第1726号 / 12 / 21

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●「核時代」の終わりの始まりへ ~核兵器禁止条約の発効を目前に控えて  小賀坂   徹

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*広島支部特集
○「黒い雨」訴訟・広島地裁判決と今後の展望  竹森 雅泰

○広島山陽高校雇止事件-雇止理由の追加を原則否定した裁判例  井上 明彦

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●金団員の書評(団通信・1723号)についての意見  小林 徹也

●金さんからの書評(団通信1723号)へのリプライ  杉島 幸生

●「統一修習」を「法科大学院」に置き換える―「司法試験」「判事補」の再定義  後藤 富士子

●惜別の辞  川人  博

 


 

「核時代」の終わりの始まりへ
   ~核兵器禁止条約の発効を目前に控えて  幹事長  小 賀 坂    徹

 一九四五年八月、人類史上初めて広島と長崎に原子爆弾が投下されて以降、世界は「核時代」に突入した。
 現在もピーク時からは減少したとはいえ、未だ全世界を滅亡させるほどの核兵器が現実世界に存在している。このことはすべての思考の前提におかれなければならない。憲法九条の議論に際しても、敵基地攻撃能力の議論に際しても、日米安保体制の議論に際しても、およそすべての議論においてだ。こうした前提に立つと軍事力による安全保障の議論そのものが、およそ無意味に感じてしまうのはナイーブすぎるだろうか。
 そんな現実世界の中で、文字通り一筋の光明というべきものが核兵器禁止条約である。その核兵器禁止条約は来年一月二二日に発効する。そう、もう目前に迫っているのだ。
 かつて私は東京南部法律事務所の安原団員にそそのかされて、いやお誘いいただいて、神奈川の原爆症認定申請却下処分取消訴訟の弁護団結成に関わり、その事務局長となった。私が広島、長崎の原爆被爆者の方々と密接なかかわりをもったのはこの時が初めてである。それまで私の思い描いていた被爆者像は「語り部」として活動されているような、自らの被爆体験を世の中に広く知らしめ、核廃絶を熱心に訴える人々というものだった。しかし、原爆症訴訟の原告たちは、ほとんどがその真逆、つまり自分の被爆体験を語ることに極めて消極的だった。消極的というより語りたがらないという方が正確で、「語り部」のような能弁さはひとかけらもなかった。そんな中、被爆者運動を担っている人々に支えられ、背中を押されながら何とかぽつぽつと自分の体験を話し始める、ほとんどの原告がそんな感じだった。自ら裁判に立ち上がったはずの原告たちのこうした姿に最初は戸惑ったが、すぐにその理由が分かった。多くの被爆者にとって、自らの被爆体験はできれば二度と思い出したくないものであり、記憶に蓋をしてしまいたくなるほど壮絶で、過酷で、苛烈なものだからだ。それと共に、自分が被爆者であることを公にすることで自分の家族、子や孫に何かよからぬ影響が及ばないかということを心配していたからだ。
 しかし、私たち弁護団としては原告の疾病が原爆放射線に起因することを立証するため、原告の重い口を開かせ、それこそ微に入り細に入り、その時の出来事を聞きとらなければならない。原告の思いが分かっているが故に、これはかなり気の重い作業でもあった。実際、私たちの聞き取りを終えた後に、具合が悪くなって寝込んでしまう原告もいたほどだ。
 それでも被爆者たちは国を相手とする困難な裁判に立ち上がった。もちろんそれは国からの補償を受けるためであるが、それ以上に自分の体に起きた異変をさらけ出すことによって、原爆放射線の健康被害を明らかにし、二度とこのような被害を繰り返してはならないことを訴えるためだった。未来へ希望を託すための、とても崇高で高貴なふるまいに思えた。
 対話は聞き手がいて初めて成立する。それは聞き手によって対話の内容がいくらでも変わり得ることを意味している。苦悩や苦痛を乗り越えて本当は思い出したくもない体験を語る原告を目の前にして、果たして自分はどのような聞き手でいられているのか、いつも問われている気がしていた。よき聞き手でいるためには、自分がそこから何を学びどんな行動をしなければならないのか、それを自分自身にも問いかけていた。
 核兵器禁止条約の発効に対して、多くの被爆者から歓迎の声があげられている。まずはこの地点にたどり着いたことについて、少しばかり被爆者と触れ合った私も、彼らと一緒に快哉を叫びたいと思う。もちろん核廃絶の道は未だ険しいけれど、最初に述べた通りこれが「一筋の光明」であることは間違いない。そして、私たちに求められているのはこの「一筋の光明」を抗うことのできない「大河」にしていくことだ。高齢の被爆者からそのバトンを受けとり、私たちがその使命を担うことだ。
 被爆国日本の政府は、核兵器禁止条約に背を向け、それに反対するという信じがたい態度をとり続けている。こんな恥知らずな振る舞いをどうして座してみていることができようか。国際法上違法な兵器の傘の下で守られているという実に奇妙なロジックに対し、明確なオルタナティブを示す責任が私たち法律家にはある。団の英知を結集すべき時だ。
 今こそ、苦難を乗り越えて様々なことを語り、託してくれた被爆者の思いに応えたいと強く強く思う。自分自身がよき聞き手であったことを彼らに示したいと思う。
 「世界は変えることができる」、このことを証明する責任が私たちにはある。

