第1697号 / 3 / 1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

* 緊急特集 怒り満開!  安倍首相の政治の私物化を許さない!!

●「『桜を見る会』を追及する法律家の会」結成の報告と支援のお願い  小野寺 義象

●黒川弘務氏の定年延長は、安倍政権の国家の私物化であり、一線を越えた違法措置である  江夏 大樹

●安倍内閣による独裁政権並みの恣意的人事の横行  守川 幸男

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北関東3県・支部特集

●県民ネットの取り組み  田中 徹歩

●やってよかった「水戸駅前広場条例」に反対するとりくみ  谷萩 陽一

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●デイズジャパン社・広河隆一氏のハラスメント検証報告書を発表しました  太田 啓子

●一人の千歩より、千人の一歩を! ~ 御礼・板井優弁護士逝去  板井 俊介

 


※緊急特集 怒り満開! 安倍首相の政治の私物化を許さない

「『桜を見る会』を追及する法律家の会」結成の報告と支援のお願い
                               宮城県支部  小 野 寺 義 象

一 一月二〇日開会の通常国会施政方針演説で、安倍首相は「桜を見る会」問題(以下、「桜」とも言う)に一切言及せず、自民党からは「桜はすでに散っている。野党はいつまで『桜』をやっているんだ」という幕引キャンペーンが行われていた。
 しかし、この目論見は完全に失敗した。国会での野党合同追及本部の追及等によって、安倍首相の弁明は次々に破綻し、二月二五日付「産経」に掲載された世論調査では、安倍首相の説明に「納得していない」は七八・二%に達し、「納得している」はわずか一一・八%に過ぎない。内閣支持率も支持が三六・二%に急落し、不支持(四六・七%)が一年七カ月ぶりに上回った。安倍政権が窮地に陥っていることはあきらかである。

二 「桜を見る会」問題は、主として、「桜を見る会」当日の招待者等の問題、前夜祭の収支報告等の問題、招待者名簿等の文書管理問題があるが、安倍首相の対応は、真相究明と責任追及を徹底的に抑え込むというものだった。
 例えば、前夜祭の収支報告の不記載については、「後援会の方では収支は全くなかった。ホテルが領収書を用意して、参加者から徴収した。すなわち、金のやり取りは参加者とホテル側の関係でしかなく、後援会に一切収支が発生していないから、収支報告書に記載する必要はない。」などと説明していた。
 その後、「ホテルとの契約主体は後援会だから、前夜祭収支は後援会の収支である」と指摘されると、「ホテルとの契約主体は後援会ではなく、前夜祭参加者個人(約八五〇名)だ」とまで言い出した。
 このように安倍首相の弁明は完全に破綻しており、これが裁判なら、裁判長が「審理は尽きたと思いますので、これで結審して、次回判決の言い渡しをします」ということは間違いない。

三 しかし、このような状態になっても、自民党はもちろん、与党の公明党からも安倍退陣を求める声は出て来ていない。また、野党の議員からも、今後の国会の見通しとして、予算が成立すると安倍首相は国会で答弁しなくなり、「森友・加計」同様に「桜」も逃げ切られると危惧する声すらあがっている。
 「政治の世界」の異常さ・異様さは驚くばかりである。
 他方、国会の外では、徐々にではあるが、安倍首相に近しいものが離反する動きも起こっている。ANAインターコンチネンタルホテルが「見積書や請求書明細書を発行しなかったことはない」等と説明し、また、安倍晋三後援会の地元地方議員が「自分はホテルと契約していない」と回答するなど、安倍首相の弁明を否定する対応を取り始めている。これは、安倍強権政治がほころび始めていることの表れである。
 正に、現状は「つばぜり合い」が始まっており、対応を誤った方が切り倒されるという状況にあるように思われる。

