第1693号 / 1 / 21

カテゴリ:団通信

【東北ブロック特集】
*団の総力をあげて「桜を見る会」を追及しよう  小 野 寺 義 象
*福島支部の活動報告  鈴 木 雅 貴

●「沖縄・高江への警視庁機動隊派遣は違法」住民訴訟、東京地裁判決のご報告  青 龍 美 和 子

●児童相談所問題に関する学習会に参加して  金 子 美 晴

●『創意』(石川元也著)を読んで  玉 木 昌 美

●「Day―O」  大 川 真 郎

 


【東北ブロック特集】
 団の総力をあげて「桜を見る会」を追及しよう  宮城県支部 小 野 寺 義 象

一 現在、安倍晋三総理主催の「桜を見る会」が大きな社会問題になっている。問題発覚後、安倍政権と与党(自民党・公明党)は異常なまでに幕引きを画策しているものの、問題の深刻さは止まるところを知らず、通常国会最大の問題に発展している。
 国会では立憲野党が共同して「総理主催『桜を見る会』追及本部」を立ち上げ、活発な活動を展開している。
 私は、自由法曹団自身も総力をあげて「桜を見る会」を追及して欲しいと考えている。

二 「桜を見る会」問題は、毎年春に新宿御苑で開催される総理主催の「桜を見る会」及びその前日にホテルニューオータニで開催される安倍晋三後援会主催の「桜を見る会前夜祭」に関する問題であるが、次のような特質がある。
 第一に、安倍首相自身の問題(安倍後援会と内閣府・内閣官房)であるため、安倍首相は他に責任転嫁できない。第二に、単なる政治的道義的責任問題ではなく、公職選挙法・政治資金規正法違反等の刑事事件を含む違法行為が問題となっており、それが立件されると日本のトップが犯罪者になり、公職資格が剥奪される。第三に、問題発覚後の安倍政権の証拠隠滅・説明拒否の異常さである。この現象は安倍首相らが「桜を見る会」問題の恐ろしさを十分認識していることを意味している。第四に、問題が収束するどころか拡大し(消費者被害加害者・反社会的勢力の招待、「反社会的勢力」の定義、首相夫人枠、「六〇」番問題、公文書管理法違反等々)、様々な角度・分野からの追及ができる。第五に、「税金でタダで飲み食い」「五〇〇〇円で高級ホテルで宴会」など庶民に分かりやすいテーマが問題になっている。そして、第六に、桜は「モリカケ」と異なり、今年も全国各地で咲き、国民は桜が咲けば「桜を見る会」を思い出すので、事件が風化しにくい。
 このように「桜を見る会」は、安倍政権そのものを直撃する事件であり、それゆえ、相手方は「何としても安倍を守る」陣容で臨んでいる。その理由は、「安倍しか改憲ができない」からにほかならない。

三 このような問題の特質を最大限生かして、以下のような取り組みが求められている。
 第一に、「桜を見る会」が刑事事件であり、安倍首相は犯罪者であることを国民に知らせる取組みをすること。第二に、国民の強い怒りに応える、国民参加型の取組みをすること。第三に、真相究明・責任追及運動を全国各地で拡大させ、安倍首相を包囲し孤立させる取組みをすること、第四に、抽象的な「政治の私物化・税金の私物化」批判だけにとどめず、違反している具体的な法規(●法●条)を示し、攻撃のターゲットを絞り込んだ責任追及をすること。そのターゲットは安倍首相に限定されない。招待者選択や文書管理の責任者は菅官房長官であるから、安倍首相(王将)の前に菅官房長官(飛車角)の責任追及(辞任要求)をすることも考えられるのである。

