第1708号 / 6 / 21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】
●今年は、中学校教科書採択が行われます 意見書のご活用を!  小林 善亮

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*新潟・長野県・山梨県・静岡県支部特集*
○新型コロナ問題を契機とした相談会への取り組みと感想等  藤澤 智実

○静岡県における検察官定年延長問題への取り組みなど(1)  大多和 暁

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●違法な定年延長と検察庁法改正案廃案に向けた千葉での取り組み  守川 幸男
                                 
●東京電力グループ企業の計器工事作業者の存亡をかけたたたかい(中)
-継続的請負契約の更新は認められないのか!?        鷲見 賢一郎

●ベトナム人支援を行う僧侶・吉水慈豊さんのお話しを聞いて  江夏 大樹

●「夫婦別姓」と「子の姓」-韓国の「父姓優先主義」廃止論  後藤 富士子

●追悼 村野守義君-大田立看板事件の思い出にふれて  荒井 新二

 


 

今年は、中学校教科書採択が行われます。意見書のご活用を!  埼玉支部  小 林 善 亮

一 いわゆる「教科書問題」
 中学校で使用される教科書はすべて、原則として四年に一度選定されることになっており、これが教科書採択です。公立中学校では、学校を設置している自治体の教育委員会が採択を行います。中学生は一つの学年ごとに、全国で約一〇〇万人おり、このたくさんの子どもたちが四年間使用する教科書がこの採択で決まります。
 「教科書問題」の始まりは一九九六年、「新しい歴史教科書をつくる会」(つくる会)が発足したことによります。同会は慰安婦問題など戦時中の日本の加害の事実について記載された中学校歴史教科書が「自虐的」だと主張し、教科書の刷新を目指し、自前の教科書「新しい歴史教科書」(つくる会教科書)を発行しました。この教科書は、歴史教育は自国の歴史の偉大さを学ぶことで愛国心を育てるとの考えに基づいて作成されています。日本の偉人や日本の近代化の歴史などを称賛する一方で、戦争中の加害の事実のような「不都合な事実は」記載しなかったり、諸説あると記載するなど相対化したりしています。
 二〇〇一年から、つくる会は中学校公民の教科書の発行を始めました。中学校の公民では憲法について学習することになっていますが、つくる会教科書は、権利よりも義務を強調し、「愛国心」「公」の役に立つことを奨励し、領土問題や拉致問題など周辺国との緊張関係を強調する内容となっています。
 このつくる会教科書を採択させようと全国で活動しているのが、日本会議をはじめとする改憲勢力です。つくる会教科書は、いわば将来の改憲派を育てるための教科書と言っても過言ではありません。この二〇年、中学校教科書採択のたびに、つくる会の勢力と、これに反対する市民運動が全国各地で活動を展開してきました。自由法曹団は、法律専門家として特につくる会公民教科書の問題点を分析・明らかにし、各地の教育委員会へつくる会教科書を採択しないよう要請を行うなど取り組んできました。
 現在、つくる会は内紛により分裂して、育鵬社発行の教科書と自由社発行の教科書の二冊があります。自由社版は記載内容がかなり偏っているのでごく一部の私立中学でしか採択されていません。育鵬社はフジサンケイグループが一〇〇%出資した教科書会社であり、自分たちの主張をオブラートに包んで、一見他の教科書からあまり偏りがないかのような体裁を整えています。前回二〇一五年の教科書採択では、育鵬社版はシェア一〇%の採択目標を掲げ、歴史六・三%、公民五・七%の冊数が採択されました。この育鵬社版を採択させないことが、子どもたちが正しく憲法を学習するためにとても大切となります。

二 今回の育鵬社版公民教科書の特徴
 今年、教科書検定を通過した育鵬社版公民教科書も、権利よりも義務の強調、「愛国心」の奨励、周辺諸国との緊張をあおるという、これまでのつくる会教科書の路線は踏襲されています。さらに、憲法改正は他の教科書より詳しく論じ、今回の教科書では、生徒に個別の条文を挙げてその改正案を考えさせる課題も課しています。こんな子どもたちを改憲に導くための教科書を学校現場に導入させてはなりません。

三 取り組んでいただきたいこと
 教科書採択は、原則として市区町村の教育委員会ごとに行われます。採択手続きは各市区町村によって異なります。六月の半ば以降、市民向けの教科書展示会を行い、市民からの意見を募り、七月下旬から八月下旬の教育委員会で採択されるというのが一般的です。
 但し、今年は新型コロナ感染症の影響で、採択手続きがまだ流動的です。まずは、各地で市区町村議員などと連携し、採択手続きを確認してください。そして、教科書展示会で、実際に教科書を手に取って、育鵬社版が採択されないようアンケートに意見を記入してください。
 団本部教育問題員会では、育鵬社版公民教科書の問題点を詳しく分析した意見書を作成しました。団ホームページに意見書がアップされています。これを活用して、市民に問題点を広げたり、教育委員会に育鵬社版教科書を採択しないよう要請してください。
 今後四年間、皆様の地域で子どもたちに改憲のための教科書が手渡されないよう、力を尽くしましょう。