四 「桜を見る会」問題は、政治的道義的問題に止まらない。公職選挙法・政治資金規正法の問題であり、端的にいえば、安倍首相の刑事責任、被選挙権という国会議員や内閣総理大臣の資格に関連する重大な法律問題である。しかも、安倍首相は国会での真相究明を拒否し続け、説明が破綻しても責任をとろうとする姿勢は全くない。それどころか、閣議決定で国家公務員法等の解釈を一方的に変更して、黒川弘務東京高検検事長の定年延長まで行った。これは刑事捜査を司る検察をも自らの支配下に治めようとする暴挙にほかならない。
 安倍政権のもとで、議会制民主主義だけでなく、法の支配・法治主義にも反する状態が発生している。法律家(弁護士)がこれを放置することはできない。
 「今日のわが国には、法ないし法治主義についての二つの考えかたが対立して存在している。」「ふるい考えかたは、法というものを、いぜんとして、国民にたいする権力者の命令であると考える。だからまた、権力者の必要に応じていつでもそれは恣意的に解釈し、適用できるものだとおもっている。」「これに反し、現行憲法のもとでの法律観すなわち民主主義的法律観は、法を、権力者にたいする主権者たる国民の命令として考える。法の意義を、権力者の恣意を排除し、国民の自由と権利を保障するという点に求める。法治主義とは、権力が国民の意思に服して法を守るということにほかならない。」(『法というものの考え方』(一九五九年岩波新書:渡辺洋三)。
 私が二〇歳のとき学んだ「法治主義」の対立が、いま、目の前で展開されている。

五 このような情勢のなかで、「『桜を見る会』を追及する法律家の会」は結成され、二月一三日に院内で結成集会を開催した。
 法律家の会は、安倍政権の違法行為を許さず、法の支配を守るための取り組みとして、三月一二日に、弁護士一〇〇〇人規模の刑事告発と大規模な院内集会を予定している。
 この取組みへの全国の団員のご支援をお願いします。  二〇二〇年二月二六日

 

黒川弘務氏の定年延長は、
安倍政権の国家の私物化であり、一線を越えた違法措置である
                             事務局次長  江 夏 大 樹

一 黒川弘務氏の定年延長
 安倍政権は二〇二〇年二月七日に定年退官する予定であった東京高検検事長の黒川弘務氏を同年八月七日までその勤務を延長することを閣議決定しました。しかし、この定年延長は、検察庁法二二条に違反することに加えて、安倍政権の司法への違法介入と国家の私物化です。

二 本件定年延長は検察庁法二二条違反
 はじめにこの定年延長が明らかに違法であることを押さえなければなりません。
 検察官の定年は検察庁法二二条で検察官は六三歳に達した時に退官すると規定され、検察庁法に検察官の定年を延長する規定は存在しません。
 このように検察庁法に定年延長の規定が存在しない趣旨は、同法四条が検察官を「公益の代表者」とし、時の政権から独立して職務を行うことが不可欠で、人事について政権の介入の余地を無くすために、検事総長以外の検察官が六三歳を超えて勤務することを禁じる点にあると考えられます。つまり、検察庁法はあえて、定年延長規定を置いていないのです。
 安倍政権は今回の定年延長を国家公務員法八一条の三に基づき行いました。しかし、同法八一条の三は国家公務員法八一の二(国家公務員六〇歳定年規定)に基づき退職した国家公務員に適用される規定であるところ、検察官は検察庁法二二条に基づき六三歳で退職することから、国家公務員法八一条の三の適用はありません。
 そのため、検察官の定年を国家公務員法八一条の三に基づき延長することはできないのです。
 このことは、国家公務員法八一条の三を改正する一九八一年の国会においても、斧誠之助(人事院事務総局任用局長)が同様に答弁しており、これまでの定年制度の運用においても検察官を定年延長した例は一つもありません。
 よって、今回の定年延長は検察庁法に明確に違反しているのです。
 いくら、安倍政権が検察官の定年を延長できるという法解釈変更の閣議決定を行ったとしても、そのような法解釈は不可能であり、本件定年延長の違法性を糊塗するものです。

三 安倍政権による国家の私物化を許してはならない
 安倍政権は、二〇一三年にも内閣法制次長を昇格させるのが慣例であった内閣法制局長官に外務省出身の小松一郎氏を任命し、集団的自衛権の行使容認という解釈改憲を行うなど、慣例に違反する人事を行ってきました。
 本件定年延長はこのような慣例違反を超えて、法律の規定さえも無視しており、安倍政権の国家の私物化はより一層深まったもの言えます。IR汚職問題や自民党の河井克行議員らの事件が発生し、自らにも桜を見る会の疑惑が直撃するという状況下で、自らの保身のために黒川氏の定年を延長し、検事総長にさせようとしたと見ざるを得ません。これぞまさに国家の私物化です。
 私達法律家は、この違法性を端的に指摘し、今回の定年延長が刑事司法の一翼を担う検察庁の人事への違法介入であり、司法の独立を侵害し、かつ三権分立の趣旨に反し、ひいては検察庁の刑事罰の適正行使を妨げ、もって国家を私物化するものであることをしっかりと指摘せねばならないと考えます。