四 このような運動を全国的規模でできないかという提案を、団本部の一二月常幹でさせて頂いた。
 自由法曹団には、①国民(庶民)の立場に立ち、民主主義、人権・平和を守る団体、②法律専門家の団体、③全国ネットの団体、④多くの団体と共同行動できる団体という特長がある。この特長をフルに生かして、国民・諸団体・国会議員(総理主催『桜を見る会』追及本部)と連携して、法律家の立場から、全国各地で、「桜を見る会」を追及して欲しい、これが私の思いである。
 その後、「隗より始めよ」と言われないために、一月六日に「『桜を見る会』を追及する弁護士の会・宮城」を発足させた。共同代表は、宮城県の自由法曹団・青法協・憲法会議・市民連合の代表である。また、労働組合・市民団体にも共同行動を呼びかけて、一四日に「『桜を見る会』を追及する県民の会・宮城」も発足した。県労連議長や新婦人の会会長などが代表になり、県労連が事務局を引き受けてくれた。一七日に合同記者会見を行い、一九日から検事総長・警察庁長官宛ての徹底捜査要請署名やパブリック・ビューイングも使った街頭宣伝を開始する。
 「桜を見る会」追及は、安倍政権打倒の闘いであり、安倍改憲阻止の闘いである。団の総力をあげて「桜を見る会」を追及しよう。
                                                二〇二〇年一月一六日

 

福島支部の活動報告  福島支部 鈴 木 雅 貴

1 はじめに
 二〇二〇年一月一一日、東北ブロック総会が青森県八戸市で開催されました。同総会と講演会の概要は、橋場団員が団通信に投稿すると思いますので、私から詳細を述べることはしません。その懇親会の場で、私から、東北の団員が、団通信に積極的に投稿しようという意見を述べましたところ、言い出しっぺが投稿するようにと言われました。
 さて、福島支部(支部長・広田次男)は、団員数一六名で、福島市、郡山市、いわき市に団員の事務所があります。各団員は、会務や弁護団事件で交流を持っていますが、支部独自の活動があまり持てていないという課題に直面しています。それでも、昨年は、支部例会を一度開催し、渡邊純団員による講義「公職選挙法と選挙運動・政治活動の自由について」が行われました。本年は支部例会を開催し、団員間の交流を図っていく予定です。

2 原発賠償関係
 本年は、原発事故を巡る集団訴訟の高裁判決が複数出される見込みです。第一審が福島地裁いわき支部で行われていた東京電力を被告とする「避難者訴訟」(第一陣)は、二〇一八年三月二二日に判決が出されましたが、仙台高裁での審理が終結し、本年三月一二日に判決が出る予定です。第一審が福島地裁本庁で行われていた国と東京電力を被告とする「生業訴訟」は、二〇一七年一〇月一〇日に判決が出されましたが、仙台高裁での審理は本年二月二〇日に結審する予定で、本年夏頃には判決が出る予定です。
 両訴訟の原告団が連携し、共同で公正判決署名の取り組みを行っております。いずれの訴訟についても、九万筆以上の署名が集まりました。多くの方々の支援をいただけていることは、原告団・弁護団にとって大変励みになります。
 「生業訴訟」の控訴審での活動を若干報告します。控訴審では、原告一五名の本人尋問及び事実上の現地検証である現地進行協議が行われました。この間、避難指示が解除されてきましたが、時間が経過するごとに避難者の生活再建の困難さが増しているように思われます。帰還困難区域に住んでいたある高齢原告は、自宅の除染が行われるのが一七年後と聞かされたと証言しました。この方は、先祖代々受け継いできた土地を次世代に引き継げないことを悔やんでいます。
 また、避難先から南相馬市に帰還したくて仕方なかった原告は、帰還後の心境を問われ、私の帰りたかった故郷ではないと証言しました。「地域に戻った一年目は、帰りたくてやっと帰れたという喜びでいっぱいの毎日でした。…けれども、二年目になると、そんな気持ちは薄れてしまい、ここには何もない、若い人が帰ってこない、これからどうやって生きていったらいいのか、という将来の生活の不安を強く感じるようになってしまいました。」というのです。避難指示が解除されて、住民が帰還すれば、被害がなくなるというものでは決してありません。望郷の念を持ちながら、生活基盤が地域ごと破壊されたことによる困難さに、多くの避難者が直面し、悩み、苦しんでいるのだと思います。

