第1702号 / 4 / 21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●新型コロナウイルス問題対策本部(仮称)を設置しました  自由法曹団執行部

 

* 千葉支部特集 *
○天海訴訟について  外山 裕子

○『オール千葉の会』『わかけん』のご紹介  島貫 美穂子

○千葉市内の公共施設での使用拒否事件  稲富  彬

 

●「沖縄高江への愛知県警機動隊派遣は違 法」住民訴訟、名古屋地裁判決のご報告  吉田 光利

●防衛大における人権侵害裁判について(下)  井下  顕

●山陽新聞労働組合の二つのたたかい(下)  鷲見 賢一郎

●スーパーホテルの支配人&副支配人が「業務委託」に抗して立ち上がる ~労基署申告&刑事告訴~  中川  勝之

●博報堂無期転換逃れ雇止め事件報告  井下  顕

●ヨハン・ガルトゥング著 『日本人のための平和論』を読む  大久保 賢一

●「選択的夫婦同姓」でしょ?―「強制」から「選択」へ「原則」の転換  後藤 富士子

 


 

新型コロナウイルス問題対策本部(仮称)を設置しました  自由法曹団執行部

一 新型コロナウイルス感染拡大とそれに伴う政府の緊急事態宣言のもと、私たちの命と健康、そして暮らしが、かつてない危機に直面しています。多くの人びとは、感染者と死者が日々増加する報道に接しつつ、医療、育児、教育、給与、雇用、経営など、様々な不安に苛まれています。このような情勢下において、自由法曹団は、政府の緊急事態宣言が出た翌日の本年四月八日、団長声明(「新型コロナウイルス感染拡大に伴う『緊急事態宣言』に際して、憲法を生かし、いのちと暮らしを徹底して守る感染拡大防止策の確立を求める」)を発しました。今後は、この声明を具体化するため、他団体とも協同・共闘しつつ、情報の収集、分析、政府・自治体への提言、救済のための具体的活動を進めることになります。
 そのうえで、団として新型コロナウイルスに関連する諸問題に即時に対応するため、今般、「新型コロナウイルス問題対策本部(仮称)」を設置しました。これからは本対策本部を中心に、次の活動を早急に展開してゆく予定です。
1 新型コロナウイルス感染拡大とそれに関連して生じている諸問 題の実態把握のための情報収集と問題点の整理・検討
2 政府、自治体等に求められる対策・政策の検討と提起
3 法律家団体、関係諸団体(医療、労働、経営等々)、国・地方 議員、NPOや市民団体と連携した具体的な活動(ex:電話・W eb相談、Q&A作成等々)
4 団員間の情報・活動の交流と推進
5 その他関連する活動

二 組織体制については、対策本部長を吉田健一団長、本部長代理を加藤健次団員(前幹事長)、泉澤章幹事長として、本部員には生じ得る諸問題を扱う各委員会に所属する団員にも入っていただこうと考えています(もちろん、ぜひ参加したいという団員も大歓迎です。)。
 なお、このような状況下では大人数が集まって会議をすることが難しいことから、会議は原則Web会議とし、情報交換や交流は、別途立ち上げる予定の全団員向け「新型コロナ問題関連メーリングリスト」などで行いたいと考えています。ぜひ全国から積極的な発言をお願いいたします。
 全団員の智慧と行動力を集めて、この難局を乗り越えてゆきましょう!

 

*千葉支部特集*
天海訴訟について  千葉支部 外 山 裕 子

 障害者総合支援法第七条(以下、「法七条」という。)は、障害福祉給付に対する介護保険給付の優先を定めています。この法第七条に基づき、千葉市は、平成二六年七月、満六五歳に達した天海さんが、継続して利用するために申請した障害福祉給付について、不支給の決定をしました。その理由は、「介護保険優先なので、満六五歳に達した障害者は、まず介護保険でサービスを受け、不足部分を障害福祉給付によるべきところ、天海さんが要介護認定の申請をしないので、介護保険によっては不足するサービスの量(支給すべき障害福祉給付の量)が算定できない。」ということでした。
 天海さんは、両上下肢に重い機能障害があり、満六五歳到達後は、要介護認定の申請をすれば、介護保険給付を利用することができました。しかしながら、介護保険給付は、障害福祉給付に比べて、利用者自己負担が高額であり、天海さんの場合、介護保険に移行することによって、従前は無料であった利用者自己負担が月一万五〇〇〇円発生することになります。この負担は、障がいがあるがゆえに、就労の機会、資産形成の機会を制約されていた方にとって、極めて重いものであり、当時、障がいのある方にとって、満六五歳到達と同時に介護保険に移行することは容易ではありませんでした。
 天海訴訟は、千葉市を被告として、上記の障害福祉給付不支給決定の取り消しを求めるものであり、平成二七年一一月に提訴をし、昨年、証人及び原告本人尋問が行われました。本件の争点は、「満六五歳に達するも要介護認定の申請をしていない障がい者に対し、法第七条を理由として、障害福祉給付を支給しないとする不支給決定ができるか。」ということにあります。
 法第七条は、併給調整規定であり、その目的は「二重給付の回避」です。介護保険法は、恐らくは支給抑制のために、介護保険給付の支給の始期を「要介護認定の申請日」としており、介護保険給付については「保険事故」発生時(本件に即せば満六五歳到達時)に遡る支給はなされません。そのため、要介護認定の申請がなされる前の段階では他の給付との「二重給付」の問題は生じません。
 そこで、天海訴訟弁護団では、「併給調整」「二重給付の回避」という観点からは、満六五歳に達するも要介護認定の申請をしていない障がい者が、障害福祉給付の申請をした場合には、まず障害福祉給付の支給決定を行い、後に要介護認定の申請がなされた時点で併給調整を図れば足り、「要介護認定の申請がなされていない時点で、障害福祉給付を不支給とすること」は、法七条の射程(併給調整)を越えた違法な措置であるとの主張を加えました。
 岡山の浅田訴訟に続く勝訴判決を願っています。

 

『オール千葉の会』『わかけん』のご紹介  千葉支部 島貫 美穂子

 皆さん、こんにちは。千葉の島貫と申します。といっても顔が浮かばない方がほとんどだと思います。団通信の常連・守川幸夫団員や大御所の先生方であれば高橋勲団員・高子団員と同じ事務所の若手だと言えば、「あぁ、個性豊かな大先生方のもと、健気に頑張っている若手なのかな」とご想像していただけるのではないかと思います。
 さて、今回は、影に隠れて地道に活動している『オール千葉の会』と『わかけん』の活動について、かしこまらずにご紹介いたします。

