第1737号 4 / 11

カテゴリ:団通信

【今号の内容】

●職場を変える勝利和解-都立墨東病院薬剤師パワハラ・残業代未払い事件  笹 山 尚 人

 
*コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ ④(継続連載企画)
●年越し大人食堂  林  治

●1971年4月5日を忘れない  村 山   晃

●米バイデン政権と対中・対日政策―変わったことと変わらないこと(上)    <上・下・2回連載>   井 上 正 信

●小林徹也氏の1726号論稿への批判(上)<上・中・下・3回連載>  金  竜 介

●書評 『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著・集英社新書)【第2回】宗教はアヘン、SDGsもアヘンなのか?  川人  博

●私の起承転結――喪の技法  荒 井 新 二

●団創立100周年記念出版事業 編集委員会日記(3)  中 野 直 樹

●入管法改悪に反対する声明を発表しました       岸  朋 弘

●次長日記(不定期連載)


 

職場を変える勝利和解-都立墨東病院薬剤師パワハラ・残業代未払い事件

東京支部  笹 山 尚 人

1 勝利和解を勝ち取りました
 2019年9月3日に東京地裁に提訴した、都立墨東病院薬剤師パワハラ・残業代未払い事件について、3月18日、東京地裁で和解が成立しました。
 この事件は、2017年度2018年度に都立墨東病院の薬剤科で働いた薬剤師(20代女性)が、違法な長時間労働や給料の未払いに遭い、また上司からパワハラを受けたという事件です。
 具体的には、夜勤練習、勉強会への強制参加、前超勤(勤務時間以前から出勤させること)、超過勤務申請の揉み消し、タイムカード打刻後の残業の強要といった無給の残業の強要、「上の人たちはできていた仕事ができていない。能力がない。」といった言葉が毎日のように投げかけられる、有給休暇取得を妨害するといったパワー・ハラスメントが行われていた、というのが原告の被害申告でした。
 私たちの訴えは超過勤務手当の支払いとパワー・ハラスメントの慰謝料の支払い等の請求でしたが、これに対し東京都は、①超過勤務命令簿記載のもの以外に超過勤務の実態はないので超過勤務手当の未払いは存在しない、②パワー・ハラスメントの事実はない、という形で争っていました。
 それがこのほど、いろいろあって、和解となったものです。
2 和解内容
 本件和解の大きな柱は、2つ。11項目にわたる職場改善の約束を東京都が行ったこと、そして80万円の解決金の支払いを行うことになったこと、です。
 本件和解は、口外禁止が一切点いていない内容なので、みなさんに紹介する意味があると考える、第1項をそのまま記載します。
1 被告と原告は,本件紛争の経緯や内容に照らし,今後の墨東病院の管理運営に当たり,以下の内容を確認する。
(1) 被告は,墨東病院の職員(以下「病院職員」という。)の超過勤務に関し,以下のとおり運営する。
 ア 被告は,病院職員が,所定始業時間前又は所定終業時間後に病院内にいて,かつ,職務の必要性が認められる場合には,超過勤務申請に対し,超過勤務と認めること。
 イ 前記アの職務の必要性を認めるかの判断は,厚生労働省「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン(平成29年1月20日策定)」の「労働時間の考え方」及び「労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置」に定める場合(例えば,使用者の指示により,就業を命じられた業務に必要な準備行為や業務終了後の業務に関連した後始末を事業場内において行った時間,及び,参加することが業務上義務づけられている研修・教育訓練の受講は,労働時間に含まれることなど。)に基づいて行うこと。
 ウ 1年目の病院職員についても,前記ア及びイの運用をすること。
 エ 薬剤科における患者の服薬指導記録作成や科内環境整備のための超過勤務申請についても,前記ア及びイの運用をすること。
 オ 被告は,病院職員に対し,業務命令を発する必要がある場合を除き,所定始業時間の30分前に早出を求めないこと。
 カ 被告は,薬剤科の1年目の病院職員に対し,超過勤務手当を支払うことなく,所定労働時間外に夜勤見学,休日勤務見学として就労させないこと。
(2)被告は,病院職員の研修に関し,以下のとおり運営する。
 ア 被告は,病院職員に対し,所定労働時間外に研修を行い,その参加を義務づけた場合には,当該研修参加の時間についての超過勤務申請に対し,超過勤務と認めること。
 イ 被告は,所定労働時間外に超過勤務手当が支給されない研修を行う場合には,参加を義務づけないこと。参加を義務づけない研修について,参加を勧奨する場合であっても,欠席を非難する言勘は行わないこと。
(3)被告は,病院職員の年次有給体暇(以下「年体」という。)に関し,以下のとおり運営する。
 ア 被告は,薬剤科の病院職員が,調整表における年休枠の範囲内で年休の希望日を記載した場合,その日に年休を与えることで,業務に支障が生じず,かつ,職員間において不公平が生じない限り,その日に年休を与えること。
 イ 1年目の薬剤科の病院職員についても,前記アの運用をすること。
 ウ 被告は,退職予定の病院職員に対し,その者に年休の残日数があり,かつ。年休取得を希望する場合には,年休の時季指定が病院運営に著しい支障をきたすなど権利雄用となる場合を除き,退職日までに年休を取得できるよう取り計らうこと。
3 原告の願いを実現し、職場を変える力になる勝利和解になった
(1) 本件原告がこの裁判で願ったことは、「都立病院の職場を、働く者が真っ当に働ける普通の職場にしたい」ということでした。
 都民の福祉のために、ビジネスではなく、最善の医療を提供する現場で末永く働く。原告の初心は、労働条件を真っ当に保障しない現場の環境と、上司からのパワハラで打ち砕かれてしまいました。
 病気となって退職せざるを得なかった原告が願ったのは、こんな職場を真っ当に変えたいということでした。
 本件和解は、1 1 項目もの職場改善措置の約束が定められたことにより、この原告の願いに正面から応える内容になりました。
(2) 詳細な職場改善の約束を取り付けた、このような和解はとても珍しいと思います。
 ですがこのように具体的に取り決めたことで、本件和解は、墨東病院のみならず東京都の病院で、いや東京都のすべての職場で、そこで働く人たちが活用できる内容になったと考えています。職場を変える力になる勝利和解。この点にこそ、本件和解の本質があります。
 11項目の内容は、見ればおわかりのとり、労働法からすれば当然のことばかりです。
 でもその当然のことが、東京都の職場で実現できてなかった。
 それを東京都も裁判の中で認めざるを得なかった。
 そして、それを直すことを、東京都は、裁判の席で具体的に約束することになった。
 それを口外禁止ぬきで、広く伝えることができることになった。
 いやあ、自画自賛ですが、すばらしい和解になったと思います。条項のひとつひとつに、つばぜり合いとバトルがあったんです。粘り強く和解に取り組んで良かった。(笑)
(3) 願わくば、都立病院、公社病院、そして東京都の職場全体が、本件和解を見ながら自分の職場を点検してもらいたい。そして、労働者は、おかしな実態をみつけたら、「おかしいじゃないか、本件和解のようにうちの職場でも改善してくれ」という声を上げてもらいたい。職場で労働者が団結する際の基盤にしてもらいたい。
 そんな形で、東京都の職場全体で、本件和解条項の内容が実現していくことにより、職場を変える力として本件和解を使って貰えたら、こんなに嬉しいことはありません。
4 労働弁護士としての夢を叶える
 最後に、「労働弁護士としての仕事を通じて職場を変える」というのは私の夢です。
 今回、その夢がひとつ、叶いました。こういうことを経験できるから、この仕事は本当に良い仕事です。(笑)
 ともにたたかってくれた、原告とご家族、都庁職病院支部の皆様方、裁判を支援してくれた多くの方々。みなさんに、感謝の気持ちを伝えたい。ありがとうございました。
 本件弁護団は、小部正治団員、長谷川悠美団員と私の三名でした。良い弁護団でしたね!