 

 

*新潟・長野県・山梨県・静岡県支部特集*

新型コロナ問題を契機とした相談会への取り組みと感想等  静岡県支部  藤 澤 智 実

 本年六月六日、全国一斉で「コロナ災害を乗り越える いのちとくらしを守る何でも電話相談会」というフリーダイヤルの相談会が開催された。自由法曹団静岡県支部も支部として参加し、県内の東部・中部・西部の計三箇所で相談に対応し一日で合計二四件の相談があった。また県内で他団体も相談を受け付けていたことから、少なくとも一日で四〇件以上の相談があったこととなる。
 この相談は、先に四月一八日と一九日に行われた同一タイトルの相談会の第二弾であった。私は第一弾の相談会にも出席したが、この際は静岡県内だけでも二四〇件もの相談があり、文字通り電話が鳴り止まなかった(相談者が一息入れるためには受話器を一瞬外しておくほかなかった。)。また、相談者が「非常に追い詰められている」ことが深く印象に残った。「こんなつまらない相談のために時間をいただいて心から感謝します」とやや涙声で過剰に丁寧なお礼を言う方。思った情報が得られなくて「相談会なんか意味がない」と怒る方。「ちょうど失業したが就職活動はやれているから大丈夫」と自分に言い聞かせるように話していた、おそらく大丈夫ではない方。また当日の相談では、「特別定額給付金(例の一人一律一〇万円給付)」を生活保護受給者が受領したら収入認定されるのかといった問い合わせも非常に多かったが、相談者サイドとしても「まだ取り扱いが決まっていない」と答える外なかった。現在以上に先行きの見通せない状況に誰もが混乱し、困っていた。
 対して第二弾の相談では、第一弾に比べれば相談者もやや落ち着いている方が多かったように思われる。
 とはいえ、深刻な労働問題等の相談も寄せられた。
 また、コロナ問題が長引くことによる新たな問題も意識させられた。
 例えば、高齢の親が普段、一月のうち半月と定めてショートステイを利用していたところ、コロナの感染防止ということで、本年二月終わりから施設の出入り禁止となり、家に戻れなくなってしまった。しかも、結果的にショートステイのサービスを多数日利用した扱いとなって、介護保険を踏まえても利用料は倍以上になったというのである。高齢な親の収入は限られているであろうから、体感的な経済的負担は大きいことが想像に難くはない。そうかといって、施設の責任とも言いがたく、介護保険制度自体を変更するなり、特例的な措置が講じられない限り問題の解決は困難である。
 相談会が直接に問題を解決するわけではないが、こうしたコロナ禍で苦悩する人々の声を形とし、これをとりまとめて社会と共有することの意義は大きいと思う。
 第一弾の相談会は、相談に対応できた件数だけでも全国で五〇〇〇件を超えていた。第二弾の相談会は、これに比べれば大きく件数を減らしたが、それでも一日で全国で一〇〇〇件以上の相談があったものであり、依然として多くの人たちが困っていることが改めて浮き彫りになったと考える。
 同種の相談会が八月にも企画されているところであるが、この相談会に限らず、コロナ問題の中で団員ないしは一弁護士として何ができるのかを引き続き考えていきたいと思っている。

 

 

静岡県における検察官定年延長問題への取り組みなど(一)  静岡県支部  大 多 和   暁

 団県支部靏岡事務局長から、検察官定年延長問題について何か書けと言われたので、静岡県におけるこの問題への取り組みを、当時の状況を織り交ぜつつ、三回に分けて紹介します。

一 発端は伊藤誠基団員の団常幹MLへの投稿メール
 二月四日、団常幹MLに「三重支部の伊藤誠基です。郷原弁護士や京都支部の渡辺輝人団員が、ヤフーニュースで黒川検事長の定年延長は違法ではないかと指摘されていますので、調べてみました。確かにこれは違法というほかないと思います。」とのメールが投稿されました。早速、ヤフーニュースのお二人の記事を読んで、私もこれは大問題だと思いました。安倍政権は、内閣法制局長官をすげ替えて、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認しましたが、この時の新長官は勤務延長によるものでした。しかし、今回の場合は、法律上到底許されない定年延長だと思ったのです。直ぐに団県支部MLに「団県支部でも、声明を出すことを検討したら如何でしょうか。」と投稿すると、早速、団県支部事務局長から運営委員会で検討しましょうとの返事が返ってきました。LITERAの二月三日付記事「検察の反乱が官邸に潰された! 安倍内閣が〝官邸の番犬〟黒川弘務・高検検事長を違法に定年延長、検事総長に就任させIR捜査潰し」も見つけたので、団県支部MLに流しました。
 団県支部運営委員会が開催された一三日、安倍首相は衆院本会議で閣議決定に当たって安倍内閣として従来の法解釈を変更したことを明らかにしましたが、ここでも後付けではないかとの疑念が巻き起こりました。運営委員会では、県弁会長声明の発出を追求していくこととなり、二六日の県弁正副会長会議と常議員会に向けて、私が会長声明案の叩き台を作成しました。 

