第1736号 4 / 1

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●いのちのとりで裁判・大阪地裁勝訴判決について  渕上  隆

●首都圏も守られた!東海第二原発差止訴訟勝訴のご報告  丸山 幸司

●マンション建設反対運動の報告  渡部 照子

●「女性による女性のための相談会」に参加して  青龍 美和子

●“国際水準の人権保障システムを日本に”日弁連第62回人権擁護大会シンポジウムの記録を奨める  鈴木 亜英

●書 評 『人新世の「資本論」』(第1回)衝撃的な著作と著者の登場  川人  博


 

いのちのとりで裁判大阪地裁勝訴判決について

東京支部  渕 上  隆

1 歴史的勝訴判決
 2月22日、安倍政権が行った生活保護基準引下げの違憲性、違法性を問う、いのちのとりで裁判について大阪地裁は原告勝訴の判決を言い渡した。生活保護基準をめぐる裁判での勝訴判決は老齢加算廃止の違憲性、違法性を訴えた(旧)生存権裁判の2010年6月の福岡高裁判決以来だが、基準生活費「本体」をめぐる裁判での勝訴判決は1960年の朝日訴訟第1審(東京地裁)判決以来となる歴史的判決である。
 私は同種事案の東京訴訟の弁護団員であるが、当該大阪訴訟弁護団員からの報告もあると思うので、本訴訟のリーディングケースとなった生存権裁判で最高裁判決(敗訴判決)を受けた立場から、また、団100年史の社会保障裁判分野の執筆担当者としての立場から大阪地裁判決の意義について記してみたい。
2 事案の概要と判決のポイント
 2012年、野党であった自民党は「生活保護費10%カット」を公約に掲げて総選挙に臨み、12月に政権復帰を果たした。そして、第2次安倍内閣は公約通り翌2013年から3段階に分けて生活保護基準を引下げた。
 年間670億円の引下げのうちその大部分である580億円分は「物価水準の下落」が口実とされているが(「デフレ調整」)、デフレ調整については専門家による審議機関である生活保護基準部会では議論さえされていない上、その「デフレ」自体、総務省が作成公表している消費者物価指数ではなく、厚労省が独自に算定した数値を用いて計算したものであるため、自民党の選挙公約との辻褄合わせの「物価偽装」であると原告側は批判、主張してきた。
 大阪地裁判決は、こうした原告側の主張を正面から認め、デフレ調整は、「統計等の客観的数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性を欠く」ため、厚生労働大臣の判断には「最低限度の生活の具体化に係る判断の過程及び手続に過誤、欠落があり、裁量権の範囲の逸脱または濫用がある」として、原告勝訴の判決を言い渡したものである。
3 生存権裁判最高裁判決が示した判断枠組み、判断規範
 この大阪地裁判決が原告を勝訴に導いた判断枠組み、判断規範は生存権裁判東京訴訟の2012(平成24)年2月28日最高裁判決が示したものである。
 老齢加算廃止は小泉政権下に行われたものであるが、「生活保護の在り方に関する専門委員会」の検証及び提言を踏まえて廃止を決定したという体裁が整えられていたため、最高裁は、厚生労働大臣の判断の適法性を肯定する文脈の中で「統計等の客観的数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性」に欠けるところはなく、厚生労働大臣の「判断の過程及び手続に過誤、欠落」はないとして、原告らの請求を退けたのであった。
 これに対して、我々原告・弁護団は、専門委員会の検証、提言は、予め決まっていた老齢加算廃止による社会保障費削減という政治的判断を専門家の判断であるかのようにカモフラージュするものに過ぎないと指摘し、最高裁判決もこうした政府の政治的判断に追随し、お墨付きを与える不当判決であると強く批判したのであった。
4 社会保障裁判の闘いの前進
 とはいえ、それまで社会保障裁判では朝日訴訟最高裁判決(傍論)や堀木訴訟最高裁判決が大きな壁となっていたが、最高裁が、厚生労働大臣あるいは立法府に広範な裁量を認め、著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用と見ざるを得ない場合を除き司法審査に適しないとする堀木訴訟最高裁判決のような社会観念型審査方式を脱して、不十分ながらも判断過程統制型審査の手法を採用し、かつ、「統計等の客観的数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性」という判断規範を示したことはその後の社会保障裁判の闘いの足がかりを残した。
 私は、裁判結果としては敗訴で終わったが、今後の闘いのために大きな成果を勝ち取ったと、生存権裁判の闘いの意義を訴えてきたが、そう訴える私自身半信半疑であった。しかし、今般の大阪地裁勝訴判決がそのことを実証した。社会保障裁判の闘いが前進、発展していることを実感させてくれる判決である。