◎おまっとさんでした!『オール千葉の会』誕生!
 二〇一五年の安保法制の強行成立を受け、千葉でも埼玉などのように県内のナショナルセンター的な団体を作りたいとの思いから、オール埼玉に学び、まずは弁護士有志の会が立ち上がりました。そこから、再び戦争させない千葉県一〇〇〇人委員会と憲法を守り・いかす千葉県共同センターにお声かけをして、二〇一六年に、『安保法廃止!立憲主義・民主主義をとりもどすオール千葉県の会』(長くて覚えられません)、通称『オール千葉の会』が誕生しました。千葉は歴史的に共闘するのが難しい地と言われていましたので、結成にこぎつけたこと自体、大きな前進といえるかもしれません。
 現在では、安保関連法に反対するママの会@千葉、安保法制に反対する千葉大学OG・OBの会など多数の団体が結集しています。活動は、安保法廃止・九条改悪に反対するパレードや一〇〇〇人規模の県民集会がメインです。
 『オール千葉の会』ならではという点で意識していることは、党派を超えた県内選出の国会議員に出席してもらうこと、そして、オール千葉に結集している皆さんを総動員することです。「これだけ多くの県民が安保法制の成立に反対していますよ、憲法改悪に反対していますよ、あなたたち国会議員の動きを私たちは見ていますよ!」というアピールの場を提供できるのは『オール千葉の会』ならではであり、存在意義だと考えています。
 現在は、木更津のオスプレイ暫定配備問題が喫緊の課題です。様々な地元団体と連帯しながら、千葉県全体の問題として運動を盛り上げるべく試行錯誤中です。

◎若手も頑張っているぞ!『わかけん』誕生!!
 『オール千葉の会』結成と同じ頃、『憲法を考える千葉県若手弁護士の会』(これまた長くて覚えられません)も発足しました。通称『わかけん』です。
 安保法制の策動が生じた頃、県内の大御所先生たちが弁護士会講堂に結集して意見交換会を開いたことがありました。帰り際、団の元事務局次長である藤岡拓郎団員と「大御所の先生たちが色々やっているんだから、若手も何かやらないとね。」そんな会話を交わしたことが結成のきっかけだったと記憶しています。また、ちょうどその頃、千葉県弁護士会全体も、政治的な事柄について意見を述べることに消極的な声が増えており、団員だけでなく広く若手会員と交流を持ち、憲法問題を一緒に考える土壌作りの必要性も感じていたところでした。
 そこから、県内の若手会員に広く声を掛け、『わかけん』が誕生しました。普段交流のない多くの若手会員に賛同していただいたのは嬉しい驚きでした。
 これまでの活動は、「未来のための憲法講座」と題して伊藤真先生や木村草太先生を招いたり、映画上映会後に集団的自衛権に関してグループディスカッションをしたり、高校生の悩みを若手弁護士が斬る!と題して高校生と交流を持ちながら一緒に憲法について考えてみたり、高校生対象に駅前でシール投票をしたり、などなど、若手だからこその活動をあれこれ考えながら取り組んでいます。
 『若手』と名打っているので期間限定の活動になるのか、はたまた『熟年弁護士の会』に名称を変えて存続するのかは分かりませんが、これからも、ライトな企画を私たち自身も楽しみながら取り組んでいきたいと考えています。
 以上、県内の二つの取組に関するご紹介でした。
 これからも、団通信などを通じて全国各地の活動報告に元気とヒントをいただきながら、様々なアプローチで、県内の憲法を守りいかす運動に取り組んでいきたいと思います。温かく見守っていただければ幸いです。

 

千葉市内の公共施設での使用拒否事件  千葉支部 稲 富   彬

 今年に入って千葉市内の九条の会から公共施設での使用拒否に関する相談したいとの連絡を受け、複数名の団員で相談を受けたので、紹介します。なお、現在も団千葉支部と九条の会とは適宜連絡を取り、今後の対応等について検討している状況です。

【事案の概要】
 千葉市内のある地域には地域ルームという市民が集会や学習会などで自由に利用できるいわば公民館のような場所があり、施設の所有者は千葉市、管理・運営は地域の住民で構成される運営委員会が担っていた。同施設の具体的な利用方法は、まず団体として利用登録をしたうえ、利用したい日時を特定して利用申し込みを行い、利用が承認されると、利用料を支払い、利用できるという仕組みになっている。
 当該地域の九条の会は度々同施設を利用していたところ、昨年六月下旬に施設の利用とは関係なく、安倍九条改憲に反対するビラを地域に全戸配布した。すると、運営委員会は九条の会に対し今後の施設の利用を取り消す旨の通告を口頭で行った。ビラを受け取った住民からこのような政治的ビラを撒く団体に施設を利用させるなという苦情が入ったようである。

【問題点】
・地域ルームの利用規則には、利用申請に対する不承認(不承認の例として「特定の政治的活動」が挙げられている。)の定めはあるが、利用登録の取消の定めはない。
・運営委員会の利用の取消しが、利用の不承認なのか、利用登録の取消なのかが不明。
・安倍九条改憲のビラをまくことが「特定の政治的活動」に該当するのか。
・「特定の政治的活動」に該当するとしても、施設の利用とは関係なく行われた活動を理由に利用を拒否することができるのか。

【今後について】
 運営委員会は地域の住民で構成される団体であり、九条の会のメンバーとも近隣住民として顔見知りの関係で、従前九条の会が学習会などで施設を利用することは自由にできていました。それにもかかわらず上記のような行動に及んでいるのは、運営委員会が全国に蔓延している表現活動(特に政治的な表現活動)に対する不寛容さを感じ取り、住民の苦情に対して過剰に反応し、独断で行動してしまったゆえだと思われます。利用取消の具体的な効果や根拠を示していないところにも、運営委員会の短慮な行動であることが表れています。
 千葉支部としては、運営委員会と施設の所有者である千葉市との法的関係が不明なため、情報開示により、運営委員会と千葉市との委任関係を裏付ける資料を取得する手続きを進めているところです。今後、本件に関し、千葉支部がどのような形で関わっていくのか(住民同士の話し合いで解決を図るのか、法的手続きを行うのか等)決まってはいませんが、九条の会が同施設を利用し改憲反対運動を自由に行えるよう、また表現の自由の重要性を再認識してもらうため、九条の会と協力して行動していきます。

