第1724号 / 12 / 1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】
●団本部各委員会、対策本部への全国の団員の参加を呼びかけます  小賀坂 徹

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*兵庫・神戸総会報告特集
○兵庫・神戸総会に参加して  藤井 啓輔

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●大阪都構想住民投票、その勝因・教訓と投票のあり方に関する課題(上)  西  晃

●関弁連賞を受賞~東京弁護士会人種差別撤廃 モデル条例案に取り組んだ憲法・外国人・人権の3委員会  金  竜介

●コロナの夏に憲法を考える-「主権」と「自治」  後藤 富士子

●東アジアにおける平和の創出と非核化の推進のために  大久保 賢一

 


 

団本部各委員会、対策本部への全国の団員の参加を呼びかけます  幹事長 小 賀 坂   徹

 団本部の活動は、執行部のみが担っているのでなく、各種の委員会や対策本部の活動によって支えられています。現在、活動している本部の委員会、対策本部は次頁に記載した通りですが、これまで東京の団員か、せいぜい首都圏の団員(委員会によっては大阪支部)によって担われてきました。
 しかし、昨今の情勢の中、本部の委員会、対策本部の会議も、そのほとんどがWEBと併用したものになっています。ですから本部の各委員会等活動への参加についても地理的ハンディキャップはなくなっています。
 そこで本部では全国の団員の皆さんが、本部の委員会等の活動に参加してもらうための斬新かつ画期的システムを構築しました。
 まず団のホームページから団員専用ページに入って下さい(*)。すると、そこにカレンダーが掲載されています。そのカレンダーには、当面の本部各委員会、対策本部の日程が記載されており、該当箇所をクリックすると委員会の開催場所とZOOMの表示が現れます。ZOOMの部分には開催前日頃までにURLが表示されますので、それをクリックすると、当該委員会に参加できるという仕組みになっています。ですから、まず参加したい委員会の日時を押さえて手帳等に書き込み、その日時に前述の手続をするだけで、ほーら簡単に本部委員会に参加できるわけです。どうです、画期的でしょ。
 現在は、総会も常任幹事会もWEB併用となっており、議論の活性化のためには基礎となる委員会等で、全国のより多くの団員の意見が反映されることが不可欠です。また本部の活動に参加することによって、支部活動の活性化にも繋がっていくものと思います。是非とも、全国の団員が、この仕組みを利用して本部活動に積極的に参加していただくよう呼びかけます。うっかり参加したら最後、何かとてつもない仕事を振られて、ちょっとやそっとじゃ足抜けできない、なんてことはありません(多分)。最初は物見遊山でも結構ですので、まずは気軽に本部の委員会等を覗いてみて下さい。
*団員専用ページの入り方が分からない方は、団本部事務局までお問い合わせください。
 団本部電話:09-5227-8255

 

 

*兵庫・神戸総会報告特集
兵庫・神戸総会に参加して  神奈川支部  藤 井 啓 輔

第一 自己紹介
 皆様、はじめまして。
 神奈川支部所属、川崎北合同法律事務所の藤井啓輔(ふじい けいすけ)と申します。
 修習期は七二期で、千葉県で修習をし、二〇一九年一二月に弁護士登録をし、自由法曹団の団員となりました。
 一年目の弁護士ということで(本稿が世に出る頃には弁護士二年目を迎えていると思われますが)、目立った活動はできておりませんが、二〇二〇年の五月集会の特別報告集には東京支部の加藤慶二団員と東京支部(当時)の水谷陽子団員との連名で、「セクシュアル・マイノリティーの人権状況~所謂同性婚訴訟に関する現況報告~」と題しまして、自分が弁護団に所属しております「結婚の自由をすべての人に」訴訟(所謂同性婚訴訟)の現況を報告させて頂きました。
 本訴訟の全国での進行状況の簡単な御報告ですが、新型コロナウィルスの影響で期日が取り消しになったりしていますが、弁護団は各地で奮闘し、訴訟の進行が速い札幌訴訟では二〇二一年三月一七日午前一一時に地裁判決が出ることとなりました。
 何かの機会に本訴訟の詳細な御報告もさせて頂ければと思います。