 

安倍内閣による独裁政権並みの恣意的人事の横行  千葉支部  守 川 幸 男

第一 問題の所在
一 検察人事への介入
 安倍内閣による独裁政権並みの恣意的人事、自らに都合のよい人事への介入が止まらない。最近では、相次ぐ安倍内閣の閣僚等の刑事事件をもみ消すことを視野に置いたとしか思えない検察庁人事への介入があった。桜を見る会に関連して自らに刑事責任が及ぶことに備え、現職の検事総長が定年で退任する来年の八月に黒川弘務氏を検事総長に据えて捜査をねじ曲げようとしているとも思われる。過去の政府解釈に基づく国会答弁との矛盾を突かれると、(遡って?)解釈を変え、人事院の給与局長が、この政府解釈を現在まで続けているとの当初の答弁をあっさり撤回した。検察官の独立性に関わる由々しき事態である。
 現に伊藤詩織さんの事件では、安倍首相と昵懇で、二〇一六年の参院選の直前に安倍総理の礼賛本「総理」を出版した元TBS記者の山口敬之氏の逮捕が突然取り消されて嫌疑不十分で不起訴となり、これには菅官房長官の子飼いとされる元警視庁刑事部長や映画「新聞記者」で暗躍した内閣調査室が関与や暗躍をしたと言われている。安倍内閣寄り人事の帰結であろう。

二 そして会計検査院へも?
 -刑事責任の追及だけでなく、会計検査院にも注目を
 天皇、三権と並んで憲法で規定されている五つの国家機関の一つである会計検査院にもいずれ手を伸ばして来るであろう。会計検査院は憲法第七章「財政」の章に規定されているが、桜を見る会などに見られる国家財政の検査、報告をする(会計検査院法二九条一項一号「国の収入支出の決算の確認」、三号「検査の結果法律、政令若しくは予算に違反し又は不当と認めた事項の有無」あたりであろうか)役割を担う会計検査院がまともにその私物化の検査を始めれば、安倍首相に対する打撃は大きい。この責任追及のアプローチは、刑事事件の立件よりハードルが低いとも思われる。特に国家予算の私物化は政治的には買収や供応、背任と言うべきであるが、国家予算を原資とする背任罪等は犯罪として想定されていないから、これに対する立件は厳しいと思われる。もっとも、政治資金規正法や夕食会での供応などは大いに可能性がある。
 そこで安倍内閣が、会計検査院が正しく機能することを恐れていることは容易に見て取れる。したがって会計検査院に対して、桜を見る会に見られる安倍内閣の国家予算の私物化をきちんと検査せよと申し入れる必要がある。また、今後の恣意的な人事にも監視・批判が必要である。

第二 人事への介入のまとめ
 この数年、目に余るが、これを一覧表にまとめてみた。
 必要に応じて憲法学習会その他で活用し、世論に訴える資料としてほしい。
 なお、最高裁判所長官(憲法六条一項、内閣の指命に基づいて天皇が任命)、最高裁判所裁判官(憲法七九条一項、内閣の任命)については、かねてから政府与党に都合のよい人事が行われ、その結果、判例がねじ曲げられて来た。
 最近では、日弁連推薦でない弁護士の最高裁判事への任命や、警察庁人事、二〇一四年に創設された内閣人事局による人事権の掌握、濫用とその結果もあっての官僚の忖度答弁などが大問題になっている。(下記に一覧表を掲載)

 