 

首都圏も守られた!東海第二原発差止訴訟勝訴のご報告

茨城支部  丸 山 幸 司

 さる3月18日、東海第二原子力発電所運転差止等請求において勝訴判決を得ましたのでご報告いたします。
 東海第二原発は、首都に最も近い原発で、1978年11月28日に営業運転が始まったトラブル件数全国一の老朽原発です。3・11で被災したときも、津波により非常用ディーゼル発電機3台のうち1台が使用できなくなり、2台でやっとのことで冷温停止にこぎつけたという状況でした。30キロ圏内には全国一の94万人の人口を抱え、周辺には放射性廃棄物の再処理施設があるなど、複合災害も懸念される原発です。
 2012年7月30日に、原告266人で提訴したこの裁判は、当初は、国に対し、設置許可処分の無効確認請求なども起こしていましたが、訴訟進行の迅速化を図り再稼働の前に判決を得ようと、2018年11月5日には、国に対する請求を取り下げました。
 主張立証にあたって特に努力を傾注したのは、福島第一原発事故による被害の実相を裁判官にも確実に認識してもらうことです。福島第一原発事故の「被害論」の準備書面を作成し、毎回パワーポイントも使用して弁論しました。
 裁判官にいかにして難解な論点について理解してもらうかという点でも努力しました。とりわけ地震を中心とした論点については、進行協議期日を5回設けてもらい、長い日には丸1日かけて行いました。
 原告が元気で、準備書面をどんどん書いてしまうような能力があったのも、この訴訟の特徴です。主張立証で被告を圧倒できたのは原告団のおかげでもあります。
 原告側の立証の中心としては、基準地震動を大きく超える地震が東海第二原発を襲い、その結果、プラントの耐震余裕のない部分が破壊され、過酷事故が発生するというものでした。地震動の専門家には、3・11の際に宮城県で観測されたパルス波が、原発に対し大きな脅威であるということ、そのパルス波をこれまでのSMGAモデルが再現できていないことを証言してもらいました。プラントの専門家には、東海第二原発に耐震余裕がない箇所がいくつも存在し、地 震動によって、プラントがどのように破壊されるのか具体的に証言してもらいました。
 792頁の判決書は、「立地審査及び避難計画」の論点のみで原告勝訴としたもので、原子力災害対策指針が定めるPAZ(原子力施設からおおむね半径5キロメートル)、UPZ(原子力施設からおおむね半径30キロメートル)内の原告79名は勝訴しましたが、残りの原告は敗訴しました。予想外の論点での勝利でした。
 判決は、「深層防護の第1から第4までの防護レベルが達成されているからといって,避難計画等の深層防護の第5の防護レベルが不十分であっても,発電用原子炉施設が安全であるということはできない」という厳格な立場に立ち、その根拠として、規制委員会が「深層防護の第1から第4の防護レベルについて新規制基準を策定して安全性の審査を行うに当たり、科学技術の分野において絶対的安全性を達成することはできないとして相対的安全性を審査するとして」いることなども挙げており、極めて説得的です。
 しかも、30キロ圏内の94万人を避難させる避難計画など策定不可能という市民感覚にも沿った判決で、他の原発訴訟にも波及的な影響を与える可能性が十分に存在します。判決の理解を地元住民の中に広げ、再稼働を許さない世論を高めていきたいと思います。
 敗訴した原告もそろって控訴する方針を決めています。控訴審においては、一審で敗訴した論点についても勝利を得るべく、決意を固め合っています。これまでにも増してのご支援をよろしく御願い申し上げます。