 

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「沖縄高江への愛知県警機動隊派遣は違法」住民訴訟、名古屋地裁判決のご報告
                                           愛知支部 吉 田 光 利

一 愛知県民二〇〇余名は、二〇一七年七月、愛知県警の機動隊派遣に伴う給与の支出は違法であるとして、名古屋地裁に住民訴訟を提起した。
 本年、三月一八日、請求棄却の判決が言渡された(名古屋地方裁判所民事第九部角谷昌毅裁判長、佐藤政達裁判官、後藤隆大裁判官)。

二 被告である愛知県は、派遣決定の違法が派遣期間に係る給与等の支出決定の違法事由となり得るかという点について、警察官の給与は派遣決定が違法であるか否かに関わらず、継続的に支払われるべきものであるから、違法事由とはなりえないと主張していた。
 これに対し、本判決は、派遣決定が違法である場合には、愛知県警察本部長において、これを取り消すなどして、本件派遣決定に伴って業務に従事した警察官の給与を支払ってはならないとして、被告の主張を排斥しました。

三 続いて、派遣決定の実体的違法について、判決では、「援助要求をした都道府県公安委員会の属する都道府県において他の都道府県警察による援助の必要性がないことが客観的に明らかであるなどの事情がない限り、援助の必要性があることが前提とされるべきものと解するのが相当である。」という枠組みのもと、二〇一六年七月一三日の一回目の派遣決定以前から道交法違反、威力業務妨害に該当し得る(・・・・・)行為があったとし、同年七月一一日以降の抗議活動(寝そべる、低速走行、道路に車を置くなど)を殊更に強調し、犯罪行為に該当し得る(・・・・・)ような抗議活動が大規模に展開されることが想定されるとし、結論として、沖縄県において援助の必要性がないことが客観的に明らかであったということはできないとした。
 高江の住民らは、座り込みをするにあたって、「ヘリパッドいらない住民の会」を結成し、①非暴力であること、②警察の介入を受けるような行為をしないこと、③それを守れない者は座り込みに参加できないことを決め事としていた。危険な抗議活動が行われていたから機動隊が派遣されたのではなく、ヘリパッド工事の再開、それに伴う機動隊の大量投入がなされたことから、先にあげた決め事を守りながら、やむにやまれず、寝そべる、低速走行、道路に車を置くなどの抗議活動を行ったのである。判決は、機動隊が派遣されるまで中立的であった警察の対応を考慮に入れず、原因と結果を反対に捉えたものであり、結論ありきと考えざるをえない。
 なお、東京地裁では、ゲート前のテント及び車両の撤去について「撤去行為の適法性について看過し難い疑問が残るものと言わざるをえない」とその違法性を認めていたが、名古屋地裁は、道交法の規定やその趣旨を仔細に検討することなく「テントや車両が交通の妨げとなりうるものであり、撤去を行う必要がなかったとはいえない。」として、違法性を認めなかった。法の解釈を行わず、「必要性」というマジックワードに依拠する到底納得し難い論旨である。

四 本件の愛知県の機動隊派遣は、公安委員会の事前承認を経ず、愛知県警察本部長の「専決」によって行われた。
 愛知県公安委員会事務専決規程は、本件のように他県からの要請を受け、機動隊を派遣するような場合、その中でも、特に「異例または重要」と認められるものについては、「あらかじめ公安委員会の承認を受けてこれを処理しなければならない」と定めている。判決は、本件について、後日紛議を生ずることが予想され、社会的反響が大きいものであったから、「本件派遣決定が『異例または重要』であると評価される余地を否定できない」として、本件派遣決定には「あらかじ公安委員会の承認が得られていないという点で瑕疵(違法性)を帯びていた」と認定した。沖縄県議会の抗議にとどまらず、現に愛知県においても県議会議員らが知事に対し、派遣の中止を申し入れており「異例または重要」な事態であったとしたのは当然である。
 しかし、判決は、愛知県警警備課長が公安委員会に、事後的(派遣後)に、派遣の概要を報告し、異論が出なかったことを理由に「事後的に承認が得られたことで、その瑕疵は治癒された」として、本件派遣決定の手続的違法を否定した。常識的に考えて異論が出なかったこと=承認では決してなく、また、異論が出なかったことを承認と捉えることは、警察の不偏不党、政治的中立を確保するために設けられた公安委員会を骨抜きにするものであり、看過し難い理由付けである。

五 判決後、原告団の団長は「請求は認められなかったものの、沖縄の闘いが、こんなに深く名古屋の地で根を張りつつあるこれこそが、この裁判の財産だと思いを致しています」と述べ、また、弁護団団長の大脇弁護士は「背筋が凍る判決」とはまさに今回の判決を言うのだと述べ、しかし、「人権の獲得には、不断の努力が欠かせない」のだと、力強い言葉を述べた。
 三月三一日付で控訴をしました。本当の戦いはこれからからです。

 

防衛大における人権侵害裁判について(下)  福岡支部 井 下   顕

四 防衛大内における凄まじい、いじめ・暴力等の実態
(1)防衛大アンケートに見る凄まじい暴力等の実態
 弁護団は、防衛大における歴年の服務違反行為数や自殺者数、刑法犯相当数や脱柵者数(防衛大から逃走しようとした者の数、なお「脱走」ではなく、「脱柵」と呼ばれている。「脱柵」とは家畜などが柵を越えて逃げ出すことをいう)などを情報公開請求で取り寄せ、証拠として裁判所に提出した。
 防衛大では、毎年、数名の自殺者もしくは自殺未遂者が出ており、さらには、毎年の刑法犯相当数も数十件に上り、脱柵者の数も毎年数十件に上っている。
 防衛大では、指導の名の下に、先の「粗相ポイント制」だけでなく、「食いシバキ」といって、カップ麺の乾燥した麺だけを制限時間内に限界が来るまで食べさせる、ラー油の一気飲み、賞味期限切れの食べ物を無理矢理食べさせる、空気椅子(両手は前方に地面水平に挙げたまま、両膝を折ってあたかも椅子があるような姿勢を一〇分~二〇分させられる)など、実に様々な「指導」が行われているが、原告もさせられたファイア(体毛にアルコールを吹きかけて火を放つ行為)やエアガンで撃つなどの行為はアンケートの中でも実に多くの学生が体験したり、見たりしている実態が明らかになった。