二 勇気ある検事正の行動を孤立させるな!
 その後、マスコミでもこの問題が大きく取り上げられ、沖縄タイムスが十六日付社説で「[検事長人事と解釈変更]「法治国家」を揺るがす」とし、中日新聞も十七日付社説で「法解釈を一内閣の一存で変更するのは『法の破砕』にも等しい」としましたが、中でも驚いたのは二四日付週刊朝日オンラインの記事でした。森雅子法相や稲田検事総長、黒川検事長も出席していた一九日の「検察長官会同」で、静岡地検の検事正が、検察庁法一四条(法務大臣の検察官への一般的指揮権は認めているが、具体的事件については、検事総長のみを指揮することができると定めている)を読み上げた上で、「今回の(定年延長)ことで政権と検察の関係に疑いの目が持たれている」「国民からの検察に対する信頼が損なわれる」「検察は不偏不党、公平でなければならない。これまでもそうであったはず」などと発言したというのです。つまり、政治家の汚職事件等の捜査を阻止するには、法務大臣が「検事総長」を通じてしかできないことになっており、そこで、検事総長に意のままになる人物を据えようとしているのではないかと疑念がもたれているというのです。
 この検事正が静岡地検に着任したのは二〇一八年一一月初めで、私は翌年三月まで県弁会長として四者長会(地裁所長・家裁所長・検事正・県弁会長)で、この検事正と何度かご一緒させていただきました。物腰がとても柔らかい紳士で、とにかく話が面白い検事正でしたが、まさかこのような発言をするなど驚きでした。
 二二日から始めた会長声明案への賛同者募集は、勇気ある検事正の行動を孤立させるなと一挙に広まり、二五日には団内外で四〇名の賛同者が集まり、連名で会長声明発出の上申書を会長宛に提出しました。
 二六日は、当日の臨時総会に向けた慌ただしい中での正副会長会議でしたが、私が説明者として出席すると、会長ほかも乗り気で、頭出しではなく当日できれば採決するということとなりました。その直後に開催された常議員会でも、会長声明案は何と全会一致で承認されました。こうした問題での常議員会での全会一致というのは、最近では経験したことがありません。それだけこの問題は、法律的にみて極めて酷い問題だったからでしょう。また、勇気ある検事正の行動を孤立させるなとの思いも強かったのではないかと思います。 
 こうして、この問題に関する全国で最初の県弁会長声明が三月二日付で静岡県弁から発出されたのでした。
 なお、マスコミでもこの検事正のその後の左遷が心配されていましたが、四月八日付で千葉地検検事正に栄転しました。そして、着任後、「検察は厳正で不偏不党であるところに根幹がある。県民や国民の信頼を得るため、そうでなくてはならない」と挨拶しました。(続)

 

 

違法な定年延長と検察庁法改正案廃案に向けた千葉での取り組み  千葉支部  守 川 幸 男

はじめに-私のスタンス
 こういう問題はしつこい人がひとりふたりいれば回ります。共同アピールの島田さん、検事OBアピールの応援メッセージの毛利さん。私は呼びかけに応えて賛同しただけですが・・・そして、各地で頑張った団員がいて、必ずこれに答える人たちがいます。
 以下、頭書の課題の多くに何らかの形で私が関わってきたこともあり、千葉のこの間の取り組みと私のスタンスを報告します。幻の沖縄五月集会特別報告集の五六ページ以下と一部重なりますが、その後の取り組みが中心です。頑張っている方と比較するとそれほどのことはないのですが、千葉での取り組みを報告するように求められ、私が書くことになりました。
 私は、三〇年以上前、弁護士会の国家秘密法対策本部の事務局長を務めて以来、PKO法や秘密法、共謀罪、安保法制、イラク派兵反対などで、会長声明やアピール運動、会長経験者アピールなどにほぼ関わってきました。かつては、声明の起案をすることも多かったのですが、最近は、声明や取り組みについて、早く早くとせっついたり、他の人の起案に補強意見を述べたりすることも増えました。今回も全てでそのように動きました。
 なお、個人的には今年の春から始めたSNSも活用しました。フェイスブックも使いましたが、Twitterでは、当初、「コロナ問題雑感」として①から⑮まで投稿しましたが、五月の初めからは、フォローや「いいね」が少ないのにめげず、この問題で盛んに投稿しました。

