第1714号 / 8 / 21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●「特養あずみの里」事件報告について  藤井  篤

*イージス・アショア配備計画撤回特集*
○イージス・アショア配備計画「白紙撤回」   虻川 高範
○撤回を勝ち取ったイージス・アショア配備計画  松島  暁
○イージス撤回で見えてきた、たからもの  内山 新吾

*愛知支部特集*
○あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」をめぐる問題  加藤 悠史
○森英樹先生との想い出を偲ぶ~直ぐ隣に居られた偉大な学者  北村  栄

●裁判手続きのIT化と裁判制度の変質の危険性  齊藤 展夫
●改憲問題対策法律家6団体連絡会・夏合宿のご報告  鹿島 裕輔
●貧困・社会保障問題委員会「新型コロナウイルスによる貧困・社会保障問題に関する意見交換 会」のご報告  鹿島 裕輔

 


 

「特養あずみの里」事件報告について  東京支部  藤 井   篤

 二〇一三年一二月特養あずみの里で入所者Kさんがおやつのドーナツを食べ終わった状態で意識消失・心停止となり病院へ救急搬送された。警察はKさんのこの異変を業務上過失傷害事件として捜査を開始し施設職員が見守りを怠りドーナツによる窒息を招いたとして立件した。Kさん死亡後の二〇一四年一二月検察官はおやつの手伝いに入った山口けさえさん(准看護師)が見守りを怠ったとして業務上過失致死罪で長野地裁松本支部に起訴した。
 一審裁判は四年三ヶ月公判期日二三回を数えた。
 争点となったのは①Kさんには食物を詰め込む特癖があり異物による窒息の危険があったのか②おやつ介助の手伝いに入った山口さんはKさんを注視してドーナツによる窒息を防止すべき義務があったのか③Kさんはドーナツを喉に詰まらせて窒息しその結果死亡したのかであり弁護団は立証を尽くした。
 被告人質問証人尋問が終了し書証・物証を整理する期日に検察官は突然二回目となる訴因変更をした。裁判所は二回目の訴因変更を認めそれに関する証拠調べを全く行なわず結審して判決を下した。判決内容は検察官の二回目の訴因変更をそのまま認めたものだった。量刑は「罰金二〇万円」だった。弁護団は即日控訴した。
 二〇一九年三月二五日の一審判決・控訴後東京高裁でのたたかいが開始され一三人の常任弁護団が一六〇頁にのぼる控訴趣意書を提出した。①Kさんの身体状況(嚥下障害がなく窒息・誤嚥の危険はなかった)②ドーナツの物性(付着性・凝集性が低く窒息の危険は低いし気管支などに閉塞した徴候は見られない)③おやつの形態変更(食べすぎ嘔吐防止のための変更であり窒息防止のためではない)④原判決の予見可能性は具体性を欠き具体的危険がないのに刑法上の義務を認めている⑤山口さんにKさんのおやつ変更の申し送りをチェックすべき義務はなく結果回避義務違反は成立しない⑥Kさんの急変の原因は窒息ではない脳梗塞または心疾患である⑦原審の訴因変更の手続は違法である。
 また控訴審で新たに加わった二人の弁護人の精力的な死因究明によりKさんの入所前のCT画像・死後CT画像・入所中の動向などの資料から心肺停止の原因が脳底動脈先端部の梗塞によることを明らかにした。日本における脳外科の最高峰の医師らの意見書が六通積み重ねられ提出された。
 東京高裁は二〇二〇年一月三〇日に第一回期日を開き即日結審した。裁判所は四月二三日に判決言渡しを予定したが新型コロナの影響で二回延期され七月二八日判決が言い渡された。高裁判決は一審判決の認定をことごとくひっくり返し弁護団提出の控訴趣意書に沿う形で山口さんに無罪を言い渡した。
 残念ながら高裁判決の詳細は紙面の都合で記載できない。
 この五年半にわたる裁判が問いかけたものはさまざまである。それらは弁護団の他の弁護士からの寄稿に譲りたいと思うが一点だけ述べる。
 特養などの介護施設では食事中の心肺停止の事例が数多く報告されている。本件で特徴的なのは異変発生後県警本部が時間を置かず安曇野まで捜査に入ったことである。施設側はその警察の捜査に誠実かつ全面的に協力し施設側の落ち度を全面的に認めて謝罪しおやつ提供の際の注意義務違反見守りの不十分さを認め多数の供述調書実況見分調書が作られた。一審の裁判所は結局それらの資料をもとに山口さんの有罪を宣告した。
 このような刑事裁判のあり方は過失犯の注意義務・結果回避義務を広範に認めいわば結果責任的に関係者を刑事処罰するものであり新たな冤罪を生み出す今日的な要因となっている。
 このような冤罪を生まないための努力が我々弁護士に求められているし自由法曹団の重要な役割になってきていると考える次第である。(二〇二〇年八月八日)

 

 