 

*コロナ禍に負けない!貧困と社会保障問題に取り組みたたかう団員シリーズ(継続連載)

年越し大人食堂

東京支部  林  治

 新型コロナの蔓延は、非正規労働者や女性などの経済的に弱い立場の者を直撃した。何かのきっかけで生活に困窮してしまう人たちが多くいることを改めて認識させられたのが、今回のコロナ禍である。
 この新型コロナで困窮する国民に対し、「自助」を強調する政府はほとんど「公助」を行わず何もしていないに等しいが、様々な「共助」が各地で行われ弁護士もそれに参加した。
2 反貧困ネットワークに参加する約40の団体が新型コロナ災害緊急アクションを結成した。
 ここがすごかったのはコロナ禍では派遣村のような多数の者を集める活動ができないことから、ネット上でのSOS要請に対しこちらから支援に駆け付ける体制を取ったことである。駆け付けた後、住まいを失くしている者に対しては、当面の宿泊費、食費を渡しその後生活保護申請に同行するという取り組みを行った。なお、困窮者に配布した宿泊費や食費は反貧困ささえあい基金にカンパされた金銭で賄われた。
 また、様々な団体が各地で食料配布とセットでの生活相談会なども行った。相談会では、住居確保給付金や休業支援金、緊急小口資金・総合支援資金など各種の支援制度の申請方法などの相談も多く寄せられた。
 極度に生活に困窮し、所持金が100円以下、路上生活しているなどの相談が相次いだ。緊急アクションにつながらなければ、死亡していた者(自殺していた者も含む)が多数存在していたことは確かである。
 生活困窮者がすぐに生活を立て直すには生活保護を利用するしか方法がないが、役所が閉まる年末年始にかけては役所に生活保護申請に行けないので特別な支援が必要となった。
 そこで、08年~09年の年末年始にかけて行われた年越し派遣村と同様に、その期間も寝床と食料を確保するため新型コロナ災害緊急アクションが主体となって「年越し大人食堂」を開催することとなった。
 私は、最終日である1月3日に参加した。
 法律相談は多くなく件数自体は4件しかなかったが、その他の生活相談や医療相談、女性専用相談のブースはひっきりなしに人が来ていた。また、食料配布については料理研究家の枝元なおみさんが作ってくれた弁当を配布したところ、好評であり予想を上回る400人以上が配布を受けていた。
 今回のコロナ禍の特徴としては、派遣村の時には中年男性がほとんどなったのと異なり、老若男女が相談に訪れることと、これも派遣村の時には拒否する人がほとんどいなかった生活保護申請を多くの相談者が拒否する点である。
 コロナ禍は、女性や非正規労働者が多かった飲食業者や観光業が大きなダメージを負ったこと、派遣村から現在まで行われた生活保護バッシングと「自己責任論」が影響していることが考えられる。
 なお、役所が開いた1月4日には、コロナ禍の相談会で知り合った者ではないが、生活保護申請に同行した。自宅と自動車を所有しているので、本人一人ではおそらく申請を却下されたであろうと思われる事案であったが、保護決定された。
 これほどまでに困窮している国民が多く存在しているのであるから本来は「公助」がしっかり役割を果たすべきである。
 7万円以上の豪華接待を受けている官僚がいる一方で、所持金も寝る場所もない国民が多数生まれている現実はどう考えてもおかしい。
 コロナ禍で多くの国民が社会保障の充実を自分事としてとらえ、わずかなことですぐに困窮することないような社会を実現したい。