 

 

*広島支部特集
「黒い雨」訴訟・広島地裁判決と今後の展望  広島支部  竹 森 雅 泰

一 「黒い雨」訴訟とは
 「黒い雨」訴訟は、原爆投下直後に降った放射性物質を含む、いわゆる「黒い雨」によって被爆した原告らが、被爆者健康手帳等の交付を求める裁判である。
 国は、一九四五年に広島管区気象台(当時)の技師らが調査した結果をもとに、七六年、比較的強い雨が降ったとされる大雨地域を健康診断特例措置の対象区域に指定した。当該区域に居た者には、健康診断受診者証が交付され、健康診断の結果、原爆との関連が想定される疾病を発症した場合は、被爆者健康手帳が交付される。
 ところが、前記調査ではさらに広い地域(小雨地域)にも黒い雨が降ったとされている。また、広島市等は大規模なアンケート調査をもとに、大雨地域の六倍の範囲で黒い雨が降ったという調査結果をまとめ(大瀧雨域)、国に対して対象区域の拡大を求めてきた。 しかし、国は、放射性物質が降下し健康被害が発生した科学的根拠がないと拒否したので、対象区域外で黒い雨に遭った原告らは、やむを得ず、裁判に踏み切ることになった。

二 広島地裁判決の内容
(1)二〇二〇年七月二九日、広島地方裁判所民事第二部(高島義行裁判長)は、被告である市・県に対し、原告八四名全員について被爆者健康手帳の交付等を命じる判決を言い渡した。
(2)本判決は、被爆者援護法は原爆投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることに着目して、国家補償的配慮等に基づき被爆者援護のための諸制度を規定しており、原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった者を被爆者と認定すべきとした。
 そして、大雨地域を特例措置の対象区域とし、造血機能障害等の原爆との関連が想定される疾病を発症した者を被爆者と扱ってきたのは、黒い雨には放射性微粒子が含まれており、黒い雨を直接浴びる外部被曝に加え、黒い雨が混入した井戸水等を飲用し黒い雨が付着した物を食べるなどした内部被曝によって、健康被害が生じる可能性があることを当然の前提としてきたからであると判示した。
 その上で、黒い雨降雨域に関する研究結果によれば、より広範囲に黒い雨が降った事実を確実に認めることができるとし、大雨地域外の黒い雨被爆者についても、黒い雨に曝露し原爆との関連が想定される疾病に罹患していれば被爆者と認定できる判示した。
(3)本判決は、黒い雨被爆者を正面から被爆者として認定すると同時に、大雨地域のみを援護対象としてきた被爆者援護行政を断罪し転換を求める画期的な判決として大いに評価できるものといえる。

三 控訴に至る経緯
 本判決の翌日、原告団・弁護団は、市及び県を訪れ、控訴断念等を求める申入れを行った。市及び県は、申入れ直後に控訴断念の方針を固め、厚生労働省に対し、控訴断念を容認する政治決断を行なうよう強く申し入れた。
 しかし、厚生労働省は控訴の意思を改めず、控訴期限の八月一二日、三者連名で控訴した。また、厚生労働大臣は、記者会見を行い、本判決には、長崎被爆体験者訴訟における累次の最高裁判例と異なる見解が含まれていること、十分な科学的知見に基づいているとはいえない点があることを理由として、控訴審の判断を仰ぐことにしたと説明した。他方で、黒い雨地域拡大も視野に入れつつ、これまで蓄積されてきたデータの最大限の活用など最新の科学的技術を用いて検証を実施すると表明した。

四 控訴後の経緯と今後の展望
(1)以上の経緯で本訴訟は、広島高等裁判所第三部(西井和徒裁判長)に係属することになった。一五〇頁に及ぶ控訴理由書において、控訴人ら(国、広島市、広島県)は、被爆者認定には科学的な裏付けが必要であり、その事実については高度の蓋然性の証明が必要であるところ、現在の科学的知見によれば、そもそも黒い雨と放射性降下物は同視し得ない、健康被害を生じる可能性がある放射性降下物が降下したとはいえない、黒い雨の曝露による内部被曝による健康影響を考慮する必要はないなどと主張し、併せて大量の証拠を提出した。
 しかし、二〇二〇年一一月一八日に開かれ控訴審の第一回期日において、西井裁判長は、本件は被爆者援護法一条三号の「身体に原子爆弾の放射能の影響を受ける『ような』事情の下にあった者」という曖昧な要件の該当性が問題となっている事案であること、すなわち「事実の有無」ではなく「可能性の有無」が問題となっている事案であることに留意されたいと述べ、さらに、このような観点から、控訴人らの控訴理由に関して求釈明をするとして、被爆者援護法の解釈等に関する九項目について釈明を求め、さらに次回二〇二一年二月一七日の期日で結審する可能性に言及した。
(2)被爆者援護法は、原爆放射線の身体に対する影響が未だ解明されていない状況下において、被爆者の不安を一掃し被爆者の健康障害を予防・軽減するべく、健康被害を生ずるおそれがあるために不安を抱く被爆者に対して広く健康診断等を実施することにしているのであり、健康診断を含む被爆者援護のスタートラインが「被爆者」認定である。西井裁判長の期日における前述の発言は、「被爆者」認定には、「原爆の放射線により健康被害を生じる可能性」が肯定されればよいと考えていることの証左であり、控訴人らの控訴理由は不当であると判断していると述べたに等しいものである。
 高齢かつ病気を抱えた原告らには残された時間は僅かしかない。控訴審においても、「黒い雨」被爆者を「被爆者」と認定し、被爆者健康手帳の交付を認めた原判決が維持されるよう、そして全ての「黒い雨」被爆者が救済されるよう、全力で闘い抜く決意である。