*北関東三県・支部特集

県民ネットの取り組み  栃木県  田 中 徹 歩

 集団的自衛権の行使容認の閣議決定がされた二〇一四年ころから戦争法が強行成立した翌二〇一五年ころにかけて、多くの地域で、安倍政権がすすめている戦争する国づくりに反対する市民や市民団体による、新たな取り組みが展開されるようになったことは周知の通りです。これまで活動していた市民や市民団体が運動の幅を拡げ、強化しただけではなく、あまりこの種の活動にかかわりを持たなかった人々が、新たに運動の輪に加わってくることも見受けられるようになりました。それだけ安倍政権の行ってきたことが、多くの国民の怒りや心配を呼び起こしたということです。
 保守的風土の中で、めったに街頭などでの政治行動が見られなかった、ここ栃木県でも、様々な団体や市民による、安倍政権による憲法に従わない政治、特に、九条により支えられてきた国のあり方を変えようとする政治に反対し、対抗する政治の実現をめざす新たな動きが生まれ、それが現在まで続いています。ここでは、それを紹介したいと思います。
 私がかかわっているのは、「戦争法の廃止と立憲主義の回復を求める栃木県民ネットワーク」(略称「県民ネット」)です。発足は、二〇一六年二月のことでした。現在、県内の五三団体と個人が加入しています。
 このネットワークができた背景には、安倍政権が二〇一二年一二月に第二次内閣を組織して以降に行ってきた日本を戦争国家にしようとする様々な施策と、この政権が持つ反憲法的で、しかも強権的な政治手法を今後も許せば、戦後、私たちの先輩や私たちが築いてきた平和と民主主義が壊され、戦前のような戦争と権利の抑圧が続く国家になるのではないかとの、強い危機感があったからです。
 私は、九条の会・栃木の運動に長年かかわってきていますが、このときは、そのような活動の枠を越えた集まりを作っていく必要があるとの認識のもとで、これまで様々な事情から共同して運動を行ってこなかった団体とも協議して、この県民ネットを立ち上げました。
 組織のよって立つ基盤や支持政党には違いがあるものの、ネットワーク誕生のきっかけとなった戦争法の廃止、安倍首相の野望である憲法「改正」反対、憲法に従った政治を行わせることの三つを共通の目標として、諸活動に取り組んできました。
 これまで、毎月一回の街頭宣伝活動、講演会、集会、県民パレード、学習会、意見広告、署名活動、県議会への請願や議会傍聴などを行ってきました。中でも、これまで行われた国政レベルでの選挙(参院選二回、衆院選一回)では、野党共闘の実現と統一候補の擁立のために県内の各立憲野党に申し入れや協議を行って、いずれの選挙でも各野党・統一候補者と県民ネットとの間で政策協定を結んで、選挙を闘うことができました。今まででは考えられないできごとでした。
 このような行動は、各団体から二〇名前後が参加して開かれる月一回の運営会議で取り上げて議論し、具体化しています。その場は、重要な情報交換の場であり、信頼関係を醸成する場でもあります。立場の違いがありながらも、お互いを尊重しながら、一つの目的に向かって共同で行動していくことは、今の情勢のもとでは極めて重要なことであると感じています。先に開かれた第五回総会でも、安倍政権を早急に退陣に追い込み、これまでの悪政を根本から転換し、憲法に従った政治を実現していくことが何よりも重要なことであり、そのために県民ネットは、これまで以上に行動していくことが確認されました。このような共闘組織ができて、ともに行動できることの大切さを感じているこのごろです。 二〇二〇年二月二五日

 

やってよかった「水戸駅前広場条例」に反対するとりくみ  茨城県  谷 萩 陽 一

一 これはひどい
 水戸市が駅前広場での行為を規制する条例を作るといってパブコメの募集をしていることを知ったのは一〇月のはじめ。
 驚いたのはその内容で、禁止行為として、スケートボード等や喫煙のほかに、「器物を設置するなど広場の一部又は全部を占用すること」「他の利用者の利用の妨げとなる行為をすること」といったきわめて広範かつあいまいな要件が定められ、違反に対しては市長が勧告・命令ができ、命令違反には五万円以下の過料という罰則も付いている。
 恥ずかしいほど表現の自由というものに対する配慮が欠けている。

二 連絡会を結成
 市は一二月議会で制定予定だという。急いで国民救援会から関係団体によびかけてもらい、一〇月一八日に「広場の自由を守る連絡会」を結成した。会長を救援会県本部会長の田村武夫茨城大学名誉教授(憲法学)にお願いし、私が事務局長役をつとめた。
 団との関係では、改憲メーリスにひさびさに投稿して、問題提起と情報提供、パブコメへの応募をお願いし、ちょうど開かれた団総会の分散会でも訴えさせていただいた。
 さっそく群馬、神奈川、広島などから同種の問題へのとりくみの経験や情報が寄せられ、大いに参考になるとともに励まされた。
広島にならって、「質問状兼請願書」を一〇月二五日に一五の加盟団体名とともに提出し、同月二九日に担当課との面談の約束をとった。