 

1971年4月5日を忘れない

京都支部  村 山  晃

 阪口修習生の罷免事件が発生して、今年の4月5日は、50年の「記念日」である。私が弁護士になり、団に加入してからも50年が経ったことになる。罷免事件は、きわめて衝撃的な出来事であったが、その直前の1 3期宮本裁判官の再任拒否と、23期修習生7名の新任拒否も、その後の司法を左右する大きな岐路となる出来事であった。
 阪口氏は、2年後に法曹資格を回復し、その後の彼の弁護士としての活躍を知らない人はいない。罷免と言う剥き出しの権力の襲撃を受けた私たちだが、そんな権力と立ち向かい、2年間で資格を回復させた力についても、私たちは確信にしたいと思っている。
 ただ、その当時まで、戦後の民主化が進んでいった裁判所は、この事件の起こった1971年を境にして大きく右傾化を進めることとなり、現在に至っている。そこに存在した石田和外最高裁判所長官、彼の果たした役割にも今一度思いを起こしたい。
 他方、弁護士や市民は、この事件を契機に行動力を強め、反動化を進める裁判所と対峙して、これを食い止め、権利を守る判決を出させることを通して、自由と人権、平和と民主主義を守るために戦線を拡大していくこととなる。司法を変えるということで闘い続けてきた50年であった。
 法曹人生50年を超えた23期の弁護士たちが、どんな活動を積み重ねてきたか、そこにも光をあてたいと考え多くの弁護士が執筆し、インタビューを受けた。裁判官として最後まで頑張り団に加入した森野氏も執筆している。
 23期は、この日、この時に、何が起こったのか、その後、私たちはどうしたか、これから先を切り拓いていく力の源泉はどこにあるのか、などなどを、それぞれの思いのままに文章化して次の世代に引き継ぐべく一冊の本を出版した。
 「世代」のギャップは、私たちも50年前に感じていたことである。それを超えるのは容易ではない。しかし、響きあうものは、世代を超えて存在していると確信している。
 そして「司法はこれでいいのか」をメインのタイトルにして、この本が出来上がった。是非とも一人でも多くの人に、手に取って読んでもらい、共感を得たいと言う思いを持っている。
 出版された書籍は次のとおりである。村山まで言ってもらえば、著者割引もある。ただ、遠方だと郵送料がかかる。

 出版社 現代書館
 題名  司法はこれでいいの
(副題)裁判官任官拒否・修習生罷免から50年
 発行  23期・弁護士ネットワーク
 定価  2000円+税 368ページ

 そして、4月24日1時30分からは、アルカディア市ヶ谷(私学会館)で記念集会も企画している。コロナ過ではあるが、対策を万全にしてネットも使い成功させたいと思っている。
 是非とも本を手にして読んでもらい、感想をまたこの通信に寄せてほしいと思っている。

 

