたのだ。
 四〇年間「くらしに憲法を生かそう」をスローガンに、弁護士活動をする傍ら、長きに渡り、わたしに、着るものと、食べるものと、住むところと、教育を、そして愛情を、無条件に与えてくれ、今もなお、ちょいちょいスネを齧らせてくれる有り難い御方。歯並びまでそっくりなのに、脳細胞は受け継ぎ損ねたのか、後天的に失われたのか、私にはなにやら難しいことも多いけど、たぶん、一番伝えたいことは、ちゃんと受け取っていると思いますよ。――――
 本書は、憲法九条の改悪阻止と世界化・普遍化、核兵器のない世界、原発の廃止などを希求している人たちへの、ささやかなメッセージである。(はしがきより)―――― 令和。戦争をしない国であり続けてほしい。きっと私も「非力だけれど無力ではない」はず。 お父さん、元気で長生きしてくださいよ。ボケないでね??」
 娘がこんな文章書いてくれただけでも、私はこの本を出した甲斐があると思っている。私の想いが間違いなく継承されているように思うからである。そんな親バカ気分になれたことは本当にうれしいことである。また歩き続けることにしよう。
                                                                      (二〇一九年五月九日記)

 

 

【2019年 愛知・西浦総会 ~特集11~】
2019年愛知・西浦総会旅行記 第3部(順不同)
気になる動員女子生徒の遺書 副題 豊川稲荷の狐様とは何か  東京支部 伊 藤 嘉 章

箸のない弁当
 総会終了後、バスに乗ると添乗員さんが弁当を配ってくれる。箸がなかなか出てこない。このバス内の弁当には箸がついていないという。われわれ一泊旅行の弁当につけるべき箸が半日旅行グループのバスに積んだ弁当の箸と一緒になったのか、それとも、弁当屋さんが箸を出すのを忘れたのか。
 添乗員さんがコンビニに走り箸を購入してきたので、やっと弁当にありつけた。お預けをくらったので、その分おいしく弁当を食べることができた。
豊川海軍工廠
 一九三三年の国際連盟総会で満州国の取消しと撤兵を勧告された日本は国際連盟を脱退しました。そして国際的孤立の道を進み始めた日本は一九三四年ワシントン海軍軍縮条約の破棄を通告し、再び巨大艦船の建造に動き出す。一九三七年には日中全面戦争へ突入し、また米英との関係は一層悪化を招く中、海軍は軍備増強のため、新たに二つの海軍工廠の建設計画を決定し、一九三九年一二月一五日に豊川海軍工廠が開庁した(豊川市桜ケ丘ミュージアム発行「豊川海軍工廠」三頁)。
工廠で働いた人々
 職員約七百名 工員一〇〇〇〇名 徴用工員四〇〇〇〇名
 動員学徒六〇〇〇名が働いていた(前記冊子一四頁)。
 なお、徴用工員とは、徴用工(朝鮮人徴用工を含む)と女子挺身隊からなるという(同一四頁)。
 このへんで韓国の徴用工判決について議論を展開したいところですが、勉強不足につき今後の課題にしたいと思います。
豊川海軍工廠平和公園の栞から
 「公園内には、歴史の生き証人である海軍工廠の火薬庫や信管置き場など戦争遺跡や海軍工廠の歴史などを紹介する平和交流館があります。豊川海軍工廠平和公園を訪れ過去の歴史を学び、平和の尊さについて考えてみませんか」。
平和交流館に入る
 まず、映像をみる。なんと動員学徒の女子生徒の遺書が紹介されていました。空襲警報が鳴ると、構内の防空壕に避難するのであるが、掩蓋がないので爆弾が防空壕の中に落ちてくるのではないかと怖くて仕方がない。防空壕に是非掩蓋をつけてほしいという切実な思いがつづられています。
 これだけでは、遺書になりませんが、遺書としての本論では、この生徒は、工場で空襲によって死ぬ覚悟をしているのです。文面の細目は思い出せませんが、出撃していく特攻隊員の遺書のような文脈で書かれているのです。いままで育ててくれた両親への感謝のことばと自分のわずかな持ち物は弟と妹に分けて下さいとの言葉で結んでいるのです。
 この生徒は、一九四五年八月七日の豊川海軍工廠を襲った空襲で二千五百人以上の人々とともに亡くなったという。
ユーチューブ動画にはない遺書
 平和交流館の受付で「ガイドブック 豊川海軍工廠」と「三河国分寺史跡公園ダイド よみがえる天平の遺産」を買いました。前記女子生徒の遺言書は、このガイドブックにはありません。また、この原稿を書くために平和交流館の資料をインターネットでいじくっていたところ、平和交流館を紹介する動画がユーチューブにアップされているのを見つけました。しかし、その動画にも前記女子生徒の遺言書はないようです。
 なお、三河の国の国分寺には行っていません。
豊川稲荷は曹洞宗の寺院である
 どこでもらったか覚えていないが手元にある「豊川いなり略縁起」というチラシに、以下の記載があります。
 「豊川稲荷」で世上に知られる当山は、「豊川閣妙厳寺」と称し、曹洞宗の名刹といわれ嘉𠮷元年(一四四一年)一一月二二日、東海義易禅師の御開創で、御本尊は法祖寒巖義尹禅師(曹洞宗開祖、永平寺御開山道元禅師の高弟。第八四代順徳天皇の第三皇子にして、「時世を救う」の大発願心を発せられ、入宋求法、深義を極めらる。東海義易禅師は、法祖六代目の法孫)伝来の千手観音菩薩を安置し、また境内に鎮守として、法祖が御感見自作の善神、豊川ダキ尼真天を祀る。広く「豊川稲荷」と呼ばれるのはこの善神なり。
 この文章は、悪文の見本で、一読しただけでは、文意を理解できない。とくに括弧内の長すぎる文章を読んでいるうちに、括弧直前の法祖寒巖義尹禅師という言葉が記憶から飛んでしまい、何を言っているのかわからなくなる。
神仏分離令の適用は(ここは妄想です)
 豊川稲荷の本殿前に狐様二頭が鎮座している。ウィキペディアを閲覧すると、京都の伏見稲荷神社を元締めとして全国に展開する稲荷神社と豊川稲荷とは意味が違うようだ。だから明治維新の神仏分離令によって、豊川稲荷は、曹洞宗の豊川閣妙巖寺と伏見稲荷を頂点とする稲荷神社に分割されなかったのか。境内には鳥居がある。これは神仏分離令では撤去を命じられ、その後、再度築造して今日に至るものなのか。私は、神社仏閣に興味がないので妄想はこれで終りにします。
豊川工廠空襲被害者の供養塔
 豊川稲荷の境内のはずれに、豊川工廠空襲被害者多数の氏名を刻んだ台座を含めて高さ六メートル(もっとあるか)の供養碑がある。「昭和二〇年十月 豊川工廠従業員一同 建立」とある。八月七日の空襲から二ケ月で、資金を集めるとともにこれだけの石碑を造ることができたのであろうか。旅行記完

 

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