三 担当課への要請
 当日は一一名ほどが参加し、市からは都市計画課長、道路管理課長以下四名が参加した。
 市は、スケートボードが危ないという苦情があるので、これを規制するのが主な目的だと説明したが、いつどの程度の苦情があるのかという記録も統計もないことが判明した。参加者からは、禁止するより公的な練習場を整備すべきだ、罰則を設けるより前にやるべきことがある、といった意見が相次いだ。
 市の担当者も表現の自由を制限するものにならないよう工夫する、とは表明したが、具体的な条例案は検討中とのことであった。
パブコメの結果は意見書が三七通。すべてが条例案に反対であった。
連絡会では、急きょ条例案の撤回を求める署名にもとりくみ、一一月一三日に、担当課との二回目の面談をして、七〇三筆の署名を提出した。連絡会は条例案の撤回を求めたが、市は禁止行為については要件を限定したうえで上程したいとの意向であった。

四 弁護士会へのはたらきかけ
 他方で、茨城県弁護士会の憲法委員会のメーリスに投稿して議題にしてもらい、委員会で原案を作り、一一月二二日には「表現の自由を保障する憲法二一条一項に違反する疑いが濃厚である」として慎重審議を求める会長声明が出された。

五 限定された条例案
 一二月議会に上程された条例案は、パブコメ案にあった禁止行為から「広場の占用」「利用の妨げとなる行為」を削除し、代わりに「施設・設備を損傷するおそれのある行為」「専ら営利を目的として露店その他これに類するものを設置すること」を入れたものとなった。勧告・命令・過料という仕組みは変わっていない。
 連絡会では、立法事実に乏しく、罰則付きの条例は行き過ぎであるとして、撤回を求めて担当委員会の所属議員に個別に面談して要請もした。
 他方、「市長から『弁護士会の理解を得るように』との指示があった」とのことで、市の担当課から弁護士会に連絡があり、パブコメ案ではなく条例案に対する意見も聞きたいとのことであった。憲法委員会で議論し、憲法委員会委員長名で①罰則の存在、②禁止行為の不明確性等を指摘して「市民の自由に対する侵害のおそれを完全には払拭できない」との意見書を提出した。対外的に委員長名で意見表明するのは異例である。

六 やってよかった
 結果的には共産党以外の賛成で条例案は可決されたが、立憲民主の議員も委員会質疑で「政治団体の街頭演説、署名活動は禁止行為に含まない」という答弁を引き出すなど、頑張ってくれた。
 当選八期目の共産党の議員さんによれば、パブコメに三七通というのはかなり多い方で、しかもパブコメの原案から条例案が修正されたのは聞いたことがないという。
 議員さんによれば、当初担当課が用意していた条例案はパブコメの案と同じだったという。何もしなかったら、水戸市も我々も全国に恥をさらすところだった。短期間ながら集中的に効果的な働きかけができたこと、特に弁護士会の動きは影響が大きかったと思う。団員がいてよかった、と思えるとりくみであった。

 