 

マンション建設反対運動の報告

東京支部  渡 部 照 子

 久々に住民が納得できたマンション建設反対運動・成果を報告する。
 そのマンション建設地は谷間にあった。面積は約1220㎡で、建設前は大きな屋敷があり、うっそうとした樹木が生い茂っていた。
 谷間に接する東側公道はかなりの急斜面であり、北側隣接地の崖上には民家4戸が建つ。西側隣接地の崖上にも民家4戸が建つ。その4戸のうち3戸は、南側も崖だった。それら崖はいずれも擁壁で土留されていたが、西側・南側崖上に建つ3戸の宅地の擁壁の高さは約3m弱~約6mであった。
 これら谷間に面する家屋に住む住民たちは、さえぎられることのない日照を享受し、四季折々の樹木の移り変わりを愛で、谷から吹いてくる風や鳥のさえずりを愉しみ、更に、遠くの高層マンション群の夜景を堪能していた。
 その谷間である宅地が売却され、建築面積約600㎡、延べ床面積約2700㎡、高さ約27m、共同住宅73室の3棟の建築が開始された。
 いつの間にか「第一種中高層住宅専用地域・準防火地域」、「第二種高度地域」となっていたのである。
 2017年7月頃から古民家解体工事が開始した。3トンもある庭石は薬剤らしきものを使用して宅地内をゴロゴロと転がされながら粉砕された。その粉砕で生じる地盤の揺れをスマホは、地震の強さ・震度3と表示した。また、家屋も揺れ、外壁・内壁にひびが入った。更に、建築工事が進行するに従って2018年4月頃には、スマホの騒音表示は90デシベルを超えた。
 かかる被害を受けた近隣住民ら557名は、建設反対署名を建築主や区長らに送付し、建築反対の横断幕を家々に掲げ、業者に説明会を求め、騒音・振動・粉塵・日照等の被害を訴えた。しかし、業者は不誠実であった。そこで、同年11月に住民ら代表者は区に相談し、弁護士に依頼することを勧められたのである。
 私たちが現地に行ったのは、同年12月下旬のことだった。西側崖上にある4軒の玄関先などには約10ミリの地割れがあった。住民らは業者にこれら地割れを指摘しても、なんでもない、と言われる、このままでは崖が崩壊するかも知れない、怖いとの訴えであった。
 私たちは、急いで仮処分をする必要があるかも知れない、もしかしたら、暮・正月の休みは飛んでしまう、と思ったが、住民から連絡があったのは、2019年1月中旬頃であった。