米バイデン政権と対中・対日政策―変わったことと変わらないこと(上)<上・下・2回連載>

広島支部  井 上 正 信

 2021年3月に行われた、クワッド(米・日・豪・印)首脳会談、日米安保協議委員会、米韓2+2、アラスカでの米中外交トップ会談により、バイデン政権の対中、対日政策が見えてきた。
 バイデン政権の対中政策は、同じ民主党政権であったオバマ政権とは方向性を大きく転換した。オバマ政権の対中政策の基本は「関与政策」であった。2014年4月24日訪日中の記者会見でオバマは次のように述べている。
 「我々は中国と強固な関係にあります。そして中国は、この地域のみならず、世界にとって大変重要な国です。当然のことですが、我々は、巨大な人口を抱え、経済成長を続けている中国の平和的な台頭を今後も促していきたいと思います。私は、貿易や開発、気候変動などの共通の問題への取り組みで、中国と協力する非常に大きな機会があると考えています。」(米国大使館HP)
 ところがバイデン政権の対中政策の基本は、関与政策から「戦略的競争関係」へと大きく舵を切っている。戦略的課題で中国との対決も辞さない構えだ。
 2021年3月16日発表された日米安保協議委員会(2+2)共同発表文は、この直近に開かれた2+2共同発表文(2019年4月19日)と比較すれば、バイデン政権の対中政策の変化が見て取れる。
 2019年の共同発表文では、中国は名指しされていない。間接的に東シナ海と南シナ海での現状変更をしようとする威圧的な一方的試みに、深刻な懸念と強い反対の意を表明したに過ぎない。2019年共同発表文では中国に対する間接的な懸念よりも北朝鮮問題に費やした分量が2倍を超えている。
 これに反して2021年3月16日共同発表文では、中国を名指ししてその脅威を述べた個所が17行(仮訳による)にもなり、北朝鮮に言及した箇所はわずか6行に過ぎない。その内容も、北朝鮮に対して軍事的な抑止と対処をすることを想定させるものではなく、あたかも北朝鮮の脅威はコントロールされているとの認識を持っている印象だ。
 なによりもこの共同発表文では、「閣僚は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調した。」と述べて、台湾海峡での中台武力紛争への対処が日米の重要な課題であることを述べていることに注目する。むろん政治的文書である共同発表文では日米が共同して中台武力紛争に関与するなどの「きな臭い」ことは述べていない。しかし共同発表文だけでも十分「きな臭い」のだ。
 3月21日中国新聞の記事は、2+2とは別に開かれた日米防衛・国防トップ会談で、台湾海峡での不測の事態発生の懸念を日米が共有した、岸防衛大臣は台湾支援に向かう米軍に自衛隊がどのような協力が可能か検討していく必要があるとの認識を示した、日本政府内では水面下で、台湾海峡有事を「重要影響事態」と認定し、米軍の艦艇や航空機の防護(武器等防護)が可能か検討が進められていると述べている。
 このような台湾海峡をめぐる「きな臭さ」の背景には、米軍部に近い将来中国が台湾へ武力侵攻するのではないかとの見方が強まっていることが背景にある。2021年3月6日米インド太平洋軍司令官は議会証言で「台湾に対する中国の脅威は今後6年以内に明らかになるだろう。」と証言した。
 中国は日米2+2共同発表文に早速反応し、中国外務省報道官が「日本は米国との戦略的属国となり、信義を捨て、中日関係を破壊することもいとわない。」と非難した。これに先立ち中国の対日外交政策の関係者が緊急招集され、「関係改善を進めてきた中日関係を見直し可能性がある。」と言われている。
 台湾海峡有事での日米共同の抑止と対処は、おそらくアーミテージ第5次レポートがその先鞭をつけたと考えている。レポートでは、中国による「グレーゾーン」の威圧に対し、日米が第一列島線の戦略的重要性を重視していることを浮き彫りにしたと述べ、台湾海峡有事に関して次のように述べている。
 「日本は米国のように台湾関係法を通じた台湾の安全保障を支援する法的・外交的義務はない。しかし、中国の台湾に対する軍事的・政治的圧力の増加に対するワシントンの懸念を日本が共有していることに疑いの余地はない。このような中国の圧力の増加は、日米両国が台湾との政治的・経済的な関わり方において、より一層の協力を必要としている。」                             (つづく)

 

小林徹也氏の1726号論稿への批判(上) <上・中・下・3回連載>

東京支部  金  竜 介

他者の意見を捏造する小林徹也氏
 自由法曹団通信1723号の私の論稿を受けて、小林徹也氏は1726号で、金竜介が下記のとおりの意見を有しているとした(『  』は金竜介の文書からの引用であるとする)。
 金団員のこれ以降の文章から合理的に推測するに、おそらくは、『インターネット上の差別的表現』はすべて『深刻な被害を生み出している』のであり、それには法的に強力な規制しかないと考えておられるようです。
 私は、自由法曹団に限らず、どの場においてもこのような意見を述べたことはない。小林氏は、原文にない「すべて」という文言を私の意見として付け加えているが、これが許されるなら小林氏はいくらでも他者の意見を捏造することができてしまう。
 そもそも1723号の私の論稿では「法的に強力な規制」どころか、インターネット上の差別的表現の規制についての私の意見は一言も述べていないのだ。
 原文にない言葉を付け加え、論じてもいない論点を私の結論だとする。これは、誤読や曲解というレベルではない。小林氏が行ったことは他者の意見の捏造にほかならない。
 インターネット上の差別的表現についての私の意見は、インターネット上の差別表現には深刻な被害を生み出すものが多くある、インターネット上の差別表現による被害について既存の法律では不十分であり、法律・条例の制定を進める必要があるというものだ(私が関わったものとして、東京弁護士会の人種差別撤廃モデル条例案がある。このモデル条例案が、ヘイト・スピーチの防止と表現の自由の保障を両立させる取り組みとして評価されて関東弁護士会連合会賞を受賞したことは団通信1724号で報告した)。同弁護士会のホームページで読めるのでぜひ参考にしてもらいたい。インターネット上の差別的表現はすべて深刻な被害を生み出し、法的に強力な規制しかないとの意見とは真逆であることがわかるはずだ。
極論を立てて自ら立てた極論を叩く小林氏の手法
 捏造というレベルではないが、極論を立てて自ら立てた極論を批判する小林氏の手法が無意味であることを述べておく。