第二 団総会に参加しての感想

 自分は、今回が初めての団総会への参加になりました。
 残念ながら、新型コロナウィルス感染防止の為、全国から沢山の先生方が一堂に会したり、懇親会で各地のご様子を伺うといったことまでは叶いませんでしたが、総会の議案書を拝見し、また当日の各地の先生方からの報告や議論を伺って、団の活動が平和運動から個人情報の取り扱いまで幅広い分野にわたっていることを改めて認識できたのは良い経験になりました。
 自分の関心分野の一つである少年事件に関しても、現行の少年法による処遇等が機能しているにもかかわらず適用年齢の引き下げや原則逆送範囲の拡大、推知報道の解禁を内容とする少年法の改正には非常に危機を覚えておりますので、本総会において「少年法の適用年齢引き下げと原則逆送範囲の拡大、推知報道の解禁に反対する決議(案)」が可決されたことを大変心強く思っております。
 今後、各地で同性婚の早期法制化を求める声明等を発出させて頂くことがある際にも、各地の団員の皆様の忌憚のない御意見と御協力を頂けますよう、よろしくお願いいたします。
 それでは、今後ともよろしくお願い致します。

 

大阪都構想住民投票、その勝因・教訓と投票のあり方に関する課題(上)  大阪支部 西   晃

一 僅差での歴史的勝利再び
 五年前に続き今回も午後八時、最後の一人が投票を終えるまで門前で「反対」を訴えた。二〇二〇年一一月一日、午後一〇時四〇分頃、NHKはじめ各報道機関が一斉に「都構想住民投票再び否決確実!」と報じた。既に開票率は九〇%を超えており、まだ賛成票が少しリードしている状況下での反対勝利の一報。半信半疑というのが正直なところであった。しかし程なくして、松井大阪市長、吉村大阪府知事のTVでの敗北会見が始まり、ようやく勝利を実感した。
 住民投票の結果を前回と比較する。
(今回 二〇二〇年一一月一日)
投票率 六二・三五%(投票総数一三七万五一三一人)
    ※無効票六四八八票
賛成 四九・三七%(六七万五八二九票)
反対 五〇・六三%(六九万二九九六票) 差 一万七一六七票
(前回 二〇一五年五月一七日)
投票率 六六、八三%(投票総数一四〇万六〇八四人)
    ※無効票五六五五票
賛成 四九・六二%(六九万四八四四票)
反対 五〇・三八%(七〇万五五八五票) 差 一万〇七四一票
 今回のおよそ一七〇〇〇票余りの票差を大阪市内全投票所(三六五カ所)で割ると約四六票。今回もまた一三七万人強が投票した中で、一投票所あたり二〇数名が投票先を変更するだけで結論の変わる僅差の勝利であった。