 西側崖上4軒の方が来所された。この間、弁護士に依頼することを住民に声掛けしたが、なかなかすぐに集まらない。自分たちは崖崩れの恐怖があるので、自分たちだけでも依頼したいと思って相談に来た、との事だった。そこで、崖の問題を真っ先に取り組まなければならないので、その相談の場で、構造計算専門の一級建築士に電話をかけて紹介した。また、出来るだけ多くの人を集めることが力になることを説明し、最終的には崖に面する家屋に居住しておられる方々を中心とする15名から委任状を頂き、施主・施工業者らと交渉を始めた。
 一級建築士は直ちに現地に赴き点検の上、崖が崩壊する具体的危険性があって住民の方々の恐怖心は当然であることを指摘された。この結果、建築主会社らも崖崩壊の危険性を認め、崖補強工事内容の提案をし、実施した。また、会社と弁護士・住民との間の交渉を開始し、更に、同年秋からは、双方弁護士同士の交渉を継続して行った。
 これら交渉の結果、日照・プライバシー侵害などを軽減するためマンションの窓などの模様替えなどの合意がされ、また、2020年3月15日に、施主は同年4月末日までに外壁・室内を含む住民の被害家屋の修補工事をすること、5月末日限り事後の家屋調査をすること、更に、本件工事完了後、工事が原因で建物の内外の亀裂又は地盤沈下が生じた場合には原状回復の義務があることなどが合意された。家屋の修復工事は、同年12月中旬まで継続され終了した。
 また、地盤亀裂・日照・騒音・振動・粉塵等々の被害に対する解決金についても、住民にとって満足できる金額で合意した。解決金の配分については住民間で協議され決定された。
 マンション建設反対運動は、住民側にとって厳しい状況が続いている。その原因は、規制緩和拡大の一環である建築基準法などのあいつぐ改正の影響や裁判例の積み重ねなどを受けた結果である。建設主側は良好な住環境が大きく悪化する被害住民の反対運動がおきようとも、「法令違反はない」との一点張りで容易に譲ることをしないからである。
 かかる情勢の中で、本件は久々に住民側にとって成果があった。この理由は、崖地であり現実的に崩壊の危険があったこと、また、住民の方々が団結し、毎日の工事状況を携帯で写真撮影・録音し、それらをインターネットで送信するなど常に情報の共有と、建築主側も工事進行など注意喚起されたことである。
 これら運動を担われたのは主に女性たちであった。運動が成果を上げる時にはリーダーが現れる、と思う。世の中にはリーダーの素質がある方々が大勢おられる。これらの人々が今日の社会状況を自分の問題と認識され、行動された時に、社会の変化がもたらされるのだと思った。
(担当弁護士 渡部照子・新宅正雄・酒井健雄・水谷陽子)