 「差別的心情」を有する人間がすべて「悪人」や「愚者」であり、そのような者はいかなる非難やペナルティを受けても構わないということになろうはずがありません。

 差別的心情を有する人間はすべて悪人や愚者であり、いかなる非難やペナルティを受けても構わないと主張する論者に対する批判とはなりえようが、そのような意見を有する者は存在しないのであるから、全く無意味な言葉である。
 差別根絶の取り組みをしている弁護士たちは、差別的心情を有する人間の全てが悪人や愚者でないことをよく理解した上で、法的規制についての積極意見、消極意見を議論しているのだ。この点は、差別被害に取り組んだ経験のある弁護士の方が経験のない弁護士よりもよほど強く実感しているといえるだろう。

 「差別的心情」の萌芽は誰の心にもあるものであり、決して「極悪非道」の人間のみがこれを有して行動に移しているわけではありません。

 極悪非道の人間のみが差別的心情を有して行動に移すのだと主張する者はいないのだから全く意味がない。
 例えば、ドメスティックバイオレンスやストーカー行為を行う者のすべてが極悪非道であるとの理由でこれらを規制する法律が制定されたのではない。これらの行為が夫婦喧嘩や恋愛感情の行き過ぎではなく、被害者にとって重大な人権侵害であることが理解されるようになったため違法とされたのだ(逆にいえば、これらの行為による被害を夫婦喧嘩や恋愛感情の行き過ぎに過ぎないと社会が認識している段階では、法制化する理由は全くないと理解される)。
 いかなる法律であろうと、行為者が極悪非道な人間であることを立法の理由として議論することはない。
(つづく)

 

-書 評- 『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著・集英社新書)【第2回】宗教はアヘン、SDGsもアヘンなのか?

東京支部  川 人  博

寄稿予定内容
第1回 衝撃的な著作と著者の登場(掲載済)
第2回 宗教はアヘン、SDGsもアヘンなのか?(本号)
第3回 環境破壊・不平等は、資本主義否定なくして解決しないのか?
第4回 著者は、資本主義に代わる選択肢を示し得ているか?

「宗教はアヘン」(マルクス)
 カール・マルクスは、1844年に発表した「ヘーゲル法哲学批判序説」において、有名な「宗教は民衆の阿片なのだ」との断定を行った。彼は、宗教を「民衆に幻想のうちだけの幸福感を与える」ものだと批判し、「幻想を必要とするような状況を廃棄すること」こそ重要なのだと述べた。マルクス自身は、宗教の自由を認めていたが、この言葉は、その後の歴史の中で「社会主義」国家における宗教弾圧の理屈として利用されてきた。
 宗教は、民衆の死後の幸せのみを説き、現世の救済をしないとの批判がなされるが、世界中の多くの宗教家が、民衆の貧困救済のために献身的な活動を続けていることは、周知の事実である。私は、小学生高学年の2~3年間、海辺の近くにあるキリスト教会(プロテスタント)に通い、ノルウェーから来た牧師や若い日本人牧師から熱いヒューマニズムの教えを聞いて育った。その牧師は、フィリピンの各島で虐げられた地元住民の生活救済、支援活動を続けている。日本でも、その宗教的信念から社会のどん底で苦しんでいる人々のいのちと生活を守るために活動している人々(弁護士含む)が多い。また、宗教には、圧制に対して人々を結びつけていく力がある。このような実態を知るにつけ、マルクスの「宗教はアヘン」との言葉には、強い違和感を感じる。ましてや、21世紀の現代において、この言葉を無批判に肯定的に使用する斎藤氏の見識を疑う。
「SDGsはアヘン」(斎藤幸平)
 斎藤氏は、この本の冒頭で「SDGsはまさに現代版「大衆のアヘン」」であると断言し、「アヘンに逃げ込むことなく、直視しなくてはならない現実は、私たち人間が地球のあり方を取り返しのつかないほど大きく変えてしまっている」(4頁)と述べる。
 斎藤氏が力説するように、産業革命後の人間の経済活動によって地球環境の危機はますます加速し、人類と地球の破滅にいたる行程をたどっていると言えよう。人間の不平等はますます拡大している。
 こうした中で、発展途上国や工業先進国を問わず、良識ある人々の粘り強い取り組みによって、2015年、国連においてSDGsが採択され、17個のゴールを定めた。このうち、特にゴール12から15が地球保護の内容とされた。
 斎藤氏は、このSDGsが「気候ケインズ主義」なる経済理論によって推し進められているものと評価し、グリーン・エコノミーによる経済成長を前提とする限り気候変動を止めることはできないと述べ、「経済成長」から「脱成長」への移行を図らなければならないと強調する。
 経済成長と環境保護が両立困難であるとの斎藤氏の見解には、私は同意見である。もともと広井良典氏(現京都大学教授)が2001年の段階で『定常型社会』(岩波新書)を著し、成長を社会の目標とする価値観への批判的検討を行い、大きな注目を浴びることになった。斎藤氏が多国籍企業等の環境保護に対する姿勢を鋭く批判していることについても、私は同意見である。
 しかしながら、SDGsを国連が採択したことは、世界中の草の根の諸活動(人権・ジェンダー・平和・環境など)を促進していくうえで極めて重要な役割を果たしている。SDGsには、ゴール8のディーセントワークの実現など、労働問題での重要な目標も設定されている。たとえば、外国人労働者の人権問題に取り組む鳥井一平氏は、「SDGsは、中小・零細企業の労働者の意識を前向きに変える力を持っている」と述べている(『SDGs―危機の時代の羅針盤』・岩波新書138頁)。同書には、SDGsのゴールを意識した、ベトナム、岡山などの内外の様々な実践例が紹介されている。
 SDGsをアヘンと呼ぶのは、世界の民衆の活動に対し冷や水を浴びせることであり、容認できない。    <つづく>