二 再び勝利・・・その決定的要因となったもの
(1)「大阪市廃止」・・元に戻せないことを明確に打ち出せたこと。
 まず第一に、「投票の焦点(争点)をクリアーにする」ことに成功したことである。これは初動の運動の組み立てにおいて決定的な要因になる。投票用紙にも、その説明文書にも、明確に、「大阪市を廃止し、特別区を設置すること」を問う住民投票である旨が記載された。今回の住民投票の根拠法となる大都市法の規定からは当然の記載ではあるが、前回二〇一五年の住民投票では「大阪市における特別区設置についての住民投票」という記載になっており、大阪市廃止という点が不明瞭のままになっていた。市民の側からの粘り強い要求運動の成果であるが、今回大阪維新の松井市長は、最後の最後までこの「大阪市を廃止する」という表現に抵抗した。松井市長は繰り返し「大阪市廃止ではなく『大阪市役所廃止』という文言ではダメなのか」と選管に食い下がったという。政令市大阪市が廃止され、なくなることに対する大阪市民の警戒感・抵抗感は極めて強いものがあった。こればかりは大阪維新の会もどうすることもできず、何とか市民の意識をそちらに向けさせないようにするしかなかった。維新の宣伝の中には、堂々と「大阪市はなくなりません。『大阪市がなくなるという』デマに注意してください」というデマを吹聴する者もいたくらい、この「大阪市廃止」の言葉はボディーブローのように相手陣営に確実に効いていたのである。
 我々は徹底的にこの「大阪市廃止」「二度と元に戻せません」の点を宣伝した。大阪市選管も市役所本庁、区役所、出張所で「大阪市廃止・・・を問う住民投票」との横断幕を掲げた。そして(五台の広報車両で)市内のあらゆる場所を頻繁に回り、投票の呼びかけをしたが、その都度毎回「一一月一日は、大阪市廃止・特別区設置の住民投票日です・・・必ず投票しましょう」と拡声マイクで繰り返した。このようにして賛成多数になれば政令市である大阪市がなくなる、との大阪市民の共通認識はかなりの程度高まっていった。
(2)草の根・路地裏での丁寧な対話戦略、党派・垣根を超えた
 市民共闘の確立
 今回の勝利を決定的にしたもの、それは徹底した路地裏対話戦略であると言ってよい。各団体・地域、新婦人・母連・医療関係・福祉関係者の方々、そして近隣府県からの大部隊の応援も含め、一人一人の市民が主人公になっての対話である。決して上から目線ではなく、子どもを抱きかかえながら、大阪の将来、医療・教育・介護の在り方を一緒に語るという姿があちこちの路地で見受けられた。コロナ禍の中、なかなかじっくりと話し込むということに関しても相当の困難がつきまとった。
 それでも私たちの日常の暮らしがどうなるのか、医療・年金・子どもが育つ環境はこれからどうなるのか?知りたい、聞きたいという切実な市民要求は日増しに高まっていった。
 自治体として住民投票にあたって本来は公平・中立であるべきである。しかし維新が主導権を握る大阪市では、明らかに賛成に誘導する広報資料(パンフ・動画等)を作成し、コロナ禍の中開催された僅か八回の住民説明会においても、メリット・デメリットを丁寧に説明するという姿勢はなかった。前回二〇一五年の説明会ではかろうじてなされた、賛成・反対双方の立場からの資料配布もなく、一方的に推進側の主張に即した説明がなされる場面が目立った。
 また大阪維新の会の側も、維新作成資料であるにもかかわらず、内容に関する問い合わせ先を府・市の副首都推進局にしていたものもあった。このように大阪市の職員を自らの手足のように使うという私物化の姿勢が極めて顕著であった。
 そのことが逆に市民の不安感・不信感を増すこととなった。「本当に維新の言う通りなのか?住民サービス低下はないのか?」「政令市の権限がなくなり財源もなくなり調整交付金が頼りの政策で本当に大丈夫なのか」「コロナ禍での経済失速は今回の協定書にどこまで反映・考慮されているのか」・・・等々である。
 私たちが街頭で宣伝していると、渡したパンフを手にとりその場でじっと読み込む人、パンフ受取ってからしばらくして戻り、「すみません、あと一五部くらい欲しいのですが」と言ってくる人、が本当に多かった。手を振り握手を求めてくる人・・・確かな感触に驚くことも度々であった。
 若い世代向けのツイッター・FACEBOOK等で拡散することのできる資料や動画も数多く作成された。各界の著名人による「反対表明」アピールも極めて効果的であり、バナー広告は驚くべき早さでSNS上拡散された。私が関与する大阪革新懇でもヤフーと提携してのインターネットでの広告に力を入れた。
 もちろん財力に勝る大阪維新は今回TVのCM、有料動画配信でのCMにも力を入れ若年層の支持を得ようとした。終盤(地上波)TVでのCMには度々維新の会の二人が出て来て「賛成に投票をお願いします」と呼び掛けていた(自民党の反対CMを直接見たのはたった一度だけだった)。これには一定の効果があったものと思われるが、それ以上に大阪市廃止反対の草根の根の丁寧な路地裏での対話、党派を超えた事実に基づくファクト重視の対話・説明が勝った。
 最後は「事実を知れば知るほど慎重に」「じっくり話せば話すほど反対に」となり、今回賛成に回った公明党支持層も含め慎重・反対が増えていった。二か月前には十数ポイント差のあった賛否の差が、一月前には一桁になり、告示後は急激に賛成を追い上げ、一週間前に三~四ポイント差まで追いつき、最後の最後で一気に賛成を抜き去り大逆転となったのである。
 今回の運動、僅かの期間に、一大阪市のあり方を超えて、この国の民主主義・地方自治を守りぬく市民の歴史的闘争に発展していたのである。(続)

 

関弁連賞を受賞
~東京弁護士会人種差別撤廃モデル条例案に取り組んだ憲法・外国人・人権の三委員会
                                  東京支部 金   竜 介