3 生活保護問題
 生活保護の分野では、福島支部の団員(倉持惠、渡邊純、関根未希、西沢桂子、敬称略)が、生活保護受給世帯の高校生が給付型奨学金を受給したところ、福島市が奨学金を全額収入認定し生活保護費を減額した処分について、処分取消と国賠を求める訴訟等を行いました。処分は、厚労相裁決によって取り消され、国賠訴訟については、二〇一八年一月一六日に勝訴判決を獲得しました。この闘いにより、生活保護実施要領が改定されたのは大きな成果だと考えています。しかし、福島市から当事者に対する謝罪はなされず、再発防止策の説明もないままです。同判決後、当事者、弁護団及び支援団体において再発防止の取り組みを進めています。二〇一九年六月には、福島市に対し、子どもが受けた奨学金やアルバイト料の収入認定の運用について問う内容の公開質問状を送付する等、今後も活動を継続していく予定です。
 また、当該判決後も、生活保護法七八条返還決定後に月三万円を天引きした事件や高校生のアルバイト料を申告がないとの理由で同法七八条返還決定をした事件等が発覚しており、審査請求や申入れ等の取り組みを行いました。
 さらに、全国生活保護裁判連絡会との連携の中で、二〇一九年、福島市において、同連絡会のプレ集会、総会・交流会を開催しました。

 

「沖縄・高江への警視庁機動隊派遣は違法」住民訴訟、東京地裁判決のご報告
                                   東京支部 青 龍 美 和 子

一 一二月一六日、午後二時三一分過ぎ、東京地方裁判所一〇三号法廷には「不当判決」の怒号が飛び交った。
 三年前の一二月、警視庁の機動隊派遣決定に伴う同機動隊員らの給与の支出は違法であると主張して、東京都民一八四名(故高畑勲さん含む)が原告となり、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、東京地方裁判所に住民訴訟を提起した。
 本年一二月一六日に言い渡された判決(以下「本判決」という。)は、敗訴であった(東京地裁民事第三部、古田孝夫裁判長、髙田公輝裁判官、中野晴行裁判官)。

二 まず、住民訴訟前置の住民監査請求の段階での判断について。東京都監査委員は、「財務会計上の行為の違法性を主張していないので却下」とした。しかし、本判決では、原告らが「財務会計上の行為である当該請求権の行使(財産の管理)を怠る事実の違法を主張していた」とし、そのうえ、「このことは、職務上、裁判例等には精通しているはずの監査委員にとっても、容易に認識することができる程度の事柄であった」として、「東京都監査委員は適法な本件住民監査請求を不適法であるとして監査の実施を拒否した」と判断した。
 東京都監査委員は、二〇〇九年度以来の八年間(訴訟提起当時)で、住民監査請求が一二五件申し立てられたうち、わずか一一件しか監査を実施していない。申立書の書面審査のみで却下した率は九一・二%である(ちなみに今年度申し立てられた住民監査請求二六件も、全て監査が行われず却下されている。)。
 本判決の判断は、住民自治の重要な制度である住民監査請求制度をほとんど機能させていない東京都監査委員の姿勢を正す内容である。原告らは、本判決を示して、適正な監査をするよう申し入れる予定である。

三 次に、本判決は、高江現地の住民の証言を引用して、「本件工事が周辺住民の生活や周辺の自然環境等に多大な悪影響を及ぼすものであることは、上記証人らの証言するとおり」と認めた。
 また、ヘリパッド建設遂行のために必要不可欠だった、N1ゲート前の座り込み用テントと車両二台を国が強制撤去したことの違法性については、東京都側も法的根拠を主張すらしなかった。本判決は、「上記の撤去行為の適法性については看過し難い疑問が残るものといわざるを得ない。」と、実質的に違法性を認める判断をした。
 さらに、派遣された警察官らが、高江現地で抗議活動をする住民や支援者らに対して、違法な警察活動をしていたことについても本判決は、「派遣警察官等による職務行為が必ずしも全て適正に行われていたとはいい難いような状況が存していたことがうかがわれる。」と判断している。