第一 県弁護士会での取り組み 
一 東京高等検察庁検事長の勤務延長に対する会長声明(三月三一日)
 憲法委員会で問題提起すると、お前が書け、と言われるのと、何でもかんでも憲法委員会が書くのをを避けたかったこと、また、この問題は、政治的な意思表明に抵抗のある千葉でも異論なく通ると確信していたことから、刑事法制委員会で検討すべきだと担当副会長にせっつき、この種の意思表明に慎重だった会長もすでにその気になっていたのか、結局、執行部提案で常議員会の全員一致の決議となった。実務的に手堅い案だったが、私は常議員会の前から、検察官の独立や法治主義その他、各地の声明で触れられている点の補強をしつこく提起して、結局、常議員会の場での修文に至った。
 同時に、日弁連が及び腰なので、各地の取り組みと意見交換しながら、千葉選出の副会長に繰り返しせっついた。
二 検察庁法改正案の廃案を求める会長声明(四月二四日)
 四月に新執行部になって私は、一と同様に刑事法制委員会で検討すべきだと提起したが、結局憲法委員会で起案せよ、ということになった。私が四月の常議員会に間に合うよう起案し、その後会長が憲法論に関して手を入れたため、あれこれ議論になった。私は、内容には意見を言わず、とにかく早く出すべきだと主張したが、結局、五月に先送りとなりかかった。私は、情勢に遅れると厳しく批判したが、常議員会では提案に至らず、その直後、異例の持ち回り採択となった。異議は出なかったのではないかと思う。
三 廃案と閣議決定の撤回を求める会長談話(五月二〇日)
 その後、衆議院での強行採決の恐れが高まって、憲法委員会で、衆議院強行に備えての声明が用意された(私は関わっていない)。
 しかし、私は、強行されてからの抗議では役割は果たせない、内容は拙速でもよいので、準備されていたものと違っても、また短い談話という形式でもよいから一刻も早く、と強調して、急遽、強行採決前の談話の方針となった。
 ただ、談話の内容について再び憲法論議をしているうちに、あれよあれよと事態が急展開して、結局、黒川検事長の賭け麻雀の発覚、辞任の後になってようやく、廃案と閣議決定の撤回を求める立派な談話発表となった。
 思うに、立派な文章にこだわらずに、事態の急展開に迅速に対応することが重要である。

第二 青法協などとの共同要請と記者会見ほかの取り組み

 青法協のメーリングリストで、衆議院の強行採決が迫っていて、何かしないといけないという問題提起がされた。私は、議員宛の要請書の作成を提起し、青法協だけでなく、千葉の他の法律家団体にも呼びかけることを提起した。自由法曹団千葉支部、千葉労働弁護団、憲法を考える千葉県若手弁護士の会が参加した。当然、記者会見も設定された。
 私はこれも同じく、内容に時間をかけるべきではない、と指摘し、結局、若手の起案にかかる共同要請書として五月一九日に執行された。ただ、その後、前記のとおりあれよあれよという間に事態が急展開したので、記者会見の日程は先送りとなり、また、記者が集まらないのではないか、という意見が出た。
 そこで私は、閣議決定の撤回や廃案を求めるというだけでなく、これに関連した諸問題について私がレジメを用意して問題提起し、意見交換することを提案した。参加ゼロもあり得ると覚悟しつつ、だいぶ後の六月一日にこれが実現した。論点整理のレジメでは、改悪の狙いと不当性だけでなく、賭け麻雀と辞任問題、内閣調査室にも触れながら、長期間明るみに出なかったのはなぜか、権力機関とマスコミの関係、桜を見る会前夜祭の告発、安倍政権の人事への介入ほかにも触れた。参加したのは、東京新聞、しんぶん赤旗、共同通信、千葉日報で、うち前二社が記事を掲載した。団本部のどなたかがこの赤旗記事を見て、投稿の依頼に至ったようである。
 私は会期末に向けての団のメーリングリストでの呼びかけに応えて、これを青法協千葉支部のメーリングリストに転送した上で、例えばうんと短い要請書のひな形を作ってみんなでファックス送付するとか、さらに何かできないか、検討を呼びかけた。

編集部注:検察庁法改正案を含む国家公務員法改正法案は、二〇二〇年六月一七日、第二〇一通常国会の閉会により、審議未了、廃案となりました。

 

 

東京電力グループ企業の計器工事作業者の存亡をかけたたたかい(中)
-継続的請負契約の更新は認められないのか!?           東京支部  鷲 見 賢 一 郎