デイズジャパン社・広河隆一氏のハラスメント検証報告書を発表しました
                                神奈川支部  太 田 啓 子

 二〇一八年一二月二六日発売の週刊文春等いくつかのメディアが、ジャーナリストの広河隆一氏が、複数の女性に意に反する性的関係を強要する等の性暴力をふるっていたと報じたことをご記憶でしょうか。私はデイズジャパン社が設置した検証委員会の委員として、広河氏の性暴力、パワーハラスメント等について約一〇か月間検証作業を行い、昨年一二月二六日に検証報告書を公表しました。検証委員会メンバーは、ハラスメント研究所所長の金子雅臣委員長、上柳敏郎弁護士と私でした。この検証報告書はデイズジャパン社のホームページ上で公開されています(https://daysjapan.net/ )。
 広河氏はパレスチナ問題やチェルノブイリ事故取材、原発に反対する活動などで知られたフォトジャーナリストで、チェルノブイリとスリーマイル島の原発事故報道による講談社出版文化賞受賞(一九八九年)、レバノン戦争とパレスチナ人キャンプの虐殺事件報道によるよみうり写真大賞受賞(一九九二年)「写真記録パレスチナ」で土門拳賞を受賞(二〇〇三年)など著名な賞の受賞歴が複数あり、「パレスチナ 瓦礫の中の子ども達」(徳間書店)、「新版 パレスチナ」(岩波書店)など著書も多数あります。一般の知名度はそれほど高くはなかったかもしれませんが、特に原発に問題意識がある人たちや、反権力の姿勢の硬派なジャーナリスト達のなかでは著名で尊敬を集めていました。
 検証委員就任当初はセクシャルハラスメントについての調査と報告が主かと考えていましたが、そして実際もちろんセクシャルハラスメントは深刻だったのですが、検証作業を行う過程で、マスコミ報道だけではわからなかったパワーハラスメントのひどさや、広河氏による強い労働組合嫌悪、労働者の権利を全く無視し、いわゆる「やりがい搾取」の上になんとかなりたっていた会社経営の問題など色々なことが判明しました。広河氏は労働者の権利を守った経営など全く念頭になく、パワーハラスメントについては何人もの関係者が「パワーハラスメントについてはあまりに日常的で、全員が被害者」と証言したほどでした。文春報道の二ヶ月前に社員に突然告知された会社解散決定についても、最終的には「偽装解散ではない」と結論付けましたが、しかし当時の社員らが偽装解散を疑ったのは無理もないという事情も色々とあったことがわかるなど、調べるほど書かなくてはならないことが増え、最終的には一一四頁という大部なものになりました。
 人権擁護、民主主義を標榜する市民団体において、性暴力が発生するということはおそらく珍しくないことだという体感が私にはあります。広河氏の件もまさにその典型で、広河氏は弱者に寄り添うというスタンスでジャーナリストとして活動していましたが、しかし他方で、自身が圧倒的に強い立場にある関係性においては、女性に対し意に反する性暴力をふるい、そしてその自覚は全くなく、「確かにその女性とは性的関係があったが、お互いの自由意思に基づく関係で、合意があった」という趣旨の弁明を繰り返していました。年齢が親子以上に違い、フォトジャーナリストとして尊敬した女性達からは自身が強い権力性をもつ立場にあったということに全く無頓着であるかのように、「立場の違い、弱い立場にある自分としては、やめてほしいと言えなかった」という女性達の心情を無視し、「合意があった」と不満げに繰り返していたことなどから、報告書を出した後、手記などで自分の言い分を公表したいという考えがあるのではないかと懸念され、報告書には「今後被害者への二次加害をしないように」と広河氏に勧告する言葉を書きました。
 また、検証委員会に期待されている役割は、そのハラスメントが見逃されてきた組織的要因を明らかにすることだと当初から考えており、役員らが広河氏のハラスメントを知る機会はなかったのか、知った上で握りつぶすようなことはなかったのかということを調べようとしました。具体的なエビデンスを掴むまでにはかなりの時間と労力を要し、色々な苦労はあったのですが、把握することができたものがあり、報告書ではそのことにも踏み込み、役員らの責任について具体的に記載しました。わかったことは、広河氏の敬意や信頼や経営者としての責任意識の欠如から、広河氏の性暴力について役員の少なくとも一部は具体的に関係者からの告発を聞いていたのに、何もしなかったということでした。加害を見逃す周囲の責任はつくづく大きいということと、カリスマ性がある個人がトップに君臨し、周囲が物を言わないという組織の危うさを痛感させられる件でした。被害者らが、「自分の被害告発で、大事な運動をつぶしていいのだろうか」と煩悶していたということもあり、大義を掲げる運動体における性暴力、パワーハラスメントというのは重大なテーマであると改めて感じた次第です。
 このような問題意識から、報告書の最後で、「反権力を掲げる組織内で、ある場面では「人権派」と称され、実際に社会正義のために活動する人が、他の場面では周囲に対しセクシャルハラスメント、パワーハラスメントを繰り返すという現象はしばしば見受けられるものでもある。」としたうえで、本件から学ぶことができる特徴として、「「大きな権力に向けた戦い」のなかでは「小さな権力」の濫用が過小評価され、「その程度のことは大義のために仕方がない」と見過ごされがちになる。つまり、反権力や社会正義実現という大きな目標の下、足元の「小さな権力」を見逃してしまうことになりがちで、組織内の「小権力」を掌握する者の逸脱行為に対する有効なチェックが効かなくなりやすい。
 また、権力関係は相対的なものであり、大きな権力に対峙する局面では「弱者」であっても、違う関係性では「強者」ということもあるのに、「大きな権力に対峙している弱者側」という自意識が強いと、他者への「強者」性の自覚が乏しくなることがある。
 更に、反権力を主張することによって、「自分は人権のことはよくわかっている」「弱者の側にたっている」との思い込みが強くなるという陥穽に陥りがちであり、そのことは、「人権派」である自分たちの言動が人権侵害や差別に当たるかどうかの自省を弱めてしまう要因にもなる。」と指摘しました。
 色々と限界もあり、至らない点もある報告ではありますが、人権擁護、社会正義を標ぼうする組織でこそ参照されてほしいと願っていますので、そのような団体でのハラスメント研修の際等に役立てていただければと思います。