*イージス・アショア配備計画撤回特集*
イージス・アショア配備計画「白紙撤回」  秋田県支部  虻 川 高 範

 気に入らない報道を、「フェイクニュースだ!」と攻撃するのは、何もトランプ大統領だけではない。
 河野防衛大臣は、今年五月、「政府がイージス・アショアの秋田市新屋配備を断念する方向で検討」との報道に対し、「フェイクニュースだ」と言い放った。大臣会見でも、「事実と違うからフェイクニュースと申し上げております。」と開き直り、「結果的に新屋が外れたら」と聞かれても、「防衛省の方針ではないと申し上げている」「事実を違うことが報道されたときには、それはフェイクニュースあるいは誤報」などと言って、ついに、記者から、「大臣、裸の王様になっていませんか。」なんて突っ込まれている(五月一五日大臣会見)。
 その後の経過で明らかなように、イージス・アショア配備計画は撤回されたのだから、大臣こそ、事実と異なる言動を繰り返していたことになる。
 前回の団通信では、今年二月までの情勢をご報告しました。その後も、県民の運動は広がり、県内二五自治体のうち、二四自治体で反対決議がされた。包囲された県議会では、自民公明会派が依然として反対決議を先送りしていたが、河野大臣が六月一五日に配備計画の「プロセスを停止」と言い出したことで、大慌て。河野大臣が来秋して、知事や地元町内会長に謝罪して、正式に国家安全保障会議で配備断念を決定することになったら、せめてその前に反対しておかないと格好がつかない、と、決定直前に、それまでの態度を一転して「白紙撤回を求める決議」を採択するというドタバタぶり。
 配備計画から二年半に及ぶ経過を経て、配備断念に至り、地元は安堵とともに、モヤモヤ感にも包まれている。
 先送りされてきた「ゼロベースでの再調査」結果が明らかにされない中で、断念の理由とされた「ブースター」問題。たしかにブースター問題も指摘はされていたが、それが理由とされることへの疑問。本当は、「想定外」の地元の反発を受けたことが断念の理由ではないのか。そうだとすると、地元の同意を得ずに強行している辺野古新基地建設も、秋田、山口への配備撤回と同様に、中止撤回すべきではないのか。そして、二年半も混乱させた責任を取ろうともせず、何事もなかったように、「次は敵基地攻撃能力の保有だ」と言い出す人たち。モヤモヤ。
 河野大臣は、断念に至った経過を「検証」すると国会で答弁したが、果たして、本気に検証するのか、そうなら、自分の「フェイクニュース発言」も検証してほしい。

 

 

撤回を勝ち取ったイージス・アショア配備計画  東京支部  松 島   暁

 去る六月一五日、河野太郎防衛大臣は、イージス・アショア配備計画の停止を発表した。二〇一七年一二月に配備を閣議決定し、翌一八年五月に秋田の新屋演習場と山口のむつみ演習場を候補地に選定のうえで推進してきた配備計画が撤回に追い込まれた。地元秋田や山口の人々の旺盛で持続的運動の成果であって、配備計画と住民運動に関心を持ってきたものとして計画断念を喜ぶとともに、反対運動を担った人々に心から敬意を表したい。本稿は、七月の改憲阻止対策本部と常任幹事会に提出した簡単な総括メモを、若干敷衍したものである。 

 イージス・アショア配備計画は、その出発点自体がそもそも如何わしいものだった。大義名分としてはわが国の安全保障上の必要性が掲げられていたが、実際は日米外交の手段としての導入決定、有り体に言えば、トランプの「ご機嫌とり」のための決定だった。もともと現場(陸自)はイージス・アショアなどまったく望んでいなかった。財政の逼迫している防衛省は、隊員のトイレットペーパーの使用を制限したり、取引先に装備品の支払い延期を要請したりしていた。そのような自衛隊・防衛省にとって、イージス・アショアのような高額な買い物(当初一基八〇〇億円、後に三〇〇〇億円以上)は考えていなかったところに、官邸の意向で突如、導入決定されたのがイージス・アショアだった。
 もともとの防衛構想はイージス艦によるもので海自が担うはずだったのに、陸自のイージス・アショアが割り込んだ。防衛予算には、陸自一・五、海自一、空自一という予算配分の枠があって、アメリカからの高額兵器を買い入れる余裕が海自にはなかった。そこで高額武器の必要性が比較的少なかった陸自予算が「官邸」によって狙われたのではないかと個人的には推測している。
 このことが防衛省の不熱心と粗雑さの要因となり、地元説明会での防衛省職員の居眠り、現地に足を運ぶこともせずグーグルアースと分度器を使って作成した「新屋とむつみが最適地」だとする杜撰な選定報告書となって現れた。その結果、官僚組織が撤回や方針変更を拒む最大の口実である既成事実化を阻むことにつながったと思う。

 イージス・アショアは住民にとって死活問題だった。巨大な電子レンジともいうべきイージス・アショアの発する電磁波、計画停止の理由とされたブースター落下の危険、そして基地そのものが攻撃やテロ・攪乱の対象となるおそれなど、住民にとって何もよいことはなかった。
 しかし、これらは軍事的合理性からは副次的要素である。計画停止発表直後に河野克俊元統合幕僚長がテレビインタビューで、「二〇〇㎏ほどのブースター落下の危険とミサイルが首都に落ちた場合の被害とを比べれば」云々と自嘲的コメントを述べていたが、軍事的合理性からは、人口過疎地の田舎で多少の人的被害が出ようとも、統治機構の中枢があって多くの人口の集中する首都を防衛することこそが安全保障の核心であると言いたかったところであろう。しかし、このような軍事的合理性=軍事優先を声高には発言できないほど、この国の世論状況は健全であるし、国民・県民の平和意識は高いのである。
 なお、河野防相はブースターのコントロールを計画停止の理由としたが、二〇一七年度防衛白書によればSM3ブロックⅡAは日米共同開発とされていて、肝心のミサイル誘導とブースターはアメリカ担当部分で、ブースターの落下場所をコントロールするなどという「合理性」のない要求がかなう余地はそもそもなかった。
 地元の住民は毎週駅前でスタンディングの反対宣伝を行い、地域団体(振興会)も配備反対を決議、能代市を先頭に多くの市町村(議会)も反対決議をあげた(最後まで決議を渋っていた、秋田県議会や秋田市議会も最終的に反対の意思を表明する)。弁護士会は、会長声明でいちはやく反対の意思を表明した。
 配備計画に対する地元の反対運動の実際については、秋田と山口から報告にゆずりたい。

 その他の要因として、秋田の場合、秋田魁新報の果たした役割が大きかったと思う。社長を先頭に全社一丸となった秋田魁新報の活躍ぶりについては「奮闘する地方紙・ブロック紙」(団通信一六九六号)で紹介したので、そちらをご覧いただきたい。
 また、今回の計画は、基地を地元に受け入れてもらうための地元「還元」策がほとんどなく、イージス・アショアは地元にとって「百害あって一利なし」だった。もともとの基地の規模が小さく現行の基地交付金と調整金では限界があり、経済的利益による受け入れ容認勢力拡大には新法による手当が必要であった。
 反対運動は、各種の選挙と連動させた。統一地方選や参院選で基地反対を積極的争点に設定、対決点を争点化することに成功、かつ、そのことを基地反対新人候補の当選と自民党現職の落選という結果として示した。