 東京弁護士会の憲法問題対策センター(以下「憲法委」)、外国人の権利に関する委員会(以下「外国人委」)、人権擁護委員会(以下「人権委」)が共同で、二〇二〇年度の「関東弁護士会連合会賞」を受賞しました。
 「ヘイトスピーチの防止と表現の自由の保障を両立させる取り組みとして『人種差別撤廃モデル条例案』を制定され多数の地方公共団体の条例制定に大いなる貢献をした」というのが受賞の理由です。外国人の権利に関する委員会の人種差別撤廃プロジェクトチームの座長としてこのモデル条例案づくりに携わった者として、関東弁護士会連合会に高く評価してもらったことを大変に嬉しく思います。
 このモデル条例案は、人種などを理由とする差別の撤廃を実現することを目的とし、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律(ヘイトスピーチ解消法)を実効あるものにするためのものです。
①特定の者に対する差別的取扱い、②特定の者に対する差別的言動、③不特定の者に対する差別的言動(攻撃型)、④不特定の者に対する不当な差別的言動(情報適示型)を差別と規定して禁止し、違反した行為者に対しては、段階的に措置、警告、命令、過料の制裁を科すことができる規定としました。自治体の長による濫用を防ぐため、人種差別の撤廃の知識を有する専門家からなる第三者機関(審議会)による差別的行為か否かについての審査を受けることとしています(条例案の詳細は、東京弁護士会のホームページを見てください)。
 このモデル条例案の原案を作成した東京弁護士会の上記三委員会の共同作業では、積極意見と消極意見が対立し、ときに緊張感のある議論が積み重ねられていきました。それでも条例案づくりが成功したのは、東京弁護士会では、「地方公共団体に対して人種差別を目的とする公共施設の利用許可申請に対する適切な措置を講ずることを求める意見書」(二〇一五年九月八日)を作る際の共同作業の経験があったからです。当初の意見の違いを乗り越えて憲法委と外国人委が原案を作成したこの意見書は、人種差別を目的とする公共施設の利用に対して条件付き許可や利用不許可等の利用制限などの措置を講ずるべきというものでした。賛否両端の意見がありながらもマイノリティの人権を守るために必要な行動をすべきということで一致し、公共施設の利用制限を可とする内容となったのです。このときの経験が、人権委が加わった三委員会共同のモデル条例案づくりにも生かされることとなったのです。
 二〇一五年意見書を公表した当時は東京弁護士会がかなり思い切った提言をしたとの評価を受けましたが、二〇二〇年には、日弁連が公の施設の利用制限を含めた「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律の適正な運用を求める意見書」を公表するに至り、今日では東京弁護士会の意見書は突出したものではなく多くの法律家のスタンダードな見解となりました。
 モデル条例案を公表後、自治体の長や職員、地方議会の議員に積極的に働きかけた結果、東京弁護士会の案が複数の自治体の条例制定に活かされることとなりました(※1)。東京弁護士会のシンポジウムや学習会に熱心に足を運んでくれた狛江市の市議会議員は、「当市ではまだ賛成する議員が少ない」と遠慮がちに言っていましたが、粘り強い活動を続け、二〇二〇年の条例制定を実現するに至りました(※2)。
 条例制定を検討しているある自治体の職員と意見交換をした際に「参考としているのは、国立市、川崎市、東京都の条例、それに東京弁護士会のモデル条例案です」と言われました。現行の条例と同じくらいの重みで弁護士会の意見書を実定法づくりの参考にしてもらえているということは非常に大きな励みです。弁護士会の意見が単なる提言に留まらずに行政や議会で現実に生かされるということに大変なやりがいを感じます。
 モデル条例案づくりには多大な労力と時間を必要としましたが、やっていても疲労感はありませんでした。この分野のトップレベルの法律家たちと議論することは非常に楽しかったし、その成果が現実の社会に反映されたという喜びもあったからです。
 日弁連や弁護士会は、強制加入団体であることからの制約もあります。自由法曹団は、そのような限界のない団体であり、市民の人権を守るためのあらゆる行動を躊躇なく行える弁護士集団です。「ヘイトスピーチの根絶に向けてたたかうことを誓う決議」(二〇一六年 札幌・定山渓五月研究討論集会)以降、人種等を理由とする差別のない社会を実現するための取り組みを行っている自由法曹団が〈反差別〉の活動をより一層進めることの重要性は今後ますます大きくなります。
※1 国立市人権を尊重し多様性を認め合う平和なまちづくり基本  条例、川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例
※2 人権を尊重しみんなが生きやすい狛江をつくる基本条例

 