 

一人の千歩より、千人の一歩を! ~ 御礼・板井優弁護士逝去 ~  熊本支部  板 井 俊 介

 団通信一六九六号において、福島支部の広田次男団員から、板井優団員への有難いお言葉を頂きました。広田団員をはじめとする多くの団員の皆様に対しまして、御礼のご挨拶を致します。
 私の父である板井優団員は、一昨年ごろから、肝臓の状態が悪化し、腎臓の機能が低下した後は、人工透析を継続的に行って参りました。その間、少し元気もなくなり、弁護士としての活動もできなくなっていましたが、元気な時もあり、死の一週間ほど前も、入院中の病院から無断で「脱走」する事件を起こし、病院の方々に大変なご迷惑をおかけするなど、元気そのものでした。それが、急激に状況が悪くなり、意識が戻らぬまま、二〇二〇年二月一一日午前〇時一二分、息を引き取りました。母や私ども息子ら、孫たち、さらに、沖縄や福岡から駆けつけてくれた姉、弟で、みんなで冷えていく父の体をさすり続けました。父にとっては幸せな最期であったと思います。
 少しだけ、長男である私からみた板井優団員の話を差し上げたいと思います。私が物心ついた頃には、私たちの家族は、母と母方の祖父母、そして私たち子供らが水俣市のチッソ水俣工場の近くの借家に住みながら、母が、チッソの目の前にある水俣協立病院で働き、一方で、父板井優は、熊本市内で弁護士活動をしており、完全な「別居」生活でした。当時の私には、父がどのような仕事をしているのか全く分かりませんでした。その後、私が一〇歳(小学四年生)となった昭和六一年、父は、「水俣病訴訟の解決には、地元水俣から水俣病問題解決の世論を作り上げる必要がある」との判断で、水俣法律事務所を開設しました。それ以降は、父が家に帰ってくるようになりましたが、一〇歳の私には、そのような事情も分かりませんでした。ところで、私が通っていたチッソ水俣工場の隣にある水俣第二小学校の生徒のほとんどは、チッソ関連の会社務めや、水俣の自営業者の子息であり、私は、日常生活の中で、子供なりに、水俣における父の弁護士活動が、地元水俣の地域振興という観点からは、煙たがられている存在であることを感じてきました。一言でいえば、水俣の方々からは、私たち家族は「よそ者」であり、水俣病の風評被害やひいては不景気をもたらす存在という目で見られていたことを子供ごころにも感じてきました。そういう「息苦しさ」もあり、私自身は、少年野球にのめり込み、小中学校は野球一筋の生活でしたが、その野球部の監督もチッソ労働者の方でした。今考えますと、母方の祖父母が生活を支えてくれたこと、私自身も野球に打ち込み、地元水俣の人々に溶け込むことができたことで、幸いグレることなく育つことができたのではないかと感じております。
 息子である私の立場から致しますと、水俣での父板井優団員の活動は、そのように見えていたわけでありますが、その後、父の生き様を痛感させられた出来事がありました。これは、後に父から聞いた話でありますが、父が水俣に事務所を開設した後、当初、父の活動に協力的ではなかった地元の商工会のメンバーから連絡があり、出向いてみたところ、その商工会のメンバーの口から「実は、私の母も水俣病ではないかと思っている。何とか救っていただけないか」という相談を受けたということでした。水俣に住んでいるとどうしても近くにチッソや従業員の目があるため、なかなか声を上げられない現実があるわけですが、その気持ちを変えることができたのは、半ば体を張って現地水俣に事務所を開いた父の行動の結果であったかと思います。さらには、こんなこともありました。これは私が弁護士になった以降のことですが、ある水俣の方が法律相談に見えられた際、このように言われました。「私の身内の事件を、板井優弁護士に依頼したいのですが、実は、私は、チッソ水俣工場の従業員です。チッソにおりながら、水俣病裁判では敵方の弁護士である板井弁護士に依頼したことが社内に知れると、どうしても厳しいので、大変失礼な話でありますが、板井弁護士が信頼する別の弁護士をご紹介頂きたい」というものでした。この方の話をお聞きして、父板井優が、水俣の方々や、あるいはチッソの従業員の中にまで切り開いた信頼の大きさを痛感しました。そういったこともあり、私がかつて少年時代に感じた「息苦しさ」も、前向きなものとして受け止められるようになりました。