 

「女性による女性のための相談会」に参加して

東京支部  青 龍 美 和 子

 3月13日、14日の2日間、「女性による女性のための相談会」に参加しました。
 年末年始の「年越しコロナ被害相談村」に女性相談コーナーがあり、そこに結集した女性たちが中心になって企画・実施された相談会です。
 男性から身体的暴力や精神的暴力を受けて男性に恐怖心を持っている女性もいるし、性的な相談を男性にはしづらいとか、生理用品など女性ならではのグッズを男性がいる場では受け取りづらいという女性もいるのではないかということで、女性を対象にした、女性だけで作る相談会も必要だよね、ということで企画されました。年末年始と同様、新宿歌舞伎町のど真ん中・大久保公園にテントを立てて開催しました。
 実行委員会には、全労連・連合・全労協だけでなく、ナショナルセンターに加盟していない労働組合や、農民連、市民運動、生活支援やDV支援を行っている方々、自治体の議員など、多彩な活動をされている女性の活動家たちが集まっています。
 弁護士は、日本労働弁護団・同弁護団女性PTが後援していて、年末年始の相談会に参加した弁護士や、労働弁護団の女性弁護士が交代で法律相談や労働相談、生活保護の申請同行にあたりました。団員は、大江京子団員(東京東部法律事務所)、新人の浅野ひとみ団員(東京法律事務所)、岸松江団員(同)が相談員として参加しました。実行委員会事務局には白神優理子団員(八王子合同法律事務所)が入っています。私も実行委員なのですが、ほとんど会議に参加できず、当日の相談要員という形でした。それでもとても良い経験だったので概要お伝えします。
 3月13日土曜日は、すさまじい暴雷風雨の中で決行されましたが、それでも20名以上の相談がありました。14日日曜日は晴天で(強風でしたが)100名以上の相談がありました。
 会場は、公園にテントを6つくらい円形に配置して、外部から見えないようにします。農民連が全国から集めた米や野菜、果物などの生鮮食品、長期間保存できる食品を並べたテントや、衣類や生理用品などを置いたテント、医療相談、労働相談、生活相談、家庭相談、法律相談の分野別に相談を受けられるテント、子連れでも相談できるようにキッズスペースも設けました。円の中央には「カフェ」を設置して、相談前後にお茶やお菓子を提供しました。
 相談に来た人は、一般相談員が案内して、まずカフェでお茶を飲みながらおしゃべり感覚で相談の概要を聴き取ります。その後、分野別の専門相談員がいるテントに案内して、具体的な相談を聞きます。相談員は、雨宮処凛さんらが相談対応の注意事項などについてレクチャーしている動画(15分くらい)を事前に見て(この内容も良かったです)、相談に臨みました。外国語対応も配慮していました。相談票も、必要なくプライバシー情報を聞き過ぎないように配慮された作りになっていました。
 相談が終わった後は、全国から届いた食料(米、野菜、果物、お菓子)や、洋服、生理用品などの物資などのテント(「マルシェ」と言っていました。)を回って、自由に持って帰ってもらいました。色とりどりの生花もあって、喜ばれていました。
 実行委員会では、その日限りではなく継続的なフォローをしていこうという申し合わせがあり、生活保護の申請が必要な人については、その人が居住している地域の議員さんや活動家の人につないで生活保護の申請に同行するなどのフォローも行っています。
 マスコミ対応も、取材はできるだけ女性記者に来てもらうように要請し、写真撮影も時間を限定して、プライバシーに厳重に配慮していました。
 カンパも全体で300万円以上集まりました。当日現金で持って来て応援しに来てくれる人もたくさんいました。とくに、女性限定だったため、協力したいのにできないからカンパだけでもと言って届けてくださる男性も多かったそうです。
 コロナ禍でとりわけ女性が大きな被害を受けているという状況は、団員の皆さんも痛いほど実感していると思うのですが、相談会でもその状況が現れていました。
 私も、コロナが原因で仕事がなくなってしまった人や職場でパワハラを受けて休職している人、親やきょうだいから排除されている人などの相談を受けました。セクシュアル・マ イノリティの方からの相談もありました(性自認が女性の人については相談を受ける体制になっていました。)。初日は天候が悪いこともあり、相談員のほうが多く、1人の相談者が来ると取り囲むようにして話を聞き、「大変でしたね」「大丈夫ですよ」と次々に声かけして励ましました。最初は表情も暗かった相談者が、帰る時には明るく元気になっていました。当日のボランティアの人たちも含めてみんなで、困難を抱えている女性たちに当面の生活に必要な物を届けるとともに、「あなたは悪くない」と言って励ますことができたのは良かったと思います。
 約2か月間で、会場確保・物資などの準備、記者会見、都知事への要請、当日の運営などなど、すべて女性だけで行い、女性の連帯が感じられて、私も実行委員会のメーリングリストを見ているだけで励まされました。総括はまだこれからですが、この1回だけで終わりにしないぞという声も出ており、今後また何らかの取り組みがされると思います。
 生活保護を受けやすいように制度を整備するとか、女性への経済的・社会的な支援は本来は行政の仕事だと思います。背景にある女性差別も解消していかなければなりません。今回の相談の実態を伝えて、政府にはたらきかける必要があると強く思いました。

 