 イージス・アショア配備に挫折した政府・自民党は、安全保障戦略の再検討を課題にする。七月三一日に了承された自民党(政務調査会・国防部会・安全保障調査会)の「国民を守るための抑止力向上に関する提言(案)」によれば、中国等の国力伸長によるパワーバランスの変化、中露による極超音速滑空兵器の開発等の現状認識をふまえ、「わが国は防衛、米国は打撃」という基本的役割分担では防御しきれないとし、より主体的な取り組みを行うことにより抑止力のさらなる向上が課題だとする。現行のミサイル防衛システムについてコストパフォーマンス面からの批判(迎撃用のPAC3が一発三億円、SM3ブロックⅡAが四〇億円/発、一発のミサイルに対して何発で迎撃するのか?いくらかかるのか!)は以前からあった。今回、「相手領域内でも弾道ミサイル等を阻止する能力」として敵基地攻撃能力の保有を提言するに至った。
 イージス・アショア計画断念という貴重な成果を、軍事力拡大、敵地攻撃能力容認の口実にさせてはならない。

 

 

イージス撤回で見えてきた、たからもの  山口県支部  内 山 新 吾

 私は昨年の五月集会特別報告集に、萩むつみイージス・アショア配備問題の報告文を書いた。今年も要請があって、その続編を特別報告集に書いた。その時点では、撤回のたたかいは長期のものになるだろうと予想していた。しかし、六月中旬、河野防衛相の「計画中止」発表があり、配備は撤回された。ブースター落下の危険性を理由とするものであった。
 このイージス撤回については、当初は地元でも、「運動の成果とはいえないのではないか」という声も一部に出た。けれども、画期的な運動の成果だということで、総括された。私も、これは、「アベ足下」(前知事の発言)と言われる山口県での宝物のような運動の成果だと考えている。
 イージス撤回に追い込んだ要因として、次のことが指摘できる。
 第一は、新しい住民運動である。地元で農業を営む女性グループが立ち上がり、やがて、阿武町の有権者過半数が加入する「町民の会」の運動に発展した。「防衛のことはわからない」「国のやることに反対したことは一度もない」人たちの、ふるさとと農業を守りたいという言葉が共感を広げた。
 第二は、阿武町長の花田さん(自民党員)が反対の姿勢を貫いたことである。山口県知事は、「計画中止」後には、大臣に怒って見せたが、昨年にはハワイに視察に行って安全性が確認できたなどと言っていた。萩市長も、あいまいな態度だった。その中で花田町長は終始町民の運動とスクラムを組んでいた。広域合併に応じず、「移住したいまち」としてまちづくりを成功させていた、という背景があった。
 第三は、科学者の役割である。山口大学のOBで日本科学者会議のメンバー(物理学者、地質学者、教育学者)が、それぞれの専門分野をいかして、現地調査をくりかえし、学習会を続け、集会に参加し、マスコミへの働きかけもした。防衛省の報告書の問題点を多角的に分析し(レーダーによる被害、水資源への影響、ブースター落下の危険性、まちづくりへの弊害等)、冊子やリーフにして公表した。そのとりくみは、地元の人々に確信を与えた。
 第四は、イージス・アショア撤回が、県内の市民と野党の共闘のスローガンの一つにもなって、共同の幅が広がっていたという点である。
 たしかに、計画地が市街地に近い秋田と比べて、山口県では広く県民世論を盛り上げる困難はあった。しかし、農村であっても、「すぐそばに人が住んでいてくらしがある」ことにちがいはない。このたびの配備撤回は、「国防に関する事項」であっても、住民ひとりひとりが声を上げてよい、自治体もその役割をはたすために国に堂々とものを言ってよい、そうすれば、国を動かすことができる、という確信を広げるものとなった。ついでに、国は本当のことを言わない、ということも学んだ。私は昨年夏、団支部の現地調査(団本部からも参加)の際、エアコンのない集会場で緑の風を感じながら、この土地でふるさとをつくっている(「守る」というより「つくって」いるのだ)人の底力を実感した。その力が一年もたたないうちに実を結んで、本当にうれしい。
 計画撤回後の集会で、昨年の団支部の調査のときに話をしてくれた地元の女性が次のように語った。
 「きのう、梅を漬けました。きょうは、らっきょうを漬けました。元の生活に戻れました。」

 

 

*愛知支部特集*
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」をめぐる問題  愛知支部  加 藤 悠 史

 愛知では、昨年、あいちトリエンナーレが開催され、「表現の不自由展・その後」の中止や再開を巡って、団支部としても表現の自由を守るように運動をし、また、団員が中心となって再開を求める仮処分などもたたかわれた。昨年の愛知での団総会でも特別決議があげられ、貴重な成果もあげた運動であった。

 実は、「表現の不自由展・その後」を巡っては、制限付きではあったが展示再開を勝ち取ったことで終わっておらず、いくつか残された問題がある。残された問題の一つが、あいちトリエンナーレのお金に関する問題である。文化庁の補助金の不交付については、三月に一部交付をすることで決着した。県が一部譲歩したことに関しての意見はあるが、補助金の一部が交付されて終わっている。他方で、「表現の不自由展・その後」の展示中止に中心的な役割を果たしていた河村たかしが市長を務める名古屋市が、あいちトリエンナーレ実行委員会に対して負担金の支払いを拒否している問題は、裁判に発展している。その第一回期日が八月五日に開催されたようで、河村たかし市長が一時間にわたって意見陳述をしたと報道されている(意見陳述要旨は名古屋市のホームページに掲載されている)。団員で代理人に関与している弁護士はいないと思われるため、正確な情報は分からないが、支部としても今後もこの動向を注視し、名古屋市に対して適切に負担金の支払いをしていくよう求めていきたい。