五 裁判の現状について
(1)公務員の個人責任の追及と国の安全配慮義務違反の責任追及
 現状、国家賠償における公務員の個人責任は免責されている。すなわち、国家賠償法上、公務員個人は違法行為を行ったとしても、直接被害者に対し、責任を負わないことになっている。本件でも、被告学生が、「学生間指導」の名の下に、いじめや人権侵害行為に及んだ行為の責任が不問に付されてしまう可能性もあったが、弁護団は、被告学生個人に対し、あえて不法行為責任(民法七〇九条)を追及し、他方、被告国に対しては国家賠償法の構成ではなく、そうした実態を放置していたことの安全配慮義務違反(民法四一五条)を追及するという構成をとった。
(2)被告学生個人に対する判決、国に対する裁判の現状
 裁判において国(防衛大)は、徹底した情報隠蔽と責任逃れの姿勢に終始した。本件人権侵害の実態に迫る様々な書面は、ほとんどが黒塗りで、刑事罰が下された学生ですら、自らの責任を否定したり、教官に至っては、暴力はいけないと日頃から注意していた、予測不可能であったなどと責任逃れの姿勢に終始した。
 こうした中、福岡地裁は、被告学生の裁判と被告国の裁判を途中で分離し、被告学生に対しては、昨年二月五日、判決が言い渡された。福岡地裁は、被告学生八名のうち七名に対して総額九五万円の賠償を命じた。裁判所の基本的なスタンスとしては、行為の外見上、公務性が認められれば、被告学生個人の責任は免責されるというスタンスだったが、裁判所は、被告学生八名のうち七名について、不法行為責任を認め、総額九五万円の賠償を命じた。九五万円という低い賠償額には強く不満が残ったが、双方控訴せず、被告学生に対する判決は確定した。
 一方、国に対する判決は昨年一〇月三日に出されたが、福岡地裁は、原告の請求を棄却し、国の責任を一切認めない不当判決を言い渡した。
 福岡地裁は、国は、防衛大における学生生活全般において、学生の生命、身体及び健康に対する危険を具体的に予見し、その予見に基づいて危険の発生を未然に防止し、特に必要な注意をする義務を負う、などと安全配慮義務の内容を措定した。しかし、これは、これまでの最高裁判決などで確立されてきた安全配慮義務の内容を空洞化させるものであり、極めて不当である。すなわち、個々の危険に対し、具体的な予見可能性が必要となれば、原告に暴力やいじめなどの具体的な危険が迫っていることを個々の教官が認識していたことが必要となって、ほとんどの場合、具体的な予見可能性はないとして、危険を管理する者(本件では国)は責任を免れてしまう結果になる。これに対し、電通過労自殺最高裁判決(二〇〇〇年)は、被災労働者がうつ病等の精神疾患に罹患していたことの認識までは要せず、当該労働者が長時間労働に従事するなどの危険な状態の認識で足りると判断した。本件でいえば、防衛大では、「学生間指導」を口実に暴力行為が蔓延していたこと、原告に対し、特定の学生からの「指導」が集中する状況があったこと、これまでも原告に対し、「指導」の名で暴力等が実際にあったこと、などの事実からすれば、各教官は原告が暴力等の標的になることを予見し得たといえるし、ましてや下腹部への放火や原告の両親が被害申告を行っていたのであるから、国に安全配慮義務違反が認められることは当然であると弁護団は考えている。
 なお、昨年九月、原告と全く同じ中隊に属していた別の学生が、やはり国(防衛大)を相手に、損害賠償請求訴訟を横浜地方裁判所に起こした。
 弁護団は、必ず、福岡高裁で逆転勝訴判決を勝ち取る決意である。

 