 

 

広島山陽高校雇止事件-雇止理由の追加を原則否定した裁判例  広島支部  井 上 明 彦

  広島高裁が労働基準法二二条を根拠に雇止理由の追加を原則否定した越智竜也先生(以下「原告」という。)の事件を報告する。なお、弁護団のメンバーは、私以外には、林健一郎弁護士(福岡)、池上忍弁護士(広島)である。

 原告は、二〇一一年四月から、広島の山陽高校(以下「高校」という。)で一年契約の常勤講師として勤務し始めた。その後、契約は三回更新され、合計四年間勤務した。一年目から毎年担任クラスを持ち、二年目の途中からは、野球部の監督を務めていた。毎日遅くまで残業し、平日だけでなく土日も野球部の監督として指導にあたっていた。
 ところが、高校は、二〇一五年一月、「二〇一五年三月末で雇止めにする」と一方的に通告してきた。

 高校は、原告が再三求めなければ、雇止理由を書面で明らかにしようとすらしなかった。ようやく高校が交付した「退職理由証明書」には授業に自習が多いなど一〇個の雇止理由が記載されていた。
 原告は、雇止理由には納得できず、地位確認と給与の支払いを求めて広島地裁に提訴した。

 ところが、高校は、裁判において、雇止理由を複数追加し、その中でも「退学生徒に返金するお金を着服した」という雇止理由が一番問題になった。
 詳しい説明は省略するが、この金銭問題の背景には、返金業務を多忙な担任教員に任せ、しかも、振込ではなく現金を手渡す方法しか認めていないことがあった。弁護団は、着服の事実を争うと共に、雇止理由の追加は公平の観点から認められないと反論した。

 しかし、広島地裁が二〇一八年一〇月三一日に言い渡した判決は、退職理由証明書記載の雇止理由はいずれも重大ではなく雇止めを有効とはしないとする一方で、着服を認定して雇止めは有効と判断した。
 原告は広島高裁に控訴をした。控訴審では着服を否定するため、新たな書証を提出し、証人を申請した。広島高裁は、証人を採用しない一方で、雇止理由の追加問題について、双方に主張の補充を促した。恥をさらすと、その時点で改めて調べたところ、二〇〇三(平成一五)年に労働基準法が改正され、解雇理由記載証明書の交付が義務付けられた結果、解雇理由の追加は認められないとする学説が多数あり、その考え方は雇止めでも同様であることが分かり、補充の準備書面を提出した。
 控訴審の弁論終結後の和解協議において、裁判官は「雇止理由の追加は認められず、金銭問題を考慮できないので、地位確認を認める」と明言した。その上で、裁判官は和解を促したが、協議は決裂し、判決を待つことになった。

 ところが、二〇一九年一一月一五日に予定されていた控訴審判決の数日前、裁判官から「心証が変わったので、再度和解を試みたい」との連絡があった。裁判官曰く「二〇一五年三月末の雇止め無効は変わらないが、一年契約であるから、二〇一六年三月末で再び雇止めが問題となり、その時点までに学校側が主張している金銭問題を考慮できるので、雇止めは有効になると心証を変更した」ということであった。
 再度の和解協議も不調に終わり、二〇二〇年二月二六日に言い渡された控訴審判決は、着服を認めた上で、二〇一六年三月末をもっての雇止めを有効と認め、二〇一五年四月から一年分の給与の支払いを認めた。
 上告するか否かは当然議論したが、結局、原告は上告せず、高校も上告しなかったので、控訴審判決が確定した。