 実は、二〇年ほど前にも、父は、「亜急性劇症肝炎」という病気を患い、生死の境を彷徨ったことがあります。この時、私は、司法試験の受験生の身であり、京都におりましたが、その当時、母から、「生体肝移植をしないと死んでしまうので、京大付属病院にきて、あんたの肝臓を提供してほしい」と言われたほどでした。そのようなこともありまして、私は、ある意味、父の死は決して遠い未来のものではないと思って、これまで生きて参りました。通常、親子が同じ法律事務所にいるのでは、いわば「ぬるま湯」に浸かることになるので、親族のいない法律事務所に入るのが一般的と言われている中で、私は、司法試験に合格した後、父のいる熊本中央法律事務所に入所する決意をしました。私自身も、その決意を示すため、事務所に入って以降は、父のことを「お父さん」とは呼ばず、「優先生」と呼ぶことにしたという経緯があります。しかし、実際の日々は、すさまじい忙しさで、同じ職場にいる父と会話をする時間もほとんどありませんでした。親子の会話は本当に大切である反面、意識的にしておかないといけないことだと、今、痛感しております。
 ところで、父板井優の旧姓は「具志堅優」といいます。沖縄県那覇市の生まれであります。なぜ、沖縄出身の父が、熊本で生きることになったのかについては、著書「裁判を住民とともに~ヤナワラバー弁護士奮闘記~」にも書かれておりますが、ここで私は、この本には書かれてはいませんが、私なりに思うところを申し上げたいと思います。沖縄出身の父は、一昨年他界した父である具志堅興一、私にとっては祖父になりますが、この祖父との間で、考えが合わず、一種の確執のようなものがありました。といいますのも、父板井優は、沖縄時代に、当時、アメリカに占領されている状態にある不条理な事件や沖縄人が人として扱われない状況に怒りを感じ、沖縄の日本復帰運動、すなわち、祖国復帰運動をともに闘うことを志しました。しかし、祖父は、そのことを必ずしも肯定的に受け止めませんでした。その後、父は、国費留学生として熊本大学に入学し、そこで知り合った大分出身の私の母と結婚をしたわけですが、当時の気持ちとしては、「弁護士になって沖縄に戻り、具志堅優として、祖国復帰運動を戦いたい」と考えていたことは確かだと思います。しかし、私の母が一人娘であったこともあり、父は、結婚後の姓を「板井」に変え、板井優になりました。具志堅家の長男であった父が、具志堅姓を板井姓に変えたことは、祖父にとっては気になることであったかもしれません。父板井優は、産業界や通産省を相手とする水俣病訴訟や、ゼネコンと国交省を相手方とする川辺川訴訟のように、我が国の従来の在り方を大きく揺るがすような社会的事件に、市民の立場を貫き、責任ある立場で取り組み、多くの方々と団結して助けあいながら、それを実際に解決まで携わるという、いわば「祖父の目からみても」大切な成果を成し遂げることで、かつて自分のことを認めなかった祖父に認められたい、そうでなければ沖縄には帰れない、そういう意地のようなものがあったのではないかと思っております。その沖縄の父に対するパワーが源になって、人の二倍も三倍も働いて、権力と対峙する人生を歩くことができたのではないかと思っております。息子の立場でみてきて、そのように思う次第です。
 葬儀には、約一〇〇〇人の皆様にご参列頂きました。たくさんの方が助け合い、協力しながら、世の中の仕組みを変え、差別や不平等のない社会を作るんだという父の人生そのものが、葬儀の場に現れたのではないかと思います。私自身も、人間板井優の生き方に大きな影響を受けた人間の一人でありますが、おそらく父は、今後とも、私どもや、場合によっては、皆さんの心の中で、時には無理難題を持ち掛けながら、「闘え。もっと闘え。」ということでしょう。 最後に、板井優団員の好きな言葉を分かち合いたいと思います。
「一人の千歩より、千人の一歩を」
 今後とも、団員の皆様と次なる一歩を踏み出すこと、そして市民・住民の立場にたった社会づくりのために尽力して参りたいと思います。
 最後になりましたが、板井優団員とともに生きて頂いた自由法曹団の団員各位に対しまして、心より御礼を申し上げます。

 

 

 

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