山陽新聞労働組合の二つのたたかい(下)  東京支部 鷲 見 賢 一 郎

一 山陽新聞労働組合の委員長、副委員長を印刷職場から排除する  組合攻撃とのたたかい
1 田淵信吾委員長、加賀光夫副委員長の印刷職場からの排除
(1)早島工場の建設
 山陽新聞社は、直営の岡山市北区新屋敷町の本社工場に二セット、一〇〇%子会社の株式会社山陽新聞印刷センター(以下「印刷センター社」といいます。)に運営を委託している倉敷市片島町の倉敷工場に二セットの輪転機を保有し、山陽新聞等の印刷をしていました。このうち、本社工場の二セットと倉敷工場の一セットの輪転機は、約三〇年使用し、更新時期を迎えていました。山陽新聞社は、本社工場を閉鎖し、岡山県都窪郡早島町に早島工場を建設し、同工場に輪転機三セットを据え付け、同工場の管理・運営を印刷センター社に委託することにし、本社工場は二〇一八年五月六日に操業を停止し、早島工場は翌五月七日に本格稼働を開始しました。
(2)田淵委員長、加賀副委員長のみを印刷職場から排除
 山陽新聞社は、本社工場で印刷業務に従事していた山陽新聞社の従業員二五人のうちの、早島工場で印刷業務に従事することを希望した従業員二三人のうち、田淵委員長、加賀副委員長を除く二一人の従業員に対して、二〇一八年五月七日付けで、印刷センター社に出向し、早島工場で印刷業務に従事することを命じ、田淵委員長、加賀副委員長に対しては、五月七日付けで、非現業のデスク業務である編集局工程管理部へ配置転換することを命じました。
 山陽新聞社は、田淵委員長、加賀副委員長を印刷センター社に出向させず、早島工場の印刷業務に従事させない理由として、「山陽労組が印刷工場の直営化を要求し、かつて出向に反対していたこと」等をあげています。山陽労組は、本社工場を閉鎖されると、印刷工場が印刷センター社に管理・運営を委託された早島工場、倉敷工場しかなくなるので、今回は印刷工場の直営化は要求していますが、出向には反対していません。
 本件異動が行われるまで、田淵信吾委員長は入社以来三九年間、加賀光夫副委員長は入社以来四四年間、一貫して印刷業務に従事してきており、二人のみが希望に反して早島工場の印刷業務から排除されました。
2 岡山県労働委員会のたたかい
(1)印刷センター社へ出向させ、早島工場で印刷業務に従事させ ることを求める不当労働行為救済申立
 日本新聞労働組合連合、同中国地方連合会、山陽新聞労働組合は、二〇一八年四月二四日、山陽新聞社と印刷センター社を被申立人として、不当労働行為救済申立をし(岡委平成三〇年(不)第一号事件)、前記の五月七日付配置転換命令等を受けて、七月一八日、請求する救済内容の変更を申し立てました。変更後の請求する救済内容は、山陽新聞社に対して、「編集局工程管理部への配置転換をなかったものとして取り扱い、印刷センター社に出向させ、早島工場で印刷業務に従事させること」を求め、印刷センター社に対して、「組合員田淵、組合員加賀の出向を受け入れ、早島工場で印刷業務に従事させること」を求めるものです。
(2)岡山県労働委員会命令
 岡労委は、二〇一九年一一月二九日、労使双方に命令書を交付しました。
① 主文
 岡労委命令の主文は、山陽新聞社に対して、「組合員田淵、組合員加賀に対する編集局工程管理部への配置転換命令をなかったものとして取り扱い、印刷センター社に対して同人らの出向を申し入れ、山陽新聞社から出向命令を受けて現に早島工場で印刷業務に従事している他の労働者と同人らを差別することなく処遇しなければならない。」と命令し、あわせて山陽労組に対し誓約文を手交することを命令しましたが、印刷センター社に対する申立は棄却しました。
② 理由
 岡労委命令は、「山労は、早島工場設立の際には、印刷工場の直営化を要求する立場を維持しつつ、田淵組合員らを出向させることを求めており、(中略)組合活動として正当性の範囲を逸脱するものではない。」、「田淵組合員らは印刷業務以外の部署に異動となったことで印刷業務に関する知識や経験を早島工場の印刷職場で活かす機会を奪われ、また、長年にわたり従事してきた仕事に対する誇りを傷つけられたと評価できるから、本件異動等は、田淵組合員らに精神上の不利益を与えるものであったと認められる。」、「山陽新聞社は、山労の組合方針等を理由として、印刷センター社への出向者選定に当たって、山労の組合員であるが故に田淵組合員らを差別的に取り扱い、本社工場で印刷業務に従事していた出向を希望する従業員のうち両名のみを早島工場に出向させないという、いわゆる見せしめ人事を行ったものと認められる。」などと判断し、山陽新聞社の行った本件異動等は労働組合法七条一号「不利益取扱い」及び三号「支配介入」の不当労働行為に該当すると判断しました。
 次いで、岡労委命令は、「具体的な出向対象者の人選は山陽新聞社が行い、印刷センター社は山陽新聞社からその結果の連絡を受けて出向対象者の出向受入れを行ったものであり、(中略)印刷センター社が同組合員らの出向を受け入れるか否かを判断する機会はなかったものと認められる。」、「印刷センター社が田淵組合員らの出向受入れを拒否したとはいえず、(中略)印刷センター社に関して不当労働行為が成立する余地はないと判断する。」と判断して、印刷センター社に対する申立を棄却しました。これらの判断は、印刷センター社が山陽新聞社の一〇〇%子会社であること、印刷センター社の取締役及び監査役は、全員、山陽新聞社の代表取締役、取締役、局長、元局次長であること等を無視する判断であり、誤っています。
 もっとも、岡労委命令は、「印刷センター社において、山陽新聞社から田淵組合員らの出向について申入れを受けたときは、現に山陽新聞社から出向し印刷業務に従事している他の労働者と同様に出向を受け入れ、必要な研修を受けさせる等の協力が行われることを期待するものである。」と付言しています。
3 全面勝利解決
 山陽労組は、命令書受領後、山陽新聞社に対して、中労委へ再審査を申し立てしたり、岡山地裁に行政訴訟を提起したりせず、労働争議を早期に全面解決するように要求しました。山陽新聞社は、山陽労組の要求に応えて、中労委への再審査申立等をせず、二〇一九年一二月二四日、山陽労組に誓約文を手交し、「労働委員会命令を真摯に受け止め、誠実に実行して行きます。」と約束しました。その後山陽新聞社の役員の謝罪等があり、山陽新聞社と山陽労組は、二〇二〇年二月四日、労働争議が全面解決したことを確認しました。
 加賀副委員長は、二〇二〇年二月一日から印刷センター社へ出向になり、早島工場で印刷業務に従事し、二月二八日、山陽新聞社を定年退職しました。「印刷で定年を迎えたい。」との加賀副委員長の希望が実現した瞬間です。田淵委員長は、家庭の事情の変化により、早島工場で働かず、二〇一八年五月七日付け配転命令を取り消させ、二〇二〇年二月一日付けの新たな配転命令により引き続き編集局工程管理部で働いています。

二 たたかってこそ勝利できる!!
 年間一時金についてのたたかいは、命令では勝てませんでしたが、確かな前進を勝ち取っています。組合員の印刷職場からの排除を許さないたたかいは、命令、解決内容とも全面勝利です。
 新聞労連と山陽労組は、二〇一九年二月八日、岡山市勤労者福祉センターで、約四〇〇人の参加を得て、「前川喜平さんと考えるメディアのあり方―これでいいの?山陽新聞」を開催しました。この集会は、山陽新聞において真実の報道を大切にし、不当労働行為をなくし、市民から信頼される山陽新聞をつくっていくことを目的にして開かれた集会です。
 山陽新聞争議勝利報告集会は、二〇二〇年二月九日、岡山市勤労者福祉センターで、約一〇〇人が参加して行われました。集会では、たたかいを振り返り、勝利を祝福する挨拶が相次ぎました。山陽労組の二つのたたかいは、「たたかってこそ前進がある。」、「たたかってこそ勝利できる。」を体現し、実感したたたかいです。

 

スーパーホテルの支配人&副支配人が「業務委託」に抗して立ち上がる
  ~労基署申告&刑事告訴~                                                          東京支部  中 川 勝 之