 控訴審判決は、一審判決を変更したものの、着服を認めた点は、絶対に納得できるものではない。
 ただ、控訴審判決の「労働基準法二二条一項が解雇理由証明書の請求について規定したのは、解雇が労働者に大きな不利益を与えるものであることに鑑み、解雇理由を明示することによって不当解雇を抑制するとともに、労働者に当該解雇の効力を争うか否かの判断の便宜を与える趣旨に出たものと解されるから、解雇理由証明書に記載のなかった事由を使用者において解雇理由として主張することは、原則として許されないというべきである。そして、この理は、平成一五年厚労省告示が定める有期労働契約を更新しない場合の更新しない事由についても同様である」との判示は、今後の解雇事件・雇止事件において、労働者に大きな武器となるのは間違いない。
 なお、高校は「二〇一六年三月末をもって雇止めにする」という主張は行っていないので、弁論主義違反の疑いがある。ただ、弁護団は、控訴審判決後、当初の判決言渡日の八日前である二〇一九年一一月七日に出た最高裁判決(判例時報二四三五号一〇四頁)の存在を知った。上記判決は、使用者側が控訴審において初めて行った「労働契約の期間満了による終了」の主張が、時機に送れた攻撃防御方法であるとして却下されたことについて、使用者側が主張を行っていない第一審においても契約期間が満了した事実を斟酌する必要があったから、控訴審の判断には法令の違反があるとして、高裁に審理を差し戻している。広島高裁は、上記判例に言及していなかったが、心証を変えた原因は、上記最高裁判決を知ったからだったのではないかと思われる。

 

 

金団員の書評(団通信・一七二三号)についての意見  大阪支部  小 林 徹 也

一 はじめに―本稿の目的
 杉島団員の著書である「インターネット上に『部落差別』はあふれているのか―『部落差別解消推進法』を検証する」(以下、「本書」と言います)に対して金団員が一七二三号に投稿された「書評」について、「部落差別を解消する」という目的からすれば、適切でないと考えられる部分があることから、その点を指摘すべく意見を述べます。
 なお、以下では、便宜上、金団員の「書評」からの引用は『』で示します。

二 誰の心にもある「差別」の意識について
 「差別」という言葉は多義的ですが、特定の集団や、特定の属性に属する個人に対して、その属性を理由にして特別な扱いをする行為やそれを行おうとする心情、という一般的な定義を前提とするなら、そのような心情は多かれ少なかれ誰の心にもあると思います。
 例えば、金団員の文章の中に、『人種等を理由とする差別に詳しい複数の弁護士』という表現がありますが、本書の個々の表現や文章に対する具体的な指摘のみならず、あえて『人種等を理由とする差別に詳しい複数の弁護士』こそが差別問題に関する適切な判断が可能かのような表現(『詳しい実務家が書いた本ではないという点に注意して読む必要があります』など)自体、『人種等を理由とする差別』に詳しくない弁護士に対する「差別的表現」と捉える読者はいると思います。
 つまり多義的な「差別」的意識やそれに基づく行為は程度問題であって、それらの中の極端なものが、社会的、あるいは法的に規制されるべきものになるのだと思います。従って、広い意味で「差別」と呼ばれる行為や表現があっても、これに対する対応もその行為や表現との関係で極めて多様であり、これを十把一絡げに扱えないのは言うまでもないでしょう。
 また、そうであるならこのような「差別的心情」を有する人間がすべて「悪人」や「愚者」であり、そのような者はいかなる非難やペナルティを受けても構わないということになろうはずがありません。例えば、差別的表現を多用するトランプ大統領に投票した七一〇〇万人以上ものアメリカ人を愚者扱いするのは「差別をなくす」という目的との関連で言えば、分断をより煽るだけで到底現実的・合理的な対応ではありません。

三 多義的な「差別」を十把一絡げに論じていることの問題点
 「部落差別」は、僕が言うまでもなく、歴史的・社会的に重畳的な背景があり、さらには、「部落差別は相当程度解消された」と評価する見解もある以上、これを単純に他の要素に基づく「差別」と十把一絡げに論じることができないものです。 
 ところが、金団員は、この「部落差別」を扱った本書について『人種等』を理由とする差別に詳しい弁護士と作業を行うべきだった、として、この「部落差別」を『人種等』の差別と同様の問題かのように扱っておられます。
 抽象的なレベルで「差別」と表現できるからといって、その社会的背景・歴史的背景が全く異なるはずの「人種」のみならず「等」とつけてしまった点において、大きな過ちであると思います。まさか、部落出身であることが「人種」であるなどと考えておられるわけではないでしょう。