 もう一つ、河村たかし名古屋市長らの「表現の不自由展・その後」の中止を求める運動が、現在、大村秀章愛知県知事に対するリコール運動となって展開されている。高須クリニックで有名な高須克弥氏が会長となり、「お辞め下さい大村秀章愛知県知事 愛知一〇〇万人リコールの会」を結成し、既にリコール署名活動のための必要書類を愛知県選挙管理委員会へ提出しているとのこと。報道では、八月二五日から署名活動を開始するとされている。
 リコールの会のホームページでは、高須会長が「僕は(生まれ育った)愛知県を愛しております」「あいちトリエンナーレでは昭和天皇の写真に火をつけたり(動画あり)、英霊を辱めるような作品が公開された。大村秀章愛知県知事は税金から補助を与えるという。それが一番許せない」「国にとって恥ずかしい、愛知県民にとって恥ずかしい、そういうことをしてくれる知事は支持できない。」と呼びかけている。またリコールの会設立主旨では、リコール運動の理由について、「あいちトリエンナーレ表現の不自由展における芸術教育憲法問題の疑惑」をあげ、「昭和天皇陛下のお写真をバーナーで焼き下足で踏みつぶす動画の表示許可」や「慰安婦像の展示許可」を主な理由としている。

 大村知事が実行委員長をつとめたあいちトリエンナーレにおいて、「表現の不自由展・その後」が開催されたこと、愛知県において予算が支出されていることなど、何ら問題にされるべきことではない。むしろ、河村たかし名古屋市長は、「表現の不自由展・その後」を巡っては、開催直後から、「展示内容は国民感情を踏みにじるものであり、展示の中止を求める」と繰り返し批判していたが、これこそ公権力が表現行為に介入するものであり、表現の自由を侵害するものである。
 大村県政に対する評価は別にしても、リコールの会の呼びかけは、表現の自由を否定するものであり、表現の自由に対する妨害行為を助長するものである。団支部としてもこの運動に対する反対声明を出した。

 河村氏や高須氏は、いずれも、第二次世界大戦中に起きたユダヤ人大虐殺や、旧日本軍性奴隷制度の存在、南京大虐殺を否定する発言を行っている、歴史修正主義者である。こうした歴史修正主義とのたたかいのためにも、大村知事へのリコールを許さないことが重要であると考えている。
 余談であはあるが、中日新聞で八月八日~一四日までの知事と市長の公務をまとめた資料をみた。これによると、大村知事はコロナウイルス対策を中心に毎日公務がなされていた反面、河村市長は五日間は「公務なし」とされていた。名古屋市においてもコロナ感染が拡大しており、PCR検査などが足りていないといわれている。こうした中で、首長としてやるべきことをやらず、知事へのリコール運動にいそしむ河村氏こそ、名古屋市長にふさわしくないといいたい。

 

 

森英樹先生との想い出を偲ぶ~直ぐ隣に居られた偉大な学者  愛知支部  北 村   栄

 森英樹先生が今年四月二六日、急性間質性肺炎で突如亡くなられた。七八歳であった。
 本当に驚いた。そして今も、森先生の、このような原稿をこのように早く書くとは、との感慨を持ちながら書いている。本当に残念というか、寂しいというしかない。心にぽっかりと穴が開いたという感覚を身をもって知った。
 森先生の憲法学者としての偉大さは、失礼ながら亡くなった後に研究者の方々の追悼の言葉で、ここまで偉大な方だったのかと改めて知った。直ぐそばで親しくさせて頂いていたため自分は気づかなかったのである。その偉大さは、森先生を「畏友」と呼ばれる小林武先生の感動的な「追悼の言葉」(愛知憲法通信二〇二〇年六月号)をぜひ読んで頂きたい。また、森先生の半生は、名大を退官された後に行かれた龍谷大学の三一頁にわたる自身が書かれた「略歴及び業績一覧への備忘録的解題」に詳しい。
 森先生の学者(研究者)、また一人の人間としての偉大さ、凄さを私が表すのは能力的に困難であり、またこの紙数で到底足りるものではない。そのため、ここでは私の個人的な想い出が中心になってしまうことをお許し頂きたい。

 森先生との出会いは、一九七五年、私が名古屋大学の三年生になり森ゼミに入った時から始まる。単純に憲法は大事だと思っていたことと、ゼミ紹介時に、たぶん現在の市会議員の江上さんだと思うが、森先生は麻雀好きであるという話が決め手で入ることにした。その時先生はまだ助教授三年目三三歳で、我々とは一三歳しか離れおらず、兄貴分の感じもあった。それもあってか、初めてのゼミコンパで、先生に麻雀をやりましょうと言い、コンパ後当時団地の先生の自宅で卓を囲んだ。
 大学での先生の憲法の講義はダジャレが多く、滑舌もよく、声もよく通り、眠くはならなかった。しかし、早く終わって麻雀をやりたい私は最前列に座り、時間になれば早く終われとばかりに腕時計をこれ見よがしに叩いたり、ゼミにも「親が連チャンして麻雀が終わりませんでした」と今から考えるとよく言ったなという理由で、遅刻もよくした。そんな悪学生でも先生は怒らなかった。
 その後、私は受験浪人が続き、何と一四年間も法学部内でウロウロし、先生の研究者の教え子よりも多い年数を先生と学内で過ごすことになった。その間、ドイツ留学の際には荷物運びとして空港まで見送ったことも、今になると有り難い想い出である。やっと受かった司法試験合格のご褒美も、森先生主催の麻雀だった(面子は高木輝雄先生、亡若松英成先生)。教え子には大変優しい先生であった。そのため、森ゼミは大人気ゼミになり、ゼミ生は世代別にまた全部が集まり森先生を囲んでの森ゼミ同窓会が何度も行われた。