※前号記載(第1回投稿文)の「共産党宣言(1948年)は、「共産党宣言(1848年)」の記載ミスですので、訂正します。

 

私の起承転結――喪の技法

東京支部  荒 井 新 二

 今年は例年にない開花である。20年前の3月、妻の逝った日も列島に早めの開花宣言が出されていた。
 闘病10年間の苦しいけれど覚悟のうえの、ある意味充実した生活の末の死であったから、焼場の煙突からゆらゆら立ちのぼる白煙を見て、妻もやっと肉体の業苦から解放されよかったと感じ、そう参列者に挨拶した。遺族として穏やかに死を迎えられた(と思っていた)。
 4月になり仕事上何かの考え事をして自宅の仕事部屋でウロウロ歩きまわっていた。その時、本当にいきなりと言う感じで、大声で私の口から妻の名前が飛び出した。妻のことをそのとき考えていたのではない。体の奥から出てきた叫びが妻の名前であった。狼狽した私は、余りのことにその場にへたり込んでしまった。
 それから数月後。港区議さんの案内で法律相談の会に個人のアパート宅に赴いた。手持ち無沙汰で小さな本棚を眺めていた。不在であったが住み主の老女(と思われる)の詩集が目に入った。私製本であったろうか。パラパラ捲ると「起承転結」という短詩があった。配偶者を亡くした後の心境と暮らし、その後の立直りが綴られていた。その時はそれまでのことであったが、以後折につけ詩が気になった。弁護士業務のなかで人の死にしばしば触れる機会が多い。遺族など関係者の生の感情の吐露に遭う。そんな時にあの詩が頭をよぎる。そういうことが何回か続くうち、そうだ、あのとき私の身体が精神に反抗し、バランスをくずしていたのだと気づいた。それから喪のことを考えることが多くなった。
 この世の中、近親者の喪失に直面し転び、悩みごとを抱く人は意外に多い。基本的にそれは宗教の問題、役割だとは思う。が自分の経験を混えて依頼者の方に「起承転結」の詩を援用しつつ喪の作業についての持論を話すと共感されることが少なからずあった。あくまで通常死等の場合であるが、読者のなにかの役に立てばと思い服喪について私の思うところを書きとどめておきたい。門外漢の無礼で勝手な振る舞いをお許し願いたい。

…死を見つめること。死と対峙すると言ったらよいか。現実に起きたことを認めること。死は圧倒的な事実の力で迫ってくる。死を否認したり軽視したりすることも人間的な反応であるが、背を向けて正対しないと強いリバウンドがある。死という重い(言い換えれば、どうしようもない)事実に圧倒されることがあっていい。自然なことだし人間的なことだ。必須の憂悶の過程と心得るべきだろう。リスク回避のためと思い、これに最低でも一年以上をかける積りでいればよい。
…承認。死を受け入れること。その人の死をわが身におさめていく、かなり長いゆっくりした孤独な道程。死を想像すること、死の前後を含め想定することは人間を他の動物から区別できる徴しとも言われる。人間界にしかない宗教もそこに源泉があるらしい。亡き人を忍び記憶のなかで一緒の時間を過ごす、そのことは愛する人の死を穏やかに受け止めることに確実につながっていく。この受容の過程である承の期間を早めに打ち切ろうとする方も少なくない。が、できるだけ焦らずゆっくりとこのリハビリの期間を慈しんで過ごすことが肝心なこと。
…起と承の期間が過ぎ傷は癒えていけば人間、放っておいても勝手に何かを始める。立ち上がり自ずから行動する。他人と交差する。2足歩行で移動することは高次な人間の本能。犬だって歩けば棒にあたる。あたれば局面が変わる。転換の方法は自己に誠実であれば様々な試みがあっていい。失敗したって、一からやり直すことがあっても、すべて自分のことで、他人様からあれこれ言われる筋合いも義理もない。昔の生活にただ戻ったと思うかもしれない。それはそれで結構なこと、そういう思念は喪の作業がうまく行った証である。が実際はただの復帰、復元ではない。死の前と後では周りの景色が確実に変わる。新しい死生観が芽生える。自己を恃む力さえあれば転は向こうからやってくる。
…結は結果、結論。起・承・転をうまくくぐり抜ければ、薄着であれ死生観を、身に纏うことになるから新しい自分になれる。喪の期間が特別な人には立派な成果をもたらすことがある。偉人伝説はかくて出来上がる。凡人である我々は劇的な成功を目指す必要なぞ無い。素焼きが透明の上薬をかけられて焼成し丈夫で美しい陶器となるように、薄着の死生観はその人を美しく見せる。昔は、生きることは死ぬことと見つけたり、とかなんとか言ったそうだ。しかし古風なサムライの高望みではなく現代ではサヨナラだけが人生だ、と軽く明るく受け止める方がいい。亡き人を心に生かし対話しながら生きる。結は喪の期間が終わってから待っているながい期間のはじまりである。