コロナの夏に憲法を考える-「主権」と「自治」  東京支部 後 藤 富 士 子

 「主権」というとき、その主体が誰かによって「国家主権」と「国民(人民)主権」に区分される。
 日本は、第二次世界大戦で負けるまで、他国を武力侵略して植民地化した経験はあっても、他国によって自国が植民地化されることはなかった。敗戦によっても他国の植民地になることはなかったが、沖縄問題や日米安保体制・地位協定にはっきり刻印されているように、「独立国家」は見せかけにすぎない。
 一方、「国民主権」についていえば、戦前は絶対主義的天皇制であり、「主権在民」を叫べば「国体の変革を企てる」という理由で、治安維持法により殺人的な弾圧を受けた。「主権在民」は日本国憲法によって初めてもたらされたのである。
 しかし、日本国憲法には、条文として「国民主権」を定めたものが見当たらない。前文第一段落第一文に「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と謳われている。そして、第一章は「天皇」であり、第一条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と定められている。
 ちなみに、韓国の憲法第一条は、「大韓民国は民主共和国である」「主権は国民にあり、すべての権力は、国民から発する」と規定している(孫引きです)。
 アメリカ独立宣言は一七七六年、フランス革命は一七八九年である。それに比べると、日本国民が主権者になったのはたかだか七四年の歴史である。しかも、日本国憲法がGHQに与えられた「棚からぼた餅」だったとすれば、主権者意識の脆弱性は無理もない。日本の「独立」が見せかけにすぎないのも、そのためである。すなわち、「国家」というのは存在するにしても、「国家主権」の在り様は、結局のところ、主権者である国民一人一人にかかっているというほかない。

 「自治」という言葉も、日本国憲法第八章「地方自治」に初めて登場する。戦前は中央集権的官僚国家であったから、内務省の官僚が知事に任命されて、中央政府の統制を貫徹させていたのである。
 ところで、ここでも「自治」というとき、その主体が誰かによって「団体自治」と「住民自治」に区分される。そして、「国家主権」と「国民(人民)主権」の関係と同じように、「団体自治」の在り様は、結局のところ、「住民による自治」にかかっている。「地方自治」が「民主主義の学校」と喩えられるのもそのためである。しかし、GHQの民主化政策によって「棚からぼた餅」のように降ってわいた「地方自治」から、日本国民は、どれだけ「民主主義」を学んだのか、心もとない。

 香港の「一国二制度」が揺れている。香港は、一九九七年に中国に返還されて特別行政区となり、香港基本法で「高度の自治」が規定されている。立法会(香港の議会)選挙は一九九八年に初めて実施され、今年九月に七回目の選挙が予定されていた。
 昨年一一月の区議選で民主派は八五%以上の議席を得て圧勝し、今回の立法会選挙でも「政府の妨害がなければ、民主派は過半数を取る可能性が高い」と期待されていた。さらに、今年七月一一日、一二日に実施された民主派の「予備選」(共倒れ防止のために候補者を絞る)では、目標とした一七万人を大幅に超過した六一万人が投票した。それは、ごり押しされた国家安全維持法(国安法)への市民の抗議の意思であった。一方、国安法六条は「踏み絵」条項で、選挙の候補者は署名か宣誓によって「香港基本法を擁護し、香港特別行政区に忠誠を尽くす」と示す必要があり、ここで立候補が閉ざされる可能性もあった。
 ところで、香港政府が提出する予算案や重要法案は三分の二で可決されるので、民主派が三分の一を超える多数になれば否決できる。そして、香港基本法五二条では、否決後に行政長官が立法会を解散し、再選出された立法会が再度否決すれば、行政長官は辞任することになっている。そうなれば、民主派が史上初めて合法的に政権を倒すことができる。このような状況の中で、政府は、民主派の伸長を恐れて、新型コロナウイルス感染拡大防止を口実に、立法会選挙を一年延期する暴挙に出た。
 香港の事態は困難を極めているが、「自治」と「自由」について改めて考えさせられる。それは、表裏一体のものである。自由は自治なくして得られない。しかし、人々の自由がなければ、自治も成り立たないのである。