 森先生の偉大さを実感したのは、弁護士になってからである。憲法の講演となると呼ばれるのは森先生。森ゼミ出身と言えば、おおそうか!となった。市民や弁護士らの森先生に対する信頼は絶大であった。その時は、先生の講演は話がおもしろくて、ズバズバものを言っているくらいにしか思わなかったが、その理由がこの三年程前から実感することとなった。
 それはどんなに大変な状況であっても、また誰に対してもプロとして絶対に手を抜かないという姿であった。数年前から先生は腰を患い何度も手術をされていた。実際に歩くのも一歩一歩という感じで移動も大変そうで、講演も制限されていた。
 しかし、実はそれにもかかわらず、先生は毎日文化センターの毎月一回土曜午後開催の市民向け講座をずっと数年間続けられていたのである。私も半年間参加してみたが、参加者は一〇名そこそこ。その中で、先生は毎回のテーマだけでなく今起こっている時事的問題についても話をされるが、そのレジュメと資料がすごい。つい昨日報道されたことがレジュメに詳しく正確に載っているのである。また、そのレジュメも歴史的な経緯や、年号なども踏まえた極めて精緻で詳細なものだったのには驚いた。資料も出たばかりの新聞や週刊誌を購入して用意されていた。講師料は一万円くらいのものだったと思う。受講者は年配の方一〇名ほど。心身が大変なとき、このようなところまで、一切手を抜かずに完璧に仕上げるという、研究者魂、プロ魂を見せて頂いた。これをあの体調の中で毎月ずっと数年続けられていたのである。講座終了後たまに先生とコーヒーを飲むことがあったが、別れ際ゆっくりとしか歩けない先生の後ろ姿に、自分はこれが出来るかと自問をした。

 森先生の研究者としての実力や実績は、研究者の間でも評判のようで、様々な団体で中心的なまとめ役をされ、例えば長谷部元東大教授など著名な学者も森先生の元で、憲法研究者団体の事務局をされていたほどであった(秘密保護法の時など「長谷部がなー」とぼやいておられた)。
 また、四年前まで、改憲六団体の中心の日本民主法律家協会の理事長を、三年間東京に通いながら務め上げられた。
 学生の時には全く森ゼミ生らしい働きをしなかった私が、青法協の弁学の議長になったときには喜んでビデオレターも頂いた。私が議長なって二ヶ月後に先生が日民協の理事長を退任されたため役職の重なりはわずかであったが、六団体の声明に私と先生の名前が揃って載ったときは、あの悪学生を見放さなくてよかったと思って頂けたと思う。
 なお、私の弁学議長時を含め今も全体議長である植松健一立命館大教授も森ゼミであるし、青法協の歴代全体議長の多くが森先生の薫陶を受けた研究者である。

 また、みんなが気づいていない先生の凄いところは、中高生への憲法の普及に力を注ぎ、加えてその成果を上げられていることである。憲法の難しく堅い話を、ユーモアを交えてわかりやすく解きほぐす職人技は他の追随を許さない絶品の芸術であった。
 一九九一年に岩波ジュニア新書として発行された「主権者は君だ」は六年後に新版、その後ずっと今でもロングセラーを続ける有名な名著である。二〇一五年にはその続編で「大事なことは憲法が教えてくれる」を出され、三〇年にもわたり多くの若い読者を獲得してきている。森ゼミでもそうであったが、若い人、次世代を担う人を育てることが先生の大きな目標であったと思う。
 私も、一二年間毎年半年間ある短大の教養科目としての日本国憲法の非常勤講師をした際には「主権者は君だ」を教科書に指定したので、一五〇〇冊近い同書の売上げに貢献していますと誇らしげに言ったとき、先生の顔はうれしそうだった。

 森先生との最後のやりとりが出来たのは、亡くなる二日前。ふと先生のことが頭に浮かび、最近どうですかとのメールをしたことがよかった。そのため、ご家族以外では亡くなる直前まで何度もメールで会話した貴重な者となった。最後に出したメールは平松清志団員の「新型コロナいろは川柳」だった。先生の喜ばれた返信メールが来たので、ダジャレの好きな先生が、痛みも少しは忘れて旅立たれたかなと思う。
 葬儀は、家族葬とのことだったが、前日のお通夜に参列し、ご家族と共に先生のご遺体を棺の中に入れさせて頂き、最後のお別れをすることが出来た。
 その時に、手を合わせて先生に誓った、「憲法を護る」、「手を抜かない」、「若者を育てる(共に成長する)」を微力ながら実践していきたいと思う。
 森先生、紆余曲折はあると思いますが、これまで通り太っ腹で見ていて下さい。

 

 

裁判手続きのIT化と裁判制度の変質の危険性  東京支部  齊 藤 展 夫

一 裁判手続きのIT化に関する政府方針
 二〇二〇・七・一五朝日新聞記事「令状請求オンライン化へ 刑事手続き 起訴でも検討 警察庁・法務省」によれば、「①逮捕状など令状の請求・発行や送致などの刑事手続きについて、オンライン化に向けた検討を警察庁と法務省がはじめた、②最高裁と日弁連も検討に参加。③公判に関する資料のデジタル化も視野に入れている、④政府が近くまとめるIT戦略にこれらの方針が盛り込まれる見通しである。⑤警察・検察が容疑者の逮捕、勾留、捜索する場合、裁判官の令状が必要であるが、これら手続きをIT化して、令状請求、発布について、先行実施し、送致、捜査報告書等資料の送付、起訴、証拠書類の提出などの手続きも検討するとして、⑥警察庁では、警察署を含むシステムの整備を検討をして、⑦警察、検察、裁判所をつなぐネットワークの構築をするとしている。⑧民事裁判では、政府は、すでに書面提出や口頭弁論、判決言渡しなどすべての手続きのオンライン化を目指す方針を決めている」とある。
 裁判手続きのIT化は、実施段階に進みつつある。