 「スーパーホテル」という大阪市に本社を置くホテルチェーンがある。HPによると、「日本国内主要都市、ミャンマー、ベトナムなどの海外に店舗を展開。」とあり、二〇一九年で一三六店舗を数え、売上高は三三一億四四〇〇万円(二〇一九年三月期)とのことであるが、実は、ほとんどのホテルにおいて、支配人と副支配人はスーパーホテルとは「業務委託契約」の形式が取られている。何も隠されていたわけではなく、HPのトップページに「支配人・副支配人募集 SUPER DREAM PROJECT」とあり、「夢をかなえる第一歩!ともに働く支配人・副支配人を募集しています。」と掲載されている。
 当事者は、二〇一八年年九月から「スーパーホテルJR上野入谷口」(以下「本件ホテル」)の支配人と副支配人の男女二名で、ひょんなことで私が法律相談を受け、労働組合として取り組むべき問題と考え、二人は首都圏青年ユニオンに加入した。
 組合員らは、本件ホテルに住み込み、事実上二四時間・三六五日、ほとんど休息なく長時間労働を強いられていた。本件ホテルの業務について、スーパーホテルから細部にわたり指示を受け、裁量は全くないといえる働き方をしていた。実態は労働者である。
 首都圏青年ユニオンは、組合員らは労働者であるとして、賃金等の労働条件について団体交渉を申し入れ、スーパーホテルは労働者性を否定しつつも、「協議」には一定応じてきた。
 しかし、新型コロナウイルスの感染拡大防止策として、国や東京都による外出自粛の要請が始まり、ホテルの利用客が激減していた中、スーパーホテルは、稼働率減少が組合員らの責任によるもの等と主張して、本年三月二四日、突然、本件ホテルに五人の男性従業員らを送り込み、組合員らに代わり、本件ホテルの営業をするに至った。
 何十年も前の「ロックアウト」を彷彿させるような実態であったが(もちろん、組合員らが本件ホテルで争議行為を行っていたわけではない)、組合員らは事実上本件ホテルの業務に従事できない状況にあるばかりか、一人で受付をしていた組合員で女性の副支配人は送り込まれたスーパーホテルの従業員から数度にわたり強く押される等の暴行を受けた。
 首都圏青年ユニオンはスーパーホテルに対して抗議をしたが、実態は変わっていない。
 そこで、四月一〇日、組合員らは上野労働基準監督署長に残業代未払の労基法違反を申告し、女性組合員は前記暴行について、上野警察署に刑事告訴をした上で、記者会見を行った。
 私は労基法違反申告について、残業代計算等を担当したが(概算で組合員ら各人一五〇〇万円前後)、午前零時から午後一二時(二四時)までの休日の有無を尋ねたところ、二人とも一日もなかったと答えた。何回過労死するか分からないような労働実態である。
 世間では「雇用によらない働き方」を広めようという動きがあるが、それに抗してたたかう組合員らへのご支援ご協力をお願いするとともに、奮闘の決意としたい(弁護団は、首都圏青年ユニオン顧問弁護団から、青龍美和子団員、山田大輔団員、川口智也団員、藤原朋弘団員と私)。

 

博報堂無期転換逃れ雇止め事件報告  福岡支部 井 下   顕

一 事案の概要
 本件は、X(提訴時五三歳、女性)が一九八八年博報堂に入社し(ただし、初年度から雇用期間一年の嘱託社員)、その後二九回更新、通算三〇年間にわたって働き続けてきたが、平成三〇年三月三一日をもって雇止めされた事件である。Xは二〇一八年四月一日以降も雇用契約が更新されれば、無期転換申込権を取得する予定であった。

二 裁判に至るまでの経緯
 Xは、博報堂において、経理業務を中心に、マネジメントサポート業務に従事し、博報堂九州支社の中ではもっとも勤続年数が長かった。Xは三〇年間、有給休暇をほとんど使用したこともなく、毎月繁忙期には月八〇時間近い残業を余儀なくされていた。Xの当初給与額は年収二〇〇万円台、その後若干昇給したものの、ここ二〇年近く三〇〇万円台中頃の同じ額でずっと推移してきた。なお、博報堂九州支社には常時五〇人以上の労働者が働いているため、衛生管理者を置かなければならず、Xは長らく衛生管理者に選任され、安全管理者の業務にも従事してきた。
 労働契約法が改正された直後の二〇一三年一月、Xは、今後の雇用契約が五年となることを告げられた。しかし、博報堂の内部文書では、二〇一三年度より五年を上限として運用開始。六年目以降の契約は、本人が希望し、かつ会社が業務実績により適当と判断した場合に更新するなどと記載されていた。Xは業績を上げようと努力し、その評価も決して悪いものではなく、二〇一八年四月以降も契約は更新されるものと期待していた。
 Xは雇止めを告げられて以降、福岡労働局に相談を行い、二〇一八年三月上旬、福岡労働局は博報堂に対し、労働局長助言を行った。助言は、本件雇止めは、労働契約法第一九条に照らし、客観的に合理的な理由があり、社会通念上相当であると認められるかについて疑問があるとし、とりわけXの勤務成績に問題がなく、業務が恒常的なものであったことに加え、二〇一三年四月の労働契約の更新時点で、その後も契約が更新されるものと期待することに合理的な理由があったと認められる等の詳細な事実認定を行い、さらに無期転換ルールを避けることを目的として、無期転換申込権が発生する前に雇止めをすることは、労働契約法の趣旨に照らして望ましいものではないと踏み込んだ助言をしていた。
 しかし、博報堂はXの雇止めを強行した。

三 裁判の経緯
 裁判では、Xに対する雇止めは無効であり、Xは博報堂に対し、雇用契約更新を前提に無期転換申込権の行使の意思表示を行っている旨の主張を行い、さらに無期転換申込権の発生を阻止するために、雇用契約書に書き込んだ不更新条項そのものが公序良俗違反である旨の主張も行った。この点、厚労省も改正労働契約法の施行と同時に発した通達の中で、労働者にあらかじめ無期転換申込権を放棄させるような雇用契約書に署名をさせていたとしても、当該労働者の意思表示は公序良俗に違反し、無効であるとしていた。
 裁判では、Xの業務の臨時性や常用性、Xの雇用継続の期待をもたせる博報堂側の言動の有無等についても、審理が行われたが、博報堂側の代理人は一貫して、Xが各年度の雇用契約書において、二〇一八年四月一日以降の不更新条項に同意してきたとの主張を行った。