 「民主主義」は制度である。しかし、それを支えるのは「生きている人々」である。
 自民党は「民主的に」行われた国政選挙で繰り返し多数派を占め続け、安倍晋三首相自身も三度にわたって自民党総裁選で「民主的に」選出されて総理大臣の職にある。政権が国会に提出したさまざまな法案は、共謀罪も、特定秘密保護法も、安全保障関連法案も、すべて「民主的に」国会で採択された。かように、制度としての民主主義は今日も元気に生きている。
 しかし、「民主主義の心」が死に始めた、と内田樹さんは言う。「民主主義の心」とは、国民の側の「民主主義を生き続けさせるための努力」であり、制度は生きているが、その制度を賦活させ、生かすための力は枯渇している、というのだ。ここでも、最後は「人」の問題が出てくる。換言すれば、民主主義政体は、自分の頭でものを考えることのできる成熟した市民を一定数確保できなければ、独裁制に退行するのである。
 日本国憲法に定められた、人権保障を含む「制度」は素晴らしい。しかし、主権者である国民が、これに倚りかかり消費者として振舞う限り、日本国憲法も死んでいくのではなかろうか。
【参考資料】
 第三項  しんぶん赤旗日曜版 二〇二〇年八月二日号
 第四項  週刊金曜日八月七日・一四日合併号
 内田樹「凱風快晴ときどき曇り」『枯渇する民主主義の心』(二〇二〇年八月一五日)

 

東アジアにおける平和の創出と非核化の推進のために  埼玉支部 大 久 保 賢 一

 市民連合と立憲野党の一三項目の共通政策の第五項は、「東アジアにおける平和の創出と非核化の推進のために努力し、日朝平壌宣言に基づき北朝鮮との国交正常化、拉致問題解決、核・ミサイル開発阻止に向けた対話を再開すること」とされている。
 本稿では、政府の東アジア情勢認識、とりわけ北朝鮮の核問題についての認識を紹介し、その問題点を指摘して、この共通政策の充実に寄与したいと思う。

政府の東アジア情勢観
 
 外交青書は、東アジアの安全保障環境は大変厳しい状況にあるとしている。その理由として、北朝鮮による核・ミサイル開発と中国の透明性を欠いた軍事力の強化や一方的な現状変更の試みをあげている。防衛白書は、わが国はこれまでに直面したことのない安全保障環境の現実の中にあるという。その原因として、北朝鮮による度重なる弾道ミサイル発射、中国による一方的な現状変更の試みの執拗な継続をあげている。外務・防衛当局は、東アジアの安全保障環境は、わが国がこれまで直面したことのない厳しいものがあり、その要因は北朝鮮と中国にあるとしているのである。
 ただし、北朝鮮と中国の危険性の程度は違うようである。例えば、外交青書は「中国の平和的な発展は、日本としても、国際社会全体としても歓迎すべきことである」などと外交辞令を記述しているが、防衛白書は、北朝鮮は「わが国の安全に対する重大かつ差し迫った脅威であり、地域及び国際社会の平和と安全を著しく損うもの」と口を極めて厳しく評価している。
 要するに、政府は、北朝鮮が東アジアの安全保障環境を厳しくしている最大の要因としているのである。そして、その背景には北朝鮮の核とミサイルがある。だとすれば、北朝鮮の核とミサイル問題が解決すれば、東アジアの安全保障環境は相当改善されることになる。私たちも、北朝鮮の核とミサイル問題に注目しなければならない。

政府の北朝鮮の核とミサイルへの対応

 政府はこの危機に対してどのように対処しようというのであろうか。
 外交青書は、日本は、二〇〇二年九月の日朝平壌宣言に基づき、拉致、核、ミサイルといった諸懸案を包括的に解決し、不幸な過去を清算して、日朝国交正常化を図ることを基本方針として、様々な取組を進めている。引き続き、米国や韓国と緊密に連携し、中国やロシアを始めとする国際社会と協力していく、としている。
 ところが、拉致問題は解決していないし、核実験は停止されているけれど、ミサイル発射は継続している。政府のこれまでの対応が何の成果もあげていないのである。その大きな原因は、北朝鮮と継続的な協議が行われていないことにある。外交は交渉事であるにもかかわらず、その恒常的なルートがないのだから成果がないのは当然であろう。米国、中国、韓国、ロシアの政治指導者は金正恩氏と直接対話をしている。東アジアにかかわる国家の政治指導者のうち日本の首相だけが「蚊帳の外」だったのである。安倍前首相は、「地球儀を俯瞰する外交」というけれど、近隣である朝鮮半島には本腰を入れていなかったのである。
 このような状況にもかかわらず、外交青書は、国際社会との協力をいうけれど、日本政府が独自に何をするかについての具体的提起はしていない。そして、北朝鮮との国交の樹立は提案されていないのである。そういう中で、共通政策の北朝鮮との「国交正常化」は重要な提案である。