(東京合同法律事務所ホームページの掲載記事から転載)

 

団創立100周年記念出版事業 編集委員会日記(3)

       神奈川支部  中 野 直 樹

本の体裁
 これまでの「団物語」はすべて縦書きであり、その方を好む声もあったが、今回は、100年史も団物語もB版・横書きで統一した。100年史は1頁を31字、30行の比較的ゆったりした印象の紙面として、300頁少々を見込んだ。
 この3月1日から団通信が突如横書きに変身して、驚いた。団の議案書や団報は2005年頃から横書きになっていたので、団通信は団の出版物としてずいぶん長い間、孤高の縦書きの伝統を維持してきたといえる。
団通信の前身
 横書きデビューの団通信で平松事務局長は、1973年に現在の団通信が始まっていると記している。これは正確なのだが、今回の編集過程でその前身となる類似品に出会った。45年11月に再建大会を開いた団は、46年10月1日、「自由法曹團 ニュース」を始めた。手書きガリ版刷りの現物が団本部の段ボール箱に収まっている。
 この第1号の最初の記事は、「海員ゼネスト弾圧の陰謀 ▽33号告発への抗議」と題するものである。連合軍総司令部の指令の解釈をめぐる主張をして検事局に抗議と要請をしていることの報告がなされている。報告者は岡崎一夫団員である。当時の團の事務所として「芝区新橋7-1 2 文化工業会館内」と記され、ニュースの左上には「綱領 人権の擁護伸張、法制の徹底的革新」と記されている。
 今回の出版では分量との関係で、団に保管されているこのような資料を全体的に検討し、本文に取り込むことはまったくできていない。それと濃い茶色となったわら半紙は触るとボロボロになりそうな状態である。何らかの方法で歴史保存をすることを考えないといけないと思った。
占領下の時代
 前後したが、戦争と治安維持法による苛烈な弾圧下を生き残った団員たちは、12年の活動停止を経て、45年11月10日に自由法曹団再発足大会を開いた。46年11月3日、日本国憲法が成立し、47年5月3日施行された。民主化と民主主義運動の急速な進展、これに対する占領法規等をつかった権力による弾圧との攻防のなかで、団員たちの平和だが多忙な日々があった。49年、ドイツが東西に分断され、この夏、平事件、下山事件、三鷹事件、松川事件が相次いで発生した。50年6月に朝鮮戦争が始まり、レッドパージ等民主勢力に対する全面的な弾圧が始まった。この時期、自由法曹団内では一部から解散論が出て厳しい議論がなされた。
 52年、サンフランシスコ講和条約が締結されたが、米軍はそのまま国内に駐留した。この年、白鳥警部射殺事件(北海道)、辰野駐在所等襲撃事件(長野県)、菅生駐在所爆破事件(大分県)、芦別レール爆破事件(北海道)、青梅列車妨害事件(東京都)などの警察権力による謀略が疑われる弾圧事件が頻発し、メーデー事件(東京)、吹田事件(大阪)、大須事件(名古屋)など騒擾罪を適用した大弾圧事件が発生した。団員はこの刑事弁護活動に注力した。
 この時代の描き手となったのが鶴見祐策団員(東京支部)である。鶴見さんは裁判所速記官を経て1 4期司法修習修了。鶴見さんは荒川民商広田事件(税務調査の要件と限界)をはじめ、税務署による民商弾圧との闘いに大きな足跡を残しておられる。私が86年から約10年間弁護団員となった日本共産党国際部長緒方靖夫さん宅電話盗聴事件で、国家賠償裁判提訴の段階から鶴見さんが弁護団参加された。鶴見さんは好奇心旺盛。盗聴実行犯の一人であった警部補が事件発覚後に急死した。弁護団は死亡原因を疑い、遺族の妻が宮城県に移られたとの情報を得て、鶴見さんを頭とする探偵団を編成して泊りがけで現地住まいに出向いた。夕刻、玄関のブザーを押し、ドアが開いたとたんにさっと身を入れ、機先を制する発言をされる鶴見さんの挙動は見事なものであった。実行犯のもう一人が警察をやめ、広島の三次市の実家に戻ったとの情報が入ると、鶴見さんはビデオカメラをもって三次市に出向かれた。このときは単独行動。東京高裁で勝訴判決が確定してから、上田誠吉弁護団長から「地上の東京でこの国の国家秘密の一端にふれた思いを共有することのできた弁護団の皆さん、弁護団解散の思いを温かめ、合わせて口直しならぬ眼直しのために、ここで一転して北に向かい、天空の秘密オーロラの神秘に触れることにしませんか。」と粋なお手紙が届いた。私が企画して北緯60度を超えたカナダ・イエローナイフの光ふる大地への旅にももちろん鶴見さんが参加され、旅を愉快にしてくださった。
松川事件
 鶴見さんはこの時代の団と団員の歴史としてこの事件に絞る方針をとられた。2万字という字数枠の中でやむを得ない。松川の刑事事件そのものを闘った団員はすでに他界された。鶴見さんは、無罪判決確定後に提訴した国家賠償裁判の弁護団に参加され、松川事件を経験された。
 松川事件は事件発生自体が権力による非情な謀略である。それだけでなく、戦前の特高警察、思想検事、思想を裁いた裁判官たちが共産主義に対する頑迷な偏見をそのままにして司法の世界に居座り、証拠のねつ造、隠匿をしながら虚偽の自白調書のみで無実の被告の命を奪おうとする裁判を傲然と進めた。
 鶴見先生の小気味のよい短文が、この司法の犯罪が作り上げられる経過と背水の陣でそれを突き崩す弁護団、原告団、文化人、そして全国の支援者たちが共に闘って勝利した歴史を描いている。大衆的裁判闘争の真髄に触れる章となるだろう。