四 福岡地裁判決と博報堂の控訴断念
 本年三月一七日、福岡地裁判決は、Xが不更新条項の入った雇用契約書への署名を拒否すれば、その時点で契約更新ができなくなるのであるから、署名があるからといって明確な意思表示とはみなせないと判断し、不更新条項が書き込まれる二〇一三年までに契約更新へ向けた期待の合理性は揺るがないものになっており、さらにその後も同様であると判断して、Xを雇止めするに足る客観的合理的理由は見いだせないとして、Xの雇止めを無効と判断し、過去二年分の賃金ならびに賞与相当額の支払いを命じた。もっとも、判決は、当方らが求めていた、訴外での無期転換申込権の意思表示については判断をしなかったことから(結論を導く上で必須の要件ではなかったが)、博報堂が控訴すれば、さらにその点の審理を求めるつもりでいたが、博報堂側は控訴を断念し、現在、復職に向けた協議を行っているところである。
 弁護団は当職のほか、福岡南法律事務所の德永由華団員と島翔吾団員である。

 

ヨハン・ガルトゥング著 『日本人のための平和論』を読む  埼玉支部 大 久 保 賢 一

 「平和学の父」といわれるヨハン・ガルトゥングが『日本人のための平和論』を書いている(二〇一七年・ダイヤモンド社・御立英史訳)。氏の提案を検討してみる。

ガルトゥング氏の問題意識
 氏は、日本が抱える難問として、米軍基地をめぐる政府と沖縄の対立、中国との尖閣諸島、韓国との竹島、ロシアとの北方四島などの領土問題、北朝鮮とのミサイル、「慰安婦」や「南京事件」など歴史認識をめぐる対立などを挙げている。もっとも注目しているの「集団的自衛権」についての安倍首相の態度である。次のようにいう。
 安倍首相は当初、その米軍追従政策を「積極的平和主義」というネーミングで推進しようとしていた。「積極的平和」というのは、私が使い始めた用語である。平和には消極的平和と積極的平和がある。国家や国民の間に、ただ暴力や戦争がないだけの状態を消極的平和、信頼と協調の関係がある状態を積極的平和という。消極的平和を積極的平和と言い換えるだけなら単なる無知だが、こうまであからさまな対米追従の姿勢を積極的平和というのは悪意ある言い換え、許しがたい印象操作である。
 氏は、単に用語の転用だけではなく、あからさまな対米追従を指摘しているのである。氏は、米国には、米国は神に選ばれた善なる存在であり、米国に歯向かうものは悪とみなすという「深層文化」がある。そして、身勝手な論理で、世界を混乱させ、テロの恐怖を拡散させた張本人であり、経済的利益の追求のため軍事介入を行う国だ。そのような米国に追従することは、日本を苦しめる根本原因だという。
 私も、安倍首相の「積極的平和主義」には強い違和感を覚えていた一人である。米国追従を積極的平和という用語で正当化しようとすることは質の悪い印象操作であろう。私は、氏の米国観に異存はないし、日本政府の「集団的自衛権」行使容認は憲法違反の蛮行であると考えている。氏の主張に賛同である。

氏の四つの提案
 氏は、日本が抱える諸問題の解決のための四つの提案をしている。
①領土の共同所有 争いのある諸島の領有権を相手国と共有することによって戦争を避ける。
②東北アジア共同体 日本、二つのチャイナ、二つのコリア、モンゴル、極東ロシアの七つの国と地域からなる共同体をつくる。
③専守防衛 他国を刺激しない武器を保有して、日本の国境線を守る。
④対米従属からの決別 日本は、今も占領され続けて、植民地レベルに達している。この状態から脱しない限り、日本はアジアの平和に貢献することができない。
専守防衛については次のようにいう。
 専守防衛とは、①国境防衛すなわち海岸線防衛、②自衛隊による領土内防衛、③非暴力的抵抗行動による非軍事的防衛である。そのための武力とは、陸上ではジープ、海上では魚雷艇、空ではヘリコプターと精密誘導ミサイルなどである。
 氏は、専守防衛という武力の行使と、そのための武力を保有は否定していないのである。その理由はこうである。武力の保有を否定すべきという気持ちには敬意を表するが、残念ながら世界は善意だけでは成り立っていない。まったくの丸腰で国を守ろうというのは非現実的である。紛争の根底にある対立が解決されなければ、人間は包丁や金槌を使ってでも戦いを始めるだろう。
 私は、氏のこれらの提案のうち、領土の共有については留保し、東アジア共同体の形成と対米従属の解消には賛成し、武力を用いての専守防衛には反対である。武力行使の容認と武力の保有は、結局、最終兵器である核兵器に傾斜するであろうし、不幸にして占領されたら、氏がいうように非暴力的抵抗運動という手段が残されているからである。そして、紛争の根底にある対立の解消のためには、対立の法的解決を工夫したほうが生産的だと考えている。例えば、国際司法裁判所の強制的管轄権を規定するなどの方法である。
 氏も武装解除は理想だとしているし、国際紛争の調停者としての実績があるのだから、有効性が疑わしい武力の保有など提案してほしくないと思う。

正義の武力行使(武力介入)の容認
 氏は武力行使が例外的に許容される場合を想定している。武力介入が正当化される要件は次のとおりである。
①直接的または構造的暴力による苦しみが耐え難いレベルに達していること
②考えうる平和的手段はすべて試したが効果がなく、外交交渉も役に立たないこと
③暴力の行使が必要最低限に抑えられること
④勝利や英雄的行為の追求ではなく、正しい動機に基づく行動であるか、慎重な自己吟味が行われること
⑤平和的で非暴力的手段の模索が並行して続けられること
 氏は、この最後の手段としての力の行使を敗血症に侵された足の切断のたとえ話で説明している。私は、この発想にも同意できない。そもそも、個人の苦痛をどう救済するかという問題と国家による武力行使とは別々論じられるべきだからである。また、その判断権者を誰にするかという難問に逢着する。そして、正義の実現のためであれ、武力の行使を認めることは、戦争をいつまでたっても廃止できないことにつながるからである。