四 しかし、本判決は、派遣の必要性については、キャンプ・シュワブ周辺での抗議活動の様子を多々引用しながら、派遣決定の判断には合理的な根拠があったと判断した。
 また、高江現地での機動隊の違法な活動についても、「都道府県警察の相互協力義務」(警察法五九条)を根拠に、「その派遣した警察官による職務行為の適正性の確保については、挙げて沖縄県公安委員会及びその管理下にある沖縄県警察に委ねるほかない」としたうえで、「沖縄県公安委員会及び沖縄県警察において適正な警察活動を期待できないことが明白であるというような例外的な事情のない限り、本件各派遣決定に基づいて派遣された警察官等が行った個々の職務行為の中に違法性が認められるものがあったとしても、そのことから直ちに本件各派遣決定が違法となるものではない」として、「そのような例外的な事情の存在が証明されたということはできない」と判断した。
 原告らは、国によるヘリパッド建設工事の再開、それに伴う警察機動隊の大量派遣がなければ、抗議活動の危険性は生じなかったと主張している。そして、本来中立的な立場で市民の安全を守るべき警察官が、米軍の基地建設の遂行のために、住民や抗議活動をする人たちを強制的に排除し、危険にさらすことの違法性を訴えてきた。
 しかし、判決は、時点を逆転させて、抗議活動が危険だったから警察機動隊の派遣は違法ではない、と判断したのである。ヘリパッド建設工事再開前は、N1ゲート前等での「抗議活動によって沖縄県警の人員だけでは対応することが困難な状態が現に生じていたとまでは認められない」と判断しているにもかかわらず、である。

五 裁判は、毎回傍聴券の抽選が行われ、東京地裁・高裁で最大の法廷を溢れさせた。ほぼ毎回原告の意見陳述を行い、裁判が始まった当初から「公正な判決を求めるハガキ」を大量に作り拡散して裁判所に送り続けた。東京の裁判所で、沖縄での米軍基地被害の実態や、警察権力の暴走・不透明性、住民監査制度の問題点を明らかにできたことは一つの大きな成果である。
 しかし、前記に加え、ヘリパッド建設工事に抗議する座り込みについて、「(基地建設の)負の側面があるからといって、当然に本件工事を座り込み等の実力をもって阻止してよいということにはならない」と判断するなど、本判決には問題が多々あり、一二月二七日、原告らは控訴した。今年は東京高裁での闘いが始まるので、引き続きご支援お願いします。なお、弁護団六七名のうち、実働弁護団は、宮里邦雄団員、高木一彦団員、長尾宜行団員、八坂玄功団員、舩尾遼団員、私です。

 

児童相談所問題に関する学習会に参加して  東京支部 金 子 美 晴

1 貧困・社会保障問題委員会の学習会
 二〇二〇年一月八日、貧困・社会保障問題委員会主催で、永井理矢子弁護士(千葉第一法律事務所)による「児童相談所における弁護士の活動」の講演がありました。永井先生は現在、千葉県中央児童相談所の嘱託弁護士を一月に四回されています。その日々の活動を紹介されました。

2 児童相談所における弁護士の役割
 前提として、児童相談所の業務内容は次のようなものです。まず、学校・保育園・警察・近隣住民等が児童相談所に虐待発見の通告(児童福祉法(以下略)二五条、児童虐待の防止に関する法律(以下「児虐」)六条)が入ります。そこで児童相談所で緊急受理会議をもち、目視で安全確認をして、場合によっては調査・面接をし、一時保護(三三条)の他、施設入所、児童福祉司指導、訓戒・誓約等の措置(二七条一項各号)を決めます。安全確認ができない場合は、出頭要求や立ち入り調査なども行います。
 こうした一連の行為の中で、近年、児童相談所の業務における司法の関与の度合いが大きくなり、それに伴い、弁護士が児童相談所の業務に関わる必要性も大きくなってきました。
 例えば、二〇一六年の児童福祉法改正では、「児童相談所における弁護士の配置又はこれに準ずる措置を行うものとする」(一二条三項)という規定が加わりました。また、二〇一七年の児童福祉法改正では、親権者等の意に反して二か月を超えて一時保護を行う場合には、家庭裁判所の許可(三三条五項ただし書)等を得なければなりませんが、その際の手続を、弁護士が手助けします。さらには、二七条一項各号の各措置には親権者等の同意が要りますが、同意しない場合には、家庭裁判所の同意に代わる審判を要し、弁護士はその手続にも関わります。児童相談所においては、こうした場面における弁護士のニーズが増えているといえます。
 その他、嘱託弁護士に対する相談としては、子どもの刑事事件のこと、未成年後見人申し立てのこと、親が逮捕されているときに外国人である子どもに予防接種を受けさせるにはどうしたらいいか、一時保護の最中に緊急手術が必要で、親の同意がない場合どうしたらいいか、等の相談も来た事があり、勤務日以外にも電話で相談を受けています。
 千葉県における弁護士の配置状況は、県レベルでは、弁護士が、児童虐待対応法律アドバイザーとして関与しています。また市レベルでは、二〇一九年四月には、県内全ての児童相談所に嘱託弁護士を各一名配置する事ができましたが、二〇一九年一月の千葉県野田市の女児虐待死亡事件を踏まえ、中央・市川・柏の三児童相談所において弁護士の配置を週一回から週二回に拡充しました。
 東京都でも、都内一一箇所の児童相談所に各一名の非常勤弁護士が配置され、月二回勤務しています。