 

入管法改悪に反対する声明を発表しました

東京支部  岸  朋 弘
(国際問題委員会 担当次長)

1 入管法「改正」法案が国会に提出されました。
 2021年2月19日、入管法「改正」法案が閣議決定され、国会に提出されました。4月中にも審議が開始されることが予想されています。
 この法案は、入管における長期収容等の解消を目的とするものとされ、一定の場合には収容せずに社会生活を認める「監理措置」の創設、難民認定申請者に対する送還停止効の例外の創設、「退去命令」等を拒否した者に対する刑事罰の創設等を内容としています。しかし、法案は長期収容を解消するものとはいえず、むしろ外国人に対する人権侵害を生じさせる内容になっています。以下、簡単に説明します。
2 法案の問題点
(1) 監理措置は長期収容を解消しない
 まず、監理措置を認めるか否かは入管が判断します。現行法でも仮放免の制度がありますが、その適用は限定されているうえに、入管による恣意的な運用も指摘されています。このような現状からすれば、監理措置が創設されたからといって、長期収容が解消される保証はありません。
(2) 難民認定申請者の人権を侵害することは必至
 次に、難民認定申請者の送還停止効を否定するということは、当該申請者に対し自国に帰れということを意味します。政治的な迫害、武力紛争による人権侵害を受けた、あるいは受けるおそれがあると言って日本にやってきた外国人を自国に送還しようとするもので、人道上大きな問題があるといわざるを得ません。難民認定率が1 %にも満たない日本政府による制度の運用実態からしても、送還停止効に例外を設ければ、他国による人権侵害に加担する結果になることは必至です。
(3) 退去できない事情を無視した刑罰の創設
 さらに、退去を命じられそれを拒否した場合に罰則を設けることも問題です。そもそも退去をできない外国人には様々な理由があります。日本に家族がいたり、幼少期から日本で育ち日本に生活基盤ができていたり、前述の難民認定申請者であったりです。そういった事情を無視して、退去しないから刑罰だというのは、外国人に対する管理ばかりに目を向け人権を無視するものです。
3 声明発表の報告と学習会の呼びかけ
 以上のような問題点から、自由法曹団は、入管法改悪法案に反対し、廃案を求める声明を2021年4月1日付で発表しました。
 今後、入管法改悪法案に反対する運動を各地で起こしていきましょう。
 とはいえ、普段から外国人支援に取り組んでいたり、入管事件を取り扱っていたりしなければ、法案の問題点を理解しにくいとも考えられます。
 そこで、団本部では、下記の要綱で学習会を開催することにしました。現行法のもとでの収容の問題や、入管法改悪法案の内容と問題点を学習し、法案に反対する運動につなげていければと思います。自由法曹団の関係団体にも呼びかけます。団員のみなさまにおかれましては、ぜひともご参加いただけますようお願いします。

 

♠次長日記 ♠(不定期連載)

大阪支部  安 原 邦 博

 次長に就任して、はや半年が過ぎました。しかしまだ団本部には一度も行けていません。いつもzoomで執行部の関東メンバーが楽しそうにしている団本部。「うらやましいなぁ~」と思いながら、お菓子を食べつついつもzoomで会議に参加する日々。zoom会議って、なんか寂しいですよね。一番寂しい瞬間はやっぱり会議の終了時。自分で退出する、または主催者がミーティングを終了させる時、プツっと画面が消えます。それで終わり。何の余韻もなく(映画でもないので余韻は必要ないといえばそうですが)、事務所のデスクに一人取り残された心境になります。そして、「もしかしてみんな飲み会行ってるんちゃうか…」とネガティブ思考になり、「いや、まさかこのコロナ禍のご時世で飲み会なんてそんなそんな…うん、行ってへん!行ってへん!」と自分に言い聞かせ、むなしい気分で通常業務に戻っています。
 次長就任当初は「zoomあるし頻繁に東京行かずに済んで良かった~」と思ったものの(今も思ってはいますが)、やはりリアルで会う機会が少な過ぎるのも寂しいですね。五月集会もこのコロナ禍のため悲願の沖縄開催が今年もできませんでしたが(僕も、去年も今年も沖縄五月集会をとても楽しみにしていたクチです…)、なんとか今年は五月集会自体の開催はできることとなりました。リアル会場で何百人と相まみえることはまだできませんが、コロナ禍にも負けない五月集会、是非皆さんとご一緒に作り上げたいと意気込んでおります!

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