“国際水準の人権保障システムを日本に”日弁連第62回人権擁護大会シンポジウムの記録を奨める

東京支部  鈴 木 亜 英

1.タイトルと同名の出版物が明石書店から発刊された。すでに永尾廣久団員から、国際人権は使えそうだとのお薦めの言葉が団通信1735号にあった。この運動を10年に亘って日弁連の委員会で携わってきた私は、この一文を嬉しく受け止め、個人通報制度と国際人権機関の実現を目指して、一層の努力をしなくてはと思った。
2.日本は自由権規約、社会権規約等8つの人権条約を批准しながら、その選択議定書をいずれも批准していない。このため、いまだに個人通報制度の利用は遮断されたままだ。自由権規約・社会権規約(合わせて国際人権規約という)の本体条約を日本が批准したのは1979年。40年以上前のことである。この人権条約批准を国会で審議したとき、選択議定書はいつ批准するのかと野党から問われた政府は追って批准すると約束したが、未だそれが実現していない。
 国際人権条約はいずれも締約国内において、活用されて初めて意味がある。それゆえ、不慣れを厭わず、まず使ってみることから始める必要がある。200ヶ国以上が批准した人権条約も、まずは締約国の国内裁判所での活用から始まる。
 では、いかにしてそれを実現するか。国内で人権規約の適用を求めて、その裁判手続をしても終局判断において、権利が認容されなかった時、当該条約を監視する機関に不服申立のできる仕組みが機能していなければならない。
 これまでに最も活用されている自由権規約などは年間相当数の個人通報を受け付けている。その結果、当該通報によって、権利が救済されるだけでなく、当該国の法運用がそれによって正されることも多く、国際人権の水準に適う取り組みとなっている。
 日本はこの個人通報制度を批准していないため、たとえ最高裁まで争い、負けてなお国際人権違反を唱え続けたとしても、これを条約委員会に個人として不服を申し立てることができない。
 国際機関から国際水準の人権チェックを受けることがないとなれば、裁判所にとってひとつの安心材料になり、緊張感は緩む。個人通報があった場合に備えて、人権規約の成否を丁寧に検討することはほとんどないからである。それ故、裁判官も人権規約について、研鑽を積む意欲も機会も奪われる。国際人権規約は憲法にない、様々な利点があるにもかかわらず、弁護士も国際レベルの人件にアクセスすることを怠りがちとなる。
 結局未批准国は批准国に人権水準において大きく水をあけられてしまうことになる。
3.また国内人権機関の設置も急がれる。いま公権力から独立した権限を有する人権救済機関の設置が国連及び諸外国から求められている。その人権救済機関が国内人権機関である。1991年パリで開かれた第1回国内人権機関会議で提案され、93年国連総会によって採択され、後にパリ原則と呼ばれることになった国内人権機関が備えるべき諸要素を設立原則としている。人権救済、政策提言、人権教育、国際協力等の諸機能を有するが、何よりも「政府から独立した」人権機関であるところに最大の特徴がある。すでに世界122か国に設置され、お隣の韓国はじめ諸外国で活発な活動を展開している。人権機関と云うと敷居が高いと思われがちだが、国民には利用しやすい制度である。利便性、経済性など裁判所がもたない有用な役割も果たすことが期待されている。この機関があるとないとでは、人権の進展に次第に大きな開きが生じてくると思われる。
4.さて、日弁連が一昨年開催した人権擁護大会シンポジウム第2分科会は、「今こそ、国際水準の人権保障システムを日本に!個人通報制度と国内人権機関の実現を目指して」を企画した。人権条約は批准しているものの、それを実現する手立てが極めて乏しく、人権のおくれが目立ちがちなこの日本で右の両制度を早急に導入することで人権の促進を図らなければならないと思う。人権条約の履行を監視する各種条約委員会からは、人権審査のたびごとに早期の実現を促されている。シンポジウムはこうした切実な願いから実現したものである。是非、この記録をご覧頂きたいと思う。

 

– 書 評 - 『人新世の「資本論」』(第1回)衝撃的な著作と著者の登場

東京支部  川 人  博

寄稿予定内容
第1回 衝撃的な著作と著者の登場
第2回 宗教はアヘン、SDGsもアヘンなのか?
第3回 環境破壊・不平等は資本主義否定なくして解決しないのか? 
第4回 著者は資本主義に代わる選択肢を示し得ているか?