二 IT難民の危惧
 私は、IT難民である。国民多数も、スマートホンは、駆使できてもパソコンを自由に使いこなせないのではなかろうか。裁判手続きのIT化は、裁判手続きの簡素化、省力化、便利さには役立つが、基本的人権が軽視されることにつながるのではないか。
 前掲「記事」によれば、「警察、検察、裁判所は、IT化(オンライン化)で、業務負担が軽減され、省力化による便利さを理由に賛同している。一部弁護士は、IT化により、記録謄写作業の労力と経費の節減になるとして賛同している」とある。
 裁判手続きは、裁判関係者が、裁判所の「法廷へ出席(出頭)」し、証拠に基づいた「意見を法廷において表明」(口頭弁論主義、直接主義)し、「立証活動」を「公開の法廷」で、行うことで成立するものである。裁判手続きのIT化は、法廷へ出頭し、弁論をする従前の裁判手続き原則を、実質上変更ないし変質するものとならないかが問題となると思う。
 裁判手続きのIT化、簡素化は、被疑者や被告人、被害者らの手続きの明確化、運用の民主化や黙秘権、弁護人選任権、裁判の公開原則、ひいては、裁判を受ける権利などの「基本的人権の尊重」原則を否定することとなり、裁判制度の実質的変更になるのではないだろうか。
 裁判手続きで重要な、検察官手持ち証拠の開示すら不十分である現状を無視して、手続きのIT化を進めるのは、危険である。 
 政府は、裁判手続きの重要部分である起訴、証拠書類の提出、判決等裁判手続き全般をIT化する方針のようである(民事裁判手続きは、既に進行段階である)。
 裁判手続の省力化は、裁判手続の形骸化となり、裁判手続きの強制的運用や基本的人権の軽視の方向へ進む危険が大きい。最近の民事裁判における陳述書など書面中心の訴訟の進行や電話会議(会議内容を裁判調書に記載する義務がない)などによる裁判手続きの省力化は、人証採用や証人調べを軽視する方向になっている。弁護士の多数は、これらの傾向を受容している。
 弁護士法第一条の弁護士の使命を忘れてはならない。
 私達国民の多数が「解釈改憲」により実質的憲法改正を容認したことと同じように、我らが弁護士たちがこのような裁判手続きに、異議なく、「慣れ」ていくことを残念に思うばかりである。

三 IT化による刑事裁判手続きの問題点
(1)逮捕、勾留、捜索などの令状手続きにおいて、被疑者、被告人、被害者などの人権を護る実質的手段(検事、裁判官との面会、身柄釈放要求、勾留しないことや不起訴などの要請の弁護活動)を奪われる。
(2)取調官による黙秘権の告知、弁護人選任権の告知、何よりも弁護人および弁護人となろうとする者の権利保障が形骸化される。取り調べの弁護人立ち会い権は、益々困難となるだろう。
(3)刑事裁判手続きの現状では、被疑者、被告人、弁護人に対する証拠開示は十分ではない。特に否認事件での証拠開示は、時期、内容ともに不十分であるが、証拠不開示が常態化するのではないか。
(4)自白調書(嘘の自白)の採否が、被告側に不利益となるのではないか。
(5)公判手続きも含めて、公開の原則は、守られるのだろうか。裁判に対する国民の監視、批判や傍聴の自由が保障されるだろうか。

 裁判手続きIT化は、弾圧事件、冤罪事件などにどのような影響を及ぼすだろうか。なお、科学的捜査と手続きのIT化は、異なる次元のものであることは、注意すべきことである。
 労働公安、弾圧、冤罪事件など国家権力とのねばり強い闘いを要する事件は、事実(真実)の確定、権力の企図を法廷内外で、明らかにしなければ勝利はない。法廷は公開(憲法の基本原則)でなければならない。法廷の外では、広範な裁判批判運動(大衆的裁判闘争)が、不可欠である。
 そのためには、法廷の内外で、工夫(国民の知恵)と具体的闘いの実践による基本的人権を守る活動が必要である。人権擁護活動は、裁判手続きのIT化や省力化(便利さ)の犠牲にしてはならない。

五 民事裁判のIT化について
(1)安倍政府は、「二〇一八年六月一五日未来投資戦略二〇一八」を閣議決定し、その内容に、「世界で一番企業が活動しやすい國の実現」を掲げ、「裁判手続きのIT化の推進」を掲げている。二〇一八年三月三〇日裁判のIT化検討会が、とりまとめを行った。曰く、世界的に見て日本の裁判手続のIT化は遅れている。訴えの提起・申立からその後の手続きの総てを電子化し、原則として紙媒体を用いない。裁判手続き等の全面IT化を目指すとして、三つのE、即ち①E提出(主張・証拠をオンライン提出にする)、②E法廷(ウェブ会議・テレビ会議の導入、拡大。証人調べも)、③E事件管理を提起している。
(2)裁判手続きのIT化は、憲法や民事訴訟法に違反する内容を多く含んでる。憲法三一条は、「何人も、法律の定める手続きに寄らなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」(法定手続きの保障)と定め、第三二条で、「何人も裁判所において裁判を受ける権利を奪われない。」(裁判を受ける権利)と定め、三七条において、裁判の公開主義を定めている。即ち三つのEは、上記憲法原則に違反することのほか、本人訴訟や地域司法の空洞化、IT弱者への配慮がないこと、非弁問題、プライバシーの保護などにおいて問題があり、民事裁判の基本原則である直接主義や口頭弁論主義を空洞化するものである。さらに事件管理がIT化することによって、弁護士の業務内容に多大な影響を与える。紙媒体を排除することは、事件記録の管理や証拠の保全管理に影響がでる。当然ながら法律事務所の経営にも大きな影響を及ぼすことになるであろう。
(3)裁判手続きのIT化は、弁護士法第一条に定める弁護士の使命を貫徹することを阻害することになると思う。弁護士法一条は、「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」と定めている。弁護士の基本的使命は、基本的人権の擁護と実現である。弁護士の業務遂行に理念的にも現実的にも問題が生ずる。言い換えれば、裁判手続きのIT化は、憲法が基本原則として保障する基本的人権擁護にマイナスの影響を与える。憲法の改正は、憲法九条改正だけでなく、国民の基本的権利である「裁判を受ける権利」(憲法三二条)を侵害され、身近な争い事が、正当に処理されなくなる危険があると思う。政府が提起する諸問題を身近なところから見直して、問題点を掘り下げて、検討しながら、自民党が提起する憲法改正問題を考えてみる必要がある。
(4)なお行政事件も民事訴訟の中に含まれるが、そもそも行政事件は、国家権力による処分を争うのであるから、基本的には、刑事裁判と同様に考えられるであろう。(二〇二〇年八月一五日)

 

 

改憲問題対策法律家六団体連絡会・夏合宿のご報告   事務局次長  鹿 島 裕 輔

 八月九日(日)一〇時より連合会館会議室とZOOM会議を併用して、改憲問題対策法律家六団体連絡会(以下、「法律家六団体」といいます)の夏合宿を実施しました。今回の合宿の目的は、次の総選挙に向けて、安倍政権を倒し、安倍政権・安倍政治に代わる政権と政治の樹立を目指すことを再度確認することにあります。