一 高野清さんの計器工事の請負契約の締結と雇止めの経過
1 高野さんの請負契約の締結の経過と請負契約の有効期間
 高野清さんは、一九九五年一〇月から、東京電力グループ企業の東光計器工事株式会社、東光電気株式会社、ワットラインサービス株式会社と請負契約を締結し、東京電力株式会社及び東京電力パワーグリッド株式会社の電気メーター取替工事(計器工事)に従事してきた計器工事作業者です。高野さんは、二〇一五年七月一日から、ワット社と請負契約を締結し、二〇一九年三月二〇日をもって雇止めされました。高野さんが計器工事作業に従事した期間は二三年五月二〇日間で、雇止め時五七歳です。
 ワット社と高野さんの請負契約書には、「契約の有効期間が満六三歳まで自動延長されることがあること」及び「契約の有効期間延長は満六五歳までとすること」が定められています。
2 高野さんの雇止めの経過
 ワット社は、二〇一八年一一月一九日、高野さんと面談し、「反則点が五五点になり、『請負工事賞罰基準(罰則編)』の『五.罰則の適用』の『五〇点超過 委託従事者証返納』に該当するので、二〇一九年三月二〇日をもって請負契約を更新しない。」と通告しました。次いで、ワット社は、高野さんに対し、同年一二月二〇日、「契約有効満了日二〇一九年三月二〇日付けを以って本契約を終了することと致します。」との「雇用契約終了通知」を交付し、同日をもって雇止めをしました。

二 高野清さんの訴訟提起と請求の内容
 高野さんは、二〇一九年一〇月七日、自らを原告とし、ワット社を被告として、東京地方裁判所に地位確認等請求事件を提起しました(東京地裁令和元年(ワ)第二六九七二号事件)。原告高野の請求内容と請求原因は、次のとおりです。
1 原告高野清の主位的請求と請求原因
 原告高野は、主位的請求として、労働契約上の権利を有する地位にあることの確認と賃金支払と慰謝料を請求しています。原告高野は、主位的請求の請求原因として、労働契約法上の労働者であり、労働契約法一九条(有期労働契約の更新等)の適用があることを主張しています。そして、原告高野は、ワット社の主張する「『請負工事賞罰基準(罰則編)』の『五.罰則の適用』の『五〇点超過 委託従事者証返納』」に該当する事実がなく、雇止めの理由がないことを主張しています。
2 原告高野清の予備的請求と請求原因
 原告高野は、予備的請求として、請負契約上の権利を有する地位にあることの確認と請負金支払と慰謝料を請求しています。原告高野は、予備的請求の請求原因として、「仮に被告と原告高野間の請負契約が労働契約法上の労働契約と認めることができなくても、両者間の請負契約は二三年強にわたって継続しており、継続的契約(継続的労務供給契約)である。」と主張し、ワット社の主張する「『請負工事賞罰基準(罰則編)』の『五.罰則の適用』の『五〇点超過 委託従事者証返納』」に該当する事実がないことを明らかにし、「本件請負契約の終了原因は存在しない。」、「原告高野の行為には、被告と原告高野間の信頼関係を破壊する等のやむを得ない事由や、甚だしい不信行為等のやむを得ない事由は存在せず、本件請負契約の更新拒否は許されない。」と主張しています。
 この点について、水町勇一郎著「詳解労働法」六七~六八頁の「労働契約の終了に対しては、解雇権濫用法理や雇止め法理が契約関係の継続性や当事者の合理的期待を保護する法理として形成されてきた(労働契約法一六条、一九条)。判例法理として形成されたこの継続的契約関係法理は、労働契約関係以外の関係にも適用される場合がある。(中略)このように当事者間の信頼に基づき継続的な関係として労務提供関係が展開されている場合には、厳密な意味での労働契約(雇用契約)関係に該当しなくても、契約の継続性および当事者間の合理的期待等に応じて、それらの保護が図られる場合がある。」との論述を参考にしています。
 また、右記論述中の「また、大相撲の力士と日本相撲協会との関係について、当然に民法上の雇用契約や準委任契約に該当するものとみることは困難であり、有償双務契約としての性質を有する私法上の無名契約であると性質決定し、解雇権濫用法理の適用があるとまではいえないが、契約の解除には懲罰規定の解釈、判断における一般的な法理が適用されるべきであるとして、本件解雇処分の相当性に疑問があること等から同処分を無効としたものがある。」との日本相撲協会事件・東京地裁平成二五年三月二五日判決(判例タイムズ一三九九号九四頁)についてのコメントを参考にしています。