 防衛白書は、防衛の目標として次の三点をいう。第一、平素から、わが国が持てる力を総合して、わが国にとって望ましい安全保障環境を創出する。第二、わが国に侵害を加えることは容易ならざることであると相手に認識させ、脅威が及ぶことを抑止する。第三、万が一、わが国に脅威が及ぶ場合には、確実に脅威に対処し、かつ、被害を最小化する。この第一では、防衛の目的は「望ましい安全保障環境の創設」とされ、第二、第三では「抑止力」の確保が示されている。第二は、報復に基づく抑止といわれるもの、第三は損害限定に基づく抑止といわれるものである。いずれも、恐怖に基づいて均衡を保とうという考えであり、その均衡が破綻した場合には、お互いが間違いなく破壊されることを容認する議論である。相互確証破壊(MAD)といわれている。

 そして、防衛白書は核については次のようにいう。「核兵器の脅威に対しては、核抑止力を中心とする米国の拡大抑止が不可欠であり、わが国は米国と緊密に協力していくとともに、わが国自身による対処のための取組を強化する。同時に、核軍縮・不拡散のための取組に積極的・能動的な役割を果たしていく」。ここでは、米国の「核の傘」に依存することと、わが国もその取り組みを強化することが語られ、核軍縮や不拡散が取って付けられている。核兵器に依存してわが国を防衛するとしながら、核軍縮を語る矛盾に無頓着なままである。こういうモノの言い方は「積極的平和主義」だとか、憲法の下で「専守防衛」に徹するとか、「非核三原則」を遵守するなどという文言にも通底する「大本営用語」(「官邸用語」、「安倍用語」)のような言葉のまやかしに思われてならない。
北朝鮮はなぜ核にこだわるのか
 ところで、北朝鮮の核兵器をなくしたいと考えるなら、その保有の動機を知らなければならない。その動機を解消しない限り、核兵器依存は解消されないからである。この問に対する防衛白書の答えは次のとおりである。
 北朝鮮による核開発の目的については、北朝鮮の究極的な目標は体制の維持であると指摘されていること、北朝鮮は米国の核の脅威に対抗する独自の核抑止力が必要と考えており、かつ、北朝鮮が米国及び韓国に対する通常戦力における劣勢を覆すことは少なくとも短期的には極めて難しい状況にあること、北朝鮮がイラクやリビアでの体制崩壊や二〇一七年四月の米軍によるシリア攻撃は核抑止力を保有しなかったために引き起こされた事態であると主張していること、そして核兵器は交渉における取引の対象ではないと繰り返し主張してきたことなどを踏まえれば、北朝鮮は体制を維持するうえでの不可欠な抑止力として核兵器開発を推進しているとみられる。
 防衛省は、米国の見解、北朝鮮の見解を踏まえてこのように結論しているのである。私も、この結論に同意する。北朝鮮は、自国の「体制の維持」、すなわち、国の独立と安全、国民の生命と財産の確保のために、核兵器を開発、保有し、使用するとの威嚇をしているのである。ここで確認されなければならないことは、北朝鮮の核兵器保有の動機は、「体制の維持」すなわち「望ましい安全保障環境の創出」のためであることを、防衛省も認識しているということである。防衛省は、北朝鮮が、核抑止論に基づく政策展開をしていることを理解しているのである。
 にもかかわらず、北朝鮮の核やミサイルを敵視するということは、自国は核兵器やミサイルに依存するけれど、北朝鮮にはそれを認めないという身勝手な論理を展開することを意味している。この態度は外務省も同様である。外交青書は、北朝鮮は、全ての大量破壊兵器及びあらゆる射程の弾道ミサイルの完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法での廃棄を依然として行っていない、としている。北朝鮮に、抑止力を放棄しろとしているのである。北朝鮮からすれば、日本政府は、無理無体を言いたてる「虎の威を借りる狐」と映っているであろう。
 防衛省や外務省の北朝鮮政策は、自国は米国の核兵器に依存するけれど、お前が持つことは認めない、まずは、それらを不可逆的に放棄しなければ相手にしないというものである。このような姿勢は、対等平等な国家間で通用する論理ではない。このような態度でいるかぎり、国交の樹立などは望むべくもないであろう。
そして、東アジアの緊張は継続するし、核兵器の使用による「壊滅的人道上の結末」が引き起こされる危険性は消えないことになる。日本政府の政策が転換されない限り、「終末時計」の針は後戻りしないであろう。 