氏の日本国憲法九条についての意見
 氏の九条観はこうである。憲法九条は米国が日本を罰するために使った道具だという主張がある。…私もそう考える。当時の日本は米国がサインせよと要求するものを断れる状況になかった。九条は反戦憲法であっても平和憲法ではない。九条があるために、日本では現状を変えるための平和政策が生まれてこなかった。九条のおかげで国家間の対立や戦争のことで頭を悩ませる必要がなかった。九条は崇高な理念を謳っているが、それゆえに躓きの石となり、安眠枕になっている。私は、新しい憲法九条の制定に賛同する。
 私は、氏のこの九条観に同意しない。その理由は、九条の成立時、戦勝国による大日本帝国の武装解除というにとどまらず、「核の時代」における平和の在り方が問われていたからである。核兵器が存在する時代において武力による紛争解決を止めないならば、戦争が文明を滅ぼすことになるという問題意識である。
 日本国憲法九条は、戦争や武力の行使だけではなく、戦力や交戦権も放棄している。他国との信頼や協調を形成するうえで、これ以上の提案はない。積極的平和形成の最善の規範といえよう。私は氏の「新九条論」はいたずらに混乱をもたらす有害な議論だと考える。

おわりに
 氏は、自分の考えが常に正しいとは思わない。平和のために活動している限り、私の考えと違っても互いに同志だと思いあえる関係でありたい。しかし、平和のために核兵器が必要だといい、それを「積極的平和」という人が現れたら、私はその間違いを正さなければならない、としている。私も、自分の主張がいつも正しいとは思っていないし、氏の「新九条論」と同工異曲の論者がいることも承知している。しかし、私は、核兵器が発明され、それが使用され、またいつ使用されるか不透明な「核の時代」において、例外的であれ、武力の行使を容認し、武器を持ち続けようとすることは、人類の破滅を導く恐れがあると考えている。だから、氏の「新9条論」には反対である。
 私は、氏を同志というよりも師の一人と思っている。私は、氏の「種をまかなければ何も芽生えてこない。厳しい時代だからこそ、悲観することなく積極的に行動しなくてはならない」という言葉を共有する。(二〇二〇年二月二二日記)

 

「選択的夫婦同姓」でしょ?―「強制」から「選択」へ「原則」の転換
                                     東京支部 後 藤 富 士 子

一 「夫婦同姓」の何が問題か?
 戦前の民法は、家父長的「家」制度を採用していたから、妻は、婚姻によって「夫の家に入る」とされていた。そして、家父長的「家」制度を実務的に支えたのは「戸主」という単位で編纂された戸籍制度である。
 これに対し、日本国憲法に基づき、家父長的「家」制度は廃止された。民法七五〇条は「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」と規定し、「夫の家に入る」のではないし、「夫の氏」を称しなければならないわけでもない。さらに、戸籍制度も改正され、「戸主」は存在しなくなり、それに伴い、「夫婦親子」を超える家族の単位で編纂されることもない。「夫婦同姓」が強制されているが、それは性に中立であり、夫の姓か妻の姓かを決めるのは、法的に平等な男女当事者である。
 このように、法制度としては、家父長的「家」制度を否定断絶していることが明らかである。それにもかかわらず、婚姻届出を「入籍」といい、大多数の夫婦が任意に「夫の氏」を称している。ここにこそ「ジェンダー」問題が在る。すなわち、「社会的・文化的につくられた性差」が、法的には対等な男女の自由意思を介在させて表出するのである。ちなみに、ある世論調査によれば、「選択的夫婦別姓」に賛成するのは多数派になっているが、いざ自分が別姓を選択するかと問えば、「夫の姓を称する」のが圧倒的多数である。
 ところで、民法七五〇条の「夫婦同姓」規定が人権問題とされるのは、その「強制」制にある。そうであれば、ジェンダー問題を克服するためにも、「夫婦同姓」という原則を、「強制」ではなく、「選択」制にすることであろう。すなわち、「夫婦別姓」を原則とし、同姓を望む夫婦に対応する「選択的夫婦同姓」制への転換である。

二 「選択的夫婦別姓」の欺瞞
 長年に亘り、「選択的夫婦別姓」制度が民法改正案として主張されてきた。しかるに、これが実現しないのは何故であろうか?
 私は、常にその欺瞞に違和感を抱いてきた。単に別姓を貫きたいなら「事実婚」で容易に実現するのに、「事実婚」の不利益は嫌だという。しかし、「夫婦同姓」は「法律婚」の要件であるから、法律婚優遇主義の恩恵を享受したければ「同姓」を受忍するほかない。むしろ、法律婚優遇主義という「事実婚」差別こそが問題ではないのか。また、「事実婚」では、相続など財産的な優遇が受けられないだけでなく、子どもの親権も単独親権である。別姓を回復するために、嫡出子を出産した後にペーパー離婚したという女性は、離婚後の単独親権制に不利益を認め、法律婚としての「夫婦別姓」を要求する。
 このような議論は、まったく倒錯している。未婚であれ離婚後であれ、共同親権にすればよいのであって、なぜ「単独親権」を強制する民法八一九条を絶対視するのか。「選択的夫婦別姓」でネックになるのが「子の姓」であるが、これも民法七九〇条の問題であり、親権と同様に「法律婚」の枠組みで強制されている。したがって、「姓」を個人の私事とするには、「法律婚」の枠を取り払う方向へ行かなければ実現するはずがない。「選択的夫婦別姓」論とセットになって「結婚の多様性」が言われるけれど、それは「多様な法律婚」を制度化することではない。そうではなくて、国家による一律の強制をやめて、様々な事象について個人の選択を認めていくことである。そのためには、現行法制度の原則を、「国家」から「個人」を起点としたものへ転換させることが不可欠であろう。すなわち、「夫婦同姓」の原則を、選択制にすることである。

三 「単独親権制」の廃止
 前述したように、家族生活を律する法制度においては、「国家」から「個人」を起点としたものに原則を転換させること、そのうえで、国家による一律の強制をやめて個人の選択を認めていく改正がなされるべきである。これこそが、日本国憲法二四条の趣旨である。
そうしてみると、未婚・離婚による単独親権も、父母の婚姻関係と牽連させないで、「父母の共同親権」を原則としたうえで、父母の選択により単独親権を認めれば足りる。すなわち、「単独親権制」を廃止して、共同親権を原則とし、「選択的単独親権制」へ転換するのである。ちなみに、現行法でも、婚姻中でさえ単独親権も認められるし(民法八一八条三項但書、八三七条)、子の福祉の見地から親権喪失・親権停止の制度もあるので、法制度として不都合はないと思われる。〔二〇二〇・三・三一〕

 

 

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