3 児童虐待と貧困
 児童虐待とは、「保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護する者をいう。)がその監護する児童について、(1)身体的虐待(2)性的虐待(3)ネグレクト(4)心理的虐待を行うことをいいます。児童相談所における児童虐待相談対応件数は、平成三〇年度では全国で一五万九八五〇件に上り、千葉県(市の児相件数を除く)では七五四〇件(全国で四位)となり、年々増加しています。
 そして、児童虐待の要因の一つとして、貧困家庭が挙げられます。東京都福祉保健局の二〇〇三年度の調査報告によると、児童虐待と認識された家庭のうち、一人親家庭が三一・八%、経済的困難を抱える家庭が三〇・八%を占めています。児相に来た子どもが親子分離をした場合には、学費や生活費の援助を受ける事ができなくなり、進学を断念するケースもあり、貧困が子どもに連鎖してしまいます。児相の方は、こうした連鎖が起きぬよう、支援してくれる人に連絡したり、生活保護を受けることができるように手配するなどしているようです。

4 講演を受けて
 千葉県野田市の事件や、東京都目黒区の事件後、児相の対応はどう変わったかという質問に対しては、一時保護が非常に増え、また、四八時間以内に安全を確保しようという方向になり、弁護士や警察支援の強化もなされているとのことでした。しかし、一時保護施設も定員オーバーで、また児童福祉司も増やしているものの、重労働のために休職する人も多く、人がなかなか育っていない状況であるとのことでした。
 また、こうした一時保護増加に対し、家族と会えない、学校に通えないなどの大きな権利侵害を伴うのだから、最初に一時保護するか否かの判断の際にも、弁護士が関わった方がいいのではないかという意見も出ました。支援の方針を決める上での、子どもの意見表明権や、その際に弁護士を子どもの方につける等も必要なのではないかという意見も聞かれました。
 子どもの一時保護は、一時的には子どもの安全を守ってくれますが、「再犯」も多いということでした。要因の一つに家庭の貧困が挙げられていましたが、貧困を克服することは、長期的視野を要するものです。弁護士として、児相の子どもたちを含め、様々な角度から貧困を和らげ、なくすことを模索していきたいと強く願うことができる会となりました。

 