 ではどうするかである。まずは、北朝鮮を国家として承認することである。国家とは、領土と人民と政府が存在することだとすれば、北朝鮮は国家なのである。現に、国家として国連に加盟している。「金王朝」が好きか嫌いかにこだわるのではなく、国家同士の関係を打ち立てなければ何も始まらないであろう。国交樹立が求められている。
 そして、次は、わが国も核兵器に依存することを止めることである。
核に依存する安全保障政策と決別すること
 東アジア、朝鮮半島、日本で核兵器が使用されれば、その使用したのがどこの国か、また故意か事故かにかかわらず、多くの死傷者が出ることは間違いない。一九六八年一月の日米安全保障高級事務レベル協議(SSC)で、米国側は、中国の核戦力増強を予測し、日本の防空体制がそのままなら、中国の核攻撃で一八〇〇万人が即死するので、弾道弾迎撃ミサイル(ABM)の導入を奨めたという(『朝日』八月三日付)。いつの時代も米国はえげつない商売をするものだとあきれるけれど、それはともかくとして、惨劇が起きることは間違いないであろう。 
 被爆の実相は、被爆者たちの証言などから明らかである。核兵器禁止条約は「容認しがたい苦痛と被害」としている。核兵器の使用は「壊滅的な人道上の結末」をもたらす。それを避けるためには、核兵器をなくすことだというのが核兵器禁止条約の価値と論理である。この条約は、現在、四四カ国が批准しているので、あと六カ国が批准書を寄託すると、その九〇日後に発効することになる。被爆者をはじめ、世界の反核平和NGOは、一日も早い発効を望んでいるけれど、日本政府を含む核兵器依存国は、この条約に反対している。
 この条約は、戦争一般を禁止するものでも、非核兵器の保有や使用を禁止るものでもない。そういう意味では、戦争の放棄、軍備の不保持、交戦権の否認を規定する日本国憲法とは違い、核兵器の禁止だけなのである。非軍事平和主義というよりも、非核三原則にかかわることなのである。にもかかわらず、日本政府は反対なのである。
 その理由は、米国の核兵器によって、わが国の安全保障環境を確保するという拡大核抑止政策に依存しているからである。核抑止政策というのは、核兵器を威嚇力として使用することにより、相手国の行動を制約しようとするものである。核抑止論者は、核兵器といえども国家の政策遂行の道具であるから、国際政治の中から核兵器だけを取り出して議論することは何の意味もないとしている。そして、核兵器は「長い平和」をもたらしている「秩序の兵器」だというのである。核兵器国や日本政府は、この「理論」を信奉しているのである。
 核兵器は人類と共存できない「悪魔の兵器」と考える人々と、核兵器は平和をもたらす「秩序の兵器」と考える人々が和解することはできないであろう。日本政府は、後者のグループなのである。
 日本政府は、核廃絶という目標は皆さんと一緒である、被爆の実相を世界に広げることは大事である、被爆者の方や高校生の活動を支援している、核兵器廃絶の現実的な方法を考えるために「賢人会議」を開催している、核兵器国と非核兵器国の「架け橋」になるなどと言っている。けれども、その本音は、核兵器をなくすことができるのは、わが国の安全保障環境が整ったらというのである。そして、最も危険な存在としている北朝鮮とは国交を樹立しようともせず、先行武装解除を求め、米国の核兵器で抑止しようとしているのである。これでは、いつまでたっても安全保障環境は整わないし、「核兵器のない世界」は実現しないであろう。

まとめ
 核廃絶を求めるというのであれば、核兵器に依存しない安全保障政策の確立を検討すべきである。核兵器に依存しながら核兵器廃絶をいうのは偽善である。核抑止論あるいは拡大核抑止論に依拠することも同様である。
 核兵器で脅かしても、北朝鮮が米国のいうとおりにならなかったことは、この間の歴史が証明している。そもそも、脅迫すれば、相手は思い通りになるという発想を止めるべきである。世界史は自由と独立を求める運動と革命の歴史でもある。
 恐怖の均衡の上の「平和」や「安全保障」ではなく、対話を基礎とし、相互の信頼を醸成する中での「平和」と「安全保障」が築かれるべきであろう。
 市民連合と立憲野党には、核兵器に依存しない安全保障政策を掲げて欲しい。具体的には、非核三原則の法制化、北東アジア非核地帯の形成、核兵器禁止条約の署名・批准などである。 
 日本弁護士連合会は、これらの提言をしていることも付記しておく。(二〇二〇年八月六日・広島への原爆投下の日に)

 

 

 

 

 

 

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