四 「差別」を解消するための方途も極めて多様であること
 このような大変乱暴な「差別」の概念を前提として、金団員は、本書について、『インターネット上の差別的表現に対する具体的な対抗策には全く触れられてはいません』とされておられますが、この表現も曲解であると思います。 
 金団員のこれ以降の文章から合理的に推測するに、おそらくは、『インターネット上の差別的表現』はすべて『深刻な被害を生み出している』のであり、それには法的に強力な規制しかないと考えておられるようです。しかし、冒頭で述べたように、「差別的心情」の萌芽は誰の心にもあるものであり、決して「極悪非道」の人間のみがこれを有して行動に移しているわけではありません。もちろん、聞くに堪えない表現をしながら公道を練り歩く集団に対し、その行動を規制する必要はあるでしょうが、だからといって、ある表現がある人に不快感を与えれば、そのような表現がすべて法的に規制されるべきということにはなりません。
 近年、種々のインターネット上の表現により、自殺という最も『深刻な被害』が生じる事例がよく話題になりますが、だからといって、それらの投稿をすべて法的に規制すべきかどうかは、極めて難しい問題であることは僕が言うまでもありません。多様な「差別的言動」がある中で、どこまでが許され、どこからが法的に規制されるべきかについて、法律家のみならず『多くの市民』も腐心しているはずです。
 この点おいて、本書は、少なくとも「部落差別」と呼ばれる表現については「インターネット上に流失した情報をすべて回収することは物理的に不可能です。インターネット上に登場するそうした情報を探し続け、たたき続けたところで状況が変わるとも思えません」(九一頁)と極めて合理的・現実的な判断をしたうえで、「市民間の相互批判により解決していける」(九二頁)と一定の道筋を示しています(書籍にはもう少し詳しく書いていますが長くなるので割愛します)。もちろん、このような対処法に即効性はないでしょう。しかし、「差別」の種類によっては、このような手段こそが最も合理的でありうると思います。そして、「部落」を理由とする「差別」については、法的に「部落」を定義して固定化させてしまうより、上記のような方法論のほうが合理的であると考えることは決して的外れなものではないと思います。
 むしろ、金団員の書評のように「差別問題」を論じることの出来るのは、『法律家としての知識と経験』を持った『人種等を理由とする差別に詳しい』弁護士のみであるかのような筆致で、「詳しくない」弁護士には語る資格がないかのような表現自体、「差別をなくす」という目的との関連で言えば、合理性を欠くものと思います。極端に言えば、同和行政の中で運動団体が「足を踏まれた者の痛みは足を踏まれた者にしかわからない」といって部落問題に関する議論をタブー視させ萎縮させた方向性と軌を一にします。
 それよりも『法律家としての知識と経験』が不十分でも、かつ『人種等を理由とする差別』に詳しくない弁護士も、自由かつ積極的に発言しやすい雰囲気を作るほうが、よほど合理的でしょうし、そのような議論を通じてこそ『多くの市民の共感を得ること』も出来るでしょう。
 金団員の今回の投稿は、『人種等を理由とする差別』に詳しくない者を萎縮させ、「部落差別」に関する自由な討議を阻害することになり、少なくとも「部落差別」の解消にはマイナスであると思います(「人種等」を理由とした差別や、今回の投稿以外には言及していませんので念のため)。
 本書が危惧したのはまさにこのような状況であり、本書の「部落差別解消のためには部落差別をタブー視してはならない」という最も大事なメッセージを金団員の投稿は見落としていると思います。『人種等を理由とする差別に詳し』くない弁護士や一般市民の心にも住みついているであろう、「差別」の萌芽に目を向け、そのような者も議論に巻き込まない限り、いつまでも「差別」はなくならないと思います。

五 「熱心」でない団員にも居場所を
 なお、団員の多くは、『あることを熱心に行っている』「トップレベル」の弁護士かもしれませんが、僕のように熱心な活動もしておらず、従って特に業績もなく、日々の事件処理にあくせくし、仕事を早く切り上げてコロナ渦で巣ごもりをしている子らと話すことのほうが大事な団員も少なからずいると思います。それでも僕なりに、虐げられた人たちの存在に心を痛め、また日本国憲法の理念に感動をして、「熱心」とまではいかなくとも僅かなりとも社会の役に立ちたいと考えています。また、自分に出来なくとも、決して安くはない団費を払って、それらの団員の活動を支えたいと思っています。そのような「不熱心」な団員にも居心地のいい団であればいいな、と思います。
 ところで、僕は、弁護士になりたてだった一九九四年九月一四日、大阪厚生年金会館でフランスの著名なパントマイミストのマルセル・マルソー(一九二三~二〇〇七)の公演を見ました。
 弁護士になったばかりで、日々言葉による攻撃と防御に翻弄されている時でした。ユダヤ系の家系に生まれ悲劇的な経験をしながらも、彼が、言葉を使うことなく、日常生活のちょっとした仕草のみならず、抽象的な平和そのものも動作で表現するその姿に感動したことを覚えています。僕ら弁護士は時には「激しい言葉」を使わざるを得ませんが、それを使わなくとも平和を表現できる方法があることを知ったのは、僕にとっては僅かなりとも救いでした。

 

 

金さんからの書評(団通信一七二三号)へのリプライ  大阪支部  杉 島 幸 生

一 はじめに
 私の著作(インターネット上に「部落差別」はあふれているのか―「部落差別解消推進法」を検証する)に対して、小林さんからはお褒めの書評(一七二二号)を、金さんからは厳しいご批判の書評(一七二三号)をいただきました。まずは、その労をとっていただきましたお二人に、お礼を申し上げます。そのうえで、小林さんには、今度お茶でもおごらせていただくとして、今回は金さんからのご批判に私なりの応答をしたいと思います。

二 この本の目的はそこにはありません
 金さんからは、本書に対し、「インターネット上の差別的表現に対する具体的な対抗策には全く触れられてはいません。実務家の書籍としては極めてずさん」との厳しいご批判をいただきました。しかし、書名からもおわかりかとは思いますが、この本の目的は、解消法が部落差別を固定化・永久化するものであることを明らかにすることであって、「差別的表現に対する具体的な対抗策」を論じることではありませんでした。ですから金さんのご指摘には、「それは、そうですね」としか応えようがありません。ご承知のように推進派は、インターネット上に部落差別があふれていることを解消法や条例化の立法事実としてあげています。そこで、私は、推進派の指摘を再検証することで、それを額面どおりに受け取ることはできないこと、解消法や条例化の立法事実にはならないことを明らかにしようと考えました。金さんの書評には、私の再検証とそれにもとづく解消法に対する評価についての言及はありませんでした。私にとっては、そこがいちばん肝心なところでしたので、少し残念な気がします。