『創意』(石川元也著)を読んで。  滋賀支部 玉 木 昌 美

 大阪の石川元也団員が最近この本を出された。副題には、「事実と道理に即して刑事弁護六〇年余」とある。この本は、米寿の石川団員が戦後司法史を自分の体験に基づいて語る形となっている。松川事件等戦後の重大事件を自らの弁護の実践を通して展開されており、まさに生き証人としての語りである。しかも、石川団員は、現在も日野町事件再審弁護団の一員であり、若手と一緒に活動されている。
 冒頭、二〇一八年七月一一日に再審開始決定を獲得した日野町事件の報告がある。よく整理された内容でわかりやすい。石川団員が強調されていた強盗殺人事件の被害金の重要性の指摘はそのとおりである。「金庫を壊して五万円を盗った」という自白は、一審が自白の信用性を否定する中で飛んでしまった。その点の評価が一審も二審も曖昧にしている。
 また、証拠開示の重要性を指摘され、第一次再審請求の際に警察から検察に送致した証拠目録、そしてフロッピーまで開示させ、その後の証拠開示請求や捜査過程の分析に利用できた点を報告されている。それが二〇一六年の刑訴法改正で証拠の一覧表交付の制度につながったとされている。もっとも、私は、その一覧表には日野町事件のように立証趣旨が記載されていないため、役に立たず余り評価できない。別の裁判員裁判でこのことを痛感したが、制度設計を立証趣旨を記載するように改める必要がある。再審制度に証拠開示の規定がなく、裁判官次第の問題性の指摘もそのとおりである。
 さらに、日野町事件では引当て問題がクローズアップされたが、石川団員は「引き当てとか犯行再現とかの実況見分は供述を基礎とするだけに、客観性に問題がある。」と指摘されている。まさにそのとおりで、自白が虚偽である場合、引き当てや犯行再現は虚偽自白の延長にすぎない。これらは捜査側が秘密の暴露を偽装するものである。
 「ビラ貼り弾圧事件―事件の顔を大事に」も印象に残った。事件は「行政法規の治安的運用」である。滋賀では、湖東民商ポスター弾圧事件を最高裁まで一〇年間闘ったが、その際、それまでの大阪の闘いと経験に学ぶことが多かった。「大阪地検の公安部検事が分担して副検事事務取扱という資格で簡裁事件の公判を担当した。」とあるが、滋賀でもまったく同様であった。石川団員らの闘いが大阪で条例改正までの成果を勝ちとられたことはすばらしいと思った。
 「第六章 部落解放同盟の暴力、利権とのたたかい」も「矢田事件」を始め学ぶべきところが多い。解同の暴力に対して検察は腰が引けていて、刑事事件では被害者の主張を全面的に展開する内容にならなかった、検事がやるべき仕事を団が全部準備してやるなどの支援をしたという。石川団員は、「解同の暴力行為がここまでのさばってきたのは、一つには警察の放任、二つには、マスコミがほとんど報道しないこと、三つには当時の社会党が擁護していた」とされるが、通常では考えられない事態である。最近判明した関西電力金品受領問題でも、贈主の森本英治高浜町助役は、職員になった時、解同髙浜支部書記長で差別糾弾闘争を主導し、その威勢をもって町政を支配した、という。なぜ、森本があれだけの力をもっていたのか、これで疑問が解ける。しかし、そのことはほとんど報道されていない。
 滋賀においても、解同が、町会議員の差別発言をでっち上げる、補助金等を強要し、自治体財政を食い物にする、いちゃもんつけで自治体を訴える事件があり、これらに対応してきた。解同との関係もあって、ある町の代理人に加わったこともあった。その際、石川団員らの先駆的な闘いに学んでやってきた。
 石川団員が弁護団会議の運営にも心を砕いてこられたこともわかった。確かに、若手にどんどん意見を言うように、という姿勢が強い。日野町事件の弁護団会議は石川団員の意向に沿う形で進化していったと思う。
 尚石川団員の生い立ちを拝見すると、長野県松本市の小学校に通い、県歌「『信濃の国』(六番までも)もよく歌い」とある。この歌は長野県民を元気づけるいい歌である。長い歌であるがたまにカラオケで歌っている。
 以上はほんの一部の紹介にすぎず、他のことも豊富であり、団員の必読文献であると思う。是非ご一読ください。

 