三 団交拒否と支配介入についての損害賠償請求
 全労連・全国一般労働組合東京地方本部、同一般合同労働組合、同計器工事関連分会は、二〇一九年一〇月七日、自らを原告とし、ワット社を被告として、前記の地位確認等請求事件とあわせて、ワット社の団交拒否と支配介入について、東京地方裁判所に損害賠償請求事件を提起しました(東京地裁令和元年(ワ)第二六九七二号事件)。
 ワット社の団交拒否と支配介入について、労働委員会命令による救済だけでなく、損害賠償責任をとらせることが重要です。

 

 

ベトナム人支援を行う僧侶・吉水慈豊さんのお話しを聞いて  東京支部  江 夏 大 樹

 六月八日の国際問題員会では、ベトナム人の技能実習生を支援する浄土宗のお寺・日清窟(にっしんくつ、港区)の僧侶・吉水慈豊さんから、ベトナム技能実習生が抱える問題点をお聞きしました。以下では、吉水さんのお話しをかいつまんで紹介させていただきます。

一 苦境に立たされたベトナム人を支援するお寺・日清窟
 日清窟では、吉水さんのお父様がベトナム戦争時にベトナムを訪れ、その悲惨な状況に心を痛めたことがベトナム人の支援を始めるきっかけだったとのことでした。
 日清窟は自殺や事故で亡くなるベトナム人の位牌を預かっていましたが、近時は亡くなる若者が増加し、位牌を安置する場所に困っていることが新聞に取り上げられ、お寺の存在が全国的にも有名になりました。
 このようにベトナムの若者が日本で亡くなる背景には、悪用される技能実習制度があります。日本で暮らすベトナム人は、技能実習生や留学生を中心に一四年ごろから急増して、一九年末時点で約四一万人にのぼり、技能実習生の最大の送り出し国になっているのです。
 とはいえ、吉水さんは技能実習生制度が全て悪いのではなく、成功している事例も多数あると仰っていました。技能実習生で来日する人の多くが、ベトナム現地の高校を卒業した後、大学に行くことはできない若者であり、夢と希望を描いて、一〇〇万円ほど借金をして来日します。来日後は一年で借金を返済し、二年目以降は貯金をするとともにスキルを身につけ、ベトナムに帰っていくのが理想だそうです。幸いにも日本語を習得できた者は日系企業に就職、パン職人のスキルを身につけた者は現地でパン屋を開業するなど、成功事例は多数あるとのことでした。

二 ベトナム人を搾取する三割の使用者
 このような成功事例もある一方で、吉水さんの肌感覚では、技能実習先の七割はまともな使用者・企業だが、残り三割は搾取し、劣悪な環境で働かせているとのことでした。
 技能実習生を「物」のように扱う企業は、仮に違法行為をしても、当人が弁護士へ依頼する資力もなく、どうせ裁判を起こせないと足下をみてやりたい放題になっている現状があります。そして、劣悪な環境で働かざるを得なかったベトナム人は自らの命を守るためにも、失踪せざるを得ない状況に置かれているのだそうです。
 吉水さんは、ベトナム人の技能実習生が若くして命を落とす現状に、憤りと疑問を感じ、このままでは良くないと、日新窟を拠点に『NPO法人日越ともいき支援会』を結成し支援活動を行なっています。お話しをお聞きし、調べるにつれて、まさに神様のような活動をされているなと感じました。
 この活動に興味のある方は是非、インターネットで調べてみてください。

三 弁護士の出番
 日清窟に助けを求めに来たベトナム人には、まず通訳を複数つけてじっくりお話しをお聞きし、事案に応じて、労働組合、社労士、弁護士に紹介しているとのことでした。
 例えば、鈴木亜英団員と泉澤章団員がベトナム人の冤罪事件を受任しているのも吉水さんが依頼したとのことでした。
 ベトナム人のみではなく、日本人のサポートがあるというだけで会社の対応はガラリと変わるようです。さらに弁護士が少しでも事件に絡むことで企業の対応は劇的に変化するとのことで、やはり弁護士、とりわけ自由法曹団の出番であると強く感じました。
 他方でベトナム政府は、技能実習生を日本に送れば送るほど、管理費の一部がベトナム政府に入る仕組みとなっており、解決のインセンティブをもっていないのかもしれません。
 むしろ、ベトナム大使館が日清窟を紹介している始末で、日清窟が「民間大使館」と言われている現状だそうです。
 以上、取り留めもない報告でしたが、国際問題員会では、引き続き外国人労働者の問題に取り組んでいきたいと思います。

 

 