「新書大賞」
 話題の書である。3月前半に東京の地下鉄に乗ると窓ガラスのあちこちに「新書大賞」受賞作として、『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著・集英社新書)の宣伝チラシが貼られていた。出版社の発表によれば20万部を突破したという。
 確かに、新書版としては分厚く375頁もある社会科学系の本がこれほどに売れているのは、出版不況が叫ばれる今日、とても珍しい現象であり、衝撃的とも言えよう。著者斎藤氏は、まだ30代の海外帰りの若手研究者(現在大阪市立大学準教授)である。中高一貫校を卒業後にアメリカの大学に進学し、その後ドイツの大学院でマルクスの研究をしたという、日本の文系研究者としてはユニークな経歴の持主である。
 彗星のごとく現れた若手研究者のこの著作は、自由法曹団の弁護士の皆さんが活動している分野(環境や労働など)に経済学の観点からアプローチしている内容である。書評を連載の形で寄稿したいと編集部にお願いしたところ、承諾いただいた。
環境破壊への危機感と手品のような「資本論」新解釈
 この本の主たる内容は、つぎの2点である。
①地球環境破壊が加速し自然災害が多発する中で、地球と人類の将来への危機感が広範に広がっている。著者は、ノーベル化学賞受賞者の言葉を使って、いまを「人新世」の時代と呼び、地球と人類の破滅を阻止するためには、そして、拡大する不平等をなくすためには、資本主義を否定し、脱成長のコミュニズムを選択するほかはないと断言する。
②そして、その理論的根拠として「資本論」の新解釈を行い、マルクスは、生産力至上主義者でなく、実はエコロジストだったとして、まるで手品のように、マルクスの「復権」を図る。
 19世紀の哲学者・経済学者・社会運動家たるマルクスは、「共産党宣言」(1948年)などによって、生産力を向上させることによって人類社会は進歩し(進歩史観)、生産手段(工場など)を労働者階級が資本家から奪取し、社会主義・共産主義社会を実現すべきと主張した。しかし、斎藤氏は、マルクスが生産力至上主義者だったのは、「資本論」(1867年第一巻発刊)執筆以前の若い頃であって、晩年のマルクスは、資本主義により自然が破壊されている状況を知り、生産力思考を改め、脱成長のエコロジストになったと力説する。晩年のマルクスが残した草稿やメモの国際的分析作業(MEGA)によってマルクス解釈が変わったと主張し、資本論2巻・3巻は、マルクス没後に編集出版した盟友エンゲルスによって歪曲されたとする。
衝撃性と危うさの同居する本
 私は、司法試験の勉強を始める前の経済学部時代に、「資本論」全巻を精読し、関連するゼミに所属していた時期もある。1960年代から70年代前半に学生時代を過ごした世代には、私のような読書歴の人が多いと思う。弁護士活動の中でも、過労死問題などに取り組む過程で、読み返すことが多かった。
 予め総括的に述べると、私は,この本が現代の深刻な諸問題を根底から考えることを鋭く提起している意味で高く評価するし、若い研究者の出現をおおいに歓迎したい。他方で、従来からマルクス主義が抱えてきた弱点を決して克服したとは言えず、21世紀の今になっても、「宗教はアヘン」というマルクスの言葉(「ヘーゲル法哲学批判序説」)を平然と使用する著者の思想に、とても危ういものを感じる。
 よって、私の書評も、肯定的評価と批判的評価が混じり合う内容となる。
<つづく>

 

☘事務局長日記☘(不定期連載)