一 第一部

 第一部は、法律家六団体の総会として、会場参加者のみで昨年七月からの一年間にわたる法律家六団体の活動の総括と当面の活動方針の確認を行いました。

二 第二部
 第二部は、基調報告として、渡辺治一橋大学名誉教授に「安倍政権の総検証と安倍政治に代わる選択肢」という内容で講演をしていただきました。この講演は、会場参加者だけではなく、法律家六団体を構成する各団体の団員・会員にもウェビナーで視聴できるようにしました。
 渡辺先生は、①新型コロナは自民党政権、安倍政権が続けてきた新自由主義の構造的結果であること、②安倍政権が新型コロナ禍で何を目指しているのか、③安倍政治を変えるにはどうしたらよいかについてお話をされました。
 まず、渡辺先生は、自民党政権、安倍政権が続けてきた新自由主義とは何かを説明した上で、新型コロナウイルスの蔓延によって明らかとなった安倍新自由主義政治の害悪についてお話されました。すなわち、安倍新自由主義政治により、新型コロナに立ち向かう医療体制の崩壊、新型コロナの最前線で活動する保健所の縮小・再編、賃金削減、非正規化、社会保障の削減による働く人々への打撃、規制緩和、自由貿易による中小企業、農業、自営業の危機、官邸主導による議会制民主主義の劣化、地方構造改革・平成の大合併に伴う地方財政削減による自治体の危機をもたらしました。
 その上で、安倍政権は、コロナ対策においても新自由主義改革の維持・強行を進め、市民に対する直接補償ではなく、事業への補助金や自民党の支持基盤たる宿泊、飲食、運輸、建設業などへの財政投資による利益誘導型政治を進めています。
 さらに、公約としていた任期中の改憲が困難となったにもかかわらず、緊急事態を口実とした明文改憲への動きやイージスアショア断念からの敵基地攻撃能力の浮上などにより、安倍政権の改憲への執念が見て取れます。
 最後に、渡辺先生は、このような悪政続きの安倍内閣の支持率がなぜそこまで下がらないのかという点に触れ、それは国民は安倍政権に代わる政権を求めているが、安倍政治に代わる選択肢が見えない点に問題があると指摘されました。その上でこの間、桜を見る会問題への追及や検察庁法改正問題での国会共闘、憲法審査会で改憲議論に踏み込ませない共闘、コロナ対策における家賃支援などの野党共同政策・法案などで見られる共闘の成果を政治を変える共闘へと発展させる必要があります。
 そして、渡辺先生は、安倍政治に代わる選択肢として、昨年五月二九日に「立憲野党四党一会派の政策に対する市民連合の要望書」に対して各党が合意した一三項目の共通政策を中心とした安倍政治に代わる政策の三つの柱として、①改憲を阻止し、平和な日本と東北アジアをつくる、②新自由主義政治を変え、新たな福祉国家型政治・大きな財政、③立憲主義と民主主義の回復を掲げておりました。この三つの柱をもとに、悪政を阻む「市民と野党の共闘」を政権を目指す共同へとする必要があると指摘されていました。
 その上で、安倍政権の倒し方が重要であるとし、大衆の声で倒すために改憲発議阻止の緊急署名に全力で取り組むことが必要であり、政権の共闘へ向けて政党間で協議を進めることが必要であるとお話されました。
 以上のような内容の講演後に質疑応答を行い、第二部は終了しました。

三 第三部
 第三部は、主に法律家六団体を構成する各団体の執行部が参加し、報告と討論を会場とZOOM参加の併用で行いました。
 最初に、総がかり行動実行委員会共同代表の小田川義和さん、市民連合呼びかけ人の広渡清吾東京大学名誉教授に連帯のご挨拶をしていただきました。
 報告と討論は大きく分けて、①平和・憲法九条、②働く者の権利、③公権力の私物化の三つに分けて行いました。
①平和・憲法九条では、飯島滋明名古屋学院大学教授より、立憲野党の支持率が伸びない理由、安倍自公政権の生命や安全を守らない、税金の無駄遣いをする、でたらめな防衛政策とそのような安倍自公政権の防衛政策に代わる防衛政策についてご報告いただきました。
②働く者の権利では、労働弁護団の棗一郎弁護士より、コロナショックによる経済危機における労働問題として、この間の「なんでも労働相談ホットライン」による全国の労働相談の特徴と傾向、今年の秋以降に大失業時代の到来が予期される中で、労働者の労働条件などの権利は守られているのかという観点から、休業による賃金・休業手当の問題、労災補償の問題、解雇・雇止めに対する規制についてご報告いただきました。
③公権力の私物化では、右崎正博獨協大学名誉教授より、公権力の私物化疑惑のある森友学園問題、加計学園問題、「桜を見る会」問題、私物化手法の特質である情報の隠蔽と褒章人事、公文書の管理に関する法律の一部改正案などの新規立法・法改正案の評価についてご報告いただきました。
 また、先に述べた一三項目の共通政策で掲げられている各問題について、日々取り組まれている法律家の方々より、それぞれご報告いただきました。安保法制違憲訴訟の問題について杉浦ひとみ弁護士、沖縄の問題について稲正樹国際基督教大学教授、安倍教育再生の問題について小林善亮弁護士、不公平税制の問題について浦野広明税理士、原発問題について海部幸造弁護士、監視社会・警察の問題について清水雅彦日本体育大学教授、報道の自由の問題について梓澤和幸弁護士にそれぞれご報告いただきました。また、当日、文書による報告として、東アジアにおける平和と非核化の問題について大久保賢一弁護士、貧困・社会保障の問題について加藤健次弁護士にご報告いただきました。
 以上のような報告を踏まえ、会場参加者やZOOM参加者による意見交換が行われました。