「夫婦別姓」と「子の姓」-韓国の「父姓優先主義」廃止論  東京支部  後 藤 富 士 子

 「選択的夫婦別姓」論者は、「アイデンティティー」に拘るが、私にはそういう気持が全く湧かない。なぜか?と自問してみると、私の旧姓「松浦」だって、私の「父の姓」であり、拘る理由がない、というに尽きる。もっといえば、「富士子」という名だって、親が適当につけたもので、「アイデンティティー」などと大袈裟な感覚はない。どんな氏名であれ「私は私」というところか。
 ところで、五月一四日赤旗の報道によれば、夫婦別姓の韓国で、子どもの姓をめぐる「父姓優先主義」の廃止が問題になっている。韓国法務省傘下の「包括的家族文化のための法制改善委員会」は、子どもが父親の姓を名乗る「父姓優先主義」を廃止するため、家族関係登録法などの関連法を迅速に改定するよう法務省に勧告したという。これに対し、法務省は「関連法制の改善案を用意し、女性や子どもの権利・利益の向上と、平等で包括的な家族文化の構築に向け努力する」と応じた。
 韓国では、二〇〇五年に男性が絶対的に優先されてきた戸主制が民法から削除された。その際、子どもの姓については父親の姓が優先されるのが原則で、例外として夫婦が結婚の際に合意すれば母の姓を名乗ることができるという但書が設けられた。今回の委員会勧告では、原則である「父姓優先主義」を廃止して、例外であった「夫婦の話合いで子どもの姓を決定する」ことを法定するものである。
 こうしてみると、法制度の改革というのは、「例外を認めさせる」というより、「原則を転換する」ことでしか実現しないことが理解できる。とはいえ日本の「夫婦同姓」制度をみればわかるように、父の姓か母の姓かという二者択一では、話合いで父母双方が真に納得する決定ができるか難しい。むしろ、父母両方の姓を複合する姓の選択肢を用意するのも一案ではなかろうか。いずれにせよ、「姓」を「家族文化」の問題として捉えるユニークさと、それがどのように推移していくのか、興味深く見守りたい。
 なお、夫婦別姓の韓国で二〇〇五年まで民法に「戸主制」があったことを思うと、日本国憲法二四条に基づき「戸主制」が廃止された日本で未だに「夫婦別姓」が原則にならないのは、「棚ぼた憲法」の所以かもしれない。〔二〇二〇・五・一八〕

 

 

追悼 村野守義君-大田立看板事件の思い出にふれて  東京支部  荒 井 新 二

 村野守義君が四月二六日に亡くなった。コロナ禍の憂鬱な日々の訃報、逝く彼に声をかけられなかったことは何とも悔しい。
 村野君の存在を知ったのは、七六年の盛夏であった。それも紙面上のことであった。当時私は大須事件の上告の為ひとり合宿を決めて救援会の提供した板橋区の旧いアパートに連日通っていた。西陽の強く差し込む六畳間で膨大な調書読みに明け暮れていたが、倦み疲れ寝そべって偶々手にした大田立看板事件の小さなパンフレットにその名前が書かれていた。私と彼の付きあいはこの事件に始まるが、思い出を事件に絞って語ろうと思う(団の「憲法判例をつくる」で彼の執筆文が残されたので興味のある方はそちらを参照されたい)。

 その小さなパンフレットには彼の属していた東京南部法律事務所の弁護士大川隆司・船尾徹・村野守義の三人がしかけた大森簡裁での釈明論争が載っていた。この事件は立看板を軽犯罪法のはり札に擬して起訴した事案である。なぜ立看板が軽犯罪法の「はり札」にあたるか、はり札の定義は何?、保護法益は?の論点の応酬が延々と続けられた。一三回もの回数の公判はその論争に費やされた。村野君の粘り強く、幾分高飛車気味な追及が検察官を攻めつける。これは後で聞いたことだが彼が弁護士になって初めての事件で、最初に接見したのも彼であった。当事者並みの真剣さと怒りがその記録からも伝わってくる。立会検事が途中で「はる」とは電柱に「付着・固定」と弁明したばっかりに「釈明 意味不明!」となり、論争の火に油を注ぐ体を呈する。困り果てた検察官は起訴したのは自分ではないと泣き言を言い、裁判官は論争を聞いていて頭が痛くなった等と嘆息し法廷は愁嘆場と化す。