三 なにを「部落差別」と考えるのかは人によって違います
 なるほど金さんのおっしゃるように、詳細かつ説得的な「対抗策」を論じきることができたなら、より本書の説得力もましたのかもしれません。しかし、それはそう簡単なことではありません。まず、なにを「部落差別」ととらえるのかということさえ、人によって違います。多くの人が当然のように「部落差別」であると指摘する「地名情報」の開示であっても、私は必ずしもそうは言えないと考えています。また、ある人に不安感を与えるというだけでは、それを「差別」だということはできないとも考えています。ある人が差別と考えることを、別の人はそうは考えない、そうであるのに一方的に「差別」だと決めつけるというようなことがあれば、部落問題に関する自由な意見交換が阻害されかねません。それは部落問題の解決を遠ざけます。私は、このことを本書の読者に知って欲しいと考えていました。それとも、部落問題の解決にとって、こんなことは考える必要などないことなのでしょうか。

四 「対抗策」はひとつではありません。
 また、ある表現が「差別」であるとしても、それに対しては、刑事罰の対象とする、民事賠償や差止を認める、事業者に削除を義務づける、言論で対抗するなど様々な対抗策が考えられます。どういう表現に対して、どのような対抗策をとるべきなのかは具体的に論じられなくてはなりません。例えば、今回、調査したヤフー知恵袋での質問や回答のなかには、私からみても問題だなと感じるものもありました。しかし、私は、そうしたものについては、法的に禁止するのではなく、言論で対抗すべきだと考えています。実際に回答を見ていると、そうした努力がなされていることがわかります。問題含みの表現であるからといって、それを禁止することで「部落差別」がなくなるとは、私には思えません。むしろ、かえって「部落差別」を拡大していくことにもなりかねないのではないかと危惧しています。今、部落問題の解決にとって必要なのは、ときに誤った表現があったとしても、部落問題について自由な意見交換や議論を重ねていくことのできる環境を作っていくことなのではないでしょうか。私にとっては、これも「対抗策」のひとつです。本書でも触れたつもりではあったのですが、そのことが伝わりにくかったのであれば、その点は素直に反省したいと思います。

五 実りある議論のために
 インターネット上に「部落差別」がある以上、法律でそれを禁止すべきであって、それを受け入れないのは「部落差別」を放置することと同じであるかのように言う人をときおりみかけます。そうした人の中には、自分に同意しない人たちに対して、差別を容認する人物である、あるいは、物事の是非もわからない頭の固い人物であるかのような非難を向ける方もおられるようです。なるほど、その人にとっては、言論での対抗などは、対抗策といえるようなものではないのかもしれません。しかし、そうした立場を自明・不動の原理であるかのように振りかざされると、そうとは考えない人たちとの対話は成り立ちません。それは、部落問題の解決にとっても不幸なことです。それを回避するためには、お互いの理念や立場をただぶつけ合うのではなく、インターネットや現実社会において、部落問題について、どのような差別的表現が、どの程度あり、それがどのような被害を生じさせているのか、それらの表現を、なぜ、どうやって、どの程度規制すべきなのか、あるいは規制すべきではないのかを、部落解放運動や同和行政の歴史を踏まえたうえで、具体的な事実にもとづいて論じていくことが大切なのではないでしょうか。充分にできたとは言いませんが、私は本書においてそうしたことを心掛けたつもりです。「人種等を理由とする差別による被害に詳しい実務家」である金さんには、ぜひ、そうしたご努力をお願いしたいと思います。また部落問題の解決にとって、今なにをしなければいけないのか、そして、なにをしてはならないのかについても考えていただければとも思います。もちろん次にこうした本を書く機会があれば、私も、金さんからご指摘のあった点について、もっと深めてみたいと思います。お互いをリスペクトしつつ、部落問題の解決にむけての実りある議論ができればなと願っています。

 

 

「統一修習」を「法科大学院」に置き換える-「司法試験」「判事補」の再定義
                                                                                            東京支部  後 藤 富 士 子