四 最後に
 今回の合宿は、午前一〇時に始まり、終了時刻が当初予定した午後四時三〇分を過ぎるほど、とても充実した内容であったと思います。
 渡辺先生の講演にもありましたが、安倍政権を倒すにもどのように倒すかが重要であり、必ず私たち国民の手で倒さなければいけません。そして、コロナ禍で浮き彫りになったこの状況を打破するためには、安倍首相を変えるだけでは足りず、新自由主義政治を続けてきた自公政権を退陣させ、新たな政権が国民の生活を守る政治をつくっていかなければなりません。そのためにも、私たちは、これまでの市民と野党の共闘の成果を踏まえ、次の衆議院解散総選挙に向けて、動き出さなければなりません。今回の合宿はその出発点として、今回の合宿で学んだこと、議論したことをより具体化させるべく、団員各人が考え、各団体の中でも十分に議論し、各地で行動に移せるような形になることを願い、法律家六団体事務局の一員としてのご報告とさせていただきます。

 

 

貧困・社会保障問題委員会
「新型コロナウイルスによる貧困・社会保障問題に関する意見交換会」のご報告  
                               事務局次長  鹿 島 裕 輔

 貧困・社会保障問題委員会では、八月七日(金)一三時より団本部会議室とZOOM会議を併用して、貧困問題に取り組まれている団体の皆さんと新型コロナウイルスによる貧困・社会保障問題に関する意見交換会を実施しました。参加された団体は、自立生活サポートセンター・もやい、ほっとプラス、住まいの貧困に取り組むネットワーク、中央社保協、自治労連でした。

一 各団体の活動、現場の実態や問題点の報告
 住まいの貧困に取り組むネットワークからは、住居確保給付金に関する状況について、申請件数は四月段階で九〇〇〇件(二〇一八年度の支給実績が約四〇〇〇件)、五月には四万三〇〇〇件と爆発的に増加しており、支給決定件数も五月には二万五〇〇〇件、六月には約三万五〇〇〇件と制度開始以来の急激な増加となっている旨の報告がされました。また、公営住宅の提供の実態については、四月段階で全国の都道府県、政令市に公営住宅提供の要請が行われましたが、七月末時点で一四三八戸程度確保されているうち、三一一世帯が入居している状況であり、さらなる住宅政策が必要である旨が報告されました。
 自立生活サポートセンター・もやいからは、住居を確保する際に、携帯電話や身分証がないと民間アパートを借りることが困難であること、無料低額宿泊所も衛生面の問題からコロナ感染の可能性があるため入居が困難であり、ビジネスホテル等の個室の住居を確保する必要があることが報告されました。
 中央社保協からは、国民健康保険の加入者は無職や非正規労働者の割合が増えていること、国民健康保険税が減免される要件の「三割以上の収入減」の判断が難しく、自治体でも対応できていないことがあること、国民健康保険で受給できるようになった傷病手当金の事業主への対象拡大の問題、医療機関や介護事業所の経営危機などについて報告されました。
 ほっとプラスからは、相談活動を通じて、相談内容として住居確保給付金や失業保険、休業補償についての相談が多いこと、女性の貧困が多く見られること、派遣やパート、学生アルバイトなどの雇用形態によって差別されている事例が見られること、高齢者からの相談も多く、年金で足りない状況下で年金を受け取っていては生活保護を受けることができないと勘違いしている事例も見られること、暑くてもエアコンが使えないなど収入が減って生活がひっ迫している相談者がいることなどが報告されました。
 自治労連からは、自治体がひっ迫しており、特に病院、保健所、介護、学童保育が大変な状況に置かれていること、生活保護の現場では持続化給付金や家賃支援、雇用調整助成金、緊急小口資金貸付などが活用されていることにより、生活保護申請が殺到している状況にはなく、現時点で大きな波は来ていないこと、それでも現場では厚労省の通知が届いておらず、誤った対応により生活保護申請を拒否する事例が発生していること、福祉事務所の人材不足や職員の質の低下、ケースワーク業務の民間委託が始まっていることとも相まって、現場で適切な対応ができていない現状がある旨を報告されました。
 また、DV被害者支援団体の方からは、DVや虐待に関する相談が三月以降に増え、一日に四〇件ほど相談があったこと、夫が自宅でリモートワークとしているため、相談することができない状況にあったり、休日に雨が止んだ途端に相談件数が増えたりすることがあること、DV被害から逃げ込むためのシェルターもコロナ禍で新規の受入れを躊躇するケースもあったり、受け入れ先があってもシェルターに入るための要件を満たさなかったり、今後の生活不安から被害者が決断できないケースもあること、特別定額給付金について夫と同居中の被害者は世帯主ではないこともあり、個人で受け取ることができなかったこと、子どもからの相談で学費が払われないという相談もあり、世帯分離すれば子どもが定額給付金を受給することができるという役所もあるが、それは個別の判断になるなどの問題があるとの報告がされました。また、母子家庭では子どもが学校の休校により家にいるため仕事に行くことができず、休業や失業となり、家計の支出が増える中で収入が減少し、生活に困窮している事例が見られるとの報告がされました。

二 今後の活動・取組みについて
 以上のような報告を受けて、私たちが今後、取り組むべきことについて意見交換をしました。
 私たちは、各地で生じている問題点や要求を汲み上げて現場の実態を明らかにし、現場の声を政府や国会、自治体に届ける必要があります。
 現状の社会保障制度の不十分性を指摘し、生活保護制度の柔軟な運用や住居確保給付金の改善、家賃支援、住宅政策の実施など、現在実施されている制度、支援策の改善と継続、特例措置を恒久化するなどによる社会保障制度の拡充を求めていく必要があります。
 また、広く国民に社会保障制度の積極的な利用を求めるためにも、社会へアピールする場を作る必要があり、そのためにオンラインなども活用した市民集会を開催したり、SNSを利用して発信していくことが必要です。
 さらに、各地で相談活動を実施していても、今すぐに相談すべき状態にある人たちが自分が相談を要する状態であることすらわかっていない、自分なんかが相談してもよいのかと相談を躊躇するケースも見られるため、相談に至るプロセスを構築する必要もあります。
 貧困・社会保障問題委員会では、今後も引き続き各団体と意見交換や情報共有を続け、相互に連携して新型コロナウイルスによる貧困・社会保障問題に取り組んでいきます。

 

 

 

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