 それでもパンフレット上の村野君は冷静と言えるほど論理的な追及をやめなかった。後に南部法律事務所でポルポトという不名誉なあだ名を頂戴したらしいが、迫力のある追及は一貫していた。仕舞いには立看板が張り札に転化することがありうると言う釈明に行着いたところで論争は唐突に打ち切られる。パンフレットは次に移る新しい段階の証拠調べでの健闘を誓いあって閉じられていた。
 私は大須事件に上告の時から取り組んでいたが、記録を読めば読むほど最高裁で公判が開かれないことに歯ぎしりをし、事実審でのたたかいを重視すべしとの思いにかられていたから、この簡裁という小さな場で繰り広げられた果敢な裁判闘争から強烈な印象を受けた。
 そんな折、発足して間もなかった団東京支部がこの事件の弁護団参加を呼びかけた。在京の法律事務所の垣根を越え弁護団を拡大・組織することは決して軽い決断でない。主任弁護人村野君らの英断だと思う。私のほかに馳せつけたのは当時若手の城崎雅彦・田中晴男それに少し遅れて故・酒井和君たちであった。同じ事務所から清見栄君も加わったが、みんなが若かった。彼らより少しばかり年長な村野君が、緊張の糸で弁護団内部を引っ張りあげる、そういう重心のような役割を果たしてくれた。尋問や現場検証でも勝手なこと、新しいことを次々と言いだす弁護団員をよく取りまとめ全体的な力に昇華させていったのも彼の力量によるところが大きい。尋問当日になってもとんと尋問のポイントがきまらず、とうとう昼食をとりながら相談することになってしまったが、何故か急に光明がさし尋問がうまくいったこともあった。弁護団内部に自ずと好循環が生まれ活性化していったが、それも彼の功によることが少なくない。

 村野君は先の異名が示すように一見すると物腰は武闘派的だし、時にかたくなまでの原則派に戻ることもあった。しかし真骨頂は彼がなかに深く蔵した優しさではなかったか。とりわけ、若手弁護士よりもさらに若い被告であった平野夫妻を全身をもって信頼し、献身的に支えた優しさが無骨なほどに見えた彼のもう一つの面であった。また一審で病気で途中で交替した裁判官を被告と一緒に病院に訪ねてお見舞いをしたと聞いた。私が立看板のはり札への転嫁の状況を検討し、表現の自由のほかにあらたな論点を立てようとした際、救援会の諸氏と激しい論争になった時には、終始穏やかに仲に入ってくれて粘り強い説得をしてくれた。
 私には村野君の忘れ得ない光景がある。一審の不当な有罪判決の日、師走の暗い夜、彼が弁護団にともかく救援会に集まろうと呼びかけ、急に救援会館の和室に集まった。円座をくんだなかで言葉は異常に少なかった。皆がおし黙り敗北のショックに耐えていた。誰もが帰ろうと言わず、その場に蹲っていた。彼はどのような思いに駆り立てられていたのか。振り返れば、そこに生まれていた悔しさの共有こそが二審勝利のバネになったと確信する。

 東京高裁に舞台を移した後、さらに弁護団を拡大し佐藤義弥・永盛敦郎両弁護士参加してもらったこと、街じゅうにある立看板の写真を集め法廷に積み上げたこと等々、村野君とたくさんの協議をして裁判を進めていったことの思い出は尽きない。高裁では、法廷の内実を豊富にできること、裁判勝利に結びつくものは、どん欲かつ柔軟に取り入れて、悔いのないたたかいを最大限にめざしたが、そこに彼の度量の大きさがよく出ていたと思う。
 こうして―東京高裁の裁判官に人を得たこともあって、二審での無罪に漕ぎつけることができた。裁判を通して多数の有為の人物と才能が輩出していった。大田立看板裁判闘争は、小さな軽犯罪法事件であったが、大きな影響と成果をかちとって終わった。村野君の労苦と活躍の大きさを改めて思う。
 無罪判決に協力を仰いだおひとりに中山研一京大教授(当時)がおられる。村野君と一緒に京大の学生たちのいる中で、ご相伴をしながら打ち合わせをした。中山先生の実務と理論とを架橋するご努力と誠実をお伺いし、私たちはすべてを教授にお委せすればいいと決めた。ふたりとも安堵感に満たされて京都駅まで路線バスに乗った。その時であった、急に彼が興奮気味に「アレだ」と言って指さした。その先に街路樹を囲むようにした立看板があった。それまで目にしたことのない、三面に相互に結びつけられた形状であった。立看板が電柱=樹木に「固定」されず「付着」せず相互に結びあうことだけ(万有引力のみの利用)の自立型であった。私はやはり京都は隠れた宝物が街中にいっぱいだと軽口を叩いたが、彼も此処までやって来てやっと無罪に届きそうだとの思いが顔にあふれていた。最終便の新幹線車内で私たちは酒を飲み怪気炎をあげた。「あの電柱がなければ周りの立看板は風に吹かれ何処かに行ってしまう」と私は、弁護団の紐帯を握り中枢の役割を果たしていた彼への賛辞の積もりで述べた。彼は電柱か、と気乗りしなかった風を装ったが、酔余もあり満更でもなかったように見えた。原則派であり、優しい村野君はもう一つ、含羞の人でもあった。
 村野君の逝去に淋しさが身にしみる。合掌。

 

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