一 「検察事務官」から「検事正」が誕生 
 検察事務官から出発した岡田博之氏(六一歳)が、今年九月一四日付で盛岡地検検事正に就任した。出身地旭川市の高校を卒業後、旭川地検の検察事務官に採用され、視野を広げようと旭川大学経済学部の夜間部に通った。内部試験により、一九九三年に副検事、二〇〇一年に検事となり、東京地検刑事部副部長や名古屋地検公安部長を経て、昨年一一月から神戸地検姫路支部長を務めた(ニュース・弁護士ドットコム九月二九日)。
 私は、「検事」になるには、〈司法試験→統一修習修了〉のルートしかないと思い込んでいたが、誤りである。検察庁法によれば、検察官の種類は、検事総長、次長検事、検事長、検事、副検事の五種であり(三条)、等級に一級と二級があり、副検事は二級である(一五条二項)。そして、三年以上副検事の職にあって政令で定める考試を経た者は二級検事になれるし(一八条三項)、二級検事になると、一級検察官(検事総長、次長検事、検事長)の任命資格として「司法修習生の修習を終えた者」とみなされる(一九条三項)。すなわち、「統一修習」という障壁は、大昔から決壊していたのである。
 一方、検察庁法改正問題で一躍有名になった黒川弘務東京高検検事長(当時)は、東京大学法学部→司法試験→統一修習修了→検事という経歴で、検事になってからの経歴の大半は法務省の枢要ポストを歴任し、官房長を経て事務次官となり、昨年一月に東京高検検事長になっている。しかるに、緊急事態宣言下で新聞記者と賭けマージャンをしていた不祥事が発覚し、今年五月二一日に辞任した。
 岡田氏と黒川氏を比べると、もはや〈司法試験→統一修習修了〉のルートが「よき法曹」を得るための制度として機能していないことは歴然としている。むしろ、「司法試験」も「統一修習」も、単なる「権威主義の残骸」にすぎないのではないだろうか?

二 「裁判官」の種類と任命資格
 最高裁は、長官と一四名の判事がいる。長官は、内閣の指名に基づき天皇が任命し(憲法六条二項)、判事は、内閣が任命し、その任免は天皇が認証する。任命資格は、「識見の高い、法律の素養のある年齢四〇年以上の者」で、少なくとも一〇人は、①一〇年以上高裁長官・判事の職にあった者、②高裁長官・判事・簡裁判事・検察官・弁護士・別法で定める大学法学部教授または准教授の職に通算二〇年以上の者、である(裁判所法四一条一項)。
 下級裁判所は、高裁長官、判事、判事補、簡裁判事がいるが、最高裁の指名した者の名簿によって、内閣で任命する(憲法八〇条一項)。高裁長官の任免は天皇が認証する。高裁長官と判事の任命資格は、判事補・簡裁判事・検察官・弁護士・裁判所調査官等・別法で定める大学法学部教授または准教授の職に通算一〇年以上の者、である(裁判所法四二条一項)。判事補の任命資は、司法修習生の修習を終えた者、である(裁判所法四三条)。簡裁判事の任命資格は、判事補・検察官・弁護士・裁判所調査官等・別法で定める大学法学部教授または准教授の職に通算三年以上の者(裁判所法四四条)のほかに、選考委員会の選考による例外がある(裁判所法四五条)。
すなわち、裁判官も、選考任命簡裁判事や学者を通して、〈司法試験→統一修習修了〉のルート外から任官できるのである。

三 「弁護士」の資格―「法曹養成」の矛盾
 弁護士には種類がなく単一であり、弁護士の資格の原則は、「司法修習生の修習を終えた者」である(弁護士法四条)。その例外として、①司法試験に合格したが統一修習を修了していない者で、法務大臣が認定した場合(同五条)、②〈司法試験→統一修習修了〉のルートを通らなかった最高裁判事(同六条)がある。すなわち、弁護士も、〈司法試験→統一修習修了〉のルートに限定されていない。
 ところで、司法修習生は、司法試験に合格した者の中から最高裁判所が任命する(裁判所法六六条)。司法試験は、裁判官、検察官または弁護士となろうとする者に必要な学識およびその応用能力を有するかどうかを判定することを目的とした国家試験である(司法試験法一条一項)。その受験資格は、法科大学院課程修了者または司法試験予備試験合格者である(同法四条)。
 しかし、司法試験は、現行制度上「司法修習生採用試験」であり、司法試験法一条一項と矛盾する。すなわち、司法試験の目的が法の定めるとおりなら、受験者に、必要な学識と応用能力を取得する教育がなされていなければならない一方、この試験に合格した者が司法修習を修了しなければならないはずがない。また、予備試験についても、法科大学院課程修了者と同等の学識と応用能力と法律実務の基礎的素養を有するかどうかを判定することを目的としているから(同法五条)、司法修習は無用である。そして、本質的な問題は、予備試験という「試験による選抜」は、法科大学院課程修了という「教育による法曹養成」の理念と相容れない。これが、法曹の「質」を低下させている根本原因であろう。
 ところが、弁護士は、司法試験合格者数を減らすことや、法科大学院の相対的軽視と統一修習の充実を求めている。それは、弁護士の「既得権益」を守るために、自らが受けてきた法曹養成制度に回帰することしか考えつかず、新しい法曹養成制度を敵視する態度というほかない。
 しかし、弁護士が社会に有用な専門職で在り得るためには、無用の長物と化した「統一修習」を廃止し、法科大学院での教育による法曹養成を貫徹させるべきである。それは、弁護士の「質」の多様化・高度化・専門化を推進するはずである。それなしに、日本の司法と法曹の発展は期待できない。一方、裁判所も検察庁も、現行の統一修習制度で「よき法曹」が得られるとは信じていないのではないか。それを信じているかのごとく思考停止しているのは、弁護士だけであろう。