「Day―O」  大阪支部 大 川 真 郎

 かつて自由法曹団全国総会の宴会で「名物」だった。この歌が出ないと物足りなかった。
 司会者に指名されると、自己紹介も、前置きもなく、突如「デーオ」と大声で歌い始め、力強く、音程は正確で、ジェスチャーたっぷりの熱唱だった。
 しかし、歌の意味を知る団員は少なかったと思う。
 「夜明けだ。朝が来たぞ。お天道さまのお出ましだ。おいらは家に帰りたいー」
 ジャマイカの「バナナ・ボート・ソング」で、巨大な貨物船にバナナを積み込む過酷な労働を歌ったもの。その荷積みは、夜中の仕事だった。
 その歌い手𡈽田嘉平弁護士が昨年一二月に亡くなられた。享年八八歳。葬儀の間、この歌が繰り返し流された。
 この歌による𡈽田さんのイメージは、陽気で、豪気で、典型的な土佐人だった。
 しかし、出身は近畿の中では寒く、雪多い滋賀県の湖北地方で、土佐とは縁がなかった。
 高知での開業の経緯について、地元選出の山原健二郎衆議院議員が、𡈽田さんの著書「忙中読みある記」(一九九六年刊)の序文に書いておられる。
 「一九六六年八月一二日、高知空港に弁護士𡈽田嘉平さん一家が降り立ちました。南国特有の強烈な夕陽を浴びて出迎えた私(当時県議)の顔も真赤にみえたとあとで言われました。夫人の京子さん、長女里香ちゃん、次女の和香ちゃんと四人でした。末娘の明日香ちゃんは二年後に生まれました。大阪の加藤充法律事務所所属の新進気鋭の弁護士𡈽田一家の『土佐国入り』の図です。なにしろここは『遠流の鬼国』といわれたところです。とても〝来てはくれまい〟との思いがつよかったものですから、〝よくおいでて下さいましたね〟と感無量の思いをこめて私の歓迎の一言でした」。
 このころ、高知では弾圧事件、裁判闘争が多発しており、到着の日からたたかいの連続だったというが、そもそも弁護士会への入会が大変だった。
 𡈽田さんは、その著書の中で書いている。
 「弁護士会では警戒して、大阪弁護士会や私が修習した神戸弁護士会まで出かけて身上、行状を調べたが、若造の私に取り立てて問題にすべき悪評はない。すんなり高知弁護士会に入会させてくれると思ったが、常議委員会は私に『裁判で暴れません』という誓約書を書いてほしいという。確かに当時、荒れる法廷が問題になったことがあり、言われることはわからぬでもないが、弁護士会が弁護士の活動を予め制約するのはおかしいではないかと、断った。かと思うと、同年輩の弁護士までが私を呼びつけて『お前、本当に高知に居着くつもりか、二、三年暴れておいて、また大阪へ帰るのとちがうか』などといい出す。まさに四面楚歌とはこの事かと思った」。
 そのときから、約三〇年を経過して、四国から日弁連副会長に選ばれたときは感慨深いものがあっただろう。
 亡くなる直前にもう一度訪れたいと願ったふるさとではなく、地元の竹林寺に眠った。
 趣味は何より読書だった。それが尋常ではなかった。
 領域は「法律」「哲学」「政治思想」「美術」「文学」から「こども」の読物まで広範囲に及んだ。
 山原さんは、書評集の「忙中読みある記」を、豊富な知識と高い文化性の琴線にふれて花ひらいたものと讃え、新鮮な発想と、詩魂と、新知識の躍動に驚嘆するが、全篇をつらぬく背骨は熱い民主主義への希求である、と評された。
 あるとき、𡈽田さんと一緒に横浜の小田成光弁護士(青法協初代事務局長で、𡈽田さんとほぼ同年齢だった)宅で語り明かしたことがあった。小田さんの奥様の御尊父がフランス文学研究者小場瀬卓三先生と紹介されると、𡈽田さんは「これは、これは」と感激の表情で頭を下げ、「先生の著書『光と綾』はすばらしい本でした。」と言い、小田さんが「岩波新書で『フランス革命』の翻訳などもしてましてね。」と続けると、「そうそう、著者はソブールでしたね。」と応じたときの光景が忘れられない。
 𡈽田さんと私の文通は、断続的に五〇年に及んだ。
 一〇才年下の私に対し、「あいかわらず、よく本を読んでおられることを知り、頼もしく、かつうれしく存じます。」「ともかく命を長くもたして、ありったけの本を読みたい、とそれだけが念願です。せいぜい貴兄から刺激を与えて下さるようお願いします。」と、手紙はつねに謙虚で、やさしく、情に溢れていた。
 私にとってそれがなによりの励みとなっていた。  (二〇二〇・一・一五)

 

 

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