 沖縄・恩納村での開催の断念を決めた後,ふと,新人の時の5月集会はどんなだったんだろうかと思い,私が初めて参加した5月集会は,……と思い返して事務所のパソコンのデータを探してみました。
 登録して初めて参加したのは2007年阿蘇5月集会でした。プレ企画の新入団員向け企画の私的な備忘メモが残っていました。講師は板井優先生。川辺川ダムの闘いを軸に,裁判闘争を梃子にダムに寄らない治水,利水を実現するために時間と空間を超えた連帯の必要を語っておられます。
 私のメモでは,「どのようにして大衆的裁判闘争を応用するか」,「行政は,裁判で負けても,もう一度計画を立ち上げる=弁護士は裁判が終わったらいなくなる=農家を孤立させて分断できる=ダム計画を復活させられる⇒はじめにダムありきの勢力と戦う以外に農家はダムの呪縛から解放されない」といった言葉が書き止められています。板井先生から,公害訴訟に注力された近藤忠孝先生の「もっとも困難なところに最も良い仕事がある」という言葉が紹介されたとメモしていました。
 いま備忘メモを見て,もっと早く思い返して,今取り組んでいる原発事故賠償の闘いに生かそうとしなかったのか……,悔やまれます。いまからでも遅くはない,自分に言い聞かせて,精進します。
 川辺川ダム計画は,板井先生たちの裁判闘争の末,ダムによらない治水,利水へとかじを切ります。しかし,2020年7月の未曽有の豪雨被害で,またぞろダム計画が頭をもたげているようです。未曽有の豪雨は地球温暖化,気候変動と因果関係があるのかわかりません。それでも「時間と空間を超えた連帯」によって勝ち取ってきた成果が守られるよう何かできることがないか考えなければいけないと思います。また宿題が増えた・・・・・・・。
 その後, 2011年島根・安来5月集会まで参加を続けていました。その頃は,参加した若手団員に団報用の記録をとらせており,私も改憲阻止分科会の記録をたびたび取らされていました。2012年以降しばらく参加しなくなっていましたが,記録取りが嫌になって参加しなくなったわけではなかったと記憶していますが(記憶は往々にして美化されます)……果たしてどうだったか。
 私が執行部にいるうちは,発言者に発言要旨の提出をしてもらい,討論の模様は録音を起こして事務局で仕上げる方法で記録を作成して行きます。IT技術はこの用に使うべきものです。これで若手団員に過度の負担をかけることはなくなるはずです。若手の皆さん,ぜひぜひ会場に足を運んでください。得られるものは必ずあるはずです。
 特別報告集に初めて活動報告を書いたのは,2009年白樺湖でした。都教委による日の丸君が代強制に端を発する「板橋高校威力業務妨害事件」の報告でした。
 それから12年たった今でも都教委による日の丸君が代の強制は続いています。昨年は,2月28日に突如安倍首相の一斉休校要請があったにもかかわらず,都教委は式次第に「国歌斉唱」を入れさせ,教職員には起立斉唱命令を出し続けました。今年はといえば,感染予防のため「斉唱」はせず,君が代歌唱入りCDで君が代を演奏させる始末です。当然,起立するよう職務命令だけは出されています。
 2017年を最後にして,起立斉唱命令違反を理由とする懲戒処分は出されていません。起立できない教員は,担任から外され,あるいは式場外での保護者対応等の業務が与えられ,肝心の卒業式に参加することすらできなくなっているからです。処分される教職員がいなくなり,裁判もなくなり,いつしか,団の総会議案書でも東京の君が代の起立斉唱の問題は取り上げられてなくなってしまっています。
 それでも起立斉唱の強制に対する闘いは今も続いています。明日3月31日,原告15名26件の懲戒処分の取消を求める東京「君が代」裁判第5次訴訟を提訴します。君が代起立斉唱の強制に反対する訴訟の集団提訴はこれが最後になるかもしれません。紙幅がつきました。提訴報告はまたいずれ。
 詳細は団通信4月11日号でお知らせしますが,今年の5月集会は,5月22日(土)~23日(日)に首都圏の会場とオンラインを使ったハイブリッド方式の集会(分科会,全体会)で行います。
 それにしても,このままだとプレ企画+本企画で2泊3日のプログラムの5月集会を一度も実施しない事務局長になります。それはそれで無念なのです。事務局長,続投するかなぁ。沖縄で5月集会が開催できるまで(冗)。

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