四 「司法試験」と「判事補」の再定義
 司法修習生は、司法試験に合格した者の中から任命される(裁判所法六六条)。また、判事補は、司法修習生の修習を終えた者から任命される(裁判所法四三条)。そうすると、現行「統一修習」を廃止した場合、定義をし直さなければならない。まず、「司法試験」は、法科大学院課程修了を受験資格にする。そして、司法試験合格者は法曹資格を取得する(現行の二回試験に相当)。すなわち、判事補も検事も弁護士も、資格要件は「司法試験合格者」に一本化される。
 私は、長年の「法曹一元」論者であったが、現今の法曹の「質」の低下に危機感を抱き、「法曹一元」を封印することにした。「官僚制をやめればよくなる」という命題は、現在の危機に対応できない。「判事補」も「キャリアシステム」も前提にして、それを担う人の質を抜本的に向上させることが先決である。そして、法科大学院という法曹養成制度は現存しており、素直に発展させれば足りるのだから。〔二〇二〇・一一・二〕

 

 

惜別の辞  東京支部  川 人   博

   年末にあたり、誌面をお借りして、今年逝去された同輩・先輩の諸先生への哀悼の言葉を述べたいと存じます。
 板井優さん(熊本)は、ともに司法試験を勉強した仲間でした。一九七四年夏から七五年夏にかけてのことです。当時、東大では、学生時代専ら自治会やセツルメントの活動に専念し大学での普通の勉強をしなかった者を「救済」する勉強会が存在しており、東大以外の卒業生の人も若干参加していました。三つの班をつくり、板井さんと田中隆さん(東京)と私がそれぞれの班(八名程度)の責任者を務め、七五年度試験に合格するため、チューター(二八期・二九期)の指導・援助を受けて、勉強に没頭しました。板井さんは、持前の迫力ある論理で勉強会の水準をアップさせるうえで大きな役割を発揮してくれました。全体の努力の甲斐あって、構成員の五割近くが論文試験まで突破しましたが(全体の合格率が二%の時代ですから驚異的な成果)、板井さんは、その強い弁舌力が逆にマイナスとなったのか、口述試験で不合格となり、翌年合格の三一期生となりました。ご本人としては一年遅れたことは残念だったと思いますが、団通信で、広田次男さん(福島・いわき市)が同期のよしみで板井さんに並み並みならぬお世話になったことを知りました。その友情・連帯が生まれ得たのは、意地悪な口述試験委員のおかげであったとも言え、人生の不思議・奥行きを感じました。弁護士としての板井さんのご活躍は、皆様がご存知のとおりです。板井さん、ありがとうございました。
 東京法律事務所の坂本修先生、渡辺正雄先生が相次ぎ逝去されました。お二人は、私より一五年以上も先輩で、事務所も違いますので、お話しをする機会は多くはありませんでしたが、私にとっては、直接間接にとても大切なものを学ばせていただいた方々です。坂本先生の名著『労働裁判』を精読し、大衆的裁判闘争の意義と実践について、さまざまに学ぶことができました。渡辺先生とは、私が弁護士駆け出しの頃に、梅田労働争議の共同弁護団(四事務所が参加)で一緒に活動できました。この争議は、杉並区内の工場で新しい労働組合が大勢の若者によって結成されたことに対し、会社が不当労働行為を繰り返し、ついにはロックアウト・会社閉鎖を行ってきたものです。私や同期の鷲見賢一郎さん(代々木総合法律事務所)などの若手に対し、渡辺先生はとても丁寧に指導をしてくださいました。ロックアウトが強行された当日の朝、私が現場に駆け付けたところ、すでに工場の前に来ていらっしゃった渡辺先生の姿を今でも鮮明に覚えています。両先生、ありがとうございました。
 佐藤欣哉先生の訃報が届きました。佐藤先生には少なくとも二度、たいへんお世話になりました。過労死弁護団全国連絡会議の第六回全国総会を一九九三年一〇月に山形で開催することができたのは、佐藤先生のおかげです。過労死弁護団は、第一回から五回までは、毎年東京・大阪・名古屋のいずれかで総会を開催していたのですが、この年に地方都市山形で開催することができたのは、弁護団の活動に大きなプラス効果を与えてくれました。全国津々浦々に広がる過労死一一〇番の活動を定着・発展させる上で、歴史的な総会ともなりました。当時、山形ではバス運転手の過労死事件の裁判等を佐藤先生が担われていました。その後、一〇年以上経過してのことですが、佐藤先生には日弁連の人権活動でお世話になりました。私は、拉致被害者の救出運動に参加し、特に日本政府が公式に被害者として認定しない人々の調査・救出活動を続けていますが、日弁連への人権救済申し立てを二度にわたり行いました。その際に、佐藤先生が調査担当委員として熱心に事情聴取等を行ってくださり、そのおかげで日弁連から日本政府等に対し、内容のある要請書が出されることとなりました。佐藤先生、ありがとうございました。

 

 

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